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81日目:ボイスに耳を傾ける(京都)
 二日連続で激しい雨が降ったので、京都の実家でのんびりと休息・・・したいところだけど、たまっていた日記を書いたり、写真の整理をしたりしていると、あっという間に時間が経ってしまった。

 お休みのあいだにもいろんな人に会った。京都新聞の論説委員の方に誘われて、イタリアンをご馳走になりながら今回のリキシャの旅について話したり、保育園時代の同級生(というと30年前の話になるわけですが)の弟が世界一周旅行を企画しているので相談に乗ってくれないかと頼まれて一家五人とディスカッションすることになったり、京都で半ニート状態だった僕にライターの仕事をくれた編集者の事務所を5年ぶりに訪ねてみたり。



 編集者の坂本さんに今回の旅で出会った人々やハプニングのいくつかを披露すると、
「日本人にもいろいろな人がいるんですよねえ」
 としみじみ言われた。
「私みたいに毎日狭いオフィスで仕事をしている人間は、どうしても付き合う人が限定されてくるでしょう。旅をすれば世界が広がるのはわかるんだけど、会社のこともあるから長くは休めない。それにもし私が離島なんかに行ったら、のんびりするより前にLAN環境を探して右往左往することになるんじゃないかな」

 そう、日本にもいろんな人が住んでいる。文化的にも言語的にも、僕が考えていた以上に日本人は多様だった。それは都会にいるとほとんど意識することがない。みんな同じようにオフィスでパソコンに向かって仕事をしていると考えがちだけど、実際は全然違うのである。



 京都新聞の論説委員の方には、「三井さんがやっていることは宮本常一に似ていますね」と言われた。日本を代表する民俗学者と同列に語られるなんて身に余る光栄だけれど、もちろん僕は専門的な教育や訓練を受けた人間ではないので民俗学的な視点を持ってはいない。ただ自分の興味の赴くままにその土地の人と話をして写真を撮っているだけである。

 今回の旅でやろうとしているのは、この国に生きる人々の「ボイス」に耳を傾け、それぞれの人生の断片を拾い上げ、それを記録していくことだ。
 それがいったい何になるのかと問われたら返答に困るのだけど、とにかくそれを積み重ねていくことによって、「日本にもいろんな人がいるんだ」と感じる人が一人でも増えてくれれば嬉しい。


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本日の走行距離:13.8km (総計:2701.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:560円 (総計:51260円)

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by butterfly-life | 2010-05-31 08:07 | リキシャで日本一周
78日目:かけがえのない「今」を生きるために(京都市)
 京都御所でリキシャ試乗会を開いた。
 集まってくれたのは20代の若い男の子が多くて、御所の広場に車座になっての座談会ではディープな質問がぽんぽんと飛びだして、さながら人生相談会のようになってしまった。


【御所に遊びに来ていた男の子がリキシャを漕いでみたいというので乗せてあげた。ペダルに足は届かないみたいだったけど】

 大学生のサキモト君は、つい先日「就活やめます!」と宣言したという。しかも企業の採用担当者に向かって。自分を売り込む面接の場でのまさかの「やめます」宣言に、さぞかし採用担当者はびっくりしただろうが、意外にも「自分のやりたいことを思い切ってやったらいい」と励まされたのだそうだ。できた人である。
 サキモト君ははっきりとした目的意識のないまま就職活動を続けることに疑問を感じながらも、周りの雰囲気に流されるかたちで面接を受け続けていた。それをリセットするために就活の終了を宣言したのだ。 
 これから中国へ留学するという。就活中のモヤモヤとした気持ちがすっきり晴れているからなのだろう、前向きないい顔をしていた。中国語を身につけてもそれで簡単に仕事が見つかるほど甘いものでないことは彼にもよくわかっている。でも窮屈な日本社会にとどまるより、世界のいろいろなものを見たいと思っている。たとえ失敗しても。

 大学でプログラミングを勉強しているカトウ君には、「写真家というのはリスクのある生き方ですよね」と言われた。その通り。リスクの大きな道である。収入は安定せず、そもそも食えるかどうかもまったくわからない。
 それでも僕はこの道を選んだことに後悔はない。まったくない。もちろん楽しいことばかりではない。うまく行くことよりも、うまく行かないことの方がずっと多い。でもリスクを冒すだけの価値は十分にある。この瞬間にしか見られない光景や、この瞬間にしか出会えない人に巡り会ったときに、そう感じる。

 若いときには、特に20代の頃には、大いにリスクを取ったらいいと思う。たとえ失敗してもやり直しはきく。「自由」というのは、つまり「失敗を犯すことのできる自由」なのだ。成功に至る道筋は一本ではない。
 そんなことを話した。


【このブログを見ている方が、たまたま京都の町を走っていた】


 御所から実家に戻る途中に、幼なじみのB君の家に立ち寄った。
 B君は一昨年に脳出血で倒れて、右半身不随になってしまった。右手と右足がまったく動かなくなり、言葉も満足に話すことができなくなったのだ。しかし懸命にリハビリを続けた結果、今では自分一人で買い物に行けるくらいにまで回復した。
 倒れてから半年間はずっとふさぎこんでいた。自分の身に起こったことをどうしても受け入れることができなかったのだ。それはそうだろう。30代半ばの人間にとって「健康」というのはそのへんの石っころみたいに当たり前に存在すると思い込んでいるものだから。それが一瞬にして暗転する。
「脳出血って、しょうがないもんや」
 B君は繰り返しそう言った。後悔してもどうにかなるものではない。起こったことを受け入れて、最大限努力してみるしかない。そういう前向きな気持ちを持てるようになるまでには、ずいぶん長い時間がかかったようだ。
 彼の左脳は今でも大きなダメージを受けているが、少しずつ回復してきている。補助具を使って一人で歩行できるようにもなったし、単語を並べるだけだった発話も、長いセンテンスを話せるまでになった。
 100%元に戻ることはないでしょう、とB君のお母さんは言う。それでも80%、90%回復する見込みはある。若い脳はそれだけ可塑性も高いから。

 B君に会うのは久しぶりだった。僕が京都から八王子に引っ越して以来、ずっと顔を合わせていなかった。だからB君に直接会って何をどう話したらいいのか、正直言ってよくわからなかった。わからないままリキシャを漕いで彼の家の前まで来た。
 B君は思いのほか穏やかな表情をしていた。右足を引きずるようにして玄関まで歩いて行き、とめてあるリキシャを見て、ほんの少しだけ頷いた。
 彼は何も言わなかった。僕も何も言わなかった。
 でもリキシャをここに連れてきたよかったと思った。

 明日何が起こるかなんて誰にもわからない。うまくリスクを回避しているつもりでも、人生には思わぬ落とし穴が待っていることがある。
 だから今を、この瞬間を生きる。後悔のないように生きる。

 僕はリキシャを漕いでいる。
 かけがえのない「今」を生きるために。

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本日の走行距離:10.7km (総計:2687.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:4875円 (総計:50700円)

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by butterfly-life | 2010-05-30 08:34 | リキシャで日本一周
77日目:通天閣でたこ焼きを頬張る(大阪市)
 大阪在住のプロカメラマン太田さんと一緒に道頓堀に向かう。「大阪らしい風景の中でリキシャを漕ぐ」というイメージで写真を撮ってもらえないかとお願いしたのである。
 以前から、大阪はリキシャが似合う街なのではないかと思っていた。無意味な派手さ、過剰な装飾、どぎつい色使い。リキシャを構成する要素は、大阪の繁華街が持つけばけばしさと重なり合うような気がしていたのである。

 徹底的にベタな大阪にこだわろうというのが今回の撮影のテーマで、だからロケ地には道頓堀と通天閣という「ザ・なにわ」的な場所が選ばれた。
 道頓堀川の渡る戎橋(通称ひっかけ橋)では例のグリコの看板の前でグリコポーズを決め、「かに道楽」の看板や「フグのずぼらや」のハリボテの前でもにっこり笑って写真に収まった。できあがった写真は底抜けのバカみたいだったが、それぐらいでちょうどいいのだと思う。





 続いて通天閣に移動。この街の看板もやたら派手だが、なんといっても目立つのがそこかしこに並んだビリケン像だ。ご存じのようにビリケンさんはもともと通天閣の展望室に奉られていた謎の神様だが、近年そのキッチュな魅力が再び注目を集めるようになり、付近の食べ物屋や土産物屋がその人気にあやかって次々にビリケンさんのクローン像を置くようになったのである。カワイイというよりは不気味なルックスだが、そこがまたいいのだろう。



 通天閣の前でたこ焼きを頬張るなんて、超ベタなこともやってみた。はふはふ。できたてのたこ焼きは口の中がやけどしそうなほど熱かったが、「うまい!」と声に出したくなるほど美味しかった。有名観光地の行列ができる店なんて、実は味はたいしたことないんだよね、なんて話はよく聞くが、通天閣のたこ焼き屋さんに限って言えばそんなことはありません。やはり食の街大阪。うまくなければ生き残っていけないのだ。



 駆け足で撮影を終えて、やっぱり大阪はリキシャの似合う街だと確信した。看板、ハリボテ、人形、どれもが大声で「こっち見てぇや」と叫んでいる。そのてらいのない目立ちたがり根性は、リキシャの装飾コンセプトにも通じている。
 バングラデシュのリキシャがなぜあれほど派手なのか。いろんな人に聞いてみたのだが、いまだに納得のいく答えは得られていない。誰かが何らかの動機で始めたことなのだろうが、どうしてあんな風な進化を遂げ、それが定着していったのかは誰にもわからなくなっているのだ。
 道頓堀や通天閣界隈の派手さも「気がついたらそうなっていた」という類のもので、大阪人の集合的無意識や夢(or悪夢)の表出だと考えた方がわかりやすい。ということは大阪人とバングラ人は似ているということになるのだろうか?
 そうかもしれない。どちらも気取ったところがなく、フレンドリーで、好奇心が強い。



 大阪人のフレンドリーさは、たとえば黒門市場に行くとよくわかる。エプロン姿のおっちゃんたちが「らっしゃい! らっしゃい!」と威勢のいい声を張り上げる。リキシャが通りかかると、「これなんや?」「ごっつい派手な乗りもんやなぁ」と方々から声がかかる。なぜかおばちゃんは少なく、おっちゃんの方が多いのが特徴だ。





 大阪は自転車の多い町だ。オフィス街でも住宅街でもママチャリで移動している人が多い。地方では自転車に乗っているのは子供だけで、大人はみんな車移動なので、こういう光景も新鮮に映る。
 大阪人は信号を守らない、とはよく言われることだが、実際にその通りだった。赤信号でも車が通らなければ平気で歩行者が横断していく。合理的だと思うが、東京の人は意外にこれをやらない。地方でも同じである。やたらせっかちで、交通ルールよりは自分の都合の方を優先させる。そういうところもバングラ人に似ているなぁと思う。




【国道で見かけた奇妙な物体。あの「せんとくん」をどこかへ運んでいるようだ】

 大阪を出発して京都に向かう。パナソニックの町・門真を抜けて、淀川に沿って北上し、枚方市から八幡市に入った。そのまま国道1号線を走って東寺、西本願寺の横を通り抜けて京都市内に入る。
 京都は生まれ育った土地だから、特別な感慨はなかった。ほっと一息つけるホームタウン。御所の緑も、出町柳の水辺も、いつもと同じだった。


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本日の走行距離:69.6km (総計:2676.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:3015円 (総計:45825円)

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by butterfly-life | 2010-05-29 09:07 | リキシャで日本一周
76日目:元祖リキシャワラ登場(大阪市)
「私が元祖リキシャワラです」
 と溝上先生は言った。いただいた名刺には「大阪外国語大学名誉教授」とある。大変立派な肩書きである。もちろんインドにもバングラデシュにもこれほど立派な肩書きを持つリキシャワラ(リキシャを引く車夫)はいない。

 溝上先生がインドからリキシャを輸入したのは1982年のこと。留学先のデリーでリキシャを気に入り、手間とお金をかけて西宮まで持ち帰ったのだ。購入に900ルピー、デリーからボンベイまで運ぶのに5000円、日本までの船賃が10万円、神戸の税関費用が5000円。30年前の物価水準を考慮に入れると、今の2~30万円もの費用をかけたことになる。
 そうやって持ち帰ったリキシャに子供たちを乗せて、元祖リキシャワラは休日の河原を走った。もちろん子供たちは大喜びだった。軽量化のために幌や余分な装飾を外してしまったので、リキシャ自体はあまり目立つ代物ではなかったようだが、それでも三輪自転車タクシーなんて日本にはほとんどなかったのでおおいに人目を引いたようだ。ちょうど公害や交通事故が大きな社会問題になっていた頃だったので、今風に言えば「エコな乗り物」としてリキシャを取り上げた新聞もあったという。
 ところがそのリキシャも数年後には処分されることになる。最初はリキシャに乗るのを楽しみにしていた子供たちも、成長するにつれて「恥ずかしい」と敬遠するようになり、倉庫にしまわれていたリキシャを何年かぶりに引っ張り出したときには錆だらけでとても乗れる状態ではなくなっていた。泣く泣く粗大ゴミに出さざるを得なかったのだ。
「動かないリキシャというのはただの鉄クズですからね。しかしあれは断腸の思いでしたよ」
 僕のリキシャにまたがる溝上先生は、まるで子供のようにはしゃいでいた。リキシャを漕ぐのは20数年ぶりということで、最初はハンドルとペダルの重さに苦戦している様子だったが、しばらく経つとスムーズに走り回っておられた。さすがは元祖リキシャワラ。昔取った杵柄である。


【20数年ぶりのリキシャとの再会にご満悦の溝上先生】

 溝上先生を後部座席に乗せて、芦屋川沿いを下った。高級住宅地の一角に知り合いのインド人が住んでいるから、今からリキシャを持って行って驚かせてやりましょう、という溝上先生のいたずら心である。玄関先に出てきたインド人プリーティさんは我々の期待通りのリアクションを見せた。一体どうして日本にリキシャがあるの。事情がよく飲み込めないまま目を白黒させていた。

 プリーティさんはIT技術者の夫と共に2年前に来日した。芦屋川沿いの瀟洒な一軒家を借りていることからも、かなりの上流階級に属するインド人であることが伺えるのだが、プリーティさんは取り澄ましたところのない気さくな女性だった。
「プリーティさんはとても歌が上手いんですよ」と溝上先生は言う。「プロ級と言ってもいい。ただの主婦にしておくのはもったいないぐらいです。だから来月彼女のコンサートを開くことにしたんです」
「コンサートですか?」
 いくら歌が上手いといっても、まったく無名のインド人主婦がソロコンサートを開くなんて前代未聞である。しかも一人で2時間も歌い続けるという。大丈夫なのだろうか?
 しかし僕の疑いはプリーティさんの歌声を聞いた瞬間に消えてしまった。インド映画好きならお馴染みのあの甲高く伸びのある歌声が、彼女の口からそのまま再現されたのである。声量もすごいし、振り付けも決まっている。表情も豊かだ。聞き惚れるというか見とれてしまった。





 プリーティさんは子供の頃から歌が好きで、本気でプロ歌手を目指していたという。テレビのちびっ子歌合戦にも何度も出場したし、大スターであるシャールク・カーンと一緒に映画に出たこともある。プロとしてやっていける自信もあった。でも親が決めた結婚に逆らってまで自分の生き方を貫き通すことはできなかった。インド女性にとって結婚は何よりも大切なことなのだ。



 溝上先生はプリーティさんに日本語の歌を覚えさせようとしている。坂本冬美の演歌。しかし低音を使いこぶしをきかせる演歌の歌唱法は、「スウィートネスが何よりも大事」というインドポップスの歌い方とはずいぶん違う。演歌をどのようにインド風にアレンジすべきか。試行錯誤を続けているようだ。


【女性がリキシャを漕ぐ姿なんて、インドでもバングラデシュでも絶対にお目にかかることはない。日本だからこそできる「逸脱」である】

 昼食にはプリーティさんが用意してくれたインド料理をいただいた。パニール(ヤギのチーズ)のカレーとダル(豆)スープ、ライスにチャパティ。一昨日のバングラ料理と韓国料理、昨日の中央アジア料理、そして今日のインド料理と、世界各地の味を楽しんでいる今日この頃。皆さんのご厚意に感謝。

 12時すぎに、大阪に向けて出発する。
 まずは芦屋から阪神沿線を通って甲子園球場へ。大学時代ずっと神戸に住んでいたにもかかわらず、甲子園球場を見るのは今回が初めてである。とりあえず球場入り口の前にリキシャを置いて記念撮影をしていると、制服姿の警察官がつかつかと近づいてきた。何か注意でもされるのかとも思ったがそうではなく、単に好奇心をそそられただけのようだった。
「これなに? すごい派手なもんやなぁ。これで日本縦断しとるんか? そりゃどえらいなぁ。ほんまかいなぁ」
 制服に制帽姿ながら、中身は完全に大阪のおっちゃんである。全然警官らしくない。こういうところが大阪のええところや。ほんまに。
「甲子園の壁にツタがあったじゃないですか。あれはどうなったんですか?」
 警官のおっちゃんに訊ねてみた。甲子園といえば緑のツタが絡まる外壁のイメージが強いが、それがきれいさっぱりなくなっていたのである。
「あれは3年前の工事で取り払われたんや。せやけど、あんなもんない方がええよ。虫も湧くし、蚊も多なるし、不衛生やしな。近代化っちゅうのか、そういう流れはしゃーないんと違うか」
 ツタのない甲子園なんて、なんとかのないコーヒーみたいで、全然「らしくない」と思うのだが、実際には不都合なこともいろいろとあるようだ。



 警官のおっちゃんは変わった経歴の持ち主だった。スペインの大学に留学して、スペイン語の通訳をしていたというのである。スペイン人や南米出身者の通訳として警察に呼ばれることが何度かあり、それがきっかけで大阪府警に勤めることになった。
「でも、もうそろそろ警官をやめよう思てるんや。もう31年もやってるからな、十分やないかな」
「やめて何をするんですか?」
「うどん屋や」
「う、うどん屋?」
 なかなか奇抜な答えである。もしうどんを食べながら聞いていたら、驚いて鼻からうどんを出してしまったことだろう。警官からうどん屋になろうという発想の飛躍は、ある意味では実に大阪らしい。自由でいいですね。
「2年ぐらい経ったら店出すからな。また遊びにおいで。うどんぐらいなんぼでもおごったるさかい」
 冗談とも本気ともつかない口調で、おっちゃんは言うのだった。
 はい、それじゃまた今度うかがいますね。

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本日の走行距離:34.2km (総計:2607.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:4065円 (総計:42810円)

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by butterfly-life | 2010-05-27 22:04 | リキシャで日本一周
75日目:世界のごちそうを食べる(兵庫県芦屋市)
 朝から小雨が降り続く中、神戸三宮から東灘区に移動する。
 多国籍レストラン「世界のごちそう・パレルモ」のオーナーシェフ本山さんから、お昼をご馳走したいと誘われたのだ。本山さんは現在、2年間かけて全世界194カ国の料理を出す「アースマラソン」というとんでもない企画を実行している。メニューを2週間ごとに入れ替えて、地域性溢れる世界各地の料理をお客さんに楽しんでもらおうという趣向だ。

 本日いただいたランチは中央アジア4ヶ国の料理。ウズベキスタンからはラム肉とニンジンのピラフ、トルクメニスタンからは鶏肉と根菜のスープ、カザフスタンからはラム肉と野菜ソースかけうどん、キルギスからは鶏肉と野菜の串焼き。
 どの料理も日本人の舌にも馴染むようにアレンジされているが、コリアンダーやクミンといったスパイスの香りは本場そのもの。料理を口に運ぶごとに、以前アフガニスタンやパキスタンで食べたケバブやスープの味の記憶がそのときの情景を伴って蘇ってくるから不思議だ。



「僕はもともと匂いというものにすごく興味があったんです。フランス料理に惹かれたのも大量にハーブを使うからなんです。臭みの強い素材でもハーブを使うと美味しく食べられる。マジックですよ」
 フランス料理のシェフを目指していた本山さんを変えたのはインドだった。はじめて訪れたインドでマサラ(スパイス)の魅力にはまり、それをとっかかりにしてアジア料理にも興味を惹かれるようになった。それ以来、世界各地を旅しながらそれぞれの土地のレストランに通い詰めて、自分の目と舌でレシピを覚えるという「武者修行」を続けてきた。
「国が違っても、料理人同士は気持ちが通じ合うところがあるんです。言葉が通じなくてもわかり合えるというか。おぉ、こいつはできるなっていうのがわかる。よく大根のかつらむきとかキャベツの千切りを披露するんです。外国人は日本人のように器用に包丁を使わないから、かつらむきは受けるんですよね」



 そうやって習得した世界30ヶ国のレシピを元に「パレルモ」を開店したのが11年前。開店当時は誰もが「3ヶ月でつぶれる」と予想して、それが賭けの対象にもなったという。インド料理やタイ料理といったわかりやすい看板を掲げるならともかく、多国籍料理を出す店というコンセプトはなかなか受け入れられないだろうと思われたのだ。しかし周囲の予想を見事に裏切って、お店は2年、3年と続いた。マニアックな固定客にも支えられ、口コミで客層が広がっていった。今ではランチタイムに順番待ちの列ができるほどの人気ぶり。
 お店の経営は順調そのものなのに、どうしてこのタイミングで「世界中の料理をすべて網羅する」なんて突飛な企画を実行したのだろうか。
「お客さん同士が会話しているときに、『ネパール料理ってマズいよね』って言っているのが聞こえたんです。僕はネパールに何ヶ月もいたから、『それは違うやろ』って思ったんですね。本物のネパール料理を食べたことがないのに、偏見でものを言っている。こういうお客さんに何とか美味しいネパール料理を食べてもらいたい。ある国に対する偏見を取り除いてもらいたい。そう考えたときに、『すべての国の料理を出す』というアイデアが生まれたんです」
 この「アースマラソン」の期間中、メニューは2週間ごとに入れ替わる。「マラソン」と名付けたのは本山さんにとってもお客さんにとっても、「完走」を目指すチャレンジの意味合いを持たせたかったから。そうすれば苦手意識がある国の料理でも食べてみようという動機付けになる。


【パレルモの厨房。50種類のスパイスを常備している】

 アイデアとして思い付くだけなら誰にでもできるが、それを実行に移すのは並大抵のことではない。194ヶ国の中には恐ろしくマイナーな国々も含まれているわけで、たとえばカーボベルデ共和国やスワジランド王国なんてレシピを調べるだけでも大変だ。それぞれのメニューのバランスを整え、ボリュームを調整し、試作し、試食し、また試作し、写真撮影を行い、パンフレットを作り、ついでにその国の文化的背景まで調べなければいけない。てんてこ舞いである。仕事は店を閉めた後、深夜1時2時まで続く。
「やっぱりプロの料理人から、『すごいことをやっているな』と言われるときは嬉しいですね。レシピを考えたり試作したりっていうのはお客さんには見えない部分なんだけど、プロならそれがわかるから」

 本山さんには3人の子供がいる。下の息子はまだ2歳で、お母さんに連れられてリキシャを見たときには、わんわん泣き出してしまった。3歳以下の子供の多くはリキシャを怖がる。やたら派手な色使いや、無意味な装飾が異様に感じられるようなのだ。
「3人目が生まれたときに、子供たちに何かを残してやりたいという気持ちがわいてきたんです」と本山さんは言う。「料理を通じて世界の文化を伝える。それが僕の使命ではないかと。偉そうな言い方をすれば、そんな風に思ったんです」



 本山さんの「マラソン」はまだ始まったばかり。これから2年かけて世界をぐるりと一回りする。ゴールはずっとずっと先だ。
「たぶん僕は『こんなアホおらへん』って人から言われるようなことをやってみたい性分なんでしょうね。それって三井さんも同じなんと違いますか?」
 そう言われてみればそうかもしれない。たぶん本山さんも僕と同じように、ある思いつきに取り憑かれてしまった人なのだ。アホみたいなひらめきをどうしても自分の力で実行したくなってしまった人なのだ。

 パレルモで昼食を食べた後、神戸新聞と毎日新聞の取材を受ける。
 毎日新聞の記者さんは、かつて自転車で日本一周をしたことがあるそうで(おお、ここにもチャリダーが!)、リキシャの旅にも大いに興味を持ってくれた。京大の原子核工学専攻の大学院を出たというバリバリの理系人間の彼が新聞記者になったのは、この自転車旅がきっかけだという。いろんな人と出会って話を聞くことの面白さに惹かれ、新聞記者ならそれを仕事にできるだろうと思ったのだ。
 もちろん楽しいことばかりではない。昨日の夜も明石で起きた殺人事件の取材のために、夜遅く現場周辺の家のチャイムを押して回らなければいけなかったそうだ。新聞記者も楽じゃないですね。


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本日の走行距離:13.3km (総計:2573.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:5円 (総計:38745円)

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by butterfly-life | 2010-05-27 00:21 | リキシャで日本一周
74日目:風との戦い(兵庫県神戸市)
 ペクさん一家が住むマンションを後にして、姫路から神戸に向かう。海沿いの250号線(通称:浜国道)を通って東に進む。
 神戸までは65キロほどの道のりだが、比較的平坦なので楽に進めるはずだった。しかし今日は風に邪魔された。久しぶりの本格的な向かい風。風速はときに10mを超える勢いで南東から吹き付け、リキシャの前に分厚い壁として立ち塞がった。

 向かい風が強い日は、単調な旅になることが多い。肉体的に疲れてしまうので、好奇心が鈍りがちになってしまうのだ。いつもなら、「この細い道に入れば何か面白いものに出会えそうだ」というセンサーが働く場面でも素通りしてしまう。ひたすら前に進むことだけを考えているので、視野も行動範囲も狭まってしまうのだ。

 向かい風の日が辛いのは、他人にこの辛さが理解されないからでもある。よっぽどの強風が吹いていない限り、風向きを気にする人なんてほとんどいないのである。上り坂なら「大変ですなぁ」と共感してもらえる。でも風に関してはみんな眼中の外。
 そんな中で出会った町工場のおじさんは「向かい風は辛かろうなぁ」としみじみと言ってくれたので驚いた。
「私は鳩レースをやっとるからようわかるんや。鳩も向かい風の中やと、よう飛ばんのや」
 なるほど。鳩の気持ちがわかれば、リキシャ引きの気持ちもわかるということなのですね。おじさんによれば、鳩レースとはいわゆる「伝書鳩」を遠く離れた場所で放ち、巣に戻ってくるまでの速さを競うゲームだという。長距離レースともなると、1000キロも離れた場所で放たれた鳩がおよそ半日で巣に戻ってくるというからすごい。鳩ってそんなに速く飛べるんですね。



 鳩レースのおじさんの本職は金属加工業である。小さな町工場で大きなアルミの塊(インゴット)を電動やすりで削っている。液晶テレビのパネルに使われる部材の原材料になるのだという。
「昔は従業員25人を抱える工場を経営しとったんや。戦闘機のエンジンとか、深海探査船とかの一点ものの特殊部品を作っとった。NC入れて自動化も進めとったよ。けど10年前に会社が倒産してしもてな。今ではこんなモグラみたいなことをしとるんよ」
 経営が傾いた原因は1995年に起こった阪神大震災。地震によって受けたダメージから回復できないまま工場をたたむことになった。最先端の特殊金属加工を得意としていた昔と違って地味な仕事をこなす毎日に、内心忸怩たる思いもあるのだろう。
「景気の波はほんまに激しいからな。リーマンショック以降の落ち込みはひどかったよ。注文が前の年の三分の一になったからな。まぁ今は家族経営やからなんとか持ちこたえてるけど、人を雇ってたらそうはいかん」
「景気は戻ってますか?」
「いや、まだそんな実感はないね。うちらみたいな下請けにはまだまだ厳しいよ。今はひたすら耐える時期やないかな」

 町工場のおじさんと別れて以降、休憩を取ったのは今朝オモニに握ってもらったおむすびを食べたときだけだった。4つのおむすびはそれぞれシャケや昆布など違った具が入っていて、とても美味しかった。ありがとう、オモニ。
 それ以外はずっとリキシャを漕いでいた。しかし向かい風は収まるどころかますます強くなり、なかなか前に進まなかった。どんなに頑張っても時速8キロ程度しか出ない。これじゃ歩くのと大して変わらないスピードだ。実際、自転車に乗った中学生たちが楽々と追い抜いていく。「頑張ってくださいねー」と声を掛けてくれる子もいるが、笑顔を向けるのが精一杯で、「頑張るよー」と答える余裕すらなかった。

 明石に到着したのは4時頃。明石海峡大橋が一望にできる海沿いの国道を走ったのだが、このときがもっとも風が強かった。猛烈といってもいいような突風が吹き荒れ、とめてある自転車はばたばたと倒れるわ、買い物をカートを押しているおばあさんが風圧で押し戻されそうになるわで、とにかくひどかった。
 さすがにそんな風の中でリキシャを走らせるのは不可能だったので、ショッピングセンターの建物の陰に入って「風宿り」をした。やれやれ。40分ほどそうしていただろうか。ようやく風が収まってきたので、おそるおそるリキシャを漕ぎはじめた。

 そのあと風がぱたりと止み、それどころか風向きが180度変わって追い風になり、今までの苦労が嘘のようにすいすい進み出したわけだが、最初は「そんなうまい話があるもんか」と疑いながら走っていた。ちょっと安心させておいて、また向かい風が吹き始めるんじゃないの。俺は簡単に騙されないよ。
 しかし「向かい風の祝福」はそれから神戸に到着するまでずっと続いたのである。まるで自分の願いが天に聞き入れたかのような展開。リキシャのスピードは時速8キロから15キロにまで上がった。おお、神よ!
 そんなわけで7時半には何とか三宮にたどり着くことができたのだった。リキシャというのは本当に風次第の乗り物なのである。

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本日の走行距離:67.3km (総計:2559.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:1045円 (総計:38740円)

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by butterfly-life | 2010-05-26 08:00 | リキシャで日本一周
73日目:オモニの味(兵庫県姫路市)
 備前市を出発して250号線を東に進む。本日は姫路まで60キロあまりの道のりを走る予定。本日も高気圧に覆われて、雲のない快晴の一日だ。

 備前市では昨日から市議会議員選挙が公示されたので、選挙カーとすれ違うことが多かった。みんな似たようなウグイス嬢的ボイスで「○○です。○○です。どうぞよろしくお願いします」と連呼する。いつもながらの選挙戦の光景だ。それにしてもどの候補もただ名前を連呼するだけというのは、あまりにも芸がない。他のやり方はないものだろうか。
 とある選挙事務所の人に聞くと、今回の選挙では22人の議員枠に対して26人の立候補があったそうだ。4人しか落選しないわけで、意外に競争率は高くない。あるいは地方議会というのはだいたいこういうものなのだろうか。


【選挙事務所に集まっていた皆さん】

 日生は牡蠣の養殖が盛んな町だった。港には養殖に使うホタテ貝の貝殻がうずたかく積まれている。牡蠣の幼生というのはホタテ貝の貝殻に付着して成長するものらしい。近海にはこのホタテ貝の垂下連を吊しておく筏がたくさん並んでいた。
 漁師さんによれば、その昔このあたりは冬になると西の風が強くなり漁に出られなかったので、その代わりに牡蠣の養殖が盛んになったそうだ。ところが近年はこの冬の西風が吹かなくなり、冬にも漁に出られるようになったのだが、今度は海に魚がいなくなってしまった。小さな魚まで根こそぎとってしまう底引き網漁を行う漁師が多いためだという。お互いが競い合うように魚をとりあった結果、海に魚がいなくなって共倒れになる。経済学で言うところの「コモンズ(共有地)の悲劇」の典型例である。


【壁にペンキを塗っていたおじさん】

 赤穂市ではバングラデシュの民族衣装を着た奇妙な三人組と遭遇した。それぞれ赤やピンクや黄色の原色を使った目に痛いほど鮮やかなドレスを着ている。日本の田舎町にまったくそぐわないこの三人は、岩下さんご夫妻とお友達の真希さん。どうしてもリキシャをこの目で見たいと、兵庫県篠山市からわざわざ車で追いかけてきたという。
 岩下さんは1988年から「PUS」というNGOを作って、バングラデシュの農村に学校を建てる活動を行っている。最初はサラリーマン生活のかたわら私費を投じてバングラデシュに文具を贈る活動をしていたのだが、今では活動に共鳴した人や企業からの支援金を得て、小学校の建設と運営にも乗り出している。
「今年8つめの学校を作ったんですよ」とピンク色のドレスを着た奥さんが言う。「私がこの服みたいな壁の色にしたらどうかしらって言ったら、本当にピンク色の学校ができたんでびっくりしましたよ」
 そりゃびっくりだ。僕もバングラデシュの学校を訪れる機会は何度もあったが、ピンクの学校というのは一度も見たことがなかった。


【岩下さんご夫妻の服装はリキシャに負けない派手さだった】

 千種川の河原に行って、4人でお昼ご飯を食べる。岩下さんが特製のカレーを作って持ってきてくれたのだ。地鶏を使っているから少々肉がかたいが、味はしっかりとしている。スパイスもバングラから持ち帰ったもの。本格的でとても美味しい。
「実はリキシャを日本に輸入しようかと思っているんですよ」
 と岩下さんは言う。普段の買い物にも使えればと考えているそうだが、そりゃちょっと無理ですねぇとお答えする。バングラ並みに平坦な町ならいざ知らず、坂の多い町で(岩下さんが住む篠山市はそうらしいのだが)リキシャを普段使いするのはまず不可能と申し上げてもいいだろう。



 長い上り坂が続く高取峠を越えて相生市へ。ここからはずっと平坦な道のりだから楽だった。
 揖保郡には皮革工場がたくさんあった。独特の臭いが鼻をつく工場の中を覗いてみると、直径4mはあろうかという巨大な木製ドラムがいくつも回転していた。解体した牛の皮に付いている体毛などを薬剤で溶かすためのドラムだという。この機械で処理された皮は染色と乾燥を経てバッグや革靴などに加工される。



「臭いはきついけど、仕事自体はそんなに大変じゃありませんよ」
 と言うのは皮革工場で仕事を始めて3ヶ月という男性。彼もまたチャリダーで、各地で働きながら自転車で日本一周の旅を続けている。北海道のメロン農家で1年働いた後、兵庫県に移ってきた。皮革工場の仕事はハローワークで見つけたそうだ。
「ここでしばらく働いたら、また自転車で旅に出かけるつもりです。次は沖縄がいいかな。ここも居心地はいいんですけどね。でも居心地がいいと動けなくなってしまうんですよね」



 6時半に姫路に到着。姫路では在日韓国人の白(ペク)さん一家のお宅に泊めていただくことになった。長女の京愛(キョンエ)さんからぜひ夕食をご馳走したいと誘っていただき、そのまま居間に泊まることになったのだ。
 オモニ(お母さん)が作る韓国家庭料理はどれも美味しかった。チヂミ、ビビンバ、わかめスープ、豚足、そしてもちろんキムチ。このキムチは在日一世のおばあさんが漬けたものだそうだが、意外にマイルドな味だった。日本に長く住んでいるとキムチの辛さが抑えられる傾向があるという。



 京愛さんは韓国ドラマの翻訳の仕事をしている。ヨン様とかチャンドンゴンといった韓流スターが出ているドラマの翻訳を、フリーランスとして請け負っている。韓流ブームというのは一時的なものに終わらずに、おばさまたちの間ですっかり定着しているようで、スカパーには韓国ドラマを専門に流す放送局が4つもあるそうだ。
「韓国ドラマの特徴はわかりやすいこと。それにとてもリアルだってことです。暴力シーンも過激だし、泣いたり叫んだりといった感情表現も激しい。韓国人はストレートなんです。言いたいことをそのまま言う人が多い。そこが日本人との大きな違いですね」
 京愛さんは子供の頃から朝鮮学校に通い、在日韓国人のコミュニティーの中で育ったので、日本人とコミュニケーションを取るときに戸惑うことも多かったという。日本人は周りの空気を読むというか、人と人との距離感を保つことに長けている。韓国人は在日も含めて感情をストレートに表現する。
 彼女は翻訳者として韓国語も日本語も同じように流暢に話せるが、そうなるまでには時間と努力が必要だったそうだ。彼女が朝鮮学校で習った韓国語は、実際に今の韓国で話されている言葉とはずいぶん違ったものだったからだ。在日韓国人が話す韓国語は、釜山訛りと日本訛りがミックスされた独特の方言になっていたのだ。そんなわけで、京愛さんは韓国でもう一度言葉を勉強し直すことにした。

「あえて在日として生きる意味は何かって聞かれると、すぐには答えられないんです」と京愛さんは言う。「だけど少なくとも今は、日本に帰化する気はありません。うまく言えないんですけど、帰化は祖父母の生き方を否定することになるような気がするから」
 祖父母が韓国の釜山から日本に渡ってきたのは1930年代のこと。朝鮮半島が大日本帝国に併合されていた頃の話だ。当時、釜山やテグなどの東部住民はとても貧しくて、仕事を求めて日本に渡った人も多かった。そのときの祖父母の苦労話を繰り返し聞かされている京愛さんには、「日本国籍の方が便利だから」という理由で国籍を変えることには強い抵抗感がある。



 夕食を食べてから、京愛さんと妹さんが二人そろって晴れ着姿を披露してくれた。丈の短い上着(チョゴリ)と、反対にカーテンのように長く広がる巻きスカート(チマ)は、実に色鮮やかだった。妹さんは来月結婚を控えているのだが、その結婚式で着る予定のとっておきのチマチョゴリなのだそうだ。
 ちょっと早い娘の晴れ姿にオモニも嬉しそうに目を細める。
「娘二人はちょっと痩せすぎているの。本番ではちゃんと下に白い着物を着るから、もっときれいに見えますよ」
 スカートがふわっと円錐状に広がるのが、チマチョゴリの美しい着方なのだそうだ。



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本日の走行距離:61.2km (総計:2492.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:1355円 (総計:37685円)

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by butterfly-life | 2010-05-25 11:16 | リキシャで日本一周
72日目:居心地のいい家(岡山県備前市)
 倉敷市から東に走り、岡山市をあっさり抜けて、瀬戸市に向かう。
 今日はひたすら走るだけの一日。晴天続きで休みなく走り続けているせいで、筋肉に相当疲労がたまっているが、何とか体をだましながらペダルを漕ぐ。リキシャを漕ぎ続けて2ヶ月あまり、心配していた腰の痛みや膝の痛みはさほどではない。特に念入りにケアしているわけでもなく、ストレッチも気づいたらやる程度だが、体がリキシャ引きの生活に慣れてきているのだろう。

 瀬戸内市に入ってから、吉井川の河原で一休みする。豊かな川の流れと、気持ちよく晴れ上がった空、河原にいるのは釣りをしている高校生二人組だけ。そよ風が心地よく、草むらに仰向けに寝転がると、すぐに眠り込んでしまった。草上の午睡。



 69号線を北上しているときに、後ろから「ブンブブブンブン」というけたたましいエンジン音が追いかけてきた。日曜の昼下がりに暴走族とは珍しい。黄色やピンクに塗られたやたら派手な改造バイクが4台連なって走っている。10代の若者かと思いきや、顔つきは30がらみに見えた。暴走族の高年齢化が進んでいるという話をどこかで聞いたことがある。最近の若者はあまりバイクに乗りたがらない一方で、「族」から卒業できない20代30代が増えているそうだ。
 後ろの座席に座っていた男が振り返って手を振ったので、僕も右手を挙げた。リキシャの派手さは暴走族にも通じるところがある・・・と思われたのだろうか。確かにお互い目立つことは目立つけれど。ちなみにこの暴走バイクには「友募集」と書いたステッカーが貼ってあった。応募するのはちょっとためらうよね。

 今日は備前焼の里として知られる備前市伊部に泊まることになった。
 兼業農家の松田さんから「備前市に立ち寄るのなら泊まっていきませんか」というメールをいただいたのだ。しかし後になって、実は松田さんが僕のことを何も知らないということが判明した。松田さんの友達である八木さんという方が昨日路上でリキシャを見かけて僕のブログを読み、備前市に向かうことを知って、松田さんに連絡を取ったらしい。だから松田さん一家は実際に僕がやってくるまで、リキシャがどういうものかまったく知らなかった。
「まぁ、これは一体何かねぇ!」
 納屋に収まったリキシャを見て、おばあちゃんがあんぐりと口を開けて言った。




 松田さんの息子コウタ君は去年自転車で日本一周を試みたそうだ。親に黙って実家を抜け出し、まず日本海沿いに北へ向かった。北海道では昆布漁のアルバイトをしてお金を稼ぎ、太平洋側を南下してきた。しかしまだ道半ばの段階で実家の岡山に戻ると、あまりの居心地の良さに再出発することができなくなってしまった。
 彼の気持ちはよくわかる。旅というのは慣性モーメントを利用しながら行うものなのだ。いったん前に進む力さえ得れば、その運動を持続させるのはさほど難しくはない。だけどいったん運動が止まってしまったら、再び前に進むのは難しくなる。腰が重くなり、次第に腰から根が生えて、その根が地中深くまで伸びていく。もう動けない。動きたくない。そういう気持ちになってしまう。
 だから僕はひたすら移動を続けている。肉体的にはしんどいが、精神的にはその方が楽なのだ。迷わなくてもいい。ただ前に進むことだけを考えていればいいのだ。
 コウタ君はいったん旅を中断して、実家の農業を手伝いながら職探しをしている。自分が本当に何をしたいのか、何者になりたいのか、まだ手探りの状態のようだ。
「でも旅に出て良かったと思っていますよ。布団で寝られることや、三食きちんと食べられること。そんな当たり前のことに感謝するようになったんです。これ、家族の前では恥ずかしくて言えないけど」


【備前焼の花瓶に生けられた花。松田さんのおばあちゃんの居間は趣味がよかった】

 松田家は息子二人、娘二人の四人きょうだい。4人の子供を育てるのは「楽しかった」と奥さんは振り返る。保育園の保母さんをやっていたので、たくさんの子供を相手にするのは苦ではなかったという。
 末っ子は沖縄で働いているが、他の三人は今も実家暮らしなので、夕食はとても賑やかだった。岡山県民、特に備前の人は口が悪いことで知られているらしく(とお父さんは言う)、親子兄弟関係なく辛口のコメントがぽんぽん飛び交う。隠し事の少ないあけっぴろげな家族関係だった。
 次女のミホさんは感激屋らしく、僕の本「スマイルプラネット」を読んでぽろぽろと涙をこぼしていた。最後まで読み終わるともう一度最初から読み返し、また大粒の涙を流した。マスカラがはげて目の周りがパンダみたいになってしまった。
「なんか、すごいですね。うまく言葉にできないけど、ひとつひとつの言葉が心に届きました」
 ありがとう。そう言ってもらえると写真家冥利に尽きます。


【畑を耕す松田さん親子。ヒマワリを植えているところだ】

 松田さんのご主人は長年印刷会社でサラリーマンをしていたのだが、今年定年退職になり、家の裏に広がる畑で野菜を作る日々を送っている。最近の悩みは急に数が増えたイノシシ。夜になると集落に下りてきて、畑を荒らし回っているという。今年から畑を鉄線で囲み電流を流すことにしたのだが、それでもイノシシ害を完全に防ぐことは難しい。以前は薪などを取るために雑木林にもこまめに人の手が入っていたのだが、今は荒れ放題の状態で、そのことがイノシシやシカの急増を招く遠因になっているという。人と自然の共存はなかなか難しい。

 畑仕事の合間にお母さんが「秘密の場所」に案内してくれた。「トトロの道」と勝手に名付けているという畑の脇の小道は、なるほどメイがトトロに会うときに通った緑のトンネルによく似ていた。雑木林が空を覆って昼間でもほの暗く、森のしっとりとした匂いがする。
 思わずダッシュしたくなったけど、トトロには会えないだろうな。もう大人になっちゃったからね。


【備前には古い農家がそのままのかたちで残されていた】
 

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本日の走行距離:50.3km (総計:2431.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:205円 (総計:36340円)

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by butterfly-life | 2010-05-24 21:51 | リキシャで日本一周
71日目:美しいものと醜いもの(岡山県倉敷市)
 福山市を出発して国道2号線沿いに倉敷市を目指す。
 2号線は走っていて何の面白味も見いだせない道だった。自動車のディーラー、タイヤショップ、ガソリンスタンド、中古車店、大型スーパー、ホームセンター、ファミレス、コンビニ、100円ショップ、パチンコ屋。その繰り返しである。5キロ進んでも10キロ進んでも、エンドレステープのようにこの光景が続く。デジャヴなんてもんじゃない。だんだんと頭が痛くなってくる。自分が今どこにいるのか、どの方向に進んでいるのか、よくわからなくなる。

 醜い町だった。誰かが「補助金も!」と叫ぶと、すぐさま他の誰かが「補助金も!」と叫び出す。個人の裁量幅は狭められ、中央からの指示が地方の末端まで行き渡る。この付和雷同社会のなれの果てが、国道沿いの街並みに表れているのだと思う。
 島はそうではなかった。そこには固有の名前と顔を持つ人が住み、景色にもそこにしかない独自のトーンがあった。だからこそ旅が面白かった。
 確かにチェーン店は便利で安い。品質も一律だから安心感がある。僕もよく利用している。でもこのような画一的で醜悪な街並みが日本国中にあまねく広がっていくことを僕らは本当に望んでいるのだろうか。そのことは一度立ち止まって考えてみる必要があるだろう。



 そんな無個性な街並みの中で目立っていたのがうどん屋だった。岡山県では讃岐うどんのチェーン店がいくつもあって、しのぎを削っているのだ。瀬戸内海を挟んで対岸は香川県だから、岡山にも讃岐うどん文化の影響が強いようだ。セルフサービスのうどん屋は安くてうまくてボリュームもたっぷりある。冷やしぶっかけうどん(大)が430円。麺のコシの強さはさすがだった。

 高梁川に架かる鉄橋を渡っているときに、徒歩で旅をしているおじさんに出会った。小さなリュックサックひとつ背負って、歩道をてくてくと歩いていた。1ヶ月前に鹿児島県の佐多岬を出発し、4ヶ月かけて北海道の宗谷岬まで歩く予定だという。おぉ、こんなところで同じ日本縦断者に出会うとは。
「定年退職をして、再就職しようかと思っていたんですが、その前に好きなことをしておきたかった。昔から山登りが好きだったので、日本各地を歩いてみようと思ったんです」
 そうして始めた旅が病みつきになり、結局再就職はしないことにした。年金と蓄えがあるから、さほど贅沢をしなければ十分に暮らしていける。
 日本を縦断するのは今回が二度目なのだそうだ。前回は日本海側を通ったので、今回は太平洋側を通って北海道まで行く。毎日30キロから35キロを歩く。無理をしすぎると疲労が翌日に持ち越されるので、一定のペースを守ることが大事だという。
「観光地にも寄らないし、美味しいものにもそれほど興味はないんです。日本を一本の遊歩道に見立ててひたすら歩くんです」
「旅の目的は何です?」
「そうだなぁ、目的地にたどり着いたとき、『あぁ、これ以上歩かなくてもいいんだ』と思う。その瞬間のために歩いているんじゃないですかね」
 歩く旅人というのはストイックだと思う。自転車やバイク旅行者は自由でどこかふらふらとしている部分があるのだが、歩く旅人はただ前だけを見つめてひたすら歩いてる人が多い。「歩くこと」それ自体が目的であるかのように。
「でも、これが最後の長旅になるでしょうね。もう68ですから、体力的にも厳しいですから」
 と彼は言った。でもどうなんだろう。ゴールの宗谷岬にたどり着いたとしても、また何ヶ月か経つと「歩きたい」という気持ちが沸き起こってくるのではないか。旅の病というのはそう簡単に治るものじゃないと思う。


【歩く人はストイックだ】

 午後4時半に倉敷に到着。倉敷駅の南側にある「美観地区」に向かう。江戸時代の伝統的建物が保存されている観光地である。最初、標識に「美観地区」と書いてあるのを見たときは、「自分で『美観』と名乗るなんてどうかねぇ」なんて思っていたのだが、実際の街並みを一目見ると、「なるほど、これは美観ですわ」と脱帽してしまった。
 とにかく美しい街だった。倉敷川沿いの柳並木が風に揺れる様も白壁と瓦屋根で統一された屋敷もすべてが整然としていて、あるべきところにあるべきものがある。規模は小さいけれど、街並みに美しさは京都に勝るとも劣らない。歩いているだけで気持ち良くなれる町だった。







 水は低きに流る。放っておけば、ロードサイドの画一的な風景が日本国中の街を飲み込んでいくだろう。どこを切っても同じ「金太郎飴状態」がさらに進むことになる。
 街並みを保存するためには努力と見識が必要なのだと思う。美しいものと醜いものが共にある岡山県を走っていると、つくづくそう感じるのである。


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本日の走行距離:49.9km (総計:2380.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:25円 (総計:36135円)

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by butterfly-life | 2010-05-24 08:31 | リキシャで日本一周
70日目:おばあちゃんの島々(広島県尾道市)
 因島の土生港からフェリーに乗って弓削島(ゆげしま)に渡る。対岸に島があったから、それじゃ渡ってみようかという例の行き当たりばったりの船旅である。
 フェリーを降りると、誰かの見送りに来ているスーツ姿のおじさんたちに遭遇。その中に弓削島が属する上島町の町長さんがいた。せっかくだからと一緒に写真を撮ってもらった。硫黄島の元村長さんもそうだが、島の首長というは政治家っぽくない気さくな人のようだ。


【上島町の気さくな町長さんとの記念写真】

 町役場の広報の方もさっそく取材に来られた。町を挙げて歓迎していただいて(ってほどのことではないが)恐縮です。
「産業といえば漁業ぐらいなもので、これといって何があるわけではないんです」と広報の今井さんは言う。「名産品といえばレモン。でも農業も漁業も後継者がいなくて困っているんです」
 島には弓削商船高専があって、以前はこの学校を出た若者が船乗りになって全国に散っていくというのがひとつの定番コースになっていたようだが、今は船員を目指す若者も少なくなっているという。



 弓削島で出会った有田おばあちゃんは、リキシャを見るなり畑仕事の手を止めて、エプロンのポケットから携帯電話を取りだした。リキシャの写真を撮ろうというのである。しかし普段はカメラ機能を使っていないのか、撮り方がよくわからない様子。
「一番下のボタンやと思うけど、違う?」
 結局、僕が写真を撮ってあげることになった。
「私は昔から機械が苦手でよう触らんのです。携帯だけはなんかあったときのために持ってるけど」



 ちょうど畑仕事が一段落したから一緒にお茶でも飲みませんかと誘われたので、近くのおうちにお邪魔することになった。
 有田さんはご主人に先立たれたので、今は一人で暮らしている。もともとは兵庫県姫路の生まれで、獣医だったご主人と見合い結婚をして、この島にやってきた。終戦後間もない頃で、どの家もとても貧しく、嫁入り道具として持ってきた着物を闇市で売ってお米を手に入れるような生活が続いた。
「この島にお嫁に来るまでは、草一本取ったことなかったんですよ。洋裁の学校へ行っていたから針仕事はできるけど、畑仕事は全然できんかったんです。だから最初はもう大変でしたよ。どんなに頑張っても他の人がする仕事の3分の1もできないの。仕事が遅いって怒られて、毎日泣いて暮らしてましたよ」
 しかしそうやって泣いて覚えた百姓仕事が、今では有田さんの生き甲斐になっている。今日も収穫したばかりのグリーンピースの皮を剥き、豆ご飯を炊いてご近所に配るつもりだという。
「こうやって畑で取れたもんをみんなに送るんが楽しみなのよ。ミカンとかキャベツとかタマネギとか、いろんなものを段ボールに詰めて親戚とか友達に送ってやるんです。段ボールに50個も送るんですよ」
「50個! それは大変ですね」
「そうですよ。送り賃だってかかりますしね。でも届いた先からお礼の電話がかかってきたり、お返しが送られてきたりするのが嬉しいの。それだけが私の楽しみ」
 おばあちゃんはグリーンピースの皮を剥く作業をやめて、手元をじっと見つめながら言った。
「今年同級生が4人亡くなったんですよ。次は自分の番か思って、身辺整理をして、いらんもんは捨ててるんです。一日の締めくくりに必ず堤防に出て、夕日に向かって手を合わせるんですよ。今日も一日ありがとうございましたって。それだけが私の日課。自分が今日一日幸せだったことに感謝して、自分の子や孫の健康を願うの」



 おばあちゃんは別れ際にミカンをたくさんもたせてくれた。新生柑、安政柑、はっさく、甘夏。いろんな種類のミカンを袋にぎっしり詰めてくれた。
「あんたも健康で頑張りなさい。日本縦断してらっしゃい」
「ありがとうございます。お元気で」
 離島の集落にはあまり似つかわしくない上品なおばあさんだった。出身が姫路ということもあるのだろう。慣れない田舎暮らしに苦労を重ねてきたことが言葉の端々からうかがえた。
 有田おばあちゃんの人となりや暮らしぶりは、映画「魔女の宅急便」に出てくるおばあちゃんを思い出させた。孫のパーティーのためにニシンのパイを焼いて主人公のキキに届けてもらう、あのおばあちゃんである。上品で世話好きで、でもちょっと寂しげな雰囲気も漂わせている。映画では、おばあちゃんが焼いたニシンのパイは孫娘に「これ嫌いなのよね」と不機嫌な顔で受け取られてしまう。切ないエピソードだった。
 有田さんのような世話好きのおばあちゃんはきっと日本中にたくさんいることだろう。毎日せっせと畑仕事をし、その収穫を都会にいる子や孫に送り、一日の終わりに夕日に向かって手を合わせる。そういう田舎のおばあちゃんに対して、ちゃんと感謝の気持ちを伝えてきただろうか。そう問いかけてみて、素直にイエスと言えない自分がいた。

 上弓削港からフェリーに乗って再び因島に戻る。因島側の港には一隻の船が停泊していた。船腹に赤いペンキがぶちまけられたような跡が残っている。
「あれが例の事件でやられた捕鯨船や」とフェリーの船員が言う。
「例の事件?」
「シーシェパード。ほら、日本の調査捕鯨に抗議して逮捕された船長」
 その事件なら一時期頻繁に報道されたので知っている。確か逮捕された船長は裁判にかけられているはずだ。そのシーシェパードの標的にされた捕鯨船は、いま保守点検のためにこのドックに入っているという。



 因島東部の海沿いの道・県道366号はとんでもない峠道だった。峻険な山が海辺にまでせり出しているので、道路が山を越えるかたちで作られているのだ。そんな道とはつゆ知らず、ノコノコと入り込んでしまった無謀さをさっそく後悔することになった。リキシャがもっとも苦手とするきつい角度の上り坂が延々と続く。一気に全身から噴き出した汗がぽたぽたと落ちて、アスファルトに黒いしみを作る。右手をサドルにかけ、左手でハンドルを握っているので、汗をぬぐうこともできない。一歩一歩じりじりと進んでいくしかない。
 途中でタケノコ掘りに来ているおじさんに出会う。このあたりではイノシシがタケノコを食べてしまうので、いま罠を仕掛けているところだという。
「この先はきついぞ。まだほんの序の口や」
 あまり耳に入れたくないインフォメーションをいただく。
「そ、そうですかぁ」
 息を切らせながら僕は言う。
「あんた、こんな道やと知ってて来たんか?」
 そんなわけないじゃないですか。もし事前にわかっていたら、間違いなく迂回して島の西部を通っていましたよ。無知ゆえの苦役なのですよ、これは。

 そんな風にしてきつい上り坂の休み休みのぼること40分、ようやく頂にたどり着いた。視界がぱっと開けて海が見下ろせる。苦労してのぼった甲斐のある絶景だ。正面の海にお椀を伏せたようなかたちの無人島がぽつんと浮かんでいる。百貫島だ。その昔、銭百貫で売買されたのが名前の由来だとか。大きな亀が日向ぼっこをしているようにも見える。
 頂上からは一気の下り。しかし下り道の傾斜も当然すさまじい急角度なので、ブレーキを握りしめながらそろそろと降りないといけなかった。「下りボーナス」の効果も薄し。その後も上っては下り、また上っては下りの連続で激しく消耗した。まったくもう。


【因島東部の峠道から見える風景。遠くに浮かぶのが百貫島だ】

 因島大橋を渡って向島へ。向島から小型フェリーで尾道に渡る。人と自転車だけを運ぶ小さな渡し船だ。料金係のおばさんが「写真撮ってもええ?」とポーチから写ルンですを出してリキシャに向けた。どうぞどうぞ。同乗した下校途中の女子高生三人組が、リキシャとそれを写すおばさんとを面白そうに見比べている。5分ほどで対岸の尾道に到着。おばさんは「がんばりんしゃい!」と手を振ってくれた。はい、がんばりまっす!

 尾道は素敵な町だったが、ほとんど素通りで福山に向かうことにする。尾道は去年訪れていたからだ。
 新婚旅行だった。趣のある料理旅館に泊まって、海の幸をたっぷり食べた。渋い選択だと思う。もちろん僕のアイデアではない。妻が言い出したのである。彼女は大林宣彦監督のファンで、特に「ふたり」という映画が好きで繰り返し何度も見ている。そのロケ地を訪ねたいというので、尾道にやってきたのだ。
 尾道に滞在した二日間、ずっと雨が降っていた。傘を差しても足がずぶ濡れになるほどの激しい雨の中を、二人してロケ地巡りをした。尾道は坂の町だった。急な坂道にしがみつくように住宅が続いている。路地は複雑に入り組み、簡単に迷ってしまう。僕らは駅でもらったロケ地マップを持って歩き回ったのだが、このマップが不親切きわまりない代物で、なかなか目的の場所に辿り着けないのだった。「尾道で町迷いを楽しんでもらうため、わざと地図を曖昧にしたのです」とはこの地図を監修した大林監督の言葉だが、それにしてもやり過ぎだと思う。
 雨と坂と猫とお墓が多い町。それが僕らにとっての尾道だった。雨に濡れながら歩いても楽しい町というのはあまり多くないと思うが、尾道はそんな町のひとつだった。



 尾道から福山まではほぼ平坦な道のりで走りやすかった。
 夕方だったので下校途中の中高生とよくすれ違った。リキシャに対する高校生たちの反応は様々だった。けげんな顔で見送る子、「がんばってぇ」と声を掛けてくれる子、マンガみたいに口を思いっきり開けて「ンガァ」という表情でこっちを見る子などなど。広島の高校生は表情が豊かでいい。
 ちょっとやんちゃそうな男子高校生二人組が猛ダッシュでリキシャを追いかけてきた。
「写メらせて!」
 と息を切らせながら携帯を取り出す。「写メる」。ほー、そんな動詞があるんだ、と感心する。二人はリキシャの座席に座ってお互いを写メりあった。
「俺らマジでラッキーやね。こんなんに乗れるなんて、自慢できるぞ」
 ええ、とてもラッキーですよ。大いに自慢してちょうだいね。



 東尾道の近くでは3人の男の子が「5円タクシー」の乗客になった。二人は顔がそっくりで、もう一人も似ている。
「もしかして三つ子ですか?」
「ええ、そうなんです」と3人の父親である倉本さんが言う。
 おお、三つ子をリキシャに乗せるなんて初めてである。アメージング!
 二卵性の双子として受精した卵子の一方が二つに分割した結果、「二卵性+一卵性」というややこしい三つ子ちゃんが誕生したという。
 倉本さん夫婦にとって初めての子供がいきなり三つ子の男の子だったわけで、子育ての苦労は並大抵のことではないと思う。わんぱくな三人が同時に別のことを始めると、収拾が付かなくなってしまうのではないだろうか。
 実際、リキシャに興味津々の三人は、ベルを鳴らしてみたり、ハンドルの飾りをいじってみたり、ペダルを回してみたりと大騒ぎだった。
「うわー、鯉のぼりみたい!」
 という感想を漏らす子もいた。なるほど、そう言われてみればリキシャの派手さは鯉のぼりと共通するところがあるよね。


【好奇心いっぱいの三つ子ちゃんたち】

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本日の走行距離:56.8km (総計:2330.9km)
本日の「5円タクシー」の収益:310円 (総計:36110円)

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by butterfly-life | 2010-05-23 13:49 | リキシャで日本一周