17日目:大入島に渡る (大分県佐伯市)
 本日は雲ひとつない快晴。ぽかぽか陽気で一気に春めいてきた。
 臼杵市から佐伯市に向かう道はとても走りやすかった。きつい上り坂もあったが、昨日の九六位峠に比べれば屁みたいなものである。嫌なこと、辛いことを経験することのメリットは、そのあと同じようなことが起きても「あれを乗り越えられたんだから」と思えることである。自分の中に「経験の貯金」がたくさんあれば、困難な状況にも対処できるようになる。

 まず山を越えて津久見という町を通り過ぎると、あとは海沿いの平坦な道である。
 数キロごとに小さな漁村があり、堤防に囲まれた「船の駐車場」とも言える場所に、小型の漁船が浮かんでいる。漁を終えたばかりのおじさんにカメラを向けると、いかにも海の男らしい日に焼けた笑顔を向けてくれた。



 何が起きるわけでもない道だったが、ただリキシャを走らせているだけでも気分が良かった。海は青く、漁船の白さと鮮やかなコントラストをなしている。山に目を転じると、あちこちに山桜が咲いているのが見える。風はまだ冷たいが、確実に春が近づいている。

 佐伯市で昼ご飯を食べてから、対岸の島に渡ってみることにする。佐伯湾に浮かぶ大入島は佐伯市からは700mほどしか離れていないので、フェリーに乗れば10分で渡ることができるのだ。車を積めるフェリーは朝7時から午後6時まで1時間おきに出ているし、それに加えて人だけを乗せる連絡船もあるから、交通の便はさほど悪くはない。それでも離島は離島。リキシャが日本の離島を走るのはこれが初めてであろう。


【大入島の船着き場と入港するフェリー】

 フェリーに乗っていた乗客は7、8人で、ほとんどが島に住みながら佐伯の町で仕事をしている人である。島にはこれといった産業がない。昔は漁業が盛んだったが今ではかなり衰退しているし、ミカン栽培に力を入れていた時期もあったが、ミカンの値段が下がったためにやめてしまった農家が多い。結局、町の造船所や化学工場、商店などで仕事を見つけないことにはやっていけない。

 大入島はひょうたん型をしていて、海岸線に沿って島を取り囲むように道路が走っている。内陸部分は険しい山なので道はない。島をぐるりと一周するとおよそ16キロの道のりになる。リキシャでも十分に走りきれる距離である。ここはひとつのんびりと島巡りをしてみよう。
 船着き場の石間から時計回りに進む。逆方向でも構わないのだが、フェリーの船長さんが「時計回りの方が風が少のうてええよ」と言ったのでそれに従うことにした。

 島は静かだった。津久見から佐伯までの海沿いの道も静かだったが、それとは次元の違う静けさだ。車がほとんど通らない。数分間に一度、軽自動車やバイクが通りかかるぐらい。寄せては返す波の音、遠くの漁船のエンジン音、ウグイスのさえずり。聞こえるのはそれだけである。時間の流れが止まっているような空間。


【大入島特産のちりめんシラスを捕る漁師】

 歩いているのはお年寄りとおばさんばかりだった。若い人、特に子供の姿をまったく見かけない。それもそのはずで、島にある小学校は全校生徒14人、中学校は11人しかいないという。しかも中学校は来年度になるとたった4人になってしまう。それでも先生の数が10人もいるというのは驚きだ。生徒よりも先生の数が多い学校。うーん、どんな授業になるのかちょっと想像できないね。


【島でミカンを作っているおばあさん】

「今は島全体で1000人ちょっとじゃけのぉ。昔は3000人以上おったこともあったんよ」
 ちょうど漁から帰ってきたばかりの漁師のおじさんが話してくれた。
「昭和40年代ぐらいかの。そのときは魚もようけ捕れたし、子供の数も多かったんよ。わしが小学生じゃった時分は戦争中だったがのぉ、同級生が何十人もおったけん。それが今や片手で数えられるぐらいじゃろう」
 目の前に広がる海と対岸の佐伯の町を見つめながら、漁師のおじさんは大入島の歴史をぽつぽつと語ってくれた。戦時中、佐伯の町には海軍の飛行場があったので、米軍の空襲の標的にされた。青い海が赤く染まったことをよく覚えている。その当時、大入島は発展からははど遠く、道路も未整備だった。男たちは小さな漁船で漁を行い、女たちは山の斜面で芋を育てた。
 戦後、佐伯市の復興と発展に伴って、大入島も活気を帯びる。佐伯湾内には豊かな漁場があり、漁に出ればいくらでも魚が捕れた。漁船の数も今の5倍近くに達していた。しかしその後、漁獲量は急激に落ち込んだ。乱獲がたたったのか、佐伯湾周辺の工業化のせいなのか、あるいは温暖化の結果なのか。漁をやめて町で仕事を探す人が増え、その多くが島に戻ってこなかった。こうして島の人口は最盛期の三分の一になり、若い世代がほとんどいない超高齢化社会となってしまった。
「この海で捕れる魚は脂肪がのっておいしいんよ。ここの魚を食べとったら、他の魚なんてよう食べんわ。湾の中はエサが豊富じゃし、波が静かやから魚の味がおいしくなるんよ。でも最近は温暖化で冬の魚がとれんようになってしもた。フク(フグのこと)なんてもう幻の魚じゃ。今はえ縄を引いてもかかるんわフカとかエイとか金にならん魚ばっかりじゃ。南に住んどる魚が北に上ってきとるんじゃろうな」


【足が悪いおばあさんが台車を支えに歩いていた】

 いろいろあったけれど、漁師のおじさんにとってこの島の暮らしは「こんなにえぇところはないわ」と言うほど気に入っている。気候も温暖だし、魚も野菜も新鮮なものが手に入る。
「漁師は自営業みたいなもんじゃろう。わしは人に使われるのは好かんけん、気ままにできる漁師が好きなんよ。まぁ最近は漁に出ても昔ほどは魚はかからんけん、気楽でもないけどな」


【漁から戻ってきた漁師】

 静かで平和そのものに見える大入島にも、実は住民を二分している問題がある。
 いまから15年ほど前、国が大入島の埋め立て事業を行おうとしたときに、島の住民が反対運動を起こしたことがあったのだ。当初、埋め立ては住宅地の造成が目的だと説明されていたが、過疎化が進む地区に住宅地を作るというのは誰の目にも不合理なので、途中から佐伯港に大型船を通すための航路を作る目的に変更された。しかしその実効性はかなり疑わしい。結局のところ、これも地元の建設業者を潤すための目的のはっきりしない公共事業のひとつだったのだ。
 埋め立てによって沿岸の生態系が壊され、貝類や海草の漁場が壊滅的な被害を受けると地元住民は反対の声を上げた。しかしそれが島の総意ではなく、埋め立てに賛成する住民も少なからずいたのは、この埋め立て事業と引き替えに、島と本土とを結ぶ橋を造ってあげましょうという行政側からの提案があったからのようだ。
 しかし住民の反対運動によって埋め立て事業は頓挫し、その後の不況と地方財政の逼迫によって橋の建設の話も立ち消えになってしまった。無駄な公共事業を続けていけるだけの余裕が、国にも地方自治体にもなくなったのである。そして埋め立て賛成派と反対派の住民の対立だけが残った。

「今でもな、隣同士に住んでおっても、賛成派と反対派は口もきかんし目も合わせんのよ。15年もたっとるんやけどな・・・」
 もう終わったことだから水に流しましょう、とは簡単に言えないような複雑な事情があるのだろう。小さな島、誰もが顔見知りの共同体だからこそ、一度反目すると取り返しがつかないことになる。都会なら気に入らない隣人がいても直接顔を合わさないで暮らすことができるが、ここではそうはいかないのだ。
 漁師のおじさんが「こんなにえぇところはない」と言いながらも、どこか寂しそうな顔をしているのは、かつて豊漁に沸いた島の活気も、島民の一体感も、もう二度と戻ってはこないのだと知っているからなのかもしれない。


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本日の走行距離:46.0km (総計:562.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:15535円)

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by butterfly-life | 2010-03-20 09:17 | リキシャで日本一周


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