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91日目:天下の険を越える(静岡県三島市→神奈川県平塚市)
 7時に宿を出る。いつもより2時間は早い出発だ。今日はリキシャの旅前半のクライマックス、箱根越えが待っているからだ。箱根の厳しさは何人もの旅人から聞いていた。自転車だって越えるのに一苦労する道のり。ましてやリキシャなら何時間かかるかわからないというのが経験者の一致した意見だった。

 国道1号線に入るといきなりきつい上り坂が始まる。歩き始めて5分で汗が吹き出してくる。右手の4本の指でサドルを掴み、腕をぐいっと伸ばしたまま前傾姿勢で坂を上る。一歩ずつ歩数を数えながら前に進む。1,2,3,4・・・交互に足を出す。そのことだけに集中する。とりあえず200歩、もし行けるのなら300歩進み、そこで一休みする。

 Tシャツは汗でぐっしょりと濡れ、ショートパンツも上半分が濡れてしまっている。額からも顎からも肘からも、ぽたぽたと汗がしたたり落ちてくる。まるで溶けかかった雪だるまみたいだ。汗が目に入って仕方がないので頭にタオルを巻く。こういう格好って「いかにも」だからなるべくはやりたくないんだけど、そうも言っていられない。快晴の空から降り注ぐ日差しは真夏並みの強さだ。じりじりと肌が焼ける。でも昨日と同じように富士山の姿はどこにもない。山向こうに湧き上がった雲が真白き富士を隠してしまっているのだ。

 乱れていた呼吸を整え、再び前に進む。1,2,3,4・・・。一歩ずつ歩数を数えながら。
 巡礼を行うチベット人の姿を自分に重ねていた。彼らは手に持った数珠でマントラの回数を数えながら山道を登っていた。標高4000メートルを超える酸素の薄い土地を、何日も、人によっては何ヶ月も歩き続けるのだ。チベット人たちは遙か彼方の聖地を目指しながら、そこに至るまでの道のりのことはほとんど頭にはないはずだ。ただ一歩ずつ前に進むこと。それだけに集中しているはずだ。遠すぎる目標設定、長すぎるパースペクティブがもたらすのは途方もない徒労感だ。変わらない景色への苛立ちと、自分に対する無力感。それから逃れるために彼らはひたすらマントラの数をかぞえている。
 かぞえるという行為に没頭しているとき、人はそれ以外のことを考えずに済む。いわば無我の境地だ。自分が自分でなくなっていくような感覚がある。エゴが縮小する。自我が抑制される。自分がただの「歩く生き物」なる。アスファルトの上でひからびているミミズたちと同じように、地上を這いながら前に進むただの生き物だ。

 出発してから2時間、8キロ進んだところに笹原という小さな集落があり、そこの雑貨店でおむすびと午後の紅茶を買った。腰の曲がったおばあちゃんが店のガラス越しに僕のリキシャを見て「大変だねぇ」と声をかけた。ええ、ほんとに大変なんですよ、と頷く。
 店の外のベンチに座っておむすびを食べる。塩加減がたまらなくうまい。午後ティーの甘みも体に染み渡るようだ。雑貨店の隣は「SAKA不動産」という少々変わった名前の不動産屋になっている。坂道の途中にあるから「SAKA不動産」なのだろうか。しかしその奇抜なネーミングセンスを笑う余裕は今の僕にはない。

 山中城跡近くの集落では、もんぺを履き手ぬぐいを頭に被ったおばあさんに出会った。
「私がここに嫁いできてもう60年になる。30年ぐらい前まではこの集落でも馬で荷物を運んでたよ。ほら、向かいのあの建物が馬小屋だったところ。今は馬の代わりに自動車が入ってるけどな」
 箱根の道は馬にとっても人にとっても楽ではなかっただろう。ただでさえ険しい山道を籠を担いだり、荷物を背負ったりしながら文句も言わず歩いていたのだ。つくづく昔の人は偉かったんだなぁと思う。



 出発から3時間ほど経ったところで、大型スクーターに乗ったおじさんが声をかけてきた。
「まぁ休んでけよ」
 おじさんはそう言ってトランクスペースから冷えたコーラを取り出し、半分を金属製のマグカップに注ぎ、残った半分を缶ごと渡してくれた。いただきます。渇いた喉に炭酸がしみた。
「旅をしていると、いろんな人に会うだよ」とおじさんは言った。「自転車、リアカー、乳母車を押して旅をしている人もいたなぁ。自分も旅をするのが好きだから、そういう人を見ると話しかけたくなるだよ。一緒にキャンプしたり、食事をおごってやったりな」
 おじさんに「仕事は何をしているんですか?」と訊ねると、「まぁ遊びが仕事だよ」と言った。今は山奥の村を訪ね歩いているのだそうだ。住む人がほとんどいなくなったいわゆる「限界集落」だ。金鉱脈が見つかったときに多くの移住者がやってきたが、金が採れなくなり、不便さが際立つようになると、大半の村人が村を出ていった。そんな場所を好きこのんで旅しているという。僕が言うのも何だけど、相当な変わり者だ。
「そういう集落に一人残った年寄りの話を聞いてるとな、ワクワクするんだよ。玄関に熊の毛皮とかが置いてあって、もちろんそれは自分で仕留めた獲物なわけだ。そういう生活に憧れるんだよなぁ」


【芦ノ湖の湖畔で昼寝をするおじさん。とても気持ちよさそうだ】

 午後1時。ついに箱根峠に到着する。峠から見下ろす芦ノ湖は絵はがきのように美しい。滑らかな湖面と、深い森の木々。
 芦ノ湖の湖畔まで一気に下る。しかしまだ気を抜くことはできなかった。手ぬぐいのおばあちゃんから「芦ノ湖からの登りが一番きついよ」と教わっていたからだ。芦ノ湖とは箱根の山の頂上にできたカルデラ湖で、だからすり鉢状の坂道をもう一度よじ登らないことには向こう側に到達できないのだ。
 最後の上りはこれまでより一段と傾斜が急で、まさに「心臓破りの坂」と呼ぶにふさわしい坂道だった。一度に歩ける歩数が200歩から100歩になり、やがてそれが70歩になり、ついには50歩になった。もう一息、もう一息、と自分に言い聞かせるのだが、思うように足が動いてくれない。



 2時40分。ついに「国道一号線最高地点」と書かれた看板に到達する。874m。
 看板の下にリキシャを置いて記念写真を撮っていると、反対の小田原方面から歩いてきたという人が話しかけてきた。
「これを引っ張って三島から来たんですか?」
「・・・ハァハァ・・・ええ、そうなんです・・・ハァハァ・・・」
 取り組み直後の相撲取りのように息が上がっているので、まともに返事をすることができなかった。
「これからは下りですから、楽ですよ」
「・・・そ、そうですね・・・ハァハァ・・・」

 もう上らなくてもいい。それは確かにハッピーだったが、喜んでばかりもいられなかった。傾斜があまりにも急だったので、リキシャのブレーキを常にフルの状態でかけ続ける必要があったからだ。100キロの重量があるくせに、リキシャには前輪にしかブレーキが備わっていない。しかもそのブレーキはひどく旧式で効率が悪く、制動能力はあまりにも貧弱だ。ちょっとでもブレーキを緩めるとそのまま止まれなくなってしまうのではないかという恐怖が常につきまとう。昨日見た悪夢の光景がありありと蘇ってきた。とにかくブレーキを強く握りしめながら降りていくしかない。

 両手の握力がなくなってきたころ、ようやく箱根にたどり着いた。やれやれだ。本当に長かった。きつかった。でもなんとか箱根を越えることができた。
 ツイッターでつぶやきながら旅することが、これほど力になった一日はなかった。多くの人が僕のつぶやきに応えて声援を送ってくれた。わざわざ車で追いかけてきてポカリスエットを差し入れてくれた人もいた。多謝。みなさんのおかげで峠を越えることができました。ありがとう。


【小田原で出会った三人娘とお母さん。リキシャ並み、とまでは言わないが、お母さんだって脚力が勝負である】

 日暮れにはまだ時間があったので、このまま平塚まで行くことにする。
 小田原から平塚までは距離にして20数キロ。とことんまで疲労しきっていたはずなのに、まだこの距離を走れることが自分でも驚きだった。乳酸はたまっている。たまりきっているはずだ。それでもなぜか足は動く。「ランナーズハイ」ならぬ「リキシャーズハイ」だろうか。何かをやり遂げたという高揚感が、前に進む力に変わっている。

「目的地にたどり着いたときに『あぁ、これ以上歩かなくてもいいんだ』と思える。その瞬間のために歩いている」
 徒歩で日本を縦断している人が語った言葉の意味が、僕にもわかる気がした。やり遂げるまでは本当にきつい。でも達成したあとにその道のりを振り返ると、なぜだか「またやろう」という気持ちが湧いてくるのだ。今度はもっと高い山、もっと長い道を歩こうと。
 これは一種の中毒だ。治らない病だ。
 僕もその病に罹ってしまったのだろうか?


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本日の走行距離:74.4km (総計:3247.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:15円 (総計:55610円)

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by butterfly-life | 2010-06-21 15:04 | リキシャで日本一周
90日目:桜えびの町(静岡県静岡市→三島市)
 嫌な夢を見た。
 リキシャが国道を走っている。ひどく交通量の多い幹線道路だ。歩道は狭く荒れているので、僕は車道の左側にすり寄るようにしてリキシャを漕いでいる。時速15キロほどのスピードで緩やかな下り坂を下っている。坂を下りきったところにある交差点にさしかかったときに、背後から大型トレーラーが猛スピードで突っ込んでくる。危ない。そう思ったときにはもう遅くて、僕はリキシャもろとも無理に左折しようとしたトレーラーの後輪に巻き込まれてしまう。バリバリバリ。リキシャのフレームがあっさりと潰される。僕は仰向けに地面に転がってしまう。頭の上にトレーラーの大型タイヤが迫ってくる。避けなければ死んでしまう。でも体は動かない。
 というところで目が覚めた。悪夢で起きるなんて滅多にないことだ。しかもリアルだった。車の音も地面の固さも、細部まですごくリアルな夢だった。
 枕元の腕時計は午前4時半を指していたが、窓の外はうっすらと明るかった。もう夜が明けようとしているのだ。

 旅に出てからの3ヶ月はあっという間だった。バングラデシュでの1ヶ月を含めると4ヶ月間、一度も事故に遭わなかったのは幸運だったと思う。ヒヤリとしたことはあった。雨で効かなくなったブレーキに肝を冷やしたこともあったし、後ろから近づいてきた車に追突されそうになったこともある。でも、何とか無事に旅を続けている。
 変な時間に目を覚ましてしまったので、なかなか寝付けなかった。枕を背もたれにしてベッドに座り、ぼんやりと窓の外を眺めて過ごした。まだ外を歩く人はいない。早起きのカラスがどこかからやってきて電線に止まる。朝のゴミを狙っているのだろうか。

 リキシャの旅はモザイク画を描くようなものだ。ひとつひとつの断片は脈絡なく並んでいるように見えるのだが、二歩三歩と後ろに下がって眺めてみると、何かしらの意味を持つ絵柄が表れてくる。
 考えてみれば、アジアでも同じことをしていたのだった。テーマを絞るわけでなく、ただ気の向くままに旅をする。写真を撮る。人の話を聞く。そうやって拾い上げたピースを並べることで、ある文脈を持つ物語を編んでいく。良くも悪くもそういう旅が僕には合っているのだろう。

 本日も雲ひとつない快晴になった。日差しが痛いぐらいまぶしい。微風。絶好のリキシャ日和だ。
 静岡市の中心部から清水区に向かう。以前は清水市だったのだが、例の大合併で静岡市に吸収されたのである。清水は自動車関係の部品工場が多い工業地域だ。その一角にある理髪店の店主と話をした。70年前にお父さんが始めた床屋を兄弟二人で継いだのだという。
「でもご覧の通り暇にしてるよ。これも不景気の影響だろうな。親父も言っていたけど、床屋は景気に敏感なんだよ。現金商売だからね」
 このあたりにはトヨタ系の部品メーカーが多く、去年からの不況でどこも社員の給料が減らされたり、従業員を削減したりしている。その影響が床屋さんにも及んでいるのである。
「もう何十年も床屋をやってるけど、ここまでの不景気は初めてだよ。今までと違って底が見えないね」



 清水から駿河湾沿いを北上する。東海道の宿場町である由比は桜えびの町である。桜えびは日本では駿河湾でしか捕れない貴重なえびで、かき揚げなどにするととても美味しい。わざわざ東京から買い求めに来る客もいるほどの名産品なのだそうだ。



 民家の縁側に6,7人のおっちゃんが座って談笑していた。何をしているのか聞いてみると、
「今日、桜えびの漁をやるかやらんかの連絡を待っているところよ」
 とのこと。おじさんたちは漁師だったのである。漁は夜中に行われる。桜えびは日中には水深が深いところにいるのだが、夜になると浅瀬にまで上がってくる。この性質を利用して夜中に網を仕掛けてすくい取るわけだ。桜えびは希少なので、資源を守るために徹底した漁業管理が行われている。漁師が自分の判断でとりに行くことは許されてない。だからこうしてみんなで漁協からの指示を待っているのだ。
 そんなことを話していると、漁師さんの携帯電話が鳴る。リリリリリ。
「・・・ほう、今日はやるそうじゃ。6時半から船を出すぞ」
 出漁の知らせがもたらされると、集まった漁師たちはいったん家に戻る。漁の準備をするのかと思いきや、今からひと眠りするという。漁の日は翌日の朝まで眠れないから、今のうちに寝だめしていくらしい。



 海では桜えびとシラスをとり、山ではビワと甘夏を作る。それが由比の町である。
 ビワのシーズンは始まったばかりで、袋がけしたビワの実をひとつひとつ手で収穫する作業が行われていた。83歳のおばあちゃんも急斜面に上り、ビワの実をとっているという。「病気なんてしとる暇がない」と冗談めかして言うのだが、実際忙しく働いていることこそ健康の秘訣なのかもしれない。
 このおばあちゃんにいただいたキズ物のビワの実は、ほのかな酸味と柔らかい甘味のバランスが絶妙で、すごく美味しかった。決して派手な甘さではないけど、じんわりと伝わってくる懐かしい味だ。まさにおばあちゃんの味。



 富士川を越えて富士市を走る。本来ならここで眼前にどーんと富士山が見えてくるはずなのだが、残念ながら雲に隠れて何も見えなかった。地元の人によれば、夏のあいだ富士山がきれいに見渡せる日は少ないとのこと。やはり冬のきりりとした空気でないと美しい富士は拝めないものらしい。残念。

 本日は三島市に泊まることにする。ここから東海道を進むと、いよいよ箱根越えである。みんなが「こんな乗り物で越えられるのか?」と心配する箱根。天下の険。
 さてさて、どうなることやら。

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本日の走行距離:69.8km (総計:3173.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:1105円 (総計:55595円)

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by butterfly-life | 2010-06-17 20:02 | リキシャで日本一周
89日目:地球は丸い(静岡県藤枝市→静岡市)
 お茶農家の杵塚さんの家をあとにして、藤枝市街に向かう。
 藤枝の商店街は親しかった。商店主やなじみのお客さんがにこやかに話している横をリキシャが通りかかると、「あれー、5円タクシーだって」と声が上がる。たちまちおじさんおばさんたちに囲まれてしまった。気安さというか人なつっこさは九州の人に近いかもしれない。
 古い提灯屋さんのご主人に提灯を修理するところを見せてもらった。100年以上続く老舗だが、もう提灯自体を作ることはしていない。コスト的に合わないからだ。今は和紙の張り替えと字入れをするのみなのだそうだ。



 藤枝市からまっすぐ焼津に向かう。焼津漁港はマグロの水揚げ量日本一を誇っていて、近代的な港に大型の漁船が何隻も停泊していた。これまで見てきたしょぼい(しかし味わいのある)地方の漁港とはまるで雰囲気が違う。システマチックで隙がない。とりつく島もないという感じだった。リキシャはただ通り過ぎるのみ。

 遠洋マグロ漁船に乗っていたという玉谷さんに話をうかがうことができた。日焼けした肌に麦わら帽子がよく似合っている。がっしりとした筋肉質の体はさすが元船員である。65才という実年齢より10才は若く見える。
「私は15歳の時に初めて船に乗ったですよ。昭和35年の頃かな。太平洋を回遊するマグロの群れを追ってね、世界中を回ったですよ。ハワイに寄港したときはほんとに驚いたなぁ。当時は日本人旅行者も全然いないから、もちろん日本語も通じない。なのに船員たちで連れだってドールの工場に行って、身振り手振りでパイナップルジュースを一升瓶に何本も分けてもらったりしてね。ビキニの女の子が浜辺を歩いているのにもびっくりしたよなぁ」
 船員時代の思い出話を披露する玉谷さんは実に楽しそうだった。かけがえのない青春の1ページ。驚くほど高い波と、凪の静寂。見るものすべてが新鮮で刺激的な日々。



「地球は丸い。海にいるとそれを感じるです。太平洋のど真ん中に行くと、360度見渡す限り何もない場所がある。島もないし他の船もない。そこに水平線の向こうから貨物船が現れる。最初は船の上の部分だけで、しばらくすると全体が見えてくる。昔の人もきっとこれを見て地球が丸いことを知ったですよ」
 玉谷さんは堤防から身を乗り出すようにして話し続けた。インドネシアに寄港したときに現地人と物々交換してサルを手に入れたこと。そのサルが航行中にノイローゼになり、檻から逃げ出して海に飛び込んだのをボートで救ったこと。酔っぱらった船員同士がよく喧嘩をしたので、護身用に鋭く削った金やすりを携帯していたこと。何しろ女っ気が一切ない職場に何ヶ月もいるので、50歳,60歳のおばさんでもきれいに見えたこと。カジキの尖った頭部は人体をも貫くほど鋭い武器になるということ(実際それで死んだ人もいる)。いつまでも話は尽きなかった。
「船員は長かったんですか?」
「いや、そんなに長くもなかったですよ。マグロ漁も一時に比べて下火になったから。今のマグロ漁船は船員のほとんどが外国人なんですよ。船長や機関長、操舵手なんかは日本人だけど、あとの船員は途中の寄港地で拾っていくんです」
 彼は陸に上がってからの人生について、あえて多くを語ろうとはしなかった。ただのサラリーマン。それだけ。やはり懐かしく振り返るのは船員時代のことばかりのようだ。
「凪の夜には甲板に寝っ転がって星を眺めるんです。南十字星が一番好きだったなぁ」
 玉谷さんは空を見上げた。もちろんそこにはまだ星はないし、もし日が沈んでもここからは南十字星は見えない。
「私も若い頃にいろんなところへ行ったからわかるけど、若いときにしかできないことがある。頑張ってな」



 焼津から静岡市に向かうルートは東海道を通るにせよ、海沿いの道を通るにせよ、いずれにしても山を越えなければいけない。僕が今回の旅でナビとして使っているiPhone(+グーグルマップ)は、国道150号線を通るように指示を出していた。このルートだと長いトンネルを走ることになるので、アップダウンはほとんどない。リキシャにとって理想的な道だった。
 しかし実際に国道150号線を進んでみると、実はこのトンネルをリキシャで通るのは不可能だとわかった。自動車専用のバイパス道だったのだ。オー・マイ・ガッ! ナビに騙されてしまった。
「あのー、この先は自転車では行けないんですよね?」
 念のために道路工事現場で旗振りをしているおじさんに訊ねてみると、おじさんはにわかに顔を曇らせて言った。
「いやー、ごめんねぇ。これでは150号線は進めないのよ。自転車だと海沿いの道を行くしかないんだよねぇ。あの道はかなりの坂だから大変だよ。ほんと、ごめんね」
 いえいえ、リキシャがトンネルを通れないのおじさんのせいではございませんので、謝らないでください。何ごとも車中心でしか考えていない国道交通省が悪いのでありましょう。





 というわけで元来た道を戻り、改めて416号線を北上することになった。旗振りのおじさんが予言したようにこの道は傾斜がきつく、峠を登りきるまでにはかなりの時間と体力を浪費した。
 何とか坂道をよじ登り、短いトンネルを抜けると、眼前に太平洋がどどーんと広がっていた。絶景かな。このあたりは「大崩海岸」と呼ばれていて、読んで字のごとく土砂崩れや落石がしょっちゅう起こるような急斜面が続く。下から見上げるとほぼ垂直に切り立った岩山が海岸ギリギリまで迫っている。ガードレールから下を見下ろすと、あまりの高さに足がすくむ。

 そのあとは一気に坂道を下って用宗へ。そこから静岡市まで行った。
 本日はここまで。続きはまた明日。


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本日の走行距離:48.1km (総計:3103.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:1025円 (総計:54490円)

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by butterfly-life | 2010-06-16 09:47 | リキシャで日本一周
88日目:紅茶工場の秘密(静岡県磐田市→藤枝市)
 磐田市から国道1号線を通って袋井、掛川を目指す。
 掛川市では白い車に乗った「ヤクルトのおばさん」のお姉さん(という言い方も変だが)から、「はい、これ飲んでね」とジョアを渡された。ヨーグルトの酸味が体に染みる。くー。
「これ飲むとね、いいことありますよ」
 と「ヤクルトのおばさんのお姉さん」は言う。
 はい、その通りです。皆さん、朝にはヤクルトを飲みましょう。

 国道1号線沿いのガソリンスタンドでは、犬二匹を抱えたおばさまをリキシャに乗せた。普通、犬はリキシャを見ると警戒して吠えまくるものなのだが(これまでに何百頭、いや何千頭の犬に吠えられたことか)、この二匹アイちゃんとラブちゃんはむしろ好奇心をあらわにして、リキシャの周りを駆け回るのだった。まことにお利口な犬である。
「40年もここでガソリンスタンドをやっていると、いろんな人に会うなぁ」
 とご主人は言う。その昔、リアカーを引いて横浜から京都まで行くというお坊さんが通りかかったことがあったそうだ。そのときお坊さんが置き忘れた財布を届けてあげて以来、毎年交流が続いている。袖触れ合うも多生の縁。

 掛川から金谷までは、ひたすら上り坂が続く難所だった。特に日阪を過ぎてからは急カーブの峠道を進まなければいけなかった。国道1号線のバイパスは自転車と歩行者(もちろんリキシャ)が走れないのだ。茶畑とラブホテルしかない寂しい峠道を汗をかきながら一歩ずつ上っていく。眼下のバイパス道が恨めしい。くっそー、あそこを走れたら楽なのに。そう思うが、思ったところでどうにもならない。

 金谷から一気に坂を下って島田市に。そこから平坦な道を東に進んで藤枝市に入る。藤枝市では市街地から10キロほど山の中に入ったところにあるお茶農家の杵柄さんの家に泊めてもらうことになっていた。お茶の収穫と加工をしているから見に来ないかと誘われたのだ。

 静岡といえばお茶、お茶といえば静岡、というぐらい有名な静岡茶だが、その中でも藤枝市の山間部でとれるお茶は質が良いことで知られている。茶の栽培に適しているのは川を中心にして急斜面が迫っている場所だと杵塚さんは言う。それは日本にはじめて茶の木をもたらした日本臨済宗の開祖・栄西が残した言葉なのだそうだ。
「霧が立つような場所、日照時間が短い場所が茶葉の生育には適しているんです。直射日光にさらされる時間が少なくなると、お茶の葉が薄く柔らかくなる。すると味が繊細で香りが複雑なお茶ができるんです」
 スリランカやバングラデシュを旅したときにも茶畑を目にする機会があったが、やはりここと同じような急斜面だった。直射日光を避けることと、寒暖の差が激しいことが質の良いお茶が育つ条件なのだ。



 杵塚さんは34年前から無農薬のお茶作りを始め、それを直接消費者に販売する仕組みを作った。市場を通さないことで卸値を仲買人の都合で決められることがなくなり、農家は質が良く安全なお茶を作ることに専念できる。価格競争に巻き込まれずに済むわけだ。
 杵塚さんは10年前から紅茶の生産にも乗り出した。もちろん主力はいまでも緑茶の生産と販売なのだが、それだけだと需要が先細りしていくのは目に見えている。消費者の嗜好も変化しているからだ。そんなわけで自宅の隣に紅茶専門の工場を建てることにしたのだが、最初に直面したのは日本で紅茶の加工技術を持っている人が誰もいないという現実だった。
 今、日本で飲まれている紅茶のほぼすべてはスリランカやインドなどの外国産だ。実は紅茶も緑茶も同じ茶葉を使って作るものだから(発酵させるかさせないかが両者の違い)、日本でも作ろうと思えば紅茶を作れるのだが、それをしてこなかったのは人件費の安いアジアで大量生産されている紅茶と価格競争をしてもかないっこないと考えられてきたからだ。
 だから杵塚さんはまずスリランカの紅茶工場に行って、本場のやり方を学ぶところから始めた。紅茶の製造機械もスリランカの工場にあった中古品を譲ってもらって、わざわざ日本に運んできた。



 紅茶工場は二階建てで、バスケットボールのコートぐらいの広さがある。二階で行うのは「萎凋(いちょう)」と呼ばれる行程だ。萎凋とは刈り取ったばかりの茶葉を並べて、風を送りながら乾燥させること。これを20時間ほど行うと茶葉の重量は半分になり、文字通り葉が萎れてくる。
 萎凋が終わると、茶葉をベルトコンベアーで一階に運び、「揉捻(じゅうねん)」を行う。これはローリングマシーンという回転機械を使って、茶葉を揉む行程だ。茶葉に傷をつけることによって、細胞の中の発酵酵素を活性化させる。
 第三の行程は発酵。揉捻が終わった茶葉を1時間半ほど別室に置き、発酵を進める。紅茶独特の香りが生まれるのがこの行程だ。
 そして最後に茶葉を乾燥させる。二種類の乾燥機を使って、摘み取った直後の4分の1の重量になるまで茶葉を乾燥させる。これで完成。ブラックボックスのようなものは一切ないシンプルな工場だが、ちょっとしたやり方の違いで味が大きく変わってくるので、機械任せにしておくわけにはいかない。
「私が一番重要だと思うのは、最初の萎凋なんです」
 と言うのは杵塚さんの長女・歩さん。彼女がこの紅茶工場をほぼ一人で切り盛りしている。
「萎凋がうまく行くか行かないかによって、紅茶の出来が大きく左右されるんです。温度と湿度によって茶葉の乾き方は変わってきます。特に梅雨時は湿度が高いからなかなか乾燥してくれない。やり過ぎるとパサパサになって発酵が進まない。どこで萎凋をやめるかが難しいんです」
 歩さんは「美味しい紅茶を作るコツは掃除すること」だという。これは彼女のアイデアではなくて、スリランカ人の職人からの受け売りらしい。実際、機械の手入れや掃除を怠るとお茶の味が格段に落ちるという。細かいところまで丹念に掃除してやること。「紅茶工場の秘密」は案外地味なものだった。
「紅茶作りはもう10年やっているけど、毎年新しい発見があるんです。たとえば以前は発酵を止めるタイミングを温度計を見て決めていたんだけど、今は匂いの変化で決められるようになったんです」


【収穫したばかりの茶葉を萎凋機の前に並べる】


【紅茶工場は独特のかぐわしい香りに包まれていた】


 紅茶工場の繁忙期は1年のうち3週間ほどと短いが、そのあいだ歩さんは朝から夜遅くまで休みなく働く。目を覚ますのは早朝3時半。いくら「農家の朝は早い」とは言っても、この時間から起きている人は珍しい。茶畑の手入れ、雑草取り、露払い、茶葉の収穫、工場の稼働。やるべきことが山のようにあるので、数時間しか眠らずに次の朝を迎えることもあるという。まさに茶畑の「はたらきもの」だ。
「スリランカやインドの紅茶農園にはすごくたくさんの人が働いているじゃないですか。ここと同じ規模の工場でも5,60人は働いているんですよ。でもここは基本的に私一人で全部を見なければいけない」
「50人分の仕事をたった一人で?」
「そうなんです。機械の自動化を進めたり、行程を工夫したりして、何とか一人でも回せるようにしたんです。スリランカ人に言っても全然信じてもらえなかったけど」
 と歩さんは笑う。スリランカ人もびっくりの働きぶり。もちろんインドでもスリランカでも工場の自動化を進めれば労働者の数を減らすことは可能だ。しかしそれをやれば食いっぱぐれる人が大量に出てしまう。何よりもこれらの国々では自動機械を導入するより人を使う方がはるかに安いのだ。安い人件費は紅茶の価格にも当然反映されているわけだが、それでも杵塚さん一家が国産紅茶にこだわるのは、日本人の嗜好に合った紅茶が作れるという自信があるからだ。
 スリランカやインドで作られる紅茶はミルクティーで飲まれることを前提としているので、味が強い。苦みと渋みが前面に出てくる。でも日本人は緑茶と同じように紅茶をストレートで飲む人が多く、そういう人は強い味よりも繊細な味、渋みよりも甘みを求める傾向があるという。藤枝で採れた茶葉は繊細で甘みがある。実際、お客さんからは「砂糖を入れなくても甘く感じる紅茶」という評判をもらっている。



 歩さんの経歴はユニークだ。お茶農家の長女として生まれたものの、10代の頃は農業を継ぐつもりはまったくなかった。子供の頃から生まれ育った田舎を出て、別の世界を見てみたいという強い思いに駆られていた。アメリカの名門カリフォルニア大学バークレー校に進み、カウンセラーになるつもりで心理学と社会学を勉強した。しかしインターンで行った州立病院で精神医学の現実を知る。そこには犯罪者や精神病患者が収容されていて、患者の大半はまともなカウンセリングなどほとんど受けないまま薬漬けにされていたのだ。
「その病院の患者は社会の最底辺で生きてきた人々で、幼い頃から虐待を受けてきたり、貧困にあえいでいる人たちばかりなんです。そういう人こそカウンセリングが必要なはずなんだけど、現実はそうはなっていない。カウンセリングを受けられるのは、お金に余裕があって家族の支えが得られる人だけなんです」
 自分が学んできたことで本当に人が救えるのかという疑問に苛まれていたとき、歩さんは故郷に戻って紅茶工場の仕事を手伝う機会を得た。子供の頃にはやるつもりのなかった農業の違う側面が見えてきたのは、そのときだった。
「4月下旬の新茶の収穫時期になると、70才、80才のお年寄りが茶畑を走り回るんです。すごいですよ。普段はよぼよぼで腰も曲がっているようなおじいちゃんおばあちゃんが目を輝かせて働いている。お茶は一年で三回収穫できるんですけど、なんといっても新茶が一番質がいいし、収入も多いんです。だから新茶の季節はみんな大忙しで働いている。それがね、とっても輝いて見えたんです。農の力ってすごいなって思ったんです」


【本日収穫したのは新茶の遅れ芽。これを紅茶に加工する】



 翌日、歩さんの案内でお茶の収穫の様子を見せてもらうことになった。茶畑は小高い山の斜面にある。軽トラの荷台に刈り取り機と相棒の犬を乗せ、曲がりくねった細い農道をゆっくりと上る。空は高気圧に覆われてぱりっと晴れ渡っている。さわやかな青空の下、茶畑の緑のラインがうねりながら続いている。絵に描いたような茶摘み日和だ。
 歩さんは腰の高さまで伸びた茶畑の中を歩きながら、生えてきた雑草を一本ずつ手で抜いていく。雑草には小さなカマキリがくっついていた。よくよく顔を近づけないとわからないぐらいのか細い虫だ。



「このカマキリはお茶の木に寄生する害虫を食べてくれるんです。テントウムシと同じ益虫です。ここでは農薬は一切使わかないから害虫も発生するんだけど、こうした益虫がいるからひどい被害にはならないんです。農薬を使うと一時的に害虫はいなくなる。でもカマキリのような益虫も同時に殺してしまうから、次に害虫が大発生したときにその増殖を止めるものがいなくなってしまうんです。結果的にもっと多くの農薬をまくことになる。悪循環です。大切なのは生態系のバランスを保つことなんです」
 もちろん無農薬・有機農業はそう簡単に実現するものではない。杵塚さんが34年前に始めたときも、最初は失敗続きだった。農薬に「慣らされている」畑でいきなり無農薬栽培を行おうとすると、必ず害虫の大発生悩まされることになる。アトピー性皮膚炎の患者がステロイド剤の使用をやめるときにリバウンドに襲われるのと同じ理屈だ。しかし時間はかかっても畑自体を「健康体」にしてやれば、害虫や病気に強くなり、農薬をやる必要もなくなる。
「昔から農家をやっていた人たちの知識の蓄積って本当にすごいんです。たとえばミカンの木の根元にはコンニャクを植えればいいと昔から言われているんですけど、それは日陰を好むコンニャクの性質を利用したものなんです。コンニャクを固めるときに使う草木灰(そうもくばい)も不思議ですよね。あんなものをコンニャクに混ぜて食べようだなんて最初に思い付いた人ってすごい」


【現代の茶摘みはこのような専用の機械で行う。よくニュースで目にする手摘みはテレビ用のパフォーマンスである】

 藤枝のお茶農家もご多分にもれず高齢化と後継者不足に悩んでいる。年寄りだけでは手入れができないからと耕作放棄された茶畑も多い。後を継ぐ人間がいないので、昔からの農家の知恵が途絶えようとしている。そのことに歩さんは強い危機感を持っている。
「私は百姓になりたいんです」
 歩さんが足下にまとわりつく愛犬を撫でながら言う。
「百姓って言葉の語源はいろいろと説があるらしいんですが、『百の作物を作る人』という説もあるんだそうです」
「お茶だけではなくて他のものも作りたいんですか?」
「そうです。うちはお茶がメインですけど、冬にはミカンを作っているし、去年からは米作りも始めました。うちには鶏と馬もいるし、これからは野菜だって作りたい。農家のおじいちゃんおばあちゃんたちが持っている知恵を受け継いでいきたいから」
「それじゃ今よりももっと忙しくなるんじゃないですか?」
「働くのは楽しいから、忙しくても全然苦じゃないんです。いつも畑を回りながらニヤニヤしているの。犬と話をしながら。私っておかしいですか?」
「いや、別におかしくはないですよ。でも、農業の何がそんなに面白いのか聞きたいですね」
「自分のやったことがちゃんと反映される。それが面白いのかもしれませんね。堆肥を変え、お茶の木の刈り方を変える。それが次の年には目に見える結果として表れてくる。よく失敗もするけど、失敗から学ぶことも多いんです」



 知的な百姓。
 彼女を見ていると、自然とそんな言葉が頭に浮かんだ。
 どんな職業でも同じかもしれないが、誰かに「やらされている」場合と自分から進んで「やる」場合とでは、モチベーションも目の輝きも全く違う。歩さんは自らの意志で農業を選び、日々の仕事の中に新しい発見や喜びを得ている。農業とはクリエイティブでエキサイティングな仕事なのだと全身で語っている。

「畑にいると『ここが私の居場所だ』って思えるんです」と歩さんは言う。
 農業こそ天職だと確信を持って言える若い人は少ない。しかもそれが女性ともなれば、その数は限りなくゼロに近くなるはずだ。
 今回のリキシャの旅は数々の偶然の出会いによって支えられている。今回もまた幸運がもたらしてくれたたぐいまれな出会いに感謝しないわけにはいかなかった。




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本日の走行距離:56.0km (総計:3055.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:120円 (総計:53465円)

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by butterfly-life | 2010-06-14 20:00 | リキシャで日本一周
87日目:磐田とブラジル(静岡県湖西市→磐田市)
 湖西市から浜名湖を横断して浜松に向かう。浜名湖が太平洋と接している部分は、「口」が非常に狭まっているので、いくつかの橋を渡れば簡単に対岸に渡れるのである。新幹線も在来線も国道1号線もみんなここを通過している。まさに日本の大動脈だ。



 対岸の舞阪には大きな漁港があった。今はシラス漁の真っ最中だそうだ。シラスとはちりめんじゃこの元になる幼魚のこと。漁は潮の流れに大きく左右されるが、大量の日には1隻で900キロもの水揚げがあるという。今日はその半分程度の水揚げしかなかったが、今はいい値が付いているから漁師さんたちは不満顔ではない。
 九州や瀬戸内の小規模な漁港とは違って、舞阪の漁港で働く人の中には若者の姿が目立った。専業漁師には見えないから、忙しい時期にだけ雇われる季節労働者なのかもしれない。20歳前後の若者がエプロン姿で船を洗ったり保冷用の氷を船底に積める作業を手伝ったりしている。




【太いパイプを使って保冷用の氷を船底に積める作業】

 舞阪から高塚までの旧東海道沿いの街は雰囲気がよかった。古い街並みがロードサイド化の波に飲み込まれることなく残っていた。
 しかしそれも浜松周辺になると消えてしまい、近代的なビル街と例の国道沿いのぱっとしない風景に取って代わられた。都市の相貌はどこも似たり寄ったりだ。地域性よりも都市としての機能性の方が重視されているからだろう。

 浜松には「自動車街通り」というユニークな名前の道があった。その名の通り自動車、特に中古車のディーラーがずらーっと軒を連ねている通りである。行けども行けども車が並んでいる。メルセデスやフィアットといった輸入中古車を専門に扱う店も多く、メルセデスベンツのセダンが90万円という値段で売られていたりする。へぇ、そんなに安いんだねぇなどと感心しながらリキシャを漕ぐ。

 浜松では中古車の輸出業を営むバングラデシュ人に出会った。もちろん僕のリキシャにびっくらこいで(←表現が古いね)、乗っていた車を止めたのである。
 バングラデシュでも日本の中古車の人気は高い。10年乗っても壊れない日本車の信頼性は、バングラのような交通カオスの国、メンテナンス技術が未発達の国でこそ、そのポテンシャルを発揮するからだ。
「日本人、リキシャが好きなの? ねぇ、私リキシャを輸入したら、みんな買うかな?」
 とウディンさんは言う。ひょっとしたら商売のタネになると踏んだのかもしれない。
「うーん、それは難しいと思いますよ」と僕は苦笑いする。
 確かにリキシャは日本にないものだから、行く先々で好奇のまなざしを向けられる。目立ちたがり屋には絶好のアイテムかもしれない。でも、よほどのマニア以外わざわざお金を出して買おうとはしないだろう。日本の道路では実用性ゼロだから。無駄に重いし、運転もしにくいし、駐車スペースだって取るしね。


【浜松で中古車販売業を営むバングラデシュ人のウディンさん】

 浜松から天竜川を渡って磐田市に。
 本日は磐田市に住む田之上さんのお宅に泊めていただくことになった。田之上さんは去年までヤマハ発動機で働きながら磐田市の市議を務めておられた。「兼業市議」というのもアリなんですね。
 今から40年ほど前、20歳だった田之上さんはヨーロッパやアジアを放浪していた。1970年頃といえばまだまだ海外旅行が珍しかった時代。もちろんガイドブックなどなく、為替相場が1ドル365円で固定されている超円安の時代だったから、今の旅行者の何倍も苦労して旅をしていたに違いない。バックパッカーがヒッピーと呼ばれていた頃の話だ。
「小田実の『なんでも見てやろう』という本を読んで貧乏旅行ってものを知ったんですよ。それ以外に海外旅行に関する情報はほとんどなかったですからね。まずソ連のウラジオストクからシベリア鉄道でヨーロッパまで行って、そこからはヒッチハイクであちこち回りました。ヒッチハイクをするために朝から何時間も立ちっぱなしで、ようやく乗せてもらった車が何キロか先までしか行かなかったりしてね。今でも当時のことは鮮明に覚えていますよ。昨日のことのように」
「どうして20歳の頃に旅に出ようと思ったんですか?」
「たいした理由はないですよ。ただなんとなく世界をこの目で見てみたいと思ったんでしょう。今から考えたらもう少し目的意識を持って旅をした方がよかったんじゃないとも思うけど、あのときはあれでよかったんです。ヨーロッパの街ではよく人間観察をしていたんです。道ばたの階段に座り込んで、行き交う町の人をただ観察する。それだけでも十分楽しかったな。あれは若い頃しかできない旅ですね」
 田之上さんは5ヶ月に及んだ放浪旅のあいだ多くの人から親切を受けた。だから自然と旅人を見ると助けたくなるという。このあいだも1号線沿いでヒッチハイクをしていたドイツ人の若者を拾って家に泊めてあげた。



 磐田はジュビロとヤマハ発動機の街だ。他にもスズキの工場などもあって街の規模のわりに工業生産は高い。田んぼの中に大工場がでんと建っているところから「田園工業地帯」という言い方もされるそうだ。
 しかし輸出中心の製造業はリーマンショック以降の不況の波をもろに被ることになった。受注は激減し、工場の操業はストップし、従業員のリストラが進んだ。その結果、まず最初に首を切られたのが外国人労働者だった。磐田には特に日系ブラジル人が多く、一時期は18万人の磐田市民に対して1万人近くのブラジル人が住んでいたというから驚きだ。しかし去年から今年にかけて、大半の人が故郷への帰国を余儀なくされた。

 田之上さん自身もブラジルには少なからぬ縁がある。田之上さんのおじいさんが移民としてブラジルに渡っているのだ。そのとき長男(田之上さんのお父さん)だけを日本に残していったという。親類が「大事な息子を残していけば、いずれは日本に戻ってくるだろう」と考えたためだ。しかし田之上さんの祖父はついにブラジルから帰国することはなかった。残された田之上・父は「俺は家族に捨てられた」と思い込んだまま一生を終えた。数年続いた手紙のやりとりも途絶えてしまい、消息がつかめなくなってしまったのだ。

 最近になって田之上さんは生まれて初めてブラジルを訪れた。そのとき現地の日系人協会を通じて田之上・祖父の消息を探したという。そこで7人の叔父叔母と、32人のいとこがブラジルにいることを確認する。そして田之上・祖父母は、息子を一人故郷に残してきたことをずっと後悔していたことを知る。いつも西の空に向かって手を合わせていたのだと。

 時代の変化というのは不思議なもので、100年の時を経て、今度はブラジルで育った日系人が日本に仕事を求めてやってきている。もちろん劣悪な労働環境や、通信網の不備は解消され、その気になれば地球の裏側に住む家族とリアルタイムで話すこともできる。実の息子と音信不通になったまま死んでいくということもなくなった。地球は確実に狭くなっている。


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本日の走行距離:42.0km (総計:2999.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:5円 (総計:53345円)

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by butterfly-life | 2010-06-07 08:07 | リキシャで日本一周
86日目:田植えって面白い(愛知県刈谷市→静岡県湖西市)
 刈谷市から1号線を通って豊橋市に向かう。東海道をリキシャで走り抜けるわけだ。
 今日もほとんど休みなくペダルを漕ぎ続けた。休憩を取った方が余計疲れるような気がするのである。運動生理学的にどうなのかは知らないが、短い休みを入れると筋肉が硬くなるようで、再出発したときにだるさが増してしまうのだ。息が上がらない程度でずっと漕いでいる方が、長距離リキシャ走には向いているようだ。

 岡崎市から豊川市は外国人の姿が目立った。トヨタ系の部品工場が多く、日系ブラジル人や中国人、タイ人などがそこで働いている。バングラデシュで出会った「日本帰り」の元出稼ぎ人たちも、住んでいた場所として名古屋とその周辺都市の名前を挙げることが多かった。
 しかし地元の人によれば、外国人労働者の数は一時期よりはずいぶん減ったという。リーマンショック以後トヨタをはじめとする自動車メーカーは一気に赤字に転落し、大量の派遣社員の契約を打ち切ったのは記憶に新しいが、「派遣切り」にあったのは日本の若者ばかりでなく、もっとも切りやすい人材として外国人労働者も大量に解雇されていたのである。仕事を首になったら生活費だけがかさむわけで、やむなく国に帰ってしまった人も多い。



 豊川市は田植えシーズンを迎えて、あちこちの農家が苗を植えていた。ほとんどが兼業農家だから、田植え作業は仕事が休みの土日に集中するようだ。5月の末に田植えをして、収穫するのは9月の終わり。
 農道を走っているときに出会ったご一家は、ご夫婦と息子さんの三人で田植えを行っていた。お母さんが苗を準備し、お父さんが田植機で植え付けを行い、息子さんがトンボを使って地面をならしていく。
「こういう機械を揃えるだけでも農家の負担は大きいんですよ」
 とお母さん。一年のうちわずか二日しか使わない田植機は100万円ほどだし、トラクターは300万円、刈り取り機は200から300万もする。規模の小さい農家にとってこれらの出費は大きな負担となる。集落全体で数台の農機具を購入してシェアするようなやり方は誰もしていないという。ちょっともったいない話だ。







 隣の田んぼではおじいさんと孫が田植えをしていた。正確に言えば孫たちは田んぼの中で遊んでいただけなのだが。タニシやカエルがいないかと田んぼの泥に手を突っ込んで探し回っている。
「うちで使っているのは安物の田植機で、人が後ろから押さなきゃならないから、足腰がしんどいんだよ」とはおじいさんの弁。
「でも田植えって面白いよ」
 と言うのは二人の孫。そう、僕も何度かやったことがあるけれど、田んぼの泥に素足を突っ込むのって、意外に楽しい経験なのである。泥の温かみやヌルヌルとした触感は、普段の生活からは得ることができない感覚だ。たぶん二人の孫はこの泥の感触から何かを学んでいるはずだ。









 豊橋市を走っているときに、なんとリキシャの絵がプリントされたTシャツを着た男性に呼び止められた。リキシャTシャツ? こんなの初めて見た。
「ごく最近までインドに行っていたんですよ」とモリヤさんが言う。「仕事で3年間デリーに住んでいたんです。このTシャツはそのときのお土産。でも、たまたまリキシャのTシャツを着ていたら、道ばたでばったりリキシャを漕いでいる人に出会うなんてね。ほんとご縁ですね」
 インドと日本はあらゆる点で違っていて、それも含めてインドでの生活は楽しかったとモリヤさんは言う。もちろんリキシャにも何度も乗ったが、インドのリキシャはここまで派手ではなかったので、子供たちも大喜びの様子だった。



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本日の走行距離:67.1km (総計:2957.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:1030円 (総計:53340円)

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by butterfly-life | 2010-06-05 20:18 | リキシャで日本一周
85日目:ハイウェイに迷い込む(岐阜県大垣市→愛知県刈谷市)
 久しぶりに気持ち良く晴れ渡ったリキシャ日和の一日。本日は大垣市から南下して名古屋に向かう。
 長良川を渡って羽島市に。長良川の橋の上では新幹線と並走した。ちょうどすぐ横をN700系の流線型が猛スピードで駆け抜けていく。時速200キロオーバー。それに対してリキシャは時速13,4キロが精一杯で、片側一車線の橋の上は僕のリキシャによるプチ渋滞が起こっている。ソーリー。でも他にどうしようもないのですよ。



 羽島市、一宮市あたりは、こう言ってはなんだけど本当に何もない町で、ただひたすら何も考えずにペダルを踏み続けた。道路の状態はいいし、追い風でもあったので順調に進む。
 国道沿いに「アメリカンドリーム」という名前のレストランがあった。外壁全面を使ってアメリカンを代表するイコンが描かれている。オバマ大統領、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンロー、そして自由の女神。このベタさ加減。「これがアメリカだ、文句あっか」的なストレートさに思わずリキシャを止めて写真を撮ってしまった。
「初めて来たお客さんに、『入るのに勇気がいる』って言われるんです」
 とは従業員の女性の弁。きっとアメリカ好きのオーナーの個人的な趣味なのだろうが、客の受けうんぬんよりも自分の思いの具現化の方を優先する意志の強さに拍手を送りたい。この店の前ではリキシャの派手さも若干色あせて見えるほどだ。



 名古屋市街の近くにあるコンビニの前で、自転車に乗ったおじさんから「兄ちゃん、弁当いらんか?」と声を掛けられた。おお、コンビニの前でまさかの弁当セールス。いいんですか?
「280円。安いやろう。値段だけじゃなくてボリュームもたっぷりやからな」
 おじさんは自転車の荷台に積んだ白い発泡スチロールの箱を開けて言った。確かに280円はお得だと思う。でも僕はついさっきお昼を食べたばかりなのでお断りする。
「今日は20個ぐらい売れたかの。まぁまぁやな」
 とおじさんは言う。そしてコンビニで買ってきたばかりの紙パック入りの酒「鬼ころし」にストローを突き刺しして、一気に飲み干した。幸せそうだ。
「仕事の終わりの一杯ですか?」
「あ? いやー、いつも酒は夜にしか飲まんよ。まだ仕事があるからな。昼間はこうやって弁当を売って回って、夜は居酒屋で働いとる。酒はな、夜にしか飲まんよ」
 別に僕に言い訳しなくたっていいと思うのだが、やっぱり昼間から酒を飲むのはなんとなく後ろめたいのだろう。

 名古屋の人は酒が好きなのか、この直後には道ばたで「ビールでも飲む?」と声を掛けられた。自分も旅が好きなので、旅をしている人間を見るとつい話しかけてしまうのだという。
「これ、今買ったばかりだから冷えてるよ」
 ちょうど喉がからからに渇いていたので、ほとんど条件反射的にプルトップを開けてゴクゴクゴクと飲み干す。ぷはー、やっぱり汗をかいた後のビールは最高やね。喉にしみわたるよ、これは(・・・というのは冗談です。リキシャでも飲酒運転はいけません。はい。皆さんも気をつけてくださいね)



 名古屋城をぐるりと回り、繁華街である栄に向かう。栄はファッションの街、ショッピングの街だ。10代から20代のファッショナブルな若者がぞろぞろと歩いている。久しぶりにこういう光景を目にした気がする。田舎ばかり旅していると日本がすっかり老人の国であるようにも感じるのだが、都市に行けばちゃんと若者が集っているのである。


【名古屋のまちなかになぜかパゴダが出現。ここはミャンマーか?】

 名古屋は道の幅が広い。市内の道路は片側4車線が普通。車用に設計された街なのである。
 名古屋に住んでいる知り合いが「名古屋は巨大な田舎ですよ」と言っていたが、実際に走ってみるとその意味がなんとなく理解できた。東京や大阪などの古くからの街は道幅が狭く、ごちゃごちゃとしているし、だからこそその街ならではの空気が醸成されるのだが、名古屋の場合は広い道のせいで各エリアが分断され、人工的で散漫な印象を受けてしまうのだ。

 栄から南に下っていくと、有名な熱田神宮が見えてくる。作られた街の中にうっそうと生い茂る神社の緑があるとほっとする。
 熱田神宮の駐車場にリキシャをとめていると、一人のおばさんがつかつかと歩み寄ってきた。
「これはどこの国のものだ?」
 尋問するような口調でおばさんは言う。目が据わっている感じ。どことなく普通じゃない雰囲気が漂っている。
「バングラデシュですね。インドの隣」僕はいつものように答えた。
「インドはみんなマハラジャだ」とおばさんは宣言した。「ベトナムはみんなベトコンだ。インドネシアはみんなジャワだ。マレーシアはみんなベンガルトラだ」
「どういうことですか?」
「どういうことって、そういうことだ」
 だからどういうことですか、とはあえて聞かなかった。だってそういうことなんだもん。おばさんの頭の中では成立していることなのだろう。きっと頭に思い浮かんだフレーズを反射的に口にしてしまう人なのだろう。悪気があるわけではない。こういうしゃべり方しかできない人なのだ。
「あ、そうだ。今トラ狩りが行われているから、以後気をつけるように」
 そう言い残すと、おばさんはすたすたと歩いていってしまった。トラ狩りねぇ・・・。
 ちなみにこのあと熱田神宮の本殿の前でこのおばさんを再び見かけたのだが、彼女は何かに取り憑かれたように手水舎の水をひしゃくで外にかき出していた。もちろん声は掛けなかった。



 名古屋市を通過して刈谷市に向かう。まだ時間的に余裕があったから、できるだけ先に進んでおこうと思ったのだ。
 国道沿いに小さな自転車屋があって、店主らしきおじいさんが日向ぼっこをしていた。もう85歳を超えて、杖無しには歩くこともできないが、自転車修理の仕事だけは続けているという。昔からのなじみのお客さんが一日に何人かやってくるのだ。
 おじいさんの自慢はきちんと整理された古い工具類。スパナやドライバーやペンチなどがすぐ手に取れるように所定の位置に並べられている。
「他の店はごっちゃごちゃや。だから工具を探すんも時間がかかる。こうやって並べとくと、どこに何があるかいちいち見なくてもわかる。体が覚えとるからな」
 今日は古いママチャリのスポークを交換した。これはひと仕事だった。でも誰も急かさないから、自分のペースでゆっくりやっている。
「どうせあと1年で店を閉めるからな。77年続いたけど、ここら辺が潮時じゃ」





 刈谷市に向かう国道23号線で、パトカーに止められる羽目になった。最初はただの国道だったのだが、いつの間にかそれが自転車や歩行者の通行が禁止されたバイパス道に変わっていたのである。ありゃりゃ。
 薄々気づいてはいたのである。車線が増え、両サイドは防音壁で囲まれたハイウェー。こんなところをリキシャが走るのは危険だし、他の車の迷惑にもなる。これはまずい。早く下道に降りなきゃな、と思っていた矢先にパトカーのマイクから「はい、そこの自転車止まりなさい」という声が聞こえてきたのである。
「君、ここは自転車は走れないぞ」
 パトカーを降りてきた警官は言った。さほど強い口調ではなく、苦笑いを浮かべていた。
「はぁ。やっぱりそうですか」
 と僕は頷いた。いや、そんな気はしていたんですよ。
「さっき『ギリシャ人が日本縦断をしている』という通報があってね。でも君はギリシャ人ではないみたいだね」
「はい。一応、日本人です」
 よくある誤解である。多くの人は「リキシャ」という文字をとっさに読むと、「ギリシャ」と読み間違えてしまうのだ。なじみの薄い「リキシャ」という言葉を、瞬時に既知である「ギリシャ」に置き換えているわけだ。人間の脳は巧みだ・・・なんて感心している場合ではないですね。
「どこに行きたいんだい?」
「刈谷市です」
「そうか。パトカーで先導するから、とりあえずこの国道を降りなさい」
 親切な警察官はパトカーから地図帳を取り出して、どの道を通れば安全に刈谷まで辿り着けるかを調べて、丁寧に教えてくれた。
 というわけでハイウェーに迷い込んだ哀れなリキシャは、赤ランプをくるくる回しながら先導するパトカーと共に一般道に降りることになったのである。
 皆様、ご迷惑をおかけしました。以後気をつけますです。

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本日の走行距離:69.6km (総計:2890.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:52310円)

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by butterfly-life | 2010-06-04 04:10 | リキシャで日本一周
84日目:スローなリキシャの役割(滋賀県彦根市→岐阜県大垣市)
 彦根に「彦根リキシャ」なるものがあると聞いて、これは会いに行かないといけないと思ったのである。
 彦根の商店街の一角にある「五環生活」というNGOの事務所に、そのリキシャはあった。外見は僕のリキシャとはずいぶん違う。和風なのである。屋根や柱には漆が塗られていて重厚感があり、両サイドのすだれを垂らせば平安時代の牛車のような優雅な外見になる。客席部分は地元彦根の仏壇職人の手によるもので、蒔絵を使うなど細部の作り込みもすごい。チャラチャラと人目を引くことばかりに重点を置いたバングラデシュのリキシャとは方向性が正反対なのである。


【彦根リキシャは和風のリアカーをマウンテンバイクで引く構造】

 彦根リキシャは「日本の風景に合ったオリジナルリキシャを作ろう」というコンセプトの元で開発された。「五環生活」ではドイツ製ベロタクシーも3台所有して走らせているのだが、その近代的なルックスが城下町彦根の景観にはそぐわないという意見もあった。それならば彦根の町に合うリキシャを自分たちで作ってしまおう、という思いから設計されたのだ。

 2009年8月にはこの彦根リキシャで彦根から横浜まで走破したそうだ。おぉ、僕より先に東海道をリキシャで走っていた人がいたんですね。
「横浜のイベントに参加するために10日間で走り切らなくてはいけなかったから、体調管理にはすごく気を遣いましたね」
 と彦根リキシャの製作と運転を担当する竹内さんは言う。旅の間は酒もタバコも一切断った。こまめに食事を取り、夜は早々に眠り、次の日に備えたそうだ。一番の難所である箱根越えには二日をかけた。傾斜のきついところでは後ろからスタッフに押してもらいながらペダルを漕いだという。そのときの苦労がありありと目に浮かぶ。あぁ、僕も数日後にはこの箱根越えにトライせねばならないのか。そう思うと若干気持ちが沈んでしまう。

 竹内さんは僕のリキシャにも試乗された。
「こりゃペダルが重い」というのが第一声。「競技自転車の乗り方として主流になっているのは、なるべく負荷を軽くして、高回転で漕いでやる方法なんです。そうすれば筋肉に疲労物質がたまりにくい。このリキシャは正反対ですね。これは疲れるわ」
 自転車のプロからの指摘はさすがに鋭い。やっぱりそうだったのである。リキシャのペダルの重さは運動生理学的に見ても非合理的なものだったのだ。バングラデシュで「もっと軽いギアはないのか」と聞き回って、そのたびに「そんなものはない。リキシャとはこういうものだ」と突っぱねられてきたのだが、やはり間違っているのは彼らの方だったのだ。
 バングラ製リキシャは自転車の部品をそのまま流用しているというただそれだけの理由で、理不尽にペダルが重いのである。人間の特性に機械を合わせるのではなくて、機械の都合に人間の体を合わせているのだ。やれやれ。


【自転車タクシー並び立つ。左からドイツ製ベロタクシー、カンボジア製シクロ、バングラデシュ製リキシャ、彦根リキシャ。壮観である】

 お互いのリキシャに試乗し合った後、「五環生活」代表の近藤さんに話をうかがった。近藤さんは滋賀県立大学環境学部で教鞭をとりながら、この組織の運営を行っている。自転車タクシーの普及を進めることで、自動車に頼らないで環境に配慮したライフスタイルを提案できないかと考えているのだ。
「今、日本各地でベロタクシーが走っていますが、経営がうまく行っているところは少数なんです」と近藤さんは言う。「ベロタクシーは1台100万円と高価だし、メンテナンス費用も馬鹿にならない。電動アシスト部分が壊れやすいんです。一度壊れるとドイツから部品を取り寄せて交換するしかない。運賃だけではとてもやっていけないのが現実です」
 運賃だけでなく広告で収益を上げているところもあるが、不況になるとスポンサーが降りてしまうし、そもそも人口の多い大都市でしか行えないモデルだ。彦根の場合には、お年寄りが外出時に気軽に利用できる「福祉輪タク」という試みを始めている。これは自家用車を持たず、バスも一日何本かしかないようなところに住んでいる人の足として好評だという。さほど急がない、いやむしろゆっくりと移動したいというお客のニーズに応えることができているのだ。
「利用したお年寄りが『風の匂いを感じた』って言ってくれるんです。将来的には集落に一台ずつ輪タクがあって、それで若い人がお年寄りを運んであげる、というような光景が実現したらいいなと考えているんです」


【「五環生活」代表の近藤さん】

 普段見慣れた風景が違って見える。僕もリキシャに乗った人からそんな感想を聞くことが多かった。開放的でスローペースな乗り物だから、周りの景色をじっくりと見ながら移動できる。風を感じ、匂いを感じ、音を感じる。スピードが遅いことは自転車タクシーの弱点だが、それが長所にもなり得る。
 遅いからこそ見えてくるものがある。それがこのリキシャの旅で得た僕の実感だ。遅いからこそ立ち止まれるし、立ち止まれるからこそ人との出会いが生まれる。


 「五環生活」の皆さんに別れを告げて、彦根城に向かう。彦根と言えば彦根城。立派なお堀と石垣に囲まれた美しい城だ。
 堀の外からお城の写真を撮っているおじさんがいた。中判カメラを三脚に据えて、レリーズを持って撮影している。本格的である。城を囲むように生い茂った木々がちょうど切れているスポットを狙っている様子。
「お城が好きなんですか?」と訊ねると、
「城はそんなに好きじゃないんやけど。自然が好き、古いもんが好き。だから今日は名古屋から撮影に来たんや」とのこと。
 天気も良く、絶好の撮影日和になることだろう。



 琵琶湖は荒れていた。西からの強い風が吹いていて、波が高い。まるで日本海を思わせるような波がざっばーん、ざっばーんと打ち寄せている。湖とは思えない荒れっぷり。実際、瀬戸内海の方がはるかに穏やかで静かだった。



 米原から中山道を通って関ヶ原に向かう。滋賀県から東海地方に抜けるルートは二つある。南の鈴鹿峠を抜けるルートと、北の関ヶ原を超えるルート。いずれにしても一山超えることになるのだが、関ヶ原ルートは予想以上に楽だった。傾斜の緩い上り坂がだらだらと続くので、リキシャを降りて歩く場面も少なくて済んだ。こういうのは実際に走ってみないことにはわからない。

 柏原は宿場町として栄えた江戸時代の建物が残る歴史地区だった。国道から一本それただけなのに車もほとんど通らずにとても静かだった。まさに東海道のオアシス。こういうところをリキシャでゆっくりと走るのは旅の醍醐味だ。


【関ヶ原で見つけた看板。「エッチな人」の表情がいいですね。ちなみに「H」というのは「変態」の頭文字なので、「エッチな人が出る」というのは元の意味に忠実な表現である】

 関ヶ原周辺は交通の要衝で、東海道新幹線、東海道本線、東名高速道路、国道21号線など主要幹線が折り重なるようにして通っている場所である。しかし集落自体は昔のままで、茅葺きの古い農家のすぐそばを新幹線「のぞみ」が時速200キロ超で突き抜けていく。その一方で、集落を走るバスは一日たったの4本しかない。
 自宅の裏でゴミを焼いていたおじさんによれば、このあたりも高齢化と過疎化が進み、今や家屋の3分の1は空き家になっているという。昔は公共事業を請け負う建設業者が多かったのだが、ここ数年は仕事も激減している。平地の少ない山間の村にはこれといった産業もなく、幹線の整備が一段落した後には仕事の口もなく、若い人はみんな都会へ出て行ってしまったのだ。
「こういう旅ができるんも今のうちだけやからな。しっかり伝えてくれよ」
 おじさんは僕の目を睨みつけるようにして言った。しっかり伝えるといっても、いったい何を伝えればいいのだろう。公共事業がその役割を終えたという事実だろうか。人や物がこの村を素通りしていくだけで何も残さないという寂しい現実だろうか。



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本日の走行距離:49.8km (総計:2820.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:1010円 (総計:52310円)

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by butterfly-life | 2010-06-03 05:05 | リキシャで日本一周
83日目:近江の道(京都市→滋賀県彦根市)
 京都を出発して滋賀県に向かう。
 三条通を東に進み、蹴上の浄水場横のきつい坂道を上って山科へ。山科からこれまただらだら続く坂道を上って大津に到着した。


【京都会館の前で氷川きよしの写真の写真を撮るおばさまたち。氷川君の人気はすごいですね】

 大津駅では毎日新聞滋賀支局の記者さんが取材に来られた。大津駅の前で写真を一枚。新人なのでまだ写真の撮り方がよくわからないんですとおっしゃるので、駅の看板とリキシャとをうまく配置するような構図の撮り方をアドバイスする。

 滋賀県というのは微妙な土地だ。大津は京都・大阪・神戸の三大都市圏に接しているものの、県全体で見れば湖と田んぼばかりが目立つ田舎である。都市と田舎の中間と言ったらいいだろうか。たぶん滋賀県民自身も「滋賀ってなんか微妙だよね」と言い合っているのではないかと推測する。



 大津から琵琶湖に架かる近江大橋を渡る。サイクリングにはうってつけの眺めのよい橋だ。釣り人を2,3人乗せたモーターボートがあちこちに浮かんでいる。ブラックバス釣りをしているのだろう。実は僕のいとこは琵琶湖を拠点にしているプロのバサー(バス釣り人)なのである。琵琶湖の釣り人の間では有名人なのだそうだ。あのボートの中にいとこがいるんじゃないかなぁと思って目を凝らしてはみたものの、みんな帽子にサングラスなのでわかるはずもなかった。

 草津のコンビニでは「写真撮らせてくださーい」とiPhoneを向けられた。さっそくツイッターに直接アップするとのこと。おぉ、すごいですね、ハイテクですねぇ、と感心してしまった。
 ウェブ媒体のニュースを読んでいると、猫も杓子もツイッターをやっているような印象を受けてしまうが、リアルの世界はまったくそんなことはない。ホームページ、ブログという言葉は市民権を得て、僕が「ブログやってますんで見てください」と言えば、まぁだいたいの人には意味は通じるのだけど、「ツイッターやってます」と言っても、「バングラデシュに行ってきました」と言ったときと同程度のリアクションしか返ってこないのである。最新のデジタルガジェットを使いこなしているのは、日本全体から見たらさほど多くはないということを頭の隅に置いておいた方がいいだろう。

 草津市やそのお隣の守山市には「子供飛び出し注意」の看板がやたら多かった。どれも帽子を被った男の子が道ばたに飛び出そうという絵柄で、たぶん手作りなのだろう。ひどいところだと数十メートルおきにこの看板が立っている。確かに歩道のない狭い国道で、見通しが悪く、子供が飛び出したら危険なのはわかるんだけど、看板の数を増やせばそれだけ交通事故が減るってわけではないようにも思う。強迫観念めいたものすら感じる。




【中にはこういう看板もあって怖い。わざと叩き折ったんだとしたら、なお怖い】

 そういえば今日は危うく交通事故を起こしかけたのだった。僕がではなくて、僕を見ていた人が、だ。反対車線を走っている車から「頑張ってねぇ!」とおばさんが手を振ってくれたのだが、このおばさんがリキシャに見とれているあいだに前の車に急接近してしまったのだ。
「危ない!」
 僕が叫んだのを聞いて、おばさんは急ブレーキを踏む。キキッ!間一髪であった。ギリギリ10センチ手前で追突せずに済んだのだけど、あれはひやっとした。ほんと、気をつけてくださいよ。
 ドライバーの皆さん、運転中にリキシャを見かけても、どうか冷静に。くれぐれも後ろを振り返ったりはしないでください。以上、リキシャからのお願いでした。


【リアルかかし。表情がシュールだ】

 近江八幡市から彦根市にかけての道は変化に乏しかった。田植えが終わったばかりの田んぼが、ただひたすら続くばかり。滋賀県でこんなにたくさんお米が植えられているとは知らなかったが、1時間も2時間もその光景ばかり続くとさすがに飽きてしまった。

 安土町には織田信長が築城した安土城の城跡があった。あの「本能寺の変」の直後に消失してしまったので、往時を偲ばせるものは土台の石垣ぐらいしか残っていない。うっそうと生い茂った木々が絢爛豪華だった城の跡を埋めている。兵どもが夢の跡。どんな立派なものを建てても、最後には奔放な自然に飲み込まれていく。アンコールワットもそうだし、マヤの遺跡もそうだった。


【安土城跡の森】

 本日は70キロを走り抜き、かなり疲れた。
 大津に向かう最初の坂を除いては平坦な道のりだったが、琵琶湖から吹き寄せる北風が強く、思うようにスピードに乗れなかった。「また向かい風の愚痴か」と思われるのも嫌なのでこの辺でやめておくけれど、今日はこの向かい風に加えて途中から冷たい霧雨が降ってきた。気温も12,3度ぐらいまで下がり、季節が2ヶ月ぐらい巻き戻ったかのような冷たさだった。
 そんなわけでズーズーと鼻水を垂らしながら、えっちらおっちら進んだのだった。汚くて申し訳ない。


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本日の走行距離:69.5km (総計:2770.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:40円 (総計:51300円)

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by butterfly-life | 2010-06-01 07:39 | リキシャで日本一周