八重山民謡に魅せられて
 伊藤幸太さんは沖縄の八重山民謡に魅せられて、東京から移住してきた若者である。
 町田生まれの伊藤さんが八重山民謡に出会ったのは小学生の時。修学旅行で沖縄を訪れ、そのときに見たエイサー(お盆に踊られる伝統舞踊)に衝撃を受け、独学で三線を弾き始めたという。八重山民謡の大家である大工哲弘さんの演奏に惚れ込んで小6で手紙を送り、何年にも渡って文通を続けた。
「どうして八重山民謡だったのか、僕自身にもよくわからないんです。とにかく惚れ込んでしまった。どうしても自分で謡ってみたいと思ったんです」
 その熱意は一時的なものではなく、中学、高校へと進むにつれてよりいっそう強くなっていった。そして大学入学をきっかけに沖縄に移り住み、ついに憧れの大工さんに弟子入りして本格的に民謡を勉強することになる。
 とにかく師匠の演奏に少しでも近づきたい。その思いから8年間稽古を続けた結果、昨年八重山民謡の大会「全島とぅばらーま大会」で見事優勝を果たしたのだった。内地から来たまだ20代半ばの若者が地元の民謡大会で優勝するというのは、異例中の異例だ。



 伊藤さんの歌は伸びやかで力強い。ゆったりとした節回しの中にもメリハリがあり、聴く者をまだ見たことのない島の情景に誘ってくれる。海を渡る風の音が聞こえるようだ。
 狭い食堂の中で歌ってもらったので、ときおり車のエンジン音やおばちゃんが唐揚げを揚げる油の音が歌声に混じる。真剣に歌を聞く場としてはふさわしくないだろうが、生活音に混じった民謡もそれはそれで味わいがあった。
 八重山民謡には庶民の日常生活に根ざした歌が多い。たとえば「やまいらば」という曲には、山に入って薪を取る様子や、お米が数珠のようにたくさん実って喜ばしい様子が歌われている。これは「予祝」といって、未来の豊作を先に祝うことで、実際に豊作になることを願っているという。

 今はただ尊敬する師匠に少しでも近づきたいのだと伊藤さんは言う。自分はまだ歌詞に書かれている以上のものを聴き手に伝えられるレベルには到達できていない。道のりは険しい。でもいつか自分らしい歌、内地から来た人間にしか歌えないような八重山民謡を歌える日が来るかもしれない。
「僕はまだアイデンティティを作り上げている段階なんです。八重山の人から見えればアウトサイダーです。『やまとんちゅうには表現できないものがある』と言われることもあります。地元の人にしわからないリズムがあるのかもしれない。壁は感じます。でもなるべく自分では『壁』の存在を意識しないようにしているんです。いまさらどうやってもうちやんちゅうにはなれないでしょう。血は変えられない。自分はやまとんちゅうだから表現できないと決めてしまったら、そこで自分の成長も止まってしまうから」


【伊藤さんの三線はニシキヘビの皮が張られている。昔から三線にはタイやベトナムから輸入された蛇の皮が使われていた。琉球王国は東南アジアと日本を結ぶ貿易拠点だったのだ】


 伊藤さんは信用金庫に勤めるサラリーマンでもある。プロの民謡歌手として食べていける人間はほとんどいないのが現実で、伊藤さんも平日に勤務をこなしながら、休日や夜に演奏や稽古を行っている。
 彼の勤める支店は普天間基地のすぐそばにある。あの普天間基地だ。軍用ヘリコプターの騒音のすさまじさは、いつも肌で感じている。
「もちろん基地はなくなった方がいいと思いますよ。でも僕のように外から来た人間が、簡単に『賛成』『反対』なんて言える問題ではないんです。この街には仕事がないし、賃金も安い。もし基地がなくなったらさらに衰退するのは目に見えています」
 基地が雇用を生み、地元経済を潤しているのは事実だ。米軍に土地を貸し、その地代で食っている地主も多い。もし基地が移転することになれば、その土地の担保価値が下がり、お金が貸し出せなくなるので、信用金庫としても困ったことになる。
 長年米軍基地と共存してきた結果、基地に依存し、基地抜きでは成り立たない経済構造になってしまっているのだ。だから地元住民の意見も「基地移設賛成」でまとまっているわけではない。

 簡単に割り切ることのできない矛盾をはらんだ問題。それが沖縄の人から見た米軍基地だ。誰に聞いても歯切れの良い答えは返ってこない。あっちを立てればこっちが立たない。
 普天間基地移設問題で連立与党がいくつもの代案を出しながらいっこうに決着する様子がないのも、ある意味では当然の成り行きなのだと思う。


【伊藤さんの演奏を動画でお楽しみいただけます】
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by butterfly-life | 2010-04-17 08:14 | リキシャで日本一周


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