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103日目:降のこしてや光堂(宮城県大崎市→岩手県奥州市)
 昨日は一日雨模様だったので、久しぶりに完全休養を取った。休んだからといって次の日に体が軽くなっているかといえばそういうことはなくて、むしろ余計に気怠さを感じてしまうのだが、これはもうこういうものだと思って諦めるしかない。

 昨日に引き続き今日もはっきりしない空。朝から雨がざっと降っては止むというのを繰り返している。
 雨が止んだ頃合いを見計らって宿を出たのだが、30分も走らないうちにまた強く降り始めてしまった。雨宿りできそうな場所をきょろきょろと探していると、国道沿いにある大きなガレージからつなぎ姿のおじさんが出てきて、「こっちで休んでけよ」と手招きしてくれた。
 そこは自動車の電気部品の修理工場で、おじさんたちはまだ仕事を始めていないらしく、リキシャを興味深そうに観察していた。
「これ、あんたが自作したの?」
「違いますよ。バングラデシュっていう国から持ってきたものです」
「へぇ、舶来品かぁ」
 リキシャは確かに海を渡ってやってきたんだけど、「舶来品」という言葉の持つ希少かつ高級なイメージとはかなりかけ離れている。
 工場はずいぶん旧式だった。30年以上前からほとんど設備が更新されていないのではないか。仕事に取りかかったおじさんはハンダごてを手にして、故障した大きなダイナモ(発電機)の絶縁素子を交換した。
「ほら、今年はやたら暑いべ。だからエアコンの修理が多くってよ。まぁ景気は悪くないわな」
 おじさんが子供の頃に比べると、冬は暖かくなり、夏は暑くなったという。昔みたいに雪がどっさり降らなくなったのは助かるけど、この夏の暑さは東北の人にはかなり堪えるようだ。





 国道4号線を北上していると、野外のスピーカーからアナウンスの声が聞こえてきた。
「ピンポンパンポン・・・栗原市役所からのお知らせです。昨日の午後から58歳の女性が行方不明になっています。身長155センチ、やせ形、灰色のブラウスにベージュのズボンを履いています。お心当たりのある方は栗原市役所までご一報ください・・・ピンポンパンポン」
 デパートの迷子のお知らせを思い出させるような緊張感のないアナウンスだったが、58歳の女性が一晩行方がわからないというのはただ事ではない。しかしこんな人捜しみたいなのを市役所が全市に向けて放送しちゃうというのは、なかなかすごいことである。都市部ではまずあり得ない。


【シュールな看板。くどいようですが・・・なんなんだ?】

 お昼ご飯は栗原市金成にある農家でご馳走になった。ちょうど車で通りかかったおばさんが「ちょっとうちさ寄ってお昼さ食べていぐー?」と誘ってくださったのだ。
「4号線にはさぁ、よく大学生が自転車に乗って日本一周していたりするんだども、こういうのははずめて見たねぇ」
 おばさんは感心した様子でリキシャを眺めていた。

 菅原さんはバイタリティ溢れる人で、とても小学生の孫がいるようには見えないのだが、実際には立派な「おばあちゃん」である。この家に住んでいるのは全部で7人。菅原さん夫婦と息子夫婦と孫二人、それに「ぴーちゃん」である。
「このあたりではよー、ひいおばあちゃんのことを『ぴーばあちゃん』っていうのよ。だからこの人はぴーちゃんなの」
「なんか小鳥みたいですね。かわいい」
「そう? ぴーちゃん、かわいいって。良かったねぇ」
 菅原さんが話しかけると隣のぴーちゃん(つまり姑さん)はニコニコと笑う。ぴーちゃんは87歳。お嫁さんが気安く「ぴーちゃん、ぴーちゃん」と呼べるということは、きっと嫁姑問題なんてものはないのだろう。



 食卓に並んだのは採れたばかりの新鮮な野菜だった。すぐ隣のハウスで採ってきたプチトマトは甘く、キュウリの漬け物は歯ごたえがあってみずみずしい。ズッキーニの煮物もよく味が染みていた。それにナスとオクラの天ぷら、キュウリとわかめの酢の物、そして宮城米の「ひとめぼれ」である。こういう食材を毎日食べていたら誰でも健康になれそうだ。
「ここには何か特別な名産品っていうのはないけんど、米も野菜も美味しいでしょ? これが田舎ってもの。農家のいいところ余」

 田んぼを渡ってきた風が家の中を吹き抜けていく。40年前に建てられたこの家は、昔の日本の家らしくふすまを取り外してしまうとひとつの部屋みたいになって風通しが良くなるのだ。勝手口から食堂、子供部屋から居間、仏間から寝室へと涼しい風が抜けていく。
 菅原さんはもの持ちがいいらしく、なんと今でも黒電話を使っている。古道具屋ぐらいでしか見かけることのなくなったあの懐かしい黒電話が、ここでは現役で働いているのだ。
「このあいだNTTの人が来たらびっくりしてたよぉ。『いいよ、これは貴重だから、ぜひこれからも使ってて』だって」


【菅原さんが毎年作っているジャンボかぼちゃ。7,80キロはあり、二人がかりでないと持ち運べないそうだ。人が食べるのではなく飼料用なのだそうだ】

 菅原さんの家を後にして、一路平泉を目指す。
 かの有名な奥州平泉・中尊寺が国道のすぐそばにあると知ったので、ぜひ立ち寄ろうと思っていたのだが、雨宿りに時間を取られたせいで、中尊寺に到着したときにはもう4時半を過ぎていた。お寺の拝観時間は5時まで。これは急がねば。参道の山道を早足に登った。その甲斐あって、なんとか5時5分前に金色堂の受付に滑り込んだ。ふー。



 まず讃衡蔵に入る。中尊寺に伝わる文化財や宝物を展示している建物だ。讃衡蔵の入り口には三体の木造大仏が鎮座していて、いきなりその大きさに圧倒される。でかい。高さ3メートル近くある仏像が三体である。阿弥陀如来坐像一体と薬師如来坐像二体。それぞれの仏像の前に立って表情をうかがってみる。どれも静けさに満ちた顔をしている。時間そのものを止めてしまったかのような静寂が仏像を包んでいる。すごい。知らないあいだに両手に鳥肌が立っていた。
 きっと見学した時間帯も良かったのだろう。閉館ぎりぎりだったために館内には誰もいなかったので、たった一人でじっくりと仏像に相対することができた。僕はとりたてて仏像に興味のある人間ではないし、仏教についての知識も断片的にしかないけれど、この場を支配しているぴりっと張り詰めた空気や、鎌倉時代から連綿と続く時間の重さははっきりと感じることができた。それだけでここに来た甲斐があると思った。



 もちろん金色堂も素晴らしかった。松尾芭蕉が「五月雨の 降のこしてや 光堂」と詠んだ金色に輝くお堂である。これが900年前の建立当時のまま今に伝えられているというのは、やはり奇跡的なことだと思う。
 もしこれが京都にあったら応仁の乱で焼かれていただろうし、他の土地にあったとしても地震や火事や略奪などで失われてしまった可能性が高い。鎌倉時代以降、奥州平泉が中央から遠く離れた「奥の地」になってしまったからこそ、この絢爛豪華な金色堂が21世紀まで生き延びることができたのではないか。



 中尊寺の見学を終えてリキシャを置いた場所に戻ってみると、サドルが濡れていることに気づいた。雨が降ったのだろう。しかし金色堂周辺ではまったく雨は降らなかった。雲の切れ間から青空さえ覗いていたのだ。駐車場と金色堂との距離はわずか800メートル。それなのに一方では雨が降って、もう一方では降らなかったわけだ。
「夏の雨 降のこしてや 光堂」



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本日の走行距離:76.4km (総計:3865.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-07-31 22:08 | リキシャで日本一周
101日目:またまたパンク(宮城県仙台市→大崎市)
 一昨日パンクしたばかりだというのに、またタイヤがパンクした。今度は右後輪である。
 昨日泊めていただいた石川さんの案内で、近所の自転車屋さんに向かい。仙台市は大都会なので、自転車の需要も多いのだろう。小規模な地方都市だと、自転車に乗っているのはヘルメットを被った中学生のみ、という光景もよく目にするのだが、ここではそんなことはない。

 ハヤサカサイクルの社長さんはとても親切で、手際よくパンクを修理してくれた。今回はチューブに既に貼ってあったパッチ(新品で購入したはずなのにどうしてパッチが貼ってあるんだ!)の接着面がはがれてきたことが原因だった。やはりこの暑さでチューブも弱っているようだ。できればチューブを交換したいのだが、28インチ1・1/2という型のチューブはここにも在庫がないと言われた。うーん、困った困った。



 なんだかんだで仙台を出発するのが昼過ぎになり、今日は大崎市まで40キロほどの道のりを進むことにした。
 今日は雲が多く、気温もさほど上がらなかったので、これまでの一週間に比べるとずいぶん楽だった。相変わらずTシャツは汗でぐっしょりだが、どうしようもなく汗が出続けて困るというほどではない。

 大崎市では小柄でいかにも快活そうなおじさんに声を掛けられた。
「僕もねぇ、昔こういうことをやったことがあるんよ。自転車で浜松から京都まで往復した。520キロを一日で走った」
「一日で?」
「トラックの後ろについていくわけさ。そうすると風の抵抗を受けないから、時速80キロぐらいで走れる」
 おじさんは学生時代に自転車競技の選手だったという。その練習のためにトラックの後ろにくっついて国道を突っ走るというような無謀な運転をしていたようだ。それにしても一日520キロというのはすごいですね。そのスピードをもってすれば、一週間で日本を縦断できる計算になる。
「このリキシャはスローペースなんですよ。一日80キロがせいぜいで、それでもとんでもなく疲れるんです」
「若いんだからな、自分のペースでやればいいよ」
 おじさんはそう言って励ましてくれた。そうですね。リキシャはマイペースで進むのが一番です。

 大崎市では「消しゴムはんこ」職人の鈴木さんとお会いした。
 「消しゴムはんこ」とは市販の消しゴムに、名前や住所や似顔絵なんかを彫り込むオーダーメイドのはんこのこと。有名人の似顔絵と辛口エッセイでお馴染みのナンシー関さんがこの分野の先駆者だが、ナンシーさん亡き後も手作り雑貨の一分野としてすっかり定着している。今では消しゴムはんこ専用の消しゴムというのも販売されているそうだ。
 鈴木さんの活動拠点は地元宮城県で、県内のフリーマーケットや手作り市ではんこの実演販売を行っている。彼女の「売り」は仕事の速さで、注文を受けてから2,30分で仕上げることができるから、お客さんにとても喜んでもらえるという。



「消しゴムはんこって生活に必要なものではないんです。いらないっていえばいらない。だけど、こういうものがひとつあれば温かな気持ちになれる。今の時代、何でもパソコンがあれば作れちゃうし、その方が効率的ですよね。でもわざわざひと手間かけることによって、手作りの味わいが出る。人間っぽさが表れてくると思うんです」
 手作りの温かみというのはリキシャにも宿っているものだと思う。ひとつひとつ職人が手作りしているので品質はまちまちだし、工業製品としては失格なんだけど、でもなんとなく憎めない。歪んだところ、いい加減な箇所を手直ししながら使い続けていると、自然と愛着が湧いてくる。そういうところはベルトコンベアーと溶接ロボットで作り上げられたマスプロダクツには出せない味だ。

「今の子供たちは便利さに慣れきっているでしょう。お金を出せば何でも手に入るから、自分の手で作ることを面倒くさがる。でも便利な方、楽な方にばかり流されていると、手作りの楽しさを知らないまま大人になってしまう。それってまずいんじゃないかと思いますね」
 鈴木さんはお土産に「たびそら」という文字とURLが入った消しゴムはんこをくれた。彼女のカッターさばきは素人から見ても的確で素早く、まさに「職人の技」だった。


【たびそらの文字が入った消しゴムはんこ】

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本日の走行距離:45.7km (総計:3789.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:520円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-07-30 20:34 | リキシャで日本一周
100日目:大量の汗(福島県南相馬市→宮城県仙台市)
 リキシャの旅が100日目を迎えた節目の日は、体力的に非常に辛い一日になった。
 一週間前に旅を再開してからは、意識的に長距離の移動を続けていたのだが、そのハードな旅の疲れが一気にずしんと足に来たようだった。朝から思うように足が動かない。その代わりにやたらと喉が渇く。すぐに水が欲しくなり、飲んだ水はたちまち大量の汗となってしたたり落ちてくる。昼間だけで7リットル以上の水分を取っただろうか。いくら34度だといっても、これは取りすぎだ。



 今日もまた国道6号線を北上する。
 宮城県に入り、6号線を離れて38号線を走るようになってから、ようやく周囲の風景に目をやる余裕が出てきた。大型トラックがひっきりなしに往来する6号線と違って、純ローカルな38号線は別世界のように静かだった。
 軽トラックの窓からおばちゃんが顔を出して、「これ、ゆでたばっかしだけど、食う?」と差し出したのはトウモロコシ。朝採れたばかりの新鮮なトウモロコシを塩ゆでにしたものだ。さっそくかぶりついてみると、甘い汁が口いっぱいに広がった。これぞ田舎の夏の味。「となりのトトロ」を思い出してしまった。
 このあたりは砂浜に近くて水はけの良い土地なので、スイカやイチゴなどの果物の栽培が盛んなようだ。スイカの無人販売所もあちこちで見かけた。やや小ぶりのスイカが1個500円と安い。

 阿武隈川を渡ったのは午後4時だったが、その時点でも道ばたのデジタル温度計は34度を示していた。おぉ暑い。地元の人に言わせると「記憶にないぐらい暑い」という。

 川を渡ってからも、目的地の仙台市まではまだ20キロ以上の距離があった。はぁはぁ、と肩で大きく息をするばかりで、いっこうに足に力が入らない。2,3キロ進むごとに休憩しないと進めないような状態だった。
 そんなふうにぐったりと肩を落として道ばたに座り込んでいると、すぐそばの食堂で働いているおばちゃんがコップにウーロン茶を入れて持ってきてくれた。
「まぁこれでも飲みなさい」
「ありがとうございます」
 一気に飲み干したウーロン茶はキンと冷えていて格別だった。
「こんだけ暑かったら大変でしょう?」とおばちゃんは言った。「まー、若いときはねー、冒険をねー、したらいいと思うけども、体には気をつけてねー」
 おばちゃんはちょっと待っていなさいと言って食堂に戻り、おにぎりと漬け物を持って戻ってきた。とても親切な人である。感謝。
 キュウリの漬け物と昆布入りのおにぎりを食べ、少し力が戻ってきたところで再びリキシャにまたがった。

 仙台に到着したのは日が暮れる頃。午後7時前だった。
 まず驚いたのは仙台市の都会っぷりである。中心部に並び立つビル群の密度や、街ゆく人の気ぜわしそうな様子は、紛れもなく大都市だ。名古屋や福岡にも匹敵するのではないか。

 仙台ではミュージシャンの石川晃次さんの家に泊めていただいた。去年、石川さんからニューアルバムのジャケット製作を依頼されたことがあって、それ以来のお付き合いだ。米軍基地の前や町工場の裏や河原などで写真撮影をした。
 写真をご覧いただければわかるように、石川さんは彫りの深い濃い顔立ちなのだが、彼の作り出す音楽は爽やかでポジティブ。そのギャップが面白い。
 自宅にはミキサーやモニタースピーカーやキーボードなどプロ用の機材が揃えられていて(機材にはお金をかけているそうだ)、録音からミキシングまですべて自分一人でこなしている。



 石川さんは長年音楽活動の拠点をフィリピンに置いていた。まだ若い頃に旅したフィリピンで流れていたポップソングにひと目ぼれし、フィリピンの大物ミュージシャンの元に押しかけて弟子入りし、そこで音楽のイロハを教わったのだという。異色の経歴である。
 石川さんが実家のある仙台に戻ってきたのは去年のことで、だからまだ日本でのキャリアは新人同然である。有力なレコード会社にプッシュされているわけでなく、セルフプロデュースのインディーズCDだから、アルバム製作が終わればそれを携えて全国を回る。インストアライブをしたり、地元FMに出演したりして、地道に一枚一枚売っていくわけだ。

 僕がリキシャに慣れるまでに1ヶ月かかったという話をすると、石川さんも「ライブで30回歌うと、ようやく自分の曲に慣れてくるんです」と言った。足や腕と同じように声帯も筋肉だから、毎日使うことによって鍛えられていく。自分の声の特徴や響かせ方は、お客さんの前で繰り返し歌うことによってしかわからないものなのだ。


【石川さんのアルバム「SPIRAL」のPV。使われている写真は三井が撮影した】

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本日の走行距離:80.7km (総計:3743.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:50円 (総計:59060円)

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by butterfly-life | 2010-07-29 22:13 | リキシャで日本一周
99日目:二度目のパンク(福島県いわき市→南相馬市)
 本日も80キロ近くのロングドライブになる予定。ひたすら6号線を北上する。
 しかし20キロほど走ったところで前輪がパンクしてしまった。空気を入れてもまたすぐに抜けてしまう。参ったな。この前パンクしたのはかれこれ2ヶ月以上も前のこと。あのときはすぐに自転車屋が見つかったから事なきを得たが、今回は場所が悪い。集落もぽつぽつとしかない正真正銘の田舎だったのだ。

 しかし「捨てる神あれば拾う神あり」とはよくいったもので、こんな田舎でもちゃんとパンクを修理してくれる人が見つかったのである。それはブルーのつなぎを着た自動車整備工場のおじさんだった。僕のリキシャを見つめる熱い視線を感じたので、ひょっとしたらこの人なら直せるのではないかと思って聞いてみると、あっさり引き受けてくれたのである。
 彼の本職は自動車タイヤの修理と交換だが、自転車のタイヤだって基本構造は同じだから直せるだろうという。それは頼もしい。



 彼はまずタイヤの状態をチェックして、古くなっていた虫ゴムを交換した。しかしそれでも空気漏れが止まらないので、タイヤをリムから外して中のチューブを引きずり出すことにした。
「こんなのは初めてだわ」
 おじさんは驚きの声を上げた。そう、リキシャのタイヤはとにかく硬くて、リムから外すだけでもひと苦労なのである。
「あぁ、こんなチューブ使ってからダメなんだなぁ。これ、二本のチューブをつなぎ合わせてるんだな。だからここがごわごわしている。接着剤で止めてる部分が、この暑さではがれちまったんじゃねぇかな」
 やれやれ。このチューブはもともとが間に合わせで作られた粗悪品だったようだ。新品で買ったはずなのにどういうことだ、と怒鳴りたくなったが、おそらくバングラではこれが当たり前なのだろう。

 整備工のおじさんはチューブの継ぎ目をグラインダーで削り、フラットにしてからゴムパッチを貼った。パッチを貼る前にタバコの煙を吹きかけていたので、それは何かと訊ねると、「接着剤にタバコの煙をかけると早く乾燥するんだ」とのこと。本当だろうか。
 パンク修理が済んだのは1時間後のことだった。やれやれ、一時はどうなることかと焦ったが、腕のいい修理工に出会えたのは幸運だった。
「でもこのまま北海道まで行くのは無理なんじゃねぇか。タイヤがずいぶんすり減ってるぞ。交換した方がいい」
「・・・可能なら、今すぐにでもやってるんですけどね」
 実はリキシャのタイヤはもう日本では作られていない型(28インチ1・1/2)で、どこの自転車に聞いても「そんなものは在庫にない」と言われてしまうのだ。だから今のところはありものを使い続けるほかないのである。旅の終わりまで持ってくるかはかなり微妙なところはあるけれど。



 パンクで被ったタイムロスを取り返すために、午後からはほぼ休みなしでリキシャを漕ぎ続けた。双葉町はアップダウンの繰り返しだったので、疲れがボディーブローのようにじわじわと足に効いてきた。
 気温は相変わらず高かったが、暑さの中でリキシャを漕ぐのにも慣れてきたのか、暑さで意識が飛びそうになるということはなくなってきた。とにかく水分を大量にとり、それを全身から出す。水冷エンジンのように体を冷やしつつ前に進んでいく。

 双葉町で出会ったのは養護教員の山田さん。以前、養護教育の視察のためにバングラデシュに行ったことがあるという。4ヶ月前に赤ちゃんを産んで、今は育児休暇中だ。
「バングラデシュはどうでしたか?」という質問には、
「いろんな意味で濃くて熱かったです」とのこと。
 そうですね、人間も街も濃いのがバングラなのです。
 山田さんの姪っ子はリキシャに興味津々で、「5円タクシー」の乗客になってくれた。彼女はリキシャから降りると僕の方を不思議そうに見て、
「ねぇ、どうしてそんなに汗かいてるの?」と言った。
 そう聞きたくなるのも無理はない。なにしろ今さっきホースで水をかけられたみたいにずぶ濡れなんだから。
「君もリキシャを漕いでみたらわかるよ」
 と言ってみたのだが、もちろん彼女の足はペダルに届かなかった。10センチ以上足りない。リキシャガールにはまだ早いってことだ。



 双葉町から南相馬市にかけての道のりは単調で、いかにも国道沿いらしい無個性な大型チェーン店がたまに顔を見せるだけの変わりばえのしない光景が続いた。その中で目を引いたのが結婚式場だった。西洋のお城を模した場違いなほど立派なその建物は、プレハブのラーメン屋やトタン屋根の工場の中にあって、カラスの群れの中に紛れたサギのように目立っていた。福島県の人は豪華な結婚式に挙げるのだろう。
 この光景を見て思いだしたのは、インドのパンジャブ州である。この州にもやたら立派な結婚式場が多かった。式場のオーナー曰く「パンジャブ州のシク教徒は外国に出てビジネスを成功させた人が多い。そういう人が故郷で盛大な結婚披露宴を開く」という。出席者は300人とか500人とか、とにかく日本ではまず考えられないような大規模なものだという。

 6号線沿いにはラブホテルも多かったが、その中に「アジアンタイム」という変わった名前のものがあった。看板の横には「疲れたら休憩しましょう」という電光表示が流れている。そうだよね、こんな暑い日には東南アジアのようにのんびり午睡を取るのがいいかもしれない。その場所としてラブホがふさわしいかどうかはともかく。
 「アジアンタイム」と聞いて思い出したのが、ベトナムの「ハンモックカフェ」である。これはベトナム南部のメコンデルタ地域に多く見られるカフェで、店の中にいくつものハンモックが吊してある。アイスコーヒー一杯頼むと、後は好きなだけハンモックで昼寝することができる。時間チャージなんて面倒なことは誰も言わないから、いくらでも粘れる。南国の午後の殺人的な暑さをやり過ごすには、このぐらいのゆるさがちょうどいいのである。
 最近は日本の気候も南国化しているのだから、こういう「アジア時間」を積極的に取り入れてもいいのではないかと思ったりもする。暑かったら無理をしないで休みましょうよ。(でもこんなことを書いている僕自身が炎天下の中リキシャを漕ぎ続けているのは、大いなる矛盾だけど)



 今日の目的地である南相馬市に到着したのは7時前。なんとか暗くなる前に走りきることができてよかった。
 国道6号線沿いには「ビジネスホテル」の看板を掲げたところがいくつかあった。しかし都市の駅前にあるビジネスホテルとはいささか趣が異なっている。まず巨大な駐車場があり、温泉(ないしはスーパー銭湯的なもの)があり、食堂があり、それに宿泊施設がくっついているのだ。どちらかというと風呂がメインという感じ。
 このうちのひとつ「ビジネスホテル高見」に泊まる。素泊まり3600円という安さにひかれた。入り口は質素だが、複雑に入り組んだ廊下を奥へと進むと、意外に多くの部屋があることに驚く。建物の造りはいかにも安上がりだが、部屋も清潔だし、インターネットも繋がるし、大浴場で汗を流せるしで、なかなか居心地のいい宿であった。



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本日の走行距離:78.9km (総計:3662.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:1100円 (総計:59010円)

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by butterfly-life | 2010-07-28 22:26 | リキシャで日本一周
98日目:夏の匂い(茨城県日立市→福島県いわき市)
 日立市はなんだか寂しい街だった。日立製作所の企業城下町ゆえに、土曜と日曜はいつも閑散としているのだろうか。ほとんど誰も通らない商店街に、地元コミュニティーFMのパーソナリティーの声が大音量でこだましている。近年、日立グループの不振と再編によって日立市の人口も減少し続けているのだそうだ。

 日立市民のおよそ4割は日立グループの社員かその家族だというから、その影響力は大きい。しかしだからといって日立市にある電気屋は日立製品ばかりを置いているわけではなくて、ちゃんとパナソニックの販売店もある。宿に置いてあったテレビも東芝製だったし、エアコンもナショナル製だった。愛知県豊田市に行ったときには、街を走る車のほぼ9割がトヨタ車で占められていたが、日立市ではそういうことはないようである。


【山口さん撮影。日立市を走るリキシャの姿。明らかに浮いていますね】


 本日も国道6号線をひた走る。休日の6号線には揃いのウェアを着たサイクリンググループや、大型バイクのツーリングチーム、「ブーンブブ、ブーンブブ」とエンジン音を響かせながら走る暴走族などがいてとても賑やかだった。サイクリングの一団は追い抜きざまに「がんばって!」と声を掛けてくれた。ニッと笑って親指を上に突き出す人もいる。リキシャの2倍以上のスピードでミズスマシみたいにすいすいと走っていく。
 「日本一周」という旗を背負って走るチャリダーもいたし、韓国の国旗を掲げた自転車ともすれ違った。韓国の自転車旅行者は珍しいので、ちょっと話を聞いてみたかったのだが、反対車線だったので呼び止められなかった。残念。



 高萩市に入ったところで白いワゴン車が止まり、窓から寅さんみたいな帽子を被ったおじさんがぬっと顔を出した。彼は梅干しがたくさん入ったタッパーを持っていた。
「ほら、一個食べろ」
 おじさんは言った。おぉ昨日に引き続きまたも梅干しですか。茨城県では「暑さには梅干し」というのが常識なのだろうか。
「大丈夫か? すっごく汗かいてっけど」
「いやぁ、暑いですからね」
「そんなんじゃ脱水症状になっちまうからな。まぁ無理すんなよ。梅干しを食うと調子がよくなっからな」
 おじさんがくれた梅干しは大ぶりで、丸ごと口に入れるのにはあまり適していない代物だった。しかもやたら酸っぱい。ザ・梅干しって感じだ。これなら胃液の分泌も促されるだろうし、塩分の補給もできるのだろうが、これが果たして喉が渇いている人間にふさわしいものなのかは疑問である。いただきものにチケをつけるつもりはないんだけど、できることなら飲み物の方がありがたかった。
 ちなみにこの梅干しおじさんとは2時間後に再びすれ違った。そのときもまた梅干しをくれた。とにかくこの人はどこへ行くにも梅干しを携帯しているらしい。そういうのが茨城県民の常識だとは思わないが、昨日の梅干しジュースおばさんの例でもわかるように、茨城の人々がことのほか梅干しを愛しているのは間違いなさそうだ。

 高萩市に入ると、6号線は海岸線のすぐそばを走るようになった。このあたりはきれいな砂浜がいくつもあり、海水浴客やサーファーで賑わっていた。海の家、ビーチパラソル、浮き輪、かき氷、焼きそば。夏休み的光景を横目で見ながらペダルを漕いだ。



 いわき市では「かえっこバザール」という催し物にお邪魔した。子供たちが不要になったおもちゃを持ち寄り、自分が欲しいおもちゃと取り替えっこをするという趣旨のイベントである。
 会場となっている木材倉庫にはフランクフルトやラムネを売る店もあり、手作りの夏祭りの風情が漂っていた。ユニークだったのは「かき氷製造器」である。歯の上で氷を回転させてそぎ落とし、それを容器に受けるのは普通のかき氷器と同じだが、この機械は回転の動力を自転車のペダルに頼っているのである。移動するときはタイヤを動かす動力になり、営業するときは氷を削る動力になる。一挙両得である。これならどこへでも出張してかき氷を作ることができるから、行商人にはぴったりである。アジアにあってもよさそうなものだが、僕はまだ見たことがない。


【これがペダル駆動のかき氷製造器】

 今日は午後4時から雨が降り始めるという予報だったが、本当にその通りになった。午後4時きっかりに雨が落ち始めたのだ。
 雲の向こうから雷のドラムが鳴る。稲妻が斜めに走る。やがて大粒の雨がアスファルトに黒いしみを作る。ほてったアスファルトが雨を吸い込んであのもわっとした匂いを放つ。
 夏の匂いだ。

 銀行の自転車置き場で雨をしのぎながら、ふと「一日として同じ空はないんだ」と思った。雲のかたちも、その配分も、光の強さも、光の色も、風の匂いも、ひぐらしの声も、すべて同じということはあり得ない。昨日と今日でも違うし、1年前と今とでも違う。その微妙な差違の中に自然の持つ奥行きや可能性が含まれている。そう考えると、空を覆う黒い雲が今ここにしかないかけがえのないもののように思えてくるのだった。
 夕立が止むまで、僕はリキシャの横に立って空を眺めていた。


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本日の走行距離:66.7km (総計:3583.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:210円 (総計:57910円)

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by butterfly-life | 2010-07-26 22:59 | リキシャで日本一周
97日目:限界を超える(茨城県土浦市→日立市)
 今日もまた猛暑の一日だった。
 昨日よりも汗の出方が激しくて、Tシャツもショートパンツもぐっしょり濡れてしまったのは、今日の方が湿度が高いせいなのだろう。まるで頭から水を被ったみたいに後から後から汗が噴き出してくる。手のひらも汗で濡れているので、ハンドルがツルツルと滑る。

 熱中症には水分補給はもちろんのこと、塩分の補給も忘れてはいけないと繰り返しアナウンスされている。確かにリキシャで丸一日走ると、全身が塩だらけになる。腕や顔や首を触ってみると、白く結晶化した塩がざらざらと落ちてくる。人の体は7割が水分で、そこには海水と同じ濃度の塩分が混じっていると聞くが、それは本当なんだなぁと実感する。まるで「自分塩田」だ。

 以前、ベトナムを自転車で縦断していた旅人と話をしたことがある。彼はあまりに汗をかくので塩が欲しくなり、食堂に置いてあった小皿の上の塩をそのままつかんで口に運んでいたらしい。そこまで強烈に塩気を欲するというのはどういう状況なのか興味をそそられるが、僕はいくら汗をかいてもさほど「塩欲」というのが湧いてこない体質なので、今のところその気持ちはよくわからない。


【モダン住宅の広告を古い和風民家の壁に貼る。斬新である】


 果樹園が広がる土浦市を抜け、「恋瀬橋」というロマンティックな名前の橋を渡って、石岡市に入った。
 そこからはひたすら国道6号線沿いを走り続けた。6号線は極めて単調で、直線的だった。アップダウンもほとんどなかったので、距離を稼ぐのにはうってつけの道だった。

 水戸市に入ったところで、帽子を被ったおばさん二人組に声を掛けられた。農作業からの帰りらしくて、手に持っていた水筒を開けて、冷たい水をご馳走してくれた。
「パプリカって知ってる? あの赤や黄色のピーマンみたいなやつ。私らはよ、今朝パプリカを採ってたの。ハウスの中はよー、あっついなんてもんじゃねぇよ。45度、いんや50度はあるんじゃねぇかな」
 訛りきつい二人の出現に、関東もずいぶん奥へと進んできたのだなぁと感じた。このおばさんは梅干しジュースなるものをくれた。梅干しエキスを水で薄めて凍らせたもので、かなり酸っぱい。はっきり言って全然美味しくないのだが、おばさんに言わせるとこの酸っぱさと塩分が疲労回復に効くのだそうだ。

 水戸市に入り、偕楽園、水戸城のそばを通って、再び6号線に復帰する。偕楽園のそばの湖にはスワンボートがいくつか浮かんでいたが、さすがにこの暑さなので全体的に人出が少ないようだった。


【道に落ちていた携帯の裏蓋にあの葵の御紋が。水戸といえば天下の副将軍、水戸黄門だが、その人気はこんなところにも波及している】


 炎天下の6号線を時速13、4キロほどのペースで進む。リキシャで長く走るコツは力を抜くことだ。できるだけペダルを「踏み込まない」で進む。そこがポイントなのである。
 何度も書いているようにリキシャの基本ポジションは「立ち漕ぎ」である。サドルに座ることは滅多にない。それはリキシャのペダルがやたら重いからなのだが、その立ち漕ぎのやり方が自転車のそれとはずいぶん違うのである。
 自転車の場合は、足の踏み込みと同時に腕の力でハンドルを引き寄せる「ダンシング」という方法で坂道を登るのだが、リキシャは三輪なのでそれができない。その代わりに体重移動を使う。足を伸ばしたままで、ペダルの上に全体重を乗せる。「踏み込む」というよりは「腰を入れる」という感じだ。

 僕もリキシャを運転し始めてからしばらくは、自転車と同じように漕いでいたのだが、それではダメだということに気がついた。リキシャにはリキシャの漕ぎ方がある。それはバングラデシュのリキシャ引きたちを見ていればよくわかる。
 リキシャの旅にスピードは必要ない。いかに体力を消耗させずに走れるかが問題なのだ。次の日も、そのまた次の日も漕がなければいけないのだから、瞬発的な筋肉の使い方をしてはいけないのである。

 フォームが安定し、ペダルの重さに筋肉が慣れたことで、一日に走れる距離が徐々に伸びてきた。旅を始めた頃は一日50キロが精一杯だったが、それが60キロ70キロになり、そして今日は80キロに達したのだった。

 30代も後半にさしかかると、「できなかったことができるようになる」ことよりも「できていたことができなくなる」ことの方が多くなる。特に体力的には。筋力や持久力は落ちる一方で、あとはその下りの傾斜をいかになだらかなものにするかだけ。それが35歳という年齢なのだ。もう若くはない。その事実は認めなければいけない。
 でもそれはそれとして、「自分の限界を超える」というのはとてもチャレンジしがいのある目標だ。一歩でもいいから昨日よりも遠くまで行けたという達成感は、大人だって子供と同じように持てるものだと思う。
 やっぱり継続は力だ。


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本日の走行距離:79.8km (総計:3517.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:57700円)

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by butterfly-life | 2010-07-25 23:14 | リキシャで日本一周
96日目;リキシャガール(埼玉県春日部市→茨城県土浦市)
 東京から仙台に向かうルートは大きく分けて二つある。水戸、日立、いわきを通る海沿いの道(6号線)と、宇都宮、郡山、福島を通る山間の道(4号線)である。アップダウンの多さはどちらも同じようなものだが、直線距離は4号線の方が短い。しかしそれでも海沿いの6号線を通ることにしたのは、埼玉出会った人に「盆地は暑いぞ」と脅されたからだった。
 盆地は暑い。確かにほぼ同じ緯度にある水戸市と結城市を比べてみても、内陸の結城市の方が気温が3度ぐらい高いのである。これから数日は酷暑続きが予想されているだけに、盆地の続くルートを行けば間違いなくすさまじい暑さとの戦いになるだろう。そういうわけで少しでも涼しい海沿いを通ることにしたのだった。



 本日は埼玉県春日部市から千葉県野田市を通って、茨城県土浦市に向かうという道のり。
 野田市ではマレーシアから来たという3人組の男たちに出会った。自動車解体工場のそばを通りかかったときに、リキシャを発見した彼らが「ナニソレ!」と大声を上げたのである。マレーシアにはリキシャ的な乗り物はないようだが、リキシャがインドの乗り物だということは知っていた。
「日本の古い車を分解して、部品をマレーシアに運ぶのが仕事。もう日本に住んで16年になる。奥さんは日本人で子供も二人いるよ」
 リーダーのティナさんの日本語は流ちょうだが、他の二人はほとんど話せない。「アツイネ」とか「スゴイネ」ぐらいである。それもそのはずで、背の高いナヴィルさんは日本に来てまだ三ヶ月なのだそうだ。しかももうすぐ母国に帰らなければいけない。
「マレーシア、ベリーホット」
 とナヴィルさんはうんざりした表情で言う。赤道直下の国だから、一年を通して暑いのだ。だから35度の猛暑日だからといって特別に暑いということではない。
「わたしベイビーのとき、ホワイトスキンね。でもマレーシア、サンライトでブラックスキンね」
 赤ちゃんのときは肌も白かったのだが、マレーシアの太陽のせいでこんなに黒くなってしまったのだと彼は言いたいようだった。本当なのかは知らないが。
 めまいがするほど暑くて、街全体がぐったりと眠り込んだような野田にあって、マレーシア人たちの元気の良さは際立っていた。さすがは南国出身。アジアの風がここにだけ吹いているようだった。





 野田市からつくば市までの道のりはひどく単調だった。平坦でまっすぐな道を、大型トラックやトレーラーがひっきりなしに行き交う。暑さのせいか、モータリゼーションが進んでいるからなのか、歩いている人も自転車に乗っている人もいない。歩道は荒れていて、伸び放題の雑草が刈られないまま放置されているから走りにくい。
 地面には干からびたミミズの死骸が散らばっている。アスファルトの上はあまりにも暑くて、途中で力尽きたのだろう。暑さと死を結びつける象徴としてのミミズ。人もミミズも水がなければ生きていけないのだ。
 つくば市の国道では、信号機が故障したせいで大量の警察官が出て交通整理に当たっていた。ミミズだけでなく信号機も暑さに力尽きたようだ。

 つくば市で出会った親子から「リキシャガール」のことを教わった。リキシャが登場する絵本の題名なのだそうだ。今年の夏休みの課題図書にも選ばれているらしい。娘さんはこの「リキシャガール」を数日前に読み終わったばかりだった。
「これが本物のリキシャだよ。乗ってみる?」
 小学生の女の子二人を乗せたリキシャはすいすいと進んだ。
「で、リキシャガールってどんな本なの?」
 僕は後ろを振り返って訊ねた。
「主人公は10歳の女の子なの。お父さんはリキシャ乗りだけど貧しくて、女の子は何とかお父さんを助けようと、自分でリキシャを漕いでみることにしたの。でも運転に失敗して、リキシャを壊してしまって・・・」
 途方に暮れた女の子は、なんとかリキシャの修理費を工面しようと一計を案じる。さてさて、それが成功するかどうかは本を読んでのお楽しみ。ちゃんちゃん。
 ・・・なんて僕も結末がどうなるのかは知らないので、機会があったら読んでみようと思う。



 バングラデシュが舞台の物語が日本の小学生に読まれているというのは驚きだった。もちろんこれをきっかけにリキシャという乗り物のことを身近に感じてもらえれば、僕としても嬉しい。
「リキシャの乗り心地はどうだった?」
「うん・・・気持ち良かった」
 女の子は少し恥ずかしそうに顔を背けて言った。日本のリキシャガールはちょっとシャイなのだ。
「クラスの友達に自慢できるよ。本物のリキシャに乗った人なんて誰もいないからね」
「うん、自慢する」
 夏休みはまだ始まったばかりだから、読書感想文は書いていないという。僕としては実物のリキシャに乗った経験も感想文に書いて欲しいんだけど、それは読書感想文の範囲を逸脱していることになるのかもしれない。
 ともかく、絵日記には書けそうなイベントだよね。
【○月○日、今日わたしはリキシャに乗りました。】

 つくば市を通り抜けて土浦市に入る。日本で二番目に大きな湖・霞ヶ浦の湖畔の街である。
 本日はここ土浦に泊まる。明日もまた暑いんだろうか。

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本日の走行距離:51.8km (総計:3437.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:500円 (総計:57700円)

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by butterfly-life | 2010-07-24 21:19 | リキシャで日本一周
95日目:猛暑日のリキシャ(東京都墨田区→埼玉県春日部市)
 昨日は亀戸にある三田さんの家にリキシャを置かせてもらっていたので、本日はここ亀戸からのスタートになった。
 リキシャの出発を見送ってくださった三田さんのお義母さんは、「もうちょっと若かったら自転車でも何でも漕げるんだけどねぇ」と残念そうに言った。なんでもこの三田おばあちゃんは東京で二番目にバイクの免許を取った女性なのだそうだ。昭和30年ごろ、まだまだ女が自動車やバイクを運転するなんてはしたないという常識が広く共有されていた時代の話だ。
「昔、スクーターで両国の近くに行ったときにね、いくらアクセルを回してもちっとも前に進まなくなってしまったのよ。それで後ろを振り返ると、大きな相撲取りがスクーターを引っ張ってるわけ。すごい力だから全然動かないのよ。女が運転しているからからかってやろうなんてことなんでしょう。あたしが困ってると、向こうから朝潮(先代の方よ)がやってきて、その相撲取りの頭をパーンとはたいてさ、『お嬢さん申し訳ありません』ってすごく丁寧に頭を下げてくれたのよ」
 漫画に出てきそうなエピソードである。どうしてお年寄りの昔話というのはこうも面白くてカラフルなのだろう。



 三田おばあちゃんがスクーターに乗っていたのは、家がメリヤス工場だったから。できあがった製品を売り歩くのがおばあちゃんの仕事で、そのためには自転車では役不足だったのだ。おばあちゃんは旦那さんと二人で工場を切り盛りしていたので、毎日息つく暇もない忙しさだった。営業も経理も雇っている職人さんたちのまかないも、みんな彼女の仕事だったからだ。
 苦楽を共にしてきた旦那さんが亡くなったのは4日前のこと。97歳の大往生だった。お葬式が終わったばかりで、少し力が抜けている様子だった。
「毎日おじいさんの写真に話しかけてるのよ。答えてくれる気がしてね。テレビなんてちっとも見たくないね。思い出すのは昔のことね。いい思い出も悪い思い出もたくさんあるからね」


 特別に暑い日に、「あぁ暑かった」なんて書くのはいかにも芸がないと思うからなるべくは書きたくないのだけど、でも書いてしまう。あぁ暑かった。ただただ暑かった。
 最高気温37度にも達した猛暑日の埼玉をリキシャで走るのは、やはり相当にきつかった。もちろん水分補給は欠かさなかった。親切な方からいただいたポカリスエット2リットルボトルでこまめに給水しながら走ったのだが、500メートルも行かないうちにもう喉が渇いてくる始末だった。

 暑さはもちろん体力を奪う。しかしそれ以上に周りの景色に対する興味を失わせることになった。汗をぬぐいながらひたすら前を見て走り続けているだけだと、ここでちょっと横道にそれてみようという気持ちが湧いてこない。いつもならあるはずの好奇心が日差しのせいでからからに乾いてしまっていた。


【春日部の大工さんも暑そうだった。お仕事大変ですね】

 確かに埼玉県南部は心躍る要素の少ない土地だった(もちろんリキシャ旅的には、ということだが)。白くて四角い工場が延々と続き、その合間に団地や分譲住宅が建っている。特徴のある街並みではない。全体的にのっぺりとしている。
 しかしもし気温が25度ぐらいであれば、もっと旅を楽しむことができただろう。その土地のユニークさに対して好奇心のアンテナを張る努力ぐらいはしていたと思う。
 残念ながら今日の僕にはそんな余裕がなかった。


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本日の走行距離:37.9km (総計:3385.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:50円 (総計:57200円)

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by butterfly-life | 2010-07-23 22:30 | リキシャで日本一周
94日目:下町の職人(東京都墨田区)
 東京都台東区に店を構える「くるま屋」は、人力車を専門に作っている工房である。人力車を作る職人というのは全国にたった4人しかいないそうで、社長の松岡さんはそのうちの一人だ。
 松岡さんはもともと骨董品が大好きだったという。人力車にのめり込んでいったきっかけも、古いものへの愛情だった。
「人力車というのは明治時代から全くかたちが変わっていないんです。基本的に140年前と同じ。どういうわけか、違うデザインのものを作ろうとすると格好悪くなってしまう。それだけ洗練されたかたちだということです。当時の職人の細部へのこだわりはすごいですよ。車軸だってまっすぐにすればいいものを、見栄えを良くするためにわざと複雑に曲げたりしている。そういうのを見ているだけでも楽しいんです」
 100年以上前に使われていた人力車を紹介するときの松岡さんの目は、クラシックカー好きの人が愛車を紹介するときのそれと同じだ。愛娘を紹介する父親の目線とでも言ったらいいだろうか。



 明治に入って武士階級が消え、仕事を失った刀鍛冶たちが持てる技術をつぎ込んで作り上げたのが「人力車」という新しい乗り物だった。彼らは細部まで技巧を凝らし、人力車をひとつの工芸品に仕立て上げた。塗装には漆を使い、車輪には彫金を施し、外装を華やかな蒔絵で飾った。
 明治中期に日本の人力車製造は黄金期を迎える。製品は日本だけにとどまらず、アジア各地に輸出された。インドに輸出された「ジンリキシャ」は、時代を経るにつれて省略され、短く「リキシャ」と呼ばれるようになる。今でもインド人やバングラ人が「リキシャ」と呼んでいるのは、当時の名残なのだ。リキシャがど派手な装飾をまとうようになったのも、明治時代の蒔絵入り人力車から着想を得たのではないかと言われている。人力車とリキシャの関わりは深い。



 「くるま屋」の人力車は手作りである。木を切り、竹を曲げ、色を塗り、穴を開け、ねじで留める。一つの人力車を完成させるまでに1ヶ月半もかかるという。もちろんお値段もそれなりで、僕のリキシャに比べると桁が二つほど違う。
 人力車工房の様子はバングラデシュのリキシャ工場ととてもよく似ていた。2,3人の職人が狭いガレージの中でせっせと仕事をしている。もちろん出来上がったもののクオリティーはまったく違う。目指している方向性もかなり違う。しかし人の手で作られたリキシャと人力車には、共に大量生産の工業製品にはない独特の温かみが宿っているように感じられる。



 松岡さんの了解を得て、生まれてはじめて人力車を引いた。車重100キロと聞いていたし、車輪がゴムではなくて鉄なので走り出すためにはかなりの力が必要だろうと思っていた。しかし動き出しは意外にも軽やかだった。止まっている状態から走り出すときの「はじめの一歩」の負荷は、リキシャよりも人力車の方が明らかに軽い。金属製の車輪はゴム製よりも接地面積が少ないので、抵抗が少ないのだそうだ。

 反対に僕のリキシャを漕いでみた松岡さんの表情は渋かった。
「人力車よりも重いんじゃないですか? 本当にこれに二人のお客を乗せて走れるんですか?」
「バングラデシュでは二人どころか四人乗ることもあるんですよ」
「信じられないな」
 でも本当にそうなのである。僕もリキシャを漕ぎ始めたころは、何だってこんなに効率の悪い乗り物が100万台も走っているのかと不思議に思っていたのだが、4ヶ月も漕いでいると体の方が慣れてきて、お客を二人乗せてもまぁ何とか走れるようになったのである。人間が機械の方に合わせる。それがリキシャスタイルだ。

 墨田区にある「アトリエ創藝館」では、手書き文字職人・大石さんの仕事ぶりを見せてもらった。主に提灯や看板などに毛筆で文字を描いている。力強く極太で、江戸情緒溢れる書体だ。
 大石さんの経歴は少し変わっていて、若い頃は画家を志していたそうだ。芸大を受験したが何度か不合格が続いた。浪人時代に花屋でアルバイトをしているときに、花に添える札を書いてもらいに行った先で手書き文字の世界を知った。そのまま弟子入りして以来、ずっとこの仕事一筋で生きている。
「学生時代に絵を習っていた先生に、この世界に入ったことを言ったんです。そうしたら『いいところを見つけましたね』って言われた。滅多に人を褒めない先生が、そのとき初めて自分のことを褒めてくれたんです」



 大石さんは僕のリキシャのために提灯に「日本縦断」という文字を入れてくださった。本当は一週間かけてやる仕事なのだが、今回は特別にその場で一気に仕上げてもらった。
「字を書くときに一番大切なのは思いやりなんです。偏(へん)が大きすぎると、旁(つくり)が小さくなってしまう。電車の座席と同じですよ。最初に座る人が大きな場所をとると、後の人が座りにくくなるでしょう。文字も全体のバランスを考えて、思いやりを持って書いてやれば、自然と美しくなるんです」
 大石さんが書く江戸文字は、大きくて隙間がないのが特徴だ。もともと歌舞伎の看板などに使われていたそうで、「客席が隙間なく埋まるように」との願いが込められているという。



 大石さんは子供の頃に放浪癖があり、親戚を頼ってあちこち旅したことがあるという。でもここに店を構えてからはずっと半径1キロ以内の世界で暮らしている。お祭り前のかき入れ時には目の回るような忙しさで、とても旅行なんかしている暇がない。そういうときには提灯が羨ましくなるという。大石さんが文字を入れた提灯は日本だけでなく、外国にも送られることがある。
「提灯の代わりに自分が段ボールに入ってアメリカに運ばれたいなぁなんて思うことがありますよ」
 そんな大石さんの思いがこもった「日本縦断」提灯を携えて、リキシャは北へと向かう。はてさて、無事に北海道まで走りきることができるだろうか。乞うご期待。


【大石さんの愛犬・虎太郎。それにしてもリラックスしすぎでしょう、これは】

 398メートルまで成長した東京スカイツリーを横目に見ながら、墨田区の下町を走った。
 墨田区には小さな商店街がいくつも残っていた。もちろんスーパーもあるのだが、生活圏に密着した昔ながらの商店街が生き延びる余地もあるようだ。すでにあらかたがシャッター街化した地方の商店街から見ると、とても羨ましい状況だ。



 京島の商店街も活気に溢れていた。八百屋のおじさんがだみ声を張り上げ、中華屋のお姉さんが中国訛りの日本語で呼び込みをする。リキシャを目にした人のリアクションはさまざま。「こんなもんで日本を縦断しているなんて信じられないねぇ」と言う人もいるし、「偉いねぇ」「偉いねぇ」と何度も頷く人もいる。
 中華屋のお姉さんには、中国にもリキシャに似た輪タクが走っていて、「皇泡車」(フアン・バオ・テ)というのだと教えてもらった。



 コッペパンを並べたパン屋さんは、昭和レトロな雰囲気が濃厚に漂っていた。昔は菓子パンも作っていたのだが、今はコッペパンしか焼かないという。明けても暮れてもコッペパン。昭和20年代に買った古いガス式の釜で焼いたパンをなじみの客に売り続けている。
「昔はよく停電したから、電気釜じゃ都合が悪かったみたいだね」とおかみさんが言う。「でもここのパンの味はこの釜でしか出せないのよ」



 おかみさんは焼きたてのパンを二つに切り、ジャムを塗って「食べてみて」と手渡してくれた。さすがにこれ一本で勝負しているだけのことはあって、普通のコッペパンとはひと味もふた味も違う。生地がしっとりしていて味に奥行きがある。
「うちは添加物なんて一切使っていないから。小麦と水とバターと塩だけ。昔からそうよ」
 とおかみさんは胸を張る。店構えも味もおかみさんの笑顔も、昭和の時代からずっと変わっていないのだろう。




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本日の走行距離:14.6km (総計:3347.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:20円 (総計:57150円)

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by butterfly-life | 2010-07-22 21:38 | リキシャで日本一周
93日目:休日の東京(東京都渋谷区→台東区)
 水をいくら飲んでも喉が渇く。猛暑日の東京はそんな一日だった。
 本日は代々木公園から表参道、広尾、六本木、東京タワー、皇居、丸の内、上野などを回って台東区に向かった。東京らしい東京、関東に住んでいない人でも何度か耳にしたことのある場所を走ったのは、取材のためだった。いつもは撮る側だが、今日は撮られる側に回ったのである。


【屋外の温度計は35度を記録!】

 午前中は、昨日も同行した三輪さんがプロデュースする企画展「PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN」のためのビデオ撮り。「あなたにとってリキシャとは何か」とか、「日本とアジアとの違いは何か」といった簡単には答えられない難しい質問もされた。
 カメラを向けられた中で、自分の考えや気持ちをとっさに表現するのは難しい。タレントが生放送中にろくでもない間違いをしでかしたときに、僕らは画面に向かって「なに馬鹿なことを言ってるんだ」なんて突っ込んだりするわけだが、いざ自分がやってみると案外難しいことがわかる。本当に言いたいことの何分の一も言えていないんじゃないかという不充足感、残尿感のようなものが必ず残ることになる。
 このブログに書いている文章は、書き出しと推敲と削除を繰り返すことで、ある程度納得できるアウトプットに仕上げることができるが、一発撮りのインタビューというのはもろに反射神経を問われてしまうからおそろしい。


【東京ミッドタウンの前で】

 インタビュー後、六本木にある東京ミッドタウンにお邪魔した。今回の企画展の会場となるのは、財団法人日本産業デザイン振興会のギャラリースペースだ。「日本産業デザイン振興会」というのはあのグッドデザイン大賞を選定する団体であるから、もちろんそこは洗練された空間だった。会場を訪れるのはデザインに興味のある若者や外国人。こんなところに僕の写真が展示されというのもちょっと妙な気はするが、逆に楽しみでもある。



 午後からはNHKの取材。朝11時からやっている「こんにちは いっと6けん」という関東ローカルの番組でリキシャを取り上げたいとのこと。(放送されるのは8月6日の予定)
 東京タワーをバックに桜田通りをリキシャが走る。「ザ・東京」というロケーション。はとバスに乗ったおばさんたちがリキシャを物珍しそうに見下ろす。中国人の団体旅行者も指をさして笑っている。



 三連休最終日の都心は閑散としていた。もちろん商業地域に行けばまた違ったのだろうが、今日走ったのはオフィス街ばかりだったので、道路はどこもがらがらで、道行く人もまばらだった。働くところと住むところと消費するところがはっきりと分かれているのが東京という街で、それは曜日や時間帯によって街の相貌が全く違うものになるということを意味している。

 東京の道路は道幅が広くとってあり、起伏の激しさを別にすれば自転車で走りやすい街だと思う。それでも通勤や通学に自転車を使う人はごく少数にとどまっているのは、公共交通機関があまりにも高度に発達しているせいだろう。
 どこでも短時間でスムーズに移動できるのはけっこうなことだけど、自転車のように自由に気ままに移動できる乗り物の良さが忘れられているのはもったいない。とはいえ警察官が各交差点に立ってちょっとしたルール違反も見逃すまいと目を光らせているような管理都市には、自転車という乗り物は不向きなのかなぁとも思う。


【丸の内のビルの前で。ザ東京である】

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本日の走行距離:26.7km (総計:3332.9km)
本日の「5円タクシー」の収益:1520円 (総計:57130円)

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by butterfly-life | 2010-07-19 22:05 | リキシャで日本一周