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28日目:うがみんしょーらん(鹿児島県奄美大島)
 奄美の天気予報は当たらない。昨日知り合ったサーファーの若者からそう聞いていたが、本当にその通りの一日になった。
 午前中は激しい土砂降りの雨。これではとてもリキシャを漕げないので、ホテルのロビーで待機する。11時頃になってようやく雨が止んだのだが、それからも雨が降ったり止んだり、強い風が吹いたり止んだり、目まぐるしく天候が変わった。


【ホテルで働きながらサーフィンをしている若者。今日の波はいまいちだったそうだ】

 サトウキビ畑を貫く一直線の道を走っていると、古い自動車を運転したおじさんが「ちょっと、ちょっと」と言いながら車から降りてきた。
「そ、そ、それはあんたの三輪車かいのー?」
 おじさんは眼鏡の奥で細い目をしばたたかせながら言った。ずいぶん興奮しているみたいで、口の端から白い泡を吹き出している。
「そうですよ。これで日本を縦断しているんです」
「わ、わ、わしもなー、実は三輪車で日本を一周しようって思てんのよー」
 ほ、ほ、ほんとですかー、とつられそうになってしまった。これほどコテコテの大阪弁を話す奄美の人も珍しい。関西出身なのだろう。
「わしの三輪車っちゅうのは、あんたのと違ってな、電池が付いとるんよ。でもペダルを漕がんと動かんのや」
「電動アシスト?」
「それや! わしはもう70やから、あんたみたいな元気はないの。でもな、日本一周ちゅうんが昔からの夢なんよ」
「その車があるじゃないですか?」
 僕はおじさんの古い車を指さして言った。黄色に塗られたニッサンの自動車。あちこち痛んでいるのか、銀色のテープを貼って補修している。
「こ、こ、これはな、今月末で廃車。もう車には乗らん。というのもな、エコなんや。ち、ちきゅうがやばいことになっとるんやな。あんたも知ってるやろう? 地球がぬくなってるのは自動車がガソリンを燃やしすぎるからや。わしもこの車に22年乗っとるけどな、もうお別れ。これからは自転車に乗る」
「あの、おとうさん、車のエンジン止めた方がええんと違いますか?」
 僕は試しに言ってみた。さっきから車のアイドリング音が気になっていたのだ。
「あれはかまへんのや」
 とおじさんは一蹴した。あらら、そうなの。
「つまりな、問題はエコなんや。だからわしは三輪の自転車で日本を旅する。原点に戻るためや。昔はみんな人力で移動しとった。そうやろう? それが石油を掘り当てたおかげで、みんなそれに頼った生活を送るようになってしもた。それが全ての問題のおおもとにあるんや。わしはこの旅でそれを訴えよう思とるんよ。あんたもそうと違うんか?」
 僕は今回のリキシャの旅で、環境問題を声高に訴えるつもりはない。僕は自動車よりも自転車の方が好きだし、健康的な乗り物だと思っているけど、リキシャはまた別物である。車よりもリキシャの方がすばらしいなんてとても言えない。雨にも風にも弱く、きわめて不便な乗り物であることが痛いほどわかっているからだ。
「ま、あんたはあんたのやり方でやればええわ。人それぞれに目的は違うからかまへん。でもわしはエコを訴えるんよ、三輪車でな」
 おじさんは生まれも育ちも大阪だったが、60を過ぎた頃に奄美に移住することにした。祖父が奄美の人間だったからだ。以来、サトウキビを作っているが、ここのサトウキビ農業のあり方には大いに疑問を持っている。サトウキビは実勢価格の4,5倍もの値段で買い取られており、補助金目当ての農業に成り下がっているからだ。
 強い風が吹くサトウキビ畑のそばで、僕らは1時間ほど立ち話をした。おじさんはいったん話し出すと止まらないタイプで、口から泡を飛ばしながら自分の半生や環境問題に対する自説を熱っぽく語った。僕は人の長話を聞くのが決して嫌いではないのだが、ずっと車のエンジン音のことが気になって仕方なかった。
 結局、エコを語るおじさんの車のエンジンは、1時間ずっとアイドリングし続けていたのだった。それでほんまにええの?


【サトウキビ畑】


【中学校の野球部のメンバー。みんな丸刈りにヘルメットです】

 奄美大島でのサトウキビの収穫時期は1月から3月なので、今は島中の大型トラックがフル稼働で畑と製糖工場のあいだを往復している。サトウキビは収穫してからすぐに加工しないと腐ってしまうので、農家ごとにいつどれだけ収穫するのかの割り当てが決められている。
 トラック運転手のおじさんはかつて京都で働いていたのだが、やっぱり都会よりも島の方がいいと戻ってきたUターン組である。
「ここはほんとにのんびりしとるでしょう。今は収穫時期やから忙しいけど、一年の半分は暇になるんよ。そのときは海で魚を捕ったりしとる。ここの海なんて『いけす』みたいなもんよ。素潜りで銃を使ったらブダイなんかがすぐにとれる。仕事で漁をしてるわけやないから、売ったりはせんよ。自分たちで食べるか、欲しい人に分けるかするだけ」
 島で出会う人の多くが、いくつかの仕事を掛け持ちしていた。半農半漁、大工と農家、トラック運転手と漁師。常にひとつの仕事、ひとつの肩書きで暮らすのが当たり前になっている都会のサラリーマンには想像しにくいことだけど、農業や観光業などの季節変動の大きな仕事をしている人にとっては兼業が当たり前なのである。


【バンダナがよく似合っていたトラック運転手のおじさん】


 名瀬に戻ってから、地元ラジオ局「あまみエフエム」の番組に生出演した。昨日、たまたまリキシャの姿を見かけたラジオ局のスタッフから「もし暇があったら出演してください」と頼まれていたのだ。生の情報番組の開始は夕方6時。僕がラジオ局の前に到着したのは5時50分。息つく間もなくすぐに本番が始まった。
 「あまみエフエム」は電波が届く範囲の限られたコミュニティーFMだが、意外にも広いオフィスときちんとした収録スタジオを持つプロの現場だった。パーソナリティーの米澤さんもディスクジョッキーらしいはきはきとしたしゃべり方で番組を進行していく。
「よねや、うがみんしょーらん!」
 という挨拶で番組がスタート。これは奄美の方言で「こんばんわ」を意味しているのだそうだ。地元の人同士が奄美の方言を話していると、僕にはまったく意味が理解できない。最初に聞いたときは本当に驚いた。イントネーションとか言い回しの違いというレベルを超えているのだ。「方言」ではなく「外国語」と言った方が近いのかもしれない。これならまだネイティブの話す英語の方が理解できる。
 しかし若い世代ではこの奄美方言を話せる人が激減している。父親と祖父が話している会話を孫が理解できないということが実際に起きているのだ。このままでは独自の言葉が滅んでしまう。言葉が滅びるということはひとつの文化が滅びるということ。それではいけないと、ようやく若者にも奄美の言葉を伝える動きが広がっているのだそうだ。
 ラジオ出演は2,3分の予定だったが、そんな短時間でリキシャ旅が語れるはずもなく、10分以上べらべらと喋った。考えてみたらラジオ出演は生まれて初めての経験だったが、とても楽しかった。高校生の頃、夜中に「オールナイトニッポン」や「ヤングタウン」を聞いていたのを思い出した。
「きばてぃくりしょれよー」
 最後にパーソナリティーの米澤さんが言ってくれた。奄美の言葉で「がんばってね」の意味だ。
 はい、明日もがんばります。
 きばてぃくりしょれよー!


【あまみエフエムのスタジオでパーソナリティの米澤恵美子さんと】


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本日の走行距離:38.3km (総計:971.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:725円 (総計:20890円)

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by butterfly-life | 2010-03-30 23:20 | リキシャで日本一周
27日目:みきと黒糖とトゥクトゥクと(鹿児島県奄美大島)
 朝3時半に起きた。フェリー会社に電話して、今日の奄美大島行きの船がどこの港から出るのかを確かめる必要があったからだ。
 幸いにして風が収まり、海は荒れていないので、泊まっている宿にほど近い湾港から出るとのこと。もし昨日と同じように島の南側の早町港から出るとなれば、真夜中におよそ10キロの道のりをリキシャで走らなければいけないところだった。ほっと胸をなで下ろす。



 フェリー「あまみ」の出港は5時すぎ。2時間足らずで奄美大島の名瀬港に到着する。
 喜界島に比べると名瀬は都会である。コンビニもファミリーレストランも大型スーパーもある。離島とはいっても奄美大島はその名の通り日本で5番目に「大きな島」なのである。人口も多い。
 その奄美大島でどういうルートを通って旅するのかはまったく決めていなかった。相変わらずの行き当たりばったりぶりには自分でも呆れてしまうのだが、島のことは島の人に聞けばいいと思っていたのだった。名瀬に着いてから数人の人に聞いたところ、どうやら島の南部は山が峻険でリキシャでは相当にタフな道のりになるらしい。
「今トンネルを掘っとるんよ。一番の難所にな。でも完成するのは5年後やから、また5年後においでや」
 そう言われても困るのだが、とにかく名瀬の人の意見は「北部に行く方がいい」ということで一致していた。わかりました。それじゃ北に向かいましょう。

 北部へ向かう道はアップダウンは多いものの、急な坂道はほとんどないので走りやすかった。この数日間不機嫌な表情を続けていた空も、ようやくぱっと明るくなって、初夏を思わせる陽気だ。空は青く、海も青く、山の緑も実に鮮やかだ。心地よい汗が噴き出す。久しぶりのリキシャ日和だった。



 国道58号線を走っているときに、白塗りの配達車に乗ったおじさんから呼び止められた。あんたどこ行くの? 北部? トンネルがあるから気ぃつけてなー。これ飲んで頑張りなさいよ。
 おじさんがくれたのは「平のみき」と書かれた紙パック飲料だった。「みき」というのは奄美で昔から飲まれている健康飲料で、原料は米とさつまいもと白糖である。
「まぁ甘いおかゆみたいなもんかねぇ。これは今朝作ったばっかりやから美味しいよ。2,3日おいたら酸味が出てきてまたうまい。昔はねぇこれをご飯代わりに飲んどったんよ」



 さっそく飲んでみた「みき」は、確かに飲み物というよりは食べ物に近いもので、コーンポタージュスープ程度のドロドロ感がある。ほのかな甘みのあるおかゆと言ったらいいだろうか。消化には良さそうなので、島のお年寄りが好んで飲んでいるというのもわかる。
 この「みき」配達おじさんはなかなかユニークな人で、いったん話し出すと止まらない。「みき」の話から始まって、「ユタ」と呼ばれる土着の神様の話、山奥にいると噂されている幻の猿の話、妖怪の話などなどを次から次に話してくれるのだった。沖縄や奄美などの島々には、神道や仏教やキリスト教が入る以前からのアミニズム的信仰がまだ残っている。急斜面の山と深い森を見ていると、その理由がなんとなくわかる。あの森は人が「敬って遠ざける」場所、神様の領域なのだ。

 喜界島と同じように奄美大島もサトウキビ生産が盛んで、名産の黒糖を作る製糖工場が各地に点在している。その中のひとつ「水間黒糖」は今でも伝統的なやり方でサトウキビから黒糖を作っている工場である。
 巨大なバットの中にサトウキビの絞り汁を入れ、その下で燃料を炊いて水分を蒸発させる。木のへらで2時間ほどかき混ぜると、どろどろに煮詰まってくる。それを攪拌機に入れ、容器の上で冷やすと、黒糖の出来上がりである。
 今と昔で違うのは燃料に薪と重油を使っている点で、重油を使うと高温で燃えるので黒い煙が出ないのだそうだ。それにしても暑い水蒸気がもうもうと立ちこめる現場での仕事は過酷だ。
「そりゃそうよ。冬はいいけど、夏は大変よ」
 と言うのは60年以上前から製糖工場で働いてきたという大ベテランの職人さん。昔は鹿児島にも出荷していたが、今は奄美だけで売っているのだそうだ。黒糖はあまり日持ちのしない食べ物である。湿気に弱く、奄美のように高温多湿の土地ではすぐにカビが生えてしまう。サトウキビ100%で保存料などは一切加えていないからだ。だから黒糖は作りたてが一番美味しいのだと毎週買いに来ている地元のおばあちゃんが教えてくれた。
 インドやバングラデシュでもこれと同じ製法で粗糖を作っていた。機械化・自動化の進んだ日本で、このように「見てすぐにわかる」やり方を続けているのはすごいことである。最新式の工場には効率の点で負けるのかもしれないが、素朴な味わいの黒糖にはこのやり方が似合っている。作っている職人の汗が見えれば、味だって変わってくるはずだ。




【製糖工場で働くベテランの職人さん】




 龍郷という町のそばで、トゥクトゥクとすれ違った。
 なぜ奄美にトゥクトゥクが? 
 その気持ちは相手も同じだったのだろう。僕らはお互いの三輪車を止めて、しばし「アジアの三輪車」談義に花を咲かせたのだった。
 トゥクトゥクとはタイを走る三輪タクシーのことである。その昔、中古のミゼット(オート三輪)を日本から輸入して、そこに後部座席や幌を付け足してタクシーとして売り出したのが始まりだという。その独特のエンジン音から「トゥクトゥク」という愛称が自然発生的に付いたそうだ。今ではタイでもタクシーが普及していてトゥクトゥクの台数は減る一方だが、外国人のなかにはトゥクトゥクの派手な外観を愛するマニアも多くて、輸出もされている。日本には関東地域を中心に50台ほどが入っていると、代理店の社長に聞いたことがあった。
 彼はこのトゥクトゥクを210万円で買ったそうだ。バンコクで買えば30万円ぐらいなのだが、輸送費、税関、車検登録、その他諸々の諸費用がかさんでそこまでになってしまった。



 それにしてもなぜトゥクトゥクなんて買ったのだろう?
「奄美にも一台ぐらいトゥクトゥクがあっても面白いんやないかなと。それにこれを使って商売が出来んかなと思ってね。トゥクトゥクでホテルの送迎をやればお客さんには受けると思うけど、それは無許可でのタクシー営業になっちゃうからダメなんよ。だからこれに観光客を乗せてガイドをすることを考えとる。でもほんとは商売抜きにして、ただ単に俺が乗りたかったからなんだけど」
 この人、トゥクトゥクに負けず劣らず派手な格好である。レインボーカラーのセーターに白いハンチング帽を被り、かっこよく髭を伸ばしている。マイク真木風のちょいワルオヤジだ。
「奄美ってトゥクトゥクとかリキシャが似合う土地だと思うよ。ペースがね、ゆっくりしとるから。これもメーターは140kmまでついてるけど、実際に出せるのは40kmぐらいだし、海岸線をのんびり走っていると気持ちがええのよ」
 確かに奄美の青い海と強い日差しに、トゥクトゥクの原色のカラーリングはよくマッチしていた。赤を基調にした僕のリキシャと青を基調にしたトゥクトゥクが並び立つと、ここが一体どこの国なのかわからなくなる。



 今日もリキシャは地元の人の声援と差し入れを原動力に走り続けた。ミカン、里芋、ドーナツ、そして黒糖、道行く人は気前よく地元の名産品を分けてくれた。
 ばしゃ山村の近くに住む老夫婦からもらったのはサネン餅。餅米と紫イモをまぜたものに、サネンという植物の葉を巻いて蒸したチマキのようなものである。何かお祝い事があると作るもので、笹を巻いたチマキよりも葉っぱの匂いが濃厚だった。

 笠利町の集落では喪服姿の人々に取り囲まれて、一緒に記念写真を撮った。これから94歳で亡くなったおばあさんの四十九日の法要を行うのだという。
「お坊さんが来るのを待っとったら、なんか派手な乗りもんがきよったから驚いたわ」
 法要といっても、なにしろ94才の大往生だから皆さんとても明るい。奄美のお年寄りも長生きの人が多くて、100歳を超える人も何人もいるそうだ。
 そんなことを話していると袈裟を着たお坊さんが登場。さっそく法要が始まるが、なぜか僕も引き留められ、縁側でお茶をご馳走になった。
「ここはえぇところよ。気候もあったかいし、海はきれいじゃし、果物はおいしいし。マンゴー、みかん、柿、なんでもおいしいよー」
 島のおばあはにこやかに話す。僕は漬け物と黒糖をボリボリと囓りながら緑茶を飲み、おばあの話にそうですかと相づちを打つ。はす向かいの部屋ではお坊さんの読経が始まっている。あれ、俺は今何をしているんだろう、と我に返っておかしくなる。
 漬け物も黒糖もうまかった。島の味がした。



 今日泊まることになったのは、笠利町の海沿いにあるリゾートホテル「コーラルパームス」。広々としたツインルームから青い海と、手入れの行き届いた庭と、丸いプールが見渡せる。絵に描いたようなすてきなリゾートホテルである。もちろん値段だってそれなりに高いはず。節約型の旅を続けるリキシャ引きには明らかに分不相応なホテルである。こんなところにタダで泊めていただいたのは、支配人の斉藤さんと出会ったからだった。
 斉藤さんは僕がリキシャを押しながらえっちらおっちら坂道を歩いているときに、車から降りてきて「あんたどこから来たの?」と声を掛けてくれたのだった。もし泊まるところが決まっていないんだったら、この先にうちのホテルがあるから泊まったらいいよ、と。従業員用の寮が空いているから、そこならタダで泊めてあげられるから。
 そのお言葉に甘えて「コーラルパームス」に行ってみると、従業員用の寮ではなくて、宿泊客用のツインルームが用意されていてびっくりしたというわけだ。太っ腹な斉藤さん、どうもありがとうございます。
「何年か前に、自転車で日本一周をしている男をうちに泊めてあげたことがあったんだ。そうしたら居心地がいいって2ヶ月も居ついちゃってね。でも最終的には日本一周をやり遂げたんじゃないかな」
 彼の気持ちはよくわかる。こんなところで数日を過ごしたら、ハードな旅に戻るのが億劫になってしまうに違いない。一日、もう一日と滞在が延びた結果、気がつくと2ヶ月が過ぎていた。浦島太郎みたいな話だ。

 僕もそうならないように気をつけないといけない。
 沖縄は目の前。まだまだアクセルを緩めるときではない。

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本日の走行距離:40.8km (総計:932.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:130円 (総計:20165円)

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by butterfly-life | 2010-03-30 08:06 | リキシャで日本一周
26日目:キャッチフレーズのない島でいいじゃないか(鹿児島県喜界島)
 喜界島に到着したのは午前5時40分。ほぼ定刻通りだったが、到着直前になって「海が荒れていてワンコウには接岸できませんので、ソーマチコウに到着します」という船内アナウンスが流れた。詳しいことはわからないが、どうやら予定とは違う場所におろされるらしい。
 後でわかったことだが、喜界島にはフェリーが接岸できる港がふたつあって、「湾港」と呼ばれる北側の港は島の中心街に隣接しているのだが、南側の「早町港」は中心から10キロほど離れているのである。



 周囲に商店も何もない場所に夜明け前に下ろされてしまったので、とりあえずフェリー会社の待合所で夜が明けるまで待機することにした。
「あんた寒いときに来たねぇ」と待合所のおじさんが言った。「おとといまではよー、温かくてTシャツ1枚で過ごせるぐらいだったんだけど、いやー今日は冬みたいに寒いわ」
 もちろん僕だって温かい南国の島旅を満喫したいと思って来たのだけど、お天道様は思い通りにはならないので仕方がない。ここのところ天気に見放されている日が続いていたから、まぁ雨が降っていないだけでもよしとしなければいけない。

 7時半に待合所が閉められたので、追い立てられるように出発する。とりあえず島の北端に向かい、そこから中心街である湾に向かうことにする。
 リキシャを漕ぎだしてから10分もしないうちに、建設事務所のおじさんに呼び止められた。5円タクシーっていうのはなんだか面白そうだから、うちの孫たちを乗せてやってくれないか、と頼まれたのだ。あい、ようござんすよ。リキシャに乗っておじさんの家まで行くことになった。


【サトウキビ畑に立つ栄さん】

 栄さんは建設会社の社長である。子供が7人いて、孫は25人以上(正確な数はよくわからん)いる。大家族である。建設業のかたわら農業もやっている。特産のサトウキビ作りと畜産。牛は50頭ほどいる。
 栄さんの奥さんが朝食にトーストを焼いてくれた。そこにバターを塗って黒糖ザラメをふりかけて食べる。バターにザラメなんていかにも太りそうだが、
「白砂糖は太るけど、黒糖は天然のアルカリ食品じゃから太らん」と栄さんは主張する。「わしのお腹が出てるんわ酒のせいよ。黒糖焼酎を毎日飲むよ。酒だけじゃなくてつまみも食べるからなぁ」
 この家では山羊も飼っているので、その肉もつまみにするそうだ。独特のクセがあるので子供たちには不評だが、山羊の肉は島の人にとっては懐かしい味、郷土の味のようだ。


【サトウキビの収穫機は巨大だ】


【サトウキビを囓るのは初めてだという】

 サトウキビがちょうど収穫の時期を迎えているというので、栄さんの畑に連れて行ってもらった。サトウキビは3月に植えて翌年の3月に収穫する「春植え」と、9月に植えて1年半後に収穫する「夏植え」の二種類があるという。今は「春植え」の収穫時期で、切り倒されたサトウキビが巨大な網に入れられて、製糖所に運ばれるのを待っていた。
 喜界島のサトウキビから作られた黒糖はとりわけ味がいいと評判なのだそうだ。喜界島はもともと珊瑚礁だった場所が約10万年前に隆起して生まれた。他の島よりも歴史が浅いぶん土壌に含まれるミネラル分が多く、それが農作物の味を良くするという。
「わしが子供やった頃は、お菓子なんてなかったから、いつもサトウキビを囓っとったんよ」
 栄さんはそう言って皮を剥いたサトウキビを囓る。一緒に連れてきた孫娘たちにもサトウキビを渡すが、二人は「こんなん食べたことなーい」と顔を見合わせている。
「今はチョコレートやケーキなんかがいろいろあるからな」と栄さんは苦笑いする。「でもこういうものを噛んでいたから、昔の人はみんなアゴが丈夫よ」
 サトウキビはかたくて筋張っているが、噛むと意外にジューシーだ。東南アジアではこのまま絞って氷とライムを入れて、とびっきりうまいサトウキビジュースを作る。暑い日には一日何杯も飲んだものである。






 島の北部で声を掛けてきたのは吉内さん。モスグリーンのつなぎを着て、エグザイル風の茶色いサングラスを掛けたいかつい格好だったので、最初は少し警戒していたのだが、話してみると実に気さくなおじさんだとわかった。
「この自転車バングラデシュから来たの? 僕はねぇ、若いころ船乗りしとったんよ。貨物とか石油タンカーとかの操舵をしとって、世界中いろんな国に行ったよ。南米、北欧、中東にも行った。いやーあの頃はほんとに楽しかったなぁ」
 昼食は吉内さんに誘われて、家でご馳走になった。
「まぁちょっと散らかってて悪いけど、気にせんといてくれな」
 と苦笑いする彼のあとについて入った家は、その言葉通りなかなかのものだった。コンクリート敷きの床に割れたガラスや耳かきやビールの空き缶や古新聞などが無造作に散らばっている。下着類はすべて部屋の真ん中につるしたロープに掛けてあって、それが汚れ物なのか洗濯したあとのものなのかはすぐには判別できない。ベッドの上の毛布は元の色がわからないほど汚れていて、その上に猫が二匹ちょこんと座っている。まるで山小屋にいるみたいなワイルドな暮らしぶりだ。
 この「山小屋」の隣には新しい家屋が建築中である。大工である吉内さんが一人で作っている。2年前から着工しているのだけど、他の仕事をやりながらだからなかなか進まない。今年中には何とか完成にこぎ着けるつもりだという。
「だから今は女房も子供も実家に返しとるんよ。ここに寝泊まりしてるんわ僕一人だけ。でも一人の方が気楽でええよ。猫もおるしね。ベッドに入ると、いつも猫が隣にやってくるよ。猫を抱いて寝ると温かくてね」





 吉内さんは大きな臼の上に置かれたガスコンロで昼食を作り始めた。キクラゲと野菜の炒め物、目玉焼き、それにご飯。味付けは塩と醤油だけのシンプルで豪快な男の料理である。でも材料が新鮮なのでとても美味しかった。キクラゲは今日山には入って取ってきたものだそうだ。野菜や米も自分で作ったものやもらい物ばかりで、その気になれば全然お金を使わないでも生活できるのが島の良さだという。
「僕はお金で失敗しとるんですよ。大失敗。昔は大工の棟梁をしとったんだけど、そのときにちょっと天狗になってしまってね。毎晩飲み歩いたりしているうちに借金が増えてしもうた。サラ金ですよ。多重債務者」
 借金がかさんだせいで畑も売り払うことになった吉内さんは鬱状態になり、一時は自殺まで考えたという。でもこのままでは子供たちに恥をかかせることになるという思いから立ち直り、何とか借金を返済して今に至っている。
「借金生活をしとった頃は目つきが怖かったって、周りの人も言いよったよ。そりゃそうなるよ。人を信じられんようになるから。でもいい経験だったよ。あれを乗り越えたから、今はすごく幸せに感じるんよ」
 目玉焼きをかすめ取ろうと顔を出した猫の首をつかんでひょいと放り投げながら、吉内さんはそんなことを語った。人間も動物。犬や猫と同じ。それが彼の信条だ。これからは大工のかたわら野菜を作ってのんびりと暮らしていくつもりだという。



「喜界島はえぇところよ。きれいな海があって山の緑がある。岩礁もすごく絵になるんよ。でもずっとこの島で暮らしよる人は、ここの良さがあんまりわからんのと違うかな。僕は若い頃に船乗りをして、大阪でも働いていたから、ようわかるんよ」
 山の恵みのキクラゲを食べながら、僕は少し懐かしいような気分に浸っていた。散らかり放題の家がなんだかとても居心地が良かったのだ。それはきっとこの家の様子がネパールの山村で泊まり歩いた農家にとてもよく似ていたからなのだと思う。汚れた毛布、ロープに掛けられた衣類、散らかった床、焼酎の匂い、犬猫と一緒の暮らし。アバウトだが温かい生活感がある。奄美群島とネパールはほぼ同じ緯度にあるから、国は違えども南国の気質というものは共通しているのだろうかと考えたりもした。



 あまり細かいことを気にせずに自分の好きなように暮らしている吉内さんは、自ら言うように周囲から「鼻つまみもの」なのかもしれない。確かに少々変わった人である。
「でも僕はごまをすってまで人に好かれようとは思わんのよ。嫌う人がいるのはしょうがない。島の人間は結束力は強いけど、そのぶん悪い噂は10倍になって伝わるからなぁ。でも中には僕を気に入って仕事をくれる人もおるし、それで暮らしていけるんよ。僕はねえ、自分が死んだ後に『あいつはいい奴だったな』って思ってもらえるように生きたいんよ」


【サトウキビ畑を貫くまっすぐな道】

 吉内さんと別れて、再びサトウキビ畑の道を走り出す。風の勢いは朝よりも強まっている。肌寒いどころではない。ウィンドブレーカーを着ていても寒い。サトウキビが風を受けて大きくしなっている。
 そんな中登場したのは町役場の広報担当の方。町の人の報告を受けて、さっそくリキシャを取材しに来られたという。宮崎でもそうだったが、地元メディアのフットワークの軽さには驚かされる。ただ単に暇なのかもしれないが、何か変わったことがあったら即行動する反応の早さには感心してしまう。
 いつものようにリキシャ旅のあらましを説明したあとで、僕の方から逆取材させてもらう。広報の植村さんはもともと東京の証券会社で働いていたという経歴の持ち主だった。島の方言も一切出さずに、完全に「都会の人間」として暮らしていた。でも証券会社で働いていると、お金にまつわる人間の表裏、汚い部分をイヤというほど見せられることになった。お得意先の老舗のお菓子屋さんが株に失敗して突然夜逃げをしたこともあった。そんなこんなで都会暮らしにも疲れ、故郷の喜界島に戻ることにした。
「最初の数年は都会が恋しくて仕方なかったですね。夜の街の賑わいとかが。田舎の濃密な人間関係も苦手でした。島の町役場の職員なんて暇そうに思えるんだけど、これが案外忙しくてですね。いろんな相談事を受けたり、地域の行事にも顔を出さなければいけなかったり。でも何年かするうちにそれにも慣れて、今ではすっかり島の人間ですよ」
 広報の仕事といっても、小さい島のことである。何か特別な事件が起こるわけでもない。老人クラブの運動会や、作文コンクールで入選した小学生の取材などがほとんどだ。でもそういう仕事もやってみると意外に楽しかった。



「喜界島の一番の問題はやっぱり人口減少でしょうね。これはどうしようもないです。大正時代には1万5000人以上いたらしいんですが、今は8100人。毎年減っています。公報の裏に「今月生まれた人」と「今月亡くなった人」の名前が一覧で載るんですけど、生まれるのは毎月5,6人で、亡くなるのは十数人ですから。学校も統廃合が決まっているんです。9つあった小学校が2つに、3つあった中学校はひとつになります。子供たちはスクールバスで通うことになるでしょうね」
 建設会社の栄さんも、廃校が決まった校舎をどう利用するのかが問題だと言っていた。そのまま放置しておくとすぐに幽霊屋敷のようになってしまう。家賃はタダでいいからどこかの企業を誘致したいが、こんな離島に来てくれる企業はなかなかいない。物流コストがかかりすぎるからだ。
「喜界島は農業の島です」と広報の植村さん。「サトウキビもそうだし、白ゴマの生産量も全国一なんです。喜界島で作った農産物は味がいいから、プロの料理人の間では名前が知られているんです。だからブランド力のあるものを作って売り出したい。でも島の土地は限られていますからね。全国的に売り出すにはあまりにも生産量が少ないという問題もあるんです」


【収穫したサトウキビをクレーンで積み込んで、製糖所に運ぶ】

 喜界島は観光化を諦めた島だという。海水浴に適した砂浜も少ないし、交通の便もインフラの整備も沖縄とは勝負にならない。無理に観光地化を進めて失敗した他の島の例も見てきた。だから農業の島で行くというのが町の方針だ。
「最近、役場の職員でこの島のキャッチフレーズを考えようとしたことがあったんです。でもなかなかいいものが思いつかなかった。海がきれいなのも、サトウキビ畑も、何もこの島だけのものじゃないですからね」
 キャッチフレーズのない島。それはそれでいいんじゃないかと部外者の僕は思う。無理に観光地や郷土品を作ってそれを売り込もうと悪戦苦闘している田舎町の姿は、心情としては理解できるものの、正直言って痛々しい。
 何もないのなら、潔く「何もない」でいい。どこまでもサトウキビ畑が広がり、美しい海に囲まれ、緩やかに時間が流れる島。それで十分じゃないかと思う。
 少なくとも僕は「何もない」この島のことが好きになったのだから。


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本日の走行距離:20.8km (総計:891.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:60円 (総計:20035円)

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by butterfly-life | 2010-03-28 20:50 | リキシャで日本一周
25日目:雲に隠れた桜島(鹿児島県鹿児島市→喜界島)
 今日も朝から雨が降っていた。これで三日連続の雨である。
 参ったなぁ、今日も濡れリキシャかぁと思っていたのだが、荷物をまとめているあいだに雨は上がってくれた。

 国分から鹿児島市までは海沿いの道だから比較的平坦で進みやすい。しかし国道10号線はその交通量のわりに道幅が狭すぎるので、ときどき僕のリキシャが渋滞を引き起こしてしまった。申し訳ない。
 道幅が狭いのは、海岸線の間際まで峻険な山が迫っているからである。広い道を作るスペースがないのだ。大型トラックやトレーラーがばんばん走っているので、騒々しくて排気ガスもひどい。走っていて気持ちの良い道ではなかった。


【鹿児島湾には漁のためのフローティングハウスが並んでいた】

 風景は雄大だった。鹿児島の象徴である桜島がどーんと目の前にそびえている。残念ながら今日は雲が多くて山の全体を見ることはできなかったが、それでもこの活火山のスケールは十分に感じることができた。
 そういえば去年行ったパプアニューギニアのラバウルも桜島と同じように活火山があり、今でも噴煙を上げていた。僕らが取材で火山の近くに行ったとき、ちょうど噴煙と夕立が同時に起こって、黒い雨が降ってきた。車のボディーがたちまち真っ黒になるほどの大量の灰を含んだ雨だった。鹿児島の人は桜島の噴煙に悩まされていると聞くが、あんなものが空から降ってきたらそりゃたまらんよなぁと思ったものである。


【雲に隠れた桜島をバックに派手リキシャ】

 国道10号線を走っているときに、軽自動車に乗った男性が後ろから声をかけてきた。
「やっぱりここを走っていましたか。いやー、会社を抜け出してきたんですよ」
 彼はここから車で1時間ほど離れたところで働いているのだが、僕が鹿児島市に向かっているとブログに書いているのを読んで、いてもたってもいられなくなって追いかけてきたのだそうだ。
「リキシャを一目見ておきたくて。あの、うちの会社にはこのことは内緒なんで、写真はNGってことで」
 わかりました。そりゃ「会社を休んでリキシャを見に行った」なんてことがバレれば、ちょっとまずいことになりますよね。
「で、今から会社に戻るんですか?」
「いいえ。午後からはもう休みです」
 どうやら彼はリキシャ休暇を取ったらしい。

 鹿児島市までは35キロの道のりなので、午後2時過ぎには市内に入ることができた。幸いにして雨が降り出すこともなく、気温も10度までしか上がらずに涼しかったので、体力的には楽な一日だった。
 鹿児島の港近くで、軽トラックを運転しているおじさんと話をした。おじさんは薪で焚くお風呂を作る仕事をしているという。ガス給湯器や電気温水器がこれほど普及した現代になぜ「マキ風呂」なのかと不思議に思うのだが、おじさんによればマキ風呂は安いしエコなのだという。
 森林が豊かな鹿児島の田舎では、その気になればいくらでも燃料用の薪が集められる。いらない間伐材などをタダで引き取って、風呂で燃やすことができるらしい。つまり燃料コストはゼロである。タダより安いものはなし。
 問題はマキで風呂を焚くのが面倒だということだ。ボタンひとつ、というわけにはいかない。温度調節も容易ではない。沸くのに時間もかかる。だから実際にマキ風呂を導入しようという人はあまり多くはなく、おじさんも儲かってはいないようだ。


【マキ風呂のおじさん】

 鹿児島市は都会だった。「天文館」という不思議な名前の通りを中心に、活気のある商店街、飲み屋街、若者向けのファッション街などが並んでいる。東京圏や関西圏にいるとこういう街の成り立ち方が当たり前のように感じるけれど、全国に散らばる地方都市はどんどん分散化、チェーン店化が進み、味気ないものになっている。多様なお店が共存するためには、ある程度の人口規模が必要だということなのだろう。

 鹿児島港の北埠頭から喜界島、奄美大島に向かうフェリーが出ている。本日はこれに乗って喜界島に向かう。
 フェリー乗り場の前には、僕を待っているおじさんがいた。ブログを見てわざわざ見送りに来てくださったのだ。
「あんがい普通に乗ってるんやねぇ、リキシャ」と言われる。リキシャが町を走るともっと大騒ぎになるのかと思っていたらしい。
 場所にもよるけれど、大騒ぎになるなんてことはまずありません。ほとんどの人はちらっと横目で見ておしまいなのです。えー、なになに、それどーしたのよ、ちょっと、なんて話しかけてくる人はごくたまにしかいないのです。たとえばこれがバングラデシュだと、「おい、ガイジンがリキシャに乗っとるぞ」と村中が大騒ぎになるんだけど、そこがバングラ人と日本人の国民性の違いなのですね。

 フェリー「きかい」は午後5時半に港を出港した。最も安い2等(8800円)は仕切りのない大部屋で、12人のお客と一緒に眠る。もっとガラガラなのかと思っていたが、意外に混んでいた。20歳前後の若者が多かい。春休みを利用して帰省しているのだろう。
 風が強く海が荒れていたので、船はかなり揺れたのだが、それでも案外ぐっすりと眠れた。左右の大きな揺れが揺りかごのように眠りを誘ってくれたのかもしれない。

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本日の走行距離:40.0km (総計:871.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:1150円 (総計:19975円)

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by butterfly-life | 2010-03-27 08:16 | リキシャで日本一周
3月28日BSジャパンに出演します
 3月28日(日)22:00~ BSジャパンの番組「畑づくりは人づくり~アジアの明日を担う若者たち~」に三井が出演します。
 今回はリキシャとは関係がありません。アジアからの農業研修生を受け入れているNGO「オイスカ」を昨年1年かけて取材したドキュメンタリーです。
 ご自身も農業に励んでおられる俳優の永島敏行さんとお話ししたり、アジア各地からやってきた研修生たちのひたむきな姿を写真に収めたり、取材でパプアニューギニアのジャングルの村に出かけたりと、貴重な経験をさせてもらいました。BSデジタルが見られる方はぜひご覧くださいね。

 紹介する写真は、この番組の取材で訪れたパプアニューギニアで撮ったもの。子供たちのパワーを感じました。
 その他の写真はこちらにあります












バナナの葉っぱはパプアにおける標準的な雨よけである。もし外で雨が降り始めても、そこら中に生えているバナナの葉を折り取って差せばいいのだから、傘を持ち歩く必要なんて無いわけだ。合理的である。芋の葉を傘代わりに差すこともある。これは「となりのトトロ」がバス停で差していたやつである。


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by butterfly-life | 2010-03-24 21:15 | パプアニューギニアの写真2009
23日目:賭けに負けた日、雨降りの日 (鹿児島県霧島市国分)
 朝食はサリカさんの実家でごちそうになった。サリカさんはお父さんがインド人、お母さんが日本人のハーフで、そのこともあってか僕のリキシャに興味を持ってくれて、いろいろと話すうちにじゃあ明日は朝ご飯を食べにいらっしゃいと誘っていただいたのである。
 サリカさんはハーフらしく目鼻立ちの大きな美人なのだが、話す言葉はばりばりの都城弁なので、そのギャップが面白い。4才までインドで暮らしていたのだが、今ではヒンディー語も英語も忘れてしまったという。


【サリカさんとお母さん、居候のゆうこちゃん】

 サリカさんのお母さんはいかにも「九州の肝っ玉母さん」という感じの陽気でさばけた人で、会ってから5分もしないうちに僕のことを「マー君」と呼んでしまうほどである。長年、都城で居酒屋をやっていたそうで、困った人がいると助けずにはいられない性分なのだという。
「昔は店に来た人がよくそのまま店に泊まっていったもんよ。盗られても困るもんなんてなんにもないから。安もんのお酒とかビールしか置いてないし。アハハハ」

 今でもこの家には居候が二人いるそうだ。失業中で釣りが大好きなゆうこちゃんと、林業のかたわらジムでトレーニングを続ける女子プロボクサーというなかなかユニークな取り合わせ。そのほかにも入れ替わり立ち替わりいろんな人がこの家にやってきて、お茶を飲み、話をして、ついでにご飯を食べて、お酒も飲んで帰っていく。来る者は拒まず、去る人は追わず、というのがお母さんのモットーなのだ。
「今は居酒屋も息子に継いでもらって、毎日笑いながら暮らしとるんよ。人からのもらいもんだけで十分に食べていけるけんね。甘いもんが欲しいというと、おはぎを10個も持ってきてれる人がおったり、大根くれるいうても1本やないのよ。ひと箱どーんと持ってきよる。あまったもんを人にあげると、その人がまた別のものをくれたりして、いつも冷蔵庫はもらいもんでいっぱいなんよ。だから遠慮なんかせずに好きなだけ食べればええんよ、マー君」
 朝のテーブルに並んだのは、3種のソーセージ、レタスのサラダ、煮物、だし巻き卵、きんぴら、漬け物、梅干し、味噌汁、ご飯。とても朝食とは思えないほど豪華だった。もちろんすべてお母さんの手作り料理で、とても美味しい。


【サリカさんの甥っ子。インド人の血が4分の1入っていて、とてもかわいい男の子だ】

 朝食をごちそうになったうえにお昼のお弁当まで持たせてくれたサリカさんとお母さんに別れを告げて、鹿児島県国分に向かう。
 今日は朝から分厚い雲が空を覆っていて、いつ雨が降り出してもおかしくない天気だったから、出発するべきか都城にとどまるべきかでずいぶん悩んだ。ネットの天気予報は二つに割れていた。「ウェザーニュース」では朝から断続的に強い雨が降り、明日は曇り時々雨という予報。一方「日本気象協会」のサイトでは今日は曇り時々雨で、本格的に雨になるのは明日だと予報していた。直前の予報がこれほど違うのも珍しい。それだけ予想しにくい天気だということなのだろうが、さてどちらを信じたらいいのだろう?

 結局、雨を覚悟で先に進むことにしたのは、今日も明日も動けないという事態は避けたかったからだ。とにかく今は雨が降っていないのだから、このまま降らない方に賭けてみようと思ったのだ。
 しかしその賭けは僕の負けに終わった。出発してから1時間半ほど経ったところで、ついに雨が降り始めたのだ。しかもかなり本格的な降りである。雷鳴が轟き、嵐のような土砂降りになる始末。まさかここまでの降りになるとはね。
 とにかくどこかで雨宿りをしようと、目についた会社の車庫にリキシャを入れた。実はここは汲み取りトイレ用のバキュームカーが何台も並ぶ清掃会社の車庫だったのだが、贅沢は言っていられなかった。若干においはするが、土砂降りの雨に濡れるよりははるかにましである。


【ガソリンスタンドで出会った仲良しきょうだい】

 1時間ほど雨宿りをしていると、一時的に雨が上がったので再出発する。しかし10分も経たないうちにまた雨脚が強くなってきた。やれやれ、嫌がらせみたいな降り方だね。
 今度の雨宿り先はプレハブ建築のモデルルーム場だった。様々なタイプのプレハブが10個ほど並んでいる。一応事務所もあるのだが、人の気配はない。「どうぞご自由にご覧ください。用事がある方は下記の番号まで」と書かれた張り紙がある。どのプレハブにも鍵はかかっていないので、勝手に見に来て、勝手に中に入ってもいいのだろう。気に入ったら電話して商談をする。アバウトな商売である。

 しばらく雨が止みそうになかったので、プレハブのひとつに上がり込んで休憩することにした。プレハブとはいえ勝手に人の家に入るのは後ろめたかったが、「ご自由にご覧ください」というのだから住居不法侵入というわけではないだろう(もしそうであっても見逃してね。プリーズ)。ちなみにこのプレハブは6畳ほどの広さがあって30万円という格安物件だった。
 トタン屋根が雨に打たれる音を聞きながら横になっていると、いつの間にか眠りに落ちていた。目を覚ますと雨は上がっている。急いで荷物をまとめてリキシャにまたがる。



 ピークはもう過ぎたようだが、その後も雨は強まったり弱まったりを繰り返しながら降り続けた。リキシャも体もぐっしょりと濡れる。でも出発したからにはもう引き返せない。ずぶ濡れでも、とにかく前に進むしかない。
 霧島市牧ノ原まで、だらだら坂をひたすら上っていく。急な上りではないが、雨で靴の裏が滑りやすくなっているので、いつもより踏ん張り効かずに難儀する。このあたりは濃霧が発生していて、視界が非常に悪くなっていた。信号機の色さえも識別困難なほどの霧だ。もちろん自動車はヘッドライトをつけ、僕もリキシャの前後に取り付けたLEDライトを点滅させているのだが、片側一車線の国道でいつ追突されるかと気が気ではなかった。

 牧ノ原から国分までは一気の下り。でもいつもの「下りボーナス」のような爽快感はまったくない。雨の日はリキシャのブレーキの効きも悪くなっているから、ブレーキを握りしめながら慎重に慎重を重ねて下っていく。幸いにして、下り坂に入るころには濃霧も消え、雨も一時的に止んでくれたから走りきれたが、もっと悪いコンディションだったらと考えるとぞっとする。
 国分に到着したのは午後6時過ぎ。何とか日のあるうちに辿り着けたのは幸運だった。


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本日の走行距離:41.7km (総計:831.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:18825円)

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by butterfly-life | 2010-03-24 13:30 | リキシャで日本一周
22日目:都城の良さはなに? (宮崎県都城市)
 5日間ずっと走りっぱなしで筋肉が悲鳴を上げていたのと、向かい風が強かったために、昨日は一日ゆっくりと体を休めていた。それでも朝リキシャを漕ぎ始めてみると、まだ体は重く気怠かった。向かい風の中を無理に進んできたのがダメージとして残っているようだった。

 宮崎市を出て西の都城市に向かう。中盤までずっと上り坂の続く山越えルートである。幸いにして風はほとんどなく、からっと晴れ上がって気持ちがいい。
 今日はたくさんの方から差し入れをいただいた。たこ焼き屋のおばちゃんが焼いたばかりのたこ焼き1パックをくれたり、車に乗っている若い女性がカロリーメイトとスポーツドリンクの入った袋をさっと手渡してくれたり(マラソンの補給地点のようだった)、中年のご夫婦が「これ作ったばかりやけど」とまだほかほかと温かいおにぎりを渡してくれたりした。
 お墓参りに行く途中だというおばさんは、お茶とパンをくれたあとに、「しっかり食べんとあかんよ。それから睡眠も大事やからね。あんたを見てると、横浜で一人がんばっちょる息子を思いだすんよ」と言った。ありがとうございます。息子さんの分まで(?)がんばってペダルを漕ぎます。


【たこ焼き屋を30年以上続けているというおばさん】


 宮崎県南部では桜はすでに満開状態。25度を上回った一昨日の陽気で、一気に開花したようだ。きつい坂を登りきったところに桜並木があったので、リキシャを止めて一休みする。いただいたばかりのおにぎりをほおばり、お茶を飲む。頭上のウグイスが澄んだ鳴き声を響かせる。汗がすっと引いていく。
 小学校の遠足もこんなだった。みんなで山に登り、歩き疲れた頃、見晴らしのいいところでお弁当を広げる。ただのおにぎりなのに、すごく美味しく感じるのか不思議だった。そう、空腹は最大の調味料なのだ。


【満開の 桜の下の 春リキシャ】


 軽自動車のおばさんからいただいた「おーいお茶」の缶をふと見ると、面白い俳句が書いてあった。「伊藤園・新俳句大賞」で佳作を受賞した8歳の作品。
<じてん車でどこまでいくかきめてない>
 お、俺のことじゃん、と思ってしまいましたよ。どこまで行くのか、どこまで行けるのか、決めていないけれどもとにかく進もう。
 8歳でこの気持ちを言葉にできる彼は、将来きっと立派な(?)旅人になることでしょう。どこまで行ってもいいんです。気持ちのおもむくまま、限界を決めないまま、進んでください。


【ニンジンを収穫する農家のおやじさん】


 青井岳を過ぎてようやく下り坂になる。山之口から都城盆地に入る。とても静かな農村地帯が続く。道路にはトラクターの姿がちらほら。道ばたに座り込んで世間話をしているおじさんが「ここはえぇところよ。静かで何もないけどな」と言う。
 このあたりは畜産が盛んな土地で、巨大な牛舎がいくつもならんでいた。黙々と与えられたエサを食べ続ける牛たちが、リキシャがそばを通りかかると興奮した様子でこちらにぬっと首を突き出すのだった。闘牛が赤い色に興奮するように、この牛たちもリキシャの強烈な赤に反応しているのだろうか。


【なんかヘンなものが来たぞ、と牛も興奮気味】


 都城市は宮崎県で第二の人口を擁する主要都市なのだが、駅前もなんだか寂しくて、とても「都市」と呼べるような規模ではなかった。ちょっと大きめの田舎町といった風情。
 そのせいなのか、都城の市街をリキシャで走っていると頻繁に声をかけられた。本職のタクシー運転手が「わしも5円タクシーに乗せてくれ」と言ってきたり、カップルと一緒に記念写真に収まったり、とにかくにぎやかである。宮崎市内での反応とはまるで違っていた。


【「5円タクシー」のライバル(?)本物のタクシー運転手。飲み会が終わる夜が稼ぎ時だ】


「これから日本全国を回るんだったら、ぜひ都城の良さを伝えてくださいね」と若い女の子から言われる。
「都城の良さっていうのはなに?」
「人が温かくて、気候が良くて、チキン南蛮が美味しいこと」
 なるほどなるほど。気候の良さも、人の温かさも、まさに今日ずっと感じてきたことである。
 で、三つ目のチキン南蛮だけど、ようやく今日の夕食で食べる機会に恵まれた。もちろん美味しかった。




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本日の走行距離:57.8km (総計:789.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:2725円 (総計:18825円)

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by butterfly-life | 2010-03-23 22:43 | リキシャで日本一周
20日目:農業高校生の夢 (宮崎県宮崎市)
 強烈な向かい風の中を進むのは、リキシャにとって一番タフな状況だと言ってもいいかもしれない。山道ももちろんきついが、上りの後には必ず「下りボーナス」が待っている。しかし向かい風はいつまでも向かい風である。途中で追い風に変わるようなことはまずない。

 今日は向かい風の一日だった。風速7mから15mほどの猛烈な南風が休むことなく吹き続けていた。日差しも強く、夏のような陽気で、最高気温は29度にまで達した。「北風と太陽」ならぬ「南風と太陽」の一日。僕はTシャツに短パンにサンダルという夏仕様の格好でリキシャを漕いでいたが、それでも暑かった。
 風速が7、8m以上だと、平地でもリキシャを漕ぐのが不可能になる。リキシャを降りて引っ張るしかない。10mを越えると、引っ張って歩くことすら難しくなる。立ち止まって風が弱まるのを待つ。リキシャが背負っている幌を取っ払ってしまえば楽になるのだが、この幌がデザイン上の特徴だからそうするわけにもいかない。
 風が弱まった隙を見計らってリキシャにまたがる。「風の目」を盗んでペダルを漕ぐわけだ。いつまた風が強まるかわからないが、弱まっているあいだにできるだけ距離を稼いでおく。


【強風のためになぎ倒されたレストランののぼり旗】


 そんな風にして風と格闘しながら進んでいるときに、3人の男の子が近寄ってきた。リキシャに乗せて欲しいという。そりゃ構わないが、どこに行きたいんだい?
「公園。ここまっすぐ行ったところ」
 と一人が言う。そして彼が100円玉を出す。
「これでお釣りください。5円で乗れるんでしょ?」
「わかった。3人乗るんやったら、いくらお釣りをあげたらいいの?」
「・・・わからん」
「なんでや? 1人5円やったら、3人乗ったら何円になる?」
「15円!」
「そうやなぁ。じゃあ100円出して、お釣りはいくら?」
「80円!」
「ちがう」
「105円!」
「なんで増えるんや」
「95円!」
「君ら適当やなぁ・・・」
 学年を訊ねると三人とも来月に二年生になるという。小一には二桁の引き算は難しいのか、「100-15」の答えは結局誰にも出せなかった。やれやれ。そこでリキシャのお兄さんは85円を返しましたとさ。

 三人は初めて乗るリキシャに大喜び。目的地の公園まで連れて行ってあげると、質問タイムになった。
「どこから来たんですか?」
「この自転車はバングラデシュって国よ。インドの隣にある」
「どうして日本語が話せるんですか?」
「いや、俺は日本人よ」
「あのー、シンシャですか?」
「そうよ、これは新車よ。買ったばっかりよ」
 僕が答えると三人は黙り込んで顔を見合わせてしまった。何かまずいことを言ったのだろうか?
「お兄さんはフシンシャですか?」
「不審者! 違うよ。何でそんなこと聞くん?」
「先生がフシンシャにはついていってはいけませんって」
 これには参った。不審者だか変質者だか知らないが、「危険なので近づかないように」という要注意人物に疑われてしまったのである。でも自分から「乗せて」と言ってきたくせに、「不審者ですか?」はないよねぇ。

 おそらく近年のセキュリティー意識の高まりによって、先生および保護者から「不審者にはついていってはいけませんよ」というアナウンスがくどいほど繰り返されているのだろう。以前にも書いたことがあるが、これは変質者や誘拐犯の「現実的な増加」を反映しているのではなくて、あくまでも「子供の身に危険が迫っている」と考える親が増えたという主観の問題である。あらゆる統計は少年犯罪も子供に対する犯罪も減少していることを示しているからだ。
 それはともかく、ど派手なリキシャを漕いでいる男は広い意味での「不審者」であろう。「あんた何してるの?」と言われたら返す言葉のない人間、イレギュラーな存在である。
 ま、子供たちにとってもこれも勉強のひとつ。「なんか怪しいけど、実はそうでもない人」と「一見感じが良さそうだけど、実は目が笑っていない人」との区別がつくようになってもらいたい。これは大人にとっても難しいけどね。


【延岡市内で見つけた看板。言ってることはわかるけど、「イカのおすし」って緊迫感に欠けるよね】


 宮崎市に到着したのは高鍋を出発してから6時間後の午後4時。わずか30キロの道のりだから、普段の倍の時間がかかったことになる。半分以上は歩いていたから当然なのだが、それにしても疲れた。

 今日の目的地は、宮崎市内にある県立宮崎農業高校である。去年の11月、この高校の生徒たちが僕の写真を元にして折り鶴を使ったモザイクアートを制作してくれたのである。自分の写真がこんな風に使われるのはもちろん初めてのことなので、ぜひこの目で見ておきたいと思ったのである。

 高校の正門前に到着すると、生徒さんたちが笑顔と花束で出迎えてくれた。ありがとう。向かい風の疲労も一気に吹き飛んでしまった。さっそく実習室に保存されているモザイクアートを見せていただく。
 で、でかい。高さが3m、幅が2m近くもあるこの巨大な作品が、すべて折り鶴でできているというのは驚きだ。全部で3万4000羽の折り鶴が使われているそうだ。生徒一人あたり千羽ずつ折ったという。「千羽鶴」という言葉は広く知られているが、実際に自分の手で千羽の鶴を折った人はあまりいないのではないだろうか。根気がなければできない。


【モザイクアートの前で。生徒さんと比べるとその大きさがよくわかりますね】


【写真を元にしてグラデーションマップを作り、8色の折り鶴でモザイクを作ったそうだ。近づくと確かに鶴です】


「最初、先生に『今年の文化祭の出し物は、みんなに千羽鶴を折ってもらう』って言われたときは、正直『えぇー』って思いました。同級生の中には鶴を折ったことがない子もおったし。すっごく時間がかかって大変でした。一羽折るのにだいたい1分として、1000分でしょう。だから・・・あれ何時間だったっけ」
「17時間ぐらい」
「そう。毎日1時間とか2時間ずつ折り続けて、最後には手が覚えてしまって、テレビを見ながらでも折れるようになったんですよ。大変やったけど、完成したときは『うわ、すげぇー』って感動しましたよ。やって良かったと思った」



 僕はこの作品のモデルとなった少女サリタの話をした。サリタはネパールの山村に住む貧しい農家の娘だ。小学校も1年しか通えなくて、早くから家の手伝いをして暮らしてきた。この写真を撮った当時は6才だったから、そろそろ16才になる。もう結婚してもおかしくない年だ。サリタの母親も16歳の時に結婚しているから。ネパールでは子供が子供でいられる期間は短い。職業選択の幅も狭いんだ。そんな話をした。

 農業高校と聞いて男子生徒が多いんだろうと勝手に想像していたのだが、実はこの3年F組は36人中33人までが女の子なのだという。宮崎農業高校には5つの学科があるのだが、その中でも「食品工学科」は食品の製造や栄養について学ぶので、製パン業や製菓業を目指す女子学生が多いのだそうだ。
 この日集まってくれた生徒(この3月で卒業しているので、今は元生徒だ)の中にも、パティシエを目指している人がいた。久保田ともみさん。好きなお菓子はチーズケーキ。世界中のお菓子を食べ歩くのが夢。数日後には福岡の製菓専門学校へ入学することが決まっている。
「結婚するんだったら、同じパティシエが理想的ですね。二人で宮崎にお店を出すんです」


【3年F組の元生徒たちと担任の平川先生】

 3年F組の進路は様々だが、一番の変わり種は浜山こなみさん。彼女は農業をやりたいという。農業高校の生徒が農業を目指すのはごく普通のことのようにも思えるのだが、実家が農家でもなく(床屋なのだそうだ)、食品工学科という「畑違い」の生徒が農業をやりたいと言うのは極めて異例なのだそうだ。
「この高校に来て農業実習をしてから、農業って面白いなって思うようになったんです。タネってこんなにちっちゃいでしょう? それがキュウリや大根みたいにおっきく育つ。なんでこうなるっちゃろってすごく不思議で。将来育てたいのはトマトなんです。実は私、トマトが食べられないんです。なんか青臭いやないですか。あれが苦手で。でも、一度だけこの学校の畑でとれた夏のトマトだけは食べられた。甘かったんです。だから私が食べられるような美味しいトマトを作りたい。商品名まで考えてあるんです。『トマト嫌いの作ったトマト』って」
 トマトが好きだからっていうのならわかるけれど、嫌いだから作りたいというのはずいぶん面白い発想である。浜山さんは考え方だけではなくて、見た目もなかなかユニークで、黒のつなぎにバスケットシューズ、頭は金髪パーマという、「どこのヤンキー少年か」と思わせるようなパンチの効いたスタイルであった。
 しかしこの浜山さん、現役の高校生だったときには成績も優秀で、3年間学級委員長を務めていたという。姉御肌というか、兄貴分というか、みんなから頼りにされる存在なのだろう。
「もちろん今だけですよ、こんな髪型ができるのも。来月から農業大学校に入るんで、また髪も黒く戻しますよ。実家が床屋だから、これ全部お父さんにしてもらったんです。お父さんも同じ髪型なんです。兄弟みたいって言われます」
 なるほど、彼女のユニークさは父親譲りというわけだ。
「この春休みにはいろんな農家で働かせてもらってるんです。農業をやるんだったら農家とのネットワークも作っておかないといけないから。昨日はキュウリを収穫して、今日は田植えを手伝って。だからこんな格好なんですよ。農家のおばあちゃんは、私を見ると『あんら、若い男の子がきたー』って言うんですけどね」


【そりゃ男の子に間違われても仕方ないね】


 彼女たちと話をしていて驚くのは、18歳の段階ですでに将来の目標が具体的に定まっているということだ。パティシエ、農業、栄養士、公務員、それぞれに目指す方向は違うけれども、それに至る道筋ははっきりしている。
 僕自身が18だった頃はそうではなかった。将来の具体的なビジョンや就きたい職業について、ぼんやりとしか把握できていなかった。「なりたいもの」と「なれるもの」との区別もついていなかった。はっきり言えば選択することから逃げていた。大学へ通うことのメリットは、選択を先送りすることだと考えていた。

 同級生の中には大阪や東京に出て行った子もいるが、多くは地元にとどまっている。
「やっぱり宮崎がいいんっすよ。東京は1週間もいられないっすねぇ」と浜山さん。「東京の人って歩くの速くないですか? 宮崎の人はみんな歩くの遅いんっすよ。そういうペースなんですよ。東京じゃ落ち着かない。やっぱり暮らすなら地元だなぁって思うんですよね」
 一度都会へ出て行った人も、しばらくすると地元へ戻ってくることが多い。サケのようなUターン。
「実は私も出戻り組ででしてね」
 と会話に加わったのは、ちょうど取材に来られていた宮崎日日新聞の記者の方。
「もともと東京で携帯電話会社に勤めておったんですよ。でも、あるとき上司の引っ越しを手伝いに行ったことがありましてね。その人は課長でけっこういい給料をもらっているはずなんですが、引っ越し先が埼玉のマンションだったんですよ。それがショックで。え? 課長になっても一戸建てが買えんのか、と。それに気づいてから、なんだか全てがばかばかしくなってきましてね。一生懸命残業して、毎日往復2時間も満員電車に揺られて、それで小さなマンションですかと。だったらもう地元に帰ろうと」
 宮崎では土地70坪と一戸建て住宅が2600万円で買えるそうだ。首都圏では考えられないレベルである。東京には仕事がある。給料も高い。でも住みやすさという点では地方に軍配が上がる。宮崎は気候も暖かくて食べ物も美味しい。

 将来『トマト嫌いの作ったトマト』が売り出されることになったら、ぜひ食べてみたいと思う。
 でも案外、その前に彼女の「トマト嫌い」の方が治っちゃったりしてね。 


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本日の走行距離:38.6km (総計:731.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:15円 (総計:16100円)

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by butterfly-life | 2010-03-22 07:10 | リキシャで日本一周
19日目:トトロの町 (宮崎県・高鍋町)
 延岡の商店街を走っているときに、店先に古いカメラを置いた写真館を見つけた。「何式」というのかよく知らないのだが、撮影者が頭から布をかぶって撮る、ひどく大がかりなクラシックカメラである。
「これ、今でも使っているんですか?」と僕が声をかけると、写真館のご主人が答えた。
「いえいえ、これはもうずいぶん前から使ってません。でもこれを置いておくと、お客さんが立ち止まってみてくれるんでね」
 昭和42年に買ったという。僕が生まれる以前である。
「今はみんなデジタルになってしもたけど、うちはフィルムにこだわっとるんです。一発勝負やけ、緊張感がありますな。このカメラなんかフィルムやのうてガラス乾板を使っとったんです。現像するのも大変やったし、ストロボじゃなくてマグネシウムを発火させとったんです」
 こういう仰々しい機械を目にすると、昔は写真を撮るのも撮られるのも特別だったんだなぁと改めて感じる。家族が正装してポーズを決めて記念撮影をする。そういう時代があったのだ。いや、もちろん今でも結婚式や七五三などのイベントには写真館は欠かせないのだが、機動力も利便性も格段に上がったデジカメの出現で、写真が特別なものじゃなくなったのは確かだ。




【写真館のご主人がリキシャを漕ぐ姿を撮ってくださった】


 写真館にほど近いところに、草木染めの布製品を売るお店があった。ここのご主人は一目でリキシャを気に入ってくれて、さっそく「5円タクシー」の乗客になってくれた。こりゃ気分がええなぁ、とご満悦の様子。
 「ほくと衣料」というお店を経営する井上さんは、染色関係の仕事に長年携わってきた。それをやめて自分で染めたオリジナルの衣料品を売るようになったのは1年前から。桜の葉、桃、ぶどうなど様々な植物から抽出した染料で染めた布は、柔らかなグラデーションの色合いが特徴だ。染料に薬品を加えることによって染まり具合が変わってくる。
「だからといって、これが草木染めでしか出せないというわけやないんです。化学染料でも可能です。それに草木染めで染めた布はしばらく使っていると色が変わってくるんです。だから耐久性でも値段の面でも、化学染色にかなうわけがないんです」
「それじゃ、どうして草木染めを続けているんです?」
「そうやねぇ、これが自然から出てきた色だってことです。同じような色は化学染料でも出せるけど、これは間違いなく自然の色、生物から生まれた色なんです。今はみんな車に乗ってスーパーで買い物をする時代でしょう。日本人はあまりにも自然から離れて暮らしている。せめて身に着けるものの中にひとつぐらい自然から生まれたものがあってもええんと違いますか?」
 実際のところ、手作りの草木染め製品の売れ行きははかばかしくない。井上さん自身「こんなもん売れるわけがないわ」と自嘲気味に話す。お店の半分は既製品の婦人服売り場になっていて、収入の大半はそこから得ているそうだ。
「世の中にはものが溢れてるでしょう? いるものばかりじゃなくて、いらないものまで買っている。そんな中で本当に価値あるものを売っていきたいんです。まぁ商売にはならんけど、できるかぎり続けていこう思てます」


【草木染めの井上さん】

 延岡市を出て、国道10号線を海沿いに南下する。空は気持ちよく晴れているのだが、向かい風がきついのでなかなか前に進まない。
 途中に「土々呂町」という町名が目に入ったので、思わずリキシャを止めた。トトロ? ユニークな町名である。町工場のシャッターにも「となりのトトロ」のワンシーンが描かれていた。おそらくジブリに許可をもらっているのだろう。何しろ「トトロ町」なのである。



 僕は宮崎駿の映画の中では「となりのトトロ」が一番好きである。長い間ナウシカだったけれど、3年ぐらい前に久しぶりにトトロを見たときに、胸にがつんと来るものがあった。「これは僕が見てきたアジアそのものだ」と思ったのだ。
 「となりのトトロ」の中で丁寧に描かれている田舎の情景や子供たちの生き生きとした表情は、僕がベトナムやラオスやネパールなんかで目にしたものと同じだった。「トトロ」は奇妙なお化けを題材にしたファンタジーだけど、そこに描かれているのは国境を越えて普遍的な物語なのだと思う。かつて日本もアジアだった。そのことを思い出させてくれる映画なのだ。


【ここはバス停トトロケ。猫バスは走って・・・きませんよね?】


 閑話休題。リキシャの旅に戻ろう。
 国道10号線を走っていると、いろいろな人から呼び止められる。宮崎のおばちゃんは話し好きな人が多いらしく、一度リキシャを止めると矢継ぎ早にいろんな質問をぶつけてくる。
「ええですねぇ、青春の思い出で」
 と勝手に僕を大学生扱いするおばちゃんがいたり、聞いてもいないのに娘の通っている大学の名前(九州大学)を教えてくれたり、孫のインド旅行の顛末を話してくれたりする人もいる。挙げ句の果てに「次の選挙では公明党をよろしくな。国民の生活をしっかり守っとるけん」と選挙運動までされる始末。
 南国の人は明るい。それは四国から九州に渡ってくるとはっきりと感じる。口が軽いというか、気持ちがオープンな人が多いように思う。

 日向市を抜けて海沿いの道を走っていると、赤く日焼けした男性に呼び止められた。サーフィンに行こうと車に乗っているときにリキシャを見つけたので、慌ててUターンしてきたのだという。
 彼はこの近くでサーファー向けのゲストハウスを経営している。1泊1500円という安い値段で宿を提供し、必要な人にはアルバイトも紹介している。今は10人ぐらいの若者がブドウ農園でブドウの果実に袋を取り付ける作業をしているらしい。日給5000円。もしやりたかったら紹介しますよ、と言われてしまった。
 日向灘と呼ばれる海岸線にはサーフショップや民宿が点在している。ここはサーファーにとっていい波が来る土地なのだろう。バイトで稼ぎながら、天気のいい日には波乗りをする。なかなかいい暮らしだ。



 海が一望できるドライブインで、スーツ姿の若い男性に「ちょっといいでしょうか?」と呼び止められた。地元紙「夕刊デイリー新聞」の記者さんであった。なんでも「今しがた日向の町を妙な乗り物が通過していった」という謎の情報が市役所の職員さんからもたらされたそうだ。それで急きょ車で10号線を走って追いかけてきたらしい。そのフットワークの軽さはすごい。僕が日向市役所を通過してからまだ1時間も経っていないのだから。
 記者さんには旅の目的を訊かれた。これはよく訊かれることなのだが、そのときの気分で返す答えが違っている。いくつもの目的があるし、この旅を始めるときにも書いたように、結局のところは「面白そうだから」ということに尽きるのではないかと思う。リキシャで日本を旅するなんてバカなこと、やってみたら面白そうじゃないか。旅をはじめてそろそろ3週間になるが、その予感は間違っていなかったと思う。

 高鍋にたどり着いたのは6時半。本日はここに泊まることにする。
 今日の走行距離は62キロ。この四日間、毎日長距離を走っている。足の筋肉がオーバーワーク気味である。ひざも痛い。どこかで休まないと体が持たないなぁと思う。
 ビジネスホテルのフロントでは、なぜか運転免許証を見せてくれと言われた。なんでも免許証がゴールドなら通常より200円割安になるというサービスをしているらしい。どういう意図があるのかは不明だが、まぁお得になるのだから文句はない(幸いにして僕はゴールド免許だ)。

 リキシャを漕ぐのに免許はいらぬ。いるのは体力、バカな度胸。


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本日の走行距離:62.4km (総計:692.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:540円 (総計:16085円)

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by butterfly-life | 2010-03-21 13:04 | リキシャで日本一周
18日目:直川村の杉林 (大分県直川村)
 佐伯市を出発して国道10号線を南西に進む。可能であれば今日中に大分県を抜けて宮崎県延岡市に入りたいが、60キロ以上もの道のりなのでちょっと厳しいかもしれない。
 番匠川を渡って直見村に入る。だらだらと続く上り坂をリキシャを引っ張って歩く。国道10号線はJR日豊本線の線路と平行に走っているので、ときどき電車とすれ違う。とにかくトンネルの多い路線で、ガタンゴトンという列車の音は聞こえるものの、その姿はトンネルに隠れて見えないということがよくある。趣のある古いトンネル、渓流を渡る長い鉄橋など、鉄道ファンならずとも写真に収めたくなるようなロケーションが続く。しかし利用客も少ないローカル鉄道なので本数が少なく、なかなか姿を現さない電車を延々と待ち続けられるほど時間に余裕があるわけではないので、「撮り鉄」は諦めざるを得なかった。


【JR日豊本線・直見駅は無人駅だ】

 直川村は林業が盛んな村だ。山の斜面には背の高い杉の木が整然と並んでいる。伐採されて丸裸になった斜面もある。集落には丸太を加工する製材所も多い。これだけ杉が多いと花粉もたくさん飛散しているのだろう。白いマスクをしている人も多い。幸いにして僕はまだ花粉症ではないけれど。
 切り出した丸太を作業車で運んでいるおじさんがいたので、話を聞かせてもらった。鉄山昌美さんは中学校を卒業してから林業一筋60年のベテランである。息子二人も森林組合で働いている。代々この森とともに暮らしてきた。

「今は重機の力を借りるから、林業も楽にはなった。でも木材の値段が安うてなぁ、厳しいんよ。1リューベ(立方メートル)あたり8000円ぐらいかのぉ。『直見の杉』っちゅうたら酒樽に使いよったんじゃけど、今はあまり需要がなくてな。昔は造船所の進水式なんかに酒樽を使ったけぇ、今じぶんはそれもせんようになった。この杉は質がようないから、家の壁板なんかに使うんじゃ。これはちょっと育ちすぎなんやな。年輪が細かく詰まっとる木がいい木なんじゃ。これは太っとるな」







 鉄山さんの右手の人差し指と中指は、第二関節から先がない。杉を切り倒していたときの事故で失ったという。何トンという重量を相手にするだけに、一瞬でも気を抜くと大怪我をする仕事でもある。
「木がどっちに倒れるか見極めんのが難しいんよ。それに木が倒れようときに、倒れる木に気を取られとると、根っこが地面から持ち上がってきて怪我するときがある。ほうやなぁ、最近問題なんはシカが増えすぎとることやのう。新しく植えた杉を根こそぎ食べてしまいよる。畑の方も荒らすようになってな。けどイノシシは数が減っとるんよ。あれは肉がおいしいけん、捕りすぎたんじゃな。シカには一頭1、2万ぐらいの報奨金が出るから漁師が撃ちにいきよるけど、それでもなかなか減らんのよ」

 このあたりでは「イノシシ肉売ります」の看板を掲げた店を見かけることがある。イノシシ肉は鍋にすると美味しいらしい。シカの肉はまずくて誰も食べないのだそうだ。そういえば以前ラオスの山村で野生のシカの肉を食べたことがあったが、あまりうまいものではなかったという記憶がある。
 輸入材に押されて、国内の林業は衰退の一途を辿っている。採算が合わずに放置されている山も多い。鉄山さんが切り出した丸太は50年前に植えられたものだが、そのときは木材の需要が大きく伸びている時期で、林業が儲かっていた。だからみんなこぞって杉を植えたのだけど、半世紀後には状況がまったく変わってしまったのだ。


【猪肉の販売所。天然っていうのがいいですね。もし「養殖猪肉」ってのがあったら・・・それは豚ですよね】


 日豊本線・直川駅を過ぎたあたりから勾配がきつくなり、上り坂を休み休み進まなければいけなくなった。牛歩戦術。今日はこの上りに強い向かい風が加わったので、かなりきつかった。高度が増すごとに風も強くなっていく。大原峠を登りきったときには、商店ののぼり旗がちぎれんばかりの強風が吹いていた。
 峠にドライブインがあったので、そこで昼食を取ることにする。他には商店の類が一切ない山の中だけど、ドライブ客がそれなりにいるのか、3軒ほど食べ物屋が並んでいる。
 うどん屋のご主人は僕のリキシャを見るなり「にがけぇな」と言った。
「にがけぇ?」僕が聞き返すと、
「にぎやかだなってことよ」と奥さんが説明してくれた。その通り、にぎやかさがウリの乗り物なんですよ。
 このうどん屋さんで大分の郷土料理「だんご汁」を食べた。これはいわゆる団子が入っているのではなくて、味噌ベースの汁の中にすごく太いうどん状の麺とタケノコやシイタケなどの具材が入っているという料理だ。山梨の「ほうとう」に近い。
「ま、あんまりうまいもんでもないやろう?」
 とご主人。そんな風に言われると、なんと答えていいのか困ってしまう。
「郷土料理っちゅうんはそんなもんよ。今はいろんなうまいもんがあるけん。でも戦後の食糧難の時代はこれがごちそうやったんよ。米がなくて、こんなだんごとか『すいとん』とかを食べとったんよ」


【大分名物だんご汁】

 ドライブインから先はずっと下りである。今までの苦労が嘘のように快調に進む。風も弱まったようだ。そばを流れる鐙川の水は透き通って青い。空はからっと晴れ上がり、気分の良いサイクリング日和だ。ずっとこんな調子で旅が進めばいいのになぁなんて思ったりもするのだが、もちろん「上り」があったからこその「下り」なのである。苦労があったからこその楽なのである。

 大分県と宮崎県の県境を通過する。大分県には4日間しかいなかったが、なかなか密度の濃い旅ができた。さて宮崎県はどうなることか。
 直川村に入ってからすぐに携帯の電波が届かなくなっていた。かれこれ30キロは「圏外」が続いた。今回の旅でナビとして使っている「iPhone」の地図機能は圏外だと使えないのだが、ひたすら一本道が続くだけなのでナビは必要なかったのである。

 宮崎県の小学生はとても礼儀正しかった。自転車で下校する子供たちとすれ違うと、向こうから「こんにちわ!」と挨拶してくるのだ。小学生だけじゃなく、中学生も高校生もきちんと挨拶する。「挨拶教育」みたいなものが徹底されているのか、これが宮崎県の県民性なのか。いずれにしても気持ちのいい習慣であることは確かだ。
 リキシャを見て、「カッコいいなぁ、カッコいいなぁ」と連発する子もいれば、「あの自転車アメリカから来たんや」と間違った解釈をする子、「頑張ってぇ」と手を振ってくれる子もいた。

 本日は67.8kmを走破した。峠越えと向かい風の影響を考えると、今持てる力の100%近くを出したと思う。さすがに最後の10キロはヘロヘロになってしまったが、リキシャでの山越えに体が慣れつつあることを実感している。

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本日の走行距離:67.8km (総計:630.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:15545円)

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by butterfly-life | 2010-03-20 22:26 | リキシャで日本一周