108日目:ジンギスカンの夜(北海道札幌市→滝川市)
 朝、宿を出てすぐにすすきの近くにあるナカガワ自転車に向かった。昨日ここにリキシャを預けて、修理してもらっていたのだ。
 パンクが相次いだチューブを新しいブリヂストン製のものに交換してもらい、錆び付いて折れていたスポーク4本も取り替えてもらった。後輪のベアリングの洗浄と、ホイールのがたつきの調整もしてもらった。「見違えるほど」とまでは言わないが、もうしばらく走れるようにはなった。
「バングラデシュの人はちっちゃいことは気にしないんだろう?」と店主の中川さんが言う。「これはさ、日本の自転車なんかとは考え方が違うんだよな。部品の質も悪いし、元からゆがんでいるものもある。それを職人の腕と根性とでなんとか使ってるんだよな。たいしたもんだよ」
 そうなのです。リキシャの作りは本当に粗雑で、修理しながら使うのが当たり前なのだ。だからちっちゃいことは気にしない。ワカチコ、ワカチコ。
 最後に残った問題はタイヤそのものだった。どうやらこのタイヤは日本にはまったく在庫のない特殊な(おそらくはリキシャ専用の)タイヤだと判明したのだ。普通のタイヤとは比べものにならないほど分厚くて硬い。だから多少すり減っていてもしばらくは使えるのではないかというのが中川さんの見立てだった。とりあえずはそれを信じてみよう。

 札幌の街を出発し、石狩川と並走しながら滝川市を目指す。
 道すがら面白い老人に出会った。僕がリキシャを止めて一休みしていると、「これでどこまでいくんだ?」と声を掛けてきたのだ。
「とりあえず稚内を目指しています」
「そうか。事故にだけは気をつけろよ。6年前もな、バイクの事故で大学生が二人死んだんだ。ちょうど今のあんたみたいに休んでるときに話しかけてな、埼玉から来たって言っとった。そんで家に帰ってテレビをつけてみたらな、ニュースで『大学生二人、事故で死亡』って流れとるんよ。さっき話したばっかりだったなのにな。スピードは出したらいかんぞ。死ぬぞ」
「これはスピードを出したくても出せないんですよ」
 と僕はリキシャを指さして言った。
「いや」
 と言って老人は僕の左腕をぎゅうっと掴んだ。いててて。すごい力だ。
「気をつけろよ。スピードには」
「わ、わかりましたよ」
 それから老人は怒濤のごとく話し始めた。北海道開拓民だったご先祖のこと。極めて真面目だった郵便局員時代の話(右を向いていろと言われたら、3年でも5年でも右を向いている、というタイプだった)、北海道民の交通マナーの悪さ、シャブを打って走っているトラック運転手(ほんまかいな)の話、などなど。
「年はおいくつなんですか?」
 終戦当時の話が出てきたところで訊ねてみた。
「年か? 13に7足して、それに4をかけてから3を引く。いくつじゃ?」
「えーっと・・・77」
「そうじゃ。皇后陛下と同い年じゃ」
「まだまだ元気ですね」
「まぁな。こうやって自転車にも乗ってるし、今もイオンに行ってトイレットペーパーを買ってきたところよ。イオンと言えばな・・・」
「そろそろ出発しますね」
 そう言って素早くリキシャにまたがった。話を遮って申し訳ないけど、こうでもしないといつまで経っても出発できない。切り上げ時が肝心なのだ。
「そうか。気をつけてな。くれぐれもスピ・・」
「スピードは出しませんよ。はい、行ってきます」



 月形町のコンビニで出会った諏訪さんもよく喋るおばあちゃんだった。87歳の諏訪さんは杖をつかないと歩けない状態なのだが、コンビニの駐車場に止めてあったリキシャを一目見るなりつかつかと近づいてきて、「まぁこんなに素敵な乗り物があるのかしら」と感激の声を上げた。とても素直なおばあちゃんだ。
「私の祖父は富山県の出身で、屯田兵として旭川に移住してきたのね。父親は材木商人で、まだ樺太が日本の領土だった頃に、稚内から船に乗って樺太まで出かけたものよ。戦争が終わるまで、何度か私も樺太に渡ったの。あそこには良い木材があったんです」
「北海道の住み心地はいかがですか?」
「そうねぇ、夏が涼しいことは良いことだわね。それから冬のスキー。女学校ではスキーが必修科目だったから、みんなでスキー板履いて滑ったものよ。リフトなんてない時代だから、カニみたいな横歩きで斜面を登ってね。でも最近はあの頃みたいに寒くはなくなったわね。マイナス25度まで下がることはもうないから」



 石狩川に沿った平野部は、だだっ広い水田地帯だ。本州の田んぼとは規模がまったく違う。トラクターやコンバインもやたら大型で、農業が機械されていることがわかる。



 84キロを走りきって(一日の最長走行距離だ)、滝川市に到着した。どこまでも続く田園風景の中に突如現れた町である。しかし駅前はずいぶん寂れていた。シャッターを閉めた商店や、ペンキがはがれた建物、震災にあったかのようにぐしゃっと潰れた住宅などが目に付いた。環境の厳しい北海道では、住む人がいなくなった家はすぐにダメになってしまう。冬場に降り積もる雪の重みに耐えかねて潰されてしまうのだ。

 滝川市では整体師の伊藤さんの家に泊めていただいた。伊藤さんは僕が沖縄を旅しているときにお世話になった「HSTI」の創始者・比嘉進さんのお弟子さんで、「リキシャが滝川を通るときには、ぜひうちに寄ってください」とメールしてくださったのだ。
「いやー、こんなにワクワクしたの久しぶりだなぁ」
 初めてリキシャを目にした伊藤さんは笑顔で言った。
「毎日ブログをチェックしてたんです。どんどん北に上がっていくでしょう。あ、苫小牧だ。もう札幌だって。居間に貼った日本地図にマジックでリキシャが通ったルートを書き込んでいたんです。ついに滝川にやってきた。感動だなぁ」
 サンタクロースを心待ちにする子供のようなキラキラした目で言うので、ちょっと照れくさくなってしまった。トナカイの代わりに自らの力で進むサンタクロース。プレゼントは何もない。けれども「近づいてくるワクワク感」だけはある。そう、子供の頃のクリスマスって、プレゼントそのものよりも、それが近づいてくるのを指折り数えて待つことの方が楽しかったのかもしれない。


【冬になると薪ストーブが活躍する伊藤家の居間で】

 伊藤さんは整体の仕事を始めるまで、生コンを運ぶトラックの運転手をしていた。仕事は順調で、1台1200万円もするトラックを2台持つまでになった。しかし次第にその仕事に疑問を感じるようになる。
「北海道は公共事業に頼り切っているんですよ。川を護岸して、山の斜面をコンクリートで固める。それを延々と続けているんです。むなしくなりますよ。去年コンクリートで固めた斜面が、今年にはもう砂に埋もれているんです。自然にはどうやっても勝てないのに、それをわかっていながら公共工事をやめられない。結局、穴を掘って埋めているのと同じです。自分の仕事が本当に世の中の役に立っているのかわからなくなってきたんです」
 儲かっていた仕事をやめて、まったく未経験の整体師を始める。その決断をしたときに、もちろん家族は反対した。しかしそれは「大反対」というほどのものではなくて、新しい整体院の名前を「健康ちゃん」にしようと言い出したことに対する反対だった。「恥ずかしいからやめて欲しい」と子供たちに言われた。でもこの名前には「気軽に入れるような場所にしたい」という伊藤さんの思いが込められていた。
「軌道に乗るまでは2年かかりましたね。口コミによって少しずつお客さんが増えていった。最初の頃はこれじゃやっていけないと頭を抱えた日もありましたよ」
「運転手から商売替えをして良かったと思いますか?」
「ええ、それはもちろんそうです。これからは公共事業もどんどん減らされるだろうし、トラックの仕事も減るでしょうから。自分が誰かの役に立っていると感じられるのが一番ですよ」
 夕食は名物のジンギスカンだった。滝川のジンギスカンは羊肉をタレに漬け込んであるので、何もつけずにそのまま食べられる。ジンギスカン鍋の縁のところにラーメンを入れて食べるのが伊藤家の流儀だ。これも焼きそばみたいになってなかなかおいしい。缶ビールはアサヒとキリンが並んだが、なぜかサッポロがなかった。地元なのに。
「北海道には意外にサッポロを置いている店が少ないんですよ」
 とのこと。なぜだろう。
 それはともかく、大いに漕ぎ、大いに食べ、そして大いに飲んだ一日だった。


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本日の走行距離:84.4km (総計:4222.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:20円 (総計:60755円)

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by butterfly-life | 2010-08-08 07:26 | リキシャで日本一周


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