カテゴリ:リキシャでバングラ一周( 34 )
バングラデシュの雑誌に紹介されました
 先日、バングラデシュ人の雑誌記者からメールで取材を受けました。
 その記事がバングラデシュの代表的な週刊誌「シャプタヒック」に載っているそうです。ぜひご覧ください・・・と言っても全文ベンガル語なので、読める方はほとんどいないと思います。もちろん僕もさっぱりわかりません。というわけで、ショブジョ バングラの三田さんに翻訳していただきました。
 バングラ人にとっても、リキシャで旅をしている外国人の存在は大いなる謎であり、関心を惹く対象のようですね。


■ バングラデシュのリキシャで日本縦断(日本語訳)

東京発 カジ インサン

日本の慈善団体関係者からある情報を得た。
日本のフリーランスカメラマンが、バングラデシュのリキシャを自らこいで、沖縄から北海道まで、6か月かけて日本縦断の長旅に出ているという。
これまですでに3カ月旅を続け、あと何日かで東京に到着する予定だという。その後は北海道に向けて出発し、北海道の最北の地までペダルをこいでこの旅の終わりを迎えることになる。

この前代未聞の旅行の話を聞いて、私たちは彼とEメールで連絡を取り、インタビューの段取りをした。

三井 昌志 35歳 京都府出身
神戸大学工学部を卒業し、ある機械メーカーに就職した。
2001年、外国への長旅に出かけ、カメラマンとしての可能性に目覚めた。帰国後、それまでの会社勤めを辞めて、トラベルフォトグラファーとして、新しい道に踏み出した。
会社員という収入の安定した生活から、不安定なカメラマンとなり、苦労も多かったが、決心と、写真への情熱は揺らぐことはなかった。

彼は、世界の40カ国、特にアジアのすべての国をまわって写真を撮り続けた。その膨大な数の写真から、日本で数多くの写真展を開き発表した。写真集も何冊か出版した。
日本メディアの最大手、NHKが、彼の写真やレポートを何度も採用するようになった。

バングラデシュにも何度か訪れ、多くの写真を撮影した。
彼の写真のテーマは『笑顔』。
彼の作品の1枚、1枚に笑顔があふれている。
肉体労働者の汗まみれで開けっぴろげな笑顔、子供たちの親しみに満ちた笑顔、若妻のつつましい笑顔。
彼は人間の心の奥底から湧き出るような笑顔を撮りたいという。

バングラデシュのリキシャは、彼にとって、非常に魅力的なものだった。最初にバングラデシュを訪れた時から、ペダルを漕いで車輪を回す単純なバングラデシュのリキシャに魅せられた。バングラデシュに来れば、当然、その主な交通手段はリキシャになる。
『リキシャ』語源は日本語である。
この『人力車』はその昔、日本からやってきた。
そんなノスタルジックな思いも相まって彼はリキシャに魅せられたのだろう。

バングラデシュのリキシャドライバーは、ひたすら2本の足でペダルを漕いで、ささやかな稼ぎで家族を支える。先進化の競争の中で、環境へのやさしさが問われている今、地球の温暖化を進めることなく、機会社会で汚れた水や空気を還元出来る、自然と調和した乗り物だろう。

彼は言う。
『リキシャ自体魅力的だが、その色づかいが本当に美しい。リキシャを漕ぐのも楽しい。
ダッカでリキシャを購入し、帰国の際に日本に送った。どこに行っても、リキシャを見てみんな集まって来るし、漕ぎたがる。
そして、ふと思いついた。
バングラデシュのリキシャで日本中を旅したらどんなものだろう?

この3カ月、毎日60~100キロの道のりを走り続けた。
沖縄から出発して、村から村、街から街へあちこちまわった。
みんなは、好奇心いっぱいで見ていた。
同時に、バングラデシュについて、少しづつ知っていった。
そんなことが、今、私の住む東京で起きている。

途中、子供が生まれて父親になったので、1か月の休みをとり、子供と共に過ごすことにした。そして、また、出かけて行く。

この先、思いがけない壁が立ちはだかるかもしれない。
行く先々ですべての人が興味を持って見るだろう。
皆さんからメールもいただく。
みんな私の行き先を知り、楽しみに待っていてくれる。
私も出来る限り返信している。

バングラデシュ人も、恐る恐る客となって乗った。
そして、色々な形で歓迎してくれた。
彼らに心から感謝したい。

日本中の道で、バングラデシュのリキシャと同時に、バングラデシュという国も紹介している。また、それが自分にとっても楽しみになっている。』
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by butterfly-life | 2010-07-08 14:09 | リキシャでバングラ一周
旅のベネフィット
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「旅のベネフィット」

 バングラデシュ西部をぐるりとひと回りして、首都ダッカに戻ってきた。走行距離1200kmに及ぶ長旅もこれでいよいよゴールだ。体力的には相当きつかったが、そのきつさも含めて1200kmという距離を体で感じられたのは大きかった。これを走り抜いたことで、「日本縦断も何とかなるんじゃないか」というおぼろげな自信がつかめたからだ。

 僕がリキシャで旅をしていると知ると、たいていのバングラ人は驚くか、呆れるか、大声で笑い出すか、いずれかのリアクションを返してきた。まっとうな反応である。僕だって自分に呆れてしまんだから。
 しかし英語教師のバドゥルさんだけは違っていた。
「君はきっとハングリーなんだ」
「ハングリー?」
「あぁ、旅人としての空腹を満たすためにリキシャで旅をしている。違うかい?」
 トラベラーズ・ハンガー、旅人の飢え。いい言葉である。僕自身も把握できていない「けれども旅をしたい」という気持ちの奥底にあるものをうまく言い表していると思う。


【写真:リキシャ工場で幌を取り付けている男。力業でひずみを直している】


 トラベラーズ・ハンガー旺盛な僕にとっても、ダッカの街をリキシャで走ることに対しては、まったく食欲が湧いてこなかった。幹線道路のハチャメチャぶりについては前にも書いた通りだが、ダッカ市内はそれを超える「カオス状態」だったからだ。

 まず我々リキシャ引きが否応なく直面させられるのがダッカ名物の大渋滞である。大通りは比較的流れているが、マーケットの近くや旧市街の細い道に入り込むと、たちまち慢性的な渋滞に巻き込まれてしまう。10分以上まったく動かないことも珍しくない。
 交差点では、渋滞の原因となっている客待ち中のリキシャを警官が有無を言わさず棒で殴りつけている。威嚇のレベルを超えて本気でしばきあげているのだ。こっちの警官はやたら乱暴だ。立場の弱いリキシャ引きは殴られるとおとなしくリキシャを動かすのだが、警官が去るとまたぞろぞろと同じところに戻ってくる。彼らだって生活がかかっているから、簡単には引き下がらない。で、しばらくするとまた警官がやってきてリキシャを殴るのである。あぁ、終わらない日常。繰り返されるダッカの悲喜劇・・・。

 交通ルールはないに等しく、信号もまったく機能していない。「譲り合いの精神」など皆無で、みんなが行きたい方向に好き勝手に走っている。だからしょっちゅうどこかで衝突が起き、新車はすぐに傷ものになる。バスの横っ腹も傷だらけだ。道路があまりにも過密なので、幅寄せされるとどこにも逃げ場がないのだ。
 英字新聞に「ダッカとは人をMill(粉にする・製粉機にかける)街である」という言葉があったが、ダッカの交通事情を表すのにこれ以上適切な言葉はないだろう。ダッカを走ると、誰もが「粉にひかれ」てしまう。人をすり減らせる街なのである。


【写真:ダッカの混乱した交通事情】


 それにしてもバングラ人の手前勝手さ、自己主張の強さはどこからくるものなのか。山本七平が『日本人とユダヤ人』の中で、「日本人の協調性の高さや生真面目さは、ある期日をもって全員が同じ作業を行う稲作を長年に渡って続けてきたためだ」と書いていて、読んだときには「なるほど」と思ったのだが、しかしここバングラデシュも稲作の国なのである。農村では村人が全員で同じ作業をする。にもかかわらず両国民のメンタリティーがこれほどまで違うのはなぜなのだろう。

 信号待ちをしていると必ず寄ってくる物乞いも悩みの種だった。アスファルトの上をはいつくばって進む両足のない男。顔が象のようにふくれた中年の女、杖をついて歩く片足で盲目の老人。何ヶ月も洗濯していないような服を着ている子供たち。以前に比べれば少なくはなったようだが、物乞いの絶対数はまだまだ世界屈指の多さである。
 ダッカの物乞いはソフトタッチだ。そばにやって来て、僕の腕を優しく撫でてくる。しかし粘り強さは相当なものである。こちらがいくら首を振ってもなかなか諦めてくれない。渋滞に巻き込まれているときに目をつけられるとかなり厄介である。


【写真:ドラム缶をトラックに積む男たち】


 ダッカ住民に街の住み心地を訊ねると、「私だって好きこのんでダッカに住んでいるわけじゃない」と言われることがある。彼らにとってダッカとは「やたらうるさく、空気が悪く、物価が高い」けれど「仕事はある」から仕方なく住み続けている街なのである。決して気に入っているわけではない。

「30年前のダッカはこうじゃなかったさ。高いビルもなかったし、人もリキシャもこんなに多くはなかった」
 リキシャ引きとして30年もこの街を走り続けている大ベテランのアブドゥルは言う。彼は外国人が集まるホテルの前を「縄張り」にして、外国人相手にリキシャで観光案内をして生計を立てている。観光客の少ないバングラデシュでは非常に珍しい存在だ。英語はかつての唯一の安宿YMCAに宿泊していた欧米人バックパッカーたちを相手に体当たりで覚えた。
「街が大きくなって、商売はしやすくなったんじゃない?」
「ああ、前よりは生活は楽になったよ。でも政府はリキシャを街から閉め出そうとしているから、将来はどうなるかわからんな」

 現在、ダッカを走るリキシャの数は30~40万台ほどだと言われている。正式なライセンスを持つリキシャは8万6000台なのだが、偽造ライセンスを持つ者も多いから、正確な数は誰にもわからないようだ。警察はときどき偽造ライセンスの取り締まりを行っているが、「袖の下」が効いたりするのであまり効果は上がっていない。
 それでも政府が段階的にダッカからリキシャを排除しようとしているのは確かなようだ。さっきも書いたようにリキシャは渋滞の原因だと見なされていて、ダッカを近代的な街に発展させたいと願う人々から目の敵にされているのだ。もうすでに幹線道路の多くはリキシャの通行が禁止されているし、CNG(圧縮天然ガス)エンジンを積んだ三輪タクシーの普及も進んでいる。バッテリー駆動の電動リキシャも登場した。ダッカに地下鉄を走らせようという計画も検討されているという。そうやって徐々にリキシャの存在意義は失われつつあるわけだ。
 カルカッタから人力車が閉め出されたように、バンコクからトゥクトゥクが消えつつあるように、ダッカからリキシャが消える日がやってくるのかもしれない。リキシャの未来はあまり明るくはないようだ。


【写真:中国製の電動リキシャも急速に普及しつつある】


「あんたはリキシャでバングラデシュを旅した」とアブドゥルは言った。
「そうだ」
「日本人なのに」
「そうだ」
「俺にはよくわからないんだが、それがあんたにとって何の得になるんだい? ベネフィットは何だ?」
 何の得になるのか。単刀直入にそう聞かれると、返事に困った。
「ベネフィットなんて特にないんだよ。ただリキシャで旅がしたかったんだ。少し痩せた。足の筋肉が強くなった。今のところベネフィットはそれぐらいだ」
「クレイジーだな」アブドゥルは呆れたように言った。「俺には理解できん」
「そうだ。クレイジーなんだよ」



 コストとベネフィットを天秤にかけて、ベネフィットの方が上回るからやる。旅とはそういうものではない。損得勘定を抜きにして始めてしまうものだ。
 漠然とした方向性だけが心の中にある。先のことはわからない。明日どの町で眠るのか、どういうかたちで終わりを迎えるのかもわからない。僕はそうやって旅をしてきた。それは写真家として飯を食うようになってからも変わっていない。

 各地のグルメを食べ歩いたり、スパでリラックスしたり、円高を利用して安く買い物をしたりといったわかりやすいベネフィットを求めて行うのは、「旅行」であって「旅」ではない。僕はそう考えている。もちろん「旅行」を否定するつもりはまったくない。有意義な余暇の過ごし方だと思う。でも「旅」から得られる経験は本質的に「旅行」とは違う。

 旅とは先が見えない状態で、えいっとジャンプしてみることだ。これまで自分が経験していないこと、未来の自分に向かって跳躍することだ。無残な失敗に終わることもある。いや、失敗の方がずっと多い。けれども「予想もしなかった未知の快楽」に達することもある。それが旅の面白さだ。

 リキシャの旅のベネフィットが何なのは、今の時点ではわからない。
 でも旺盛な「トラベラーズ・ハンガー」を持ち続けている限り、きっと何かが得られるに違いない。

 さぁ、日本縦断の旅をはじめよう。
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by butterfly-life | 2010-03-01 11:08 | リキシャでバングラ一周
リキシャアーティスト・アフメッドさんについて
 僕が乗るリキシャに絵を描いてくれたアフメッドさんは、リキシャアート界の第一人者だ。
 アフメッドさんが絵描きの道に進んだのは15歳の時。父親が事故に遭って歩けなくなったので、アフメッドさんも学校をやめて働かなければいけなくなったのだ。小さな頃から絵を描くのが大好きだったアフメッドさんを励ましてくれたのはお兄さんだった。「おまえには絵の才能があるから、その道に進め」と言ってくれた。

 アフメッドさんはまずリキシャ工房の親方についてリキシャの装飾を始めた。当時からリキシャは派手な乗り物だったが、とにかく目立つ装飾が求められるだけで、そこに芸術性を込める人はほとんどいなかった。アーティストではなく職人の世界だった。それは今でも基本的に変わっていない。
 一大ブームとなり、その後のリキシャアートの方向性を決定づけたのはシネマペインティングだった。要するに映画の看板をリキシャの装飾として描いたものだ。ヒーローとヒロイン、それに悪役の顔のアップが描かれる場合がほとんどで、派手ではあるが独創性に欠けるものが多い。今、バングラデシュを走っているリキシャの8割までがこうしたシネマペインティングを施されている。

 リキシャ工房の弟子として地道に働いていたアフメッドさんにチャンスをもたらしたのは、師匠が留守のあいだにやってきた依頼主だった。注文した品の出来上がりが遅いことに怒った依頼主をなだめるために、彼は師匠の力を借りず一人で絵を描いてみせた。その一件で彼の信用は高まり、独立に繋がったのである。



 リキシャの芸術性に最初に注目したのは外国人だった。キッチュなアートとしての評価が高まったのだ。アフメッドさんは独自の世界を描くリキシャアーティストとして各国のメディアに紹介され、注目を集めるようになった。1994年に福岡市美術館で大規模なリキシャアート展が開かれたときには、来日も果たしている。
 外国での評価の高まりと共に、アフメッドさんの元にリキシャアートを描いてほしいという依頼が舞い込むようになった。もちろんリキシャそのものを購入するのは大変だから、ブリキのプレートに描いた作品をお土産として持ち帰ったのである。
 もともと国内では見向きもされなかった庶民の娯楽が、外国人の目を通して「アート」に転じるという経緯は、日本の浮世絵がたどった歴史にも似ている。

 バングラデシュ国内でもリキシャアートを芸術として認知する人はいるが、実際に街を走るリキシャにアフメッドさんが絵付けをすることはない。リキシャには何よりも安価で丈夫なことが優先されるので、一枚の絵が2000タカ以上するアーティストに仕事を依頼するリキシャ主などどこにもいないのである。結局、ダッカの街を走るリキシャは、昔も今も定型的なデザインにとどまっている。

 アフメッドさん自身はアーティストを気取ってはいない。もちろん彼独自の世界観(動物を寓話的に描いた絵はそれが特に色濃くでている)はあるのだが、必要以上にそれにこだわることはなく、依頼主のリクエストには全面的に応じるという姿勢である。仕事ぶりは実に丁寧で、少しでも気に入らないところがあると、何度も塗り直しをする。仕事が立て込んでいると、徹夜をして仕上げてくれる。

「今日は働きすぎた。疲れたよ」
 注文した荷物ボックスを受け取りにいった当日、彼はうーんと背伸びをしながら言った。53歳にして徹夜は厳しかっただろう。お疲れ様。
 僕らは銀行に勤めている甥っ子のハッサンを通訳にして、お茶を飲みながら話をした。奥さんが台所から紅茶とビスケットを持ってきてくれた。奥さんの横顔はアフメッドさんの絵に登場する農家の女性にそっくりだった。奥さんをモデルにしたんだろうか。そう訊ねると、アフメッドさんは照れくさそうに笑った。イエスともノーとも答えなかった。

 アフメッドさん夫婦には子供はいない。テレビの上の写真立てには夫婦と子供二人が写っているのだが、二人ともすでにこの世にはいない。
「子供は三人生まれたんだ。でも全員が6歳になるまでに死んでしまった。生まれつき脳に異常があったようだ。三人目が死んだときに、医者に言われたよ。『子供を持つのは諦めなさい。四人目も同じ運命だよ』。だから子供は諦めたんだ」
 アフメッドさんは淡々とした口調で語り終えると、少し寂しそうに微笑んだ。


【写真:荷物ボックスに描いてもらった絵は、僕のこの写真がベースになっている。ベンガル語で「コチュリ」と呼ばれるホテイアオイの花が満開になった川で、子供たちが水遊びをしている場面だ】
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by butterfly-life | 2010-02-24 11:28 | リキシャでバングラ一周
ショブジョ バングラ(みどりのバングラデシュ)
 今回、日本縦断の旅で使うリキシャを提供してくれたのがNGO「ショブジョ バングラ」の三田さんだ。
 彼女がバングラデシュに関わりはじめたのは、今から10年ほど前のこと。国際交流のボランティアをしていた三田さんに、知り合いのバングラ人から「NGO設立に協力してくれないか」と頼まれたのがきっかけだった。

 1999年に初めてバングラデシュに行き、この国の現実を見てきた。そして貧しい子供たちのための学校をはじめた。最初は民家のガレージを使わせてもらってのスタートだった。通ってくるのはリキシャ引きなどの貧しい家の子供や、メイドとして住み込みで働いている子供たち。様々な理由で公立の学校に通えない子供たちが対象だった。


【写真:貧しい子供たちが通う小学校は、教室の数も先生の数も不足している】


 最初の3年は試行錯誤の連続だった。先生のレベルがあまりにも低く、授業の進み具合が極端に遅かった。バングラデシュには先生になるための資格がないし、給料も安いので、モチベーションも低くなりがちなのだ。
 しかしアロさんという若い女性教師がやってきてから、学校が劇的に変わった。アロさんはものを教える天賦の才能があった。彼女自身も貧しい家の出身で、小学校にも満足に通えなかったので、同じ境遇にある子供たちに対する理解と、そこから何とか抜け出させたいという情熱とを持ちあわせていた。
「授業を受ける子供たちの目の輝きが全然違ってきたんです」と三田さんは言う。

 現在、三田さんの学校には、アロさんを含めた3人の先生と150人の生徒がいる。第一期卒業生の中には大学に進学した子供もいる。学校運営はひとまず軌道に乗り始めたようだ。
「希望する子供たちはみんなハイスクールに行ける仕組みを作りたいんです。でも私がそう言ったら、地元の人に『この国ではハイスクールを出てもいい仕事に就けるとは限らないんですよ。大学出のリキシャ引きを作るためにこの学校を作ったんですか?』と諭されて、しばらく考え込んでしまいました」
 バングラデシュでは特に若者の人口が多く、その労働力に比べて働き口が圧倒的に不足している。だから「中途半端な学歴を持って就職難に見舞われるよりも、早めに手に職をつけた方がいい暮らしができる」という現実な見方も説得力を持っているのだ。

 学校の運営資金は、バングラデシュの伝統工芸品「ノクシカタ」を売ることによってまかなっている。ノクシカタとは細かなデザイン刺繍を施した布で、今はペンペースなどの小物に加工して販売しているが、将来的には質の良いものを和服の着物や帯に使ってもらおうと考えている。
「私は『バングラデシュは貧しいから買ってください』と言うのは嫌なんです。そうじゃなくて、製品の質で勝負したい。だからノクシカタを売るときにもNGOや学校のことは前面には出していません。友達には『もっとアピールしたら売れるのに』って言われるんですけどね」
 三田さんはもともと服飾デザイナーだったので、織物や工芸品に対する独自の目を持っているし、クオリティーに対する要求も高い。だから質の悪い製品を「お情けで買ってちょうだい」と言って売るようなやり方には強い抵抗があるのだ。

「バングラデシュって『貧しさ』とか『自然災害』のようなネガティブなイメージで語られることが多いでしょう? マスコミもそれをわざと強調するようなかたちでしか伝えない。でも実際に行ってみると、そうじゃない部分もたくさんあるんです。日常がいつも悲惨なわけじゃないし、日本にはない活気にあふれているところもある。いい伝統文化もあるんです。でもほとんどの日本人はその価値を知らない。それが残念なんです」
 三田さんがリキシャを輸入したのも、リキシャアートの「なんでもあり」の魅力に惚れ込んだからだった。決して高尚なアートではないけれど、作った人の思いが込められている。

 独学でベンガル語を勉強した三田さんは、今ではベンガル語の読み書きもこなせるようになった。
「語学の習得は若いときの方がいいって言うけど、あれは本当よねぇ。なかなか新しいことが覚えられないんだもの」
 と言うけれど、それは謙遜である。挨拶程度の会話にも難渋している僕とは比較にもならない。語学力からも本気でバングラデシュに関わっている意気込みが伝わってくる。
「これからの目標は、このNGOを現地のバングラ人だけで運営していけるようにすることね。もちろん『ショブジョ バングラ』は小さな組織だから、できることは限られています。資金力だってない。でも小さな組織だからこそできることもあるはずです」

 今回の日本縦断の旅では「5円タクシー」という試みを行う。
 これも何かの「ご縁」ですから、5円でリキシャに乗りませんか、という半分シャレの呼びかけである。
 この5円タクシーの収益金(といっても微々たるものだろうけれど)は、「ショブジョ バングラ」の学校運営のために寄付するつもりだ。

 リキシャの乗りたい方。ポケットに5円の用意を!
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by butterfly-life | 2010-02-22 13:46 | リキシャでバングラ一周
さぁ準備は整った
 日本縦断リキシャ旅の準備はほぼ整った。
 ゆるんでいたリキシャのチェーンを張り替え、サドルとペダルを交換し、サビと汚れを落とし、サドルの下に新しいリキシャアートを飾った。
 リキシャの修理をしたのは両国にある自転車屋で、店主のオヤジさんは「こういうの、ちょっと迷惑なんだよねぇ」と口をとがらせながらも、イレギュラーな注文に応じてくれた。客商売なんだからもう少し愛想があってもいいんじゃないかと思ったりもするが、ぶっきらぼうで口が悪い(でも実は親切だったりする)のは江戸っ子の証なのだろうか。

 懸案だった「重いギア比」はどうやら直りそうにない。
「こいつぁ古いタイプだなぁ。日本には部品がねぇよ」
 オヤジさんはべらんめえ口調で言う。
 そうなのだ。リキシャの原型は30年以上も前に固まっていて、それから何の進歩も見られない。同じ規格の部品をずっと使い続けているわけだが、それはもう日本から消えて久しいらしい。規格のジェネレーションギャップ。
 仕方がない。しんどいけどこの重いペダルを漕いでいくしかないだろう。


【このギアを変えたかったのだが・・・どうも無理っぽい】


 リキシャは今、東京の下町・亀戸にある。
 なぜ亀戸なのかは、順を追って説明しなければいけない。

 実は「日本縦断編」で使うリキシャは、バングラデシュで1ヶ月乗っていたのとは違うリキシャなのである。
 当初の予定では、バングラで乗ったリキシャをそのまま日本に運んで使うつもりだった。しかし、それにはいくつか問題があることがわかったのだ。

 まずは輸送の問題である。
 バングラデシュから日本までリキシャを船便で送るとなると運賃に500ドル程度かかるが、それ自体はさほど高額ではない(もちろんリキシャ本体に比べるとバカ高いが)。チッタゴンを出て横浜港に着くのが3週間後だが、これもまぁリーズナブルだ。
 ただリキシャなんてヘンテコなものを輸入しようとすると、税関で思わぬ手間と時間を取られることがあるという。たとえばシロアリ。リキシャの幌は竹でできているのだが、もしそこにシロアリが巣くっていると、輸送している間にバリバリと竹を食い荒らされてしまうというのだ。そんな厄介者を日本に持ち込むのはダメだと言われかねない。
 別の人はリキシャのブレーキパッドにアスベストを使用しているという疑いをかけられて、税関で1ヶ月近くも止められたという。ただの合成ゴムだと思うんだけど、見慣れないモノには疑いの眼差しが向けられるのが税関というところなのである。

 輸送の問題よりも大きかったのは「特注リキシャ」の問題だった。
 バングラデシュには100万台近くのリキシャが走っているが、その大半は個性的ではない。派手なことは派手なのだが、どのリキシャもチープかつ類型的なデザインに統一されているのだ。
 しかし、ごくごく稀に「おぉ!」と視線を釘付けにするようなカッコいいリキシャを見かけることがある。作った人間の個性や自己主張を感じるようなデザインのリキシャを。それが「リキシャアーティスト」の手によるものだと知ったのは、バングラデシュに発つ直前だった。

 リキシャの装飾を芸術の域にまで高めた人・リキシャアーティストはいまでは数えるほどしかいない。リキシャを注文する人々が求めるのは「安いこと」「丈夫であること」「派手なこと」の三点だけなので、手の込んだ(だから高価な)絵付けを頼む人はほとんどいないのだ。




【これはリキシャペイントの「定番」である映画俳優の絵。これはこれで面白いけど、オリジナリティーは感じられない】


 僕が特注リキシャの制作を依頼したアフメッドさんは、そんな絶滅寸前のリキシャアート界を代表する一人だった。アフメッドさんの得意分野は農村風景から風刺画、シュールな動物画まで幅広く、最近は外国人からの注文も多いという。
 素朴で明快でなおかつほのかなユーモアが漂う。そんなアフメッドさんの絵はとてもバングラ人らしい。技巧的な上手さとは違った部分で、「これぞバングラだ!」と思わせるようなオリジナリティーを持っている。

 僕がリキシャ一台を丸ごとアートで飾って欲しいと言うと、アフメッドさんは意外にも顔をしかめた。
「それは可能だが、時間がかかるんだ。最低でも3週間は見てもらわないと」
「3週間ですか?」
「そうだ。ただブリキの板に絵を描くだけなら2日もあればできる。でも幌も座席もすべて込みでやるとなると、3週間以上かかる。すべて私一人が手作業でやっているからね。下塗りのペンキの乾きも待たなくちゃいけない」

 困ってしまった。バングラデシュに滞在できる期間を考えると、3週間もダッカでリキシャの仕上がりを待つのは不可能だった。
 とりあえずバングラデシュを走るのは普通のリキシャでもいいだろう。日本人リキシャ引きがバングラを走る、というのが旅の目的だからだ。でも日本を旅するときにはアフメッドさんの美しいリキシャを使いたい。多くの日本人にリキシャアートのポップさや面白さを知ってほしいからだ。

「それなら、私のリキシャを使ってくださいよ」
 三田さんからメールが届いたのは、僕がダッカで思案に暮れているときだった。
 独力でNGO「ショブジョ バングラ」を組織し、バングラデシュで10年以上も活動を続けている三田さんは、アフメッドさんを僕に紹介してくれた人でもあった。一年前、三田さんはNGOの広報活動のためにアフメッドさんが制作したリキシャを一台輸入した。それは「走るアート作品」と言ってもいいような素晴らしい出来映えだった。
「リキシャを置いていた駐車場がちょうど工事に入ってしまうんです」と三田さん。「だからそのあいだ三井さんにリキシャに乗ってもらえたら、私も嬉しいんです。リキシャって飾るものじゃなくて乗るものだから」

 渡りに船、とはこのこと。僕は二つ返事でその申し出を受けることにした。
「あのリキシャは本当の自信作なんだよ」とアフメッドさんは僕に言った。「あんな風に自分のアイデアをたくさん盛り込んで仕上げたリキシャはほとんどないんだ。私はいろいろな人からアートの注文を受けるし、外国人からのリクエストも多いよ。でもあのリキシャにはバングラデシュの本当の風景、美しい思い出が詰まっているんだ」

 そんなわけで、リキシャはいま亀戸の車庫で静かに出発を待っている。
 旅先でリキシャを見かけたら、ぜひ細部にまでじっくりとご覧くださいね。
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by butterfly-life | 2010-02-19 19:46 | リキシャでバングラ一周
ハチミツの園

マスタードの花が咲く畑で蜂蜜を収穫する男たち。



苗を植えた田んぼに肥料をまく男。
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by butterfly-life | 2010-01-26 11:09 | リキシャでバングラ一周
エコノミークラス症候群?
 今、インドネシアのスマトラ島にいます。
 パダンという町で撮影の仕事をしているのです。
 パダンは去年の9月30日に1500人以上の死者を出す大地震の襲われたのですが、その地震で被災した子供たちを援助している企業とその活動をサポートしているNGOの様子をカメラに収めているのです。

 震災から4ヶ月後のパダンの町を見て回ったのですが、官庁舎やホテルや大型ショッピングセンターなどが軒並み倒壊している一方、木造の古い家屋やオランダ統治時代から残るアパートメントが無傷で残っているのが印象的でした。
 特にダメージが大きかったのが公共施設と学校です。どうも最近作られた建物は見栄えや大きさばかり重視して中身がスカスカだったようです。構造にも使っている材料にも問題があったのです。

 煉瓦とコンクリートで作られた建物は、一見すると強そうだけど大きな揺れに対する「しなり」がないから、いとも簡単に崩れてしまう。だからパダンでは伝統的な木造家屋の良さが改めて見直されていると聞きました。

 スマトラ島というと2005年12月に発生した大津波が記憶に新しいですね。この津波では北西部のアチェ州を中心に20万を超える死者が出ました。僕も津波直後とその1年後の二度にわたってアチェを訪れましたが、街ひとつを丸ごと壊滅させてしまうエネルギーの凶暴さに呆然としたことをよく覚えています。

 インドネシアはたびたび大地震に襲われています。スマトラ島だけでなく、ジャワ島でも地震が多い。それでも今建てられている家が耐震性を備えているわけではなく、煉瓦を積み上げてコンクリートで固めただけという安直な作りのものが大変に多いのです。

 インドネシアの人々だっていつかは大地震に襲われるという危機感は持っているのです。でも地震というのは何十年あるいは何百年に一度という頻度で起きるわけで、たとえそれが壊滅的な被害をもたらすとしても、それに備えて具体的な行動を起こすのが難しい。どんな悲惨な記憶でも何年かすれば必ず薄れていくものですから。

 前回、スマトラ島を旅したときには、この広大な島を1ヶ月かけてバイクで横断しました。ひどいスコール降られながらジャングルの悪路を走ったり、おばちゃんが趣味でやっているような看板も出ていない民宿に泊まったりと、かなりハードな旅でした。もちろんその分エキサイティングだったわけですが。そしてこの経験が、その後ずっと続くバイクの旅、リキシャの旅へとつながっていったのです。

 今回は仕事だから状況がまったく違います。他のスタッフと一緒に一流ホテルに泊まり、まともなレストランで食事をしています。清潔で広く空調の効いた部屋。真っ白なシーツ。バスタブを備えた浴室。
 でもどうしてでしょう。一流ホテルの部屋にいるとなんとなく落ち着かないのです。「安宿慣れ」した自分がこういうところにいてもいいのだろうかと思ってしまう。エアコンよりも窓を開けてファンを回していた方が眠りやすい。
 はぁ、こういうのをきっと「エコノミークラス症候群」って言うんでしょう。いや、単なる貧乏性かな。
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by butterfly-life | 2010-01-23 23:45 | リキシャでバングラ一周
本当のセレブって
 このブログでも何度も取り上げている友人ウィリアムが、僕のリキシャの旅を紹介するすてきなページを作ってくれました。
 彼のサイト「English Groove」では、「本当の英語」を学びたい全ての人に様々なコンテンツを提供しています。僕らは数年前にモロッコやインドやタイを一緒に旅したのですが、そこで撮った写真やビデオもこれから続々と公開されていくようです。

 このページではウィリアムが話す英語を英文テキストと共に聞くことができます。
 「英語のリスニングなんて苦手だ」って人でも、「私の英語は中学レベルに留まってる」という人でも、彼の聞き取りやすい発音を注意深く聞けば、意外に意味が取れることに驚くんじゃないでしょうか。
 ストーリーも、まぁ簡単に言えば「リキシャで日本縦断なんてクレイジーなことを考えている日本人がいるんだよ」ってことだから。とてもわかりやすい。
 ぜひ一度リスニングにチャレンジしてみてください。個人的には「a real celebrity.」ってところが彼らしいユーモアがあって好きです。

 ウィリアムの長年の目標である「最高に楽しい英語学習本」の発売もまもなく開始されるようです。
 そのときには改めて彼と彼の家族について紹介しましょう。「こういう生き方もありなんだ」と思わせてくれるファンキーな存在です。
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by butterfly-life | 2010-01-20 21:06 | リキシャでバングラ一周
リキシャの正しい漕ぎ方
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「リキシャの正しい漕ぎ方」

 リキシャは実によく故障した。
 初日はチェーンが何度も外れたのでその調整を行い、二日目はタイヤの虫ゴムを交換し、三日目はブレーキパッドの付け替えとベアリング受け金具のゆるみを直した。四日目は幌を止める金具が脱落し、五日目にはホイールを止めているナットが脱落した。よくもまぁこれだけ次々にトラブルが発生するものだと呆れてしまった。

 前にも書いたようにリキシャは基本的にとても頑丈に作られている。ちょっとやそっとでは壊れない。問題は工場から出荷された段階で調整らしい調整がほとんどなされていないことである。せいぜい7割ぐらいの出来で納品されているのだ。「一応完成はさせたから、あとの調整は各自でやれ」というのがリキシャ工場のポリシーなのである。無責任といえば無責任だが、それなりに合理的な考え方ではある。リキシャの修理屋はこの国の至るところに点在しているので、故障してもすぐに直せる態勢が整っているからだ。もしメンテナンスいらずのリキシャが登場したら、修理屋の商売が成り立たなくなる心配だって出てくる。

 もっとも手こずったのはチェーンだった。走り始めた頃は一日に5,6回はチェーンが外れ、そのたびに手を真っ黒にしてかけ直していた。調子よく進んでいたときに限ってチェーンが外れるのも実に腹立たしかった。
 リキシャは自転車に比べるとホイルベース(前輪と後輪の間隔)が長いから構造的にチェーンが外れやすい。しかもそのチェーンをかなり緩めに張っているので、余計に外れやすくなっているようだった。あるリキシャ引きは「チェーンの張りが強いと切れやすくなるのだ」と言った。別のリキシャ引きは「チェーンをゆるく張るとペダルが軽くなるのだ」と言った。そのどちらが正しいのか(あるいはどちらも正しくないのか)はよくわからないのだが、多くのリキシャがチェーンをゆるめに張っているのは確かで、そのゆるゆるチェーンが外れないための特別な部品を取り付けているリキシャもよく見かけた。
 僕の場合はチェーンが切れる心配よりも、できる限り外れないことの方が重要だったので、修理屋でチェーンを短くしてもらった。修理屋は「リキシャのチェーンとはこういうものなのだ」と言ってなかなか修理に応じなかったが、「とにかく短くしてくれ!」と強引に頼み込んでやってもらった。その結果、やっとチェーントラブルから解放されたのである。やれやれ、疲れるわい。


【写真:これがゆるいチェーンでも外れないための装置。構造はすごくシンプルだ】


 リキシャの修理がひととおり済んで、トラブルもあまり出なくなった頃、ようやく僕の体もリキシャに慣れてきた。
 旅を始めてから一週間ぐらいは、背中から足にかけての筋肉が毎日悲鳴を上げていた。特にひどかったのが太ももで、町に着いてリキシャを降りてから2時間ぐらい経つと筋肉が固まってきて、出来損ないのロボットみたいにギクシャクした動きで町を歩かなければいけなかった。日本では毎日1時間近く自転車に乗っていたから、足にはいくらか自信もあったのだが、リキシャの重いペダルを漕ぐのと21段変速器付きのクロスバイクを漕ぐのとでは、筋肉にかかる負荷がまるで違っていたのである。

 十日目ぐらいに少し体が軽くなった。それまで50キロ以上漕いだら息も絶え絶えだったのが、70キロ漕いでも余力を残せるようになった。
 リキシャで走るコツも掴んできたのもこの頃だった。
 何よりも重要なのは立ち漕ぎのテクニックである。リキシャのペダルはとても重い。ギア比が普通の自転車と同じなのに、重量が80キロ(客を乗せるともっと重い)もあるからだ。だからスタート時はもちろんのこと、向かい風を受けているときや坂を上るときには、必ず立ち漕ぎをしなければいけない。むしろ立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だと考えた方がいいぐらいだ。
 立ち漕ぎは全身運動だから息は上がるが、太ももにかかる負担は軽くなる。足の筋肉を使うだけではなく、全体重をペダルに乗せることが重要なのだ。立ち漕ぎでスピードに乗せ、サドルに座って休む、というパターンを繰り返すのがリキシャの「正しい」漕ぎ方なのである。


【写真:リキシャは立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だ】


 それにしても不思議なのは、なぜリキシャのギアをもっと軽いものにしないのかということだ。僕が観察した限り、リキシャはどれも全く同じサイズのギアを使っていた。スペアパーツを扱う店に聞くと、リキシャの主要部品であるギアやペダルやベアリングなどは全て中国からの輸入品で、同じ規格なのだという。つまり軽いギアに取り替えようにも部品が存在しないのだ。

 僕がリキシャのペダルの重さを嘆くと、バングラ人は口を揃えて「リキシャのギアは大きい方がいいのだ。これがリキシャというものなのだ」と反論するのだが、「ではあなたはギアが小さくペダルの軽いリキシャと乗り比べてみたことがあるのか?」と問うと誰もが口をつぐんでしまうのだった。

 もちろんフラットな道を高速で走るときには、ペダルが重い方がよりスピードが出せる。けれども多くの場合リキシャは混雑した道や荒れた道を低速で走らねばならないわけで、ペダルを軽くした方が総合的なパフォーマンスは向上するはずなのだ。

 リキシャ引きたちはこの重いペダルに慣れている。驚異的なテクニックと足の力でもってこのディスアドバンテージを克服している。彼らが生まれる前からリキシャとはこういうものであり、ただ慣れるしかなかったのだろう。「もっとペダルの軽いものを作れないのか」というリキシャ引きからの要求が過去に一度もなかったとは思わないが、その声がリキシャメーカーに届くことはなかった。
「我々リキシャメーカーにとってリキシャ引きは大切なお客様であり、彼らの乗りやすいものを作るのが使命であります」と考えている者は残念ながら一人もいないようである。「リキシャってこういうものだから」という惰性と、中国製の安い規格品を使うという製造側の都合だけが、この不条理なペダルの重さを生み出しているではないかと僕は考えている。


【写真:これだけ大量の荷物を載せて走れるのだろうか?】


 リキシャで走るときのもうひとつのコツは「風よけ」を見つけることである。自分と同じようなペースで走っているリキシャがいたら、金魚の糞のようにぴったりと後ろにくっついて走るわけだ。スリップストリームの利用である。こうすることで空気抵抗が減り、ペダルが軽くなるのだ。

 このテクニックが特に有効なのは、向かい風が吹いている日である。フォルムを見れば一目瞭然だが、リキシャは向かい風にきわめて弱い乗り物なのだ。客席を覆う幌の部分がちょうど船の帆みたいにまともに風を受けてしまう。エアロダイナミクス全盛の時代に逆行するデザイン。もちろんこの幌が「リキシャらしさ」を演出する重要なアイテムではあるのだが、そのせいでちょっとした向かい風でもペダルの重みがズーンと増すことになってしまうのだ。

 もっとも「風よけ」になってくれるリキシャを見つけるのは簡単なことではなかった。「お、こいつは使えるぞ」と思って必死の立ち漕ぎで距離を詰めたのに、そのリキシャがすぐにわき道にそれていってがっかりする、なんてことはしょっちゅうだった。当たり前だが、60キロ70キロの道のりを延々と走り続けるリキシャなど僕以外にはいないのだ。たいていのリキシャは数キロの範囲を移動しているのである。


【写真:大量のわらを積んで走る。3台のリキシャが「風よけ」を利用しながら走っている】


 「風よけ」に利用されたリキシャが「勝手に俺のことを利用しやがって」と怒り出すようなことはなかった。僕もしょっちゅう「風よけ」に使われることがあったし、そこはお互い様という緩やかなコンセンサスがあるようだった。
 僕が後ろにくっついていると、リキシャ引きや乗客が面白がって話しかけてきた。
「あんちゃん、どこの国の人? へぇ日本人なの? で、どこにいくの?」
 とか何とか、バングラ語と英語のちゃんぽんでささやかなコミュニケーションを取り合っていると、僕が間食用に取っておいたバナナを目ざとく見つけて、
「そのバナナさ、俺たちにも分けてくれないかなぁ」
 なんて言われて、なぜか全員でバナナを分け合って食べるというようなこともあった。これはこれで楽しいのだが、そんな風に時間を潰しているとなかなか目的地に辿り着けないのが難点だった。

 リキシャのスピードは平坦な道で時速13、4キロほどである。のんびりしたものだ。もちろん歩くのよりは速いが、自転車よりずっと遅い。上り坂になると時速10キロ以下に落ちる。時速7キロを切るぐらいだと、リキシャを降りて押した方が足の負担が少ない。
 このように自分のスピードがわかるのは、リキシャに「サイクルコンピューター」という速度&距離計を付けていたからだ。これは本格的なサイクリングや競技用自転車に乗る人が使う機械で、もちろんバングラデシュには売っていないので、僕が日本から持ち込んだものである。速度、走行時間、一日の走行距離、これまでの積算距離などがわかるというすぐれものだ。こんなハイテク機器がリキシャに搭載されたのは、長いリキシャの歴史上初めてのことではないかと思う。


【写真:史上初(たぶん)サイクルコンピューターを取り付けられたリキシャ】


 わざわざサイクルコンピューターを取り付けたのは記録のためというより、これが長い旅の励みになるのではないかと思ったからだった。もちろん「今、時速12キロで走っている」という情報が肉体的な疲れを癒すことはない。しかしただ漠然とペダルを漕ぎ続けるより、たとえば「あと5キロ進んだら休憩を取ろう」と目標を決めて走った方が断然気持ちが楽なのである。
 一日80キロ走らなければいけないとき、最初から80キロ先のゴールをイメージするのは難しい。途中で気持ちが折れてしまう。しかし80キロを10キロずつに区切って、セクションをひとつひとつクリアーするようなイメージに変えてやれば、案外がんばれる。目に見える数字が自分を励ましてくれるのだ。これがサイクルコンピューターによる「見える化」の力なのである。
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by butterfly-life | 2010-01-20 17:44 | リキシャでバングラ一周
リキシャを漕ぐ三井(動画バージョン)


バングラデシュでリキシャを漕いでいる姿をビデオに撮りました。
ジャパニー・リキシャワラが明らかに浮いているのがわかりますね。
まっすぐの一本道をリキシャで走るのは、なかなか気持ちのいい体験でした。
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by butterfly-life | 2010-01-18 13:08 | リキシャでバングラ一周