カテゴリ:インド旅行記2015( 52 )
旅行記2015がついに完結! 結末はCD-ROMで
 半年にわたって連載を続けてきた旅行記2015は最終回を迎えました。
 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 未公開エピソードが23話も入っている読み応えのある電子書籍です。

 今回はこのCD-ROMの「読みどころ」をご紹介します。



トウガラシ市場で涙が止まらない理由

 トウガラシはインド料理に欠かすことのできないスパイスであり、インド人一人あたりのトウガラシ消費量は日本人の約10倍にもなるという。「カレーは辛い」という当たり前の事実は、豊富なトウガラシによって支えられているのだ。



 一面に広がる鮮烈な赤と、そこで働く男たちの姿はとてもフォトジェニックだったが、撮影するのは大変だった。トウガラシをかき混ぜると、辛み成分のカプサイシンが大量に揮発するので、そばにいるだけで目や鼻の粘膜が刺激されて、涙と鼻水が止まらなくなってしまったのだ。

 市場で働く男たちは普段からカプサイシンに慣れている「トウガラシのプロ」のはず。だから平気で仕事をしているのかと思いきや・・・全然そんなことはなかったのでした。実にインドらしいエピソードです。



インドでは老け顔の方がトク?

 ラジャスタン州南部のシロヒ県にある村で、中学校を訪ねることができた。
 英語教師のジテンドラさんと地理を教えるケムラジさんの二人は、どちらも流暢に英語を話し、知識も豊富だった。特に地理のケムラジさんは、日本が4つの島
から成り立っている国で、それぞれホンシュウ・ホッカイドウ・キュウシュウ・シコクと呼ばれていることや、安倍首相とインドの首相モディは仲が良く、お互
いのツイッターをフォローしていることなど、日本についても詳しく知っていた。



「私の年齢を当ててみて」
 と言ったのはジテンドラさんだった。かなりの難問だった。第一印象は僕と同い年か少し年上に見
えた。ジテンドラさんの頭はかなり薄くなっていたし、肌の色つやや落ち着いた話しぶりから推測しても、僕より年下だとは思えない。

 それでも僕は「37歳・・・ぐらいかな?」と答えた。先ほどとは逆に、インド人は老けて見える場合が多いので、自分の感覚よりも3,4歳下ぐらいがちょうどいいだろうと考えたのだ。

 しかし正解は僕の予想の斜め上を行くものだった・・・。



1万人が参加する巨大結婚式

 インドでは今もなお「超ド派手婚」が主流である。招待客が1000人を超える披露宴だって当たり前なのだ。結婚式に対する意気込みが日本人とは全然違うのである。



 スレンドラナガールという町の近郊で開かれていたのは、1万人もの人々が参加する巨大な結婚式だった。
「今日は45組のカップルが一緒に結婚式を挙げるんです」
 と教えてくれたのは、流暢に英語を話すジャグディシュ君。ITを学ぶ23歳の大学生だ。
「45組が一緒に?」
「そうです。私たちはみんな同じカースト『コリ』に属しています。グジャラート州には70ほどのカーストがありますが、コリはもっとも大きな集団なんです」

 インドには結婚式を挙げるための資金を工面できないカップルもたくさんいるのだが、そんな人のために無料で結婚式を開いてあげましょうというのが、この
イベントの主旨だった。会場費やご飯代などはすべて無料。花嫁衣装まで用意してくれるという。まさに「身ひとつ」で結婚できるのである。





* 高画質写真を1000枚以上も収録

 CD-ROM2015に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1000枚以上「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。写真の画質は、サンプル(1)(2)(3)でお確かめください。



* ご購入は「たびそら通販部」で

価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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* 旅心をくすぐるCD-ROMシリーズ

写真家・三井昌志のCD-ROM作品集は全部で9タイトル
この機会にぜひ併せてお求めください。

旅行記2013

インド色を探して

南アジア編

東南アジア編

インド一周旅行記

2005

2004

ユーラシア一周2001
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by butterfly-life | 2016-02-29 12:39 | インド旅行記2015
人生は一度きり。だから世界は美しい
 昨年から連載してきた「旅行記2015」は今回で最終回です。
 メルマガで未公開のエピソード23話は、現在発売中のCD-ROM2015に収録されています。高画質写真ファイルも1000枚以上入ったボリュームたっぷりの電子書籍です。


無神論者のジェイミーさん


 僕が40歳だと言うと、たいていのインド人は驚く。もう中年にさしかかろうという40歳の男が一人でふらふらと旅をしているなんて理解できない。まったく日本人は何を考えているのか、とまで言われることもある。す、すみません。日本の40歳がみんな僕みたいじゃありませんよ。ちゃんとしている人はちゃんとしているんですから、と一応謝るようにはしているのだが。





 しかしアンドラプラデシュ州西部の町カルヌールで知り合ったジェイミーさんは違った。
「40歳なんてまだまだ若いじゃないか」と言ってくれたのだ。「私は今46歳なんだが、フォトグラファーになるために勉強中なんだ。これからが私の本当の人生だって思っているよ」

 ジェイミーさんはもともと小さな建設会社を経営していたのだが、40代半ばになってカメラマンになろうと決心して、20代の若者に弟子入りし、写真の撮り方を基礎から学んでいる。彼が働いているフォトスタジオは穴倉のように薄暗い部屋で、そこにニコンの一眼レフが2台、ストロボが2台、パソコンが1台置かれていた。スタジオで証明写真を撮影するのと、結婚式や行事などで記念写真を撮るのが主な仕事だ。
「インドでは芸術写真はまだ認知されていない。動物や風景を撮る人はいるけどね。それで食えている人はほとんどいないんじゃないかな。でも、私が目指しているのは人を感動させる写真なんだ。心を豊かにするアートなんだよ」



結婚式の様子を撮るために動員された二人のスチールカメラマンと二人のビデオカメラマン。インドではこれが普通なのだ。


 ジェイミーさんはイギリスのホテルで5年間働いていた経験があるので、とても流暢な英語を話す。その頃に付き合っていたイタリア人のガールフレンドがファッションモデルをしていたのが、カメラマンを目指すきっかけになったという。
「彼女は思いっきり人生を楽しんでいた。仕事も食事も恋愛もね。いつも言っていたよ。『人生は一度きり。だから世界は美しい』って。私もそう思うんだ。一度しかない人生なんだから、この美しい世界をできるだけ楽しまなくちゃ。本当にやりたいことをやらないまま人生を終えるのは嫌なんだよ」

「人生は一度きり。だから世界は美しい」
 それはとてもシンプルな言葉で、捉えようによってはありきたりなフレーズでもあった。しかしインド人のジェイミーさんの口から発せられると、また違った意味を持つようにも感じられた。輪廻転生を信じているヒンドゥー教徒は「人生は一度きり」とは考えないはずだからだ。彼らは来世への生まれ変わりを信じている。だからこそヒンドゥー教徒はお墓を作らないし、火葬した灰をガンガーに「還す」のだ。





「あなたは輪廻を信じていないんですか?」と僕は訊ねてみた。
「もちろん信じていないよ」とジェイミーさんはあっさりと頷いた。「人は死んだらそれっきりさ。生まれ変わることはない。私は神様だって信じていない。もちろん子供の頃は親に連れられて寺院にも通ったし、ヒンドゥーの儀式にも参加したよ。カルマも輪廻も信じていたし、何の疑問も持たなかった。私が変わったのはイギリスに出稼ぎに行ってからだ。いろいろな人に出会い、違う考え方に触れて、世界の見方が一変したんだ。イタリア人の恋人も神を信じていなかった。とても自由な人だった。自分の考えというものをしっかりと持っている人だった」

 インドで無神論者に出会うことはほとんどない。ヒンドゥー、イスラム、キリスト教、ジャイナ、仏教。どの宗教を信じるかが、どの共同体に所属するのかを決めているこの国にあって「どこにも属さない」という選択肢は基本的にないのだ。ジェイミーさんはレアケースだった。





「インド人にはまだ宗教が必要だと思う。ヨーロッパ人のように宗教なしで生きていくのはとても難しいことだからね。特に貧しい人には何かすがるものが必要なんだ。でも宗教はその人の手と足を縛るものでもある。宗教に頼ると、自由にものを考えることができなくなる。それはヒンドゥーでもイスラムでもキリスト教でも同じさ」
「でも、この国で『神様はいない』なんて言ったら、問題になりませんか?」
「意外にそうでもないさ。私は家族にも友達にも『お寺にも行かないし、儀式にも一切参加しない』と公言している。私には私のやり方があると、はっきり主張している。誰も文句は言わないよ。もちろん神様から文句を言われたこともないしね」

 強い人だった。私には私の生き方がある、という個人主義を強固に貫けるジェイミーさんだからこそ、無神論者でも生きていけるのだろう。



人生は一度きり。だから世界は美しい

 ジェイミーさんと別れてから、カルヌールの旧市街を一人で歩いた。カルヌールは埃っぽくて猥雑で、クラクションのうるさい町だった。決して美しい場所ではない。典型的なインドの田舎町だった。

 夕方の柔らかな日差しが町に降り注いでいた。楽しげに語り合う人もいれば、苦しげに座り込む人もいた。野良犬が横たわり、カラスがゴミを漁っている。









 町を行き交う人々を眺めながら、僕はジェイミーさんの言葉を思い出していた。
 人生は一度きり。だから世界は美しい。

 そうなのだ。もし我々に永遠の命が与えられていたとしたら、この世界はまったく違うものに見えるはずだ。
 人はいつか必ず死ぬ。有限の肉体を持つちっぽけな存在だ。しかしだからこそ、我々はこの世界をかけがえのないものだと感じることができるのだ。そしてこのかけがえのない世界を、なんとかして写真に残したいと願うのだ。









 親密で、笑顔にあふれ、光に満ちた世界。
 僕は旅することで、この世界の美しさの秘密を知った。

 なにか温かいものがこみ上げてくる感覚があった。
 いいんだ。僕は今この世界のために涙を流している。
 美しく切ない、この世界のために。








 この続きは「CD-ROM2015」でお楽しみください。
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by butterfly-life | 2016-02-22 11:16 | インド旅行記2015
旅人が歩くのは、いつも初めての道

 3月24日~3月27日に行われる「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」催行が決定しました。現時点での参加者は3名(男性2名、女性1名)だけなので、プライベートレッスンに近い撮影ツアーになりそうです。初心者にはカメラの扱い方を1から教えますし、中・上級者にはより質の高い作品作りのアドバイスを贈ります。

 実質3日間という短期間ではありますが、インドの面白さと意外性をみなさんと一緒に体験できる、そんな親密なツアーにしたいと思っています。今回のバイク旅の実情など、誰にも話していない旅の「裏側」もたっぷりお話しします。

 現地発着ツアーなので、旅程は自由に組むことができます。撮影ツアーの前後にインドの別の都市を訪れることも可能。航空券の手配も含め、旅行代理店のスタッフがきめ細かく対応してくれます。また、日本人スタッフが添乗員として同行しますので、何かトラブルがあったときも安心です。

 「インドには興味があるけど、一人で旅するのは怖い」という方、「インドには何度も行っているけど、より深く知りたい」という方、ぜひお申し込みください



謎の白い塔


 マディヤプラデシュ州のど真ん中、「インドのヘソ」とも言えるような平野を走っていたときに、不思議な光景を目にした。チベット寺院を思わせるような白い塔がいくつも建ち並んでいて、そのてっぺんから白い煙がもくもくと上がっていたのだ。これまで一度も目にしたことのない奇妙な建物だった。あれはいったい何なのだろう。押さえがたい好奇心に引っぱられるようにして、僕は国道を右に折れ、塔のそばに近づいた。





 白い塔には階段がついていて、数十人もの労働者が忙しそうに上り下りしていた。人々は頭に大きなタライを載せて、何かを塔の中に運び込んでいた。
「これは石灰を作る窯なんですよ」
 と教えてくれたのは、とても流暢に英語を話す工場長だった。カメラを提げた怪しいガイジンが来たとつまみ出されやしないかと心配していたのだが、大学で化学を勉強したインテリの工場長は特に警戒する様子も見せず、親切にこの窯の仕組みを説明してくれた。
「このあたりでは質の良い石灰石がとれるんです。この炉の中で石灰石と石炭を混ぜて1000度の高温で焼くと、化学反応によって生石灰ができるんです。燃焼は三日三晩続きます。そのあいだ労働者たちは交代で石炭を入れ続けます。熱を一定に保たなければ、質の良い生石灰はできませんから」


重い石を頭に載せた男女が、しっかりとした足取りで階段を登っていく







 工場長によれば、できあがった生石灰(酸化カルシウム)はセメントの原料や製鋼、土壌改良など様々な用途に使われているそうだ。
「それにしてもこの窯はユニークですね。なぜこんな形になったんですか?」
「さぁ、それは私にもわかりません。私が生まれるずっと前から、こういう形なんです。いろいろ試してみて、これが一番良かったんでしょうね」

 とてもユニークで宗教建造物のようにも見える石灰窯だが、ここで働く人々にとっては過酷な労働の現場だった。何しろ窯の中は1000度にも達する高温だし、降り注ぐ直射日光も強烈なのだ。煙突から吐き出される煙も、容赦なく鼻や喉を刺激する。それでも人々は淡々と働いていた。文句ひとつ言わず、ときには笑顔も見せながら。実にタフな人々だった。過酷でありながら美しく、力強さに満ちた光景だった。








 石灰窯のそばを通りかかったとき、僕は何の情報も持っていなかった。このような窯の存在すら知らなかったし、どんな目的で作られたのかもわからなかった。それが良かったのだと思う。何も知らなかったからこそ、未知なるものへの好奇心が刺激され、「何としてでもこのシーンを撮りたい」という強い気持ちが湧いてきたのだ。

 白い煙を上げる窯に登り、働く人々に肉薄してシャッターを切りながら、僕はまるで密林の中に埋もれている王国を発見した探検家のような喜びを味わっていた。ここにたどり着けるのは、きっと僕しかいない。僕が撮らなきゃ誰が撮るんだ。そんな前のめりの気持ちで被写体に向かっていた。









 まっさらな気持ちで目の前の光景に向き合い、そのとき感じた驚きを素直に表現できれば、必ずいい写真になる――石灰窯の存在はそのことを改めて教えてくれた。「たくさん知っている人」よりも「何も知らない人」の方が強いこともあるのだ。

 しかし旅の経験を積むにしたがって、まっさらな気持ちで物事を見るのが難しくなっていく。ついつい「インドなんてこんなもんだ」とわかった気になってしまうのだ。自分の感覚ではなく、常識と先入観ばかり使うようになり、新鮮な驚きや発見が得られなくなっていく。その先に待っているのは「退屈」の二文字だ。









 長旅に疲れ、好奇心が摩耗し、退屈を感じるようになったら、僕はあえてカメラをバッグにしまって街を歩くことにしている。撮ることだけに集中した気持ちを解きほぐし、五感をフルに使いながらゆっくりと街を歩いてみるのだ。

 どこかからリキシャが鳴らすベルの音が聞こえる。スパイスの香りが鼻をくすぐる。湿り気を帯びた風が路地裏を吹き抜けていく。世界は自分とは関係なく動いている。しかしその世界に僕もまた含まれている。

 旅に慣れてしまった自分をいったん忘れ、先入観にとらわれた心をリセットして、子供のような目で改めてこの世界を眺めてみると、この世界がかけがえのないものとして再び目の前に立ち上がってくる。美しい光や素晴らしい表情が、いくらでも転がっていることに気付かされるのだ。









 心の奥底から「撮りたい」という気持ちが湧いてくるのは、そんな瞬間だ。僕はバッグからカメラを取り出し、その「光」に向けてシャッターを切る。もう退屈を感じている暇なんてない。

 旅人が歩くのは、いつも初めての道だ。
 たとえ何度同じ道を歩こうとも、そこで出会うものや感じることはまるで違うのだから。





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by butterfly-life | 2016-02-16 11:14 | インド旅行記2015
木工の街で働く子供たち
※催行決定!
●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。


大きめの国家


 インドでもっとも人口が多い州がウッタルプラデシュ州である。その数、なんと2億人。日本と韓国と台湾の人口を足したのと同じ規模の人が、ひとつの州に住んでいるわけだ。もはや「大きめの国家」というスケール感である。当然のことながら町の規模も非常に大きく、人口密度も高いので、商店街や市場は活気に満ちあふれていた。現代インドのエネルギーと混沌を感じるのに最適な地域だった。





 そんなウッタルプラデシュ州の旧市街には、ものづくりにいそしむ職人たちの姿があった。金属加工や木工細工やお菓子作りなどなど。「はたらきもの」が大好きな僕にとって天国のような場所だったのである。



鍋を作る職人。鍋の底となる部分を石炭で熱し、ハンマーで叩いて形を作る。




 暗くて狭い路地裏を歩いていると、街の人々は気軽に声を掛けてくる。ただでチャイをご馳走してくれたり、作りたてのスイーツを分けてくれたり、焼いたばかりのケバブを持たせてくれたりした。旧市街の親密圏に異邦人が侵入すると、そこにケミストリーが起きる。だから街歩きは楽しいのだ。

 僕が日本人だと知ると「ラブ・イン・トーキョー!」と言う人がいた。「Love in Tokyo」というは1966年に制作されたインド映画で、当時としては(今もだろうけど)異例の日本ロケを行って大ヒットしたという。日本という国の情報がまだ乏しかった頃、インドの人々に強い印象を残した作品だったようだ。それにしても半世紀近く前の映画を、今も話題にしているのはすごいと思う。








木工の街・サハランプール

 ウッタルプラデシュ州西部にあるサハランプールは、木工が盛んな街だった。旧市街には木工職人の小さな工房が何十軒も並んでいたのだ。この街では精緻な彫刻を施した家具をはじめとして、お皿やボウルなどの食器や、イスラムの聖典コーランを置くための台、子供のためのオモチャなど、様々なものを作っていた。
「サハランプールは世界的に有名なウッドクラフトの街なんだ」
 と街の人は胸を張る。世界的に有名かはわからないが、インドではかなり名の知れた存在のようだ。



精緻な彫刻を施した椅子だが、値段はさほど高くはない。二人がけで8000ルピー(1万6000円)だそうだ。


木のお皿を作る木工職人

若い職人が木くずにまみれながら作っているのは、イスラム教の聖典コーランを置くための台。ムスリムにとって大切な道具だ。


ティッシュボックスを作る職人


大型の電動ノコギリを使って木を切る製材所の男。椅子や机などの家具作りの材料になる。


裸電球がひとつだけ灯る薄暗い工場で、木片を削る職人。幼い頃から身につけた技術をさらに磨いて、自らの工房を構えるのが夢だ。


 木工職人のほぼ全員がムスリムなのも、この街の特徴だった。ヒンドゥー教徒の住人ももちろんいるのだが、別の地区に住んでいるのだ。インドの街はだいたいどこもそうなのだが、ヒンドゥー教徒とムスリムは混ざり合うことなく、地区ごとに分かれて暮らしている。「ここからはムスリム」「ここからはヒンドゥー」という暗黙の境界線があるのだ。これは規則で定めたものではなく、時間が経つと自然と分かれてしまうらしい。「隣人は同じ宗教の人の方がいい」という心情が素直に表れた結果なのだろう。

 職人たちのほとんどがムスリムなのは、彼らが貧しいからだ。もともとカーストが低く、経済的にも恵まれていない人々がヒンドゥー教からムスリムに改宗したという経緯があって、彼らの多くが職人を目指したのである。農業をするには土地がいるし、商売を始めるのには資本がいる。そのどちらも持たない貧しい人々が生きていくためには、手に職を付ける必要があったのだ。













 木工職人たちはその多くが20代から30代だったが、中には10代の若者やまだ小学生ぐらいの子供たちも混じっていた。小学校を卒業するかしないかぐらいの年で、家業の手伝いを始めたようだ。

 ウッタルプラデシュ州には働く子供が多かった。ホテルや食堂には必ず子供のボーイがいて、どちらかと言えばぶっきらぼうに働いていた。おそらく食い扶持を減らすために奉公に出されたのだろう。雇い主からは小遣い程度の給料しか与えていないが、それでも寝床と食事には不自由しないという暮らしを送っている。彼らは「仕方なく働かされている」という意識なので、その勤務態度は褒められたものではなかった。



スイーツ屋で店番をする少年


電気修理屋でモーターを直していた少年。手つきは大人顔負けだ。


 木工の街で働く子供たちには、ホテルのボーイたちとは違って、目の輝きがあった。彼らには「少しでも早く木工の技術を身につけ、職人として独り立ちしたい」という意気込みがあった。木くずにまみれながら働く姿からは、ものを作ることの喜びが伝わってきた。







 インドの児童労働は以前から問題視されている。最近は国際機関の監視の目が厳しくなったこともあって、あからさまな奴隷労働は少なくなっているが、本来なら学校へ行くべき年齢の子供たちが安い労働力としてこき使われているという現実は、早急に正されなければいけない。

 しかし職人の街で働く子供たちは、児童労働の問題とは切り離して考えるべきだと思う。昔ながらの徒弟制度のもと、若いうちに仕事のを覚えて一人前の職人を目指すという生き方は、「子供はみんな学校に行くものだ」という先進国で当たり前とされる価値観に反しているからといって、頭ごなしに否定されるべきものではないからだ。彼らは彼らなりのやり方で、今を懸命に生きている。「働かされる」のではなく「働いている」。ここを自分の居場所だと信じて、努力しているのだ。









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by butterfly-life | 2016-02-09 10:41 | インド旅行記2015
インドの相撲・クシュティー
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しつこすぎる子供への対処法


 旧市街を歩いているときに僕を悩ませるのが、しつこすぎる子供たちの存在である。「ねぇ写真撮って!」と元気いっぱいに近づいてくる子供たちを撮るのはとても楽しいのだが、「撮ってくれ」という圧力があまりにも強すぎると、収拾がつかなくなってしまうのだ。撮影の邪魔をする子供もいる。僕がカメラを構えると、すかさず構図に入り込んで、せっかくのシャッターチャンスをフイにしてしまうのだ。「どうしても写りたい」という気持ちはわからないでもないが、性懲りもなく同じ事を繰り返されると、「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなった。









 マハラシュトラ州にあるマレガオンという街でも、下校途中の子供たちにもみくちゃにされて大変な騒ぎになった。最初は5人ほどのグループだったのに、それがあっという間に増えて、20人以上が僕の後についてくるようになったのだ。「あっちに行けよ!」と怒鳴っても、まったく効果なし。仕方なく彼らを無視して歩き始めたのだが、一度テンションが上がった子供たちは、さらに仲間を呼び、数を増やしながら追いかけてくるのだった。まるでゾンビ映画みたいに。

 そんなときに頼りになるのが、チャイ屋で雑談している暇そうなおじいさんだった。「こいつらほんとにしつこくて困っているんですよ」という表情で隣に座ると、必ず大声を出して追い払ってくれるのだ。年長者の言うことは絶対で、よその子であっても容赦なく叱り飛ばすのがインド人の常識だから、これはサルのようにしつこい子供たちにも効果てきめんだった。





 怒鳴られても言うことを聞かない子には鉄拳制裁が待っている。おじいさんが道ばたに転がっている木の棒で子供を殴るのである。殴る力も半端ではない。棒が折れるほどの力を込めて思いっきり殴るのだ。家畜以下の扱いである。ちょっとやり過ぎじゃないかとも思うのだが、インドではこれぐらいは当たり前のようだった。実にワイルドな世界なのである。



織物の街の老職人

 マレガオンはインド有数の織物の街として知られている。20万台もの織機を擁し、ほとんどの住民が何らかのかたちで繊維産業に関わっている。また人口の過半数をムスリムが占めているという珍しい街でもある。貧しいムスリムが仕事を求めてこの街に集まり、低賃金の労働者として織物工場で働いているのだ。



工場労働者の賃金は1日200から300ルピーとかなり安い。12時間勤務の2交代制という激務。騒音はうるさいし、工場内も暗い。それでも労働力が途切れることなく集まるのは、他にこれといった産業がなく、住人の多くが貧しいからだ。






 織物工場の労働者の多くは10代から30代までの若い世代だが、中には高齢者ばかりが働く工場もあった。そこでサリーを織る古い機械を操作していたのは76歳の男だった。
「古い機械のことは私が一番よく知っている」と老人は言った。「なにしろ君が生まれる前から、この仕事を続けているんだからね」





 しかし古い機械を使い続けるのは、それほど簡単ではないようだった。工場街を歩いているときに知り合ったサジッドさんは、古い織機を維持できなくなり、泣く泣く工場を畳んだという。
「私が親から譲り受けた織機は102年前にイギリスで作られたものだった。それを8台置いて、ルンギーの生地を作っていたんだ。しかし機械も人間と同じように100年も生きるとよく故障するようになる。そのたびにメンテナンス費用がかかってね。労働者の賃金と機械の修理費を支払うと、後にはわずかなお金しか残らなかった。これじゃとてもやっていけないんで、商売を替えることにしたんだ」

 最新式の織機を導入すれば、故障も少なくて済むし、生産効率も上がる。しかし新しい織機は1台12万500ルピー(25万円)もする。8台揃えるとなると100万ルピー必要だ。しかしそんな大金はどこにもなかった。効率よく儲けるためには、まず資本がいるのだ。





 工場を畳んだサジッドさんは、政府から配給される食糧と灯油を地域住民に配る仕事を始めた。マハラシュトラ州政府は貧しい住民のためにほぼ無料で食料を配っている。一人あたり3キロの米と小麦、そして500mlの灯油が毎月もらえるのだ。それだけで生活できるわけではないが、それでも貧困層にとっては貴重な収入源だという。

 貧しい住民が多いマレガオンの旧市街には、古道具を売る屋台が何十軒も集まる一角があった。携帯電話やテレビのリモコンなどの電気部品はもちろん、「いったい何に使うんだろう?」と首をかしげたくなるようなガラクタまで売っていた。プレイステーションのコントローラー、ドラえもんのキーホルダー、使用済みの化粧道具(アイライナー)、アナログのレコードやフィルムカメラ、小汚い古銭などである。おそらく廃品回収で集めてきた品物をまとめて売っているのだろう。どれも薄汚れていて、ちゃんと動くのかどうか怪しいようなモノばかりなのだが、新品に比べると値段が安いので、それなりに需要はあるようだ。












マレガオンの町工場で出会った溶接工は、左手の指が6本あった。親指の付け根からもう一本指が生えていたのだ。彼のような「多指症」の患者は、日本では幼い頃に余分な1本を切断して5本にするのだが、インドではそのまま残している人が多いようだ。手術代を払う余裕がないからなのだろう。「指が6本あったって、別に不便はないよ」と彼は笑う。「まぁ手袋はうまく着けられないけどね」



インドの相撲・クシュティー

 インド伝統のレスリング「クシュティー」の道場を見学できたのは、全くの偶然だった。マレガオンの下町をぶらぶらと歩いているときに、屈強な体をした二人組の若者が「ここで何しているんだい?」と声を掛けてくれたのだ。
「ただ歩き回っているだけだよ」
 いつものように僕が答えると、彼らは「だったら俺たちの道場に来ないか?」と誘ってくれた。

 彼らが毎日通っている道場は「アカラ」と呼ばれていて、大きなモスクに隣接していた。道場にはさまざまなトレーニング道具と、1辺5メートルほどの正方形の砂場があった。砂は少し赤っぽく、倒れても怪我を負わないように柔らかく耕されていた。この砂場で行うのがインド伝統の格闘技「クシュティー」だった。







 クシュティーは西洋のレスリングに似たスタイルで、相手を投げるか背中を地面につければ勝ちとなる。選手が身に着けるのはふんどし一枚のみなので、見た目は日本の相撲にも近かった。クシュティーの歴史は古く、紀元前5世紀ごろのアーリア人の南下にともなってペルシャの格闘技がインドにもたらされたのがその起源だという。


[動画]インド伝統の格闘技クシュティー


 この道場には10歳から30歳までの20人の若者が所属しているのだが、最強なのは25歳のタイールだった。タイールは現役の警察官で、クシュティーの州大会でチャンピオンにも輝いたことがあるという。その体つきは屈強なレスラーそのものだった。胸板がぶ厚く、腕っ節も太い。毎日のトレーニングと牛乳のお陰なのだとタイールは言う。朝に2リットル、夜にも1リットルの牛乳を飲み続けているのだ。




ミールと呼ばれる棍棒で上半身を鍛える


 練習は夜の6時から8時まで。それぞれ学校や仕事が終わってから道場に集まり、筋力トレーニングと練習試合を行う。筋トレに使われるのは「ミール」と呼ばれる棍棒だった。10キロほどの重さがあるミールを片手で振り回しながら、握力と腕力を鍛えるのだ。

 練習試合はタイールの独壇場だった。他の選手よりも体格がひとまわり大きいこともあるが、体のバランスがよく、相手に後ろを取られても決して倒れないのだ。練習相手はすぐに全身砂まみれになってしまうのに、タイールの体は最後まできれいなままだった。

 タイールの悩みはライバルとなるような強い選手がいないこと。最近の若者はふんどし一枚になるのが恥ずかしいらしく、年々入門者が減っているという。廃部の危機に瀕した大学の相撲部と同じような状況なのかもしれない。

 今のところインド出身の力士はいないようだが、近い将来日本の大相撲を目指すインド人が出てきても不思議はないと思う。強い筋力と体幹を備え、なによりもハングリー精神があるからだ。
 四股名は「太島春(タージマハル)」とか「厳地州(ガンジス)」なんてどうだろう?







●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。
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by butterfly-life | 2016-02-02 11:13 | インド旅行記2015
聖地バラナシは混沌に満ちたワンダーランドだ

※催行決定!
●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。


混沌に満ちたワンダーランド


 バラナシはそれほど広くなく、歩いて回るにはちょうどいいスケールの街だった。僕はこの街をゆっくりと歩きながら、心を動かされたものに対して素直にシャッターを切った。決して急ぐ必要はなかった。マイペースでゆったりと歩いていれば、必ず何か面白いものに出会えたからだ。

 バラナシは思わず足を止めたくなるような小さな驚きに満ちていた。壁に描かれた絵や小さな祠などの宗教的イコンにも心惹かれたし、ボロボロの古い自転車や、道ばたで昼寝をしている老人の足の裏でさえもとても魅力的だった。何気ない日常の中に隠された素晴らしい構図を自分の手で発見するのが、楽しくて仕方なかった。

















 最初にバラナシを訪れた2001年には、街歩きをのんびり楽しむ余裕なんてなかった。僕はこの街に圧倒され、飲み込まれそうになっていた。すさまじい数の巡礼者が沐浴を行う姿や、屋外の火葬場で当たり前のように遺体が焼かれる光景に、ただ驚かされるばかりだった。インド的な日常と、自分が慣れ親しんでいた日常とのギャップの大きさにたじろぎ、自分をかたちづくる価値観が根底から揺さぶられるのを感じていた。

 今回はそんなことはなかった。バラナシは相変わらず混沌に満ちたワンダーランドではあったけれど、その混沌に正面から向き合い、自分なりのやり方で咀嚼できるようになっていたのだ。







 僕の中で何が変わったのだろう?
 ひとことで言えば、余裕が生まれたのだと思う。この14年のあいだ、僕は様々な国を旅し、異なる価値観に触れてきた。その旅の経験が、何が起きても慌てない精神的な余裕を身につけさせたのだ。

 インド的なカオスに飲み込まれることなく、それをゆったりと受け止めつつ、自分が驚きを感じる場面に対して素直に反応する。そのようなしなやかな好奇心こそが、写真を撮るときにもっとも大切なことなのだ。








眺望は最高、料理は最低の宿

 バラナシで泊まった宿「シャンティ・ゲストハウス」は、迷路のように入りくんだ路地の奥にあった。入り口の隣には大量の生ゴミが捨ててあって、野良牛がそれをムシャムシャと漁っていた。いかにもバラナシらしい古くて陰気な建物だった。何十年も前からほとんど姿を変えずに営業しているのだろう。

 案内されたのは特に清潔でもない、殺風景な部屋だった。電灯は暗いし、天井のファンは「最強」と「オフ」の二段階しかない。それでもダブルルームが300ルピーとお手頃で、とても静かなのは良かった。泊まり客のほとんどは欧米人バックパッカーで、韓国人や日本人もちらほら来るという。


古くて殺風景な部屋が300ルピーだった

 屋上はレストランになっていて、そこからバラナシの旧市街が一望できた。眺めの良さに惹かれて、日がな一日ここに座ってぼんやりとチャイを飲んだり、ガンジャを吸ったりしてメロウに過ごしている旅人も多かった。宿代も安いし、話し相手にも事欠かない。沈没旅行者にはもってこいの安宿なのだ。


屋上のレストランからはバラナシの旧市街が一望できる

 しかしこのレストランには問題があった。眺望は抜群なのだが、出てくる料理がひどかったのだ。マズいし、高いし、遅いという三重苦。昼食にチキンフライドライスを頼んだら、たっぷり1時間も待たされた挙げ句、ご飯がべちゃべちゃのミックスベジタブル入りケチャップご飯が出てきて、それが90ルピーもしたのである。

 それでも1時間も待たされることにカリカリしているのは僕ぐらいのもので、他の旅人はギターを弾いたり、トランプをしたり、ビールを飲んだりしながらのんびりと待っていた。時間なんていくらでもあるじゃないか。インドではこれぐらい待たされるのなんて当たり前なんだよ。そんな構えなのだ。

 確かにバックパッカースタイルの旅をしていれば、1時間や2時間待たされることなんて日常茶飯事だ。公共バスや鉄道は遅れるのが当たり前だし、外国人が集うカフェというのはなぜか(人手が足りないからだと思うのだが)調理にひどく時間がかかるのだ。そうやってインドを何ヶ月か旅していれば、「これはインド時間なのだ」と諦めるようになる。



駅で列車の到着を待つ家族。何時間待たされても文句は言わない。


 しかし僕は相変わらず待たされることが我慢できない。それは長年バイクを使って自分勝手な旅を続けてきたからだと思う。バイクを使えば公共交通機関の遅延に煩わされることもないし、地元向けの安食堂に行けば料理はファストフード店よりも早く出てくるのだ。どうやら僕はマイペースな旅を続けたせいで、バックパッカー失格人間になってしまったようだ。



愛とセックスと善きカルマ

 夜明け直後のバラナシは言葉を失うほど美しく、いくら歩いても歩き足りないほどフォトジェニックなシーンに満ちている。しかし日が高く昇るにつれて、バラナシにかけられていた幻想的な魔法は徐々に効力を失っていく。そして耐えがたいほどの暑さになるお昼過ぎには人影もまばらになり、ガートで沐浴する人もほとんどいなくなってしまう。バラナシはあくまでも朝の街であり、昼時にうろうろしているのはエサを求めて歩く野良牛か、電柱をよじ登るサルぐらいなのである。



バラナシにいる猿は人に慣れている


細い路地を野良牛の巨体がふさぐ。これじゃ通れませんよ。


 僕も昼前には宿に引き上げ、しばらく昼寝をして体力を回復させてから、夕方になると再び街を歩くことにしていた。夕方から夜にかけて、バラナシは再び幻想の衣をまとい始めるのだ。



マニクルニカー・ガートで毎晩行われている祈祷の儀式。若い男たちが炎を振り回して祈る。




 日暮れ間近の旧市街をぶらついていたときに、流暢な日本語を話す土産物屋が話しかけてきたことがあった。
「こんにちは。私の名前はブラッド・ピットです。ね、似てるでしょ?」
 お約束のつかみなのだろう。言われてみれば確かに顔立ちは「12モンキーズ」に出ていた頃のブラッド・ピットに似ている。無精髭もなかなか似合っていた。
「うん、似てるね」
 僕が頷くと、彼はしてやったりという表情を浮かべて、さらにたたみかけるような早口で喋り続けた。
「俺は日本人の女が好きなんだ。日本人の女はサイコーね。オーストラリア人、ロシア人、イタリア人、みんなやったけど、日本人が一番よかった。やっぱり同じアジア人だからかな。ココロが一番近いのが日本人だった。日本人の女、紹介してくれないか?」

 観光地によくいるチャラい客引きだった。顔もハンサムだし話術も巧みなので、女性客を引っかけるのは得意なのだろう。暇さえあれば外国人旅行者に声を駆けまわって、うまく行けばセックスする。そういうジゴロみたいな生活を送っているようだった。

「日本人のカノジョがいたこともあるよ。でも長くは続かなかった。日本人は時間にすっごくうるさいでしょ。10分おきに電話かけてきて、『今どこにいるの? 早く来なさい』って言うから困るんだよ。インド人は1時間ぐらい遅れても気にしない。日本人は1分遅れただけで文句を言う。タイム・イズ・マネーでしょ。日本人の人生はまるで機械みたいだ。時計のように時間に正確で、きっちりしている。俺にはそれが疲れるんだ」





 ブラッド・ピット君が面白いのは、無類の女好きのくせに、結婚観は意外なほど保守的なことだった。これだけ奔放な性生活を送っているのだから、当然、恋愛結婚をするつもりなのかと思いきや、アレンジ婚がいいと言うのだ。

「お兄さんもアレンジ婚だったから、俺もそうしたい。お兄さんは結婚式の日まで奥さんの顔を知らなかったんだ。それでもオッケーだった。俺も結婚相手の顔はどうでもいいよ。むしろ美人じゃない方がいいね。だって美人はビッチばかりだから。日本語ではなんて言うんだっけ? ヤリマン?」
「よくそんな言葉知ってるね」
 彼のようにプラクティカルに日本語を覚えた人の特徴は、語彙が下ネタ方面に偏っていることだ。語学学校ではまず教えてくれない言葉を、実によく知っている。たぶん日本人旅行者が面白がって教えたのだろう。
「セックスするときは電気を消すんだから、顔なんて関係ないでしょ。胸とかアソコとかもみんな同じだよ。俺が奥さんに求めるのは、両親の面倒を見てくれること。それが一番大事だよ。もちろん外国人じゃダメだ。インド人で同じカーストの女じゃないとダメだね。処女? そんなの当たり前じゃないか。俺は27歳だけど、今の稼ぎで奥さんと子供を養うことは出来ないから、まだ結婚しない。あと5年ぐらいは独身だろうね。もし結婚したら絶対に浮気はしないよ。離婚もしない。一生、その人を愛し続ける。それが本当のラブってものだろう?」

 自分のこれまでの行状を棚に上げて、結婚相手に処女と貞節を求めているのがおかしかった。性に対してオープンな欧米人や日本人との遊びを楽しんではいるが、心の底では彼女たちを馬鹿にしているのだろう。どうせ一夜限りの関係なんだし、そこには愛情はないと彼は言い切る。「愛」とは一時的に燃え上がってすぐに燃え尽きてしまうものではなく、じっくりと長く続くものだというのだ。

「愛は雨と一緒だよ。激しく降る雨は、止むのも早いでしょ。穏やかに降る雨は、ずっと降り続いている」
 なかなかいいことを言う。名言としてメモっておきたいぐらいだ。しかしその言葉と実際の行動のあいだに明らかな矛盾がある。そこがまた面白かった。彼は「外国人女性を釣り上げるフィッシングを楽しむチャラ男」と、「将来を真面目に考える保守的なインド青年」という相反するキャラクターのあいだを行き来する器用さを持っているのだ。







「バラナシに建つ立派な建物は、マハラジャが建てた『死ぬのを待つための家』なんだ。死ぬための家を買うなんてインドだけでしょ。バラナシで火葬して、その灰をガンガーに流したら、ニルバーナ(涅槃)に行けるとみんな信じている。だからマハラジャはここに家を建てたんだ。自分がニルバーナに行くためにね。でもそんなのはデタラメだよ。生きている間たくさんの人を殺した悪いマハラジャが、ガンガーに流されたからってニルバーナに行けるはずがないじゃないか。俺はカルマの存在を信じている。生前善い行いをしたら、来世に善いカルマに生まれ変わるし、悪いことをしたら、悪いカルマに生まれ変わるんだ。だから善いことをしなきゃいけない」
「外国人の女とやりまくるのは、悪いカルマを積むことにはならないの?」
「それは違うさ」と彼は大きく首を振った。「セックスと愛は違う。セックスは楽しむためにやるものだ。ただやって、それでさよならさ。あとには何も残らない。愛は、もっと重くて、もっと大切なものなんだよ」

 わかるような、わからないような理屈だった。たぶん彼自身にも自分の抱えている矛盾の正体がまだよくわかっていないのだろう。彼は旺盛な性欲と好奇心を持ちながら、それを押さえつける保守的な価値観の中で生きようとしている。かなりアクロバティックな試みだと思うのだが、彼自身は別にそうでもなさそうだった。「結婚したらすべてが変わる」とシンプルに思い込んでいるのだ。

 バラナシはインドの中でもきわめて保守的な街である。旧市街の建物は厳しい規制の下で何百年も前と同じ姿を留めている。しかし同時にこの街は世界的な観光地であり、欧米人がもたらす新しい価値観にいち早く触れる場所でもある。そこに矛盾が生じるのは当然の成り行きであり、それを象徴しているのがブラッド・ピット君のような若者なのだろう。

「俺は夕暮れが一番好きなんだ。朝はあまりにもうるさくて、人がたくさんいるから好きじゃない。こうしてガートの階段に座って、暗いガンガーを眺めていると、とても穏やかな気持ちになるんだ。俺のお父さんもおじいさんも同じようにガンガーを眺めていたんだろう。バラナシはずっと変わらないよ。俺の子供も孫もきっと同じようにガンガーを眺めるだろう。そんな街はここだけなんだ」







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by butterfly-life | 2016-01-27 11:26 | インド旅行記2015
バラナシという劇場

●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。



バラナシという劇場



 バラナシは特別な街だ。インド人にとっても、インドを訪れる外国人にとっても。
 バラナシは二千もの寺院と数多くの沐浴場(ガート)が所狭しと並ぶヒンドゥー教最大の聖地であり、いくつもの火葬場を持つ「死者のための街」でもある。バラナシで沐浴すれば、現世で犯した罪は洗い清められ、ここで死んで遺灰をガンガーに流されれば、終わりなき輪廻の苦しみから解脱できる。ヒンドゥー教徒たちはそう信じているのだ。


聖地バラナシに昇る朝日を浴びながらヨガをする二人。聖なる河ガンガーから昇る朝日は、特別に神聖なものだと信じられている。


 今回の旅では、バラナシはパスするつもりだった。もうすでに二度訪れていたから、改めて見るべきものは少ないと思ったからだ。
 それなのにバラナシに泊まることになったのは、バラナシの西60キロのところにあるミルザプールという町でどうしても宿が見つからなかったからだ。ホテルはいくつもあるのだが、どこも外国人を泊めてくれなかったのだ。外国人が滅多に来ない田舎町では、時々起こる事態だった。外国人を泊めると煩雑な手続き(例のC-Formだ)が必要になるし、地元警察にも届けなければいけない。だからどのホテルも面倒くさがって「満室だからダメ」とか何とか適当に嘘をついて断ってしまうのだ。

 もちろんホテル側が意図的に嫌がらせしているわけではないのだが、立て続けに十軒も「満室だ」と断られて、1時間以上も町をさまよっていると、だんだん腹が立ってくるし、町全体を憎むようにもなってくる。意味もなく小突き回されているような気持ちになってしまうのだ。









 そんな苛立った気分も、バラナシの街を散歩したらすぐに吹き飛んでしまった。やっぱりここに来たのは正解だった、なんて思えたのは、バラナシの朝があまりにも素晴らしかったからだ。

 それは「美しい混沌」とでも言うべきものだった。朝日に向かってヨガを行う若者。ガンガーの水を頭から被る女性。怪しげな存在感を放つ白塗りのサドゥー。外国人旅行者をわんさか乗せた観光ボート。川辺で洗った洗濯物を乾かす少年。マハラジャの時代に建てられた立派な建物。遺体が次々に焼かれていく火葬場。

 様々な人々がバラナシという劇場に立って、それぞれの役柄を演じていた。それが喜劇か悲劇かはよくわからないのだけど。



朝日に向かってホラ貝を吹くサドゥー











スナップショットに向いた街

 バラナシでの撮影は、僕のいつものスタイルとはまったく違うものになった。普段はまずコミュニケーションを取るところから始める。言葉が通じなくてもいいから、アイコンタクトや身振りなどで「あなたを撮りたいんだ」という意思を伝える。そこで良い反応が返ってくればレンズを向けるし、そうでなければ撮らない。

 それがバラナシでは、相手に気付かれないうちに撮るスナップショットが基本になった。人を主役にして撮るのではなく、バラナシという舞台に役者を配置した1シーンを撮るようなイメージだ。人々だけでなく、背景も、光も、空気感も、全てが印象的なバラナシだからこそ成立する撮り方だった。















 外国人旅行者がありふれているのも、この街がスナップショットに向いている理由のひとつだ。バラナシではガイジンの存在は特別なものではないし、わざわざ注目したりしない。10メートル歩くたびに「ボート乗るか?」と声を掛けてくる面倒くさい船頭たちを除けば、この街の人々は外国人に無関心なのだ。子供たちがわーわー後をついてくることもなければ、おっさんたちから「お前はここへ何しに来た」と詰問されることもない。外国人が珍しい田舎町ばかり好んで旅してきた僕にとって、その反応はとても新鮮だった。

 しかし中にはカメラにすごく敏感な人もいて、それがヒンドゥー教の行者「サドゥー」だった。サドゥーは沐浴場の一角で哲学的な思索にふけっているような顔をしてじっと座っているのだが、外国人にカメラを向けられると、待ってましたとばかりに「カネをよこせよ」と言ってくるのだった。「モデルになってやる代わりに撮影料をくれ」というわけだ。彼らは自分が外国人からどう見られているのか、ちゃんとわかっているのである。


いかにもサドゥーっぽい格好をした男が、実はカネ目当てだったりもする


壁に描かれた神様ガネーシュによく似た格好のビジネス・サドゥー

 家族も捨て、住む家も捨て、終わりなき放浪の旅を続けているのが、サドゥー本来の姿だ。あらゆるものへの執着を断ち、瞑想と苦行と禁欲を実践しながら生きている。しかしバラナシに集まっているサドゥーたちの多くは、外国人から小銭をせびることで生計を立てている「ビジネス・サドゥー」だった。彼らはサドゥー本来の無頼の生き方とは正反対の道を行っている。「聖なる外見」とは裏腹の「俗なる内面」を持っているのだ。

 しかしそういう怪しげな連中さえも受け入れることによって、バラナシという劇場がさらに厚みを増しているのも事実だった。聖なるものの中に宿る俗性、あるいは俗なるものの中に宿る聖性。善悪と美醜。すべてのものを併せ持つこの舞台の上で、今日もまた役者たちが悲喜劇を演じている。


ガンガーは土足厳禁

 相手に気付かれないうちにスナップ的に撮るのが有効なバラナシであっても、何でもかんでも撮っていいわけではなく、一定の節度を求められる場面もあった。たとえば火葬場で燃えている遺体を撮るのは厳しく禁止されているし、寺院などで神様に対して不敬な行動を取ると、その場から追い出されることにもなりかねない。

 沐浴場で行われていた宗教儀式を撮影したときのことだ。川に向かって祈りを捧げる人々を正面から捉えようと、僕はサンダルを脱いで裸足でガンガーに入った。すると儀式を取り仕切っている男から、「何しているんだ!」という大声が飛んできた。



 その声は僕に対して発せられたものではなかった。すぐ近くにいた欧米人の男が、僕と同じように川に入っていたのだが、彼が履いていた靴を脱がなかったのが問題だったのだ。インド人にとってガンガーは聖なる川。しかもバラナシを流れる水は世界一清らかだと信じられている。その川に土足で入るとは何ごとだ、というわけだ。

 注意を受けた欧米人の男は慌てて川から上がり、申し訳なさそうにその場を離れていった。そのとばっちりを受ける格好で、僕も睨まれそうになったので、すぐに足を上げて「俺は裸足だよ」とアピールした。すると男は軽く手を上げて「あぁ、君はそのままでいいよ」と言ってくれたのだった。

「写真を撮るのは構わない。問題は靴なんだ」
 と彼は言った。そう、問題は靴なのだ。

 裸足は「浄」で、靴は「不浄」という感覚は、インド人に広く共有されている。それは靴の裏と足の裏のどちらが実際に清潔なのかという問題ではない。

 聖なる存在の前で裸足になり、清らかな体と清らかな心で神様に向き合う準備ができているか。その心構えを問われているのだ。







 実際にはガンガーの水は大腸菌だらけだし、牛の糞やら人の小便やらが大量に流れ込んだ汚い水だ。それでもこの水は清らかなものであり、土足で犯すべきものではないという前提を受け入れ、尊重しなければいけない。この街を訪れるすべての人に問われているのは、その姿勢なのである。





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by butterfly-life | 2016-01-23 10:27 | インド旅行記2015
物乞いなんてどこにでもいる
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ごちゃごちゃした旧市街


 ごちゃごちゃしているのが旧市街で、すっきりしているのが新市街。
 新しい街と古い街。二つの街を並べてみると、その違いは歴然としている。
 言うまでもなく、僕が好きなのは旧市街の方だ。何か特別な用事がない限り、新市街に足を向けることはない。

 僕にとってインドの旧市街はめくるめく空間だ。迷路のように入り組んだ路地裏。狭い店が肩を寄せ合うようにして連なる商店街。悠々と寝そべる野良牛。人とリキシャとオート三輪が殺到して大混乱に陥る交差点。すべてが刺激的で驚きに満ちている。







 旧市街と新市街を見分けるのは簡単だ。グーグルマップ上でもその違いははっきりと見て取れる。道路がまっすぐに走り、碁盤の目状に区画整理されているのは新市街で、その反対に道路がジグザグに走り、ところどころ行き止まりになっているのが旧市街なのだ。




旧市街と新市街の違いはグーグルマップでも確認できる。上がバレーリーの旧市街で、下がバレーリーの新市街である。


 インドの街が素晴らしいのは、旧市街の建物を取り壊さずにそのまま残しながら、外側に新市街を広げているところだ。貧しい庶民が混み合った旧市街に住み続ける一方で、お金持ちは広々とした郊外へ移り住む、という流れが出来上がっているのだ。これは文化財や景観を保護するためではなく、さまざまな規制や複雑な地権などが絡まり合って、政府主導の再開発が進まなかった結果だ。強引なやり方で古い街を壊し、近代化をスピーディーに推し進める中国とはまったく対照的なのである。



旧市街には百年以上も前に建てられた住宅も多く、訪れる人を「時間の旅」へといざなってくれる。






 インドの旧市街は小汚い場所だ。上下水道の整備も遅れているので、あちこちに小便のにおいが漂っている。道はあまりにも狭く、人も車も牛も数が多すぎる。しかしそれと同時に、人と人との距離がとても近いので、都市でありながら親密な雰囲気が漂っている。江戸時代の長屋横丁もきっとこんな空間だったのだろう。









 旧市街に住む人々は気軽に声を掛けてくる。チャイをご馳走してくれたり、お菓子を分けてくれたり、以前からの知り合いのようにフレンドリーに接してくれる。彼らが外国人に慣れているわけではない。英語が話せるわけでもない。その証拠に、僕に対して「あんたアメリカ人か?」と訊ねる人も多い。これは「ガイジン=アメリカ人」という素朴な思い込みがあるからだ。不思議なのはアメリカ人に次ぐ人気ナンバー2が「オーストラリア人」であることだった。超大国アメリカのネームバリューが圧倒的なのはわかるが、なぜオーストラリアのプレゼンスがこれほど高いのだろう。まぁオージーって暇なのか、どの国にもよくいるけどね。

「ジャパンから来たんだよ」と僕が答えると、
「おぉ、メイド・イン・ジャパンか!」と返されることもあった。
 まぁ間違いではないけれど、正面切って「メイド・イン・ジャパン」って言われると、まるで自分が電気製品にでもなったみたいで、ちょっと複雑だった。

 僕のサインを欲しがる若者もいた。そんなものもらってどうするんだろうと思いながらも、差し出されたノートにサインを書く。中には紙幣にサインをしてくれという少年もいた。そういえばインドでは計算やメモが書き込まれた紙幣を見かけることが多い。適当な紙がないときに、お札をメモ帳代わりに使う習慣があるようだ。








ギャンブルとスクラップの街

 マハラシュトラ州にあるラトゥールは、地方都市の中でもかなり規模の大きな街だった。南仏の小都市を思わせるオシャレな響きだが、実際のラトゥールは小さな商店がごちゃごちゃと建て込んだ、いかにもインドらしい街だった。交差点には野菜や果物を売る台車が所狭しと並び、ムスリム地区からは礼拝を呼びかけるアザーンの声が響いてくる。



ラトゥール郊外には建築現場から出たくず鉄を再生するスクラップ工場が建ち並んでいた。長い鉄を切断する男、ブリキでバケツを作る男、溶接する男。鉄に関する様々な仕事が行われていた。






 ラトゥールには他の街では滅多に見かけることのないギャンブルの店がいくつもあった。入り口にいかにも怪しげなカーテンがかかっているので、すぐにそれとわかる。中を覗くと、薄暗い部屋の中にピカピカと光る電子ルーレットのようなマシンが5台ほど置いてある。硬貨を入れ、アタリが出ると何倍にもなって出てくる仕組みのようだ。こうした私営のギャンブルは、インドでも違法行為のはずだ。しかし白昼堂々と営業しているところを見ると、当局からも大目に見られているようだ。見回りに来た警官には賄賂を払っているのかもしれない。



ルーレットのようなマシンが並ぶ店


ギャンブル店の入り口にはいかにも怪しげなカーテンがかかっている


 ルーレット屋の隣にはロト屋があった。ロトは小口のスピードくじだ。当選番号はインターネットに繋がったパソコンの画面に4桁の数字として発表される。この数字が自分が買ったくじ番号と一致すればアタリだ。くじは1口10ルピーで販売され、当たったら900ルピーが払い戻されるそうだ。はっきり言って安い。インド人の所得水準を考えてもずいぶんローリスク・ローリターンだ。パソコン画面に数字が現れるだけ、という仕掛けのショボさにも脱力してしまう。それでも地元のおっさんたちはくじを握りしめて大声を張り上げたり、大げさに喜び合ったりして、かなり熱くなっていた。人は不確実なものに惹かれる。「当たるも八卦当たらぬも八卦」というドキドキ感を味わいたいという欲求は、人類に共通したものなのだろう。



ロト屋では発表されたアタリ番号を掲示板に書いていく。


ギャンブルと酒は切り離せないものなのか。この町には酒屋とバーが多かった。インドのバーはどこも退廃の匂い漂う、掃きだめのような場所である。客はもちろん男だけ。オシャレに飲むという発想はない。



物乞いなんてどこにでもいる

 ラトゥールの旧市街には物乞いの姿が多かった。寺院の周辺やバスターミナルや市場など、人の集まるところには必ず何人かの物乞いが座って、通行人に右手を差し出していた。片手がない者、片足がない者、目が見えない者、皮膚がただれた者。身体に何らかの障害を持つ人が多かった。





「どうしてこんなに物乞いが多いんだろう?」
 市場で靴屋を営む男に訊ねてみた。流暢に英語を話す人だったから、詳しい事情が聞けるかもしれないと思ったのだ。
「さぁ、そんなことは知らないよ」
 靴屋は興味なさそうに首を振った。
「物乞いなんてどこにでもいるじゃないか。あいつらは働く気がないから働いていないだけだよ。インドだけじゃない。アメリカにもイギリスにもいるだろう。リッチな人間とプアーな人間がいるのは、この世界じゃ当たり前のことじゃないか」
「でも日本には物乞いはいないよ」
 僕がそう言うと、靴屋は絶句した。そんな国が存在するなんて到底信じられないというように。日本にもホームレスはいる。けれども彼らが道行く人にカネやモノを恵んでくれと手を差し出すことはない。空き缶を拾ったり、廃棄された食料を集めたりして食いつないでいる。それは世界的に見て、かなり特殊な状況だ。

「じゃあ、日本人は全員働いているのか?」と靴屋は僕に訊ねた。
「もちろん働けない人もいる。でも、そういう人は国からお金をもらって暮らしているんだ」
 その答えは靴屋をさらなる混乱に陥れてしまったようだ。
「働けない連中に国がお金を配るっていうのか? そんなことしたら、誰も働かなくなるんじゃないのか? いったいどうなっているんだ? 日本って国は」
 日本の生活保護制度にも問題はあるだろうけど、少なくともインドのように「働けない奴はすぐに物乞いへ転落」とはならない社会は誇るべきものだと思う。





「あんたたちはインドが貧しい国だと思っているんだろう?」と彼は言った。「でも本当はそうじゃない。知っているか? スイスの銀行に一番多く金を預けているのはインド人なんだ」
 彼が言いたいのは、おそらくこういうことだ。インドには物乞いも多いが、スイスの銀行口座に莫大な資産を預けている大金持ちもいる。だからインドが貧しい国だと決めつけないでくれ。

 それは事実なのだろう。しかし決して自慢できるものではない。本来であれば課税され、貧困層に分配されているはずの富裕層の資産が不法に外国に逃避していることで、インドの経済格差はさらに広がっているのだから。

 もちろんどんな国にも格差はあるし、ホームレスや物乞いもいる。インドで問題なのは、その格差があまりにも大きすぎること。そして格差ががっちりと固定されていることだ。優秀な人はものすごく優秀だし、お金持ちはびっくりするほどお金持ちだが、貧しい人が貧しさから抜け出すことは非常に難しい社会なのだ。

 インド社会は、個人が分不相応の夢を抱くことを抑圧してきた。「運命をそのまま受け入れろ」という強い圧力のもと、親の仕事を子がそのまま受け継いできた。カースト制度とは「格差の再生産」に他ならない。

 変化に乏しい前近代には、このような流動性に乏しい社会システムがうまく機能したのだろう。しかし時代は変わった。グローバル化と情報化が進み、素早い変化が求められるようになった現代社会では、格差の固定化は社会から活力を奪い、イノベーションを妨げる原因になっている。





 僕はインドが好きだ。美しさも醜さも、豊かさも貧しさもひっくるめて好きだ。
 でも街に物乞いがあふれている光景だけは、どうしても好きにはなれない。それが当たり前だと何の疑問も持たない人々の姿も、好きにはなれない。

 物乞いになるために生まれてきた人なんて、どこにもいない。
 人は働くために、誰かの役に立つために生まれてきたのだと僕は信じている。



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by butterfly-life | 2016-01-04 11:06 | インド旅行記2015
祈りの大地
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親指山に祈る


 インド半島の大部分を占めるデカン高原には、不思議な形をした「奇岩」があちこちにそそり立っている。世界最大規模の玄武岩台地であるデカン高原は、雨も少なく乾燥しているので、自然が長い時間をかけて作り出した奇岩がそのままのかたちで残されているのだ。



 ミャンマーの有名な黄金の岩「ゴールデンロック」ほどではないにしても、インドの奇岩の中にも人が手を加えたとしか思えないような絶妙なバランスを保っているものがある。しかし、ほとんどの奇岩は地元の人の注目を浴びることはない。僕がカメラを構えていても「あの石っころを撮るの?」って感じですごく素っ気ない反応なのだ。

 岩は岩なのである。自分が生まれる前からずっとそこにあり続けているものに対して、いまさら「すごい」とも「不思議だ」とも思わないのだろう。

 しかし中には信仰の対象になっている奇岩もある。マハラシュトラ州マンマードにある岩山もそのひとつだった。この山はとにかくユニークな形をしていて、小高い山のてっぺんから親指がにょきっと突き出しているようなイメージなのだ。





 地元のタマネギ農家のおじさんに山の名前を尋ねてみると、彼は親指を立てて笑顔で言った。
「サムズ・アップ!」
 やっぱりそうなんだ。僕は嬉しくなった。この岩山は地元の人からも「親指(ヒンディー語でアングータ)」と呼ばれているという。ちなみに「サムズ・アップ!」という言葉はインド国産コーラの商品名にもなっているので、一般にもよく知られている。



「3000年ほど前、山のてっぺんからあの岩が生えてきたっていう話だよ」
 農家のおじさんは言った。代々語り継がれてきた伝説なのだろう。それがもし本当だとしたら、「2001年宇宙の旅」のモノリス並みにインパクトのある話なのだが、実際には長年にわたる風化と浸食作用で作られた形なのだと思う。

「あの山には神様がいる。だから特別な人以外登ってはいけないことになっているんだ」
 彼は親指山を見上げながら言った。
「神様がなぜ親指を立てているのか、それは俺にもわからないけどね」



 奇妙な形の岩、そびえ立つ霊峰、悠久の大河。自然が生んだダイナミックな造形を祈りの対象にするのは、人類にもともと備わっている根源的な衝動なのだろう。自分というちっぽけな存在を遙かに凌駕する大自然の力。それに対してひれ伏し、祈りを捧げる気持ちが、すべての宗教の根っこにあるのだと思う。



ジャイナ教の全裸行

 インドに数多ある宗教の中でも、ジャイナ教はとりわけ戒律が厳しいことで知られている。ジャイナ教は紀元前6世紀頃、仏教と同じ時代に成立した古い宗教で、その教義の大元には「生き物を傷つけてはならない」という考えがある。だからジャイナ教徒は厳格な菜食主義者だし、人を殺す軍人や魚を殺す漁師になることもなく、(土の中の微生物を殺す可能性のある)農業に従事することもない。

 ジャイナ教の僧(聖者)は「不殺生(アヒンサー)」にもとづいた厳しい生活を送っている。徹底した菜食主義を貫き、生き物を殺さないように細心の注意を払って暮らしている。彼らが手に持っているクジャクの羽も、座るときに小さな虫を踏みつぶさないように払うためのもの。生きているだけでものすごく疲れるような生活だが、彼らはそれを自ら選び取っているのだ。

 ジャイナ教の聖者が真っ裸なのは「無所有」という戒律によるものだ。服も下着も靴も何も所有しない。だから裸なのだ。開祖マハーヴィーラも裸で生き、それ以降の僧も彼を真似て裸で生きてきたのだ。(ジャイナ教はいくつかの宗派に分かれていて、僧に白衣の着用を認めている派もある)





 24時間365日全裸で暮らすジャイナ教の僧の一行とすれ違ったのは、ラジャスタン州ベアワル近郊だった。男女合わせて20人ほどの僧と、付き添いの信徒たちが国道を歩いていた。全裸なのは男性の僧だけで、女性の僧は白い衣服を着ていた。インドを長く旅していると、ジャイナ教の全裸僧とすれ違うことがときどきあるが、これほど大人数の集団を見たのは初めてだった。

「彼らは毎日歩き続けています」
 信徒の一人が英語で説明してくれた。
「列車やバスに乗ることはありません。自分の足で歩き続けることが重要なのです。本当に尊敬すべき人たちです。我々にはとても真似できないことをやっている。だから私はついていくのです」


[動画]全裸で歩く!ジャイナ教の聖者たち

 我欲を捨て、生き物を殺さず、ただひたすら歩き続ける。世俗にまみれた一般人とはまったく違う価値観のもとで生きているからこそ、裸の僧たちは尊敬を集めているのだ。



お前の宗教は何だ?

 インドには様々な宗教が混在している。人口の8割を占めるヒンドゥー教、二番目に多いイスラム教、数は少ないが確固たる社会的地位を築いているキリスト教やシク教、そしてジャイナ教や仏教など。インドに住む人々のほとんどは何らかの神を信じ、熱心に祈っていた。日常生活と信仰が密接に関わっていた。

 インドは昔から人口が多く、貧富の差が激しく、たびたび自然災害や疫病に襲われる土地だった。社会に「理不尽な死」がありふれていたからこそ、それを癒やす「物語」が必要とされたのだろう。インドで生まれたさまざまな宗教は、人々が究極の不条理である「死」を受け入れるための壮大な物語なのだ。


ブッダとキリストとガンディーという時代も宗教も異なる三人が並び立つ。異なる宗教が争うことなく共存するのがインドの理想だ。もちろんそれが常にうまく行くわけではないけれど、目指すべき方向はこちらだと示している。


 そんなインドを旅していると、「お前の宗教は何だ?」と聞かれることがよくあった。そんなとき僕は「仏教」と答えていたのだが、そう言ってしまった後で、いつも居心地の悪さを感じることになった。僕が仏教に対してある種のシンパシーを感じているのは確かだが、腹の底から信仰しているとはとても言えなかったからだ。

 しかしだからこそ、僕はインドの人々の祈る姿に心を動かされた。それは美しく、気高く、いじましかった。静かに祈る姿には、弱く小さな人間が精一杯純粋であろうとする気持ちが込められていた。



ユニークな顔立ちの神様を祭る祠にお線香をあげ、祈る男


川に灯明を流し、祈る男








 もしかしたら神様なんていないのかもしれない。それは僕にもわからない。でも、もしこの世界からすべての宗教が消えてしまったら、祈る姿がなくなってしまったら、この世界は味気ないものになるだろう。それだけは確かだ。

 人々が祈る姿は、この世界に美しい彩りを添えている。
 その美しい姿を、僕はなんとかして写真に撮りたいと思っている。



ラジャスタン州の半砂漠地帯で行われていた雨乞いの儀式。燃えさかる炎の中に、柄杓ですくったギーを入れる。炎をより高く舞い上がらせることで、空にいる神様と自分を一体化するという。農作物の出来はモンスーンに降る雨の量に大きく左右される。だからこそ祈りは真剣だった。


ラジャスタン州南部に住む牧民ラバリ族の村で、プジャを行う老人がいた。


お線香に火をつけ、鐘を鳴らし、神殿に向かって手を合わせる。一連の所作は日本の寺院で見かけるものとさほど変わらないのだが、赤いターバン姿のいかめしい老人が行うと、まったく異質な文化であるように感じられた。




ラジャスタンの牧民ラバリ族の村の寺院で、プジャの儀式を行う男たち。鐘を鳴らし、太鼓を叩き、歌をうたって神様を讃える。




[動画]トランス状態で剣を振り回す危ないサドゥー。これも祈りのかたちだ



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by butterfly-life | 2015-12-17 09:31 | インド旅行記2015
女装集団ヒジュラの踊り
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女装集団ヒジュラが踊る


 インドには、男性が苦痛を受ける「男祭り」と、女性がトランス状態になる「女祭り」があることはすでに紹介した通りだが、実はどちらのカテゴリーにも属さない「女装祭り」というものも存在する。

 その賑やかなお祭りは、ビハール州東部にあるマトラプールという村で行われていた。国道沿いにある寺院の前に100人以上の村人が集まり、ご本尊の周りで汗だくになって踊る人たちを見つめていた。

 踊り子たちはきらびやかな衣装を身に着け、厚く化粧を施し、妖艶に腰をくねらせるのだが、よく見ると全員が女装した男性だった。10歳から20歳前後の若い男の子たちが、女性になりきって踊っているのだ。


きらびやかな衣装を身につけた踊り子。きりっとした男性的な面立ちだが、化粧するとかなりの美人でもある。








[動画]女装集団ヒジュラの踊り


「これはラーマ神を讃える儀式なんです」
 と教えてくれたのは、村で一番英語が上手な大学生のプリティ君だった。
「踊り子たちはラーマの妻シータとその従者になりきって踊ります。昔からこの祭りで踊るのは女装した男と決められています。女が踊ることはできません。理由はよくわかりません。そういう伝統なんです」

 踊っているのは「ヒジュラ」と呼ばれる人々だった。ヒジュラとは男性の体に生まれながら女性としてのアイデンティティーを持つ人たちの呼び名で、自らの意思でヒジュラの集団に入り、ひとつの家族のように暮らしているという。ヒジュラたちはアウトカーストとして差別されているのだが、特別な力を持った聖者と見なされることもあり、このような宗教儀式に呼ばれることも多いという。


まだ10歳前後の子供も踊っていた






 インドを旅していると、ときどきヒジュラのグループとすれ違うことがある。背が高く痩せているのに派手なサリーを身にまとって濃い化粧を施しているから、遠くからでもよく目立つのだ。彼女たちは頼まれもしないのに歌と踊りを披露して、見物料を集めて回っているのだが、町の人からの視線は決して温かいものではなく、どちらかと言えば蔑みの目で見られていた。



アンドラプラデシュ州で出会ったヒジュラたち。バラの花を片手に、お金を恵んでくれと言って街を歩いていた。


 LGBTが社会的に認知されはじめた欧米や日本に比べて、インドでは「男性でも女性でもない人々」が自由に自分らしく生きるのはとても難しい。ヒジュラたちが「第三の性」として自分たちの権利を社会に認めてもらうには、まだまだ長い道のりが必要なようだった。



女の子に学問はいらない

 インドでももっとも貧しい州のひとつであるビハール州では、女子が置かれている境遇も恵まれているとは言えなかった。メクラという村の小学校を訪れたときに僕が目にしたのは、「女子生徒の数が圧倒的に少ない」という現実だった。例えば3年生のクラスには男子が16人いるのだが、女子はたった2人しかいなかったのだ。他のクラスも似たような状況で、女子が3割を超える学年はひとつもなかった。


女子が2人、男子が16人という3年生の教室


「ここは貧しい村ですから、女の子は学校に行かなくてもいい、と考えている親が多いんです。学校に来ない子供たちは家の手伝いをしています。家畜の世話をしたり、食事を作ったり、洗濯をしたり、水を汲んだり、きょうだいの面倒を見たり。やることがたくさんあるんです。勉強なんて二の次なんですよ」

 ビハール州の女子生徒が置かれた状況を説明してくれたのは、3年生を受け持つサンジブ・クマール・シン先生だった。予算が少ないのも大きな悩みなのだと彼は言った。老朽化した校舎を建て直そうにもそのお金がないので、竹を編んで作った狭い仮校舎で300人もの生徒が学ばざるを得ないのだ。教室の中は風通しも悪いので、とても暑かった。見ている方が息苦しくなるような授業風景だった。








 男女比のいびつさは教師も同じだった。この学校には9人の先生がいるのだが、女性教師はたった一人だけなのだ。他の地域ではこんなことはない。教師は勉強が出来る女性にとって最も就きやすい仕事のひとつとされていて、たいていの学校では教師の男女比は半々か、女性の方が多いのだ。ところがビハール州では教えるのも学ぶのも、男性の方が圧倒的に優位なのである。

「これでも我々が子供の頃に比べたら良くなったんです」とサンジブ・クマール・シン先生は言う。「20年前には中学校に上がる女子なんてほとんどいませんでした。今は違います。大学へ進む女子も珍しくなくなりました。新しい考え方に馴染むのには時間がかかります。とくにこんな田舎ではね。人々の生活は20年前とあまり変わっていないんですから」





 確かに人々の暮らしぶりは、20年前と、いやひょっとしたら50年前ともあまり変わっていないように見える。今でも昔ながらのやり方で米を育て、山羊を飼い、牛糞を乾かした燃料で煮炊きを行い、ガンガーの水で体を洗っているのだ。

 何ごとも急には変わらない。
 悠久たるガンガーの流れのようにゆっくりとしか変化しないのが、インドという国なのかもしれない。








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by butterfly-life | 2015-12-07 12:42 | インド旅行記2015