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112日目:100キロの幸せ(北海道音威子府町→猿払町)
 今日は音威子府町からさらに北上し、オホーツク海を目指す。いよいよ最北端・宗谷岬が手の届くところまで近づいてきた。
 275号線は通る車もまばらで実にのどかな道だった。道の両側には深い森が迫りっていて、あたりには鳥の声がこだましている。久しぶりの青空の下で、木々の緑はいっそう濃く、山の稜線は絵に描いたようにくっきりしている。
 けれどもこの景色をゆっくり楽しむことは許されなかった。リキシャを止めるやいなや、何匹ものアブがいっせいに僕の周りにたかってきたからだ。アブは汗を好むようで、太ももや腕など肌が露出しているところに止まっては刺すのである。これが痛い。不意に注射針を刺されたような痛みが走る。どうしてアブが人を刺そうとするのか、その理由がよくわからない。血を吸っているわけではないし、敵を攻撃しているのでもない(自分から寄ってきているんだから)。アブよ、君らの目的は何だ?
 山が深くなればなるほど、アブの量も多くなった。だから山道をリキシャを引っ張って上っているときでさえ、立ち止まることができず、息を切らせながら頂上まで登りきらなければいけなかった。あぁ腹が立つ。


【天塩川沿いにはソバ畑が広がる。白い花を咲かせていた】

 275号線では大型バイクに乗ったライダーと頻繁にすれ違った。都会ではあまり見かけることのない排気量の大きなバイクに乗って、猛スピードで北の大地を疾走していた。どこまでもまっすぐで、信号のない道。北海道は「走り」を求めるライダーにはうってつけの土地だ。スロットルを全開にして、姿勢を低くして突き進む。とても気持ちがいいだろうと思う。
 北海道を走るライダー同士はすれ違うときに手を振るのが習わしになっているようで、僕も手を振り返してエールを交換した。いい習慣だと思う。ライダー同士の連帯感のようなものを感じる。



 松音知(まつねしり)という集落では、牧場主のおじさんと出会った。
 もともと松音知は林業で栄えていたそうだ。山の木を切り出し、町へと運ぶ拠点になっていたのだ。しかし手近にある自然木をあらかた切り出してしまったことと、木材価格の下落とが重なって林業は衰退し、あとに残ったのは切り開いた土地を使って牛を育てる酪農業者だけになってしまった。
「うちは牛が50頭ぐらいだから規模は小さい方だね。今は草の刈り取りが終わったから暇だよ。冬場の方が忙しいね。牛の世話は夏も冬もないしさ。口のあるもんはほっとくってわけにもいかんから。冬は除雪があるからね。すぐに2メートルも3メートルも雪が積もるし、放っておくとその重みで建物が潰れちまうからな。雪の『守り』は大変だよ。ここの雪はベタついて重いからな」
 ここに来る手間にも、雪の重みで潰れたらしい家屋を何軒か見かけた。住む人がいなくなって除雪できなくなると、その家は一年を待たずに潰れてしまう。過酷な環境なのである。


【雪の重みで潰れたらしい家屋】

「今年は雨が多かったら、いい草がとれなくて大変だった。ほら2週間ぐらい前に大雨が降ったっしょ。あれで刈った草が腐っちまってダメになったんだ。ほんとに嫌な天候になってきたよ。雨が降るっていったらまとまって降るし、今はまたバカみたいに暑いしな」
 北海道の酪農は機械化が進んでいる。一台5000万円もする大型農機で一気に草の刈り取りや「干し草ロール」作りを行う。農家によっては億単位の投資を行っているという。それによって省力化が進み、少ない人数でも仕事ができるようになったのは確かだが、実際には借金の返済に追われている農家も少なくない。



 275号線を浜頓別まで走りきり、238号線・通称「オホーツクライン」に入った。リキシャがついにオホーツク海に達したのだ。
 ここまですでに70キロを走っていたが、まだ余力があったので30キロ先の猿払(さるふつ)まで行くことにした。猿払までは大規模な牧場が続いた。牛を数百頭、ところによっては1000頭以上も飼育している巨大な牧場である。農場というよりも工場に近い雰囲気だ。



 238号線には「シカ出没注意」とか「クマに注意」といった看板がやたらと多かった。ひどいところだとこの看板が100メートルおきに出現するのだ。冗談抜きにシカやクマが多いのだろう。飛び出てきたシカに驚いてハンドルを切り損ねて事故を起こす、ということもよく起こっているようだ。

 道が平坦で風の影響もなかったので、順調なペースで進んだ。これなら100キロ越えも楽なもんだと思っていた矢先、猿払まであと10キロというところでガクンとペースが落ちた。急に体が重くなり、足に力が入らなくなったのだ。
 よろよろとリキシャを降り、サドルに両手をついて深く息を吸う。もう少しじゃないか。あと10キロ、1時間だ。限界を訴える足の筋肉を励ます。
 暑さは既に去っていた。午後6時を過ぎると気温もぐっと下がり、肌寒いぐらいだった。太陽は西の地平線近くに沈み、トラックもバイクもヘッドライトをつけ始める。暗いオホーツク海の水面ぎりぎりに水鳥の群れが集まっていた。
 空はどこまでも広く、海はあくまでも遠く、大地は見渡す限り平坦だった。北海道スケールの自然を前にすると、100キロという距離はあまりにも短い。でもこれが僕とリキシャの限界だ。あと10キロはなんとか進めるが、それ以上は無理だ。
 ちっぽけな人間の限界。でもそれを胸を張って受け入れようじゃないか。

 呼吸を整えてから、再びリキシャにまたがった。
 足は相変わらず重く、鈍い痛みを発していたが、動かせないわけではない。自分のペースでいい。少しずつ前に進めばいい。
 疲労の限界に近づきながら、僕はなぜか幸せだった。空と大地と海のはざまで馬鹿馬鹿しい苦闘を演じている自分のことが、ひどく滑稽でもあり、愛おしくもあった。
 オホーツクの海沿いをリキシャはのろのろと進んでいく。時折立ち止まり、また思い出したように動き出す。そうやって少しずつ猿払の町に近づいていく。



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本日の走行距離:104.0km (総計:4521.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:390円 (総計:62335円)

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by butterfly-life | 2010-08-11 20:19 | リキシャで日本一周
111日目:さらに山の奥へ(北海道名寄市→音威子府町)
 北海道に上陸してから5日目だが、すっきりとした青空をまだ一度も見ていない。今日も朝からどんよりとした天気。今にも雨が降り出しそうな重たい雲が空を覆っている。予報では午後から雨模様のようだ。

 名寄市を出発してから国道40号を北へ向かう。ここまで来ると町らしい町はほとんど姿を見せなくなる。「○○ファーム」という看板を掲げた大きな農場がぽつぽつと続く。水田もあるが、トウモロコシやソバやジャガイモなどの寒冷地でも育つ作物が多く植えられている。
 牧場も多い。屋外で草を食んでいる牛は少なくて、牛舎の中でおとなしく餌を食べているようだ。草原に刈り取った干し草を丸めた「干し草ロール」が並んでいる。これも夏の北海道らしい光景のひとつだ。機械の力でぎゅーっと圧縮されているので、触ると硬い。干し草ロールには黒いビニールのカバーを掛けてあるものもある。草の発酵を進めているのだそうだ。




【黒いビニールをかけられた干し草ロールは、どことなく現代アートのインスタレーション作品を思わせる】

 天塩川に沿って北上を続けると、美深の町に着く。美深は1931年に国内の最低気温となるマイナス41.5度を記録した極寒の地である。今が夏でよかった。
 この町で出会ったのは中根ウメさん。買い物カートを押しながらゆっくりゆっくり歩いていた。大正10年生まれの90歳。でも持病はないし、膝が痛い以外は健康そのものだ。
「若い頃はここよりももっと山奥の仁宇布(にうぷ)って部落に住んでいたんだ。クマとキツネと一緒に暮らしていたさ。山で何度もクマに出くわした。でも怖くないよ。こっちがおとなしくしてたら、クマが人を襲うことなんてないさ」
 仁宇布にはスバル(富士重工)のテストコースがあるのだそうだ。寒冷地でのエンジンやラジエターの動作状況をテストするために、わざわざ山の中にコースを造ったのだ。ウメさんは毎年1月から3月のあいだテストにやってくるスバルの社員のために、20年ものあいだ食事を作っていたという。
「一番辛かったのは、やっぱり戦後だろうね。この辺の農家でも食べるもんに困っていた。うちは10人家族で、大きな鉄鍋で夕飯を炊いたけど、麦二升に米二合だったかねぇ。ああ、ほとんど麦だ。それだと足りないから、馬鈴薯を入れて食べとったんよ」
 北海道の奥地は長い間発展から取り残されていた。仁宇布に電気が通ったのは1964年になってからのことで、同じ年には仁宇布と美深を結ぶ鉄道「美幸線」も開通した。雪深い冬には美深に出るのに往復二日もかかっていた仁宇布の人々は、これで楽に町まで出られると大喜びしたが、この路線は利用者があまりにも少なかったために1985年に廃線になってしまった。その後、不便になった仁宇布集落の人口は減り続け、ウメさんも数年前に娘を頼って美深の町に出てくる決意をしたのである。


【元気な90歳、ウメさん】

「健康の秘訣は薬に頼らないこと。日々明るく暮らすことだねぇ。美しい景色を見て、そこにもういっぺん行きたいなぁと思う。この気持ちが大事なんでねぇかな。あたしは3年前に初めて外国に行ってきたの。アメリカのユタ。孫がアメリカ人の宣教師と結婚して、向こうに住んでるもんでね。ひ孫に会いに行ったわけさ」
「初めての海外は楽しかったですか?」
「あぁ、言葉は全然通じないけど、すっごく楽しかった。食べ物もとってもおいしいしさ。あぁもういっぺん行ってみたいって思ってたら、去年また行くことができたのさ。100歳になったらまたアメリカに行く。それがあたしの夢さ」
「あと10年ですね」
「そうだねぇ。90まではあっという間だったけど、これから10年は大変だなぁ」



 国道40号沿いに「びふか温泉」というレクリエーション施設がある。道の駅と温泉と野外キャンプ場とスポーツ施設が一緒になった場所だ。そこで開かれている野外音楽イベント「音楽旅人2010」に立ち寄ることになったのは、このイベントの司会者の女性に「ぜひ来てください」と声を掛けられたからだ。

 びふか温泉のキャンプサイトには何十ものテントが張ってあった。キャンピングカーや寝泊まりできるワンボックスカーも多数。夏の北海道はこうやってキャンプをしながら旅をするのが王道なのだ。
 東京からバイクに乗ってここにやってきたというおじさんは、毎年夏になるとここにテントを張って一ヶ月以上暮らすのだそうだ。温泉に入ったり、図書館で本を借りてきて読んだり、芝生の上でぼーっとしたり。優雅な生活である。



 野外音楽イベントはまだ開始前ということもあってあまり人が集まってはいなかったが、リキシャに乗りたいという子供たちがわっと集まってきたので、5円タクシーの出動とあいなった。
 このイベントは今年で3回目だそうで、主に地元のアマチュアバンドが演奏を披露する場になっている。もともと、この「びふか温泉」は北海道を旅するライダーがキャンプを張る場になっていたので、毎年夏にはライダーたちの祭りが開かれていたのだが、バイク旅行者の減少と共にイベント自体も消滅してしまったという。

 そう言われてみれば、確かに北海道ですれ違うライダーの平均年齢は高い。20代の若者は少なく、40代より上の人が多い。そもそも今の若者はバイク自体に興味を示さなくなっている。日本国内の二輪車の販売台数はピーク時(1982年)の9分の1にまで減っているという。あまりにも急激な落ち込みように驚いてしまうが、実際、僕の周りにもバイクを乗り回している人はほとんどいないのである。
 暴走族も減ったし、無謀な運転で死亡事故を起こす若者も減った。それはそれで良いことだと思うが、それでは今の若者はアドレッセンス的なものをどうやって発散させているのだろうか。ネットだろうか? ケータイゲームだろうか?


【北海道は大きなバイクで走るには最高の土地だ】

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本日の走行距離:52.6km (総計:4417.3km)
本日の「5円タクシー」の収益:390円 (総計:62335円)

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by butterfly-life | 2010-08-10 07:43 | リキシャで日本一周
110日目:ヒマワリの咲く大地(北海道旭川市→名寄市)
 本日は旭川市からまっすぐに北上して名寄市に向かう。
 今日の旭川市はとても暑かった。最高気温32度を記録。今年一番の暑さになった。旭川でここまで気温が上がるのは珍しいらしく、道行く人も「暑いですねぇ」が挨拶になっていた。
 今年の夏は暑い。2週間前に北関東を走っていたときには連日35度を超える猛暑だった。しかしそれも東北、北海道と北上を続ければましになるだろうと思っていたのだが、そうもいかなかった。



 この暑い夏の恩恵を受けているのが農作物で、特にお米は例年にないほどの豊作になると言われている。確か3月4月は寒い日が続いて、今年は冷夏で不作の年ではないかと言われていたが、結果は正反対になってしまった。長期予報というのはまったく当てにならない。いつも外れている。気象システムというのは複雑系なのである。

 旭川を出発してから国道40号線を北に向かう。今日は南からの風が強く、リキシャにとっては素晴らしい追い風だった。後ろから誰かに押してもらっているような感じ。ここのところずっと南風が吹いていて、北上する分には最高なのだが、また南下するときのことを考えると不安でもある。借りた分はやはりどこかで返さなければいけないだろう。きっと向かい風に苦しむ日が来るはずだ。



 比布(ぴっぷ)というなかなかポップな響きの町を通過し、和寒(わっさむ)に入る。和寒町は「玉入れの町」として売り出しているようで、毎年「全日本玉入れ選手権」という大会が開かれているそうだ。賞金は50万円。町おこしの企画としては成功例のようだ。
 マタルクシュケネブチ川というなかなか覚えられそうにない名前の川を渡ると、士別市に入る。士別市にはヒマワリ畑がたくさんあった。一面に黄色い花の絨毯が広がる様は、いかにも夏らしくて絵になる。



 81キロを走りきり、すっかり疲れた状態で名寄の町に到着した。風の助けがなかったら、途中でダウンしていたかもしれない。しばらく無理を続けていた疲れが、腰の痛みになって現れている。
 やれやれ、今日は早めに寝ることにしよう。


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本日の走行距離:81.6km (総計:4364.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:1190円 (総計:61945円)

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by butterfly-life | 2010-08-09 23:41 | リキシャで日本一周
109日目:イチゴイチエ(北海道滝川市→旭川市)
 滝川を出発して、国道12号線を東に進む。今日の目的地は旭川市だ。
 北海道らしいまっすぐでかわりばえのしない道を進む。右を見ても左を見ても水田が続いている。緑の海のようだ。人影はほとんどない。たまに農薬散布をしている農機や、土を掘り起こしている大型トラクターを見かけるぐらいだ。雲がちな天気のせいもあって豊穣というよりはどこか荒涼とした景色のように見える。フロンティアの寂寥というべきか。



 旭川まで15キロほどのところで山道に入った。ここは車道と歩行者と自転車が通る道とが分かれていて、車道はトンネルになっているのだが、自転車道は石狩川の川べりの細い道を走ることになる。この自転車道は予想以上に長く続いていて、車道と分かれてから再び合流するまで8キロもあった。
 自然に囲まれたサイクリングロードはリキシャにとっても最高の道だったが、道中すれ違ったのは一人だけだった。それもまぁ当たり前の話で、わざわざ自転車に乗って旭川の町から外に出ようなどという人はほとんどいないのである。



 すれ違ったおじさんは道ばたで野いちごを集めていた。すでにビニール袋に一杯分集めている。
「こっちではバライチゴって言うのよ。ほら、これにはトゲが多いでしょ。だからバライチゴ。これは家に持って帰ってジャムにするの。食べてごらん」
 おじさんの集めたバライチゴは甘酸っぱかった。「甘酸っぱい」というよりは、「酸っぱ甘い」と言うべきか。酸味が8で甘味が2というところ。子供の頃、山に出かけたときに摘んで食べたことがある。食べ過ぎるとお腹を壊すって言われたっけ。
「春になるとクワの実が採れるし、秋にはヤマブドウがなる。ヤマブドウは搾って砂糖を足してジュースにして飲むんだ。体に良いよ」
「他には誰も採りに来ないんですか?」
「みんな面倒くさがってやらないんじゃないの。俺は青森の生まれだから、昔っから山でこういうもんを採るのが好きだったのよ。仕事を定年退職してから、こっちに嫁に来た娘を頼って来たんだ。今は悠々自適よ」
 おじさんは額に浮いた汗を手ぬぐいで拭った。北海道らしくない蒸し暑い午後だった。僕のTシャツと同じようにおじさんの白い肌着も透けてしまうほどべっとりと汗をかいている。
「ほら、好きなだけ持って行けよ。これを途中で食べたら、元気も出るからな」
「ありがとうございます」
 僕はおじさんのビニール袋からひとつかみバライチゴをもらうと、リキシャにまたがった。一期一会。イチゴ一笑。おじさんは再び野イチゴ摘みに戻っていった。



 旭川市では泊まる宿の確保に苦労した。旭川といえば人気の旭山動物園を擁する街で、夏休みともなると家族連れの旅行者がどっと押し寄せてくるようだ。ホテルはどこも満室。駅近くの旅館でも「今日は一杯なんです」と断られた。
 駅前の繁華街のそばにひっそりと看板を掲げる美松荘旅館は、なんとなく部屋がありそうな予感のする宿だった。古いのである。老朽化している、と言ってもいいかもしれない。高度成長期に建てられたまま改修されることなく使われている旅館のようだ。
 案の定、ご主人はあっさり「ええ、部屋はありますよ」と言った。和室だと4000円、洋室は3500円だという。とりあえず部屋を見せてもらう。安い方の洋室にはエアコンがなかった。普段の旭川なら何の問題もないだろうが、今日はやたら蒸し暑い。
「エアコンはないんですね」
「ええ、この部屋は扇風機です。3000円でいいです」
 別に値切るつもりなんてさらさらなかったのだが、ご主人が勝手にまけてくれた。それじゃ、ということで3000円の部屋に泊まることにした。もちろんトイレと浴室は共同だが、これといって不便はない。宿泊者には外国人も多いようで、但し書きには日本語と共に英語と中国語も書かれていた。試しに「インターネットは使えますか?」と訊ねると、無線LANのセットを貸してくれた。ワンダフル。

 夜になるとあたりが騒がしくなってきた。太鼓の音が鳴り響き、ロックバンドの演奏も聞こえてくる。どうやら近所でお祭りが始まったようだ。サンダルを突っかけて様子を見に行くと、繁華街の一角にずらっと出店が並んでいた。フランクフルト、鯛焼き、綿菓子、焼き鳥。屋外のテーブルで浴衣を着た人々がビールを飲みながら大声で話をしている。夏祭りらしい光景だ。
「今日は何のお祭りなんですか?」
 焼き鳥を買ったついでにおばさんに聞いてみた。
「知らないの? 今日は旭川の花火大会なんですよ。川の方で上がるから、お兄さんも見てきたらいいよ」
 花火大会があるとは知らなかった。たまたま来た街で花火が見れるなんて幸運は滅多にない。これはぜひ見に行こう。でもどこに行けばいいのだろう?
 心配はいらなかった。大通を歩いている人の列についていけばよかったのだ。アリの隊列のように、みんながみんな同じ方向に早足で歩いている。これについていけば花火の在処にたどりつけるに違いない。
 そう思っていると、「ドーン!」という音がこだました。始まったようだ。ビルのあいだから赤や緑の花火の光も見える。
 15分ほど歩くと、花火大会のメイン会場である石狩川の河原に到着した。河原はすでに何千人もの人で埋め尽くされていたが、まだ空きスペースもちらほらあった。都会で行われる花火大会のように何時間も前から場所取りをしないと入れないということはないようだ。
 適当な場所を見つけて座り込み、花火を見上げる。近い。花火を打ち上げている中州から200メートルと離れていない。こんなに近くで花火大会を見たのは何年ぶりだろうか。ヒュルルルー、ドン。ヒュルルルー、ドン。

 熱帯夜というものを滅多に経験しない旭川で、この日は特別に蒸し暑く、浴衣を着た女の子たちがうちわをぱたぱたと仰ぎながら花火を見上げていた。
 北海道の短い夏が盛りを迎えていた。


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本日の走行距離:60.5km (総計:4283.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:60755円)

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by butterfly-life | 2010-08-09 08:33 | リキシャで日本一周
108日目:ジンギスカンの夜(北海道札幌市→滝川市)
 朝、宿を出てすぐにすすきの近くにあるナカガワ自転車に向かった。昨日ここにリキシャを預けて、修理してもらっていたのだ。
 パンクが相次いだチューブを新しいブリヂストン製のものに交換してもらい、錆び付いて折れていたスポーク4本も取り替えてもらった。後輪のベアリングの洗浄と、ホイールのがたつきの調整もしてもらった。「見違えるほど」とまでは言わないが、もうしばらく走れるようにはなった。
「バングラデシュの人はちっちゃいことは気にしないんだろう?」と店主の中川さんが言う。「これはさ、日本の自転車なんかとは考え方が違うんだよな。部品の質も悪いし、元からゆがんでいるものもある。それを職人の腕と根性とでなんとか使ってるんだよな。たいしたもんだよ」
 そうなのです。リキシャの作りは本当に粗雑で、修理しながら使うのが当たり前なのだ。だからちっちゃいことは気にしない。ワカチコ、ワカチコ。
 最後に残った問題はタイヤそのものだった。どうやらこのタイヤは日本にはまったく在庫のない特殊な(おそらくはリキシャ専用の)タイヤだと判明したのだ。普通のタイヤとは比べものにならないほど分厚くて硬い。だから多少すり減っていてもしばらくは使えるのではないかというのが中川さんの見立てだった。とりあえずはそれを信じてみよう。

 札幌の街を出発し、石狩川と並走しながら滝川市を目指す。
 道すがら面白い老人に出会った。僕がリキシャを止めて一休みしていると、「これでどこまでいくんだ?」と声を掛けてきたのだ。
「とりあえず稚内を目指しています」
「そうか。事故にだけは気をつけろよ。6年前もな、バイクの事故で大学生が二人死んだんだ。ちょうど今のあんたみたいに休んでるときに話しかけてな、埼玉から来たって言っとった。そんで家に帰ってテレビをつけてみたらな、ニュースで『大学生二人、事故で死亡』って流れとるんよ。さっき話したばっかりだったなのにな。スピードは出したらいかんぞ。死ぬぞ」
「これはスピードを出したくても出せないんですよ」
 と僕はリキシャを指さして言った。
「いや」
 と言って老人は僕の左腕をぎゅうっと掴んだ。いててて。すごい力だ。
「気をつけろよ。スピードには」
「わ、わかりましたよ」
 それから老人は怒濤のごとく話し始めた。北海道開拓民だったご先祖のこと。極めて真面目だった郵便局員時代の話(右を向いていろと言われたら、3年でも5年でも右を向いている、というタイプだった)、北海道民の交通マナーの悪さ、シャブを打って走っているトラック運転手(ほんまかいな)の話、などなど。
「年はおいくつなんですか?」
 終戦当時の話が出てきたところで訊ねてみた。
「年か? 13に7足して、それに4をかけてから3を引く。いくつじゃ?」
「えーっと・・・77」
「そうじゃ。皇后陛下と同い年じゃ」
「まだまだ元気ですね」
「まぁな。こうやって自転車にも乗ってるし、今もイオンに行ってトイレットペーパーを買ってきたところよ。イオンと言えばな・・・」
「そろそろ出発しますね」
 そう言って素早くリキシャにまたがった。話を遮って申し訳ないけど、こうでもしないといつまで経っても出発できない。切り上げ時が肝心なのだ。
「そうか。気をつけてな。くれぐれもスピ・・」
「スピードは出しませんよ。はい、行ってきます」



 月形町のコンビニで出会った諏訪さんもよく喋るおばあちゃんだった。87歳の諏訪さんは杖をつかないと歩けない状態なのだが、コンビニの駐車場に止めてあったリキシャを一目見るなりつかつかと近づいてきて、「まぁこんなに素敵な乗り物があるのかしら」と感激の声を上げた。とても素直なおばあちゃんだ。
「私の祖父は富山県の出身で、屯田兵として旭川に移住してきたのね。父親は材木商人で、まだ樺太が日本の領土だった頃に、稚内から船に乗って樺太まで出かけたものよ。戦争が終わるまで、何度か私も樺太に渡ったの。あそこには良い木材があったんです」
「北海道の住み心地はいかがですか?」
「そうねぇ、夏が涼しいことは良いことだわね。それから冬のスキー。女学校ではスキーが必修科目だったから、みんなでスキー板履いて滑ったものよ。リフトなんてない時代だから、カニみたいな横歩きで斜面を登ってね。でも最近はあの頃みたいに寒くはなくなったわね。マイナス25度まで下がることはもうないから」



 石狩川に沿った平野部は、だだっ広い水田地帯だ。本州の田んぼとは規模がまったく違う。トラクターやコンバインもやたら大型で、農業が機械されていることがわかる。



 84キロを走りきって(一日の最長走行距離だ)、滝川市に到着した。どこまでも続く田園風景の中に突如現れた町である。しかし駅前はずいぶん寂れていた。シャッターを閉めた商店や、ペンキがはがれた建物、震災にあったかのようにぐしゃっと潰れた住宅などが目に付いた。環境の厳しい北海道では、住む人がいなくなった家はすぐにダメになってしまう。冬場に降り積もる雪の重みに耐えかねて潰されてしまうのだ。

 滝川市では整体師の伊藤さんの家に泊めていただいた。伊藤さんは僕が沖縄を旅しているときにお世話になった「HSTI」の創始者・比嘉進さんのお弟子さんで、「リキシャが滝川を通るときには、ぜひうちに寄ってください」とメールしてくださったのだ。
「いやー、こんなにワクワクしたの久しぶりだなぁ」
 初めてリキシャを目にした伊藤さんは笑顔で言った。
「毎日ブログをチェックしてたんです。どんどん北に上がっていくでしょう。あ、苫小牧だ。もう札幌だって。居間に貼った日本地図にマジックでリキシャが通ったルートを書き込んでいたんです。ついに滝川にやってきた。感動だなぁ」
 サンタクロースを心待ちにする子供のようなキラキラした目で言うので、ちょっと照れくさくなってしまった。トナカイの代わりに自らの力で進むサンタクロース。プレゼントは何もない。けれども「近づいてくるワクワク感」だけはある。そう、子供の頃のクリスマスって、プレゼントそのものよりも、それが近づいてくるのを指折り数えて待つことの方が楽しかったのかもしれない。


【冬になると薪ストーブが活躍する伊藤家の居間で】

 伊藤さんは整体の仕事を始めるまで、生コンを運ぶトラックの運転手をしていた。仕事は順調で、1台1200万円もするトラックを2台持つまでになった。しかし次第にその仕事に疑問を感じるようになる。
「北海道は公共事業に頼り切っているんですよ。川を護岸して、山の斜面をコンクリートで固める。それを延々と続けているんです。むなしくなりますよ。去年コンクリートで固めた斜面が、今年にはもう砂に埋もれているんです。自然にはどうやっても勝てないのに、それをわかっていながら公共工事をやめられない。結局、穴を掘って埋めているのと同じです。自分の仕事が本当に世の中の役に立っているのかわからなくなってきたんです」
 儲かっていた仕事をやめて、まったく未経験の整体師を始める。その決断をしたときに、もちろん家族は反対した。しかしそれは「大反対」というほどのものではなくて、新しい整体院の名前を「健康ちゃん」にしようと言い出したことに対する反対だった。「恥ずかしいからやめて欲しい」と子供たちに言われた。でもこの名前には「気軽に入れるような場所にしたい」という伊藤さんの思いが込められていた。
「軌道に乗るまでは2年かかりましたね。口コミによって少しずつお客さんが増えていった。最初の頃はこれじゃやっていけないと頭を抱えた日もありましたよ」
「運転手から商売替えをして良かったと思いますか?」
「ええ、それはもちろんそうです。これからは公共事業もどんどん減らされるだろうし、トラックの仕事も減るでしょうから。自分が誰かの役に立っていると感じられるのが一番ですよ」
 夕食は名物のジンギスカンだった。滝川のジンギスカンは羊肉をタレに漬け込んであるので、何もつけずにそのまま食べられる。ジンギスカン鍋の縁のところにラーメンを入れて食べるのが伊藤家の流儀だ。これも焼きそばみたいになってなかなかおいしい。缶ビールはアサヒとキリンが並んだが、なぜかサッポロがなかった。地元なのに。
「北海道には意外にサッポロを置いている店が少ないんですよ」
 とのこと。なぜだろう。
 それはともかく、大いに漕ぎ、大いに食べ、そして大いに飲んだ一日だった。


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本日の走行距離:84.4km (総計:4222.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:20円 (総計:60755円)

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by butterfly-life | 2010-08-08 07:26 | リキシャで日本一周
107日目:北海道上陸(北海道苫小牧市→札幌市)
 八戸を出発したフェリーは定刻通り午前1時30分に苫小牧港に接岸した。大型トラックに混じって端っこの方に止めてあるリキシャは、全ての車が下船したあと最後に船を出る。気温17度。北海道はやはり涼しい。空を見上げると半月が明るく輝いている。天気はいいようだ。
 夜中走り出すのは無謀なので、フェリーの待合所で夜明けを待つことにする。待合所の二階には僕と同じことを考えている自転車旅人が3人ソファに横たわって眠っていた。

 無理な体勢で横になっていたわりにはぐっすりと眠ってしまった。目を覚ますと外はすっかり明るくなっている。7時前。そろそろ待合所の売店も営業を始めようかという頃、荷物をまとめて出発する。
 苫小牧港を出てから産業道路を走った。驚いたのは道幅の広さだった。4車線プラス側道が半車線。カリフォルニア州を思わせるようなだだっ広い道路に、大型トラックから軽自動車まで入り乱れて走っている。朝のラッシュ時だからか大変な混雑だ。
 産業道路を北に折れて国道36号線に入るとさすがに片側4車線ということはなくなったが、それでも2から3車線の道が続く。歩道も広い。リキシャが走りやすい道ではあるのだが、北海道のトラックはリキシャを追い抜くときにあまり車間距離を取ってくれないので怖い。北海道民は運転が荒っぽいというのがもっぱらの評判だが、実際にそのようである。

 苫小牧を過ぎると周囲の景色はワイルドになる。人の手がまったく入っていない草原や湿地帯が延々と広がっている。空気は乾いていて埃っぽい。日本列島のまとわりつくような湿気から逃れてくると、ここがまったく違う質の空気を持つ土地なのだと感じる。たとえばモンゴルやトルコ東部のような大陸性の空気だ。
 36号線を北上しているときにパンケナイ橋という橋を渡った。そのあとしばらく行くと、今度はペンケナイ橋が現れた。アイヌ語源の地名はユニークである。漢字も当てようがないのかカタカナのまま。さてお次はポンケナイ橋でも来るんだろうかと期待していたのだが、残念ながらそういう橋は見当たらなかった。



 千歳から恵庭のあいだには、メジャーな食品会社の工場が並んでいた。サントリー、サッポロビール、日清食品、カルビー、山崎製パンなど。こういう光景を見ると北海道はやはり農と食をベースにした地域なのだなと感じる。
 その工場群を過ぎると、再び未開の原野が続く。住宅も店も工場も何もない。そんなところに「売り地」の看板が立っていて、見ると「10304坪 40,000,000円」と書いてあった。ゼロが多すぎてわかりにくいが、要するに1万坪が4000万円ということ。坪単価4000円。東京の地価に比べるとタダみたいなものである。余っているところには余っているものですね。


【36号線ですれ違ったサイクリング3人組。札幌から室蘭まで140キロを一気に走り、焼き鳥とビールで乾杯するというのが目的のツアーなのだそうだ。楽しそうですね】

 北海道の人はとても気さくだった。南に行くほど人が陽気になるというのは事実だと思うし、今回の旅でも鹿児島や沖縄の人はとりわけ気さくに声を掛けてくれたのだが、どういうわけか北の大地北海道でも人々の反応は良かった。

 札幌市に入り、車で混み合いだした道路をゆっくりと進んでいると、突然目の前でおじさんが手品を始めた。塩化ビニールのパイプからさっと一輪の花を取り出して、僕に向かって差し出したのである。
「な、何なんですか?」
 慌ててリキシャのブレーキをかけた。そう言うよね、普通。
「私の手品の師匠はね、100歳なんだよ」
「はぁ・・」
「すごいでしょう。北海道最高齢のマジシャンなの。この手品もうちの師匠から習ったんだ」
「そ、そうなんですか」
 マイペースなおじさんである。話が通じてるようで通じていない。かみ合っているようでかみ合わない。
「これ以外にもマジックはできるんですか?」
「今はタネを持ってないからできない。代わりこれをあげるよ」
 おじさんはタクシーのトランクをパカッと開けて(タクシー運転手だったのだ)、100歳のマジシャン梅田師匠のスペシャルショーのチラシと、自分の名刺を取り出した。いただいた名刺には肩書きの代わりに「I am a full marathon runner. My best time is 4:18:10 in 42.195km」と書かれていた。私はフルマラソンランナーです。ベストタイムは4時間18分10秒です。名刺もまことにユニークである。
 タクシーの乗客にもよく手品を披露するのだそうだ。手品タクシー。面白そうではあるけど、手品に夢中になりすぎて運転をおろそかにしないようにお願いしますよ。



 本日は札幌テレビの取材があり、さっぽろ大通公園でインタビューを受けた。平日にもかかわらず、公園は大勢の人で賑わっていた。大きな噴水で跳ね上げられた水が、細かい水滴になってあたりの芝生を湿らせる。その周りを子供たちが走り回っている。ディレクターの長田さんに名物のゆでトウモロコシ(北海道ではトウキビという)を買ってきてもらう。トウモロコシの甘味が疲れた体に染みこんでいく。

 公園のそばを幌馬車が走っていた。これは札幌中心部をめぐる観光幌馬車で、昭和53年から30年以上も営業しているのだそうだ。馬車を引く銀太くんは体重が1トンもある巨大な馬で、ラオウが乗っていた黒王号(わかるかな?)のように体つきががっしりとして威圧感があった。何人もの客を乗せた二階建て馬車を一頭で引っ張るわけだから、相当なパワーが必要なのだろう。
 銀太は体に似合わずとてもおとなしい馬で、なんとなくこの仕事に疲れているような顔をしていた。もちろん僕には馬の気持ちはよくわからないのだが、同じように車を引っ張って走る者同士、どこかしら通じ合うものがあるようにも思った。がんばれよ、銀太くん。



 それから海産物を売る二条市場に向かった。カニ、ウニ、イクラ、夕張メロン。北海道グルメそろい踏みといった感じで、いずれ劣らぬ高級食材が並んでいる。観光客向けでやや高い値段設定のようだが、ウニもカニも味は確かだった。
「お兄ちゃんこれどう? 食べてみる?」
「いただきます。いやー、うまいですね」
 なんてまるでグルメリポーターの阿藤快のようになってしまったのだが、本職リポーターのように的確なコメントが出てくるはずもなく、ただ「うん、うまいですねぇ」「やっぱり新鮮ですねぇ」といったありきたりなことしか言えなかった。だってうまいんだもの。





 夜は札幌で製薬会社の営業の仕事をしているシンさんに誘われて、すすきのの街を歩いた。札幌名物の味噌ラーメンを食べ、酒を飲み、ネオン街を歩いた。
 すすきのと言えば巨大な風俗街で有名だが、それは確かにたいしたものだった。ビル一棟が全てそっち系の店で占められているソープ・タワー。一階は居酒屋で二階はキャバクラ、三階はヘルスと外に出ることなくすべてのコトを終えられるオール・イン・ワン・ビル。「冬に雪が降っているときには、外を歩かなくてもいいから便利なんです」とのこと。なるほどねぇ。
 事情通のシンさんによれば、すすきのの全盛時期はとっくに過ぎ、最近は店の数も減少傾向にあるという。20年ほど前までは外へ外へと膨張していた風俗街が、中心部の狭い地域に収縮し始めているのだ。社員旅行で北海道に来てすすきので遊ぶというおじさんが少なくなり、接待需要も減っていたところに、一昨年からの不景気が追い打ちをかけたのだ。
「最近はすすきのも中国人観光客ばかり目立つようになったんです。風俗店も中国人相手に営業すれば生き残れるかもしれませんね」
 銀座、箱根、すすきの。日本の観光地で元気なのはみんな中国人、という時代はもうすでに始まっているのかもしれない。



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本日の走行距離:68.2km (総計:4138.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:1050円 (総計:60735円)

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by butterfly-life | 2010-08-07 08:32 | リキシャで日本一周
106日目:北の大地へ(岩手県二戸市→青森県八戸市→北海道苫小牧市)
 今朝は7時前に宿を出発する。天気予報では午後から雨になるということで、本降りになる前に八戸に着いておきたかったのだ。
 最高気温は23度ととても涼しい一日だった。滝のような汗をかき続けていた数日前までとはうってかわって、とても快適だ。リキシャもすいすい進む。



 三戸郡に入ると製材所が目立つようになった。山から切り出した丸太をずんと積み上げている工場があちこちにある。林業が盛んな地域のようだ。
 その中のひとつ、炭を作っている木材会社で、奇妙な立て札を見かけた。
【構内において、ヘビ(守護神)が生存していますので、車でひかないよう十分注意して下さい】
 確かにここは山に囲まれた自然豊かな土地である。国道に迷い出た山の動物が車にひかれてぺしゃんこになっている姿もよく目にする。薄っぺらくなったヘビや、羽根だけになった鳥、はね飛ばされたままの姿で横たわるタヌキなどなど。この立て札は不幸にも人間に命を奪われた生き物たちを思いやる優しい心の持ち主が書いたものなのだろう。
 しかし不思議なのは「ヘビ(守護神)」という部分である。それに関しては議論の余地のない既定事実である、というような書き方である。ヘビが守護神なのは皆さんご存じでしょう。だから大切にしましょうよ。もちろん車で踏んだりしてはいけませんよ。罰が当たりますよ。何しろ守護神なんですからね。
 この会社の社長室には神棚があって、そこには白ヘビ様が奉られていたりするのだろうか。商売繁盛をもたらす守護神。舌を長く伸ばした白ヘビ様。それにむかって柏手を打つ社員一同。ちょっと覗き見てみたい気もする。

 南部町では特産の「南部せんべい」を作っている戸室さんご夫婦と出会った。
 南部せんべいはこの地方に古くから伝わる郷土菓子で、小麦粉を練った生地を鉄の金型に入れて焼くシンプルなおせんべいである。起源は南北朝時代まで遡ることができるそうで、南朝の長慶天皇がこの地を訪れたときに、家臣の赤松助左衛門が自分の鉄兜を鍋の代わりにしてそば粉とごまを焼いたのが始まりとされている。今でもこのあたりでは根強い人気を誇るお菓子で、これを鍋に入れた「せんべい汁」という料理もあるそうだ。
「ばぁさんの代から始めたから、もう60年になるかな」と戸室さんは言う。南部訛りがかなり強いが、何とか聞き取ることができた。「うちはずっと手で焼いてます。他の工場なんかだと勝手に焼いてくれる機械もあるけど、やっぱり機械で焼くと味が違うんです。生地が傷んでくるんです」 
 せんべいを焼くのに使う燃料は、以前は木炭を使っていたのだが、温度調整が難しいということで今ではガス火を使っている。包丁で生地を切り、それを金型に入れて挟み、釜の中をおよそ5分かけて一回転させたら焼き上がりである。
「私の方がこの仕事を長くやってるんだけど、主人の方が焼き方がうまいから威張るのよ」と奥さんが笑う。「難しいのは生地を作るところと、あとはごまの散らせ方かねぇ。型の中にまんべんなく散らせたらいいんだけど、これがなかなかうまく行かねぇんだわ」
 一度窯に火を入れると7時間は焼きっぱなしなので、夫婦で1時間ずつ交代で釜の前に立っている。1日に6000枚から7000枚ぐらい焼くというから、なかなか大変な仕事である。





「このあいだ奈良の人から電話がかかってきたのさ。『おたくのせんべいを人からもらったんだけど、これは鹿に食わすもんかね』って」
「あぁ、鹿せんべいですね」
「そう、奈良には鹿せんべいってのがあるんだってね。それに大きさやかたちが似てるから、人が食えるもんか聞いてきたんだって。そんりゃショックだよ。あたしらがこうして一生懸命作ってるものを、鹿のエサと一緒にされたんじゃねぇ」
 奥さんにとってはまことに腹立たしい話だと思うが、奈良の人の言い分もわからなくもない。ごまやピーナツが入っていないプレーンの南部せんべいは、奈良の鹿せんべいにそっくりなのである。
「あたしらはこの仕事を毎日やってるわけよ。単純作業よ。こういう単純作業は今の若い人は好かんの。うちにも息子が三人おるけども、誰も継ぐ気なんてないのよ。あと5年もしたら廃業するしかないね。ほら、あそこで草むしってる腰の曲がったばあさん、あの96のおばあさんがここを始めたんよ。だからせめておばあさんが生きてるうちは続けたいけどね」
 ここにも後継ぎがなく、商売をたたもうとしている人がいた。単純作業は機械に任せた方がいいというのが時代の流れなのだ。味だってあまりにも素朴で、コンビニやスーパーに置いてある洗練されたお菓子にはかなわない。
 でも、そうやって素朴で豊かな郷土の味がひとつまたひとつと失われていくのは、やはり残念なことだと思う。



 天気予報通り、12時になると雨が降り出した。その時点で八戸まで20キロのところまで進んでいたので、あとは雨宿りをしながらゆっくり進むことにした。
 八戸の町は「三社祭」という夏祭りの真っ最中で、町中にはトラックに乗せられた大きな山車がいくつも置いてあった。


【国道沿いで見かけた神社。たたずまいが良かった】

 細かい雨が降りしきる中、4時半に八戸のフェリー乗り場に到着。フェリー乗り場というのはどこでもひどく味気ないものだが、鉛色の空のせいでよけい殺風景に見える。
 リキシャを置いて乗船券を買いに行ったのだが、受付で問題が発生した。僕の自転車が大きすぎるので、自転車料金では乗せられないという。奥から眼鏡をかけた責任者らしき男が出てきて「これだと自転車二台分の料金になりますね」と言った。八戸・苫小牧間の二等料金は4500円。自転車の持ち込みにはこれにプラス2000円かかる。しかしリキシャは車幅が広いので自転車とは認められず、他に比べる例がないので、二台分でどうだというのである。
「わかりました。2台分でいいですよ」
 と僕は言った。あまり納得はできないが、こんなところで言い争っても仕方ない。いいですよ、払いましょう。
「今回は特別に、特例として自転車二台分ということです」とメガネの男は付け加えた。「通常は軽自動車の分類になるということです」
「通常?」
「ええ、他の船会社ではそうなる可能性があるということです」
 自分の取り計らいで安くしてやっているんだと言わんばかりの態度だ。しかしそれは事実に反している。だんだん腹が立ってきた。
「あのですね、僕はこれまでいろんなところであのリキシャをフェリーに乗せてきたんですけど、どこでも自転車料金だったんですよ。2台分だなんて言われたこともない。軽自動車? 冗談でしょう?」
 言ってどうなるわけでもないが、言わずにはいられなかった。リキシャはあくまでも原動機の付いていない自転車なのだ。東京・徳島間も、鹿児島・沖縄間も、硫黄島行きも、瀬戸内の島々を渡る船も、どこでも自転車扱いだったのだ。
「他は知りません。うちではそうだということです」
 くー、腹が立つ。よっぽど乗船をやめてやろうかと思ったが、そんな馬鹿なことをしても困るのは自分自身なのでぐっと堪えた。ぐっと。
 しかしこの一件で、僕の川崎近海汽船に対するイメージは修復不可能なぐらい悪化した。もうこの船には二度と乗らないだろう。

 フェリー乗り場には一眼レフカメラを提げた男性が待っていた。最近、ブログを通じて僕のことを知り、わざわざフェリー乗り場まで見送りに来てくださった中村さんだ。
 僕が料金のことでもめていた件を話すと、中村さんは「すいません」と頭を下げた。「八戸市民代表として謝っておきます」だって。いえいえ、あなたが謝る必要なんてないんです。たぶん僕が狭量なだけなんです。ごめんなさい。
 中村さんは5年前に故郷に戻ってくる前は八王子に住んでいたという。おぉ、こんなところで元八王子市民に出会うとは。東京は刺激的で面白かったけど、いまは八戸での暮らしが気に入っている。海があり、山がある。自然に囲まれた生活。たぶんここで一生を終えることになるのではないかという。
「ただ冬は辛いですね。雪は降らないんだけど、すごく冷え込むんです。それにずっと今日みたいな曇り空に覆われて、昼間でも暗いんです。気分が憂鬱になってくるんですよ」
 僕は寒いのが苦手なので、冬になれば日本を離れて南国で過ごすということを繰り返しているわけだが、東北の人はそういうわけにもいかない。厳しい冬にじっと耐えなければいけない。その蓄積があるからこそ、夏祭りが一気に盛り上がるのだろう。
「八戸の三社祭もぜひ見てもらいたかったな」と中村さんは残念そうに言う。
「今度また来ますよ。リキシャ抜きで」
「八戸はいいところですよ。ぜひまた来てください」

 フェリーの出港は5時半の定刻きっかりだった。
 二等の雑魚寝和室はほどほどに混雑していた。親子連れや高校の運動部員たち、一人旅の旅行者や外国人バックパッカーもいた。行き先の苫小牧から札幌までは60キロほどの距離だから、車で移動する人には便利な航路なのだろう。
 船は下北半島のそばを通るので、波は穏やかで揺れは少なかった。シャワーを浴びてひと眠りすると、もう下船の合図である。8時間なんてあっという間だ。


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本日の走行距離:54.5km (総計:4070.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:105円 (総計:59685円)

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by butterfly-life | 2010-08-06 00:28 | リキシャで日本一周
105日目:あと何年できるかだなぁ(岩手県盛岡市→二戸市)
 盛岡市を出発して、国道4号線を北に進む。今日もときどき小雨がぱらつく曇り空だったが、そのせいで気温が低く、体力の消耗はいつもより少なかった。
 しかし道のりは厳しかった。岩手町から長い上り坂がずっと続く。傾斜自体はさほど急ではないのだが、いつまでも終わらないだらだら坂である。

 国道沿いの畑で農作業をしていたおじさんに出会った。何をしているのかと聞いてみると、「サザグを・・・してるんだ」との答えが返ってきた。訛りが強くて聞き取れない。
「サザグってなんですか?」
「ほら、これ。サザグって知らねぇか」
 あぁ、ササゲのことだったのか。おじさんが指さした先には、大きな豆をつけたササゲの蔓が支柱に絡みついていた。
 ササゲ、キュウリ、トマト、キャベツ、ナス、シソ。ここで作る野菜は家族で食べるためのもので、外に売るわけではないという。畑の向こうの水田では、稲がいっせいに花を咲かせているところだ。
「前は牛も育ててたけど、手がかかるし金もかかるからやめちまったんだ。まだ酪農を続けてる農家もあるけど、乳価が下がってどこも苦しいよ」
「冬には何をしているんですか?」
「冬場は山から薪とってきてよ、うちんなかでじっとしてるよ」
「出稼ぎはしないんですか?」
「牛さいたからな。牛は毎日面倒見なけりゃいけねぇし、家離れるわけにいかねぇから、この辺の農家は出稼ぎにはほとんど行かなかったんだ」
 おじさんはクワを手に持って、足を少し引きずるようにして畑を歩く。
「もう73だから、無理すっと足や腰が痛くなってなぁ。畑仕事もあと何年できるかだなぁ。2年か3年か。息子? 息子は農家なんて継ぎたくねぇって言ってるし、そうなったらあとはどうすっかねぇ」
 水田は耕作放棄されると2,3年でダメになってしまうという。雑草が生え、土が硬くなってしまう。でも実際、おじさんの後を継ぐ人が誰もいなかったら、米作りをやめざるを得なくなる。そうやってひとつまたひとつと水田が減っていく。それが岩手県の山奥の紛れもない現実である。





 延々と三時間上り坂を進み、ついに「国道4号線最高地点458m」と書かれた看板にたどり着いた。ここが中山峠である。この先は下りが続く。やれやれ。ペットボトルに入れた水を飲む。
 たっぷりと汗をかいていたから、下りの心地よさは格別だった。箱根峠の下りのように坂があまりにも急でブレーキをかけ続けないと下れないなんてことはなく、時速30キロオーバーで風を切って軽やかに進む。リキシャが爽快に感じられる貴重な一瞬。あぁ幸せ。



 本日は78キロを走りきり、二戸(にのへ)に泊まることにする。見事なぐらい何もない山間の町である。二戸市全体でも人口はわずか3万人。それも毎年確実に減っている。冬はマイナス15度まで冷え込むこともあり、その冷涼な環境のせいで江戸時代にはたびたび飢饉に襲われたそうだ。2002年には二戸駅に東北新幹線が止まるようになったのだが、駅周辺は驚くほど閑散としている。コンビニがひとつあるだけで、営業している食堂すら見当たらないのだ。
 そんな寂れた駅周辺にぽつんと建っているのが佐々木旅館だった。外観は古めかしく、建て増しに次ぐ建て増しでいびつなかたちに変形している。玄関のガラス戸は豪快に開け放たれていて、居間に置かれた大きな仏壇が外からも見える。奥の廊下に向かって「すいませーん」と呼びかけると、やや間を置いた後におかみさんが現れた。あまり繁盛しているようには見えなかったが、後で訊ねてみるとやはり今日の泊まり客は僕一人だけだった。
「ここは戦前に先代のおばあちゃんが始めた旅館だから、そうだねぇ70年以上になりますかねぇ。ええ、これでも昔は繁盛してたんですよ。私が嫁に来た頃、もう50年前になるけど、そのときは毎日20人はお客さんがいて、それはもう大忙しだったんです」
 戦後の高度成長期に繁栄のピークを迎えた二戸は、それから緩やかに衰退していくことになる。鉄道が交通の要だった頃は、商人たちも二戸駅を起点にしてさらに奥の村に向かったのだが、自動車の普及が進み高速道路のインターチェンジや国道のバイパスができると、人も物もこの町を素通りするようになってしまったのだ。
 旅館経営にとって最後の一撃となったのが新幹線の開通だった。東京までわずか3時間で行けるようになったために、それまで一泊していたビジネスマンが日帰りするようになり、旅館の利用者は激減したのだ。駅前に5軒あった旅館のうち、この佐々木旅館を除く4軒はすでに店をたたんでいる。
「うちはね、私が一人でやってるからなんとか持ちこたえてるんです。人を雇っていたらとても無理ね。でもここも何年か後には区画整理で取り壊されることになっているし、私もそろそろ体力的にきついし、できてもあと何年かでしょうね」


【佐々木旅館の「桜の間」。床の間もテレビも懐かしい感じ】

 佐々木旅館はなにしろ築70年以上の建物だから、あちこちガタが来ているし、使い勝手も悪い。便所は汲み取り式でけっこうな臭いが漂っているし、二階の廊下はゆがんで波打っている。部屋のふすまは破れているし、カーテンは日焼けしているし、テレビの映りもひどい(もちろん地デジ化はまったく進んでいない)。増築を繰り返したせいで階段は3つもあり、階段を間違えると部屋に戻れなくなる(というのは嘘で単なる行き止まりになっている)。もちろんおかみさんがきちんと掃除しているから一定の清潔さは保たれているのだが、70年の時間の蓄積というのはどうしようもなく壁や床に染みこんでいる。
 しかし居心地は決して悪くないのである。うすべったい布団に寝転がって天井をぼんやりと眺めていると、すぐにまぶたが重くなってくるのだ。なんとなく落ち着くというかくつろげるのである。
 機能的だが殺風景で狭いビジネスホテルと、無駄に広くてちょっと不便でだいぶガタのきている古旅館。あなたならどっちを選ぶだろう?

 さっきも書いたとおり佐々木さんがこの旅館を一人で切り盛りしているのだが、旦那さんは旅館業とは別に自動車の販売会社を経営している。趣味はカメラ。古いものから新しいものまで、何と総数200台ものカメラを所有しているそうだ。僕なんて2台だもの。二桁も違う。
「この中で一番いいカメラは旧ドイツ軍が使っていたライカ。これは今でも使っとるよ。値段はいくらだったかなぁ。もう忘れてしまったなぁ」
 旦那さんが戸棚から取り出して見せてくれたのは、二眼レフカメラや蛇腹式のコンパクトカメラや交換式フラッシュが付いたレンジファインダー機など、アンティークカメラのマニアが見たら舌なめずりしそうなコレクションの数々だった。購入にはひと財産つぎ込んだに違いない。
 主な被写体は自然で、十和田湖や岩手山の四季や、ローカル線を走る鉄道などもよく撮りに行っているそうだ。これという被写体には中判カメラを使う。普段使いはデジカメ。暗室での現像も、パソコンでのプリントアウトも全て自分でやる。
「個展は開かないんですか?」
「いや、そういうのはしない。サークルにも入っとらん。写真を誰かに見せたいとは思わんね。自己満足ですよ。いい写真が撮れたらそれでいいんだ」
 潔い態度である。僕なんかいい写真が撮れたらなるべく多くの人に見てもらいたいし、そういう欲があるからこそ写真家になったわけだけど、ただ一人で黙々と写真に取り組んでいる人もいる。
「これという一枚が撮れたときは嬉しいもんだね。写真を何十年も続けてきて、そう何度もあるもんじゃないけどな」



 岩手県民はシャイで初対面の人にはなかなか心を開かないと複数の人から聞いていた。東北の人は全般的に口が重いのだが、特に岩手県民はその傾向が強いという。
 でも実際に僕が出会った岩手県民は、おしゃべりとまでは言わないが、決して口が重い人ではなかった。佐々木さんも旦那さんも旅館のことやカメラのこととなると話が止まらなくなったし、一見頑固そうなおじさんがリキシャを目にした途端「あんたこれで日本縦断しとるの?」と身を乗り出して聞いてきたりもした。下校途中の中学生はすれ違いざまに「こんにちわー」と挨拶をしてくれたし、バスに乗った小学生も笑顔でリキシャに手を振ってくれた。
 人口に膾炙している県民性というのは、もちろんそれなりに根拠のあるものなのだろうが、必ずしもそのまま当てはまるものではないような気がする。意外に陽気な岩手県民、なのでした。


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本日の走行距離:77.6km (総計:4015.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-08-03 02:59 | リキシャで日本一周
104日目:この町を出ていく(岩手県奥州市→盛岡市)
 ここのところ出発前にタイヤを指でつまんで空気の状態を確認するのが習慣になっている。立て続けに二度もパンクが起こっているからだ。
 というわけで今朝もタイヤをチェックしてみたのだが、なんとそこでまたも前輪のパンクが発覚したのである。オーマイガッ!
 わずか5日前にパンクしたばかりの前輪が、修理したにもかかわらずまたもパンクした。もうチューブが限界に来ているのだろうか。

 水沢の中心街を自転車屋を求めて走ってみる。意外にもすぐにいくつか自転車屋が見つかったのだが、土曜の朝だからなのかどこもシャッターを下ろしている。ようやく店を開けたばかりの小さな自転車屋さんが見つかったので、店主に事の次第を説明する。
「・・・というわけでパンク続きなんですが、28インチのチューブっていうのはありませんよね?」
 断られっぱなしなので、ダメ元の気持ちで訊ねてみた。すると、
「一本だけなら在庫があるよ」と即答するではないか。
 おぉ、それは素晴らしい。できることなら3輪ともチューブを交換したいところだが、贅沢は言っていられない。とりあえずこの忌まわしき前輪だけでも交換してもらおう。
 28インチのチューブは普通のママチャリのよりもひとまわり大きいだけで、見た目は普通である。バングラデシュ製のチューブは赤っぽい色でゴムも分厚くごわごわしているのだが、このチューブは黒くてしなやかそうである。こちらの方が品質は上だと思うが、果たしてこれがリキシャの荷重に耐えられるのかどうか心配である。
 店主は手際よく車輪をフレームから外し、チューブを交換して、また元に戻した。力仕事なので汗がぽたぽた落ちる。ものの20分で修理は終了した。いい仕事してますねぇ。

 パンク修理に手間取って出発が遅くなってしまったが、前輪の様子も気になるので、あまりスピードを出さずにそろそろと運転を開始する。そうやって水沢の町を北上していると、頭上から「それでどこまで行くんですかー?」という声がした。見上げると、3階の窓から男性が手を振っている。
「ちょっと待っててください。取材したいんです」
 取材? 不思議に思ってその建物を見ると「胆江日日新聞」という文字が見えた。ここは地元紙の編集部兼印刷所のようだ。記者の菊池さんはすぐにカメラを手にして降りてきた。
「いやー、今『派手なそっちに向かって自転車が走ってるぞ』っていう電話があったところで。ここで待っていたんですよ」
 このフットワークの軽さこそがローカルペーパーの強みである。何か面白いものがあったら、とりあえず取材。打てば響く感じ。いいですね。
 地方には本当に地域に密着した新聞がたくさんあるってことを、僕はこの旅を通じて知った。「南海日日新聞」や「福島民友新聞」や「大分合同新聞」。いずれもリキシャを取材しに来られた新聞である。名前もそれぞれユニークですね。


【胆江日日新聞の記者の菊池さん】

 金ヶ崎では高校1年生の谷平さんがリキシャの到着を待っていた。中学校時代の担任の先生から「リキシャの写真をゲットしてくるように」との指令を受けたらしい。先生本人はいまカンボジアにいて不在なので、せめて教え子の目にリキシャの姿を焼き付けてもらおうとの親心(先生心)なのである。
 谷平さん自身も将来は国際援助関係の仕事をしたいと考えている。だから英語は熱心に勉強している。カンボジアやバングラデシュなどのアジアの国々にも関心がある。
「高校の友達は、みんなこの町を出て行きたがっているのかな?」
「やっぱりそういう子が多いですね。なんにもないですから、ここには。遊ぶところも全然ないし。嫌いじゃないんですよ。静かで、とてもいいところです。でも高校を出たら、みんな都会に行きます。大学も専門学校も、この辺にはないですから」
 僕らは金ヶ崎の駅前で話をしていたのだが、本当にまぁ見事なほど何もない町だった。駅のロータリーにはバスもタクシーの姿もなく、乗降客もほとんどいない。田んぼと住宅が延々と続くばかりの土地である。刺激になるようなものは決定的に不足している。
 別れ際に谷平さんにレンズを向けた。
「ヤバいっすよ、写真は」
 と言うのだが、いったい何がヤバいのか。
「写真は好きでしょう? ケータイとかプリクラとか撮ってるんじゃないの?」
「撮るのはいいんです。でも撮られるのはヤバいっす」
 でも撮った写真は全然ヤバくなんてなかった。いい表情だった。



 北上市から花巻市へと国道4号線を北上したが、あまり興味を引かれるようなものは見つけられなかった。
 北上の駅前商店街は典型的なシャッター街で、半分以上の店はシャッターを閉め、残っているのは婦人衣料店と八百屋さんぐらい。シャッターの前には有名人の似顔絵を並べている絵描きのおじさんがいた。300円で似顔絵を描いてもらえるようなのだが、繁盛しているようには見えなかった。そもそも人通りが少ない上に、肝心の似顔絵がいまいちなのだ。それなりにうまくは書けているのだが、「そのまま」なのだ。その人の特徴を誇張して描くのが似顔絵の面白さだと思うのだが、彼の絵にはそれがないのだ。うーん。



 盛岡市に到着したのは午後6時過ぎ。
 駅前には浴衣を着た人たちが集まって何かのイベントが行われていた。聞いてみると、明日から4日間「盛岡さんさ踊り」というお祭りが行われるのだそうだ。この時期、東北では相次いで大規模な夏祭りが開かれる。一日違いで見逃したのは残念だけど、まぁ仕方ない。


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本日の走行距離:72.6km (総計:3938.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-08-02 03:00 | リキシャで日本一周