ペクさん一家が住むマンションを後にして、姫路から神戸に向かう。海沿いの250号線(通称:浜国道)を通って東に進む。
神戸までは65キロほどの道のりだが、比較的平坦なので楽に進めるはずだった。しかし今日は風に邪魔された。久しぶりの本格的な向かい風。風速はときに10mを超える勢いで南東から吹き付け、リキシャの前に分厚い壁として立ち塞がった。 向かい風が強い日は、単調な旅になることが多い。肉体的に疲れてしまうので、好奇心が鈍りがちになってしまうのだ。いつもなら、「この細い道に入れば何か面白いものに出会えそうだ」というセンサーが働く場面でも素通りしてしまう。ひたすら前に進むことだけを考えているので、視野も行動範囲も狭まってしまうのだ。 向かい風の日が辛いのは、他人にこの辛さが理解されないからでもある。よっぽどの強風が吹いていない限り、風向きを気にする人なんてほとんどいないのである。上り坂なら「大変ですなぁ」と共感してもらえる。でも風に関してはみんな眼中の外。 そんな中で出会った町工場のおじさんは「向かい風は辛かろうなぁ」としみじみと言ってくれたので驚いた。 「私は鳩レースをやっとるからようわかるんや。鳩も向かい風の中やと、よう飛ばんのや」 なるほど。鳩の気持ちがわかれば、リキシャ引きの気持ちもわかるということなのですね。おじさんによれば、鳩レースとはいわゆる「伝書鳩」を遠く離れた場所で放ち、巣に戻ってくるまでの速さを競うゲームだという。長距離レースともなると、1000キロも離れた場所で放たれた鳩がおよそ半日で巣に戻ってくるというからすごい。鳩ってそんなに速く飛べるんですね。 鳩レースのおじさんの本職は金属加工業である。小さな町工場で大きなアルミの塊(インゴット)を電動やすりで削っている。液晶テレビのパネルに使われる部材の原材料になるのだという。 「昔は従業員25人を抱える工場を経営しとったんや。戦闘機のエンジンとか、深海探査船とかの一点ものの特殊部品を作っとった。NC入れて自動化も進めとったよ。けど10年前に会社が倒産してしもてな。今ではこんなモグラみたいなことをしとるんよ」 経営が傾いた原因は1995年に起こった阪神大震災。地震によって受けたダメージから回復できないまま工場をたたむことになった。最先端の特殊金属加工を得意としていた昔と違って地味な仕事をこなす毎日に、内心忸怩たる思いもあるのだろう。 「景気の波はほんまに激しいからな。リーマンショック以降の落ち込みはひどかったよ。注文が前の年の三分の一になったからな。まぁ今は家族経営やからなんとか持ちこたえてるけど、人を雇ってたらそうはいかん」 「景気は戻ってますか?」 「いや、まだそんな実感はないね。うちらみたいな下請けにはまだまだ厳しいよ。今はひたすら耐える時期やないかな」 町工場のおじさんと別れて以降、休憩を取ったのは今朝オモニに握ってもらったおむすびを食べたときだけだった。4つのおむすびはそれぞれシャケや昆布など違った具が入っていて、とても美味しかった。ありがとう、オモニ。 それ以外はずっとリキシャを漕いでいた。しかし向かい風は収まるどころかますます強くなり、なかなか前に進まなかった。どんなに頑張っても時速8キロ程度しか出ない。これじゃ歩くのと大して変わらないスピードだ。実際、自転車に乗った中学生たちが楽々と追い抜いていく。「頑張ってくださいねー」と声を掛けてくれる子もいるが、笑顔を向けるのが精一杯で、「頑張るよー」と答える余裕すらなかった。 明石に到着したのは4時頃。明石海峡大橋が一望にできる海沿いの国道を走ったのだが、このときがもっとも風が強かった。猛烈といってもいいような突風が吹き荒れ、とめてある自転車はばたばたと倒れるわ、買い物をカートを押しているおばあさんが風圧で押し戻されそうになるわで、とにかくひどかった。 さすがにそんな風の中でリキシャを走らせるのは不可能だったので、ショッピングセンターの建物の陰に入って「風宿り」をした。やれやれ。40分ほどそうしていただろうか。ようやく風が収まってきたので、おそるおそるリキシャを漕ぎはじめた。 そのあと風がぱたりと止み、それどころか風向きが180度変わって追い風になり、今までの苦労が嘘のようにすいすい進み出したわけだが、最初は「そんなうまい話があるもんか」と疑いながら走っていた。ちょっと安心させておいて、また向かい風が吹き始めるんじゃないの。俺は簡単に騙されないよ。 しかし「向かい風の祝福」はそれから神戸に到着するまでずっと続いたのである。まるで自分の願いが天に聞き入れたかのような展開。リキシャのスピードは時速8キロから15キロにまで上がった。おお、神よ! そんなわけで7時半には何とか三宮にたどり着くことができたのだった。リキシャというのは本当に風次第の乗り物なのである。 *********************************************** 本日の走行距離:67.3km (総計:2559.7km) 本日の「5円タクシー」の収益:1045円 (総計:38740円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-05-26 08:00
| リキシャで日本一周
|
ツイッター
■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
全体 インド旅行記2016 インド旅行記2015 旅行記2013 インド色を探して 南アジア旅行記 東南アジア旅行記 インド一周旅行記 リキシャで日本一周 リキシャでバングラ一周 動画 バングラデシュの写真2011 カンボジアの写真2010 ベトナムの写真2010 パプアニューギニアの写真2009 インドの写真2009 バングラデシュの写真2009 カンボジアの写真2009 ネパールの写真2008 バングラデシュの写真2008 ミャンマーの写真2008 フィリピンの写真2008 スリランカの写真2008 東ティモールの写真2008 インドの写真2007 カンボジアの写真2007 ベトナムの写真2007 ネパールの写真2006 その他 未分類 以前の記事
2016年 08月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 その他のジャンル
記事ランキング
|
ファン申請 |
||