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135日目:リキシャに架かる虹(新潟県新潟市→三条市)
 今日も早朝から雨模様だった。前線の動きが不安定らしく、毎日天気がころころと変わる。
 最近、毎日のように雨のことばかり書いているので自分でも飽き飽きしているのだが、実際リキシャにとって雨は大問題なので書かないわけにはいかないのだ。

 雨が上がったのは9時過ぎだった。のんびりと支度をして、10時に出発。しかししょっぱなからトラブルに見舞われる。リキシャの左ペダルが踏み込むたびに「ギギギ」という不吉な音を発しだしたのだ。一瞬、またクランクの故障かとも思ったが、どうもそうではなさそうだ。ペダルそのものに不具合が発生した模様。

 しばらく走ったところに古い自転車屋があったので、ペダルの交換をお願いする。
「こりゃなんだい?」と店主は目を丸くした。「俺は70年生きてきたけど、こんな自転車を見たのは初めてだ」
 僕はいつものように事情を説明した。これはバングラデシュから持ってきたリキシャという乗り物なんです。これで日本を一周しています。もう4ヶ月以上これに乗ってきて、いろんなところにガタが来ているんです。
「・・・というわけで、ペダルを交換して欲しいんですが」
「そりゃいいけどよ、こんな旅をしてゼニはどうするんだい?」
「そりゃまぁ、お金は必要ですね」
「そうだろう。『5円タクシー』なんて言って儲かるわけないもんなぁ。しかし、どうしてこんなことをやろうって気になったんだ? それが不思議だなぁ」
 おじさんは「若い奴の考えることはわからん」と首をひねりながらも、どこか楽しそうだった。初めて見るリキシャに興奮を抑えられないようだ。
「こういう古い型の自転車は、最近の若いもんには直せんよ。技術を持った職人じゃないとな」
「ずっと自転車屋をやっているんですか?」
「ああ、そうだよ。あんたが生まれる前からずっとだ」
 おじさんはリキシャのペダルをぐいっと力を込めて外し、その代わりに店にストックしてあった中古パーツを取り付けてくれた。ついでにクランクとペダルとを繋いでいるピンも交換してくれた。修理が終わると、さっきまでの不快な音はもうしなくなっていた。おぉ、素晴らしい。
「完璧です。ありがとうございました。おいくらですか?」
「いらんよ。タダでいい」
「本当ですか?」
「あぁ、あんたもゼニが必要だろうからな。その代わり、ときどきでいいからよ、新潟の自転車屋のことを思い出してくれや」
 粋なセリフをさらりと口にできるのが格好良かった。根っからの職人なのだろう。つっけんどんな口調の中に、情の厚さが垣間見えた。

 新潟市の南部には果樹園が広がっていた。ナシや桃やぶどうなどの果樹が延々と続いている。
 果樹園ではときどき「ボン!」という号砲のような炸裂音がこだまするのだが、これは果実を食べに来る鳥を追い払うための装置である。周りが静かなだけに、いきなりの「ボン!」はかなり心臓に悪い。それからAMラジオを大音量で流しているところもあったが、これも鳥害対策のひとつのようだ。


【おいしそうなナシ】

 軽トラックに乗ったおじさんが「兄ちゃん頑張ってるなぁ」と言って、とれたばかりの桃を二つくれた。
「これは日本最後の桃だ」とおじさんは言う。「桃は夏の果物だろう。でもうちで作っている品種は収穫が9月なんだ。だからこれが今年日本で食べられる最後の桃だ」
 その桃は休憩のときにナイフで皮を剥いて食べた。果肉は硬めだったが、それでいて甘味がしっかりとあっておいしかった。

 3時頃に再び雨が降りだした。ザーッという強い雨が突然降ってきたので、きっとにわか雨だろうと農家の倉庫で雨宿りをした。案の定、20分ほどで雨は上がり、すぐに日差しも戻ってきた。
 巨大な虹が現れたのは、雨上がりの果樹園をゆっくりと走っているときだった。東の空に太くてくっきりとした色彩のアーチが出現したのだ。これはすごい。ここまで鮮やかな虹を見たのは、生まれて初めてかもしれない。よほど条件が良かったのだろう。太陽のある西の空はきれいに晴れ上がり、東の空にはまだ雨を含んだ雲が残っている。



 僕はリキシャを止めて写真を撮った。リキシャに架かるレインボーアーチ。自然が作り出した七色の橋は極彩色のリキシャに見事にマッチしていた。
 ここ数日雨に悩まされてばかりだったけれど、こういうご褒美がもらえるのなら雨もいいもんだ。そう思えた。



 今日は長岡市まで行くつもりだったが、雨とリキシャの故障とで思うように進めなかった。
 仕方なく、新潟市から40キロのところにある燕三条に泊まることにする。上越新幹線の駅のそばに造られた人工的な町だ。


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本日の走行距離:39.6km (総計:5779.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:71460円)

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by butterfly-life | 2010-09-20 21:20 | リキシャで日本一周
134日目:おかぶりの下(新潟県村上市→新潟市)
 ここのところずっと不安定な天気が続いている。昨日は爽やかに晴れ上がったものの、今日はまた雨模様だ。
 いつ雨が降り出してもおかしくないような鉛色の空を見上げながら荷物をまとめて宿を出ると、それを待ちかねていたように雨がぽつぽつと落ちてきた。あぁ・・・。
 カッパを着てリキシャにまたがる。まだ小雨なので、本降りにならないうちにできるだけ進んでおくことにしよう。

 海岸線をしばらく進むと、稲刈りをしているおばさんたちに出会った。稲刈り機ではなく、カマを使った手刈りだった。
「この田んぼはちっちぇし、土がぬかるんでいるから機械も入れないのよ」
 とまもなく80歳を迎えるというおばあさんが言った。
「子供の頃からこうやって稲刈りしてきたから慣れたもんよ。でもよぉ、近頃は体のあちこちにガタが来ているんだ。膝も腰もよくねぇ」
 そう言うわりには、おばあさんのカマさばきは的確で素早かった。さすが大ベテランである。





 このあたりは海岸線のすぐそばまで山が迫っているので平地が少なく、他人に売るほどたくさんの米がとれるわけではない。小さな田んぼに家族が食べる分だけの稲を植えているのだ。
 刈り取った稲は、竹の棒を何本も並べた台に吊して、一週間程度乾燥させる。これは『はさがけ』という昔からの乾燥法で、こうして天日干ししたお米は機械で乾燥させた物より味がいいのだそうだ。
 カマで稲を刈るのは女性の仕事で、それを運んで『はさがけ』にするのは男性の仕事だった。こういう男女の役割分担はアジアの国々とも共通している。田植えも稲刈りも主役は女性である。男はそのサポート役に徹する。昔の日本もおそらくそうだったのだろう。





 ところで、このあたりに住むおばさんたちはみんな頭に頭巾のようなものを被っているのだが、これが何なのか、前々から気になっていた。まるでムスリム女性が被るチャドルのように、目のところだけがスリット状に開いていて、外から顔が見えないようになっているのだ。
「これは『おかぶり』っていうの」
 と稲刈りをしているおばさんが手を止めて説明してくれた。もちろん彼女もおかぶりを被っているので、こちらからは目しか見えない。
「江戸時代の殿様が助平だったんだ。よく田んぼさやってきて、気に入ったおなごをお城に連れて行ったんだって。でもやりたいことが済んだら、そのおなごは城の外にポイよ。そんなことがあったんで、ここらのおなごはみんな『おかぶり』を被るようになったって話さ」
 なるほど。なかなか興味深い話である。この話が本当なら、ムスリム女性に似ているという僕の第一印象もあながち的外れではなかったということになる。ムスリム女性がブルカやチャドルで顔を覆うのは、「美しいものは隠しなさい」というコーランの教えに基づいている。既婚女性を他の男たちの無遠慮な視線から守る目的があるのだ。
「今は助平な殿様はいないけど、おかぶりは農作業には便利なんだよ。日焼けもしないし、ゴミやホコリなんかも防げるから」
「おかぶりをとってもらえませんか?」
「ダメダメ。私は顔に自信がないから、ダメ。美人も、そうでない人も、これ被っていると同じでしょ? それがいいんだ」
 そういうわけで、おかぶりの下にどんな顔が隠されているのかは残念ながら確認できなかった。



 稲刈りをする人々も雨をあまり気にしていない様子だったが、それは釣り人も同じだった。雨が降ろうが風が吹こうが、暑かろうが寒かろうが、釣り人というのは一貫して同じ姿勢をとり続けることができる気の長い性質の持ち主のようだ。たいしたものである。飽きっぽい僕なんかが手を出す趣味ではなさそうだ。

 朝方は小雨程度だったが、走り出して2時間もすると本降りになってきた。しかし今さら走るのを止めるわけにもいかないので、カッパを着てリキシャを漕ぎ続けた。
 村上市から新潟市までの道のりで特に記すべきことはほとんどない。ただただ雨に打たれて、頭の先からつま先までぐっしょりと濡れて、それでもひたすら前に進み続けた。これ以上進めないほど雨脚が強まったときには、農家のガレージで雨宿りをさせてもらったが、それ以外はずっと走り続けていた。

 そうそう、胎内市で驚いたことがひとつあった。それは高さ40メートルもある巨大な像が突然目の前に現れたのである。看板には「親鸞聖人の像」とある。普通、こういう立像はお釈迦様や観音菩薩などをモデルにしているものだが、実在した親鸞聖人が巨大化して立っているというのはちょっと違和感がある。しかもコンクリートの質感そのままで、作りが粗いのである。顔の造形もマンガっぽい。誰がどのような目的で作ったのかは不明だが、そのチープさも相まって見た目のインパクトはなかなか強烈だった。


【親鸞聖人の立像。コンクリートの質感がチープだった】

 雨宿りに時間を取られたせいで、新潟市街に入ったときにはもう日が暮れてしまっていた。雨降りでしかも夜。一番走りたくないシチュエーションだが、今日はなんとしてでも新潟市まで行くんだと決めていたので、我慢して進む。
 本日の走行距離は79.5キロ。雨と風に一日中悩まされ続けたことを考えれば、相当に頑張ったと思う。やれやれ、本当に疲れました。


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本日の走行距離:79.5km (総計:5739.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:71460円)

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by butterfly-life | 2010-09-19 19:29 | リキシャで日本一周
133日目:日本海に落ちる夕日(山形県鶴岡市→新潟県村上市)
 朝から絶好のリキシャ日和だった。雲ひとつない青空と、乾燥して冷ややかな風。秋の訪れを感じさせる空気だ。
 乾いた空気の匂いを嗅ぐとモロッコの旅を思い出す。路地が複雑に入り組んだ迷路のような街にも、ロバに荷物を載せて歩いたアトラス山脈の村にも、不毛の大地サハラ砂漠にも、乾燥した空気が持つ独特の匂いがあった。



 鶴岡の町を出てから国道7号線を進む。由良峠の厳しい上り坂を越えると、由良の集落に出る。小さな漁港のあるのんびりとした村だ。
「由良はあんまり雨が降らねぇんだ」
 小さな荷車を押していたおばあさんが教えてくれた。
「晴れの日が多いんだ。いぃところだよ。魚だったらタイでもカニでもなんでもとれるし、冬にはノリやアオサがとれるんだ」



 日本海を右手に見ながらリキシャを漕ぎ続ける。数キロおきに点在する小さな漁村以外にはほとんど人が住んでいない地域だ。コンビニも滅多にない。
 あつみ温泉を過ぎたところで、バイクに乗った外国人にiPhoneを向けられた。鶴岡市に住んでいるマーク・スチュワートさん。ライダージャケットと口ひげがちょいワル感を醸し出しているが、本職は英会話学校の経営で、大学でも英語を教えているそうだ。
「その乗り物は初めて見たよ。タイの三輪車かい?」
「いいえ、バングラデシュから持ってきたんです。これで日本を一周しています」
「オー、クレイジーだな、それは」
「ええ、クレイジーなんです」
 イギリス生まれニュージーランド育ちのマークさんは、子供の頃から空手やテコンドーなどの格闘技が好きで、若い頃は格闘技雑誌のカメラマンをしていたそうだ。
「今日は大学が休みだから、一人でバイクに乗って海を見に来たんだ。ニュージーランドでは海のすぐそばに住んでいたからね。海を見ると気持ちが落ち着く。この辺は食べ物がとてもおいしいよ。シーフードももちろんうまいし、『塩ソフト』もいける。ちょっとソルティーなソフトクリームだけど、これが甘くておいしいんだ」


【愛車にまたがったマークさん。カッコいいですね】

 勝木の漁港では、10人ほどの漁師たちがとぐろ状に巻いた縄をクレーンで吊り上げていた。もうすぐ始まる鮭漁の準備だという。定置網を引っ張るための縄を十日間かけて用意している。鮭は一度に何千匹もとれるそうだ。
 漁港にはイカを釣るための巨大なランプをぶら下げた船も係留されていた。遠方から来た釣り人を乗せて沖に向かう船も多い。このあたりは平地がほとんどないので、産業と呼べるものは漁業か釣り人相手の観光業ぐらいしかないのである。
「このあたりもすっかり寂しくなったねぇ」と90歳を迎えたおばあさんは言った。「村さ歩いていても、誰ともすれ違わねぇ。年寄りしかおらんようになった。私の孫も東京さ出たっきり帰ってこん。村に残っているんは90年ここで生まれ育った私みたいな年寄りだけよ」







 今日は一気に村上市の市街まで行くつもりだったが、一日で85km進むのはさすがにキツく、15キロほど手前の「笹川流れ」で日没タイムアウトになってしまったので、適当な民宿を見つけて泊まることにした。



 午後5時45分。信じられないほど美しい夕日が西の空を染めた。それまで雲の向こうに隠れていた太陽が、日没の直前になって顔を出したのだ。かたく閉じていたまぶたがすっと開くように雲が切れたのだった。
 夕日に染まったのは西の空だけではなかった。無数に連なる波頭も、ごつごつした岩礁も、陸地の森も、道路も、リキシャまでもがあかね色に染まっていた。
 それは一瞬の出来事だった。時間にして1分も続かなかった。しかし長い長い一日の最後に待っていたご褒美としては、十分すぎる長さだった。




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本日の走行距離:68.3km (総計:5659.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:285円 (総計:71460円)

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by butterfly-life | 2010-09-18 20:48 | リキシャで日本一周
132日目:おばあちゃんのスイカ(秋田県にかほ市→山形県鶴岡市)
 象潟の漁港には、漁船のペンキ塗りをする漁師たちの姿があった。1年に一度赤いペンキを塗り直す。こうしないと貝が船底にへばりついて船の速度が落ちてしまう。この漁船は刺し網漁をしていて、ヒラメや甘鯛などが捕れるという。



 象潟の町を南に下っていると、畑仕事をしていたおばあちゃんからスイカをいただいた。
「ほら食べれ。あんまりうまくねぇけどよな。8月のスイカは中玉でおいしいんだけどよ、これはもう遅いもんだから、うまくねぇんだ」
 そんな「言い訳」とは裏腹にスイカはおいしかった。シーズンのものはもっと甘いのだろうが、リキシャを漕いで大量の汗をかいている体には、少々水っぽいぐらいがちょうどよかった。
 キヌ子ばあちゃんの畑にはカリフラワーやキャベツ、ネギやナスやシソなどの野菜が所狭しと植えられていた。
「畑さ来ると、ゆっくりするの。とれたもんを食べるのよりも、育てる方が楽しいんだ。毎日少しずつおっきくなるのを見ているだけでも楽しいの。それに野菜ば作ってると、頭もボケないようですな」
 とれた野菜は自分だけでは食べきれないから、ご近所や親戚にあげる。人が喜ぶのを見るのが何よりも楽しい。タマネギなんて年に4回も送る。



 キヌ子ばあちゃんは明るくてよく喋るおばあちゃんだった。生まれは山形県だが、結婚を機に秋田に越してきた。しかし40代の頃に旦那さんを亡くしてしまう。
「脳卒中だったの。秋田県は脳卒中で死ぬ人が全国一多いんだと。酒も飲むし、しょっぺぇ漬け物を食べるからな。それから秋田は自殺率も一番なんだ。悪い方の一番だけどな」
 旦那さんが亡くなってからは苦労もしたが、娘が勤めに出てくれたので、今はとても幸せに暮らしている。
「その娘も今年60歳で定年なの。おばあちゃん二人になっちまうな。でもまさかオレも80歳まで生きるとは思わねかったなぁ。いやいや、わからんもんだなぁ」



 キヌ子ばあちゃんと別れてから、しばらく国道7号線を南下していると、後ろからチャリダーが追いついてきた。ただのチャリダーではない。ママチャリで日本一周をしている若者であった。彼の自転車は使い古された本物のママチャリで、駅前に放置されているのを失敬してきたと言われても、そのまま信じてしまいそうな代物だった(そうじゃないよね?)。
 旅に必要な道具はリュックにまとめて自転車の荷台に積んであるのだが、そのリュックの上にはTシャツやパンツなどが無造作にくくり付けられている。
「今日は天気がいいから、洗った服を乾かしながら走っているんです」
 なるほど。確かに合理的である。しかし事情を知らない人がこれを見たら、ホームレスだと勘違いするんじゃないだろうか。旅をはじめてから3ヶ月。あまり他人の視線が気にならなくなったとのことだが、もうちょっと気にしてもいいんじゃないかい。



 ママチャリ旅行者の田辺君は大学3年の時に就職活動をやめて、旅に出る決意をした。自分がなにをやりたいのかもわからないのに、周りに流されて就職をしても長続きしないだろうと思ったからだ。千葉県を出発して北海道に渡り、アルバイトをしながら旅を続けている。
「どうして旅に出たんだってよく聞かれるんです。毎日のように。そのたびに考え込んでしまうんですよ。理由がないわけじゃないんです。でもそれを言葉にしようとすると、どれもぴったりとこない」
「この旅が終わったときに見つかるかもしれないね」
「そうですね。でも結局は見つからないかもしれない」
「そのときはまた旅に出る?」
「そうかもしれません。外国にも行ってみたいんです。でも言葉が通じないからちょっと怖くて」
「大丈夫、何とかなるよ」
 田辺君は「とびっ子」というあだ名を持っている。彼は高校生のときに校舎の三階の窓から飛び降りたことがある。だから「とびっ子」。無茶苦茶である。友達からはヒーロー扱いされたが、それと引き替えに全治3ヶ月の重い捻挫という代償を払わなければならなかった。昔から少々変わり者だったようだ。
 田辺君は別れ際にサツマイモを僕にくれようとした。焼きイモではなく、生のイモである。さっき産直で買ったばかりだそうだ。気持ちはありがたいけど、調理のしようがないので断った。
「それ、どうやって食べるの?」
「携帯用のガスバーナーで焼こうかと。それが無理だったら茹でて食べます」
 発想がワイルドである。野生である。どうしてもっと調理のしやすい食べ物を買わなかったのだろう。どうしても芋を食べたい気分だったのだろうか。


【糞害に憤慨。気持ちはわかるが、なにもそんなにペットボトルを並べなくてもいいじゃないか。まるで結界である】

 今日は不思議な天気だった。日本海の海上はきれいに晴れているのに、内陸は分厚い雲に覆われているのだ。半分は青空で、半分は曇り空。その境界線をひた走った。



 秋田県と山形県の県境を通り過ぎ、遊佐町に入ったところで、白い犬を助手席に乗せたおじさんが車を止めて話しかけてきた。学校の先生をしていた今野さん。若い頃から登山が好きで、61歳の時にはエベレストにも登頂した。ネパールやインドでリキシャを見た経験もあるという。
「昔の登山仲間は何人か山で死んでいるんだ。もう俺も年だから、日本各地にいる仲間を訪ねたり、墓を回ったりして、余生を過ごそうかと思っている」

 アップダウンの続く海岸道路を抜けると庄内平野である。言わずと知れた米どころだ。稲刈り直前で黄金色に輝く田んぼが、はるか遠くまで広がっている。なんという実り豊かな光景だろう。
 酒田から鶴岡にかけては昔から米作りをしている農家が多く、古い日本家屋が並んでいた。落ち着いた街並みは映画「おくりびと」のロケにも使われたそうだ。






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本日の走行距離:68.3km (総計:5585.9km)
本日の「5円タクシー」の収益:35円 (総計:71175円)

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by butterfly-life | 2010-09-17 20:21 | リキシャで日本一周
131日目:秋田の海(秋田県秋田市→にかほ市)
 午後から大雨に警戒して下さい。
 朝のローカルニュースでアナウンサーは確かにそう言っていたのだが、結局今日まとまった雨は一度も降らなかった。それどころか、午後になると雲が晴れて爽やかな青空が広がった。おいおい、大雨はいったいどこに行ってしまったんだ?
 天気予報が外れるのは珍しいことではないが、ここまでの「暴投」は珍しい。もちろんいい方に外れるのは嬉しいのだが。


【秋田のお葬式では派手な花を並べるのが習わしになっている。まるでパチンコ屋ですね】

 午後からの雨を警戒して、早めに宿を出た。秋田市から由利本荘市、もし雨が降らなければもう少し先まで進む予定だ。
 秋田市を出て、国道7号線を日本海に沿って進む。
 今回の旅では日本中の海を見てきた。南国の色鮮やかな海、瀬戸内の穏やかな海、コンクリートとコンビナートに埋め尽くされた太平洋ベルト地帯の海、オホーツクの寂しい海。船の往来の多い海があり、島が多い海があり、ゴミだらけの海があり、誰もいない海があった。水の色も、波の高さも、潮のにおいも、それぞれ微妙に違っていた。日本は海に囲まれた島国であるという常識を改めて確認した5ヶ月だった。

 秋田の海は「寂しい海」の仲間に入るだろう。ときどき思い出したように漁村が現れる以外、ほとんどの場所で海はただの海だった。水平線の彼方まで目を凝らしても、海水と雲以外には何もない。人の営みを感じることのない広大な自然が続く。





 由利本荘市を通過する頃には天気はすっかり回復していたので、さらに先のにかほ市に向かう。仁賀保の町で畑の草刈りをしているおじさんに出会った。
「これは何を植えているんですか?」
 と声を掛けると、おじさんは「グィーン」というけたたましい騒音をまき散らす草刈り機のエンジンを切って返事をしてくれたのだが、秋田訛りが強すぎてなかなか理解できなかった。
「ぐんたんよ」
「ぐんたんって何ですか?」
「あのよぉ、せぇふのほうが決めたことでよ、60町ある土地の20町は他の作物にしなきゃならねぇんだけども」
「ああ、減反ですね」
「んだ」
 おじさんが手入れをしていたのは枝豆の畑だった。もともとは米を作っていたのだが、減反の割り当てによって枝豆に植え替えたのだという。
 おじさんは最新草刈り機の性能や、害虫であるカメムシの駆除の方法や、南極探検隊の隊長だった白瀬中尉がこの町の出身であることなどを教えてくれたのだが、正直なところ話す言葉の七割は理解できなかった。津軽弁も難解だったが、秋田弁もそれと同じレベルである。しかも秋田の人は早口で、こっちが理解できようができまいがお構いなしに話し続ける傾向があるので、置いてけぼりを食らってしまうのである。



 枝豆のおじさんが熱心に勧めてくれたので、すぐ近くにある「白瀬南極探検隊記念館」に向かったのだが、月曜はあいにくの休館日だったので入ることができなかった。残念。
 にかほ市にはTDKの工場がいくつもあるのだが、これはTDKの創設者である齋藤憲三氏がにかほ市の出身であるためらしい。
 もっともTDKの工場以外にはこれといった産業がなく、にかほ市の人口も減少の一途を辿っている。数年前まで八王子に住んでいたというおじさんと話をしたのだが、30年以上勤めていた東京のメーカーをリストラされ、7年前から故郷に戻って農業を始めたのだそうだ。ここでも主な農業の担い手はセミリタイヤした人たちで占められているようだ。



 にかほ市には温泉を売りにした宿泊施設がいくつかあって、そのうちのひとつに泊まることにした。外観はかなりうらぶれていて、壁のひび割れなんかもそのままという有様だったが、広々とした和室から眺める日本海はとても美しかった。オフシーズンだからなのか、いつもこうなのかは知らないが、宿泊客もほとんどいなくて、大浴場も貸し切り状態だった。はぁ極楽。



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本日の走行距離:66.8km (総計:5517.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:71140円)

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by butterfly-life | 2010-09-15 20:58 | リキシャで日本一周
130日目:八郎潟の皮肉(秋田県能代市→秋田市)
 昨日は大雨だったのでリキシャはお休みして、宿で休養を取った。
 今日は雨も上がったので張り切って出発する。
 能代市から秋田市まではほぼ平坦な道のりだった。向かい風が多少強かったが、リキシャは順調に進んだ。クランクの「ガタ」にも慣れつつある。

 国道7号線で奇妙な自転車を見かけた。普通のマウンテンバイクが小さなリアカーを引っ張って走っているのだ。「リアカー・チャリダー」とでも言ったらいいだろうか。リキシャの仲間である。僕も驚いたが、向こうはもっと驚いたようで(当たり前か)、歩道にリアカーとリキシャを並べて立ち話をした。



 リアカーのやなっち君は4ヶ月前に沖縄を出発して日本を一周している。走ってきたルートも旅の期間もこれまでの走行距離も、僕のそれとそっくりだった。彼が引いているリアカーは「ハコンブンダー」という名前のれっきとした市販品で、アタッチメントの金具でがっちり自転車に固定されている。これだと普通の自転車よりずっと多くの荷物を積むことができる。やなっち君はサーファーなのだが、サーフボードを自転車に積む方法を考えているときに、この製品に出会ったのだそうだ。
「僕は横浜出身なんですけど、沖縄の海が気に入って沖縄に移住したんです。でも沖縄以外の波にも乗りたいと思い始めて、この旅を計画したんです」
 まず「波」ありき。まことにサーファー的発想である。北にいい波があると聞けばそこに向かう。気ままな旅だ。
「一番怖いのはトンネルですね」
 とやなっち君は言う。
「そうだね。あれは本当に怖い」
 すかさず僕も同意する。
 リキシャでのトンネル走行の恐怖はここでもたびたび書いてきたが、それを本当の意味でわかってくれたのは彼が初めてだった。そのほかにも後輪は右よりも左のタイヤの方が減るのが早いことや、自転車と徒歩とでは使う筋肉が違うこと、特に何もない土地ではいつも以上に長い距離を走ってしまうことなど、「リキシャあるある」ネタでしばらく盛り上がった。
 僕らは20分ほど並走していたが、しだいに向かい風が強まってリキシャのスピードが落ちてきたので、やなっち君が先に行くことになった。


【国道沿いで見かけた看板。「昔の美人」というところがいいですね】

 八郎潟に面した三種町では、衣料品店を営む平塚さんのもてなしを受けた。新鮮な桃とナシ、それに高度900メートルの泉から汲んできたという冷たい水をご馳走になり、さらに「5円タクシー」の運賃として5000円をいただいた。
 平塚さんは若い頃に八王子の呉服屋で修行していたという。荒井呉服店。あのユーミンの実家として知られている店である。もちろん八王子に住む僕もよく知っている。
「八王子は呉服の激戦区だから揉まれてこいって言われて修行に行ったんです。当時は秋田にも呉服屋がたくさんあったんだ。裕福だったんです。秋田には鉱山もあったし、林業もよかったし、米もたくさんとれた。でも今ではみんなダメになってしまった。仕事がないんです」
 肥沃な泥に覆われていた八郎潟を干拓して農地に変えるという大工事が行われた昭和30年代に、町は繁栄のピークを迎えた。工事のために大勢の人が移住してきて人口も急増した。活気もあったから商売も上手くいった。干拓事業の終了後はメーカーの工場を誘致して雇用を確保した。しかしグローバル化の流れによって生産拠点を賃金の安い中国に移す企業が増え、どこも軒並み閉鎖に追い込まれている。
 平塚さんのお店も経営は厳しいようだ。車社会の到来と地元商店街の衰退、それに「ユニクロ」や「しまむら」といったチェーン店の台頭によって、地方の衣料品店はどこも苦しいようだ。倒産して首をくくった人も何人もいる、と平塚さんは言う。
「うちの店は卒業生ばっかりで新入生の入ってこない学校みたいなもんです」
「卒業っていうのは?」
「亡くなったり、なんとかホームに入ったりする人たちのこと。そうなったら二度と戻ってこられないでしょう。昔なじみのお客さんは今でもうちに来てくれるけど、その人たちがみんな卒業したら店をたたまないといけないだろうなぁ。これが時代の流れだっていえばそれまでだけど」


【道で出会ったおばあさん。ポーズがかわいい】

 平塚さんと別れてから八郎潟干拓地を走ってみた。干拓地は北海道を思わせるようなだだっ広い平地だった。収穫を待つ黄金色の稲穂が一面に広がる光景はいかにも米どころ秋田らしいが、食糧増産を目的とした干拓工事が完成した直後から「米余り」「減反」へと農業政策が転換したのは歴史の皮肉である。

 大半が農地になった八郎潟だが、一部は「調整池」として干拓されずに残されていて、そこで細々と漁を続けている人たちもいた。小さなボートを出して、シラウオやワカサギをとっているのだそうだ。透明なシラウオは佃煮にしたり、そのまま生で食べたりする。生きたまま食べる「踊り食い」をすることもあるという。干拓される前は淡水と海水が混じる汽水湖だったためにシジミが多くとれたそうだ。


【水揚げされたシラウオを選別する】


【透明なシラウオはそのままでも食べられる】



 秋田市ではチカさんとフキさんという女の子二人に出会った。
 チカさんはなんと一人でリアカーを引っ張って海岸のゴミ拾いをしてきたばかりだった。道の駅で野宿しながら、40日かけて秋田県内の浜辺を歩き回ったそうだ。あっぱれです。
 彼女が行動を起こすきっかけになったのは、広島に住んでいる友達が何気なく言った「秋田の海って汚いね」というひとことだった。秋田の海岸には漂着物やゴミが散乱していて、今まではそれが当たり前だと思っていたのだが、県外の人には異様に見えた。これはなんとかしたい。よし、それじゃまず自分がゴミを拾うところから始めようじゃないか。そう心に決めて介護士の仕事も辞めた。
「こんな野宿の旅をしたのは初めてだったんですよ。だから最初はどうすればいいのかまったくわからなくて、スーツケースをごろごろ引っ張って歩いていたんです。それが途中からリアカーを貸してくれる友達が現れて、ずいぶん楽になりました」
 目的はゴミ拾いだったけれど、それを通じて地元の人と知り合いになれたり、お年寄りから昔話を聞かせてもらったりしたのが一番の収穫だった。無償のボランティア活動だったけれど、そこから得たものはすごく大きかった。
「ゴミ拾いはこれからも続けていきたいですね。来年は仲間たちと一緒に鳥海山の清掃登山をやるつもりです。一人だとできることは限られているけど、大勢の人を巻き込んでやれば大きな力になりますから」
 自分たちの町を、海を、山を、少しでも住みやすいところに変えるためには、ああだこうだ理屈を並べ立てるより前に、ます目の前に落ちているゴミを拾う。とても大切な心がけだ。そしてそれをただの心がけに終わらせずに、最後までやり遂げたチカさんの行動力に拍手をお送りたい。


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本日の走行距離:62.8km (総計:5450.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:5005円 (総計:71140円)

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by butterfly-life | 2010-09-14 22:40 | リキシャで日本一周
128日目:秋田美人発見(秋田県大館市→能代市)
 本日は大館市から能代市に向かう。アップダウンのある山間の道を西へと進む。
 大館市の市街を走っていると、原付に乗ったおじさんが追いかけてきて、缶入りのお茶を差し入れにくれた。
「俺もな、2年前に自転車で日本縦断をしたばかりだ。今62なんだけどよ、60のときに還暦の挑戦をしてみたわけさ。北海道から鹿児島まで」
「何日かかりましたか?」
「22日だな」
「早いですね」
「そうだな。一日平均120キロ走ったもんな。でもな、65歳になったら、また挑戦するつもりなんだ。今度は日本一周をするよ」
 元気である。日本縦断自転車の旅は、かつては若者の特権のようなものだったが、今では仕事をリタイヤした人の有り余るエネルギーをぶつける場になっている。





 緩やかな上り坂をリキシャを押して歩いていると、原付バイクに乗ったおばあさんが超スローなスピードで僕を追い抜いていった。それがカナさんだった。80歳のカナさんは近くの山に遊びに行った帰りなのだと言った。
「山で何をして遊ぶんですか?」
「山にへぇてる山菜を見に行ぐんだ。食べられそうなもんがあったら、とってくるすぃ。でもぉ、今年は暑がったから、山菜もよぐねぇな」
 原付のカゴには見たこともない山菜が何種類も入っていた。どうやって食べるのか見当も付かない。これ持って行くか、と聞かれたが、もちろん丁重にお断りした。さすがに山菜はもらってもどうしようもない。
「戦争中は大変だったな。男はみんな兵隊に行ってたから、働き手がなぐて物もなかった。畑仕事に行くときでも裸足だったんだ。山に行くときはわらじさ作ってよ。電気もなかったから、山で薪さとってきて囲炉裏で調理場したすぃ」
 このあたりは林業が盛んだったので、カナさんも20年近く製材所で働いていた。給料は安かったが、仕事を選べるような立場ではなかった。必死で働かないと生きていけなかったのだ。
「今の人はものを大事にしないなぁ。まだ使えるもんでも投げるべぇ。昔だば、着物さ穴が開いても繕って使ったもんだすぃ。でも今は何でもぽいぽい捨てるべ。金さえあれば何でも手に入るからよぉ、おらが言うことは誰も聞かん」
 物のない時代から、物が溢れる時代へ。「質素倹約」から「消費が美徳」の時代へ。その変化にうまく馴染めないお年寄りが多いのは当然だと思う。まだ使える物を捨てて新しい物を買う。それが世の中に新たな付加価値をもたらし、経済を成長させる原動力になるのだと聞いても、素直に納得することができないのだ。



 別れ際にカナさんの写真を撮った。ぶかぶかのヘルメットを脱ぐと、鼻筋の通った彫りの深い顔が現れた。どこかヨーロッパ的というか、東欧で見かけた女性を彷彿とさせる。若い頃は美人で評判だったに違いない。
 写真家の木村伊兵衛が昭和20年代に秋田を訪れているのだが、そのときに撮った秋田美人の顔立ちの美しさはとても印象的だ。色白で日本人離れした顔立ちの美人が、伝統衣装を着て田んぼで働いているのだ。
「色白なのは寒いからでねぇかな。米さよぐ食べると肌が白くなるって話もあるすぃ。小野小町も秋田県の出身なんだ」
「それじゃカナさんは小野小町の子孫かもしれませんね」
「んだんだ」



 能代市では日本一周中のチャリダー大学生に出会った。
 北海道の大学に通うドモアキ君はボクサーでもあるらしく、上半身が分厚く、ファイティングポーズもさまになっていた。北海道・宗谷岬をスタートして、これから自転車で47都道府県全てを回る予定だという。旅が終わるのは11月。北海道が雪で閉ざされる前にはゴールしたいという。お互いの健闘を祈り合って別れた。



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本日の走行距離:57.1km (総計:5388.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:66135円)

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by butterfly-life | 2010-09-13 22:36 | リキシャで日本一周
127日目:リンゴと津軽弁(青森県弘前市→秋田県大館市)
 今日も青森の空は気持ち良く晴れ上がった。日差しは強いが、空気が乾燥しているので爽やかだ。「絶好のリキシャ日和」と言いたいところなのだが、リキシャのコンディションに不安が残っているので、浮き立つような気分ではない。思い切り力を込めてペダルを漕ぐとクランク周りが壊れるのではないかという考えが頭をよぎってしまうのだ。昨日も書いたように、クランク周りの「ガタ」はもはやどうにもならないので、このまま進むしかないのだが。

 弘前市を南下して、国道7号線を進む。
 青森といえばリンゴだが、やはりリンゴ畑は多かった。まだ9月のはじめなので赤く色づいているリンゴは少ないが、大ぶりの果実が枝がしなるほどたわわに実っている様子は「リンゴの国」青森ならではのものだった。
 道ばたでいただいた差し入れもリンゴが多かった。農家のおばさんはいましがた収穫したばかりのリンゴを4つもくださった。それを「道の駅」で食べていると、また別のおじさんが「がんばってな」とこれまた大きなリンゴをひとつひょいと投げてくれるのだった。うーん、リンゴの国。



 津軽弁は訛りが強いことで知られているが、本当にその通りだった。特に70歳より上の世代と話していると、意思疎通を図るのすら難しいレベルになる。相手が言っていることがわからないだけでなく、こちらが言いたいこともうまく伝わらないのだ。当然のことながら、その傾向は山奥に行けばいくほど強くなった。

 弘前市と大館市のちょうど中間あたり、林業が盛んな集落で杖をついた老人に話しかけられた。リキシャに大いに興味を持っているようだったが、僕の説明がなかなか通じないのがもどかしかった。ラオスの田舎で農夫と話をしているみたいだった。
「おめぇ名前さなにさ?」
 と老人は訊ねた。本当はもっと聞き取りにくかったのだが、便宜上こう書く。名前は何か。
「三井です」と僕は答えた。
「ん?」
「み、つ、い」
 できるだけはっきりと発音した。
「は?」
 老人は僕の名前をどうしても聞き取れない。困ったな、耳も遠いのだろうか。仕方なく筆談をしようとポケットからメモ帳を取り出そうとしたら、そばにいたおじさんが助け船を出してくれた。僕の発言を津軽弁に「通訳」してくれたのである。「みつい」を津軽弁風に発音するとどうなるのかを文字に記すのは不可能に近いが、あえて書くとしたらこんな感じだろうか。
「むぃつぉんぇ」
 母音が微妙にずれているのである。ほとんど原形をとどめていないと言ってもいい。
 なのに、なのにである。こうして「通訳」された「むぃつぉんぇ」は、見事におじいさんに「みつい」として理解されたのである。不思議だ。本当に不思議だった。


【道路標識まで津軽弁である。「急がば回れ」ではなくて、「急ぐのはダメ」という意味らしい】


 国道7号線は峠道に入った。延々と上り坂が続くので、リキシャを押して歩く。山の中は気温もぐっと下がるので歩きやすい。もう夏の空気ではない。秋の気配が濃くなっている。
 峠道を上りきると青森県と秋田県の県境である。「秋田県大館市」と書かれた標識には、なぜか秋田犬の写真が添えられていた。プリティーな道路標識ある。大館市はあの忠犬ハチ公の生まれ故郷なのだそうだ。
 自宅で秋田犬を35匹も飼っているというブリーダーのおじさんに聞いたところによると、最近秋田犬や柴犬は日本だけでなく外国でも人気が高いのだそうだ。


【缶酎ハイでほろ酔い気分のおじさん。カメラを向けると力こぶを作ってくれた】

 峠を越えると、大館市まで緩やかな下り坂が続いた。
 大館市の市街地に入ると、意外な光景が目に飛び込んできた。町の東に「大」という文字の書かれた山がそびえていたのだ。
「おぉ、あれはまさしく大文字山!」
 大きさも、かたちも、周囲の山の並び方も、京都の大文字山にそっくりだった。生まれてから約30年間を京都の東山で過ごした僕にとっては、あまりにも懐かしい光景であった。
 あとで地元の人にうかがったところ、大館の大文字山は「鳳凰山」という名前で、やはり8月16日の夜には松明で「大」の字を浮かび上がらせる行事を行うのだそうだ。
 去年はリチャード・ギア主演映画「HACHI 約束の犬」の公開に合わせて、「大」の字に「、」を足して「犬」という文字を作ったらしい。京都の「五山の送り火」では絶対に起こりえないエピソードだけど、これを思い付いた人はなかなかのアイデアマンだと思う。



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本日の走行距離:54.3km (総計:5330.9km)
本日の「5円タクシー」の収益:320円 (総計:66135円)

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by butterfly-life | 2010-09-12 21:18 | リキシャで日本一周
126日目:リキシャを修理する(青森県青森市→弘前市)
 北海道でリキシャのクランクシャフトが折れたことは既に書いたが、その代替品がバングラデシュから届いたので、2週間ぶりに旅を再開することになった。今回もサポートしてくださった「ショブジョバングラ」の三田さん、本当にありがとうございます。

 東京駅から夜行バスに乗って青森市に向かう。夏休みが終わったからか、乗客はたった6人。がらがらであった。隣のシートもゆったり使えて快適だったが、これでは走らせるだけ赤字ではないか。バス会社は大丈夫なのだろうか。
 青森は今年12月に東北新幹線の開通を控えて大いに盛り上がっている。ローカルニュースは毎日その話題で持ちきりだ。東京まで3時間で繋がる。日帰り出張だって可能になる。観光客も増えるだろう。今から皮算用が始まっている。
 でも新幹線が開通すれば、きっと高速バスの利用者はさらに減るだろうし、いくつかのバス会社は撤退を余儀なくされるだろう。なんて心配を僕がしてもしょうがないんだけど。

 朝8時半に青森駅に到着。さっそくリキシャを預けていた長崎さんのお宅に向かう。
 長崎家から歩いて10分ほどのところにあるバイク屋兼自転車屋「中村輪業」のご主人は、リキシャの登場に目を丸くした。僕が事の経緯を説明してクランクを手渡すと、
「こりゃお粗末な部品だなぁ」
 と言った。その通りなんです。新品なのに加工精度は悪く、すでに溶接跡でデコボコしている。でもバングラデシュではみんなこれを使っているのである。
「まぁ、やってみんべぇ」
 中村さんが作業に取りかかる。さほど複雑な作業ではない。ペダルを外し、ベアリングを抑えているリングピンを外し、ベアリングとクランクを外す。それから新しいクランクに付け替えて、元の位置に戻すだけだ。
 しかし部品の加工精度が悪いことが問題だった。金属部品同士がガタつかず「ぴったりと合う」ためには、0.1ミリ単位の精度が必要なのだが、バングラデシュの工場ではその技術がない。だから少し大きめに作っておいて、現場で少しずつ削りながら手作業で合わせていくしかないのである。日本では考えられないようなアバウトさだが、これがバングラ流なのである。
「でもよぉ、よくこんなもんを手作業で作るよなぁ」
 中村さんは感心したように言う。
 中村さんは初めてのリキシャに悪戦苦闘しながらも、なんとかベアリングをはめ込むことに成功した。さっそく試乗してみたのだが、微妙に違和感があった。ベアリングとフレームとのあいだにわずかな隙間があって、クランクがスムーズに回らないのである。これは回転するベアリングがフレームの金属を少しずつ削り取っていったために生じたガタのようで、応急処置で直すのは不可能のようだった。フレーム部をそっくり交換するしかない。だから多少の違和感には目をつぶって走り続けるしかないのである。これ以上悪化することがないように祈りながら。
「修理代おいくらですか?」
「あー、500円でいいよ」
「本当ですか?」
 500円とは安い。ほとんどタダみたいなものである。
「あぁ、いいよ。今日は珍しいもんを直させてもらったからな」
 と中村さんはうまそうにタバコを吹かせながら言った。中村輪業、実に太っ腹だった。



 そんなこんなで青森市を出発したのは11時。ここから国道7号線を通って弘前市に向かう。
 昼休憩のために立ち寄った峠道のコンビニで、女性チャリダーの山田さんと出会った。日本一周を目指して東京を出発し、北海道を走った後、函館からフェリーに乗って青森にやってきたという。自転車で一人旅をする女性は珍しい。ものすごく珍しい。僕はもう4ヶ月以上こうして旅を続けているが、単独女性チャリダーに出会ったのは今回が初めてである。
「ええ、よく珍しいって言われます。ツーリングしているグループの中に女性が混じっていることはあっても、女一人っていうのは見ませんね」
 山田さんは最近になって自転車にはまり、重量7キロの軽量ロードバイクを購入。仲間たちとあちこちツーリングしていたという。それが子供の頃からの夢である「日本一周」に挑戦しようというきっかけになった。
「この自転車は軽量でスピードが出るんですけど、荷物がまったく積めないんですよ。だから必要な荷物は全部リュックに入れて背負っているんです」
「リュックに?」
「だから足よりも背中や肩の方が痛くなって大変なんです」
 普通、日本一周を行うチャリダーは山田さんが乗っているような競技用バイクには乗らない。フレームもタイヤも頑丈で、両サイドに荷物が積めるようになっている自転車を選ぶ。スピードはあまり出ないが、実用性でははるかに勝っているのだ。
 山田さんは東京で歌舞伎関係の仕事をしているそうだ。だから何週間もぶっ続けで休むわけにもいかず、何日か走っては東京に戻って仕事をし、そのあとまた旅に戻るということを繰り返している。ショートトリップを繋げる旅だからこそ、荷物を少なくできるということもあるのかもしれない。
「仕事関係の人には『最近日焼けしたねぇ。どこか南の島でも行ってきたの?』なんて言われるんです。面倒だから『はい』って答えてるんだけど。『自転車で日本一周しています』なんて言えないですからね」



 3時を過ぎると、下校途中の小学生たちと頻繁にすれ違うようになった。
「こんにちわー」
 みんな元気よく挨拶をする。知っている人でも知らない人でもすれ違ったときにはまず挨拶、という教えが行き届いているのだろう。気持ちのいい習慣だ。
「何やってるんですかー?」
 一人の女の子がすれ違いざまに叫んだ。とっさのことだったので、うまく言葉が出てこなかった。
 僕はいったい何をやっているんだろう。リキシャで日本一周のだ、と言ったところで、リキシャとはなんぞやと言うところから話を始めなければいけない。それはすれ違いざまの2秒で説明できることではない。


【村に置いてあった「子供ねぷた」。小さいがカッコいい】

 青森では子供たちだけでなく、大人もとても気さくに話しかけてきた。
 車の窓から顔を出して、「ごくろうさま!」と声を掛けてくる人も何人かいた。
 何しているの、どこから来たの、どこに行くの。このあたりの質問は定番だし、「頑張ってー!」と手を振られることも多いのだが、そういうのを抜きにして、いきなり「ごくろうさま」と労をねぎらってくれたのは青森県民が初めてだった。




【少し早いが刈り取りを始めている田んぼもあった。刈り取った稲穂を吊して乾かしている】

 ママチャリに乗って国道を走っていた葛西さんも、出会ってまず最初に「ごくろうさま」と言ってくれた。被っていた帽子を脱いで、深々と頭を下げた。そこまでされるとちょっと困ってしまう。
「いや、俺も青森から弘前まで行ってきて、今帰るところなんだけど、こんな重そうな自転車で走るのは大変だなぁ。ほんとに頭が下がるなぁ」
「弘前まで自転車で何しに行ったんですか?」
「このあいだ『土俵の鬼』が亡くなったでしょ。初代の若乃花。今の貴乃花親方のおじさんだべな。若乃花が活躍した昭和35,6年はテレビがねぇ時代でさ、よっぽどのお金持ちじゃないとテレビで相撲なんて見られなかったわけさ。みんな社長の家に集まって相撲中継を見たもんさ」
 なぜいきなり若乃花の話が始まったのかよくわからないまま、僕は葛西さんの語る昔話を聞き続けた。
 初代若乃花は弘前のリンゴ農家の長男として生まれた。巡業相撲が青森にやってきたときに、力自慢の若乃花が飛び入り参加して本職の力士を倒し、それがきっかけで相撲界に入門し、ついに横綱まで登りつめた。その鮮やかな出世街道は当時の青森県民を大いに熱狂させた。郷土が誇るヒーローだったわけだ。
「若乃花の活躍にはずいぶん励まされたなぁ。よく巡業を見に行ったもんだよ。だもんで、いま弘前で開かれている若乃花のパネル展を見に行ったのさ」
 なるほど、やっと話の筋が見えてきた。故郷の弘前で初代若乃花の回顧展が開かれていたのである。
「でも青森市から弘前市まで40キロはあるでしょう?」
「そんだな。2時間半かかったな。往復で5時間だ」
「元気ですねぇ」
「まぁ他にやることもねぇからな。去年まで東京で働いていたんだけどもよぉ、退職してこっちさ戻ってきたから暇なんだ。一日どうして暮らしたらいいか困ってるところなのさ」
 葛西さんは24年間江東区の倉庫街で働いていた。家族は青森に置いての単身赴任である。お盆と正月に帰省するだけ。
「昔は酒ばかり飲んでよ、アル中になって肝硬変にまでなったことがあるんだ。もう命は短いって医者に言われて酒をやめてよ、それから36年間一滴もアルコールは飲んでない」
「そうなんですか」
「アルコール依存症っていうのは心の病なんだ。だからいくら医者が禁酒しろと言っても、本人にその気がなかったらやめられねぇ。俺は断酒会ってところで、ずっと他の人が酒をやめるのを手伝ってたんだ。ずいぶん大勢の人が助かったよ」
「青森にはアル中の人が多いんですか?」
「んだな。酒を飲むぐらいしか楽しみがないのかもしれん」
 冬になると雪に閉ざされてしまう東北地方では、アルコール依存症や自殺者の割合が特に多いという話を聞いたことがある。ロシアや東欧でも同じような傾向が見られるというから、寒さや日照時間の少なさが人に与える影響は大きいのだろう。




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本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円)

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by butterfly-life | 2010-09-11 18:42 | リキシャで日本一周
125日目:無理が必要なとき(北海道森町→函館市)
 リキシャを押して63キロも歩き続けた翌日は、どんなにひどい筋肉痛に襲われるのだろうかとおそるおそるベッドから起き上がったのだが、体へのダメージは意外なほど少なかった。もちろん体に痛みはあった。足の裏や足首、股の付け根など、歩くときに酷使される筋肉は痛んでいる。けれども歩けないというほどの痛みではなかった。
 マットレスの上でゆっくりとストレッチを行う。うん、これならば今日も歩けそうだ。そう確信してから準備に取りかかった。

 7時半に出発。森町から国道5号線を南下して函館に向かう。
 駒ヶ岳を左手に見ながら緩やかな上り坂を上っていく。やがて大沼という湖の脇を通り過ぎ、長いトンネルを抜けると一気の下り坂になった。まったく平坦だった昨日の道のりに比べると、今日はいくらかアップダウンがあったが、少しも苦にならなかった。むしろ坂道の方がリキシャと歩くのに向いていたのかもしれない。平地だとずっと同じペースで歩き続けなければいけないが、坂道だと上り坂さえ気合いでしのげば、あとはため込んだ位置エネルギーを一気に解放できる下り坂が待っているからだ。


【北斗市の農協が作った看板。北斗の農? アタタタタ、アタッ!】


【ユ、ユリアー! これってコピーライトは大丈夫なんでしょうか】


 函館のフェリー乗り場に着いたのは3時半。昨日ほど疲れていないのは、距離が短いということもあるし、リキシャを押して歩くことに体が順応した結果でもあるのだろう。人間の体というのは予想以上に適応力が高いようだ。

 津軽海峡フェリーは家族連れで混み合っていた。先月就航したばかりという新造船で、ソファも喫茶室もぴかぴかで居心地が良かった。この航路は二つの船会社がそれぞれ一日8往復ずつ船を出しているという。それだけの需要があるのだろう。

 北海道の20日間は猛烈な勢いで移動し続けた。
 雨で休んだ一日以外はひたすらリキシャを漕いでいた(または歩いていた)。北海道の大地はあくまでも広く、道はまっすぐで、家はまばらだった。その広さを自分の足で感じられたのは大きな収穫だった。流した汗によって、味わった疲労によって、喉の乾きによって、この大地のスケールを自分の体に刻みつけることができた。


【函館港から見える海。北海道では最後まで晴天に恵まれなかった】


 フェリーが青森港に接岸したのは午後9時10分。3時間40分の船旅だった。
 青森港には長崎さんが自転車で迎えに来てくれていた。長年小学校の先生をしていて、今は県の教育委員会で働いている方だ。青森市内でリキシャを預かってもらえないかと告知したところ、いち早く名乗り出てくださった。
 今夜は船着き場から歩いて20分ほどの所にある長崎さんのお宅に泊めていただくことになった。家の庭にはレンガを並べて作ったバーベキュー専用のコンロがあり、そこで野外バーベキューを楽しんだ。肉に詳しい長崎さんが用意してくださったのは、豚の喉の軟骨や、牛タン入りのつくね、イカの一夜干しといった珍しい食材ばかりだった。
「青森の暮らしで一番大変なのは、なんといっても雪かきですよ。放っておけば1日で3,40センチ積もるんです。毎朝5時に起きて家の周りの雪かきをします。それから学校に早めに出勤して、また雪かき。除雪車の運転も上達しましたよ。一番困るのは一度溶けた雪がまた凍ったアイスバーンですね。これはツルハシでガシガシ砕いてやらないといけないんです。雪かきだけでも時間と労力を相当使っていますね」
 僕は寒いところが苦手で、できることなら年中短パンとサンダルで過ごしたいと思っている(実際それに近い生活をしている)お気楽な南国気質の人間である。だからこそ、青森の雪かきの大変さや、まつげまで凍るという北海道の冬の話を聞くだけで、これはかなわないなぁと白旗を揚げたくなってしまうのだ。

「本当に函館まで歩いてきたんですね」
 長崎さんが缶ビールを手渡しながら言った。
「リキシャが壊れたっていうのをツイッターで見て、『これは予定通り青森に来るのは無理だなぁ』って妻と話していたんです。2日で100キロ歩くなんて不可能だよって」
「かなり無理はしました。でも何とかなるものですよ」
「私は小学校の先生を相手に講義をしたりセミナーを開いたりするのが仕事なんだけど、若い先生には『頑張りすぎるなよ』『無理はするなよ』って繰り返し言っているんです。真面目な子ほど頑張りすぎて、体を壊してしまうから。そうなってはいけないよって」
「最近、鬱になる先生が多いという話は僕も聞きました。確かにそういう場合には無理は禁物ですね。自分で自分を追い込んでしまうから。でも僕の場合はそれとはちょっと違うんです。体には無理をさせているけど、精神的なストレスはないんです。純粋にフィジカルな負荷なんですよ。だから耐えられる」

 鬱を患う人は生真面目な性格で、他人から期待される自分像と現実の自分とのギャップに苦しんでいる。期待に応えたい自分と、そうできない自分とに引き裂かれている。
 僕は基本的に自分勝手な人間だ。本当にやりたいことしかやらない。自分が行きたい場所に行って、撮りたいものを撮る。
 その代わり、自分がやると決めたことに対しては過剰なほど真剣に取り組んできた。自分の限界を超えたいと思ってきた。そのためにはおそらく「無理」をすることが必要なのだ。絶対にできないと思い込んでいたその「思い込みの殻」を破ったとき、確実な手応えを伴った自信を手に入れることができる。

 リキシャを100キロ漕いだ日。リキシャと共に60キロを歩いた日。
 肉体的な痛みと引き替えに、僕はかけがえのないものを手に入れたのだと思う。


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本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円)

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by butterfly-life | 2010-09-09 19:55 | リキシャで日本一周