105日目:あと何年できるかだなぁ(岩手県盛岡市→二戸市)
 盛岡市を出発して、国道4号線を北に進む。今日もときどき小雨がぱらつく曇り空だったが、そのせいで気温が低く、体力の消耗はいつもより少なかった。
 しかし道のりは厳しかった。岩手町から長い上り坂がずっと続く。傾斜自体はさほど急ではないのだが、いつまでも終わらないだらだら坂である。

 国道沿いの畑で農作業をしていたおじさんに出会った。何をしているのかと聞いてみると、「サザグを・・・してるんだ」との答えが返ってきた。訛りが強くて聞き取れない。
「サザグってなんですか?」
「ほら、これ。サザグって知らねぇか」
 あぁ、ササゲのことだったのか。おじさんが指さした先には、大きな豆をつけたササゲの蔓が支柱に絡みついていた。
 ササゲ、キュウリ、トマト、キャベツ、ナス、シソ。ここで作る野菜は家族で食べるためのもので、外に売るわけではないという。畑の向こうの水田では、稲がいっせいに花を咲かせているところだ。
「前は牛も育ててたけど、手がかかるし金もかかるからやめちまったんだ。まだ酪農を続けてる農家もあるけど、乳価が下がってどこも苦しいよ」
「冬には何をしているんですか?」
「冬場は山から薪とってきてよ、うちんなかでじっとしてるよ」
「出稼ぎはしないんですか?」
「牛さいたからな。牛は毎日面倒見なけりゃいけねぇし、家離れるわけにいかねぇから、この辺の農家は出稼ぎにはほとんど行かなかったんだ」
 おじさんはクワを手に持って、足を少し引きずるようにして畑を歩く。
「もう73だから、無理すっと足や腰が痛くなってなぁ。畑仕事もあと何年できるかだなぁ。2年か3年か。息子? 息子は農家なんて継ぎたくねぇって言ってるし、そうなったらあとはどうすっかねぇ」
 水田は耕作放棄されると2,3年でダメになってしまうという。雑草が生え、土が硬くなってしまう。でも実際、おじさんの後を継ぐ人が誰もいなかったら、米作りをやめざるを得なくなる。そうやってひとつまたひとつと水田が減っていく。それが岩手県の山奥の紛れもない現実である。





 延々と三時間上り坂を進み、ついに「国道4号線最高地点458m」と書かれた看板にたどり着いた。ここが中山峠である。この先は下りが続く。やれやれ。ペットボトルに入れた水を飲む。
 たっぷりと汗をかいていたから、下りの心地よさは格別だった。箱根峠の下りのように坂があまりにも急でブレーキをかけ続けないと下れないなんてことはなく、時速30キロオーバーで風を切って軽やかに進む。リキシャが爽快に感じられる貴重な一瞬。あぁ幸せ。



 本日は78キロを走りきり、二戸(にのへ)に泊まることにする。見事なぐらい何もない山間の町である。二戸市全体でも人口はわずか3万人。それも毎年確実に減っている。冬はマイナス15度まで冷え込むこともあり、その冷涼な環境のせいで江戸時代にはたびたび飢饉に襲われたそうだ。2002年には二戸駅に東北新幹線が止まるようになったのだが、駅周辺は驚くほど閑散としている。コンビニがひとつあるだけで、営業している食堂すら見当たらないのだ。
 そんな寂れた駅周辺にぽつんと建っているのが佐々木旅館だった。外観は古めかしく、建て増しに次ぐ建て増しでいびつなかたちに変形している。玄関のガラス戸は豪快に開け放たれていて、居間に置かれた大きな仏壇が外からも見える。奥の廊下に向かって「すいませーん」と呼びかけると、やや間を置いた後におかみさんが現れた。あまり繁盛しているようには見えなかったが、後で訊ねてみるとやはり今日の泊まり客は僕一人だけだった。
「ここは戦前に先代のおばあちゃんが始めた旅館だから、そうだねぇ70年以上になりますかねぇ。ええ、これでも昔は繁盛してたんですよ。私が嫁に来た頃、もう50年前になるけど、そのときは毎日20人はお客さんがいて、それはもう大忙しだったんです」
 戦後の高度成長期に繁栄のピークを迎えた二戸は、それから緩やかに衰退していくことになる。鉄道が交通の要だった頃は、商人たちも二戸駅を起点にしてさらに奥の村に向かったのだが、自動車の普及が進み高速道路のインターチェンジや国道のバイパスができると、人も物もこの町を素通りするようになってしまったのだ。
 旅館経営にとって最後の一撃となったのが新幹線の開通だった。東京までわずか3時間で行けるようになったために、それまで一泊していたビジネスマンが日帰りするようになり、旅館の利用者は激減したのだ。駅前に5軒あった旅館のうち、この佐々木旅館を除く4軒はすでに店をたたんでいる。
「うちはね、私が一人でやってるからなんとか持ちこたえてるんです。人を雇っていたらとても無理ね。でもここも何年か後には区画整理で取り壊されることになっているし、私もそろそろ体力的にきついし、できてもあと何年かでしょうね」


【佐々木旅館の「桜の間」。床の間もテレビも懐かしい感じ】

 佐々木旅館はなにしろ築70年以上の建物だから、あちこちガタが来ているし、使い勝手も悪い。便所は汲み取り式でけっこうな臭いが漂っているし、二階の廊下はゆがんで波打っている。部屋のふすまは破れているし、カーテンは日焼けしているし、テレビの映りもひどい(もちろん地デジ化はまったく進んでいない)。増築を繰り返したせいで階段は3つもあり、階段を間違えると部屋に戻れなくなる(というのは嘘で単なる行き止まりになっている)。もちろんおかみさんがきちんと掃除しているから一定の清潔さは保たれているのだが、70年の時間の蓄積というのはどうしようもなく壁や床に染みこんでいる。
 しかし居心地は決して悪くないのである。うすべったい布団に寝転がって天井をぼんやりと眺めていると、すぐにまぶたが重くなってくるのだ。なんとなく落ち着くというかくつろげるのである。
 機能的だが殺風景で狭いビジネスホテルと、無駄に広くてちょっと不便でだいぶガタのきている古旅館。あなたならどっちを選ぶだろう?

 さっきも書いたとおり佐々木さんがこの旅館を一人で切り盛りしているのだが、旦那さんは旅館業とは別に自動車の販売会社を経営している。趣味はカメラ。古いものから新しいものまで、何と総数200台ものカメラを所有しているそうだ。僕なんて2台だもの。二桁も違う。
「この中で一番いいカメラは旧ドイツ軍が使っていたライカ。これは今でも使っとるよ。値段はいくらだったかなぁ。もう忘れてしまったなぁ」
 旦那さんが戸棚から取り出して見せてくれたのは、二眼レフカメラや蛇腹式のコンパクトカメラや交換式フラッシュが付いたレンジファインダー機など、アンティークカメラのマニアが見たら舌なめずりしそうなコレクションの数々だった。購入にはひと財産つぎ込んだに違いない。
 主な被写体は自然で、十和田湖や岩手山の四季や、ローカル線を走る鉄道などもよく撮りに行っているそうだ。これという被写体には中判カメラを使う。普段使いはデジカメ。暗室での現像も、パソコンでのプリントアウトも全て自分でやる。
「個展は開かないんですか?」
「いや、そういうのはしない。サークルにも入っとらん。写真を誰かに見せたいとは思わんね。自己満足ですよ。いい写真が撮れたらそれでいいんだ」
 潔い態度である。僕なんかいい写真が撮れたらなるべく多くの人に見てもらいたいし、そういう欲があるからこそ写真家になったわけだけど、ただ一人で黙々と写真に取り組んでいる人もいる。
「これという一枚が撮れたときは嬉しいもんだね。写真を何十年も続けてきて、そう何度もあるもんじゃないけどな」



 岩手県民はシャイで初対面の人にはなかなか心を開かないと複数の人から聞いていた。東北の人は全般的に口が重いのだが、特に岩手県民はその傾向が強いという。
 でも実際に僕が出会った岩手県民は、おしゃべりとまでは言わないが、決して口が重い人ではなかった。佐々木さんも旦那さんも旅館のことやカメラのこととなると話が止まらなくなったし、一見頑固そうなおじさんがリキシャを目にした途端「あんたこれで日本縦断しとるの?」と身を乗り出して聞いてきたりもした。下校途中の中学生はすれ違いざまに「こんにちわー」と挨拶をしてくれたし、バスに乗った小学生も笑顔でリキシャに手を振ってくれた。
 人口に膾炙している県民性というのは、もちろんそれなりに根拠のあるものなのだろうが、必ずしもそのまま当てはまるものではないような気がする。意外に陽気な岩手県民、なのでした。


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本日の走行距離:77.6km (総計:4015.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-08-03 02:59 | リキシャで日本一周


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