<   2012年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧
ネパールの教育事情
■ ネパール旅行記(6) ネパールの教育事情 バックナンバーはこちら ■

 ネパールに住むモンゴロイド系少数民族の中でも、タマン族は特に貧しいことで知られている。標高2000m程度の農業にあまり向かない土地に住み着いていることが多く、電気や道路などのインフラが未整備で、学校教育も遅れている。他の民族と接する機会も少なく、今もなお自給自足的な暮らしを送っている村も多い。

 疑似セックスを伴った不思議な一周忌を行っていたパルチャン村も遠隔地にあった。標高2300mほどに位置する村では米を育てることができず、主食はトウモロコシやシコクビエの粉に水を加えて鍋で煮たものだった。栄養価はともかく、味はほとんどない。


[パイプを使ってタバコを吸うタマン族の女]

 村人はタバコが大好きだった。男も女も大人も子供も、とにかくよくタバコを吸う。自分たちの畑で育てたタバコの葉を乾燥させ、細かく刻んでから手製のパイプに入れて吸っている。7、8歳ぐらいの女の子までがぷかーっと煙を吐き出しているのにはさすがに驚いた。ニコチン中毒の恐ろしさや肺ガンのリスクなんかは全く知らないのだろう。




[牛を使って畑を耕すタマン族の男]


[タマン族の村には独特な形をした石造りのお墓が並んでいた。]

 村には子守をする子供の姿が目立った。まだ5,6歳の子供たちが幼い乳飲み子をおんぶして、あぜ道を歩いているのだ。そうやって子守に追われる子供たちの多くは学校に行っていない。そもそもなぜ学校に通わなければいけないのかをちゃんと理解している親の方が少数派なのだ。



 学校に行かない子供たちを減らすために、村の小学校では無料で給食を提供するようになった。小麦粉とトウモロコシ粉に砂糖と食用油を加えて大きな鍋で加熱した「ハロア」と呼ばれる軽食を昼休みに出すことにしたのだ。茶色くてぼそぼそした見た目とは裏腹に、このハロアは意外にもうまかった。山の子供たちに不足しがちなビタミンAやDなどを補うという目的もあるが、まず何よりも甘くて腹持ちがするものを食べさせようと考案されたレシピのようだ。


[制服を着て登校する子供たち]

 この給食プログラムはWFP(国連世界食糧計画)が農村の子供たちを学校へ通わせるインセンティブとして始めた。教育を受けることの具体的なメリットを見出せない村人に対して、「ただでご飯が食べられますから、とにかく来てくださいよ」というメッセージを送ったわけだ。

 その目論見は見事に成功し、学校に来る子供の数は一気に倍近くになったそうだ。実際には給食が終わると午後の授業をパスしてさっさと家に帰ってしまう生徒も多いのだが、それはそれで仕方がない、まず学校に行く習慣を身につけることが第一だと割り切っているようだ。


[幼い弟を連れて学校に通う少女]

 しかしようやく学校に来るようになった子供たちの前には「言葉の壁」が立ちふさがっている。ネパールには共通語のネパール語とは別に、70以上もの民族語がある。タマン族はタマン語を話し、シェルパ族はシェルパ語を話す。もちろん自分の母語だけではなくネパール語も話せる人が多いのだが、パルチャン村のような遠隔地では今でも母語(つまりタマン語)しか話せない人の方が多数派なのだ。村の外に出る必要もないし、村の外から誰かを迎えることもない。そういう村人には母語だけで十分事足りるのだ。

 タマン語しか使わずに育った子供たちは、小学校で初めて習うネパール語に戸惑いを隠せない。日本語で育った子供が、小学校に入った途端すべての科目を英語で学びなさいと言われるようなもの。混乱するのも当然である。最初の段階でつまずいてしまい、学校に来なくなる生徒も多い。授業のレベルも低く、大声での暗唱と、宿題の確認に終始しているという印象だ。



 教える側にも大いに問題がある。小学校の先生はバウン(ブラマン)という上位カースト出身者が多く、彼らはタマン語を話せないのだ。そんなわけで先生たちはボディーランゲージを使いながらネパール語を教えているのだが、言うまでもなくこれはかなり非効率なやり方である。

 先生のモチベーションもとても低い。勤務態度も悪く、給料泥棒に近い人もいる。僕がパルチャン村の小学校を訪れたときも、三人いるはずの先生が全員欠勤しているという有様だった。一人は二日酔いで寝込んでいたし、もう一人は買い物をするために町に行っていた。校長はもともと週に2日ぐらいしか学校に顔を出さないという。無茶苦茶である。先生が不在のあいだ、生徒たちは自習することになっている。自習というと聞こえはいいが、要するにただ遊んでいるだけである。



 僕は「地球上のすべての子供が絶対に学校に行くべきだ」とは思わない。画一的な教育カリキュラムなんて必要ない。自分たちは自分たちのやり方で子供を育てるんだから放っておいてくれ。そう主張する人がいても構わない。もしその共同体が自給自足的な自前のエコシステムを持ち、人口が増えず、自然環境と調和した持続可能なのであれば、「うちには学校なんていらない」と胸を張って言ってもいいと思う。

 でもネパールの山村はそうではない。現実には、教育が普及していない村ほど子供の数は多く、増え続ける人口を維持するために森を伐採し、畑を広げすぎた結果、雨季のたびに大規模な地滑りが起こるようになっている。

 だから教育は必要だ。
 過去から学び、今を知り、来るべき未来を予測するために。
 何よりも彼らの独自の文化や暮らしを守っていくためにも、教育は不可欠なのだと思う。


[PR]
by butterfly-life | 2012-06-29 11:59 | 南アジア旅行記
ネパールのタマン族はなぜ一周忌に疑似セックスを行うのか
■ ネパール旅行記(5) 不謹慎な一周忌 バックナンバーはこちら ■

 それはずいぶん奇妙な儀式だった。
 タマン族の村人によれば、1年前に亡くなった老人を弔うための儀式、つまり一周忌の法要だというのだが、とてもそんな風には見えなかった。その場に集まった村人は全部で300人ぐらいだったが、みんな不謹慎とも思えるほどリラックスしていて、大声で笑い合ったり、酒を酌み交わしたりしていたのだ。サイコロ賭博に熱中する若者までいた。事情を知らない人が見れば、「楽しい村祭りでも始まったのだろう」と思うに違いなかった。


[一周忌には村中の人々が集っていた。]


[大きなお皿で地酒ロキシーを飲む女たち]



 亡くなった老人の親族はさすがに笑ってはいなかった。それどころか、楽しげな村人たちとは正反対に、悲しみにうちひしがれ、大声で泣き叫んでいた。ぼろぼろと大粒の涙を流している女も何人かいた。寡婦である老婆は、悲しみのあまりその場にへなへなと座り込んでしまった。


[大粒の涙を流す遺族の女性]




[女たちは死者に捧げるための野菜や果物を頭に載せて歩いていた。]

 しかし女たちが流す涙は自然に出てきたもののようには見えなかった。突然の訃報に接したのならともかく、亡くなってからすでに一年も経っているにしてはあまりにも大げさすぎる。「お約束」という表現が適切なのかはわからないが、おそらくこの儀式において遺族には泣くという役割が求められているのだろう。盛大に涙を流し、悲しみにうちひしがれてみせることが、死者を弔うために必要だと考えられているのではないか。

 遺族たちが死者を模した人形と遺骨を御輿に乗せて運んでくると、ラマ(僧侶)による踊りの奉納が行われる。それが終わると、百八つある灯明すべてに明かりがともされた。ここまでは仏教的な儀式の流れだと理解できたのだが、その先の展開は実に驚くべきものだった。

 木彫りの仮面を被った少年が鐘と太鼓の音に合わせて踊り始めたのだが、彼の股間にはなぜか男性器をかたどった木製の棒がくくりつけられていたのだ。少年はその疑似ペニスを誇らしげに握って、周囲の見物人に見せつけながら、お布施となるお金を集めていた。疑似ペニスには赤い色が塗られ、陰嚢までリアルに再現されている。しかしその行為が何を意味しているのかはさっぱりわからなかった。


[リアルに再現された疑似ペニスをつけた少年]

 やがて西の空に日が落ち、あたりがすっかり暗くなると、仮面を被り疑似ペニスをつけた男たちが二人一組になって「疑似セックス」を始めた。男役が女役の上に覆いかぶさって激しく腰を振る。女役は大きく股を広げてそれを受け入れる。そうやって5分ほど激しく交わると、今度は相手を変えて抱き合い、また腰を振るのだった。



 この疑似セックス(というか疑似乱交)は見物人を熱狂させた。「待ってました」とばかりに大きな歓声が上がり、太鼓が打ち鳴らされ、角笛が吹かれた。酔っぱらった男たちからは「もっと派手にやれよ!」というヤジが飛び、女たちはおかしそうにお互いの肩を叩き合って笑っている。子供たちも腹を抱えて大笑いしている。この行為が何を意味しているのか、子供たちにもなんとなくわかっているようだ。かなり直接的ではあるが、これがタマン族流の「性教育」なのかもしれない。



 実際、タマン族は性的にオープンなようだ。ヒンドゥー教徒のネパール人には「婚前交渉なんてもってのほか」という意識が強いのだが、仏教徒であるタマン族にはそのようなタブー意識はあまりないらしい。14,5歳になれば気に入った異性を草むらに誘い込んで「一夜限り」の関係を楽しむ若者も多い。特にお祭りや宗教儀式が行われる日は、そのような「お持ち帰り」カップルが生まれやすいそうだ。若者はちゃんとコンドーム持参(やる気満々だね)で祭りに臨むのだが、それでも妊娠してしまった場合には、責任を取って結婚するのだという。タマン族の村は特に子供の数が多いのだが、このような性的なオープンさもその原因のひとつなのかもしれない。


[タマン族のラマ(僧侶)による踊りの奉納]


[お経を読むラマ]

 それにしても死者を弔う儀式の直後に「疑似セックス」を行うことにどんな意味があるのあろう?
 村人に直接聞いても「これは昔からやっていることだ」という答えしか返ってこなかったから、彼ら自身にも目的はよくわからないようだ。

 ひとつ考えられるのは、セックスを「死を超克するもの」「再生の象徴」として死者に捧げているのではないかということだ。
 人はいつか必ず死に、その肉体は自然へと還っていく。それと同時に多くの人間が新しく生まれ、命は連綿と繋がっていく。それが輪廻の考え方だ。

 一人の死のあとに多くの生が続く限り、個人の死は集団にとっての「終わり」を意味するものではない。むしろ死は次の世代へと生を受け渡すために必要なバトンのようなもの。だからこそ、涙で死者を送り出した後には、激しい生(性)の交わりを示さなければいけない。疑似セックスにはそんなメッセージが込められているのかもしれない。


[百八つの灯明に明かりをともす]

 ちなみにタマン族の人々は、葬式が終わった直後の数日間はいっさい塩をとらないそうだ。お米や野菜は食べてもいいし、お酒もよく飲むのだが、塩分だけは抜かないといけない。村人によれば、たとえ3,4日でも塩分をとらないと、徐々に体が弱ってくるそうだ。食欲が落ち、体力が衰え、気力もなくなってくる。当然である。人は塩なしでは生きていけないからだ。ハンガーストライキで断食を試みる人も、塩と水だけは必ずとっている。塩はそれほど大切なものなのだ。つまり彼らは塩を断つことで、普段よりも一歩「死」に近づいているわけだ。

 海のないネパールでは、昔から塩の確保は死活問題だった。タマン族の人々も山を越えて岩塩を運んでくるチベット人のキャラバンと交易することで、なんとか貴重な塩を手に入れていた。彼らは塩の重要性が身に染みてわかっていた。だからこそ近しい人が死んだときにはあえて「断塩」をして、弔いの気持ちを表したのだろう。
[PR]
by butterfly-life | 2012-06-27 12:29 | 南アジア旅行記
ネパールのおいしい天然水の秘密
■ ネパール旅行記(2) ネパールのおいしい天然水の秘密 バックナンバーはこちら ■

 グルン族が住むチェラン村では、雑貨屋で知り合ったマンヌルブさんの家に泊めてもらった。
 マンヌルブさんは70歳で、奥さんのセイティーマヤさんは65歳ということだったが、二人とも実年齢よりもずっと老けて見えた。特に奥さんは髪が雪のように白く、顔にも深い皺が刻まれていて、腰は大きく曲がり、声もしわがれていた。「おばあさん」と呼ぶのがふさわしいような外見だった。ネパール女性の平均寿命は59歳で、日本の83歳に比べても、世界的な水準と比べても、かなり低い。「長生きが難しい国では老けるのも早い」ということは間違いなく言えそうだ。



 セイティーマヤさんが何歳なのか、本当のところは誰にもわからない。生年月日を覚えているわけではないからだ。「だいたい65歳ぐらいだろう」というのが本人と周りの人間の認識なのである。もともとネパールには誕生日を祝う習慣はなかったし、子供が生まれても役場に届け出て誕生日を確定させる仕組みもなかった。だから老人に年齢を尋ねるとたいてい「80歳」とか「70歳」といった切りの良い数字が返ってくる。年齢には大した意味なんてないのだろう。私が誰の妻であるのか、誰の母親で、誰の祖母なのか。そういった関係性こそが重要なのであって、自分がいま何歳なのか把握している必要なんてないのである。

 セイティーマヤさんはバスで片道5時間もかかるダーディンの町に出かけてきたばかりだった。ネパールにも土地に対する固定資産税があって、それを払うために町の役所まで行ってきたという。税金の額は非常に安い。もちろん土地の広さにもよるが、だいたい1年あたり6,70ルピー程度なのだそうだ。町までのバス代の方がはるかに高い。だから10年に一度まとめて支払ってもいいことになっている。



 税金を払うついでに町で買い物をしてきたから、セイティーマヤさんが背負っていた荷物は重かった。乾電池、紅茶、砂糖、塩、スパイス、それにミカンとブドウなどの果物である。それ以外のものは村で作っているから、わざわざお金を出して買う必要はないという。

 さっそく買ってきたばかりの紅茶の葉で「チヤ」と呼ばれるミルクティーを作ってもらった。ススで真っ黒く変色したヤカンを火にかけ、茶葉と水と絞りたての水牛のミルクと砂糖、それにショウガをひとかけら加えて煮立てる。ステンレス製のコップに注いだ熱いチヤを、ふーふーと冷ましながら少しずつ飲む。


[ススで真っ黒に変色したヤカン]

 村人で紅茶を飲み始めたのはそれほど昔のことではない。今から2,30年前に、インドへ出稼ぎに行った男がお土産として持ち帰ったものが、村人にとって初めての紅茶体験だったそうだ。それまでは水牛のミルクや「チャン」と呼ばれるどぶろくを飲むことが多かった村人が「紅茶党」へと変わるのに、さほど長い時間はかからなかった。お湯を沸かして茶葉を入れるだけでできるという手軽さと、砂糖を入れて甘くすると子供からお年寄りまで誰もが飲めるという親しみやすさが支持された結果だという。



 村人が飲み水にしているのは山の湧き水だから、そのまま飲んでもとてもおいしかった。ふくよかな甘味があって、味に奥行きがあるのだ。カトマンズで売られているボトルウォーターとは全然違う。もちろん健康にもいいという。
 しかし、このような村の生水を初めて飲んだ外国人は、必ずと言っていいほど下痢になるのだそうだ。だからガイドはトレッキング客に対して、どんな水でも必ず一度は沸騰させるように勧めている。それができない場合には、消毒薬をドロップして飲ませるという。


[井戸から汲んできた水をためておくための水瓶。なかなか渋い色合いである。]

 つまり、このおいしい天然水には、沸騰させたり消毒液を混ぜたりすれば死滅する「何か」が混じっているということだ。おそらくは微生物のようなものが。しかしその「何か」が水の味を豊かにし、健康にも良い影響を与えているわけだ。
 幸いなことに、僕の場合は現地の生水をそのまま飲んでも全く問題なかった。体に免疫ができているのだろう。日本にいるときよりも腹の調子がいいぐらいだった。僕にとってネパールは文字通り「水が合う」土地なのだと思う。

 ところで、この家の居間兼台所には煙突がひとつもない。だから調理をするためにかまどに火を入れると、家中に煙が充満することになる。煙が目にしみると痛くて涙が出てくるし、気管支にも悪いはずだが、伝統的なネパール家屋のほとんどが煙突などの排煙設備を持っていないのである。もともと煙の害を気にする人が少なかったということもあるのだろうが、煙がもたらす「効能」を期待している人も多いらしい。かまどから立ち上る煙は、家の二階に貯蔵されている穀物(米やトウモロコシや雑穀)を燻し、日持ちを良くするという。さらに、煙で燻された木の柱は虫にも強くなり、家自体が長持ちするようになる。


[伝統的なかまどで煮炊きをする。この家にも煙突はなかった。]

 ガイドのフルさんが実家を新築した際も、台所に煙突を着けることを提案したのだが、両親には「そんなものいらない」とはねつけられてしまったそうだ。
「両親にとって、お米が腐らないことが何よりも重要なんです」とフルさんは言った。「煙で人が死ぬのには長い時間がかかるけど、穀物が腐ってしまえば、その日から飢えるわけですから」
 しかし最近になってようやく煙の健康への悪影響が理解されるようになり、新しく建てられる家の多くが煙突を備えるようになったという。

 新鮮なミルクを提供してくれる水牛4頭は、この家でもっとも価値が高い「財産」だ。いざとなったら売り払って現金に換えることもできる。水牛の他にも牛が2頭、豚が1匹、山羊が4匹、それに5羽の鶏が飼われている。人間の数より家畜の数の方が多いのは、ネパールの山村では当たり前である。当然、家の周りは糞だらけだ。水牛の糞と落ち葉を混ぜて作る堆肥のにおいが、ほんわりと家全体を包み込んでいる。草食動物の糞はそれほど臭くはない。かぐわしいとまでは言えないが、気になって仕方がないというレベルではない。実際、村で数日過ごすうちに、においのことは気にならなくなった。


[水牛や牛は農作業に欠かせない労働力でもある。]


[牛の糞は畑にまく堆肥にも利用される。]

 マンヌルブさんには息子が一人と娘が三人いるのだが、誰とも同居はしていない。娘たちはみんな結婚して家を出ているし、一人息子はサウジアラビアに出稼ぎに行っているからだ。というわけで老夫婦は息子のお嫁さんと孫三人と一緒に暮らしている。

 お嫁さんはサウジアラビアにいる夫と携帯電話で連絡を取り合っている。村に電気は通っていないので、太陽光パネルを持っている隣家に頼んで充電をしてもらっている。小さな太陽光パネルとカーバッテリーの組み合わせによって得られる電力はさほどパワフルではないので、パソコンを使ったりテレビを見たりすることはできないのだが、蛍光灯をともしたり携帯電話を充電したりすることは可能なのだ。


[電気が来ていない村にもソーラーパネルを持った家が目立つ。]

 電波状況はあまり良くない。村からかなり離れた山の上に電波塔が立っているので、天気が悪い日には電波が届かないことも多いという。
 しかしいずれにしても、ネパールの山村から4000キロも離れたサウジアラビアにダイレクトに繋がることができるというのはすごい。バカ高い通話料を払うこともなく、気軽に外国と通話ができるようになるなんて、ほんの10年前のネパールでは想像すらできなかったことなのだ。


[家の横に立つのは携帯電話の電波塔だ。]

 世界は確実に狭くなっている。
 労働市場がグローバル化し、マネーが地球を駆け巡り、昔ながらの暮らしを送る農村からの声が電波に乗ってやすやすと国境を越えていく。
 そんな時代に僕らは生きている。
[PR]
by butterfly-life | 2012-06-22 16:00 | 南アジア旅行記
ネパールの田舎に泊まろう
■ ネパール旅行記(1) ネパールの田舎に泊まろう バックナンバーはこちら ■

 現地で安いバイクを借り、それに乗って町から町へ自由気ままに移動する。それが僕のいつもの旅のスタイルなのだが、ネパールではまったく違う日々を過ごすことになった。町から遠く離れた山村を訪れるためには、バイクや自動車が入れないような細い山道を進まねばならず、重い荷物を背負って村から村へ徒歩で移動することになったのだ。

 道中は英語か日本語が話せるガイドを伴っていた。山村にはツーリスト向けの宿など全くないし、それどころか地元の人が利用できる宿さえほとんどない。そんなわけで宿泊は「田舎に泊まろう」式に普通の農家のお世話になったのだが、その交渉のために現地の事情をよく知るガイドがどうしても必要だったのである。



 泊めてもらうのは取りたてて裕福なわけではない農家だから、快適さを期待することはできなかった。ざらっとした土間の上に置かれた小さな木のベッド(ネパール人の平均身長に合わせて作られているので、かなり窮屈だ)に横になって、汚れた毛布を被って眠る。トイレを持たない家も多く、その場合は適当な茂みの中で用を足すことになる。


[とある農家の部屋。これでもかなりマシな方である。]

 狭い穀物倉庫に薄っぺらいムシロを一枚敷いて、その上に眠ることもあった。すきま風も容赦なく吹き込んでくるうえに、ムシロの保温性なんてあってないようなものだから、夜中になると寒さが体に堪えた。天井の梁の上をネズミが走り回ったり、階下の家畜小屋から水牛のいびき(?)が聞こえてきたりと、かなりひどい寝床ではあった。


[薄暗い部屋にムシロ一枚。貧しい農家はこういうところで寝ている。]

 とはいえ僕らが家主から嫌がらせを受けていたわけではない。特別な歓待は受けなかったけれども、少なくとも家族と同等に扱ってはもらっていた。この家の住人もやはり同じように土間に敷いたムシロの上で寝ていたのだから。ここには木のベッドや綿布団を買う余裕がなかったのだ。

 まださほど暑くない時期だから蚊に悩まされることは少なかったが、ハエは実に多かった。ネパールの農家は水牛や山羊や鶏などをたくさん飼っているのだが、その家畜たちがまき散らす糞がハエたちにとって絶好のご馳走となるのである。雨季の直前の4月は特にハエの多いシーズンらしく、家のまわりにはいつもハエがぶんぶんと飛び回っている状態だった。

 チクッと刺すわけでも血を吸うわけでもないので、害がないといえばそうなのだが、大量のハエにたかられるというのは決して気分のいいものではない。特に長い距離を歩いて疲れているときには、あのうるさい(そういえば「うるさい」って漢字では「五月蠅い」って書くんですね)羽音にイライラさせられることが多かった。

 大量のハエは村人にとっても迷惑なものらしく、ハエよけ対策をしている家もあった。よく見かけたのは透明なビニール袋に水を入れたもので、これを天井にぶら下げるだけでハエが寄ってこなくなるという。猫よけのペットボトルのようなものだろうか。


[これが「ハエよけ」の秘密兵器である。]

 ハエには何か動くものが視界に入るとすぐに逃げるという習性があるらしい。水入りのビニール袋に反射する光のきらめきが、ハエには「得体の知れない脅威」に感じられて、そのまわりに近づかなくなるのだそうだ。

 理屈を聞けばなるほどと思うのだが、実際どれほど効果があるのかは疑問だった。確かに水袋の近くにはハエは寄りつかないのだが、そこから1メートルも離れてしまうと他と同じように大量のハエが飛び回っているのである。やはり小手先の対策ではどうにもならないのだろう。

 シンガン村の農家では、高校生の息子が使っている「個室」を使わせてもらった。個室といっても、軒下のスペースをベニヤ板で仕切っただけのかなりいい加減な代物で、足を折り曲げないと横になれないほど狭く、昼間でも真っ暗なので、どちらかと言えば「座敷牢」に近い部屋だったが、それでもプライバシーがほとんどないネパールの山村において、個室が作り出す「パーソナルスペース」はとてもありがたかった。ここにいる限り、誰かから好奇の目で見られることもなく、心の底からくつろぐことができたからだ。


[とても狭い「個室」。足を伸ばすこともできない。]


[「個室」は軒下に増築されている。座敷牢のように見えなくもない。]

 個室の壁は、様々な所からかき集めてきたらしいポスターで埋め尽くされていた。ミニスカート姿のインド人女優や、なぜか太い丸太を持ち上げて笑っているインド人俳優、パリのエッフェル塔やスイスアルプスの風景、元ネパール王家(今はすでに実権を失った)の家族写真などである。かつてのブラジル代表のエース・リバウドの写真もあった。いったい何年前の試合なのかわからないが、背番号10をつけたリバウドは大柄な体を生かしてゴール前でドリブル突破を試みていた。

 壁に貼られたポスターはまったく統一感がなく、センスがいいわけでもないのだが、見飽きないことだけは確かだった。ラジオがほぼ唯一の情報メディアである農村では、外国の風景や人物が写ったポスターでさえも貴重な娯楽なのかもしれないなぁと思ったりした。


[農家の壁を彩る雑多なポスター]


 ネパールの山村を旅していると、自分がここではまるで役立たずの存在なのだと思い知らされることになる。足腰のバランスが悪いために山道ではしょっちゅう足を滑らすし、重い荷物を背負って長い距離を歩くと筋肉が悲鳴を上げる。村の男たちのように丸太から家具を作り出せるわけでもないし、右手だけでご飯を食べることだって上手くできない。トイレがないとやはり不便を感じるし、何日も水が浴びられないとイライラしてくる。



 しかしそのような無力感を感じるのは、必ずしも悪いことではない。自分がちっぽけな存在にすぎないのだと知ることは、この広い世界のことをもっと知りたいという気持ちに繋がるからだ。自分の力が及ばない世界がある。それはなんて素晴らしいことなんだろう。

 僕らは生まれた頃から何不自由なく暮らしてきた。少なくとも物質的に飢えることはなかった。とても恵まれた世代だと思う。何もかもが手を伸ばすだけで受け取れる。自分の足で歩かなくても、歩道の方が動いてくれる。わざわざ水牛の乳を搾ったり薪に火をつけて湯を沸かしたりしなくても、ボタンさえ押せば「午後の紅茶」が出てくる。



 しかしそれはある意味ではとても不幸な世界だとも思う。行きすぎた便利さは、自らの力で何かをつかみ取ろうという意志を奪い、生きているという実感を持ちづらくさせているからだ。

 世界はとても美しいし、豊かな可能性に満ちている。
 それを実感するためには、この限りなく優しく、それでいて残酷な自動化世界の外に出なければいけないのだと思う。



 いつもとは違う筋肉を使い、違う疲れを感じ、違う価値観の中に身を置く。
 そうやって己の限界を思い知ることで、僕はその限界の一歩外へ踏み出そうとする力を得てきた。

 だから僕は旅を続けている。
 「今ここにいる自分」の中に閉じこもっていては、世界の本当の美しさは見えてこないから。
[PR]
by butterfly-life | 2012-06-20 21:39 | 南アジア旅行記