44日目:ロケットの島(鹿児島県種子島)
 朝8時に宿を出て鹿児島港に向かう。
 同じ宿に泊まっていた3人組のおばさんから「山登りに行くのー?」と聞かれた。僕が背負っていたバックパックを見てそう思ったらしい。
「いいえ、自転車なんですよ」
 リキシャを見たおばさんたちは驚嘆して、「きゃー、かわいいわねぇ」「こんなんで旅してるのー」と大騒ぎ。たちまち3人が代わる代わるにシャッターを切りあう撮影会となった。今どき珍しい「写ルンです」である。
「失敗してたらいかんから、もう一回ね」
「あなた写真を撮ってるの? でもこれは撮る方やなくて撮られる方やねぇ」
 なんて口々に言い合っている。元気なおばちゃん、かしまし娘である。
「す、すいません。フェリーの時間があるもんですから」
 と言い訳して(実際にそうだったんだけど)かしまし娘たちと別れて、南埠頭に向かう。
 今日も朝から桜島は噴煙を噴き上げている。昨日とは反対に東風が吹いているので、火山灰はもろに鹿児島市方面に向かっている。ほんの20分ほど走っただけで、シャツもズボンも細かい灰だらけになってしまった。

 「プリンセスわかさ」は8時40分の定刻通り出発。自転車込みで片道4000円。珍しく若い女性の客室乗務員が客室まで案内してくれる。乗客は少なくて20人ぐらい。種子島にはこのフェリーの他に旅客だけの高速船「ロケット」も就航していて、急ぐお客はそちらに乗っているのだろう。

 出発から2時間でフェリーは大隅半島最南端の佐多岬を抜けた。外洋に出ると途端に揺れが大きくなったので、デッキから「ごろ寝ルーム」に移って、地元のおじさんたちに混じって少し眠る。
 12時過ぎに種子島の西之表港に到着。西之表は種子島でもっとも大きな町のようだが、人通りはまばらだった。日曜日だからなのか、いつもこうなのかはよくわからない。


【日曜日のピクニックに海辺にやってきた種子島在住のご家族。リキシャに乗ったユウタ君は「絵日記に書ける!」と喜んでいた】

 西之表でタクシー運転手のおじさんたちと話をした。例によってここ最近は観光客の足も遠のき、景気は悪いという。夏休みには旅行者がたくさんやってくるが、それが終わってからは暇な日が続く。
「タクシーだけでは食うてけんからな、イカを釣っとるんよ」
 一人のおじさんは運転手と漁師を兼業しているそうだ。自分の船も持っている。タクシー運転手と漁師の兼業というのは珍しいパターンだと思うのだが、ひょっとしたら種子島では当たり前なのかもしない。
「来月ロケットが打ち上がるから、見ていったらええよ」とイカ釣り運転手のおじさんは言った。「あれはすごいもんやから。次は金星探査機やな。だからH-ⅡAやな。H-ⅡBっちゅうのはもっと大きくて、宇宙ステーションに荷物を運ぶんよ。打ち上げを三菱重工が担当するようになってからは失敗がほとんどなくなったんや。やっぱり民間の方がいい仕事をしよるなぁ」
 さすがは種子島。普通の世間話の中に宇宙開発用語が頻出するのはロケットの島ならではだと思う。ちなみに次回の打ち上げは5月18日の予定。さすがに1ヶ月は待てないので今回はパスするしかないが、一度は見てみたいものである。
「ここから宇宙センターまでは50キロぐらい離れてるからな。ドーンと音が聞こえたときには、もうロケットははるか上空を飛んどるわけよ」
 おじさんはイカ釣りの網を手に持ったまま空を見上げる。あの白い雲を突き抜けて猛スピードでロケットが上昇していくわけだ。すごいね。


【漁師兼タクシー運転手のおじさん。手に持っているのはイカをすくう網】

 種子島の道路も他の離島と同じようにアップダウンが激しかった。島の中心に高い山を持つ屋久島に比べると、種子島はおおむね平らな島なのだが、上っても下ってもいないフラットな場所というのは意外に少ないのだ。
 58号線に乗って南に下る。ところどころに美しい砂浜があり、青い海がまぶしく光っている。砂浜には人影はなく、ときどき小型の漁船が横切るだけだ。
 港のそばの集落には、お年寄りの姿が目立った。乳母車を押して歩くおばあさんや、電動カートで移動するおじいさん。老人ホームのマイクロバスから降りてきたお年寄りたちが、木の下で記念撮影に臨んでいる。高齢化の進んだ島であることが一目でわかるような光景だった。

 住吉という集落では、アジア雑貨とアクセサリーの店を経営するバレリーさんに出会った。バレリーさんは18年前に種子島に移り住んできたフランス人女性である。タイを旅しているときに日本人の旦那さんと出会い、一時は東京に住んでいたのだが、都会の空気に馴染めずに種子島にやってきたという。その後いろいろな仕事をしながらお金を貯めて、夫婦で2年かけて世界一周の旅を行い、そのときに買い集めたアクセサリーを元にしてお店を始めた。アフガニスタンの古いビーズ、チベット人が染めた石などを使ったオリジナルのネックレスを作り、店で売り始めたのだ。
 種子島にはサーファー的人生(パートタイムで働きながら波に乗る日々)を送るサーファーが500人程度住んでいる。この店のインドテイスト、アジアの匂いをまず気に入ってくれたのは彼らサーファーだった。
「11年前にお店を始めたときは、誰も長続きするなんて思っていなかったんですよ。私たちも絶対ダメだと思っていた。それが今でも続いているのは、きっとライバルがいないからね。種子島にはこういうタイプのお店は他にないから、旅行者だけじゃなくて地元の人も買いに来てくれるようになったんです」



 バレリーさんの隣に間借りしてアジア衣料の店を開いたリカさんも、島の外からやってきた移住者だ。5年前に旅行で種子島を訪れて以来すっかりここが気に入ってしまい、夫婦二人で移り住むことにした。お金を貯めるためにできる仕事は何でもした。夏は民宿で働き、冬は農家の手伝い。旦那さんは漁師や、置き薬の営業や、でんぷん工場の労働者などなど。
「島では仕事をえり好みしていては生きていけないの」とリカさんは言う。「何でもやりますって精神じゃないと暮らしていけないんです。でんぷん工場はたぶん島で一番給料がいい仕事なんだけど、昼も夜もない重労働で大変だったみたいね」
 種子島には移住者を温かく迎え入れる伝統があるそうだ。それは古くは鉄砲を伝えたポルトガル人を助けたところから始まっているという。
 最近も「田舎暮らし」がブームになって、都会暮らしに疲れた人たちが県外から次々に移住してきたのだが、なかなか定着には至っていない。実際の農業は「土いじり」とは違って苦労や失敗の連続だ。理想と現実のギャップに失望して、また都会に戻っていく人も多い。
「娯楽っていってもお酒を飲むことぐらいしかないから。東京みたいに刺激がありすぎるのも疲れるけど、刺激がなさ過ぎるというのもちょっとねぇ。集落の行事があると必ず『反省会』っていうのが開かれるんです。別に反省なんて誰もしないんだけど。そういう口実で集まってお酒を飲みたいだけなんです」

 種子島は南北に細長い島なので、半日で端から端まで行くことはできなかった。
 本日は島のおへその位置にある中種子町に泊まることにする。


***********************************************

本日の走行距離:36.1km (総計:1364.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:345円 (総計:23145円)

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-04-22 22:08 | リキシャで日本一周


<< 45日目:島の学校(鹿児島県種子島) 43日目:山は生きている(鹿児... >>