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コルカタの詐欺師
 コルカタには日本人旅行者に親しげに話しかけてきて「ガヤの近くの実家に一緒に行こう」と誘ってくる人がいるそうな。家族ぐるみで親しく付き合って信用させて、何日も後になってからあの手この手でお金をだまし取るのだという。なかなか手の込んだ詐欺である。

 しかしどうしてそんな人を簡単に信用しちゃうのさ? コルカタは観光地でしょ? 日本人いっぱいいるところでしょ? そういう土地でなぜ「他でもないこの自分に親切にしてくれる特別な理由が彼らにはあるのか?」と考えることができないのだろうか。僕には不思議でならない。

 「無償の親切」あるいは「本物の友情」は、もしかしたら観光地でも得られるかもしれない。でもその確率は低いし、信用して裏切られるリスクは極めて高い。そんなリスクに賭けるのは馬鹿げている。観光地で親しげに話しかけてくる人を簡単に信用しちゃダメだよ。ほんとに。

 僕がツイッターやブログで「インド人は親切だ」「インド人は優しい」と書いたことで、観光地におけるインド人に対する警戒のガードが下がったとしたら、こんなに不本意なことはない。僕はそういう怪しい人々に出会わないために(逆に言えば普通のインド人に出会うために)「なんてことのない田舎町をバイクで旅する」というスタイルを選んでいるんだから。

 先の「ガヤの実家に行こう」との誘いにまんまと乗せられて、一人の日本人の若者が今日列車でガヤに向かったそうだ。心配である。騙されたことに気がついて逃げられればいいのだけど。

 11年前に初めてコルカタに来たときは、公園で自称ネパール人の男に親しげに話しかけられた。しばらくすると「一緒にコーラを飲もう。俺のおごりだから」と言う。いつの間にかもう一人別の男がコーラを持って現れた。彰に怪しいから断って彼らから離れたのだが、あとで聞くとそれは典型的な睡眠薬強盗の手口だとわかった。睡眠薬を混ぜたコーラを飲ませて、気を失っているあいだに身ぐるみはがすらしい。ひどい話である。

 旅先における「警戒」と「信用」のバランスは難しい。いくら旅の経験を積んだとしても、「親切を装った悪意」と「本物の親切」を見分けるのは困難だ。特に「自分には人を見る目がある」と思っている人は注意されたい。詐欺師はその隙を巧みに突いてくる。

 もしあなたが「私は騙されやすい(流されやすい)人間だ」という自覚があるのだったら、「旅先では誰も信用しない」をデフォルトにしても構わないと思う。何ごとも疑ってかかる。その堅いガードの隙間からこぼれてくる親切だけをありがたく受け取ればいい。それぐらいでちょうどいい。

 かくいう僕も、最初の旅のしょっぱなには痛烈な経験をした。香港のトランプ詐欺師。今になって振り返ると笑えるのだが、当時はとても怖かった。香港の雑踏の中を必死で走って逃げたときの記憶は、今でも鮮明に残っている。まったくもって無知というのは恐ろしい。この一件以来、観光地で親しげに近づいてくる人間はまず信用していない。

 「この人は親切を装った詐欺師だろうか。それとも本当に親切な人なのだろうか」と思いながら人と付き合うのは嫌なものだ。結果的に「本当に親切な人だった」とわかったあと、自己嫌悪にも襲われる。でも相手を疑う気持ちは、旅人の立場からすればごく当然でまっとうなものであって、絶対に手放しちゃいけない。だって異国の地で自分の身を守れるのは、自分しかいないわけだから。

 インドには変な人が少なからずいる。でも本当に親切で温かい心を持った人もたくさんいる。
 それが何百ものインドの町を旅してきた僕に言えることだ。


<追記>

 この投稿を見た人から、「今一緒にいる人がその詐欺師です」というとんでもないメールが来た。「ガヤの実家」に行き、長く滞在していたそうだ。しかし薄々怪しいと思っていたからこそ、ネットを検索して、僕のツイートで「やっぱりか」と思ったらしい。

 詳しい経緯はよくわからないが、16万円もの大金を彼らに渡してしまったという。あぁ・・・。「後で日本に送金するから」と言われているというが、もちろんそんなもの返ってくるはずがない。警察に行きなさい、と助言したものの、警察が役に立つかは微妙なところ。

 こういう事件のせいで、日本人のインド人に対するイメージが悪くなるのは本当に悲しい。もちろんその詐欺師たちもインド人ではある。けれども彼らのように外国人を食い物にする犯罪者はインド人全体から見ればごくごく少数なのである。

 繰り返しになるけど、「観光地で親しげに(特に日本語で)話しかけてくる連中は相手にするな」というのが鉄則です。旅慣れていない、と自覚しているうちは「無償の親切などないのだ」と決めてかかるぐらいでちょうどいいんです。

 「ガヤの実家詐欺師」たちが、日本人旅行者が持つ「田舎の村の人とじかに接してみたい」というまっすぐな気持ちを巧みに利用している所が腹立たしい。でもね、田舎の人と本当に触れ合いたかったら、自分の足で歩くべきなんだ。そうすればまったく違った風景が見えてくる。
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by butterfly-life | 2012-03-21 16:31 | インド色を探して
いつだってどこにだって笑顔はある

 インドでも特に人口が密集しているウッタルプラデシュ州、ビハール州を東に進んで、ジャールカンド州にやってきた(旅のルートマップ)。
 いよいよインド一周のバイク旅も残り一週間。このあとのネパール行きの航空券はすでに予約してあるから、期日は決まっている。予定はかなり遅れ気味だけど、果たして間に合うだろうか。
 今回インドを一周していて感じるのは、「子供の数が少なくなった」ということ。少数部族の村を除けば、若い夫婦で3、4人以上の子供を持つ人は稀だ。インドの人口増加に歯止めがかかる日は、国際機関の予想よりも早まるかもしれない。

 仮にインドの人口増加の伸びが鈍化するとしたら、経済学で言うところの「人口ボーナス期」も意外に早く終わってしまうかもしれない。日本がいち早く人口減少社会を迎え、その後に中国が続き、そして将来はインドも続く。それまでにどれだけインドが「豊かさ」を蓄積できるかが鍵になるだろう。

 ビハール州ムンゲールでは、ネパールから出稼ぎにやってきているホテルのボーイに「そのズボンすごく汚れているから市場で新しいのを買ってはどうか?」と言われた。確かに3ヶ月もずっと埃だらけのインド道を走っていたので色あせ方がハンパじゃないのである。

 インド人は見た目が9割…かどうかは知らないけど、見た目がとても重要だ。お金持ちそうななりをした紳士(恰幅がよく、スラックスにストライプのシャツに革靴)は実際にお金持ちだし、インテリっぽい外見の人はほぼ間違いなく英語を話す。貧しい労働者はすぐにそれとわかる格好をしているのだ。

 それはつまり「外見で中身を判断される社会」だということ。インドにおけるファッションとはその人の属する階級を明確に表すためのもの。欧米や日本のような若者向けカジュアルファッションがなかなか浸透しないのは「大人になれば階級に相応しい格好をせよ」という社会的圧力が強いからじゃないかと思う。




 インドで撮った写真の中からいくつかをご紹介。



いつだってどこにだって笑顔はある。


ウッタラカンド州で出会った少女。お寺の中で教科書を広げて勉強中。


ウッタラカンド州で出会ったおばあさんと孫。すっぽり被ったニット帽がとてもかわいい


新しい一日をこんな笑顔で過ごしたいな。


ウッタラカンド州の山間の町で、ファンキーな兄弟を発見。段ボール製のギターを抱えた弟と、クラブ系ダンスを披露する兄。


ウッタラカンド州の農村で出会ったおばさん。素敵な笑顔だ。


セクシー映画館の前で開館を待つ若者。ヌードやセックスシーンは御法度のインド映画だが、かなりきわどい内容とのこと。ほんまかいな。タイトルは「College Girl」。女子大生。ふむ。


豆の収穫をするシク教徒の老人。真っ白いヒゲと彫りの深い顔立ち。威厳のようなものすら感じさせる農作業の風景だった。


巨大なかぶり物で正装したシク教徒の男。重くて歩くだけでも大変そうだが、もちろん彼はそんなことはおくびにも出さずに平然とした顔をしているのだった。
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by butterfly-life | 2012-03-19 11:14 | インド色を探して