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インド一周旅行記(4) 「インドを美味しく旅するために」
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 苦手なもので言えば、実はインド料理もあまり好きではなかった。それもまた最初の旅の印象から来るものだった。初インドでは、主に北部(カルカッタからバラナシを経てデリーに至るもっともポピュラーなルート)を旅したのだが、食堂で出てきたものも屋台で買ったものも、なぜかことごとくマズかったのである。

 安食堂のメニューはどこでも「汁っぽいカレー」と「チャパティ」と決まっていたが、特にマズかったのが主食であるチャパティだった。チャパティというのは日本にあるインド料理店で出されるナンとは違って、小麦粉に「ふすま」という混ぜものが配合されている無発酵パンである。焼きたてならまだしも、冷えたチャパティはパサパサの新聞紙を口に詰め込んでいるみたいで、とても食べられたものではなかった。



 地元の安食堂に見切りをつけて、外国人旅行者向けのレストランに入ってみても、そこで出てくるのはひどい味付けの西欧料理か、「なんちゃって日本食」だった。この「なんちゃって日本食」というのは、一応「OYAKODON」とか「KATUDON」といった日本食らしい名前が与えられてはいるものの、その味は本物の日本料理とは似ても似つかないという代物である。インド版の親子丼はなぜか生姜風味、カツ丼はケチャップの味がした。
 何を食べても美味しくないので、ヨーグルトと果物で空腹をしのいでいた。このふたつはインド人コックが腕を振るう余地のない素材そのものの味が味わえたからだ。

 しかし、この「インド料理はマズい」という偏見は南インドの旅を始めるとすぐに消えてしまった。南部料理と北部料理の一番の違いは、主食がパンかお米かということである。稲作が中心の南部では、どの食堂でもあつあつのご飯が好きなだけ食べられた。それだけで僕は十分に幸せだった。味付けなんか二の次でよかった。

 インドで美味しい食事にありつくコツは、行動時間を地元の人に合わせることである。そうすれば、売れ残りの冷めた料理を食べさせられることはない。適切な時間に適切な食堂に行くこと。それがインドを美味しく旅するために一番大切なことだとわかったのだ。

 朝は少し遅めがいい。8時から9時の間に軽食専門の店に行って、ドーサかプーリーかワラを食べる。いずれも小麦粉を練って、焼くか揚げるかしたものである。特別に美味しいわけではないが、作りたてであればなかなかいける。食後にはチャイを飲む。勘定は全部で12ルピー(30円)ぐらいだ。


[クレープのように薄い生地を焼いたドーサ]


[朝の食堂でドーサを焼く女]

 昼はだいたい12時から1時ごろに食堂に入る。そうすれば炊きたてのご飯が食べられる。南インドの安食堂では「ミールス」と呼ばれる定食が出てくる。ミールスはテーブルの上にバナナの皮を一枚敷き、それをお皿代わりにして食べるのが特徴だ。お皿の真ん中にはお椀を伏せたようなかたちにご飯が盛られ、その周りに野菜のカレーが3,4種類盛られる。独特のクセのある漬け物と、水っぽいヨーグルトが付く場合もある。
 嬉しいのはお代わりが自由だと言うこと。特に「お代わりをください」と頼まなくても、盛られたご飯が少なくなるとボーイがつかつかと近づいてきて、勝手にご飯を追加してくれる。二回でも三回でも、「もういいよ」と右手で遮る仕草をしなければ永遠にご飯のお代わりは続く。それで値段は20ルピー。60円もしない。


[南インドの定食「ミールス」はお代わり自由だ。]

 インドの安食堂の多くは「Pure Veg」つまり肉類を扱わないベジタリアン専門の看板を掲げている。肉が入っていると、どんな料理でも急に値段が高くなる。贅沢品なのだ。もっとも、大きな町になると肉が食べられる「Non Veg」の看板が増えてくるし、都市の郊外には養鶏場も目立つ。もともとインド人はあまり肉を食べなかったようだが、生活レベルが上がるにつれて肉を求める人の数も増え始めているという。

 インドで主に食べられている肉は、鶏と山羊である。ヒンドゥー教徒にとって牛は神様の化身であり、牛肉を食べるのはタブーである。だから食堂で牛肉が出てくることはまずないし、マクドナルドにもチキンバーガーしかない。しかしムスリムやキリスト教徒が多く住む町には、例外的にビーフが食べられることがある。例えばケララ州にあるトリチュールという町の食堂には「ビーフ・ビリヤーニ(牛肉入り炊き込みご飯)」というメニューがあった。しかし味の方はいまいちだった。肉質がひどく硬く、筋張っていたのだ。使役用に飼われていた年老いた牛を安い値段で買い取ってきたのだろう。ちなみにこの「ビーフ・ビリヤーニ」は33ルピーで、「チキン・ビリヤーニ」の45ルピーに比べるとずっと安かった。



 南インドの飲み物で特に美味しいのは生ジュースだ。パイナップルやリンゴやミカンなどの果物を丸ごとジューサーに入れ、少量の水と砂糖を加えて出してくれるもので、余計な味付けがされていないから、どの町でも安心して頼むことができた。
 僕のお気に入りはぶどうジュースだった。デカン高原でとれた新鮮なぶどうをたっぷり使ったジュースは、甘酸っぱさの中にもしっかりとしたコクがある「本物の味」だった。喉が渇いたときに飲む一杯のぶどうジュースが、インドでの一番の贅沢だった。贅沢といっても、グラス一杯の値段はせいぜい10ルピー(30円)ほどなのだが。

 インドを代表する飲み物といえばチャイだが、このチャイにも地方によって作り方や味に違いがあった。たとえばタミルナドゥ州では、グラスを高々と持ち上げて、豪快に泡を立ててチャイを入れる。熟練した職人になればなるほど泡が上手に立つということだが、確かに手際よく泡を立てるチャイ屋で飲むチャイはうまかった。



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by butterfly-life | 2011-04-28 10:59 | インド一周旅行記
インド一周旅行記(3) 「パイサな人々」
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 インドはどちらかと言えば苦手な国だった。相性のよしあしで言えば、間違いなく悪い方の国だった。
 山の民のひっそりとした営みがすてきなネパール。やたら暑苦しいが面白い人間のるつぼであるバングラデシュ。美しい海と山に恵まれた島国スリランカ。インドと国境を接する国々はどれも大好きなのだけど、肝心のインドそのものにはずっと苦手意識を持っていたのだ。



 僕の苦手意識は初インドで刻まれたものだった。散々な旅だった。地元の子供たちに電子手帳を盗まれ、あまりの暑さに体調を崩して寝込み、詐欺まがいの男にしつこく絡まれた。まぁどれもこれもインドではよくあることなのだが、そのときは旅の経験値も少なかったので、「インドなんて嫌いだ。二度と行くもんか!」と思ってしまったのである。
「インドを嫌う者はインドに嫌われる。インドを好む者はインドに好かれる」
 以前、ある旅人にそう教わったことがあるのだが、それは本当だった。そして僕は残念ながら前者なのだと思っていた。

 僕が何よりも苦手だったのは、「何を考えているのかわからないインド人」の存在だった。インドにはどう考えても理屈に合わないことを平気でやったり、先の行動が全然読めなかったりする人が多いのだ。



 今回もプリーの漁村で遭遇したのも、実にインドらしい理不尽な出来事だった。
 僕はA4サイズにプリントした写真を持って漁村を歩き回っていた。以前、この村を訪れたときに撮った写真を被写体となってくれた人にプレゼントするためだった。僕は二度三度と同じ場所を訪れるときには、ささやかな感謝の気持ちとして、過去に撮った写真を手渡すことにしていたのだ。

 大きく引き延ばされた写真を受け取ると、たいていの人は驚いて目を見張り、とても喜んでくれる。嬉し恥ずかしという表情を浮かべて走り出す少女もいたし、お礼にチャイをご馳走してくれるおばさんもいた。
 しかし中には予想外の反応を見せる人もいた。そのとき僕は笑顔がとても素敵な少女に写真を渡した。彼女ははにかみながらそれを受け取った。そこまではいつもと同じだ。ところが、それを見ていた彼女の親戚らしい男が、「パイサ! パイサ!」と言いながら右手を出してきたのである。



「パイサだって?」
 僕はまじまじと男の顔を見つめた。おいおい、いったい何を言い出すんだ、こいつは。
 パイサとは「お金をくれ」というような意味で、ホテルのボーイがチップを要求したり、物乞いが施しを求めるときなどによく使われる言葉である。普通に考えれば、この状況で使うような言葉ではない。

<あんたはこの子に写真をプレゼントした → だからこの子にお金をあげろ>
 どう考えても筋が通らなかった。
 確かにプリーの漁村の子供たちは、外国人旅行者に対してよくモノやお金をねだってくる。「ハロー!」の次に、「パイサ!」と言ってきたり、「エクルピ!(1ルピー)」とか「ペン!」などと言ったりする。しかしそれは冗談半分の軽いノリのもので、「もらえればラッキー」みたいな感覚で言っているに過ぎなかった。だから僕はそのような要求に対しては、いつもにこやかな無視を貫いていた。

「パイサ! パイサ!」
 しかし男の目は真剣だった。彼はおなかに手を当てて、苦しそうな表情を浮かべた。食べ物を口に入れる身振りも付け加えた。物乞いがよくやる仕草だった。我々はおなかが減っているんだ。食べ物を買うお金もないんだ。恵んで欲しい。そう言っているのだ。それは子供たちがやる冗談半分の「パイサ」ではなかった。

 完全な不意打ちだった。写真をプレゼントしたあとにお金を要求されるなんて、想像すらしていなかったのだ。実際、これまで数々の国で何百枚もの写真を渡してきたが、こんな状況は一度もなかった。確かにプリーの漁村は貧しい。でも、ここよりもずっと貧しい場所、例えばバングラデシュのスラム街やネパールの山村であっても、このような反応に出くわすことはなかったのだ。

 僕をさらに困惑させたのは、周りの村人たちが男の行為をとがめようとせず、むしろ積極的に支持していることだった。「そうだ。パイサだ!」と叫ぶ若者も現れた。少女の母親もそれに同調した。母親は「ほら、あなたもパイサって言いなさい」と娘をけしかけ始めた。母親は娘の手首を握って、僕の方へぐいっと突き出した。それが当然の権利なのだと言わんばかりに。少女は戸惑いの表情を浮かべながらも、母親に従った。

 我慢の限界だった。僕はきびすを返して、足早にその場から立ち去った。少女が「パイサ」と言うのだけは絶対に耳にしたくはなかった。この子は物乞いじゃない。そんなことさせるべきじゃないんだ。僕は母親に対してそう訴えたかったが、それを伝える術がなかった。背後では人々が「パイサ!」「パイサ!」と口々に叫んでいたが、二度と振り返らなかった。その場から逃げ出す以外、どうすることもできなかった。やっぱりインド人はわからない。僕はそう心の中で呟いていた。

 一年前に写真を撮ったとき、少女は本当に楽しそうに笑っていた。外国人のカメラが自分に向けられていることを素直に喜んでいた。一点の曇りのない笑顔だった。君の笑顔はこんなにも素敵なんだよ。そのことを伝えたくて、僕は再び少女の元を訪れたのだ。

 しかし僕が写真を持ってきたことが、逆に彼女の笑顔を曇らせてしまった。「豊かな国から来た外国人旅行者」という存在が、村人に「パイサ!」と口走らせ、少女を混乱させてしまったのだ。全てが逆効果だった。そう思うと、僕はやり場のない徒労感に襲われた。



 これが一度だけであれば、「あの家族は例外だったんだ」と考えることもできたのだが、残念ながらインドでは同じようなことが三度も起こったのである。いずれの場合も場面展開まで同じだった。まずはじめに誰かが「パイサ」と言い出す。すると周りの人間もつられて「パイサ」「パイサ」と連呼する。そうなるともう僕の手には負えず、ため息をついてその場を離れるしかないのだった。

 三度目はさらに奇妙だった。僕に「パイサ」要求を拒否されると、その相手は一転して「お前、飯はもう食べたのか? まだだったら食ってけよ」と誘ってきたのである。どないやねん!
 まったくもってわけがわからなかったが、断る理由もないので有り難くご馳走になった。パイサの件はそれっきり二度と出てこなかった。どないやねん!

 どうやらインドでは誰かにものをねだることも、誰かにものを与えることも、それほど特別なことではないらしい。そのときの気分次第で与える側に回ることもあるし、受け取る側に回ることもある。そしてそれが拒否されたところで、別に気にもとめないのだ。気まずい関係にはならないのだ。

 しかし、いくら「インド人はそういうものだ」と考えようとしても、実際に予想もしない場面で「お金くれ」と言われると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。すごくフレンドリーに話し掛けてきた人に突然「パイサ」と言われたらがっかりするし、パイサ目的だと思っていた子供の右手が、実は握手を求めていただけだったわかったときにはやはり自己嫌悪に襲われてしまうのだ。



 言ってみれば、それは伏せられたトランプを一枚一枚めくっていくみたいなものだった。絵札が出ることもあるし、ジョーカーが出ることもある。インドでは目の前の人がどんな反応を示すのか全く予想できないのだ。

 それならば、この状況を楽しんでしまおう。こちらの思惑や期待はひとまず脇に置いて、目の前の人の出方に正面から向き合おうじゃないか。そう思えるようになったのは、旅をはじめてからかなりの日数が経ってからのことだった。

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by butterfly-life | 2011-04-25 10:51 | インド一周旅行記
インド一周旅行記(2) 「エコ・サステイナブル・ビーチ」
■ インド一周旅行記(2) 「エコ・サステイナブル・ビーチ」

 旅の出発地点になったのはオリッサ州のプリーという町だった。ここでバイクを借りて、インド一周の旅を始めたわけである。
 プリーはいくつかの違う顔を持つ不思議な町だ。まず最初はインド人向けの観光地としての顔。プリーの中心には「ジャガンナート寺院」という有名なヒンドゥー教の寺院があり、インド各地から巡礼者を集めているのだ。



 僕のような外国人バックパッカーが集まる一角はまた違った顔を持っていて、そこには「さびれた楽園」とでも言うべき独特の空気が漂っていた。1970年代、プリーは安いマリファナと降り注ぐ太陽を求めて欧米人ヒッピーたちで賑わっていたのだが、ヒッピー文化の衰退と欧米人旅行者の目がゴアなどの西海岸のリゾート地に向いたことが重なって、次第に人気が下降していったようだ。今、この町で目立つのは40代から50代の「オールドヒッピー」たちである。彼らは若い頃に旅した思い出の地を再び訪れ、30年前と同じように日光浴をしたりマリファナを吸ったりしてリラックスしているのだった。



 僕自身はヒッピーではないし、ヒッピーカルチャーに憧れを感じたこともないのだが、プリーの町に漂うまったりとよどんだ空気は嫌いではなかった。ここには人気の観光地にありがちな土産物屋の必死さもリキシャ引きのしつこさもなく、地元の男たちと中年ヒッピーたちが一緒になって、ちょっと気怠そうに午後をやり過ごしている。そんな「ゆるさ」が心地よかった。

 この「さびれた楽園」を出て、浜辺を北へと歩いていくと、プリーのもうひとつの顔が見えてくる。
 ここにあるのは巨大な漁村である。住民の話によれば、ここに住む漁師とその家族は3万人にもなるというから、これはもう「村」ではなく「町」と呼ぶべき規模なのだが、その内実はまったくもって「村」そのものなのである。ひしめき合う家々はどれも適当な廃材と椰子の葉を組み合わせただけのおそろしく簡素なもので、ちょっとした嵐でも吹き飛んでしまいそうだったし、村には舗装された道がひとつもなく、もちろん水道も通っていないので、住民は共同の井戸から水を汲んでいる。トイレもない。ただのひとつもないのである。



 それじゃこの村の人々がどうやって用を足しているかというと、当然のようにみんな砂浜にしゃがみ込んでいるのだった。
 インドではトイレのない村がさほど珍しいものではない。山岳部の貧しい農村だと、草むらの中で用を足すのが普通である。けれども3万人もの人口を抱えている巨大な村にひとつもトイレがないとなると、話は別である。砂浜が汚物で埋め尽くされてしまうことにもなりかねない。

 日の出直後の浜辺は特にすごかった。右を見ても左を見て、お尻を剥き出しにしてしゃがみ込む男や子供の姿が目に飛び込んでくるのだ(ちなみに女性は近くの藪の中でこっそり用を足すのだそうだ)。目を覚ましたらまず便意を催すというのは、人類共通の習性なのである。
 黄色っぽいの、茶色っぽいの、大きいの、小さいの、水っぽいの、真っ直ぐで太いもの、とぐろを巻いたもの。浜辺には様々な種類の排泄物が散らばっていた。製作者によって色もかたちも違う。何だか陶芸の見本市を覗いているような気分だった。



 しかし実際のところ、この砂浜を歩くのは大変だった。うっかりよそ見なんかしようものなら、いたるところに散乱しているウンコの中に足を突っ込みかねないからだ。
 実際、アメリカ人のウィリアムはそんな悲劇に襲われていた。彼は打ち寄せる波を避けようとして、大きめの排泄物(堂々たるとぐろ!)に靴を突っ込んでしまったのだ。
「ファァァック!」
「シィィィット!」
 ウィリアムは大声で叫んだ。それはまさにファックかつシットな状況であり、それ以外の言葉はないという悲痛な叫びだった。
「決めた! 僕はもうプリーでは絶対に魚を食べない」
 ウィリアムはウンコだらけになったナイキのシューズを海水で洗いながら、腹立たしげに言った。
「どうして?」
「このウンコだらけの海で捕れた魚なんて、とても食べる気にはなれないから」
「ここの人のウンコを食べた魚は汚いってこと?」
「そうだよ。誰がそんなものを食べる?」
「インドでは無駄に想像力を使っちゃいけないんだよ」と僕は言った。「考えちゃダメなんだ。ブルース・リーも言っている。『Don't think. Feel』って。僕らはただインドを受け入れるしかない。この現実を」



 口ではそう言ってのけたものの、このウンコだらけの浜辺を受け入れるのは容易なことではなかった。ウンコはただそこに存在するだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と考えようとするのだが、どうしても「ばっちい」という感覚を捨てきれなかったのだ。
 散乱するウンコが見慣れたものになり、それほど汚いと感じなくなったのは、プリーの砂浜を歩くようになって2,3日経った頃だった。
 僕らはこの砂浜を「エコ・サステイナブル・ビーチ」と呼ぶことにした。環境持続型浜辺。村人が置き去りにした排泄物はいつかは波にさらわれ、海の水に溶ける。それがプランクトンの栄養になり、そのプランクトンを魚が食べ、その魚を漁民たちが食べ、それが消化され、再び排泄物となって海に還っていく。すべては循環している。



「合理的でエコなトイレだよ、これは」と僕は言った。
「考えようによってはね」とウィリアムは同意した。「でもなぁ、いくら海に還るといっても、この量はハンパじゃない。やっぱりトイレは作るべきだと思わないか?」
「まぁそうだね。でも今のところ村人はトイレを必要としていないから、トイレを作らないんじゃないのかな」
「必要は発明の母か・・・」
「そういうことだね」



 ところで、この「エコ・サステイナブル・ビーチ」のすぐ隣には、インド人のバカンス客向けのリゾートホテルと小綺麗なビーチがある。そこではシミひとつないサリーを着たご夫人とサングラスをかけたお父さんが並んで立ち、よそ行きのドレスを着た子供たちが楽しげに水遊びをしている。カラフルなビーチパラソルが並び、客寄せのためのラクダがもぐもぐと餌を食べている。
 このお金持ち用のビーチとウンコだらけのビーチは、わずか100メートルしか離れていない。あいだに仕切り線や柵があるわけでもない。それでもバカンス客が漁村に入ることは絶対にないし、漁民たちがバカンス用ビーチに立ち入ることも(もちろんそこで用を足すことも)ない。
 目には見えないが、確実に「壁」は存在しているのだ。「貧」と「富」を隔てる壁、あるいは「清」と「濁」を隔てる壁が。
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by butterfly-life | 2011-04-22 12:42 | インド一周旅行記
インド一周旅行記(1) 「バタフライ・ライフ」
本日からインド一周旅行記の集中連載をスタートします。
2007年と2009年の二度に分けて行った5ヶ月間に及ぶ「インド一周の旅」。移動に使ったのは小さなバイクでした。
だだっ広いインドという国を、隅から隅まで見て回った、2万2000キロの記録をどうぞお楽しみに。



■ インド一周旅行記(1) 「バタフライ・ライフ」

「それってまるでバタフライ・ライフね」
 とあるインド人の女の子は言った。
 小さなバイクに必要な荷物をくくりつけ、毎日違う町に行き、気が向いたところで泊まる。そんな僕の「根無し草」的旅暮らしを的確に表現してくれたわけだ。

 バタフライ・ライフ。素敵な言葉だ。
 花から花へひらひらと飛び移る、蝶のように気ままな旅。
 自分の旅のスタイルにぴったりの言葉だと思った。

 バイクにくくりつけたバックパックに入っているのは衣類や洗面道具。背中にはカメラとロードマップが入った小さなリュックを背負う。
 これで十分だ。これさえあれば、どこへだって行ける。
 身軽さが何より大切なのだ。

 この空の向こうに、どんな景色が広がっているのだろう。
 この道の先に、どんな人が待っているのだろう。
 期待と不安を胸に、僕はインドの道を走り続けた。南から北へ、西から東へ。だだっ広いインドという国を、隅から隅まで見て回った。

 蝶のように、軽やかに。



 TVSというインドの会社が作っている70ccのバイクが今回の旅の相棒だった。
 このフルスロットルでも時速60キロがせいぜいという安物の原付は、「バイク旅行」という言葉が持つワイルドな響き――大排気量のバイクに寝袋やテントを載せて荒野を突き進む映画「イージーライダー」のような世界――を見事に裏切る乗り物である。見た目も性能もかなり貧相な「街乗りスクーター」なのだ。



 インド人にも「おい、こんなちゃちなバイクでインドを一周できるはずがない」と本気で呆れられたり、「お前のモペットじゃ、この山は越えられんよ」と真顔で忠告されたりした。モペット(Moped)とは「原動機付き自転車」を指す英語なのだが、どうもインドでは「女や年寄りが乗るようなちゃちなバイク」という侮蔑的な意味が込められているようだった。

 事実、インドを走っているバイクは大柄なものばかりだ。エンジンの排気量自体は100ccから150ccとさほど大きくはないのだが、その重量感と流線型のシルエットがやたら男っぽいのである。革ジャンパーとブーツが似合いそうな乗り物なのだ。バイクというのは一家の主たる大人の男が扱うものであり、タフでマッチョな「なり」をしていないと格好がつかない――インドではそのような考え方が主流を占めているようだった。



「君は日本人なのに、どうしてホンダに乗っていないんだ?」
 そう聞かれることも多かった。インドでもっとも人気があるバイクメーカーはホンダであり、スズキやヤマハなどもシェアの上位を占めている。もちろん、日本製のバイクはインド製に比べると高価である。しかしその分故障が少なく、長く乗っていても壊れないんだ、とインド人は力説する。

 そのたびに僕はインド製のモペットを擁護する側に回った。車体が軽くて取り回しがしやすいこと、面倒なギアチェンジやクラッチ操作の必要がないから乗りやすいこと、構造がシンプルで故障も少ないことなどをとくとくと説明したのだが、しかし何だって日本人の僕がインド製バイクの優秀さをインド人に語らにゃならんのだ、と思わないでもなかった。

 もちろん70ccではパワー不足を感じる局面もあったが、ノロノロ運転なのを覚悟すれば山道を登り切ることもできるし、排気量が小さい分燃費も良好だった。1日わずか125ルピー(340円)のレンタル代の安さも大きな魅力だった。1日3ドル。たったそれだけで旅の行動範囲が大きく広がったのである。



 「モペット」という名前の響きも良かった。日本では「ミニバイク」とか「スクーター」などと呼ばれているが、なぜ「モペット」というポップな愛称が広まらなかったのか不思議である。「マイ・リトル・モペット」なんて女の子に受けると思うんだけど。

 モペットは僕にぴったりの乗り物だった。田舎道をのんびりと走りながら、何か面白いものが目に入るとすぐにバイクを止め、カメラを携えて歩き出す――そんな自由気ままな旅のスタイルと実に相性が良かったのである。

 移動手段が旅を作るのだと僕は思う。何に乗るかによって、旅で遭遇するトラブルの質も、出会う人の種類も大きく違ってくるはずだから。

 モペットの旅は一言でいえばローアングルの旅である。高みから見下ろすのではなくて、地べたを這うような低い位置からの土くさい旅だ。そこに住む人々のありのままの姿を間近で感じられる旅だ。
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by butterfly-life | 2011-04-20 11:11 | インド一周旅行記