バンコクに住んでいる友人ウィリアムがついに本を出した。「絶対に退屈しない、リアルでクールな英語学習本」 というキャッチフレーズにふさわしい本だ。使っている英語はとてもシンプルだけど、ぐいぐいと引き込まれる魅力的なストーリー。ありきたりの例文ではなく、生きた英語を味わうことができる。テキストだけでなく、ウィリアム自身が撮影し編集したビデオと音声が入ったDVDも付いてくる。これで2600円はお得だと思う。 「ねぇマサシ、君は英語で書かれた本をまるまる読み通したことがあるかい?」 「ノー。一冊もないよ」 僕は正直に答える。大半の日本人がそうであるように。辞書を引きながら英語の長文を読むのは面倒くさい。よほど英語に自信がある人か、意志が強い人でないと難しい。 「でも、この本なら読み通せる。実際、これを読んだ日本人はみんなそう言っている。『英語を読むのがこんなに楽しかった事はない』って」 ウィリアムは1年半前に一家揃って松江からバンコクに引っ越してきた。高校の英語教師の職を捨てて、決まった仕事を持たないままバンコクに住み始めたのだ。 日本にいるときはウィリアムが家計を支え、奥さんのレイカさんが子供たちの世話をしていた。それがバンコクに来てから、立場が完全に入れ替わってしまった。レイカさんがフルタイムの仕事を持ち、ウィリアムが子供たちの面倒を見ている。 「ミスター・ママだよ」 とウィリアムは言う。日本流に言えば「主夫」だ。 「子供たちはすごく好奇心が強いんだ。長男のジディが『お父さん、ジョージ・ワシントンって誰?』って聞く。それに答えると、すぐさま次男のティオが「お父さん、このスナックは何でできているの?」って聞いてくる。その10秒後にはまた長男が『バラク・オバマについて教えて』。きりがないんだよ」 去年僕がバンコクにある彼の自宅を訪れたときも、さっそく息子たちから質問攻めにあった。 「ねぇマサシ、あなたは何歳? 誕生日はいつ? タイのお金って持ってる? チェスはできる?」 ミスター・ママの日々の奮闘ぶりが目に浮かぶようだった。 「子供たちにもいろんなタイプがいる。自分の世界を作って、その中で黙って遊ぶ子供もいる。でもうちの息子たちは、いつも外からの刺激を求めている。それに応えるのは大変だよ」 ![]() わんぱく盛りの子供たちは、かたときもじっとしていなかった。ウィリアムは長男がソファの上でぴょんぴょんと跳ね回るのをたしなめ、誰がトイレで粗相をしたのかと問いつめ、お菓子の袋が開けられないと泣き始めた次男に「自分ではさみを使って開けなさい」ときっぱりと命じた。 自分では「甘い父親だよ」と言っているが、子供の言うことを何でも聞くような甘さはまったくない。子供たちが自分でできることは、自分の力だけでやり遂げさせる。そしてちゃんとやり遂げたら言葉だけじゃなくて全身を使って褒める。それがミスター・ママのやり方だった。 「日本のサラリーマン夫とは全然違うだろう? 彼らは家に帰ると、ふんぞり返ってビールを飲みながらテレビを見て、あとは寝るだけだ。子供と一緒に過ごす時間なんて少ししかない。子育ては母親に任せっきりさ」 「いや僕らの世代には、そんな夫は少ないんじゃないかな。みんな家事に協力しているし、子育てだってすると思うよ」 僕はそうフォローした。そんな亭主関白な夫は、日本でも淘汰されつつあるのではないか。少なくとも僕の周りにはいない。 でもそうはいっても、今のウィリアム夫妻のように、夫が家で子育てをして妻が外に働きに出ているという「逆転夫婦」の例は日本ではほとんど聞いたことがない。労働環境がそれを許さないというのもあるだろうし、「男の沽券」に関わるという意見も根強いのかもしれない。 ![]() ウィリアムの二人の息子は、バンコクの旅行者街であるカオサン通りの路地裏にある小さな学校に通っている。ウィリアムは毎日子供たちの送り迎えをする。そのあいだ、いろんな国の友人たちと挨拶を交わす。 「カオサン通りには欧米人、インド人、アラブ人、日本人、いろんな人種の人々がいる。肌の色なんて誰も気にしない。ニューヨークよりもカラフルさ。そこが気に入っている。この世界がいろんな人たちで成り立っているって事が、肌でわかるところだから。それは子供たちにとってかけがえのない経験になるはずだ。彼らは学校でタイ語を習い、家では英語と日本を話している。たくさんの刺激があって、それで彼らは成長している」 実際、子供たちは雑然としたバンコクの街でのびのびと暮らしていた。ウィリアムは路上の果物屋が不潔な手で食べ物を触るのが許せないようだが、子供たちは全然気にしていない。むしろ「お父さん、そんなの気にしちゃダメだよ」とたしなめているほどだ。喧噪に満ちたカオサン通りにも、大人だってちょっとひるむような薄暗い路地裏にも、すっかり慣れている様子だった。 子供の環境に適応する能力というのはすごいものだと思う。きっと彼らは自分たちが母親と父親にしっかりと「護られている」という安心感を持っているのだ。自分たちが愛されていると日々実感しているのだ。だからどこに住もうと自分らしく振る舞うことができる。 「僕は子供たちに自分の信条を押しつけようとは思わない。情報は与えるよ。でも最終的には子供たち自身に選んでほしい。彼らのアイデンティティーはすごく複雑だ。日本人とアメリカ人の間に生まれて、今はタイで育っている。何人かと聞かれても簡単には答えられない。それは彼ら自身が答えを見つけ出さなきゃいけないことなんだ」 ![]() 一家の住むアパートのバルコニーからは、雑然としたバンコクの町が一望にできる。特に夕方の眺めは最高だ。 レイカさんはこのバルコニーでヨガのトレーニングをし、子供たちはときどき「UFOを呼ぶダンス」をする。両手を頭の上で合わせて、腰をクイクイと振る。本当にそれでバンコクの空にUFOが現れるのかは知らない。 「息子たちは日本で生まれて日本で育ってきた。だから日本の学校に通わせるべきだという人もいた。でも僕は気にしなかった。子供はどこにいても学ぶことができる。子供たちの教育に対して責任を持っているのは親なんだ。学校じゃない。確かに日本の教育レベルは世界的に見ても高いし、日本人の親は子供にたくさんのお金を使っている。でも僕には日本の子供たちがあまり幸せそうには見えないんだ。もし日本の子供が本当に幸せなら、毎年3万人以上の日本人が自殺をするはずがない。ヘイ、3万人だぜ! あんなに安全で豊かな国で。何かが間違っているとしか思えない」 ウィリアムの目には、日本社会はあまりにも窮屈で不自由だと映っていた。子供たちに「やりたいこと」をリストアップさせるのではなくて、「やってはいけないこと」を並べ立てる社会に、居心地の悪さを感じていたのだ。 「デルクイハ ウタレル」 と彼は笑う。自分の子供たちをそうさせたくはない。彼自身がいつも「出る杭」であって、打たれたら折れないように強く太くなればいい、という考えの持ち主だから。 「世界一の富豪で投資家のウォーレン・バフェットは、自分の子供にはまったく財産を与えなかった。学校を出たら自分の力と才覚だけで生きていきなさい、というのが彼の教育方針だったんだ。僕はバフェットのやり方に賛成だ。もっとも僕には子供たちに残せるような財産はこれっぽっちもないけどね。僕が残せるのは、僕らが一緒に過ごした時間や、かけがえのない経験だよ。子供たちはじきに成長して独り立ちしていく。自分の力だけで生きていくようになる。そうなったときに、失敗を恐れることなく困難に立ち向かえる人間になって欲しい。子供たちに望むのはそれだけだよ」 ![]() そんな子育ての日々の中で、ウィリアムは「English Groove Book 1」を作り上げた。いろんな人にインタビューをし、原稿を書き、本のデザインやビデオの編集までこなした。 道のりは平坦ではなかった。企画から出版にこぎ着けるまで4年以上もかかってしまったし、WEBでの販売がメインだからまだ大きなセールスは見込めない。これが本当にビジネスとして成り立つのか、一家の行く末がどうなるのか、不安が消えることはない。 それでも彼は前向きだ。このプロジェクトが成功すると信じている。成功させなくちゃいけないと。 「この本は『15分聞き流すだけで英語が話せるようになる』みたいなインチキ教材とは違うよ。英語はそう簡単には上達しない。でも本当に興味が持てるトピックを注意深く聞いていれば、毎日少しずつ向上するはずだ。大切なのはセレブが宣伝していることでも、『寝ている間に英語が話せる』なんて甘い夢を与えることでもない。リアルでクールでなおかつ面白い教材を提供することだよ」 ミスター・ママの挑戦は、まだ始まったばかりだ。 ※ 本気で英語を学びたい人は、ぜひ彼のサイト「englishgroove」を訪れてください。無料サンプルが豊富に用意されています。そしてもし気に入ったら、ぜひ本を注文してくださいね。 ![]() 小さなスキで畑を耕す男たち。 ![]() 菜種から油を搾り取る機械。 ![]() 学期末のテストを受ける学生たち。屋外の試験は気持ちよさそうだった。 ![]() マドラシャー(イスラム学校)でコーランを読む子供たち。 ![]() バングラデシュは人口過密の国だ。市場にもうんざりするほど多くの人がひしめいていた。 ![]() 運賃の安い鉄道は庶民の足。屋根の上にも機関部分にも乗れるだけの人が乗り込んでいる。
連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。
■ リキシャ日和「笑顔が力になる」 「日本人リキシャ引き」に対するバングラ人の反応の大きさは予想以上だった。彼らは見慣れないタイプの顔をしたリキシャ引きの出現に驚き、歓声を上げ、笑顔で手を振った。 茶店でチャをすすっている男が「ハロー、バイヤー!(お兄さん)」と呼びかけてくる。板金屋のおじさんが「ボンドゥー!(友達)」と大声を張り上げる。その他、「ブラザー(兄弟)」「ヤング・マン(若者)」「アンクル(おじさん)」「ビーデーシ(ガイジン)」「ボス(旦那)」などなど、数え上げたらきりがないほど多彩な呼ばれ方をした。 猛ダッシュでリキシャに追いついて握手を求める人もいれば、「ハワユー? ファイン・サンキュー?」と叫び続ける人もいた。カメラ付き携帯を向けられることもしょっちゅうあった。外国人旅行者が滅多に訪れることのないバングラデシュでは、ただ町を歩いているだけでもよく声を掛けられるのだが、リキシャに乗ることによっていつもの何倍も目立っているようだった。まるで映画スターにでもなったかのような扱いだった。 ![]() 人々が投げかけてくる屈託のない笑顔や声援は、リキシャのペダルを確実に軽くしてくれた。マラソンランナーが走り終わった後のインタビューでよく「沿道の声援が力になりました」と答えているけれど、あれはリップサービスなどではなく、実際にその通りなんだと思う。 自分がここを走ることで笑顔になる人がいる。そのことが確認できるだけで、人は前向きな気持ちになれる。言葉は必要ない。ただ目と目を合わせて笑顔を交わすだけで十分なのだ。 しかし常に注目を浴び続けているのが苦痛に感じるときもあった。長い距離を走っている日や、向かい風の強い日なんかに、何十回も繰り返し同じ質問をされると、「いい加減ほっといてくれよ!」と言いたくなってしまうのだ。 一番疲れるのは自転車やバイクで併走してくる人である。僕が「ベンガル語は話せないんだよ」と言っても、そんなことお構いなしにずっと話しかけてくるのである。大声で話せば言葉が通じるとでも思っているのか、10分も20分も諦めずにベンガル語で話しかけてくる粘り強い男もいて、これにはさすがに無視で応じるしかなかった。 ゼイゼイ息を切らしながら険しい表情でリキシャを漕いでいる僕に「タバコはいらない?」と勧めてくる若者もいた。もちろん彼なりのフレンドシップの表現なのだとは思うのだが、この状況でタバコを吸う奴がいるのかよく考えてみろよ、と怒鳴りたい気持ちになる。(実際、本職のリキシャ引きも仕事中にはまずタバコは吸わない。そりゃそうだよね) ![]() 【写真:携帯で写メを撮られることもしょっちゅうあった。映画スターの扱いである】 休憩が休憩にならないことも苦痛だった。たとえば街道沿いの茶屋にリキシャを止めて、ドゥチャ(ミルクティー)を頼むとする。栄養補給のためのバナナとビスケットも買ってもぐもぐと食べる。食べ終わって顔を上げると、そこには必ず20人以上の男が僕を取り囲むように集結しているのである。 角砂糖に群がるアリのようにどこからともなくわらわらと人が集まってくるのは、田舎における人口の多さとバングラ人の好奇心の強さを証明しているわけだが、それにしてもこの短時間で(ほんの2,3分である)よくこれだけの人が集まってくるよなぁと感心してしまう。マジで。 お茶を飲んでほっと一息つくまもなく、集まった男たちから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。「どこからきた?」「どこへ行く?」「バングラには何日いる?」といった定番の質疑応答が終わっても、彼らは腕組みをしたまま珍しい夜行性の動物を眺めるような目でじっと僕を見つめたままである。いつまで待っても「それじゃ解散ね」という雰囲気にはならない。暇なのか、粘り強いのか、たぶんその両方だと思うが、バングラ人相手に根比べをしても絶対にかなわない。だからろくに休憩も取らないまま、逃げるようにリキシャにまたがらなければいけなくなる。僕だってたまには一人静かに旅情に浸りたいときもあるのだが、バングラ人はそれを許してくれないのである。 いやはや「にわか映画スター」でいるのも、なかなか疲れるものなのである。 ![]() 【写真:田舎の茶屋で村人に囲まれる。悪意はないのだが、疲れる場面だ】 そういえばノオガの町では本物の映画スターに会った。いつものようにぶらぶらと市場を歩き回っていると、サングラスをかけたファッショナブルな若者(明らかに市場の雰囲気にそぐわない)のグループから声を掛けられたのだ。 「あんた日本人なの? じゃ俺たちと一緒に写真を撮らない?」 おやすいご用だと彼らと肩を組んで写真に収まったのだが、その中の二人、マムンとソムラットがバングラ映画の若手スターだというのである。 ほんまかいな。 正直そう思ったけれども、確かにファッションはあか抜けているし、表情や物腰にも他の庶民とは違う大物っぽさがある。「西部警察」の大門風のサングラス姿もなかなかサマになっている。冗談で「ムービースター」を名乗っているおちゃらけた若者には見えない。 でもどうしてこんな田舎町の市場に映画俳優がいるのかがもうひとつわからない。二人の出身地がこの町なのか、新作映画のプロモーションに来ているのか。しかしなぜ市場なんだ? 「来月『ボム・ブラスター』って新作が公開される。ぜひ見に来てくれ」 ソムラットは僕の疑いを見透かしたように、携帯のメモリーに記録された映画のポスターを見せてくれた。確かにそこには彼ら二人が写っている。主役級の扱いである。なるほど、本物だったのね。疑って悪かった。 ![]() 【写真:若手映画スターと記念写真を撮る。スターとサングラスは切り離せないもののようだ】 「ところであんたはなぜ一人で旅をしているの?」 マムンが僕に訊ねた。これまでにも何度かされたことのある質問である。 「一人旅が好きなんだよ」 「一人なんてつまらないよ。今度は恋人か奥さんを連れてくるといいよ。うん、その方が絶対にいい」 これはバングラ人に限らずインド人でもイラン人でも同じなのだが、彼らにとって旅行とは家族や友達と一緒に楽しむものであって、仕事でもないのに一人で外国を旅して何が面白いのかさっぱりわからないというのである。 要するに寂しがり屋なのだ。専用の個室を与えられて育ったバングラ人はほぼ皆無だし、一人暮らしをしている人も少ない。貧しい人もお金持ちも大家族で生活するのが基本だし、たぶん映画スターの彼も一人暮らしはしていないはずである。常に誰かと一緒にいるのが当たり前であるバングラ人たちが、「一人でいるのは寂しい」と考えるのは当然だとも言える。 バングラ人がいかに寂しがり屋なのかを知るために、コックス・バザールはうってつけの場所かもしれない。 コックス・バザールはバングラデシュの南端に位置するリゾート地で、120kmも続く世界最長の砂浜(少なくとも地元の人はそう主張している)が自慢である。 「君はぜひともコックス・バザールに行かねばならない。この国で一番美しい場所だからだ」 と何度言われたことだろう。コックス・バザールとはダッカに住む人もジョソールに住む人もラジシャヒに住む人もみんな一度は行ってみたい憧れの地で、そう簡単に海外旅行ができない庶民にとってほとんど唯一のバカンス地なのである。日本人にとっての熱海と箱根と湘南と沖縄と東京ディズニーランドを一緒にしたぐらいのもの、と考えればいいだろう。いやほんとに。 しかしコックス・バザールを訪れた僕がまず驚かされたのは、砂浜の美しさではなく、うんざりするほどの人の多さだった。どこを見ても人、人、人だらけなのだ。みんなズボンの裾を上げて波打ち際で足を洗ったり、水を掛け合ったりしてはしゃいでいる。「芋を洗うような」という表現が世界一ぴったり来る場所かもしれない。「ビーチリゾート」と聞いて浮かんでくる「海を眺めながらパラソルの下で本を読む」というようなイメージとはほぼ対極にある場所と言ってもいい。とにかく騒々しいのである。 ![]() 【写真:コックスバザールの海岸は人で埋め尽くされていた】 さっきも言ったように、コックス・バザールは世界で最も長い砂浜を有しているわけだし、宗教的な聖地があるわけでもないのだから、わざわざ大勢の人々が一ヶ所に集中する必要はないように思える。 実際、コックス・バザールから数キロ南に下ると、そこはもう別世界である。砂浜には誰一人いない。漁民たちの小さな集落がぽつぽつとあるだけ。ここにリゾートホテルやプライベートビーチを作って客を呼び込もうという発想がなぜ出てこないのか不思議である。 やはり「寂しがり屋」であることがポイントなのではないかと思う。人口過密な環境に慣れているバングラ人は「静寂」や「くつろぎ」に重きを置かないのである。静かすぎたり、人が少なすぎたりすると、かえってリラックスできないのかもしれない。 だからこそ、コックス・バザールのホテル街では夜中までやかましい音楽が鳴り響き、早朝から大型バスが目覚まし代わりにクラクションを鳴らしまくるのである。考えてみればこの状況はダッカやチッタゴンなどの都会とまったく同じであり、違いがあるとすれば海があるかないかだけなのである。 浜辺に集まった観光客はとにかくテンションが高かった。子供も大人も大はしゃぎで波打ち際を走り回っていた。水着姿で泳いでいる人は一人もいなかった。一応ライフセーバーの見張り台があったから泳ぐ人が皆無ではないようだが、「海は泳ぐものではなく、眺めるもの」というのが一般的なバングラ人の認識のようだ。 ![]() 【写真:ビーチで記念写真を撮ってもらう家族】 人々は海で泳ぐ代わりに、写真を撮りまくっていた。家族や友達同士で肩を組んで、カメラマンに写真を撮ってもらうのである。コックス・バザールには古い一眼レフカメラを肩にさげたカメラマンが何十人もいて、記念撮影をしてくれるのだ。お金を払えば後で現像した写真を送ってくれるシステムになっているようだ。自前のカメラを持っている人も多かった。こちらは大半がコンパクトデジカメか、カメラ付き携帯であった。 夕陽が海の向こうに沈む瞬間、コックス・バザールの盛り上がりはピークを迎える。その場にいる全員が夕陽をバックに写真を撮ろうとカメラを取り出すからだ。あちこちでフラッシュが光り、そのたびにワーっと歓声が上がる。 よく「日本人は写真好きだ」と言う人がいるが、それは正しくないと僕は思う。写真好きなのは日本人に限ったことではない。バングラ人だってインド人だって中国人だって、写真を撮ることも撮られることも大好きなのである。観光地での記念撮影にかける情熱は、日本人のそれを上回っていると言ってもいいだろう。日本人は彼らよりも少しだけ早くカメラを手に入れて、写真を撮る喜びを知っていた。ただそれだけなのだ。 ![]() 人は自分の記憶が不確かで、不鮮明で、すぐに忘れてしまうことを知っている。だから何かのかたちにして残しておきたい。そういう欲望は誰もが持つものだと思う。これまではカメラもフィルムも値段が高くて一部の豊かな人間にしか手が届かないものだったが、デジカメの出現がそれを劇的に変えたのである。 世界中の誰もがカメラを持つ時代が始まろうとしている。 それはいったいどんな世界なのだろう? コックス・バザールの海に消えていく夕陽と、ハイテンションで記念写真を撮りまくっている人々を眺めながら、僕はそんなことをぼんやりと考えていた。たまには写真家らしく、写真の未来について。 ![]() ハレの日に被る伝統の帽子を縫う職人。横顔がハンサムだ。 ![]() カモを売り歩く行商人。かなりうるさい「帽子」である。 ![]() 大きなひしゃくを動かして田んぼに水を引き入れている男。 ![]() 親子で田植えをする。他のアジアの国々と違って、バングラデシュでは田植えは男の仕事だ。
一週間のインドネシアロケを終えて日本に戻ってきた。
あぁ疲れた疲れた・・・なんてことは全然なくて、むしろバングラデシュから日本に戻ってきた二週間前よりも体調が良くなっているぐらいだ。赤道直下のパダンの日差しは強烈で、毎日とても蒸し暑い日が続いたが、そういうところにいると代謝が活発になり、肌に潤いが戻り、意識が覚醒してくるのだ。体の細胞が熱帯の空気を歓迎している気がする。毎年「渡り鳥」的に冬をアジアで過ごすうちに、体が本格的な夏仕様に作り変わってしまったのかもしれない。 食べ物もおいしかった。毎日もりもりとよく食べた。パダン料理というのはインドネシアを代表する伝統料理なのだけど、これまではあまりいいイメージを持っていなかった。4年前にスマトラ島を旅したときにろくにうまいものを食べた記憶がなくて、「ただ辛いだけの料理」というイメージしかなかったのだ。でもそれは僕が入った食堂が悪かっただけなのだろう。コーディネーターの方が勧める地元の人に人気のレストランで食べるパダン料理は、バラエティーに富んでいてとてもおいしかった。 前回、このブログで「エコノミークラス症候群」について書いた。安宿慣れした人間にとって、高級ホテルはなんだか居心地が悪いという話だった。 僕がそう感じるのは「いつでも最低レベルに戻れる自分」を手放したくないからだと思う。潤沢にお湯が使えることも、心地よいエアコンが室温を一定に保ってくれることも、清潔なシーツと適度な弾力性を備えたベッドで眠ることも、もちろん嫌いなわけではないのだけど、その快適さに慣れてしまうことによってバングラデシュやインドの田舎町にある代用監獄のような安宿に泊まるのがためらわれるようになっては困る、という意識が消えないのだ。 狭くて暗い安宿に泊まるのが苦痛になると、旅の自由度が一気に下がってしまう。取り得る選択肢が狭まってしまう。「いつでも最低レベルに戻れる自分」というのは、言い換えれば「どこでも行ける自分」「身軽な自分」ということなのだ。 広告業界の人たちと一緒に仕事をしたのは今回が初めてだった。 今まで僕は一人で自由に旅をし、自分の撮りたいものを撮り、作りたい本を作ってきた。好奇心のおもむくままに突き進んできたと言ってもいい。 今回のロケは状況が違っていた。最初からある程度撮るべき被写体が決まっていたし、広告の方向性も固まっていた。そういう制約がある中で写真を撮るのは、僕にとって大きなチャレンジだった。でも博報堂のTさんが僕にこの仕事の話を持ちかけてくれたときに、迷いはなかった。 実際、撮影はとても順調だった。仕事とはいえ、いつもの旅と同じように振る舞えばよかったからだ。被写体に宿るささやかな「光」を切り取ることに集中する。そうすれば必ずいい写真が撮れる。スタイルを変える必要はまったくなかった。広告という仕事は僕にとって「アウェー」だったけれど、東南アジアというフィールドは「ホーム」だったのだ。 今回の撮影でご一緒したCMディレクターの牧さんも、新しいことを始めるときに不安を感じることはないという。根拠はないけれどやれるだろうというポジティブなイメージだけをもって仕事に臨んでいる。牧さんはコックからグラフィックデザイナーになり、ミュージックビデオの撮影を始め、その後CMの監督をするようになった異色の経歴の持ち主である。自分の枠をあらかじめ決めることなく、様々なジャンルに挑戦する。周囲の人間を自分のペースに巻き込んでいく雰囲気を持っている。かっこいい大人だ。 牧さんをはじめとするプロたちと一緒に仕事ができたのも、僕にとって貴重な経験だった。僕はプロのカメラマンではない。少なくとも今までそういう意識を持って写真を撮ったことはなかった。良くも悪くもアマチュアだった。だからプロの仕事ぶりを眺めること自体、とても興味深かった。 今回撮った写真は、CMが放送された後に公開できると思います。お楽しみに。
連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。
■ リキシャ日和「モバイルラブ」 「僕は生まれてから一度も携帯電話を持ったことがないがないんです」 と言うと、今ではバングラ人でさえびっくりする。おいおい、マジかよ。なんだ日本人というのは金持ちだと思っていたけど、案外そうではないんだねぇ。そういった誤解を受けることもある。この国でもそれだけ携帯が広く普及しているのだ。 もちろん僕は携帯が買えないほど貧乏というわけではないし、「アンチ携帯」を標榜している主義者でもない。単に必要がなかったから持たなかっただけなのだ。僕はここしばらく1年のうち5ヶ月ほどを旅に費やし、日本にいるときにはあまり頻繁には出歩かないという生活を送っていたから、携帯電話を持つメリットがほとんどなかったのである。(正確に言うと数ヶ月だけPHSを持っていたことはある。7年前に骨折で入院したときに使い始めたのだが、ほとんど使わないうちに解約した) ![]() 【写真:バングラデシュでも携帯電話の普及が進んでいる】 そんな僕が生涯初の携帯電話を手にしたのはバングラデシュであった。携帯を使ってインターネットに接続できるらしいと知り、今回それを試してみようと思ったのである。 バングラデシュのネット環境は非常に悪い。首都ダッカなどの都市部ではネットカフェが増えているが、田舎に行くと完全にアウトである。この辺の事情は隣国インドとは大きく違っている。インドでは小さな田舎町でも必ず一軒や二軒ネットカフェがあって若者たちで賑わっているのだが、バングラデシュではネットに対する需要そのものが少ないようだった。 今回のリキシャの旅ではブログやコラムをリアルタイムで更新するつもりだったから、田舎町でもネットに接続できる環境が欲しかった。ネットカフェを探し回って時間を無駄にするのは避けたかったのだ。携帯を使ったネット接続は僕のような人間にはうってつけの方法だった。 僕はまず携帯ショップに行き、ネット接続が可能なハンドセット(携帯本体)を手に入れた。通話だけの安いモデルなら1500タカ(2000円)以下で買えるのだが、僕が買ったのは7000タカ(9100円)と少々割高の機種だった。 本体を手に入れた後、携帯キャリア大手「グラミンフォン」のオフィスに行ってSIMカードを手に入れた。バングラデシュでは日本と違って携帯本体の購入とキャリア会社との契約(SIMの購入)は別個に行う。だから携帯本体を人に譲ったり売却したりしても全く問題ないし、携帯の乗り換えもSIMの差し替えだけで簡単にできる。 ネット接続の設定は思いのほか簡単だった。USBケーブルでノートパソコンと携帯を繋ぎ、自動的にダウンロードされるソフトをインストールするだけでOK。これで24時間どこからでもネットに繋げるという。ブラボー。料金はパケット無制限プランでも1ヶ月1000タカ(1300円)だからリーズナブルである。 しかし良いことばかりではなかった。ネットのスピードがものすごく遅いのである。下りがだいたい6KB/秒程度。 メガではない。キロである。日本では8Mとか50Mといったブロードバンド環境が当たり前になっているが、それと比較すると1000分の1以下のスピードなのである。飛行機と徒歩とのスピード差。ナローバンドもいいところだった。 ![]() 【写真:僕が買ったノキアの携帯】 このようにネット環境はまだまだ整っていないバングラデシュだが、携帯電話の急速な普及には目を見張るものがある。数年前までは携帯ユーザーの大半は都市に集中していたのだが、この2,3年で農村に住む人々もこぞって携帯を求めるようになっているのだ。さっきも書いたように単機能の携帯本体は1500タカ(2000円)以下で買えるし、通話料も1分間0.7タカ(約1円)から1.3タカ(1.7円)ほどととても安い。キャリア間の激しい競争のおかげで通話料が下がり、庶民が払える価格になってきたことが普及を強く後押ししているようだ。 バングラデシュは人口が過密で国土が狭い国である。日本の三分の一ほどの面積に、1億5000万人が暮らしている。高い山はなく、国土は平坦である。これは参入する携帯電話会社にとって有利な条件だ。国全体をカバーするためのアンテナ設備は最小限で済むし、一人当たりの利益が少なくてもそれを補えるだけの莫大な人口規模があり、なおかつ将来の成長も期待できるからだ。 ![]() 【写真:ダッカの線路沿いに広がるスラム街で。こんな赤ん坊でも携帯電話を使うようになった? いえいえ、たぶんこれは子供用のおもちゃなのだろう】 携帯電話が人々の生活スタイルを変え、そして恋愛の姿も変えつつある。そんな話をチッタゴンに住むシュモン君から聞いた。 シュモン君は経済を学んでいる大学生だ。バングラ人にしては珍しく、非常にきれいな英語を話す。バングラデシュでもインドでも、国内だけで通じる訛りの強い英語を話す人が圧倒的多数なのだが(インドの英語には国内での共通語という重要な役割もある)、若い世代の中はよりグローバルな英語を身につけている人もいるようだ。 シュモン君には恋人がいる。交際を始めて2年になるのだと、少し恥ずかしそうに言った。首都ダッカはともかく、他の町では自由恋愛を謳歌する雰囲気にはないと聞いていたから、その告白は意外だった。 「ええ、そうなんです。チッタゴンは保守的な土地なんです。ダッカでは恋愛結婚が50%近くになっているんですが、チッタゴンでは20%もないんじゃないかな。とにかく親が反対するんです。自分たちが認めた相手ではないと許してくれない。もし交際しているのが親にばれたら大変ですよ。きっと相手の親から別れるように強い圧力がかかります。だから僕たちはいつも細心の注意を払ってデートをしているんです」 そういうシークレットな交際(まさに「逢い引き」と呼ぶのにふさわしい)に欠かせないツールが携帯電話なのだ。シュモン君も恋人も携帯電話を持っているので、こっそり連絡を取り合って落ち合うことができる。携帯が普及する前の時代には考えられなかったことだ。 デートの場所としてはショッピングセンターや公園が多いという。二人でリキシャに乗って浜辺に出かけることもある。 「実は彼女と出会ったきっかけも携帯電話だったんです。僕の友達が彼女の知り合いだったんで、携帯の番号を教えてもらったんです。最初に電話をかけたときは、まだ彼女の顔を見たことがなかった。もちろん彼女の方も僕のことを全然知らなかったんです」 「それなのにいきなり電話なんかして、怪しまれなかったの?」 「最初はすぐに切られましたよ。でも僕は諦めなかった。何度も何度も電話したんです。それで5ヶ月ぐらい経った頃かな、ようやく会ってくれることになったんです」 「どうして顔も知らない相手にそこまでできるの?」 「シックス・センス、第六感ですよ。彼女はきっと理想の人に違いない、と直感したんです」 恋愛は思い込みから始まるとはよく言うけれど、顔も知らなければ話したこともない相手に、そこまで過剰な思い入れを抱けるというのはすごい。というか、ちょっと怖い。 シュモン君がやったようなことを今の日本で実行したら、ストーカーまがいの怪しい男だと思われて警察に届けられかねない。しかし出会いの機会が極めて少ないバングラデシュでは、そこまで必死にアタックし続けないと交際には至らないのだろう。「押して押して押しまくる」という少々暑苦しいタイプの男でないとダメなのだ。「草食系男子」なんてまるでお呼びじゃないのである。 とにかく携帯電話があったればこそ、二人は出会うことができた。そして秘密の交際を2年間も続けている。 「もちろん彼女とは結婚したいと思っています。でもそれは5年ぐらい後になるでしょうね。僕が良い仕事を見つけて、親から自立したときに結婚を申し込むつもりです。それまでは交際していることを隠し続けますよ」 「この先5年も隠し続けるなんて本当にできるの?」 「ええ、大丈夫ですよ。愛というのはタフなものです。鍛えられてこそ、愛の力は強くなるんです」 愛の力。 こんな言葉を口にするバングラ人は少数派だ。シュモン君のように恋人との恋愛結婚を真剣に考えている若者の割合は1割にも満たないだろう。今でもほとんどのバングラ人が「アレンジ婚」を選んでいる。アレンジ婚とは親同士の話し合いで決めてしまう結婚のことである。もちろん本人たちが気に入らなければ無理強いはしないが、親同士が納得している縁談はよほどのことがない限り覆されないという。 親同士が決めた結婚に当然のように子供が従うのは、血縁の結びつきが何よりも大切だと考えられているからだ。「結婚とは家族と家族がするもの」というのがバングラデシュの伝統的な価値観であり、ダッカをのぞく大半の地域では今でもその考え方が強く支持されているのである。 ![]() 【写真:男女の恋愛が自由ではないために、男同士はとても仲が良いバングラ人。暑苦しいほどだ】 「携帯電話はコミュニケーションに革命を起こしたんです」とシュモン君は言う。「今までは遠くにいる人と話そうと思ったら、バスや船に乗って直接そこに行くしかなかった。今では携帯で毎日話す事ができます」 「そして恋人とも毎日話すことができる」 「ええ、そうです」 シュモン君は照れくさそうに笑った。 携帯電話がなかった時代、大半のバングラ人は固定電話すら持っていなかった。そこが日本や他の先進国と事情が異なる点である。つまり固定電話やインターネットなどの通信手段を一気に飛び越えて、みんなが携帯電話を持つ時代にいきなり突入したわけだ。確かにこれは「コミュニケーション革命」と呼ぶに相応しい出来事である。 この革命的なコミュニケーション手段の普及が、恋愛や結婚や家族のあり方を変えていくのは避けようがないと思う。個人と個人がダイレクトに繋がるようになれば、そのあいだにある共同体(家族や村社会)の紐帯は徐々にゆるんでくるのが歴史的な必然だからだ。 ![]() 【写真:十代半ばを超えた女の子の多くはチャドルで顔を隠している】 バングラ人の中にも携帯電話に対する拒否反応を示す人はいる。「モバイルなんて必要ないし、私は持っていない」と言うバングラ人だっているのである。 「みんなどこにいたって大声で話をしている。バスの中でも、船の上でも、食堂でも。うるさくて仕方ない。今や高校生だって携帯を持っているけれど、彼らに必要かい? 大事な用件があるわけじゃない。お金と時間の無駄だよ」 彼の言うことはもっともである。日本でも「子供に携帯を持たせるべきか否か」という議論が盛んだが、同じような状況がこの国でも起こりつつあるのだ。これもグローバル化の帰結のひとつなのだろう。 しかし「携帯電話はお金と時間の無駄」だとしても、無駄なお金をたくさん使い、新しいサービスを生み出せば、それだけ経済成長が促されるというのは資本主義社会の基本原則であるから、それを「不必要なもの」だと切り捨てることができるのかは疑問である。結局のところ、我々の社会はたくさんの「無駄」の上に成り立っているのだから。 それに「誰かと繋がっていたい」というのは人間が持つ根源的な欲望であって、それを簡単に満たしてくれる携帯電話という道具が普及していくのは、誰にも止めようがないと思う。 安さとすそ野の広さという点では、携帯電話はインターネットよりもはるかに大きなインパクトを世界に与えている。特にバングラデシュのような貧しい国の人々に。文字が読めない人にも携帯は使えるのだから。 これからも携帯で生まれ、携帯ではぐくまれる恋愛「モバイル・ラブ」は増え続けるだろう。それに伴って「アレンジ婚から恋愛結婚へ」という流れは強まっていくはずだ。 若い男女が二人きりで会うことさえひと苦労という土地で、親兄弟や友達の目を逃れて、携帯電話でこっそり愛の言葉を交わす。今、世界中でそんなシーンが何千何万と繰り広げられているに違いない。 ![]() マスタードの花が咲く畑で蜂蜜を収穫する男たち。 ![]() 苗を植えた田んぼに肥料をまく男。
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「リキシャ」とはインドやバングラデシュを走っている三輪自転車タクシーのこと。 ■ たびそら (本家HP) ・ 旅行記 ・ フォトギャラリー ・ 通信販売 ■ 三井昌志プロフィール 旅写真家。1974年生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は6冊。旅した国は37ヶ国。 ■ 三井昌志の本 ![]() 「この星のはたらきもの」 「働く人は美しい」をキーワードに、働くこと、生きることの喜びにあふれた人々の表情を世界中から集めました。 (2009/10 パロル舎) 「スマイルプラネット」 この世界にたったひとつしかない、とびきりの笑顔を探して、ぼくは旅に出た。かけがえのない「笑顔の星」へのメッセージがつまった一冊。 (2008/10 パロル舎) ![]() 「子供たちの笑顔」 笑顔には国境なんてない。遊び、学び、働き、共に笑う…。アジアで暮らす子供たちのありのままの姿を収めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「美少女の輝き」 ある時期に現れ、ある時期になると消えてしまう。そんな特別なオーラを身につけた少女たちの輝く瞳を集めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「素顔のアジア」 津波後のインドネシアや内戦後のアフガニスタンを歩き回り、人々の逞しさと笑顔の価値を知った。旅写真家の新境地。 (2005/09 ソフトバンク・クリエイティブ)
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