生まれ来る子供たちのために
 リキシャの旅を一時中断して、東京に戻っていた。
 はじめての子供が生まれるからだ。

 驚いた人もいるかもしれない。これまでブログでもWEBでも、僕が結婚していたことや妻が妊娠していることについて一度も触れなかったから。
 別に隠すつもりはなかった。しかるべきタイミングが来ればオープンにしようと思っていたのだけど、それがずるずると先延ばしになっていたのだ。

 4月7日午後4時53分。
 2886グラムの女児誕生。
 妻は妊娠初期の頃はひどいつわりに苦しんでいたけれど、結果的には安産だった。あれよあれよという間に赤ん坊が姿を現した。徳之島のノロにもらったお守りの塩のおかげかもしれない。八百万の神々、ありがとう。



 産後すぐに別室に呼ばれて我が子を抱いた。
 我が子? 正直言って実感はあまりなかった。心の準備ができていなかった。父親というのはそんなものなのかもしれない。ただ見守ってオロオロすることしかできない。
 薄く開いた目からツヤツヤとした黒目が覗いている。まだこの目は見えないはずだけど、黒目は僕のいるほうに向けられている。この世界は生まれたばかりの彼女にどう映っているのだろう。この目はこれから何を見ていくのだろう。



 我が子を初めて胸に抱いた妻は、何よりも先に頭のてっぺんに鼻を付けてくんくんと匂いをかいだ。
「何も匂わないね」
 洗ったばかりだからだろう。彼女は視覚よりも聴覚よりも、まず嗅覚を使ってものを確かめる癖がある。慣れ親しんだ匂いだと安心し、知らない匂いだと警戒する。動物的なのだ。この子にもこれから様々な匂いが付いてくるだろう。そうやって「女」になっていく。

 産んでからわずか二日間で、妻はちゃんと母親の顔になっていた。女性の中にはちゃんとそういうスイッチが備わっているのだ。
「母親になる実感なんてまるでない」
 と生まれる直前、いや直後まで繰り返していた彼女も、実際にどうしようもなく庇護を求めて泣いたり足をばたつかせたりしている小さな存在がそばにいると、顔つきも所作も母親らしくなってくる。
「でもすごく不思議な感じ」と彼女は言う。「こうやっておっぱいを吸わせたりあやしたりしていても、この子は私たちのところで一時的に預かってお世話しているんだって気持ちがあるの。私たちの子供だけど、この子はもうちゃんと人間なんだよね」
 授かりものの命。
 本当にその通りだと思う。
 この小さい命は僕らのものであって、でも僕らだけのものではない。



 何かを求めるように全身で泣き叫んでいた赤ん坊の声が、今でも頭の奥でリピートしている。作り物みたいに小さな手や、そこに添えられた律儀な爪や、うっすらと開いたまぶたから覗く黒い瞳や、はじめて胸に抱いてみたときの意外な重さなんかが、海を隔てた沖縄に戻った今でもはっきりと感じられる。

 子供が生まれたことによって、僕の旅は変化するだろうか?
 たぶん基本的な旅のスタイルは変わらないだろう。行きたいところに行く。それを妻も望んでいる。たぶん子供も。

 でもリキシャのペダルを踏み込む気持ちは、今までとは少し違ったものになるかもしれない。
 生まれてきた我が子のために、そして生まれて来る子供たちのために、前に進むんだという思いが強くなっている気がする。

 とにかく、日本縦断の旅はまだスタートラインに立ったばかり。
 さぁ旅を再開しよう。
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by butterfly-life | 2010-04-10 19:05 | リキシャで日本一周


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