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バイクでインド一周の旅も出発から50日が過ぎ、折り返し地点を迎えようとしている。南インドから北インドへ向かっているところだ。(旅のルートはこちら)
インドの旅で一日にいくら使っているか。その平均値をご紹介。 [宿代;400ルピー] [食費;250ルピー(朝40、昼60、夕100、飲み物・果物50)] [ガソリン代:250ルピー] [その他雑費;100ルピー] 合計は1000ルピー(1500円)。 「少しでも安く上げよう」という意識はもうないけど、それでも1日1500円で旅ができるんだから、やはりインドは安い。 予算を左右するのが宿代。一泊100ルピーの安宿から、800ルピー程度のホテルが射程圏内。インドの宿は総じて値上がりし、質は向上する傾向にある。 ちなみに現金はクレジットカードが使えるATMでおろしている。日本円のキャッシュ、ドルキャッシュ、ドルのトラベラーズチェックなど両替の方法はいくつかあるけれど、今はもっぱらカードだ。この数年でインドの町にもATMが劇的に増えたし、VISAやMasterにも対応しているからだ。 ATMでのキャッシングは手数料として2.5%取られるが、それでも為替レートは良いし、安全性や、いつでも現金化できる利便性を考えると、クレジットカードが一番かなと思う。 インドで撮った写真の中からいくつかをご紹介。 ![]() 麦を収穫しているおばさん。雲ひとつないカルナータカの空に、おばさんの赤い服がよく映えていた。 ![]() ラギと呼ばれる雑穀を牛を使って脱穀する風景。牛が引っ張っているのは石でできた重いローラーである。カルナータカ州では、こんな昔ながらの風景が当たり前に見られる。 ![]() ビジャープルという古い王国の名残を残す町にある、イブラヒム・ローザという霊廟。夕日が落ちる時間と重なって、建物全体が赤く染まった。 ![]() 真っ赤な広告で塗りつぶされた「ボーダフォン・アパート」。これだけしつこいと「もうわかったよ!」と言いたくなりますが、インドではくどすぎるぐらいがちょうどいいみたいです。 ![]() 素焼きの壺を作る女性。こういう焼き物工場はインド各地で見られるが、この工場では珍しく職人がすべて女性だった。 ![]() インドには「過積載」という言葉はないのだろうか? いや、もちろんインドにだって積み荷の重量規制はあるのだが、日本に比べればその運用はずいぶん弾力的なようだ。 ![]() カルナータカ州で不思議な岩を見かけた。奇跡的なバランスで落下を免れている丸い岩。おぉこれはミャンマーの「チャイティーヨー・パゴダ」にそっくりではないですか! 岩のてっぺんに木が生えているところもナイスです ![]() カルナータカ州で出会った親子。20歳の若いお母さんと9ヶ月の娘。
◆ 2011年12月からバイクでインドを一周中です。ツイッターではリアルタイムの旅の様子を綴っています ◆
バイクでインド一周の旅。現在までのところ、こんなルートを通っている。気が向いた方向にバイクを走らせているので、あちこちふらふらして一貫性に欠けている。いつものことだ。無計画主義。そうやって予想もしなかった面白いものに出会うチャンスを待っているわけだ。 ケララ州では何を食べても美味しかった。ビリヤーニもミールスも果物さえも。人も温かかったし、英語もよく通じた。宿には大いに問題があった(高くてサービスが悪く、しかも空きがない)が、それだって許容できる範囲だった。 でもケララには何かが足りなかった。それは僕にとって決定的な何かだった。だから僕は早々にケララを後にして、カルナータカ州にやってきた。 カルナータカは州名よりも「ITシティ」として名高い州都バンガロールの方が有名だ。「カルナータカ」ってのもなんだか覚えにくいし。ちなみに僕は「狩るなー鷹」と覚えることにした。まだ本物の鷹は見てないけど。 さて、今回の旅には新しいアイテムをいくつか持って来た。その中で役に立ったものベスト3を発表しよう。 ○ 第1位 :「iPhone」 SIMフリー化していることが必須ですが、旅にスマートフォンは超便利です。インドで一番正確で詳しい地図が、ほぼ無料で手に入るんだから。しかもGPSで自分の位置がわかる。これでもうインドの道には迷わない! ○ 第2位:「おすだけベープ」 プッシュ式蚊取り線香。これは本当にスグレモノ。蚊取り線香120巻き分が小さなスプレー缶に収まっているんですからね。煙も出ないし、においも染みつかない。インドの蚊にも効きます。殺します。 リキッド式蚊取り線香はインドでも相当に普及していますが、プッシュ式はまだ見ていません。フマキラーとかキンチョウがこのでかい市場を取りに行ったらいいと思うんだけどなぁ。絶対売れるよ。 ○ 第3位:「ヒアルロン乳液(肌ラボ)」 20代はいいのよぉ。お肌のことなんて全然気にしなかったから。でも30代も後半になると、日焼けしっぱなしってわけにもいかなくなるんです。焼けるのは仕方ないにしても、アフターケアーが大切。たぶん。 インドで撮った写真の中からいくつかをご紹介。 ![]() 鉄板をハンマーで叩いて丸く曲げている男たち。すさまじくうるさい仕事場だった。 ![]() ビンロウの工場で働く若者。それにしても、インドの男ってどうしてこんなにカッコいいんだろうね。 ![]() まさに「Incredible India!」的な光景である。土着的なパワーみなぎる祭りは、今もまだ続いている。 ![]() 巨大な椰子の葉を自転車で運ぶおじさん。風にあおられて前に進むのが大変そうだった。これを見て、「魔女の宅急便」を思い出してしまった。トンボがプロペラ付きの自転車を漕ぐ、あのシーンに似てませんか? ![]() インドの町には映画のポスターが溢れている。派手な色使いと刺激的なポーズ。その前でくつろぐムスリムのおじさんとのコントラスト。ちなみにこの映画の主演は国民的スター、シャールク・カーンだ。 ![]() タミルナドゥ州ラメシュワラムにかかる鉄道橋はまさに「海の上の道」だ。「撮り鉄」が泣いて喜ぶ(?)絶景。試験用の機関車がノロノロと橋の上を渡っていた。 ![]() 海の上を渡る鉄道橋を、歩いて渡る人がいる。さすがはインド。やることがいちいちおかしい。もし向こうから列車やってきたらどうするかというと・・・ ![]() ちゃんと待避場に逃げるんですね。よかったよかった。
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インド最南部の海岸線には小さな漁村が転々と連なっている。その多くがキリスト教徒の村だ。村の中心にはコンクリート製の(いささか立派すぎる)教会が誇らしげに建っている。砂浜にはカラフルな漁船が並び、椰子の葉で葺いた小屋の中で漁師たちが漁網を編んでいる。 タミルナドゥ州の漁民たちはとりわけフレンドリーで、僕が村の中をぶらぶらと歩いていると、「ハロー」と手をあげて微笑みかけてくれる。インドの他の地域ではあまり見られない反応だ。それが開放的な南国の気質によるものなのか、それとも宗教のせいなのかは、もうひとつよくわからない。しかしとにかく旅していて気持ちの良い場所であることだけは間違いない。 ![]() [タミルナドゥ州南部の漁師たち。カゴ一杯の小魚を水揚げするところ] コタッパナイという小さな漁村で出会った大学生のセイヴィアー君もクリスチャンだった。セイヴィアー君は2004年12月に起こったスマトラ沖大地震の津波で、この村が被害を受けたことを教えてくれた。アチェで発生した津波は、はるか2000キロ先のインド南部にまで達していたのだ。 死者は出なかったものの、漁船や家屋がいくつも破壊されたという。そのときにボランティアとしてやってきて、村の復興を助けてくれたのが日本人の大学生だった。彼はそのことにとても感銘を受けたそうだ。 「だから去年、日本が津波に襲われたというニュースを聞いてとても悲しくなりました。僕たちを助けてくれた日本人が、津波の犠牲になるなんて。しかもあの津波によって原子力発電所が壊れてしまった。たくさんの人々が避難したと聞いています。それは僕たちにとってとてもショックな出来事でした」 クダンクラム原子力発電所。ロシアの技術援助で建設された出力100万キロワットの原子炉2基は、コタッパナイ村から20キロ西の海岸線にある。原子炉はすでに完成しているが、いまだに稼働はしていない。2011年中にも運転を開始する予定だったのだが、近隣住民の反対運動が起きたために延期されているのだ。 去年末には7000人もの住民がハンガーストライキを行った。何日も食事をとらずに抗議の座り込みを続けたのだ。セイヴィアー君と家族もこのハンストに参加した。ちなみにハンストはあのマハトマ・ガンディーが行って以来、非暴力による抗議手段として定着しているのだそうだ。 ![]() [海岸線に建設されたクダンクラム原子力発電所。周囲の道路は閉鎖されて、関係者以外は近づけないようになっている。] 「村人は放射能について何も知りません。もし事故が起きたらどうなるのか誰も教えてくれないんです。政府の役人は『原発は安全だ』と繰り返すだけ。だからフクシマのニュースを聞いてみんなとてもおそろしくなったんです。僕はこの村で生まれました。父も祖父も漁師としてこの村で生きてきました。他の仕事なんてしたことがない。もし事故が起きて、この村を逃げ出すことになったら、我々は一体どうやって生きていけばいいんですか?」 福島第一原発が事故を起こした後、クダンクラム原発の稼働に反対する声はよりいっそう高まっているという。事故の引き金となった津波は、タミルナドゥ州の住民にとっても決して他人事ではないからだ。 カレッジで機械工学を学んでいるセイヴィアー君は言う。 「日本のように技術が進んだ国でも事故が起こりました。それなのに『インドでは絶対に事故が起こらない』という言葉を誰が信じますか?」 しかしインド政府が住民の要求通りに原発の稼働中止を決定するとは考えにくい。インドはいま、深刻な電力不足に陥っているからだ。とにかく電気が足りていない。僕はこの1ヶ月南インド各地を旅してきたが、停電が起きなかった日は一日たりともなかった。田舎町でも都市でも、毎日2時間程度は停電していた。 これは経済成長とライフスタイルの変化によるものだ。夜になるとランプを灯して暮らしていた農村にも電気が通り、牛車や自転車に乗っていた人々がバイクや車に乗りはじめている。タミルナドゥ州は工業化が進んだ州で、巨大な工場が次々と建設されている。そのようにしてエネルギー需要が爆発的に伸びる中、供給能力はそれに追いついていない。 インドもまた日本と同じように資源の乏しい国である。石炭は出るが、石油は大半を輸入に頼っている。近年の原油高の影響で、エネルギーの調達コストは上がる一方だ。それがインドの経済成長にとって大きな足かせになっているのは明らかだ。 日本は原発を止めても、節電と他の発電方法を使って何とかやりくりできる。その余力と技術を持っている。しかしインドは違う。今後も人口は増え続けるし、エネルギー需要は拡大を続ける。インド政府が簡単に「脱原発」を受け入れられない理由がそこにある。 皮肉なことに(と言うべきだろう、やはり)クダンクラム原子力発電所周辺は、風力発電がとても盛んな地域でもある。見渡す限り風車だらけという光景が20キロ以上にわたって延々と続いているのだ。風力発電会社のエンジニアに聞いたところ、この地域だけでも1000基以上の風車があるという。インド南端はとても風が強い。しかもあまり人が住んでいない草原や湿地帯が多いから、用地の買収も容易なのだろう。 ![]() [タミルナドゥ州南部は風力発電がとても盛んだ] 無数の巨大な羽根が風を受けてくるくると回り続ける光景はどちらかと言えばのどかなものだが、「とにかく使えるものはみんな使って電気を作りたい」というインドの切羽詰まった状況を伝えるものでもあった。日本のように「段階的に原発から自然エネルギーに切り替えていきましょう」というような悠長なことは言っていられないのだ。火力と水力と原発と自然エネルギーを全部使っても、11億の民すべてに電気を行き渡らせることは極めて困難な課題なのだ。 ![]() しかしそういったインドの現実を考慮しても、このままなし崩し的にクダンクラム原発を稼働させるのは、やはりまずいと思う。一度稼働をはじめた原発を止めるのは非常に難しい。そして原発が破滅的な事故を起こす可能性は決してゼロではないし、ゼロに限りなく近いわけでもないことを、僕らはすでに身をもって知っている。 原発がひとたび大事故を起こせば、想像もつかないほど大規模な被害を長期間にわたって広い範囲に与え続ける。健康被害はもちろんのこと、精神的にも経済的にもダメージの大きさは計り知れない。そのリスクの大きさに見合うだけのベネフィットを原発に期待することはもはやできない。それが福島の事故から僕らが得たつつましい教訓だった。 それでもなおクダンクラム原発を稼働させたいのなら、インド政府は事故が起きるリスクがゼロではないことを説明した上で、事故が起きた場合の速やかな対処法と補償体制を示して住民に受け入れてもらえるよう努力すべきだ。もちろんそれは骨の折れる仕事だし、合意形成には時間がかかるだろう。一刻も早く原発を稼働させて200万キロワットの電力を得たいインド政府には受け入れがたいことかもしれない。でもそのハードルを乗り越えることができなければ、原発を動かすべきではない。 ![]() 不確定な未来を予測することは、誰にとっても難しい。特に起こるのが稀なリスクについての予測は、常に低く見積もられてきた。マグニチュード9の地震と、15メートルを超える津波と、メルトダウンが同時に起こるだなんて、誰にも予測することが出来なかった。可能性としてあり得ることは知っていたとしても、明日にでもそれが起こるものと想像して行動できる人は(もちろん僕も含めて)ほとんど誰もいなかった。 残念ながら、僕らは7,80年という自分のライフスケールを越えるような長いスパンで物事を見通すことができない。構造的にできないのだ。僕らは常に目先のことを優先して考える。それが人間の思考のクセであり、限界なのだと思う。そして僕らがそのような「限界のある知性」を抱えた存在なのだとしたら、その限界を前提とした行き方を模索していくしかないのだと思う。 要するに「原発は人の手に余る」ということだ。日本人の手にも、インド人の手にも。 「最後にひとつだけ質問があるんですが」とセイヴィアー君は僕の目をじっと見据えて言った。「あなたは事故が起こると思いますか?」 「・・・わからない」と僕は言った。「本当にわからないんだ。たぶん、事故は起こらないだろう。でも絶対に、ではない」 「それじゃ、あなたはこの村に住みたいですか?」 「・・・」 僕には答えられなかった。その質問に答える権利は、一介の旅行者である僕にはないように思えた。 「でも僕らはこの村に住み続けなくちゃならないんです。ここは故郷ですから」
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バイクでインドを一周する旅をはじめて、そろそろ1ヶ月が経とうとしている。オリッサ州プリーからスタートして、最南部の州タミルナドゥまでやってきた。 旅をはじめて3週間で、切ったシャッターは1万回を超えた。1日500回はかなりのハイペースだ。もちろんたくさんシャッターを切りゃいいってもんじゃないけど、僕はシャッターを切りながらそのリズムの中で自分の写真を作っていくタイプなので、数はひとつの目安になる。 1日で1200回シャッターを切った日は、特別な一日だった。回数もさることながら、自分の期待以上のものが写っていたから。そういうことは滅多にない。もしここで旅が終わっても大丈夫だ、なんてその瞬間には思った。(もちろんもっと旅を続けて、いい写真を撮りたい) 久しぶりに訪れた観光地マドゥライでは、うざいオヤジたちの洗礼を受けた。勝手にホテルを紹介しようと手を引っ張る男。意味もなく親しげに話しかけてくるうさんくさい男。相場の倍の値段をふっかけてくるパンク修理屋。何も仕事をしていないのに戸口でじっとチップを待つボーイ。そうだった。インドの観光地ってこうだったな、と思い出した。控えめな観光地であるマドゥライですらこうなのだ。あとは推して知るべしである。 もし僕が観光地だけを旅していたなら、インドのことを好きにはならなかっただろう。ハエのようにたかってくる怪しいオヤジたちを無視しつつ、観光を楽しむなんて器用なことは僕には出来ない。 逆に言えば、インドの観光地がとても過ごしやすかったら、こんな風に何があるわけではない田舎町を訪れるような旅はしていなかっただろうし、したがって僕が撮る写真も違ったものになっていたはずだ。 そんなわけで、インド一周の旅の序盤は順調に進んでいます。これから南インドの収穫祭ポンガルが行われる予定。それが終わると、いよいよ北上を開始します。 インドで撮った写真の中からいくつかをご紹介。 ![]() インドでよく見かける花飾りを作っている職人。ジャスミンやマリーゴールドやバラなどを糸で繋ぎ、一本の太い花飾りにする。若い職人の手の動きはとても洗練されていた。 ![]() アンドラプラデシュ州で出会った少女。AKB48に入ったら、すぐに人気が出そうな美少女でした ![]() インド最大級のトマト卸売り市場でトマトをより分ける人々。真っ赤なトマトで埋め尽くされた市場は壮観。 ![]() スクールバスならぬスクールリキシャで下校する小学生たち。リキシャ引きのおじさんは漕がずに押していたから、歩くのと変わらないスロー走行なんだけどね ![]() 田舎のバス停で昼寝をする男。南インドの日差しは強烈なので、暑い午後はひんやりとした場所で昼寝するのが一番だ。男の寝相はどことなくお釈迦様の「涅槃像」を思わせる。ここはインド。ブッダの国だ ![]() 染色工場で染め上げた糸を干している男。鮮やかなオレンジ色が、南国の強い日差しに照らされてまぶしかった。
インド一周のバイク旅をはじめてから3週間が経ったが、一番嬉しかったのは「インドに慣れていない」と気づいたことだった。インドを旅するのはこれで5度目になるけれど、新鮮さは失われていなかったのだ。
もちろん最初にインドを訪れた10年前のように、見るものすべてに目を見開いて驚くということはない。ある程度旅慣れてはいるから、「次はこうなるのかなぁ」と予想がつくこともある。 けれども、スパイシーな町の匂いや、道を埋め尽くす牛の群や、クラクションの音量を競い合うかのような交差点のやかましさや、大地が持つ圧倒的なスケール感は、いちいち何度でも驚いてしまう。 どういう光景に出会えるかで、旅写真の8割は決まってしまう。もちろん「どう撮るか」は写真家の腕次第だけど、いい被写体に巡り会わなければ、誰かの心を動かす力を持つ写真にはならない。結局「旅する力」を上げなければいけないわけだ。 そして「旅する力」とは、結局のところ「新鮮な驚きを持ち続けること」ではないかと思う。目の前のものに好奇心を持ち、目の前の出来事に驚きを感じることが、旅を続けるための推進剤になってくれるからだ。 旅することに慣れてはいけないし、生きていることに慣れてもいけない。 そんなことを僕は今、インドで感じている。 インドで撮った写真の中からいくつかをご紹介。 ![]() ジュートを材料にした南京袋を作る職人たち。ジュートの繊維は強く、何度も繰り返し使えるので、穀物を入れるための袋として欠かせない素材だ。 ![]() 収穫したばかりの真っ赤なトウガラシを天日干ししている男。これがスパイシーなインド料理の源だ。 ![]() インドを旅していると、ときどき不思議なものを見かける。これは一本の木だけを残して、周りの土を全部掘ったあと、つまり「リアル山崩し」だ。目的はよくわからないのだが、木を倒さないように掘るのは結構難しいと思う。 ![]() オリッサの少数部族コヤ族の親子 ![]() オリッサ州に住む少数部族コヤ族の女性。 ![]() アンドラプラデシュ州で収穫した稲穂を小山のように積み上げている男。 ![]() 辺境の村の小さなほこらで、長渕剛に似たファンキーな風貌の男が、ガンガン銅鑼を鳴らしながら、しわがれた声で神様に祈りを捧げていた。インドってほんと不思議な国だなぁ。
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■ たびそら (公式サイト) ・ フォトギャラリー ・ 旅行記 ・ 通信販売 ■ 三井昌志プロフィール 旅写真家。1974年生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は6冊。旅した国は37ヶ国。 2010年には「バングラデシュ製のリキシャで日本一周」という本邦初の旅を行いました。 ■ 三井昌志の作品集 ![]() 「CD-ROM版・東南アジア旅行記」 ブログ未公開の旅行記46回と、高画質写真ファイル1377枚を収録したボリュームたっぷりの電子書籍です。 ![]() 「CD-ROM版・インド一周旅行記」 ブログ未公開の旅行記36回と、高画質写真ファイル972枚を収録したボリュームたっぷりの電子書籍です。 ■ 三井昌志の本 ![]() 「この星のはたらきもの」 「働く人は美しい」をキーワードに、働くこと、生きることの喜びにあふれた人々の表情を世界中から集めました。 (2009/10 パロル舎) 「スマイルプラネット」 この世界にたったひとつしかない、とびきりの笑顔を探して、ぼくは旅に出た。かけがえのない「笑顔の星」へのメッセージがつまった一冊。 (2008/10 パロル舎) ![]() 「子供たちの笑顔」 笑顔には国境なんてない。遊び、学び、働き、共に笑う…。アジアで暮らす子供たちのありのままの姿を収めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「美少女の輝き」 ある時期に現れ、ある時期になると消えてしまう。そんな特別なオーラを身につけた少女たちの輝く瞳を集めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「素顔のアジア」 津波後のインドネシアや内戦後のアフガニスタンを歩き回り、人々の逞しさと笑顔の価値を知った。旅写真家の新境地。 (2005/09 ソフトバンク・クリエイティブ)
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