ミスター・ママの挑戦
 バンコクに住んでいる友人ウィリアムがついに本を出した
「絶対に退屈しない、リアルでクールな英語学習本」
 というキャッチフレーズにふさわしい本だ。使っている英語はとてもシンプルだけど、ぐいぐいと引き込まれる魅力的なストーリー。フランス人、中国人、日本人へのインタビュー。ありきたりの例文ではなく、生きた英語を味わうことができる。テキストだけでなく、ウィリアム自身が撮影し編集したビデオと音声が入ったDVDも付いてくる。これで2600円はお得だと思う。

「ねぇマサシ、君は英語で書かれた本をまるまる読み通したことがあるかい?」
「ノー。一冊もないよ」
 僕は正直に答える。大半の日本人がそうであるように。辞書を引きながら英語の長文を読むのは面倒くさい。よほど英語に自信がある人か、意志が強い人でないと難しい。
「でも、この本なら読み通せる。実際、これを読んだ日本人はみんなそう言っている。『英語を読むのがこんなに楽しかった事はない』って」


 ウィリアムは1年半前に一家揃って松江からバンコクに引っ越してきた。高校の英語教師の職を捨てて、決まった仕事を持たないままバンコクに住み始めたのだ。
 日本にいるときはウィリアムが家計を支え、奥さんのレイカさんが子供たちの世話をしていた。それがバンコクに来てから、立場が完全に入れ替わってしまった。レイカさんがフルタイムの仕事を持ち、ウィリアムが子供たちの面倒を見ている。
「ミスター・ママだよ」
 とウィリアムは言う。日本流に言えば「主夫」だ。
「子供たちはすごく好奇心が強いんだ。長男のジディが『お父さん、ジョージ・ワシントンって誰?』って聞く。それに答えると、すぐさま次男のティオが「お父さん、このスナックは何でできているの?」って聞いてくる。その10秒後にはまた長男が『バラク・オバマについて教えて』。きりがないんだよ」

 去年僕がバンコクにある彼の自宅を訪れたときも、さっそく息子たちから質問攻めにあった。
「ねぇマサシ、あなたは何歳? 誕生日はいつ? タイのお金って持ってる? チェスはできる?」
 ミスター・ママの日々の奮闘ぶりが目に浮かぶようだった。
「子供たちにもいろんなタイプがいる。自分の世界を作って、その中で黙って遊ぶ子供もいる。でもうちの息子たちは、いつも外からの刺激を求めている。それに応えるのは大変だよ」



 わんぱく盛りの子供たちは、かたときもじっとしていなかった。ウィリアムは長男がソファの上でぴょんぴょんと跳ね回るのをたしなめ、誰がトイレで粗相をしたのかと問いつめ、お菓子の袋が開けられないと泣き始めた次男に「自分ではさみを使って開けなさい」ときっぱりと命じた。
 自分では「甘い父親だよ」と言っているが、子供の言うことを何でも聞くような甘さはまったくない。子供たちが自分でできることは、自分の力だけでやり遂げさせる。そしてちゃんとやり遂げたら言葉だけじゃなくて全身を使って褒める。それがミスター・ママのやり方だった。

「日本のサラリーマン夫とは全然違うだろう? 彼らは家に帰ると、ふんぞり返ってビールを飲みながらテレビを見て、あとは寝るだけだ。子供と一緒に過ごす時間なんて少ししかない。子育ては母親に任せっきりさ」
「いや僕らの世代には、そんな夫は少ないんじゃないかな。みんな家事に協力しているし、子育てだってすると思うよ」
 僕はそうフォローした。そんな亭主関白な夫は、日本でも淘汰されつつあるのではないか。少なくとも僕の周りにはいない。
 でもそうはいっても、今のウィリアム夫妻のように、夫が家で子育てをして妻が外に働きに出ているという「逆転夫婦」の例は日本ではほとんど聞いたことがない。労働環境がそれを許さないというのもあるだろうし、「男の沽券」に関わるという意見も根強いのかもしれない。



 ウィリアムの二人の息子は、バンコクの旅行者街であるカオサン通りの路地裏にある小さな学校に通っている。ウィリアムは毎日子供たちの送り迎えをする。そのあいだ、いろんな国の友人たちと挨拶を交わす。
「カオサン通りには欧米人、インド人、アラブ人、日本人、いろんな人種の人々がいる。肌の色なんて誰も気にしない。ニューヨークよりもカラフルさ。そこが気に入っている。この世界がいろんな人たちで成り立っているって事が、肌でわかるところだから。それは子供たちにとってかけがえのない経験になるはずだ。彼らは学校でタイ語を習い、家では英語と日本を話している。たくさんの刺激があって、それで彼らは成長している」

 実際、子供たちは雑然としたバンコクの街でのびのびと暮らしていた。ウィリアムは路上の果物屋が不潔な手で食べ物を触るのが許せないようだが、子供たちは全然気にしていない。むしろ「お父さん、そんなの気にしちゃダメだよ」とたしなめているほどだ。喧噪に満ちたカオサン通りにも、大人だってちょっとひるむような薄暗い路地裏にも、すっかり慣れている様子だった。

 子供の環境に適応する能力というのはすごいものだと思う。きっと彼らは自分たちが母親と父親にしっかりと「護られている」という安心感を持っているのだ。自分たちが愛されていると日々実感しているのだ。だからどこに住もうと自分らしく振る舞うことができる。

「僕は子供たちに自分の信条を押しつけようとは思わない。情報は与えるよ。でも最終的には子供たち自身に選んでほしい。彼らのアイデンティティーはすごく複雑だ。日本人とアメリカ人の間に生まれて、今はタイで育っている。何人かと聞かれても簡単には答えられない。それは彼ら自身が答えを見つけ出さなきゃいけないことなんだ」



 一家の住むアパートのバルコニーからは、雑然としたバンコクの町が一望にできる。特に夕方の眺めは最高だ。
 レイカさんはこのバルコニーでヨガのトレーニングをし、子供たちはときどき「UFOを呼ぶダンス」をする。両手を頭の上で合わせて、腰をクイクイと振る。本当にそれでバンコクの空にUFOが現れるのかは知らない。

「息子たちは日本で生まれて日本で育ってきた。だから日本の学校に通わせるべきだという人もいた。でも僕は気にしなかった。子供はどこにいても学ぶことができる。子供たちの教育に対して責任を持っているのは親なんだ。学校じゃない。確かに日本の教育レベルは世界的に見ても高いし、日本人の親は子供にたくさんのお金を使っている。でも僕には日本の子供たちがあまり幸せそうには見えないんだ。もし日本の子供が本当に幸せなら、毎年3万人以上の日本人が自殺をするはずがない。ヘイ、3万人だぜ! あんなに安全で豊かな国で。何かが間違っているとしか思えない」

 ウィリアムの目には、日本社会はあまりにも窮屈で不自由だと映っていた。子供たちに「やりたいこと」をリストアップさせるのではなくて、「やってはいけないこと」を並べ立てる社会に、居心地の悪さを感じていたのだ。
「デルクイハ ウタレル」
 と彼は笑う。自分の子供たちをそうさせたくはない。彼自身がいつも「出る杭」であって、打たれたら折れないように強く太くなればいい、という考えの持ち主だから。

「世界一の富豪で投資家のウォーレン・バフェットは、自分の子供にはまったく財産を与えなかった。学校を出たら自分の力と才覚だけで生きていきなさい、というのが彼の教育方針だったんだ。僕はバフェットのやり方に賛成だ。もっとも僕には子供たちに残せるような財産はこれっぽっちもないけどね。僕が残せるのは、僕らが一緒に過ごした時間や、かけがえのない経験だよ。子供たちはじきに成長して独り立ちしていく。自分の力だけで生きていくようになる。そうなったときに、失敗を恐れることなく困難に立ち向かえる人間になって欲しい。子供たちに望むのはそれだけだよ」



 そんな子育ての日々の中で、ウィリアムは「English Groove Book 1」を作り上げた。いろんな人にインタビューをし、原稿を書き、本のデザインやビデオの編集までこなした。
 道のりは平坦ではなかった。企画から出版にこぎ着けるまで4年以上もかかってしまったし、WEBでの販売がメインだからまだ大きなセールスは見込めない。これが本当にビジネスとして成り立つのか、一家の行く末がどうなるのか、不安が消えることはない。
 それでも彼は前向きだ。このプロジェクトが成功すると信じている。成功させなくちゃいけないと。

「この本は『15分聞き流すだけで英語が話せるようになる』みたいなインチキ教材とは違うよ。英語はそう簡単には上達しない。でも本当に興味が持てるトピックを注意深く聞いていれば、毎日少しずつ向上するはずだ。大切なのはセレブが宣伝していることでも、『寝ている間に英語が話せる』なんて甘い夢を与えることでもない。リアルでクールでなおかつ面白い教材を提供することだよ」
 ミスター・ママの挑戦は、まだ始まったばかりだ。


※ 本気で英語を学びたい人は、ぜひ彼のサイト「englishgroove」を訪れてください。無料サンプルが豊富に用意されています。そしてもし気に入ったら、ぜひ本を注文してくださいね。
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by butterfly-life | 2010-02-08 20:51 | その他


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