5ヶ月に及んだ「リキシャで日本一周」の旅は、10月3日に無事ゴールしました。
今はこのブログの出版化に向けて動き出しています。 リキシャという奇妙な乗り物を通じて今の日本と日本人を知る旅。この企画に興味をお持ちの出版社の方はぜひご連絡を。 ・リキシャが辿ってきたルートはこちらをご覧ください。
大分県佐伯市直川で60年にわたって山で木を切り続けていた鉄山さんに出会ったのは、去年の3月18日のこと。丸太を運んでいるところにたまたまリキシャで通りかかったので、話を聞かせていただいた。
輸入材に押されて木材の価格が下落し、採算が合わなくなって放置されている山も多い中、鉄山さんは息子さんたちと共に現役で林業を続けていた。林業一筋60年。代々森と共に暮らしてきた人だった。 太い杉の丸太を載せた機械を押しながら坂道を歩く。その力強い姿は、今でもはっきりと目に焼き付いている。 その鉄山さんが昨日、事故で亡くなったという。NHK大分放送局のニュースで次のように伝えられた。 [18日午前9時ごろ、佐伯市木立の山の中で、佐伯市直川の自営業、鉄山昌美さん(75)が、直径およそ40センチ、長さおよそ30メートルの杉の木の下敷きになっているのを、近くに住む人が見つけました。鉄山さんは病院に運ばれましたが、頭などを強く打っていて、およそ2時間後に死亡が確認されました。佐伯警察署によりますと、鉄山さんはけさから1人で材木用の杉の木を伐採していたということです。現場は佐伯市の中心部から南東に3キロほど離れた山の中で、警察では、鉄山さんが倒れてきた木の下敷きになって死亡したものと見て、当時の状況を詳しく調べています。] ![]() ![]() 鉄山さんの右手の人差し指と中指は、第二関節から先がなかった。杉を切り倒していたときの事故で失ったという。何トンという重量を相手にするだけに、一瞬でも気を抜くと大怪我をする仕事でもある。 「木がどっちに倒れるか見極めんのが難しいんよ」と鉄山さんは言った。「それに木が倒れようときに、倒れる木に気を取られとると、根っこが地面から持ち上がってきて怪我するときがある」 ![]() 倒れてくる木の怖さを誰よりもよく知っていた鉄山さんのことだから、事故に遭わないように細心の注意を払っていたはずだ。それでも事故は起こってしまった。何か他のことに気を取られたのかもしれない。一瞬の判断力が鈍っていたのかもしれない。しまった、と思ったときにはもう遅かったのだろう。 「本望」という言葉は軽々に使いたくはないが、それでも半世紀以上山で暮らしてきた男の最期として「山」以上にふさわしい場所はなかったのではないかと思う。 鉄山さんにとって山は仕事場であり、生きがいであり、還るべき場所だったのではないか。 75になってもなお現役で木を切り続けた本物の「はたらきもの」鉄山さんのご冥福を心からお祈りします。 ![]()
徳島発・東京行きのフェリーは往路で乗ったものと同じ船体だった。二段ベッドの二等寝台。オフシーズンのわりにはバイク旅行者を中心にけっこうお客さんがいたのが意外だった。隣のベッドにも原付で四国や中国地方を回ってきたという若者がいた。
このフェリーの最大の売りは展望風呂で、なみなみとお湯が張られた大浴場の窓からオーシャンビューが一望にできるという趣向だ。もちろん温泉ではないが、眺めの良さはそんじょそこらの温泉リゾートが束になってもかなわない。 紀伊半島を抜けてからしばらくは波が高く、船がかなり揺れて気分が悪くなったので、午後はベッドの上で寝て過ごした。船の揺れというのは起きている分には迷惑なものだが、横になっているとハンモックと同じで要領で案外気持ちよく眠れるようだ。電池が切れたように爆睡することができた。 東京有明港に接岸したのは翌朝6時20分。 曇りときどき雨という予報が出ていたが、それを見事に裏切る快晴の朝だ。旅の最後でなんとか「雨男」の汚名を返上できるかもしれない。終わりよければすべてよし、になるだろうか。 有明埠頭周辺は東京ビッグサイトやフジテレビ社屋などの近代的で生活感のないソリッドな建築物が並んでいる。片側三車線から四車線もある広い直線道路には車の姿はほとんどなく、そこを派手なリキシャがゆるゆると走る光景はかなり奇妙だった。 ![]() 【フジテレビ前にて】 豊洲から築地、銀座、日比谷を通って東京駅へ。ここからリキシャ最後の旅「山手線一周の旅」がスタートする。 最初から自転車で伴走してくれたのは二人。渋谷のスターバックスで働く恩田さんと、わざわざ平塚から輪行してきてくださったキヨコさん。まずは東京駅からまっすぐ南に下って浜松町、品川方面を目指す。 日曜の朝の東京は交通量が少なくて走りやすかった。本格的なロードバイクに乗ってツーリングを楽しむ自転車集団が次々とリキシャを追い抜いていく。秋晴れの日、サイクリング日和だ。 ![]() 【渋谷スクランブル交差点をリキシャが走る】 渋谷のハチ公前で記念撮影を撮る。まだ昼前なので人で埋め尽くされている感じではなかったので、ハチ公銅像の横にリキシャを置くのは簡単だった。待ち合わせをしている女子高校生も、観光に来ている欧米人も物珍しそうにリキシャとハチ公のツーショットを撮っていた。 渋谷から新宿の都庁に向かう。都庁前の待っていた人たちと合流して、総勢10人ほどでゴールを目指す。 ![]() 池袋、駒込、日暮里と進み、上野公園でさらに4人が合流する。 秋葉原はものすごい人出だった。さすがはAKBで盛り上がるオタクの聖地である。 秋葉原からまっすぐ東に進んで、あとはゴールの錦糸町を目指すのみ。 空はまだ晴天を保っている。予報を裏切ってお天道様がリキシャのゴールをお祝いしてくれているようだ。 今日の走行距離は60キロを超えたが、疲れは全く感じない。東京はそれなりにアップダウンがあるし、気温も上がって汗をかいたが、体がすっかりリキシャ引き仕様になっているのである。5ヶ月の経験は伊達ではなかった。 ![]() 新大橋通に入ると、ゴールの猿江恩賜公園はもう目の前だ。 腰を浮かして最後のスパート。立ち漕ぎでスピードを上げる。 やがて公園の入り口が見えてくる。たくさんの人が手を振っている。リキシャが近づくと歓声と拍手が起こった。 10月4日午後3時15分、ゴール。 151日に及んだリキシャの旅は、ここでようやく終わった。 ![]() 【ゴールへ向かうリキシャ。池田さん撮影】 ![]() ゴールしてからは休む暇もなく「5円タクシー」の最後の営業を行った。集まってくれた方を一人ずつ乗せて公園内をひと回りする。「意外と乗り心地がいいんですね」という感想が多かった。 自分でリキシャを漕いでみたいという人もいたので、漕いでもらうことにした。リキシャのペダルの重さに驚きの声を上げる人や、ハンドリングの感覚の違いに戸惑う人もいる中で、元競輪選手の富田さんは動きだしの重さをもろともせずスムーズにリキシャを走らせていた。さすがは29年現役を続けてきた足である。特にふくらはぎの筋肉の盛り上がりはすごかった。 ![]() 【最後の「5円タクシー」営業。とても喜んでいただけました。Kecyさん撮影】 ![]() 【最後は僕もリキシャの乗客に。いやー楽でいいですね。Kecyさん撮影】 ![]() 【6600キロの激走に耐えたリキシャ。これでお役ご免である】 総走行距離が6600キロに達したリキシャはもうボロボロだった。一見しただけではさほど問題があるようには見えないのだが、実際には駆動系を中心にいつ壊れてもおかしくない状態なのだ。特に最後の一週間は「本当にゴールまでたどり着けるのか?」とはらはらしっぱなしだった。 でも、なんとか最後まで走り抜いてくれた。 ご苦労さん。 これでおまえもゆっくり休めるな。 最後にそう声をかけてやった。 *********************************************** 本日の走行距離:65.8km (総計:6609.1km) 本日の「5円タクシー」の収益:4595円 (総計:81265円) ***********************************************
昨日に続いて快晴の朝を迎えた。
旅の後半は雨降りの日やリキシャの故障が相次ぎ、どちらかと言えば苦しいことの方が多かったが、最後の青空は旅の神様が用意してくれたご褒美なのだろう。 鳴門市の宮崎さんのお宅からフェリー乗り場のある津田港までは20キロあまりの道のり。2時間もあれば行ける。ひと漕ぎひと漕ぎをかみしめるように進む。 ![]() 【港を走るリキシャ。雪本さん撮影】 予定よりも10分遅れの9時40分に津田港に入った。港の長い直線道路をしばらく進むと、ずっと先でこちらに手を振っている人たちが見えた。ゴールの瞬間に立ち会うために駆けつけてくれたのだ。 みんな満面の笑みだ。僕も自然と笑顔になる。 手を振る。振り返す。 「おめでとう 日本一周 リキシャの旅」の横断幕が見える。誰かが書いてくれたのだ。 ゴール。 集まってくれた11人が一斉にクラッカーを鳴らす。パーン! パパーン! おめでとう。 ありがとう。 みんながそれぞれの手に持ったカメラを向ける。僕はちょっと照れながら、芸能人の婚約会見のようにそれぞれのカメラに順繰りに笑顔を向ける。 ![]() 正直言って、徳島の地でこんなにたくさんの人々からゴールを祝ってもらえるとは思っていなかった。みんなリキシャの旅を始めるまでは顔も知らなかった人たちばかりなのだ。 東みよし町でカフェを開いている秋元さん、「多発性硬化症」という難病に冒されながら色鉛筆で絵を描き続けている画家の川上さんと奥さん、リキシャに会うために大阪から北海道までバイクを飛ばした無謀な若者・雪本さん、そして二度にわたってお宅に泊めていただいた宮崎さん・・・。舞台のカーテンコールを見ているような気持ちだった。この旅を彩ってくれたキャストが、幕が下りたあとにもう一度舞台の上に集合して、手を振ってくれている。 ![]() 徳島は僕にとって縁もゆかりもない土地だった。東京からフェリーが出ているというただそれだけの理由で、この地をスタート地点に決めただけだ。それなのに、最後にはこれだけ多くの人が旅の終わりを見届けるために集まってくれた。日本一周の達成を一緒に喜んでくれた。 「リキシャは人と人を繋げる道具だ」 旅を始めるとき、僕はそう書いた。でもそれは単なる予感に過ぎなかった。確信は何もなかった。 150日の旅が終わって、その予感がこうして現実になって目の前に現れたとき、今までに味わったことのない喜びが湧き上がってきた。 ![]() フェリーが出港したのは11時半。 乗船タラップが外され、貨物室のゲートが閉じられ、汽笛が鳴る。船はゆっくりと、本当にゆっくりと港を離れていく。 乗船口の前で集まったみんなが手を振ってくれる。飛び跳ねている人もいる。僕も大きく手を振る。フェリーは長い時間かけて90度の方向転換を行ってから、徐々にスピードを上げて港を出る。 手を振る人たちの姿がどんどん小さくなっていく。豆粒以下だ。でもまだ手を振っているのが見える。だから僕も手を振り続ける。腕が疲れるほど手を振り続ける。 さようなら徳島。 さようなら温かい人たちの笑顔。 ※ 見送ってくださった宮崎さんが撮影した動画。フェリー出航の様子が見られます。 *********************************************** 本日の走行距離:22.1km (総計:6543.3km) 本日の「5円タクシー」の収益:2065円 (総計:76670円) ***********************************************
昨日とはうってかわって雲ひとつない青空が広がる朝。
いつものように夜明け頃に目を覚まして、昨日の日記の続きを書き、ブログをアップして、メールの返事をする。久しぶりに時間に追われていないゆっくりとした朝だ。 宿を出て、和歌山市内をのんびりと走る。和歌山はこぢんまりとした地方都市だ。大阪府の隣に位置してはいるが、高層ビルはほとんどなく、駅前ですら静かだ。 「七曲商店街」という看板がかかった古いアーケードがあったので、リキシャを押して歩いてみた。明かり取りの天井から差し込む光が不十分なので昼間でも薄暗く、それが古きよき下町の商店街の雰囲気を醸し出している。 昔は100軒以上の店があり、安さと新鮮さで大いに賑わっていたそうだが、徐々にシャッターを下ろす店が多くなり、今でも残っているのは20軒ほど。それでもこの商店街には意外なほど活気があった。平日の朝だというのに買い物客でごった返していた。 ![]() 焼き鳥屋さんからは香ばしい煙が漂ってくる。 「うちのタレは50年前のものやからな。創業当時からずっと継ぎ足してつこうてるんや」 とおかみさんが自慢げに話す。確かにここの焼き鳥は濃厚なタレが絡みついてうまい。なにわの味である。商店街の空洞化にも負けずに生き残れるのは、こういう強いポリシーを持った店なのかもしれない。 ![]() ![]() 徳島へ渡るフェリーは、和歌山市街の西にある港から出る。 一日に8便、3時間おきに船が往復しているということだから、利用者はかなり多いようだ。 ちなみに大人ひとりの運賃は2000円。自転車を乗せても同じ値段だ。 「キャンペーンをやっているんです。普通は自転車運賃が600円かかるんですけど、今は無料なんです」 と受付のおじさんが説明してくれた。 ブラボー! 「600円のところを半額の300円に」というようなキャンペーンならよくあるが、まるまるタダにするという太っ腹なところが素晴らしい。自転車旅行者に優しい南海フェリーさん、あんたはエラい! ![]() 10時50分、定刻通りフェリーは和歌山港を離れた。 瀬戸内海は穏やかで、船はほとんど揺れなかった。デッキに出ると狭い海域を行き交う貨物船や漁船の姿を見ることができる。波頭が日差しを受けてキラキラと光っている。 とても気持ちのいい2時間の航海を終えて、午後1時に徳島港に到着。さっそく市内を走ってみる。 ちょうど7ヶ月ぶりの徳島はなんだか懐かしかった。知っている土地、知っている風景をもう一度リキシャで走るというのはほとんど経験がないだけに、ちょっと不思議な感覚があった。 県庁近くの商店街に店を構えるシュウマイ屋さんでは、蒸したてのシュウマイをお腹いっぱいご馳走していただいた。肉がやわらかくてジューシーな本物のシュウマイ。ご主人は台湾が大好きで、何度も台湾に行って屋台の料理を食べ歩いているのだそうだ。そこで覚えた本場の味なのだろう。 僕が沖縄から北海道まで旅してきたのだというと、それは大変なことやったなぁと、またシュウマイを一盛り出してくれた。 「沖縄もよう行ってたんよ。まだ沖縄が日本やなかったときにな。アメリカに占領されてた時代や。でもその頃の沖縄はええところやったよ。人も文化もむしろ台湾の方に近かった」 ![]() 【シュウマイを包むご夫婦】 旅の最初に訪れたときにも、徳島の人は親切だった。お遍路さんに対する「お接待」の文化があるからなのか、旅人に対してとても優しかった。それは二度目の徳島でも同じだった。 野菜ジュースをご馳走してくれたのはカンカン帽を被った若い女の子だった。彼女は「ベジフル」という自然農で作った野菜を使ったジュースを出すお店で働いている。まだできてから3ヶ月しか経っていない新しい店だが、健康志向の強いお客から支持されているようだ。 何でも好きなジュースを頼んでください、と言われたのだが、カウンターに並んでいるのはどれも味が全く想像できないジュースばかりで戸惑ってしまった。 「こちらはいかがですか? モロヘイヤと小松菜のジュースです」 「モロヘイヤと小松菜? うーん、それは・・・」 「まぁ騙されたと思って飲んでみてください。おいしいですから」 そう言われて出てきたのは、当然のようにモロヘイヤ&小松菜の緑色をした液体。誰がどう見ても青汁である。こんなものが本当においしいのだろうか。ちょっと信じられない。 しかし僕の予想を裏切って、このジュースはなかなかいけた。フルーツジュースのように甘くはないけど、青野菜の臭みはちゃんと消えているし、喉ごしも悪くない。野菜とフルーツのミックスの仕方が絶妙なのだろう。 「これでビタミンを取って、ゴールまで頑張ってくださいね」 と彼女は素敵な笑顔で言った。ありがとう。頑張ります。 ![]() 【左がベジフルの斎藤さん。帽子がよくお似合いですね】 住宅街の中を走っているときに、「写真を撮ってもいいですか?」と声を掛けてきたのは専門学校生のリサさん。一眼レフデジカメを首にぶら下げて町中をうろうろしていたら、たまたまリキシャが通りかかったというわけだった。 「今日はとっても天気がいいじゃないですか。だから学校を早退してきたんです」 「天気がいいから?」 「はい。ちゃんと先生にも許可を取ってきたんですよ。『今日は天気がいいから写真を撮りに行きます』って」 なんて自由な学校だろうか。彼女が通っているのはグラフィックデザインの専門学校らしく、「書を捨ててよ、街へ出よう」なんてことに理解があるのかもしれないが、それにしても自由ですね。 リサさんは「5円タクシー」の乗客になってくれたのだが、バッグの中からどうしても財布が見つからなかったので運賃は払ってもらえなかった。 「ごめんなさい。お財布忘れてきちゃったみたいです。どうしよう。何か特技を披露しましょうか?」 「5円分の特技?」 「はい」 これまで何百人もの人にリキシャに乗ってもらったが、そんなことを言い出した人は彼女が初めてである。ユニークな発想だ。 「こういうのはどうです? わたし腕を360度ねじることができるんです」 彼女はそう言って、右腕を一回転ねじってみせてくれた。確かに関節は普通の人よりも柔軟なようだ。すごいといえばすごい。それに5円の価値があるかどうかは見る人次第だと思うが。 ![]() 【この状態で腕を360度ねじっているんです】 「でもそれって難しいことなの?」 別に彼女を疑っているわけではなかったのだが、何となく僕にもできそうだったのでやってみると、実際にできてしまったのである。なんだ腕ってこんなにねじれるんだ。 「あらー、できちゃいましたね。困ったなぁ」と彼女は苦笑いした。 「別にいいよ。今のが運賃ということにしておきましょう」 「今度会ったときに払います。絶対に払いますからね」 「じゃあそうしてください」 徳島市を北上して鳴門市に向かう。旅の最後にどうしても会っておきたい人が鳴門市にいたのである。 島津おばあちゃん。畑にはえている大根を二本もくださったおばあちゃんである。日本一周を達成できたら、あのとき撮った写真を渡そう。そう決めていたのだ。 島津おばあちゃんと出会った場所はだいたい記憶していたから、あとはそれを頼りに家を見つけるだけだった。付近の家の表札を一軒ずつ確かめながらリキシャを走らせていると、向こうからよく日に焼けたおばあさんが自転車に乗ってやってきた。あぁ、大根おばあちゃん! 「あらー、あんた前におうた人やねぇ!」 おばあちゃんは顔を皺だらけにして笑った。彼女もちゃんと僕のことを覚えてくれていたようだ。よかった。こんなかたちで再会できるとは、やはりご縁があるのだろう。 「いま梨を売っているところなんよ。あんたもよかったら一緒に来なさい。おいしい梨あげるから」 というわけで僕はおばあちゃんの自転車の後ろについて、国道沿いにある梨の直販所に向かった。このあたりには梨畑が多く、それを直接売る店もぽつぽつとあるようだ。島津おばあちゃん自身は梨農家ではないが、友達から頼まれて1年のうち3ヶ月だけ販売所で働いている。 ![]() 「私も人と話すんが好きやから、商売するんは楽しいよ。頭も使うから、ボケんしな」 3月に出会ったとき、おばあちゃんは「健康の秘訣は前向きに生きること。毎日働くこと」だと言った。ちゃんとそれを実践しているのだ。なんだか嬉しくなってしまった。 「あんたとまた会えるとは思わなんだよ」とおばあちゃんは言った。「それがこうやって会いに来てくれるんだからなぁ。ほんとに嬉しいよ」 おばあちゃんは売り物の梨をひと山持たせてくれた。「新高」という品種の梨はものすごく大きくて、通常の梨の3倍はあるのだが、それを4つも持たせてくれたので、リキシャの荷台は梨で溢れそうになった。 あのときと同じじゃないか、と僕は思った。泥付きのままのぶっとい大根を二本もくれたおばあちゃん。僕が「旅をしているからもらっても困るんです」と言っても、全く聞く耳を持たなかったマイペースぶりは今回も健在だった。 「どうもありがとうございました。これは家族へのお土産にしますよ」 「あんた嫁さんがおるけぇ。そうか。それじゃ次来るときは子供も連れて来たらええ。あんたは孫みたいなもんだからな。ひ孫の顔を見せに来てくれぇよ」 ![]() この日泊めていただいたのは、鳴門市に住む宮崎さんのお宅。旅の初日も泊めていただいたのだが、再び徳島を訪れるつもりだと連絡すると、「ぜひまた泊まってください」と招いてくださった。 宮崎さんの家では、宮崎さんが勤めるパン屋さんの新人「こてっちゃん」が待っていた。彼女は「5円タクシー」の運賃として、ぴかぴかに磨いた5円玉と青いビーズで作ったネックレスを作ってもってきてくれた。「ご縁ネックレス」。南太平洋の島にある貝で作った貨幣みたいにずっしりと重くてきれいだった。 それから僕ら三人は鳴門駅のそばにある「くいしん坊」というお好み焼き屋に行った。この店のおかみさんはよく喋る陽気なおばちゃんだった。旦那さんを亡くしてからはずっと一人でお店を切り盛りしているのだが、あと5年、80歳になるまでは続けるつもりだという。「年金だけでは心許ないから」というのが本人の弁だが、本当は働くのが好きなのだと思う。 僕が働いているおかみさんにカメラを向けると、彼女は照れて顔を背けた。 「わたし写真は苦手なんよ。いっつも変な風に写るから。撮ってもええけど、後で修正してくれるか?」 「そのままで十分にきれいですよ。修正なんてする必要はありません」 「まーたそんなうまいこと言うて。でも年取ってくるとな、足も動かんようになるし、髪の毛だって薄くなる。そういうもんよ」 ![]() 【くいしん坊のおかみさん。75歳には見えない】 お好み焼き屋さんを出てから、寿司屋に行った。回るお寿司ではなくて、本格的な寿司専門店である。 「今日は僕のおごりですから、好きなだけ食べてください」 と宮崎さんが言うので、普段はまず食べることのないネタが大きくて新鮮なお寿司を目一杯食べさせていただいた。はぁ幸せ。若いこてっちゃんは「こんなおいしいお寿司食べたのは、生まれて初めてです」と感動に打ち震えていた。 宮崎さんのリキシャ旅への思い入れは相当なもので、ブログやツイッターを毎日チェックするのはもちろんのこと、僕自身が書いたかどうかもよく覚えていないことまでしっかりと記憶しているのだった。そこまで熱心な読者はそう何人もいないだろう。 「ついにゴールなんですね」と宮崎さんは言う。「もちろん嬉しいんだけど、明日で旅が終わっちゃうというのは正直寂しいなぁ」 そんな風に言ってもらえるのは本当に嬉しいのだけど、どんな旅にも必ず終わりがある。永久に旅を続けるわけにはいかない。 だけど、ひとつの旅の終わりは、また別の旅のはじまりに繋がっている。 ![]() 【パン職人の宮崎さん】 「僕はパン屋で働いているから、長く旅をすることができない。だからこそリキシャの旅に自分自身を重ねていたのかもしれません。この徳島をスタートしたリキシャが、沖縄を走ったり、北海道で故障したりしている。今日もどこかの空の下を走っている。そう思うと、よし今日も一日仕事を頑張ろうって気持ちになれたんです」 宮崎さんははたらきものである。毎日早朝3時に出勤してパンの仕込みを始める。何週間も休みが取れないこともざらで、夜は疲れ切ってビールを飲んで寝るだけという日も多い。 彼のような「はたらきもの」を写真に撮ろうとするとき、やはり自分自身が「はたらきもの」にならなければいけないという気持ちがどこかにあった。 それが体力を限界ギリギリまで使って毎日リキシャを漕ぎ、強風や雨や峠道に立ち向かわせる力になったのだと思う。 *********************************************** 本日の走行距離:40.4km (総計:6521.2km) 本日の「5円タクシー」の収益:955円 (総計:74605円) ***********************************************
また雨である。
「俺になにか恨みでもあるのか?」と天に毒づきたくなるような激しい降りの雨で、大阪の街は白く煙っている。 本来ならリキシャはお休みしたいところだが、そうも言っていられない。前にも書いたように手持ちのカードは全部使い切ってしまっているので、日程に余裕がないのである。とにかく行けるところまで行こう。 堺市を出発して、国道26号を西へ進む。 大阪の街は交通量が多く、しかも運転マナーの悪さでも知られているから、国道を走るのには神経を使った。とはいえ後ろからあおられたり、罵声を浴びせられたりというようなことは全くなかった。助手席の窓から「がんばりやー」と声を掛けてくれる人も多い。ただ、大型トラックが跳ね上げるしぶきがまともに体にかかることがあって、それが体を冷やすのは堪えた。 雨は周期的に強まったり弱まったりを繰り返していた。1時間激しく降ると、次の1時間はお休みするという具合だ。激しい降りだとブレーキも効かなくなり危険なので、どこか屋根の下を見つけて休む。小ぶりになってくるとまたリキシャにまたがる。当然ながらいつも以上にスローペースでしか進めなかった。 泉佐野市を抜け、阪南市に入る。ここで和歌山に向かう峠道・山中渓に入る。山の中では雨は細かい水滴になって空中を浮遊していた。まるで雲の中にいるみたいだ。視界も悪い。交通量が少ないのだけが救いだった。ほとんどの車は並行して走る阪和自動車道を通っているのだ。 雄ノ山峠を上りきり、あとは和歌山市内まで一気の下り坂だ。しかし、あまりにも急な下りでは雨でブレーキが滑って効かなくなる恐れがあるので、リキシャを降りて歩かないといけない。「下りボーナス」を生かせないのがまことに悔しい。 和歌山の市街地に到着したのは6時半過ぎ。あたりはもう真っ暗だ。 故障を抱え、雨に濡れながらも、とにかく和歌山までたどり着いたのだ。 我がリキシャは本当によく走ってくれた。心からご苦労さんと言いたい。 冷たい雨の中を走り続けて冷え切っていた体を温めてくれたのはラーメンだった。地元の有名ラーメン店「麺屋ひしお」さんが夕食をご馳走してくださったのだ。特選醤油を使ったしょうゆラーメンをすすり、サクサク衣の唐揚げを頬張ると、体が内側からじんわりと温まってきた。 ![]() ラーメン屋さんで僕を待っていたのは、醤油製造会社「湯浅醤油」の社長・新古さんである。新古さんとは3月に徳之島で一度お会いしていた。徳之島で途絶えている醤油造りをもう一度復活させるために島を訪れていた新古さんが、移動中にたまたまリキシャを発見して声を掛けてくれたのだ。 和歌山湯浅町は醤油発祥の地。鎌倉時代に中国から伝わった味噌を醸造する際に出る水分(たまり)が調味料・醤油の起源なのだそうだ。 「醤油造りで一番大切なのは、麹(こうじ)なんです」と新古さんは言う。「麹が全ての元。元が悪かったら、そのあとどんなに手を加えてもいい醤油にはなりません」 新古さんは素材にも製法にも徹底的にこだわった醤油を作ると共に、醤油という日本伝統の調味料の魅力と歴史を伝えるために学校などを回って講演を行っている。 「醤油って普段当たり前に使っているものですけど、その価値や歴史が顧みられることがほとんどない。結局『たかが醤油』なんですよ。でも和歌山には職人が丹精込めて醤油造りを行っている本物の工場があるんです。それを知ってもらえれば、『たかが醤油』が『されど醤油』に変わる。僕らはただモノを売っているだけではない。そこに込めた心を買ってもらっているんです」 ![]() 【日本一の醤油を作りたいという新古さん】 新古さんは初めてロシアを旅したときに「負けた」と思ったという。極寒の地で、食材も極めて限られている中で、人々が食べている家庭料理が目が覚めるほどおいしかったのだ。日本人が目覚ましい経済成長を遂げる中で捨てていったものを、ロシアの人々は大切に守り続けているように見えた。 「僕らは一度失われたものを取り戻さなければいけないと思うんです。可能性はあります。ちょっと前までなら醤油工場の職人になりたいなんていう若者はほとんどいなかったんだけど、今はうちにも志を持った若い人たちが集まってくるようになった。伝統のものづくりを見直しているのは、若い世代なのかもしれません」 *********************************************** 本日の走行距離:60.1km (総計:6480.8km) 本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:73650円) ***********************************************
昨日はリキシャが故障したせいで目標としていた奈良には辿り着けず、京田辺市までしか行くことができなかった。今日は再び奈良を目指し、さらに大阪まで行くことにする。
問題なのはやはりリキシャの状態だ。昨日、一応の応急処置は施したが、それがどのぐらい持ってくれるかは全くの未知数なのだ。ここ最近、ずっとリキシャに何か起こりはしないかとビクビクしながら走っている。 案の定、走り始めて10キロほど行ったところで、後輪の車軸から「ギギギ」という異音が鳴り始めた。急にペダルも重くなった。マズい。何かが引っかかっているようだ。 急いでリキシャを降りて点検してみたところ、昨日締め付けたナットには問題がなかった。そもそもナットの緩みであんな音はしない。それじゃどこがおかしいのか。 容疑者は右側のベアリングだ。前々からここが痛んでいるのは知っていたのだが、それがついに壊れて悲鳴を上げたのだろうか。でもベアリング交換となると、とても僕一人の手には負えないし、おそらく日本で同じ部品を調達するのは(例によって)かなり難しいだろう。この場で何とかできないものか。 僕はほとんどやぶれかぶれで、ベアリングを内側から押さえている金具のネジをゆるめてみた。この金具がベアリングと擦れて音を出しているような気がしたからだ。 するとどうだろう。もう音がしなくなったのである。ペダルも軽い。直ってしまったようだ。これには自分でも驚いてしまった。 もちろん本来は固定するべき部品のネジをゆるめているわけだから、その後どこか別の部分に悪影響が出る可能性は十分にある。というか間違いなく出るだろう。これは「とにかくゴールまで持ってくれればいい」という応急処置である。 ![]() 【精華町で出会った88歳のおばあさん。「歯はあらかた抜けてしもたけど、口が達者だから元気なんや」とおっしゃっていた】 そんなこんなでスタートから躓いてしまった。気を取り直して奈良に向かう。 精華町から丘をひとつ越えると平城宮跡に出た。かつて都が置かれていた場所の遺跡や、資料館などが集まる歴史文化地区だ。今年は平城遷都1300年なので、ここでもそれを記念したイベントが開かれているらしく、おおぜいの観光客で賑わっていた。 奈良市をまっすぐ南に進み、大和郡山市から斑鳩町、法隆寺の横を通り抜けて、大和川沿いを西に進み、大阪府柏原市に入った。 大阪府に入ると町工場が目立つようになる。国道沿いには金属加工や溶接といったマッチョ系の工場が立ち並んでいる。当然、製品や原料を運ぶために大型トラックがひっきりなしに出入りしているのだが、道幅は狭く、交通量も多いので、渋滞が常態化している。リキシャもすごく走りにくかった。 ![]() 奈良の人も大阪の人も気さくで、しょっちゅう声を掛けられた。特に多いのは下校途中の学生たち。3,4人の女子中学生とすれ違おうものならもう大騒ぎで、みんなして写メを撮ろうと携帯を構えるのだった。 「うわ、めっちゃすごいやん。これで日本一周やって。がんばってぇー」 コンビニでオレンジジュースを買って出てきたときに、小学校高学年ぐらいの男の子がたまたま通りかかったのだが、その反応が面白かった。 「あのー、英語話せますか?」 唐突にそう聞くのである。僕を外国人だと勘違いしているのだろうか? 「いや、僕は日本人だけど。一応、英語は話せるよ」 「それじゃブラジル語は?」 「ブ、ブラジル語? それ、ポルトガル語の間違いじゃない?」 「僕は大阪人です。大阪弁話せます」 「あ、そう」 どうも話の展開が読めない子である。マイペースというか、人の話を聞いていないというか。 「あのー、もし英語話せるんやったら、『セブンイレブン』って英語で言ってみてください」 「セブンイレブンは英語だと思うけど」 「だからー、『セブンイレブン』って英語で言ってぇな」 この子は相当にしつこく『セブンイレブン』と言い続けていた。日本人にセブンイレブンと発音させて一体どうしようというのか。正解がわからない問いかけであった。どうせぇいうねんな。 大阪では普通の人々の会話が漫才みたい聞こえる、なんて話を東京の人から聞くことがあるが、確かに大阪人は独特の間というか会話のテンポを持っていると思う。この子にも大阪人の血がしっかりと流れているのだろう。 柏原市から藤井寺市を抜けて堺市に入ったところでタイムアップ。日没になったので、本日はここまでにする。 まだ和歌山まではかなりの距離を残しているが、何とか明日中にたどり着きたい。 *********************************************** 本日の走行距離:54.4km (総計:6420.7km) 本日の「5円タクシー」の収益:15円 (総計:73650円) ***********************************************
心配していた雨もあがって、雲間から日差しがさんさんと降り注ぐ天気になった。
今日は京都の実家を出発して奈良に向かう予定だったが、最初からつまづいてしまった。右リアのタイヤがパンクしていたのだ。真夏の猛暑で立て続けにパンクして以来のタイヤトラブルである。さっそく近くの自転車屋で修理をお願いする。 京都には自転車屋さんが多い。もちろん自転車に乗っている人が多いからである。市街地は平坦だし、地下鉄網も発達していないし、街の規模もさほど大きくないので、自転車で移動するのにうってつけの街なのだ。もちろん京大生はみんなチャリ通である。 僕がリキシャを持ち込んだのは京都大学にほど近い自転車屋で、若いお兄さんが4,5人体制で働いている忙しそうな店だった。お客さんもひっきりなしにやってくる。他の地方都市では老後の趣味でやっているような自転車屋も多いのだが、そういうところとはまるで雰囲気が違う。 自転車屋のお兄さんによれば、リキシャのタイヤは三輪とも溝が見えないぐらいすり減っているが、相当に分厚いタイヤなのでまだまだ使えるだろうとのことである。 「この状態でも、普通の自転車用タイヤの二倍ぐらいの厚さがあると思いますよ」 それならば安心だ。ゴールまで持ってくれることだろう。 ![]() 【京都タワーとリキシャ。案外マッチしている】 出町柳から鴨川沿いの川端通りを下って、三条、祇園、京都駅を通り過ぎ、伏見に向かう。今日のリキシャは追い風を受けているので快調だ。 伏見ではど派手な原付バイクに乗ったおじさんに出会った。阪神タイガースの旗を何本も立て、ヘルメットもタイガースのシールで埋め尽くされている。誰がどう見てもトラ党である。 ![]() 「今年のタイガースは調子いいんじゃないですか?」 と水を向けると、おじさんは嬉しそうに顔をほころばせた。 「そやなぁ、昨日マジックも点灯したからな。でもこれからの試合8勝1敗のペースで行かんと厳しいんや」 「それは難しいですね」 「そうやなぁ。明日は甲子園に行くんや。阪神巨人戦があるからな。にぃちゃんも応援しに来てくれたらええわ。あぁ、でも当日券はもうないやろうなぁ・・・」 「もしタイガースが優勝したらどうするんですか?」 「川に飛び込むよ。道頓堀やないよ、鴨川や。それからみんなで酒飲んで騒ぐ」 おじさんはタイガースファン歴は50年以上の大ベテランだが、このトラキチバイクに乗り始めたのは2年前からだという。 「いや、俺のバイクも派手やけどな、にぃちゃんのには負けるで。みんな写メ撮りよるやろう? ほやけど、どうやってこんなもんこさえたんや?」 「これは自分で作ったんじゃないんです。バングラデシュって国から持ってきたんです」 「へぇ、バングラデシュ。そうか。俺はよう知らんけど、バングラデシュには野球あるんか?」 「いや、野球は誰もやってないですね。その代わりクリケットが盛んです」 「クリケット? そんなのがあるんか。聞いたことないなぁ。でもにぃちゃん、今年は絶対に阪神優勝や! 間違いないわ」 そんなかみ合っているのかかみ合っていないのかわからないような会話をしばらく続けた後、おじさんはタイガース旗をなびかせながら走り去っていった。 ![]() 【理髪店のご主人】 順調に走っていたリキシャに異変が起こったのは、城陽市から京田辺市に入ったところだった。 ペダルを踏み込んでも、その力がタイヤに伝わらずに空回りするようになったのだ。それまでに経験したことがないトラブルだった。 まず疑ったのは一度折れているクランク周りだが、これには異常がなさそうだった。ペダルの力はクランクを通じてギアを回し、それがチェーンを駆動させて、後輪のフリーホイールを回し、車軸を回転させている。ここまでは問題ない。しかし車軸は回転するのに、タイヤに駆動力が伝わっていない。 僕の知識と装備では手に負えそうになかったので、自転車屋を探すことにした。故障が発生した場所から3キロほど離れたところにバイク屋兼自転車屋があって、そこのお兄さんにリキシャを見てもらった。しかし反応は芳しくなかった。 「これはちょっとバラしてみんとわからへんなぁ。どういう仕組みになっとるかがわからへんから、修理のしようがない。仮にバラしたとして、これに合うような部品はたぶんうちにはないですよ」 「そうですか・・・」 予想通りお手上げのようだった。 「ここで後輪のハブをバラして、直ったらいいですよ。でも無理に直そうとして、余計おかしな事になる可能性もあります。動かすことすらできなくなったら困るでしょう?」 もっともな意見である。仕組みもわからない機械をいきなり直せという方が間違っているのだ。バングラデシュにはリキシャ専門の職人が山ほどいて、どこをどうすれば直るのかみんなわかっている。しかしここは日本なのだ。ありもので何とかするしかない。 しばらくバイク屋さんと議論を重ねたが、なかなか突破口が見いだせなかった。これはリキシャを押して歩くことになるのか。そう覚悟を決めた。北海道で一日63キロ歩いたときの記憶が蘇ってくる。あんな辛い思いをするのは一度で十分だが、最悪のときにはそうするしかない。 でも待てよ、何かを見落としているかもしれない。そんな気がして、再びペダルと車軸の様子をじっくり観察してみた。やっぱりそうだ。ホイールの取り付けナットが緩んでいるんじゃないか。これを締めればうまく行くかもしれない。バイク屋さんにお願いして、特大のスパナでデカいナットを締め付けてもらった。 「でも常識的に考えたら、ここを締めたからって空回りが収まるとは思えんのやけどなぁ」とバイク屋さんは言う。「このナットはあくまでも脱輪防止用のために付いているもので、ここの締め付け圧力が車軸のトルクを受け止めてるとは考えにくいんです」 おっしゃる通りである。でも日本の常識はバングラデシュでは通用しないかもしれないのだ。 果たして、この「ナット締め」作戦は見事に成功した。空回りがなくなったのだ。バンザイ。こんなに簡単に直るとは。 「ほんとに直りましたねぇ。びっくりや。でもこれからも同じような故障が起きるかもしれませんよ。保証はできません」 「そうですね。でもとにかくあと100キロだけでいいからまともに走ってもらいたいんです」 ![]() 【これが問題のナット】 リキシャはもうボロボロである。クタクタのヨレヨレである。それは僕がよく知っている。 でもあと一息、何とか踏ん張ってもらいたい。 もうムチは入れない。いたわりながら一緒に進もう。 頼むぜバディ。 あとちょっとだ。 ほんとにちょっとなんだからさ。 *********************************************** 本日の走行距離:34.9km (総計:6366.3km) 本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:73635円) ***********************************************
快晴の朝。風もなく穏やかな琵琶湖の湖面が、朝日を受けてまぶしく輝いている。
文句のつけようのないリキシャ日和だった。少なくとも午前中までは。 本日は琵琶湖の北端から湖の西岸を南下して、大津市から京都市に向かう。5月には琵琶湖の東岸を走っているから、これでほぼ琵琶湖一周したことになる。ちなみに琵琶湖を自転車で一周することを業界(←何の?)では「びわいち」と言うらしいが、僕の場合は「ほぼいち」である。 ![]() マキノ町の湖西道路を走っていると、ヒガンバナが一面に咲く場所に出た。松の木漏れ日の中に、真っ赤なヒガンバナが何百本も並んでいる。地元の写真愛好家たちもヒガンバナにレンズを向けていた。 「ここは写真仲間のあいだでは有名なんですよ」 と愛用のペンタックスと重そうな三脚を抱えたおじさんが言った。 「ヒガンバナは撮るのが難しいんです。私なんかだとどうしてもクローズアップで撮ってしまう。上手い人だと全体の雰囲気を捉えるような写真を撮るんですけどね」 僕も花や自然を撮るのは苦手である。目で見たイメージと、撮った写真とのあいだにズレがある。まだまだ修行が足りないようだ。 ![]() 昼頃から向かい風が強まり、穏やかだった琵琶湖の湖面にも大きな波が立つようになった。いつの間にか空は暗い雲に覆われている。天気は下り坂のようだ。 堅田を通り過ぎ、雄琴にやってきた。雄琴には昔から名の通った歓楽街、いわゆるソープ街がある。ラブホテルやソープランド、飲み屋、アダルトショップなどがひしめく夜の街である。しかしぱっと見たところ、どれも一様にうらびれている様子だ。看板は色あせ、ホテルの壁には長いひびが入っている。今はあまり栄えてないようだ。 平日の午後2時過ぎだというのに、ソープ店の前にはちゃんと客引きの男が立っていた。スキンヘッドに口ひげを生やしている。見るからに堅気じゃなさそうだ。しかしこの客引きのおじさんは、僕のリキシャを見るなり両手を高々と挙げて「おー、がんばれよー!」と声援を送ってくれたのだった。笑顔は意外にチャーミングだった。 雄琴の外れでも明らかに「そっち系」のなりをした人に話しかけられた。昇り龍を刺繍したトレーナーを着て、濃いサングラスをかけ、頭はパンチパーマ。車は当然のようにベンツで、窓には全てスモークを貼っている。そういう「ミナミの帝王」からそのまま抜け出してきたような人が、映画の中ではなく現実にいるということにちょっと驚いてしまう。ある意味ではこれもコスプレだ。 「にぃちゃん何しとるんや?」 と銀次郎(勝手に命名)は言った。 「これで日本一周しているんです」 「これでって、このデコトラみたいな自転車でか? かー、シャレにならんなぁ、にぃちゃん。まぁ頑張って」 銀次郎はそう言うと、僕に缶コーヒーをひとつ放ってくれた。銘柄はBOSS。もちろんブラックだった。 ![]() 【安曇川という町では、扇子を作っている職人さんに出会った】 午後からは向かい風に邪魔されて、なかなかリキシャのスピードが上がらなかった。雲行きが怪しかったので、雨が降らないうちにできるだけ進もうと懸命にペダルを漕いでいたのだが、健闘もむなしく浜大津の手前で雨が降り始めてしまった。 最初はぽつぽつと、しかし30分もしないうちに本降りに変わった。カッパを被って走り続けるも、腕も足もズボンも靴も何もかもずぶ濡れになってしまった。雨宿りをしたところですぐには止まないだろうから、とにかく走り続けるしかない。 ![]() 浜大津から山科に向かう国道1号線は長い上り坂である。昨日の峠道に比べたらたいしたことないのだが、容赦なく降る雨に気力と体力を削がれた。 反対側の車線は帰宅ラッシュのための渋滞で車が列をなしていた。ハンドルにもたれかかった運転手が不思議そうな顔でリキシャを眺めている。降りしきる雨に打たれながら、やたら派手な三輪車を引っ張って歩いている男。こいつはいったい何をしているんだ、というクールな表情だ。 雨の日は下り坂も難所になる。リキシャのブレーキが効かなくなるからだ。フルブレーキをかけても止まらなくなる恐れがあるので、急な下りはリキシャを降りて歩く羽目になる。せっかく上ったのに、そのエネルギーを生かせないのは悲しい。 山科から蹴上まで下り、南禅寺の横を通って白川通りを北上する。 実家に到着したのは6時半。 体が芯から冷えてしまったので、熱い風呂に入って体を温めた。 *********************************************** 本日の走行距離:75.6km (総計:6331.4km) 本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:73625円) ***********************************************
すっきりと晴れ上がったリキシャ日和の朝だ。気温も20度前後と涼しくて、かいた汗もすぐに乾いていく。
越前市のおじさんの家を出発して、山を越えて敦賀に向かう。 国道8号線はアップダウンの激しい道。長いトンネルと、険しい上りが続く。 ![]() 坂道を下ると敦賀湾が見えてくる。穏やかな海に漁船がいくつか浮かんでいる。 国道沿いには越前ガニを出す巨大な食堂が並ぶ。そこに観光バスが何台も横付けされて、ぞろぞろとお客が降りてくる。「カニ食べ放題ツアー」かなにかのツアー客なのだろう。いいなぁ、カニ。 ![]() 【敦賀湾を望む】 敦賀は取り立てて面白味のある町ではなかった。道幅の広い商店街があるが、大半はシャッターを下ろしている。大音量でFM放送が流れていて、それがかえって寂寥感を増幅させている。 敦賀市を抜けて161号線に入ると、本日二度目の山越えだ。これがキツかった。本当にキツかった。午前中の山越えでかなり体力を消耗していただけに、よりハードに感じた。 ひたすらリキシャを引っ張って歩くこと2時間。曲がりくねった峠道がまるで永久に続くかのようだ。「このカーブを曲がったら、次は下りか」と期待するのだが、また一段と傾斜の急な上り坂が待っているのだった。期待するから裏切られると気落ちする。余計な期待は禁物だ。何も考えずに歩こう。 次第に足を休める時間が長くなる。 ペダルを左足に引っかけてリキシャを止め、乱れている呼吸を整える。汗がしたたり落ちる。ペットボトルの水を口に含む。深呼吸をする。 これが最後の難関なんだ。この峠を越えて関西に入れば、あとはゴールの徳島までたいした山はないはずだ。最後だ。頑張れ。そう自分を鼓舞する。 ![]() 一歩ずつ坂を上っていく。途中で右足のふくらはぎがつる。強い痛みが走る。両手でマッサージして、何とか痛みが治まる。また歩き始める。 これまで越えてきた数々の難所を思う。大分の九六位峠。あれはとんでもない傾斜だった。箱根越えはもちろんキツかった。北関東の猛暑。北海道の強い風。リキシャと歩いた63キロ。それぞれに違うキツさがあった。しかしそれを乗り越えて、ここまでやってきたんだ。ここでへこたれているわけにはいかない。 ようやく頂上らしき平坦な道に出た。しばらく走ると福井県と滋賀県の県境が見えてきた。ここが峠の頂点なのだろう。県境というのは、たいてい最も山深いところに設けられているものだ。 半分放心状態でゆっくりとペダルを漕いで進んでいると、突然近くの茂みからけものが飛び出してきた。鹿だった。慌ててブレーキをかける。鹿の方もリキシャに驚いたらしく、後ろ足を跳ね上げるようにして道路を横切って、反対側の藪の中に消えていった。 頂上を過ぎてしまえば、あとは楽ちんである。ため込んだ位置エネルギーを解放するだけだ。2時間かけて上った坂を20分で一気に駆け下りてくる。 ![]() 琵琶湖畔に到着したのは午後6時。ちょうど日が沈む頃で、肌寒い空気が流れていた。 マキノ駅の近くで夕食を食べようとお好み焼き屋さんに入った。すると客の一人がリキシャを見て「これなんや?」と声を掛けてきた。 「これであの峠を越えてきたんかいな。そら大変ですわ。せめて変速でもつけたらよろしいのに」 久しぶりに聞く関西弁は、気持ちをほっとさせてくれる。素直な驚きや気持ちの抑揚をそのまま言葉にしている感じ。飾り気のない言葉だ。 「これでどこまで行くんですか? ほぉ、徳島まで。ほなあと少しですな。いやぁ、それ聞いてほっとしましたわ。これから沖縄まで行く言われたらどないしようかと思うところやったわ。まぁ気ぃつけて。旅は最後の最後まで何があるかわからしまへんからな」 おっしゃる通りである。最後の難所を越えたからといって、簡単に気を抜いてはいけない。 ゴールまでおよそ200キロ。最後まで慎重かつ大胆にまいりましょう。 *********************************************** 本日の走行距離:64.0km (総計:6255.9km) 本日の「5円タクシー」の収益:1120円 (総計:73625円) *********************************************** < 前のページ次のページ >
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■ たびそら (公式サイト) ・ フォトギャラリー ・ 旅行記 ・ 通信販売 ■ 三井昌志プロフィール 旅写真家。1974年生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は6冊。旅した国は37ヶ国。 2010年には「バングラデシュ製のリキシャで日本一周」という本邦初の旅を行いました。 ■ 三井昌志の作品集 ![]() 「CD-ROM版・東南アジア旅行記」 ブログ未公開の旅行記46回と、高画質写真ファイル1377枚を収録したボリュームたっぷりの電子書籍です。 ![]() 「CD-ROM版・インド一周旅行記」 ブログ未公開の旅行記36回と、高画質写真ファイル972枚を収録したボリュームたっぷりの電子書籍です。 ■ 三井昌志の本 ![]() 「この星のはたらきもの」 「働く人は美しい」をキーワードに、働くこと、生きることの喜びにあふれた人々の表情を世界中から集めました。 (2009/10 パロル舎) 「スマイルプラネット」 この世界にたったひとつしかない、とびきりの笑顔を探して、ぼくは旅に出た。かけがえのない「笑顔の星」へのメッセージがつまった一冊。 (2008/10 パロル舎) ![]() 「子供たちの笑顔」 笑顔には国境なんてない。遊び、学び、働き、共に笑う…。アジアで暮らす子供たちのありのままの姿を収めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「美少女の輝き」 ある時期に現れ、ある時期になると消えてしまう。そんな特別なオーラを身につけた少女たちの輝く瞳を集めた写真集。 (2006/08 グラフィック社) ![]() 「素顔のアジア」 津波後のインドネシアや内戦後のアフガニスタンを歩き回り、人々の逞しさと笑顔の価値を知った。旅写真家の新境地。 (2005/09 ソフトバンク・クリエイティブ)
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