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ハチミツの園

マスタードの花が咲く畑で蜂蜜を収穫する男たち。



苗を植えた田んぼに肥料をまく男。
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by butterfly-life | 2010-01-26 11:09 | リキシャでバングラ一周
エコノミークラス症候群?
 今、インドネシアのスマトラ島にいます。
 パダンという町で撮影の仕事をしているのです。
 パダンは去年の9月30日に1500人以上の死者を出す大地震の襲われたのですが、その地震で被災した子供たちを援助している企業とその活動をサポートしているNGOの様子をカメラに収めているのです。

 震災から4ヶ月後のパダンの町を見て回ったのですが、官庁舎やホテルや大型ショッピングセンターなどが軒並み倒壊している一方、木造の古い家屋やオランダ統治時代から残るアパートメントが無傷で残っているのが印象的でした。
 特にダメージが大きかったのが公共施設と学校です。どうも最近作られた建物は見栄えや大きさばかり重視して中身がスカスカだったようです。構造にも使っている材料にも問題があったのです。

 煉瓦とコンクリートで作られた建物は、一見すると強そうだけど大きな揺れに対する「しなり」がないから、いとも簡単に崩れてしまう。だからパダンでは伝統的な木造家屋の良さが改めて見直されていると聞きました。

 スマトラ島というと2005年12月に発生した大津波が記憶に新しいですね。この津波では北西部のアチェ州を中心に20万を超える死者が出ました。僕も津波直後とその1年後の二度にわたってアチェを訪れましたが、街ひとつを丸ごと壊滅させてしまうエネルギーの凶暴さに呆然としたことをよく覚えています。

 インドネシアはたびたび大地震に襲われています。スマトラ島だけでなく、ジャワ島でも地震が多い。それでも今建てられている家が耐震性を備えているわけではなく、煉瓦を積み上げてコンクリートで固めただけという安直な作りのものが大変に多いのです。

 インドネシアの人々だっていつかは大地震に襲われるという危機感は持っているのです。でも地震というのは何十年あるいは何百年に一度という頻度で起きるわけで、たとえそれが壊滅的な被害をもたらすとしても、それに備えて具体的な行動を起こすのが難しい。どんな悲惨な記憶でも何年かすれば必ず薄れていくものですから。

 前回、スマトラ島を旅したときには、この広大な島を1ヶ月かけてバイクで横断しました。ひどいスコール降られながらジャングルの悪路を走ったり、おばちゃんが趣味でやっているような看板も出ていない民宿に泊まったりと、かなりハードな旅でした。もちろんその分エキサイティングだったわけですが。そしてこの経験が、その後ずっと続くバイクの旅、リキシャの旅へとつながっていったのです。

 今回は仕事だから状況がまったく違います。他のスタッフと一緒に一流ホテルに泊まり、まともなレストランで食事をしています。清潔で広く空調の効いた部屋。真っ白なシーツ。バスタブを備えた浴室。
 でもどうしてでしょう。一流ホテルの部屋にいるとなんとなく落ち着かないのです。「安宿慣れ」した自分がこういうところにいてもいいのだろうかと思ってしまう。エアコンよりも窓を開けてファンを回していた方が眠りやすい。
 はぁ、こういうのをきっと「エコノミークラス症候群」って言うんでしょう。いや、単なる貧乏性かな。
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by butterfly-life | 2010-01-23 23:45 | リキシャでバングラ一周
本当のセレブって
 このブログでも何度も取り上げている友人ウィリアムが、僕のリキシャの旅を紹介するすてきなページを作ってくれました。
 彼のサイト「English Groove」では、「本当の英語」を学びたい全ての人に様々なコンテンツを提供しています。僕らは数年前にモロッコやインドやタイを一緒に旅したのですが、そこで撮った写真やビデオもこれから続々と公開されていくようです。

 このページではウィリアムが話す英語を英文テキストと共に聞くことができます。
 「英語のリスニングなんて苦手だ」って人でも、「私の英語は中学レベルに留まってる」という人でも、彼の聞き取りやすい発音を注意深く聞けば、意外に意味が取れることに驚くんじゃないでしょうか。
 ストーリーも、まぁ簡単に言えば「リキシャで日本縦断なんてクレイジーなことを考えている日本人がいるんだよ」ってことだから。とてもわかりやすい。
 ぜひ一度リスニングにチャレンジしてみてください。個人的には「a real celebrity.」ってところが彼らしいユーモアがあって好きです。

 ウィリアムの長年の目標である「最高に楽しい英語学習本」の発売もまもなく開始されるようです。
 そのときには改めて彼と彼の家族について紹介しましょう。「こういう生き方もありなんだ」と思わせてくれるファンキーな存在です。
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by butterfly-life | 2010-01-20 21:06 | リキシャでバングラ一周
リキシャの正しい漕ぎ方
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「リキシャの正しい漕ぎ方」

 リキシャは実によく故障した。
 初日はチェーンが何度も外れたのでその調整を行い、二日目はタイヤの虫ゴムを交換し、三日目はブレーキパッドの付け替えとベアリング受け金具のゆるみを直した。四日目は幌を止める金具が脱落し、五日目にはホイールを止めているナットが脱落した。よくもまぁこれだけ次々にトラブルが発生するものだと呆れてしまった。

 前にも書いたようにリキシャは基本的にとても頑丈に作られている。ちょっとやそっとでは壊れない。問題は工場から出荷された段階で調整らしい調整がほとんどなされていないことである。せいぜい7割ぐらいの出来で納品されているのだ。「一応完成はさせたから、あとの調整は各自でやれ」というのがリキシャ工場のポリシーなのである。無責任といえば無責任だが、それなりに合理的な考え方ではある。リキシャの修理屋はこの国の至るところに点在しているので、故障してもすぐに直せる態勢が整っているからだ。もしメンテナンスいらずのリキシャが登場したら、修理屋の商売が成り立たなくなる心配だって出てくる。

 もっとも手こずったのはチェーンだった。走り始めた頃は一日に5,6回はチェーンが外れ、そのたびに手を真っ黒にしてかけ直していた。調子よく進んでいたときに限ってチェーンが外れるのも実に腹立たしかった。
 リキシャは自転車に比べるとホイルベース(前輪と後輪の間隔)が長いから構造的にチェーンが外れやすい。しかもそのチェーンをかなり緩めに張っているので、余計に外れやすくなっているようだった。あるリキシャ引きは「チェーンの張りが強いと切れやすくなるのだ」と言った。別のリキシャ引きは「チェーンをゆるく張るとペダルが軽くなるのだ」と言った。そのどちらが正しいのか(あるいはどちらも正しくないのか)はよくわからないのだが、多くのリキシャがチェーンをゆるめに張っているのは確かで、そのゆるゆるチェーンが外れないための特別な部品を取り付けているリキシャもよく見かけた。
 僕の場合はチェーンが切れる心配よりも、できる限り外れないことの方が重要だったので、修理屋でチェーンを短くしてもらった。修理屋は「リキシャのチェーンとはこういうものなのだ」と言ってなかなか修理に応じなかったが、「とにかく短くしてくれ!」と強引に頼み込んでやってもらった。その結果、やっとチェーントラブルから解放されたのである。やれやれ、疲れるわい。


【写真:これがゆるいチェーンでも外れないための装置。構造はすごくシンプルだ】


 リキシャの修理がひととおり済んで、トラブルもあまり出なくなった頃、ようやく僕の体もリキシャに慣れてきた。
 旅を始めてから一週間ぐらいは、背中から足にかけての筋肉が毎日悲鳴を上げていた。特にひどかったのが太ももで、町に着いてリキシャを降りてから2時間ぐらい経つと筋肉が固まってきて、出来損ないのロボットみたいにギクシャクした動きで町を歩かなければいけなかった。日本では毎日1時間近く自転車に乗っていたから、足にはいくらか自信もあったのだが、リキシャの重いペダルを漕ぐのと21段変速器付きのクロスバイクを漕ぐのとでは、筋肉にかかる負荷がまるで違っていたのである。

 十日目ぐらいに少し体が軽くなった。それまで50キロ以上漕いだら息も絶え絶えだったのが、70キロ漕いでも余力を残せるようになった。
 リキシャで走るコツも掴んできたのもこの頃だった。
 何よりも重要なのは立ち漕ぎのテクニックである。リキシャのペダルはとても重い。ギア比が普通の自転車と同じなのに、重量が80キロ(客を乗せるともっと重い)もあるからだ。だからスタート時はもちろんのこと、向かい風を受けているときや坂を上るときには、必ず立ち漕ぎをしなければいけない。むしろ立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だと考えた方がいいぐらいだ。
 立ち漕ぎは全身運動だから息は上がるが、太ももにかかる負担は軽くなる。足の筋肉を使うだけではなく、全体重をペダルに乗せることが重要なのだ。立ち漕ぎでスピードに乗せ、サドルに座って休む、というパターンを繰り返すのがリキシャの「正しい」漕ぎ方なのである。


【写真:リキシャは立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だ】


 それにしても不思議なのは、なぜリキシャのギアをもっと軽いものにしないのかということだ。僕が観察した限り、リキシャはどれも全く同じサイズのギアを使っていた。スペアパーツを扱う店に聞くと、リキシャの主要部品であるギアやペダルやベアリングなどは全て中国からの輸入品で、同じ規格なのだという。つまり軽いギアに取り替えようにも部品が存在しないのだ。

 僕がリキシャのペダルの重さを嘆くと、バングラ人は口を揃えて「リキシャのギアは大きい方がいいのだ。これがリキシャというものなのだ」と反論するのだが、「ではあなたはギアが小さくペダルの軽いリキシャと乗り比べてみたことがあるのか?」と問うと誰もが口をつぐんでしまうのだった。

 もちろんフラットな道を高速で走るときには、ペダルが重い方がよりスピードが出せる。けれども多くの場合リキシャは混雑した道や荒れた道を低速で走らねばならないわけで、ペダルを軽くした方が総合的なパフォーマンスは向上するはずなのだ。

 リキシャ引きたちはこの重いペダルに慣れている。驚異的なテクニックと足の力でもってこのディスアドバンテージを克服している。彼らが生まれる前からリキシャとはこういうものであり、ただ慣れるしかなかったのだろう。「もっとペダルの軽いものを作れないのか」というリキシャ引きからの要求が過去に一度もなかったとは思わないが、その声がリキシャメーカーに届くことはなかった。
「我々リキシャメーカーにとってリキシャ引きは大切なお客様であり、彼らの乗りやすいものを作るのが使命であります」と考えている者は残念ながら一人もいないようである。「リキシャってこういうものだから」という惰性と、中国製の安い規格品を使うという製造側の都合だけが、この不条理なペダルの重さを生み出しているではないかと僕は考えている。


【写真:これだけ大量の荷物を載せて走れるのだろうか?】


 リキシャで走るときのもうひとつのコツは「風よけ」を見つけることである。自分と同じようなペースで走っているリキシャがいたら、金魚の糞のようにぴったりと後ろにくっついて走るわけだ。スリップストリームの利用である。こうすることで空気抵抗が減り、ペダルが軽くなるのだ。

 このテクニックが特に有効なのは、向かい風が吹いている日である。フォルムを見れば一目瞭然だが、リキシャは向かい風にきわめて弱い乗り物なのだ。客席を覆う幌の部分がちょうど船の帆みたいにまともに風を受けてしまう。エアロダイナミクス全盛の時代に逆行するデザイン。もちろんこの幌が「リキシャらしさ」を演出する重要なアイテムではあるのだが、そのせいでちょっとした向かい風でもペダルの重みがズーンと増すことになってしまうのだ。

 もっとも「風よけ」になってくれるリキシャを見つけるのは簡単なことではなかった。「お、こいつは使えるぞ」と思って必死の立ち漕ぎで距離を詰めたのに、そのリキシャがすぐにわき道にそれていってがっかりする、なんてことはしょっちゅうだった。当たり前だが、60キロ70キロの道のりを延々と走り続けるリキシャなど僕以外にはいないのだ。たいていのリキシャは数キロの範囲を移動しているのである。


【写真:大量のわらを積んで走る。3台のリキシャが「風よけ」を利用しながら走っている】


 「風よけ」に利用されたリキシャが「勝手に俺のことを利用しやがって」と怒り出すようなことはなかった。僕もしょっちゅう「風よけ」に使われることがあったし、そこはお互い様という緩やかなコンセンサスがあるようだった。
 僕が後ろにくっついていると、リキシャ引きや乗客が面白がって話しかけてきた。
「あんちゃん、どこの国の人? へぇ日本人なの? で、どこにいくの?」
 とか何とか、バングラ語と英語のちゃんぽんでささやかなコミュニケーションを取り合っていると、僕が間食用に取っておいたバナナを目ざとく見つけて、
「そのバナナさ、俺たちにも分けてくれないかなぁ」
 なんて言われて、なぜか全員でバナナを分け合って食べるというようなこともあった。これはこれで楽しいのだが、そんな風に時間を潰しているとなかなか目的地に辿り着けないのが難点だった。

 リキシャのスピードは平坦な道で時速13、4キロほどである。のんびりしたものだ。もちろん歩くのよりは速いが、自転車よりずっと遅い。上り坂になると時速10キロ以下に落ちる。時速7キロを切るぐらいだと、リキシャを降りて押した方が足の負担が少ない。
 このように自分のスピードがわかるのは、リキシャに「サイクルコンピューター」という速度&距離計を付けていたからだ。これは本格的なサイクリングや競技用自転車に乗る人が使う機械で、もちろんバングラデシュには売っていないので、僕が日本から持ち込んだものである。速度、走行時間、一日の走行距離、これまでの積算距離などがわかるというすぐれものだ。こんなハイテク機器がリキシャに搭載されたのは、長いリキシャの歴史上初めてのことではないかと思う。


【写真:史上初(たぶん)サイクルコンピューターを取り付けられたリキシャ】


 わざわざサイクルコンピューターを取り付けたのは記録のためというより、これが長い旅の励みになるのではないかと思ったからだった。もちろん「今、時速12キロで走っている」という情報が肉体的な疲れを癒すことはない。しかしただ漠然とペダルを漕ぎ続けるより、たとえば「あと5キロ進んだら休憩を取ろう」と目標を決めて走った方が断然気持ちが楽なのである。
 一日80キロ走らなければいけないとき、最初から80キロ先のゴールをイメージするのは難しい。途中で気持ちが折れてしまう。しかし80キロを10キロずつに区切って、セクションをひとつひとつクリアーするようなイメージに変えてやれば、案外がんばれる。目に見える数字が自分を励ましてくれるのだ。これがサイクルコンピューターによる「見える化」の力なのである。
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by butterfly-life | 2010-01-20 17:44 | リキシャでバングラ一周
リキシャを漕ぐ三井(動画バージョン)


バングラデシュでリキシャを漕いでいる姿をビデオに撮りました。
ジャパニー・リキシャワラが明らかに浮いているのがわかりますね。
まっすぐの一本道をリキシャで走るのは、なかなか気持ちのいい体験でした。
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by butterfly-life | 2010-01-18 13:08 | リキシャでバングラ一周
バングラデシュの女性

満開の菜の花畑を背景に立つ女性。



セカンダリースクール(中学校+高校)の女生徒。13歳以上の女の子の大半が顔を覆うスカーフを被っている。
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by butterfly-life | 2010-01-17 21:13 | リキシャでバングラ一周
バングラデシュの子供

河原で競走していた子供たち。



菜の花を手にした少女。
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by butterfly-life | 2010-01-16 13:26 | リキシャでバングラ一周
究極のダイエット法を教えます
 裸足にサンダル履き、薄手のウィンドブレーカーにこれまた薄い綿パンツという格好で、東京に戻ってきた。

 もちろん寒かった。何でも今年の日本の冬は予想外に寒いんだとか。鹿児島で雪が降ったという映像をニュースを見た。
 僕のようにおちゃらけた服装で電車に乗っている人は誰一人いなかった。当たり前である。でもまぁ、成田空港から八王子まで屋外に出る必要はほとんどないし、電車の座席の足下からは暖気が出ているので寒さに震えるようなことはなかった。

 1月の東京がしばしば氷点下を記録するってことは情報としては知っていたんだけど、寒さの質をイメージすることはできなかった。手先の感覚がなくなるとか、耳が痛くなるとか。
 考えてみれば、1月に日本にいるのは6年ぶりのことである。日本の冬を避けて南国へと渡る「渡り鳥的生活」をずっと続けてきたからだ。1月にどこにいたのかを列挙してみる。2005年1月はスリランカ、2006年1月はインドネシア、2007年1月は南インド、2008年1月は東ティモール、2009年1月はバングラデシュという具合である。赤道付近にいることがわかりますね。
 今年はその報いをたっぷりと受けることになるであろう。いやはや。

 自宅に戻ってまず最初にやったことは体重測定だった。
 出発前は68.5kgだったのが、63.8kgになっていた。
 わずか1ヶ月半で5キロ近くの減量。これはすごい。

 バングラデシュでリキシャを漕いでいるときから、日に日に痩せている実感はあった。リキシャの重いペダルを毎日7,8時間も漕ぎ続けて大量のカロリーを消費しながら、しかも素食な毎日を過ごしていたわけだから。
 30歳を超えたあたりから徐々につき始めたおなか周りの脂肪も大幅にそぎ落とされた。うちの体重計は体脂肪も計れるのだが、それによると16.2%から12.4%とこれまたかなり劇的に減っている。

 ダイエット本が書けそうだ。
「1ヶ月で5キロ痩せる! リキシャ・ダイエット」なんて。
 誰もやらないか。

 ダイエットに必要なのは「ややきつめの有酸素運動を長時間続けること」だそうで、リキシャというのは見事にそれに適している。もちろんリキシャ引きに太った人間はいない。
 「痩せたければリキシャを引け」というのは100万人のリキシャ引きが証明している真実なわけだけど、多くの人が求めているのは手軽にできるダイエット法だから、「1日7時間リキシャを漕ぎましょう」と言われても一笑に付されるだけである。
 さぁみなさんもお試しください、とは決して言えないのが「リキシャ・ダイエット」の欠点である。汎用性に欠ける真実。

 それはともかく、来月から始める日本縦断の旅はこれまでの1ヶ月よりももっと長く、もっとハードなものになるはずなので、「ダイエット成功、イエィ!」なんて言ってる場合ではなく、体重維持、体力維持を念頭に置かなければいけない。
 これからはリキシャを漕ぎながらいかに「太れるか」が問題になってくるはずだ。


【写真:ハードな肉体労働によって無駄のない体を作り上げているのはリキシャ引きだけではない。畑を耕す農夫も実に引き締まった体をしている】
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by butterfly-life | 2010-01-15 11:26 | リキシャでバングラ一周
写真家と時代
 1200キロに及んだリキシャの旅を終えて、バングラデシュの首都ダッカに戻ってきた。

 ダッカのホテルで、フランス人フォトジャーナリストのマチューさんに出会った。フロントで顔を合わせたときに「ニホンジン?」と向こうから声を掛けてきたのだ。彼は日本人と結婚して長年鹿児島県に暮らしているのだが、日本語は挨拶程度しか話せないようだった。僕がリキシャに乗って旅をしていたことを知ると、「ハハハ、そいつはおかしいねぇ」と声を立てて笑った。

 マチューさんはロバート・キャパやアンリ=カルティエ・ブレッソンらが創設した写真家集団マグナムにも所属しているベテランフォトグラファーである。若い頃はアフリカをテーマにして多くの作品を撮ってきた。バングラデシュでは廃船解体現場や皮革工場など、過酷な労働現場で働く人々を撮っているという。美しい写真には興味がない。醜いもの、非情なものに被写体としての興味をかき立てられる。

 マチューさんはかつてのキャパやブレッソンのような「古き良きフォトジャーナリスト」のスタイルを頑なに守り続けているようだった。ひとつの被写体を撮るのに最低でも三日、長いときは一週間かける。そうして「決定的瞬間」が訪れるのを待つわけだ。

 使うのは35mmのモノクロフィルムだけ。デジタルは使わない。カラー写真ならデジタルとフィルムの画質の差はなくなったが、モノクロ写真はまだフィルムの方がすぐれているからだという。
 カメラはライカが2台。古い方は30年前のもので、新しい方は18年前に買ったもの。レンズは単焦点を4本。ライカは小さい筐体のわりにずっしりと重く、メカニカルな冷たさがあった。
「ライカは扱うのが難しいカメラだ。誰もが簡単に使えるわけではない。日本人の中にもライカのファンがたくさんいることは知っているよ。でも彼らの多くは大切なライカをガラス棚に並べて満足している。写真機としてではなく、コレクションとして楽しんでいるようだね」

 マチューさんは物持ちのいい人である。カメラだけでなく、ズボンも靴もバッグも10年以上前に買ったものばかり。確立した自分のスタイルを守り続けることが彼の信条のようだ。
「私のやり方は変わらないけれど、時代は変わってしまったよ」
 マチューさんは白髪混じりのあごひげを撫でながらため息をつく。
「25年前まではフォトジャーナリズムが生きていた。我々フォトグラファーは尊敬され、やりがいのある仕事も数多く与えられた。でも今は違う。新聞も雑誌も、ひとつのテーマを深く掘り下げようとはしなくなった。予算も切り詰められている。身近なネタをデジタルカメラで撮って、1時間後には紙面にする。そんな仕事ばかりしている。立ち止まって瞑想する時間がなくなってしまったんだ」

 確かに写真はかつてのように特別なものではなくなってしまった。キャパやブレッソンが生きた時代のように、一枚の写真が世界に衝撃を与えることもなくなった。世界は平準化され、秘境は開拓され、写真家が活躍できる場所は徐々に狭くなっている。デジタルカメラの出現がその流れを加速させている。

 マチューさんが言うように、今は写真家にとって困難な時代なのだろう。
 けれど時代は選びようがない。僕らは与えられた条件の中で個人としてできることを精一杯やるしかない。キャパがそうしたように。

 僕にはマチューさんのように確固としたスタイルがあるわけではない。右へ左へずいぶん振れている。
 「半径3mの世界」に逃げ込むことなく、この世界と正面から向き合うにはどうすればいいのか。試行錯誤が続いている。
 だからこそ僕は「リキシャの旅」を始めたのだ・・・というのは、たった今思い付いたことである。でも、案外そうなのかもしれないな。
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by butterfly-life | 2010-01-14 17:36 | リキシャでバングラ一周
リキシャ日和「初めてのお客」
 初めての客は10歳ぐらいの少年だった。
 僕が道ばたにリキシャを止めてひと休みしていると、「こっちへ行くのかい?」と声を掛けてきたのだ。
 乗りたいのならどうぞ。僕が頷くと、少年はためらうことなく座席に乗り込んだ。僕が外国人であることや、リキシャが妙に派手であることにはあまり関心がないようだった。

 これまでにもたくさんのバングラ人を乗せてはきたが、全員が「日本人がリキシャを引いてるぜ!」という驚きと興味本位とで乗り込んできて、適当な距離を走ったら満足して降りていくというパターンだった。「俺が漕いでやるからお前は後ろに乗れ」と強引に言い張る奴もいて、そのテンションの高さについていけないこともしばしばあった。もちろんお金を払ってもらったことは一度もなかった。

 少年は静かだった。
 ただ黙って座っているだけだった。彼は本当に僕が外国人だと気がついていないのだろうか。声を掛けたリキシャ引きがたまたま僕だったということなのだろうか。
 まぁいいや、その方がこちらとしても好都合である。バングラ語であれこれと質問されまくって、ほとんど答えられないで気まずい思いをするよりもはるかに楽である。

 立ち漕ぎをしてスピードを上げる。少年の重さはペダルの重みにはほとんど影響しない。あまりに軽いので彼が本当に乗っているのか振り返ってみたぐらいだ。少年はじっと田園風景を眺めていた。

 2キロほど走ったところに小さなバザールがあって、少年はそこで降りていった。
 ズボンのポケットからくしゃくしゃのお札を取り出して僕にくれた。2タカ札だった。たぶんこれが相場なのだろう。
 金は要らないよ、と言おうかとも思ったけど、思い直してそのまま受け取ることにした。彼は僕のことを純粋にリキシャ引きとして扱っていたのだ。だからお金を返される言われもない。

 バザールの雑貨屋でバナナを買って食べた。1本2タカだった。僕がリキシャ引きとして稼いだ2タカが、こうして雑貨屋のおやじに渡り、それからまた別の人の手に渡る。そうやって経済は回っていく。
 リアルだと思った。

「あんたはリキシャワラなのか?」
 と雑貨屋のおやじが言った。さっき少年からお金を受け取ったのを見ていたのだろう。
「いえ、そうじゃありませんよ」
「仕事じゃないんなら、ホビーかい?」
 そう聞かれて、少し考え込んでしまった。もちろん僕はプロのリキシャ引きではない。でも趣味かと聞かれるとそれも違うような気がする。僕がこの旅をするに至った経緯を説明しなければわかってもらえないだろう。いや、最初から説明しても、きっとわかってはもらえないだろう。
「ええ、ホビーです。趣味みたいなものですよ」
 そう言うと、雑貨屋のおやじはそうなのかと頷いた。


【写真:ダッカの街にはリキシャが似合う】


 趣味でリキシャを引いている僕のような人間を除けば、バングラデシュには二種類のリキシャ引きがいる。
 リキシャを自分で所有している「個人営業リキシャ」と、持ち主から借りている「雇われリキシャ」である。
 貧しく、何のコネも持たずに田舎から出てきた若者は、当然のことながら「雇われリキシャ」から始めることになる。彼らはリキシャ主の元へ行き、働かせてくれと頼み込む。リキシャ主はたいてい10台から20台ほどのリキシャと台数分の駐車スペースを持っていて、彼にその一台を貸し与えるのである。レンタル料はリキシャの程度によって変わり、古いものだと70タカ、新しいものだと110タカだという。


【写真:リキシャ主がまとめて所有するリキシャを駐車してある所】


 リキシャ引きは毎日町に出てお客を拾う。一度客を乗せると10タカから30タカぐらいもらえるが、料金はあくまでも交渉制である。1タカ2タカの違いで客と口論になることもあるし、金離れのよい上客も(あまり多くはないが)いる。
 リキシャは主に2,3キロの近距離移動に使われる乗り物なので、遠く離れた目的地には行ってくれない場合も多い。リキシャ引きは自分の「縄張り」から外に出るのを好まないのだろうか。
 お客は何人乗っても構わないようだが(5人家族が乗っているのを見かけることもある)、痩せたリキシャ引きが総重量200キロ超を歯を食いしばって引いている姿はなんだか滑稽でもあり、哀しくもある。ユーモアとペーソス。ちなみに三人目以降は割増料金を取るそうだ。


【写真:下校途中の学生を四人乗せて走る】


 ダッカのリキシャ引きの売り上げは一日200から300タカ程度。どう頑張っても300タカを超えることはないそうだ。ここからリキシャのレンタル代を引けば、手元に残るのは100から200タカである。130円から260円というところだ。この稼ぎで一家8人を養っている人も珍しくなく、食費と家賃を払えばほとんど手元には残らない。

 新品のリキシャは1万2000タカ程度、中古のリキシャなら8000タカで買える。一年ぐらいこつこつと貯金すればなんとか用意できそうな額に思えるが、余裕のない「かつかつ」の生活を送っているリキシャ引きにはハードルが高く、なかなか「雇われリキシャ」の立場から抜けられないのが実情のようだ。持たざるものがチャンスをつかむ確率は相当に低いと言わざるを得ない。

 リキシャを貸し与えるだけで収入を得ているリキシャ主が「暴利」かというと、そうとも言い切れないようだ。リキシャの修理代(実によく故障する)を負担するのはリキシャ主だし、貸したリキシャが盗まれるリスクもあるからだ。通常「雇われリキシャ」は何の身分保障もなくコネクションも持っていないから、万が一リキシャが持ち逃げされてしまったら、リキシャ主がその損をまるまる被ることになる。だからリキシャ主にとってもっと重要なのは、リキシャ引き志願者が信用に値するかどうかを見極めることなのである。

 「雇われリキシャ」から立身出世をした例も皆無ではない。
 アクバルという若者はかつて貧しい雇われリキシャ引きだった。毎日同じような道をぐるぐると回るだけの生活。アクバルが他のリキシャ引きと違っていたのは、いつも歌をうたいながらリキシャを漕いでいたことだった。幼い頃から歌うことが大好きだった彼は、家でも道ばたでもどこでも構わず大声で歌い始める癖があったのだ。声も良かった。
 あるとき、レコード会社のプロデューサーが偶然アクバルのリキシャに乗った。もちろんそのときもアクバルは歌った。誰かに聞いて欲しかったわけではない。彼はただ歌いたいから歌っていたのだ。
 その歌声を聞いたプロデューサーは、ずば抜けた歌唱力に度肝を抜かれた。すぐにアクバルをレコード会社に連れて行き、プロの歌手としてデビューさせることにした。リキシャ引きから一転プロ歌手となったアクバルは、今ではスター歌手の一人に数えられているという。

 そんな話である。バングラ版シンデレラストーリー。スター誕生物語。
 どこまでが真実で、どこまでが伝説なのかはよくわからない。でも現実にそういうことが起こる可能性はあると思う。ダッカには何十万人ものリキシャ引きがいて、その多くが貧しい生活から何とか抜け出そうと願っているのだから。
 もちろんチャンスを掴めるのはほんの一握りの人間だけだ。でもその一握りの人間が、その他大勢のリキシャ引きに夢を与えているのもまた確かだろう。俺たちだってあんな風になれるかもしれない、と。


【写真:リキシャの上で昼寝をする男】


 ノライルの町で出会った21歳の大学生アロバリ君は、短期間だがリキシャ引きの仕事をしていた。大黒柱である父親が3年前に亡くなり、学生だったアロバリ君もすぐ働いて一家を支えなければならなくなったからだ。リキシャ引きは手っ取り早く就ける仕事のひとつだが、長くは続かなかった。元々からだが小さく勉強ばかりしていたアロバリ君には過酷な仕事に耐えられる体力がなく、1ヶ月後に体を壊してしまったのだ。
 趣味は詩を作ることで、将来は学校の先生になりたいというアロバリ君が、もともとリキシャ引きに向いていないのは僕の目から見ても明らかだった。それは彼自身もわかっていたのだろうが、やむにやまれぬ事情があったのだ。
「体力はじきについてきただろうと思います。でもリキシャ引きは誰からも尊敬されない。それが一番つらかったんです」
 バングラデシュにおけるリキシャ引きの地位はとても低い。リキシャ引きとは「何の知識も、何の技術も持たないものがすぐに始められる仕事」として広く認知されていて、みんなから見下されているのだ。「職業に貴賎なし」という言葉は残念ながらバングラデシュの現実には当てはまらない。

 アロバリ君によれば、リキシャ引きは短命であり、50歳まで生きたら長生きだという。夏の焼け付くような日差しの下でも、雨季の激しいスコールの中でも、ずっと外でリキシャをこぎ続けなければいけない。排気ガスも体に悪い。怪我をしたり病気にかかったりしたら、すぐに収入の道が途絶えてしまう。この国には医療保険や労災などないからだ。
 力仕事であるにもかかわらず、リキシャ引きには背が低くて痩せている人が圧倒的に多い。幼い頃から満足に栄養を取ることのできない家に育ち、10代のはじめからずっとリキシャを引いてきた結果なのだろう。

 リキシャ引きの人生は過酷だ。年老いたリキシャ引きの張りのない肌は、野ざらしにされて次第に色あせていく看板を思わせる。町中でそういう人を見かけると、少し胸が締め付けられる。
 でも僕が旅先で出会ったリキシャ引きの多くは、明るくて屈託のない気のいい連中だった。過酷な人生の影をみじんも感じさせない、典型的な陽気なバングラ人。彼らはガイジンである僕がリキシャを引いて通りかかると、驚きの声を上げ、「ボンドゥー!(友達!)」と笑顔で手を振ってくれた。

 何よりもその笑顔が、僕にリキシャの旅を続ける力を与えてくれたのだった。


【写真:リキシャにまたがる姿が様になっているベテランのリキシャ引き】
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by butterfly-life | 2010-01-13 20:40 | リキシャでバングラ一周