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インド人の働く男はなぜあんなにカッコいいのか
■ インド一周旅行記(26) 「カラフルな女とマッチョな男」 バックナンバーはこちら ■

 足の裏がやけどしそうに熱くなった真昼の砂浜を、一人でとぼとぼと歩いていた。アンドラ・プラデシュ州の海岸線沿いに点在する小さな漁村にバイクを止めて、海に向かって歩き出したまではよかったのだが、あまりの暑さと足元をすくう柔らかな砂地に、すぐに足どりが重くなってしまった。

 砂浜には十隻ほどの漁船が船底を空に向けた格好で並んでいる。今日の漁はすでに終わったのだろう。夜明け前に船を出して、明け方頃に浜に戻ってくる。そのような近海漁業を営んでいる集落のようだ。村人は家で昼寝でもしているのだろう。活気のない漁村ほどつまらないものはない。

 仕方ない、引き返すか。そう思って頭を上げたときに、思いがけないものが目に飛び込んできた。鮮やかな赤いサリーを身にまとって漁網を引く女たちの姿だった。



 なんて美しいんだろう。
 白い砂と青い海。その単調な世界に混じった赤い点。その組み合わせが絶妙だった。ありふれた日常の中に宿る偶然の輝き。
 僕が探し続けていたのは、こんなシーンだったのだ。そう直感した。

 女たちは砂浜に足を踏ん張って、沖に仕掛けた漁網をぐいぐいと引き上げていた。それは紛れもない力仕事の現場だった。誰が見ているわけでもなかった。それなのに女たちはまるでハレの日のような鮮やかな衣装を身につけていたのだ。

 普段着がやたらと色鮮やかなのは、漁民だけに限ったことではなかった。畑を耕す女も、工事現場で日雇い労働をしている女も、やはり赤や黄色といった派手な原色のサリーを身につけていたのである。


[労働の現場でも派手なサリー姿で通す]





 アンドラ・プラデシュ州に住む少数民族の女たちの衣装もユニークだった。鏡がいくつも縫い付けてある派手なブラウスを着て、腕には十個以上もの白い腕輪をジャラジャラとつけているのだ。これが普段着なのである。

 しかし彼女たちのジャラジャラとした腕輪は、田植えや綿花の収穫のときには明らかに邪魔なものである。どう考えても、腕輪を外した方が仕事の能率は上がるはずだ。それでも彼女たちが腕輪を外さないのは、効率や合理性を超えたもの――端的に言えば「美意識」――を大切にしているからだと思う。




[田植えの邪魔になっても腕輪は外さない]

 伝統的な美しさとは常に一定の非合理性を含んでいる。逆に言えば、他人から見れば理屈に合わないような奇習の中にこそ、美の源泉があるのではないか。インド人の伝統に対するある種のかたくなさを見ると、そんな風にも思うのである。

 インド人は自分たちの伝統文化に対して強い誇りを持っている。極めて保守的だと言ってもいいだろう。特に女性にはその傾向が強く、それはインド女性の大半がいまだに民族衣装であるサリー姿を貫き通していることからもうかがえる。デリーなどの大都会ではTシャツにジーンズ姿の若い女の子を見かけることもあるが、田舎ではそのような欧米スタイルは皆無といってもいい。和服を着るのは成人式や結婚式といった場面に限られてしまった日本の現状とは正反対だ。

 もちろんインド女性がサリーを好むのはファッションに対する「かたくなさ」の表れだけではない。根強いサリー人気の背景には「洗濯のしやすさ」という要因があることも見逃せない。サリーは一枚の長い布であり、普段着用なら生地も薄いので、とても簡単に洗濯できるのだ。だから、たとえ力仕事の現場でサリーが汚れてしまっても、すぐに洗うことができるのである。


[インド流のお洗濯]



 インド人は洗濯好きである。ため池や川岸、井戸や滝のそばなど、水のあるところに行けば、そこには必ずサリーを洗濯する女たちの姿がある。
 インド流の洗濯は、衣服を手に持って大きく振りかぶってから、思い切り石に打ち付ける豪快なものだ。バシン、バシンという景気のいい音が、あたりに響き渡る。そうやって洗濯の終わったサリーはすぐに地面に広げておけばいい。強い日差しと乾燥した空気によって、たちどころに乾いてしまうのである。



 カラフルな女たちとは正反対なのが、男たちだった。南インドの男たちはルンギーと呼ばれる腰布を巻くスタイルを基本としているのだが、汚れたり破れたりしている服をそのまま着ている人も多く、女たちのように身なりに気を配っている人はあまりいなかった。

 にもかかわらず、僕はインドの男たちに強く惹かれるものを感じていた。あるいはカラフルな女たちよりも、被写体としての魅力は上だったかもしれない。それは彼らが贅肉など一切ない引き締まった肉体を持っていたからだった。上半身裸になり、汗をしたたらせながら働く筋肉質の男たちには、無駄なもののないシンプルな美しさが宿っていた。必要なものが必要なだけある機能的な美。それがインド人男性の美しさの本質だった。







 インドでは、南に下れば下るほど人々の肌の色が黒くなる傾向があるのだが、その南インドの男たちの褐色の肌が焼け付くような太陽光線に照らされると、まるで上質の漆器のようにつややかに輝くのだった。
 肉体というのは、それだけでとても美しいものなのだ。僕は改めてそう感じた。

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by butterfly-life | 2011-05-30 13:21 | インド一周旅行記
インドの奇岩がどう見ても巨大なペ○スにしか見えない件
■ インド一周旅行記(20) 「何かに似た岩」 バックナンバーはこちら ■

 タミルナドゥ州とアンドラ・プラデシュ州との州境にあたる辺境地域は、人の住む集落もまばらにしかなく、立ち並ぶ椰子の木以外これといって見るべきもののない平凡な土地だった。僕は襲ってくる眠気と戦いながら、この退屈なメジャー・ロードをひた走っていた。
 そのときだった。目の前に不思議なかたちをした岩が忽然と現れたのだ。岩山自体はごく普通のかたちなのだが、山の斜面に突き立った細長い岩が目を引いた。まるで空から巨大な矢が落ちてきて、山の中腹に突き刺さっているように見えたのである。



 しかし本当に驚いたのは、岩のかたちがはっきりとわかる距離にまで近づいてからだった。何かに似ているな、と思ったのである。それに気付いた瞬間、自然と笑いがこみ上げてきた。
 どう見てもアレなのだ。アレにしか見えないのだ。そう、その岩は高さ10mに達しようかという巨大なペニスのかたちをしていたのである。

 違う角度から眺めてみても、やはりそれはペニスだった。ペニス以外の何ものでもなかった。
 この地域には不思議なかたちに削れた奇岩がそこかしこに点在している。岩山が風化の影響を受けやすい花崗岩でできているためだ。しかし自然の力だけでここまで精緻にペニスの形状が再現されているというのは、ほとんど奇跡に近いことではないだろうか。まさに自然の驚異である。



 僕は進路を変更して、ペニス岩をぐるりと回り込むように延びる道路を進んでみることにした。毎日この山を見上げている地元住民が、この岩のことをどう思っているのか気になったのだ。
 ペニス岩の真下まで行ってバイクを止めた。そして、天空に向けてそそり立つ巨大ペニスの偉容を、改めて写真に収めた。すると期待通り、近くの集落に住む人々が物珍しそうに集まってきた。

「あんた何撮っているんだ?」
 一人の若者が不思議そうに訊ねた。
「あれだよ、あれ」と僕はペニス岩を指さした。「とても変わった形をしているからね」
「ああ、そうだね」
 と彼は頷いた。そしてペニス岩を眩しそうに見上げて、再び僕の方に視線を戻した。僕は彼の表情を注意深く観察していたのだが、そこには何の変化も見られなかった。「やっぱりお前も気付いたか、ふふふ」というような含み笑いが浮かぶのではないかと密かに期待していたのだが、そんなそぶりは全く見られなかった。



「この岩の名前は?」
 と僕は訊ねた。特別な岩なら、名前ぐらい付いているだろうと思ったのだ。
「名前? そんなものはないよ。美しい岩。それだけだ」
 彼の返事は素っ気なかった。
「美しい岩?」
「ああ、美しいだろ?」
「そりゃまぁ、そうだけど・・・」
 僕は仕方なく同意した。確かにビューティフルだ。アメージングだ。しかし僕が聞きたいのは、そういうことではないのだ。この岩が他の何かに似ていないか、ということなのだ。より具体的にいえば男性器に。
 でも大勢の村人が集まっている前で、まさか「ペニスに似ていると思わないか?」と聞くわけにもいかないので、村人たちの本心を探ることはできなかった。

 インドでは男性器それ自体がタブー視されているわけではない。ヒンドゥー教のシヴァ神を祀る寺院には「リンガ」と呼ばれる円柱状の石が置かれているのだが、これは男性器を象徴するものである。ヒンドゥー教には昔からこの「リンガ」を女性器の象徴である「ヨーニ」と合わせて「豊穣の象徴」として祈る伝統があるのだ。


[これがヒンドゥー寺院に置かれているリンガ]

 だからこそ、僕はこの奇岩がただの「名もなき岩」として放置されていることが信じられなかった。このような巨大なリンガが大地にそそり立っている場所なんて滅多にないのだから、多くの巡礼者が訪れる聖地になっていても良さそうなのに。こんなユニークな観光資源を死蔵させておくなんてもったいない。などと考えてしまうのだ。

 あるいはこの岩をペニスに見立ててしまう僕の目には、卑猥なフィルターがかかっているのかもしれない。盛りのついた男子中学生みたいに、身の回りのものを何でもかんでも性的な事柄に結びつけようとしているだけなのかもしれない。その可能性も捨てきれない。

 だから僕はこの場にペニス岩を公開し、皆さんに問いたいのだ。
「この岩は何に見えますか?」

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by butterfly-life | 2011-05-26 13:20 | インド一周旅行記
インドの牛にとってもっとも迷惑な一日
■ インド一周旅行記(16) 「牛のためのポンガル」 バックナンバーはこちら ■

 ムルガン信徒たちが自らの体を痛めつける過激な儀式を行った翌日は、南インドの収穫祭「ポンガル」初日だった。
 ポンガルは日本人にとってのお正月とよく似ていて、その期間中は学校や役所も休みになり、都会に出ている人も田舎に帰省して家族と一緒に祝う大切な行事なのだが、その朝は意外なほど静かに明けた。爆竹もロケット花火もお神輿もなし。前日の盛り上がりとは対照的だった。


[ポンガル初日には子供たちにサトウキビが配られる]

 ただひとついつもと様子が違っていたのは、女たちが家の前に即席のかまどを作って、そこでお米を炊いていることだった。ミルクとサトウキビで甘く炊いたご飯。それを南インドではポンガルと呼び、それがお祭りの名前にもなっているのだ。日本で言えばお正月のお雑煮みたいなものである。僕もご馳走になったが、ミルクの他にココナッツやカルダモンなども入っていて、なかなか美味しかった。


[ポンガルの朝。家の前で甘いおかゆを炊く]

 出来上がったポンガルは、家族で食べる前に、まず家の屋根の上に放り投げられる。カラスにやるためだそうだ。ヒンドゥー教ではカラスは神の使いなのだという。
「日本にもカラスはいるのか」と聞かれたので、
「たくさんいるが、嫌われている」と答えると、ちょっと残念そうな顔をされた。


[ポンガルを屋根の上に投げる]

 ポンガル二日目は「牛のためのポンガル」と呼ばれている。インドの農村ではミルク用として、あるいは畑仕事のための労働力としてたくさんの牛を飼っているのだが、この日は牛たちに感謝し、日頃の労をねぎらうのだという。

 まず、牛たちの角や体にペンキを使って彩色を施していく。牛の角を赤と白の縞模様に塗る人。ペンキに浸した手の平を牛の体にペタペタと押しつける人。コップを使って丸い輪の模様を描く人。人々は思い思いの方法で、自分の牛をデコレーションしていく。







 牛の飾り付けが終わると、例の甘いご飯・ポンガルが牛たちに振る舞われる。炊きたてのポンガルを牛に与えるのは、村の長老の役割である。長老は左手にポンガルの入った器を持ち、右手でポンガルをすくって、直接牛の口に入れていく。「美味しいポンガルをたくさん食べて、明日からも頑張って働いてくださいね」という意味のパフォーマンスなのだが、実際には牛たちはポンガルに何の興味を示していない。もともと牛というのは草や雑穀などを食べて暮らしているわけで、一年に一度だけ甘く味付けたご飯を食べろと言われても、「そんなのヤだよー」というリアクションにしかならないのである。人が美味しいと感じるものを、牛が好むとは限らないのだ。


[牛用のポンガルを炊く。鍋がぐつぐつと沸騰を始めると、女たちはネイティブ・アメリカンような雄叫びを上げた。]

 しかしポンガルを嫌がる牛に対して、長老は容赦しなかった。飼い主の男が両手で牛の口を無理矢理に開かせ、そのわずかな隙間を狙って長老はポンガルを押し込もうとする。
 インドでは「ヒンドゥー教では牛は神様の使いなので、牛を殺すのも食べるのもタブーだし、牛は大切に飼われている」という話をよく聞く。確かにヒンドゥー教徒は牛肉を食べないが、だからといって「大切に飼われている」というのは眉唾だと思う。


[嫌がる牛の口にポンガルをねじ込む]

 この「牛のためのポンガル」がまさにそうである。牛が「今日は特別な日だから、角にペンキを塗られて嬉しいな」と感じているとは思えないし、慣れない食べ物を無理矢理口に入れられるのだって腹立たしいだけではないか。牛の立場に立てば、ポンガルなんてただの有り難迷惑な一日なのではないだろうか。

 そんな僕の見方を裏付けるように、突然一頭の若い雄牛が暴れ出した。その雄牛はポンガルを口に入れられるのがよほど嫌だったらしく、激しく頭を振って飼い主の手綱をふりほどくと、間近で写真を撮っていた僕の右足に重い頭突きを一発食らわしてから、猛然と草原の方へ走り去ったのだった。これには周囲の村人たちも呆気にとられていた。

 幸いなことに、僕の右足は軽い打撲で済んだ。もし尖った牛の角をぐさりと突き立てられていたら、大怪我を負っていたに違いない。間一髪であった。

 僕は部外者なんだよ。嫌いなものを無理に食べさせられているあんたに、ちょっと同情していたぐらいなんだ。
 僕は雄牛にそう訴えたかったが、頭に血が上った彼にその声が届くはずもなかった。

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by butterfly-life | 2011-05-23 18:18 | インド一周旅行記
インドにおける「タブー」とはけっこういい加減なものだったりする
■ インド一周旅行記(15) 「タブーの現実」の意味 バックナンバーはこちら ■

 さすがに年に一度の祭りだけあって、ティルチェンドゥール寺院の混雑ぶりはすごかった。案内してくれたクマルによれば、巡礼者の数は今日一日だけで数万人に達するという。初詣で賑わう元日の神社のようだ。巡礼者目当ての土産物屋も大いに繁盛しているし、施しを受けようと並んでいる物乞いの数もやたらと多かった。


[大勢の巡礼者で賑わうティルチェンドゥール寺院]


[海に面した沐浴場は芋を洗うような混雑ぶり]



 ところで、インドの寺院に入る際には裸足にならなければいけないという決まりがある。寺院の入り口には必ず履き物を預ける場所があって、そこに脱いだサンダルや靴を預けるのだ。似たような習慣はインドだけでなく、仏教国であるタイやミャンマーなどにもある。「聖なる場所を土足で汚してはならない」というわけだ。

 しかしインドの寺院を歩いていていつも不思議に思うのは、その「聖なる場所」の汚さである。例えばティルチェンドゥール寺院の回廊の横では巡礼者が当たり前のように小便をしているし、野良牛のぼってりとした糞が落ちていたりもする。寺院の境内で寝泊まりしている信徒たちが出すゴミや残飯も散らかり放題。一体これのどこが「土足禁止の聖なる場所」なのかと首をかしげなくなってしまう。



 とりあえず土足禁止のルールは守る。しかしそれが理にかなっているかどうかにはこだわらない。
 そのようなインド人の大雑把な性格は、稲の収穫をしている人々を写真に撮ろうとしたときにも感じた。インドでは稲刈りも土足で行ってはいけない仕事なのだが、僕はそのことを知らずに近づいてしまい、ものすごい剣幕で怒られたのだ。

「収穫した稲はいずれ口に入るもの。だから土足で踏んではいけない」
 カマを手にした女が身振りを使って教えてくれた。僕は慌ててサンダルを脱ぎ、素直に謝った。タブーを知らなかった僕の落ち度である。申し訳ない。


[裸足で稲刈りをする女たち]

 ところが、である。このあと女たちはなんとも不可解な行動に出たのだった。刈り取ったばかりの大切な稲穂を、すぐ横を通る道路の上に並べ始めたのだ。もちろん道路には大型トラックやバスが走っており、稲穂は大型タイヤで踏んづけられることになる。

 実は農民たちは「わざと」稲穂を踏ませているのだった。そうやって稲の脱穀を行っていたのである。インドには様々な脱穀方法があって、人の手を使う場合もあるし、牛に踏ませることもあるのだが、この道行くトラックに踏ませるやり方は安上がりで楽な脱穀法として、わりあい普通に行われているようなのだ。


[稲穂を踏んでいくトラック]

 正直、「それでいいのかよ」と思った。何だか騙されたような気分だった。収穫した稲を土足で踏むのは禁止だが、トラックのタイヤが踏みつける分にはOK。この理屈が通るためには、「トラックのタイヤよりも人の靴の裏の方が汚れている」ということになるわけだが、どう頭をひねってみてもそんな風には思えなかったのである。靴の裏が汚いのなら、タイヤだって同じように汚いはずだ。

 インド人は「浄」と「不浄」を分けて考える、とよく言われる。左手は用を足すときに使う「不浄」の手だから、ご飯を食べるときには右手しか使わない、という話もよく聞く。しかし実際には、食事の時に左手をちょこっと使う人は多い。右手だけだと何かと不便なのだろう。

 その辺のいい加減さというかおおらかさがインド人の本質だという気もする。確かにタブーは存在するし、建前としてはそれをみんなが守っているのだが、現実にはそれほどガチガチに固まったものではなく、「ま、それでいいんじゃないの」という程度のゆるいもののようなのだ。

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by butterfly-life | 2011-05-20 08:44 | インド一周旅行記
ある「はたらきもの」の最期
 大分県佐伯市直川で60年にわたって山で木を切り続けていた鉄山さんに出会ったのは、去年の3月18日のこと。丸太を運んでいるところにたまたまリキシャで通りかかったので、話を聞かせていただいた。
 輸入材に押されて木材の価格が下落し、採算が合わなくなって放置されている山も多い中、鉄山さんは息子さんたちと共に現役で林業を続けていた。林業一筋60年。代々森と共に暮らしてきた人だった。
 太い杉の丸太を載せた機械を押しながら坂道を歩く。その力強い姿は、今でもはっきりと目に焼き付いている。

 その鉄山さんが昨日、事故で亡くなったという。NHK大分放送局のニュースで次のように伝えられた。

[18日午前9時ごろ、佐伯市木立の山の中で、佐伯市直川の自営業、鉄山昌美さん(75)が、直径およそ40センチ、長さおよそ30メートルの杉の木の下敷きになっているのを、近くに住む人が見つけました。鉄山さんは病院に運ばれましたが、頭などを強く打っていて、およそ2時間後に死亡が確認されました。佐伯警察署によりますと、鉄山さんはけさから1人で材木用の杉の木を伐採していたということです。現場は佐伯市の中心部から南東に3キロほど離れた山の中で、警察では、鉄山さんが倒れてきた木の下敷きになって死亡したものと見て、当時の状況を詳しく調べています。]





 鉄山さんの右手の人差し指と中指は、第二関節から先がなかった。杉を切り倒していたときの事故で失ったという。何トンという重量を相手にするだけに、一瞬でも気を抜くと大怪我をする仕事でもある。
「木がどっちに倒れるか見極めんのが難しいんよ」と鉄山さんは言った。「それに木が倒れようときに、倒れる木に気を取られとると、根っこが地面から持ち上がってきて怪我するときがある」



 倒れてくる木の怖さを誰よりもよく知っていた鉄山さんのことだから、事故に遭わないように細心の注意を払っていたはずだ。それでも事故は起こってしまった。何か他のことに気を取られたのかもしれない。一瞬の判断力が鈍っていたのかもしれない。しまった、と思ったときにはもう遅かったのだろう。

 「本望」という言葉は軽々に使いたくはないが、それでも半世紀以上山で暮らしてきた男の最期として「山」以上にふさわしい場所はなかったのではないかと思う。
 鉄山さんにとって山は仕事場であり、生きがいであり、還るべき場所だったのではないか。

 75になってもなお現役で木を切り続けた本物の「はたらきもの」鉄山さんのご冥福を心からお祈りします。


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by butterfly-life | 2011-05-19 12:21 | リキシャで日本一周
インドの痛すぎる祭りで、男は顔に鉄の棒を突き刺した
■ インド一周旅行記(14) 「痛い祭り」の意味 バックナンバーはこちら ■

 過激さで言えば、タミル・ナドゥ州のティルシェンドゥールで行われていた祭りも相当に過激なものだった。
 それは南インドの収穫祭「ポンガル」の前日に行われていた祭りで、ヒンドゥー教の神様である「ムルガン」を信仰する人々が各地から集結し、列をなして寺院の本堂のまわりをぐるぐる回るというものだった。



 まず目を引くのは、行列の先頭にいる男である。彼は地面に寝転がって、体を丸太のようにゴロゴロと回転させながら進んでいく。スピードは速い。坂道を転がる酒樽ような勢いだ。一種のトランス状態になっているらしく、目を閉じたまま一直線に転がっていく。この男の後ろには、彼の体に白い粉を振りかける役目の男が控えている。この粉は擦り傷を防止するためのものだそうだ(が、僕の目には天ぷらの下ごしらえをしているように映った)。

 この「転がり男」も痛そうだったが、それよりもさらに上を行くのが列の最後を歩いている「串刺し男」だった。彼は直径が1センチ近くもある太い鉄の棒を頬にずぶっと突き刺した状態で歩いていたのだ。これは見るからに痛い。「矢ガモ」ならぬ「矢男」である。よく失神しないものだと思う。パキスタンで見た「アーシュラー」も過激この上ない祭りだったが、それに匹敵する痛さであった。





 この過激きわまりない行列は、長い回廊をゆっくりと一周すると、本堂の前で輪になって踊る。緑色の腰布だけを身につけた男たちが、燃え上がる火柱のまわりを激しく踊りながら回るのである。仲間が踊りをおどるあいだ、「転がり男」は寝そべったままじっと目を閉じていた。「串刺し男」の方は顔を斜め上にあげ、苦しそうな表情のままで待機していた。
 踊りが終わると、一行は本堂の中へと消えた。そこでムルガン神に捧げる儀式が行われるとのことだが、異教徒の立ち入りは禁じられているので、その儀式がどういうものであるのかはわからなかった。





「この祭りには一体どんな意味があるんですか?」
 僕は寺院で知り合ったクマルという名前の若者に訊ねてみた。彼もムルガン神を信仰する一人で、遠くの村からバスで4時間もかけてこの寺院にやってきたという。
「祭りの意味ですか?」
 彼は困ったように顔をしかめて、しばらく考え込んだ。
「さぁ・・・わかりません。意味なんてないんじゃないですか」
 そんな答えが返ってくるんじゃないかという予感はあった。祭りに意味なんてないと言われたのは、これが初めてではなかったからだ。

 もともと何らかの意味はあったのだが、年月を経るにしたがって忘れ去られていったのか。それとも最初から意味なんてなかったのか。そのあたりのことはよくわからない。いずれしても、信徒にとって大切なのは祭りの意味を問うことなどではなく、昔から受け継がれてきた儀式に参加し、それを次の世代へと伝えていくことなのだろう。

 「アイヤッパの火渡り」や「蛍光灯割り」にも見られたように、インドの祭りには「自分の体を痛めつけて、神への信仰心を示す」ような儀式が多い。まさに「熱狂」という言葉が相応しいような体の芯から沸き起こってくる熱い信仰が、人を痛みへと駆り立てる。その痛みが大きければ大きいほど、信仰の強さが証明される、とでも言うように。



 特定の信仰を持たない僕のような人間にとって、このような「揺るぎなき信仰」は大いなる謎である。彼らが何に熱狂し、どうして自らを痛めつけるのか。その根っこの部分を理解することはできない。
 しかしヒンドゥー教徒ではない僕にも、その場を支配する圧倒的なエネルギーを感じることはできた。頭ではなく、皮膚を通した身体感覚として。

 祭りの熱気が最高潮に達すると、その場の空気がびりびりと震えるのがわかった。誰かが感じた痛みが、その場に居合わせた人々に次々に伝播し、やがてそれが大きな波となって祭り全体を包んでいくのだ。痛みを媒質にした「場の共振性」のようなものが空気を震わせている。そのように拡散した感情の波は、ふたたび炎の前で踊り狂う男たちの元に凝縮され、激しく渦を巻きながら空へと昇っていく。



 単純にすごかった。体の奥が熱くなった。
 確かに「意味」を問うなんてナンセンスなのだと思った。
 祭りは考えるのではなく、感じるものなのだ。渦の中に身を委ね、巻き込まれるものなのだ。



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by butterfly-life | 2011-05-16 10:48 | インド一周旅行記
人の頭で蛍光灯を叩き割るというインドの過激な祭り
■ インド一周旅行記(13) 蛍光灯を叩き割れ バックナンバーはこちら ■

 インド人はお祭り好きである。「インドでは一年中祭りが開かれている」という言い方もあるぐらいで、実際ほぼ毎日のように何かの祭りに遭遇した。

 アンドラプラデシュ州東部にあるチララという町で行われていた祭りは、なかなかユニークだった。
 はじまりはごく普通だった。景気づけのロケット花火がぼんぼんと打ち上がり、生バンドによる演奏が行われ、伝統舞踊「サームガラディ」が披露された。サームガラディは新体操のリボンの演技とマーシャルアーツをミックスしたような不思議なダンスで、見応えがあったが、なかなか見応えがあった。


[ロケット花火はインドの祭りに欠かせないアイテムだ]


[伝統舞踊「サームガラディ」]

 そのあとに現れたのは、棒状の蛍光灯を手にした男たちだった。電極の近くが黒ずんでいるから、もう使えない廃品なのだろう。彼らは一人の男を中心に立たせて、それを取り囲むように輪になった。中心にいる男は仰向けに寝転がり、両手両足を地面に着けて体を反らす「ブリッジ」の体勢を取った。



 いったい何が始まるのだろう。観衆が固唾を飲んで見守る中、「うりゃー!」という掛け声と共に、蛍光灯が振り上げられた。振り下ろした先は、ブリッジをする男の腹の上だった。スイカ割りの要領で叩きつけられた蛍光灯は、その衝撃で粉みじんに砕け、あたり一面に白い破片を飛び散らした。見るからに痛そうである。しかしブリッジの男は全く動じない。この程度の打撃など効くわけがない、というそぶりなのだ。



 そのあとも古い蛍光灯による攻撃は何度も繰り返された。腹だけでなく、頭や胸にも蛍光灯が振り下ろされた。用意された20本ほどの蛍光灯が全て粉々になると、ようやく儀式は終わった。





 集まった観客の一人に話を聞いてみると、この祭りは新しい寺院の建立を祝う目的で行われているとのことだった。
「お寺に新しい神様を迎えるときには、昔からこういう儀式をするんです」と彼は言う。
 花火や音楽や演舞といったパフォーマンスが古来より神に捧げられてきたというのは理解できる。しかし、あの「蛍光灯割り」はどう考えても「昔から」行われていたものではあるまい。インドで蛍光灯が普及してだしてから、まだ20年ぐらいしか経っていないだろうから。

 それにしても、いったい誰が「古い蛍光灯を叩き割ってやろう」なんてことを思い付いたのだろう。天才というか馬鹿というか、過激な発想力を持つ先駆者が「これは使える!」と閃いたのだろうか。そしてそのアイデアをさっそく実行に移してみたのだろう。そして気付いたのだ。破片が派手に飛び散って迫力があるし、そのわりに叩かれた方の痛みはそれほどでもない(?)ことに。しかも廃品を使うから、コストも安くて済む。おぉこれは素晴らしいってことで、たちまちインド各地に広まっていったのではないか、というのが僕の推測である。

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by butterfly-life | 2011-05-12 08:52 | インド一周旅行記
巨大な炭火コンロの上を歩く男たち
■ インド一周旅行記(12) アイヤッパの火渡り バックナンバーはこちら ■

 広場の中心では、儀式の準備が進んでいた。まず一本の大木が運ばれてきて、それに火が放たれる。木はしばらくのあいだ勢いよく燃えさかり、暗闇の中に無数の火の粉を舞い散らせる。それから数人の男たちが火かき棒を振るって木を砕き、無数の炭の断片を作る。その炭を3メートル四方ほどの浅い穴に敷き詰めていく。それから大きなうちわを持った男がやってきて、敷き詰めた炭に風を送り込む。新鮮な空気を送られた炭はさらに温度を上げて、オレンジ色に輝き始める。凄まじい熱風が僕らの方にも吹きつけてくる。早い話、巨大な「焼き鳥用の炭火コンロ」が完成したわけである。


[大木に火が放たれ]


[浅い穴に炭を敷き詰め]


[うちわで炭に風を送り込む]

 この炭火コンロの上を裸足で歩くのが、この儀式のハイライトである。これは理屈抜きで凄かった。真っ赤に燃える炭火の表面が何百度なのかは知らないが、とんでもない高温であることは間違いない。そこをわざわざ裸足で渡るのである。なるべく涼しい顔をして。
「あなたは毎年火の上を走っているんですか?」
 僕は親切な大男に訊ねてみた。炭火を渡り終えたばかりの彼は、すぐに二巡目の行列に並ぼうとしていた。信徒たちは炭火が消えるまで何度も何度も火渡りを繰り返すのである。



「走るんじゃない。歩くんだ」
 彼はやや憮然とした口調で訂正した。
「もちろん、この儀式には毎年参加している」
「足の裏は何ともない?」
「ノープロブレム。熱いとも感じないさ。なぜならアイヤッパが我々を守ってくださるからだ。神様は全てを見ているんだ!」
 彼は分厚い胸をさらに反らせて言った。しかしそうは言っても、炭火の表面が高温なのは動かしがたい事実である。神様がいてもいなくても、然るべき時間が経てば炭火の上の焼き鳥はこんがりと焼ける。その物理現象に対する肉体的な反応を、信仰心と精神力でもってどのように押さえ込むか。それがこの儀式のポイントだった。彼らは忍耐と集中力の限界を試しているのだ。


[熱い炭の上を涼しい顔で歩く男。すごい]

 日本にも「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がある。しかし、実際にその境地にまで達した人はインドにもなかなかいないようだった。「走るんじゃない。歩くんだ」と大男は言ったが、僕の見たところ「歩いている」と認定できる人は少数であり、大多数の信徒は炭の上を小走りで駆け抜けていたのだ。神様が守ってくれたって、やはり熱いものは熱いのである。

 しかし、集まっている観衆の反応はシビアだった。ぴょんぴょんぴょんと三段跳びの要領で炭を飛び越えていくようなヤワな信徒には、失笑と容赦のないブーイングが浴びせられ、まるで子犬を連れて公園を散歩しているかのように涼しい顔でゆっくりと歩く男には、惜しみない賞賛の声が送られるのだった。


[小走りの男にはブーイングが浴びせられる]

 火渡りを行った信徒は全部で百人ほどだったが、その中には子供も含まれていた。10歳ぐらいの女の子も二人いた。彼女たちも大人と同じように真っ黒い服を着て炭火の前に立ったのだが、その後の行動は対照的だった。ショートカットの女の子は「ヤー!」という叫び声を上げながら一気に走り抜けたのだが、もう一人の髪の長い子はあまりの熱気に足がすくんでしまい、ついに泣き出してしまったのだ。
 この熱風だもの。ビビるのが当たり前だよ。僕は心から彼女に同情した。


[火渡りをやり遂げた子もいたが...]


[恐怖のあまり泣き出してしまう子もいた。]

 午後11時半に始まった火渡りの儀式は興奮のうちにピークを迎え、その熱気の渦は見守る観衆にも飛び火していった。儀式を行う信徒たちと一般の観衆のあいだは木の柵で仕切られているのだが、興奮を抑えきれなくなった人々が我先にと柵を乗り越えて中に入り始めたのだ。まるでベルリンの壁の崩壊を喜ぶ東ベルリン市民のような勢いで。

 会場は大混乱に陥るかに見えたが、祭りの運営側もこうした事態を予測していたらく、すぐさま対策が講じられた。柵を乗り越えた人々は、十人以上いる警察官によってことごとく追い払われたのである。警官は乱暴である。手に持った長い棒で人々の背中を思いきり叩くのだ。相手が女だろうが子供だろうが容赦しない。ひっつかんでは叩き、ひっつかんでは叩く。そうすると人の波はさーっと引いていくのだが、しばらくするとまた懲りない人々が柵を乗り越えようとする。それを見つけた警察官がボコボコに叩く。また波が引く。まるでモグラ叩きをしているかのような観衆と警官の攻防戦は、儀式が終わるまで延々と繰り返されたのだった。

 それはあまりにもインド的な光景だった。人を殴ることを何とも思わない威張りくさった警察官と、決められたルールを遵守する気のない自分勝手な人々。どちらも大真面目なだけに、そこに含まれる滑稽さも際立っていた。
 宗教的情熱と無秩序とエゴと暴力。それらすべてが激しく混ざり合っていた。そしてその中心には、真っ赤な炭の上を悠然と歩く男たちがいた。
 燃えているのはインドそのものだった。
 なんて面白い国なんだ、ここは。腹の底からそう思える夜だった。




 ところで、このアイヤッパの火渡りには、エピローグとでも呼ぶべき話がある。
 火渡りの夜から二日後の朝のことである。そのとき僕はマフブババードから100kmほど離れたワランガルという町の食堂で朝食を食べていた。いつものようにワラというソース付きのドーナツを食べ、食後に甘いチャイを飲んだ。そのときだった。隣のテーブルに座っていた男が、不意に声を掛けてきたのだ。

「イッツ・ユー?」
 彼はたどたどしい英語でそう言うと、読んでいた新聞を広げて見せてくれた。確かにそこには僕の顔写真が載っていたのだった。
「イエス! イッツ・ミー!」
 僕は驚いて言った。それは火渡りについて書かれた記事だった。たぶん僕にカメラのスペックを詳しく訊ねていたあのカメラマンが書いたものなのだろう。


[カラー刷りの新聞。(2)の写真の左に立っているのが僕だ]

 おかしかったのは、肝心の火渡りの写真よりも、僕の顔の方が大きく扱われていることだった。彼が持っていた安いデジカメでは、夜の祭りがうまく写らなかったのかもしれない。それとも祭りそのものより「日本人が見に来た」ということの方がニュース・バリューが高かったのだろうか。

 新聞に顔写真が載ったことで、この日は行く先々で声を掛けられた。中には「一緒に写真を撮ろう」とカメラ付き携帯電話を向けてくる男もいたりして、ちょっとした有名人気分を味わうことができたのだった。

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by butterfly-life | 2011-05-09 10:09 | インド一周旅行記
インド一周旅行記(11) 「祭りが僕を呼んでいる」
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 ババババン!
 突然、何かが爆発したような大きな音で、僕は目を覚ました。とっさに枕元に置いてあるペンライトをつけて、部屋の中を照らしてみた。
 異常はない。シミだらけの壁、天井から吊り下がるファン、旧式のテレビ。どこにでもあるインドの安宿の一室だ。
 爆音は表の大通りから聞こえてきた。まだぼんやりとしている頭に「テロ」の二文字が浮かんだが、すぐに「そんなわけない」と頭を振った。ここはアンドラプラデシュ州の平和な田舎町。山岳ゲリラに怯えるコンタと違って、そんな物騒なことが起こるはずはない。町の名前は確かマフブババードといったっけ。何度も町の人に聞き直して、ようやく覚えたのだ。

 爆竹だな、これは。
 まともに頭が働くようになれば、簡単にわかることだった。爆竹特有の乾いた連続音。何かを祝うために鳴らされているのだろう。それにしても凄まじい量だ。旧正月を祝う中華街にも匹敵するかもしれない。
 詳しいことはわからないが、なにやら面白いことが始まりそうだ。僕はカメラをひっつかんで部屋を飛び出した。

 表通りには爆竹の煙と火薬の臭いが充満していた。既に大量の爆竹を使ったはずなのだが、点火役の男の手には未使用の爆竹の束がまだいくつも握られていた。爆竹と共にロケット花火も景気よく打ち上げられている。今日は祭りなんだから眠っちゃいけないよ。そんなことを町中の人々に知らせているみたいだった。

 もうもうと立ちこめる煙の中から姿を現したのは、黒い布だけを腰に巻いた半裸の男たちだった。両手に灯明を携えた男が先頭に立ち、大声で歌をうたいながら歩いている。歌に合わせて狂ったように踊る一団があとに続く。夜もすっかり更けているというのに、男たちのテンションは異様に高い。



「我々が黒を着るのは、ヒンドゥー教の神様の一人であるアイヤッパが黒を好むからだ」
 と教えてくれたのは、まるでプロレスラーのような体格の大男だった。身長は190cm近くあり、とんでもなく分厚い胸板を持っている。すでに全身汗びっしょりである。
「我々はこれからアイヤッパに祈りを捧げに行く。アイヤッパはビシュヌ神とシヴァ神のあいだに生まれた神様だ。とても力があり、とても美しく、そして・・・・」
 大男はその大きな顔を思いきり近づけて、口から唾を飛ばしながら、敬愛するアイヤッパ神について熱心に話し始めた。しかし彼が話す英語はインド訛りが強いうえにとても早口だったので、半分も理解できなかった。
「・・・というのがアイヤッパなんだ。わかったかい?」
「・・・なるほど」
 僕は頷いた。何らかの感想が求められているような雰囲気だったので、
「アイヤッパというのはパワフルな神様なんですね」
 と適当にまとめてみると、大男は「その通りだ」と満足そうに頷いた。

 行列はマフブババードの町を1時間近く練り歩いた後、寺院の隣にある広場に入った。ここでメインイベントの儀式が行われるという。
 広場には既に何百人もの見物客がひしめき合っていて、とても儀式を間近で見られそうにはなかったのだが、例の大男が警備係に口添えしてくれたおかげで、なんとかいい場所に潜り込むことができた。感謝。顔はおっかないが、なかなか親切な男なのだ。



 僕が陣取った場所にはすでにカメラを持ったインド人が何人も待機していた。祭りの関係者やプロのカメラマンたちだ。その中の一人が僕のカメラについてあれこれ訊ねてきた。スペックや値段など、かなり突っ込んだ質問だった。
「やっぱり日本のカメラは最高だな。私も欲しいんだけど、こういうものはインドでは高いからね」
 カメラマン氏は羨ましそうに言った。彼によれば、近年インドでもフィルムカメラからデジタルカメラへのシフトが急速に進んでいるという。フィルム代と現像代がかからないのが何よりの利点なのだ。
「ところで、この祭りの情報はどこで手に入れたんだい?」
「偶然ですよ」と僕は言った。「宿で寝ていたら爆竹の音がした。外に出てみると行列がやってきた。彼らについて歩いていると、ここに来てしまったんです。祭りが僕を呼んだんですよ」
「祭りが君を呼ぶ。そりゃ、いいね」
 彼は楽しそうに笑った。


[バドラチャラムという町で出会った祭り。お神輿が町中を練り歩く]

 インドを旅するあいだ、僕はいくつもの祭りに遭遇したが、いずれも「どこそこで祭りをやっている」という情報を事前に仕入れていたわけではなく、偶然に出会ったものばかりだった。バイクを走らせていると、どこかから賑やかな音楽が聞こえてきたり、青空に打ち上げ花火が上がったり、目の前におみこしを担いだ行列が現れたりするのだ。

 もともと僕はそれほど祭り好きの人間ではない。夏の花火大会や、神社のお祭りなど、たくさんの人でごった返す場所を好まないということもあるし、大勢の人と一緒になって盛り上がるということが性格的に苦手だということもある。松本人志が自著の中で「同級生の担ぐおみこしの行列を電柱の影から覗いているような子供だった」と書いていたが、その気持ちはよくわかる。

 僕の写真も「ハレ」よりも「ケ」のシーンを撮ったものの方が圧倒的に多い。日常の何気ない場面に宿る輝きに惹かれるのだ。
 しかしインドでは祭りが僕を呼ぶのである。面白いものを見せてやるからこっちへ来い、と誘うのである。強い力で。それはインドの日常には祭りが不可欠だということを意味しているのだと思う。この土地では祭りは特別なものであると同時に、特別なものではないのだ。


[日常の憂さを晴らすかのように歌い踊るのがインドの祭りだ]

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by butterfly-life | 2011-05-02 11:03 | インド一周旅行記