この国のはたらきもの(色鉛筆画家・川上さん)
 徳島県三好郡に住む川上和彦さんは、「多発性硬化症」という難病に冒されながら色鉛筆で絵を描き続けている画家である。
 多発性硬化症とは中枢神経系の脱髄疾患のひとつ。神経の線を覆っている髄鞘というものが壊れて、中の神経がむき出しになってしまう病である。電線のビニールカバーが破れて銅線が露出した状態に近い。原因はまだわかっていない。日本では1万人に1人の割合で発生しているが、年々増加傾向にあるという。薬物による対処療法は行われているが、根本的な治療法は見つかっていない。症状はどこの神経が侵されるかによって千差万別で、川上さんの場合は視力低下、手足のしびれなどの症状にたびたび襲われた。

 最初に発病したのは18歳の時。しかし症状はあまり重いものではなく、再発のたびに治療を続けながら日常生活を支障なく送っていた。しかし2001年に突然大きな再発を起こし、下半身が完全に麻痺してしまう。車椅子での生活を余儀なくされることになった。
「医者に『もう歩けるようにはなりません』と宣告されたときはほんまに落ち込みました。真剣に自殺を考えたこともあったんです。11階にある病棟の窓から飛び降りたら楽になるやろうなぁと考えたり、眠れないと嘘をついて処方された睡眠薬をため込んだりね。睡眠薬は妻に見つかって、『何これ?』と笑って取り上げられてしまいましたけどね」
 気楽に振る舞っているように見えた奥さんが、実は帰り道につらくて涙を流していたと知ったのは、ずいぶん後になってからだった。

 高校時代は陸上部で短距離を走っていた。バイクに乗るのも好きだった。でも病によってそんな当たり前の日常生活を諦めざるを得なくなった。
「入院中は鬱との戦いでした。リハビリとともに精神科の医者にもかかっていました。でも退院してまた家族と一緒に過ごすことを希望にして、何とか乗り切ったんです。ところが退院してから二度目の鬱に襲われた。その当時住んでいた古いアパートはバリアフリーどころかバリアだらけでね。自由に外に出ることもできないし、トイレにも入れなかったんです」



 一日中部屋にこもり、何をすることもなく過ごしていた川上さんに24色の色鉛筆を贈ったのは奥さんだった。「少しでも気晴らしになれば」という思いからだった。水を汲む必要のある水彩画は準備に手間がかかってしまうが、色鉛筆なら簡単に取り組むことができる。
 しかしプレゼントされた色鉛筆を実際に手にとって描き始めるまでには時間がかかった。色鉛筆で絵を描くのは小学校以来一度もなかったし、どう描いていいのかわからなかった。
「あるときテーブルの上のリンゴに目がとまったんです。すごく鮮やかな赤い色をしたリンゴだった。それがあまりにもきれいだったんで、思わず色鉛筆を手にとって描き始めたんです。いったん始めると時間が経つのを忘れるぐらい夢中で描き続けていました。普段見慣れているリンゴも、いざ描き始めてみるといろんな色の要素、光の反射が混じっていることに気がついたんです。それをじっくりと観察し、色鉛筆を動かしているあいだは足が動かないこと、病気のことを忘れられるんです」



 リンゴから始まって、缶コーヒー、にんじんやナスなどの身近なものを次々に描いた。足が不自由になってから近所の人にたくさんおすそ分けをもらうようになったのだが、それに絵でお礼をしたいと思ったのだ。
「絵を描いているあいだは、病気のことを忘れられるんです。目の前のものを細かく観察しながら、次に何の色を塗るかを考えていく。たとえばリンゴを描くときにも赤鉛筆だけを使っているんじゃないんです。まず黄色を塗って、それから青、それからオレンジ、そして赤を重ねていく。実際にリンゴが色づく過程を再現してやると、不思議とリンゴが生き生きとしてくるんです」

 もともと川上さんには自分の絵を発表するつもりはなかった。あくまでも個人的な生き甲斐として、毎日の心の支えとして描き続けていた。ところが近所の人たちに絵をプレゼントするうちに、次第に「次はうちの犬を描いて欲しい」とか、「わたしの愛車を描いてちょうだい」といった依頼が来るようになった。地元のカフェで個展を開いたり、インターネットでポストカードを売り始めるようになると、少しずつファンが増えていった。
「僕の描いた絵を人に喜んでもらえる。それはもちろん嬉しいですよ。画家と呼ばれるのは恥ずかしいし、自分ではよう言わんのですけど、でも人が喜んでいるのを見ると『自分が生きとってもええんやなぁ』と思えるんです」





 川上さんの絵は温かく、かわいらしい。小さなもの、身近なものへの深い愛情が素直に伝わってくる。たとえ自由に外を歩けなくても、テーブルの上にこれだけ豊かな世界の広がりがある。宇宙がある。そのことに気づかせてくれる絵だ。

 川上さんがライフワークとして描いているのは、介助犬「たんぽぽ号」である。川上さんが「たんぽぽ号」に出会ったのは2005年。一人で家にいるときや車椅子で外に出るときに、靴を脱がせてくれたり、落とし物を拾いに行ってくれたりする。
「でも何よりも嬉しいのは、そばにいてくれるってことです。子供たちが学校に行って、妻が働きに行っているとき、家でずっと一人でおらんとあかんときに、ポポがいるだけで安心する。ほんとに頭のいい犬なんです」







 介助犬の存在は日本ではまだあまり認知されていない。僕も言葉だけは知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。それもそのはずで、現在、日本にはたった48頭の介助犬しかいないのだという。四国には「たんぽぽ号」1頭のみ。訓練をする施設やトレーナーが不足しているし、養成にかかる費用も維持費もとても高いそうだ。
 川上さんは「落ちた携帯電話を拾う」という命令を実演してくれた。川上さんの声を聞くと、たんぽぽ号はすばやく携帯を口にくわえて主人の元に戻ってきた。普通の犬だとアゴの力で携帯を壊してしまう。ちょうど良い力加減を覚えるのが難しいのだという。

 川上さんのご自宅で食卓を挟んで話し合ったのは2時間ほど。印象的だったのは、彼の明るさだった。
 再発直後は絶望感、自殺願望に襲われた。今でも目が見えなくなるかもしれないという恐怖や、手が動かなくなるかもしれないという不安は常に頭の隅にある。
 でも川上さんには家族や友達がいる。自分を支えてくれている人たちの存在を感じることができる。だから病気である自分を受け入れ、前を向いて生きることができる。つらいことも多いが、楽しいことはもっと多い。その気持ちは何よりも彼の描く絵に表れている。
「野菜はかたちがいびつな方がいいんです。近所の人がくれるねじ曲がって売り物にならへん野菜。そういうものの方が絵に描くと魅力的なんです」


【川上さんと彼を支え続けてきた奥さん。絵の中の文章は川上さんが考え、奥さんが書いている】


【川上さんがさっそく僕のリキシャを描いてくれた】


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by butterfly-life | 2010-03-10 21:29 | リキシャで日本一周


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