カテゴリ:リキシャで日本一周( 152 )
131日目:秋田の海(秋田県秋田市→にかほ市)
 午後から大雨に警戒して下さい。
 朝のローカルニュースでアナウンサーは確かにそう言っていたのだが、結局今日まとまった雨は一度も降らなかった。それどころか、午後になると雲が晴れて爽やかな青空が広がった。おいおい、大雨はいったいどこに行ってしまったんだ?
 天気予報が外れるのは珍しいことではないが、ここまでの「暴投」は珍しい。もちろんいい方に外れるのは嬉しいのだが。


【秋田のお葬式では派手な花を並べるのが習わしになっている。まるでパチンコ屋ですね】

 午後からの雨を警戒して、早めに宿を出た。秋田市から由利本荘市、もし雨が降らなければもう少し先まで進む予定だ。
 秋田市を出て、国道7号線を日本海に沿って進む。
 今回の旅では日本中の海を見てきた。南国の色鮮やかな海、瀬戸内の穏やかな海、コンクリートとコンビナートに埋め尽くされた太平洋ベルト地帯の海、オホーツクの寂しい海。船の往来の多い海があり、島が多い海があり、ゴミだらけの海があり、誰もいない海があった。水の色も、波の高さも、潮のにおいも、それぞれ微妙に違っていた。日本は海に囲まれた島国であるという常識を改めて確認した5ヶ月だった。

 秋田の海は「寂しい海」の仲間に入るだろう。ときどき思い出したように漁村が現れる以外、ほとんどの場所で海はただの海だった。水平線の彼方まで目を凝らしても、海水と雲以外には何もない。人の営みを感じることのない広大な自然が続く。





 由利本荘市を通過する頃には天気はすっかり回復していたので、さらに先のにかほ市に向かう。仁賀保の町で畑の草刈りをしているおじさんに出会った。
「これは何を植えているんですか?」
 と声を掛けると、おじさんは「グィーン」というけたたましい騒音をまき散らす草刈り機のエンジンを切って返事をしてくれたのだが、秋田訛りが強すぎてなかなか理解できなかった。
「ぐんたんよ」
「ぐんたんって何ですか?」
「あのよぉ、せぇふのほうが決めたことでよ、60町ある土地の20町は他の作物にしなきゃならねぇんだけども」
「ああ、減反ですね」
「んだ」
 おじさんが手入れをしていたのは枝豆の畑だった。もともとは米を作っていたのだが、減反の割り当てによって枝豆に植え替えたのだという。
 おじさんは最新草刈り機の性能や、害虫であるカメムシの駆除の方法や、南極探検隊の隊長だった白瀬中尉がこの町の出身であることなどを教えてくれたのだが、正直なところ話す言葉の七割は理解できなかった。津軽弁も難解だったが、秋田弁もそれと同じレベルである。しかも秋田の人は早口で、こっちが理解できようができまいがお構いなしに話し続ける傾向があるので、置いてけぼりを食らってしまうのである。



 枝豆のおじさんが熱心に勧めてくれたので、すぐ近くにある「白瀬南極探検隊記念館」に向かったのだが、月曜はあいにくの休館日だったので入ることができなかった。残念。
 にかほ市にはTDKの工場がいくつもあるのだが、これはTDKの創設者である齋藤憲三氏がにかほ市の出身であるためらしい。
 もっともTDKの工場以外にはこれといった産業がなく、にかほ市の人口も減少の一途を辿っている。数年前まで八王子に住んでいたというおじさんと話をしたのだが、30年以上勤めていた東京のメーカーをリストラされ、7年前から故郷に戻って農業を始めたのだそうだ。ここでも主な農業の担い手はセミリタイヤした人たちで占められているようだ。



 にかほ市には温泉を売りにした宿泊施設がいくつかあって、そのうちのひとつに泊まることにした。外観はかなりうらぶれていて、壁のひび割れなんかもそのままという有様だったが、広々とした和室から眺める日本海はとても美しかった。オフシーズンだからなのか、いつもこうなのかは知らないが、宿泊客もほとんどいなくて、大浴場も貸し切り状態だった。はぁ極楽。



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本日の走行距離:66.8km (総計:5517.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:71140円)

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by butterfly-life | 2010-09-15 20:58 | リキシャで日本一周
130日目:八郎潟の皮肉(秋田県能代市→秋田市)
 昨日は大雨だったのでリキシャはお休みして、宿で休養を取った。
 今日は雨も上がったので張り切って出発する。
 能代市から秋田市まではほぼ平坦な道のりだった。向かい風が多少強かったが、リキシャは順調に進んだ。クランクの「ガタ」にも慣れつつある。

 国道7号線で奇妙な自転車を見かけた。普通のマウンテンバイクが小さなリアカーを引っ張って走っているのだ。「リアカー・チャリダー」とでも言ったらいいだろうか。リキシャの仲間である。僕も驚いたが、向こうはもっと驚いたようで(当たり前か)、歩道にリアカーとリキシャを並べて立ち話をした。



 リアカーのやなっち君は4ヶ月前に沖縄を出発して日本を一周している。走ってきたルートも旅の期間もこれまでの走行距離も、僕のそれとそっくりだった。彼が引いているリアカーは「ハコンブンダー」という名前のれっきとした市販品で、アタッチメントの金具でがっちり自転車に固定されている。これだと普通の自転車よりずっと多くの荷物を積むことができる。やなっち君はサーファーなのだが、サーフボードを自転車に積む方法を考えているときに、この製品に出会ったのだそうだ。
「僕は横浜出身なんですけど、沖縄の海が気に入って沖縄に移住したんです。でも沖縄以外の波にも乗りたいと思い始めて、この旅を計画したんです」
 まず「波」ありき。まことにサーファー的発想である。北にいい波があると聞けばそこに向かう。気ままな旅だ。
「一番怖いのはトンネルですね」
 とやなっち君は言う。
「そうだね。あれは本当に怖い」
 すかさず僕も同意する。
 リキシャでのトンネル走行の恐怖はここでもたびたび書いてきたが、それを本当の意味でわかってくれたのは彼が初めてだった。そのほかにも後輪は右よりも左のタイヤの方が減るのが早いことや、自転車と徒歩とでは使う筋肉が違うこと、特に何もない土地ではいつも以上に長い距離を走ってしまうことなど、「リキシャあるある」ネタでしばらく盛り上がった。
 僕らは20分ほど並走していたが、しだいに向かい風が強まってリキシャのスピードが落ちてきたので、やなっち君が先に行くことになった。


【国道沿いで見かけた看板。「昔の美人」というところがいいですね】

 八郎潟に面した三種町では、衣料品店を営む平塚さんのもてなしを受けた。新鮮な桃とナシ、それに高度900メートルの泉から汲んできたという冷たい水をご馳走になり、さらに「5円タクシー」の運賃として5000円をいただいた。
 平塚さんは若い頃に八王子の呉服屋で修行していたという。荒井呉服店。あのユーミンの実家として知られている店である。もちろん八王子に住む僕もよく知っている。
「八王子は呉服の激戦区だから揉まれてこいって言われて修行に行ったんです。当時は秋田にも呉服屋がたくさんあったんだ。裕福だったんです。秋田には鉱山もあったし、林業もよかったし、米もたくさんとれた。でも今ではみんなダメになってしまった。仕事がないんです」
 肥沃な泥に覆われていた八郎潟を干拓して農地に変えるという大工事が行われた昭和30年代に、町は繁栄のピークを迎えた。工事のために大勢の人が移住してきて人口も急増した。活気もあったから商売も上手くいった。干拓事業の終了後はメーカーの工場を誘致して雇用を確保した。しかしグローバル化の流れによって生産拠点を賃金の安い中国に移す企業が増え、どこも軒並み閉鎖に追い込まれている。
 平塚さんのお店も経営は厳しいようだ。車社会の到来と地元商店街の衰退、それに「ユニクロ」や「しまむら」といったチェーン店の台頭によって、地方の衣料品店はどこも苦しいようだ。倒産して首をくくった人も何人もいる、と平塚さんは言う。
「うちの店は卒業生ばっかりで新入生の入ってこない学校みたいなもんです」
「卒業っていうのは?」
「亡くなったり、なんとかホームに入ったりする人たちのこと。そうなったら二度と戻ってこられないでしょう。昔なじみのお客さんは今でもうちに来てくれるけど、その人たちがみんな卒業したら店をたたまないといけないだろうなぁ。これが時代の流れだっていえばそれまでだけど」


【道で出会ったおばあさん。ポーズがかわいい】

 平塚さんと別れてから八郎潟干拓地を走ってみた。干拓地は北海道を思わせるようなだだっ広い平地だった。収穫を待つ黄金色の稲穂が一面に広がる光景はいかにも米どころ秋田らしいが、食糧増産を目的とした干拓工事が完成した直後から「米余り」「減反」へと農業政策が転換したのは歴史の皮肉である。

 大半が農地になった八郎潟だが、一部は「調整池」として干拓されずに残されていて、そこで細々と漁を続けている人たちもいた。小さなボートを出して、シラウオやワカサギをとっているのだそうだ。透明なシラウオは佃煮にしたり、そのまま生で食べたりする。生きたまま食べる「踊り食い」をすることもあるという。干拓される前は淡水と海水が混じる汽水湖だったためにシジミが多くとれたそうだ。


【水揚げされたシラウオを選別する】


【透明なシラウオはそのままでも食べられる】



 秋田市ではチカさんとフキさんという女の子二人に出会った。
 チカさんはなんと一人でリアカーを引っ張って海岸のゴミ拾いをしてきたばかりだった。道の駅で野宿しながら、40日かけて秋田県内の浜辺を歩き回ったそうだ。あっぱれです。
 彼女が行動を起こすきっかけになったのは、広島に住んでいる友達が何気なく言った「秋田の海って汚いね」というひとことだった。秋田の海岸には漂着物やゴミが散乱していて、今まではそれが当たり前だと思っていたのだが、県外の人には異様に見えた。これはなんとかしたい。よし、それじゃまず自分がゴミを拾うところから始めようじゃないか。そう心に決めて介護士の仕事も辞めた。
「こんな野宿の旅をしたのは初めてだったんですよ。だから最初はどうすればいいのかまったくわからなくて、スーツケースをごろごろ引っ張って歩いていたんです。それが途中からリアカーを貸してくれる友達が現れて、ずいぶん楽になりました」
 目的はゴミ拾いだったけれど、それを通じて地元の人と知り合いになれたり、お年寄りから昔話を聞かせてもらったりしたのが一番の収穫だった。無償のボランティア活動だったけれど、そこから得たものはすごく大きかった。
「ゴミ拾いはこれからも続けていきたいですね。来年は仲間たちと一緒に鳥海山の清掃登山をやるつもりです。一人だとできることは限られているけど、大勢の人を巻き込んでやれば大きな力になりますから」
 自分たちの町を、海を、山を、少しでも住みやすいところに変えるためには、ああだこうだ理屈を並べ立てるより前に、ます目の前に落ちているゴミを拾う。とても大切な心がけだ。そしてそれをただの心がけに終わらせずに、最後までやり遂げたチカさんの行動力に拍手をお送りたい。


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本日の走行距離:62.8km (総計:5450.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:5005円 (総計:71140円)

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by butterfly-life | 2010-09-14 22:40 | リキシャで日本一周
128日目:秋田美人発見(秋田県大館市→能代市)
 本日は大館市から能代市に向かう。アップダウンのある山間の道を西へと進む。
 大館市の市街を走っていると、原付に乗ったおじさんが追いかけてきて、缶入りのお茶を差し入れにくれた。
「俺もな、2年前に自転車で日本縦断をしたばかりだ。今62なんだけどよ、60のときに還暦の挑戦をしてみたわけさ。北海道から鹿児島まで」
「何日かかりましたか?」
「22日だな」
「早いですね」
「そうだな。一日平均120キロ走ったもんな。でもな、65歳になったら、また挑戦するつもりなんだ。今度は日本一周をするよ」
 元気である。日本縦断自転車の旅は、かつては若者の特権のようなものだったが、今では仕事をリタイヤした人の有り余るエネルギーをぶつける場になっている。





 緩やかな上り坂をリキシャを押して歩いていると、原付バイクに乗ったおばあさんが超スローなスピードで僕を追い抜いていった。それがカナさんだった。80歳のカナさんは近くの山に遊びに行った帰りなのだと言った。
「山で何をして遊ぶんですか?」
「山にへぇてる山菜を見に行ぐんだ。食べられそうなもんがあったら、とってくるすぃ。でもぉ、今年は暑がったから、山菜もよぐねぇな」
 原付のカゴには見たこともない山菜が何種類も入っていた。どうやって食べるのか見当も付かない。これ持って行くか、と聞かれたが、もちろん丁重にお断りした。さすがに山菜はもらってもどうしようもない。
「戦争中は大変だったな。男はみんな兵隊に行ってたから、働き手がなぐて物もなかった。畑仕事に行くときでも裸足だったんだ。山に行くときはわらじさ作ってよ。電気もなかったから、山で薪さとってきて囲炉裏で調理場したすぃ」
 このあたりは林業が盛んだったので、カナさんも20年近く製材所で働いていた。給料は安かったが、仕事を選べるような立場ではなかった。必死で働かないと生きていけなかったのだ。
「今の人はものを大事にしないなぁ。まだ使えるもんでも投げるべぇ。昔だば、着物さ穴が開いても繕って使ったもんだすぃ。でも今は何でもぽいぽい捨てるべ。金さえあれば何でも手に入るからよぉ、おらが言うことは誰も聞かん」
 物のない時代から、物が溢れる時代へ。「質素倹約」から「消費が美徳」の時代へ。その変化にうまく馴染めないお年寄りが多いのは当然だと思う。まだ使える物を捨てて新しい物を買う。それが世の中に新たな付加価値をもたらし、経済を成長させる原動力になるのだと聞いても、素直に納得することができないのだ。



 別れ際にカナさんの写真を撮った。ぶかぶかのヘルメットを脱ぐと、鼻筋の通った彫りの深い顔が現れた。どこかヨーロッパ的というか、東欧で見かけた女性を彷彿とさせる。若い頃は美人で評判だったに違いない。
 写真家の木村伊兵衛が昭和20年代に秋田を訪れているのだが、そのときに撮った秋田美人の顔立ちの美しさはとても印象的だ。色白で日本人離れした顔立ちの美人が、伝統衣装を着て田んぼで働いているのだ。
「色白なのは寒いからでねぇかな。米さよぐ食べると肌が白くなるって話もあるすぃ。小野小町も秋田県の出身なんだ」
「それじゃカナさんは小野小町の子孫かもしれませんね」
「んだんだ」



 能代市では日本一周中のチャリダー大学生に出会った。
 北海道の大学に通うドモアキ君はボクサーでもあるらしく、上半身が分厚く、ファイティングポーズもさまになっていた。北海道・宗谷岬をスタートして、これから自転車で47都道府県全てを回る予定だという。旅が終わるのは11月。北海道が雪で閉ざされる前にはゴールしたいという。お互いの健闘を祈り合って別れた。



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本日の走行距離:57.1km (総計:5388.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:66135円)

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by butterfly-life | 2010-09-13 22:36 | リキシャで日本一周
127日目:リンゴと津軽弁(青森県弘前市→秋田県大館市)
 今日も青森の空は気持ち良く晴れ上がった。日差しは強いが、空気が乾燥しているので爽やかだ。「絶好のリキシャ日和」と言いたいところなのだが、リキシャのコンディションに不安が残っているので、浮き立つような気分ではない。思い切り力を込めてペダルを漕ぐとクランク周りが壊れるのではないかという考えが頭をよぎってしまうのだ。昨日も書いたように、クランク周りの「ガタ」はもはやどうにもならないので、このまま進むしかないのだが。

 弘前市を南下して、国道7号線を進む。
 青森といえばリンゴだが、やはりリンゴ畑は多かった。まだ9月のはじめなので赤く色づいているリンゴは少ないが、大ぶりの果実が枝がしなるほどたわわに実っている様子は「リンゴの国」青森ならではのものだった。
 道ばたでいただいた差し入れもリンゴが多かった。農家のおばさんはいましがた収穫したばかりのリンゴを4つもくださった。それを「道の駅」で食べていると、また別のおじさんが「がんばってな」とこれまた大きなリンゴをひとつひょいと投げてくれるのだった。うーん、リンゴの国。



 津軽弁は訛りが強いことで知られているが、本当にその通りだった。特に70歳より上の世代と話していると、意思疎通を図るのすら難しいレベルになる。相手が言っていることがわからないだけでなく、こちらが言いたいこともうまく伝わらないのだ。当然のことながら、その傾向は山奥に行けばいくほど強くなった。

 弘前市と大館市のちょうど中間あたり、林業が盛んな集落で杖をついた老人に話しかけられた。リキシャに大いに興味を持っているようだったが、僕の説明がなかなか通じないのがもどかしかった。ラオスの田舎で農夫と話をしているみたいだった。
「おめぇ名前さなにさ?」
 と老人は訊ねた。本当はもっと聞き取りにくかったのだが、便宜上こう書く。名前は何か。
「三井です」と僕は答えた。
「ん?」
「み、つ、い」
 できるだけはっきりと発音した。
「は?」
 老人は僕の名前をどうしても聞き取れない。困ったな、耳も遠いのだろうか。仕方なく筆談をしようとポケットからメモ帳を取り出そうとしたら、そばにいたおじさんが助け船を出してくれた。僕の発言を津軽弁に「通訳」してくれたのである。「みつい」を津軽弁風に発音するとどうなるのかを文字に記すのは不可能に近いが、あえて書くとしたらこんな感じだろうか。
「むぃつぉんぇ」
 母音が微妙にずれているのである。ほとんど原形をとどめていないと言ってもいい。
 なのに、なのにである。こうして「通訳」された「むぃつぉんぇ」は、見事におじいさんに「みつい」として理解されたのである。不思議だ。本当に不思議だった。


【道路標識まで津軽弁である。「急がば回れ」ではなくて、「急ぐのはダメ」という意味らしい】


 国道7号線は峠道に入った。延々と上り坂が続くので、リキシャを押して歩く。山の中は気温もぐっと下がるので歩きやすい。もう夏の空気ではない。秋の気配が濃くなっている。
 峠道を上りきると青森県と秋田県の県境である。「秋田県大館市」と書かれた標識には、なぜか秋田犬の写真が添えられていた。プリティーな道路標識ある。大館市はあの忠犬ハチ公の生まれ故郷なのだそうだ。
 自宅で秋田犬を35匹も飼っているというブリーダーのおじさんに聞いたところによると、最近秋田犬や柴犬は日本だけでなく外国でも人気が高いのだそうだ。


【缶酎ハイでほろ酔い気分のおじさん。カメラを向けると力こぶを作ってくれた】

 峠を越えると、大館市まで緩やかな下り坂が続いた。
 大館市の市街地に入ると、意外な光景が目に飛び込んできた。町の東に「大」という文字の書かれた山がそびえていたのだ。
「おぉ、あれはまさしく大文字山!」
 大きさも、かたちも、周囲の山の並び方も、京都の大文字山にそっくりだった。生まれてから約30年間を京都の東山で過ごした僕にとっては、あまりにも懐かしい光景であった。
 あとで地元の人にうかがったところ、大館の大文字山は「鳳凰山」という名前で、やはり8月16日の夜には松明で「大」の字を浮かび上がらせる行事を行うのだそうだ。
 去年はリチャード・ギア主演映画「HACHI 約束の犬」の公開に合わせて、「大」の字に「、」を足して「犬」という文字を作ったらしい。京都の「五山の送り火」では絶対に起こりえないエピソードだけど、これを思い付いた人はなかなかのアイデアマンだと思う。



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本日の走行距離:54.3km (総計:5330.9km)
本日の「5円タクシー」の収益:320円 (総計:66135円)

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by butterfly-life | 2010-09-12 21:18 | リキシャで日本一周
126日目:リキシャを修理する(青森県青森市→弘前市)
 北海道でリキシャのクランクシャフトが折れたことは既に書いたが、その代替品がバングラデシュから届いたので、2週間ぶりに旅を再開することになった。今回もサポートしてくださった「ショブジョバングラ」の三田さん、本当にありがとうございます。

 東京駅から夜行バスに乗って青森市に向かう。夏休みが終わったからか、乗客はたった6人。がらがらであった。隣のシートもゆったり使えて快適だったが、これでは走らせるだけ赤字ではないか。バス会社は大丈夫なのだろうか。
 青森は今年12月に東北新幹線の開通を控えて大いに盛り上がっている。ローカルニュースは毎日その話題で持ちきりだ。東京まで3時間で繋がる。日帰り出張だって可能になる。観光客も増えるだろう。今から皮算用が始まっている。
 でも新幹線が開通すれば、きっと高速バスの利用者はさらに減るだろうし、いくつかのバス会社は撤退を余儀なくされるだろう。なんて心配を僕がしてもしょうがないんだけど。

 朝8時半に青森駅に到着。さっそくリキシャを預けていた長崎さんのお宅に向かう。
 長崎家から歩いて10分ほどのところにあるバイク屋兼自転車屋「中村輪業」のご主人は、リキシャの登場に目を丸くした。僕が事の経緯を説明してクランクを手渡すと、
「こりゃお粗末な部品だなぁ」
 と言った。その通りなんです。新品なのに加工精度は悪く、すでに溶接跡でデコボコしている。でもバングラデシュではみんなこれを使っているのである。
「まぁ、やってみんべぇ」
 中村さんが作業に取りかかる。さほど複雑な作業ではない。ペダルを外し、ベアリングを抑えているリングピンを外し、ベアリングとクランクを外す。それから新しいクランクに付け替えて、元の位置に戻すだけだ。
 しかし部品の加工精度が悪いことが問題だった。金属部品同士がガタつかず「ぴったりと合う」ためには、0.1ミリ単位の精度が必要なのだが、バングラデシュの工場ではその技術がない。だから少し大きめに作っておいて、現場で少しずつ削りながら手作業で合わせていくしかないのである。日本では考えられないようなアバウトさだが、これがバングラ流なのである。
「でもよぉ、よくこんなもんを手作業で作るよなぁ」
 中村さんは感心したように言う。
 中村さんは初めてのリキシャに悪戦苦闘しながらも、なんとかベアリングをはめ込むことに成功した。さっそく試乗してみたのだが、微妙に違和感があった。ベアリングとフレームとのあいだにわずかな隙間があって、クランクがスムーズに回らないのである。これは回転するベアリングがフレームの金属を少しずつ削り取っていったために生じたガタのようで、応急処置で直すのは不可能のようだった。フレーム部をそっくり交換するしかない。だから多少の違和感には目をつぶって走り続けるしかないのである。これ以上悪化することがないように祈りながら。
「修理代おいくらですか?」
「あー、500円でいいよ」
「本当ですか?」
 500円とは安い。ほとんどタダみたいなものである。
「あぁ、いいよ。今日は珍しいもんを直させてもらったからな」
 と中村さんはうまそうにタバコを吹かせながら言った。中村輪業、実に太っ腹だった。



 そんなこんなで青森市を出発したのは11時。ここから国道7号線を通って弘前市に向かう。
 昼休憩のために立ち寄った峠道のコンビニで、女性チャリダーの山田さんと出会った。日本一周を目指して東京を出発し、北海道を走った後、函館からフェリーに乗って青森にやってきたという。自転車で一人旅をする女性は珍しい。ものすごく珍しい。僕はもう4ヶ月以上こうして旅を続けているが、単独女性チャリダーに出会ったのは今回が初めてである。
「ええ、よく珍しいって言われます。ツーリングしているグループの中に女性が混じっていることはあっても、女一人っていうのは見ませんね」
 山田さんは最近になって自転車にはまり、重量7キロの軽量ロードバイクを購入。仲間たちとあちこちツーリングしていたという。それが子供の頃からの夢である「日本一周」に挑戦しようというきっかけになった。
「この自転車は軽量でスピードが出るんですけど、荷物がまったく積めないんですよ。だから必要な荷物は全部リュックに入れて背負っているんです」
「リュックに?」
「だから足よりも背中や肩の方が痛くなって大変なんです」
 普通、日本一周を行うチャリダーは山田さんが乗っているような競技用バイクには乗らない。フレームもタイヤも頑丈で、両サイドに荷物が積めるようになっている自転車を選ぶ。スピードはあまり出ないが、実用性でははるかに勝っているのだ。
 山田さんは東京で歌舞伎関係の仕事をしているそうだ。だから何週間もぶっ続けで休むわけにもいかず、何日か走っては東京に戻って仕事をし、そのあとまた旅に戻るということを繰り返している。ショートトリップを繋げる旅だからこそ、荷物を少なくできるということもあるのかもしれない。
「仕事関係の人には『最近日焼けしたねぇ。どこか南の島でも行ってきたの?』なんて言われるんです。面倒だから『はい』って答えてるんだけど。『自転車で日本一周しています』なんて言えないですからね」



 3時を過ぎると、下校途中の小学生たちと頻繁にすれ違うようになった。
「こんにちわー」
 みんな元気よく挨拶をする。知っている人でも知らない人でもすれ違ったときにはまず挨拶、という教えが行き届いているのだろう。気持ちのいい習慣だ。
「何やってるんですかー?」
 一人の女の子がすれ違いざまに叫んだ。とっさのことだったので、うまく言葉が出てこなかった。
 僕はいったい何をやっているんだろう。リキシャで日本一周のだ、と言ったところで、リキシャとはなんぞやと言うところから話を始めなければいけない。それはすれ違いざまの2秒で説明できることではない。


【村に置いてあった「子供ねぷた」。小さいがカッコいい】

 青森では子供たちだけでなく、大人もとても気さくに話しかけてきた。
 車の窓から顔を出して、「ごくろうさま!」と声を掛けてくる人も何人かいた。
 何しているの、どこから来たの、どこに行くの。このあたりの質問は定番だし、「頑張ってー!」と手を振られることも多いのだが、そういうのを抜きにして、いきなり「ごくろうさま」と労をねぎらってくれたのは青森県民が初めてだった。




【少し早いが刈り取りを始めている田んぼもあった。刈り取った稲穂を吊して乾かしている】

 ママチャリに乗って国道を走っていた葛西さんも、出会ってまず最初に「ごくろうさま」と言ってくれた。被っていた帽子を脱いで、深々と頭を下げた。そこまでされるとちょっと困ってしまう。
「いや、俺も青森から弘前まで行ってきて、今帰るところなんだけど、こんな重そうな自転車で走るのは大変だなぁ。ほんとに頭が下がるなぁ」
「弘前まで自転車で何しに行ったんですか?」
「このあいだ『土俵の鬼』が亡くなったでしょ。初代の若乃花。今の貴乃花親方のおじさんだべな。若乃花が活躍した昭和35,6年はテレビがねぇ時代でさ、よっぽどのお金持ちじゃないとテレビで相撲なんて見られなかったわけさ。みんな社長の家に集まって相撲中継を見たもんさ」
 なぜいきなり若乃花の話が始まったのかよくわからないまま、僕は葛西さんの語る昔話を聞き続けた。
 初代若乃花は弘前のリンゴ農家の長男として生まれた。巡業相撲が青森にやってきたときに、力自慢の若乃花が飛び入り参加して本職の力士を倒し、それがきっかけで相撲界に入門し、ついに横綱まで登りつめた。その鮮やかな出世街道は当時の青森県民を大いに熱狂させた。郷土が誇るヒーローだったわけだ。
「若乃花の活躍にはずいぶん励まされたなぁ。よく巡業を見に行ったもんだよ。だもんで、いま弘前で開かれている若乃花のパネル展を見に行ったのさ」
 なるほど、やっと話の筋が見えてきた。故郷の弘前で初代若乃花の回顧展が開かれていたのである。
「でも青森市から弘前市まで40キロはあるでしょう?」
「そんだな。2時間半かかったな。往復で5時間だ」
「元気ですねぇ」
「まぁ他にやることもねぇからな。去年まで東京で働いていたんだけどもよぉ、退職してこっちさ戻ってきたから暇なんだ。一日どうして暮らしたらいいか困ってるところなのさ」
 葛西さんは24年間江東区の倉庫街で働いていた。家族は青森に置いての単身赴任である。お盆と正月に帰省するだけ。
「昔は酒ばかり飲んでよ、アル中になって肝硬変にまでなったことがあるんだ。もう命は短いって医者に言われて酒をやめてよ、それから36年間一滴もアルコールは飲んでない」
「そうなんですか」
「アルコール依存症っていうのは心の病なんだ。だからいくら医者が禁酒しろと言っても、本人にその気がなかったらやめられねぇ。俺は断酒会ってところで、ずっと他の人が酒をやめるのを手伝ってたんだ。ずいぶん大勢の人が助かったよ」
「青森にはアル中の人が多いんですか?」
「んだな。酒を飲むぐらいしか楽しみがないのかもしれん」
 冬になると雪に閉ざされてしまう東北地方では、アルコール依存症や自殺者の割合が特に多いという話を聞いたことがある。ロシアや東欧でも同じような傾向が見られるというから、寒さや日照時間の少なさが人に与える影響は大きいのだろう。




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本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円)

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by butterfly-life | 2010-09-11 18:42 | リキシャで日本一周
125日目:無理が必要なとき(北海道森町→函館市)
 リキシャを押して63キロも歩き続けた翌日は、どんなにひどい筋肉痛に襲われるのだろうかとおそるおそるベッドから起き上がったのだが、体へのダメージは意外なほど少なかった。もちろん体に痛みはあった。足の裏や足首、股の付け根など、歩くときに酷使される筋肉は痛んでいる。けれども歩けないというほどの痛みではなかった。
 マットレスの上でゆっくりとストレッチを行う。うん、これならば今日も歩けそうだ。そう確信してから準備に取りかかった。

 7時半に出発。森町から国道5号線を南下して函館に向かう。
 駒ヶ岳を左手に見ながら緩やかな上り坂を上っていく。やがて大沼という湖の脇を通り過ぎ、長いトンネルを抜けると一気の下り坂になった。まったく平坦だった昨日の道のりに比べると、今日はいくらかアップダウンがあったが、少しも苦にならなかった。むしろ坂道の方がリキシャと歩くのに向いていたのかもしれない。平地だとずっと同じペースで歩き続けなければいけないが、坂道だと上り坂さえ気合いでしのげば、あとはため込んだ位置エネルギーを一気に解放できる下り坂が待っているからだ。


【北斗市の農協が作った看板。北斗の農? アタタタタ、アタッ!】


【ユ、ユリアー! これってコピーライトは大丈夫なんでしょうか】


 函館のフェリー乗り場に着いたのは3時半。昨日ほど疲れていないのは、距離が短いということもあるし、リキシャを押して歩くことに体が順応した結果でもあるのだろう。人間の体というのは予想以上に適応力が高いようだ。

 津軽海峡フェリーは家族連れで混み合っていた。先月就航したばかりという新造船で、ソファも喫茶室もぴかぴかで居心地が良かった。この航路は二つの船会社がそれぞれ一日8往復ずつ船を出しているという。それだけの需要があるのだろう。

 北海道の20日間は猛烈な勢いで移動し続けた。
 雨で休んだ一日以外はひたすらリキシャを漕いでいた(または歩いていた)。北海道の大地はあくまでも広く、道はまっすぐで、家はまばらだった。その広さを自分の足で感じられたのは大きな収穫だった。流した汗によって、味わった疲労によって、喉の乾きによって、この大地のスケールを自分の体に刻みつけることができた。


【函館港から見える海。北海道では最後まで晴天に恵まれなかった】


 フェリーが青森港に接岸したのは午後9時10分。3時間40分の船旅だった。
 青森港には長崎さんが自転車で迎えに来てくれていた。長年小学校の先生をしていて、今は県の教育委員会で働いている方だ。青森市内でリキシャを預かってもらえないかと告知したところ、いち早く名乗り出てくださった。
 今夜は船着き場から歩いて20分ほどの所にある長崎さんのお宅に泊めていただくことになった。家の庭にはレンガを並べて作ったバーベキュー専用のコンロがあり、そこで野外バーベキューを楽しんだ。肉に詳しい長崎さんが用意してくださったのは、豚の喉の軟骨や、牛タン入りのつくね、イカの一夜干しといった珍しい食材ばかりだった。
「青森の暮らしで一番大変なのは、なんといっても雪かきですよ。放っておけば1日で3,40センチ積もるんです。毎朝5時に起きて家の周りの雪かきをします。それから学校に早めに出勤して、また雪かき。除雪車の運転も上達しましたよ。一番困るのは一度溶けた雪がまた凍ったアイスバーンですね。これはツルハシでガシガシ砕いてやらないといけないんです。雪かきだけでも時間と労力を相当使っていますね」
 僕は寒いところが苦手で、できることなら年中短パンとサンダルで過ごしたいと思っている(実際それに近い生活をしている)お気楽な南国気質の人間である。だからこそ、青森の雪かきの大変さや、まつげまで凍るという北海道の冬の話を聞くだけで、これはかなわないなぁと白旗を揚げたくなってしまうのだ。

「本当に函館まで歩いてきたんですね」
 長崎さんが缶ビールを手渡しながら言った。
「リキシャが壊れたっていうのをツイッターで見て、『これは予定通り青森に来るのは無理だなぁ』って妻と話していたんです。2日で100キロ歩くなんて不可能だよって」
「かなり無理はしました。でも何とかなるものですよ」
「私は小学校の先生を相手に講義をしたりセミナーを開いたりするのが仕事なんだけど、若い先生には『頑張りすぎるなよ』『無理はするなよ』って繰り返し言っているんです。真面目な子ほど頑張りすぎて、体を壊してしまうから。そうなってはいけないよって」
「最近、鬱になる先生が多いという話は僕も聞きました。確かにそういう場合には無理は禁物ですね。自分で自分を追い込んでしまうから。でも僕の場合はそれとはちょっと違うんです。体には無理をさせているけど、精神的なストレスはないんです。純粋にフィジカルな負荷なんですよ。だから耐えられる」

 鬱を患う人は生真面目な性格で、他人から期待される自分像と現実の自分とのギャップに苦しんでいる。期待に応えたい自分と、そうできない自分とに引き裂かれている。
 僕は基本的に自分勝手な人間だ。本当にやりたいことしかやらない。自分が行きたい場所に行って、撮りたいものを撮る。
 その代わり、自分がやると決めたことに対しては過剰なほど真剣に取り組んできた。自分の限界を超えたいと思ってきた。そのためにはおそらく「無理」をすることが必要なのだ。絶対にできないと思い込んでいたその「思い込みの殻」を破ったとき、確実な手応えを伴った自信を手に入れることができる。

 リキシャを100キロ漕いだ日。リキシャと共に60キロを歩いた日。
 肉体的な痛みと引き替えに、僕はかけがえのないものを手に入れたのだと思う。


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本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円)

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by butterfly-life | 2010-09-09 19:55 | リキシャで日本一周
124日目:リキシャと歩いた63キロ(北海道長万部町→森町)
 クランクシャフトが折れて漕げなくなったリキシャを函館まで押して歩くことにした。長万部から函館までは100キロ以上の距離があるが、これを二日間で歩き通すというのが当面の目標である。しかし実際にどれだけ進めるのかは歩いてみないことにはわからない。使う筋肉も違うし、体の反応も違ってくるだろうから。

 宿を出発したのは6時過ぎ。この時期の北海道では5時にはもう夜が明け始めるのだが、まだ町は静寂に包まれていた。小鳥の声に見送られながらスタートする。
 出だしは快調だった。長万部から南へ下る国道5号線は北海道でも屈指のフラットな道だから、一定のペースで歩くのにはもってこいだった。時速6キロのペースを維持しながらリズム良く進んでいく。大切なのは一定のペースを保つこと。反復に体を慣らし、リズムの中に自分を没入させることだ。
 青い道路標識に「函館100km」と書かれているのを見たときには一瞬気持ちが萎えそうになったが、すぐに頭からその数字を追い出した。そんなに先のことは考える必要はない。まずはこの1キロ、この一歩だ。

 長万部から八雲までの30キロほどの道のりは変化に乏しかった。草原と海に挟まれたスペースに、まっすぐな道が伸びている。たまに魚くさい水産加工場や、名産のカニ弁当を売る店などが現れるぐらいだ。ひたすら歩き続けるのはもってこいの道ではあった。


【お祭りの山車に使われた木材を細かく切断していた人。冬場の燃料に使うのだそうだ。8月終わりにもう冬支度が始まっているのが北海道らしい】

 今日は日本縦断や日本一周を試みている人たちと何度もすれ違った。宗谷岬周辺と同じように、函館から長万部までの道のりも日本を縦断する人がほぼ間違いなく通るルートなのである。
 大阪から自転車で日本一周をしている宇都宮君は名前を「リキ」といった。彼はリキシャという乗り物を見たのは初めてだったが、自分の名前と重なる部分があるので、大いに親近感を持ってくれたようだ。リキ君は「夢ノート」というものをバッグに入れて旅をしていた。出会った人に自分の夢を書いてもらうためのノートだという。



 リキ君は友達がバックパッカーとして世界一周をやり遂げたことに刺激を受けて、自転車の旅を始めたと言った。このあと出会った京都の大学生はチャリダーだったお兄さんの影響で日本縦断を始めた。子供の頃から自転車が好きで、できるだけ遠くまで行きたいという思いから北海道まで来た人もいたし、「ただなんとなく」沖縄から北海道まで来てしまったという人もいた。
 動機はそれぞれに違う。しかしその根本には「自分の力だけでどこまで行けるんだろう」という純粋な好奇心があるように思う。みんな真っ黒に日焼けしていた。いい顔だった。



 国道5号線をさらに下った石倉では、道ばたのゴミを拾いながらリアカーで日本縦断をしている上村さんに出会った。実は上村さんとは4月に一緒に食事したことがあった。熊本市をリキシャで走っているときにたまたますれ違って、「実は僕もリアカーで日本縦断をするんです」と言われたのだった。
 上村さんは以前、歌舞伎町でホストクラブやキャバクラをいくつも経営していたという変わった経歴の持ち主で、それがどうして各地のゴミを拾いながら日本縦断をしようなんてアイデアを実行に移すことになったのかはよくわからないのだが、とにかく重量が150キロを超えるリアカーを引っ張って毎日山道を歩くなんてことは並外れた精神力がないとできないことだけは確かだ。
「この夏は暑かったでしょう。旅を始めてから15キロも痩せちゃいましたよ」
 4ヶ月ぶりに見る上村さんは、確かにスリムになっていた。学生時代にボクシングをやっていたのでがたいは大きい方だったが、そこに精悍さが加わった。旅は人を鍛える。余分なものを削り取っていく。



 上村さんと再会した場所からわずか2キロほど南で、またリアカーを引く旅人に出会った。今日は「リアカー・デイ」である。僕も今日はリキシャを自転車としてではなくリアカー的に使っていたから、類が友を呼んだのかもしれない。
 このリアカー氏は「本当の」日本一周を試みているそうだ。一切ショートカットせずに海岸線に沿って一周をしている。そうすると日本一周は1万9000キロにもなるのだそうで、それを全て踏破するというのは気が遠くなるような話だ。
 リアカーというのは徒歩で旅する人間にとっては比較的ポピュラーな道具で、重たいバックパックを背負って歩くよりも楽に移動できるようだ。平地を進む限り、タイヤのついた乗り物はその重さをほとんど感じないのである。それは僕が今日一日リキシャを押して実感したことでもあった。もちろん山道に入ると一気にキツくなるわけだが。



 順調だった徒歩の旅が辛くなり始めたのは、八雲の町で昼休憩を取ってからだった。一度休みを入れると、その間に太ももの筋肉が固まってしまうのだ。リキシャを漕いでいるときにはなかった反応だった。普通、筋肉は休ませると再び力を取り戻す。しかし長距離を歩き続けた場合には、むしろ休むことがさらなる疲労に繋がるようだった。
 そんなわけで午後はかたときも立ち止まることなくずっと歩き続けた。水分をとったり、バナナを食べたりするときでさえ、筋肉が硬くならないように屈伸運動を続けた。人に話しかけられたときでさえ、「すみませんが歩きながら話しましょう」と言って決して立ち止まらなかった。泳ぎ続けないと死んでしまう回遊魚みたいだった。

 スタートから40キロを過ぎたあたりから、ほとんど何も考えられなくなった。足の指と太もも、それから足の付け根の筋肉が常に悲鳴を上げていたが、そんなものにいちいち耳を貸すわけにはいかなかった。痛みの感覚を一時的に遮断し、一歩ずつ左右の足を踏み出すことだけに集中する。まさに忘我の状態だった。
 その姿をたまたま見かけた人が後でメールを送ってくれたのだが、そこには「修行僧のような顔で歩いていた」と書かれていた。なるほど。何かについて突き詰めて考えている人と、まったく何も考えていない人は、同じ顔をしているのかもしれない。山伏の縦走ではないけれど、無我夢中で歩くというのはそれだけで「修行」になるのかもしれない。「歩く動物」としての人間の限界や、可能性を知るための修行。



 長万部から63キロ離れた森町に到着したのは午後7時過ぎ。あたりはすっかり暗くなっていた。13時間ほぼぶっ続けて歩いてきたが、ここら辺が限界のようだ。駅前のビジネスホテルに転がり込むようにチェックインした。
 63キロ。
 サイクルコンピューターの数字を見て改めて驚く。
 この旅を始めた頃は、リキシャを漕いで一日60キロ以上進むことすら難しかったのだ。
 よくやったと思う。


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本日の走行距離:63.6km (総計:5185.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-08 20:42 | リキシャで日本一周
123日目:リキシャがついに壊れた(北海道洞爺湖町→長万部町)
 北海道らしくカラッと晴れ上がった朝には、これが悲劇の一日の幕開けになるなんて想像もできなかった。旅のトラブルというのはたいてい前触れなく訪れるものである。油断も隙もあったものではない。

 誤算の始まりは豊浦の峠道だった。海沿いを走る37号線がこれほどまでに急な坂道だとは思ってもみなかったのだ。北海道の道は平坦で走りやすい。これまでの経験からそのような思い込みがあったのだが、それが見事に打ち砕かれた。
 上り坂は延々と続いた。トンネルをいくつも通り抜け、いったん下ったあと、再び急な上りが始まる。山のあいだから見える内浦湾は絶景である。なにもこんなに見晴らしの良い場所に道路を作らなくたっていいじゃないかと思う。絶景すら恨めしかった。

 二つ目の誤算は水不足だった。いつもなら2リットルのペットボトルに水道水を入れて宿を出るのだが、この日は何を思ったのかそれを忘れてしまったのだ。日差しは強く、きつい山道を登ると一気に汗が噴き出てくる。最初のうちは「しばらく進めばコンビニぐらい見つかるだろう」と考えていた。ところが一度山道に入ってしまうと、コンビニはおろか自動販売機すらひとつもないのである。本当にただのひとつもないのだ。
 これには参った。喉はじりじりと渇くし、汗は止めどなく流れてシャツをぐっしょりと濡らしていく。上り坂はいっこうに終わる気配がなく、気温もどんどん上昇していく。疲労の色が濃くなり、足が止まる。日陰で休む時間が多くなる。しかし休んでも喉は潤わないから、結局は前に進むしかない。

 長いトンネルを走っているときのことだった。それは37号線の山道にいくつも設けられているトンネルの中で最も長く、緩やかな上りになっているトンネルだった。ぎりぎりリキシャが通れる幅の歩道があったので、ゆっくりとペダルを漕ぎながらそこを走っていた。時速7キロから8キロというところだ。
 突然、踏み込んだ右足がガクンと下に落ちた。ヤバい! 瞬間、バランスを崩して車道に落ちてしまいそうになったが、何とかこらえてブレーキをかけた。
 もう何が起きたのかはわかっていた。間違いない。折れたのだ。クランクシャフトが。
 リキシャを降りて確かめてみる。やっぱりだ。昨日溶接してもらった所があっけなく折れている。これではペダルが漕げない。もちろん直すこともできない。完全にノックアウトだ。
 僕はその場にへたり込んだ。疲労も喉の渇きもピークなのに、そこに致命的な故障が発生してしまったのだ。気持ちがぷつんと切れ、トンネルの壁にもたれたまま暗い天井を見上げた。なんてことだ・・・。


【トンネルの真ん中で突如リキシャが壊れてしまった。折れたペダル部分に注目】

 どれぐらいそうしていただろうか。案外短かったように思う。3分ぐらいのものだろう。
 僕は立ち上がって壊れたギアを拾い上げ、チェーンの応急処置をして、リキシャを押して歩き始めた。このまま座り込んでいても何かが解決されることはない。待っていても誰に助けには来ない。新品のクランクを携えた天使がひらひらと舞い降りてくる、なんてことはないのだ。

 僕を前に進ませたのは喉の渇きだった。激しく切実な乾きだった。呆然としている暇はない。とにかくまず水を飲まなくてはいけない。あとのことはそれから考えよう。そのために今は這ってでも前に進むしかない。
 トンネルを抜けてもまだ続く長い坂を息を切らせながら上りきり、ようやく下りに入ったところに一軒の人家が現れた。掘っ立て小屋のような簡素な家で、雑草だらけの庭には古い電気製品や家具やがらくたが所狭しと並んでいる。「土曜日・日曜日・商」と書かれた看板が立てかけられているのを見ると、廃品回収業者か古道具屋のようだったが、その横には「にぎり寿司・一皿二貫・とろ・あわび・はまち四〇〇円」と書かれた別の看板があった。寿司屋なのか? まさかね。いくら何でもこんな山奥にわざわざ寿司を食べに来る人なんていない。「隠れ家的名店」にしてもあまりにもボロすぎる。ひょっとしてこの寿司屋の看板自体が古道具屋の売り物なのだろうか?
 謎の多い家だったが、誰か人が住んでいるのなら水ぐらい飲ませてくれるだろうと思って敷地に入った。
「すいませーん。水を一杯いただきたいんですが」
 大声で呼びかけてみたが返事はなかった。出かけているのだろうか。
 さてどうしたものか。もちろん家の中に入るわけにはいかないが、どこかに水道の蛇口ぐらいあるかもしれない。そう思って電化製品が積み上がられた庭をぐるりと回ってみると、山からの湧き水を引いているらしい用水路が見つかった。
 おぉ水だ!
 僕は反射的に持っていたペットボトルを流れの中に突っ込んで水を溜め、それを一気に飲み干した。
 うまい!
 もう一杯飲む。うまい。もう一杯。汲み上げては飲み干した。
 それにしてもなんてうまい水なんだろう。冷やっこくて澄んでいて甘い。きっとこの家の主も毎日このうまい水を飲んで暮らしているのだろう。これがあれば水道なんていらない。南北海道の天然水、だ。

 サハラ砂漠級の喉の乾きがようやく癒えると、やっとまともに頭が働くようになった。
 クランクが折れた以上、リキシャを漕いで移動することはできない。昨日の自転車屋さんとのやりとりから、この形状のクランクを日本で手に入れるのは不可能であることもわかっている。もちろん適当な金属棒を切削加工すれば作れるだろうが、それには手間もお金もかかる。そもそも誰に頼めばいいのかもわからない。
 一番確実なのは、バングラデシュで新品のクランクを手に入れてもらうことだ。もちろん日本に送るには時間がかかるが、幸いなことに東京で写真展を開くために近々リキシャの旅を中断する予定がある。そのタイミングでクランクを送ってもらえば、時間のロスは最小限で済むはずだ。

 よし。
 僕は立ち上がって大きく伸びをした。新鮮な水が体の隅々まで行き渡っているのを感じる。細胞が潤っている。萎びた筋肉に力が戻り、気力も回復してきた。
 よし、とにかく前に進もう。ペダルは踏めないが、リキシャを押して歩くことはできる。もちろんスピードはこれまでの半分以下になってしまうが、だったら倍の時間をかければいい。



【金属疲労によるせん断。金属工学の教科書にでも載せたいぐらいだ】

 そこからしばらくは急な下り坂が続いた。下りボーナスである。その後は長万部までずっと平坦な道のりが続いた。
 風もなく、絶好のリキシャ日和だった。クランクが壊れてさえいなければ、滑らかに進んでいたことだろう。
「溶接は丈夫なんだ」と昨日の職人さんは言った。「このまま日本一周できるよ」と請け合ってもくれた。それがポッキー並みにあっさりと折れるまで丸一日もかからなかった。でも不思議なことに、少しも腹が立たなかった。
 そうか。だったら仕方ないよな。じゃあ歩こうか。そう思っただけだった。
 目の前の事実をありのままに受け入れること、ある種の諦観を身に付けること。それが長旅をする人間には不可欠なのである。腹を立てたところで現実が変わるわけではない。そんなエネルギーがあるんだったら、一歩でも前に進んだ方がいい。それが旅を通じて僕が得た処世術だった。

 長万部の町に到着したのは4時半だった。まだ先に進む余力はあったが、この先しばらくはまともな町がないようなので、今日はここで休むことにした。
 長万部には温泉が湧いており、それを売り物にした旅館やホテルが何軒か建っているのだが、僕はあえてそこを避けて駅前の旅館に向かった。
 案の定、そこは素泊まり3000円という格安の宿で、昨日と同様に泊まり客は僕だけだった。宿のおかみさんはとても世話好きな人で、旅館というよりは下宿屋のような雰囲気だったが、唯一の難点は二階の部屋がやたら暑いことだった。北海道の家屋は冬に暖かくすることを何よりも優先しているので、夏の暑さ対策はまったくなされていないのである。この宿にもエアコンはなく、風通しも悪いので、西日をまともに受けた部屋は熱気がこもって大変な暑さになる。それなのに部屋には小さな卓上扇風機しか置かれていない。しかもこれが勢いよくブンブン回るわりにはちっとも風こないという欠陥扇風機だった。
「ごめんなさいね。今年の夏は異常に暑いから、北海道の人も困っているのよ」とおかみさんは布団の用意をしながら言う。「ここにもいろんな人が泊まりに来たけどねぇ、あんな自転車は初めてよ。あんなの漕いでいると疲れるんでしょう? ゆっくり休んでね」
「僕も疲れているけど、あのリキシャの方がもっと疲れているみたいです。人間は眠ったら回復するけど、機械はそういうわけにはいきませんから」


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本日の走行距離:44.9km (総計:5121.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-08 07:47 | リキシャで日本一周
122日目:くたびれリキシャ(北海道登別市→洞爺湖町)
 リキシャに新たな問題が発生した。左右のペダルを結ぶクランクシャフトが曲がってしまったのだ。異変に気づいたのは昨日の夜だったが、もう自転車屋さんは店を閉めていたので、翌朝改めて出直すことにしたのだ。
 幸いなことに「西垣じてんしゃ」のご主人はとても親切だった。僕が以前沖縄でも似たような故障が起こったこと、そのときはベアリングを交換したことを伝えると、わざわざホームセンターまでベアリングを買いに行ってくれた。
 しかしいざ分解してみると、想像以上にひどい状態だとわかった。ベアリング自体は壊れてはいなかったのだが、クランクシャフトの真ん中に金属疲労のひびが入り、ほとんど折れかかっていることがわかったのだ。
「これはひどいなぁ」とご主人。「うちにも似たようなクランクはあるけど、やっぱり規格が違うから合わないね。これは焼き入れしてあるから、加工するのは難しいしね」
 思わず天を仰いでしまった。
 このままペダルを漕ぎ続ければ、おそらく一日も経たないうちにクランクが完全に折れてしまうことだろう。かといって日本にはこれと同じ部品は存在しない。残された最後の手はバングラデシュから部品を送ってもらうことだが、当然それには時間がかかる。

「あぁ、このクランクは溶接してあるんだな」とご主人が言った。
「溶接?」
「うん、以前にも同じように折れたのかもしれないね。ほら、ここを見て。溶接の跡が残っているでしょう。ということは、この傷も溶接してもらえば直るかもしれない」
「本当ですか?」
「ええ、知り合いの溶接工場の社長に掛け合ってみますよ」
 僕らは軽トラで溶接工場に向かった。そこは「溶接のことなら子供の自転車から重機まで、何でもやります」という頼もしい町工場で、つなぎを着た社長さんは「これなら直るよ」と断言した。実際、ものの10分で作業は終わった。すごい。すごいけど、これで本当に大丈夫なのだろうか。
「あぁ、溶接ってのは1平方ミリあたり50キロの荷重に耐えられるんだよ」
 ほうほう、溶接というのはそんなにタフだったのですね。おみそれしました。そういえば大学の実習でアーク溶接だのガス溶接だのをやったんだった。あれはなかなか面白かった。
「でも普通はクランクを溶接したりはしないよな。そんなことしたら弱くなる。日本だったら絶対にやらないよ。バングラデシュっていうのはすごい国だな」
「万事がそういうところなんですよ」
 長くなるのであえて説明はしなかったが、このブログを最初から読んでいる皆さんにはおわかりだと思う。これまでに何度もバングラ製品の質の悪さやバングラ人のアバウトさに煮え湯を飲まされてきたかを。


【溶接してもらったクランク。これで修理が完了した、はずだったのだが・・・】

 とにかく「西垣じてんしゃ」のご主人の機転と、溶接工場の職人の腕前によって、リキシャは何とか息を吹き返したのだった。
 しかしこれで万事が解決したわけではない。リキシャは相変わらず満身創痍で、いつまた故障するかわからない状態なのである。クランク周りの修理も万全ではないし、タイヤだってかなり摩耗している。後輪のゆがみもひどい状態だ。錆びて折れたスポークに応力が集中して、車輪自体が変形しているのだ。
 右後輪の軸受け部分にも問題がある。ベアリングの中にゴミが入っていて、潤滑油が切れると「キュルキュル」という不快な音を発するのだ。ベアリングが完全に破損するのも時間の問題だろう。

 これらの問題を100%解決するのは難しい。不可能ではないが、部品が手に入らないから時間がかかってしまう。
 走行距離はすでに5000キロを超え、リキシャはくたびれている。あちこちから聞こえる異音は、「助けてくれ!」というリキシャの叫び声なのだ。
 これからゴールまでの道のりは、不平不満を口にするリキシャをなだめすかしながら進む日々になりそうな予感がした。

 修理に手間取ったので、今日は長い距離を走ることはできなかった。
 幌別から室蘭、伊達を経て、洞爺湖町まで行くのが精一杯だった。
 室蘭市を過ぎるときついアップダウンが多くなった。交通量の多い一車線の道をリキシャを引っ張ってノロノロと歩くのは若干気が引けるのだが(後ろを振り返ると渋滞が起きていることもある)、他に方法があるわけでもないので、最近では開き直り気味に堂々と歩いている。

 伊達市に入ったところで、よく日に焼けたおじさんに声を掛けられた。
「こんな乗り物で日本一周を? 本当に頭が下がるなぁ」
 そう言って労をねぎらってくれた。
「おじさんは山登りが好きでな、昨日もあそこに見える羊蹄山に登ってきたばっかりなんだ。全部で8時間かかったけどな、君のリキシャに比べたらなんてことはないな」
「そんなことはありませんよ」
「いやいや、本当に頭が下がるなぁ」
 おじさんは長い間東京で働いていたそうだが、7年前に思い切って仕事を辞めて、地元の北海道に戻ってきた。生活費はさほどかからないから、贅沢さえしなければ仕事がなくても十分暮らしていけるのだという。

 坂道を登りきったところで飲んだ冷たい水は感動的にうまかった。農家のおばさんが自転車を止めて、持っていた魔法瓶の水を飲ませてくれたのである。
「朝4時に起きて、この自転車で農地まで行って、夕方の4時まで仕事するの」とおばさんは言う。「キュウリ、キャベツ、トマト。なんでも作るのよ。いつもこの坂を登りきったら、水を飲んで休憩することにしているのよ」


【畑にブロッコリーを植えているご夫婦。8月下旬に植えて、収穫するのは11月頃。「儲からない農業をずっとやってるの」と奥さんは言う】

 洞爺湖町にたどり着いたところで夜になったので、本日はここに泊まることにする。
 洞爺湖町はサミットを開いたことで有名になった洞爺湖を擁する町だが、観光目的で来る人はみんな洞爺湖畔のリゾートホテルに泊まるので、洞爺駅の近くは閑散としていた。営業している旅館も一軒しかなかった。そしてその旅館も泊まり客は僕だけという有様だった。



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本日の走行距離:54.2km (総計:5076.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-07 17:22 | リキシャで日本一周
121日目:命あるものはめんこい(北海道苫小牧市→登別市)
 苫小牧市から海沿いを南下する。ここには国道36号線という幹線道路が走っているが、交通量が多くてつまらない道なので、海のすぐそばのローカルな道を走ることにした。
 ここは出会いの多い道だった。まずは海岸に遊びに来ていた保育園児たち。そろいの帽子を被ってかわいらしい。
「リキシャに乗りたい人!」
 と言ってみると、全員が元気よく「はーい!」と手をあげた。素直である。
 リキシャは二人乗りだが、4,5歳の子供たちなら3人乗れるので、3人ずつ順番に乗せてあげる。でも園児たちは全部で13人いたので5往復しなければいけなかった。「気持ちいー!」と歓声を上げる子、おとなしく黙って乗っている子など、反応は様々だ。





 コンクリートで護岸された海岸では、自転車で流木を運んでいる老人に出会った。88歳の助川さん。流れ着いた流木をノコギリで適当な長さに切って、家に持って帰るのだという。ストーブの燃料として使うのだそうだ。
「こんなことをしてるのは苫小牧でも俺しかいねぇよ。1日に30往復するんだ。家にはもう2年分の薪が積んであるよ。流木は燃やすとあったけぇんだ」
 流木は海岸を埋め尽くしているので、資源は無尽蔵にあると言ってもいい。しかしこれを個人の力で運ぶのはあまりにも面倒なので誰もやらない。そもそも今は灯油かガスのストーブが主流なので薪ストーブ自体が珍しくなった。昔は同じことをしていた人もいたらしいが、みんな亡くなってしまった。
「生き残ったのは俺だけだよ」と助川さんは笑う。



 助川さんはかつて室蘭の製鉄所で働いていた。高度成長期の旺盛な鉄需要に支えられて製鉄業は伸び続け、年に三度もボーナスが出るほど景気が良かったが、鉄鋼ブームもやがて終わりを迎える。産業構造の変化と競争力の低下に伴って、室蘭にあった溶鉱炉は次々と閉鎖された。
 その後、助川さんは苫小牧に移り住んで漁師になった。ニシンや鮭などをとって生計を立てていた。
「胃が半分ないんだ。胃潰瘍になったときに切っちまったんだ。それでもこの年まで生きてる」
「薪を運ぶのはいい運動になりますね」
「あぁ、いつも汗だくになるよ。何か仕事があるっていうのはいいもんだね」



 助川さんと話をしているときに、軽自動車に乗った若い女性が声を掛けてきた。地元苫小牧のケーブルテレビ局からの取材の申し込みだった。たまたまここを通りかかったところ、妙な三輪車が走っているのを目にして車を止めたのだという。すぐにカメラマンを呼んでインタビューを撮ることになった。こういうフットワークの軽さがローカル局の良いところだ。
 実は今日は札幌テレビの「どさんこワイド」という番組の密着取材も受けていたのだった。取材ラッシュの一日である。


【リキシャに乗る地元ケーブルTV局の山本さん。「今日はたまたますっぴんなんです。恥ずかしい」とのこと】

 国道沿いの小さな畑の前で座り込んでいた89歳のおばあちゃんは、リサという名前だった。大正生まれの女性とは思えないハイカラな名前である。彼女のおじいさんが若い頃に「おりさ」という女性に片想いをしていたので(結局その恋は叶わなかった)、孫娘に「リサ」という名前を付けたのだそうだ。
 リサおばあちゃんの畑にはネギやジャガイモやナスなど様々な野菜が植えられていた。一番のお気に入りは大根だという。
「朝起きると、まず大根に話しかけるのよ。『めご、おっきくなったか?』って」
「めごって何ですか?」
「めごってのは『めんこい』ってことよ。かわいいってこと。大根はほんとにめんこいから、大根って呼ばずに『めご』って呼んでるんだ。土ん中から一生懸命伸びようとするからな。その姿がめんこいんよ」
「でも最後には食べるんですね?」
「そう、食べるよ。抜いて洗って、たくあんにして食べる。『おまえらはなぁ、ババの腹に入るんだからな』って話すんだ。丹精込めて育ててるから、自分の子供みたいにかわいいよ。だから食べるんだ。葉っぱまで食べるよ。葉っぱは外に干しておいて、お湯でも戻してから味噌汁の具にするんだ。捨てるところなんてひとっつもない。めんこいからね、無駄にはしないんだ」
 リサさんはそこまで話すと、ふーっと大きくひとつため息をついた。
「大根を盗む奴がいるんだ」
「盗む? この大根をですか?」
「そう。車で来た人間が、夜のうちにかっぱらって行くんだ。子供のようにだいじに育てた大根なのにね。もう泣きたいよ・・・」
 とんでもない話である。どうしてわざわざ小さな家庭菜園にはえている大根を盗まなければいけないのか、理解に苦しむ。国道36号線は交通量の多い幹線道路なので、中には根性のひん曲がった奴も通るのかもしれないが、それにしてもひどすぎる。リサおばあちゃんがどれほど大切に大根を育てているのか。それを聞いた直後だったから、本当に腹が立った。
「9月の収穫時期になったら毎日心配で。朝になったら『ゆうべ抜かれなかったか?』ってまず話しかけるんよ。無事だったらほっとする。大根たちには『盗む奴が来たら、お前が囓ってやれ』って言ってるんだ」
「立て札とか立てておいたらいいんじゃないですか?」
「そんなことしたら『ここに野菜がある』って言ってるようなもんでしょ。よけい盗られるよ」
「逆効果か」
「でもね、人のものを盗むより、盗まれる方がいいと思う。盗った人間もね、あまりいい気持ちではないと思うね。悪いことやってるって自覚があるんだったらね」



 リサさんは20代の頃に肋膜炎を患い、医者には「もう長くはない」とまで言われた。でも薬が効いて一命を取り留めた。そのあと漁師と見合い結婚して、4人の子を産んだ。
「おどうは漁師だったから、酒飲んで威張ってた。よく喧嘩もしたねぇ。おどうは口では負けるもんだから、ゲンコツを出してくるんだ。そうすると畑に来て、野菜に話しかけた。大根はくちごたえしないからねぇ」
 その旦那さんを亡くしたのは、リサさんがまだ30代の頃だった。脳溢血で倒れて、そのままぽっくり逝ってしまった。後に残されたのはリサさんは生活保護を受けながら畑仕事をして、育ち盛りの子供たち4人を女手ひとつで育て上げた。
「周りの人は『旦那を早く亡くして大変だね』なんて言ってたけど、私は苦労だなんて思わなかった。ただ子供たちに腹一杯食わせるために必死で生きていただけ」
「再婚はしなかったんですか?」
「そんな話もあったけどね、しなかった。これが良くないっしょ」
 リサさんは自分の顔を指さして笑った。
「そんなことないでしょう」
「でもやっぱりうちのおどうは他の男とは違うんよ。喧嘩してもしたけど、優しかったからね」
 おばあちゃんの旦那さんに対する愛情は、ひとことでは言い切れない複雑なもののようだった。好きだけど嫌い。会いたいけれど、会いたくない。ぶつくさ文句も言うけれど、大切に想い続けてもいる。
「90まで生きたら、もうたくさん。このぐらいで十分だ」
「いつ死んでもいいんですか?」
「いやだよ、まだ逝きたくない!」
 リサさんははっきりとそう宣言してから、顔をくしゃくしゃにして笑った。本当にいい笑顔だ。
「おどうのとこにはまだ行きたくないんだ。いつお迎えが来てもいいけどね、おどうのところに行って、また喧嘩したくないもん」
「旦那さんは向こうで待ってるんじゃないですか?」
「そうだね。でも別な女を見つけてるかもしれないね」
「それも腹が立つでしょう?」
「そうだね。私は毎日仏壇に話しかけてたからね。『おどう、元気か?』って」



 どこからともなく二匹の白い蝶が現れた。蝶はもつれ合いながらリサおばあちゃんの周りを二回三回とまわり、またどこかに飛び去っていった。
「命あるものは、みんなめんこいよ」
 リサさんは目を細めて言った。頭からひねり出した言葉ではなく、彼女のからだから自然に湧いてきた言葉だった。だから重みがある。染みてくる。
 別れ際にリサさんにカメラを向けた。よく日に焼けたお百姓の顔。89年分の苦労や喜びや悲しみがしっかりと刻まれた顔だった。
「こうやって誰かと話をするのはすっごく嬉しいんだ。でもね、別れたあと泣きたくなるんだ。寂しくてな・・・」
 一瞬、おばあちゃんの肩を抱きしめたくなった。本当にめんこい人だ。
「また会えますよ。おばあちゃんが元気でいてくれたら」



 虎杖浜では堤防に座って海を眺めている漁師のおじさんと話をした。このあたりは鮭で有名だそうだ。
「秋になると、ここら辺は鮭でびっしりになるよ。海が黒くなるぐらいだよ」
「手づかみできますね」
「できるよ。違法になるけどな。誰がどれだけとっていいのかは漁協で決められてるんだ。去年はここだけで3億円の水揚げがあったんだ」
 この漁師さんは正確に言うと「元漁師」で、70歳を迎えた10年前に船を下りたのだそうだ。
「この年になると、船に乗るのがこわい」
「怖い?」
「いやいや、内地の言葉だと違う意味になるんだな。『こわい』っていうのは北海道では『疲れる』っていう意味になるんだ」
「そうなんですか」
「ソ連の漁船がこの近海まで来たことがあったんだ。スケトウダラをとるためにな。そんなに昔じゃないよ。最近のことだよ」
「でも『ソ連』の時代ですよね? ロシアじゃなくて」
「あぁ、30年ぐらい前かな」
「十分昔のことじゃないですか!」
「まぁそうかな。『日ソ漁業交渉』なんてやっていた時代だ。ここの組合長もソ連まで行って交渉したんだ」



 今日は室蘭まで行くつもりだったが、いい出会いが重なってリキシャのスピードが上がらず、途中の幌別の町に泊まることにした。幌別の手前10キロには有名な登別温泉があるのだが、温泉街はかなり急な坂道を上らなければ行けないということなので断念した。


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本日の走行距離:53.4km (総計:5022.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:600円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-07 08:00 | リキシャで日本一周