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124日目:リキシャと歩いた63キロ(北海道長万部町→森町)
 クランクシャフトが折れて漕げなくなったリキシャを函館まで押して歩くことにした。長万部から函館までは100キロ以上の距離があるが、これを二日間で歩き通すというのが当面の目標である。しかし実際にどれだけ進めるのかは歩いてみないことにはわからない。使う筋肉も違うし、体の反応も違ってくるだろうから。

 宿を出発したのは6時過ぎ。この時期の北海道では5時にはもう夜が明け始めるのだが、まだ町は静寂に包まれていた。小鳥の声に見送られながらスタートする。
 出だしは快調だった。長万部から南へ下る国道5号線は北海道でも屈指のフラットな道だから、一定のペースで歩くのにはもってこいだった。時速6キロのペースを維持しながらリズム良く進んでいく。大切なのは一定のペースを保つこと。反復に体を慣らし、リズムの中に自分を没入させることだ。
 青い道路標識に「函館100km」と書かれているのを見たときには一瞬気持ちが萎えそうになったが、すぐに頭からその数字を追い出した。そんなに先のことは考える必要はない。まずはこの1キロ、この一歩だ。

 長万部から八雲までの30キロほどの道のりは変化に乏しかった。草原と海に挟まれたスペースに、まっすぐな道が伸びている。たまに魚くさい水産加工場や、名産のカニ弁当を売る店などが現れるぐらいだ。ひたすら歩き続けるのはもってこいの道ではあった。


【お祭りの山車に使われた木材を細かく切断していた人。冬場の燃料に使うのだそうだ。8月終わりにもう冬支度が始まっているのが北海道らしい】

 今日は日本縦断や日本一周を試みている人たちと何度もすれ違った。宗谷岬周辺と同じように、函館から長万部までの道のりも日本を縦断する人がほぼ間違いなく通るルートなのである。
 大阪から自転車で日本一周をしている宇都宮君は名前を「リキ」といった。彼はリキシャという乗り物を見たのは初めてだったが、自分の名前と重なる部分があるので、大いに親近感を持ってくれたようだ。リキ君は「夢ノート」というものをバッグに入れて旅をしていた。出会った人に自分の夢を書いてもらうためのノートだという。



 リキ君は友達がバックパッカーとして世界一周をやり遂げたことに刺激を受けて、自転車の旅を始めたと言った。このあと出会った京都の大学生はチャリダーだったお兄さんの影響で日本縦断を始めた。子供の頃から自転車が好きで、できるだけ遠くまで行きたいという思いから北海道まで来た人もいたし、「ただなんとなく」沖縄から北海道まで来てしまったという人もいた。
 動機はそれぞれに違う。しかしその根本には「自分の力だけでどこまで行けるんだろう」という純粋な好奇心があるように思う。みんな真っ黒に日焼けしていた。いい顔だった。



 国道5号線をさらに下った石倉では、道ばたのゴミを拾いながらリアカーで日本縦断をしている上村さんに出会った。実は上村さんとは4月に一緒に食事したことがあった。熊本市をリキシャで走っているときにたまたますれ違って、「実は僕もリアカーで日本縦断をするんです」と言われたのだった。
 上村さんは以前、歌舞伎町でホストクラブやキャバクラをいくつも経営していたという変わった経歴の持ち主で、それがどうして各地のゴミを拾いながら日本縦断をしようなんてアイデアを実行に移すことになったのかはよくわからないのだが、とにかく重量が150キロを超えるリアカーを引っ張って毎日山道を歩くなんてことは並外れた精神力がないとできないことだけは確かだ。
「この夏は暑かったでしょう。旅を始めてから15キロも痩せちゃいましたよ」
 4ヶ月ぶりに見る上村さんは、確かにスリムになっていた。学生時代にボクシングをやっていたのでがたいは大きい方だったが、そこに精悍さが加わった。旅は人を鍛える。余分なものを削り取っていく。



 上村さんと再会した場所からわずか2キロほど南で、またリアカーを引く旅人に出会った。今日は「リアカー・デイ」である。僕も今日はリキシャを自転車としてではなくリアカー的に使っていたから、類が友を呼んだのかもしれない。
 このリアカー氏は「本当の」日本一周を試みているそうだ。一切ショートカットせずに海岸線に沿って一周をしている。そうすると日本一周は1万9000キロにもなるのだそうで、それを全て踏破するというのは気が遠くなるような話だ。
 リアカーというのは徒歩で旅する人間にとっては比較的ポピュラーな道具で、重たいバックパックを背負って歩くよりも楽に移動できるようだ。平地を進む限り、タイヤのついた乗り物はその重さをほとんど感じないのである。それは僕が今日一日リキシャを押して実感したことでもあった。もちろん山道に入ると一気にキツくなるわけだが。



 順調だった徒歩の旅が辛くなり始めたのは、八雲の町で昼休憩を取ってからだった。一度休みを入れると、その間に太ももの筋肉が固まってしまうのだ。リキシャを漕いでいるときにはなかった反応だった。普通、筋肉は休ませると再び力を取り戻す。しかし長距離を歩き続けた場合には、むしろ休むことがさらなる疲労に繋がるようだった。
 そんなわけで午後はかたときも立ち止まることなくずっと歩き続けた。水分をとったり、バナナを食べたりするときでさえ、筋肉が硬くならないように屈伸運動を続けた。人に話しかけられたときでさえ、「すみませんが歩きながら話しましょう」と言って決して立ち止まらなかった。泳ぎ続けないと死んでしまう回遊魚みたいだった。

 スタートから40キロを過ぎたあたりから、ほとんど何も考えられなくなった。足の指と太もも、それから足の付け根の筋肉が常に悲鳴を上げていたが、そんなものにいちいち耳を貸すわけにはいかなかった。痛みの感覚を一時的に遮断し、一歩ずつ左右の足を踏み出すことだけに集中する。まさに忘我の状態だった。
 その姿をたまたま見かけた人が後でメールを送ってくれたのだが、そこには「修行僧のような顔で歩いていた」と書かれていた。なるほど。何かについて突き詰めて考えている人と、まったく何も考えていない人は、同じ顔をしているのかもしれない。山伏の縦走ではないけれど、無我夢中で歩くというのはそれだけで「修行」になるのかもしれない。「歩く動物」としての人間の限界や、可能性を知るための修行。



 長万部から63キロ離れた森町に到着したのは午後7時過ぎ。あたりはすっかり暗くなっていた。13時間ほぼぶっ続けて歩いてきたが、ここら辺が限界のようだ。駅前のビジネスホテルに転がり込むようにチェックインした。
 63キロ。
 サイクルコンピューターの数字を見て改めて驚く。
 この旅を始めた頃は、リキシャを漕いで一日60キロ以上進むことすら難しかったのだ。
 よくやったと思う。


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本日の走行距離:63.6km (総計:5185.1km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-08 20:42 | リキシャで日本一周
123日目:リキシャがついに壊れた(北海道洞爺湖町→長万部町)
 北海道らしくカラッと晴れ上がった朝には、これが悲劇の一日の幕開けになるなんて想像もできなかった。旅のトラブルというのはたいてい前触れなく訪れるものである。油断も隙もあったものではない。

 誤算の始まりは豊浦の峠道だった。海沿いを走る37号線がこれほどまでに急な坂道だとは思ってもみなかったのだ。北海道の道は平坦で走りやすい。これまでの経験からそのような思い込みがあったのだが、それが見事に打ち砕かれた。
 上り坂は延々と続いた。トンネルをいくつも通り抜け、いったん下ったあと、再び急な上りが始まる。山のあいだから見える内浦湾は絶景である。なにもこんなに見晴らしの良い場所に道路を作らなくたっていいじゃないかと思う。絶景すら恨めしかった。

 二つ目の誤算は水不足だった。いつもなら2リットルのペットボトルに水道水を入れて宿を出るのだが、この日は何を思ったのかそれを忘れてしまったのだ。日差しは強く、きつい山道を登ると一気に汗が噴き出てくる。最初のうちは「しばらく進めばコンビニぐらい見つかるだろう」と考えていた。ところが一度山道に入ってしまうと、コンビニはおろか自動販売機すらひとつもないのである。本当にただのひとつもないのだ。
 これには参った。喉はじりじりと渇くし、汗は止めどなく流れてシャツをぐっしょりと濡らしていく。上り坂はいっこうに終わる気配がなく、気温もどんどん上昇していく。疲労の色が濃くなり、足が止まる。日陰で休む時間が多くなる。しかし休んでも喉は潤わないから、結局は前に進むしかない。

 長いトンネルを走っているときのことだった。それは37号線の山道にいくつも設けられているトンネルの中で最も長く、緩やかな上りになっているトンネルだった。ぎりぎりリキシャが通れる幅の歩道があったので、ゆっくりとペダルを漕ぎながらそこを走っていた。時速7キロから8キロというところだ。
 突然、踏み込んだ右足がガクンと下に落ちた。ヤバい! 瞬間、バランスを崩して車道に落ちてしまいそうになったが、何とかこらえてブレーキをかけた。
 もう何が起きたのかはわかっていた。間違いない。折れたのだ。クランクシャフトが。
 リキシャを降りて確かめてみる。やっぱりだ。昨日溶接してもらった所があっけなく折れている。これではペダルが漕げない。もちろん直すこともできない。完全にノックアウトだ。
 僕はその場にへたり込んだ。疲労も喉の渇きもピークなのに、そこに致命的な故障が発生してしまったのだ。気持ちがぷつんと切れ、トンネルの壁にもたれたまま暗い天井を見上げた。なんてことだ・・・。


【トンネルの真ん中で突如リキシャが壊れてしまった。折れたペダル部分に注目】

 どれぐらいそうしていただろうか。案外短かったように思う。3分ぐらいのものだろう。
 僕は立ち上がって壊れたギアを拾い上げ、チェーンの応急処置をして、リキシャを押して歩き始めた。このまま座り込んでいても何かが解決されることはない。待っていても誰に助けには来ない。新品のクランクを携えた天使がひらひらと舞い降りてくる、なんてことはないのだ。

 僕を前に進ませたのは喉の渇きだった。激しく切実な乾きだった。呆然としている暇はない。とにかくまず水を飲まなくてはいけない。あとのことはそれから考えよう。そのために今は這ってでも前に進むしかない。
 トンネルを抜けてもまだ続く長い坂を息を切らせながら上りきり、ようやく下りに入ったところに一軒の人家が現れた。掘っ立て小屋のような簡素な家で、雑草だらけの庭には古い電気製品や家具やがらくたが所狭しと並んでいる。「土曜日・日曜日・商」と書かれた看板が立てかけられているのを見ると、廃品回収業者か古道具屋のようだったが、その横には「にぎり寿司・一皿二貫・とろ・あわび・はまち四〇〇円」と書かれた別の看板があった。寿司屋なのか? まさかね。いくら何でもこんな山奥にわざわざ寿司を食べに来る人なんていない。「隠れ家的名店」にしてもあまりにもボロすぎる。ひょっとしてこの寿司屋の看板自体が古道具屋の売り物なのだろうか?
 謎の多い家だったが、誰か人が住んでいるのなら水ぐらい飲ませてくれるだろうと思って敷地に入った。
「すいませーん。水を一杯いただきたいんですが」
 大声で呼びかけてみたが返事はなかった。出かけているのだろうか。
 さてどうしたものか。もちろん家の中に入るわけにはいかないが、どこかに水道の蛇口ぐらいあるかもしれない。そう思って電化製品が積み上がられた庭をぐるりと回ってみると、山からの湧き水を引いているらしい用水路が見つかった。
 おぉ水だ!
 僕は反射的に持っていたペットボトルを流れの中に突っ込んで水を溜め、それを一気に飲み干した。
 うまい!
 もう一杯飲む。うまい。もう一杯。汲み上げては飲み干した。
 それにしてもなんてうまい水なんだろう。冷やっこくて澄んでいて甘い。きっとこの家の主も毎日このうまい水を飲んで暮らしているのだろう。これがあれば水道なんていらない。南北海道の天然水、だ。

 サハラ砂漠級の喉の乾きがようやく癒えると、やっとまともに頭が働くようになった。
 クランクが折れた以上、リキシャを漕いで移動することはできない。昨日の自転車屋さんとのやりとりから、この形状のクランクを日本で手に入れるのは不可能であることもわかっている。もちろん適当な金属棒を切削加工すれば作れるだろうが、それには手間もお金もかかる。そもそも誰に頼めばいいのかもわからない。
 一番確実なのは、バングラデシュで新品のクランクを手に入れてもらうことだ。もちろん日本に送るには時間がかかるが、幸いなことに東京で写真展を開くために近々リキシャの旅を中断する予定がある。そのタイミングでクランクを送ってもらえば、時間のロスは最小限で済むはずだ。

 よし。
 僕は立ち上がって大きく伸びをした。新鮮な水が体の隅々まで行き渡っているのを感じる。細胞が潤っている。萎びた筋肉に力が戻り、気力も回復してきた。
 よし、とにかく前に進もう。ペダルは踏めないが、リキシャを押して歩くことはできる。もちろんスピードはこれまでの半分以下になってしまうが、だったら倍の時間をかければいい。



【金属疲労によるせん断。金属工学の教科書にでも載せたいぐらいだ】

 そこからしばらくは急な下り坂が続いた。下りボーナスである。その後は長万部までずっと平坦な道のりが続いた。
 風もなく、絶好のリキシャ日和だった。クランクが壊れてさえいなければ、滑らかに進んでいたことだろう。
「溶接は丈夫なんだ」と昨日の職人さんは言った。「このまま日本一周できるよ」と請け合ってもくれた。それがポッキー並みにあっさりと折れるまで丸一日もかからなかった。でも不思議なことに、少しも腹が立たなかった。
 そうか。だったら仕方ないよな。じゃあ歩こうか。そう思っただけだった。
 目の前の事実をありのままに受け入れること、ある種の諦観を身に付けること。それが長旅をする人間には不可欠なのである。腹を立てたところで現実が変わるわけではない。そんなエネルギーがあるんだったら、一歩でも前に進んだ方がいい。それが旅を通じて僕が得た処世術だった。

 長万部の町に到着したのは4時半だった。まだ先に進む余力はあったが、この先しばらくはまともな町がないようなので、今日はここで休むことにした。
 長万部には温泉が湧いており、それを売り物にした旅館やホテルが何軒か建っているのだが、僕はあえてそこを避けて駅前の旅館に向かった。
 案の定、そこは素泊まり3000円という格安の宿で、昨日と同様に泊まり客は僕だけだった。宿のおかみさんはとても世話好きな人で、旅館というよりは下宿屋のような雰囲気だったが、唯一の難点は二階の部屋がやたら暑いことだった。北海道の家屋は冬に暖かくすることを何よりも優先しているので、夏の暑さ対策はまったくなされていないのである。この宿にもエアコンはなく、風通しも悪いので、西日をまともに受けた部屋は熱気がこもって大変な暑さになる。それなのに部屋には小さな卓上扇風機しか置かれていない。しかもこれが勢いよくブンブン回るわりにはちっとも風こないという欠陥扇風機だった。
「ごめんなさいね。今年の夏は異常に暑いから、北海道の人も困っているのよ」とおかみさんは布団の用意をしながら言う。「ここにもいろんな人が泊まりに来たけどねぇ、あんな自転車は初めてよ。あんなの漕いでいると疲れるんでしょう? ゆっくり休んでね」
「僕も疲れているけど、あのリキシャの方がもっと疲れているみたいです。人間は眠ったら回復するけど、機械はそういうわけにはいきませんから」


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本日の走行距離:44.9km (総計:5121.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-08 07:47 | リキシャで日本一周
122日目:くたびれリキシャ(北海道登別市→洞爺湖町)
 リキシャに新たな問題が発生した。左右のペダルを結ぶクランクシャフトが曲がってしまったのだ。異変に気づいたのは昨日の夜だったが、もう自転車屋さんは店を閉めていたので、翌朝改めて出直すことにしたのだ。
 幸いなことに「西垣じてんしゃ」のご主人はとても親切だった。僕が以前沖縄でも似たような故障が起こったこと、そのときはベアリングを交換したことを伝えると、わざわざホームセンターまでベアリングを買いに行ってくれた。
 しかしいざ分解してみると、想像以上にひどい状態だとわかった。ベアリング自体は壊れてはいなかったのだが、クランクシャフトの真ん中に金属疲労のひびが入り、ほとんど折れかかっていることがわかったのだ。
「これはひどいなぁ」とご主人。「うちにも似たようなクランクはあるけど、やっぱり規格が違うから合わないね。これは焼き入れしてあるから、加工するのは難しいしね」
 思わず天を仰いでしまった。
 このままペダルを漕ぎ続ければ、おそらく一日も経たないうちにクランクが完全に折れてしまうことだろう。かといって日本にはこれと同じ部品は存在しない。残された最後の手はバングラデシュから部品を送ってもらうことだが、当然それには時間がかかる。

「あぁ、このクランクは溶接してあるんだな」とご主人が言った。
「溶接?」
「うん、以前にも同じように折れたのかもしれないね。ほら、ここを見て。溶接の跡が残っているでしょう。ということは、この傷も溶接してもらえば直るかもしれない」
「本当ですか?」
「ええ、知り合いの溶接工場の社長に掛け合ってみますよ」
 僕らは軽トラで溶接工場に向かった。そこは「溶接のことなら子供の自転車から重機まで、何でもやります」という頼もしい町工場で、つなぎを着た社長さんは「これなら直るよ」と断言した。実際、ものの10分で作業は終わった。すごい。すごいけど、これで本当に大丈夫なのだろうか。
「あぁ、溶接ってのは1平方ミリあたり50キロの荷重に耐えられるんだよ」
 ほうほう、溶接というのはそんなにタフだったのですね。おみそれしました。そういえば大学の実習でアーク溶接だのガス溶接だのをやったんだった。あれはなかなか面白かった。
「でも普通はクランクを溶接したりはしないよな。そんなことしたら弱くなる。日本だったら絶対にやらないよ。バングラデシュっていうのはすごい国だな」
「万事がそういうところなんですよ」
 長くなるのであえて説明はしなかったが、このブログを最初から読んでいる皆さんにはおわかりだと思う。これまでに何度もバングラ製品の質の悪さやバングラ人のアバウトさに煮え湯を飲まされてきたかを。


【溶接してもらったクランク。これで修理が完了した、はずだったのだが・・・】

 とにかく「西垣じてんしゃ」のご主人の機転と、溶接工場の職人の腕前によって、リキシャは何とか息を吹き返したのだった。
 しかしこれで万事が解決したわけではない。リキシャは相変わらず満身創痍で、いつまた故障するかわからない状態なのである。クランク周りの修理も万全ではないし、タイヤだってかなり摩耗している。後輪のゆがみもひどい状態だ。錆びて折れたスポークに応力が集中して、車輪自体が変形しているのだ。
 右後輪の軸受け部分にも問題がある。ベアリングの中にゴミが入っていて、潤滑油が切れると「キュルキュル」という不快な音を発するのだ。ベアリングが完全に破損するのも時間の問題だろう。

 これらの問題を100%解決するのは難しい。不可能ではないが、部品が手に入らないから時間がかかってしまう。
 走行距離はすでに5000キロを超え、リキシャはくたびれている。あちこちから聞こえる異音は、「助けてくれ!」というリキシャの叫び声なのだ。
 これからゴールまでの道のりは、不平不満を口にするリキシャをなだめすかしながら進む日々になりそうな予感がした。

 修理に手間取ったので、今日は長い距離を走ることはできなかった。
 幌別から室蘭、伊達を経て、洞爺湖町まで行くのが精一杯だった。
 室蘭市を過ぎるときついアップダウンが多くなった。交通量の多い一車線の道をリキシャを引っ張ってノロノロと歩くのは若干気が引けるのだが(後ろを振り返ると渋滞が起きていることもある)、他に方法があるわけでもないので、最近では開き直り気味に堂々と歩いている。

 伊達市に入ったところで、よく日に焼けたおじさんに声を掛けられた。
「こんな乗り物で日本一周を? 本当に頭が下がるなぁ」
 そう言って労をねぎらってくれた。
「おじさんは山登りが好きでな、昨日もあそこに見える羊蹄山に登ってきたばっかりなんだ。全部で8時間かかったけどな、君のリキシャに比べたらなんてことはないな」
「そんなことはありませんよ」
「いやいや、本当に頭が下がるなぁ」
 おじさんは長い間東京で働いていたそうだが、7年前に思い切って仕事を辞めて、地元の北海道に戻ってきた。生活費はさほどかからないから、贅沢さえしなければ仕事がなくても十分暮らしていけるのだという。

 坂道を登りきったところで飲んだ冷たい水は感動的にうまかった。農家のおばさんが自転車を止めて、持っていた魔法瓶の水を飲ませてくれたのである。
「朝4時に起きて、この自転車で農地まで行って、夕方の4時まで仕事するの」とおばさんは言う。「キュウリ、キャベツ、トマト。なんでも作るのよ。いつもこの坂を登りきったら、水を飲んで休憩することにしているのよ」


【畑にブロッコリーを植えているご夫婦。8月下旬に植えて、収穫するのは11月頃。「儲からない農業をずっとやってるの」と奥さんは言う】

 洞爺湖町にたどり着いたところで夜になったので、本日はここに泊まることにする。
 洞爺湖町はサミットを開いたことで有名になった洞爺湖を擁する町だが、観光目的で来る人はみんな洞爺湖畔のリゾートホテルに泊まるので、洞爺駅の近くは閑散としていた。営業している旅館も一軒しかなかった。そしてその旅館も泊まり客は僕だけという有様だった。



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本日の走行距離:54.2km (総計:5076.7km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-07 17:22 | リキシャで日本一周
121日目:命あるものはめんこい(北海道苫小牧市→登別市)
 苫小牧市から海沿いを南下する。ここには国道36号線という幹線道路が走っているが、交通量が多くてつまらない道なので、海のすぐそばのローカルな道を走ることにした。
 ここは出会いの多い道だった。まずは海岸に遊びに来ていた保育園児たち。そろいの帽子を被ってかわいらしい。
「リキシャに乗りたい人!」
 と言ってみると、全員が元気よく「はーい!」と手をあげた。素直である。
 リキシャは二人乗りだが、4,5歳の子供たちなら3人乗れるので、3人ずつ順番に乗せてあげる。でも園児たちは全部で13人いたので5往復しなければいけなかった。「気持ちいー!」と歓声を上げる子、おとなしく黙って乗っている子など、反応は様々だ。





 コンクリートで護岸された海岸では、自転車で流木を運んでいる老人に出会った。88歳の助川さん。流れ着いた流木をノコギリで適当な長さに切って、家に持って帰るのだという。ストーブの燃料として使うのだそうだ。
「こんなことをしてるのは苫小牧でも俺しかいねぇよ。1日に30往復するんだ。家にはもう2年分の薪が積んであるよ。流木は燃やすとあったけぇんだ」
 流木は海岸を埋め尽くしているので、資源は無尽蔵にあると言ってもいい。しかしこれを個人の力で運ぶのはあまりにも面倒なので誰もやらない。そもそも今は灯油かガスのストーブが主流なので薪ストーブ自体が珍しくなった。昔は同じことをしていた人もいたらしいが、みんな亡くなってしまった。
「生き残ったのは俺だけだよ」と助川さんは笑う。



 助川さんはかつて室蘭の製鉄所で働いていた。高度成長期の旺盛な鉄需要に支えられて製鉄業は伸び続け、年に三度もボーナスが出るほど景気が良かったが、鉄鋼ブームもやがて終わりを迎える。産業構造の変化と競争力の低下に伴って、室蘭にあった溶鉱炉は次々と閉鎖された。
 その後、助川さんは苫小牧に移り住んで漁師になった。ニシンや鮭などをとって生計を立てていた。
「胃が半分ないんだ。胃潰瘍になったときに切っちまったんだ。それでもこの年まで生きてる」
「薪を運ぶのはいい運動になりますね」
「あぁ、いつも汗だくになるよ。何か仕事があるっていうのはいいもんだね」



 助川さんと話をしているときに、軽自動車に乗った若い女性が声を掛けてきた。地元苫小牧のケーブルテレビ局からの取材の申し込みだった。たまたまここを通りかかったところ、妙な三輪車が走っているのを目にして車を止めたのだという。すぐにカメラマンを呼んでインタビューを撮ることになった。こういうフットワークの軽さがローカル局の良いところだ。
 実は今日は札幌テレビの「どさんこワイド」という番組の密着取材も受けていたのだった。取材ラッシュの一日である。


【リキシャに乗る地元ケーブルTV局の山本さん。「今日はたまたますっぴんなんです。恥ずかしい」とのこと】

 国道沿いの小さな畑の前で座り込んでいた89歳のおばあちゃんは、リサという名前だった。大正生まれの女性とは思えないハイカラな名前である。彼女のおじいさんが若い頃に「おりさ」という女性に片想いをしていたので(結局その恋は叶わなかった)、孫娘に「リサ」という名前を付けたのだそうだ。
 リサおばあちゃんの畑にはネギやジャガイモやナスなど様々な野菜が植えられていた。一番のお気に入りは大根だという。
「朝起きると、まず大根に話しかけるのよ。『めご、おっきくなったか?』って」
「めごって何ですか?」
「めごってのは『めんこい』ってことよ。かわいいってこと。大根はほんとにめんこいから、大根って呼ばずに『めご』って呼んでるんだ。土ん中から一生懸命伸びようとするからな。その姿がめんこいんよ」
「でも最後には食べるんですね?」
「そう、食べるよ。抜いて洗って、たくあんにして食べる。『おまえらはなぁ、ババの腹に入るんだからな』って話すんだ。丹精込めて育ててるから、自分の子供みたいにかわいいよ。だから食べるんだ。葉っぱまで食べるよ。葉っぱは外に干しておいて、お湯でも戻してから味噌汁の具にするんだ。捨てるところなんてひとっつもない。めんこいからね、無駄にはしないんだ」
 リサさんはそこまで話すと、ふーっと大きくひとつため息をついた。
「大根を盗む奴がいるんだ」
「盗む? この大根をですか?」
「そう。車で来た人間が、夜のうちにかっぱらって行くんだ。子供のようにだいじに育てた大根なのにね。もう泣きたいよ・・・」
 とんでもない話である。どうしてわざわざ小さな家庭菜園にはえている大根を盗まなければいけないのか、理解に苦しむ。国道36号線は交通量の多い幹線道路なので、中には根性のひん曲がった奴も通るのかもしれないが、それにしてもひどすぎる。リサおばあちゃんがどれほど大切に大根を育てているのか。それを聞いた直後だったから、本当に腹が立った。
「9月の収穫時期になったら毎日心配で。朝になったら『ゆうべ抜かれなかったか?』ってまず話しかけるんよ。無事だったらほっとする。大根たちには『盗む奴が来たら、お前が囓ってやれ』って言ってるんだ」
「立て札とか立てておいたらいいんじゃないですか?」
「そんなことしたら『ここに野菜がある』って言ってるようなもんでしょ。よけい盗られるよ」
「逆効果か」
「でもね、人のものを盗むより、盗まれる方がいいと思う。盗った人間もね、あまりいい気持ちではないと思うね。悪いことやってるって自覚があるんだったらね」



 リサさんは20代の頃に肋膜炎を患い、医者には「もう長くはない」とまで言われた。でも薬が効いて一命を取り留めた。そのあと漁師と見合い結婚して、4人の子を産んだ。
「おどうは漁師だったから、酒飲んで威張ってた。よく喧嘩もしたねぇ。おどうは口では負けるもんだから、ゲンコツを出してくるんだ。そうすると畑に来て、野菜に話しかけた。大根はくちごたえしないからねぇ」
 その旦那さんを亡くしたのは、リサさんがまだ30代の頃だった。脳溢血で倒れて、そのままぽっくり逝ってしまった。後に残されたのはリサさんは生活保護を受けながら畑仕事をして、育ち盛りの子供たち4人を女手ひとつで育て上げた。
「周りの人は『旦那を早く亡くして大変だね』なんて言ってたけど、私は苦労だなんて思わなかった。ただ子供たちに腹一杯食わせるために必死で生きていただけ」
「再婚はしなかったんですか?」
「そんな話もあったけどね、しなかった。これが良くないっしょ」
 リサさんは自分の顔を指さして笑った。
「そんなことないでしょう」
「でもやっぱりうちのおどうは他の男とは違うんよ。喧嘩してもしたけど、優しかったからね」
 おばあちゃんの旦那さんに対する愛情は、ひとことでは言い切れない複雑なもののようだった。好きだけど嫌い。会いたいけれど、会いたくない。ぶつくさ文句も言うけれど、大切に想い続けてもいる。
「90まで生きたら、もうたくさん。このぐらいで十分だ」
「いつ死んでもいいんですか?」
「いやだよ、まだ逝きたくない!」
 リサさんははっきりとそう宣言してから、顔をくしゃくしゃにして笑った。本当にいい笑顔だ。
「おどうのとこにはまだ行きたくないんだ。いつお迎えが来てもいいけどね、おどうのところに行って、また喧嘩したくないもん」
「旦那さんは向こうで待ってるんじゃないですか?」
「そうだね。でも別な女を見つけてるかもしれないね」
「それも腹が立つでしょう?」
「そうだね。私は毎日仏壇に話しかけてたからね。『おどう、元気か?』って」



 どこからともなく二匹の白い蝶が現れた。蝶はもつれ合いながらリサおばあちゃんの周りを二回三回とまわり、またどこかに飛び去っていった。
「命あるものは、みんなめんこいよ」
 リサさんは目を細めて言った。頭からひねり出した言葉ではなく、彼女のからだから自然に湧いてきた言葉だった。だから重みがある。染みてくる。
 別れ際にリサさんにカメラを向けた。よく日に焼けたお百姓の顔。89年分の苦労や喜びや悲しみがしっかりと刻まれた顔だった。
「こうやって誰かと話をするのはすっごく嬉しいんだ。でもね、別れたあと泣きたくなるんだ。寂しくてな・・・」
 一瞬、おばあちゃんの肩を抱きしめたくなった。本当にめんこい人だ。
「また会えますよ。おばあちゃんが元気でいてくれたら」



 虎杖浜では堤防に座って海を眺めている漁師のおじさんと話をした。このあたりは鮭で有名だそうだ。
「秋になると、ここら辺は鮭でびっしりになるよ。海が黒くなるぐらいだよ」
「手づかみできますね」
「できるよ。違法になるけどな。誰がどれだけとっていいのかは漁協で決められてるんだ。去年はここだけで3億円の水揚げがあったんだ」
 この漁師さんは正確に言うと「元漁師」で、70歳を迎えた10年前に船を下りたのだそうだ。
「この年になると、船に乗るのがこわい」
「怖い?」
「いやいや、内地の言葉だと違う意味になるんだな。『こわい』っていうのは北海道では『疲れる』っていう意味になるんだ」
「そうなんですか」
「ソ連の漁船がこの近海まで来たことがあったんだ。スケトウダラをとるためにな。そんなに昔じゃないよ。最近のことだよ」
「でも『ソ連』の時代ですよね? ロシアじゃなくて」
「あぁ、30年ぐらい前かな」
「十分昔のことじゃないですか!」
「まぁそうかな。『日ソ漁業交渉』なんてやっていた時代だ。ここの組合長もソ連まで行って交渉したんだ」



 今日は室蘭まで行くつもりだったが、いい出会いが重なってリキシャのスピードが上がらず、途中の幌別の町に泊まることにした。幌別の手前10キロには有名な登別温泉があるのだが、温泉街はかなり急な坂道を上らなければ行けないということなので断念した。


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本日の走行距離:53.4km (総計:5022.5km)
本日の「5円タクシー」の収益:600円 (総計:64815円)

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by butterfly-life | 2010-09-07 08:00 | リキシャで日本一周
120日目:雨と風の北海道(北海道岩見沢市→苫小牧市)
 岩見沢市から南下して、千歳市を経て苫小牧市に向かう。
 朝からきれいに晴れ上がり、強い日差しが照りつける一日になった。
 しかし向かい風には本当に苦労した。田んぼの稲をざわざわと揺らす南風は、立ち止まって見ている分にはなかなか素敵な光景なのだが、それがまともにリキシャの正面から吹き付けるとお手上げ状態になってしまうのだ。時速7キロから8キロ。それ以下になるとリキシャを押して歩いた方が速い。向かい風は少しずつだが確実に気力と体力をそぎ落としていく。体力を消耗すると、カメラを出して写真を撮ろうという気持ちが湧いてこない。


【田んぼの中のリキシャ。こう見えて風が強いんです】

 さらに風が強まると、リキシャを押して進むこともできなくなるので、道路の脇で雨宿りならぬ「風宿り」をする。そうやって風が弱まる隙をうかがうわけだ。
 そんなとき一台の軽トラックが止まった。窓からおばさんが顔を出して、「にぃちゃんトマトでも持って行け」と言った。「とれたてだから甘いよ」
 おばさんは両手一杯のプチトマトと普通のトマトを二個持たせてくれた。さっき自分の畑で収穫してきたもののようだ。新鮮で甘い。大きい方は熟れすぎで売り物にならないようだが、その分果物のように甘かった。
「今日はどこまで行くの? 函館かい?」
「いやいや、それは無理ですよ。苫小牧です」
「そうかい。その自転車で一日どれぐらい走れんの?」
「まぁ80キロがせいぜいですね」
「あ、そう。そんなもん」
 リキシャで80キロ走るというと、他県の人はたいていびっくりするのだが、北海道民のリアクションは素っ気ない。距離感覚が違うからだろう。何しろ広大な土地を持つ北海道では、車で2、300キロ移動することが当たり前だから、80キロといってもたいした距離には感じられないのだ。
「ぐずぐずしてると冬になるよ」とおばさんは言う。「今年の夏は特別に暑いけどねぇ。でもお盆を過ぎたら北海道は急に涼しくなるよ。9月に入ったら寒くなる」
「それまでには本州に渡りますよ」
「そうかい。じゃ、気をつけてな」



 トマトのおばさんが去ってからしばらくすると、突然雨が落ちてきた。にわか雨である。雨が降り出すと同時に風も強まり、真横から吹き付けるような横殴りの雨になった。雨宿りしようにも周りには田んぼしかない。仕方なく折りたたみ傘を差してやり過ごす。後ろから高校生二人組がびしょびしょに濡れながら自転車で走ってくる。彼らにとっても予期せぬ雨だったのだろう。
 
 雲の動きが速かったので、雨は20分もすれば上がった。
 千歳市に入ったところで一休みする。スーパーでオレンジジュースのパックとみたらし団子を買って、花壇の縁に座って黙々と食べる。雨雲はどこかに去り、抜けるような青空と薄い雲が広がっている。目まぐるしく天気の変わる一日だ。



 千歳から苫小牧までの道のりは、これまでの苦労が嘘のように楽ちんだった。風が止んだのである。日中吹き荒れていた風が、夕方になってぴたりと止むということは、これまでにも何度か経験している。「もうへとへとだ。これ以上は走れそうにない」
 というところで、まるでその声を聞いていたかのようにピタッと風が収まるのだ。不思議である。気まぐれな旅の女神さまはいつも最後には慈悲を見せてくれるようだ。


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本日の走行距離:78.7km (総計:4969.0km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64215円)

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by butterfly-life | 2010-09-03 12:27 | リキシャで日本一周
写真展が終了しました
 写真展「この星のはたらきもの」は盛況のうちに全日程が終了しました。足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。写真を見た方の反応を間近で感じることができて、とても充実した一週間でした。ぜひまたやりたいですね。


 以前にも報告会に来てくれた看護師の女性は、来年からオーストラリアに2年間留学して看護師の国際免許を取るつもりだ。晴れて免許が取れたら「国境なき医師団」などの国際NGOで医療支援活動に参加したいという。立派な目標をお持ちである。
「くじけそうになったら、このカレンダーの写真を見ることにします」
 と言って、来年のカレンダーを買っていってくれた。くじけないで頑張ってくださいね。

 仕事で沖縄に飛ぶ予定だった女性は、台風の接近に伴ってフライトがキャンセルになったので、幸運にも(不運にも?)写真展に来る時間が取れたという。
 宇都宮から駆けつけてくださった化学系メーカーのエンジニアの男性は、東京出張のついでに立ち寄ってくれた。
「土曜日にも仕事が入ってしまったんで、写真展に行けそうにないなぁと諦めていたところ、急に東京に出張することになったんです。これも運命ですね」
 素晴らしい出張辞令である。良きご縁があったのでしょうね。

 最近失業したばかりだという女性は、そんな大変な状況にもかかわらず、どこか晴れやかだった。
「東京の大企業にずっと勤めていると、働くってことの原点からどんどん遠ざかっている気がするんです。人間関係とか組織の論理とかが先に立って、一生懸命働くってことができなくなっている。ストレスばかりがたまってくる。そんなとき、同じ地球で働いている他の人たちの姿を見ると、なんだか元気が湧いてくるんです」

 23歳の大学生は、最近自転車で日本を旅してきたばかりなのだと言った。旅の途中で出会ったオリーブ農家に3週間も滞在し、旅を終えてからもその日々が忘れられず、本気で香川県に移住しようかと考えている。
「いま大学4年生だから就職活動もしなきゃいけないんです。でもこのまま東京の会社に就職するよりも、香川のオリーブ農家を手伝いたいという気持ちの方が強くなっているんです。僕はどうしたらいいでしょう?」
 難しい質問だ。旅先での出会いと、現実の生活はもちろん違う。そのオリーブ農家にしても農業だけでは食べていけないという現実があるようだ。しばらくはアルバイトをしながら農業を手伝うことになる。それでも彼はやってみたいという。
「それなら、やってみればいい。うまく行くかもしれないし、失敗するかもしれない。それは今の段階ではわからない。でも失敗したっていいじゃない。何度も失敗して、そこから自分が目指すべき道を見つけたらいいと思うよ」
「この1ヶ月、ずっと迷っていたんです。なかなか答えが出なくて。それで三井さんの写真展に来たんです。やっぱり汗を流して働くのって、いいですね」

 今回の「この星のはたらきもの」で展示した作品は、農業や漁業などの一次産業で働く人々の写真が多い。そこには働くことの原点があるからだ。汗を流して麦の収穫をするおばさん。美しいサリーを着て漁網を引く女性。田んぼを耕すために水牛を追う男。からだを使って働く人の美しさを切り取りたかったのだ。

 高度に発達した資本主義社会において一次産業の割合が減っていくのは仕方がないことだけど、それがあまりにも進みすぎると、自分がなんのために働いているのかを見失う人も増えてくる。
 お金を得ることだけが仕事の目的ではない。「働くこと」そのものの中に喜びが宿っているはずだ。
 僕がこの写真展を通じて伝えたかったのは、そんな「働く喜び」の原点だった。






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by butterfly-life | 2010-09-02 19:48 | リキシャで日本一周