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たびそら10周年
 ホームページ「たびそら」がスタートしてから、ちょうど10年が経ちました。
 始めた当時は、自分でもまさかこんなに長く続くことになるとは夢にも思っていませんでした。
 これも皆さんの応援があったればこそ。本当に感謝しています。

 僕にとってこの10年は、旅にどっぷりと浸かった10年でした。
 最初の旅は2001年。ユーラシア大陸をぐるりと一周しました。いろんなものを見て、いろんなことを感じました。様々な出会いを写真というかたちで切り取ることができました。それ以来ほぼ毎年長く旅をするようになったのです。

 今もインドの奥地を一人バイクにまたがって走り回っていますが、こんな(どちらかと言えば馬鹿げた)ことを10年も続けた結果、写真を撮ることが仕事になったのです。とても幸運なことだと思います。

 もちろんこの10年で旅のスタイルは大きく変わりました。写真の撮り方も、被写体の選び方も変化しました。
 それでも「誰に求められるわけでもなく、特に仕事のあてがあるわけでもなく、自分が行きたいところに行って、撮りたい写真を撮る」という行動原則は、今も全く変わっていません。

 これからどんな写真を撮ることになるのか。どんな土地に行くことになるのか。僕自身にも予想がつきません。だからこそ旅は面白いし、やめられないのです。

 これからも「たびそら」という行き先のわからない船に同乗して、世界を巡る旅にお付き合いいただけたらと思います。




 ただいまインド一周中。これまでに撮った写真の中からいくつかをご紹介。


川で水くみをしていた女の子がトライした見事なジャンプ。


チャティスガル州に住む部族民(アディワシ)の女たちが、洗濯を終えたばかりのサリーを、風にさらして乾かしていた。これが日常の風景とはとても信じられないほど美しかった。


オリッサ州の山岳地帯に住む少数部族の女性。井戸水を入れた水瓶を頭に載せて家まで運ぶのが日課だ。
表情も光も完璧だった。こういう美しい人にいつどこで出会えるかは全くわからない。だから僕はインドの村を歩く。素敵な偶然に巡り会うために。


オリッサ州で稲の収穫をしていた少数部族の女性。黄金色に輝く田んぼで、いい笑顔を向けてくれた。


収穫した籾殻に風を送ってゴミを吹き飛ばしているところ。力感がみなぎっていた。


少数部族ポロジャ族の村で出会った少女。はちきれんばかりの笑顔だった
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by butterfly-life | 2011-12-27 10:04 | インド色を探して
エアアジアでインドへ行こう
 12月13日から、インドを一周する長旅がはじまった。
 今回はエアアジアという航空会社を使ってインドのカルカッタまで行った。片道切符で約3万5000円。これが今のところ(キャンペーンなどを除いて)最も安くインドへアクセスする方法だと思う。
 エアアジアはLCCと呼ばれる格安航空会社のひとつで、最近になって羽田・クアラルンプール間、関空・クアラルンプール間の定期便を飛ばし始めた。エアアジアはマレーシアの航空会社。これによってクアラルンプールを起点にアジア各地に安く飛ぶルートが日本にも開かれたわけだ。

 エアアジアの特徴は経費を徹底的に削って、そのぶんを運賃に反映していること。
 チケットの予約、支払いとも基本的にネットで行う。予約時期が早ければ早いほど、運賃が安くなるシステムだ。運賃はいつでもネットで確認できるし、燃油サーチャージや税金などを含んでいるから、とてもわかりやすい(航空券代は2万円だけど諸経費込みで5万円になります、なんて詐欺みたいな料金システムではないわけだ)。
 機内サービスは全て有料。食事も飲み物もお金を払わなければ一切出てこない。預け入れ荷物にも追加料金が必要。座席にテレビもない。この辺の割りきり方は「飛行機なんて特別なもんじゃないよ。バスや列車にはサービスランチなんて出てこないでしょ」と言っているみたいで、僕としては大変好感が持てる。飛行機もずいぶん「民主化」したものだなぁと思う。

 僕のように長い期間旅をする人間にとってありがたいのは、片道切符が安く買える点だ。日本の航空会社は長年の慣行で片道切符を売りたがらないし、売っていたとしても短期有効の往復切符の方が安かったりしてあまり使えない。有効期間が数ヶ月のオープンチケットはがっかりするほど高い。
 というわけでこれまでは格安往復航空券を買って復路を破棄していたわけだが、片道切符を安く買えるエアアジアではそういう無駄なことをしなくて済む。しかしエアアジアでは往復で買っても安くはならないので、短期で往復する人にとってはメリットが少なくなるだろう。

 今回、僕は羽田からクアラルンプール(KL)に飛び、そこからカルカッタへと飛んだ。問題はフライトが毎日ではないので、KLで一泊する必要があったことだ。正直言ってマレーシアにもKLにも興味はなかったのだが、今後エアアジアを使う機会が増えると、KLを旅の拠点に使うことにもなるだろう。それだったら試しにKLを歩き回ってみるのもいいだろうと思って、半日KLの中心街を歩き回ってみた。
 しかし予想通りというか、予想以上というべきか、KLは大都会であり、モダンでのっぺりとした高層ビルが建ち並ぶ典型的なアジアの首都であった。チャイナタウンの猥雑さも期待以下だったし、インド人街の活気も限定的だった。残念ながらKLには僕の興味をかき立てるものはほとんどなかった。

 しかしいずれにしても、エアアジアの登場で安くアジアにアクセスする選択肢が増えたのは間違いない。
 バックパッカーにとっては朗報だ。これまではバンコクに飛んで、カオサン通りで格安チケットを買ってアジア各地へ飛ぶ、というのがバックパッカーの定番スタイルだったけれど、LCCの日本上陸でそれも変わることになりそうだ。しばらくはバンコクの比較優位性は続くだろうが、今後はそうもいかなくなるのではないか。

 エアアジアのスローガンは「Now Everyone Can Fly」。これまで先進国に住む人や、一部のお金持ちの特権であった海外旅行を、広く皆さんに味わってもらいましょうという主旨だ。もちろん「Everyone」に含まれない人がまだ大勢いるのは事実だ。インドの庶民の大半は飛行機なんてものに乗ることなく生涯を終える。
 けれど、成長を続けるアジア諸国の中流層が今後も一定のペースで増え続けることを考えると、エアアジアが顧客と見込む「Eveyone」がさらに分厚くなるのは間違いない。

 ちなみに今回はインド鉄道の予約もネットで行った。日本にいながらにして簡単にチケットが手に入るなんて夢のようだ。もう駅の予約窓口の長蛇の列とも、超不親切な係員とのやりとりとも、2時間も並んで席をゲットできなかったときの落胆とも、すべてサヨナラだ。

 ネットを使ってスムーズにスマートにしかも安く旅をデザインできる。それが「なんか味気ないなぁ」と思う人もいるかもしれないが、僕は大いに歓迎したい。ネットにできることはなるべくネットに代行してもらえばいい。そして僕らはネットでは絶対に経験できないことに集中すればいいのだ。

 さぁ、いよいよインドの旅の日々が始まる。





 まだ旅をはじめて数日しか経っていませんが、これまでに撮った写真の中からいくつかご紹介します。


インドではときどきとんでもないこと、奇妙なことが起こる。オリッサ州の田舎道では砂を積んだトラックが絶妙なバランスで「立ち上がって」いた。積み荷を降ろすときに失敗したのだろう。さて、どうやって元に戻すのやら


オリッサの女性たちの収穫作業の様子。稲穂を一束ずつ手刈りしていきます


夕闇が迫る中、放牧していた牛を追って歩く男。何十頭もの牛が立てる砂埃が、印象的な光を作り出してくれた。


信じられないほど美しい夕日を目撃する。滑らかな湖が真っ赤に、本当に真っ赤に染まる。わずか10分間、自然からのプレゼントを受け取る。
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by butterfly-life | 2011-12-19 11:21 | インド色を探して
東南アジア旅行記がついに完結! 結末はCD-ROMで
 3ヶ月にわたってブログで連載を続けてきた「東南アジア旅行記」は前回で更新を終えました。
 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 メルマガでは未公開のエピソードが実に46話も入っている大変お得な電子書籍です。
 ここでは未公開エピソードの「読みどころ」をご紹介します。

◆ ブログで未公開旅行記の読みどころ

 ベトナム旅行記では、雨にたたられて思うように進めなかったり、村を歩いていただけなのに兵士に拘束されて宿営地に連行されたり、といったトラブルに次々と襲われる様子を書いています。ベトナムって縦に細長ーい国だから、南と北とでは自然環境も人々の気質も大きく違うんです。それを強く実感した旅になりました。



 カンボジアではひょんなきっかけで知り合った生後2日の男の子の「名付け親」になるという不思議な体験をしました。何という名前を授けたかはCD-ROMを見てのお楽しみ。2年後に同じ村を訪れる機会があったのですが、ちゃんと僕が付けた名前で呼ばれていて、ちょっと感動しました。


[僕が名付け親になった赤ちゃんとその父親]

 フィリピンは普通のおばさんも英語を話すというお国柄のおかげで、コミュケーションを計るのが楽でした。
 とある美容院で出会ったのは、日本人の父親とフィリピン人の母親を持つ17歳の少女でした。彼女はお客さんとして店に来た60歳のオーストラリア人にデートに誘われ、いきなりプロポーズされるという経験をするのです。少女が出した答えは・・・これもぜひ本文をお読みください。フィリピンという国の一側面を知ることができるはずです。

 そしてこの「東南アジア旅行記」一番の読みどころは東ティモールです。この国の魅力はメルマガでもご紹介した通り、子供たちの屈託のない笑顔や手つかずの美しい自然にあるわけですが、多くの問題も抱えています。
 学校教育のレベルはお粗末だし、使用言語の問題もあります。まだ独立後の混乱の傷跡からは立ち直っていないし、人々の生活レベルは低いところにとどまったまま。そんな現実を感じる出会いもあったし、それを変えようと努力している若い世代にも話を聞くことができました。


[ポルトガル語を学ぶ子供たち]

 驚いたのは、東ティモールの辺境の村に日本人のシスターが4人も住んでいたということ。全員が60歳以上という事も驚きだったし、「この国に骨を埋める」という覚悟で活動しているという姿勢にも感銘を受けました。

 東南アジアは僕の旅の原点でもあるし、この10年のあいだに大きく変化した地域でもあります。多様な文化や宗教が混在しているエリアでもある。
 共通しているのは、決して急ぐことなくのんびりと生きている人々の姿です。日本人から見ると「もうちょっと真面目に働いたら」と思うような部分もあるけれど、彼らは心から人生を楽しんでいる。

 CD-ROM版「東南アジア旅行記」から、そんな東南アジアの空気や時の流れを感じていただければ幸いです。


◆ 高画質の写真ファイル

 CD-ROMには高画質の写真ファイルも多数収録しています。
 その数なんと1377枚「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。最大サイズが1536×1024ピクセルもあるから、大画面PCならいっそう迫力が増すことでしょう。

 サンプル(1) サンプル(2) サンプル(3)



◆ ご注文方法

 CD-ROMの価格は1800円。通信販売でのみご購入いただけます。
 この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。

 >> ご注文はこちらから



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by butterfly-life | 2011-12-09 08:52 | 東南アジア旅行記
パプアニューギニアの伝統舞踊
■ 東南アジア旅行記(最終回) わけのわからない踊り バックナンバーはこちら ■

 踊りはいっこうに始まらなかった。
 午後3時からサンバン村の人々が伝統の踊り「シングシング」を披露してくれることになっていたのだが、予定時間を過ぎても誰一人約束の場所にやってこないのである。

 パプア人は時間にルーズである。「時間を守る」ということの意味や概念が、日本人とは根本的に違っているのだ。彼らは一日を「午前」「午後」にざっくり分けるという。「午前中に○○をやる」とか、「午後に○○と会う」といった約束をするのだそうだ。何ともアバウトである。



 仮に「1時にどこそこに集合」と決めたとしても、全員が揃うのは3時ぐらい。みんな約束に遅れてくるのが当たり前なので、一人だけが律儀に時間を守っても損をするだけ。だから「約束の2時間遅れ」が暗黙の了解として定着してしまうのだ。

 日本でも沖縄や鹿児島の人は時間にルーズだし、「タイ時間」なんて言葉に代表されるように東南アジアの時間感覚もゆるゆるである。どうやら時間に対するおおらかさ(いい加減さ)というのは、緯度の低さと大いに関係があるようだ。

 午後3時の開始予定から2時間以上経ち、辺りがだんだん暗くなり始めた頃になって、踊りは唐突に始まった。椰子の葉っぱで全身を覆った男たちが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら登場したのだった。
 「さぁこれから始めます」という合図は一切なかった。いきなりの「ぴょんぴょん」。すっかり待ちくたびれていた我々は完全に不意を突かれた格好で、慌てて撮影の準備をする羽目になった。



 葉っぱの男たちが登場すると、それまでのんびりとタバコを吹かせていた村の男たちがいっせいに竹の棒を打ち鳴らし、歌をうたい始めた。その歌声に合わせて、葉っぱの男たちが奇声を上げながら飛び跳ねる。



 踊り自体は複雑なものではない。難しいステップがあるわけでもないし、トリッキーな動きもない。ひたすら飛び跳ねるだけである。しかし異様さは際立っていた。一つ目の仮面と黄色いカツラを被り、甲高い奇声を上げながら跳び続ける人たち。わけがわからないが、とにかくすごい。



 村の長老は「客人を歓迎する踊りだ」と言ったが、とてもそんな感じには見えなかった。戦いに備えて戦意を高揚させるための踊り、あるいは目の前の人間を威嚇するための踊りではないか。
 何の予備知識も持たないまま、いきなり道ばたでこの集団に出くわしたら、きっと驚いて腰を抜かすに違いない。化け物や妖怪のたぐいに出会った、と真剣に思い込むかもしれない。夜道では絶対に出会いたくない集団である。



 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるは、第二次大戦中にこのニューブリテン島で連合国軍と戦い、敵機の爆撃によって片腕を失う重傷を負っている。その水木が描く個性的な妖怪たちの造形は、もちろん日本に伝わる古典的な妖怪を下敷きにしたものだが、パプアニューギニアで目にしたであろう土着の舞踊や奇抜な衣装も加味されているではないかと思う。



 ちなみにこのシングシングは女人禁制だそうだ。女性はたとえ子供であっても老人であっても、絶対に見ることができない。その理由を長老に訊ねると、「わからんが、そうなっているのだ」という返事だった。まぁそんなものだろう。わからないものはわからないのだ。

 かつては理由があったのだろう。しかし何世代にも渡って口伝えで受け継がれた由来は、どこかの時点で消滅してしまう。彼らは文字を持たないからだ。そして不可解な習慣だけが残るのである。

 僕らのような外部から来た人間は「意味」を知りたがる。行為の理由づけをしたがる。そして一応納得できるような言葉が見つかると、ああそうなのかと安心する。たとえば「この踊りは男性が戦闘に臨む際に行っていたものであり、女性に見られると聖なる力が減じると信じられている」とかなんとか。

 しかし儀式や祭りに合理的な理由なんて必要なのだろうか?
「理由はようわからんけど、そうなっているのだ」
 という説明の方が、少なくとも僕にとっては腑に落ちるのである。



 意味不明の習慣や儀式をそのまま守り続ける頑固さが、この世界をより多様で豊かなものにしている。
 何もかもが説明可能な「透明な世界」よりも、わけのわからない混濁を含んだ「不透明な世界」の方がずっと魅力的だと僕は思う。

■  3ヶ月半にわたって連載を続けてきた「東南アジア旅行記」もついに今回で最終回です。お楽しみいただけましたか?
■ なおCD-ROM版では、メルマガでお届けできなかったエピソードを多数収録しています。ぜひご購入ください。
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by butterfly-life | 2011-12-07 11:33 | 東南アジア旅行記
パプアニューギニア旅行記
■ 東南アジア旅行記(82) ラバウル火山が作る灰色の世界 バックナンバーはこちら ■

 パプアニューギニアへの旅は、成田空港で酒を飲むところからスタートした。空港のレストランで酒を飲むなんてことは「清く正しく貧しい」バックパッカーには縁のない行為だが、今回はテレビ番組の取材という仕事がらみの旅だったのである。

「この一週間は酒が飲めなくなるかもしれませんからね。今のうちに飲んでおかないと」
 とディレクターAさんが言う。パプアニューギニアは禁酒国ではないが、僕らが取材に行く「オイスカ」というNGOがスタッフの飲酒を禁止しているので、僕らもそれに合わせることになるだろうと予想されたのだ(実際にその通りだった)。

 そんなわけで僕らはまずビールを飲み、続いて日本酒を頼み、出発時間が押し迫って「すいません閉店です」と言われるまで飲み続けたのだった。

 酒の席での話題はスチュワーデスについて。これは誰かからの受け売りだけど「客室乗務員が若くてきれいな国は、女性の社会進出が遅れている」という説がある。僕の実感からいって、これは正しい。
 たとえば今まで乗った中で、もっともスチュワーデスがゴージャスだったのはインドネシアの国内線だった。みんなそろって若くて背が高くて美人だった。インドネシアの町を歩いていてもまずお目にかかることのない際だった容貌であった。ムスリムが多数派を占めるインドネシアでは女性が働く場所が限られているから、才色兼備の人材が航空会社に殺到しているのだろう。

 プロデューサーMさんが目にした中でもっとも美しいスチュワーデスは、シンガポール航空のビジネスクラスだったそうだ。あそこならずっと居てもいいなぁ、と遠い目をして語っておられた。ビジネスクラス・・・空港内のレストランと並んでバックパッカー風情にはまったく縁のない場所である。

 僕らが乗ったニューギニア航空の客室乗務員は、なんだか肝っ玉母さんみたいな人ばかりだった。どの女性も我々の基準からすれば少々(あるいは相当に)太っていて、やたらどっしりしているのだ。
 さっきの説を当てはめると、パプアニューギニアは女性の社会進出が十分に進んだ国だと言えそうだが、まぁ何ごとにも例外はある。即断は避けよう。とにかくあんなに「どっしり構えた」スチュワーデスは他のエアラインではあまりお目にかかれない。それだけは確かである。


[火山とラバウルの町。]

 パプアニューギニアの首都ポートモレスビーへは、成田から週に一度直行便が出ている。僕らはそれに乗り、ポートモレスビーで国内線に乗り換えて、ニューブリテン島のラバウルへ向かった。

 ラバウル空港に到着した僕らは、その足で火山に向かった。ラバウルには今でも活発に噴煙を上げている活火山があって、それを見に行こうというのだ。

 1994年に起こった大噴火では、タバルビュル火山とバルカン火山の二つの火口がほぼ同時に噴火し、当時7万人が住んでいたラバウル市は壊滅的な被害を受けた。市内に降り積もった火山灰の量は厚さ5mにも達したという。ポンペイ遺跡のようにうち捨てられたラバウル市はいまだに復興されておらず、州都としての機能は20km離れたココポに移されたままである。

 僕らは四輪駆動車で活火山が間近に見えるポイントに向かった。
 そこは灰色一色の世界だった。山も平原も川も海も空までもがすべて灰色に塗り尽くされていた。生命の痕跡といえるのは枯れた立木のみ。死が支配するモノトーンの世界だった。



 車を降りると、ズーンという地響きを伴った重低音が襲ってきた。大地がうなっていた。そしてその音に呼応するように火口から噴煙が立ち上った。まるで悪魔の吐き出す息のように刻一刻と噴煙はその姿を変えた。



 しばらくすると、火山とは正反対の方向からもドーンという音が聞こえてきた。
 雷鳴だった。噴火音とは重みも広がりも違うが、同じように空気をびりびりと震わせている。もうすぐスコールが降るのだろう。ひんやりとした風が吹き始めた。

 それからしばらくのあいだ、噴火と雷鳴の競演が続いた。大地を揺るがす重低音と、雲を切り裂いて地上に降り注ぐ雷鳴。大自然が持つ底知れないエネルギーに、僕は言葉を失ってその場に立ちすくんだ。



 やがて雨粒が落ちてきた。いやに重みのある大粒の雨だった。
 反射的に腕を見ると、雨の跡が黒い斑点になってべったりと残っている。
 黒い雨?
 どうやら上空に飛散した火山灰がスコールに混じって降ってきたらしい。

 僕らが慌てて車の中に避難すると、すぐに本格的な土砂降りになった。たちまちランドクルーザーの窓が真っ黒に染まり、まったく外が見えなくなってしまった。火山灰を含んだ重たい雨粒がバラバラと車体を叩く音だけが暗い車内に響いた。

 雨が止むのを待ってから、海岸に向かった。地熱によって海水が沸騰している場所があるという。
「この温泉水は肌にいいんだ」と地元のガイドは言う。「虫さされにやられた足がたちどころに治る。あんたも足をつけてみたらいい」



 こんなところで足湯ができるなんてすばらしい。さっそくサンダルを脱いで海水に足を浸けてみた。
 あちちっ。熱湯だ。
「あぁ、そこは熱すぎる。65度はあるからな。入るんだったらあっちの方がいい」
 そういうのは先に言ってくれないと。
 海に近いところに、ちょうどいい湯加減の場所があった。足をザブザブと浸けてみる。すごく気持ちいい。何となく効能がありそうな気もする。以前、日本の露天風呂ライターがやってきたこともあるそうだ。

 正面に見える火口からは相変わらず噴煙が盛大に噴き出ている。雷も負けはいない。フラッシュライトが灰色の山肌を明るく照らし出す。
 地獄というものをまだ見たことはないが(当たり前だ)、きっとこういう光景だと思う。少なくともそれは僕が今まで目にした中で、もっとも地獄に近い光景だった。
「地獄みたいだって?」とガイドが不満そうに言う。「ノー、ここは天国だよ。灰色の天国だ」



 もちろん火山にもカメラを向けたが、あとで写真を見直してみてがっかりした。
 こんなんじゃない。あの場で感じたスケール感はこんなものではない。

 どこまで行っても灰色一色に塗り込められた世界、大地を揺るがす音、火山ガスのかすかな臭い、ざらざらとした雨の感触。火山には五感すべてに訴えかけてくる強い力があった。

 何万メートルもの地底に潜むマグマのエネルギーが何百万年もの時間をかけて作り上げた風景は、僕らの日常とはあまりにもかけ離れていた。その圧倒的なまでのスケール感を写真に納めることは、僕の力では不可能だった。



 その場に居合わせない限り味わえない体験というものがある。テレビではダメだ。写真でもダメだ。
 だからこそ、僕らは旅に出る。
 おそらく喜ばしいことなのだ。むき出しの自然が持つ力を前にして感じる無力感は、僕がまだこの世界のごく一部しか見ていないのだということを思い知らせてくれるのだから。


■ この続きはCD-ROM版で。未公開エピソードと高画質写真が多数! ■
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by butterfly-life | 2011-12-05 12:16 | 東南アジア旅行記
雨を乞い、雨に恋する男
■ 東南アジア旅行記(77) 雨を乞い、雨に恋する男 バックナンバーはこちら ■

 雨季の東ティモールを旅するのは予想以上に大変だった。特に中部から南部にかけての雨の降り方は激しく、ただでさえ悪い道が雨によってドロドロのぬかるみに変わってしまうからだ。目的の町まで行けるかどうかは、常にお天気次第だった。


[ドロドロのぬかるみに変わった道。]

 旅人にとって雨は悩みの種だったが、東ティモールの子供たちは大いにそれを楽しんでいた。彼らはスコールが降り始めると、雨宿りをするどころかサッカーボールを抱えて一目散に広場へと駆け出していくのである。もちろん広場は水浸しの状態で、ボールだってまともには転がらないし、全身泥だらけになってしまうのだが、それが楽しくて仕方ない様子だった。


[スコールの中サッカーをする子供たち。]

 どうせ濡れるんだったら、ズボンもパンツも全部ずぶずぶに濡れてしまえばいい。あとで洗濯するんだからさ。そんな思い切りの良い発想の元、子供たちはまさに水を得た魚のように全力で雨の中を走り回っていた。

 ビケケ県で出会った漁師たちも雨をまったく気にしなかった。
 それは僕が経験した中でももっとも激しい、まるで空そのものが落ちてきたかのようなスコールだった。大粒の雨が地上にあるものすべてを容赦なく叩き、またたく間に道路を泥水が流れる川に変えてしまった。僕は慌てて椰子の木の下に入って折りたたみ傘を差したが、それではとてもしのぎきれなかった。


[ひどい雨の中でも平気で歩く人々。]

 ところがこの激しい雨の中、漁師たちは海に出て漁を始めたのである。とてもシンプルな漁法だった。船さえも使わない。数人の漁師が海の中で網を広げる。ただそれだけである。雨粒が水面を叩くと、魚が集まってくる習性でもあるのだろうか。

 そうやって漁師たちが網を広げる中、なぜか一人の若者だけが砂浜に残って歌をうたいはじめた。両手を高く広げ、顔を空に向け、口の中に雨が入るのも気にせずに大声で歌っていた。
 最初は子供のようにスコールに興奮しているのだと思っていた。しかし彼は10分経っても20分経っても歌うことをやめなかった。漁のことなんて全然眼中にない。ただただ雨の中で歌をうたっているだった。



 叩きつけるスコールによって海面は白く煙り、灰色の空と海との境界線がぼんやりとかすんでいた。世界のすべてが雨に包まれていた。若者はその中心に立って恍惚の表情を浮かべながら、歌をうたい踊りをおどり続けていた。

 彼は何のために歌っているのだろう。
 何を目的として踊っているんだろう。
 雨乞い?
 それとも豊漁のためのお祈り?
 どれだけ考えてみても、その行動を説明することはできなかった。彼はただ踊りたいから踊り、歌いたいから歌っている。そうとしか思えなかった。



 若者は雨降りをそのままのかたちで受け入れていた。
 天からの恵みであり、同時に厳しい試練でもある雨を、全身で受け止めていた。
 彼は雨と一体化し、共に喜びを分かち合う仲間になっていた。



 なんて自由なんだろう。なんて生き生きとしているのだろう。
 彼のことが羨ましくなった。できることなら自分もすべてを脱ぎ捨てて、裸になって一緒に歌いたかった。

 でも僕にはどうしてもそれができなかった。カメラが濡れないように気を遣いながら、シャッターを切ることしかできなかった。
 僕の一部はどうしようもなく興奮していたが、一部はどうしようもなく冷静だった。それは写真家という「観察する者」の性なのかもしれなかった。



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 3ヶ月にわたって連載してきた「東南アジア旅行記」の一番の「読みどころ」が東ティモールです。美しい海と屈託のない笑顔と、そして多くの問題を抱えた島国・・・。
CD-ROM・東南アジア編」では、ブログで未公開のエピソードを多数収録してありますので、東ティモールの魅力をより深く知っていただけます。ぜひご購入ください。

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by butterfly-life | 2011-12-02 11:59 | 東南アジア旅行記