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「やらない理由」を並べるのはもうやめよう
 先日、ブログを読んでいる方から長いメールをいただきました。まずはそれを紹介しましょう。


 三井さんはじめまして。
 私は兵庫県在住の○○と申します。
 この場を借りて一言お礼を申し上げたいと思い、唐突ですがメールを送る事にしました。

 昨年、私は念願のバックパッカーになるべく仕事を辞めたものの、時間と資金を得たときにはそれを実行する勇気を失っていました。
 そして、なかなか思い切れずにだらだらと不完全燃焼な毎日を過ごしていました。たくさんの人の旅行記を見ては、それに自分を投影して自分を励まそうとしましたが決心がつきませんでした。
 そんなある時、三井さんのブログを見ていたら、ある言葉に出会いました。その言葉を目にした瞬間に、私の全ての意識がそれに捕らえられました。

 ―場所はどこだっていい さあ旅に出よう―

 次の瞬間に、私の中で四方八方を向いていた矢印が一斉に、一方に、真っすぐに向いたような気がしました。その時から私の旅に向けた旅が始まりました。
 それは私が理想を実現したいという強い願望を、いつも思いつく限りのリスクや不安要素に置き換える小心な自分の葛藤が、限界温度に達した時に見つけた言葉でした。でもその言葉に出会ってからは、なんだか気持ちが軽くなり心の中にできた羅針盤にしたがって、一歩ずつ足を踏み出すことがきました。

 そして昨年末、ついにネパールに一ヶ月の旅行に行ってきました。ネパールが良かったという事も然ることながら、自分にも出来たという達成感と充実感でいっぱいでした。なんだか嬉しくなって、帰国して数日後にまたタイ、ラオス、ベトナム、カンボジアに行ってきました。
 昨日やっと帰宅して、今こうしてメールを書くまでに至ります。

 もちろん、旅行にいこうと決めたのは自分自身です。全て私の人生に於ける出来事は私自身の責任だと思っています。
 でも、私が最も必要としていた言葉を最も必要としていた時に出会ったのは、とても幸運だったと思います。そして何より、その言葉を綴って下さった三井さんにとても感謝しています。本当にありがとうございます。

 一つの壁を越えた事の達成感が何より嬉しくて、まだまだたくさんある眠ったままの希望を実現していく事に、ためらいや、迷いを感じなくなりました。今回の旅で、たくさん泣いて、たくさん笑って得た経験も活かして、これからも前向きに毎日を過ごしていきます。

 最後に、三井さんとたびそらの読者を含め、三井さんに関わる全ての人の幸せをお祈り申し上げ、終わらせて頂きます。




 僕の言葉がきっかけとなって、旅の素晴らしさを知ることができたというのは、とても誇らしいことです。こういうメールをいただくと、10年近く愚直に更新を続けてきて良かったなぁと心から思えます。

<思いつく限りのリスクや不安要素に置き換える小心な自分の葛藤>

 この言葉、すごくよくわかりますよ。僕自身がそうだったから。
 「やらない理由」というのはいくらでも思いつけるんですね。お金がない、時間がない、犯罪に巻き込まれるかも、テロに遭うかも、病気になるかも、飛行機が落ちるかも・・・リストはいくらでも長くすることができます。

 僕が本やブログで伝えたいのは、とてもシンプルなことなんです。
「心配事のリストは、いったん旅に出ればさっぱり消えてなくなる」
 まずやるべきなのは「地球の歩き方」のトラブル欄を熟読することではなくて(できることなら破り捨ててしまいましょう)、小さめのバックパックを買ってきて荷物を詰め込むことなんです。

 未知なる世界に飛び込む前というのは誰だって不安なものです。
 沢木耕太郎さんの「旅する力 深夜特急ノート」にもこんな言葉が出てきます。

<どうしても行かなくてはならないのだろうか。別に行かなくてもいいのではないか。行かなくてもいい理由をいくつも数え上げるのだが、どれも決定的な理由ではない。そうこうしているうちに行くと決めていた日が近づいてきて、仕方なく出発するのだ。(中略)しかし、ひとたび出発してしまうと、それまでの逡巡は忘れてしまい、まっしぐらに旅の中に入っていってしまう>
 
 一人旅をしたことがない人には、この感覚がなかなかわからないと思います。
 長い旅に出ようとする直前、僕は(そして沢木さんも)それほど弾んだ気持ちではない。少なくともウキウキしてはいない。面倒だなぁ、なんて内心舌打ちをしている。
 でも「ひとたび出発してしまうと」その気持ちが180度変わると知っているから、とにもかくにも準備を整えて空港に向かうわけです。

 あなたが僕のブログを探し当て、ある特定の言葉を見つけて「これだ!」とひらめいたのは、すでにあなたの心の中にその言葉に反応する準備が整っていたということに他なりません。きっとあなたは僕のブログを読まなくても、どこかで別の言葉を見つけたでしょう。

 僕ができるのは最後の最後に軽く背中を押してあげること。「今の状態を維持したい」という気持ちと「この日常をひっくり返したい」という気持ちとの間で葛藤を続けている人に、「こっちの道も悪くないよ」と指し示すことだと思っています。リアルな標本として。

 「リキシャで日本縦断」も今の僕にとってはまったく未知のもの。どういう結末になるのかわからない。
 それでもひとたびペダルを漕ぎはじめてしまえば、いい風が吹くに違いない。そういう確信があるのです。
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by butterfly-life | 2010-02-28 11:44 | リキシャで日本一周
リキシャ、都心を走る
 11時に亀戸を出発して、まず東京スカイツリーに向かう。遠くからでもそのデカさは際立っている。まさにバベルの塔だ。すでに高さは300mを超えていて、まもなく東京タワーを抜くという。

 スカイツリーの前でリキシャと記念撮影。でも塔があまりにも高くて、どうやっても同じフレームに収まらない。超広角レンズが必要だった。このあたりではみんな首を45度傾けて塔を見上げているので、派手なリキシャが通っても誰も気にとめない。



 両国国技館に向かう。本場所中ではないので閑散としている。修学旅行生を乗せたバスが止まっているぐらいだ。
 国技館の前でスーツ姿の若者に声をかけられた。トミヤマ君。大学3年生で、ただいま就職活動の真っ最中だそうだ。今日は「ハッピーターン」で有名な亀田製菓の面接に行くという。浅草周辺にはもともと煎餅やおかきの会社が多くて、亀田はその中でも大手だ。どうして米菓会社に絞って就職活動をしているのかは聞きそびれたけれど、就職戦線の厳しさに負けずにがんばって欲しい。


【就職活動がんばれ!】


 秋葉原の近くでサラリーマン風の男性が「写真を撮ってもいいですか?」と携帯カメラを向けた。好きなだけどうぞ。もちろんウェルカムだ。彼は「5円タクシー」には乗らなかったものの(「今は急いでいるので」と言っていたが、あの人混みの中でリキシャの客席に乗るのはかなり恥ずかしいと思う)、財布から40円を出して「バングラデシュの子供たちに」と渡してくれた。最初のお客さんであった。


【九段下で出会った大学生がリキシャを試し乗り。ペダルの重さに顔をしかめていた】


 水道橋にあるパロル舎のオフィスに向かう。写真集「この星のはたらきもの」と「スマイルプラネット」の出版元だ。
 このパロル舎、坂の上にあるのでリキシャを引っ張り上げるのに苦労した。バングラデシュではなかった長い坂。日本縦断ではずっと悩まされることになるであろう坂である。
 編集の渡さん、黒田さん、石渡社長を撮る。今日は昼間から飲んでいない様子。新刊発売が立て込んで忙しそうだった。去年発売した「この星のはたらきもの」もまずまずの売れ行きだと聞いて安心する。

 水道橋から南に下って赤坂に。TBS本社のある赤坂サカス前で天田さんと会う。来月BSで放送されるドキュメンタリー番組のディレクターである。僕も写真家として取材に加わっているので、撮影風景も放送される予定。
 この頃から風が強まってくる。僕はTシャツ一枚なのに、天田さんはダウンジャケット姿で冬の装い。暑いのか寒いのかよくわからなくなってくる。


【赤坂サカスの前で。やっぱり浮いていますね】


 国会議事堂、霞ヶ関周辺は制服姿の警官がやたらと多かった。国の中心だから警備も重々しいのだ。
 白くて高い壁が続く場所があったので、リキシャを止めて写真を撮っていると、一人の警官がつかつかと近寄ってきた。職務質問である。
「ご存じですか? ここは鳩山総理の家なんですよ」
「ええ? 首相官邸なんですか!」
 全然知らなかった。へぇここが首相官邸なのですか。日本の首相ともなると、こんなに高い塀に囲まれて生活しているのです。
 それにしても、それとは知らずに首相官邸の前で記念撮影をしていたというのも間抜けな話である。警察が怪しむのも無理はない。ちょっと頭のおかしいテロリストだと疑われたのかもしれない。
「でもテロを起こす人間はもっと目立たない格好でやってくるんじゃないですか?」
「そうでもないんです。派手な人もいるんです」
 あーそうか。街宣車とかはそうですものね。


【首相官邸前からリキシャがお伝えしました】


 皇居の桜田門の前で写真を撮り(「俺ははとバスか」と言いたくなるような名所巡りですね)、銀座通りを北に向けて進む。東京の人々はおおむねクールで、わざわざリキシャに声をかけてくるような人はいない。横目でちらっと見ることは見るけれど、「そういうのもアリだね」という態度を貫いている。
 でも子供は素直だ。幼稚園の送迎バスが追い抜いていったとき、子供たちは目をらんらんとを輝かせてリキシャを眺めていた。
「すごーい!」「ごうかなじてんしゃー!」
 口々に叫ぶ。こういう反応をしてもらえると嬉しい。

 リキシャの初乗客になってくれたのは、亀戸のおばさんたちだった。
 亀戸天神に梅を見に来たという主婦。千葉県からとれたての野菜をトラックで運んできて、神社の前で売っているという農家のおばさんなど。特にもんぺ姿の産地直送おばさんは初リキシャに大いに興奮していた。
「もう30年もここで野菜を売り続けてるけどね、こういうものを見たのは初めてよ」


【ぶっとい大根を手にしたおばさん】


【亀戸天神に毎日欠かさずお参りしているというおばあさん。代々理髪店を経営しているそうだ】


 亀戸天神ではバングラ人の若者に出会った。ボリシャル出身のラフマン君。来日5年。日本語も流ちょうだ。今は錦糸町の焼き肉屋で働いているそうだ。
 彼もリキシャの出現に目を丸くしていたが、驚いたのは僕も同じだった。こんなところでバングラ人に出会えるとはね。


【バングラ人が東京でリキシャ漕ぐ。なかなか見られない光景である】


 久しぶりのリキシャはヘビーだった。アップダウンが多くて思ったほどペースが上がらなかった。強まった風にも邪魔された。
 でも日本縦断に向けての手応えはつかめた。
 うん、行けそうだ。

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本日の走行距離 : 30.5km
本日の「5円タクシー」の収益 : 270円
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by butterfly-life | 2010-02-26 18:13 | リキシャで日本一周
リキシャアーティスト・アフメッドさんについて
 僕が乗るリキシャに絵を描いてくれたアフメッドさんは、リキシャアート界の第一人者だ。
 アフメッドさんが絵描きの道に進んだのは15歳の時。父親が事故に遭って歩けなくなったので、アフメッドさんも学校をやめて働かなければいけなくなったのだ。小さな頃から絵を描くのが大好きだったアフメッドさんを励ましてくれたのはお兄さんだった。「おまえには絵の才能があるから、その道に進め」と言ってくれた。

 アフメッドさんはまずリキシャ工房の親方についてリキシャの装飾を始めた。当時からリキシャは派手な乗り物だったが、とにかく目立つ装飾が求められるだけで、そこに芸術性を込める人はほとんどいなかった。アーティストではなく職人の世界だった。それは今でも基本的に変わっていない。
 一大ブームとなり、その後のリキシャアートの方向性を決定づけたのはシネマペインティングだった。要するに映画の看板をリキシャの装飾として描いたものだ。ヒーローとヒロイン、それに悪役の顔のアップが描かれる場合がほとんどで、派手ではあるが独創性に欠けるものが多い。今、バングラデシュを走っているリキシャの8割までがこうしたシネマペインティングを施されている。

 リキシャ工房の弟子として地道に働いていたアフメッドさんにチャンスをもたらしたのは、師匠が留守のあいだにやってきた依頼主だった。注文した品の出来上がりが遅いことに怒った依頼主をなだめるために、彼は師匠の力を借りず一人で絵を描いてみせた。その一件で彼の信用は高まり、独立に繋がったのである。



 リキシャの芸術性に最初に注目したのは外国人だった。キッチュなアートとしての評価が高まったのだ。アフメッドさんは独自の世界を描くリキシャアーティストとして各国のメディアに紹介され、注目を集めるようになった。1994年に福岡市美術館で大規模なリキシャアート展が開かれたときには、来日も果たしている。
 外国での評価の高まりと共に、アフメッドさんの元にリキシャアートを描いてほしいという依頼が舞い込むようになった。もちろんリキシャそのものを購入するのは大変だから、ブリキのプレートに描いた作品をお土産として持ち帰ったのである。
 もともと国内では見向きもされなかった庶民の娯楽が、外国人の目を通して「アート」に転じるという経緯は、日本の浮世絵がたどった歴史にも似ている。

 バングラデシュ国内でもリキシャアートを芸術として認知する人はいるが、実際に街を走るリキシャにアフメッドさんが絵付けをすることはない。リキシャには何よりも安価で丈夫なことが優先されるので、一枚の絵が2000タカ以上するアーティストに仕事を依頼するリキシャ主などどこにもいないのである。結局、ダッカの街を走るリキシャは、昔も今も定型的なデザインにとどまっている。

 アフメッドさん自身はアーティストを気取ってはいない。もちろん彼独自の世界観(動物を寓話的に描いた絵はそれが特に色濃くでている)はあるのだが、必要以上にそれにこだわることはなく、依頼主のリクエストには全面的に応じるという姿勢である。仕事ぶりは実に丁寧で、少しでも気に入らないところがあると、何度も塗り直しをする。仕事が立て込んでいると、徹夜をして仕上げてくれる。

「今日は働きすぎた。疲れたよ」
 注文した荷物ボックスを受け取りにいった当日、彼はうーんと背伸びをしながら言った。53歳にして徹夜は厳しかっただろう。お疲れ様。
 僕らは銀行に勤めている甥っ子のハッサンを通訳にして、お茶を飲みながら話をした。奥さんが台所から紅茶とビスケットを持ってきてくれた。奥さんの横顔はアフメッドさんの絵に登場する農家の女性にそっくりだった。奥さんをモデルにしたんだろうか。そう訊ねると、アフメッドさんは照れくさそうに笑った。イエスともノーとも答えなかった。

 アフメッドさん夫婦には子供はいない。テレビの上の写真立てには夫婦と子供二人が写っているのだが、二人ともすでにこの世にはいない。
「子供は三人生まれたんだ。でも全員が6歳になるまでに死んでしまった。生まれつき脳に異常があったようだ。三人目が死んだときに、医者に言われたよ。『子供を持つのは諦めなさい。四人目も同じ運命だよ』。だから子供は諦めたんだ」
 アフメッドさんは淡々とした口調で語り終えると、少し寂しそうに微笑んだ。


【写真:荷物ボックスに描いてもらった絵は、僕のこの写真がベースになっている。ベンガル語で「コチュリ」と呼ばれるホテイアオイの花が満開になった川で、子供たちが水遊びをしている場面だ】
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by butterfly-life | 2010-02-24 11:28 | リキシャでバングラ一周
ショブジョ バングラ(みどりのバングラデシュ)
 今回、日本縦断の旅で使うリキシャを提供してくれたのがNGO「ショブジョ バングラ」の三田さんだ。
 彼女がバングラデシュに関わりはじめたのは、今から10年ほど前のこと。国際交流のボランティアをしていた三田さんに、知り合いのバングラ人から「NGO設立に協力してくれないか」と頼まれたのがきっかけだった。

 1999年に初めてバングラデシュに行き、この国の現実を見てきた。そして貧しい子供たちのための学校をはじめた。最初は民家のガレージを使わせてもらってのスタートだった。通ってくるのはリキシャ引きなどの貧しい家の子供や、メイドとして住み込みで働いている子供たち。様々な理由で公立の学校に通えない子供たちが対象だった。


【写真:貧しい子供たちが通う小学校は、教室の数も先生の数も不足している】


 最初の3年は試行錯誤の連続だった。先生のレベルがあまりにも低く、授業の進み具合が極端に遅かった。バングラデシュには先生になるための資格がないし、給料も安いので、モチベーションも低くなりがちなのだ。
 しかしアロさんという若い女性教師がやってきてから、学校が劇的に変わった。アロさんはものを教える天賦の才能があった。彼女自身も貧しい家の出身で、小学校にも満足に通えなかったので、同じ境遇にある子供たちに対する理解と、そこから何とか抜け出させたいという情熱とを持ちあわせていた。
「授業を受ける子供たちの目の輝きが全然違ってきたんです」と三田さんは言う。

 現在、三田さんの学校には、アロさんを含めた3人の先生と150人の生徒がいる。第一期卒業生の中には大学に進学した子供もいる。学校運営はひとまず軌道に乗り始めたようだ。
「希望する子供たちはみんなハイスクールに行ける仕組みを作りたいんです。でも私がそう言ったら、地元の人に『この国ではハイスクールを出てもいい仕事に就けるとは限らないんですよ。大学出のリキシャ引きを作るためにこの学校を作ったんですか?』と諭されて、しばらく考え込んでしまいました」
 バングラデシュでは特に若者の人口が多く、その労働力に比べて働き口が圧倒的に不足している。だから「中途半端な学歴を持って就職難に見舞われるよりも、早めに手に職をつけた方がいい暮らしができる」という現実な見方も説得力を持っているのだ。

 学校の運営資金は、バングラデシュの伝統工芸品「ノクシカタ」を売ることによってまかなっている。ノクシカタとは細かなデザイン刺繍を施した布で、今はペンペースなどの小物に加工して販売しているが、将来的には質の良いものを和服の着物や帯に使ってもらおうと考えている。
「私は『バングラデシュは貧しいから買ってください』と言うのは嫌なんです。そうじゃなくて、製品の質で勝負したい。だからノクシカタを売るときにもNGOや学校のことは前面には出していません。友達には『もっとアピールしたら売れるのに』って言われるんですけどね」
 三田さんはもともと服飾デザイナーだったので、織物や工芸品に対する独自の目を持っているし、クオリティーに対する要求も高い。だから質の悪い製品を「お情けで買ってちょうだい」と言って売るようなやり方には強い抵抗があるのだ。

「バングラデシュって『貧しさ』とか『自然災害』のようなネガティブなイメージで語られることが多いでしょう? マスコミもそれをわざと強調するようなかたちでしか伝えない。でも実際に行ってみると、そうじゃない部分もたくさんあるんです。日常がいつも悲惨なわけじゃないし、日本にはない活気にあふれているところもある。いい伝統文化もあるんです。でもほとんどの日本人はその価値を知らない。それが残念なんです」
 三田さんがリキシャを輸入したのも、リキシャアートの「なんでもあり」の魅力に惚れ込んだからだった。決して高尚なアートではないけれど、作った人の思いが込められている。

 独学でベンガル語を勉強した三田さんは、今ではベンガル語の読み書きもこなせるようになった。
「語学の習得は若いときの方がいいって言うけど、あれは本当よねぇ。なかなか新しいことが覚えられないんだもの」
 と言うけれど、それは謙遜である。挨拶程度の会話にも難渋している僕とは比較にもならない。語学力からも本気でバングラデシュに関わっている意気込みが伝わってくる。
「これからの目標は、このNGOを現地のバングラ人だけで運営していけるようにすることね。もちろん『ショブジョ バングラ』は小さな組織だから、できることは限られています。資金力だってない。でも小さな組織だからこそできることもあるはずです」

 今回の日本縦断の旅では「5円タクシー」という試みを行う。
 これも何かの「ご縁」ですから、5円でリキシャに乗りませんか、という半分シャレの呼びかけである。
 この5円タクシーの収益金(といっても微々たるものだろうけれど)は、「ショブジョ バングラ」の学校運営のために寄付するつもりだ。

 リキシャの乗りたい方。ポケットに5円の用意を!
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by butterfly-life | 2010-02-22 13:46 | リキシャでバングラ一周
さぁ準備は整った
 日本縦断リキシャ旅の準備はほぼ整った。
 ゆるんでいたリキシャのチェーンを張り替え、サドルとペダルを交換し、サビと汚れを落とし、サドルの下に新しいリキシャアートを飾った。
 リキシャの修理をしたのは両国にある自転車屋で、店主のオヤジさんは「こういうの、ちょっと迷惑なんだよねぇ」と口をとがらせながらも、イレギュラーな注文に応じてくれた。客商売なんだからもう少し愛想があってもいいんじゃないかと思ったりもするが、ぶっきらぼうで口が悪い(でも実は親切だったりする)のは江戸っ子の証なのだろうか。

 懸案だった「重いギア比」はどうやら直りそうにない。
「こいつぁ古いタイプだなぁ。日本には部品がねぇよ」
 オヤジさんはべらんめえ口調で言う。
 そうなのだ。リキシャの原型は30年以上も前に固まっていて、それから何の進歩も見られない。同じ規格の部品をずっと使い続けているわけだが、それはもう日本から消えて久しいらしい。規格のジェネレーションギャップ。
 仕方がない。しんどいけどこの重いペダルを漕いでいくしかないだろう。


【このギアを変えたかったのだが・・・どうも無理っぽい】


 リキシャは今、東京の下町・亀戸にある。
 なぜ亀戸なのかは、順を追って説明しなければいけない。

 実は「日本縦断編」で使うリキシャは、バングラデシュで1ヶ月乗っていたのとは違うリキシャなのである。
 当初の予定では、バングラで乗ったリキシャをそのまま日本に運んで使うつもりだった。しかし、それにはいくつか問題があることがわかったのだ。

 まずは輸送の問題である。
 バングラデシュから日本までリキシャを船便で送るとなると運賃に500ドル程度かかるが、それ自体はさほど高額ではない(もちろんリキシャ本体に比べるとバカ高いが)。チッタゴンを出て横浜港に着くのが3週間後だが、これもまぁリーズナブルだ。
 ただリキシャなんてヘンテコなものを輸入しようとすると、税関で思わぬ手間と時間を取られることがあるという。たとえばシロアリ。リキシャの幌は竹でできているのだが、もしそこにシロアリが巣くっていると、輸送している間にバリバリと竹を食い荒らされてしまうというのだ。そんな厄介者を日本に持ち込むのはダメだと言われかねない。
 別の人はリキシャのブレーキパッドにアスベストを使用しているという疑いをかけられて、税関で1ヶ月近くも止められたという。ただの合成ゴムだと思うんだけど、見慣れないモノには疑いの眼差しが向けられるのが税関というところなのである。

 輸送の問題よりも大きかったのは「特注リキシャ」の問題だった。
 バングラデシュには100万台近くのリキシャが走っているが、その大半は個性的ではない。派手なことは派手なのだが、どのリキシャもチープかつ類型的なデザインに統一されているのだ。
 しかし、ごくごく稀に「おぉ!」と視線を釘付けにするようなカッコいいリキシャを見かけることがある。作った人間の個性や自己主張を感じるようなデザインのリキシャを。それが「リキシャアーティスト」の手によるものだと知ったのは、バングラデシュに発つ直前だった。

 リキシャの装飾を芸術の域にまで高めた人・リキシャアーティストはいまでは数えるほどしかいない。リキシャを注文する人々が求めるのは「安いこと」「丈夫であること」「派手なこと」の三点だけなので、手の込んだ(だから高価な)絵付けを頼む人はほとんどいないのだ。




【これはリキシャペイントの「定番」である映画俳優の絵。これはこれで面白いけど、オリジナリティーは感じられない】


 僕が特注リキシャの制作を依頼したアフメッドさんは、そんな絶滅寸前のリキシャアート界を代表する一人だった。アフメッドさんの得意分野は農村風景から風刺画、シュールな動物画まで幅広く、最近は外国人からの注文も多いという。
 素朴で明快でなおかつほのかなユーモアが漂う。そんなアフメッドさんの絵はとてもバングラ人らしい。技巧的な上手さとは違った部分で、「これぞバングラだ!」と思わせるようなオリジナリティーを持っている。

 僕がリキシャ一台を丸ごとアートで飾って欲しいと言うと、アフメッドさんは意外にも顔をしかめた。
「それは可能だが、時間がかかるんだ。最低でも3週間は見てもらわないと」
「3週間ですか?」
「そうだ。ただブリキの板に絵を描くだけなら2日もあればできる。でも幌も座席もすべて込みでやるとなると、3週間以上かかる。すべて私一人が手作業でやっているからね。下塗りのペンキの乾きも待たなくちゃいけない」

 困ってしまった。バングラデシュに滞在できる期間を考えると、3週間もダッカでリキシャの仕上がりを待つのは不可能だった。
 とりあえずバングラデシュを走るのは普通のリキシャでもいいだろう。日本人リキシャ引きがバングラを走る、というのが旅の目的だからだ。でも日本を旅するときにはアフメッドさんの美しいリキシャを使いたい。多くの日本人にリキシャアートのポップさや面白さを知ってほしいからだ。

「それなら、私のリキシャを使ってくださいよ」
 三田さんからメールが届いたのは、僕がダッカで思案に暮れているときだった。
 独力でNGO「ショブジョ バングラ」を組織し、バングラデシュで10年以上も活動を続けている三田さんは、アフメッドさんを僕に紹介してくれた人でもあった。一年前、三田さんはNGOの広報活動のためにアフメッドさんが制作したリキシャを一台輸入した。それは「走るアート作品」と言ってもいいような素晴らしい出来映えだった。
「リキシャを置いていた駐車場がちょうど工事に入ってしまうんです」と三田さん。「だからそのあいだ三井さんにリキシャに乗ってもらえたら、私も嬉しいんです。リキシャって飾るものじゃなくて乗るものだから」

 渡りに船、とはこのこと。僕は二つ返事でその申し出を受けることにした。
「あのリキシャは本当の自信作なんだよ」とアフメッドさんは僕に言った。「あんな風に自分のアイデアをたくさん盛り込んで仕上げたリキシャはほとんどないんだ。私はいろいろな人からアートの注文を受けるし、外国人からのリクエストも多いよ。でもあのリキシャにはバングラデシュの本当の風景、美しい思い出が詰まっているんだ」

 そんなわけで、リキシャはいま亀戸の車庫で静かに出発を待っている。
 旅先でリキシャを見かけたら、ぜひ細部にまでじっくりとご覧くださいね。
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by butterfly-life | 2010-02-19 19:46 | リキシャでバングラ一周
ミスター・ママの挑戦
 バンコクに住んでいる友人ウィリアムがついに本を出した
「絶対に退屈しない、リアルでクールな英語学習本」
 というキャッチフレーズにふさわしい本だ。使っている英語はとてもシンプルだけど、ぐいぐいと引き込まれる魅力的なストーリー。フランス人、中国人、日本人へのインタビュー。ありきたりの例文ではなく、生きた英語を味わうことができる。テキストだけでなく、ウィリアム自身が撮影し編集したビデオと音声が入ったDVDも付いてくる。これで2600円はお得だと思う。

「ねぇマサシ、君は英語で書かれた本をまるまる読み通したことがあるかい?」
「ノー。一冊もないよ」
 僕は正直に答える。大半の日本人がそうであるように。辞書を引きながら英語の長文を読むのは面倒くさい。よほど英語に自信がある人か、意志が強い人でないと難しい。
「でも、この本なら読み通せる。実際、これを読んだ日本人はみんなそう言っている。『英語を読むのがこんなに楽しかった事はない』って」


 ウィリアムは1年半前に一家揃って松江からバンコクに引っ越してきた。高校の英語教師の職を捨てて、決まった仕事を持たないままバンコクに住み始めたのだ。
 日本にいるときはウィリアムが家計を支え、奥さんのレイカさんが子供たちの世話をしていた。それがバンコクに来てから、立場が完全に入れ替わってしまった。レイカさんがフルタイムの仕事を持ち、ウィリアムが子供たちの面倒を見ている。
「ミスター・ママだよ」
 とウィリアムは言う。日本流に言えば「主夫」だ。
「子供たちはすごく好奇心が強いんだ。長男のジディが『お父さん、ジョージ・ワシントンって誰?』って聞く。それに答えると、すぐさま次男のティオが「お父さん、このスナックは何でできているの?」って聞いてくる。その10秒後にはまた長男が『バラク・オバマについて教えて』。きりがないんだよ」

 去年僕がバンコクにある彼の自宅を訪れたときも、さっそく息子たちから質問攻めにあった。
「ねぇマサシ、あなたは何歳? 誕生日はいつ? タイのお金って持ってる? チェスはできる?」
 ミスター・ママの日々の奮闘ぶりが目に浮かぶようだった。
「子供たちにもいろんなタイプがいる。自分の世界を作って、その中で黙って遊ぶ子供もいる。でもうちの息子たちは、いつも外からの刺激を求めている。それに応えるのは大変だよ」



 わんぱく盛りの子供たちは、かたときもじっとしていなかった。ウィリアムは長男がソファの上でぴょんぴょんと跳ね回るのをたしなめ、誰がトイレで粗相をしたのかと問いつめ、お菓子の袋が開けられないと泣き始めた次男に「自分ではさみを使って開けなさい」ときっぱりと命じた。
 自分では「甘い父親だよ」と言っているが、子供の言うことを何でも聞くような甘さはまったくない。子供たちが自分でできることは、自分の力だけでやり遂げさせる。そしてちゃんとやり遂げたら言葉だけじゃなくて全身を使って褒める。それがミスター・ママのやり方だった。

「日本のサラリーマン夫とは全然違うだろう? 彼らは家に帰ると、ふんぞり返ってビールを飲みながらテレビを見て、あとは寝るだけだ。子供と一緒に過ごす時間なんて少ししかない。子育ては母親に任せっきりさ」
「いや僕らの世代には、そんな夫は少ないんじゃないかな。みんな家事に協力しているし、子育てだってすると思うよ」
 僕はそうフォローした。そんな亭主関白な夫は、日本でも淘汰されつつあるのではないか。少なくとも僕の周りにはいない。
 でもそうはいっても、今のウィリアム夫妻のように、夫が家で子育てをして妻が外に働きに出ているという「逆転夫婦」の例は日本ではほとんど聞いたことがない。労働環境がそれを許さないというのもあるだろうし、「男の沽券」に関わるという意見も根強いのかもしれない。



 ウィリアムの二人の息子は、バンコクの旅行者街であるカオサン通りの路地裏にある小さな学校に通っている。ウィリアムは毎日子供たちの送り迎えをする。そのあいだ、いろんな国の友人たちと挨拶を交わす。
「カオサン通りには欧米人、インド人、アラブ人、日本人、いろんな人種の人々がいる。肌の色なんて誰も気にしない。ニューヨークよりもカラフルさ。そこが気に入っている。この世界がいろんな人たちで成り立っているって事が、肌でわかるところだから。それは子供たちにとってかけがえのない経験になるはずだ。彼らは学校でタイ語を習い、家では英語と日本を話している。たくさんの刺激があって、それで彼らは成長している」

 実際、子供たちは雑然としたバンコクの街でのびのびと暮らしていた。ウィリアムは路上の果物屋が不潔な手で食べ物を触るのが許せないようだが、子供たちは全然気にしていない。むしろ「お父さん、そんなの気にしちゃダメだよ」とたしなめているほどだ。喧噪に満ちたカオサン通りにも、大人だってちょっとひるむような薄暗い路地裏にも、すっかり慣れている様子だった。

 子供の環境に適応する能力というのはすごいものだと思う。きっと彼らは自分たちが母親と父親にしっかりと「護られている」という安心感を持っているのだ。自分たちが愛されていると日々実感しているのだ。だからどこに住もうと自分らしく振る舞うことができる。

「僕は子供たちに自分の信条を押しつけようとは思わない。情報は与えるよ。でも最終的には子供たち自身に選んでほしい。彼らのアイデンティティーはすごく複雑だ。日本人とアメリカ人の間に生まれて、今はタイで育っている。何人かと聞かれても簡単には答えられない。それは彼ら自身が答えを見つけ出さなきゃいけないことなんだ」



 一家の住むアパートのバルコニーからは、雑然としたバンコクの町が一望にできる。特に夕方の眺めは最高だ。
 レイカさんはこのバルコニーでヨガのトレーニングをし、子供たちはときどき「UFOを呼ぶダンス」をする。両手を頭の上で合わせて、腰をクイクイと振る。本当にそれでバンコクの空にUFOが現れるのかは知らない。

「息子たちは日本で生まれて日本で育ってきた。だから日本の学校に通わせるべきだという人もいた。でも僕は気にしなかった。子供はどこにいても学ぶことができる。子供たちの教育に対して責任を持っているのは親なんだ。学校じゃない。確かに日本の教育レベルは世界的に見ても高いし、日本人の親は子供にたくさんのお金を使っている。でも僕には日本の子供たちがあまり幸せそうには見えないんだ。もし日本の子供が本当に幸せなら、毎年3万人以上の日本人が自殺をするはずがない。ヘイ、3万人だぜ! あんなに安全で豊かな国で。何かが間違っているとしか思えない」

 ウィリアムの目には、日本社会はあまりにも窮屈で不自由だと映っていた。子供たちに「やりたいこと」をリストアップさせるのではなくて、「やってはいけないこと」を並べ立てる社会に、居心地の悪さを感じていたのだ。
「デルクイハ ウタレル」
 と彼は笑う。自分の子供たちをそうさせたくはない。彼自身がいつも「出る杭」であって、打たれたら折れないように強く太くなればいい、という考えの持ち主だから。

「世界一の富豪で投資家のウォーレン・バフェットは、自分の子供にはまったく財産を与えなかった。学校を出たら自分の力と才覚だけで生きていきなさい、というのが彼の教育方針だったんだ。僕はバフェットのやり方に賛成だ。もっとも僕には子供たちに残せるような財産はこれっぽっちもないけどね。僕が残せるのは、僕らが一緒に過ごした時間や、かけがえのない経験だよ。子供たちはじきに成長して独り立ちしていく。自分の力だけで生きていくようになる。そうなったときに、失敗を恐れることなく困難に立ち向かえる人間になって欲しい。子供たちに望むのはそれだけだよ」



 そんな子育ての日々の中で、ウィリアムは「English Groove Book 1」を作り上げた。いろんな人にインタビューをし、原稿を書き、本のデザインやビデオの編集までこなした。
 道のりは平坦ではなかった。企画から出版にこぎ着けるまで4年以上もかかってしまったし、WEBでの販売がメインだからまだ大きなセールスは見込めない。これが本当にビジネスとして成り立つのか、一家の行く末がどうなるのか、不安が消えることはない。
 それでも彼は前向きだ。このプロジェクトが成功すると信じている。成功させなくちゃいけないと。

「この本は『15分聞き流すだけで英語が話せるようになる』みたいなインチキ教材とは違うよ。英語はそう簡単には上達しない。でも本当に興味が持てるトピックを注意深く聞いていれば、毎日少しずつ向上するはずだ。大切なのはセレブが宣伝していることでも、『寝ている間に英語が話せる』なんて甘い夢を与えることでもない。リアルでクールでなおかつ面白い教材を提供することだよ」
 ミスター・ママの挑戦は、まだ始まったばかりだ。


※ 本気で英語を学びたい人は、ぜひ彼のサイト「englishgroove」を訪れてください。無料サンプルが豊富に用意されています。そしてもし気に入ったら、ぜひ本を注文してくださいね。
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by butterfly-life | 2010-02-08 20:51 | その他