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旅人に向いた手相とは
■ インド一周旅行記(38) 「旅人に向いた手相」 バックナンバーはこちら ■

 祭りが終わったあとのビチヤの町をぶらぶらと歩いているときに、イスマイールさんと知り合いになった。その名が示す通りムスリム(イスラム教徒)で、家具工房の親方をしているおじさんである。にこやかで面倒見が良く、それでいて押しつけがましさのない好人物だった。


[インドの道路標語には韻を踏んだ面白いフレーズが多い。Safety on road is
safe'TEA' at home.]

 夕食はイスマイールさんの家でご馳走になった。チキンのカレーとチャパティとご飯、大根とタマネギのサラダ。どれもスパイスが控えられた素直な味つけで、その辺の食堂よりはるかにおいしかった。どれも地元の新鮮な食材で、化学肥料などは使われていないから味がいいのだとイスマイールさんは言う。

 奥さんが運んできた料理の皿は、テーブルの上ではなく、床に敷いたゴザの上に直接並べられた。僕らはそれをあぐらをかいたまま、右手を使って食べた。
「あなたは家具を作るのが仕事なのに、テーブルや椅子は使わないんですか?」と僕は訊ねてみた。
「作るのと使うのは別なんだよ」イスマイールさんはちょっとバツが悪そうに笑った。「それにこっちの方が慣れているし、リラックスできるんだ」
 まぁお酒を飲めない酒屋もいれば、タバコを吸わないタバコ農家もいるのだから、家具を使わない家具職人がいたって不思議じゃないんだけど。
 彼の工房では15人の職人を雇って、机や椅子やベッドなどを作っている。このあたりの森からとれる質の良いチーク材を使ったお金持ち用の高級家具が中心だそうだ。


[無発酵パンのチャパティを焼く男]

「君は日本のお金を持っているだろう? ちょっと見せてくれないか?」
 食後のお茶を飲んでいるときにイスマイールさんが切り出した。実はこれはインドを旅する旅行者と地元の人たちとの間でもっとも頻繁に交わされる会話のひとつである。インドではほぼ毎日のように誰かから「あなたの国の通貨を見せてくれないか」と聞かれるのだ。外国のお金や切手を収集している人は他の国にもいるが、インド人ほど熱心な国民はどこにもいなかった。

 カルカッタの博物館にも「世界の硬貨」を並べたコーナーがあった。パキスタンやフランスやアメリカなど世界各地の通貨を解説なしにただ並べているだけなので、僕には何が面白いのかさっぱりわからなかったのだが、インド人の見学者はとても興味深そうに覗き込んでいた。根っからの「貨幣好き」なのだろう。

 僕はこういう時のためにと財布の中に入れておいた五円玉をイスマイールさんに渡した。
「これ、もらってもいいのかい?」
 彼は五円玉に空いた穴に蛍光灯の光をかざしながら言った。やはり穴の空いた硬貨は珍しいらしい。
「もちろんいいですよ。でも2ルピーぐらいの価値しかないものなんです」
「いや、それは関係ないんだ。ありがとう。本当にありがとう」
 イスマイールさんは心から喜んでいるようだった。五円玉の価値に見合う喜びの200倍ぐらいは喜んでくれたと思う。というわけで、これからインドを旅する方はぜひ日本の十円硬貨や五円硬貨を用意していただきたい。安上がりなうえに荷物にもならず、それでいてとても喜んでもらえるお土産なのだ。


[山岳地帯にいた羊の群れ。小さな池に水を飲みに来ているようだ]

 僕らの話題はモノの値段に移った。イスマイールさんは僕の時計やカメラやバイク、着ている服から履いているサンダルにいたるまで、ありとあらゆるものの値段を訊ねた。これまたインドではおなじみの会話であり、失礼に当たることではない。日本では値札の付いた商品を買うのが当たり前だが、インドでは定価がないものを商売人と交渉しながら買うのが当たり前なので、日常的に「それいくらなの?」と聞いて情報を収集することが欠かせないのだ。

「日本では牛の肉を食べるって聞いたけど、1キロいくらなんだい?」
「牛肉1キロ? そうですねぇ、1000ルピー(2000円)以上はしますね」
 100グラム200円の牛肉というのは安い方である。それでもイスマイールさんの驚きは大きかった。
「1000ルピーだって?」と彼はびっくりするほどの大声で叫んだ。「そりゃ本当かい? インドだったら1キロ100ルピーもしないよ。鶏肉だって山羊の肉だって60ルピーぐらいなものだ」
「日本では肉は高いんですよ。最高級の牛肉だったら1キロ1万ルピー以上しますから」
「1万ルピーだって?」
 イスマイールさんは漫画みたいに目をまん丸くした。
「肉1キロが1万ルピー? いや、とても信じられないね。私は日本という国が好きだ。人々はよく働くし、頭もいい。テクノロジーがとても発達していて、町は清潔で、人々は礼儀正しい。そう聞いている。しかし、どうしてそんなに頭のいい人が、牛肉にそんなに高いお金を出すんだ? 日本という国がわからなくなってきたよ」
 混乱させて申し訳ないと思うのだが、これは事実である。日本では食材も交通費も家賃も全てが高いのだ。
「私なんかが日本に行ったら、あっという間に全財産が無くなってしまうね。インドにいた方がいいみたいだな」

 インドの物価は世界屈指の安さである。例えば塩1キロが5ルピー(10円)。砂糖1キロが25ルピー。ブドウ1キロが40ルピー。トマト1キロが7ルピー。大根1キロが5ルピーといった具合。魚は川で獲れる天然物が1キロ100ルピーで、養殖物が50ルピーほど。これでも10年前に比べたら高くなったんだ、とイスマイールさんは言う。


[インドの野菜はとにかく安い]

「日本は物価が高いんだけど、給料も高いんです」
「平均するとどれぐらい?」
「そうですね。月に10万ルピー(20万円)から20万ルピーぐらいかな」
「20万! 確かにそれだったら食べ物が高いのもわかるね。うちの工房の職人には月3000ルピー払っている。インドではそれぐらいでも十分に暮らしていけるんだ。インドでリッチと言われるのは月5万ルピー以上稼ぐ人だけど、せいぜい人口の10%ぐらい。それでも車を持つのは難しいよ。ビチヤの人口は1万人ぐらいだが、自家用車を持っているのは20人もいない。私も古いヤマハのバイクを一台持っているだけだよ」

 イスマイールさんの趣味は手相を見ることだそうで、僕の手相も見てもらった。昔、先生について勉強したことがあるらしく、懐中電灯と虫眼鏡を持ち出してきて、とても細かい線まで丹念に見てくれた。
「うん、君の手相はとてもいいよ。運が強い人だ」
 彼は手の側面をさらに念入りに調べてくれた。小指の付け根の下、1センチぐらいのところだ。
「ほら、ここに短い線が見えるだろう? これが『トラベラー・ライン』だ。これがあるってことは、君は旅に向いているってことだな」
「トラベラー・ライン? そんなものがあるんですか?」
「そうだ。しかし誰もが持つものじゃない。私の手にはないよ。私の手相はいたってノーマルだ。家具屋には向いているかもしれないが、旅人には向いていないようだね」

 トラベラー・ライン。旅人線。そんな手相があるなんて初耳だったが、「この手は旅に向いている」と言われて悪い気はしなかった。

 もちろん「良い手相」を持っているだけで、セレンディピティに恵まれるなんてことはないだろう。偶然がもたらす幸運に巡り会うためには、なによりもまず行動しなければいけない。それがセイロンの王子たちの逸話が教えてくれるところである。目的はなんだっていい。目的地はどこだっていい。ただ、地図を見て「何となくこっちだな」でいいのだ。



 僕はいつもそんな風に旅をしている。まずバイクにまたがる。そして地図を広げて、今日の行き先を決める。とりあえず、でいい。どうせその目的地にたいした意味はないのだ。そこに「向かう」ということが大切なのだから。

 セレンディピティをフルに発揮するために、僕は走り続ける。
 今日も明日も明後日も。

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by butterfly-life | 2011-06-30 13:07 | インド一周旅行記
インドの山奥にあるあなたの知らない世界
■ インド一周旅行記(37) 「少数民族の踊り」 バックナンバーはこちら ■

 マディヤ・プラデシュ州にあるビチヤという町でも、幸運な出会いが待っていた。
 例によって、僕はビチヤという町に関する情報を何ひとつ持たなかった。悪夢のようにひどい道をひたすら走り続けて、「もうこれ以上進むのはごめんだ」と思ったところに現れた辺境の町だった。



 町の人に宿はないかと訊ねてみると、バス乗り場の近くに一軒あるという。こんな辺境の町にもちゃんと宿があることに驚きながら訪ねてみたのだが、そこはインドでも屈指のひどい宿だった。シングルベッドがギリギリ収まるだけのスペースしかない極狭の部屋。窓がなく、天井からぶら下がる裸電球もひどく暗い。まさに独房の趣であった。もちろんバスルームは共同で、これがまたすさまじく汚い。掃除なんてまったくしていないのだろう。

 受付に座っているのも暗い顔をした中年男だった。部屋代は100ルピー(200円)だという。安いことは安いが、こんな心が寒くなる宿に一泊するぐらいだったら、他の町を当たってみた方がはるかにマシだと思った。
 僕は重い足取りで宿を出て、バイクにまたがった。夜道を走る危険はなるべくなら避けたかったが、この際だから仕方ない。そう思ってスターターをキックしてエンジンをかけ、何の気なしに視線を上げたところに「HOTEL」と書かれた看板があったのである。なんだ、他にも宿があるんじゃないか。

 もうひとつの宿「スリ・ガネーシ・ロッジ」はまともだった。清潔とまでは言いがたいが、そこそこ掃除もされているし、窓だってちゃんとあった。そしてインドの安宿には珍しく、若い女の子が受付に座っていた。ショービナという名前で、とてもきれいな英語を話した。去年カレッジを卒業したばかりで、今は公務員試験の勉強中なのだが、暇を見つけてはおばあさんが経営するこの宿の手伝いをしているという。

 これまでの経験から、僕はインドの働く女性に対してあまりいいイメージを持っていなかった。銀行や鉄道の窓口やショッピングセンターなどで働く女性たちは、たいていひどく不機嫌そうに仕事をしていたからだ。愛想良くしたら減給にでもなるのかと思うぐらい、冷たくて不親切で無愛想だった。その態度はロシアやブルガリアなどの旧共産圏で働く女性公務員を彷彿とさせた。

 しかしショービナは違った。ちょっとつっけんどんなところはあるけど、基本的にとても親切でにこやかだった。
「ここに外国人が泊まるなんて初めてなんです。アイ・アム・ベリー・ハッピー」
 彼女はさわやかな笑顔で言った。インド女性からそんな言葉が聞けるとは夢にも思わなかったので、この宿に対する好感度は一気にアップした。一泊だけじゃなく二泊してもいいかな、なんて思い始めていた。男というのはまったく単純な生き物である。


[宿題をやってこなかった罰としてこのポーズで立たされていた子供。ちょっと切ない表情がかわいい。]

 ショービナは20歳だが、25歳まで結婚するつもりはないそうだ。今は公務員になるという目標を達成するのが先で、結婚はその後でも遅くはないと言う。保守的なインドの田舎にも、彼女のようなキャリア志向の女性が少しずつ増えているのだ。
 そんな現代的なショービナでも、やはり恋愛結婚には抵抗があるらしい。インドでは親同士が決めた結婚「アレンジ婚」が普通だし、彼女も彼女の家族もそれを望んでいる。

「恋愛結婚は難しいことも多いんです」と彼女は言う。「私の叔母さんは恋愛結婚をしたんですけど、相手にはすでに奥さんと子供がいたんです。それでも彼女は結婚したわ。二番目の妻として。彼女は今でも最初の奥さんと一緒に住んでいるの。変だと思うでしょう? でもこのあたりではそれほど珍しいことじゃないの。そのあと叔母さんの家には三番目と四番目の奥さんがやってきたんだから」

 インドでもヒンドゥー教徒であれば重婚は違法だが(ムスリムは四人までOKだそうだ)、実際誰かが警察に訴えでもしない限り咎められることはないのだろう。日本なら「どっちを取るのよ!」とすごまれるような修羅場必至の場面でも、インドなら「まぁ……どっちもってことで」と丸く(?)収めることも可能なのである。すごいと言えばすごい。

「その旦那さんはよっぽどいい男なんだろうね」
「わからないわ。森林管理の仕事をしている人だけど、それほどハンサムじゃないし」
「もし君が好きになった相手に奥さんがいたらどうする?」
「私だったらそんな人と絶対に結婚しないわ。結婚相手には、誠実で、真面目で、よく働いて、私のことを理解してくれる人がいい。もちろん独身のね」
 ショービナはきっぱりと言い切った。至極まっとうな意見だった。


 翌日、ビチヤの町で開かれたお祭り「マライ・メーラ」を見ることができたのも、ショービナのおかげだった。彼女が教えてくれた情報がなかったら、たぶん僕は翌朝早々にこの町を発っていたことだろう。
「この辺り一帯に住む山岳少数部族(アディワシ)たちが集まる大規模なお祭りなの。年に一度しか開かれないから、見逃す手はないわ」
 そう彼女は言ったのだが、実際その言葉通りの素晴らしい祭りだった。

 祭りの会場には、鮮やかな衣装を着た少数部族の人々が続々と集まっていた。彼らは年に一度のお楽しみのために、バスやトラクターやロバなどを乗り継いで、遠路はるばるやってきたという。


[祭りを目指して歩く少数部族の女たち]

 ベガ族はとても見栄えのする部族だった。男性は長髪にターバンを巻き、女性は額に入れ墨を彫り、重そうなアクセサリーで全身を飾っている。ターバンの巻き方には細かい違いがあって、それを見ればどの村に住んでいるかがわかるという。挨拶の仕方も独特で、知り合いに会ったらお互いの足のつま先を触り合うのが習わしだという。

 祭りの会場に併設されている市場には、食料や日用雑貨からクワや釜などの農機具まで、およそ生活に必要なもの全てが揃っていたが、ベガ族の女性たちの興味はもっぱらアクセサリー屋に集中していた。銀行口座など持たない人々にとって、財産は着物やアクセサリーに替えて身につけているのが一番安心できるのだろう。


[ベガ族の女性。髪飾りとネックレスの美しさが特徴的]

 ベガ族の男たちの関心を集めていたのが、牛の首につける「カウベル」だった。この辺りは乾燥していて農作物があまり育たないので、牛の放牧で生計を立てている人が多いのである。
 男たちは一番いい音が出るカウベルを買い求めるために、オーディオマニアが高級スピーカーを選ぶときのような真剣な面持ちで、何十個も並べられたカウベルをひとつひとつ「試聴」していた。
「カランコロン」「カランコロン」
 僕にはどれも同じような音に聞こえるのだが、彼らにはその違いがわかるようだった。違いがわかる男、ベガ。


[カウベルを選ぶベガ族の男]

 ベガ族の牛追いは、たとえ牛の姿が見えなくなっても、カウベルの音だけでその位置を把握することができるという。そのためにもカウベルの音色を聞き分け、それらを覚えておくことが必要なのだ。ちなみにカウベルの値段は一番大きなもので40ルピー(80円)。金属を曲げて溶接してあるだけなので、質はあまり良くなさそうだった。




 夕方になると、それぞれの部族の伝統衣装を着た男たちが警察署の前に集まり、踊りをおどり始めた。
 アヒール族の男たちは手に持った棒や斧を振り回し、太鼓のリズムに合わせて踊っていた。酔っぱらって足下がふらついている人も多かった。どうやら酒好きの部族らしい。輪の中心では男が大きな角笛を吹き鳴らしていた。100年以上も前に森で仕留められたバイソンの角から作ったのだそうだ。



 アヒール族は子安貝の首飾りを何重にも巻いていたので、ステップを踏むたびにジャラジャラという音がした。子安貝はかつて世界各地で貨幣として使われていたものだが、海から500キロ以上も離れたこの土地では、今でも貴重な財産として認知されているようだった。





 踊りは次第に激しさを増していった。何十人もの男たちが輪になって、なにものにも邪魔されることなく感情の赴くままに踊り続けた。その興奮の波が踊りの輪を囲んだ群衆にも伝播していくと、人々は次々に地面の砂を掴んで空に投げ始めた。あたりにはもうもうと砂煙が立ちこめ、視界が茶色くかすんでしまう。群衆は輪郭を失って誰が誰だかわからなくなり、その中で太鼓の音とうなり声だけが不自然なほど明瞭に響いていた。それが熱狂のピークだった。



 男たちが踊り疲れ、砂煙と興奮が収まってくると、踊りの輪は自然にほどけていった。すると、それぞれの部族の長たちが一人ずつ歩み出てきて警察署の前に集まり、ボールペンで何かの書類にサインを書き始めた。いったい何をしているのだろうか。
「彼らは部族間で争わないことを誓っているんです」
 教えてくれたのは、英語を話す若い警察官だった。
「その宣誓と引き替えに、州政府が部族に補助金を出す決まりになっているんです。以前は部族間の争いで死者が出ることも珍しくなかったですからね」


[誓約書にサインをする部族の長たち]

 部族間のもめごとに警察は介入しない、というのが州政府の基本方針である。彼らは警察権力が及ばない山奥で、部族の掟を守って暮らしているからだ。しかし部族民もインド国民の一員なのだから、おおっぴらに殺し合いが行われるのを黙って見過ごすわけにはいかない。そんなわけで州政府は平和条約を守ることと引き替えにお金を与え、荒っぽい慣習が残る部族民たちをなんとか懐柔しようとしているのだ。

「インドの山奥にはあなたたち外国人が知らない世界があるんですよ」と警官は言った。
 彼の言う通りなのだろう。インドはあまりにも広く、あまりにも深い。

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by butterfly-life | 2011-06-27 12:16 | インド一周旅行記
トランス状態の少女と足を揉まれる謎の聖者
■ インド一周旅行記(36) 「トランス状態の少女」 バックナンバーはこちら ■

 僕はこの何年か写真家を名乗って活動を続けているわけだけど、カメラを操る技術や、構図のセンス、光を見極める能力などが人よりも優れているわけではない。上手い写真、センスの良い写真を撮る人は他にいくらでもいる。決して謙遜などではなく、本当にそう感じている。



 そんな僕が曲がりなりにも写真家を続けられているのは、ひとえに「セレンディピティ」のおかげだと思う。
 セレンディピティ(serendipity)とは、「幸運に出会う能力」という意味の言葉である。語源は18世紀のイギリスで生まれた童話に由来する。セイロン(今のスリランカ)の3人の王子が探し物をする旅に出る。その途中、肝心の探し物はいっこうに見つからないのだが、いつも意外なものに遭遇して、もともと探していなかった何かを発見する。この物語が元になって、「セレンディピティ」という言葉が生まれたという。

 探し物とは違うものが見つかる、というのがポイントだ。
 本来の目的とは違う「変なもの」に魅力を感じる能力、偶然の出会いを面白がれる能力が、すなわちセレンディピティなのである。



 幸運に出会うためには、不運もたくさん味わわなければいけない。
 これが僕の経験則だ。サイコロで「1」だけを連発することが不可能なのと同じだ。当たりも出れば、ハズレも出る。それが人生ってものだ。

 ある人が「優れた写真家は晴れ男でもあるんです。彼が来ると曇り空がさーっと晴れたりする」と言っていたけれど、旧約聖書のモーセじゃあるまいし、そんな特殊な能力がある人は実際にはいないと思う。きっとその写真家は、晴れているときでも、曇っているときでも、常にいい写真を撮れるように準備を整えているのだ。だからたまたま訪れた「晴れ」を生かすことができるのだろう。



 大切なのはサイコロを振って「1」が出たときに、それが「1」かどうかをちゃんと見極められるかどうかだ。ときには「2」ばっかり出て、気持ちが萎えてしまうこともある。「このサイコロ、おかしいんじゃないの?」とサイコロに八つ当たりしたくなることもある。
 でもいつか必ず「1」は出る。そして「1」が出たときに、それがあたかも当然の結果であるように、余裕のある態度でことにあたる。それが「セレンディピティ」なのだ。


 チャティスガル州西部を走っていたときに出会った不思議な儀式も、セレンディピティがもたらしてくれたものだった。たまたま立ち寄った村で耳にした賑やかな音楽に誘われて村の中に入ってみると、何とも奇妙な儀式を目にすることになったのだ。



 ヒンドゥー教の儀式のようだった。楽団が太鼓や鐘を打ち鳴らしながら歌をうたっていた。その隣に聖者らしき男が座っているのだが、その態度が面白かった。映画に出てくる趣味の悪い成金みたいにだらしなく足を投げ出した格好で寝そべっていたのである。およそ聖者らしからぬ尊大な振る舞いだった。そしてその投げ出された足を、大変ありがたいもののように村人が優しく揉んでいたのだ。

 この一連の振る舞いにどういう意味が隠されているのかを、あれこれ考えている暇はなかった。
 歌を聴いていた村の少女たちに異変が起きたのだ。少女たちは頭を前後に大きく揺さぶり、長い髪を振り乱しはじめた。どうやら一種のトランス状態に陥ったらしい。目を固く閉じられ、口は半開きのまま、見得を切る歌舞伎役者のような迫力で頭をぐるんぐるんと振り回すのだった。



 その鬼気迫る様子に圧倒されながらも、僕はカメラを向けた。すぐそばでシャッター音が鳴っても、少女たちがそれに気付くことはなかった。完全にいってしまっているのだ。
 少女たちがトランス状態に陥ることにどんな意味があるのか。足を揉まれている聖者は一体何ものなのか。そもそもこれは何のための儀式なのか。聞いてみたことは山ほどあったのだが、村人は誰一人として英語を話さなかったので、残念ながら一切の事情は謎に包まれたままだった。



 それにしてもインドの田舎はまったく油断ならない。実にラディカルである。
 土俗的な因習がいまもなお色濃く残るインドの農村では、都会よりも過激なもの、得体の知れない出来事に出会えることがあるのだ。

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by butterfly-life | 2011-06-23 12:49 | インド一周旅行記
インドには人がハムスターのように回す人力観覧車があった
■ インド一周旅行記(35) 「人力観覧車の魅力」 バックナンバーはこちら ■

 インドには「絶叫観覧車」をも上回るアクロバチックな乗り物が存在する。いやぁインドってほんとに広いですね。
 それがヒンディー語で「ジュラ」と呼ばれている観覧車である。高さが10メートルほどで、二人がけのゴンドラが8つ付いている小ぶりの観覧車だが、これがなんと人力で動くのである。

 ジュラの動かし方は唖然とするほどユニークだった。まず「動力源」となる男たちが、ジュラの骨組みを山猿のようにするすると上っていく。そしてジュラの「軸」の部分に降り、回転する鉄骨の上を「歩く」のである。ちょうどハムスターが回し車の中を走るような要領で、観覧車を回すのだ。



 怖くないの?
 という素朴は疑問は御法度である。もちろん彼らにも「想像力を遮断するスイッチ」が備わっているのだから、怖いはずがないのである。自分が落ちるなんてことは一切考えない人たちなのだ。
「俺たちはバランスがいいからね。落ちたことは一度もないよ」
 と「ジュラ回転人」のサントシュさんは断言する。
 ほんまかいな。そう心の中で突っ込みを入れたが、たぶん彼の言うとおりなのだろう。



 ちなみにこのジュラの料金は一人10ルピーである。僕も試しに乗ってみたのだが、あの絶叫観覧車のスピード感には及ばないものの、回転はそれなりに速かった。乗り物に弱い人は目を回すだろう。もちろん地元の子供たちは大いにはしゃいでいる。インド人はこういう乗り物にはやたら強いらしい。

 僕はゴンドラを降りてからもしばらく「回転人」たちの働きぶりを観察した。彼らはただジュラを回転させるだけでは飽きたらず、自分たちもゴンドラと一緒に回ってみたり、回転するジュラから地面に飛び降りてみたり、反対に動いているジュラへ飛び乗ったりと、まるでサーカス団さながらのアクロバチックな演技を披露してくれた。
 この演技を見るだけでもお金を払う価値は十分にあったが、彼らはあくまでも「遊び」としてやっているだけで、お客から喝采を浴びようなどとは夢にも思っていない様子だった。それがまたクールだった。


[回るぅ回るよぉ観覧車は回る]

 僕が差し出した10ルピーをサントシュさんは頑として受け取らなかった。遠い異国から来た男が、自分の回す観覧車を楽しんでくれたことで十分に満足しているようだった。
 職人気質で紳士的なんだけど、やることはぶっ飛んでいる。なかなか魅力的な人物である。


 インドを旅するあいだ、僕はいくつかの移動遊園地を訪れてみたのだが、その中で人気実力共に横綱級なのが「オートバイサーカス」だった。これは円筒形の壁の内側をバイクがぐるぐると周回するというアクロバットショーで、スピード感とスリルに溢れた本物の見世物だった。

 ショーの主役は例によって事故ることをまったく恐れない「スイッチの切れた」ライダーたち。雷のような轟音をとどろかせながら、猛スピードで壁の内側を駆け上ってくる。彼らの度胸の良さがもっともよく表れていたのが、観客からチップを受ける瞬間である。ハンドルから手を離した状態で、壁の上で待つお客の手から直接お札をひったくっていくのだ。こいつはすげぇ。



 大興奮の「オートバイショー」とは反対に、極めつきのチープさで異彩を放っていたのが「ヘビ女の館」である。コブラと女性が合体した奇怪な図柄の看板に誘われておそるおそるテントの中に入ってみたのだが、その中身はひどいの一言だった。

 黒服の女が音楽に合わせてダンスを踊っていると、あら不思議、世にも恐ろしいコブラの姿に変身するではありませんか、というのがショーのあらすじなのだが、鏡とライトを使ったトリックは子供だましもいいところで、さすがのインド人も「こりゃないよなぁ」という反応だった。

 ヘビ女の顔がはじめから終わりまで能面のように無表情だったのも、冷血動物のヘビを意識しての演技などではなく、単純にやる気がなかったからなのだろう。入場料はたった2ルピー(4円)だったが、それさえも惜しくなるような出来であった。


[これも移動遊園地の出し物のひとつ。有名女優の等身大パネルと一緒に写真を撮れる写真館。料金は20ルピー(40円)]

 移動遊園地に併設されているサーカスも期待通り(?)のチープな代物だった。入場料は15ルピー(30円)と安いのだが、その価値があるかどうかは微妙である。なお、このサーカスの演目については言葉のみの説明になる。テント内部は撮影禁止になっていたからだ。


[サーカスの入り口で背の低いピエロが呼び込みをしていた]

 まず最初に登場したのは、セパレート水着を着た若い女の子。「ヤングマン」のBGMに乗って、体の柔らかさをアピールする。芸自体は中学校の体操部員レベルで、「つかみ」としては少々パンチ不足にも思えたが、それ以上に気になったのは彼女の体型だった。腕にもお腹にも太ももにも肉が付きすぎているのだ。水着の上に腹の贅肉が乗っかっているボンレスハム状態なのである。

 トップバッターの看板娘がこんなに太っていていいのだろうか?
 そんな疑問が頭をかすめる中、音楽が「ヤングマン」から「ランバダ」に変わった。懐かしさと共に哀愁を誘う選曲である。ラテンの粘っこいリズムに乗って登場したのは、先ほどの太った娘の妹だった。顔も体型もそっくりなボンレスハム姉妹が披露するのは、またしても柔軟体操である。演技内容はともかく、二人の息がまったく合っていないのはどういうわけだろう。ちゃんと練習しているのか?

 そのあとボンレス娘はもう一人増え(なんと三姉妹だったのだ)、三人でフラフープの演技を披露した。これはあえて書くほどのものではない。プルプルと震える三つのお腹の上で、グルグルと回る輪っか。ある種のマニアが見れば喜ぶかもしれない。

 顔も体型もそっくりのボンレス三姉妹のインパクトがあまりにも強かったから、そのあと出てきた口から火を噴く男や、空中ブランコや、自転車のウィリー走行なんかはあまり記憶に残らなかった。演目が進むにつれて技のレベルが上がっていったし、それなりにスリリングなプログラムだとは思うのだが、全体的に今ひとつ盛り上がりに欠けていた。

 問題は演技の未熟さだけでなく、サーカス団員の愛想のなさにもあった。彼らは決められた演目を淡々とこなすだけで、「お客を楽しませよう」という積極的なサービス精神を持ちあわせていなかったのだ。技が決まってもニコリともせず、申し訳程度に片手を挙げるだけ。まるで「笑ったら負けよ」とでも言いたげな態度なのである。

 お客の方も同じようにひどかった。難易度の高い技が成功しても拍手は一切起こらないし、歓声やため息が出ることもない。見事なまでに無反応なのだ。唯一お客がわいたシーンは、白い犬が輪っかを飛び越したときだけ。これでは団員がやる気をなくすのも無理はなかった。

 サーカスに限らずコンサートでも演劇でも同じだと思うが、ライブというものは観客とパフォーマーが一緒になって作り上げていくものである。
 それを反面教師的に教えてくれたのが、インドの盛り上がらないサーカスだった。

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by butterfly-life | 2011-06-20 08:24 | インド一周旅行記
恐るべき速さで回るインドの観覧車をエンジョイするために必要なものとは?
■ インド一周旅行記(34) 「想像力を遮断するスイッチ」 バックナンバーはこちら ■

 チャティスガル州に入った僕を待ち受けていたのは、とんでもない悪路だった。長い間メンテナンスが行われていないのだろう。いたるところでアスファルトが剥がれ、穴ぼこだらけになった無惨な道路が10キロ以上に渡って続いていたのだ。土埃がもうもうと舞い、不快な震動が絶え間なく襲ってくる。「インドの道・ワースト10」には間違いなくランクインする道であった。


[インド屈指の悪路を進む]

 インドでは州境を越えた途端に、道路のコンディションが激変することがよくある。道路の維持管理は各州の行政府の管轄なので、その州の台所事情が道路の状態に反映されてしまうのだ。豊かな州の道路はきれいだが、貧しい州の道路はひどくなる。これはもうはっきりしている。

 もっとも、この道が悪路なのは事前に予想されていたことではあった。出発する前に、宿の従業員に「この先の道はバッド・コンディションかい?」と訊ねたのだが、彼は笑いながらこう答えたのだ。
「ノー。バッド・コンディションじゃない。ベリー・バッド・コンディションだ」

 にもかかわらずこの道を選んだわけだから、誰を責めるわけにもいかなかった。自分で蒔いた種。自業自得である。
 分かれ道にさしかかったとする。一方は整備の行き届いた幹線道路で、もう一方はデコボコの田舎道。こういう場合、僕はつい後者を選んでしまうのである。


[自転車や牛車がのんびりと走る田舎道。地図には載っていない道だ]

 悪路を走れば、埃を浴びて全身が真っ黒くなるし、腰と尻が痛くなる。パンクの危険にも晒される。それはよくわかっているのだが、「ひょっとしたら、この苦難の先に何か面白いものが待っているのでは」という淡い期待が頭をよぎってしまうのである。「冒険心」とまでは呼べない、ちょっとした「怖いもの見たさ」の気持ちが、ムラムラと湧いてくるのだ。一種の病気である。


[橋の建設現場。資材を引っ張り上げるのも人手に頼っている。]

 実際、そうやって悪路を進んだ先に面白いものが待っていたってことも、ないわけではない(その数少ない成功体験が再び悪路を選ばせることになるわけだ)。
 チャティスガル州東部に位置するサランガルという町で遭遇したのは移動遊園地だった。遊園地といっても、その中身は相当にチープなもので、アトラクションのほとんどは人力で動くものである。メリーゴーランドや回転するミニカーといった幼児向けの乗り物を、仏頂面をしたおじさんたちが黙々と手で回している。それでも、アトラクションの前には順番待ちの子供たちが行列を作っていた。一年に一度巡回してくるこの移動遊園地は、田舎に住む子供たちにとって数少ない娯楽なのだろう。


[子供向けの手回し式アトラクション]


[射的もあります]

 移動遊園地のメインアトラクションである大型の観覧車は、さすがに人力駆動ではなかった。高さは15mほど。頑丈な鉄骨製で、ゴンドラは全部で十二個ある。チープな遊園地にしてはなかなか立派なものだ。感心しながら見上げていると、切符売り場の男が、
「おーい、そこの外国人。これに乗って、上から写真を撮ってみなよ」
 と声を掛けてきた。料金は10ルピーだがお前さんはタダで乗ってもいいよ、と言う。こんなところに外国人が迷い込んできたのが、よほど珍しかったのだろう。


[大型の観覧車]

 お言葉に甘えて乗せてもらうことにした。ゴンドラの作りはちゃちだが、それ以外はごく普通の観覧車である。高さはそれほどでもないが、それでもてっぺん付近に達すると視界が開けてきた。特に何があるというわけでもない田舎町だが、二階建て以上の建物がほとんど無いこともあって、遠くにある森や溜め池まで一望にでき、眺めは良かった。


[頂上からの眺めはなかなか良かった]

 観覧車の操作を担当する眠たげな顔の男は、僕のゴンドラが頂点に到達したのを確認すると、わざわざ回転を止めてくれた。存分に写真を撮れ、ということらしい。僕は何枚かシャッターを切ってから、「もう動かしていいよー」と手を振った。

 不吉な胸騒ぎを感じたのは、ゴンドラが再び動き始めたときだった。さっきまでとは明らかに動き方が違うのである。速いのだ。強い加速度がゴンドラにかかっている。
 ひょっとすると、これは観覧車ではないんじゃないか?
 その不安はゴンドラが一周した後さらにスピードを上げたことで確信に変わった。周囲の景色が一瞬で過ぎ去り、強い遠心力でゴンドラが大きく揺れた。やっぱりそうだ。これは景色を楽しむための観覧車などではなかったのだ。観覧車の外見をした絶叫マシーン。それがこの乗り物の正体なのだ。

 もう写真撮影どころではなかった。眼下の景色を眺めている余裕もなくなった。両手で手すりをしっかりと握り締め、両足をぐっと踏ん張って、お腹のあたりがぞわぞわっと浮き上がってくるようなジェットコースター独特の無重力感に耐える。心臓は激しく波打ち始め、両手にはじっとりと汗がにじんできた。

 断っておくが、僕は決して絶叫マシーンが苦手ではない。高所恐怖症の気もない。学生時代には関西でもっとも怖いといわれるコースターにわざわざ乗りに行ったこともある。でも、この「絶叫観覧車」の怖さは別次元だった。本物の恐怖だったのだ。

 日本の絶叫マシーンは「事故は絶対に起こらない」という前提で運営されている。万が一でも事故が起きたら、遊園地の経営そのものが危うくなるからだ。マシーンには二重三重の安全対策が施されているはずだし、乗客もそれを信じて疑わない。だからコースターが「垂直落下」や「きりもみ走行」を行ったとしても、そこで乗客が味わうのは「とはいえ死ぬことはない」という安心感の元で体験される仮想的な恐怖なのだ。

 しかしインドの「絶叫観覧車」が提供する恐怖は、決してヴァーチャルなものではなかった。スピードもGもたいしたことはない。けれどゴンドラには安全ベルトもないし、カバーも付いていないから、間違って手を離したら確実に振り落とされることになる。その恐怖はリアルだった。

 安全管理にも疑いの余地があった。何しろここはインドなのである。機械の点検が入念に行われているとは思えないし、老朽化した観覧車のボルトが一本ポロっと外れたところで、たぶん誰も驚かないだろう。それにあの眠そうな顔をした係員! 我々乗客の命運はあんなやる気のなさそうな男の右腕に握られているのである。
 不安になる要素ならいくつでもあって、それが頭を駆けめぐるたびに僕は新たな恐怖に襲われるのだった。


[これが乗客の命運を握る男の顔だ!]

 しかしもっとも驚くべきことは、冷や汗をかき、心臓を高鳴らせてゴンドラにしがみついているのは僕一人だけで、他の乗客は平然としているという事実だった。隣のゴンドラには十歳ぐらいの子供二人とその父親の三人家族が乗っていたのだが、三人ともゴンドラがぐんぐんスピードを上げても全く動じることなく、むしろそのスピードを楽しんでいるように見えた。さらに別のゴンドラに乗っている若者二人は、なんと座席から立ち上がって両手を離して踊り出したのである。これには開いた口が塞がらなかった。連中の頭の中は一体どうなっているんだ?

 インド人は「想像力を遮断するスイッチ」を持っているのだ。僕はそう結論づけた。僕が感じる怖さの源には「もしかしたら落ちて死んでしまうかもしれない」という想像があった。最悪の事態をイメージすることが恐怖を生み出していたのだ。だから、そのような想像力を働かせるスイッチをパチンと切ってしまえば、恐怖は感じなくなるはずである。原理的にはそうなる。そしておそらく、多くのインド人はそうすることができるのである。

 前にも書いたように、インドではバイクを運転する際にヘルメットを被る人はほとんどいない。にもかかわらず交通マナーは最悪で、無鉄砲に飛ばして命を失う人が大勢いる。これも「想像力を遮断するスイッチ」のせいだと考えられる。トラックやバスが一車線しかない狭い道路で抜きつ抜かれつのチキンレースを演じられるのも、ドライバーがその後に起こりうる悲劇をまったく考えないからである。

 ある意味では、日本人とインド人は正反対の価値観を持っていると言える。前者は考えられる危険因子を注意深く徹底的に取り除くことをよしとし、後者は危険因子のことなど考えたって仕方がないのだからなるべく考えないようにする。
 僕は何も「インド人が想像力に欠けている」とか「インド人は剛胆だ」などと言いたいわけではない。確かに危険に対する認識はいくぶん不足していると思うが、それはインドという荒っぽく無秩序なカオス世界をサバイブするためには、必要不可欠な性質なのだ。たぶん。

 もし日本人の標準的な危機管理意識を持ったままインドで生活しようとすれば、三日で神経症になってしまうだろう。恐怖のあまり家の中から一歩も出たくなくなるに違いない。良きにつけ悪しきにつけ、ある程度の「鈍感力」を身につけなければインドでは生きていけないのだ。



「よー、外国人。このマシーンはどうだった?」
 ようやく回転を終えた「絶叫観覧車」からよろめきながら降りてきた僕に向かって、切符売り場の男が声を掛けた。僕は心の中で「もう十分だ!」「早く止めてくれ!」と叫び続けていたのだが、その気持ちとは裏腹にゴンドラはなかなか止まらなかった。珍しい外国人が乗っているからと、いつもより余計に回してくれたのかもしれない。あの「染之助・染太郎」みたいに。はっきり言って余計なお世話だが、彼らを責めるわけにもいかなかった。悪意はないのだ。

「ああ、とてもエンジョイしたよ」
 と僕は言った。精一杯の皮肉のつもりだったが、そうは聞こえなかったようだ。
「そうだろう。ぜひまた乗りに来てくれよな」
 と男は屈託なく言う。この鈍感男め。
「ひとつ確実に言えるのはね、もう二度とこれには乗らないってことだよ!」
「そりゃまたどうして?」
 男は不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。彼はこの観覧車が愉快なアトラクションだと信じて疑わず、乗客が恐怖を感じているなんて考えてもいないようだった。
 もちろん彼にも「想像力を遮断するスイッチ」が付いているはずだ。大いなる「鈍感力」を備えたインド人。僕がかなう相手ではない。

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by butterfly-life | 2011-06-16 12:08 | インド一周旅行記
ヒマワリ畑の輝きに負けないほどの強い目力を持った少女
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 満開のヒマワリ畑は南インドで目にした景色の中でもっとも心躍るもののひとつだった。
 南国の強烈な日差しを受けた鮮やかな黄色の絨毯は、南フランスにやって来たゴッホが目にしたように、見る者の心を弾ませる強い力があった。



 しかし、ヒマワリ畑を写真に撮るのは簡単なことではなかった。僕が求めていたのは色鮮やかなヒマワリ畑と、そこで働く人々とを同じフレームに収めることだったのだが、残念なことに、そんな場面にはなかなか巡り会えなかったのだ。ヒマワリというのは種さえ蒔いておけばあとは勝手に育つような生命力の強い植物であるらしく、常に雑草を抜いたり肥料をやったりしなければいけないお米や野菜と違って、人が世話をする必要があまりないようなのだ。

 待ちわびていたチャンスが訪れたのは、長いバイク旅行も終盤にさしかかった頃だった。もう既に何百というヒマワリ畑を通り過ぎ、そのたびに働く人が見つけられずがっかりする、ということを繰り返していたのだが、ついにヒマワリのあいだに人の頭らしきものが揺れているのが見えたのである。

 僕はすぐにバイクを止めて、はやる気持ちを抑えながらヒマワリ畑の中を進んだ。今回もまた期待外れに終わるんじゃないか、そうなってもめげるんじゃないぞ、と自分に言い聞かせながら、足早に近づいていった。

 働いていたのは、全部で十人ほどの男女だった。人々はふたつのグループに分かれていた。一方のグループは背の低いヒマワリから黄色い花粉を集め、もう一方はその花粉を背の高いヒマワリに塗っていた。どうやらヒマワリの受粉作業をしているらしい。





 僕はまず、ヒマワリに花粉を塗っている女たちに声を掛けて、カメラを向けてみた。彼女たちは突然の外国人の出現にびっくりし、照れ臭そうに顔を背けたり、「あたしの顔を撮るんだったら、ヒマワリの顔でも撮りなよ」とヒマワリの陰に隠れたりした。でも雰囲気は悪くなかった。これはいけそうだな、と直感した。



 女たちの手は素早い。左手でヒマワリの茎を掴んで引き寄せ、まるで女の人の顔にパタパタとおしろいをはたくみたいな要領でガーゼに含ませた花粉を塗りつけ、それが終わらないうちに次の花を掴む。その素早い動きをカメラで追いかけるのは容易ではなかったが、ヒマワリの花をかき分けながらシャッターを切り続けた。



 この受粉作業はわずか一日で終わってしまうという。広い畑だが、十人で手分けすれば短時間で終わる仕事なのだ。
 受粉が終われば、あとは収穫を待つばかり。太陽に向かって誇らしげに咲いていたヒマワリが、ぎっしりと種を実らせ、その重みでだらんと首を下げる頃を見計らって、「首」を切り落とすのである。そうやって収穫された種は工場に運ばれて、油を搾り取られる。そして「ヒマワリ油」として売られていくのである。

 多くの道を走り、多くの場面に出会う。それが僕の『バタフライ・ライフ』の基本姿勢だった。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ではないけれど、できる限り多くの道を走っていれば、いつかきっと美しいシーンが現れるに違いない。そう信じていた。



 ヒマワリ畑ではそれが見事に成功した。ヒマワリと人とが並び立つ場面は、受粉作業というごく限られた時間以外にはなく、その貴重な場面に出会うために、僕は何百という無人のヒマワリ畑を通り過ぎなければいけなかったのだ。
 だけど最後の最後に、その苦労が報われるときがきた。ヒマワリ畑の輝きに負けないほどの強い目力を持った少女を、写真に撮ることができたのだった。



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by butterfly-life | 2011-06-13 11:42 | インド一周旅行記
ゴミを一切出さない! インドのエコな製糖工場の秘密
■ インド一周旅行記(29) 「エコフレンドリーな工場」 バックナンバーはこちら ■

 綿花畑と同じように、サトウキビ畑も南インドのいたるところで目にした。サトウキビは栽培に多くの水が必要なので、灌漑設備のある川の近くなどに多く見られた。
 僕が興味を引かれたのは、収穫したサトウキビから砂糖を作るまでの過程である。これが実にシンプルでよくできたシステムだったのだ。


[人の背丈以上に伸びたサトウキビを収穫する人々]

 収穫されたサトウキビが運ばれてくるのは、畑の近くにある昔ながらの製糖工場だ。工場といっても、柱と屋根だけの簡素な小屋である。その横でサトウキビを絞っているのが一頭の牛である。お尻を叩かれながら歩く牛が特殊な歯車を回し、その歯車のあいだにサトウキビを差し込むと、汁が搾り取られるという仕組みだ。


[牛の力でサトウキビを搾る]

 絞られたサトウキビ汁は小屋の中に置かれた鍋に入れられて、グツグツと煮詰められる。この鍋は直径が3メートルほどもある。子供の頃読んだ絵本に出てきた、地獄で罪人を茹でるための大鍋を彷彿とさせる。



 原液が煮詰まってドロドロになってくると、今度はそれを巨大なバットに移し替えて、長いヘラのようなものを使ってかき混ぜていく。



 熟練した職人のヘラさばきは見事なものだ。二人の職人が協力して、ムラが出ないようにかき混ぜていく。しばらくそれを続けていると、次第にバットの中身が粘っこく固まってくる。



 最後に固形化したものを手の平サイズに切り分け、布で水分をよく搾ってから、日陰で乾かすと完成である。

 出来上がった糖は、白くてサラサラした『砂糖』とは違い、黄色くて粘りけのある『粗糖』である。不純物が多いために舌触りはざらっとしているが、コクがあってなかなか美味しい。この粗糖はすべて地元の市場に出荷されるそうだ。典型的な「地産地消」である。



 僕がもっとも感心したのは、その無駄のないシステムだった。サトウキビ汁を絞っていた牛はサトウキビの葉を餌としていたし、原液を煮詰める際に使っていた燃料はサトウキビの絞りかすだった。サトウキビを育て、収穫し、絞り、煮詰め、かき混ぜる。その過程で無駄なものは一切なく、ゴミも出ない。全ては循環するひとつの輪の中にある。今風に言えば「エコフレンドリーなゼロエミッション工場」なのである。

 もちろんインドにも近代的な製糖工場はある。そこでは上質な白砂糖が大量生産され、それは伝統的な粗糖作りを徐々にマイナーな存在へと押しやっている。

 しかし、昔ながらの手作業に頼った製糖業もそう簡単には廃れないだろう。長年培ってきた知恵にもとづいた伝統産業が、地域経済で果たす役割はまだまだ大きい。インドの田舎を旅していると、そのことを強く実感するのである。



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by butterfly-life | 2011-06-09 11:37 | インド一周旅行記
インドには綿花を食べるクジャクがいる
■ インド一周旅行記(28) 「石は神様からの贈り物」 バックナンバーはこちら ■

 マダナパーリが「トマトの町」なら、ベタムチェッラは「大理石の町」ということになるだろう。この町の周辺にはいくつもの石切場があり、そこから産出した大理石によって町が潤っているのである。
 大理石といっても、ここで採れる石はそれほど高級なものではない。研磨すれば表面がツルツルになり、見栄えがいいので家屋の床材として使われているが、値段はあまり高くないという。

「だいたい1平方メートルあたり10ドルぐらいだね。お買い得だと思うよ。あなたもお土産にひとつ買っていったらどうかね?」
 と冗談めかして言ったのは、石材加工会社の社長ジャナルダナさんである。石材置き場をうろうろと歩いていた僕に、流暢な英語で声を掛けてきて、お茶をご馳走してくれたのだ。インド人のお金持ちの中には、僕のような得体の知れないバックパッカー風情を見下すような態度をとる人が少なくないのだが(本人にそんなつもりはないのかもしれないが、そのように見えてしまうのだ)、彼にはそういうところが少しもなく、フレンドリーかつ紳士的だった。


[石材工場でも働く女性の姿が目立った]

「石は神様からの贈り物だよ」とジャナルダナさんは言う。「我々は地中に埋まっている石を掘り出して磨き上げる。それを他の町へと運ぶ。いい商売だ。資源が枯渇しないかって? そんな心配はいらないよ。少なく見積もっても、あと5000年は掘り続けられるよ。まぁ私が生きているあいだは問題ないね」
 彼の会社では床材だけではなく、大理石のテーブルや椅子なども作って販売している。彼は経営を多角化して成功した有能なビジネスマンなのだ。



「景気はいいよ。床石は日本のナゴヤにも輸出しているんだ。もちろん日本のお客さんにも満足してもらっているよ。インド国内のマーケットも拡大している。インド経済は毎年8%もの成長を続けているんだ。今では中流以下の家庭でも、うちの大理石を床に敷くようになっている。以前には考えられなかったことさ」


[マッチ工場で働く女性たち。50本入りのマッチは1箱75パイサ(約2円)。この安さは農村の安い労働力によって支えられている。]

 ジャナルダナさんが言うように、インド経済が急速に拡大しているのは確かである。しかし、その恩恵を受けているのは都市部周辺だけで、大多数の農村は相変わらず貧しい暮らしから抜け出せないでいるのも事実だ。

 たとえば綿花はインド各地で栽培されている主要作物のひとつだが、そこで収穫作業を行う人々の賃金は驚くほど安かった。一日中働きづめで、手にできるのはわずかに30ルピー(80円)。あまりにも安いので、何かの間違いではないかと聞き直したのだが、確かに30ルピーだという。


[綿花の収穫を行う女性]

「彼らは収穫の時期になると地主から仕事を請け負って働く季節労働者です。綿花1キロあたりの値段は20ルピーですが、労働者に支払われるのは1キロあたり2ルピーです。一日で集められるのは15キロが限度ですから、30ルピーという計算になります。安いと思いますか? でも仕方ないですよ。昔はもっと安かったんです」
 そう教えてくれたのは、自身も季節労働者であるクリシュナ君だった。
「一日30ルピーで暮らすのは大変です。だから僕は他にもふたつの仕事をかけ持ちしています。村の薬剤師と塾の先生です。ひとつの仕事だけで食べていけるのは、一部の人だけなんですよ」

 クリシュナ君と一緒に綿花畑をぶらぶらと歩いていると、面白い光景に出くわした。綿花を収穫する女のそばに、一羽のクジャクが寄り添っていたのである。綿花畑にクジャクがいる。そだけでも十分奇妙な光景だったが、さらに驚いたことに、女が摘み取ったばかりの綿花をクジャクの口元に差し出すと、クジャクがその綿花をパクッとついばんだのである。


[綿花畑にいたクジャク]

「クジャクの好物が綿花だなんて知らなかったよ」と僕は言った。
「いや、僕も知らなかったですね」とクリシュナ君は首を捻った。「美味しいとは思えないんだけどな」
 ということは、このクジャクは綿花畑で飼い慣らされるうちに綿花の味を覚えたのだろうか。
「このクジャクは何のために飼われているんだろう。食用なのかな?」
「いいえ、違うと思います。ペットなんでしょう。きれいな鳥ですから」

 白い綿帽子の続く綿花畑と、艶やかな羽根を持つクジャク。そのクジャクに綿花を食べさせている女。この不思議な組み合わせをひとつのフレームに収めようと、僕はカメラを構えてファンダーを覗いた。

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by butterfly-life | 2011-06-06 12:00 | インド一周旅行記
インド最大級のトマト市場で見たインド女性の雑な働きっぷり
■ インド一周旅行記(27) 「トマトの町」 バックナンバーはこちら ■

 カラフルな女とマッチョな男。インドで出会う人々は魅力的であると同時にフォトジェニックだったが、それはインドで立ち寄った町にも言えることだった。
 インドの町にははっきりとした個性があった。野生の猿が我が物顔で歩き回る町もあれば、タバコ農家が集中する町もあり、唐辛子畑が続く光景があるかと思えば、男たちが椰子の木によじ登って椰子酒を採っている村もあった。美しい町もあったし、醜い町もあった。猥雑な町もあれば、のどかな町もあった。


[椰子酒を採るために高い椰子の木に登る男]


[タバコの葉を乾かす男]

 それはコンビニチェーンと巨大スーパーとパチンコ店が延々と繰り返される日本の国道沿いの画一的な景色とは、まったく違うものだった。インドの町を歩けば、毎日なにがしかの発見や驚きがあった。感心させられることも、呆れかえることもあった。インドの町には自分の目で確かめられる余地がまだまだたくさん残されていた。
「さぁ、次の町には何が待っているんだろう」
 僕はいつも少しの不安と大きな期待を抱きながら、バイクを走らせていた。


[唐辛子畑を耕す男]

 デカン高原南東部に位置するマダナパーリは、トマトの栽培が盛んな町だった。このあたりの土地は石ころだらけで痩せているので、稲を育てるのが難しい。だから乾燥に強いトマトを作っているのだ。
 もっとも、ここがトマトの一大生産地となったのは、比較的最近のことだという。道路が整備されて都市への出荷体制が整ったことと、深い井戸を掘ってポンプで水をくみ上げる技術が導入されたことで、乾いた草を食べる山羊ぐらいしかいなかった土地がトマト農場に変わったのだ。



 インフラの整備こそがトマト生産の鍵。それを僕に教えてくれたのは、マダナパーリのトマト市場で仲買人をしているラムチェンドラ氏だった。彼によれば、ここはインド最大規模のトマト専用市場であり、一日に700トン、金額にして200万ルピーものトマトが取引されているという。出荷先はインド各地に及び、南インドの中核都市であるチェンナイやバンガロールはもちろんのこと、1800キロも離れた首都デリーへも送られているという。



「北インドではトマトは夏場にしか採れないんだが、ここでは一年中収穫することが出来る。だから遠くまで運んでも採算が合うんだ。赤く熟したトマトはすぐに痛んでしまうから、近郊の町で消費される。大都市に送られるのは、まだ青いトマトなんだ」
 ラムチェンドラさんはそう言うと、木箱から赤く熟した最高クラスのトマトを選んで渡してくれた。アメリカから輸入された種で、主にジュースに使われるということだったが、確かに果肉はジューシーで美味しかった。
「1キロだって2キロだって、食べたいだけ食べればいいさ」とラムチェンドラさんは笑いながら言った。「トマトだったら腐るほどあるからな」



 実際、市場のあちこちには腐り始めたトマトが散乱していた。気をつけて歩かないと、トマトに足を滑らせて転びかねないほどだ。さすがはインド最大級のトマト市場である。右を見ても左を見ても、トマト、トマト、トマトだらけ。まるで赤いトマトの海の中にいるみたいだった。



 トマトが入った箱をトラックに積み込むのは女たちの仕事だった。インドでは女性が男性と同じように重い荷物を頭に載せて働く姿は珍しくない。細身のインド女性のいったいどこにこれほどの力が備わっているんだろうと不思議になるほど、彼女たちはたくましかった。暇を見つけては仕事をさぼろうとする男性より、よっぽど有能じゃないかと思うほどだ。



 市場で働く人々のたくましい働きぶりを眺めていた僕の目を釘付けにした一人の女がいた。彼女はプラスチックの空箱を頭の上になんと6個も積み重ねた状態で、すたすたと歩いていたのだ。これはすごい。まるでサーカス団員のような巧みなバランスである。

 僕はすぐにカメラを構えてシャッターを切ったのだが、次の瞬間また別の意味で唖然とさせられてしまった。彼女は目的の場所に到着すると、その6個重ねの空き箱をそろそろと下ろすのではなく、そのまま地面にガチャーンと叩きつけたのである。彼女はそのまま平然と持ち場に戻り、再び空き箱を6個重ねて運んでくると、それをまたガチャーンと落とした。それがいつものやり方なのだろう。


[彼女はプラスチックの空き箱を…]


[そのまま地面に叩きつけるのだった…]

 いくらケースが頑丈にできていても、こんなに荒っぽい扱いを続けたらじきに壊れてしまう。もう少し丁寧な仕事はできないものかなぁと思うのだけど、ご本人は全く意に介す様子がない。

 全員がそうだというわけではないけれど、インド女性の働きぶりはおおむねこんな感じである。確かに働き者なのだが、どうもやり方が雑というか、荒っぽいというか、最後の詰めが甘いのである。

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by butterfly-life | 2011-06-02 07:30 | インド一周旅行記