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シク教徒とターバンの関係
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 シク教徒を象徴するものと言えば「ターバン」と「髭」だが、それが若い世代からは敬遠されはじめているという。マンディップ君とカレッジの友達も誰一人としてターバンを巻いていなかったし、短髪で髭も剃っていた。正式なシク教徒は髪や髭を「神から与えられたもの」として決して切らないのだが、そのような古い掟を忠実に守っている若者はすでに少数派になっているようだ。本来は飲酒も禁じられているのだが、今ではむしろ酒に寛容な地域であることは、すでに書いた通りだ。



「僕らの父親の世代はみんなターバンを巻いています。祖父たちが強制したからです。ターバンを巻かないと殴られたんです。でも僕の父親は『お前の好きなようにしろ』と言ってくれました。だから僕は自分の意志でターバンを巻かないと決めたんです。あれを巻いていると頭が痛くなるし、重たくて邪魔だからです。それに夏になるととても暑い」
「でもターバンを巻いている人たちは暑そうに見えないけど」
「我慢しているんです。それに何十年もずっと巻いていたら、暑さにも慣れますよ」

 外部の人間、特に僕のように写真を撮る者にとって、シク教徒のターバン姿は実に格好いいし、ぜひとも残して欲しい習慣である。でも実際に巻いている人にしかわからない苦労も多いのだろう。「やせ我慢」が評価された時代もあったのかもしれない。実利よりも伝統を重んじる時代もあったのかもしれない。でも今は違う。個人の選択の幅が増え、伝統衣装は次第に廃れていく。


[葬式のために正装をして集まったシク教徒の男たち。色とりどりのターバンと立派なヒゲ、白いシャツがとてもきまっている。]

 日本人がまさにそうだ。ちょんまげを切ったのは100年以上も前だし、浴衣や結婚式などを除いて普段着として和服を着ることはまずない。こうした世界的な「ドレス・ダウン」の流れは、インドにも確実に波及しているのだ。

 とはいえ頭にターバンを巻いたシク教徒が、日本人にとってもっとも「インド人らしいイメージ」であることは今でも変わらない。実際のところ、シク教徒がインド人全体に占める割合はわずか2%足らず。圧倒的なマイノリティーなのだが、そんな彼らが外国で「インド人の代名詞」のように扱われるのは、シク教徒が海外志向、つまり「外国で一旗揚げてやろうじゃないか」という強い意志を持っているからである。一説によれば、海外に定住しているインド人の3分の1がシク教徒で占められているという。



 マンディップ君も来月からニュージーランドに留学する予定だ。留学先にニュージーランドを選んだのは、すでに彼の親戚が何人も住んでいるから。ビザを取得するためには銀行口座の残高が80万ルピー(160万円)以上あることを証明しなければいけないので、そのために長期のローンを組んだ。英語も熱心に勉強してきたので、ボキャブラリーは僕よりもはるかに豊富だった。

「僕はこの国が好きじゃありません」とマンディップ君は言った。「自分の村は好きです。でもインドという国とインド政府は嫌いです。政府はシク教徒を差別してきました。シク教徒である限り、良い仕事に就くことはできないんです。この国のシステムはフェアではありません」
「でも今の首相はシク教徒だよね?」
「マンモハン・シン首相は立派な人です。とても頭が良い。しかし彼は操り人形でしかない。実権はソニア・ガンディーが握っています。みんなが知っていることです」
「君はずっと外国で暮らすつもりなの?」
「そうです。外国で仕事を見つけて、できれば永住権を取りたいと思っています。インドに戻ってくるつもりはありません」


[家具を作る工房で働くシク教徒の男]

 海外を目指すシク教徒の全員が、マンディップ君のように強い覚悟を持っているわけではないだろう。「若い頃だけ外国で働いて、あとは故郷に戻って店でも開いて、のんびり暮らそう」と考えている人だって多いはずだ(実際、そういうルートを辿ったシク教徒のおじさんに会ったこともある)。

 けれども、マンディップ君のように「故郷を捨てる」ぐらいの決意で臨まないことには、異国の地での成功がおぼつかないのも確かだ。言葉の壁や文化の壁、外国人に対する差別を乗り越えてのし上がるのは、生半可なことではない。それは世界各地に散らばった華僑や、南米に渡った日本人移民の例を見てもよくわかる。

 そうやって海外に出たシク教徒たちが稼いだ外貨は、パンジャブ州の経済にとって必要不可欠なものになっている。「トヨタのない名古屋」や「観光客のいないカトマンズ」が考えられないように、パンジャブ州の経済は海外からの送金なしには成り立たないのだ。


[パンジャブ州ムクトサールのナイトマーケット。野菜や果物をガス灯の明かりの元で売っている。]

 たとえばそれは場違いなほど立派な結婚式場を見ればよくわかる。パンジャブ州にはあちこちに広くて豪華な結婚式場があるのだが、それらは外国で働くシク教徒たちの結婚式のために建てられたものなのだ。
 モガという町の郊外にある「マジェスティック・リゾート」はそうした結婚式場の中でももっとも洗練されたもののひとつだ。ピカピカに磨き込まれたガラス張りのエントランスホールと、パラソルが並んだ屋外のパーティースペース。丁寧に刈り込まれた植木が配置された広大な芝生の庭。名前の通りリゾートホテルのような外観だが、もちろん周囲に海はなく、観光地もなかった。

 オーナーであるジョギさんによると、この式場がオープンしたのは5年前のこと。主に北米やオーストラリアなどで働いているパンジャブ人が顧客だという。インドでは親が見つけた相手と結婚する「アレンジ婚」が普通なので、たとえ外国で働いている人でも、結婚式は故郷に戻って行うのだ。


[インドの結婚式は盛大だ]

 インドの結婚式が盛大なのはよく知られているが、ここで行われる結婚式もだいたい300人から400人もの招待客が集まるという。費用は30万ルピー(60万円)から40万ルピー(80万円)程度だが、中には100万ルピーを超えることもあるそうだ。インド人の年収を考えると、これは相当な額である。ちなみに結婚にかかる費用は、新婦の親が支払うことになっている。悪名高いダウリ(花嫁持参金)は最近になってずいぶん減ってきたものの、娘を持つ親の負担は以前とあまり変わっていないようだ。


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by butterfly-life | 2011-07-28 16:53 | インド一周旅行記
血の気の多いパンジャブ人
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 パンジャブ州に入ると風景が一変した。乾ききった不毛の砂漠から、緑豊かな実りの大地へ。その変化は鮮やかだった。
 どこまでも続く畑には青々とした麦穂が風に揺れ、運河を流れる水が大地を潤していた。空気も少し湿り気を帯びていて、日光もやわらかかった。


[麦畑で働く男]

 パンジャブ州ももともとはラジャスタン州と同じように不毛の地だったという。それを変えたのは灌漑事業だった。インダス川の支流に巨大なダムを作り、そこに貯めた水を運河によって下流の農地に行き渡らせようという一大プロジェクトが、当時の首相ネルーの元で実行に移されたのだ。住民たちもこの事業に惜しみない労力を注ぎ、やがてパンジャブ州はインド有数の穀倉地帯と呼ばれるまでになったのである。現在目にすることができる緑豊かな大地は、実は人の手によって造られた景観なのだ。



 パンジャブ州にはターバンを巻いたシク教徒が多かった。インド全体に占めるシク教徒の割合はわずか2%足らずなのだが、パンジャブ州内に限れば60%以上にもなるのだ。当然のことながら町はターバンだらけで、警察官や兵士もちゃんと制服の色に合わせたターバンを巻いていた。



 パンジャブ人はとても大柄だった。身長180センチを超える男も珍しくないし、みんな胸板が厚く、腕っ節が太い。顔つきも違う。アーリア系民族の特徴なのだろう、鼻が高く、目が大きくてはっきりしている。これまで旅してきた南部や中部のインド人とは、明らかに異なる外見だった。

「パンジャブ人が体格が良いのは食べ物のせいです」
 と言うのはマンディップ・シン君。19歳の大学生である。
「他のインド人に比べて肉をよく食べるんです。だから体が大きくなる。それからお酒もよく飲みます」
「お酒?」
「ビールやウィスキーを飲むと体格が良くなるらしいんです」
 初めて聞く珍説だった。アルコールが背を高くしたり分厚い胸板を作ったりするとは考えにくかったが、パンジャブ州に酒屋が多いのは確かだった。しかも鉄格子に覆われていないオープンな酒屋ばかりなのだ。

 どうやらインドでは「飲酒」と「肉食」がリンクしているようで、お酒に厳しい地域ほどベジタリアン食堂が増えるという傾向が見られた。法律で酒の販売を禁じているグジャラート州はその典型で、ほとんどの食堂が肉を出さないベジタリアン専門店だった。グジャラートとは逆に飲酒に寛容なパンジャブ州には、肉や魚を食べさせる店が多いのである。禁欲的とは言えない僕のような人間には、やはりパンジャブ州の方が居心地が良かった。


[ジャガイモ畑に水を流していたシク教徒のおじさん]

 マンディップ君とは、彼が通う工科系のカレッジのそばを通りかかったときに知り合った。パンジャブ州にはカレッジ(単科大学)がやたらと多い。国道をひた走っていると、突然コンクリート造りのカレッジが麦畑の中にそびえ立っていたりするのだ。農業以外にこれといった産業がないから、教育に力を入れているようだ。そのあたりの事情は南部のケララ州とも共通していた。

 僕らはカレッジの隣にある原っぱに座り込んで話をした。工科系なので生徒の大半は男子で、彼らもやはり体格が良かった。特に上半身の分厚さはアメリカ人をもしのぐほど。男子生徒同士の仲の良さも際立っていた。インドには仲良く手を繋いだり、べたべたくっつき合ったりしている暑苦しい男たちが多いのだが(もちろんホモセクシャルではなく友情である)、パンジャブ人はその暑苦しさの度合いがずば抜けて高いのである。

 彼らがふざけ合ったりじゃれ合ったりする姿は、猫科の動物の子供を思わせた。じゃれ合ううちに次第に喧嘩モードになってしまうのも動物と同じ。いつの間にか原っぱの上で取っ組み合いの喧嘩が始まったのだが、まわりの連中はただ笑っているだけで誰も止めようとしなかった。まるで小学校の休み時間である。
「あいつらは酒を飲むといつもああなるんです。放っておけばいいんですよ」
 とマンディップ君は呆れ顔で言った。実際、お互いに疲れたのか、始まったときと同じようにいつの間にか喧嘩は終わっていた。



 その直後に目にした「バス車掌事件」は、パンジャブ人の血の気の多さがそのまま出たような出来事だった。
「僕らは今から戦いに行きます」
 とマンディップ君は興奮した口調で言った。
「戦うって誰と?」
「あのバスとです」
 彼が指さした先には、何の変哲もないローカルバスが停まっていた。バス?
「あのバスの車掌は、僕ら学生から運賃を取るんです。だから車掌を殴りに行くんです」
 意味がよくわからなかった。車掌が乗客からお金を取るのが悪いことなのか?
「インドでは学生は無料でバスに乗れることになっているんです。政府がそう決めている。その代わりにバス会社は税金を免除されているんです。でもあのバスの車掌は決まりを破って学生から運賃を取っているんです。絶対に許せないですよ!」
 バスの運賃は2キロあたり1ルピーで、マンディップ君の場合には往復で20ルピーが必要になる。それを毎日払い続けるのは大きな負担なのだ。学生にとって交通費は死活問題なのである。
「これは僕だけの問題じゃない。このカレッジの学生全員の問題です」
「それはわかるけどさ、なにも殴ることはないんじゃないの?」
「いいえ、殴らないとわからないんですよ。今から行ってきます!」

 彼はそう言い残すと、仲間と一緒にバスに向かった。文字通り「殴り込み」である。学生たちはバスに乗り込むやいなや車掌の胸ぐらを掴み、拳を握りしめて振り上げた。しかし殴りはしなかった。まずは威嚇するだけのようだ。もちろん車掌の方も黙ってはいなかった。リーダー格の学生の胸ぐらを掴み返して、激しく睨みつけた。まさに一触即発。ガンの飛ばし合い。ヤクザ映画のような迫力だった。

 結局、両者の衝突は暴力事件には発展せずに収束した。車掌は学生たちの主張を受け入れ、今後は運賃を取らないと約束したのだ。奇襲作戦が見事に成功したわけだ。
 それにしても荒っぽい手口である。まず力を誇示することで交渉を有利に進める。それは我々がインド人に抱く「非暴力」のイメージとは正反対だった。
「我々はガンディーとは違います」とマンディップ君は首を振った。「ガンディーは偉大なインド人ですが、パンジャブ人は戦いを好みます。我々は相手に黙ってやられるような人間ではありません」


[血の気の多いパンジャブ人が熱中するスポーツがカバディだ。筋肉質の男たちがぶつかり合い、取っ組み合う激しい競技で、練習にもかかわらず血を流す男もいた]



 もともとパンジャブ人には「戦士の部族」として鍛えられてきた歴史がある。体格が良く、忍耐強く、規律正しい。そのような特徴ゆえに、パンジャブ州出身の兵士はインド軍でもとりわけ有能だと認められてきたという。
 往年のプロレスファンにはおなじみのタイガー・ジェット・シンも、パンジャブ州出身のシク教徒だ。サーベルを振り回し「インドの猛虎」と恐れられた悪役レスラーは、もちろん彼の「地」ではなく作られたキャラクターだったが、マッチョで血の気が多いというパンジャブ人の特徴を生かした絶妙のキャラ設定だったと言えるのではないだろうか。


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by butterfly-life | 2011-07-25 13:34 | インド一周旅行記
真っ赤に染まった湖の正体
■ インド一周旅行記(50) 「白い大地と赤い大地」 バックナンバーはこちら ■

 グジャラート州西部に広がるカッチ湿地は、一面真っ白い塩で覆われていた。雨季になると分厚い泥に覆われた湿地帯になるのだが、乾季には水がすっかり干上って「塩の大地」と化してしまうのだ。

 カッチ湿地周辺には、当然のことながら大規模な塩田がいくつもあった。日差しは一年を通して強く、海から吹きつける風は強く、しかも遠浅の干潟が続く。これほど塩作りに適した土地は世界でも珍しいだろう。


[塩の山の上で休む男たち]

 国道沿いに並ぶ巨大な塩の山は壮観だった。人口が11億もいれば、塩の需要も莫大なものになる。人は塩なしには生きていけないのだ。
 試しに計算してみよう。成人一人あたりの塩分摂取量を10gとすると、1年で3.65kgになる。これに11億をかけると402万トン。東京ドームだと1.5杯分である。なかなかイメージしにくいが、とにかくすさまじい量である。

 カッチ湿地での塩作りは、僕がこれまでに訪れたアジアの塩田とは違って機械化が進んでいた。パワーショベル(日立製が多いので「ヒタチ」と呼ばれている)を使って地面の塩をごそっと掘り、それをトラクターの荷台にどさっと積み上げていくのだ。地面の泥が多少混じっていても気にしない。ごそっ、どさっ、ごそっ、どさっ、の繰り返し。なんとも豪快だった。


[日立製のパワーショベルで塩を運ぶ]

 もっともすべての塩田が大型機械を使っているわけではなく、中小規模の塩田はいまだに人の手に頼っているところも多かった。
「今のところ人を使った方が安上がりなんです。パワーショベルはとても高価ですから」
 と言うのはサリーム君。塩田オーナーの息子で、眼鏡をかけたインテリ風の若者である。彼の塩田では70人の労働者を雇っているのだが、それでもパワーショベル1台分の働きにはかなわないという。
「将来的にはもっと塩田を広げて、機械化を進めるつもりです。でもそのためには1500万ルピー(3000万円)以上の投資が必要なんです」





 サリーム君の父親はもともと土地を持たない貧しい農民だった。しかし30年前に転機が訪れた。近くに大規模な化学工場が建設されたことをきっかけに、塩作りを始めたのだ。苛性ソーダなどの化学製品には塩を原料にするものが多いので、塩の需要が増えるだろうと予測したのだ。塩田は干潟だった土地に堤防を築き、海から切り離して作った。とれた塩を売り、その収入を塩田の拡大のために再投資する。それを毎年繰り返した結果、今では2.5平方キロメートルの塩田で1年に7万トンの塩を作るまでになったのである。

 このようなサクセスストーリーはインドでは珍しい。大昔から続く身分制度に縛られ、社会的な流動性に乏しいインドでは、「お金持ちがもっとリッチになる」という話ならよく聞くのだが、貧農だった人が新しいビジネスで成功するという話は非常に少ないのだ。

「塩ビジネスも簡単ではありませんよ」とサリーム君は言う。「最近、塩の値段が下がってきたので、塩田をやめる人も出てきたんです。塩1トンあたりの取引価格は700から800ルピーというところです。規模を広げないとビジネスが成り立たないんです」



 カッチ湿地にある塩田の中でもとりわけ印象的だったのが、ドゥワルカという町の近くにある「赤い塩田」だった。目の錯覚ではない。光の反射作用でもない。塩田に張られた水自体がインクを流したように真っ赤に染まっていたのだ。

 以前、南米ボリビアのウユニ塩湖を特集したテレビ番組で、同じように赤い色をした湖のことを取り上げていた。湖の水が赤い理由は特殊なプランクトンが含まれているからで、フラミンゴが鮮やかなピンク色をしているのもそのプランクトンを食べているからだ、という話だった。これは後で知ったことだが、実はカッチ湿地もフラミンゴの生息地のひとつになっているそうだ。ということは、この赤い水の正体もプランクトンだと考えていいだろう。



 塩田はおそろしく静かだった。風が吹き抜ける音と、その風が水面に立てるさざ波の音。それだけしか聞こえない。
 僕は積み上げられた塩の山に登って、見渡す限り真っ赤に染まった世界を眺めた。

 それは現実離れした奇妙な光景だった。
 地球がまだ熱かった頃、「生命のスープ」と呼ばれる原始の海が広がる世界に迷い込んだ気がした。


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by butterfly-life | 2011-07-22 11:49 | インド一周旅行記
「ラクダ車」というスローな乗り物
■ インド一周旅行記(49) 「ラクダ車が走る道」 バックナンバーはこちら ■

 ヴェラワルを出てから、海沿いを走る国道8E号をさらに西へと向かった。
 国道8Eでは荷車を引いて歩くラクダの姿をよく目にした。ラクダ車はとてもスローな乗り物である。リキシャよりも牛車よりも遅い。人が歩くのとさほど変わらないスピードで、一歩一歩を踏みしめるように歩いている。御者ものんびりしたもので、手綱や鞭も握らずにごろんと横になっている。中には昼寝をしている御者もいる。たとえ居眠り運転をしても、ラクダ車が事故を起こすことはないのだろう。





 僕はラクダの人を食ったような顔がすごく好きなのだが、このラクダ車という乗り物も忙しく走り回る現代人に一石を投じているようで(もちろん本人たちにそんな気はないだろうが)、なんだか好感が持てるのである。
 そんなに急がなくたって、いつかきっと目的地に着くさ。
 ラクダは独特の風貌でそう言っているようだった。




 ラクダ車を写真に撮っていると、近くの家に住むおじさんに声を掛けられた。
「まぁお座りなさい」
 言われるまま、庭先に置かれたプラスチックの椅子に座り、よく冷えたスプライトをいただいた。カラカラに喉が渇いているときに飲むスプライトより美味いものがあるだろうか。あー、生き返る。

 グジャラート州はまだ2月の終わりだというのに、とても暑かった。昼過ぎには40度近くまで気温が上がる。こういうときにはチャイではなく、ソフトドリンクが飲みたくなる。というかチャイなんて熱いうえに甘ったるくて、とても飲めるような状況じゃないのだ。

 昔の旅行記には「どれだけ暑くても、インドでは熱いチャイが最高だ」などと書かれていたりするが、今ではインド人も熱いチャイより冷たいソフトドリンクを好むようになっている。昔は選択肢がなかったのだ。チャイしかないから黙ってチャイを飲んでいた。ところが今では田舎にまで電気が行き渡り、冷蔵庫も安く手に入るようになったので、誰もが冷えたコーラやペプシを求めるようになったのである。


[メッカコーラ。イスラムの香り漂うネーミングだ]

 もちろん「冬でも夏でもチャイがいいのだ」という人も今もたくさんいて、僕にスプライトをくれた親切なおじさんもその一人だった。彼のチャイの飲み方はちょっと変わっていた。カップに入ったチャイをいったんソーサーにこぼしてから、ソーサーに口をつけてズズーっと飲むのである。
「ここら辺ではみんなこうやるんだ。カップのままだと熱いからね」


[こうやって飲むのがグジャラート流]

 おじさんはインド軍の退役軍人なので、片言ながら英語が話せた。僕がバイクでインドを一周していると知ると、
「ラジャスタンにやってきた記念にメヘンディを施してあげよう」と言った。
 メヘンディとはヘナという植物の葉の力で一時的に肌を染める化粧法のこと。ラジャスタンの女性たちは結婚式などのおめでたいときには必ずこのメヘンディをするのだそうだ。

 メヘンディはヘナの葉を乾燥させて粉末状にしたものに水や油などを加えて作る。ペースト状になったメヘンディをチューブに入れて模様を描き、完全に乾くまで待ってから剥がすと、その部分の肌が赤茶色に染まるという仕組みだ。

 僕の腕にメヘンディを施してくれたのはおじさんの娘だった。インドにはプロのメヘンディー・アーティストもいるようだが、友達や家族同士で模様を描き合って楽しむのも一般的だという。娘さんの手際は見事で、下絵もなしに複雑な草木模様を描いていった。体が覚えているのだろう。



「この模様には『あなたの健康と幸せを願う』という意味があるんだ」とおじさんが言った。「メヘンディが守ってくれるから、無事に旅を続けられるよ」
「ありがとうございます。でもメヘンディが消えてしまったら、どうなるんですか? お守りの効果は消えてしまうんでしょうか?」
「心配いらないさ」と彼は笑って答えた。「インドの神様はきっと守ってくれる。でも、なるべくならメヘンディは消さない方がいい」
 そう言われたから極力洗わないようにはしていたのだが、残念ながら3日後には色が落ち始め、1週間経った頃にはすっかり模様が消えてしまった。
 幸いなことに、そのあと事故に遭うようなことはなかったのだが。




 バレージという町の近くには、地面に巨大な穴がいくつも空いているエリアがあった。その穴は一辺が50メートルほどの正方形で、深さは10メートル以上もあり、壁はほぼ垂直に切り立っていた。何かの遺跡(古代のプール?)のようにも見えたが、さほど古いものではなさそうだった。

 穴の正体がライムストーン(石灰岩)の石切場だと教えてくれたのは、採掘責任者のメル・ジャレジャさんだった。彼によれば、このあたりでライムストーンの採掘が始まったのは30年ほど前のこと。技術的には簡単で、地面から真下に掘り進むだけなので、土地さえあればどんどん掘れるという。15メートルほどの深さまで掘ると、また別の土地に移って掘る。それを繰り返したせいで、巨大な穴ぼこだらけの景観が生まれたのだ。



 ライムストーンは30キロほどの重さのブロックに切り分けて出荷される。卸値は1個あたり15ルピー(30円)。あまり高級な石材ではないらしく、主に家の壁材などに使われているそうだ。



 石切場は非常に過酷な仕事場だった。凄まじい勢いで回転する円形カッターは、あたり一面に白い粉塵をまき散らし、それをまともにかぶる労働者はたちまち全身が真っ白になってしまう。それなのに彼らはマスクもゴーグルも着けていないのだ。無茶である。粉塵を日常的に吸い込むことで肺が病気になることを知らないのだろうか。



 メル・ジャレジャさんによれば、労働者の日給は12時間働いて200から300ルピーだそうだ。平均の3倍以上にあたる額だが、もしそれが本当だとしても「命を削る」働きに釣り合うとは思えなかった。




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by butterfly-life | 2011-07-19 12:27 | インド一周旅行記
沈没した船をバケツを使って救おうとするインド人
■ インド一周旅行記(48) 「沈みゆく船を救え」 バックナンバーはこちら ■

 アラビア海に面したヴェラヴァルは、漁業と造船業で栄えている町だった。港に面したドックでは遠洋漁業に出かける大型船から、近海での漁に使う小型ボートまで、様々な大きさの船が造られていたが、どれも木製だった。造船所といえばシールドを手にした職人が火花を散らして鉄板を溶接しているような勇ましいイメージがあるが、この町の造船所では釘と金づちを使ってトンテンカントンやっているので、雰囲気は牧歌的だった。


[このような大型船もすべて木製だ]

 ちなみに船体に使われているのはマレーシアから輸入した木材で、何週間もの漁に耐えられる大型船を作るには40人の職人と2年の歳月を必要なのだという。値段は2000万ルピー(4000万円)だそうだ。



 バイクで漁港をひと回りしているときに、驚くべき光景に出くわした。一隻の漁船が今まさに沈没しようとしていたのだ。
 その老朽船は夜のあいだに船底に穴が開いたらしく、そこから侵入してきた海水がもう甲板の上にまで達していた。船員らしき男たちがバケツで甲板の水をかき出したり、ロープで船体を引っ張ろうとしたりしているのだが、もはや手に負えない状況のようにも見えた。



「あんたも手伝ってくれ」
 そう頼まれたので、僕も船員たちと一緒にえっさほいさとロープを引っ張ったのだが、いかんせん船が大きすぎるのでピクリとも動かない。まさに「焼け石に水」だった。
 そうこうしているうちに、どこかからポンプが運ばれてきて、ようやく本格的な排水作業が始まったのだが、それでも船が沈没の危機から脱するのは難しそうだった。


[ロープで船を引っ張るのだが……]

 大切な船が沈もうとしている。そんな大ピンチにもかかわらず、船員たちの顔には切迫感や悲壮感のようなものは浮かんでいなかった。「しゃーねぇなー。ま、ボロ船だったもんな」という感じで、完全に諦めムードなのである。おいおい、そんなことでいいのか。あんたたちの船なんじゃないのか?




 港町ヴェラヴァルでもうひとつ印象に残っているのは、いたるところに「野良系」の動物がいたことである。野良犬や野良猫や野良牛はもちろんのこと、野良豚や野良山羊までいるのだ(もちろんカラスも多いのだが「野良ガラス」という言葉は聞いたことがないのでリストには加えない)。この町には彼らにとってのエサとなる売り物にならない小魚や残飯なんかが豊富にあるのだろう。



 しかしエサが豊富にあるからといって安閑としていられないのが、インドという国の厳しさである。誰にも庇護されず独力で生き抜かなければいけない動物たちの生存競争は、野生なみにシビアなのだ。ゴミ捨て場には豚が群がり鼻をひくつかせてエサになりそうなものを探し回っていたし、青空市場を徘徊する野良牛は例のごとく「牛たたき棒」で叩かれていた。魚市場の野良猫は売り子からおこぼれをもらうために媚びを売っていた。動物たちはそれぞれのやり方で厳しい世界を生き抜いていた。


[おこぼれを待つ野良猫]



 路地裏で見かけたのは「野良牛vs野良犬」の仁義なき戦いだった。両者は目の前の残飯をめぐって激しくにらみ合っていた。どちらもガリガリに痩せていて、なんでもいいから口に入れられるものを求めているように見えた。体格で圧倒する牛に対して、犬は持ち前の攻撃性を前面に出して一歩も引かない構えだ。



 両者のにらみ合いはしばらく続いたが、決着はあっけなかった。勝ったのは犬の方だった。歯をむき出しにして「グルルー」と唸り声を上げた犬に対して、牛は文字通りしっぽを巻いて逃げていったのだ。
 やはり草食系は争うのが苦手なのだろうか。


[動画:ヴェラヴァルの魚市場の様子]
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by butterfly-life | 2011-07-14 12:52 | インド一周旅行記
禁酒州グジャラートで飲むお酒の味は?
■ インド一周旅行記(47) 「禁酒州で飲む酒の味」 バックナンバーはこちら ■

 グジャラート州は酒飲みには辛い土地である。ここはインドで唯一の「禁酒州」、つまり州内でアルコール類を販売することが法律で禁止されているのだ。
 僕は旅のあいだはたまにしか酒を飲まないので、グジャラートが禁酒州であることを知ったのは、州に入ってから数日後のことだった。町で酒屋を見かけないことには気付いていたのだが、酒の販売に厳しい制限を設けているインドでは珍しいことではなかったので、さほど気にしてはいなかったのである。


[グジャラート州独特の乗り物であるピックアップ・バイク。リアカーをアメリカンスタイルの大型バイクで引っ張るかなりワイルドな乗り物である。]


「グジャラート州にはアルコールを売る店はひとつもありません」
 と教えてくれたのは、バウナガールという町のアイスクリーム屋で働く若者だった。その店は幅広い年齢層が集まる人気店で、子供や若者だけでなく中年のおじさんも美味しそうにアイスをなめていた。グジャラート州で「一杯やる」と言えば、飲み屋ではなくスイーツ店なのである。

「お酒は体に良くありません」と彼は言った。「飲み過ぎると頭がバカになります。あなたの国ではみんなお酒を飲むんですか? 信じられないな。だって日本人はとても優秀じゃありませんか」
「確かに飲み過ぎはいけないよ」と僕は反論した。「でも酒は人生を愉快にする。人付き合いを楽しくする。それに適量だったら酒は体に良いと言う人もいるんだ」
「まさか。ロシアでは酒の飲み過ぎで毎年何十万人も死んでいると聞きました。アルコール中毒になって自殺したり殺人を犯す人もたくさんいる。それでも酒が体に良いと言えるんですか?」
「・・・・」
 返す言葉がなかった。彼の言い分はまったくもって正しかったからだ。酒の飲み過ぎは体に悪いし、人を愚かな行動に駆り立てる。それをわかっていながら、人は太古の昔から酒を飲み続けてきた。理由はわからない。理由なんてないのかもしれない。汝ただ酒を欲するものなり。
「君は酒を飲んだことがある?」
「もちろんありません。飲みたいとも思いませんね」
「酒の魅力は飲んでみないとわからないんだ」
 負け惜しみみたいに聞こえたかもしれないが、それ以外に言いようがなかった。
「マンゴーを食べたことのない人に、マンゴーのおいしさを伝えることはできない。それと同じことだよ」
「でも、マンゴーは体に良い食べ物ですよ」
「・・・まぁ、そうだね」
 僕の完敗であった。彼とはどうやっても乾杯できそうになかった。


[川で羊を洗う男]

 彼のように頑なな人はさすがに珍しいが、インドには「飲酒は好ましくない習慣である」という価値観がどっしりと根を下ろしているのは確かだった。酒は享楽的で自堕落な不良が飲むもの、という考え方が特に保守的な田舎には強く染みついているのだ。これはイスラム勢力がインドを支配していた頃の名残だという話だが、詳しいことはわからない。

 そのような価値観を反映しているからなのか、インドの酒屋は雰囲気がやたらと暗かった。酒飲みに対して罪悪感を感じさせる目的で作られているんじゃないかと思うほど、いかがわしい外観なのだ。
 まず驚かされるのが酒屋全体を覆う鉄格子である。客が酔っぱらって暴れても、絶対に酒屋の中には入れないようになっているのだ。だからお客は商品を直接手にとって選ぶことはできない。客がパチンコ屋の景品交換所のような小窓から代金を突っ込むと、その代わりに古新聞に包まれた酒瓶が手渡されるという仕組みになっているのだ。店主が「旦那、これが例のブツですぜ」と言い出すんじゃないかと思うようなハードボイルドタッチの演出である。
 酒屋を訪れる客もまともそうには見えなかった。社会の落ちこぼれとまでは言わないが、家庭や職場で深刻な問題を抱えていそうなやさぐれた感じの人が多い。もちろん女性客は皆無だった。


[鉄格子に覆われた酒屋]

 そのような後ろめたい思いをして手に入れたインドの酒は、残念ながらひどい味だった。もちろん高い金を出せばそれなりに美味しい酒もあるのだろうし、金持ちは外国産のウィスキーなどをたしなんでいるようだが、庶民が飲む安酒ははっきり言ってまずかった。人工的なアルコール臭が鼻につく、明らかな粗悪品なのだ。スプライトやコーラで割って、味をごまかさないととても飲めたものではなかった。

 僕は酒にうるさい人間ではない。ワインの産地にもこだわらないし、ウィスキーの微妙な風味の違いにも頓着しない。気持ち良く酔える酒ならまず満足できるというタイプの人間である。その僕がまずいというのだから、本当にまずいと思っていただいていいだろう。

 しかもインドの安酒はまずい上に高いのだ。一番手頃なウィスキーの小瓶が50から60ルピーほど。ビールは一本40ルピーほどである。平均的な肉体労働者の日給が50ルピーから100ルピーであることを考えると、これはかなり高額である。貧乏人は酒など飲むな、という無言の圧力を感じる価格設定なのだ。


[酒屋でビールを手に入れた男たち。すでに酒臭かった]

 バーも暗い。インドのホテルには地下室をバーにしているところが多いのだが、どこも洞窟のような暗さなのである。暗すぎて手元のメニューが読めないぐらいだ。もちろんこれはロマンティックなムードを演出しようとしているわけではない。なにしろ客も従業員も男ばかりなのだ。インドには男女が仲良くなるためのお酒というものは存在しないし、「酔った勢いで○○しちゃった」なんてこともないのである。

 女がいなくても、洞窟のように暗くても、酒を飲む男たちは楽しそうだった。一人で静かに飲んでいる人はほとんどいない。たいていは友達同士でぱーっと楽しく飲んでいた。バーや酒屋で見慣れない外国人がいると、気さくに声を掛けてくる人も多かった。
 隣のテーブルで飲んでいるおじさんから、「こっちへ来いよ」と手招きされたので行ってみると、いきなり肩を抱かれてほっぺたにブチュっとキスされたこともあった。硬いヒゲが頬に当たってチクチクした。困った奴だ。酔うとキス魔になる人はインドにもいるらしい。
「エク・キス!(も一回キスさせろ!)」
 オヤジはニコニコ顔で言うので、慌てて逃げた。勘弁してくれよ。ひょっとしたら「そっち」の気があるのかとも思ったが、たぶん単にフレンドリーな男なのだろう。インドでは男同士が手を繋いだり抱き合ったりするのは当たり前である。

 ところで、禁酒州であるグジャラートを旅するあいだ、一度だけ酒を飲む機会があった。それはディウという長さ10キロほどの小島を訪れたときのこと。ディウ島は長年ポルトガルの植民地だったこともあって連邦直轄地域に指定されており、グジャラート州の法律が適用されていないので、治外法権的に酒の販売が許されていたのだ。

 ディウ島の先端にはポルトガルが築いた堅固な要塞があり、町並みは植民地時代の面影を色濃く残していた。砦から見える海はとても静かで、風も穏やかだった。午後にはどの店もシャッターを下ろし、町は眠り込んだように静かになったが、これは植民地時代に持ち込まれたシエスタの習慣が今も残っているためだという。

 ディウ島はまったくインドらしくない町だったが、そこで手に入れたウィスキーは極めてインドらしい味だった。要するにとてもまずかったのである。


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by butterfly-life | 2011-07-11 11:01 | インド一周旅行記
動画「インドの働き者」


インドの様々な場所で働く人々の姿を2分の動画にまとめました。
漁師、農家、陶芸、金属加工、製菓、織物工場などなど。
伝統的な仕事から肉体労働まで。
働く人々の強くたくましい生き様を感じられるビデオです。
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by butterfly-life | 2011-07-09 11:24 | インド一周旅行記
「野良牛との戦い」から見えてくる「場当たり的」なインド人の特徴
■ インド一周旅行記(40) 「神の化身をひっぱたく人々」 バックナンバーはこちら ■

 「踏切を巡る戦い」もインドらしい不条理に満ちていた。
 インドは鉄道網が発達した国なので、無数の踏切が設置されているのだが、そのほとんどが機械化されていない有人の踏切なのである。遮断機の開閉は専門の職員がハンドルをグルグル回して行うというかなり原始的な方法を採っている。これは私見だが、踏切が電動式に切り替わらないのは、それをすると膨大な数の職員がリストラされて路頭に迷いかねないという「職能カースト」的な事情と、停電で動力が失われると即大事故に繋がるという未熟なインフラ側の事情の両方に配慮しているからだと思われる。「お国柄」と言ってしまえばそれまでだけど。



 この手動式遮断機の問題は、閉まるタイミングがあまりにも早すぎることである。だいたい列車が通過する5,6分前から(最長では12分も前から)遮断機を下ろしてしまうのだ。衝突事故を起こさないために余裕を持たせているのだろうが、それにしても10分は長い。食堂で昼食を済ませてチャイを飲めるぐらいの時間である。そんなにも前から下ろす必要があるのだろうか?

 そう考えているのはインド人も同じらしく、だから遮断機が閉まってからも人々はその下をどんどんくぐり抜けていくのだった。歩行者はもちろん、自転車やバイクに乗った人もまるでリンボーダンスのように器用に体を曲げて遮断機をくぐっていくのだ。


[踏切をくぐり抜ける男]

 やがて「ファーン」という警笛と共に、列車がはるか彼方から現れる。しかし遮断機をくぐる人の列は途切れない。列車が通過するまで、まだ若干の余裕があることを知っているのだ。インドのローカル鉄道はかなりノロい。時速40キロぐらいでゆっくりとやってくる。

 ディーゼルエンジンの轟音がすぐそばまで近づき、二度目の警笛が鳴らされても、まだ踏切を渡ろうとする人がいる。チャレンジャーである。ひとつ間違えれば轢かれかねないタイミングだ。そんなリスクを冒す場面ではないように思うのだが、「行ける」と思った瞬間に体が勝手に動き出してしまうのがインド人なのである。
 結局、この男はギリギリのタイミングで列車をかわして踏切を渡り終えることができたのだが、これじゃあ10分も前から遮断機を閉めている意味なんて全然ないじゃん、と思ってしまった。




 遮断機をくぐる人の体の曲げ方や、自転車を斜めに寝かせるタイミングは実に巧みだった。「プロ」の領域に達していると言ってもよかった。しかしそれと同時に「その努力って使う方向を間違えていないか?」とも思った。遮断機を巧みにくぐり抜けるために使っているエネルギーを「みんなで知恵を出し合って、踏切での無駄な待ち時間をなくしましょう」という議論に向けることができれば、この理不尽な状況を改善できるのではないか。

 しかし残念ながら、そんな風に考えるインド人はどこにもいない。と言うか、もしインド人がそのように考える人たちであれば、インドという国が今のような不条理に満ちた場所になっているはずがないのである。


[田舎を走る鉄道はほとんどがディーゼル車だ]

 必死に遮断機をくぐろうとする歩行者と対照的なのが、バスや自動車だった。10分ものあいだ、バスの乗客やトラックの運転手は文句ひとつ言わず、ただじっと遮断機が開くのを待っていた。
 インド人は「自分の力がおよばない」とわかると、諦めるのが早い。「なるようにしかならない」という状況でなら、いくらでも忍耐力を発揮できる人々なのだ。渋滞や事故などでバスが何時間も遅れても、「ま、そのうちくるでしょう」という超然とした態度で待ち続けることができるのである。


[インドの列車はのんびりと走る]


[線路の上で堂々と靴の修理をする男。列車が来たらどうするのだろう?]


 インド人のものの考え方を特徴的に表す例としてもうひとつ挙げたいのが「野良牛」である。野良牛とは町にたむろする誰にも飼われていない牛のこと。ヒンドゥー教徒が牛を「神の化身」として崇め、殺して食べることを厳しく禁止しているために生まれた存在である。


[インドには無数の牛がいる]

 野良牛にはインド人も迷惑している。道路の真ん中にどんと居座って動かないから交通の妨げになるし、あたり構わずボタボタと糞を落としまくって汚いし、通行人が逃げ回る牛にぶつかって怪我をすることもある。それでも「牛をどこかに収容して飼う」とか「牛を放した飼い主にはペナルティーを与える」いった根本的な解決手段がとられたという話は聞かない。野良牛問題は基本的に放置されたままなのである。

 マワイという田舎町の市場で見かけた野良牛たちは、見るからにお腹を空かせていた。誰からもエサをもらえないので、仕方なく市場に並んだ野菜をかすめ取ろうとしていた。それに対して、市場の女たちはそれぞれの手に持った棒で野良牛を追い払っていた。

 野良牛vs人間のガチンコバトルはなかなか見応えがあった。野良牛はふらふらした足取りで市場を歩き回りながら、野菜売り場の女たちが見せる一瞬の隙をしたたかに狙っている。女が客とのおしゃべりに気を取られた瞬間がアタックチャンスだ。牛はそれまでの足取りが嘘のような素早い動きで店先に近寄ると、スルッと舌を出してジャガイモを口に入れる。ミッション・コンプリート。作戦成功だ。
「しまった!」
 女が気付いたときには時すでに遅し。ジャガイモは野良牛の胃袋に収まっている。だが売り物を盗られた女の悔しさは収まらない。
「こいつ!」
 女は手にした木の棒で牛の顔面を思いっきりひっぱたく。驚いて飛びのいた牛に、女はさらに罵声を浴びせかける。
「てめぇ、二度と来んじゃねぇ!」
 とでも言っているのか。もちろんそんなことで野良牛がめげるはずもなく、あらたな獲物を求めて市場の中を徘徊し始めるのだった。



 これがインドで「神の化身」と崇められている牛の哀しくもおかしい現実である。ブッダは「人の一生は苦だ」と看破したが、牛の一生だってやはり苦ではないかと思う。

 「開かずの踏切」や「野良牛との戦い」から見て取れるのは、おおむね「場当たり的」で「その場しのぎ」に終始するというインド人の特徴である。
 野良牛を何とかしようとか、踏切をもっと使いやすくしようといった大元の仕組みを変えるために行動する人は誰もいない代わりに、野良牛の盗み食いを防ぐために叩き棒を用意するとか、遮断機をくぐり抜ける技を洗練させるといった個人レベルの工夫には全力を注ぐのだ。



 ヘンといえばヘンだ。
 しかしそのヘンテコさは僕が日本社会で育った人間だからこそ感じるものであって、インド人からすれば日本人の行動も大いに奇妙で理不尽なものに思えるに違いない。
 たとえば、車が通っていない道を「赤信号だから」という理由で渡ろうとしない日本人の姿は、かなり不思議なものに見えるはずだ。真夏なのにネクタイを締めスーツを着て汗だくになっているサラリーマンの姿も理解に苦しむだろう。銭湯という場であれば他人同士が素っ裸になっても恥じ入ることがないという感覚にも、ついていけないものを感じるに違いない。

 それぞれの社会には固有のゆがみ方がある。その固有のゆがみ方――それこそが文化というものの根っこなのだが――にじかに触れ、驚いたり感心したりすることが、異国を旅することの醍醐味なのだと思う。


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by butterfly-life | 2011-07-07 10:54 | インド一周旅行記
勝手に人の白髪を抜く謎のインド人
■ インド一周旅行記(39) 「勝手に白髪を抜く男」 バックナンバーはこちら ■

 マディヤ・プラデシュ州はインドでも2番目に大きな州で、日本の面積の8割に相当する広さがあるので、横断するだけでも相当な時間がかかった。僕の70ccのスクーターでは一日に100キロから200キロ進むのが精一杯だったからだ。
 朝、ベッドの上にロードマップを広げると、自然とため息が出てきた。
「まったく、インドって国はなんて広いんだ・・・」
 それは嬉しさが混じったため息だった。どれだけ進んでも、その先にはまだ自分の知らない土地が広がっている。見たことのない風景や、出会ったことのない人々が待っている。そう考えただけで、どうしようもなくわくわくした気持ちになってくるのだった。


[小さなお寺で歌と踊りを披露する楽隊。歩いて旅を続けながら、各地のお寺で演奏している。]


[動画]インドの鼓動


 セオニという町を出発したのは8時半だった。雲ひとつない快晴でテンションも上がる。デカン高原の朝の空気は少しひんやりとしているが、日差しは強烈なので日焼け止めは必須だ。
 道ばたの小さな雑貨屋で、ポテトチップスとスプライトを買った。それが本日の朝食。完全なるジャンクフードである。しかしインドの「なんでもスパイス味攻撃」にうんざりしているときには有効な手なのだ。もちろんインドではポテトチップスもスパイスたっぷりの「マサラ味」が人気なのだが、一応シンプルな塩味もラインナップに加わっているから安心だった。


[インドの雑貨屋では、小袋に入ったインスタントコーヒーやシャンプーや洗剤の類がたくさん売られている。単価が安いので(2円から4円ぐらい)買いやすいのだろう。]

 雑貨屋の前でもそもそとチップスを食べていると、バイクで通りかかったおじさんが僕に向かっていきなり、
「アベレージ?」と言った。
「アベレージ?」
 僕はオウムのように聞き返した。平均? いったい何のことだか見当が付かなかった。
「イエス。アベレージ」
 おじさんは僕のバイクを指さした。
「エク・リッター」
 あぁ、なるほど。それでわかった。おじさんは僕のバイクが1リッター当たり何キロ走るのか、つまり平均燃費を聞きたかったのだ。
「リッター55キロぐらいですかね。悪くないですよ」
 僕の答えに、おじさんは満足そうに頷いて走り去っていった。

 それにしても、見ず知らずの外国人に向かっていきなり「アベレージ?」はないよなぁと思う。もっと他に聞くべきことがあるじゃないか。
 あんたはどこから来たのか。どこに向かっているのか。インドを旅する目的はなんだ。そんな定番の質問をさしおいて「平均燃費」を聞いちゃうんだから驚いてしまう。それともあの男は誰彼構わずすれ違ったライダーに燃費を訊ねる「燃費マニア」なのだろうか。


[岩山の上にある聖地でコンクリート製の飾りを作っている男。暑いのでふんどし一丁で仕事をしていた。]


[小ザルの毛繕いをする母ザル。インドの山岳地帯には猿が多い。]

 インド人の突飛な言動にはたびたび驚かされてきたが、見ず知らずのオッサンにいきなり髪の毛を抜かれたときには、驚きを通り越して声も出なかった。
 頭にチクっという痛みが走ったので、反射的に後ろを振り返ると、ヒゲ面の中年男が一本の白髪を手にして立っていて、「ほら」という顔でそれを僕に突き出してきたのである。
「・・・」
 返す言葉もなく、どうリアクションしていいのかもわからず、僕はただ自分自身の哀れな白髪を見つめた。そりゃまぁ僕も30代半ばにさしかかっているんだから、白髪の一本や二本生えてきますよ。だからっていきなり抜かなくてもいいじゃないですか。まったくもう。

「アー・ユー・アメリカ?」
 ニコリともせずに男は言った。あんたアメリカ人か? これまたずいぶんと唐突な質問である。
「ノー。アイ・アム・ジャパニーズ」
 それを聞くと、男は急に興味を失った様子で、無言のまま去っていった。
 おい、ちょっと待てよ。いったい何なんだよ。もし俺がアメリカ人だったら、その白髪をどうするつもりだったんだ?
 僕の心の叫びは、もちろん男には届かなかった。どうしようもないモヤモヤ感だけがあとに残った。

 男の目は真剣だった。イタズラでやったようには見えなかった。ということは親切のつもりだったのか。しかし他人に白髪を抜かれて喜ぶ人などいるのだろうか。いや、インドにはいるのかもしれない。このあたりでは、お互いの白髪を抜き合うことが挨拶代わりになっているのかもしれない。
 考えれば考えるほど、わけがわからなくなってきた。

 インドでは、まるで夢の中にいるような不条理な出来事がしばしば起こる。脈絡もなく、理由もなく、行動原理さえ掴めない。白髪事件もそのような突発的事象のひとつであった。


[動画]この「タップダンスを踊る馬」もかなり突発的な事象だった。


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by butterfly-life | 2011-07-04 11:03 | インド一周旅行記