<   2010年 03月 ( 28 )   > この月の画像一覧
7日目:初めてづくしの一日
 昨夜泊まった川原旅館は、地元の人でさえ「あそこってまだ営業してるの?」と真顔で言うような宿だった。ずっと昔からあるけれど、今やほとんど泊まり客のいない忘れられた宿だ。

 玄関のがらがら戸を開けると、大きな福助人形といかつい虎が彫られたついたてがお出迎え。ミシミシと音のする急な階段を上ると、臭いのきつい手洗いがあり、その奥に部屋が三つ並んでいる。ふすまは足を踏ん張って力を入れないと開かない。部屋はきちんと掃除されているが、内装の古さはいかんともしがたい。コイン式のテレビ(最近の宿はコイン式であってもタダで見られるところが多いのだが、ここのは本当に100円を入れないとつかない)の後ろには大黒様の木彫り人形と、よくわからない掛け軸と、妙な髪型の裸婦の焼き物が置いてある。とりとめがない。懐かしいと言えば懐かしい。「ザ・旅館」って感じだ。

 川原旅館を経営しているのは90歳と83歳のご夫婦である。結婚60年目の「ダイヤモンド婚」祝いを終えたばかりだという。
 ご主人は耳が遠いので、川原おばあちゃんに話をうかがった。川原さんはもともと農業をしていた。リンゴや葉タバコの栽培、養蚕もやっていた。戦後の建築ラッシュで木材の値段が上がったときに、山を売って平地に家を建てた。それから近くの役場の職員を相手にしたうどん屋を始めた。旦那さんが麺を打ち、奥さんが客あしらいをする。うどん屋が儲かると店の隣に旅館を建てた。それが40年前のことである。


【ストーブにあたる川原おばあちゃんとお友達】

「戦争中はろくに食べ物もなかったから、隣近所で融通し合ってな。珍しいおかずを作ったら、ご近所に配りよった。『もらい風呂』いうのがあってな。昔は薪でお風呂を焚いたけん、それを他の家族と一緒に使ったんよ」
 川原おばあちゃんは戦時中、戦後の苦労を身に染みて知っている。だからこそ、「今が一番幸せじゃと思う」と言い切る。
「子供が4人でけて、孫は12人、ひ孫が5人おるよ。近くに道路が通って便利になったし、米も野菜も安いし、欲しいもんは何でも手にはいるじゃろう。昔に比べたらな、ほんとに幸せな時代じゃな」
「でも『幸せな時代』だと実感している人は多くないかもしれませんね」
「今の人は辛抱が足らんように思うよ。昔は生きるのに必死やったから、自殺するような人はおらなんだ。支え合って生きとった。でも今は助け合う必要がなくなったんかもしれん」


【御年90歳の川原おじいちゃん】

 おばあちゃんは僕の派手なリキシャを見て、「あれは葬式に使えるんとちゃうか?」と言った。
「葬式ですか?」
「昔の葬式は派手やったけん。亡くなった人をお墓まで運ぶときに、大きなのぼりをこしらえて歩きよったんよ。じいさんもこれに乗って葬式出してもらったらええんと違うか? ハハハ」
 確かにインドの葬式は派手である。リキシャっぽいカラフルな装飾を施したおみこしに遺体を乗せて、川のそばの火葬場まで運んでいるのを見たことがある。日本の霊柩車の装飾性とも通じるものがあるかもしれない。


【川原おじいちゃんの趣味は焼き物のお面を作ること。どれも迫力があるが気味悪がるお客さんもいるそうだ】


 川原旅館を出て、吉野川沿いを西へと走る。右手からも左手からも山が迫っている。しかし池田までは比較的平坦な道が続いて走りやすい。
 午後から雨が止むという予報が出ていたので、それを信じて出発したのだが、いつまでたっても雨は止まなかった。それどころか、ますます強くなっていった。ヤッケを着て、フードをかぶる。吐く息が白い。山の空気は冷え冷えとしているが、ペダルを漕いでいる限り寒さは感じない。それでも延々と降り続く雨は気力と体力を奪っていく。

 池田を過ぎ、192号線に入ると本格的な山道になった。ここから愛媛県との県境にあるその名も「境目峠」までずっとのぼりが続く。もちろんリキシャを漕ぐことはできないので、降りて引っ張ってやる。右手に力を込め、前傾姿勢で体を低くして進む。100キロの重量を右手と肩で受け止める。
 あぁなんで俺はこんな馬鹿げた乗り物を引っ張って歩いているんだろ、と思う。電動アシストが欲しい。いや、そこまでの贅沢は求めないから、せめて3段変速ぐらい付けられないものか。愚痴である。でも愚痴のひとつも言いたくなるほど、雨の坂道は辛かったのだ。

 坂の途中に古い旅館の看板が見えた。これはラッキー。今晩はここで一休みしよう。そう思って訪ねてみると「今日は満室なんよー」とのこと。がっくりと肩を落とす。お遍路さんの団体で満員なのだそうだ。
「のぼりはあと1キロぐらいやから、がんばってな。あとは下りじゃけ」
 と旅館の奥さんが励ましてくれた。

 しかしこの「あと1キロ」が長かった。何も考えずに一歩一歩進むだけ。そう思っているのだけど、いつまでも終わらない坂道に深いため息をつく。
 ようやく「境目トンネル」に到着。全長855mのトンネルを下る。リキシャに乗って長いトンネルをくぐるのは初体験。これはかなり怖い。リキシャの前後に点滅するLEDライトを付けてはいたが、背後から迫る車に追突されるのではないかという恐怖をぬぐい去れることができなかった。


【雨が降りしきる吉野川上流】


 トンネルを抜けると愛媛県。そのままノンストップで一気に下っていく。これまでののぼりで蓄えられた位置エネルギーが一気に解放されるわけで、これは爽快なのだが、調子に乗りすぎてスピードを出すわけにはいかない。雨が降っているとリキシャのブレーキの効きが悪くなるからだ。制動距離がすごく伸びる。だからブレーキをぐっと握りしめてスピードを緩めながら、そろそろと坂道を下った。

 今日は初めてづくしの一日だった。
 雨の中をリキシャで走るのも初めてだったし、本格的な山越えも初めてだった。トンネルを走ったのも初めてで、リキシャで県境を越えたのも初めてだった。

 肉体的にはきつい一日だった。でも今日の経験はこれからの旅に間違いなく生かされていくだろう。最初の一歩を踏み出せれば、そのあとの二歩目三歩目はたやすくなる。


***********************************************

本日の走行距離:45.8km (総計:224.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:2195円 (総計:4721円)

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-08 23:52 | リキシャで日本一周
6日目:うだつの町並み
 今日は朝から雨模様。強く降ったり弱まったりしながら、お昼頃まで降り続いた。
 ホテルのチェックアウト時間は10時だが、オーナーの奥さんの計らいで12時まで部屋で待機させてもらうことができた。
「わたしは病院に行きよるけぇ、部屋の鍵はフロントに置いとってくださいねぇ」
 気楽なホテルである。一応ビジネスホテルの体裁は取っているものの、実は家族で切り盛りしているというホテルがこのあたりには多いようだ。

 雨が止んで12時過ぎに出発。しかしいつまた降り出すかわからない怪しげな曇り空だ。
 脇町から2,3キロ東に行ったところに「<うだつの町並み>はこちら」という標識が出ていた。うだつの町とは一体何だろう。気になったので寄り道する。

 うだつの町並みは江戸時代から残る古い町並みを保存してある地区だった。規模はそれほど大きくはないが、ひとつひとつの家は趣があって美しい。もっとも古い家は300年前に建てられたそうだ。
 うだつは古くからの交通の要衝で、鎌倉時代以降城下町として栄えたそうだ。江戸時代には吉野川の水運を利用した特産の藍の集散地として、明治時代は生糸の生産地として発展した。今も残っている町家の多くは藍商、呉服商などの商家や倉庫として使われていた建物である。


【古い町並みにそぐわないカラフルなリキシャ】


【大五郎登場】


 「うだつの町並み」は地元では有名な観光地らしく、雨模様にかかわらず観光客もちらほら歩いていた。県外から来た人も多い。しっとりと落ち着いた町並みはまったくそぐわないリキシャの出現に、みんな驚いた顔をしている。すぐに田楽屋さんの奥さんが「あらー、えらい派手な自転車屋ねぇ。私も乗してくれる?」と飛び出してきた。たちまち近くの小学生やおばあちゃんたちを乗せた「5円タクシー」がうだつの町並みを走り回ることになった。

 田楽屋さんで昼食をいただく。携帯でリキシャの写真を撮りまくっていたお母さん(さよちゃん)は、
「いやぁ、今日はブログの更新が楽しみやわぁ」と嬉しそうだ。
「ブログやってるんですか?」
「そうなんよ。62歳の誕生日からはじめよって、もう半年。すっごく楽しいんよ」
 さよちゃんによれば、この町に常時接続のネット環境が整ったのは遅く、去年の夏にようやく光ファイバーが来たのだという。田舎のお母さんがブログで情報発信をする。以前にはまったく考えられなかったようなことが起きているんだなぁと実感する。


【田楽屋のさよちゃん】

 さよちゃんの田楽屋はすべて自家製の材料を使っているのが自慢。「味噌もジャガイモもこんにゃくも、全部うちでつくっとるんよー」とのこと。本業は農家で、観光客の集まる週末だけ田楽屋を開いているそうだ。
 少し焦げた味噌が香ばしい田楽はご飯が進む。浅漬けも美味しい。吉野川のきれいな水で育った新鮮な野菜だ。

 うだつの町並みをあとにして、吉野川に向かう。吉野川には何十本もの橋が架かっているのだが、その中に「潜水橋」と呼ばれる橋がある。川が増水したときに橋桁の上を水が通るように設計された低い橋である。巨大な鉄橋と違って趣がある。
 この潜水橋の上で写真を撮っているときに、徳島市に住むカメラマンの木内さんが登場。彼は三日前に路上で僕の姿を見かけて、自分もリキシャに乗ってみたいと家族を連れて追いかけてきたのだ。奥さんと娘さんを乗せての撮影会とあいなった。


【潜水橋を走るリキシャ】


 夕方以降は再び雨模様。しとしとと冷たい雨が降り始めた。
 雨の国道をひた走って、本日の目的地である三好郡東みよし町に到着。喫茶店「パパラギ」の店主である秋元さんに、「ぜひうちでお話してください」と依頼されたのだ。常連さんの前でミニ講演会を開いてほしいというリクエストだった。

 秋元さんは大学進学を機に地元を離れて以来、ずっと東京で働いていたのだが、5年前に故郷に戻ってカフェを開いたという。お客さんは当初の見込みよりもかなり少ないが、常連さんに支えられて経営は何とか軌道に乗っている。

 ミニ講演会に参加したのは、元教師、元公務員、保育園の保母さん、農家の若者などさまざま。中学校で英語を教えているイギリス人の若者マークも参加してくれた。マークは高校生の時から日本に興味があり、日本語を勉強していたという。大阪外国語大学に留学し、そのあとALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)として徳島に赴任してきた。

 僕が今まで旅してきたアジア、特にリキシャの故郷であるバングラデシュについて皆さんにお話しする。10人ぐらいの小規模な会なので、質問がぽんぽん飛びだして面白い。途中からは座談会のようになった。
 三好郡は戦後林業で栄えたという。杉やヒノキは高級建築材としてよく売れた。山を持っていた人が金持ちになった時代だ。しかし昭和30年代後半から林業が衰退に向かった。安い輸入木材に押され、採算が合わなくなったのだ。その後の鉄道輸送の衰退とも重なって、町は寂しくなっていった。特に駅前の商店街(「銀座」というベタな名前がついている)は大半がシャッターを下ろしている。主な産業は農業、橋や道路を造る建設業などだが、公共事業の削減で先行きは厳しい。

 農業青年・藤原君によれば、名産のはっさくの売れ行きが近頃落ち込んでいるらしい。はっさくを剥くのを面倒がる子供が増えているというのだ。保育園でもバナナの皮すら剥けない園児がいるという。子供に変わって親がやってあげるからだ。スーパーにもすでに皮を剥き、適当な大きさに切った果物が並んでいる。

 アジアを長く旅していると、日本の過剰な便利さに違和感を覚えることがある。階段やドアは自動で動くし、欲しいものはボタンひとつで手に入る。そこには時間のロスもストレスもない。摩擦がない。しかしそれでいいのだろうか。人が暮らしていく上で必要な摩擦がゼロになってツルツルと上滑りするような社会を、果たして僕らは本当に望んでいるのだろうか。

 田舎の子供は自然にふれあい、たくましく育っているというのは、都会人が抱く幻想なのかもしれない。徳島県では子供の体力の低下が著しく、全国的に見ても低いレベルなのだという。車社会で大人が歩かなくなり、子供も歩かなくなっている。

 藤原君は数年前から阿波踊りを踊るようになった。地元の「竜美」という"連"に所属して踊っている。
「徳島といえば阿波踊りっちゅうイメージがあるけど、みんながみんな踊るわけやないんです。阿波踊りなんて見たこともないっちゅう人もたくさんおるけん」
 これまで何かに必死で打ち込んだという経験がなかった藤原君は、阿波踊りの中にその「何か」を見つけたようだ。
 阿波踊りはもともと死者を弔う静かな踊りだったという。それが今のようなエネルギッシュなものになったのは、内なるエネルギーのやり場を求めている若者が増えたからなのかもしれない。


【うだつの町並みで出会ったおばあさん】


「最後にひとつだけ質問いいですか?」と藤原君。
「三井さんから見た日本の良さって何ですか?」
「それをこれから探しに行くんだよ」
 とっさに口をついて出た言葉だったが、偽らざる本心だった。
 僕はこれまで一度も日本を旅したことがない。もちろん旅行をしたことはあるけれど、一人旅の経験はなかった。この10年間、視線は常に海外に向かっていたからだ。

 アジアを旅してきた人間の目に、日本という国がどう映るのか。自分が撮る写真にどういう違いが生まれるのか。
 これからそれを探しに行くのだ。

***********************************************

本日の走行距離:30.7km (総計:178.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:2195円 (総計:4721円)

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-07 23:28 | リキシャで日本一周
5日目:5円タクシー繁盛記
 昨日は雨降りだったからリキシャはお休みだった。しかも傘が吹き飛ばされそうなぐらい強い風が吹き荒れていたから、雨が降っていなくても走れなかったと思う。


【晴れ渡った空と徳島市役所】

 今日は一転して朝から気持ちよく晴れ渡っていた。リキシャ日和。風も昨日に比べれば穏やかだ。
 徳島のテレビ局・四国放送のスタッフがロケ車でホテルの前にお見えになる。ディレクターさんとカメラマン、音声さん、ドライバーさんと総勢4人という大所帯だ。ご多分に漏れず、四国放送さんも昨今の不況によって広告の出稿が大幅に減って経営が厳しいという。そんな中をリキシャ旅に一日お付き合いいただいて感謝。(今日の模様は3月11日(木)午後5時からの情報番組「ゴジカル!」の中で放送されるそうです)


【リキシャを撮影する四国放送のカメラマン】

 徳島市内を走っているときに幼稚園児の行列に遭遇した。近くの公園にお遊戯に行く途中のようだ。保母さんの許可を取って写真を撮らせてもらう。幼稚園児たちにとってリキシャの存在はさほど心惹かれるものではないようだ。「なんか派手なくるまぁ」ってな感じである。それよりも水筒に描かれたアンパンマンや機関車トーマスの方に夢中である。





 幼稚園児よりもはるかに大きな反応を示すのが犬である。道路沿いの家で飼われている犬は、リキシャを見かけると即座に起き上がって大声で吠える。鎖で繋がれていなかったら飛びかからんばかりの勢いで。
 もちろんバングラデシュの犬はリキシャに無反応である。なにしろ100万台走っているんだから、そんなものは見慣れている。日本の犬にとってリキシャは初めて見る得体の知れない存在。野生の本能が「こいつはやばい」と知らせるような存在なのである。飼い犬だからいいようなものの、野犬がいたら怖いね。

 徳島市を出て吉野川沿いを西に進み、阿波市に入る。阿波市は市町村合併できた新しい「市」で、実際のところかなりの田舎である。中心街らしきものは見あたらない。
 阿波市では大型トラックの運転手さんたちを「5円タクシー」に乗せた。全員が60を超えているおっちゃんドライバー軍団である。



「あぁ、兄ちゃんのこと知っとるで。国道を走っとったやろう? わしらムセンで連絡取りよぉからな。仲間が教えてくれるんよぉ。『ヘンな自転車が走りよるよー』ってなぁ。『ありゃきっとベトナムから来たんやで』って」
 と最年長75歳の中原さんが言う。トラックの運ちゃんには無線ネットワークがあって、渋滞情報とか、路上で(リキシャみたいな)変なものを見かけたとか、どこそこに釘が落ちているとか、そういうことを伝え合っているそうだ。

 ツイッターやブログなんかよりも「ムセン」。そういうコミュニティーがあるということを、僕らは意外に知らない。この広い世界にはまだまだネット化されていない領域も残されているのである。でも考えてみたら、ツイッターってアマチュア無線っぽいところがあると思いませんか?
<CQ、CQ、こちら「tabisora7」、聞こえていますか? どうぞ>



 中原さんは昭和29年からトラック運転手一筋である。55年のあいだに10台のトラックに乗ってきた。今のは21年前に買ったもの。2000万円した。
「景気は悪いわ。今までにないほど悪いんとちゃうか。そらわしらは年金ももろてるし、今の仕事は遊びみたいなもんだからええけどのお。今は川の残土を運んどるんよ。高速道路を造っとる現場に持って行く。でも最近は軽油も高いし、儲けは少ないのお」
「それでも働き続けてるんは、なんでですか?」
「そりゃ、国民年金だけでは生活できんからや。それにこいつらが言いよんのよ。『親方、仕事やめたらすぐにボケるでぇ』ってなぁ」



 子供を3人とも大学へやったのが中原さんの自慢だ。自分の腕一本で。
 しかし公共事業の削減と建設不況によって、トラック業界が置かれた状況は厳しい。昔は1年でタイヤを12本も履きつぶしたのに、いまでは1本だけだという。走行距離が減っているということは、それだけ仕事が減っているということ。
 でも、仲間と一緒に愚痴を言い合っている中原さんはなんとなく楽しそうだ。無線でも一人でよく喋っているに違いない。

 阿波市から美馬市にかけて12号線沿いはずっと畑が続いている。ビニールハウスでイチゴやメロンなどの果物を育てたり、露地物ではキャベツや大根やタマネギなどを作っている。
 農機具を売る専門の店もよく見かける。トラクターのショールームには一台315万円で新品のトラクターが出ていた。僕には高いのか安いのかよくわからない。
 自動精米所、コインランドリーも多い。どうして一軒家ばかりの徳島県でコインランドリーが多いのかよくわからない。自宅に洗濯機がない人はあまりいないだろうし、単身者も少なそうなのに。



 御所というところにイチゴの産地直売所があったので覗いてみる。「観光いちご」という地元では有名なブランドのようだ。わざわざ遠くから車で買いに来る人もいる。果肉がとても柔らかくてジューシーだった。
「最近ぬくい日が続いたでしょう? それで柔らこうなったんよ」
 別に物欲しそうな顔をしていたつもりはないのだけど、店番をしていたお母さんは親切にも「これ持って行って」といちごをまるまる一箱くださった。
「はんぱもんを集めたもんだから」とのこと。でも普通に買ったら1300円はするような大粒のいちごである。ありがたい。



 今日の「5円タクシー」は大繁盛だった。
 トラック運転手の皆さんは、実に気前よくポケットの小銭を出してくれた。
 パン屋にお勤めの女性からは50円(五十縁)と一緒に手紙をいただいた。
「三井さんを通じてバングラデシュの人々を少し身近に感じることができました」
 そう感じてもらえることが何よりも嬉しい。
 やたら重くなったポケットの中身を数えてみると、2231円になった。

***********************************************

本日の走行距離:51.3km (総計:147.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:2231円 (総計:2526円)

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-05 23:23 | リキシャで日本一周
3日目:大根タクシー営業中
(今日、3月4日は一日雨だったのでリキシャはお休み。なので昨日の日記の続きをどうぞ)

 本日はリキシャ日和なり。
 朝から気持ちよく晴れている。風は強いが、方向的には追い風なのでペダルが軽い。鳴門市から再び徳島市街に戻る。

 モータリゼーションの進んだ徳島では、国道沿いをリキシャで走ってもつまらないことがわかったので、細い旧道を走ってみることにした。
 昨日受けた取材がさっそく今朝の徳島新聞に載ったので、何人もの人から「あー、新聞に載っとった人やねぇ」と声をかけられる。徳島新聞は徳島県民の大多数が購読しているらしく、その影響力は強いのだ。町を走っていても「朝日新聞」や「読売新聞」の看板は滅多に見かけない。徳島県民は地元愛が強いらしい。

 新聞効果かどうかは知らないが、今日はいろんな方から差し入れをいただいた。車のウィンドウを開けて焼き芋を手渡されたり(これは美味!)、自転車で追いかけてきたおばさんが缶コーヒーを4本くれたり、100円ショップの出口でのど飴を二袋もらったり、シュウマイ屋さんからあつあつのシュウマイをいただいたり。

 畑仕事をしていたおばあさんからは青首大根を二本もらった。リキシャに興味を持っている様子だったので、「5円タクシー」の乗客として近所をぐるっと回ってもらった。おばあさんは「こんなもん徳島では見ぃひんけん」と嬉しそう。そのお礼として畑から引き抜いたばかりの泥付きの大根をいただいたのだ。
「一人じゃ食べられませんから」と何度も断ったのだが、
「いやぁ、これは新鮮やけん、生でも食べられるから。農薬も使こうとらんけぇ」
 と強引に押しつけられてしまった。そ、そういう意味じゃないんだけどな。まったくマイペースである。



 84歳の島津おばあちゃんはこの年まで病気になったことがないという。
「何年か前に庭の木の手入れをしとったときに足を踏み外して落ちてな、そのときに病院行ったけど。いやー、骨折なんかしとらん。ねんざっちゅうんでもない」
 じゃあどうして病院に行ったのだろうか。とにかくすこぶる健康なのである。
「健康の秘訣っちゅうんは、やっぱり前向きに生きぃることよ。毎日、何かすることを見みつけよぅこと。今日は朝からバスに乗って鳴門の商店街まで買い物に行きよったよ。午後からは畑の草むしりをする。5年ぐらい前から日記をつけるようにしとんのよ。だからボケんわ。ボケる暇がない」
 徳島の女性「阿波女」は昔から働き者として知られているそうだ。島津おばあちゃんも阿波女の一人として毎日手を動かし、足を動かして暮らしてきたからこそ、今でもしゃきしゃきしているのだろう。

 おばあちゃんは大家族に囲まれて暮らしている。孫はちょうど僕と同じ年代。ひ孫が5人いる。ご主人はずいぶん前に交通事故で亡くなった。
「喧嘩するんも相手がいるやろう。一人では喧嘩もできん。まぁ寂しいわな。人と人は支え合って人なんよ」



 さて、問題はもらった大根をどうするかである。4人家族で毎日おでんを食べ続ければ、3,4日でなくなるかもしれないが、わたしは旅人。台所も冷蔵庫も持たない身である。だからといって捨てるわけにはいかない。
 一本目は徳島の駅の近くで買い物カートを押していたおばあさんが喜んでもらってくれた。二本目は金物屋さんの奥さんに差し上げた。するとそのお礼にチオビタドリンクを5本もらった。なんだかわらしべ長者になったような気分だった。

 金物屋のご主人浜田さんは60年間ずっと店を守り続けている。このあたりではまったく見かけなくなった古い木造のお店には、歴史を感じさせる緑青色の看板が掲げられている。
 浜田さんは僕のリキシャを見て、子供の頃に乗った人力車の思い出を話してくれた。戦前のことである。徳島には自動車なんてものはなく、馬車か人力車しか走っていなかった。浜田少年は祖父母が芝居を見に行くときにお供としてついていくのが嫌だった。芝居なんて全然面白くなかったからだ。ただそのとき乗った人力車は好きだった。高い座席から眺める町は普段とは違って見えた。



 浜田金物店のように戦前から同じ商売をずっと続けているところは少ない。特に駅前の商店街はすっかり寂れてしまっている。いわゆるシャッター商店街である。もっとも繁華な徳島駅周辺にしたって人出は驚くほど少ない。みんな車に乗って大型スーパーやディスカウントストアに買い物に行ってしまうのだ。浜田金物店が競争を生き延びてきたのは、一般客ではなく建築業のプロを相手にしているからだ。


【浜田金物店のご主人浜田さん】

 本日泊まるのは県庁の近くにある小さなビジネスホテル。受付に座っていたのは自称「後期高齢者」のおばあさんとそのご主人。ビジネスホテルなのにビジネスライクじゃない。アットホームなビジネスホテルである。
「何日か前に外人さんが泊まりよったんよ。いつもは言葉が通じん人は断りよるんやけど、フェリー会社の人が強引にタクシーの乗せてしもうたって言うて。うちらは英語が話せんけん、何かあったら困るじゃろう」
 今どき珍しい「外人さんお断り」のビジネスホテルなのである。でも「言葉が通じん人」として世界各国の安宿を泊まり歩いていた人間としては、こういう態度はぜひ改めていただきたいと思うのである。「何かがあったら」というけれど、それは日本人でも外国人でも変わらないと思うし、言葉が違う異国にやってきた人に対してこそ、ホスピタリティーを発揮するべきじゃないかと思うのだ。


【制服を着た小学生たち。「リキシャ乗るか?」と聞くと、「見つかったらヤバいで」と尻込みする。誰に見つかったらヤバいというのか。PTAが黙っていないのか?】

***********************************************

本日の走行距離:29.8km (総計:94.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:20円 (総計:295円)

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-04 21:35 | リキシャで日本一周
3日目:この国のはたらきもの(パン職人・宮崎さん)
「パン作りというのは陶芸に似ているところがあるんですよ」
 パン職人の宮崎さんは言う。そう言われてみればなるほどと思う。どちらも手でこねて形を作るし、窯で焼き上げる。出来上がりがどうなるのか、釜を開けてみるまでわからないのも同じだ。
「でも陶芸は作品としてずっと残ります。パンは食べてもらってなんぼですね。食べてしまえばあとにはなにも残らない。でもそれがいいんです」

 徳島県のパン工房「マザーズベーカリー」田宮店で働く宮崎さんは、パンを作り始めて12年のベテラン。店長として現場のパン作りを仕切り、新入りの職人に手取り足取りパン作りを教えている。
「パン作りのコツというのは、本に書いてあることをいくら読んでもわからないものなんです。実際に手を動かさないと。何年もあとになって、本で読んだことが体に染みてわかるときがくる。頭で覚えるんじゃない、手が覚えるんです」


【生地をこねる宮崎さん。毎朝3時に出勤する「超朝型」の仕事だ】

 若い頃の宮崎さんは、毎日必死の思いでパン作りに取り組んだ。仕事が終わってからも、家のオーブンでパンを焼くこともあった。お客さんからクレームをつけられて、悔し涙を流したことも一度や二度ではない。それでもパンを作り続けたのは、これを仕事にした以上は少しでもいいものを作りたいという思いからだった。

「パンが特別好きだったわけではないんです。元々はカフェでコーヒーを煎れる仕事をしていたんだけど、会社からパン職人をやらないかと言われて始めたんです。最初は生きていくため、生活のためだった。でも結果的にはこの仕事が自分に合っていたんだと思います。自分の特性というのは、実際にやってみないとわからないんじゃないかな。今の若い子は『まず手を動かす』ということをしない。その前の段階でああでもないこうでもないと迷っているんです」

 天職という言葉がある。天から与えられた仕事。「天」というのは「運命」とか「偶然」とかいろんな言葉で置き換えることができるけれど、結局それは「自分の狭い頭の中であれこれ考えているだけではなにも生まれない」ということなのだと思う。天から与えられた仕事としてまっとうすること。それによって新しい自分の可能性に気づくことができる。

 宮崎さんの職場には新人のパン職人がいる。「こてっちゃん」の愛称で呼ばれる22歳の女の子。大分県から原付バイクに乗って徳島にやってきたというなかなかユニークな子で、去年まではパチンコ屋に勤めていたのだが、それを辞めてパン屋に就職した。
 パチンコ屋は時給が高く(1050円で3ヶ月無遅刻無欠勤だったら50円アップする)、お金も貯められたが、職場の雰囲気に馴染めなかった。どういうわけか彼女以外の女性店員は全員バツイチのシングルマザーだったのだ。自分も将来こうなるのかと思うと、不安になってきた。タバコの臭いも耳をつんざくBGMも好きになれなかった。


【「パンはその日によって状態が違うから難しい」と言うこてっちゃん】

 パン職人は毎朝3時(!)から仕込みを始め、夕方まで働きづめである。給料もパチンコ屋に比べると安い。ハードワークだ。でもやりがいはある。自分の経験や学んだことが日々の仕事の中に生かされていく。そういった感覚はパチンコ屋にはないものだった。
「でも、このままパン職人の道を目指すのか、まだ迷っとるんですよ」とこてっちゃんは言う。「この仕事は生活時間が他の人と全然違うけん、友達と遊ぶこともできん」
 年頃の女の子らしい悩みである。結婚願望もあるし、彼氏だってほしい。

 宮崎さんは「こてっちゃんは筋がいい。がんばればきっといいパン職人になる」と言う。でも彼女の素質が引き出されるかはまだわからない。
 パン職人にもっとも必要なのは継続性だ、と宮崎さんは言う。彼自身、職人としてきちんと仕事を覚えるまでは5年、自分のパンに自信が持てるようになるまで10年かかった。我慢が必要な仕事なのだ。

 宮崎さんが得意なのはフランスパンなどの「ハード系」のパン。塩、水、酵母、小麦粉という最小限の要素で作られるから、ごまかしが効かない。ハード系パンを焼くときに大切なのはイメージだ。どんな形でどんな堅さに仕上げるのか、具体的なイメージを頭に描いてから仕事に取りかかる。自分のイメージ通りに焼き上がったときの喜びは何物にも代え難いものだ。

 「マザーズベーカリー」では天然酵母を使い、国産小麦を使ったパン作りにこだわっている。実は国産よりも外国産の小麦の方がパン作りには適している。タンパク質の量が多いからだ。でも外国産小麦は収穫後の農薬散布が認められているから、100%安全だとは言えない。少しでも安全なものをお客の元に届けたいという思いで、国産を使い続けている。


【マザーズベーカリー鳴門店は巨大なログハウス建築。天井が高くてとても居心地がいい】

 お客さんの中にもこだわりを持った人が多いのも、パン屋の特徴かもしれない。シンプルだけど奥が深く、作る職人によって味が違ってくる。安ければいいというものではない。だから大量生産される大手の製品にも対抗することができる。

 宮崎さんの夢はパン屋として独立を果たすこと。でもそのためには資金が必要だ。1台500万円もする電気釜などの装置をそろえるだけで大変な初期費用がかかってしまう。だからもうしばらくは今の店でがんばって働くことになるだろう。

「パン屋って地味な仕事やけど、世の中に必要とされているでしょう。自信を持って作ったパンがお客さんから『あれはおいしかったわ』って言ってもらえると、ほんまに嬉しい。やってて良かったなぁと思えるんです」


【仕事から帰って音楽を聴きながらビールを飲むのが宮崎さんの至福の時。キリンのCMに使えそうだね】
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-04 11:57 | リキシャで日本一周
2日目:オカリナのメロディー(徳島県・鳴門市)
 フェリーは定刻通り1時に徳島港に接岸した。
 乗客の中にイギリス人のおじさんが乗っていた。話しかけてみると、これから自転車で日本を縦断する予定だという。僕もなんですよ、と意気投合する。

 彼、ジュリアンさんはなんと21年間も自転車で世界を旅し続けているという強者である。ハードコア中のハードコア旅人だ。イギリスでビジネスをしていた彼の人生を変えたのは21年前に旅したインドだった。旅の魅力に取り憑かれてしまったわけだ。本国に帰ってからすべてを売り払って旅に出た。それ以来ずっと旅を続けている。ずっとだ。

「クレイジーですね。僕もだけど」
 二人で笑う。彼の青い目は澄み切っている。ものすごいことをしている人だけれど、それを声高に話すことはなく、あくまでも控えめである。58歳には全然見えない。まだ旅を始めたばかりの若者のようだ。
「いつになったら旅を終えられますか?」
「あと数年は続けるよ。体力が持つまでは。今はまだペダルを漕ぐ体力がある」
 自転車旅の良さは「あいだ」を楽しめることだ、と彼は言う。町と町とのあいだ。そこに彼の求める光景がある。僕もまったく同感だ。徒歩では遅すぎる。バスでは速すぎる。自転車がちょうどいい。


【徳島港を見つめるジュリアンさん】


 ジュリアンさんにとって今回が初めての日本滞在だ。これまでずっと陸路で旅をしていたから、日本に来るチャンスがなかったのだ。もちろん物価の高さもある。彼はずっと野宿をしながら旅を続けているから日本の物価は懐に直接堪えるのだ。500円、600円でもすごく高いんだよ、と笑う。
「あなたの旅の目的って何ですか?」
「さぁね。ただ旅が好きなんだよ。きっと君と同じだと思うけど」
「トラベラーズ・ハンガー?」
 僕はバングラ人に教えてもらったばかりの言葉を使ってみる。
「そう、その通りさ。まだ私はハングリーだ」
 面白い人だ。この出会いは偶然がもたらしたものだ。でも船旅という特殊な場がもたらした必然だとも思った。


【ジュリアンさんの自転車は年季が入っている。これから野宿の旅を続けるそうだ】


 フェリーに取り付けられたスロープを下ると、いきなり一眼レフカメラを向けられた。徳島新聞の記者さんが連続シャッターでお出迎え。僕の上陸スケジュールを知って、取材に来られたのだ。
 徳島新聞は地元では圧倒的に知名度があるそうだ(90%以上が読んでいるという話もある)。確かに徳島市にある本社ビルはでかかった。徳島県民は地元愛が強いから、地元紙が強いという話も聞いた。本当だろうか?

 記者さんはてきぱきと質問をする。どうして徳島からスタートするのか? これからどこへ向かうのか? 昨日も書いたように徳島からスタートするのはどちらかと言えば消極的な理由だが、それが新しい出会いを生むかもしれないですね、と答えた。


【これが翌日3月3日に載った記事。かなり大きな扱いだ】


 徳島港にはこのブログを見て駆けつけてくれた土佐さんも僕も出迎えてくれた。なんと兵庫県西宮市からやってきたという。青春18切符を使って鈍行列車で6時間もかけてきたそうだ。
「思い立ったら吉日というじゃないですか。ふと思い立って徳島まで来たんですよ」
 そのフットワークの軽さはすごい。彼は持っていたオカリナを吹いて、僕の旅の無事を祈ってくれた。青年海外協力隊員だったときに覚えた隊歌「若い力の歌」のメロディー。

 土佐さんが協力隊員として派遣されたのはパキスタン。養護教育の専門家として2年間赴任した。当時も散発的にテロがあったが、最後にはパキスタンのことが大好きになった。
「オカリナはパキスタンの子供たちにはすごくウケたんですよ。持って行って良かったな」

 彼が徳島での「5円タクシー」最初の乗客になってくれた。パキスタンの伝統衣装であるクルタを着ていたので相当に強いインパクトがあっただろうと思う。異国の衣装を着た男が、奇妙な異国の乗り物に乗り、オカリナを奏でる。下校途中の小学生が「なんやあれー!」と言って走って追いかけてきた。その気持ちはよくわかる。なんだろうね、この二人は。



 土佐さんと別れて、徳島市から16km離れた鳴門市に向かう。
 鳴門市在住の宮崎さんが自宅に招いてくれたのだ。彼は地元のパン屋で働くパン職人である。面識はないけれど、僕の「たびそら」を何年も前からずっと読んでくれていたそうだ。徳島の来たときには是非お立ち寄りください、と書いてくれていた。

 徳島市から鳴門市まで国道沿いをえっちらおっちらリキシャで走った。鳴門市はなんだか寂しい町だった。曇天だったせいもあると思うのだが、町に活気がない。人が歩いている姿を見かけない。
 実際に鳴門市では過疎化が進んでいるようだ。人口が減り続け、特に子供の数が少ない。以前は大阪と鳴門とを結ぶフェリーがあって、港町として栄えていたのだけど、連絡橋が完成してからは素通りされる町になった。

 完全な車社会だから、すれ違うのはヘルメットをかぶった小学生かお年寄りぐらいである。他の人はみんな自家用車に乗って大きな駐車場のあるショッピングセンターで買い物をする。リキシャを珍しそうに眺めてはいるけれど、声をかけてくる人は少ない。

 2時間ほどかかって鳴門市に到着する。
 夜遅くまで宮崎さんと酒を飲みながらパン作りの苦労などを聞かせてもらった。

***********************************************

本日の走行距離 : 21.0km
本日の「5円タクシー」の収益 : 5円

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-03 21:50 | リキシャで日本一周
初日:フェリーで徳島へ
 さぁ、日本縦断のはじまりはじまり。
 亀戸から有明のフェリー乗り場まで13キロの道のりを進む。
 途中までは順調に走っていたが、豊洲でチェーンが切れるというアクシデント発生。なんてこった。
 ちょうど自転車で通りかかったおじさんに「この辺に自転車はありませんか?」と訊ねると、さほど遠くないところにあると教えてくれた。ありがたい。

 自転車屋はクールだった。派手なリキシャの登場にも眉ひとつ動かさず(周りのおばちゃんは「わー、なにこれ? このあたりじゃみないわねー」と言っているのに)、余計な質問を一切口にすることなく、さっさとチェーンをつないでくれた。840円なり。プロフェッショナルな態度だが、新種の自転車登場に彼の職業的好奇心はいささかもくすぐられなかったのだろうか。それとも仕事中は余計な口をきかないと決めているのだろうか。



 そんなこんなでフェリー乗り場に到着したのは、予定を大幅に遅れて午後5時半だった。
 フェリー乗り場は立派な建物で、空港にあるようなボーディングブリッジがついている。
 フェリーも予想以上に大きかった。全長166.0m、総トン数1万1114トン。立派である。港と船腹はスロープで結ばれていて、今から乗り込もうとする自動車が列を作って待っている。もっとしょぼい船を想像していたのだが、いい意味で裏切られた。



 東京・徳島・北九州をむすぶフェリー「おーしゃんのーす」

 運賃は大人(二等寝台)が11790円。自転車持ち込み料が2820円。実はリキシャを自転車と認めてくれるかどうか心配していたのだが(バイクや自動車扱いだと一気に値段が跳ね上がるのだ)、誘導員は拍子抜けするほどあっさり「はい、自転車の方どーぞー」と言ってくれたので助かった。この誘導員はとても親切で、僕がフェリーの前で記念撮影をしていると「こっちの方が船名が見えていいですよ」とわざわざ案内してくれた。

 6時に乗船開始。自転車は僕一人だけ。言うまでもなくリキシャも僕一人だけである。
 リキシャは船が揺れても動かないように、木のブロックとワイヤーで固定される。



 船内は快適だった。このフェリーには一等や二等といった区分がなくて、すべて二段ベッドの相部屋だが、乗客が多いわけではないのでゆったりと使える。ロビーやフードコーナーも広くて清潔。シャワールームと浴場も無料で24時間使える。意外なほど広い大浴場はこの船のおすすめスポットだ。夜の海を眺めながら、「はー、極楽極楽」とため息をつこう。さすがは日本の船だね。

 乗客は全部で40人ぐらい。定員148名に対しては少ないが、この船は自動車や貨物の運搬が主で、旅客はおまけみたいなものだから、これでも元が取れているのだろう。
 速さを求めるのなら飛行機や電車だし、安さを求めるのなら長距離バスを使えばいい(8500円であるようだ)。確かに船なら足を伸ばして眠れるし、眺めもいい。けれど海が荒れると船酔いするし、所用16時間はあまりにもスローだ(バスなら9時間だ)。わざわざフェリーに乗って徳島に行く人は、よほど船が好きなのだろう。それとも他の理由があるのか?

 ロビーでは若者が三人でトランプをしていたり、おっちゃんたちがビールを飲みながらテレビでオリンピックの閉会式を眺めたりしている。船の乗っているというよりは、スーパー温泉の待合所にいるみたいな雰囲気だ。

 船は午後7時にゆっくりと港を離れる。低気圧の接近に伴い、波が高くなっています、とのアナウンスがある。沖に出たら揺れるかもしれない。

 なぜ徳島からスタートするのか。ここで改めて説明しておこう。
 もともとは沖縄からスタートして北海道に向かうつもりだった。それが難しくなったのは、東京と沖縄を結ぶ唯一のフェリー「ありあけ」が去年の11月に座礁事故を起こしたからだ。高波を受けて横倒しになったまま動けなくなってしまったのだ。

 調べているうちに東京と徳島を結ぶフェリーが出ていることを知った。当初の予定では四国はパスするつもりだった。通ったとしても瀬戸内海沿いを少しかすめる程度だと思っていた。でもせっかくだから四国に寄り道して沖縄を目指すのも悪くないという気がしてきた。
 まず徳島から四国を横断し、高知県の宿毛から宮崎県の佐伯を結ぶフェリーで九州に渡る。そして鹿児島から沖縄を目指す。そういうルートが浮かんできた。

 四国は大学生の時に一度だけ行ったことがある。
 なにも知らないのと同じだ。だからこそ楽しみだ。


***********************************************

本日の走行距離 : 13.2km
本日の「5円タクシー」の収益 : 0円

***********************************************
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-02 18:52 | リキシャで日本一周
旅のベネフィット
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「旅のベネフィット」

 バングラデシュ西部をぐるりとひと回りして、首都ダッカに戻ってきた。走行距離1200kmに及ぶ長旅もこれでいよいよゴールだ。体力的には相当きつかったが、そのきつさも含めて1200kmという距離を体で感じられたのは大きかった。これを走り抜いたことで、「日本縦断も何とかなるんじゃないか」というおぼろげな自信がつかめたからだ。

 僕がリキシャで旅をしていると知ると、たいていのバングラ人は驚くか、呆れるか、大声で笑い出すか、いずれかのリアクションを返してきた。まっとうな反応である。僕だって自分に呆れてしまんだから。
 しかし英語教師のバドゥルさんだけは違っていた。
「君はきっとハングリーなんだ」
「ハングリー?」
「あぁ、旅人としての空腹を満たすためにリキシャで旅をしている。違うかい?」
 トラベラーズ・ハンガー、旅人の飢え。いい言葉である。僕自身も把握できていない「けれども旅をしたい」という気持ちの奥底にあるものをうまく言い表していると思う。


【写真:リキシャ工場で幌を取り付けている男。力業でひずみを直している】


 トラベラーズ・ハンガー旺盛な僕にとっても、ダッカの街をリキシャで走ることに対しては、まったく食欲が湧いてこなかった。幹線道路のハチャメチャぶりについては前にも書いた通りだが、ダッカ市内はそれを超える「カオス状態」だったからだ。

 まず我々リキシャ引きが否応なく直面させられるのがダッカ名物の大渋滞である。大通りは比較的流れているが、マーケットの近くや旧市街の細い道に入り込むと、たちまち慢性的な渋滞に巻き込まれてしまう。10分以上まったく動かないことも珍しくない。
 交差点では、渋滞の原因となっている客待ち中のリキシャを警官が有無を言わさず棒で殴りつけている。威嚇のレベルを超えて本気でしばきあげているのだ。こっちの警官はやたら乱暴だ。立場の弱いリキシャ引きは殴られるとおとなしくリキシャを動かすのだが、警官が去るとまたぞろぞろと同じところに戻ってくる。彼らだって生活がかかっているから、簡単には引き下がらない。で、しばらくするとまた警官がやってきてリキシャを殴るのである。あぁ、終わらない日常。繰り返されるダッカの悲喜劇・・・。

 交通ルールはないに等しく、信号もまったく機能していない。「譲り合いの精神」など皆無で、みんなが行きたい方向に好き勝手に走っている。だからしょっちゅうどこかで衝突が起き、新車はすぐに傷ものになる。バスの横っ腹も傷だらけだ。道路があまりにも過密なので、幅寄せされるとどこにも逃げ場がないのだ。
 英字新聞に「ダッカとは人をMill(粉にする・製粉機にかける)街である」という言葉があったが、ダッカの交通事情を表すのにこれ以上適切な言葉はないだろう。ダッカを走ると、誰もが「粉にひかれ」てしまう。人をすり減らせる街なのである。


【写真:ダッカの混乱した交通事情】


 それにしてもバングラ人の手前勝手さ、自己主張の強さはどこからくるものなのか。山本七平が『日本人とユダヤ人』の中で、「日本人の協調性の高さや生真面目さは、ある期日をもって全員が同じ作業を行う稲作を長年に渡って続けてきたためだ」と書いていて、読んだときには「なるほど」と思ったのだが、しかしここバングラデシュも稲作の国なのである。農村では村人が全員で同じ作業をする。にもかかわらず両国民のメンタリティーがこれほどまで違うのはなぜなのだろう。

 信号待ちをしていると必ず寄ってくる物乞いも悩みの種だった。アスファルトの上をはいつくばって進む両足のない男。顔が象のようにふくれた中年の女、杖をついて歩く片足で盲目の老人。何ヶ月も洗濯していないような服を着ている子供たち。以前に比べれば少なくはなったようだが、物乞いの絶対数はまだまだ世界屈指の多さである。
 ダッカの物乞いはソフトタッチだ。そばにやって来て、僕の腕を優しく撫でてくる。しかし粘り強さは相当なものである。こちらがいくら首を振ってもなかなか諦めてくれない。渋滞に巻き込まれているときに目をつけられるとかなり厄介である。


【写真:ドラム缶をトラックに積む男たち】


 ダッカ住民に街の住み心地を訊ねると、「私だって好きこのんでダッカに住んでいるわけじゃない」と言われることがある。彼らにとってダッカとは「やたらうるさく、空気が悪く、物価が高い」けれど「仕事はある」から仕方なく住み続けている街なのである。決して気に入っているわけではない。

「30年前のダッカはこうじゃなかったさ。高いビルもなかったし、人もリキシャもこんなに多くはなかった」
 リキシャ引きとして30年もこの街を走り続けている大ベテランのアブドゥルは言う。彼は外国人が集まるホテルの前を「縄張り」にして、外国人相手にリキシャで観光案内をして生計を立てている。観光客の少ないバングラデシュでは非常に珍しい存在だ。英語はかつての唯一の安宿YMCAに宿泊していた欧米人バックパッカーたちを相手に体当たりで覚えた。
「街が大きくなって、商売はしやすくなったんじゃない?」
「ああ、前よりは生活は楽になったよ。でも政府はリキシャを街から閉め出そうとしているから、将来はどうなるかわからんな」

 現在、ダッカを走るリキシャの数は30~40万台ほどだと言われている。正式なライセンスを持つリキシャは8万6000台なのだが、偽造ライセンスを持つ者も多いから、正確な数は誰にもわからないようだ。警察はときどき偽造ライセンスの取り締まりを行っているが、「袖の下」が効いたりするのであまり効果は上がっていない。
 それでも政府が段階的にダッカからリキシャを排除しようとしているのは確かなようだ。さっきも書いたようにリキシャは渋滞の原因だと見なされていて、ダッカを近代的な街に発展させたいと願う人々から目の敵にされているのだ。もうすでに幹線道路の多くはリキシャの通行が禁止されているし、CNG(圧縮天然ガス)エンジンを積んだ三輪タクシーの普及も進んでいる。バッテリー駆動の電動リキシャも登場した。ダッカに地下鉄を走らせようという計画も検討されているという。そうやって徐々にリキシャの存在意義は失われつつあるわけだ。
 カルカッタから人力車が閉め出されたように、バンコクからトゥクトゥクが消えつつあるように、ダッカからリキシャが消える日がやってくるのかもしれない。リキシャの未来はあまり明るくはないようだ。


【写真:中国製の電動リキシャも急速に普及しつつある】


「あんたはリキシャでバングラデシュを旅した」とアブドゥルは言った。
「そうだ」
「日本人なのに」
「そうだ」
「俺にはよくわからないんだが、それがあんたにとって何の得になるんだい? ベネフィットは何だ?」
 何の得になるのか。単刀直入にそう聞かれると、返事に困った。
「ベネフィットなんて特にないんだよ。ただリキシャで旅がしたかったんだ。少し痩せた。足の筋肉が強くなった。今のところベネフィットはそれぐらいだ」
「クレイジーだな」アブドゥルは呆れたように言った。「俺には理解できん」
「そうだ。クレイジーなんだよ」



 コストとベネフィットを天秤にかけて、ベネフィットの方が上回るからやる。旅とはそういうものではない。損得勘定を抜きにして始めてしまうものだ。
 漠然とした方向性だけが心の中にある。先のことはわからない。明日どの町で眠るのか、どういうかたちで終わりを迎えるのかもわからない。僕はそうやって旅をしてきた。それは写真家として飯を食うようになってからも変わっていない。

 各地のグルメを食べ歩いたり、スパでリラックスしたり、円高を利用して安く買い物をしたりといったわかりやすいベネフィットを求めて行うのは、「旅行」であって「旅」ではない。僕はそう考えている。もちろん「旅行」を否定するつもりはまったくない。有意義な余暇の過ごし方だと思う。でも「旅」から得られる経験は本質的に「旅行」とは違う。

 旅とは先が見えない状態で、えいっとジャンプしてみることだ。これまで自分が経験していないこと、未来の自分に向かって跳躍することだ。無残な失敗に終わることもある。いや、失敗の方がずっと多い。けれども「予想もしなかった未知の快楽」に達することもある。それが旅の面白さだ。

 リキシャの旅のベネフィットが何なのは、今の時点ではわからない。
 でも旺盛な「トラベラーズ・ハンガー」を持ち続けている限り、きっと何かが得られるに違いない。

 さぁ、日本縦断の旅をはじめよう。
[PR]
by butterfly-life | 2010-03-01 11:08 | リキシャでバングラ一周