カテゴリ:インド旅行記2015( 52 )
女神ドゥルガーになった女たち
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女神ドゥルガーになった女たち


 インドの祭りで儀式を行うのはもっぱら男性に限られていて、女性はその様子を遠巻きに見守るという役割しか与えられていない。御輿を担ぐのも男性だし、派手なコスチュームで歌ったり、爆竹を鳴らしたりするのも、ほぼ100%男がやる。インドでは今でも男女の役割がはっきりと分かれていて、宗教儀式の場ではそれがより明確になるのだ。「ギャル御輿」なんかが一般的になった日本とはまるで状況が違うのである。

 しかしそんなインドにも、まれに女が主役の祭りが存在する。ビハール州東部のガンガー沿いにある村で行われていた「ドゥルガー・プジャ」はそんな珍しい祭りのひとつだった。

 最初はごく普通の村祭りだと思っていた。寺院の前の広場に300人ほどの村人が集まり、家族ごとに車座になってゴザの上に座っている。ピクニックに来た大家族のような牧歌的な光景だ。しかし人々の様子が何かおかしかった。まだ日が高いにもかかわらず、多くの村人は酒を飲んで酩酊しているか、チャラスを吸ってハイになっているのだ。チャラス(大麻樹脂)の吸引はインドでは黙認されているのだが、だからといってサドゥーでもない一般人が屋外で大っぴらに吸うのは珍しい。中には感極まったように泣き出したり、唐突に奇声を上げたりする人もいた。あたりにはただならぬことが起こりそうな緊張感が漂っていた。





 神像をまつる祠には、若い女が両手を合わせて祈る姿があった。頬は涙でうっすらと濡れ、額には汗が滲んでいた。しばらくすると、彼女は言葉にならないうめき声を発しながら、頭を振り回し始めた。長い髪の毛が歌舞伎役者のように豪快に舞う。トランス状態に入ったのだろう。これでもかというぐらいぐるんぐるんと頭を振り続けた後、彼女は突然「ガー!」と大きな叫び声を上げて、ばったりと地面に倒れ込み、糸が切れた人形のように動かなくなってしまった。

 そのまま1分以上じっとしていただろうか。彼女が再び体を起こしたときには、さっきまでとはまったく別人の表情になっていた。目に見えない「何か」が彼女に取り憑き、体を操っているようだった。彼女は「カカカカカ」という不気味な笑い声を上げながら、両手を大きく左右に広げ、その場にいる人々に命令するような口調で何ごとか叫んだ。







 その声を合図にして、まわりにいた女たちが次々と「別人」に変わっていった。ある者は怒りを爆発させ、ある者は声を上げて泣き、ある者は腹の底からおかしそうに笑う。いずれの女も別の世界にいる化け物をにらみつけるような異様な目をしていた。








「これはドゥルガー・プジャって儀式なんだ」
 パイプでチャラスを吸っていたおじさんが力を込めて説明してくれた。彼によれば、村人たちは今日から9日間毎日ここに集って、女神ドゥルガーに祈りを捧げるという。その祈りによって目覚めたドゥルガーが、女たちに特別な力を授けるのだ。

 「ドゥルガー」とは「近づきがたい者」を意味するという。外見は優美なのだが、その本性は恐るべき戦いの女神なのだ。血走った目で髪の毛を振り乱す女の姿は、まさに「近づきがたい者=ドゥルガー」そのものだった。この儀式によって女たちの肉体には一時的にドゥルガーの魂が宿り、荒ぶる女神のようにふるまうのである。

 女たちの変貌ぶりは、インド人の女性観そのものを表しているのだろう。インドの女性は「保守的でおとなしい」というイメージが強いのだが、それはあくまでも「表の顔」であって、激烈な感情をほとばしらせる「裏の顔」も持ち合わせているのだ。普段は抑圧され表に出てくることのない「裏の顔」が、何かのきっかけであらわになる。それがこの儀式が持つ本当の意味なのだろう。女神ドゥルガーとは「貞淑であると同時に野蛮などう猛さも持っている」という女性の二面性を体現する存在なのだ。






 トランス状態になった女たちを撮影するのは容易ではなかった。そもそもこの祭りはきわめてローカルな秘儀であって、誰もがオープンに参加していいものではない。しかも村人の大半は酒かチャラスで酩酊している。そんなところに事情もよく知らない外国人が足を踏み入れたら一体どうなるのか、僕にもまったく予想できなかったのだ。

 実際、写真撮影を拒絶する女性もいたし、レンズを手で覆い隠して「撮るな!」と怒鳴る人もいた。そう言われたら、もちろんそれ以上は撮らなかった。しかしその一方で「いいから撮りなよ。わざわざ日本から来たんだって?」と優しく声を掛けてくれる人もいた。断固たる拒絶と温かい歓迎とが同じ場所に混在していて、どちらを信じればいいのかわからないという状況が、いかにもインドらしかった。

 露骨な撮影拒否に遭いながらも退却をせず、隙をうかがいながら撮影し続けたのは、この儀式がとても魅力的だったからだ。先の読めない展開にもそそられたし、女たちの目から放たれる異様な光にも惹かれた。これほど得体の知れない儀式は滅多にお目にかかれない。それだけははっきりとしていたから、遠慮などしている場合ではなかったのだ。女たちの迫力にびびって撮るのをやめてしまったら、あとで必ず後悔することになる。そう思ったのだ。









 オリッサ州北部の山村でも、トランス状態の女たちが主役の祭りが行われていた。
 女たちは苦悶の表情を浮かべながら、太鼓の音に合わせて体を揺り動かし、徐々に感情のボルテージを高めていた。その姿はあの世から姿を現した死者のようにも見えた。



この儀式には女性だけでなく、顔を赤く塗った長髪の男も参加していた。彼が女として儀式に加わっているのか定かではなかったが、踊りのキレやパフォーマンスの熱気はすさまじかった。


[動画]トランス状態で踊る異様な人々


 こうした呪術的な儀式は、中部デカン高原やインド南部で見かけることが多かった。北インドの宗教儀式は洗練され、形式化されたものが多いのだが、中部から南部で行われている宗教儀式には、激しい痛みを伴った土俗的なものが多いのだ。

 これはインドの歴史と深く関わっている。古くからインドに住みついていたドラヴィダ語族の住民たちは土着の神々を信仰していたのだが、その後インド北西部に侵入してきたアーリア人が信仰するバラモン教とその土着信仰が混ざり合うことによって、ヒンドゥー教という多神教が生まれたのである。つまりインドでは、北部よりも南部の方がより強く土着文化の影響を受けているのだ。







 摩訶不思議な儀式が南インドに多く残されているのは、ヒンドゥー教が成立する以前から存在する「インド人の魂」と呼ぶべきものが、南インドの人々に受け継がれている証拠なのだろう。女たちがトランス状態に陥ったり、男たちが激しい苦痛に耐え抜いたりする「尋常ならざる祭り」の源流には、文明が興る前から存在した得体の知れない闇の力があるのだ。

 闇と混沌。恐怖と衝動。
 何千年も前の人々が感じていた記憶が、様々な儀式を通じて現代に受け継がれている。
 その事実が、インドという国の奥深さを我々に伝えている。


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by butterfly-life | 2015-11-30 14:05 | インド旅行記2015
鉄の棒が舌を貫く!インドの痛すぎる祭り
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痛すぎる祭りの結末は


 カルナータカ州北部にあるビジャープル近郊で行われていた祭りは、僕がインドで遭遇した祭りの中でももっとも刺激的なものだった。

 まず目を引いたのは、男たちの鮮やかな衣装だった。カラフルなターバンを頭に巻き、いくつもの数珠を首にぶら下げ、右手には鉄の刀を握りしめている。どうやらこれは伝統的な戦士のスタイルのようだ。


伝統的な戦士のスタイルで祭りに臨む

 祭りは男たちの歌で幕を開ける。太鼓とラッパの賑やかな音に合わせて、大声を張り上げるのだ。インドの祭りには景気づけの歌が欠かせないのである。

 それから二人の男が列の前に進み出て、手に持った剣をぶんぶんと振り回しながら踊る。見守る観客に当たりそうなぐらい激しく剣を振り回す。これは戦闘を真似た儀式のようだ。



男たちが歌い、踊る








[動画]歌って踊るにぎやかな祭りの様子


 続いて先の尖った鉄の棒を持った男が登場する。彼はライムで鉄棒を消毒すると、それを迷うことなく自分の腕に突き刺した。
 イタタタ。見ているこっちが顔をしかめたくなるような光景だった。棒が貫くのは腕の皮膚の部分なので、血はほとんど流れないのだが、それでもかなり痛いのは確かだ。子供の頃にかかとで画鋲を踏み抜いた瞬間を思い出してしまった。




「こんなのまだ序の口さ」
 僕の耳元でそう言ったのは、ニコンの一眼レフカメラを持ったカメラマンだった。彼は証明写真やウェディングフォトを撮るスタジオを経営しながら、地元でニュースになりそうな出来事が起きればすぐに駆けつけて新聞に投稿しているという。インドの地方紙は彼のような「兼業記者」によって支えられているのだ。
「これからが本番だ。すごいのが始まる。いいか。カメラを構えてよく見ておくんだ」



 集まった人々が固唾をのんで見守る中、僕の想像をはるかに超えたすさまじい儀式が始まった。先ほど腕に突き刺していた棒とは比較にならないほど太い鉄棒を、なんと舌の真ん中に突き刺したのである。直径1センチほどもある太い棒が、男の舌を貫通して、上へ上へと伸びていく。すごすぎて言葉にならない。奇術か手品のような光景だが、これにはタネも仕掛けもない。フィジカルな痛みを伴う現実なのである。




[動画]これは痛すぎる!舌に鉄の棒を貫通させる男


 それにしても彼の舌は大丈夫なのだろうか。よく「舌をかみ切って自殺する」なんて話を聞くではないか。あんな太い棒を舌に突き刺したりしたら、出血多量で死んでしまうのではないか?

 そんな心配をよそに、男はさらに力を込めて棒を突き刺していった。「一度始めた儀式は何としてでもやり遂げねば」という使命感が彼を支えているのだろう。その様子をまわりで見守る観衆は、男が受けている痛みを分かち合うかのようにみな辛そうな表情をしていた。

 鉄棒は長さが3mほどもあるので、全てを貫通させるのに5分以上の時間を要した。ようやく鉄棒が舌から抜けると、男は精根尽き果てた様子で両脇を仲間に抱えられ、地面に座り込んでしまった。

 ここで登場したのは、やはりライムだった。気を失いそうになった男にライムの果汁を与え、その酸っぱさで気持ちを奮い立たせようというのだ。「三色の鬼の祭り」でも見たように、南インドの人々にとってライムは万能薬のような存在なのだ。実際この祭りでも鉄棒を消毒するのにもライムが使われていたし、神像を洗い清めるときにもライムを使っていたのだった。


ぐったりとした様子の男。傍らにはライムを持った男がいる。


「舌は大丈夫なの?」
 苦悶の儀式が終わったあと、道ばたに座って休んでいた男に声を掛けてみた。ライムのお陰なのか、彼の表情はすっかり元に戻っていた。
「あぁ、問題ないさ」
 男はそう言うと、長い舌をぺろっと出して、僕に見せてくれた。舌には大きな穴があいていた。それはさっき出来たばかりの新しい傷ではなかった。ピアス穴のように長年にわたって異物を挿入し続けた結果、傷口がふさがることなくドーナツみたいな穴になっていたのだ。

 おそらく彼は若い頃から何度となくこの「舌に棒を通す儀式」を続けてきたのだろう。それによって常人とは違う「特別な舌」を持つに至ったのだ。だからあの壮絶な儀式も、見た目ほど痛くはないのかもしれない。血も流れないし、傷口が化膿することもないから、危険も少ないのかもしれない。

 しかし最初は絶対に痛かったはずだ。血もたくさん流れただろうし、失神したかもしれない。それでも彼はやり遂げたのだ。一度ならず何度も繰り返し舌に棒を通し続けたのだ。



歌をうたう男の舌にも穴があいていることに注目。彼も鉄棒を突き刺し続けたことで、特殊な舌を持つに至ったのだ。


 彼がどのようにして柔らかく繊細な舌に鉄の棒を突き刺したのか、知りたいと思った。どのような理由でそれを始め、どんな気持ちでやり遂げたのか。どれほどの痛みだったのか。しかし言葉の壁もあって、詳しいことは聞けずじまいだった。

 仮に言葉が通じたとしても、彼の気持ちを理解するのは難しかったと思う。まだ嗅いだことのない匂いや、味わったことのない味、聞いたことのない音を理解できないのと同じように、生まれてから一度も経験したことのない痛みを理解するのは、おそらく不可能なことなのだ。


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by butterfly-life | 2015-11-24 13:28 | インド旅行記2015
三色の鬼とライムの霊力
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三色の鬼とライムの霊力


 地元の人は「あれは神様だ」と言うのだが、どう見てもそれはおっかない「鬼」の姿だった。

 タミルナドゥ州にあるエランピライという町で年に一度行われる祭りに登場したのは、つま先から顔まで全身を真っ赤に塗った赤鬼と、同じく真っ青に塗った青鬼だった。



 二人とも長髪のカツラを被り、つけヒゲを着け、歌舞伎役者のような派手な隈取りを施し、背中には大きな看板のようなものを背負っていた。相撲取りみたいにせり出したお腹には、大きく口を開けた虎の顔が描かれている。とにかく派手で人目を引くコスチュームなのだ。



 面白いのは、鬼たちがそれぞれの口にライムをくわえていること。彼らは気合いを入れるたびに、ライムを思いっきり噛みしめ、「あぁ酸っぱい!」というしかめっ面をするのだ。ライムを皮ごと噛むのだから、そりゃ酸っぱいだろう。見ているこちらもパブロフの犬みたく口の中にじんわりと唾が滲んでくるほどだった。

「ライムには聖なる力があるんだ」と祭りに参加している若者が教えてくれた。「一回噛んだライムはすぐに新しいものに交換される。新鮮なライムだけが神様に力を授けるんだよ」

 確かに酸には殺菌作用があるし、ライムの果汁には暑さで参った頭をリフレッシュする効果もある。インドの街角で売られている手作りジュースは、ライム果汁と炭酸水を混ぜて作られている。南インドの人々にとって、ライムは日常に欠かせない食べ物なのだ。


市場にも必ずライムが並ぶ

街角で売られている手作りジュースは、ライム果汁と炭酸水を混ぜて作られている。


年に一度行われるこの祭りは、若者たちの踊りで始まる。両手に刀を持ち、太鼓のリズムに合わせて踊るのだ。


奉納の踊りが終わると、いよいよ鬼たちが登場する。


 赤鬼と青鬼はうなり声を上げ、周囲を威嚇しながらのっしのっしと歩いていた。秋田の「なまはげ」のように幼児に顔を近づけてわざと泣かせたりもしていた。もっとも、インドの子供たちは肝が据わっている(あるいは騒音耐性が強い)ので、びーびー泣いたりはしないのだが。

 鬼たちの本当の目的は、祠に安置されている「サウンダマン」という名の女神を屋外へ引っぱり出すことだった。サウンダマンは霊験あらたかな町の守り神なのだが、シャイな性格なので、なかなか人前に現れない。その「ひきこもり系」の神様を信者の前に引っぱり出すために、ライムでパワーアップした鬼たちの力が必要なのだ。


あとから登場した緑鬼は、角を生やし、お腹には男性器(リンガ)を描いていた。






 青鬼と赤鬼、さらにあとから緑鬼も加わって、三人で共同戦線を張ってサウンダマンと対峙する。ご本尊を前にして鬼たちのテンションはさらに上がり、刀を振りかざして大声で叫び続ける。
「早く外に出てきやがれ! 出てこないとお前を切り刻んでしまうぞ!」



 もちろんサウンダマンは石の像だから何も答えない。しかし鬼たちにはサウンダマンの気持ちがちゃんとわかるらしく、脅したり、なだめたり、褒めそやしたりして、何とか外に出そうとする。そんな膠着状態が30分ほど続いただろうか。やっとこさサウンダマンが祠から出てきたときには、さすがの鬼たちもぐったりとした様子だった。

 サウンダマンは大人の男なら一人で持ち運べるほどの小さな石像である。鬼たちの迫力に比べると、拍子抜けするほど小さい。しかし町の人はサウンダマンの出現に驚喜している。「あぁ、今年もついに現れてくださった」と、ありがたそうに手を合わせるのだ。


サウンダマンは大人の男なら一人で持ち運べるほどの小さな石像だ


 サウンダマンはもちろん自分では歩けないので、足代わりになる男たちの助けが必要だ。両手でサウンダマンを抱えた男はトランス状態になり、あっちへふらふらこっちへふらふらと予測不能な動きをする。彼の意志ではなく、サウンダマンが彼を歩かせているというわけだ。両脇に控えた男たちが、千鳥足で歩き続けるトランス状態の男をサポートする。そうやって町中を練り歩き、人々に霊力を分け与えるのだ。



 祭りが終わると、余ったライムが配られた。僕もひとつもらったので、鬼たちを真似てガブッと丸ごと噛みしめてみたのだが、ライムの果汁が喉の奥に飛び散って、ゲホゲホとむせてしまった。ひょっとしたらこれも「慣れないことはやらない方がいい」という神様のお告げなのかもしれない。



お祭りで出会った少女。水瓶に入った聖なる水を頭に載せ運ぶ。


大きく目を開いてポーズを決める少年。彼も将来は鬼役になるのだろうか?


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by butterfly-life | 2015-11-18 14:03 | インド旅行記2015
インドでSIMカードを購入してスマホを使う方法

インドのスマホ事情


 インドを旅する旅行者が、現地でSIMカードを買ってスマホを使おうとすると、かなり面倒な手続きが必要になる。SIMカード自体は160ルピー(320円)という激安価格で売られているし、2012年にインドを旅したときには簡単に買えたのだが、2014年から手続きが厳格化されたのだ。「外国からインドに潜入したテロリスト対策」という名目での規制強化だが、例によって抜け道だらけのザル法なので、テロ防止効果には疑問符がつく。結局のところ、「まっとうにインドを楽しみたいツーリストだけが損をする」という状況になっているのだ。


スマホで記念撮影はインドでも当たり前の光景だ



 2015年現在、外国人がSIMを購入するときには、パスポートとビザのコピーをキャリア会社に提出し、身元を保証してくれるインド人の知人の住所と電話番号を書くことになっている。そしてSIMを購入した翌日に携帯キャリア会社に電話をかけ、インド人の知人の住所を伝えてから、SIMのアクティベーションを行う。実際にSIMが動作するまでに3日もかかり、その3日間はSIMを買った町から移動してはいけないという。とにかくややこしいシステムなのである。

 そのような煩雑な手続きを避けるために、僕は宿のマネージャーに頼んで、インド人にアクティベーション済みのSIMを購入してもらった。この裏技を使えばすぐにスマホを使えるようになる(もちろんスマホのSIMロックが解除されていることが大前提だが)。インドで売られているSIMは旧型なので、これをiPhone6で使うためには「nanoSIM」の大きさにカッターで切ってもらう必要があるが、これは店側がやってくれるので特に問題はなかった。


中国製の携帯電話は550ルピー(1100円)から。ウソみたいに安い。


 めでたくSIMの購入とアクティベーションが済んでも、これで万事OKというわけではない。インドでは一般にプリペイドSIM(あらかじめ支払った金額分だけ通話やデーター通信が使える仕組み)が普及しているのだが、予めチャージしておいた分を使い切ってしまった後のリチャージは「SIMを買ったところと同じ州」で行わなければいけないという決まりがあるのだ。(スマホではない通話専用の携帯ならリチャージはどこでもできるようだ)

 つまりオリッサ州で購入したSIMを他の州で使い続けるためには、わざわざオリッサ州に戻ってチャージしなければいけないということだ。なぜこんな意味不明な規制があるのかはわからない。もちろんほとんどのインド人は頻繁に違う州を行き来しないから、これでもいいのかもしれないが、常に移動している外国人旅行者にはとても迷惑な規制なのだ。ここでも僕は裏技を使った。SIMを購入したオリッサ州の宿の人と連絡を取って、代理でリチャージしてもらうことにしたのだ。

 「厳格な規則」と「抜け道だらけの運用」というのは、SIM問題に限らずインドのいたるところで見られる現象だ。官僚はやたらと厳しい規則を作りたがるが、実際の運用はいい加減なので、あっちこっちに「裏技」が存在する。裏技の代表例が公務員に渡す「賄賂」だ。そんなわけなので、いつまで経ってもインドでは汚職が減らないのである。


子供も携帯電話を持つようになった


路上のジャンク屋に並べられていた中古の携帯電話。汚れてはいるが、どれもまだ使えるものだ。


携帯の普及によってすっかり見かけなくなった公衆電話



iPhoneは人が羨むアクセサリー


 インドのスマホ市場で圧倒的なシェアを誇っているのはサムスンだ。それに追随するのはインド製、もしくは中国製の格安スマホ。アップルのシェアはとても低く、街中でiPhoneを見かけることはほとんどない。「iPhoneはいいものだが高すぎる」というのがインド人の一般的なイメージなのだ。


サムスンのスマホで僕を撮る男たち。まるで映画スターのような扱いだ。

「iPhoneはステイタスシンボルさ」
 と断言したのは、インドでは珍しいiPhoneユーザーである靴屋の店主だった。彼はiPhone5sを5万ルピー(10万円)で買ったという。インドで売られているスマホの多くは5000から1万ルピー程度だから、iPhoneがずば抜けて高価なのがわかる。


自慢のiPhone5sを見せてくれた靴屋の店主

iPhone6の看板を出している携帯ショップがあったが、店で聞いてみると在庫はないので取り寄せになるという。日本で買うより2,3割高い値段だった。


「誰も持っていないから、俺はiPhoneを買った。使い方はよくわからないけどね」
 実際のところ、彼はiPhoneを使いこなせてはいなかった。TouchID(指紋認証)のことも、ビデオのスローモーション撮影のこともまったく知らなかった。「新しいiPhone6はプロジェクターになるんだろう?」という出所不明のガセネタを信じてもいた。それでも彼はiPhoneに満足していた。「人が持っていないモノを俺だけは持っている」という特別感が何よりも大切なようだった。


ロンドンに住んでいる親戚から譲ってもらったというiPhone4sを向けて写真を撮る男。

 iPhoneユーザーが過半数を占める日本のスマホ市場は世界的に見ても異常だが、iPhoneユーザーが1%にも満たないインドの状況もまた特殊である。今のところインドにおけるiPhoneは「人が羨むアクセサリー」の域を出ていない。ダイヤの指輪のように輝きを放ってはいるが、大して役には立たないよね、という立場なのだ。



No Trouble No Life


 わざわざ強調するまでもないことだけど、スマホは旅を快適にしてくれる道具だ。僕は旅先でホテルの予約をしないので、新しい町に到着するとまず宿を探すために町のあちこちをバイクで走り回っているのだが、グーグルマップに「Hotel」や「Lodge」と入力すると宿が集中しているエリアが一発でわかるので、宿探しが劇的に楽になった。天気予報がリアルタイムでわかれば旅の計画も立てやすくなるし、GPSロガーを使って一眼レフカメラで撮った写真の場所を記録できるようになったのも画期的だった。

 インドでもグーグルマップの情報量と精度は驚異的だった。たとえばこれはタミルナドゥ州の片田舎を走っていたときに撮った写真なのだが、このような轍に近い未舗装の道であっても、グーグルマップ上に誤差なく表示されていたのだ。これには本当に驚かされた。



こんな細い道でもグーグルマップにはしっかりと記載されている

 細く曲がりくねった田舎道を躊躇なく進めたのは、グーグルマップでこの道の先が国道に繋がっていると知っていたからだった。旧市街の路地裏をずんずん歩いて行けたのは、GPSで自分の位置を正確に掴んでいたからだった。スマホのお陰で旅先で道に迷うことがなくなり、自分が行きたい場所に確実にたどり着けるようになった。

 今や世界中のありとあらゆる街やありとあらゆる辺境がマッピングされ、その情報はクラウド上に蓄積・共有され、それをスマートフォンで確認しながら旅を進めることができる。10年前には考えられなかった世界が現実のものになっている。


携帯ショップの店先で、食い入るように動画を見つめるムスリムの子供たち。現代的な光景だが、懐かさを感じる場面でもある。


 スマホがまだなかった頃、僕が頼りにしていたのは不確かなロードマップとコンパスだけだった。地図には間違いが多かったし、自分がどこにいるのか知る術もなかった。町の規模も地形もわからなかった。そんな「半分目隠しされた状態」で旅することは確かに怖かったけど、胸躍る経験でもあった。未知なるものへの恐怖が、自分の奥底に眠る好奇心を強く刺激していたからだ。

 情報の不足分は、想像力と好奇心とそして周りの人に助けてもらうことで補えた。本当に困っているときは、必ず誰かが助けてくれた。だから道に迷うことをそれほど恐れてはいなかった。

 確かにスマホの普及によって得たものは多いが、失ったものも少なくないと思う。正確な情報が簡単に手に入ることによって、道に迷う場面は少なくなり、時間を効率的に使えるようになったけど、それが地元の人たちとの「思いがけない出会い」を減らしているような気がするのだ。

 旅人は五感をフルに使って前に進む。その土地に吹く風を受け、降り注ぐ光の強さを感じ、漂うにおいを嗅ぎながら。スマホはその手助けをしてくれるに過ぎない。旅の主体となるのは、あくまでも自分自身の感覚なのだ。

 感覚を研ぎ澄ませ、未知なるものへの好奇心をみなぎらせて、前に進もう。
 そこからすべてが始まるのだから。
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by butterfly-life | 2015-11-10 10:52 | インド旅行記2015
交通事故大国インドをバイクで走る

山羊の海を渡る


 70ccの小型バイクに荷物を括り付けて、目的地を決めずに旅をする。行き先は未定。いつも出たとこ勝負。運試しのような旅だ。

 そんなあてもない旅を続けていると、地元の人たちから、
「お前、頭は大丈夫か?」
 と呆れ顔で言われることがある。そんな馬鹿なことは今すぐやめて安全な日本に帰れ、とアドバイスしてくる人さえいる。

 もちろんインドにも旅行者はたくさんいるが、聖地を訪ねたり、海や山にレジャーに行ったりするような目的のある旅がほとんどだ。無計画な旅をしているのは、世捨て人のサドゥーぐらいなのだ。だから大半のインド人は「まっとうな人間は行き当たりばったりの旅なんかしない」と考えている。まぁそれは日本人でも同じかもしれないけど。

 確かにトラブルに襲われることは多い。アジア諸国の中でインドが飛び抜けて危険ってわけではないけれど、「安全な国」とは言いがたい。凶悪な犯罪はあまりないが、旅人を騙そうとする小悪党はそこかしこにいる。特に観光地では、よからぬ企みを持った男たちから身を守る心構えが求められる。

 バイクの旅ならではのトラブルもある。たとえばインドの田舎道を走っていると、山羊や牛などの家畜の群れに行く手をふさがれるということがよく起きる。10頭や20頭ぐらいならまだいいのだが、ときには数百匹もの大群が道路を横断することもあるのだ。そんなとき我々にできるのは、ただ待つことだけ。まるで海のように視界いっぱいに広がる山羊の群れを眺めながら、彼らが通り過ぎるのをじっと待たなければいけないのだ。


[動画]山羊の群れが道路を埋め尽くす光景


[動画]インド人は牛をとても大事にするが、中には牛をひき殺さんばかりの勢いで強行突破を試みるドライバーもいる。



交通事故大国を走る


 僕がインドでもっとも恐れているのは交通事故だ。インドの交通事故は世界最悪の水準で、毎年23万人以上が死亡しているという。これは12億という人口を勘案しても、日本の4倍以上も悪い数字だ。インドではインフラ整備も交通マナーも順法精神も、すべてが遅れている。実際に国道を走っていると、運転席が潰れていたり、仰向けにひっくり返っている事故車をよく目にする。「こうなっちゃいけない」という残念な見本があちこちに転がっているのだ。


木に激突して大破した4WD車。運転手は無事では済まされないだろう。


横転したトラック。過積載も大きな問題だ。


事故を起こしたばかりの車に人が群がっていた


バンパーに「交通規則を守りましょう」という標語を書いたタンクローリー。みんなが規則を守ってくれたら事故なんて起きないのだが・・・。


 インド・チャッティスガル州にある橋を渡るときもヒヤリとさせられた。何も知らない部外者が通ったら、鉄の柱に頭を強打しかねないというとても危険な橋だったのだ。おそらく大型車両の通行を阻むための柵だと思うのだが、これがバイクや自転車に乗った人間の頭にちょうどぶつかるような絶妙な高さに設定されているのだ。


[動画]必ずお辞儀をする!インドの謎の橋

 事情をよく知る地元の人は、橋を通過するとき必ず頭を縮めて「お辞儀」をするので、事なきを得ている。でも何も知らない人間が夜間にここを通ったらどうなるだろう? インド人ってほとんどノーヘルだし、「痛い!」だけでは済まないような気がする。



ゲストは神様と同じ


 旅で遭遇するトラブルの中で、もっとも多いのはバイクの故障だ。パンクはもちろんのこと、チェーンが外れたり、電気関係がイカレたりすることもときどき起こる。安くてちゃちなバイクだから、ある程度は仕方がないのだが。


チェーンが外れるようなトラブルもよく起こる

 それでも僕はバイクの修理道具を一切持たずに旅をしている。そもそもどこをどう直せばいいのかもよく知らない。簡単なパンクですら直せないのだ。ひとたびトラブルに襲われたら、完全にお手上げ状態なのである。

 でも心配はいらない。たいていの場合、故障発生からそう遠くない場所に修理屋があるからだ。値段も安いし、修理の腕も悪くない。「人の住むところ、バイクあり。バイクのあるところ、修理屋あり」という経験則は、インドでもおおむね当てはまるのである。


荒れた荒野のど真ん中に、ぽつんと建つ掘っ立て小屋。その正体はタイヤ修理屋だ。こんなところに修理の需要なんてあるのかと思うのだが、ちゃんとあるのだろう。


 しかし時には、周囲に修理屋がまったくないところでバイクが故障することもある。ラジャスタン州のシロヒという町を出て国道を北上していたときにも、そんな事態に陥った。何の前触れもなくエンジンが止まり、キックスターターをいくら蹴っても息を吹き返さなくなってしまったのだ。

 ガソリンはさっき入れたばかりだから、ガス欠の可能性はない。プラグが焼き付いたのか、それとも電気系統が故障したのか。さっきも言ったようにバイクに関する僕の知識は素人同然なので、道ばたであれこれ考えても事態が好転しないことはわかっていた。だからいつものようにバイクを押して歩き始めた。どこにあるのかはわからないが、きっとどこかに修理屋があるはずだから。



[動画]エンストした車を「足」で押すとんでもない男たち。インド人もトラブルは自力で解決するのが基本のようだ。


 しかし30分歩いても、修理屋は姿を現さなかった。全身から汗が吹き出してきて喉も渇いてきたが、飲み水もない。乾燥した大地がどこまでもどこまでも続くばかり。町も集落もまったくなかった。いったいどこまで歩けばいいんだよ、と弱音を吐きそうになった矢先だった。荒野にぽつんと一軒だけ建っていた農家から若者が出てきて、「どうしたんだい?」と声を掛けてくれたのだ。

「エンジンが止まっちゃったんだ」
 と僕は答えた。彼は片言ながら英語が話せるようだった。
「そうか。ちょっと待ってろよ。俺が直してやれるかもしれない」
 若者はそう言うと、家からレンチ類を取ってきて、僕のバイクを点検してくれた。彼の名前はスレーシュ。修理工ではなく、家で農業を手伝っている20歳の若者だった。

「俺たちの生活にバイクは欠かせないからね。だいたいの故障は自分で直すんだよ」
 しかしそのスレーシュ君にもバイクの故障原因はわからなかった。プラグにも問題はないし、燃料フィルターも詰まってはいない。
「どうやら俺の手には負えないみたいだ」
 彼は申し訳なさそうに言った。故障は思ったより深刻なようだ。
「この先に修理屋があるから、俺のバイクで連れて行ってやるよ」
 どこまでも親切なスレーシュ君は、自分のバイクにロープを括り付けて僕のバイクを牽引してくれるという。修理屋はここから10キロ以上離れているらしい。


親切なスレーシュ君(右)がバイクを牽引してくれることになった

 しかし彼に牽引されて向かった修理屋でも、故障は直らなかった。どうやら部品の交換が必要なようで、部品を手に入れるためにはバイクメーカーのショールームまで行かなければならないという。ショールームはここから30キロ離れたシェオガンジの町にある。さすがに牽引して走れる距離ではないので、三輪のオートリキシャの荷台にバイクを載せて向かうことになった。

 ここでも助けてくれたのはスレーシュ君だった。オートリキシャのドライバーに声を掛け、料金の交渉までしてくれたのだ。そして「何か困ったことがあったら、ここに電話してくれよ」と携帯番号を書いたメモを僕に渡してくれた。彼は最後まで何の見返りも求めなかった。困った人がいたら助けるのが当然、という態度をずっと崩すことなく、爽やかに去って行った。


親切なスレーシュ君がオートリキシャにバイクを積み込んでくれた

 ショールームにたどり着いたのは1時間後のことだった。すぐにメカニックに見てもらうと、故障の原因がオイルシステムの不具合と、シリンダーの摩耗だったことがわかった。古くなった部品8点を新品に交換し、エアフィルターの掃除とエンジンオイルの入れ替えも行った。オーバーホールに近いような大修理だったが、二人のメカニックがつきっきりで作業してくれたお陰で、1時間あまりで終了した。修理代は全部で2000ルピー(4000円)かかった。痛い出費だったが、この先の安全走行のためにはやむを得なかった。


ショールームの地下にある修理工場でバイクを直してくれた


傷だらけになっていたシリンダーを新品に交換した

 修理を待つあいだ、マネージャーの若者とチャイを飲みながら話をした。2ヶ月前からここに勤め始めたというタウシフ君は、流暢に英語を話す21歳だった。僕はここにたどり着くまでの顛末を彼に話した。一人の親切な若者に出会わなければ、僕は炎天下バイクを押して何時間も歩き続けていたかもしれない。

「ラジャスタンにはこんな言葉があるんですよ」とタウシフ君は言った。「アティティ・デオ・バワ。これは『ゲストは神様と同じだ』という意味なんですよ。あなたは遠い国からやってきた我々のゲストだ。だから必ず助けよう。そういう気持ちが我々にはあるんです」

 困っている人間を見たら助けずにはいられない。ラジャスタン人のそのような心持ちは、スレーシュ君の行動からもよくわかった。彼は自分の時間を犠牲にしても、見ず知らずの他人を助けてくれた。自分の損得を抜きにして、僕のために走り回ってくれた。そうすることが当たり前だと思っていたのだ。


修理のついでに洗車も行ってくれた


 エンジンの故障というトラブルが起きなければ、あのような掛け値無しの親切を受けることはなかっただろう。トラブルの発生はもちろん頭痛の種だが、同時にその土地のことをよく知るチャンスにもなり得る。ものごとが順調に進んでいるときには見逃してしまうことを、トラブルが気付かせてくれるのだ。

 自分はなんて無力な存在なのだろう。
 旅をしていると、そう痛感させられる場面に必ず遭遇する。いくら旅慣れていても、それは変わらない。旅人とはその土地に縁もゆかりもないよそ者であり、様々なトラブルに翻弄される無力な存在なのだ。

 しかし無力であってもいいのだと僕は思う。
 トラブルが起きても、必ず誰かが助けてくれるはずだから。

 他力本願でもいいのだ。あなた任せでもいいのだ。
 そう信じて、これからも前に進もうと思う。
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by butterfly-life | 2015-11-04 12:28 | インド旅行記2015
ワクワクする40代でいこう

働く女たち


 オリッサ州を抜けてチャッティスガル州に入ると、働く女性の姿が目立つようになった。ガソリンスタンドや携帯電話ショップに若い女性店員がいるのが当たり前になり、女性警官の姿も珍しくなくなった。オリッサ州ではあまり見なかったバイクに乗る女性も一気に増えた。









 インド女性の社会進出の度合いは、地域によって大きな差がある。オリッサ州は比較的保守的だが、お隣のチャッティスガル州の女性たちは意欲的に外に出ているようだ。

 カルチャ村で小学校の先生をしているモニカは、「女の子には教育などいらない」という旧弊な考え方が、最近になってようやく変わってきたと実感している。彼女が勤める学校でも、長らく男子生徒の方が女子よりも数が多い(つまり女の子の何割かは小学校に通っていない)状態が続いていたのだが、今年から男女比がほぼ同じになったという。「男女平等」の実現にはまだほど遠いが、インド社会も少しずつ変わりつつあるのだ。


カルチャ村の小学校の先生たち。右から2番目がモニカ先生。

 学校給食は女子の就学率を高める切り札のひとつだ。昼休みに無料で給食を出すようにしてから、それを目当てに登校してくる子供(特に女の子)が増えたという。最初は食べ物につられて通いだした子供でも、毎日学校へ通ううちに勉強が楽しくなってくる。学ぶ意欲が芽生えてくる。しかも給食によって貧しい家の子供たちの栄養状態も改善されるというから、まさに一石二鳥である。

 ちなみに給食の献立はご飯と豆スープとカレー味のゆで卵。もちろん豪華なものではないが、ちゃんと栄養にも配慮したメニューだった。


給食は校庭で輪になって食べる

 モニカは頭の回転がとても速い、好奇心旺盛な女性だった。流暢に英語を話し、日本の経済や文化について僕にいろいろと質問してきた。きっと優秀な先生なのだろう。

「でも教師をずっと続けるつもりはないんです」とモニカは言った。「給料が安すぎるから。月給1万5000ルピー(3万円)じゃ暮らしていくのは難しいわ。今は他の仕事を探しているところ。チャッティスガル州にはプライベートカンパニーは少なくて、大きな工場や会社はだいたいどこも国営なんです。鉱山とか製鉄所とか、そういうところね。もし国営企業に勤められれば、月給は4万から6万ルピーになります。でもそれには厳しい試験を通らなければいけないの。私は3年前から試験を受けているんですが、まだ合格できないんです」

 国営企業に採用されるには、厳しい試験に合格する必要がある。それは逆に言えば、試験にさえ通れば、女性でも男性と同じ条件で働くことができるということだ。優秀な女性たちがこぞって公務員や国営企業を目指す理由は、そこにあるようだ。


小学校で出会った少女


カルチャ村で出会った男たち。収穫した米の量をカゴに入れてはかっている。半分は地主の分、残りの半分は自分たちの取り分になるそうだ。小作農の苦労を感じさせる光景でもあった。



夢はボリウッド俳優

 オリッサ州とチャッティスガル州の州境にあるスクマという町で、サジッドという若者に出会った。僕がガソリンスタンドを探して右往左往していたときに、彼が親切に道案内してくれたのだ。

 サジッド君の職業はファッションモデルだ。少なくとも彼はそう自己紹介した。若者向けのカジュアルファッション(リーヴァイスやナイキ)の広告モデルをしているという。言われてみれば、確かに整った顔立ちをしている。目は大きく、鼻筋も通っている。でもモデルにしてはちょっと背が低い。170センチにも届かないぐらいだ。それにこんなガソリンスタンドすらないような田舎町にモデルの仕事なんてあるのだろうか?


モデルをしているサジッド君

「もちろん、ここにはモデルの仕事なんてないさ。普段はハイダラバードに住んでいるんだ。インドでも有数の大都会だから、モデルの仕事も結構ある。ギャラは1日あたり2万8000ルピー。悪くないね。でも仕事があるのは月に3回ぐらいなんだけど」
 インドのモデル事情はよく知らないが、月に3日働くだけで8万4000ルピー(16万8000円)ももらえるんだったらたいしたものである。それだけでも十分に食べていける収入だ。

 もっともサジッド君自身はお金のことをあまり心配しなくてもいい立場にいる。実家がお金持ちなのだ。父親は鶏を30万羽(!)も持つ大きな養鶏場や魚の養殖場などを経営する地元の名士で、サジッド君もいくつかのビジネスに携わっているという。彼が普段乗っているマヒンドラ社の四輪駆動車は100万ルピー(200万円)もする。もちろんトヨタのランドクルーザーには遠く及ばないが、それでもオンボロのトラックばかりが行き交う田舎町では、明らかに人目を引くイカした車だった。


4WDのハンドルを握るサジッド君

「僕の夢は俳優になることなんだ」とサジッド君は真面目な顔で言った。「ファッションモデルだけで終わるつもりはないよ。歌って踊れる俳優としてボリウッド映画に出るのが夢なんだ。実は映画にはもう何度も出演しているんだ。端役だったけどね」

 インド中の若者の憧れの的である「ボリウッド俳優」になる。もちろんそれが簡単に叶う夢でないことは、彼にも十分わかっているのだろう。外国人相手に大口を叩いているだけなのかもしれない。それでも、とてつもなく壮大な夢を何のてらいもなく語ることができる素直さが、僕には羨ましかった。自分の身の丈に合わないほどの大きな夢を見るのは、たぶん若者だけに許された特権なのだ。



陸の孤島を走る

 サジッド君と別れてからコンタの町に向かったのだが、その道のりは悲惨だった。スクマとコンタを結ぶ国道221号線がとんでもない悪路だったからだ。まともに舗装されている部分はほとんどなく、大半が月面を思わせるガタガタ道。しかも乾いた砂が路肩を覆っているので、荷物を満載したトラックが通るたびに埃がもうもうと舞い上がる。間違いなくインドでも最悪の道のひとつだった。


国道221号線はインド屈指の悪路だ

 ノロノロと進む大型トラックを追い抜くためには路肩を走らなければいけないのだが、ごつごつした石ころでバランスを崩しやすく、常に転倒の危険と隣り合わせだった。とはいえ安全第一でずっとトラックの後ろにくっついていたら、いつまで経っても目的地には着けないし、大量の埃を浴びせられることになる。だから危険を冒してでも追い抜くわけだが、それに成功したと喜ぶのもつかの間、すぐにまた次のトラックが前方に現れるのだった。



 僕はフルフェイスのヘルメットを被っていたから、埃の被害は最小限に抑えられたのだが、インド人ライダーの大半はここでもノーヘルだった。その代わりにスカーフを顔にぐるぐる巻いて、その上からサングラスをかけるという「月光仮面スタイル」で埃を防ごうとしていたのだ。そんな面倒なことをするんだったら、さっさとヘルメットを被りゃいいじゃないか思うのだが、インド人はどうしてもヘルメットを被りたくないらしい。ヘルメットは彼らの美意識に反するものなのだろうか?

 仮にも国道と名付けられた道路がこんなにもひどい状態で放置されているのは、共産系ゲリラ組織「ナクサライト」のせいだった。オリッサ州とチャッティスガル州にまたがる森林地帯にはこのナクサライトが潜んでいて、政府軍とたびたび衝突しているのだ。州政府がインフラ整備を進めようとすると、それを阻もうとするナクサライトから攻撃(爆弾テロや要人の誘拐)を受けるので、この地は半ば陸の孤島と化しているのだった。

 そんなこんなで全身埃まみれになりながら、ようやくたどり着いた町バドラチャラムでは、一泊180ルピー(360円)のハードコアな安宿に泊まった。部屋はほどほどに汚かった。テーブルも埃だらけなので、新聞紙で埃をぬぐってものを置けるようにするところから始めた。インドでは「安宿の掃除は泊まり客がする」のがお約束なのだ。

 もちろんホットシャワーは出なかったが、ボーイが電熱器を持ってきてくれたので、お湯を使うことができた。バケツに水を汲み、そこにシンプルな電熱コイルを入れ、電気を通してから40分ぐらい待つと、熱々のお湯ができあがる。イヤというほど浴び続けた土埃を、お湯できれいさっぱり洗い落とすのは、なにものにも代えがたい幸せだった。


シンプルな仕組みでお湯を作る電熱器



ワクワクする40代でいこう

 お湯を浴びて着替えを済ませてから、硬いベッドに横たわって、今日撮った写真を改めて見直してみた。何枚かいい写真はあるが、大半は今ひとつの出来だ。打率はせいぜい1割程度。いつもと同じ水準だ。悪くはない。でもまだ向上の余地はある。






 一日中悪路を走り続けて体はヘトヘトに疲れているはずなのに、なぜか気分は高揚していた。40歳になっても、こんな風にあてもなく旅できるのが、とても幸せなことだと感じていたからだ。

 旅を始めた20代の頃は「こんな旅は若い時にしかできない」と思っていた。バックパッカーなんて自由なスタイルの旅ができるのは若い間だけだから、今のうちに精一杯楽しんでやろうと思っていたのだ。

 でも40歳を迎えた今は、全然そんな風に考えていない。自由な旅はいくつになってもできるし、それを求める強い気持ちさえあれば、よりハードでよりディープな旅だってできるはずなのだ。

 インド屈指の悪路を走り続けて埃だらけになり、1泊360円の安宿の硬いベッドの上に寝転がって朝を迎える。そんな一日であっても「俺は幸せなんだ」と感じられるのは、美しい光と素晴らしい笑顔に出会えたからだ。

 旅に定年はない。

 もちろん「永遠に若いままでいたい」なんて思っているわけではない。誰がなんと言おうと、時間は不可逆的に流れている。いずれ僕にも体力的な限界が訪れるだろう。そうなったらただ黙ってそれを受け入れるしかない。でも今はまだ、そのときではないはずだ。





「ボリウッド俳優になるのが夢だ」とサジッド君は言った。
 彼の夢が叶えられる確率は低いだろう。でも馬鹿みたいに壮大な夢を見る権利は誰にだってあるし、それは若者だけに許されたものでもない。そう、夢を見るのは若者だけの特権ではないのだ。

 40歳になっても、大きな夢を見てもいいんだと思う。
 40歳になっても、毎日迷っていてもいいんだと思う。

 ワクワクする40代でいこう。
 大きな夢を見る40代でいこう。





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by butterfly-life | 2015-10-30 11:50 | インド旅行記2015
迷い続ける40歳

40歳の誕生日の朝に


 40歳の誕生日はオリッサ州の山の中で迎えた。
 「不惑」なんて言い方はもうしないのかもしれないけど、僕が若い頃に想像していた40歳とはずいぶん違う場所に立っているのは確かだ。「惑わない」どころか、「迷い続ける」40歳。なにしろ「今日、これからどこに行くのか」さえ決まっていないほどの迷いっぷりなのだ。

 いつも宿をチェックアウトしたあと、最初に浴びる日の光の強さで行き先を決める。爽やかに晴れ渡った空なら、農村を撮るのに適している。曇り空なら街の方がいい。雨が降っていたら、無理せずに宿で休むことにする。いずれにしても、どこに行きたいのか、何を撮りたいのか、自分の心に訊ねることから一日が始まる。








 20代の頃は「写真」よりも「旅」の方が好きだった。「ここではないどこかへ向かっている」というだけで胸が高鳴った。写真は旅のオマケでしかなかった。写真なんか撮らなくても、異国の町をあてもなく歩いているだけで、十分に楽しかった。

 それがいつの間にか、写真のウェイトがどんどん大きくなっていった。写真を撮るために旅をするようになった。「撮る」という目的を持ったことで、よりディープな場所にまで足を踏み入れるようになったのだ。

 今の僕にとって、カメラは異国の地で出会った人と意思を通わせるための、そして初対面の人から笑顔を引き出すための大切な道具になった。

 笑顔に出会えたから、それを写真に撮るのではない。
 カメラを持っているからこそ、そこに笑顔が生まれるのだ。
 インドを旅していると、そんな風に感じることが多い。






 誕生日の朝は、いつもにも増してクリアな光が空から降り注ぐ、絶好の写真日和だった。南インドは一年を通して気温が高いで、澄み切った青空が広がる日は少ないのだが、この日は気温がぐっと下がり、空気の透明度が増していた。

 山間を流れる川のそばを通りかかったときに、川底の砂をトラックに運び込んでいる女たちを見かけた。色鮮やかな衣服を身につけた女性たちが、水を含んだ重い砂がたくさん入ったタライを頭に載せて、急な斜面を登っていた。

 カメラを向けられた女たちは少し恥ずかしそうな表情を見せたが、雰囲気は悪くなかった。なにより光が素晴らしかった。澄み切った青空から届く強い順光に加えて、川面に反射した光によって、特別なライティング効果が生まれていた。









 川砂を運ぶ女たちを撮った後、グンタプット村に立ち寄った。オリッサ州南部の山岳地帯に点在する少数部族の村のひとつで、280家族がほぼ自給自足に近い生活を送っている。

 村には昔ながらのろくろを回して、素焼きの水瓶やお皿などを作る一家がいた。昔のSF映画に出てくるドーナツ型の宇宙ステーションにも似たろくろは、コマのように尖った中心軸でバランスを取って回転する。手でくるくると回して惰性をつけ、粘土の塊から水瓶の姿を立ち上げていく。実に見応えのある職人技だった。




 この村を歩いていたときに、酒臭いおじさんからお金をもらった。

「俺の写真を撮ってくれよ」
 と言われたので、撮って見せてあげたら、おじさんはその出来映えにとても喜んだらしく、20ルピー札を僕に渡してきたのだ。
「こんなもの受け取れないですよ」
 と一度は断ったのだが、おじさんは「どうしても受け取ってくれ」と言って譲らなかった。酔っ払っていい気持ちになっていたこともあるのだろうが、自分をカッコ良く撮ってくれたことがよほど嬉しかったようだ。


20ルピー札をくれた気前のいいおじさん

 こんなかたちでお金を受け取るのは初めてのことだったので、すごく驚いた。しかもそのおじさんはお金に余裕があるとは思えない、どちらかと言えば粗末な身なりをしていたのだ。だからこそ、その20ルピーには実際の何倍もの価値があるように感じられた。

 もちろん、彼のような奇特な人がいたからといって、「インド人はみんな気前がいい」と結論づけることはできない。実際、同じ村の中にも「お金をくれ」とか「ペンをくれ」などとしつこく言ってくる人もいたからだ。

 お金に対して貪欲で抜け目のないインド人もいれば、そうでないインド人もいる。
 当たり前のことだけど、いろんな人がいることで、この社会は成り立っているのだ。






ガイジンを見たら逃げろ!

 オリッサ州の辺境地域にある村では、外国人が突然現れたことに驚いた子供たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出すこともあった。訪れる外国人もほとんどいない閉鎖的な地域なので、ガイジンの存在に慣れていないのだろう。


子供がみんな逃げるわけではないが、少数部族の村でこんな笑顔を撮るのは難しかった


 僕がガイジンであることを顔つきや肌の色から判断しているのならまだわかるのだが、フルフェイスのヘルメットを被ってジャケットを着ているにもかかわらず、一目散に逃げ出す子供がいるのには驚いた。たぶん僕の服装や装備品から違和感を感じたのだろう。同一部族だけで構成されている同質性の高い村では、異質なものに対するセンサーがとりわけ鋭くなるのかもしれない。

 見慣れない外国人が現れたときに子供たちが取る行動は、「とりあえず逃げる」か「少し離れたところで様子をうかがう」か「好奇心を持って近づく」のいずれかだ。平地の農村に住む子供たちは様子をうかがうことが多く、町の子供は近づいてくることが多い。しかし外部との接触が少ない辺境地域の子供たちだと、かなりの確率で「逃げる」ことを選択するのだ。

 少数部族の子供たちが持つ「ガイジンを見たらとりあえず逃げる」という行動パターンが、もともとの遺伝的な特性なのか、生まれた後に学んだ文化的な振る舞いなのかはよくわからない。しかし3歳ぐらいの子が僕の顔を見るなり、まるで肉食獣の出現に驚いたサバンナの草食動物のように全速力で走り去るのを見ると、これはやはり本能的な行動ではないかと思えてくるのだった。

 おそらく、外部との接触に消極的なグループだけが何千年にもわたって独自の部族社会を維持することができたということなのだろう。逆に言えば、身内とは違う「異人」に対して好奇心を持って近づき、簡単に仲良くなってしまうような人々は、必然的に多数派と同化し、自らの民族的アイデンティティーを失っていく運命にあったのだと考えられる。


家の前に不思議な模様を描いていた少女。少数部族の村で宗教儀式が行われるようだ。


森で集めてきた薪を頭に載せて村まで運ぶ女たち。少数部族の村では、今でも薪が主な燃料として使われている。
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by butterfly-life | 2015-10-21 14:50 | インド旅行記2015
インドの街道をゆく

インドの街道をゆく

 バイクでインドを一周する旅も三度目になる。今回はオリッサ州からスタートしてまず南に下り、広大なインドを時計回りにぐるっと一周した。121日間で走った距離は16000キロ。使ったガソリンは291リットルだった。

 バイク目線で眺めるインドとはどのようなものか。それがよくわかる動画を用意したので、まずはこちらをご覧ください。



[動画]インドの街道をゆく


 「なんだ、インドの道路って案外きれいだし、走りやすそうじゃないか」と思った方もいるだろう。インド名物の「酷道」はすっかり過去のものになったんだなぁ。そんな印象を受けるかもしれない。

 しかし、話はそう簡単ではない。これには撮る側(つまり僕のこと)の事情が絡んでいるからだ。実は動画がまともに撮影できたのは、インドでも比較的平坦でスムーズに走れる道に限られていたのだ。交通量が多すぎる危険な道や、路面状態の悪いガタガタ道では、そもそも動画撮影なんてできなかったのである。



このようなひどい道で動画撮影はできなかった


 動画の撮影はiPhoneを左手に持って行った。右手でハンドルを握り、アクセルとブレーキ操作を行いながら、左手一本でカメラを構えて撮ったわけだ。ご想像の通り、これは相当に危なっかしい方法だし、とても人にお勧めできるものではない。僕だって身の安全を第一に考えれば、こんなトリッキーなことはやりたくなかった。だからスマホをバイクに固定するための特別な金具を用意しておいたのである。ところが実際に使ってみると、この金具はまったく役に立たなかったのだ。スマホはしっかりと固定できたものの、バイクの振動を吸収する構造ではなかったために路面の微細な振動をすべて拾ってしまって、録画された動画は正視に耐えないブレブレの映像になってしまったのだ。



今回の旅の相棒。TVS-XL。小型バイクに荷物をくくりつけて、行き先を決めない旅に出た。


 実際のところ、インドの田舎道はまだまだひどいところが多い。大都市間を結ぶハイウェーはこの5年ほどで劇的に整備が進んだのだが、ローカル道に一歩入れば、未舗装のガタガタ道が待ち構えている。もともと僕の旅はハイウェーをかっ飛ばすのではく、田舎道をゆっくり進むスタイルだから、インドで急速に進むインフラ整備の恩恵はあまり受けられなかったのである。

 ビハール州はとりわけ道が悪かった。ビハールはインドでももっとも貧しい州のひとつで、インフラ整備も遅れている。 
 ここで紹介するのは、ビハール州東部とジャールカンド州北部を結ぶ国道80号線の光景である。一応国が責任を持って整備するはずの国道なのに、舗装はまったくされておらず、まるで火星のような荒れ果てた道が延々と続く。ごつごつした石ころと細かい砂、深く掘れた穴ぼこからなる酷道80号は、いくら頑張っても時速20キロ程度のスピードしか出せない。交通量も多く、大型トラックが走るたびに前が見えないほどの大量の砂埃が巻き上げられ、30分も走れば体は真っ白になってしまう。まさに「酷道」と呼ぶにふさわしいひどい道だった。



[動画]国道80号線の光景


「なぜこんなに道がひどいんだ?」
 バイクが故障したときに立ち寄った村で、若者に訊ねてみた。
「政府が悪いんですよ」とアヌラグ君は眉間にしわを寄せて言った。「国道を整備するための予算は中央政府から出ているはず。でも何年待っても工事が行われる様子はありません。お金は地元の役人のポケットに入っているんでしょう」
 汚職はインドの経済発展を遅らせている大きな要因のひとつだと言われている。必要なところに必要なお金が届かない。予算が適切に使われていない。だから貧しい地域が貧しいままなのだ。それはビハール州の現状を見てもよくわかる。

 興味深いのは、役人の汚職を嫌っているはずのアヌラグ君が「将来は公務員になりたい」と言ったことだった。
「だってこの村には仕事なんて何もありませんからね。生きていくためには、公務員になるのが一番なんです。企業のように首を切られることもないし、安定していますから」
 一部の役人が受けている「役得」を非難する一方で、もし自分がその立場に立ったら甘い汁を吸うのに躊躇しない。それが多くのインド人の本音だとしたら、この国から汚職が一掃される日が来ることは永遠にないだろう。



新しい道路の建設も急ピッチで進んでいる




インドの道にはいろんなものが行き交う。これはアイスクリームを売る屋台を運ぶ男たち


薪を担いで曲がりくねった道を歩く女たち


プラスチックバケツを自転車で運ぶ行商人。まっすぐな街道の先に次の目的地が待っている。
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by butterfly-life | 2015-10-12 21:27 | インド旅行記2015
変わりゆくインドの農村風景

失われゆく仕事を撮る

 日本や中国などと比べると、インドという国は変化のスピードが遅い。農村出身の若者が職を求めてどっと都会に押し寄せ、それまでの社会構造を一気に変えてしまうような劇的な変化は、インドではまだ起きていないし、おそらくこれからも起きないだろう。

 変化するにしてもゆっくり時間をかけて行うというのが、インド人の好むやり方だ。「血縁」や「カースト」や「宗教」といった人々をコミュニティーに縛りつける重しはそう簡単にはなくならないし、かつてほど強固なものではないにしても、親の職業を子が受け継ぐという伝統は今もなお多くのインド人の生き方の指針となっているからだ。


川の水で水牛を洗う男。水牛は暑さに弱く、朝と夕方に水に浸かって体を冷やさないといけない。


収穫した稲を牛に踏ませて脱穀する。昔ながらの方法だ。


トウモロコシの脱穀を行う女


 しかしたとえゆっくりであっても、インドの農村が姿を変えつつあるのは間違いない。テクノロジーの進歩や経済発展に伴って、かつては必要とされていた仕事が要らなくなったり、仕事のやり方ががらりと変わったりすることは、インドでも決して珍しくはないのだ。

 僕が「はたらきもの」を撮るときに考えているのは、「この仕事が10年後も残っているのか?」ということだ。

 もしそれが数年経たないうちに姿を消してしまうような「失われゆく仕事」であるなら、僕がいま写真に記録して、後世に伝えなければいけない。それが一人の写真家として僕が果たすべき責務なのだと思っている。


[動画]失われつつあるインドの伝統的な農業の風景



疲れを知らないマシンは

 タミルナドゥ州のバンタミリという町の近くには、牛を使って田んぼを耕す老人がいた。二頭の牛にスキを引かせて、田植え前の代掻きを行っていたのだ。


あぜ道には等間隔に椰子の木が植えられ、田んぼの水面が日の光を受けてきらきらと輝く。絵になる光景だ。


 老人はときどき牛たちを休ませながら、時間をかけて田んぼを耕していた。時間なんていくらでもあるんだと言わんばかりに。
 実際、彼をせかす人は誰もいなかった。自分のペースでのんびりとやればいいのだ。何十年も前からずっとそうしてきたように。







 しかし隣の田んぼは様子が違った。牛の代わりに大型トラクターが入り、圧倒的な速さで代掻きを行っていたのだ。大きな爪のついた車輪が高速で回転しながら、土を深く掘り起こしていく。疲れを知らないマシンは、牛とは比べものにならないほどスピーディーに仕事を終えていく。



トラクターの周囲には白いサギの群れが飛び交っていた。田んぼの中に潜んでいるミミズや昆虫を捕まえるチャンスをうかがっているようだ。


 牛を使った代掻きは、この地域でも滅多に見かけない存在、「失われゆく仕事」になってしまった。ざっと見たところ、9割近くの田んぼはトラクターを入れていた。稲の収穫や脱穀作業にしても、大型コンバインであっという間に終えるやり方が主流になっている。

 農業の機械化と省力化は、今後も続くだろう。そして人手がかからなくなった農業から、製造業やサービス業へ雇用の重心が移っていく。その流れを止めることは誰にもできないし、また止めるべきでもないのだと思う。

 その結果、何世代、何十世代にも渡って受け継がれてきた仕事が、ひとつまたひとつとその役目を終えることになるだろう。素焼きの水瓶を手作りする姿や、米の脱穀作業を風と共に行う光景も、やがては過去のものになっていくはずだ。それは寂しいことだと思う。たとえそれがどうしようもない時代の流れだとしても。



脱穀したもみ殻を風にさらしてゴミを飛ばす。何百年も前から変わらない収穫期の風物詩だ。








ここではトラクターで扇風機を回して風を送っている。伝統のやり方に少しアレンジを加えているのだ。


 「はたらきもの」は誇るべき伝統文化として取り上げられることも少ないし、聖地や観光地のようにフォトジェニックというわけでもないから、彼らに注目する人はほとんどいない。なにしろ当の本人たちでさえ「なんで俺たちを撮るんだ?」と不思議そうな顔をするぐらいだから。

 だからこそ、僕は「はたらきもの」を撮っている。
 失われゆく仕事を今ここで記録できるのは自分しかいない、と信じているからだ。
 永遠に失われてしまってからでは、もう遅いのだから。



粘土をこねて素焼きの水瓶を作るラジャスタンの男。何十年も同じ仕事を続けてきた人だけが持つ、分厚い手だった。




牛の力ではなく、人力で代掻きを行う田んぼもあった。これもやがて消えゆく仕事のひとつだろう。
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by butterfly-life | 2015-10-02 14:24 | インド旅行記2015
タール砂漠の砂嵐と植樹する人々

砂漠に木を植える

 ラジャスタン州北西部に広がるタール砂漠では、ラクダの姿をよく見かけた。ラクダは乾燥に強く、重い荷物を積んで長い距離を移動できるので、別名「砂漠の舟」とも呼ばれている。長い時間――なんと数ヶ月も――水を飲まなくても生きられるし、砂漠に特有のトゲだらけの葉っぱももりもり食べる。ラクダは砂漠という過酷な環境にもっとも適応した動物なのだ。




ラクダ車が砂漠を行く。動きはゆったりとしているが、歩幅が大きいので、見た目よりもスピードはある。


ラクダを使ってトウモロコシの種まきを行う。


 タール砂漠で、木を植えている人々がいた。人々は直径2メートルほどの円の周囲をクワを使って深く掘り、相撲の土俵のように残された土の真ん中に小さな穴を掘って、そこに苗を植えていた。このような特殊な形に土を掘る理由はよくわからなかったが、おそらく乾燥した環境でも木が育ちやすくするための工夫なのだろう。





 女たちはサリーを頭から被り、外からは顔が見えない状態で働いていた。これは「よその男に顔を見られてはいけない」というイスラム風の習慣ではなく、強烈な紫外線と砂埃から肌を守る意味合いが強いようだ。

 たとえ肉体労働の現場であろうとも美しく着飾るのが、ラジャスタン女性の流儀のようだ。外で仕事をするときも、市場に買い物に行くときも、家の中で家事をするときも、いつも色鮮やかな刺繍入りのサリーを身につけているのだ。







ラジャスタンの女性は、家で家事をするときでも色鮮やかなサリーを身につけている。




 片言の英語を話す現場監督によると、この植林は州政府の公共事業として行われているようだ。砂漠といっても、モンスーンの時期にはある程度雨が降る土地なので、乾季の乾燥に耐えられる木を植えれば、しっかりと根を張って大きく育つのだ。植えられた木々はこれ以上の砂漠化を防ぐ「防砂林」としての役割が期待されている。大きく成長した木々の葉は家畜たちのエサにもなるし、枝は村人が煮炊きに使う燃料にもなる。

 以前のタール砂漠は、今よりもずっと緑豊かな土地だったという。それが不毛の砂漠へと変わったのは、急激に人口が増え、育てる家畜の数が増えすぎたためだ。その土地で養える以上の山羊や羊が放牧された結果、わずかに残る緑が喰い尽くされ、木々が枯れ、遮るもののなくなった土地に砂が押し寄せてきて、さらに砂漠化が進行する、という悪循環に陥ったのだ。

 砂漠の拡大を食い止めるには、植樹を中心とした地道な努力が必要だ。もちろん植えた木が育つには長い年月がかかるし、積み重ねた努力が報われるかどうかはわからない。圧倒的な自然の力の前に為す術がなかった、という結果になるかもしれない。

 それでもやらなければいけない。「やる」「やらない」という二択ではない。やるしかないのだ。
 なぜなら、ここは人々の故郷だからだ。この砂漠が彼女たちの生まれた場所であり、この砂漠が彼らの仕事場だからだ。









 穏やかに見えた砂漠に、突如強い風が吹きはじめたのは、午後1時を回った頃だった。
 国道をひた走る僕のバイクにも、砂混じりの強風は容赦なく吹きつけ、手や足がひりひりと痛んだ。

 砂はまるで生き物のように地を這いながらうねり、東の方へ飛び去っていく。
 こうして強い風が吹き抜けるたびに、砂漠は広がっていくのだ。少しずつだが、確実に。



[動画]タール砂漠を吹き抜ける砂嵐



強烈な砂嵐の中、家路を急ぐ女たちがいた。強烈な風が人々の衣服をなびかせ、風景は白く霞んでいる。
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by butterfly-life | 2015-09-24 13:51 | インド旅行記2015