留萌市から233号線を通って滝川市に向かう。
お盆の土曜日だからなのか、道路はお墓参りに向かう車で混み合っていて、ところどころで渋滞までしていた。国道沿いにある墓地にも一族が集まって手を合わせている姿を目にした。日本の夏である。 今日は多くの人から差し入れをいただいた。 缶コーヒー、おにぎり、ホタテ貝、トマト、スイカ、トウモロコシ。(缶コーヒー以外は)どれも地元北海道の味である。スイカもトマトもよく熟していて甘かった。 滝川の町は肉の焼ける匂いに包まれていた。お盆の北海道では親戚一同が集まって、屋外(家のガレージが多い)でバーベキューをするのが習わしになっているようだ。人家が密集している都会では絶対にできない北の大地ならではの楽しみである。 【北海道らしい看板。唐突に「店」と言われても困ってしまうが、まぁ店なのだろう】 滝川市内を走っているときに、買い物用の三輪自転車に乗っているおじさんから声を掛けられた。 「おい、ちょっと待てよ。それでこの坂を上れるか? 心臓破りだぞ」とおじさんは言う。 確かにそこはちょっとした上りではあったが、ほんの2,30メートル続くだけなので、「心臓破り」というのはちょっとオーバーである。 「後ろから押してやろうか?」 「いや、大丈夫ですよ。これぐらいなら一人で上れますから」 いつものように右手でサドルを引っ張ってさっさと坂道を上る。おじさんはそれを後ろから興味深そうに見守っている。 「ちょっと待てよ。この自転車はすごいな、おい。今日はお盆だよな。これも何かのご縁だな」 ちょっと待てよ、が口癖のおじさんは今しがた親戚の家でお盆の法事を終えて帰宅する途中なのだそうだ。ワンカップを一杯だけ飲んだということだったが、一杯にしては息が酒くさかった。もうすっかり出来上がっているようにも見えた。 「おい、ちょっと待てよ。にぃちゃん時間あるか? ちょっとうちに寄ってかないか」 「いいですよ。別に急いでないですから」 おじさんの家は「心臓破り」の坂のすぐ横にあった。大工や運送業や林業や建設作業員などを「何でも屋」的にこなすのが仕事らしく、家の隣のガレージの中には作業服や大工道具などが乱雑に積み上げられていた。 「この上がな、俺の別荘なんだ」 「別荘?」 「ま、金持ちの別荘とはわけが違うけどな。隠れ家みたいなもんだよ。見るか?」 おじさんは返事を待たずにハシゴのような急な階段を上っていったので、僕もそのあとを追った。 屋根裏にもガレージと同様にいろんなものがとりとめもなく置かれていたが、「別荘」と呼ぶだけのことはあって、一人でも居心地よく過ごせるように工夫してあった。部屋の真ん中には二畳分の畳が敷かれていて、その周りを年代物のレコードプレイヤーやほこりを被った古い本や色あせたポスターなどが囲んでいる。ちょっと怪しげな古道具屋に迷い込んだような雰囲気だ。 「にぃちゃん、これなんだかわかるか?」 おじさんは額に入れられた古い白黒写真を指さした。写っているのは馬に乗った昭和天皇だった。顔がまだ若いから、戦前か戦時中に撮られたものだろう。 「昭和天皇ですね」 「そうだ。俺の叔父さんはな、戦争に行って満州で死んだんだ。天皇陛下万歳って言ってな、死んでいったんだよ。そこにあるのが全国の戦死者名簿だ。俺は毎日あの本と写真に向かって手を合わせているんだ」 昭和天皇の写真の下には広辞苑のように分厚い本が置かれていた。これが太平洋戦争での戦死者の名前を記した名簿なのだろう。本のぶ厚さがそのままおびただしい犠牲者の数を想起させる。 「なぁにぃちゃん。あの戦争で死んでいった兵隊は、犬死にだったと思うか?」 おじさんの声のトーンが変わった。その手にはいつの間にか竹刀が握りしめられている。 「もしにぃちゃんが『犬死にだった』と言ったら、ここから叩き出さなきゃならん」 そう言っておじさんは竹刀を振り上げた。いくぶん芝居がかってはいるが目は真剣である。 「そ、そんなことは思わないですよ」と僕は慌てて言った。 「そうか。それならいいんだ」 おじさんは竹刀を下ろして、元の柔和な表情に戻った。やれやれ。驚かさないでくださいよ。 「学徒出陣で学生たちがみんな戦争に行った時代さ。何十万、何百万もの人が志半ばで死んだんだ。それをさ、無駄死にだったなんて言うのは、俺は絶対に許せないんだ」 おじさんはあの戦争を全面的に肯定しているわけではない。ただ自分の叔父さんが戦争で無意味に死んでいったとは思いたくないのだ。 おじさんは屋根裏に転がっているものをひとつひとつ手にとって、「これいらねぇか?」と僕にくれようとした。もちろん友好の印なのだが、正直言って今の僕には役に立ちそうにないものばかりだった。たとえばメロンとウリを掛け合わせた果物。今はまだ硬いので一週間ぐらい待ってくれという。続いて取り出したのは着古したジャンパーとトレーナー。これもこの時期には必要のないものだ。 「北海道はすぐに冬になるからな。ひとつ持ってけって」 「いや、冬が来る前には本州に渡りますから」 「それじゃこの靴はどうだ? サイズは26だから合うかな?」 「靴は今あるので十分です」 「この茶碗は?」 「いや、自炊はしていないですから」 「じゃフンドシはどうだ?」 「フンドシ!」 永遠に続きそうな「これいらない?」攻撃を何とかかわして、そろそろおいとましますと腰を上げたときに、おじさんが妙なことを言い出した。 「それじゃ、タップ取ろうや」 「タップ取る?」 「ありゃ? にぃちゃんカメラマンなのにタップ知らねぇの? そりゃダメだべなぁ」 ダメって言われても知らないものは知らない。タップ? どこの業界用語なのだろうか。 「だからさぁ、住所とか電話とか連絡先を交換することさ。それをタップ取るって言うんだ。北海道弁じゃないよ。全国で通じるんだから」 「へぇ、それは初めて知りましたよ」 「まぁ若い連中にはほとんど通じないね。俺ぐらいの年代なら、わかってくれる人もいる。わからない人もいる。通じる人には通じる」 タップ。謎の言葉である。職場でも通じないんだったら、業界用語でもないのだろうか。 「タップっていうのはな、簡単なようでいて、意外に難しいんだ。携帯の番号を交換する。これはタップとは言わねぇんだわ。そういう軽いのはタップではない」 「じゃあどういうのがタップなんですか?」 「今のこういうのだわ。俺はお前を信頼して住所を書くから、お前も俺を信頼して住所を書いてくれ。そういうやつだわ。一方的ではダメなんだ。信頼が大切なんだ」 「じゃあタップ取りましょう」 あとで写真を送ると約束して、僕らは住所を交換し合った。タップ成立である。 「今のは重い方のタップさ。だってあの『心臓破りの坂』上ってくるの重かったっしょ」 おじさんは口を大きく開けて「フハハハァ」と豪快に笑った。 「俺はさ、さっきあのリキシャってのを坂で見かけたとき、絶対タップ取るぞって思ったんだわ。その気持ちににぃさんも応えてくれたっしょ。それがね、本物のタップなんだわ」 タップとは一体何なのか。それは最後までわからなかったけど、おじさんが「本物のタップだ」と断言するのだから、たぶん僕らはタップを取れたのだろう。 滝川では10日前にも泊めてもらった伊藤さんのお宅に再びお邪魔した。伊藤さんと共に近くに住む両親の家に行って、お寿司とビールをご馳走になった。 伊藤さんのお父さんは先祖が開拓した土地で長年農業を営んでいた。生まれ育った幌加という山奥の集落には、最盛期400戸もの家があったのだが、近年急速に過疎化が進み、今では集落全体で4戸が残るのみになってしまった。お父さん自身も数年前に比較的便利な新十津川に移ってきたばかりだ。 「父は昔小作農をやっていたんだ。でも自分の土地を持たない農民は悲惨だから、頑張って山へ出稼ぎに行って金を貯めて、5町の土地を買ったんだ。大変なことだったと思うよ。でもそうやって苦労して大きくした幌加があと10年で誰も住まない集落になってしまう。それはやっぱり寂しいことだね。祭りや行事なんかももうなくなってしまうからね」 【農業一筋だった伊藤さんのお父さん】 *********************************************** 本日の走行距離:67.5km (総計:4840.8km) 本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:64100円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-08-22 17:13
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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