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58日目:美術館所蔵リキシャに会いに行く(福岡県福岡市)
 福岡市にある「福岡アジア美術館」にリキシャが展示されているという噂は以前から耳にしていた。美術館が買い上げた(おそらくは)世界唯一のリキシャ。これはぜひとも会いに行かなければ。
 というわけで本日は博多の街のど真ん中を走り抜けて、美術館に向かった。

 ロビーに展示してあるリキシャはぴかぴかに光り輝いていた。装飾も派手だし、細部の作り込みもすごい。もちろん保存状態も素晴らしい。確かにこれなら美術作品として展示されていることにも違和感は感じない。あちこちに錆が浮いて傷だらけになった僕のリキシャがみすぼらしく感じてしまうほどだ。
 この美術館所蔵リキシャは、僕のリキシャの兄貴分であった。本体を作った工房も同じだし、ペイントを担当した人も同じなのだ。「いやぁアフメッドさん、いい仕事してますねぇ」と中島誠之助口調でつぶやいてしまうのだった。


【福岡アジア美術館に展示されているリキシャ。1994年に日本に運ばれてきたものだ。リキシャを見るだけなら無料だし、写真撮影も自由。福岡にお越しの方は必見です】

 学芸員の五十嵐さんにお話をうかがった。五十嵐さんはバングラデシュの伝統的な刺繍「ノクシカタ」に興味を持ち、バングラデシュにも1年間住んだことがあるので、突然の弟リキシャの表敬訪問に大いに興奮してくれた。
「よくもまぁ、リキシャで日本を旅しようなんてこと考えましたねぇ」
「まぁ考えつくのはともかく、それを実行しようという奴はいないでしょうね」


【五十嵐さんにリキシャに乗ってもらった】

 この「福岡アジア美術館」が設立されたのは1999年。福岡市美術館からアジア関係の所蔵品を引き受けて「のれん分け」されるかたちでのスタートだった。所蔵・展示されているのはアジアの現代美術作品ばかり。世界でもアジアの現代アートを専門に扱う美術館はここだけだという。
 常設展も見て回ったが、シュールレアリズム絵画あり、グロテスクな彫刻あり、映像インスタレーションあり、バングラやパキスタンの映画ポスターありと「アートのごった煮」的な印象でなかなか面白かった。
 五十嵐さんによれば、この美術館を訪れるのは福岡市民よりも外部の人が多いという。東京や大阪のアジア美術好きの人はもちろん、韓国人、台湾人、それからなぜかドイツ人も多い。
「これまでの現代アート界というのは欧米が中心で、アジアはどうしてもキワモノ的な扱いでしかなかったんです。本流から逸れた傍流でしかないと。アジア美術館が目指しているのは、それとは別のアートの評価軸を作り出すことなんです」

 この2ヶ月間、日本でリキシャを走らせていて驚いたのは、「きれい」とか「美しい」という感想を漏らす人の多さだった。リキシャの持つ美しさが多くの人の心に響いているのは素直に嬉しかった。

 やっぱりリキシャってのは走ってなんぼなのだと思う。美術館に展示されるよりも、町中を走り回っている方が似つかわしい。リキシャの実用性を無視した過剰な装飾が映えるのは、実際に道路を走る実用の場面なのだ。

 空調の効いた展示室の中でぴかぴかに輝く兄リキシャよりも、雨風に打たれ、あちこちに錆が浮き、次第にボロボロになっていく弟リキシャの方が幸せなのではないか。そう思うのはリキシャ引きのひいき目だろうか。


【福岡の中心渡辺通りをリキシャが走る。山口英一さん撮影】
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by butterfly-life | 2010-05-06 09:11 | リキシャで日本一周
57日目:佐賀牛で昼食を(佐賀県基山町)
 久留米市を出発して、国道3号線を北上する。
 途中で横断歩道を渡るアジア系の若者を発見。声を掛けてみた。ポマードべたべたの髪の毛と、黒い革ジャン、おでこにつけた赤い印「ティカ」。たぶんネパール人だろうと思っていたら、やっぱりそうだった。
 シャビラル君は近くのインド料理屋で働く21歳の青年。日本に来てまだ1年だ。ブッダ生誕の地ルンビニー出身だという。福岡にはネパール人がたくさん働いているのだそうだ。
「あなた日本人? なぜリキシャ?」
 シャビラル君は終始不思議そうな顔をしていた。

 北に進むと、福岡県をいったん離れて佐賀県に入った。
 基山町では和牛農家の梁井さんに昼食をご馳走になった。肉厚の和牛と採れたてのアスパラガスを炭火で焼いたバーベキュー。お昼にこんなご馳走をいただいてもいいのだろうか。
「リキシャを漕ぐのは大変でしょうから、どんどん食べてくださいね」
 と勧められるままにお肉をパクつく。最近、遠慮というものをしなくなった自分が怖い。ゆず胡椒と塩だけのシンプルな味付けだが、それが肉の持つ旨みをより引き出している。うーん、うまい!



 梁井さんご夫婦は30年前から牛飼いを始めた。畜産農家だった奥さんの実家を継ぐかたちだった。現在、牛舎には50頭ほどの肉牛がいる。ここは他から子牛を買ってきて大きく育てる肥育専門の牧場だ。
 出荷する直前の牛は軽自動車並みの巨体だった。体重が800から900キロもあるという。インドやネパールで見慣れているガリガリに痩せた使役用の牛とは全然違う。
「一番気を遣うのは病気ですね。特に子牛は風邪にもよくかかるし、手間がかかります。人間の子育てと同じですよ」
 今、梁井さんたちがもっとも怖れているのが、今年4月から宮崎県で発生した「口蹄疫(こうていえき)」という伝染病だ。口蹄疫は牛や豚などの家畜に感染するウィルス性の病気で、根本的な治療法はないので、もし一頭でも感染した牛が見つかれば、その牧場の牛すべてを速やかに殺さなければいけなくなる。
 もちろん感染牛を出した農家にとっては大打撃だが、それ以上に恐ろしいのが風評被害だ。病気が広範囲に広まることによってマスコミが騒ぎ出すと、消費者の「牛は危ない」「牛は食べるな」というヒステリックな反応を引き起こしかねない。実際には口蹄疫は人には感染しないし、たとえ感染牛の肉を食べたとしても人体には影響がないのだが、そういう科学的見地からの意見よりも、「危ない」「危ない」と連呼するマスコミの方がはるかに強い影響力がある。
「狂牛病騒動のときは本当に大変だったんです。あれで何人の畜産農家が首をくくったことか。まったく牛が売れなくなったので、農家が育てられずに捨てた『捨て牛』が出たほどです」
 消費者の食の安全に対する過敏な反応は、僕の目にも異常に見える。被害者が誰もいないのに、賞味期限を書き換えただけで倒産寸前まで追い詰められる菓子メーカー。ほんのわずかな不具合が見つかっただけで、何百万個もの商品を一斉回収して廃棄処分にせざるを得ない食品会社。次々と報じられる食肉の感染症に右往左往する消費者。
「生産の現場と消費者との距離が離れすぎているのが、問題の根っこにあるんじゃないかと思います」と梁井さんは言う。「スーパーでパック入りの肉を買っている人は、農家がどんな風に牛を育てて、どんな思いで出荷しているのかなんてまったく知らないでしょう?」
 消費者として耳の痛い言葉だった。僕らもスーパーで買い物をするときに、生産者の立場まで想像して選ぶことはまずない。値段と生産地を記号的に見比べるだけだ。





「農家1戸あたり200頭の牛を飼え、というのが農水省の奨励する基準なんです。うちは50頭だから少なすぎるんですね。それなのにもっと牛を減らそうかとも思っている。うちは篤農家ではないんです。農が好きでたまらんというわけではない。朝の7時に起きるなんていうのは、専業農家ではあり得ないことなんです。みんな5時に起きて畑を見回っている。うちの牧場の別名は『マイペンライ牧場』っていうんです。タイ語で『気楽にいきましょう』みたいな意味の言葉でね。200頭の牛を世話して休む暇もなく働き続けるよりは、のんびりと人生を楽しみたいんです」
 がんばりすぎない農業。仕事をほどほどにやりながら人生を楽しむ生き方。梁井さん夫婦がそれを選ぶようになった理由のひとつが、奥さんのB型肝炎だった。
 ウィルス性の感染症であるB型肝炎は決定的な治療法がなく、慢性化して肝硬変、肝臓がんを引き起こす。梁井さんの場合は子供の頃に受けた集団予防接種で注射針を使い回したことから感染した。同じように予防接種でウィルスに感染した人は確認されているだけで全国に6万人、推計では120万人に達するという。梁井さんは2008年に始まったB型肝炎訴訟の原告の一人で、注射針使い回しの危険を知りながら放置していた国を相手に被害の補償を求める運動を続けている。
「B型肝炎の感染がわかったときは目の前が真っ暗になりました。でも肝炎がわかって、自分がいつかガンで死ぬと知ったときに、『この先の人生を精一杯楽しもう』という気持ちになったんです。もう嫌いな人とは付き合わないし、誰にでもいい顔はしない。自分のやりたいことをやる。そう思えるようになったんです。30歳の頃なんて、人生は限りなく続くものだと思っているじゃないですか。自分の死を意識することは少ない。でも本当はそうではないんですよね。人生は有限だと知ったときに、私の生き方は変わったんです」
 B型肝炎の発覚とともに、梁井さんの人生を変えたのはパソコンだった。インターネットが普及する以前「パソコン通信」と呼ばれていた時代からネットを使って遠く離れた人との交流を楽しんできた。ネットの世界に触れることで、農家の娘として土地に縛られているという重荷がなくなったという。
「佐賀の田舎で牛飼いをしていても、三井さんのように世界中を旅している人と知り合うことができる。ネットがなかったら、こんなことは絶対に起こらなかったですよね」



 暖かな日差しの中でお肉を食べながらいつまでも話していたい気分だったが、そうもしていられない。福岡市までの道のりはまだまだ遠い。梁井さんご夫妻に別れを告げて、先に進むことにした。
 福岡市周辺は大都会だった。マンション、商業ビル、工場が延々と続く。これまで旅してきた南九州や四国とは、街の広がりと厚みがまったく違う。停滞する九州経済の中で、福岡だけは唯一成長を続けているそうだが、それもよくわかる。

 太宰府市では駐車場でブラスバンドの練習をしている女子中学生たちに出会った。ホルンやトロンボーンを大音量で吹き鳴らしている女の子たちが、リキシャの登場に「うぁー、すげー」と集まってきた。
「これで日本を縦断しているんですか。スゲェー。触っとこう。なんか頭が良くなりそうじゃないっすか」
 そう言うと彼女たちはリキシャの幌や座席をべたべたと触り始めた。オー、そんなリアクションは初めてである。さすがは女子中学生、発想が柔軟だ。
 好きなだけお触りなさい。でもリキシャに頭を良くする効能は(たぶん)ありません。あしからず。


【やたら元気が良かった中学生たち】

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本日の走行距離:48.1km (総計:1792.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:2010円 (総計:27180円)

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by butterfly-life | 2010-05-05 07:32 | リキシャで日本一周
56日目:イグサを染める(福岡県久留米市)
 僕が今回の旅のテーマのひとつに決めていたのは「日本のはたらきものを撮る」ということだった。ここ数年のあいだアジア各地の「はたらきもの」を撮り続けてきたからだ。アジアのはたらきものと日本のはたらきものとでは何が同じで何が違っているのか、それを写真家の目で確かめてみたいと思っていた。
 でも正直なところ、旅を始める前は日本人の働く姿を写真に収めることができるかどうか不安だった。そもそも働く現場に立ち入ることなんてできるのだろうか。
 しかし旅を始めてすぐに、それが杞憂だったとわかった。奄美大島の製糖職人や、硫黄島の漁師、八代の海苔漁師など、確固たる存在感と味のある表情を持つプロフェッショナルたちに次々と出会うことができたからだ。



 柳川市で出会ったイグサ染色職人の江口さんも実に味のある職人だった。蒸気がもうもうと立ちこめる高温多湿の工場で、彼は額に汗をにじませながらイグサと染料に向かっていた。
「今の時期はまだマシやけど、夏場は本当に大変やなぁ」
 と江口さんは言う。話しながらも決して手を休めることはない。ゴム手袋をはめた手でイグサをかき混ぜ、染料をまんべんなく行き渡らせている。
「この工場はじいさんが始めたから、私で3代目っちゅうことになるな。最初は何度もヤケドしたよ。そうやって仕事を覚えていった」
 この工場では主に八代から仕入れたイグサを蒸し、染料と共に30分ほどぐつぐつと煮て色を付け、乾燥させるところまでを行っている。茶色や赤や緑に染色されたイグサは、別の工場に運ばれて織機で「花ござ(花の模様などを織り込んだござ)」に加工される。



 ここで染色するのは国産のイグサばかりだが、畳表や花ござの原料はすでに大半が中国産のイグサに置き換わっている。もちろんその方が安いからだ。
「日本から持ち込んだ種を植えとるわけだから、中国産も同じ品種のイグサなんよ。見た目も変わらん。でも品質は違うんよ。中国産のイグサは硬くてすぐボロボロになる。日本産は繊維に粘りがあるから、使っていても長持ちするんよ」
 しかし消費者の価格志向は強く、日本産が減っていく流れはいかんともしがたい。染色や織りの行程も中国の工場で行う製品が増えてきた。それでも江口商店では長年培った技術と経験を元に、中国の工場では真似できない品質を維持しているので、価格競争に巻き込まれずに60年近く操業を続けている。
「イグサは生き物やから、同じようには染まらんのよ。同じ畑でとれたもんでも、畑の外側のイグサと内側のイグサとでは性質が違う。外側は太陽の光を多く受けているから硬くて染まりにくい。内側は柔らかい。与える肥料や収穫時期によっても染まり方が違う。でもお客さんには、なるべく同じ色に染めて欲しい、という要求がある。こんな原始的な機械を使っとるんは、この方が勘と経験を生かせるからよ。自動化した機械では決して同じ色には染まらん」



 イグサ染色でもっとも難しいのは、完成したときの色を想像することだという。実際の染料の色と乾燥し終えたときのイグサの色は違う。特に最近は原色ではなくて少しくすんだ色が好まれるようになっているから、余計に気を遣う。赤や黄色といったはっきりした色なら簡単に染められるのだが、微妙な色合いを出すには染料の調合や染めの行程を工夫しなければいけない。
「お客さんの注文にはできる限り応えようとはしているんよ。でも花ござは大量生産される工業製品ではないから、ひとつひとつ微妙に色合いが違ってくる。それはしょうがないんよ。だけどまっすぐなキュウリを求める消費者と同じで、そういうばらつきを認められない人もいる。一時は漂白剤を使ってイグサの色を抜いてから改めて染めるという方法が流行ったことがある。でもそれをやるとイグサは死んでしまうんよ」
 江口商店は家族経営の小さな工場だ。働いているのは江口さんと息子さん、それに7、80代のおばあちゃんが三人。みんな子供の頃からイグサと共に育ってきた人たちだ。この筑後でも多くの農家がイグサを植え、刈り取り、色を染め、ござを織るところまでを家業にしていた。カチャランカチャランという機織りの音がそこら中で聞こえていたという。それが次第に分業化され、機械化が進み、中国産の台頭と畳需要の低下もあって、イグサ産業そのものも大きく衰退した。30軒以上あった染色工場も、今ではここを含めて6軒を残すのみになった。







 工場で使う機械は原理的にはとてもシンプルで、仕組みそのものは創業当時から変わっていない。
「『織り』はコンピューターにもできるようになったけど、『染め』は昔ながらのこのやり方が一番いいのよ」
 江口さんのその言葉に職人としての矜持が表れていた。


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本日の走行距離:44.5km (総計:1744.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:25円 (総計:25170円)

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by butterfly-life | 2010-05-04 07:48 | リキシャで日本一周
55日目:有明の海(熊本県玉名市)
 熊本市の中心に鎮座する熊本城を横目で見ながら北上を開始する。今回のリキシャの旅では有名な観光地にほとんど足を向けていない。この傾向は昔からずっと変わっていない。なにしろ何度もインドを訪れているのに、いまだにタージマハールを見たことがないというのだから異常である。観光地が嫌いというわけではなく、行ったら行ったでそれなりに楽しめることはわかっているのだが、なんとなく足が遠のいてしまうのである。

 国道31号線をしばらく走ると、だらだら坂が始まった。西南戦争時の激戦地として知られる田原坂(たばるざか)だ。地名に「坂」と付いているだけあってアップダウンがきつい。リキシャを降りててくてく歩き、少し下って、また登る。
 「雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂」という看板を掲げた土産物屋がある。西南戦争を歌った民謡の一節なのだそうだ。雨は降っていないからまだマシだけど、終わりがなかなか見えない「越すに越されぬ」田原坂であった。ふー。



 田原坂を下りきって玉名市に入る。ここではターバンを巻いたバリバリの(という言い方も変だが)インド人に遭遇した。インド人一家が家族揃って自動車に乗っていたのだが、リキシャを見かけた旦那さんが慌ててブレーキを踏んだのだった。
「どうしてリキシャなの?」
 車の窓からぬっとターバン付きの頭が出てきて言った。
 さぁ、どうしてリキシャなんでしょうか。僕にもよくわからないんですけどね。
 ターバンを巻いているのはシク教徒が多いが、やはりこの人もパンジャブ州出身のシク教徒だった。名前はシン。シク教徒の男性はみんな「シン」が付くのである。
 シンさんは5年前に日本にやってきて、今は福岡の貿易会社で働いている。日本の中古車をインドに輸出してるそうだ。日本の中古車は古くても品質がいいので、インドでも人気が高い。
 リキシャの前で家族四人の写真を撮らせてもらった。奥さんとかわいい子供が二人。男の子もちゃんとターバンを巻いている。田んぼを背景にして、リキシャと一緒に写真に収まるインド人。一体ここはどこなんだろうという絵になった。
「どうしてリキシャなの?」とシンさんが聞く。
 さぁ、どうしてリキシャなんでしょうか。話せば長いんですよ。


【ここはインド? いえいえニッポンです】


 有明海の沿岸の道を走っていると、小さな漁港に行き当たった。海苔漁師たちの基地として使われている港で、ちょうど僕が通りかかったときに、海での仕事を終えた漁師たちが戻ってきた。
「今日は何をしていたんですか?」
「くやくばしとったと」
 70過ぎのベテラン漁師の肥後弁は、僕には理解できなかった。鹿児島県出水で出会ったシマナカさんもそうだったが、どうも漁師の言葉はお国訛りが強いようだ。
「くやくって何ですか?」
「くやくっていうのは海の掃除のことよ」
 隣にいたおじさんが助け船を出してくれた。
「海の掃除ですか」
「この海では海苔の時期が終わるとアサリを捕るんよ。でも去年はアサリがまったく捕れんでな。だから船を出して、海にたまったヘドロを掃除しているんよ」
 アサリが捕れなくなった原因のひとつは台風が来なかったことにある。台風が通過すると海は攪拌され、海底にたまったヘドロが流れやすくなる。それがアサリが育ちやすい環境を作るという。諫早湾の干拓事業も大きな問題だ。湾が堤防で仕切られたことによって潮の流れが変わり、対岸の熊本県側の生態系にも大きな影響を及ぼしているという。





「有明海はもう昔のように豊穣の海じゃないんよ」と漁師さんは言う。「諫早湾の堤防も開けるとか開けんとか言っとるけど、開けたところで漁場が元に戻る保証はない。昔のようにアサリが軽トラック一杯捕れるようなことはもうないやろうな。以前はこの漁協だけでアサリが6億円分捕れとったんよ。それが最近は1億ぐらいかのぉ・・・」
 有明は海苔の一大産地として有名だが、それでも海苔漁だけで食べていける人はほとんどいないという。この高道漁港の漁協に登録している800戸のうち専業の海苔漁師はわずか18戸。他は年金をもらいながら漁を続けている高齢漁師ばかりである。
 この日港に集まっていたのも、ほとんどがおじいちゃんおばあちゃんだった。中には膝が悪いと言いながら船に乗る80歳のおばあさんもいる。言葉は悪いかもしれないが、雰囲気は老人会である。
「この海もすっかり変わってしもうたなぁ。わしらが若い頃は海が暮らしそのものやった。けど今の若い人は海に来たがらん。陸の方ばかり見とるよ。まぁそれが時代の流れっちゅうもんかもしれん」





 漁師たちは思い思いの場所で日向ぼっこをして、海水を浴びた体とウェットスーツを乾かしている。どこかから猫がやってきて、漁師に体をすり寄せる。海鳥が空を舞う。誰かがタバコに火をつける。おばさんが大きな声で笑う。日はずいぶん傾いて、風が冷たく感じられるようになった。
「そろそろ行きますよ」と僕は漁師たちに声を掛けた。
「あぁ、気ぃつけてな。今度来るときは冬がええ。海苔を捕るのは冬やからの」
「わかりました」
 僕はリキシャにまたがって、堤防道路を西に向けて漕ぎ始めた。



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本日の走行距離:55.6km (総計:1699.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:220円 (総計:25145円)

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by butterfly-life | 2010-05-03 08:56 | リキシャで日本一周
54日目:干拓地の農業(熊本県八代市)
 八代市西部の海沿いに広がる平野は、江戸時代から進められた干拓地だ。長い堤防を築いて砂浜を仕切り、広い農業用地を造りだした。
 ほぼ海抜ゼロメートルの平坦な道のりは、リキシャで走るのにはうってつけだ。バングラデシュを走っていたときは、こうやってすいすいと進んでいたものだった。日本縦断の旅をはじめてからはアップダウンの連続にすっかり慣れてしまったが、リキシャがそのポテンシャルを十分に発揮できるのはこのような土地なのである。

 干拓地では野菜や果物のハウス栽培が盛んだ。トマトやキャベツやレタスなどを冬場に出荷している。
 僕がたまたま通りかかったハウスではメロンを栽培していた。夕張系のレノンという品種で「うまかメロン」というブランド名で東京でも売られているという。メロンは植えてから110日で収穫が可能になる。今日は60日目で、余分な実を取り除く作業をしているという。ひとつの蔓に二つのメロンだけを残して、あとは切ってしまう。そうやってひとつの果実に養分を集中させるわけだ。
「メロン栽培で一番大変なんは温度管理ですね」と農業法人TAC八代の代表・野田さんは言う。「メロンは常に25度に保つというのが基本です。だから天候を見て、毎日ボイラーやハウスの調整をしてやらないといけないんです」


【まだ小さいメロン。これから50日かけて大きく成長する】


【蒸し暑いハウスの中で実の選別作業をする】

 ビニールハウスの中はむっとする暑さだった。湿度が高く風がないので、温度計以上に暑く感じる。夏場になれば40度近くまで室温が上がるというから大変である。
 野田さんの会社はこのあたりでもかなり規模が大きな方で、30人の従業員を抱えて、様々な野菜や果物を作っている。従業員の中には6人の中国人も混じっている。農業研修生として中国の田舎から働きに来ている女性たちである。
「日本の若いもんはなかなか農業をやりたがらない。だから中国人に頼らざるを得ないところはあります。でもこの不況で若い人の意識もだいぶ変わってきましたね。今年も大学卒の新人が入ってきたところですわ。まぁ今は研修期間で、使い物になるかどうか見ているところですけど」
 広い干拓地を有している八代は大規模な農業経営が行える条件が整っているので、野田さんのように法人化して合理的な農業を行う人も多い。
「農業は自然が相手やから、どうしても不安定になるんです。今年豊作でも、来年そうなるとは限らない。だから規模を大きくすることでリスクヘッジをしているんです。個人経営だと一度の不作で借金を抱えて立ちゆかなくなってしまう」
 野田さんには新たに農業を目指す人を増やすためにも「農業が儲かるようにしなければならない」という信念がある。趣味で田舎暮らしをやる人が集まるだけでは、日本の農業に未来はない。しっかりと働いてその分の対価をもらえるような農業経営をしていかないといけない。
「うちの社員には年収1000万円を目指せ、と言っているんです。もちろん可能ですよ。やる気とアイデアさえあればね。今は熊本の農業は元気がないんです。鹿児島、宮崎あたりは活気がある。それを見習わんといけないんですよ」


【真ん中が社長の野田さん】

 八代干拓地で主要作物として植えられているのが、畳の材料になるイグサである。八代地方だけでイグサの国内生産量の8~9割を占めている。しかしフローリングやカーペット敷きの家が増え、畳の需要が大きく落ち込んだことと、中国産の安いイグサが入ってきたことが重なって、イグサから他の作物に切り替える農家も増えているという。
 イグサは12月に植え、8月に収穫する。収穫が終わると農家が自分の家で畳表を作り、それを仲買倉庫に持ち込む。最盛期の昭和30年頃にはこの倉庫に畳表が数千数万枚と積まれ、入りきらないものは倉庫の外に並べられたというが、今やその面影は全くない。巨大な倉庫に積まれた畳表はごくわずかで、管理をしているおじさんが所在なげにたたずんでいた。
「畳表の卸値は1900円ぐらい。でも何年か前までは2500円ぐらいやったよ。不況と輸入品のせいで値段が下がっとるからね」
 かつての栄光を知るおじさんは少し寂しそうに語った。


【倉庫の中はがらんとしていた】

 干拓地北部で出会ったタバコ農家のご夫婦も、12年前まではイグサを作っていたという。タバコの生産はJTと直接契約を結んで行うものなので、管理にはとても気を遣う。
「使う農薬の種類も量も、全部JTが決めたとおりにやらんといかんのよ。もし契約の通りにやらなかったらペナルティーがある。ときどきJTの社員が抜き打ち検査にやってくるんよ。だから嘘はつかれん」
 二人は「AP-1」というタバコ専用の作業車に乗って「脇芽」を殺す作業をしていた。タバコの株から余分な芽が出てくると成長が遅くなるので、ひとつひとつ農薬をかけて潰していくのだ。
「タバコって頭のいい作物よ」と奥さんが言う。
「頭がいい?」
「昼間はこうして葉を広げているけど、夕方になって気温が下がってくると、葉をぎゅっと閉じて芽を守ろうとするんよ」


【キャタピラー駆動の作業車に乗って仕事をする】

 畳ほどではないが、タバコも需要の減少に直面している。喫煙率は下がり、タバコの値段は年々上昇しているからだ。先日も一箱100円以上の値上げが発表されたばかり。愛煙家にとってもタバコ農家にとっても、未来はあまり明るいものではなくなっている。今のところタバコ農家への直接的なダメージは少ないようだが、これから先厳しくなることはご主人も覚悟している。
「以前に比べると、タバコの葉そのものに含まれているニコチンの量が減っているんよ。収穫の時期を遅らせて、葉を熟させるとニコチンが減る。JTがそういう葉を作るように指導しているんよ。葉以外に混ぜる薬にも発がん性のあるものを使わんようになったし、タバコの危険はずいぶん少なくなったはずよ」
 へぇ、JTがそんな工夫をしているなんて知らなかった。ニコチンの少ないタバコねぇ。でもそもそもタバコってニコチンを摂取したときの快感を得たいがために吸うものなんじゃないのだろうか。
「あんたはタバコ吸うの?」とご主人が言った。
「いや、僕は吸わないんです。ご主人はもちろん吸うんですよね?」
「あ、私も吸わんのよ・・・」
 ご主人はちょっと申し訳なさそうに言った。
「タバコを吸わないタバコ農家もいるんですね」
「まぁ、私の場合は12年前からタバコ生産に切り替えたから。もともとタバコとの相性がよくなかったみたいで。さすがにタバコ農家の集まりのときには肩身は狭いけど、これも生活のためやからね」
 ご主人によればJTの社員はみんなタバコを吸うのだそうだ。禁煙が許されていないのかどうかは知らないが、タバコ会社の社員が禁煙を宣言するのは、トヨタの社員がホンダ車に乗るぐらいの喧嘩の売り方だろうと想像する。



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本日の走行距離:47.6km (総計:1644.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:24925円)

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by butterfly-life | 2010-05-02 09:03 | リキシャで日本一周