カテゴリ:インド色を探して( 34 )
インド旅行記がついに完結! 結末はCD-ROMで

 半年にわたって連載を続けてきた旅行記「インド色を探して」は最終回を迎えました。

 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 メルマガでは未公開のエピソードが27話も入っている大変お得な電子書籍です。


◆ ブログで未公開旅行記の読みどころ

 今回のインド旅のハイライトのひとつは、オリッサ州の山奥に住む少数部族の村々を訪ねたことでした。
 様々な偶然に導かれるようにして、予期しなかった場所にたどり着く。そんな旅の醍醐味を味わいました。

 コヤ族は我々日本人とはまったく違う時間の流れの中で生きています。自分の年齢を知らず、「年」や「月」や「時刻」を数える習慣すら持っていないのです。
 同じ円を描きながらいつまでも繰り返される時間。「向上」も「進歩」も「拡大」もない、静かな時間の中で生きている人々の価値観は、僕らとはまったく違うものでした。

 少数部族の孤児たちを集めている寄宿舎を訪ねることもできました。言葉も文化も違う275人の子供たちをたった一人でまとめている若い先生へのインタビューを通じて、変わりゆくマイノリティーの村の現実を知ることになりました。





 パンジャブ州ではシク教徒のシンボルであるターバンの習慣が、徐々に廃れていく様子を目の当たりにしました。
 「ターバンを巻いていないのは異教徒だ」と断言する老人と、「あんなものを巻いていたら女の子にモテない」と言う若者との間には、単なるジェネレーションギャップを超えた大きな溝が横たわっています。





 近代化の圧力と伝統の維持のあいだで大きく揺れている。それはシク教徒のコミュニティーだけに限らず、インドという国全体を覆う問題でもあるのです。


 旅行記の最後には、12年に及ぶ旅の経験から得た「行き方」について書きました。

 トラブルが次々と起こる中で、どうやってポジティブな気持ちを保ち、前進することができるのか。
 旅によって変わったこと、変わらなかったことは何か。
 個性とは何か。自分らしい写真とは何か。

 僕は一人旅という孤独な環境に身を置くことで、こうした疑問に答えを出してきたのです。





 自由に旅ができるというのは、それだけでとても幸運なことです。実際、インド人の大半は自分の外にある世界を知ることなく一生を終えていきます。
 このような幸運を使わない手はない、と僕は思います。

 だからこそ、僕はこれからも好奇心のおもむくままに旅を続けることでしょう。
 この「粒だった」世界のあらましを記録し、讃え、伝えていくつもりです。






◆ 高画質写真ファイル

 CD-ROM「インド色を探して」に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1163枚。「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。(画質は、サンプル(1)(2)(3)でお確かめください。)

 このデジタル写真集には、知られざる「カラフルなインド」がたくさん詰まっています。写真が持つイメージの力を存分にお楽しみください。


 ◆ ご注文方法
 CD-ROMの価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
 この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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by butterfly-life | 2013-04-24 10:27 | インド色を探して
変わりゆくインド、変わらないインド
■ インド旅行記2012(48) 変わりゆくインド、変わらないインド バックナンバーはこちら ■

 数年前まで、バイクに乗るインド女性はほとんどいなかった。バイクとはあくまでも男の乗り物であり、女性は夫(または父親)の運転するバイクの後部座席におとなしく座っているしかなかったのだ。「女がバイクに乗るなんてはしたない」という保守的な価値観も強かったのだろうし、そもそも女性には自分のバイクを買えるだけの経済的な余裕なんてなかったのだ。

 そうした状況が変わってきたのは、インドが急速に経済成長を遂げているからだ。女性ライダーが特に目立っていたのは南部のケララ州だった。教育レベルが高く、出生率が低く、経済的に自立した女性が多いケララでは、女も男と同じようにスクーターに乗って通勤・通学するのが当たり前になっていた。


[乗りやすいスクーターは若い女性たちの新しい「足」になっている]

 バイクや自動車を運転する人が増えたことで、ガソリンスタンドも飛躍的に数を増やしている。5年前はガソリンをペットボトルに詰めて売る屋台があちこちで見られたのだが、今では相当な田舎に行かないと見られなくなっている。農村地帯にも次々と立派な屋根付きのガソリンスタンドが作られ、みんなそこで給油するようになっているのだ。


[田舎にも新しいガソリンスタンドが続々とオープンしていた]


[田舎に行けばこうしたペットボトル入りのガソリンを売っているところもある。質が悪いという評判もあるので、なるべくなら利用しないほうがいい。]

 ATMもこの数年で一気に普及したもののひとつだ。もはや「ATMが置かれていない町はない」と断言してもいいぐらいだ。「無人」のATMも増えた。これまでは盗難防止のためにATMのそばには必ず警備員がついていたのだが、もう必要ないと判断されたのか、防犯カメラだけのATMが多くなっていた。


[とんでもない田舎町にもちゃんとATMが設置してあるのには驚いた。]

 酒屋もよく見かけるようになった。特にケララ州やカルナータカ州、パンジャブ州などには「WINE SHOP」という看板を掲げた酒屋が目立つ場所に何軒も並んでいた。

 インド人はもともと禁欲的だった。肉食はダメだし、婚前交渉もタブーで、アルコールも御法度。もちろんそれぞれに抜け道はあるのだが、基本的には欲望を抑えることで社会の安定を保っていた。莫大な人口を養うためには、どうしてもそれが必要だったのだろう。


[町で酒屋を見かけることも増えた。]


[ウィスキーを炭酸飲料で割って飲むのが一般的。]

 しかしグローバル化する資本主義経済の一員になったことで、インド人も消費の快楽に目覚め、欲望を解放することに罪悪感を持たなくなった。「必要悪」とみなされ、鉄格子に覆われていた酒屋が、オープンでカジュアルなものになり、「悪人の吹きだまり」みたくやたらと暗かったバーも、明るい雰囲気に変わっていた。


 インドは変わりつつある。
 グローバル化の波をもろにかぶり、保守的な社会が大きく揺さぶられているように見える。

 しかし何年経ってもまったく変わらないものもある。
 たとえば素焼きの壺づくりはインド各地で見られるものだが、その製法は何十年も前からまったく変わっていない。木の棒で粘土を叩いて形を作り、筆で絵付けをしてから窯で焼く。











 職人の手で丹精込めて作られた日常使いの安い壺は、いつか粉々になって土に還っていく。それがまた誰か別の人の手で、別の壺に作り替えられていく。こうしたことを何百年にもわたって延々と繰り返してきたのだろう。


 タミルナドゥ州にあるマッチ工場も、昔ながらのやり方を変えていなかった。僕は5年前にも同じ工場を訪れたのだが、まるでここだけ時間の流れが止まっているかのように、まったく同じ作業を行っていた。


[牛の図柄のかわいらしいマッチは、今もなお手作りで製造されている。]





「でもね、あと何年この工場が続けられるかわからないよ」とオーナーは言った。「使い捨てライターが普及したせいで、マッチの需要は減っているからね。でも、できる限りやるさ。ここはマッチの村だからね。マッチ作りがなくなったら、村人は何をしていいのかわからないよ」



 インド女性の美しいサリー姿も長いあいだ変わらないもののひとつだ。他の国でこれだけ洋装化が進んでいるのに、インド女性は頑なまでに自分たちのスタイルを守り続けている。それが美意識というものなのだろう。

 インド人は焦らない。血眼になって流行を追いかけたりはしない。何年も何十年も同じ仕事を続けて、日々を生きている人が何億人もいる。人々の暮らしは大河ガンガーのようにあくまでもゆったりと流れている。

 本当に大切なものは、変わらない部分にこそ隠されている。
 100日に及んだインド一周の旅を終えて、僕はそう感じた。

 簡単に変わってしまうのは表層的な部分であって、長い時間をかけてゆっくりとしか変化しないものの中にこそ、その地域特有の文化の本質が潜んでいるのだと思う。

 僕らはどうしても「変化するもの」に目を奪われがちだ。止まっているものにではなく、動いているものに目が向くのは、人の自然な習性だから。「ニュース」という言葉に端的に表れているように、メディアの興味の対象も「何か新しいこと」「変わったこと」に向けられる。何も変わらないことにはニュースバリューはない。

 しかし変化を追いかけるばかりでは、ものごとの本質は見えてこない。真実はいつも「変わりゆくもの」と「変わらないもの」の狭間に隠されている。







 100日を超えるインド一周の旅を終えても、インドという国が深く理解できたという実感はなかった。むしろ以前よりわからないことが増えたような気がする。

 やはりインドは奥が深い。
 旅をすればするほど謎と疑問が増え、もっと深く知りたくなる。
 それがこの国の魅力なのだと思う。


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by butterfly-life | 2013-04-19 11:47 | インド色を探して
聖地を流れるプアーな水
■ インド旅行記2012(45) 聖地を流れるプアーな水 バックナンバーはこちら ■

 インド北部を蛇行しながら東へと流れる大河ガンガーには、体を清めるための沐浴場と遺体を焼くための火葬場が隣り合った聖地――「小さなバラナシ」とでも呼ぶべき所――がいくつも点在していた。それは生と死を司る場所であり、人々の祈りと火葬の煙とが混じり合う場所だった。



 ビハール州にあるシマリアもそんな古い聖地のひとつだった。シマリアの沐浴場へ続く道には、巡礼者向けの食堂や土産物屋などが軒を連ねていた。片言の英語を話すランジットさんは、そこで祈祷用の花を売っていた。この商売をはじめて20年になるという。一日の稼ぎは100ルピーから200ルピー程度と決して多くはないが、それでもなんとか4人の子供を育ててきた。上の娘がカレッジに通っているのが自慢だ。

「俺の家族が暮らしていけるのはガンガーのおかげだよ」とランジットさんは言った。「ガンガーはすべてインド人にとって母なる川だ。ガンガーには女神が住んでいる。だからガンガーの水はとってもプアーなんだ」
「プアー?」
「ああ、そうだ。プアーなんだ。だから飲んでも大丈夫。体にもいいんだ」
「・・・ピュアーな水なんですね」
 僕はそう言い直してみたが、彼はまったく意に介さなかった。
「そうだ。この水はプアーなんだ。ここに来た人はみんなボトルに水を汲んで、家に持って帰る。とてもプアーだからな。あんたもぜひそうしなさい」


[シマリアの沐浴場で儀式を行う女たち]

 ランジットさんは「飲んでも大丈夫」なんて言ったけれど、沐浴場周辺を流れる水はひどく汚れていた。巡礼者はただ川の水に体を浸すだけでなく、石鹸で体を洗ったり、歯磨きや洗濯もするし、儀式に使う花や線香やビニール袋なんかも全部川に流してしまうからだ。隣の火葬場から遺体の燃え残りが流れてくることもある。あちこちにゴミが散乱した臭い川。それが聖地におけるガンガーのリアルな姿だった。

 なんだ、やっぱりピュアーじゃなくてプアーなんじゃないか。

 もちろん巡礼者たちは「ガンガーの水が汚い」などとは1ミリも考えていない様子だった。何の躊躇もなく川の中にざぶんと全身を浸し、川の水で口をゆすいだあと、川の水をポリタンクに汲んで大事そうに持ち帰るのだ。思い込みの力は偉大だ。「聖なる水だ」と信じていれば、ゴミだらけの「プアーな水」だってありがたい「ピュアーな水」に変わってしまうのである。


[巡礼に来た人々は川の水に全身を浸す]


 バラヒアという町で知り合ったシンさんの家で飲ませてもらったのは、正真正銘まじりっけなしのピュアな水だった。
「これは地下137mから汲み上げた井戸水だから、農薬にも化学物質にも汚染されていない」とシンさんは胸を張った。「普通の井戸の倍以上の深さまで掘り進めたんだ。もちろん余計にお金はかかったけど、その価値はあるよ」
「わざわざ井戸を掘らなくても、ガンガーの水はピュアーだって聞きましたけど」
 僕が言うと、シンさんは大きく口を開けて笑った。
「ガンガーの水がピュアーだって? エンジニアの私に言わせれば、それはナンセンスだ」



 シンさんは既に定年退職しているが、1年前までは化学メーカーで技術者として働いていたという。水質に関してはプロなのである。その彼が汚いと言うのだから、やっぱりガンガーの水は汚いのだろう。
「私は絶対にガンガーの水をそのまま飲んだりはしない。そんなことをしたら、すぐに病気になってしまうよ」

 シンさんは比較的裕福な地主の家に生まれ、理系の大学を卒業した。しかし地元にはいい就職口がなかったので、遠くグジャラート州にある財閥系の化学メーカーに勤めることにした。
「ビハール州には優秀な人材がたくさんいる。しかし医者もエンジニアも結局はみんなビハールを出て、他の州か外国へ行ってしまう。ここには仕事がないからだよ。今も昔もビハールは貧しいままだ。私の娘も土木技術者としてデリーで働いているし、息子はプネーのIT企業で働いている」

 ビハール州には高い教育を受けた人を雇用できるような産業がほとんどないから、頭脳流失が起こる。頭脳流出が続く限り、産業は育たない。インドでももっとも貧しい州であるビハールはこのような悪循環に陥っていた。それを食い止めるためには、シンさんや彼の子供たちのように能力のある人が地元に残って、地元のために働かなければいけない。しかしシンさんにはそれができなかった。

 もちろんそんな彼を責めることは僕にはできない。彼には自分の人生を選ぶ権利があるのだから。
 しかしビハール州では「仕事を求めて他の土地に移る」という選択肢さえ持てない人が大多数を占めているのもまた事実だった。否応なく地元にとどまり、低賃金で働かざるを得ない。そうした人々が貧困のスパイラルから抜け出すのはきわめて難しいことなのである。




[ビハール州には大規模なレンガ工場が多い。牛の力で動かすローラーで泥をこね、それを型に入れてから天日で乾かしたレンガを、石炭で焼き固める。]


[日干しレンガを頭に12個も載せて歩く男たち。日給は歩合制なので、みんなとても早足だった。]




[人々は埃だらけで働いていた。]


[牛糞とわらを混ぜて燃料を作る女。これもまたビハール州でよく見かける光景だ。]


 ビハール州は道路もプアーだった。幹線道路から少しでも離れると、未舗装のデコボコ道になってしまう。そこをバイクで10分も走ると、たちまち全身が埃だらけになってしまうのだった。


[ビハールの道を走ると全身埃まみれになる。]

 交通量の多い国道であっても、荒れ放題のまま放置されているところも少なくなかった。穴ぼこだらけになった国道では、その穴を避けようと蛇行運転する大型トラックによって交通の流れが悪くなった結果、大渋滞が発生していた。


【動画】ビハール州の町で見られる大渋滞。バイクや自転車や人が狭い道に殺到し、身動きが取れなくなっている。

「ディス・イズ・ビハール」
 いつ終わるともしれない渋滞にうんざりしている僕に、バイクを運転していた若者が声を掛けた。まったくその通りだ。これがビハールなのだ。逆に言えば、ビハール以外の州では状況はここまでひどくはないのである。要するに州政府が無能なのだ。道路整備や都市計画といったインフラへの投資をケチっているために、州全体の経済がどれほど悪影響を受けているのかわかっていないのだろう。




[ビハール州で見かけた橋の建設現場。何十人もの男たちがコンクリートと砂利の入ったタライをかついで竹の階段を登っていく。人海戦術。これでは時間がかかるはずである。現場監督の男によれば、橋の完成は1年後の予定だそうだ。]


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by butterfly-life | 2013-04-15 15:18 | インド色を探して
なぜインドの火葬場では遺体を竹竿で叩くのか
■ インド旅行記2012(44) ガンジス川の火葬場を撮る バックナンバーはこちら ■

 遺体を火葬にしてその灰をガンジス川に流すのは、聖地バラナシだけで行われている特別なことではない。実はガンガーの河岸にはいくつもの火葬場が点在していて、日常的に火葬を行っているのである。

 バラナシを出発した僕は、蛇行するガンガーに沿ってビハール州を東へと進んでいたのだが、行く先々で火葬場から立ちのぼる白い煙を目にすることになった。

 ビハール州ナーランダー県では、火葬の一部始終を撮影することができた。バラナシの火葬場では写真撮影は厳禁なのだが、ここでは撮影禁止どころか、遺族から「ぜひ撮ってくれ。アドレスを書くからあとで写真を送ってくれ」と頼まれたのである。これには僕の方が驚いてしまった。


[薪で覆われた遺体とともに記念撮影をする遺族たち]

 亡くなったのがデヴィさんという80歳の老婆だということも、火葬場の雰囲気をおおらかなものにしていたのかもしれない。天寿を全うした人がガンガーに還るのは、悲しむべきことではない。人々のあいだにはそんな意識が共有されているようだった。

 火葬場を取り仕切る男によれば、ここがもっとも混み合うのは冬だという。病人や老人には寒さが一番堪えるからだ。その次が夏。夏と冬の間に挟まれた今の季節は、一年でもっとも死者の数が少ないという。
「今はオフシーズンだね」と火葬場の男は笑った。「冬は本当に忙しいんだ。今日ぐらい暇なのがちょうどいいね」


[黄色い布で包まれた遺体は竹でできた担架に載せられている]


[遺体を川岸まで運ぶ]

 オフシーズンとはいえ、火葬場には次から次へと遺体が運び込まれていた。遺体は親族の男たちが担いでくる場合もあるし、バスの屋根やトラクターの荷台に乗って運ばれてくる場合もあった。老いた人もいれば、働き盛りとおぼしき男もいた。我が子の遺体を両手で抱えながら歩く父親の姿もあった。白い布に包まれたその遺体の手足は小枝のように細かった。伝染病にでも罹ったのだろうか。父親の表情は硬く険しかった。


[亡くなった我が子を抱えて歩く父親]


[まだ働き盛りとおぼしき男も火葬されていた]


 デヴィさんの火葬の準備は手際よく進められていた。薪を交互に組み、川の水で洗った遺体をその上に載せてから、火がつきやすいように枯れ葉やワラをかぶせていく。薪のあいだから見えるデヴィさんの顔は、眠っているかのように安らかだった。息をしていないということが信じられないほど生々しかった。





 準備がすべて整うと、デヴィさんの息子が薪を覆う枯れ葉にマッチで火をつけた。風が強い日だったので、薪はものの数秒で勢いよく炎を上げ、たちまち大きな火柱へと成長した。最初に髪の毛がチリチリと音を立てて燃え上がり、やがて顔に水ぶくれがいくつもでき、腕の皮膚が黒く焦げていった。動物の肉が焦げるときのにおいがあたりに漂いはじめた。



 親戚一同はその様子を少し離れた場所から無言で見守っていた。特別な祈りを捧げる人はいない。涙に暮れている人もいない。すべてが終わったあとの安堵感のようなものを漂わせながら、燃えさかる遺体をじっと見つめていた。

 しばらくして火の勢いが落ちてくると、長い竹竿を手にした火葬職人がやってきて、遺体を叩きはじめた。遺体が燃え残るのを防ぐために、こうやって肉をバラバラにほぐす必要があるという。そうしないと遺体の表面が黒く焦げるだけで、肉の中にまで火が通らないのだ。


[火葬職人はしたたる汗を拭いながら、淡々と自分の仕事をこなしていった。]



 火葬職人が繰り出す打撃はまったく遠慮のないものだった。大きくしなった竹竿が、遺体の腕や頭に打ち下ろされていく。特に燃えにくい頭部には、もっとも激しい打撃が加えられた。「バシッ!」「クシャ!」という乾いた音があたりに響き渡り、はっとするほど赤く生々しい肉の色があらわになった。

 こうしてかつて老婆であった肉体は、内臓をえぐられ、肉汁を飛び散らしながら、徐々に原形を失い、黒く崩れていった。 



 僕は親族とともにその一部始終を見つめていた。
 なぜ俺はここにいるんだろうと思いながら、それでもシャッターを切り続けた。

 目の前で繰り広げられているのは、見方によってはグロテスクで異様な光景だったが、それをありのまま受け入れてしまうと、不思議なほど静かな気持ちになった。

 死者を灰に帰するための炎は、生と死の狭間でゆらゆらと揺らめきながら、強烈な熱を放射し続けていた。
 死者のにおいが漂っていた。それは僕の服や髪の毛にも染みこんでいた。このにおいは洗ってもしばらくはとれないだろう。そんな気がした。



 火葬が終わったのは、薪に点火してから一時間が過ぎた頃だった。用意した薪はすべて燃え尽きてしまったのだが、火葬職人の奮闘にもかかわらず、かなりの大きさの肉の塊が燃えずに残されていた。

 親族の男たちは燃え残った遺体を改めて布で包むと、ガンガーへと投げ入れた。それは大きな放物線を描いて着水し、さざ波とともに川の中に消えた。


[火葬に使った薪にガンガーの水をかけて火を消す]

 燃やされる薪の量は、火葬場に支払うお金によって決まるのだそうだ。デヴィさんの一族は貧しい農民なので、火葬場に支払ったのはわずか251ルピーだった。それでは遺体を完全に燃やせるだけの薪は用意できないので、一部が燃え残ってしまったのだ。
「お金持ちだと5000ルピー以上払うこともあるんだ」
 と火葬場を取り仕切る男は言う。お金持ちの火葬では質の良い薪を大量に使うことができるので、遺体が燃え残るようなことはないのだそうだ。「地獄の沙汰も金次第」という言葉があるが、インドでは「解脱への道も金次第」なのかもしれない。

「でも燃やしてもらえるだけマシなんだよ。火葬にできない人だっているんだからな」
 火葬場のしきたりでは、子供や妊婦、事故に遭った人や、蛇に噛まれて死んだ人などは、火葬にせずにそのままガンガーに流されるという。そのような遺体は黄色い布に包まれたまま船に乗せられ、川の中程まで出たところでドボンと川に投げ込まれるのだ。重しとなる石を足にくくりつけてはいるものの、やがてそれが切れると、遺体は水面に浮き上がってくる。大河ガンガーはそのような腐敗した亡骸をいくつも飲み込みながら、悠然と流れているのである。


[火葬されない遺体はこのような船に乗せられる]


 僕が目にした火葬場の日常は、確かに残酷なものではあったが、決して暗く湿っぽいものではなかった。むしろ拍子抜けするほど明るく、あっけらかんとしていた。火葬の一部始終はすべてオープンにされていて、見ようと思えば誰もが見ることができた。隠す意識など元からないようだった。インドの人々にとって「死」は特別なものではなく、すぐそばにある日常風景なのだ。

 言うまでもなく、それは僕らが知っている日本の火葬とは大きく違うものだった。日本人は死を「穢れ」として日常から遠ざけ、死そのものをなるべく直視せずに済むようにしてきた。今では大半の人が病院で息を引き取り、専門家の手によってクリーンで清潔な火葬場に送られて、短い時間で白く乾いた骨となる。確かに清潔でシステマチックなやり方だが、それによって何か大切なものが失われているような気もするのである。


[火葬が終わると、その場に立ち会った人々はガンガーの水にざぶんと頭まで浸かる。この沐浴には、聖なるガンガーの水で穢れを落とすという意味がある。]


[沐浴を終えた男たちは白い服を風にさらして乾かし、家路に就く。]



「人生の最後にはガンガーに還る。それがインド人なんだ」
 火葬場を取り仕切る男は穏やかな水面を眺めながら言った。それは比喩でも何でもなく、今ここにある現実そのものだということが、僕にもよくわかった。

 人はいつか必ず死ぬ。死んだ人間は火葬場に運ばれてきて、薪とともに燃やされ、ガンガーの中に消えていく。茶色く濁った大河の一部となり、やがてあとかたもなく分解される。そして再びどこかで新たな生命として生まれ変わるのだ。

 輪廻転生。それを信じているヒンドゥー教徒は、だから墓を作らない。
 動物も人もひとつの大きな輪の中にいて、それをゆったりとかき回しているのが、悠久の大河ガンガーなのである。



 このような世界観に立ってものごとを眺めたとき、人生ははかなく有限であることを思い知らされることになる。自分が生きている意味など無きに等しく、毎日少しずつ死に向かって進んでいるだけの存在なのではないかという気持ちにもなってくる。

 しかし同時にそこには深い安らぎもある。
 人はいつか必ず死を迎えるが、それは大いなる流れの中に戻っていくだけのことであって、恐れる必要などない。ただその流れに身を任せていればいいんだ。そんな風にも思えるのだ。

 インドの人々は日常的に火葬の場面に立ち会うことによって、自らの死を想い、死を受け入れる準備をしているのかもしれない。親戚縁者が炎に包まれ、黒く焦げながら崩れていく様を見守るということは、死者への弔いであると同時に、いつかこれと同じことが自分の身にも起きるのだと自覚することにも繋がるはずだ。





 我々は今を生きながら、少しずつ死へと近づいている。
 火葬場の炎は、それを言葉ではなく、皮膚感覚を伴った方法で伝えている。

 人はみんな生きていて、やがて死んでいく。
 そんな当たり前のことを確かめるために、僕は旅をして、写真を撮っている。


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by butterfly-life | 2013-04-09 15:53 | インド色を探して
バラナシ旅行記
■ インド旅行記2012(43) バラナシも二度目なら バックナンバーはこちら ■

 言わずとしれたヒンドゥー教最大の聖地バラナシ。
 ここには二千もの寺院と数多くの沐浴場(ガート)の他に、数千年の歴史を持つ火葬場があり、遺体を燃やす煙が幾筋も立ちのぼるのを目にすることができる。ここで沐浴すれば、現世で犯した罪は洗い清められ、ここで死んで遺灰をガンガーに流されれば、終わりなき輪廻の苦しみから解脱できる。ヒンドゥー教徒たちはそう信じているのだ。



 僕がバラナシを訪れたのは11年ぶりだったが、町の様子は2001年当時から、ほとんど何も変わっていなかった。再開発を強固に拒む迷路のように入り組んだ旧市街の石畳も、人がすれ違うのも困難なほど幅の狭い道にどかっと腰を下ろしたまま動かない野良(っぽい)牛の姿も、牛の糞と人の小便にまみれた「聖なる」ガートで行われる早朝の沐浴も、11年前とまったく同じだった。すべての人間にとって避けがたい「死」というものを精神的に支えている聖地は、百年やそこらで簡単に姿を変えたりはしないのだろう。


[朝日が昇るのを待ってガート(沐浴場)で沐浴する人々。水は冷たいが半裸になって祈りを捧げる。]





 バラナシは幾世代にもわたって同じ演目を演じ続けるひとつの劇場のようでもあった。川の水に体を浸し、朝日に向かって一心に祈り続ける人々も、荘厳な祈りの儀式を行う聖者の姿も、サドゥーなのかサドゥーっぽい格好をしたただの物乞いなのか判別がつかない男たちも、火葬場の灰にまみれながら昼寝をする野良犬も、すべてバラナシをバラナシたらしめている演者であり、十年後も二十年後も同じような光景が繰り返されているに違いなかった。

 聖なるものと俗なるものが隣り合って共存しているのも、バラナシという場所の特徴だった。悠久たるガンガーの流れを眺めながら考え事でもしようかとガートの階段に腰を下ろすと、すぐに怪しげな男たちが近づいてきて「ハッパ買う?」「絵葉書買わないか?」「ボート乗らないか?」と声を掛けてくるのだった。バラナシの歴史について勝手に解説を始めて寄付金をせびる自称ガイドも健在だった。

 いきなり僕の肩を揉み始める男もいた。
「マッサージとヘアカットとシェービング、すべて込みで50ルピーだ。安いだろう。やらないか?」
「いらないよ」僕は即答した。「ヒゲは毎日剃ってるし、髪も伸びたら自分で切ってる。肩こりもない」
 きっぱり断っても、彼は簡単には諦めなかった。今度は「45ルピーだ」とか「待て、40ルピーでどうだ」などとディスカウントを始めるのだ。あぁうっとうしい。ゆっくり考え事もしていられないのだ。
 この「聖なる場所」における「俗なる人々」のしつこさと粘着性もまた、インドの観光地のリアルな姿なのであった。







 しかしガートにたむろする怪しい男たちを除けば、バラナシはさほど警戒する必要のない平和な町だった。特に町で出会う子供たちは「ハロー」「ワン・フォト・プリーズ」と言ってくるだけで、言われたとおりに写真を撮ってあげると素直に喜んで、そのまま立ち去っていくのだった。

 11年前はもっとハードだった。「フォト・プリーズ」よりも「10ルピー」や「1ダラー」と言われることの方が多かった。金をくれ。ものをくれ。みんながそう言っていた記憶がある。

 それが変わったのは、デジカメが普及したおかげなのかもしれない。試しに「お金くれ」と言って嫌な顔をされるよりは、「写真撮ってよ」と言って笑顔が返ってくる方が断然楽しい。子供たちの多くがそのことに気付いたのではないか。


[ガートの近くにはポリタンクを売る店があった。巡礼者がガンガーの聖なる水を汲んで持ち帰るために使うようだ。甲子園球児の砂みたいなものだろうか。実際にはガンガーの水は相当に汚染されていて、病原菌も多い。それでも聖水は聖水。ありがたく持ち帰るのである。]


[ガンガーを一望できる場所に座り込む男と、巡礼者の荷物を狙って歩き回るサル]

 激しく変化するインドにあって、バラナシの不変性は驚くべきものだった。まさに「悠久」という表現が相応しい。

 僕らは「変化するもの」に目を奪われがちだ。
 何か目新しいものを追いかけがちだ。
 でも、長い時間をかけてもほとんど変わらないものの中にこそ、その土地に根ざした文化の本質が潜んでいる。バラナシはそのことを教えてくれる。


[船着き場をうろつく野良犬と巡礼者に花を売る少年]

 バラナシはインドを旅するなら必ず一度は訪れるべき場所だ。できれば若いうちに行った方がいい。
 バラナシに広がる日本の日常とはあまりにも違いすぎる世界は、若くてやわらかい心に強いひっかき傷を残すことになるからだ。

 僕もそうだった。初めてバラナシの地を踏んだ26歳の僕にとって、この町で目にするものすべてが新鮮だった。
 しかし二度目はそうではなかった。体の中に鋭く切り込んでくるような衝撃はもうすでになかった。





 この10年あまりの間に、僕は様々な場所を訪れ、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっていた。それは「成長の結果」でもあるし「好奇心の摩耗」とも言えるものなのだろう。「旅慣れる」ということにはプラスの面もマイナスの面もある。

 いずれにせよ、すべてを新鮮に受け止められた26歳の自分には、もう二度と戻ることはできないのだ。


[バラナシの町で「ATM」と書かれた機械を発見。その正体はミルクを出すマシンだった。「自動ミルク配給機」とでもいったらいいのか。実際にはおじさんがミルクを出しているので、自動でもなんでもないのだった。]


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by butterfly-life | 2013-03-21 15:05 | インド色を探して
インドのシク教徒は男が惚れる男
■ インド旅行記2012(37) 男が惚れる男 バックナンバーはこちら ■

 ラジャスタンの砂漠地帯を抜けてパンジャブ州に入ると、空気の質ががらりと変わった。
 きりりと澄み渡った高い空には薄い雲が幾筋も伸び、透明で硬質な光がすべてのものの輪郭を鋭く際立たせていた。





 風は乾いていた。アフガニスタンやトルコと同じ匂いがした。少し埃を含んだ大陸の匂いだった。
 そう、ここパンジャブは西方のイスラム世界へ向かう玄関口なのだ。

 インド随一の穀倉地帯であるパンジャブ州は、緑色の州だ。だだっ広い小麦畑の緑と、マスタード畑の黄色い花が交互に並び、用水路を流れる透明な水がそのあいだを満たしている。目が覚めるような鮮やかな景色だった。





 小麦畑の緑の絨毯を抜けると、小さな村が現れる。村の中心にはシク教の白い寺院があり、その隣には小学校がある。寺院の前の広場では、ターバンを巻いた老人たちが日向ぼっこに興じている。高いレンガの壁で覆われた農家には、山羊や牛がたくさん飼われている。家の外には牛糞を積み上げた小山がある。これを乾かして燃料にするのだ。


[積み上げられた牛糞の山]

 パンジャブ州を旅するあいだ、僕は何十回も「あれ? さっきここを通ったよな」と思った。パンジャブ州の農村の風景は、判で押したように同じパターンの繰り返しだったからだ。集落は2,3キロおきにほぼ等間隔で連なっていて、そのあいだを小麦畑とマスタードと水路が埋めている。どの村もまったく同じだった。この既視感は、パンジャブ州の田園風景が自然にできたものではなく、運河の建設によって計画的に造られたものであることを示唆していた。


[色とりどりのターバンを巻いた男たちが、ときには牛車に乗り、ときにはリキシャを漕ぎながら、村と村を繋ぐ細い道を行き来している。]



 もともとパンジャブ州もラジャスタン州と同じように乾いた不毛の土地だった。それを変えたのが灌漑事業だった。インダス川の支流に巨大なダムを作り、そこに貯めた水を運河によって下流の農地に行き渡らせようという一大プロジェクトが、当時の首相ネルーの元で実行に移されたのだ。住民たちもこの事業に惜しみない労力を注ぎ、やがてパンジャブ州はインド有数の穀倉地帯と呼ばれるまでになったのである。



 パンジャブ州でカメラを向けたのは男性ばかりだった。色とりどりのターバンを頭に巻き、ヒゲを長く伸ばしたシク教徒の男たちは、実にカッコ良く、絵になる被写体だったからだ。彼らはみな顔の彫りが深く、背も高く、胸板も厚かった。硬派でマッチョ。「男が惚れる」タイプの男たちだった。

 シク教徒の男たちには威厳と近寄りがたさがあったから、カメラを向けるときには緊張した。しかし実際に話してみると、彼らはとても優しく、写真に対してもおおらかだった。外見からは想像できないほど、気さくで親切な男たちだったのである。カメラを向けると「フォトかい。いいよ、撮りなよ」と胸を反らせてポーズを取ってくれた。その姿をモニターで見せると、「よく写ってるじゃないか!」と無邪気に顔をほころばせるのだった。


[巡礼に行くために正装したシク教徒の男たち]


[一見怖そうに見えるシク教徒の男たちは意外に気さくだった。]

 バティンダという町の商店街を歩いているときに声を掛けてきたスクインダールさんは、身長190cm近い大男だった。彼もまた写真に対して積極的な男で、頼んでもいないのに「俺の写真を撮れよ」と言って、カメラの前で妙なポーズを取った。その姿をモニターで見せてあげると、例によって子供みたいに大喜びして、チャイとお菓子をご馳走してくれた。


[ポーズを取るスクインダールさん]

 スクインダールさんは警察官だった。ただの警官ではなく、警察学校で教鞭を執る先生だという。それなのに、彼は酔っぱらっていた。目は血走り、吐く息にはアルコール臭が混じっていた。まだ午後5時である。今日は非番なのだろうと思っていると、
「いや、今も仕事中だよ」と何でもない顔をして言うのだった。
 おい、こんなことでいいのか、パンジャブ警察。と思ったが、もちろん口には出さなかった。

 確かにパンジャブは酒に寛容な州である。町中には酒屋やバーも多い。しかしさすがに現役の警察官が勤務中に酔っぱらっているのはマズいんじゃないだろうか。
「俺はいくら飲んでも酔わない質なんだ。今も全然酔っぱらっちゃいない」
 彼はそう言い訳すると、鼻歌交じりに雑踏の中に消えていった。左右に大きくふらつく足どりは、酔っぱらい以外の何者でもなかった。

 県のホッケーチームのコーチをしているというスクデブさんも大変親切な人で、僕を自宅に招いてチャイをふるまってくれた。ホッケーはインドの国技であり、クリケットに次いで人気のあるスポーツだ。世界大会でも好成績を収めていて、世界ランクは7位。インドでは数少ない「国際競争力のある」競技だと言っていいだろう。プレーヤーにパンジャブ人が多いのも特徴だという。


[ホッケーのコーチをしているスクデブさん]

「ホッケーはとてもスピーディーなスポーツなんだ」と彼は言った。「攻守の切り替えも速くて、エキサイティングだ。そこがクリケットとの違いだよ」
「じゃあどうして、クリケットの方が人気があるんですか?」
「あぁ、あの退屈なクリケット」彼は大きく首を振った。「インドには暇な人間が多いのさ。1試合に3日間かかろうとも、ずっと見ていられるんだ。他の国じゃ、こうはいかない。クリケット選手を悪く言うつもりはないよ。彼らは全力でプレーしている。世界的なプレーヤーも多い。でもね、仕事そっちのけでクリケット観戦に熱中している人を、私はどうしても理解できない。彼らにはもっと他にやることがあるはずだよ」

 正論である。インドのクリケット人気はすさまじく、特にテストマッチ(国際試合)ともなると、町の電気屋に置かれたテレビの前にたくさんの男が群がることになる。その熱狂が2,3時間で終わるならともかく、3日間も続くのである。「どんだけ暇やねん!」と突っ込みたくなる人がいても不思議ではない。

 スクデブさんの人生はホッケーと共にあった。若い頃は全国レベルの選手として活躍し、引退後はコーチの仕事をしていた。しかし58歳になる来年には、コーチ業からも身を引く予定だという。そのあとは友人とビジネスを始めるのだそうだ。
「私はアクティブであることが好きなんだ。やるべきことを全力でやっていると、年は取らないものだよ。コーチとして若者と接しているのも、気持ちを若々しく保つためにはいいことだよ。君のような旅人から話を聞くのも好きだ。とてもいい刺激になるからね」

 別れ際には、握手だけでなく、胸と胸を合わせてしっかりと抱き合った。初めて会った人間に対する挨拶にしてはやり過ぎのような気もしたが、これがパンジャブ流なのである。

 パンジャブの男たちは過剰なほど親切で、友情に篤く、いかつい外見とは裏腹の無邪気さを持っていた。それはパキスタンやイラン、アラブ諸国の男たちとよく似ていた。やはりここは西方のイスラム文化圏への入り口なのである。


 ターバン姿の男たちを撮りまくっていたのとは対照的に、パンジャブ州では女性をほとんど撮らなかった。不思議なことに、男が「俺を撮れよ」と言うところほど、女が撮りにくいという傾向があるのだ。その代表格がイスラム国である。パキスタンやアフガニスタンやモロッコといったイスラム色が強い国では、女性を撮るのがとても難しかったのだ。

 そういった国々ほどではなかったが、パンジャブ州の女性たちの反応はあまり芳しくなかった。写真に撮られるのが絶対にダメというわけでもないが、友好的でもない。目に見えない壁のようなものが感じられたのだ。


[牛糞燃料を作るパンジャブの女性]

 シク教徒の女性たちが地味だったのも、あまりカメラを向けなかった理由のひとつだった。パンジャブの女性はサリー姿ではなく、サルワール・カミーズと呼ばれるゆったりとした上着ともんぺ状のズボンというスタイルだったので、どことなく垢抜けない印象だったのだ。

 そんなパンジャブ女性がよく作っていたのが、牛の糞にワラを混ぜて円盤状に固めた燃料だった。この牛糞燃料はインド各地で使われているものだが、パンジャブ州ではとりわけよく見かけた。それは他の州に比べて開墾が進み、薪の供給が不十分だからだろう。

 もちろん地元の人たちにとって、牛糞は汚いものではない。乾いてしまえば匂いはほとんどしないし、火力も強く、長期間保存もできるので、燃料としてとても優秀なのである。


[牛糞燃料を山のように積み上げる女性]


[牛糞燃料は生活に欠かせない。これだけ集まると壮観だ。]


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by butterfly-life | 2013-03-05 10:22 | インド色を探して
砂漠のラクダは泡を吹く
■ インド旅行記2012(36) 砂漠のラクダは泡を吹く バックナンバーはこちら ■

 砂漠は静かだった。

 聞こえてくるのは、砂塵を巻き上げながら吹き渡るヒューヒューという風の音だけだ。砂漠を貫く州道は分不相応なほどきれいに整備されてはいるのだが、通る車はほとんどない。茫漠とした空白がどこまでも続いている。風の音は仲間を求めて呼び合う孤独な魂の声のように聞こえた。


[タール砂漠をバイクで走る]

 パキスタンとの国境にほど近いタール砂漠は、さらさらの砂地と風紋が織りなす絵葉書的な砂漠とはかなり趣が違う。むき出しの砂地だけではなく、マリモのような丸っこい灌木が生えている場所も多いのだ。ここは完全なる不毛の大地ではなく、植物も動物も細々と存在する土地だ。だから放牧生活を送る人々もなんとか暮らしていけるのである。



 ラクダと羊を飼っている小さな集落に立ち寄った。一家の父親が、井戸から汲み上げた水で羊の毛をゴシゴシと洗っていた。その横でアシナとヴァナという二人の女の子がラクダに「お座り」をさせていた。さすがはラクダの民の子供。自分たちの体の何倍もあるラクダを意のままに操れることができるのだ。


[ラクダの民の子供アシナとヴァナ]


[ラクダを「お座り」させる二人]

 アシナとヴァナはレンガを円柱形に積み上げた家に住んでいた。藁葺きの屋根はとんがり帽子のかたち。「三匹の子ぶた」の絵本に出てきそうな感じのかわいらしい家だ。

 一家の暮らしはとてもシンプルだった。男たちがラクダや羊を灌木が生い茂る所に連れて行くあいだ、女たちは水を汲んだり、薪を運んだり、炊事をしたりしている。家の中にも入れてもらったが、見事なぐらい何もなかった。家財道具と呼べるのは、炊事に使うかまどや鍋などの調理器具だけだった。



 このあたりは冬場の最低気温がマイナス4度にもなり、暑季の最高気温は50度にも達するという。一年を通して寒暖の差が激しく、雨はほとんど降らないから、農耕には向いていない。人々は砂漠の灌木でラクダや羊を育てて、それを市場で売ることによって何とか生計を立てているという。

 厳しい土地だ。
 しかしそれでも生きている。
 人々はその土地にあったやり方を見つけて、しぶとく、たくましく生き抜いているのだった。


[トゲだらけの灌木の葉を器用に食べるラクダ]

 体内にたっぷりと水を蓄えることができるうえに、自分の体温を上下させられるラクダは、「砂漠の船」と呼ばれるほど乾燥と暑さに適応した動物である。ラクダはロバよりはるかに多くの荷物を運べるし、牛車が行けない砂地にも入ることができる。自分でエサを見つけることだってできるし、2週間から5週間も水を飲まずにいられるという。こうして人に飼い慣らされたラクダは、帆船よりも有利な輸送手段として、アラビア世界とインドとを結ぶ交易に多大な貢献をしたのだった。







 かつて砂漠を行くキャラバン隊が担っていた役割は、すでに大型トラックに取って代わられてはいるが、それでもタール砂漠周辺の町では、今でもラクダを有能な使役動物として使っている。

 ラジャスタン州北部のレンガ工場でも、ラクダが活躍していた。日干しレンガを炉まで運んだり、完成したレンガを運び出したりする役目を、ラクダ車が担っているのだ。他の地域では牛車やトラクターを使うところだが、ラクダの方が多くのレンガを運べるし、水をやる回数も少ないので、より効率的なのだという。









 ラクダの素顔は意外にユーモラスだった。比較的無表情に見える牛や羊などに比べると、喜怒哀楽がはっきりと顔に表れるのだ。眠っているのを起こされると、あからさまに不機嫌な顔をして大あくびをする。腹が減ると巨大な舌をベローンとたらして空腹を訴えるし、食事が終わって満足すると、歯をむき出しにしてシーハーシーハーと笑ったりするのだ。

 飼い主がラクダの顔にタバコの煙を吹きかけてみせたことがあった。ラクダはタバコの煙に弱いらしく、そのにおいを嗅いだ途端、「グブッグブッ」というため息を漏らして口から白い泡を吹きながら、その場にヘナヘナと座り込んでしまったのだった。



 ラクダは「絵になる」動物でもあった。
 頭のてっぺんが地上3m近くに達する巨体もインパクト大だが、自由自在に曲げることができる長い首も他の家畜にはない重要なアクセントになっていた。ラクダは体を前に向けたまま首だけを真後ろに向けることもできるし、そのまま首をぐいっと下にさげて、自分のお乳を飲むことだってできるのだ。

 長い首をグイッと伸ばし、つぶらな瞳で遠くを見つめながらゆったりと歩くラクダは、砂漠の風景にあまりにもよく馴染んでいた。


[ラクダの首はこんな風に自由自在に曲がる]


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by butterfly-life | 2013-02-26 10:10 | インド色を探して
インド人は見た目が9割?
■ インド旅行記2012(35) インド人は見た目が9割? バックナンバーはこちら ■

 インド人は見た目と中身がかなりの確率で一致する。ぱっと見がインテリっぽい人はやはりインテリだし、金持ちそうに見える人は実際に金持ちなのだ。農民は農民らしい服装だし、スラム街に住んでいる人はやはり粗末な格好をしている。インドには「金持ちだけどカジュアルな服を好む人」や「見た目だけはパリッとしているのに実は貧乏な人」はまずいないのである。

 この「インド人は見た目が9割」的なわかりやすさは、旅人にはありがたいことだった。何かトラブルが起きたりして、英語が話せる人を探さなければいけないようなときにも、メガネをかけたインテリっぽい若者や、恰幅のよいスーツ姿のビジネスマンといった「いかにも英語が話せそうな人」に声を掛ければよかったのである。



 別の言い方をすれば、インドという国は日本以上に外見が重要だということ。まず外見ありき。自分の立場にふさわしい格好をしていなければ、他人に軽んじられてしまう社会なのだ。だからインド人のファッションは、自分が属している階級を外に向けて発信することを最大の目的にしている。





 インド人が見た目を重視しているのは、町の商店街の多くが服飾店やジュエリーショップや靴屋などで占められていることからもよくわかる。家電販売店や携帯電話ショップも増えてきてはいるが、いまだに圧倒的に数が多いのはファッション関係の店なのである。





 もちろん日本社会にも「ふさわしい格好をするべきだ」という無言の圧力はあるけれど、インドに比べるとそのプレッシャーははるかに弱い。そぐわない格好をしていても、それだけで社会からつまはじきにされるようなことはない。日本における外見の差は、経済的な格差よりも「趣味」や「世代」による差の方がはるかに大きい。そしてそのことは、日本社会の「平等化」と「大衆化」がどれほど進んでいるかを端的に示している。




 インドでの宿探しも、ポイントはやはり見た目だった。第一印象を頼りに即決するのが基本。インドでは「宿も見た目が9割」なのである。

 まず注目すべきは宿のロケーションだ。これはできるだけ静かな場所がいい。交通量の多い通りに面していると、車のエンジン音やクラクションノイズによって安眠を妨げられることになるからだ。しかし安宿というのはたいてい人が集まる繁華街に建てられているから、この条件を満たすのはなかなか難しい。


[町の中心は騒々しいので避けた方がいいのだが…]

 しかし表通りに面したうるさそうな宿でも、諦めずにアタックしてみる価値はある。「ウナギの寝床」式に奥行きのある建物なら、奥の静かな部屋を確保できるかもしれないからだ。


[安宿のトイレの基本は和式(インド式)だが、この宿はなぜか洋式とインド式がどちらも揃えてあった。まさか二人同時にするってわけじゃないだろうが。]

 次に注目するのはレセプションだ。これが立派すぎるところはなるべく避けたい。カウンターが大理石だったり、天井からシャンデリアがぶら下がっているようなところは中級以上の宿なので、僕にとっては予算外なのだ。値段を聞く前に(確実に1000ルピー以上を提示される)退散した方が無難だろう。

 僕が狙い目にしていたのは、比較的新しいビジネスホテルだった。無駄なところにお金はかけていないが、部屋は新しく、必要最低限のファシリティーを整えているところ。急速に経済発展を遂げて、中所得者層が増えているインドでは、こうした新しくて快適なホテルがそれこそ雨後の竹の子のように増殖しているのだ。


[これはかなりいい感じの宿だ。ベッドも清潔で、掃除も行き届いている。]


[こちらもいくぶん暗い部屋だが悪くはない]


[新しいビジネスホテルの外観]

 ビジネスホテルで重視する必要がないのは、受付係の人柄である。たとえレセプションが無愛想でも気にしてはいけない。シビアに部屋の良し悪しだけを判断材料にしたい。インドの場合、従業員の愛想と部屋の質とのあいだには何の相関関係もないからだ。従業員がとてもにこやかで好感が持てるのに、部屋はろくに掃除もされていないし、備品は壊れまくっているということが実によくあるのだ。

 これはおそらくカースト制に関係したことなのだろう。分業意識の高いインドでは、受付係はあくまでも受け付け業務しか行わないし、掃除やベッドメイクをする人はそれだけしかやらない。だから宿のある面はとても優れているのに、それ以外はまったくダメということが起こりうるのだ。


「インドの宿に静けさを求めるのは、インドの列車に時刻表を守らせるのと同じぐらい難しい」
 ということわざがある・・・というのは嘘です。僕が今考えました。

 しかしまぁ実際のところ、インドの安宿で静けさを得るのは本当に難しい。実に様々な騒音が、あの手この手で静寂を打ち破ろうとするからだ。駅に近い宿なら列車の警笛が聞こえてくるし、映画館のそばにある宿なら映画のBGMや効果音が鳴り響いてくる。天井からぶら下がっているファンが半分壊れていて、ギィーギィーという不快な音を出し続けたこともあった。


[インドの安宿の多くは賑やかな場所にある]

 中にはまったく予想できない騒音もあった。たとえば古い手動開閉式のエレベーターの扉が開けっ放しになったときに鳴り響く「ビィー」という不快な警告音は、ボディーブローのようにじわじわと効いてくるタイプの苦痛だった。窓のひさしに巣を作っていたハトが「ホーホー」と鳴きはじめたせいで、夜明け前に起こされたこともあった。リアル鳩時計。誰もモーニングコールなんて頼んでいないのに・・・。

 マハラシュトラ州ブサワルに泊まったときには、夜9時になって突然はじまった政治集会によって、想像を絶する騒音を3時間にわたって浴びることになった。とにかく音がデカイ。デカすぎるのだ。巨大なスピーカーをフルボリュームにして、よくわからない演説や宗教音楽なんかを延々と流し続けるのだった。

 iPodを耳栓代わりにしてみても効果はなかった。スピーカーの重低音がホテルの壁を揺さぶり、ベッドを揺さぶり、そして体をも揺さぶるのだ。防ぎようのない音の波。あまりのうるささに集会の主催者に対して軽い殺意さえ覚えたほどである。まったくもう、インド人の「音不感症」にはただただ呆れるしかない。

 ラジャスタン州アブロードでは、夜中の1時を回ってから、廊下に大きな声が響きはじめた。どうやら隣の部屋の男たちが大声で議論しだしたらしい。大人数で泊まりにきたインド人は、部屋に熱気がこもらないために扉を開けっ放しにしているのだが、そのせいで話し声が筒抜けになっているのである。

 しばらく我慢した。真夜中なんだし、そのうちまた静かになるだろう。
 しかし、いつまで経っても議論は終わらなかった。それどころか、ますますヒートアップしていくのだった。ついに我慢の限界に達した僕は、立ち上がって部屋を出た。
「お前ら、うるせぇよ!」
 隣の部屋に入るなり、僕は大声で怒鳴った。5人のおっさんが輪になって座っていたのだが、全員が一斉に振り返って僕を凝視した。

「・・・・」
 誰も何も言わなかった。完全な沈黙。素性の知らない外国人がいきなり部屋に入ってきたのだから、彼らだってびっくりしたのだろう。
「あんたら、いま何時と思ってるんだよ?」
 僕はいくぶんトーンを落として言った。通じないかもしれないけど、一応英語で。

 すると一人の男が自分の腕時計を見て、こう答えたのだった。
「いま、1時30分だけど・・・」
 僕は全身の力が抜けていくのを感じた。おいおい、なにマジで答えてるんだよ。こんな時間にわざわざ隣の部屋に時刻を聞きに来るバカがどこにいるんだよ。もう勘弁してくれよぉ。

「そう、1時30分だ。寝る時間だ」と僕は力なく言った。「俺はあんたらの声がうるさくて眠れないんだ。いいかい、頼むから静かにしてくれ」
 結局、男たちは僕の言い分を理解してくれた。すまなかったな、と謝ってもくれた。まぁ話が通じてよかった。

 しかし部屋に戻ってからも、なかなか眠りにつくことができなかった。眠りを妨げるものはもう何もなかったのだが、怒りをぶちまけたせいで気持ちが高ぶって、目が覚めてしまったのだった。

 結局、夜が白々と明けてくるまで、眠気は訪れなかった。


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by butterfly-life | 2013-02-19 10:01 | インド色を探して
牛糞で焼かれたバティの味
■ インド旅行記2012(34) 牛糞で焼かれたバティの味 バックナンバーはこちら ■

 ラジャスタン州に入ってから、食べ物に苦労するようになった。南インドではごく当たり前にあった「安くてうまい」食堂がなかなか見つからず、反対に「高くてまずい」の店が幅をきかせるようになったのだ。どうやらインドでは、北に行けば行くほど食堂の質が落ちる傾向にあるようだ。


[動画]安食堂で昼食を食べる男たち

 ビーンマルという田舎町の食堂には「ダールバティ」というメニューしかなかった。オヤジが魂を込めた一品を出すこだわりの店・・・なのかと思いきや、これがまぁひどかった。小麦の全粒粉をピンポン球大に丸めて焼き固めたバディを、ジューサーを使って細かく砕き、それにダール(豆スープ)をかけて食べるというのが「ダールバティ」の正体だった。

 一度焼きしめたものを、なぜ再び細かく砕くのか意味がわからなかったし、水気がなくパサパサのバディには味がほとんどなかった。まるでおがくずを口の中に詰めているような感覚で、一口食べたら「もうけっこう」と言いたくなってしまった。郷土料理を貶めるつもりはないのだが、この店で食べた「ダールバティ」の味は、残念ながら家畜のエサに近いと言った方がいいと思う。


[これがダールバティ]

 パサパサのバティは飲み込むのにもひと苦労だったので、食はいっこうに進まなかった。それを見た主人はバディのうえからギー(精製バター)をかけてくれた。これによっていくらか食べやすくはなったが、味が大きく変わることはなかった。もともとまずいものは、何をどうしたってまずいのだ。

 しかも(これは後でわかったことだが)このバティを焼くための燃料として使われていたのが、牛糞だったのである。当然のことながら、バティの表面には牛糞の灰が付着するはずで、それが食べる人の口の中に入り込むのは避けられない。インド人にとって牛糞は汚いものではないし、まして乾いた牛糞なんて糞ですらないと思っているから平気なのだろうが、やはり日本人にとって牛糞は牛糞以外の何ものでもなく、それを積極的に口に入れたいとは思わなかった。


[バティは牛糞の燃料で焼かれていた]

 腹は減っていたのだが、皿の半分を食べるのが精一杯だったので、あとは残すことにして、主人に会計を頼んだ。90ルピーだった。
「ナインティ? ナインティーンじゃなくて?」
 何かの間違いじゃないかと思って聞き返してみると、主人は間違いなく90ルピーだと言う。

 信じられなかった。90ルピー(135円)というのは、小ぎれいなレストランで出される「パニール・ティッカ・マサラ(カッテージチーズのカレー風煮込み)」と同等の値段である。どう考えても高すぎる。場末の食堂のおがくずみたいな料理に付ける値段ではない。

 やられた。こいつは外国人からぼったくろうとしているんだ。冗談じゃない。こんなまずいものに90ルピーなんて払えるものか!

 僕と店主が代金を巡ってもめているあいだに、「まぁまぁお二人とも」と割って入ってくれたのは、英語が少し話せるビジネスマンだった。彼は店主から事情を聞き、90ルピーの内訳をすべて紙に書き出してくれた。

<バティ3個=30ルピー ギー3杯=30ルピー バターミルク=20ルピー せんべい=10ルピー 合計90ルピー>

 なるほど。この食堂は一皿がセット料金になっているターリーやミールスなどの定食とは違う料金システムを採っているわけか。サイドメニューやドリンクを追加すると、それが料金に加算される仕組みなのである。ぼったくり料金ではないかというのは、僕の誤解だったようだ。

 しかしそれでも90ルピーには納得できなかった。なるほどその値段は正しいのかもしれない。しかしギーとバターミルクとせんべいは、いずれも僕が頼んだわけでなく、店主が勝手に置いていったものなのだ。ギーなんか「店のサービスでござい」という顔をして、立て続けに3杯もかけやがったのだ。ちょっとやり方が汚いんじゃないの。


[これぐらいうまそうなターリーなら90ルピー出す価値はあるけれど…]

「あなたの気持ちはわかりますよ」
 通訳をしてくれたビジネスマンはいきり立つ僕をなだめるように言った。彼も地元の人間ではなかった。南インドのカルナータカ州から商用でやってきたのだという。
「私の故郷の町では、40ルピーも出せばうまい定食がお腹いっぱい食べられる。南インドでは当たり前のことです。でも、ラジャスタン州はそうではありません。腹を立ててはいけない。我々はそれを受け入れるしかないんです」


[市場で見かける野菜は新鮮そのものだったが、北インドの食堂の質は悪かった。]





 この「ダールバティ事件」以来、僕の食欲は目に見えて減退していった。何を食べてもおいしいと感じられなくなり、しまいにはマサラの匂いを嗅いだだけで反射的に胃がぎゅっと収縮するようになって、食堂に入ることすらためらうようになってしまったのだ。

 もともと食に対するこだわりが少なく、どんな土地のどんな料理でもおいしく食べられる僕にとって、これはあまり経験したことのない事態だった。旅の疲れが溜まっていたこともあるのだろう。北インドの脂っこい料理のせいで、胃がもたれていたのかもしれなかった。でも食欲不振に陥った最大の原因は、あのバティの悲劇的な味と、90ルピーを巡る店主との苦い思い出にあった。


[インドの安食堂は暗くて湿っぽいところが多い]

 結局、そのあと数日間は雑貨屋でパンとチーズとトマトを買ってきて、即席のサンドイッチを作って食べてみたり、露天商からミカンやブドウやバナナなどを買ったりして栄養補給をすることになった。

 ラジャスタン州の食堂はいまいちだったが、クッキーなど小麦を使ったお菓子の味はなかなかよかったので、それを100グラム単位で買い込んで、ホテルの部屋でボリボリと食べたりもした。特に窯から出てきたばかりの焼きたてのパイは、サクサクとした食感とバターの香りがうまくマッチして、とても美味しかった。何でもマサラ味にしてしまうインドでは珍しく、素材の持ち味を生かしていた。


[窯でパイを焼く職人]

 そうするうちに、なんとか食欲も回復していったのだが、あの「ダールバティ」だけは二度と食べる気にならなかった。


 食べるものに苦労した北インドとは違って、南インドでは食べる時間さえ間違わなければ、うまい食事にありつくことができた。南インドの安食堂はどこもそこそこのレベルを維持しているので、食事時を逃して冷めた料理が出てくることでもない限り、がっかりさせられることはなかったのである。


[南インドの定食「ミールス」はバナナの葉の上にご飯とおかずを盛りつけてくれる]

 南インドで特に気に入っていたのがドーサだった。これは発酵させた米粉の生地をクレープ状に焼いたもので、焼きたてのカリカリをアチチと言いながらハフハフとほおばるのが最高にうまい。ドーサの生地には少し酸味があり、それがまたココナッツ入りのソースによく合うのだ。


[パリパリとした食感が特徴のドーサ]

 カルナータカ州フブリの町の食堂で食べたドーサは、ちょっと不思議なかたちをしていた。とんがり帽子みたいな円錐形のドーサが、丸い皿の上に載せられていたのだ。これはドーサの命である「パリパリ感」を持続させるための工夫だった。普通のドーサは折りたたまれた状態でお皿に載っているので、時間が経つにつれて生地の下の方が水蒸気でしんなりとしてしまう。しかし円錐形に丸めて立てると、皿に接する部分が少なくて済むので、最後までパリパリ感が続くというわけだ。素晴らしいアイデアである。


[とんがり帽子型のドーサは20ルピー]

 そうかと思えば、せっかくのパリパリ感を台無しにしてしまうひどい食堂もあった。運ばれてきたときはごく普通のパリパリドーサだったのに、いきなり現れた給仕のおっさんがドーサの上にサンバル(野菜スープ)をぶっかけてしまったのである。日本で言えば、揚げたての天ぷらに味噌汁をぶっかけるようなもの。

 おい、俺のドーサに何するんだよ!
 慌てて手をかざして制しようとしたのが、時すでに遅かった。
 テーブルの上にはスープを吸ってふにゃふにゃになった見るも無惨なドーサが、へたっと横たわっていたのだった。合掌。

 似たような出来事は他でも起こることがあった。ドーサと同じようにサクサク感が命であるワダ(豆粉のドーナツ)を食べているときにも、無言でサンバルをかけようとする給仕がいるのである。まったく油断も隙もあったもんじゃない。

 どうやらインド人にとってクリスピー感はさほど重要ではないらしい。サクサクにしろふにゃふにゃにしろ、胃袋に収まってしまえば同じじゃねーかと考えているのかもしれない。


[タミルナドゥ州では拳ぐらいの大きさがあるドーナツを食べた。これは歯ごたえ十分で、食べ応えがあった。うまいのだが、食べ終わる頃にはアゴが疲れてしまった。]


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by butterfly-life | 2013-02-12 09:55 | インド色を探して
ラバリ族はスタイリッシュな牧民
■ インド旅行記2012(33) スタイリッシュな牧民 バックナンバーはこちら ■

 「インド色」を求めて旅を続ける僕にとって、ラジャスタン州に住む少数部族の村々は、砂漠のオアシスのような場所だった。
 特に印象に残っているのは、南部の山岳地帯に住むガラシア族の人々だ。女たちが普段から身につけている前掛け付きの民族衣装は、とりわけ派手で目を引くものだったのだ。


[ガラシア族の民族衣装は派手な前掛け付き]

 しかもガラシア族の女たちはとても堂々としていた。外の人間と接触する機会の少ない少数部族の人々はシャイなことが多くて、カメラを向けられても顔を背けてしまうものなのだが、ガラシア族の女性は終始にこやかで、自然体のままカメラに向き合ってくれた。これほど写真を撮りやすい人たちも珍しい。その代わり(という言い方もなんだけど)、ガラシア族の男性は気弱でシャイだった。女が強くなると、男は弱くなるものらしい。そうやって共同体としてバランスを取っているのかもしれない。










[陽気な女たちとは対照的に、ガラシア族の男はシャイだった。]

 片言の英語を話すアリス君に誘われて、彼のお宅にお邪魔することができた。アリス君には兄弟が6人と姉妹が4人もいて、総勢15人の大家族とともに暮らしていた。インドでもきょうだいが10人を超える家族はかなり珍しくなっているが、ガラシア族の村ではまだ当たり前だという。

 家財道具は例によってとても少なかったが、一家の寝室にはなぜ大きなポンプがでんと据え付けられていた。ここは雨が少ない地域なので、農業と生活に必要な水は深い井戸の底から汲み上げている。ポンプは家族の命を支えるために欠かせない道具であり、盗まれたり壊されたりしないよう、家族同然に扱われているのである。



 村には電気は来ていないが、屋根に取り付けた太陽光パネルを使って携帯電話と懐中電灯を充電していた。電気が通らない辺境地域でも、ちゃんと携帯が使えるというのは驚きだった。電波塔をひとつ建てさえすれば広いエリアをカバーできる携帯電話網は、少ない投資で整えることができるインフラなのだ。

 アリス君は畑でソープという作物を作っていた。ソープの実は緑色の小さな粒で、これを乾燥させるとレストランなどで食後に出される清涼剤のフェンネルになる。他には小麦やタマネギ、トマトやトウガラシなども作っているそうだ。


[清涼剤のフェンネルになるソープという作物]

 素敵な笑顔とともに印象的だったのは、ガラシア族の人々のにおいだった。水が貴重だということもあるのか、色鮮やかな衣装はあまり頻繁には洗濯しないものらしく、そこに染みこんだ体臭と家畜のにおいが混ざり合って、独特のにおいを放っていたのだった。

 それはネパールやベトナムの山岳地帯で嗅いだのと同じ、紛れもない「山の民」のにおいだった。


 放牧の民であるラバリ族は、男も女もどちらも派手な格好をしていた。男たちは真っ赤なターバンを頭に巻きつけ、白い服を着て、家畜を追うための長い杖を持っていた。女たちは美しい刺繍が施されたサリーを着て、白い腕輪をいくつも身につけていた。彼らもまた一目でそれとわかるユニークなスタイルを持つ部族だった。


[赤いターバンに白い服がラバリ族の民族衣装だ]



 僕が訪れたのはグジャラート州とラジャスタン州の州境にあるマカワルという村だった。ここには牧民であるラバリ族の他に、戦士の血を引くラジプート族などが隣り合って暮らしているという。

 この村に住むラバリ族は、主に山羊と羊を飼育して生計を立てている。チャーチと呼ばれる山羊のミルクは大切なタンパク源であり、貴重な現金収入源でもある。一度沸騰させたものをそのまま飲むことも多いが、茶葉と砂糖を入れてチャイにすればさらにおいしくなる。


[山羊のミルクでチャイを作るラバリ族の奥さん]


[チャラムというパイプを使って一服する男]

 また、毛織物の原料になる山羊の毛は、4ヶ月に一度大きなハサミを使ってジョキジョキと刈って、市場に売りに行く。売値は1キロあたり100ルピー(150円)。以前はこの山羊の毛を自分たちで織って、毛布などを作っていたそうだ。村を案内してくれたラマラム君の父親が織った毛布は、20年経った今でも大切に使われているという。

 ラバリの男たちはヘビースモーカーで、食事やチャイの時間が終わると、必ずチャラムというパイプを使って一服する。村の成人男性はほぼ全員タバコを吸うようだ。北インドは全般的に喫煙率が高くて、町の人から「タバコをどうぞ」と勧められたり、逆に「タバコ持ってない?」と聞かれたりする機会も増えた。どうやらインドの喫煙率は「北高南低」の傾向があるようだ。

 ラマラム君の友人である26歳のサミララン君は、翌日に迫った結婚式の準備に追われていた。新郎はポーティアと呼ばれる赤いターバンを頭に巻き、金のペンダントを首にかけて結婚式に臨む。ペンダントには純金が20グラムも使われているので、5万ルピー(7万5000円)もしたそうだ。ピアスもやはり金製で、一組5万ルピーだったという。村人の収入からすればとても高価なものだ。


[結婚式を翌日に控えたサミララン君。ポーティアと呼ばれるターバンを頭に巻けるのは、結婚した男性だけだ。]

 ラバリ族は、結婚後に夫が妻の実家へ引っ越す「婿入り婚」の伝統があり、新郎は持てる財産のすべてを金銀などの装飾品に替えてしまうという。今でこそ定住生活を送っているが、もともと草地を求めて移動し続ける遊牧民だったラバリ族には、「財産は常に身に付けておくべし」という考え方が根強く残っているのだ。

 いずれにしても白服に赤いターバン姿のラバリ族の男は、とてもスタイリッシュで決まっていた。ただ草原でタバコを吹かせているだけなのにカッコ良く見えてしまうのも、彼らが伝統的なスタイルを自信と誇りを持って着こなしているからに違いなかった。






[昼食はラマラム君のお母さんが作ってくれた。かまどで焼いたチャパティーにギーをかけて、野菜のカレーに浸して食べる。食堂で出されるチャパティーより厚みがあり、もっちりとしていて味もよかった。]


[ラバリ族の女性はとても派手なサリーと、白い腕輪をたくさん身に付けているのが特徴的だ。しかし未亡人になると質素なサリーしか着ることが許されない。]


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by butterfly-life | 2013-02-05 09:32 | インド色を探して