46、47日目:硫黄と露天風呂と伊勢エビと(鹿児島県硫黄島)
 種子島から鹿児島市に戻ってきた翌日に、再びフェリーで離島に渡った。
 今回の目的地は硫黄島。薩南諸島北部に位置する周囲14.5キロの小さな火山島で、隣の竹島と黒島とあわせて三島(みしま)と呼ばれている。ちなみに映画「硫黄島からの手紙」の部隊になった硫黄島は東京都小笠原村に属するまったく別の島である。

 硫黄島を訪れることになったのは、昨日偶然知り合った大山さんに誘われたからである。大山さんは去年まで硫黄島を含む三島村の村長を務めていた人物で、自分も明日のフェリーで硫黄島に帰るところだから一緒に島に渡ろうと半ば強引に約束させられてしまったのだ。

 そんなわけで鹿児島港から「フェリーみしま」に乗り、船に揺られること約4時間。硫黄島の特徴的なシルエットが目の前に現れる。桜島と同じくここも活火山で、今も山のあちこちから細い噴煙が立ち上っている。「硫黄島」の名の通り、火口からは黄色い硫黄が噴出しているのがはっきりと見える。
 昔はこの硫黄が島の経済を支えていた。宋の時代の中国にここから硫黄を輸出していた記録が残っているという。戦後、硫黄の価値が上がり「黄色いダイヤ」と呼ばれるようになると、島は空前の硫黄ラッシュに沸き、内地からも続々と労働者が移住してきた。ピーク時には島の人口が1000人近くに達したという。しかし硫黄景気も長くは続かなかった。硫黄が石油を精製するときに多量に得られるようになり、露天掘りの硫黄鉱山の価値がなくなってしまったのだ。硫黄鉱山は昭和39年に閉山され、鉱山労働者の大半は島を後にした。その後、一時はオパール硅石(セラミック・ガラスの原料)の採掘が行われたが、それも安い輸入品に押されて工場は閉鎖されたままになっている。
 現在の島の人口は115人。僕が今まで訪れた離島の中でももっとも人口の少ない島である。もちろん全員が顔見知り。「大家族みたいなもんよ」と大山さんは言う。
 島の特産品は椿油とタケノコと黒毛和牛。硫黄島の火山から常に微量の亜硫酸ガスが噴出しているので、椿や芋などの作物以外は育たないという。


【火口からは黄色い硫黄が噴出する】

 フェリーを下ると、すぐに硫黄島にある唯一の学校「三島小・中学校」に向かった。大山さんの計らいで生徒たちの前で特別授業を行うことになっていたのである。体育館に集合した19人の小中学生の前で旅を話をし、校庭に移動してリキシャに乗ってもらった。みんな大喜びだった。腕白そうな男子が「俺も漕いでみたい」というので漕がせてあげたが、足の長さが少々足りなかったようで苦労していた(大人用だから仕方ないね)。



 ここには小中学校合わせて19名の生徒がいるのだが、よくよく聞いてみると島で生まれ育った子供は4人しかいない。あとは学校の先生たちの子供と、「しおかぜ留学生」たちである。
 「しおかぜ留学」というのは三島村の学校に外部出身の子供たちを一時的に受け入れる制度のことで、主に不登校やひきこもりに悩む子供が心機一転を計る場として実績を上げているという。自然に囲まれた島での暮らしや、顔の見える人付き合いがいい刺激になって、子供たちはたくましく成長して帰っていく。





 島の人口は100人あまりで高齢化と少子化が進んでいるから、放っておけば学校自体が閉鎖の危機に追い込まれてしまう。その危機感が「しおかぜ留学」制度を始めるきっかけになったようだ。もし地域から学校がなくなると過疎化が一気に進み、最悪の場合には無人島化することもあり得る。実際にそうなった離島の例もあるという。
 無人島になったって別にいいじゃないか。教員や警察官や郵便局員、交通や通信インフラなどの余分なコストをかけてまで島の生活を維持する必要がどこにあるのか。そういう島外からの声に対して、大山さんは「それは違う」と断言する。もし離島が無人島化すると、近海に侵入してくる不審船や密貿易船、外国の潜水艦などに気づかなくなる恐れがある。見張りのいない海域は守りが手薄になるわけだ。そのために自衛隊の海上警備を強化すると、結果的に今よりもっとコストがかかるようになる。島を維持した方が実は安上がりだというのだ。
 コスト面はともかくとして、できる限り島の独自の文化や暮らしを存続させるべきだという意見には僕も賛成だ。住人がいなくなれば何百年も続いた独自の文化や歴史が死に絶えてしまう。日本という国の豊かな多様性の一部が永久に失われてしまうことになる。


【三島村にたった一人の駐在さん。緊急の事件が起こると本部からヘリの出動を要請するが、そんなことはまず起こらない】

 特別授業が終わると、大山さんが車で「東温泉」と呼ばれる名物の露天風呂に連れて行ってくれた。この温泉は実にワイルドで素晴らしかった。ざっばーんと波が打ち寄せる岸壁に穴を掘って、わき出してくる温泉水を溜めているだけの正真正銘の天然温泉なのだ。屋根も脱衣所もなく、ただその辺に服を脱ぎ散らかして飛び込むだけ。もちろん混浴。料金はタダ。すごい。
「あー、極楽、極楽」
 先に入った大山さんがなんともベタな台詞を口にする。でもそれ以外に表現しようがないほどの極楽風呂である。目の前には硫黄分で黄色く染まった海が広がり、背後には切り立った崖が迫っている。大自然に囲まれた中で裸になって湯に浸る。なんという解放感。
 泉質は酸性で、最初に湯に浸かったときには少し肌がぴりぴりする。皮膚病やリウマチに効果があり、水虫なんか一発で治ってしまうとのこと。しかし湯そのものより、やはりこの雄大なロケーションである。ここに勝る温泉はそうはないだろう。
「漁の疲れをここで取るわけよ」
 と大山さんは言う。そう、大山さんの本業は漁師なのである。
「夜には満天の星空が広がって、それを眺めながらゆっくり温泉に浸かる。人工衛星が飛んでるのが見えることもあるんよ。宇宙飛行士の山崎さんもあそこにおるんかなぁと思いながら、空を見上げるんよ」





 島には民宿がいくつかあって、僕が泊まったのはそのうちのひとつ「民宿硫黄島」。いかにも田舎の民宿らしく、一応個室にはなっているのだが、廊下と部屋との仕切はカーテンのみというアバウトさだった。しかしおかみさんの手料理は絶品だった。ほとんどの品はこの島でとれたもの。イカ、タコ、イシダイのお造り。それからタケノコづくし。「大名竹」という名物のタケノコが焼き物から天ぷら、お吸い物や肉じゃがにもたっぷり使われている。ツワブキや山菜の煮物などの山の幸もてんこ盛り。僕の他にもう一人泊まり客がいたのだが、彼はとても全部は食べきれなかった。僕の方は相当頑張って完食し、ご飯もおかわりしたというのに、おかみさんは「もっと食べなさい。もう少し肉を付けた方がええよ」などと言う。食いしん坊には最適の宿だ。
 民宿のご主人は大工でもあり、漁師でもある。もともとは隣の黒島の生まれだが、硫黄ラッシュの時にこの島に移り、硫黄鉱山が閉鎖された後もここに残った。
「島では何でも屋にならんと生きていけんよ」とご主人。
 ここでは「農家兼・漁師兼・土建屋」といった兼業が当たり前で、季節労働を組み合わせることでなんとか収入を得ていくしかないのである。


【漁網を繕うご主人。網はセットで買うと高いから、自分で作っている】


 翌日は早朝5時半から大山さんの船で漁に出かけた。昨日仕掛けておいた網で伊勢エビを捕るという。大山さんの漁船は最大9人乗りの小さなもので、ナンバープレートには「KG3」と書かれている。「KG」とは鹿児島のことで、「3」とは漁船の大きさを示している。船が大きくなるとこの数字が小さくなり、支払う税金や点検にかかる費用も高くなる。この船は中古で600万円ほどしたそうだ。GPSや魚群探知機などの機器類だけで170万円かかったという。
「船の維持費もかかるし、燃料代だってかかる。漁師を続けるんも大変なんよ」
 この島で専業漁師なのは二人だけ。兼業漁師を含めても10人程度だという。漁師が儲かった時代もあるが、今は魚の値段が低く抑えられているうえに燃料費も高騰したので、利幅が少なくなってしまった。農作物もそうだが、水産物も安い輸入品に押されて値段を上げられなくなっている。消費者が気にしているのは産地ではなくて値札だからだ。
「流通がごっそり持って行きよるんよ。伊勢エビもな、足一本取れとったら、それだけで安く買い叩かれる。俺だって消費者に安いもんを届けたいんよ。だから流通を通さずに直接ホテルや料亭に売ることも始めてる。今の流れはそうよ。JA(農業)もJF(漁協)も大きくなりすぎた組織を維持するためにマージンと取っとる。生産者が報われないと日本の漁業は終わりよ」



 船は堤防に囲まれた港から外海に出る。港の水は赤茶色に濁っている。鉄分を含んだ温泉が海底から噴出している影響らしい。かなり不気味な色合いだが、この水の中にもちゃんと魚は住んでいるようだ。
 船は小型だが波は穏やかだったので船酔いの心配はなかった。大山さんは漁師なのでもちろん船酔いはしないのだが、フェリーに乗ると気分が悪くなるという。大型船と小型船では揺れ方が違うらしい。船酔いする漁師というのも妙な気はするけど。

 5時50分に竹島の方向から朝日が昇る。硫黄島の東に位置する竹島は、文字通り竹しか生えていない島なのだそうだ。沖合には僕らの船以外にもう一隻船が停泊している。これは珊瑚を採る作業船で、後部に小さな潜水艇を積んでいる。
 大山さんが網を仕掛けたのは硫黄島と竹島のあいだの海で、そこには溶岩が噴出してできた小さな岩礁がある。目印のブイに近づくと、船のエンジンを止めてウィンチで網を引き上げる。出港する前は「今日はボウズかもしれん。昨日網を仕掛けるのをちょっとしくじったから」と弱気なセリフを口にしていた大山さんだったが、その言葉とは裏腹に網には大きな伊勢エビが10匹以上かかっていた。他にもイシダイ、カサゴ、フカなどが上がった。
「大漁とまでは言わんけど、まぁまぁだな」
 大山さんもほっとした様子だ。ぱらぱらと雨が降ってきたので、慌てて引き上げたエビにビニールシートをかぶせる。伊勢エビは雨に弱い。真水を浴びて塩分濃度が下がるとすぐに死んでしまうという。伊勢エビは生きたまま箱詰めにして鹿児島の魚市場に出荷するから、その前に弱らせるわけにはいかないのである。







 意気揚々と港に戻ってきた後は、伊勢エビを慎重に網から外し、箱詰めにする作業が待っている。大山さんと奥さんがこの仕事に取りかかるあいだ、僕は大山さんの家の離れに住んでいるおばあさんと話をした。長濱ユミさんは三島村でもっとも長命で、明治42年生まれの御年100歳である。足は多少弱っていて杖はついているものの、耳もちゃんと聞こえるし、病気らしい病気にはかかったことがないという。すこぶる健康である。
「健康の秘訣? 毎朝モチを食べとることかなぁ。年を取ったらガリガリに痩せる人がおるけど、私はモチを食べて太るようにしてる。島の食べ物は体にええなぁ。今朝も近所の奥さんからシビ(マグロの幼魚)をもらったんよ。今の時期はタケノコがたくさん採れるし、今も自分で炊いておるんよ」
 この島には看護婦はいるが医者はいない。だから病気になったら船で鹿児島市内の病院に行くことになる。
「私は船が嫌いなんよ。鹿児島に上がるのも年に一回ぐらいかなぁ。70歳以上になるとタダで船に乗れる券がもらえるんやけど、船酔いするから乗りたくない」
 島のお年寄りにも体調を崩して町の病院に入院したことで一気に老け込む人が多いという。病院は何でも人の世話になるから、それがかえって体に悪いのだとユミおばあちゃんは言う。彼女は自分の身の回りのことはなんでも自分でする。寝るときは息子夫婦と一緒だが、昼間は自分専用の離れにいて、料理をしたりテレビを見たりしながら気ままに過ごしている。掃除も洗濯ももちろん自分でする。今日は孫やひ孫たちのためにコロッケをこしられているところだ。


【103歳のユミおばあちゃん】

「好きなことをして生きるのが一番幸せよ。好きなことができんようになったら死んだ方がマシよ。このあいだも医者に『あと10年は生きられますね』って言われた。でもほんとは10年も生きとぉないんよ。モチを喉に詰まらせたら楽に死ねるんちゃうやろかって思ったりしてなぁ。これ以上長生きしたら、『硫黄島に幽霊みたいなババアがおる』ってみんな見に来よるんと違うやろか」
 ユミおばあちゃんはちょっと口が悪い。近所のおばさんの悪口も平気で言うし、こんな自虐ネタも口にする。でもイヤミはまったくない。口の悪さだって元気な証拠だ。この人ならあと十年は生きそうな気がする。
「じゃあ10年経ったらまた島においで。幽霊ババアが生きとるか、本物の幽霊になったか、見に来りゃいい」
 ユミさんはそう言って顔をくしゃくしゃにして笑った。


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本日の走行距離:3.8km (総計:1398.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:115円 (総計:23360円)

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by butterfly-life | 2010-04-26 08:49 | リキシャで日本一周


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