カテゴリ:南アジア旅行記( 29 )
南アジア旅行記がついに完結! 結末はCD-ROMで
 4ヶ月にわたってメルマガで連載を続けてきた「南アジア旅行記」は最終回を迎えました。
 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 メルマガでは未公開のエピソードが32話も入っている大変お得な電子書籍です。

◆ ブログで未公開旅行記の読みどころ

 ネパール旅行記では、写真集「アジアの瞳」の表紙になった少女サリタのその後が描かれています。最初の出会いから11年。6歳だった少女は17歳の大人の女性へと成長を遂げていました。

 そして、僕はサリタから驚くべき事実を告げられたのでした。



 ネパールはもう何度も旅をしている国ですが、それでもまた訪れたくなるのは、子供たちの笑顔に出会えるからです。
 これほど素朴で、好奇心に満ちた笑顔を向けてくれる国は他にはありません。

 ネパールはまた、圧倒的な「リアル」に満ちていました。重い薪を担いで急な山道を歩く人々。家の中を走り回る鶏。一心に草を食べる山羊。のんびり糞をする水牛。鼻を垂らした子供。かまどで煮炊きをするおばあさん。そんなリアルな世界に入り込んで、生活を共にしながら写真を撮る。それは僕にとってかけがえのない経験になったのです。








 バングラデシュ旅行記では、農村の子供たちにiPodを盗まれ、それを取り返すべく大捜索を行ったときの顛末をレポートしています。
 旅先でものを盗まれることは滅多になかったのですが、このときは少し油断していてやられてしまいました。でも、この事件を通して、バングラデシュの村でどのようにして秩序が保たれているのか、子供がどのようにして大人になっていくのかがわかったのです。

 ガンジス川の河口に位置するハティア島では、自然に翻弄されながらもたくましく生きる人々の姿を追いました。ノーベル平和賞を受賞したユヌス氏が提唱する「マイクロ・クレジット」の光と影についても知ることができました。

 この旅行記を通じて、日本ではあまり報道されることのないバングラデシュという国のリアルで愉快な姿を感じてもらえるのではないかと思います。








◆ 高画質写真ファイル

 CD-ROM「南アジア編」に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1303枚。「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。(画質は、サンプル(1) (2) (3)でお確かめください)

 このデジタル写真集には、南アジアの温かい風がとじ込められています。旅人が何を求めているのか、どんなときに心を動かされ、どんな光の中でシャッターを切っているのか。それが写真から伝わってくるのではないかと思います。
 写真が持つイメージの力を存分にお楽しみください。


 ◆ ご注文方法
 CD-ROMの価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
 この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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by butterfly-life | 2012-10-29 10:51 | 南アジア旅行記
スリランカ人が親日家な理由
■ スリランカ旅行記(4) スリランカ人が親日家な理由 バックナンバーはこちら ■

 コロンボをぶらぶらと歩いていると、不意に日本語で話しかけられることがよくあった。この街には若い頃に日本で働いていた人がたくさん住んでいて、僕の顔を見ると「あなた日本人?」と気軽に声をかけてくるのである。



 ディズニーランドのそばのホテルで5年働いていた人もいたし、蒲田の弁当屋で4年働いていた人もいた。渋谷の深夜営業のレストランで6年働いていた人もいたし、大阪の農場で花の栽培をしていた人もいた。

 3ヶ月間有効の学生ビザで日本に入り、そのあと5年ほど不法就労を続けてお金を貯め、スリランカに帰ってから何か商売を始める、というのが出稼ぎスリランカ人の理想的なライフプランである。スリランカ人の平均月収は1万5000円ぐらいだから、何年か日本で働いてお金を貯めることができれば、帰国後にはまずまず豊かな暮らしが約束されているってわけだ。



 しかし現実にはそう上手く行かないこともある。日本にいるあいだに遊びすぎてお金を使い果たしてしまうダメな男もいるし(それはそれで楽しそうだが)、ろくに働かないうちに体を壊して帰国を余儀なくされる人もいる。

 厚木で働いていたアジズさんは、日本から送金したお金を全て身内に使われてしまったという気の毒な人だった。自動販売機の工場で7年間コツコツ働いて貯めたはずのお金が、銀行口座からきれいさっぱり消えていたのだ。
「もらった給料は、オレのお姉さんの口座に送っていた。でもスリランカに帰ってきたら、そのお金なくなっていた。お姉さんが全部使っちゃった。家を買い、土地を買い、バイクを買って、なくなった。返してくれってオレは言ったよ。でも返してくれない。どうして? わからないよ」

 ひどい話である。必死に働いて貯めたお金をいくら身内とはいえ勝手に使い込まれてしまったのだ。普通に考えればものすごく腹の立つ出来事だと思うのだが、アジズさんは「わからないよ」と首を振るばかりなのである。いい人なのだ。そしてその人の良さにつけ込まれたのだろう。



 アジズさんがスリランカに帰国したのは10年以上も前なのだが、彼の日本語は実に流ちょうだった。まるで昨日まで日本にいたかのようにスムーズでよどみがないのだ。こっちに日本人の友達でもいるのだろうか?
「いやー、日本人と話したのは5年ぶりだよ。こんなところ、日本人なんて通らないから」
「5年ぶり? そのあいだ一度も日本人と話をしていないんですか?」
 これには驚いてしまった。帰国して5年も経つと、たいていの人は日本語を忘れていくものだからだ。「ニホンジン?」と声を掛けたまではよかったが、その後がさっぱり続かずに、結局英語での会話に切り替えてしまう人も多い。日本人観光客やビジネスマンと日常的に接している人を除けば、スリランカ国内で日本語を使う機会はほとんどないから、日本語力も錆びついてしまうのが普通なのだ。

「ほんとに一度も話したことないよ。でも、頭の中で日本語を話してたね。毎日。だから忘れないね」
 なんと、彼は頭の中での会話、つまりイメージトレーニングを続けることで、日本語の力を保っていたというのだ。それもこれも「もう一度日本で働きたい」という強い思いがあるからなのだろう。

「20年前、日本のビザ取るのは簡単だった。でも今はとても難しい。手続きがたくさんいるね」
 アジズさんは暗い顔をする。ビザ発給条件が日本語の会話力だけを問うのであれば、彼は文句なくパスできるだろうが、残念ながら一度不法滞在が露見した人が再び就労ビザを取るのはかなり難しいようだ。だから彼はいまコロンボのバスターミナル近くの路上でライターなどの小物を売っている。はっきり言ってしょぼい商売である。一日の売り上げもたいしたことはない。でも生きていくためには、こんな仕事でもやり続けるしかない。


[コロンボの街で見かけた鳥居。これはどこからどう見ても神社の鳥居である。日本人が建てたんだろうか? それとも日本びいきの親日家が建てたんだろうか?]


[日本人観光客用に立てられた看板。ま、言っていることはわかるんですけど、「緑休暇の運送先」ってすごい直訳ですね。]

 日本に行ったことのないスリランカ人にとっても、ジャパンの印象はおおむね良いようだった。スリランカ人は日本政府が多大な援助を行っていること、特別大使である明石康氏が何度もスリランカを訪れて和平交渉の橋渡し役をしていることなどを、新聞やテレビを通じてよく知っていた。また「日本人は真面目で勤勉」というパブリックイメージも定着しているようだ。もちろん(僕も含めて)そうではない人もたくさんいるわけだが。

「スリランカ人は本当に働かないんです」
 と力を込めて言うのは、コロンボで宝石商を営むアファームさんだ。彼もまた日本で暮らした経験があるので、日本語がぺらぺらだった。
「スリランカ人は誰も見ていないとすぐにサボるんです。仕事をしないで、お喋りばかりしている。昼休みは45分と決まっているのに、実際は1時間半も休んで、やっと働き始める。だからこの国はなかなか発展しない。何十年もずっと同じ状態。そこが日本との違い。日本はいつも変わり続けている。階段を上っている」
 アファームさんはそう言って深い溜息をついた。経営者としては従業員に日本人の勤勉さを見習ってほしいのだろう。

 日本製品を通じて日本のことが好きになった人もいた。リズワンさんはマツダのワンボックスカーを買ったことで、すっかり日本のことが気に入ったという。
「ジャパンカー ベリー ナイス!」
 彼はそう何度も繰り返した。故障が少ないし、燃費も良いし、運転もしやすい。インド製なんて足元にも及ばない。しかし実際には、スリランカ国内を走る車の大半はインド製である。特にバスやトラックの分野ではインド製のくたびれた中古車が独占していて、とんでもなく汚れた排気ガスをもくもくとはき出しながら町中を走っていた。それがコロンボの大気汚染の原因ともなっていたのだ。


[トラックの中古ボディーを専門に扱う店。ここでも日本車が圧倒的な人気だ。]

「ジャパンカー ベリー ナイス! バット エクスペンシブ!」
 とリズワンさんは悲しそうに言う。彼が手に入れたマツダの車は10年は乗られた中古車なのだが、なんとこれが290万円もしたというのである。スリランカでは中古車に対して300%の輸入関税がかけられている。つまり日本での価格の4倍になるということだ。例えば日本で50万円の中古車を買ってスリランカ国内に持ち込むと、150万円の関税を支払うことになるのである。
 庶民が自動車を手に入れるのは夢のまた夢、というのがスリランカの現状のようだ。


[バイクショップで売られていた中国製の50ccのバイク。ブランド名の「UMAZAKI」は明らかに日本語を意識している。シンボルマークが「馬」なのもおかしい。さすがはメイド・イン・チャイナだ。ちなみにお値段は4万5千ルピーで、これはインド製スクーターの半額である。]


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by butterfly-life | 2012-10-24 10:11 | 南アジア旅行記
人との距離が近い街
■ スリランカ旅行記(3) 人との距離が近い街 バックナンバーはこちら ■

 コロンボで知り合った人は、どういうわけかやたらと顔を近づけて話をしてくるのだった。ツバが顔にかかるぐらいまでグイッと接近して話さないと気が済まないのだ。バングラデシュのダッカも人と人との距離が近い街だが、コロンボはそれ以上だった。



「ハロー、フレンド!」
 男はいきなりそう言って握手を求めた。まだ言葉も交わしていないのに、いきなり友達である。フレンドリーなのは結構だが、順序ってものがあるだろう。そんな風に思っている僕を置き去りにして、男はすごい勢いで話しはじめた。
「あんたジャパンから来たのかい? 俺はキャンディーで生まれたんだけどね、仕事でコロンボに住んでいるんだ。この街は好きかい? 俺は嫌いだよ。騒々しいし、空気は汚いし、人も多すぎるからね。キャンディーはいいところさ。あんたも行くべきだよ。なんなら案内しようか?」

 男は聞いてもいないことをべらべらとまくし立てながら、僕の耳元にじわじわと近づいてきた。最終的には10センチぐらいの距離にまで接近してきたのだった。体臭まではっきりわかる近さだ。そんなに近づかなくても、ちゃんと聞こえてるってば。
「俺は30歳だけど、まだ結婚していないんだ。日本人の女はとてもビューティフルだと聞いている。俺は日本人と結婚したい。どうしたらいいだろう? 俺みたいな男は日本人の女にもてるだろうか? 日本人の女はどういうタイプが好きなんだい? プレゼントには何を用意したらいい?」
「知らないよ、そんなこと」
 突き放したように僕が言うと、男はあっさりと「じゃあね」と立ち去っていった。フレンドリーなわりに淡泊。それがコロンボの流儀なのだろうか?


[コロンボの卸売市場で働く男たち]


[魚市場で働く男たちもにこやかだった。]

 コロンボはスリランカ最大の都市であり、実質的な首都である。(正式な首都は「スリジャヤワルダナプラコッテ」という舌を噛みそうな名前の街なのだが、ここは立法府および司法府が置かれているにすぎない)

 僕はアジアの首都というものがどうしても好きになれないので、旅をするときにはなるべく早く首都から脱出することにしている。どの街もうんざりするほど広く、全体像がなかなか掴めないうえに、住人もどこかよそよそしく、忙しそうに歩き回っているからだ。首都はどれも似たような顔をしている。東京もデリーもバンコクもジャカルタも。

 しかしコロンボは違っていた。歩いていても親しみが感じられる街なのである。それは人口64万(都市圏全体では220万)という比較的コンパクトな規模のせいでもあるのだろう。中心地には高層ビルが立ち並ぶ一角があるものの、そこから少し離れた住宅街には猥雑で温かみのある庶民の暮らしぶりがどっしりと根を下ろしているのである。


[コロンボの卸売市場で働く男たち]

 ひとたび子供たちにカメラを向けると、たちまち「ボクも撮ってよ!」と大騒ぎになってしまうのも、首都らしからぬ反応だった。カメラに満面の笑みを向けてくれるのはいいのだが、いつまでも離れることなくずっと後ろをついてくるのには参った。まさに「金魚の糞」状態である。

 そんな子供たちをようやく振り払うことができたのは、一人のおじさんが「あっちへ行け!」と手荒く追い払ってくれたからだった。こういう良識ある大人がきちんと注意してくれるのは本当にありがたい。
「すまないね。スリランカのボーイはちょっとクレイジーなんだよ」
 おじさんは申し訳なさそうに言った。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
 僕がお礼を言うと、おじさんは意外な言葉を口にしたのだった。
「わたしの写真を一枚撮ってくれないかな?」
 これにはずっこけそうになった。
 まったくもう、ただ単に自分も撮ってほしかっただけなのだ。




 コロンボの街には「SPORTING TIMES」と書かれた看板を出している店がいくつもあった。「スポーツの時代」とでも訳したらいいのだろうか? 何かスポーツに関係する施設らしいのだが、その正体がよくわからなかった。店に出入りしているのは40代から60代のややくたびれた感じのおじさんばかりで、「さぁ今からスポーツをするぞ」という雰囲気には見えないのである。スリランカにはボディービルジムも多いのだが、それとも様子が違っている。

 「SPORTING TIMES」とはいったい何なのか。気になったので店に入ってみることにした。
 店の中は昼間でも薄暗く、タバコの煙がもうもうと立ちこめていた。場末の安酒場っぽいぶっきらぼうな雰囲気である。店内には30人ほどの男たちがいて、部屋の隅に置かれた二台のテレビを食い入るように見つめていた。画面に映し出されているのは競馬レースの実況中継だ。男たちは競馬新聞をテーブルに広げ、鉛筆で印を付けていた。なるほど。どうやらここは場外馬券売り場らしい。

 「SPORTING TIMES」が日本の馬券売り場と違うのは、賭けの対象がスリランカ国内の競馬に限らないという点だ。イギリスやオーストラリアや南アフリカなどで行われてる競馬やドッグレースが、幅広く賭けの対象になっているのである。営業を取り仕切っているのはイギリスのブックメーカーで、スリランカにいながら世界各地のギャンブルをリアルタイムで楽しむことができるというシステムらしい。



 アフタブさんというおじさんが賭け方を教えてくれた。ルールは簡単である。このとき行われていたのはオーストラリアの競馬だったが、次のレース結果を店に用意されたオーストラリアの競馬新聞をもとにして予想するのである。何番の馬にいくら賭けるかが決まれば、それを投票用紙に書いて、掛け金と一緒にカウンターに持っていく。締め切りは各レースが始まる直前。この辺はかなりアバウトである。そしてレースが終わると、現地発表のオッズにしたがって払い戻しが行われる。わかりやすい仕組みだ。



「いやー、昨日は3000ルピーも負けちゃったんだよ」
 アフタブさんはあっけらかんと言う。スリランカ人の平均所得を考えると、3000ルピー(3000円)というのはかなり大きな金額だ。ここにはある程度自由になるお金と暇を持ち合わせた人々が集まっているのだろう。予想のために英字新聞を読みこなす必要もあるわけで、このギャンブルは庶民が気楽に楽しめる娯楽ではなさそうだった。もっとも本当のお金持ちは、コロンボに数軒ある国営カジノ(VIPと外国人しか入れない)に行くらしいのだが。

 競馬が終わると、画面はドッグレースに切り替わった。するとアフタブさんが、
「次のレースの予想をしてくれないか?」と言ってきた。
「そんなの無理ですよ。何も情報がないんだから」
「それでいいんだよ。君の頭に浮かんだ数字を言ってくれればいい。私にもたいした情報があるわけじゃないんだから」
 なるほど。どうせ適当に賭けているんだったら、外国人のビギナーズラックにあやかるのもいいだろうと考えたわけだ。それなら気楽である。
「じゃ、3番」と僕は言った。「負けても責任は持ちませんからね」
「ああ、わかっているさ」

 アフタブさんはすぐにカウンターに行って、3番に150ルピーを賭けた。どうやら事前の人気は高くない「穴犬」らしい。しかしアフタブさん以外にも何人かの男が3番に賭けた。なんか面白そうだと思って乗ってきたのだ。

 しかしレースは惨憺たる結果だった。僕が予想した3番の犬は出だしからつまずいて、一度も先頭集団に加わることなく、後ろから三番目でレースを終えた。結果は1番の独走だった。あーあ。

 アフタブさんをはじめ3番にかけた男たちは、小さくため息をついた。もちろん僕に対して文句を言う人はいなかったが、それでも居心地はなんとなく悪かった。やはりギャンブルというのは自己責任でやるべきなのだ。他人のビギナーズラックなんかに頼っちゃいけない。

「負ける日もあれば、勝つ日もある。でも結局はみんな負ける。儲けるのはブックメーカーだけだ」
 とアフタブさんはクールに言う。おっしゃる通り。至言である。ギャンブルで勝つのは胴元だ。
「それがわかっているのに、どうしてここにいるんですか?」
「いい質問だね」と彼はにやっと笑う。
「夢だよ。もしかしたら大金が手に入るかもしれないっていう夢。それがあるからギャンブルはやめられないんだ」
 ギャンブル好きの人間というのは、世界中どこでも似たようなことを言うようだった。


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by butterfly-life | 2012-10-19 11:00 | 南アジア旅行記
漁師が英語を話せる国
■ スリランカ旅行記(2) 漁師が英語を話せる国 バックナンバーはこちら ■

 スリランカは島国なので、日本と同じように漁業が盛んだ。海沿いを旅していると、小規模な漁村が数キロおきに点々と続いていることに気付く。浜辺では男たちが網を引く姿がそこかしこで見られる。





 スリランカ北東部にあるニラヴェリは、典型的な半農半漁の村だった。男たちが漁に出ているあいだ、女たちが畑仕事をする。モーターボートで沖合に出ていた漁師たちが、本日の獲物である2匹の伊勢エビと5匹のヒラメを見せてくれた。大漁だったらしく、漁師たちも顔をほころばせている。伊勢エビは1キロ5000ルピー(5000円)、ヒラメは1キロ300ルピーで仲買業者に売れるのだそうだ。さすがは伊勢エビ。超が付くほどの高級品である。


[ニラヴェリ村でタマネギを植える女たち。腰をかがめて小さなタマネギの球根を土に埋め込んでいく。2ヶ月後には収穫できるそうだ。]



 スリランカ西部の町チラウに住む漁師たちは面白い方法で漁を行っていた。畳一枚分ぐらいの小さな板状のボートに座り、半分に割った竹をオール代わりにして、沖へと漕ぎ出すのだ。エビや小魚が網にかかるらしい。夜明け前に海に出て、朝の8時頃には浜辺に戻ってくる。こんなに小さくて不安定な乗り物でよく転覆しないものだ。


[小さなボートで漁に出る男]



 チラウの魚市場は活気に満ちた場所だった。50キロぐらいある大きなマグロがごろごろしていた。大型魚はコロンボなどに運ばれるようだが、小さな魚は地元の人が買って、その場でさばいてもらっていた。市場には魚の解体を専門にしている男たちが並んでいて、慣れた手つきでざくざくと頭や骨を切り落としていく。


[魚市場で魚をさばく男たち]



「マグロはだいたいコロンボの高級ホテルやレストランに卸されるんだ。輸出はあまりしていないんじゃないかな。日本人がとりわけマグロが好きなのは知っているけどね」
 魚市場で親しげに話しかけてきたアントニオさんが教えてくれた。もともと古都キャンディーで観光ガイドの仕事をしていたのだが、内戦激化のあおりを受けて観光業が落ち込んだので、魚の仲買人に転身したのだそうだ。ずいぶん思い切った転職である。なかなかダンディーな風貌で、ちょいワルな雰囲気も持っている。若い頃は相当モテたんじゃないだろうか。

「結婚は三回したんだ」とアントニオさんは自慢げに言った。「一人目はスペイン人だった。スペインに10年間住んでいたときに知り合ったんだ。いい女だった。やさしくて情に厚くて、お尻が大きかった。二人目はブラジル人だった。こいつは情熱的だったね。毎晩セックスしなきゃ気が済まないんだ。三人目のスリランカ人が一番美人なんだ。今はこの妻と一緒に暮らしている。俺はブラジル人の妻のことも好きなんだけど、他に妻がいることを知った途端に出て行ってしまったんだ。女っていうのはどうしてあんなにすぐに怒るんだろうね。不思議だよな。みんな仲良くすればいいじゃないか。そう思わないか?」

 不思議なのはあんただよ、と思わずツッコミを入れたくなったが、彼は飄々とした表情で「みんな仲良く」と繰り返すのだった。スリランカで重婚が認められているのかは知らないが、アントニオさんは法律のことなど全然気にしないでマイペースで暮らしているようだった。困った男だが、どことなく憎めない人でもあった。


[スリランカ西部プッタラムには大規模な塩田があった。ベトナムと同じようにトンボのような道具を使って地面をならしている。]



 田舎を旅しているときは、基本的に身振り手振りでコミュニケーションを取ることになる。これはアジアのどの国でも変わらない。比較的英語が通用する南アジア諸国やフィリピンでも、英語を話せる人は都市部に集中しているので、農村や漁村で流ちょうに英語を話す人に出会うことはほとんどないのである。

 しかしスリランカでは事情が違っていた。その辺にいる漁師のおっちゃんや食堂のおやじさんまでもが、(片言ながらも)ちゃんと理解できる英語を話してくれたのである。これはスリランカの教育レベルの高さを裏付けているのだろう。実際、スリランカの識字率は92%を超えていて、南アジアでもっとも高い水準なのである。







 カルムナイという漁村で船の手入れをしていたおじさんとも、英語で世間話をすることができた。
「今はシーズンじゃないから、魚はあまり捕れないんだよ。3月になれば魚が集まってくるんだ。一日の漁で2万ルピーも儲かるときもある。それを漁に出た3人と船のオーナーとで4等分するんだよ」
「魚が捕れない時期はどうしているんですか?」
「そりゃ困るねぇ。他の仕事をするか、どこかから金を借りてこなくちゃいけない。いつもギリギリの生活なんだ。3年前津波に襲われたときは、この村でも何百もの家が壊れたんだ。俺たちの船も壊れちまったから、直すのが大変だったんだ」
 おじさんは敬虔なムスリムらしく、「津波のときにもモスクだけは壊れなかったんだ」と胸を張った。スリランカ人の7割が仏教徒だが、漁村にはムスリムとキリスト教徒の割合が高いのである。
「あんたは日本人かい?」
「そうです」
「日本はいい国だよ。俺の仲間の船もヤンマーのエンジンを積んでいるんだ。ヤンマーは日本製だろう? 日本人はほんとにいいものを作るな。全然故障しないんだ。インド製とは違うよ。日本の技術は本当に素晴らしいよ」

 1月の海は波が高いので、小さな漁船が出航するのはかなり大変そうだった。大きな波を受けて、船が45度ぐらいまで傾くこともある。船の横腹についている浮きによって、何とか転覆せずにバランスを保っているようだった。


[波を受けて大きく揺れる漁船]



 英語を話すおじさんは「あんたもこれに乗って海に出てみるかい?」と誘ってくれたのだが、あの激しい揺れようを見る限り、僕にはとても無理だと思ったので、丁重にお断りした。あれじゃまるで安全バーなしでジェットコースターに乗るようなもの。プロの漁師はともかく、素人の僕が無事に戻ってこられるとは思えなかった。

 スリランカの漁村ではずいぶんたくさんのシャッターを切った。青い海と晴れ渡った空、打ち寄せる波と背の高い椰子の木。漁村にはこういった「絵になる」アイテムが揃っていたからだ。しかしそれ以上に嬉しかったのは、人の絆を感じさせるシーンに数多く出会えたことだった。





 漁師たちは常に誰かと協力しながら漁を行う。漁船は一人では操れないし、浜に戻ってくるときにもたくさんの仲間の手を借りなければいけない。誰かを助けたり、誰かに助けられたり。そういった密な関係があってはじめて漁というものが成り立っているのだ。

 もう船に乗ることができない老人も、網を引く仕事なら手伝えるし、海で遭遇した数々の経験を次の世代に語り継ぐこともできる。ここには必要とされていない人などいない。誰もが小さな生きがいを感じながら日々を生きている。
 そんな漁村の暮らしぶりに、僕は心を動かされ、人々にレンズを向けたのだった。






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by butterfly-life | 2012-10-15 13:53 | 南アジア旅行記
「午後の紅茶」の故郷へ (スリランカ旅行記1)
■ スリランカ旅行記(1) 「午後の紅茶」の故郷へ バックナンバーはこちら ■

 スリランカは赤道にほど近い常夏の島国だ。最大都市コロンボの最高気温は、一年を通じて30度から33度程度で一定している。要するにどの季節でも暑いのだが、インドの内陸部のように40度を超える猛暑に襲われることはない。

 しかし標高が高い山岳地域に入ると、空気の質はがらりと変化する。ねっとりとまとわりつくような南国の風が、ひんやりと軽やかな高原の風に変わるのだ。特に標高1900メートルにあるヌワラ・エリヤという避暑地は、「リトル・イングランド」と呼ばれているだけあって、日中でもジャンパーが必要なほど涼しかった。朝晩の冷え込みも相当なもので、宿では毛布を二枚重ねてもまだ足りないぐらい寒かった。



 そんな冷涼な山岳地域で栽培されているのが、あの有名なセイロンティーである。ここには英国植民地時代から続く大規模な茶農園がいくつもあって、丘という丘、斜面という斜面がすべてお茶の木で覆い尽くされているのだ。


[お茶の木が植わった斜面がどこまでも続いている。きちんと管理された統一感のある眺めは、お茶の栽培を始めた英国人の律儀さとも重なって見える。]







 紅茶は昔も今もスリランカの主要な商品作物だ。生産高はインドに次いで世界第二位で、世界100ヶ国以上に輸出されているという。特にウバ州で作られているウバ茶は高級品として知られていて、あの『午後の紅茶』のミルクティーにも使われている。

 お茶の葉の摘み取りは女たちの仕事だ。素早い手つきで茶葉を摘み、背中に背負った袋の中にひょいひょいと放り込んでいく。マハウバ茶農園のマネージャーであるナゼレスさんによれば、茶摘みは7時半に始まって4時半に終わるという。一日にとれる茶葉の量は季節によって差があり、1月は一人あたり10キロほどだが、3月から5月にかけての最盛期には一人あたり40キロもの茶葉を収穫するという。


[収穫した茶葉を計量する]

 労働者の日給は300ルピー(300円)。摘んだ量に応じたボーナスが支払われることもあるが、それでも生活は楽ではない。世界的なインフレと原油価格の高騰のあおりを受けて、ここスリランカでもモノの値段が急激に上がっているからだ。


[茶葉を摘んでいるのは女ばかりだった。]









 茶農園で働く労働者の多くはタミル人だ。英国植民地時代にスリランカで本格的な紅茶の生産が始まったときに、インド南部のタミル州から海を渡って移住してきた労働者の末裔である。そしてスリランカで国を二分する内戦が始まったのも、このタミル人移民の問題がきっかけだった。

 しかし茶農園で働くタミル人たちは、内戦やテロとは無縁の穏やかな日常を送っていた。スリランカ北部を旅したときには数キロごとに軍による検問所が設けられていたのだが、中部山岳地域にはそういったものは一切なかった。ここには低賃金ながらも毎日きちんとした仕事があり、日々の暮らしは安定している。だから政府に強い不満を持つ人は少ないようだ。


[昼間働いている女性たちのために、農園内には託児所が設けられていた。子供たちは繭の中の蚕のように、ハンモックの中で静かに寝息を立てていた。]


 農園の敷地内には、茶葉を紅茶に加工する工場もあった。100年以上の歴史を持つ古い工場もいまだに現役で活躍している。そんな歴史ある工場のひとつを見学することができた。レヴァロンの紅茶工場は1880年に操業を始めたスリランカでももっとも古い紅茶工場のひとつである。高い煙突とレンガ作りの外観は古めかしく、中の設備もクラシックそのものだった。


[茶農園には紅茶工場と人々が住む集落と学校がひと揃いになっている。]

 紅茶の製造工程は次のようなものだ。まず収穫した茶葉が工場に運ばれてくると、それを網の上に均等に広げて、扇風機で風を送って水分を飛ばし、茶葉をしおれさせる。乾季には自然の風を、雨季には熱風を12時間ほど送ることで、茶葉の重さを収穫時の半分程度にまで減らす。それから250キロの荷重をかけて茶葉をもむ揉捻(じゅうねん)という作業を行う。そうすると茶葉は自然に発酵しはじめ、あの紅茶独特の香りを放つようになる。最後にカラカラになるまで茶葉を乾燥させれば完成である。


[摘んだばかりの茶葉に風を送って水分を飛ばす。]


[マネージャーのロドリゴさんが親切に案内してくれた。]

 紅茶工場はさほど広くはなかった。いくつかの大がかりな機械はあるものの、一目見るだけで何を行っているのかわかるようなシンプルな機械ばかりだった。部外者に見せてはいけない「企業秘密」とは縁がなさそうに見えた。75人もの従業員が働いているというから、オートメーション化もあまり進んでいないのだろう。

「この工場では10種類ほどの茶葉を作っています」
 工場の管理者であるロドリゴさんが教えてくれた。
「だいたい1キロあたり300から400ルピーで業者に卸します。一番の輸出先はロシアです。その次がアラブの国々。イランやイラクにも輸出しています。うちの紅茶が日本人に飲まれているかどうかは、残念ながら知りません」





 セイロンティーの輸出先にロシアの名前が挙がったのはちょっと意外だった。確かにロシア人は紅茶をよく飲んでいる。それも紅茶にジャムを混ぜて飲むという、ちょっと変わった習慣を持っている。もちろん中東の人々も紅茶が大好きである。家の中でも外でも四六時中チャイを飲んでいる。

「ムスリムはお酒を飲まないから、代わりに紅茶を飲むんだそうですよ」
 とロドリゴさんは言う。それは確かにその通りなのだろうが、飲酒が禁じられている中東諸国と、無類の酒好きで知られるロシアとが、共に紅茶を大量に消費しているというのは、なかなか興味深い事実だなぁと思った。

 ある茶農園を訪ねたときに目にしたのが、村を挙げての運動会だった。子供たちが徒競走やパン食い競争をする姿は、日本の運動会とそっくりだったので、なんだか懐かしくなってしまった。


[パン食い競争って、手を使っちゃいけないんだよね…]

 この運動会のフィナーレを飾った綱引きがすごかった。力自慢の男たちが左右に分かれて綱を引き合うのだが、その盛り上がり方が尋常じゃなかったのだ。意地と意地、プライドとプライドが激突するダービーマッチのような荒々しい雰囲気で、綱を引く男たちは血管が切れそうなほど全身に力を込めているし、取り囲んだ人々もあらん限りの大声を張り上げて応援していたのだ。





 実はこの運動会はお互いにライバル意識の強い「農園労働者」と「工場労働者」がチームを組む対抗戦形式で行われている。茶葉を摘み取る人も、茶葉を加工する人も、普段は同じ村で仲良く暮らしているのだが、この日だけは「あいつらには負けたくない」という対抗意識をむき出しにするのだという。

 体格的には工場労働者の方が勝っているように見えた。1本目は予想通り工場労働者チームの勝利だったが、2本目は農園労働者が意地を見せ、結局は一勝一敗の引き分けという結果に終わった。




[勝利に沸く農園チーム。これで1勝1敗の引き分けに持ち込んだ。]

 ときにはエキサイトしすぎて殴り合いの喧嘩に発展することもあるというから(そういうところもサッカーのダービーマッチとそっくりである)、引き分けに終わったのはお互いにとって良かったのだろう。

 試合が終わると、男たちはお互いの健闘をたたえ合ってがっちりと握手を交わした。
 そしてそのあとはもちろん、美味しいセイロンティーで乾杯したのだった。


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by butterfly-life | 2012-10-09 12:40 | 南アジア旅行記
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by butterfly-life | 2012-10-04 15:23 | 南アジア旅行記
竹やりが必需品? 小数部族の村の驚くべきトイレ事情
■ バングラデシュ旅行記(29) トイレは竹やりと共に バックナンバーはこちら ■

「トイレに行きたくなったら、これを持っていきなさい」
 そう言って村長が手渡してくれたのは、先を尖らせた太い竹だった。太平洋戦争末期に「本土決戦」を覚悟した女性が持たされたような竹やりが、なぜ用を足すときに必要なのだろう。ひょっとしたら、これで尻を拭けということなのだろうか。日本でも、紙で拭くようになる前は竹のヘラでこそぎ落としていたっていうからな。

 村長に目的をたずねてみると、意外な答えが返ってきた。
 竹やりは豚を突くためのものだというのだ。この村の豚は人間のウンチが大好物で、用を足そうとズボンを下ろしてしゃがみ込んだだけで、「お、ご馳走が出てくるぞ」とばかりにその人の周りに集まってくるというのだ。中にはまだモノを出さないうちから尻をなめ回すヤツもいるらしい。要するにこの竹やりは背後から迫ってくる豚を突き、ヤツらがひるんだ隙に用を足すためのものなのである。

 しかし「竹やりで豚を追っ払いつつ用を足す」なんて器用なことが僕にできるんだろうか?
 不安な気持ちを抱きながら、僕は村はずれにひとつだけある高床式のトイレに向かった。実はこのトイレはNGOの指導のもとで数ヶ月前に新しく作られたもの。それまでは屋外で、それこそ竹やりで豚を追い払いながら慌ただしく用を足さなければいけなかったのだが、今は一応壁で仕切られた個室で落ち着いて用が足せるようになっていた。

 それでも豚はやってきた。僕がトイレに入るやいなや、その気配を察知した豚の親子が猛然と駆け寄ってきたのだ。高床式のトイレは部屋の真ん中に四角い穴が空いていて、そこから排泄物が地面に落下するというきわめてシンプルな作りになっているのだが、その豚の親子は「もう待ちきれない!」といった感じで、ブヒブヒと鼻を鳴らしながら穴の下から僕の尻を見上げているのである。す、すごい。噂通りとんでもなく貪欲な豚である。


[トイレの下で「大好物」を待ち受ける豚の親子]

 僕は通常、お通じのよい方である。便秘になることはほとんどない。それは僕が誇れる数少ない特性のひとつなのだが、この時ばかりはさすがにひねり出すのにかなりの時間を要した。誰かに排便を見られるというのは、しかも下から「見上げられる」というのは初めての経験だったからだ。しかも豚の目は真っ赤に血走っていて、「おい、早くしろよ」といきり立っているのだ。前足を思いっきり伸ばして、鼻先を尻にくっつけんばかりの勢いなのである。

 僕は村長に渡された竹やりで豚の鼻面を突いた。ここで一発ぶちかましておかないと、図に乗った豚に尻を舐められそうだったからだ。しかし豚はめげなかった。すぐにまた鼻面をぐいっと近づけてくる。

 くそ。僕は再びやりを手にして、今度は思いっきり突いた。その一撃でさすがの豚も意気消沈したのか、しばらくはおとなしくしていた。ざまぁみろ。こうしてようやく落ち着いて用を足すことができたのである。

 豚は僕が落としたモノをまたたく間に平らげてしまった。よほどお腹が空いていたのだろう。すさまじい食欲だった。豚はなんでも食う動物だと言われている。残飯であっても人糞であってもお構いなし。そんな雑食性の動物であるがゆえに、ある地域では非常に便利な家畜として重宝され、ある地域では汚い生き物として忌み嫌われている。そんな話を知識として知ってはいたが、実際にこうして「ウンチを食べる豚」を目にすると、なるほどあの話は本当だったんだなぁと妙に感心してしまった。


[体を寄せ合う豚の赤ちゃんはかわいい]

 豚が処理するトイレ。それは究極のエコトイレでもあった。人糞を食べた豚が肥え太り、その肉を人が食べるわけだから、無駄なものが一切出ないわけだ。

 人間も豚も同じように食べ、同じようにウンチをひねり出し、生きて、そして死んでいく。その意味では平等なのだ。人間だけが循環する自然の輪から外れた特別な存在だと考えるのは、単なる思い上がりにすぎないのではないか。豚のトイレはそんなことを教えてくれたのだった。



 夕方になると、村人たちが伝統の踊りを披露してくれた。男たちが「プロン」という竹とひょうたんで作った楽器を吹き、民族衣装で着飾った女たちが一列になって踊る。プロンの作り自体はかなりちゃちなのだが、30人もの男たちによって一斉に奏でられる音は、幾重にも重なり合って、パイプオルガンのような深みを持って村中に響き渡っていた。



 この踊りが意味するところは長老にもわからないという。元々は何らかの意味があったのだろうが、ある時点で忘れ去られてしまったのだろう。ムルー語には独自の文字もあるのだが、それは代々村長をつとめる一家にだけ伝えられてきたので、天災が起これば失われてしまう危険がある。実際、3年前には焼き畑の火が原因で起こった大火事によって、ほとんどの家が焼失してしまったのだそうだ。


[動画]ムルー族の伝統舞踊

 夜には、村の男たちと一緒に酒を飲んだ。電気のない村は、夜になると真の闇に包まれるから、楽しみといえば酒を飲むことぐらいなのだろう。山岳民族の多くがそうであるように、ムルー族も酒好きである。人口の8割をムスリムが占めるバングラデシュでは、外国人以外の一般人が酒を買うのはとても難しいのだが、少数民族が自家製の酒を売り買いすることは例外的に黙認されている。

 僕らがバンドルボンの町で手に入れた米焼酎は500mlで400タカ(480円)と、この国の物価水準からすればかなり高額なものだった。しかもまずい。アルコール臭さばかりが鼻につく酒で、何かで割らないととても飲めないような代物だった。

 それでも村人たちはこの粗悪な焼酎をストレートでぐいぐい飲み、ほろ酔い気分になって歌をうたいはじめた。抑揚のない単調なメロディーで、しかも部屋の真ん中に置かれたランプの炎の前で歌うものだから、なんだか怖かった。ゆらゆらと揺らめく炎に照らされた男の顔は、必要以上に陰影が強調され、怪談を語る稲川淳二のような迫力を感じさせた。

 しかしこの歌は、意外にもラブソングだった。
「僕は君と結婚したいのだけど、今はお金がない。愛しい君よ、もう少し待ってください」
 だいたいそんな意味だという。そう、「姉さん女房婚」を受け入れるために、男たちは持参金を貯めなければいけないのだ。その苦労を歌に込めていたのである。



 ムルー族の男たちはとてもシャイで警戒心が強い。外国人と積極的に関わろうとはしないし、我々の様子を少し離れたところからそっとうかがっている人が多い。女たちが豪放で開けっぴろげな分、男たちは「しおらしい」のだ。うまくバランスが取れているものだと思う。そんな男たちの警戒心も酒が入るとあっさりと緩んでしまうのが面白かった。


[タバコを吸う村の男]

 つかの間の宴が終わると、あたりはしんと静まりかえった。ときどき家畜が鳴く声が聞こえるだけだった。
 村人は日が昇ると目を覚まし、日が暮れると眠る。何十万年ものあいだ人類が繰り返していたであろうシンプルな暮らしがここにはあった。

 外は満天の星空だった。天頂にオリオン座がぴたりと貼り付き、空をふたつに分けるように流れる天の川がはっきりと見えた。目が慣れてくると、砂粒のように細かい星までが浮かび上がってくる。さっきまでそこにあったはずの星座が見えなくなるほど、あまりにもたくさんの星が空を埋め尽くしていた。

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by butterfly-life | 2012-10-01 11:25 | 南アジア旅行記
彼女が「年下の男の子」と結婚する理由
■ バングラデシュ旅行記(28) 姉さん女房婚 バックナンバーはこちら ■

 ムルー族が持つ風習の中でも際だって特徴的なのは、婚姻制度である。一般的にムルー族の妻は、自分より10歳から15歳も「年下」の男を夫にするのだ。超が付くほどの「姉さん女房婚」なのである。配偶者を選ぶのも女性の側で、女の方から自分の好みの男にアプローチする。ちなみにムルー族の女たちにとっての「良い男」とは、「思いやりがある男」や「歌や踊りが上手な男」だという。外見はさほど重要ではない。



 女に選ばれた「年下の男の子」は、結婚に応じる気があるなら、お金を貯めなければいけない。両家に二人の結婚を認めてもらうには、日本円にして4万円ほどの結婚資金が必要なのだ。言うまでもなく、現金収入に乏しいこの村で4万円ものお金を貯めるのはかなりの難関である。どうしても用意できない場合には、夫の親が援助することもあるようだ。育てていた家畜を売ったりして、なんとか婚礼資金が準備できると、そのお金で新妻のために腕輪やイヤリングなどの装飾具を買う。

 バングラデシュに住むビルマ系の少数民族には、いわゆる「母系社会」の伝統を持つ人々が多いのだが、ムルー族は単純な母系社会ではない。夫を選ぶ権利は妻の方にあるのだが、選ばれた夫は持参金と妻を「交換」するかたちを取り、妻は夫の実家に「嫁入り」することになるのだ。

 ムルー族の女はとてもよく働く。川で水を汲むのも、山に入って山菜や芋をとってくるのも、家畜の世話も、炊事や洗濯や掃除などの家事も、ほとんどが女の仕事なのだ。男たちはあまり働かない。たまに森に狩猟に出かけて鳥やリスなどをとってくることもあるが、だいたいは家にいる。基本、「主夫」なのである。


[女たちはとてもよく働く。]

 男たちが担当するのは竹籠を編んだり、子供の面倒を見たりといった「内向き」の仕事で、他に何もすることがないときは、床に寝っ転がってのんびりとタバコを吹かせている。はっきり言ってぐうたらである。しかし、そんな夫を見ても、「あんた少しは働きなさいよ」と妻が文句を言うことはない。ここではそれが当たり前だし、逆に夫がきびきび働くような夫婦は世間体が良くないのかもしれない。「あの家の旦那さん、働き者なんですってよ。イヤねぇ」みたいに。ここは「働きたくない男」にとってのパラダイスなのかもしれないなぁなんて思ってしまう。


[川の水を汲む村の女]


[畑の手入れをするのも女たちの仕事]

 夫よりも年上で、かつ働き者であるムルー族の女は、当然のことながら気が強い。性格的にもあけっぴろげで陽気だ。シャイな人が多い山の民にしては珍しい性格である。村で女たちにカメラを向けたときにも、ニコッと笑ってくれたり、「あっかんべー」と舌を突き出してくる人が多かった。


[あけっぴろげな女たちは、こんな表情も見せてくれる。]

 ムルー族は男女を問わずヘビースモーカーなのだが、より豪快に吸うのは女の方だった。生後間もない赤ん坊に乳を吸わせつつ、煙を「ぷはー」っと鼻から吹き出している女の姿は、豪快というか「男らしいなぁ」と感じさせるものだった。

 女が外で働き、タバコを吸い、夫を選び、豪快に笑う。この村は、妻が家庭を守るのが普通であるムスリム家庭とは何から何まで正反対の社会だった。僕らが普段何げなく感じている「女らしさ」や「男らしさ」、つまりジェンダー(社会的性差)というものが、実は周りの環境によってオセロの白と黒のように変わりうるという事実を、改めて思い知らされたのだった。


[うまそうにタバコを吹かす村の女]

 僕らに同行してくれたカンさんは興味深い視点で、この村の「姉さん女房婚」の習慣が持つ意味を説明してくれた。曰く「生物学的には、セックスの相性が一番いいのが19歳の男性と38歳の女性のカップルなんだ」というのだ。

 カンさんはいくつもの会社や私立大学を設立した実業家で、外国人とのビジネスの経験から得た幅広い知識を持つ人だった。外国生活が長かったこともあって、イスラムの因習に囚われない公平なものの見方ができる人で、アッパークラスの人にありがちな押し出しの強さや傲慢さもなく、冗談好きで気さくなおじさんだった。イスラム社会ではタブー視されている下ネタも気軽に話してくる。若い頃はいろいろと遊んでいたのだろう。

「女性の性欲が一番高まるのは30代後半なんだ」とカンさんは続けた。「子供を作るラストチャンスだからね。男の場合は十代後半が一番性欲が高い。君もよく知っているようにね」
「ということは、ムルー族の結婚スタイルは理想的なんですね?」
「セックスの相性だけを見ればね。彼らがそれを知っているかどうかは私にもわからないが。でもムルー族の結婚がどれほど我々の社会通念と違っていようとも、そこには何らかの合理的な理由があると考えるべきだよ」


[陽気で働き者の女たちに比べて、村の男たちはおとなしく、影が薄かった。]

 カンさんは一般的なベンガル人のセックスに対する固定観念にも大いに問題があると言った。大半の夫婦が男の都合ばかりが優先される幼稚な性生活を送っている。男は自分がやりたいようにやるだけで、女性の喜びについて配慮することがない。女が性欲を持っていることすら認めない人が多い。

「これは男にとっても女にとっても悲劇だよ」とカンさんは言う。「会話だって同じだよ。バングラ人の男は妻の話をまともに聞かない。コミュニケーションが取れていないんだ。女の人はたいてい話したいから話しているんであって、結論を求めているわけじゃないんだ。そこのところをわかっていない男が多すぎるんだよ」

 これまでのバングラデシュでは、細やかなコミュニケーションや相互理解といったものがなくても「制度」としての夫婦を維持することはできた。伝統的な家族観や宗教的道徳規範が強い影響力を持っていたからだが、これからはそうも行かなくなる。都市部では核家族化も進み、離婚も増えている。近代化が進むと、どこも同じような問題に直面するようだ。

 ムルー族の結婚制度がどのような背景から生まれたのかはわからない。カンさんの「セックスの相性を重視した」という説は確かに興味深いが、本当にそうだったのかは確かめようがない。女性が10歳以上も年上であることのメリットとしてすぐに思い付くのは「初婚年齢が上がることによる出生率の抑制」だが、村の現状を見る限り、この説を支持するのは難しい。この村には子供がやたらと多いからだ。





 村はベビーブームのピークを迎えていると言ってもいいような状態で、どの家にも6人から8人の子供がいた。仮に妻が30歳の時に結婚したとして、8人の子供をもうけるためには、ほぼ毎年のように産み続けなければいけない。言うまでもなく、これは相当に大変なことである。



 次から次へと子供が生まれてくるからなのだろうが、村の子育てはかなりアバウトだった。自由放任というか、基本的にほったらかしなのである。忙しい母親には子供たち一人一人に構っている暇などないのだろう。まだハイハイしかできない赤ん坊が家畜と一緒に泥んこになって遊んでいたりする。糞だらけの豚や、たき火の灰にまみれた子犬や、エサを求めて歩き回る鶏たちと同じ土の上で這いずり回っているのだ。なんでも口に入れちゃう時期だから、鶏や豚の糞も間違いなく口に入っているだろう。しかしそれを気にかける人は誰もいない。タフな環境である。「か弱きベビーをあらゆるばい菌から守らなくては」と考える潔癖症のお母さんが見たら卒倒するんじゃないかと思う。


[豚や鶏と一緒に遊ぶ赤ん坊]

 それは僕の娘が置かれている環境とはあまりにも違う世界だった。一定の温度に保たれた快適なマンションで、清潔な布団と温かいお湯とウェットティッシュに囲まれた暮らし。それが東京に住む赤ちゃんにとってごく当たり前の現実だ。その一方で、同じ月齢の子供が豚の糞にまみれて暮らしている。二つの異なる現実の途方もない落差に、僕は軽い目まいを覚えずにはいられなかった。


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by butterfly-life | 2012-09-21 10:17 | 南アジア旅行記
半裸の女が暮らす村
■ バングラデシュ旅行記(27) 半裸の女が暮らす村 バックナンバーはこちら ■

 リンプン村は、人口184人の小さな集落である。ビルマ系の少数民族ムルー族(外国人にはムロン族と呼ばれることが多い)の人々が、川に沿って開けた傾斜地に暮らしている。


[ビルマ系のムルー族はベンガル人とはまったく違う顔立ちだった。]

 ムルー族はもともと狩猟採集生活を送っていたのだが、ごく最近になって米や野菜作りを始めたという。農業の開始に伴って、主食は森でとれるイモ類から米に変わったが、それ以外は昔とほとんど変わらない素朴な暮らしを送っている。電気も通っていないし、商店もない。村に部外者がやってくることはほとんどなく、外国人が来たこともない。なんと我々が歴史上初めてこの村を訪れた外国人になったのである。それぐらい閉ざされた土地なのだ。

 村に足を踏み入れてまず最初に驚いたのは、家畜の多さだった。人よりも動物の数の方がはるかに多いのだ。鶏やアヒルや鳩、犬や猫、そして豚があちこちで寝そべったり、エサをつつき回ったりしている。基本的にすべて放し飼いである。ムスリムは豚を食べないから、豚がいる光景自体この国では大変に珍しい。


[村には豚がたくさんいた。]

 もちろん豚は貴重なタンパク源だから、日常的に食べるわけではなく、祭りや婚礼の宴といったハレの日のために大切に育てられている。鶏が生む卵も食べないという。卵は必ず孵化させて、大きく育ててから、町まで売りに行くのだ。現金収入に乏しい村人にとって、鶏は数少ない「商品」なのである。



 その大切な鶏の羽根を一心不乱にむしっている若い女がいた。エサとなる米ぬかを地面に撒き、それをついばむために寄ってきた鶏を素手でひっつかまえて、強引に羽根をむしり取っていたのだ。羽根をむしられた鶏は「グゲー!」と苦悶の叫びを上げてその場から逃げ出すのだが、しばらくしてエサをまかれると、なぜかまたふらふらと女の近くに寄ってきて、さきほどと同じように捕まえられ、哀れにも羽根をむしられてしまうのだった。鶏の記憶は十秒も持たないのだろうか。ちなみにむしった羽根は楽器や耳かきの材料にするのだそうだ。





 何十羽もの鶏が次から次に羽根をむしられていく光景はいわく言い難い迫力があった。その作業を特に感情を込めることなく淡々と続ける女の横顔も味わい深いのだが、何よりも驚いたのは、彼女が上半身裸だったことだ。背中には乳飲み子を背負い、腰にはスカートを巻いているのだが、豊満な乳房はまったくの無防備で外にむき出されているのだ。


[動画]鶏の羽根をむしる半裸の女

 ムルー族はごく最近まで半裸で暮らしていたらしく、今でも暑ければ上着を脱いで半裸になるのは珍しくないというが、「半裸のまま矢継ぎ早に鶏の羽根をむしる女」という絵には強烈なインパクトがあった。いやはや、なんだかすごいところにやってきたらしい。

 僕らはリンプン村の村長の家に泊めてもらうことになった。ここに二泊して、村人の暮らしぶりや、村の生活改善のために活動するNGOの取り組みを撮影する予定だった。

「あんたらはチャクマか、それともガロか?」
 開口一番、村長が僕らに訊ねた。「チャクマ」も「ガロ」もビルマ系少数民族の名前である。外見的にはムルー族とほぼ同じなのだが、住んでいる場所が違うし、宗教や言語も異なっている。いずれにしてもビルマ系民族の顔だちは日本人ととてもよく似ているので、村長が誤解するのも無理はなかった。


[バングラデシュ北部に住む少数民族ガロもビルマ系の顔をしている。]

「いいえ、僕らは日本人です」と僕は答えた。「ジャパンという国のことはご存じですか?」
「聞いたことはある」
 と村長はベンガル語で言った。ちなみにこの村でベンガル語を話せるのは彼一人だけである。他の村人はムルー語しか話せないから、村の事情を訊ねるためには必ず村長を通さなければいけなかった。

「ジャパン。聞いたことはあるが、よく知らない」
 村長も他の村人も「ジャパン」という国名から具体的に連想できることは何ひとつないようだった。学校もなければ、テレビもない、新聞もないし、都会に出たこともない。そういう人々にとって「外国」という存在はあまりにも遠いものなのだろう。彼らは長いあいだ半径数キロメートルの世界で完結する暮らしを営んできたわけで、日本がどんな製品を輸出していようが、アメリカの大統領が誰だろうが、中国の経済成長率が何パーセントだろうが、そんなことは日々の生活に何の影響も及ぼさない。知ったこっちゃない、のである。

 村長の家は竹を組んで作った高床式で、家財道具がほとんどないので部屋の中は広々としていた。煮炊きに使う囲炉裏、鍋や釜の類、ナタやクワなどの刃物、ひょうたんを乾かして作った水瓶、山で使う竹籠などがこの家の持ち物のほとんどすべてである。


[リンプン村の家屋は竹を材料につくられている。]


[かまどでご飯を炊く]

 村人は生活必需品の大半を自分たちの手で作っている。例えば女たちが腰に巻いているスカートも、綿花を栽培するところから始めて、糸を紡ぎ、色を染め、織機で布を織るところまで、すべて自前で行っている。一枚の布を織るのに1ヶ月半もかかるというから、ずいぶんとまぁ気の長い話である。


[収穫した綿花]


[昔ながらの織機で布を織る女性。雨季には増水した川によって外部との行き来ができなくなるので、ひたすら布を織る毎日だという。]

 村長の家には古い電池式のラジカセがあり、それが唯一の「近代メディア」である。「RINSING」という耳慣れないメーカーの製品(たぶん中国製)だった。ラジオだけでなく、録音と再生ができるテープレコーダーが付いている。

 村長が僕らのリクエストに応えておもむろに再生ボタンを押すと、スピーカーから奇妙な歌声が聞こえてきた。テープが伸びているのか、やたら音質が悪くて、メロディーも不明瞭だったのだが、耳を近づけて聞いてみると、何人かの男がお経らしきものを唱えているように聞こえた。

 村長曰く、これはムルー族が信仰するクラマー教の儀式を録音したものだそうだ。クラマー教は古くからのアニミズム信仰と、宣教師によって伝えられたキリスト教が混ざり合った独自の宗教だという。


[トリプラ族の村で出会った少女]

 チッタゴン丘陵地帯に住む山岳少数民族の多くは、キリスト教の影響を受けている。リンプン村から歩いて1時間ほどのところにあるオナロン村に住んでいるトリプラ族も、全員がキリスト教徒だった。キリスト教の宣教師たちは辺境に住む「未開」の人々に神の恩寵を与えるというミッションを強く信じていて、そのためなら命をも投げ出す覚悟で布教にやってくる。そして布教活動と平行して、村に病院を建てたり、学校を作ったりすることで、村人からの信頼を得てきたのである。


[トリプラ族の女性は首にたくさんのネックレスをかけている。]


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by butterfly-life | 2012-09-07 12:00 | 南アジア旅行記
精米所の光
■ バングラデシュ旅行記(15) 精米所の光 バックナンバーはこちら ■

 UFOみたいな奇妙な物体が、のどかな田園地帯に突然現れた。
 それは直径3mほどの円錐状で、ベトナム女性が被っているすげ笠を巨大化したような形をしている。



 いったい何なんだ、これは。
 不思議に思ったので、そこで働いている人に訊ねてみた。すいません、これは何に使うんでしょう?
「あぁこれね。これはお米にかぶせるフタなんだよ」
 親切に教えてくれたのは、精米所でマネージャーをしているカリムさんだった。この精米所では収穫した後の籾(もみ)を一度天日干ししてから精米するのだが、乾いた後の籾が雨で濡れてしまわないように、この円錐形のフタをかぶせておくのだという。


[フタは竹を編んだものに布を張って補強してある。]

 カリムさんの案内で精米するまでの流れを見学させてもらった。
 まず初めに行うのは、収穫した籾米を高温の蒸気に数十秒さらして蒸す行程だ。これは「パーボイルド」といって南アジアで広く行われている伝統的な加工法だそうだ。加熱することでカビや害虫の発生を防ぎ、保存性を高めるのが目的だという。また粘り気がとれて食べやすくなったり、栄養価が増したり、腹持ちがよくなるという効果もある。(その代わり味はいくぶん落ちることになるのだと思う)


[籾米を高温の蒸気に数十秒さらして蒸す「パーボイルド」という行程]

 蒸した籾は大きな湯船に一晩つけられた後、コンクリート床の上に広げて天日で乾燥させるのだが、この床がとんでもなく熱かった。南国の強烈な日差しにあぶられた床の表面は、おそらく50度を軽く超えていたはずだ。アチチチ。これじゃすぐにやけどしてしまう。労働者と同じようにサンダルを脱いで裸足で床の上に立った僕は、タップダンサーみたいに常にステップを踏んで片足を地面から離しておかなければいけなかった。

 ところが地元の人は床が熱いことなんてまったく気にするそぶりもなく、平然と働いているのである。きっと足の皮が靴底のように硬く分厚くなっているのだろう。人間の環境適応力というのはすごいものだと感心してしまった。


[コンクリート床の上に広げた籾を足でかき混ぜていく。]


[バングラデシュにはこのような精米所が何百何千とある。]


[人々は焼けつくような床の上で裸足で作業していた。]


[乾燥させたお米は円錐形に集められる。]


[籾を乾燥させるのに使われるトンボのような道具]

 強烈な日差しが支配する外の世界から、精米所の建物の中に一歩足を踏み入れたときの衝撃は今でも忘れられない。

 それはモノトーンの世界だった。明かり取りの窓がいくつかあるだけの薄暗い工場で、「産業遺産」と呼んでもいいほど古びた精米機が鈍い光を放っていた。空気中に漂う細かな籾殻のせいで光が散乱した部屋の中には、粒子の粗い古いキネマを見ているような非現実感が漂っている。その中でサリー姿の女たちが黙々と働いていた。籾米を入れた缶を肩に担ぎ、小さな階段を上って、回転するドラムの中に注ぎ込んでいく。その姿は時間そのものが動きを止めてしまったかのように静かだった。



 何げない労働の一場面を印象的にしているのは、光の効果だった。そこにしか生まれ得ない粗い光が、実直な働き者の姿を闇の中に浮かび上がらせているのだ。重々しい機械も、女の立ち姿も、その場を支配する光も、すべてが完璧だった。

 ファインダーを覗いたとき、妙に自分が冷静だったことを覚えている。焦る必要はない。これだけの舞台装置が用意されているのだから、あとはどう切り取ろうと良い写真になるに決まっているのだ。そんな風に思いながら僕はシャッターを切った。




 バングラデシュ全土をバイクで走り回ってみて感じるのは、国土の豊かさである。どこを走っても、ひたすら水田が続いている。開墾していない土地、遊んでいる土地はほとんど見当たらない。鮮やかな緑色の絨毯が、まるで海のようにどこまでも広がっているのだ。


[見渡す限りの水田]


[田んぼで雑草を取っている女たち]

 起伏の少ない平坦な地形と、肥沃な土壌。いくつもの大河から供給される豊富な水と、温暖な気候。バングラデシュは米の栽培に適した条件を備えた国だ。農業技術の普及によって、二期作や三期作を行える地域も増えつつある。実際、バングラデシュの米生産量は世界第4位である。

 それなのに米が不足しているという。国内産の米だけでは需要を満たすことができず、インドなどの外国から米を輸入せざるを得ないのだ。
 一体なぜなのか?



「人が多すぎるんだよ」とカリムさんは言う。「お米はたくさんとれるけど、それを食べる人間の数も多いからね。『緑の革命』で収穫する米の量は二倍に増えた。でも人口はそれ以上に増えたんだ。しかもまだ増え続けている。どうしようもないんだよ」

 人口問題。結局はそこに行き着くのである。バングラデシュは1億5千万人もの人間が日本の38%という狭い国土に住んでいる、世界でももっとも人口密度の高い国だ。しかも当分は人口増加に歯止めがかからず、2050年には2億5000万人に達するという予測もある。空恐ろしい数である。

 僕がバングラデシュを旅したときにも、安いお米を買い求める人々が販売所の前で長蛇の列を作っていた。一般価格よりも2割ほど安い政府価格米を求める人々の中には、早朝から4時間以上も待っているという人もいた。強い日差しが照りつける屋外で、押し合いへし合いしながら長時間待ち続けているので、苛立ちがつのり、小競り合いが発生することもある。

「ちょっとあんた、横入りしないでよ!」
「なによ、あんたの方があとから来たんじゃないじゃないのさ!」
 言葉はわからなくても、表情と身振りから彼女たちの言っていることはだいたい理解できた。バングラ人の8割はムスリムである。ムスリム女性には「あまり表に出ずに家庭を守る貞淑な女性」というイメージがあるが、とんでもない。バングラ人というのは男女関係なくやたら喧嘩っ早いのである。女だってときにはつかみ合いの喧嘩までやってしまう。だから販売所には警官が配備されていた。


[安い政府価格米を求めて行列を作る人々]


[そ、そんなに怖い顔をしなくても・・・]

 人々が安い米に群がる原因は、米の値段が半年で50%も上がったことにあった。バングラデシュ南部を襲ったサイクロンの影響で収穫が落ち込み、それに世界的な米価格の上昇が追い打ちをかけたのだ。家計の中の食費の占める割合(いわゆるエンゲル係数)が70%を超えるというバングラデシュの貧困層にとって、米価の高騰はまさに死活問題だった。

「貧しい人にとっては7タカ(10円)の差は大きいんだ」とカリムさんは言う。「農村の労働者の日給は100タカから150タカぐらいだ。しかも毎日仕事があるとは限らない。限られたお金でたくさんの家族を養っていかなくてはいけない。米の値段に敏感になるのは当然だよ」

 国土が広がらない以上、バングラデシュに残された選択肢はあまり多くはない。人口抑制策を地道に続ける一方で、米の収穫量を増やす努力を続けるしかない。そうしないと近い将来もっとひどい事になる。
 残念ながら、魔法のような解決法はどこにもないのである。


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by butterfly-life | 2012-08-30 11:13 | 南アジア旅行記