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精米所の光
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 UFOみたいな奇妙な物体が、のどかな田園地帯に突然現れた。
 それは直径3mほどの円錐状で、ベトナム女性が被っているすげ笠を巨大化したような形をしている。



 いったい何なんだ、これは。
 不思議に思ったので、そこで働いている人に訊ねてみた。すいません、これは何に使うんでしょう?
「あぁこれね。これはお米にかぶせるフタなんだよ」
 親切に教えてくれたのは、精米所でマネージャーをしているカリムさんだった。この精米所では収穫した後の籾(もみ)を一度天日干ししてから精米するのだが、乾いた後の籾が雨で濡れてしまわないように、この円錐形のフタをかぶせておくのだという。


[フタは竹を編んだものに布を張って補強してある。]

 カリムさんの案内で精米するまでの流れを見学させてもらった。
 まず初めに行うのは、収穫した籾米を高温の蒸気に数十秒さらして蒸す行程だ。これは「パーボイルド」といって南アジアで広く行われている伝統的な加工法だそうだ。加熱することでカビや害虫の発生を防ぎ、保存性を高めるのが目的だという。また粘り気がとれて食べやすくなったり、栄養価が増したり、腹持ちがよくなるという効果もある。(その代わり味はいくぶん落ちることになるのだと思う)


[籾米を高温の蒸気に数十秒さらして蒸す「パーボイルド」という行程]

 蒸した籾は大きな湯船に一晩つけられた後、コンクリート床の上に広げて天日で乾燥させるのだが、この床がとんでもなく熱かった。南国の強烈な日差しにあぶられた床の表面は、おそらく50度を軽く超えていたはずだ。アチチチ。これじゃすぐにやけどしてしまう。労働者と同じようにサンダルを脱いで裸足で床の上に立った僕は、タップダンサーみたいに常にステップを踏んで片足を地面から離しておかなければいけなかった。

 ところが地元の人は床が熱いことなんてまったく気にするそぶりもなく、平然と働いているのである。きっと足の皮が靴底のように硬く分厚くなっているのだろう。人間の環境適応力というのはすごいものだと感心してしまった。


[コンクリート床の上に広げた籾を足でかき混ぜていく。]


[バングラデシュにはこのような精米所が何百何千とある。]


[人々は焼けつくような床の上で裸足で作業していた。]


[乾燥させたお米は円錐形に集められる。]


[籾を乾燥させるのに使われるトンボのような道具]

 強烈な日差しが支配する外の世界から、精米所の建物の中に一歩足を踏み入れたときの衝撃は今でも忘れられない。

 それはモノトーンの世界だった。明かり取りの窓がいくつかあるだけの薄暗い工場で、「産業遺産」と呼んでもいいほど古びた精米機が鈍い光を放っていた。空気中に漂う細かな籾殻のせいで光が散乱した部屋の中には、粒子の粗い古いキネマを見ているような非現実感が漂っている。その中でサリー姿の女たちが黙々と働いていた。籾米を入れた缶を肩に担ぎ、小さな階段を上って、回転するドラムの中に注ぎ込んでいく。その姿は時間そのものが動きを止めてしまったかのように静かだった。



 何げない労働の一場面を印象的にしているのは、光の効果だった。そこにしか生まれ得ない粗い光が、実直な働き者の姿を闇の中に浮かび上がらせているのだ。重々しい機械も、女の立ち姿も、その場を支配する光も、すべてが完璧だった。

 ファインダーを覗いたとき、妙に自分が冷静だったことを覚えている。焦る必要はない。これだけの舞台装置が用意されているのだから、あとはどう切り取ろうと良い写真になるに決まっているのだ。そんな風に思いながら僕はシャッターを切った。




 バングラデシュ全土をバイクで走り回ってみて感じるのは、国土の豊かさである。どこを走っても、ひたすら水田が続いている。開墾していない土地、遊んでいる土地はほとんど見当たらない。鮮やかな緑色の絨毯が、まるで海のようにどこまでも広がっているのだ。


[見渡す限りの水田]


[田んぼで雑草を取っている女たち]

 起伏の少ない平坦な地形と、肥沃な土壌。いくつもの大河から供給される豊富な水と、温暖な気候。バングラデシュは米の栽培に適した条件を備えた国だ。農業技術の普及によって、二期作や三期作を行える地域も増えつつある。実際、バングラデシュの米生産量は世界第4位である。

 それなのに米が不足しているという。国内産の米だけでは需要を満たすことができず、インドなどの外国から米を輸入せざるを得ないのだ。
 一体なぜなのか?



「人が多すぎるんだよ」とカリムさんは言う。「お米はたくさんとれるけど、それを食べる人間の数も多いからね。『緑の革命』で収穫する米の量は二倍に増えた。でも人口はそれ以上に増えたんだ。しかもまだ増え続けている。どうしようもないんだよ」

 人口問題。結局はそこに行き着くのである。バングラデシュは1億5千万人もの人間が日本の38%という狭い国土に住んでいる、世界でももっとも人口密度の高い国だ。しかも当分は人口増加に歯止めがかからず、2050年には2億5000万人に達するという予測もある。空恐ろしい数である。

 僕がバングラデシュを旅したときにも、安いお米を買い求める人々が販売所の前で長蛇の列を作っていた。一般価格よりも2割ほど安い政府価格米を求める人々の中には、早朝から4時間以上も待っているという人もいた。強い日差しが照りつける屋外で、押し合いへし合いしながら長時間待ち続けているので、苛立ちがつのり、小競り合いが発生することもある。

「ちょっとあんた、横入りしないでよ!」
「なによ、あんたの方があとから来たんじゃないじゃないのさ!」
 言葉はわからなくても、表情と身振りから彼女たちの言っていることはだいたい理解できた。バングラ人の8割はムスリムである。ムスリム女性には「あまり表に出ずに家庭を守る貞淑な女性」というイメージがあるが、とんでもない。バングラ人というのは男女関係なくやたら喧嘩っ早いのである。女だってときにはつかみ合いの喧嘩までやってしまう。だから販売所には警官が配備されていた。


[安い政府価格米を求めて行列を作る人々]


[そ、そんなに怖い顔をしなくても・・・]

 人々が安い米に群がる原因は、米の値段が半年で50%も上がったことにあった。バングラデシュ南部を襲ったサイクロンの影響で収穫が落ち込み、それに世界的な米価格の上昇が追い打ちをかけたのだ。家計の中の食費の占める割合(いわゆるエンゲル係数)が70%を超えるというバングラデシュの貧困層にとって、米価の高騰はまさに死活問題だった。

「貧しい人にとっては7タカ(10円)の差は大きいんだ」とカリムさんは言う。「農村の労働者の日給は100タカから150タカぐらいだ。しかも毎日仕事があるとは限らない。限られたお金でたくさんの家族を養っていかなくてはいけない。米の値段に敏感になるのは当然だよ」

 国土が広がらない以上、バングラデシュに残された選択肢はあまり多くはない。人口抑制策を地道に続ける一方で、米の収穫量を増やす努力を続けるしかない。そうしないと近い将来もっとひどい事になる。
 残念ながら、魔法のような解決法はどこにもないのである。


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by butterfly-life | 2012-08-30 11:13 | 南アジア旅行記
食堂のワークシェアリング
■ バングラデシュ旅行記(14) 食堂のワークシェアリング バックナンバーはこちら ■

 バングラデシュは人力に頼った国だが、それは裏を返せば「仕事の効率がきわめて悪い」ということでもある。
 たとえば、なんてことのない安食堂に入ってみたところ、従業員が15人ぐらいいてびっくりする、というようなことがこの国ではよくある。確かに客で混み合っている食堂だから、ある程度の人手は必要だ。しかしいくらなんでも15人は多すぎる。


[安いが汚い大衆食堂。なぜか壁にブルースリーの写真が掲げられている。]

 実際、その食堂の従業員の働きぶりは無駄だらけだった。テーブルに水を運んでくるのはまだ10歳にも満たない見習いの少年たちなのだが、彼らの動きがなんだかヘンなのである。まず一人のボーイが水の入ったグラスを3つまとめてドンと置く。喉が渇いている僕は、そのうちのひとつに手を伸ばそうとする。するとなぜか別のボーイがやってきて、グラスを3つとも持っていってしまうのだ。


[こんなに小さい子供が茶屋を切り盛りしていることもある。]

 え? なんで?
 呆気にとられていると、今度はまた別のボーイがやってきて、目の前に水の入ったグラスを4つ置いていくのだった。何がやりたいのかまったくわからん。しかしうかうかしていると、またすぐにグラスが下げられてしまいそうだったから、僕は慌てて水を飲み干したのだった。

 ボーイたちはふざけているのでも意地悪をしているのでもないのだろう。彼らは彼らなりに真面目に働いているつもりなのだ。おそらくは「水を運ぶ係」と「水を下げる係」が分かれていて、両者の連携がうまく取れていないからこういうことになるのだと思う。ただ忙しそうに立ち振る舞っているだけで、実際には何の意味もないことを延々とやり続けている。「マンパワーの国」にはそんな側面もあるのである。


[体重計屋。こんな商売が成り立つのも「ワークシェアリング」の国だから。]

 もし効率化を求めて(どこかの居酒屋チェーンみたいに)社員教育を徹底させれば、15人の従業員を5人に減らすことも十分に可能である。頑張れば3人でも回せるかもしれない。でもバングラデシュでは誰もそんなことは目指さない。彼らが目指しているのは効率化の逆、つまり「1人でできることを2人か3人で分担してやりましょう」というワークシェアリングの思想そのものなのである。

 仕事という「パイ」は一人が独占するものではなく、みんなで分け合うもの。そうやって限られた仕事を労働人口全体に少しずつ行き渡らせないと、町に失業者や物乞いがあふれてしまう。バングラ人はそのことを本能的に理解しているのだ。


[自動車整備工場にも見習い工の少年たちが何人も働いていた。]

 ダッカにはおびただしい数の行商人がいるのだが、彼らの働き方も効率的とは言い難かった。みんな揃って同じような商品を売っていたからだ。2009年にはみんなこぞってLED式懐中電灯を売っていたし、2010年はフワフワの耳当てがブームになっていた。2011年にはなぜだかよくわからないが、動物図鑑が大流行していた。不思議なことに、どの行商人も同じような動物図鑑を売り歩いていたのだ。


[この行商人が持っているのは魚の図鑑のようだ。]

 おそらく元締めがどこかから大量に仕入れてきた商品をさばかせているのだろう。他人と違う商品を仕入れて、一人だけ売り上げを伸ばそうとする売り子はほとんどいないのだ。小さなパイ(動物図鑑を欲しがる人なんて限られているはずだ)を多くの人間で分け合っている状態なのである。だから当然一人の儲けはとても小さい。


[バスターミナルや鉄道駅や市場など、人が集まるところには必ず行商人がいる。]

 もしこの国にスーパーやコンビニが普及すれば、生活はもっと便利になるだろう。好きなときに好きなものが手に入るわけだから。それでも当分のあいだは、この国の小売り業の中心はバザールと個人商店と行商人が担うことになるだろう。大型チェーン店とバーコードとPOSは、便利さと引き替えに巨大な雇用を消し去ることになるからだ。


 ここでバングラデシュのあちこちで見かけた「マンパワーの国」ならではの光景を紹介しよう。


[動画]働く人の姿を集めたムービー「人力の国」


[川底の砂を運ぶ男たち]




[こちらはバケツリレーの要領でどぶ掃除をしている人々]


[重いコンクリートブロックを4人がかりで運んでいる。]


[レンガ工場で使う石炭を運ぶ女]


[レールから脱線した貨車を押して動かそうとする男たち。さすがにこれはびくともしていなかったけど。]


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by butterfly-life | 2012-08-24 15:11 | 南アジア旅行記
バングラデシュの製塩工場と大道芸人の秘密
■ バングラデシュ旅行記(13) 塩まみれの男たち バックナンバーはこちら ■

 チッタゴンの街外れにある製塩所も人力に頼っていた。
 それは近くの塩田で作られた塩から不純物を取り除くための精製工場で、原料となる塩をいったん水に溶かして不純物を濾し取ったあと、ボイラーで煮詰めることで、純度の高い塩を作っていた。


[動画]製塩所で働く男たち

「この工場で使っている機械は全部バングラデシュで作られたものだ。ここの塩は文字通りメイド・イン・バングラデシュだよ」
 マネージャーであるシッダールさんはそう胸を張ったが、実際のところここには近代的な設備など何ひとつないのだった。古いエンジンとそれに繋がれたベルトコンベアーがあるだけ。頼りなのはマシンパワーではなく、マンパワーなのだった。


[製塩所で塩を運ぶ男たち]




[出来上がった塩を倉庫に積み上げていく]



 工場の中は薄暗くて、とても蒸し暑かった。その中で男たちはルンギーと呼ばれる腰布一枚になって、汗と塩にまみれて働いていた。カゴに入れた塩を頭に載せて階段を上る。まるで働き蟻のように黙々とその作業を繰り返していた。

「ハードワークだよ。バングラデシュはすごくプアーな国だからな。もちろん俺もプアーさ。タバコも買えないぐらいだ」
 片言の英語でそんなことを話す男もいた。でもその表情には暗さや卑屈さはなかった。自分が置かれた状況をあっけらかんと笑い飛ばしてしまうような陽気さがあった。


[バングラデシュ南部に広がる塩田で、塩を運ぶ男たち。ここで作られた塩が製塩所に運ばれる。]


[バングラデシュの塩田で特徴的だったのがローラー。これを使って塩田を平らにならしていく。]


 バングラデシュには文字通り「体を張って」お金を稼いでいる人もたくさんいた。その代表が大道芸人である。
 ダッカ郊外の河原で見た大道芸人は体の柔軟さや瞬発力をアピールしていた。技の内容は「体操が得意なその辺のあんちゃん」の域を出るものではなかったが、子供たちからはやんやの喝采を浴びていたし、大人たちからかなりのチップをもらっていたから、芸人としてはそれなりに成功しているのだと思う。もしかしたら弁が立つのかもしれないが、そのあたりのことは僕にはわからない。


[体の柔軟さを売りにしていた大道芸人]

 北西部ラジシャヒ近郊の村でショーを開いていたのは、もう少し本格的な旅芸人の一座だった。
 まず披露されたのは「ナイフ投げ」である。ベニヤ板の前に男を立たせて、彼の体に当たらないようにナイフを投げるわけだ。南アジアのウィリアム・テル。おじさんは目隠しをされた状態でもちゃんと狙ったところにナイフを投げていて、これには観衆からため息と拍手が送られていた。


[目隠しでナイフ投げを行う男]

 座長の得意技は自転車の曲乗りだった。彼はまず自転車に乗ったままで逆立ちをしてみせた。それから両手に自転車を抱えた状態で、自転車を漕ぐという荒技を披露した。なかなかのものである。パワーとバランスの両方が必要だ。その次は両手に自転車を抱え、さらに口に机をくわえた状態で、自転車を走らせた。おぉ、これはすごい。拍手喝采である。


[座長の十八番は自転車の曲乗り]


[口に机をくわえて走る]


[最後の大技は自転車4台を抱えて走る。まわりの男が必死で支えているようにも見えるが・・・。]

 観客の目を十分に楽しませ、雰囲気が盛り上がってきたところで、いよいよメインイベントが始まった。さっきナイフを投げていた男が銀色の指輪を取り出して、なにやら口上を述べ始めたのだ。
「この指輪には不思議なパワーが宿っています。人の心を自由に操れるのです。そんなことできるはずがないって? それじゃ今からやってみせますよ。よくご覧ください。ここにお越しいただいたのはこの村の若者です。私がこの指輪をはめて呪文を唱えると、彼は正気を失ってしまいます。ご心配には及びません。ちゃんと後で元に戻しますからね」



 指名を受けた若者はおずおずと前に進み出て、言われるがままに頭の上に手を置き、ゆっくりと目を閉じた。ナイフ男が彼の耳元で呪文を唱えだすと、その効果を高めるようにドラムが激しく打ち鳴らされた。ドンドンドンドン。

 するとどうだろう。若者は正気を失ったように白目をむいて、地面に倒れ込んでしまったのである。なんという効き目。観衆は騒然としている。おい、こりゃ本物だよ。すごいなぁ。村人は顔を見合わせて、そんなことをつぶやいている。


[村の若者は一瞬で気を失った。]

「さぁごらんになったでしょう。これが指輪のパワーです。今からこれをみなさんにお譲りしましょう。ここでしか手に入らないものですよ。たったの20タカ。20タカです。欲しい方は手を挙げてください。今だけのチャンスですよ!」

 見え透いたトリックだった。きっと「選ばれた村人」は事前に一座から手ほどきを受けていたのだろう。利益の一部をキックバックすることでグルになった。そんなところではないか。

 しかしそんな風に疑いの眼差しを向けている人はごく少数で、ほとんどの村人は心の底から驚いていた。そして競い合うように指輪を買い求めていた。純朴というか、素直というか。まぁひとつ20タカと安いから、「ものは試し」と気軽に買っているのかもしれないが。

「田舎者を騙すなんてちょろいもんだよなぁ」
 なんて言いながら、今日の売上金を勘定してほくそ笑んでいる座長の顔が、思わず頭に浮かんでしまった。


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by butterfly-life | 2012-08-21 11:46 | 南アジア旅行記
マンパワーの国・バングラデシュ
■ バングラデシュ旅行記(12) マンパワーの国 バックナンバーはこちら ■

 バングラデシュは人口過密な国である。なにしろ日本の三分の一ほどの国土に1億5千万もの人口を抱えているのだ。シンガポールなどの都市国家を別にすれば、世界でもっとも人口密度の高い国である。右を向いても人、左を向いても人。これは決して誇張ではない。都市だけではなく、田舎を旅していても「人のいない風景」を見ることはほとんどない。

 人口が多く貧しい国の常として、バングラデシュの人件費はとても安い。だからどんな仕事でも機械任せにせずに、人の手で行っている。その方がはるかに安くつくからだ。バングラデシュはマンパワーに頼った国なのである。

 三輪自転車タクシー「リキシャ」は言うまでもなくバングラデシュのマンパワーを代表する存在だ。35万台以上ものリキシャがひしめいているダッカは文字通り「リキシャ・シティー」である。どこを見てもリキシャ、リキシャ、リキシャ。それは異常発生したバッタの群れを思わせる光景である。誰もが「身ひとつ」で始められるリキシャ引きは、田舎から都市部へと流れ込んできた労働者がもっとも就きやすい仕事なのだ。


[動画]ダッカを走る無数のリキシャ

 リキシャの競合相手はトラックであり、タクシーであり、牛車である。リキシャ引きの収入がタクシーの燃料費や中古車の購入費などを上回るようになれば、おのずとリキシャの数も減るのだろうが、今のところその兆候は見られない。今すぐにでもリキシャ引きをやりたいという人がたくさん控えているからだ。


[「リキシャシティー」ダッカにはとんでもない量のリキシャが行き交う。]

 バングラデシュでこれほどリキシャが発達しているのは、この国が山のほとんどない真っ平らな国土を持っているからでもある。いくら重い荷物を積んでいても、道が平坦である限り自転車を漕ぐ足はあまり疲れないのだ。


[これから封切られる映画を宣伝して回るリキシャもいる。]

 田舎に行くとリキシャに代わって「バン」と呼ばれる乗り物が主流になる。バンはリキシャから幌と座席を取り去り、代わりに平らな荷台を取り付けた代物である。三輪リアカーと言ったらいいだろうか。リキシャよりも製造コストが安く、人だけでなく荷物も運べるバンは、様々な用途に使えるので重宝されている。

 大量のバナナ。とんでもない量の藁。長い長い竹。大きな水瓶、牛の糞を乾燥させた燃料など、バンで運ばれている物品は「なんでもあり」である。運べないものはないと言ってもいい。


[大量のバナナをバンに乗せて運ぶ。]


[こちらは牛糞を乾かしたもの。農村には欠かせない燃料だ。]


[3m以上もある長い丈も、ご覧の通りバンで運ぶ。]


[大量のワラを運ぶバンは3台連なって走行していた。]


[重い丸太だって運んでしまう。]


[大きな水瓶を載せたバン。これもかなり重そうだ。]

 ラジシャヒの近くで見かけたのは、「家を運ぶバン」だった。二台のバンを連ねてトタンでできた小さな家(あるいは商店のようなもの)を運んでいたのだ。これには開いた口がふさがらなかった。一体どうやって家を荷台の上に持ち上げたのか。そもそもこんなものを人力で運ぼうという発想がどこか出てきたのか。本当に不思議だった。


[驚きの「家を運ぶバン」。どうやって持ち上げたんだろう。そしてどうやって下ろすんだろう。]


 レンガ工場もバングラデシュのマンパワーのすさまじさを物語る場所のひとつである。
 レンガ作りはすべての行程が人の手に頼って行われている。粘土を型枠に入れて押し固める人。それを並べて日干しにする人。干したレンガを運んで積み上げる人。石炭や薪などで焼き固める人。何十人もの労働者がそれぞれの持ち場に別れて働いている。









 圧巻なのは日干しレンガを頭の上に載せて運ぶ人々である。どの人も十個以上(多い人だと十四個!)ものレンガを載せて、急ぎ足で歩いていた。駆け足の人もいた。十個もの重いレンガを頭に載せてバランスを取るだけでも大変なはずだが、僕が見る限り途中でレンガを落とすようなヘマをやらかす人は一人もいなかった。さすがはプロである。

 それにしてもどうして彼らは急ぐのか。観察を続けるうちにその理由がわかってきた。この現場は歩合制なのである。つまりたくさんレンガを運べば、それだけ多くの給料がもらえるようなのだ。

 労働者は一往復するごとに丸いチップを一枚受け取っていた。これが後でカウントされて日当に反映されるようだ。効率の良い労働にはやはりインセンティブが欠かせないのだろう。ちなみにこのチップにはなぜか「SONY」と書かれていた。ソニーとレンガにどういう関係があるのかはまったく不明だったが。

 それにしてもタフな職場である。燃料の薪をくべる男はいつも汗だくだし、レンガを運ぶ男たちは埃を浴びて全身真っ赤である。そんな姿を間近で見ていると、僕の旅の苦労なんて苦労のうちにも入らないんだと思えてくる。バングラ的交通カオスの理不尽さにいちいち腹を立てている自分が、ひどくちっぽけな存在にも思えたのだった。


[動画]レンガ工場で働く人々

 一度、幹線道路で事故を起こしたバスのそばを通りかかったことがある。バスの運転手によれば、ステアリングが壊れて車をコントロールできなくなり、ブレーキをかけたものの、路肩の下に落ちてしまったという。幸いなことに、乗客も運転手も怪我はなく、車も再起不能というわけではなさそうだった。「スモール・プロブレムだよ」と彼は言う。


[事故を起こしたバス]

 路肩に落ちてしまったバスを引っ張り上げているのは、やはりここでも人だった。十人ぐらいの男たちがチェーンを引っ張ってバスを引き上げているのだ。なんでもクレーン車を頼むと8000タカかかり、人の力だと2000タカで済むのだという。ただし人力の場合には、作業が終わるまで3,4時間はかかるそうだ。


[事故の復旧作業も人力に頼っていた。]

 声を合わせてチェーンを引いている男たちは、こういう作業に慣れている様子で、仕事ぶりもテキパキしていた。もしかしたらこの辺では、この種の転落事故が頻繁に起こっているのかもしれない。


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by butterfly-life | 2012-08-14 22:13 | 南アジア旅行記
弱肉強食の道で
■ バングラデシュ旅行記(11) 弱肉強食の道で バックナンバーはこちら ■

 ダッカの交通カオスをなんとか抜け出して農村地帯に出ても、運転が大変なのは同じだった。
 ダッカから西へと延びる国道5号線は、バスやトラックがひっきりなしに通る産業道路で、もうもうと舞い上がる砂埃と排気ガスですぐに顔が真っ黒になるというひどい道だった。しかもどの車もすさまじいスピードを出しながら、片側1車線の道路で抜きつ抜かれつのチキンレースを展開しているのだ。そこには譲り合いの精神など皆無で、誰もが我先にとわずかな隙間めがけて突進していく。まったくもってクレイジーな道だった。


[国道沿いに立つ看板には「Stop killing on the road」と書いてあった。まったくその通りだと思う。]

 それにしてもバングラ人の運転はなぜこうも荒っぽいのだろうか。「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という標語があったけれど、バングラはその日本よりもはるかに狭いのだ。いくらスピードを上げても、到着時間がさほど変わるわけではないのに、ドライバーはせっかちなのである。

 これはもう本能的なものなのだろう。彼らはスリルとスピードを楽しんでいるのだ。目の前に車があれば追い抜かずにはいられないのだ。サービス向上のためとか、他社との競争に打ち勝つためなどではなく、ただ単にアクセルを目一杯踏み込みたいだけなのである。


[整備不良か過積載かスピードの出し過ぎか。こんな風に横倒しになったトラックもよく見かけた。]

 そういうのは鈴鹿サーキットとか箱根の峠道とかで個人的にやってくれればいいのだが、バングラデシュにはレース用のサーキットはないし、個人で自動車を所有している人はほとんどいないので走り屋も存在しない。必然的に走り屋気質あるいはスピード狂の素質を持つ者たちは、みんなバスやトラックのドライバーになりたがり、道路はにわかレース場と化してしまうのである。

 バイクはこの仁義なきチキンレースにおける弱者である。バングラデシュにおける交通強者とは「ぶつかっても壊れない方」なのだ。がたいの大きな者、ボディーが丈夫な者が勝つ。弱肉強食。きわめてシンプルな論理だ。


[大量のジュートを積んだ三輪車がゆっくりと進む。彼らも当然、交通弱者である。]

 というわけで我々ライダーは常にバスやトラックから派手なクラクションで「あっち行け!」と追い払われる存在である。背後からはもちろん、追い抜きをかけようとする対向車が僕の進路をふさぐ格好で飛び出してくることもある。路肩に逃げなければひき殺されてしまう。ルールもなにもあったものじゃない。無茶苦茶である。

「おい、バイクにだってバスと同じように道路を通行する権利があるんだぞ!」
 そんな正論を主張したところで、誰も聞く耳を持たない。バスの無謀な運転によってケガを負ったとしても、バスはさっさと逃げるだけだ。常習的ひき逃げ犯。そういう話はあちこちで耳にする。とにかく奴らはタチが悪いのだ。


 バイク旅にはトラブルがつきものだが、バングラデシュでは特にパンクが多かった。路面の状態も悪いし、タイヤやチューブの品質にも問題があるのだろう。ひどいときには1日に2度もパンクすることもあった。

 幸運なことに修理屋だけはたくさんあったので、身動きが取れずに困るようなことにはならなかった。人口が過密なバングラデシュには、農村の生活に必要なものを売る店が集まる小市場「バザール」が数キロおきにあって、そこにパンクを修理してくれる店も必ずひとつはあったのである。


[村のバザールでは家畜の売買も行われている。]

 バングラデシュ南西部に位置するジョソールという町に向かっていたときにも後輪がパンクし、慌てて近くのバザールに向かった。道でクギをひろったらしく、一瞬で後輪がペチャンコになってしまったのだ。修理屋の若者に事情を説明すると、「チューブが裂けているから、新しいのに交換しなくちゃいけないよ」と言われた。しかも店にはチューブの在庫がないので、隣のバザールまで買いに行かなければいけないらしい。
 仕方ない。もう日暮れ間近だったので、なるべく早く町に着きたかったのだが、ここは気長に待つ以外方法はなさそうだった。

 プラスチック椅子に座ってチューブの到着を待っていると、たちまち村の男たちが集まってきた。
「ビデシ(外国人)が来ているらしいぜ」
「なんで?」
「パンクしたんだってさ」
 そんな噂が広まったのだろう。気が付くと20人ものおっさんにぐるりと包囲されていたのだ。角砂糖に群がるアリのようにどこからともなくわらわらと人が集まってくるのは、田舎における人口の多さとバングラ人の好奇心の強さを証明しているわけだが、それにしてもこの短時間で(ほんの2,3分である)よくこれだけの人が集まってくるよなぁと感心してしまう。


[外国人をぐるりと包囲する村人。そ、そんな目で見つめないでください。]

 もちろん敵意はない。でも村人の中に英語を話す人は誰もいないし、こちらも挨拶程度しかベンガル語を話せないから、お互いただ黙り込んでじっとしているしかないのだった。なんとなく気まずい時間だけがゆっくりと流れていく。

 バングラデシュを旅するというのは、常に人々の好奇の視線に晒されることを意味している。まるで動物園のパンダでも見るように、彼らは無遠慮なまでにこちらをじっと見つめてくる。「見られること」に慣れていない人間にはけっこう辛い経験だ。しかしそれに負けはいけない。彼らの視線をしっかりと受け止め、なおかつそれを跳ね返すぐらいの気持ちの強さが旅人には必要なのだ。


[休憩に入った茶屋で人々に囲まれるのは日常茶飯事だ。]

 バングラデシュ以外の国でもこんな風に地元の人に囲まれることはあるが、多くの場合それをやるのは子供たちである。「なんか暇だから、珍しいガイジンでも見に行こうよ」というわけだ。ところがバングラでは、むしろ大人の方が多く集まってくるのだ。子供たちはしばらくすると「ガイジンってこんなものなんだな」と飽きて、いなくなってしまうのだが、大人はなぜかいつまでも飽きずにじっとこちらを見つめているのだ。

 下川裕治さんが「バングラ人は大人の脳を持つ子供と、子供の脳を持つ大人の国だ」と書いていたが、それも確かに一部は当たっていると思う。「大人はバカだ」言いたいわけではない(のだと思う)。そうではなくてバングラ人は「好奇心をあらわにするなんてみっともない」という大人ぶった考え方をしないのである。珍しいものがあればとりあえず見ておく。彼らは野次馬根性を隠そうとしないのだ。


[野次馬根性を隠そうともしない男たちは、携帯カメラをこちらに向けた。]

 しばらくすると、ようやく一人の男がおずおずと口を開いた。
「ホワット カントリー?」
「ジャパン」と僕は答える。
 おぉ、ジャパンから来たのか、とまわりの男たちが頷く。その場の雰囲気が少し和らぐ。すると別の男が「名前は何だ?」と聞いてくる。その次は「父親の名前は何?」で、そのまた次は「母親の名前は?」である。


[もちろん子供たちも興味津々でこちらを見つめてくる。]

 次に現れたのは、とても聞き取りにくい英語を話すくせにやたら複雑な質問をしてくる男だった。こういう人が一番困る。「自分は英語が話せるインテリなのだ」という自負心があり、村人の前でいいところを見せようと張り切っているのが痛いほど伝わってくるのだが、こちらには何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。

 仕方なくメモ用紙とペンを渡して「ここに書いてくれないか?」と頼んでみた。話すのは苦手でも、書く方は得意なのかもしれないと思ったのだ。
「Ho younot Bangy . your body chosing, So you that Zapineis」
 余計にわけがわからなくなってしまった。「書けるけど話せない人」ではなくて、「書くのも話すのもダメな人」だったようだ。ひとつひとつの単語を確認して、スペルの間違いを訂正すると、次のような文が完成した。
「How you're not Bangladeshi. You body chosig. So you are Japanese.」
 これでも謎の文であることには変わりない。「あなたはバングラ人ではない。日本人だ」という部分はなんとかわかる。問題は「Body」の部分である。「You body chosig.」いったい何が言いたいのだろう?

「ソーリー。あなたの言っていることがわかりません」
 僕が正直に言うと、彼はがっくりと肩を落として去っていった。
 ごめんね。でもほんとにわからなかったんだよ。

 その後も何人もの男が現れては、同じようなことを聞いて去っていった。しかし無言で腕を組んだまま僕を取り囲んでいる村人の数はいっこうに減らなかった。いつまで待っても「それじゃ解散ね」という雰囲気にはならない。よほど暇なのか、好奇心が強いのか、たぶんその両方だと思うが、バングラ人相手に根比べをしても絶対にかなわない。

 修理屋の若者がタイヤチューブを手にして戻ってきたのは1時間後だった。隣町に向かうバスが途中でパンクして(!)、その修理に手間取っていたらしい。やれやれ、この道はパンクの原因には事欠かないようである。

 結局、パンク修理が終わって、村人の「囲み取材」から解放されたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。修理費用はチューブ代も含めて160タカ(240円)ととても安かった。バングラデシュには外国人からぼったくろうとする人はほとんどいないのだ。


[チューブが手に入って、ようやくパンク修理が終わった。]

 バザールからジョソールの町までの道のりは真っ暗だった。小さな集落がぽつぽつとあるだけで、もちろん街灯もなく、行き交う車も昼間に比べると激減していた。

 頭上には満天の星空が広がっていた。右手には北斗七星が、左手にはオリオン座がくっきりと見えた。ガスっていることが多いバングラデシュには珍しく、とてもクリアな夜空だった。僕は道路が平坦でまっすぐなことを確認してから、ヘッドライトを消して走ってみることにした。

 その瞬間、世界が反転した。
 それまでヘッドライトが照らす狭い範囲だけを凝視していたのだが、そのライトが消えてしまうと、途方もなく広い空間の中に放り出されたような心もとなさと、体がふわりと浮き上がったような身軽さを同時に味わうことになった。

 どこまでも続く星々の中を進んだ。
 心細くはあったけれど、とても自由だった。
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by butterfly-life | 2012-08-10 12:39 | 南アジア旅行記
人をミルする街
■ バングラデシュ旅行記(10) 人をミルする街 バックナンバーはこちら ■

「ダッカはバイク向きの街じゃないよ」
 バイク屋のキビリアさんは最初にそう釘を刺した。バイクに乗ってバングラデシュを旅するのはいいけど、ダッカの街だけはお勧めできない。特に細い道が入り組んだ旧市街を走るのは、よほど慣れた人でない限り避けた方がいい。そうアドバイスしてくれたのだ。


[動画]混沌の町・ダッカ

 実際に走ってみると、すぐにそれが事実だとわかった。バイクでダッカの街を走るのは苦役に近かった。どこへ行ってもストレスの種に事欠かないのだ。まず初めに直面させられるのがダッカ名物の大渋滞である。大通りは比較的流れているが、マーケットの近くや旧市街の細い道に入り込むと、たちまち慢性的な渋滞に巻き込まれてしまう。10分以上まったく動かないことも珍しくない。

 充満する排気ガスで目や喉をやられてしまうし、止むことのないクラクションノイズは神経を苛立たせる。容赦なく照りつける日差しは頭をクラクラさせる。ドライバーたちはルール無用の身勝手な運転ばかりするから、一瞬たりとも気を抜くことはできないし、まさかと思うようなタイミングで道路を渡る歩行者にも注意を向けなければいけなかった。


[動画]バングラデシュの交差点を歩いて渡ってみる

 交差点で待ち構えている物乞いたちにも困った。ダッカの路上には多種多様な障害を持つ物乞いたちであふれているのだが、彼らもまた珍しい外国人を見つけると砂糖壺に群がるアリのように僕のまわりに集まってくるのだ。地面を這うように進む両足と片腕のない男。顔が象のように膨れあがった女。杖をついた盲目の老人。ボロボロの服をまとった子供たち。彼らは一様にソフトタッチである。哀れみを誘うように僕の腕をやさしく撫でるのだ。もし「金をくれ!」と腕を捕まれたりしたら、「やめてくれよ」と振り払うこともできるのだが、「旦那、お恵みを」という低姿勢で来られるとどうしていいかわからなくなってしまう。きっと物乞いたちもそのあたりの心理の綾を熟知しているのだろう。


[ダッカの旧市街は常にリキシャで渋滞している]

 ダッカはバイク向きの街ではない。それはよくわかった。しかしだからといって、他の何に向いているわけでもなかった。バスや車はすぐに渋滞につかまって身動きがとれなくなるし、庶民の足であるリキシャは細い路地で大行列を作っている。独立した歩道もほとんどなく、横断歩道すらないから、歩くのにも向いていない。ダッカは「こういう街にしたい」という具体的なビジョンが見えない街なのだ。ただ闇雲に膨張し、行き場を失っている。出現したのは無為無策の結果としての悪夢的カオスである。



 混乱の原因は、さまざまな乗り物が同じ道を走っていることにあった。リキシャ、ベビータクシー、バス、トラック、バイク、自家用車。そこに大量の荷物を載せた荷車や、道を横断する歩行者や、山羊や牛などの家畜が混じっている。この混沌とした道を走るために必要なのは自己主張である。常にクラクションを鳴らして自分の存在を周囲に知らせながら、空いたスペースにすばやく車体を滑り込ませ、少しでも前に行く。そうしないといっこうに前に進めないのだ。実際、バスはどんどん幅寄せしてくるし、ベビータクシーも隙あらば追い抜きをかけてくる。ここには「流れ」のようなものはない。あるのは混沌だけ。この混沌を自分の力で泳ぎ切らなければいけないのだ。



 ベトナムのホーチミン市と比べると、その違いは明確である。行ったことがある人はわかるだろうけど、ホーチミン市のバイクの量は半端ではない。とにかくどこを見てもバイクだらけである。まるで魚の群れのように隙間なくびっしりとバイクが並んで走っている。この中に混じって走るなんてとても無理だ。僕も最初はそう思った。しかしいざやってみると、案外簡単に走れたのである。8割以上がバイクなので、みんなの動きに合わせていれば衝突する危険は少なかったのだ。大切なのは「流れ」を読み、その一部になること。回遊するイワシの群れの一匹になってしまえばいいのである。


[ベトナムのホーチミン市の道路。ダッカと違ってほとんどがバイクである。]

 交通ルールが守られていないことも、ダッカの混乱に拍車をかけていた。一応交差点には信号があるのだが、誰もそれを守らないので、警察官がドライバーを警棒で叩いて指示に従わせているという有様なのだ。もし市民全員がきちんと交通ルールを守り、フライングや逆走や無駄な追い抜きをしなければ、今あるインフラでも倍の交通量がさばけるに違いない。でもそれが不可能であることは、ダッカに住む誰もが知っている。バングラ人に路上での譲り合いやルールを守ることの大切さを説いても鼻で笑われるだけだ。「君の言う通りかもしれない。でも今のダッカでそれをやったら、1センチも前に進めないぜ」



 渋滞した交差点で右折しようとするバスを見かけたことがある。本来なら警官の指示に従って、対向車線を直進する車が途切れたところで右折を始めればいいのだが、自己中心的なバスの運転手はそれをしないで見切り発車してしまった。彼はほんのわずかな隙間があれば、そこに突っ込まずにはいられない典型的な「エゴドライバー」なのである。

 しかし彼の行為は完全に裏目に出た。予想通り、バスはあえなく立ち往生してしまったのだ。現場は大混乱に陥り、事態は坂道を転げ落ちるようにどんどん悪くなっていった。バスが対向車線をふさいだために渋滞はさらに伸び、それによって苛立ったドライバーがまた自己中心的な行動を取り、それがまた新たな混乱を呼ぶ・・・終わることのない負のスパイラルに突入したのだ。 

 誰かがルールから外れて抜け駆けすることで、一時的には自分だけが得をするような状況があったとして、それによって社会全体のパフォーマンスが下がることになれば、そのしっぺ返しは確実に自分にもはね返ってくるのだ。ドライバーさんよ、どうしてそのことに気付かないんだ?



 山本七平が「日本人とユダヤ人」の中で、<日本人の協調性の高さは、ある期日をもって全員が同じ作業を行う稲作を長年に渡って続けてきたためだ>と書いていた。それを読んだときは「なるほどそうか」と納得したのだが、よく考えてみるとバングラデシュも稲作の国なのである。農村の村人はやはり全員で同じ作業をしている。にもかかわらずダッカの交通カオスを見る限り、バングラ人には公の場における協調性が著しく欠如しているように思われる。

 バングラ人は「相手の都合よりもまず自分の都合を押し通す」傾向が強い。少なくとも顔見知りばかりの村社会を離れて都会に出ると、手前勝手な行動を取るようになるようだ。譲らない、待たない、並ばない。だから「農耕民」と「遊牧民」や、「稲作民」と「麦作民」という単純なくくりだけである民族の性質を語るのには無理があると思う。



 ダッカで読んだ英字新聞の中に「ダッカは人をミルする街である」という表現があって、なるほどなぁと思った。動詞のMillは「臼で粉に挽く」という意味だ。いつもどこかで車や人がぶつかり合い、削り合い、神経をすり減らしているこの街にぴったりの表現である。

 実際、ダッカを走るバスの横っ腹は傷だらけだ。これはいわばドライバーにとっての「名誉の負傷」。彼らがいくら超絶的な車両感覚とドライビングテクニックを持っているとしても(実際持っているのだが)、隣の車との距離がわずか数センチしかなければ、お互いのボディーを傷つけ合うのは避けられないのだ。


[ダッカを走るバスの横っ腹には必ず傷がついている。]


 僕はダッカには住めない。それだけははっきりとわかった。ただ移動するだけで神経をすり減らし、ぐったりと疲れてしまうのだ。旅人としてたまに訪れるだけなら刺激的で面白いのだけど、毎日この街でミルされるのはご免だ。

「俺だってうんざりしているんだよ」と30年以上ダッカで暮らしているバスの運転手が言った。「でも他に行く場所もないから仕方なくここに住んでいる。少なくともダッカには仕事があるからね。渋滞を解消する方法はないのかって? そんなものあるわけがないじゃないか。雨季になったら毎日雨が降るのと同じことだよ。雨降りを止める方法がどこにもないように、ダッカの渋滞をなくす方法なんてないんだよ」
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by butterfly-life | 2012-08-06 16:13 | 南アジア旅行記
バイクは金持ちのボンボンの遊具
■ バングラデシュ旅行記(9) 金持ちのボンボンの遊具 バックナンバーはこちら ■

 バングラデシュにはツーリスト産業というものがない。「ない」というのはちょっと言い過ぎかもしれないけど、「ほとんどない」のは確かである。隣国のインドにはたくさんの旅行者が訪れ、観光業もそれなりに発達しているのだが、ひとたび国境を越えてバングラデシュに入ってしまうと、旅行代理店もホテルの客引きも怪しげなガイドもきれいさっぱりなくなってしまうのだ。

 理由は簡単。この国には旅行者が極端に少ないからだ。別に鎖国をしているとか、入国に特別なビザがいるというわけではない(ビザは必要だが、大使館に行けば無料で取れる)。だけど「バングラデシュなんてよくわからない国に行くより、長い歴史と独自の文化と多くの世界遺産があるインドに行けばいいじゃないか」と考える旅行者が圧倒的に多いのだ。まぁまともな発想ではある。



 外国人観光客相手のビジネスがほとんど存在しないバングラデシュには、レンタルバイク屋というものもなかった。だから僕は首都ダッカを歩き回って、バイクを貸してくれる人を探すことから始めた。いつものように交通の便の悪い田舎を訪ねるために、どうしても自由になる「自分の足」を手に入れたかったのだ。

 向かったのはモッグバザール界隈だった。ここに中古バイクを売買している店が軒を連ねているという情報を得たからだ。
 僕が訪ねたバイク屋の店主キビリアさんはあご髭を蓄えた50過ぎのおじさんで、とても流ちょうな日本語を話した。彼もまた日本に出稼ぎに行ったことのある「日本帰り」の男だったのだ。1985年からの5年間、群馬県の板金工場で働いていたそうだ。バングラデシュでは本当に思いがけないところで日本語を話す人に出会う。

 キビリアさんの店に置いてあるのは、見た目重視のバイクが多かった。排気量は100ccから150ccほどとさほど大きくはないのだが、ボディーは大柄で、太いタイヤとディスクブレーキを備えたスポーティーなタイプである。
「この国じゃ、バイクはお金持ちのおもちゃなんだ」とキビリアさんは言う。「バイクを買いに来るのは、ビジネスで成功したお金持ちの息子が多い。両親は『バイクなんて危ない』って止めるけど、息子は『友達も乗っているから』と言って欲しがるんだ」


[若者がサングラスをかけてバイクにまたがる。ちょっと自慢げである。]

 確かにインド圏におけるバイクは「移動のための道具」というよりも「男の遊具」としての側面が強調されている。そこが東南アジアとの大きな違いだ。東南アジアにおけるバイクは、単なる日常の道具である。カッコ良さよりも乗りやすさ重視。女性や年寄りでも扱えるように、非常にシンプルに軽く作られている。自転車に乗ることさえできれば、誰でも10分で乗りこなせる。もちろん燃費もいい。実用第一主義なのである。

 それがインド圏だと事情が違っている。まず女性はバイクには乗らない。特にイスラム国であるバングラデシュでは、女性がバイクを運転する姿を一度も見かけなかった。100%男の乗り物なのだ。バイクの広告やCMなどでも「マッチョな男の乗り物」としてのカッコ良さが前面に押し出されている。クラッチ操作が必要なギアシステムを採用しているから、運転を覚えるのにも時間がかかる。


[リキシャやバスが主な移動手段のダッカには、バイクの姿は少なかった。]

 バイクに乗っている人の顔つきも違う。東南アジアではみんなごく普通の顔でバイクにまたがっている。ある人は家族4人を乗せ、またある人は生きたままのブタを縛り付けて運んでいりするのだが、それが特別なことだという意識は全くない。

 しかしインド人やバングラ人のライダーはなんとなく自慢げなのだ。俺はバイクに乗ってるんだぜ。ワイルドだろう? という自意識が表情や乗り方から溢れ出ているのだ。要するに「イキっている」わけだ。

 バイクが官能的な乗り物なのは僕にもわかる。風を切って疾走する解放感と、メカ好きを刺激してやまないフォルム。重量感のある排気音。しかしスポーティーなバイクがそのポテンシャルを十分に発揮できるのは、ある程度広い国土を持ち、道路がきちんと整備され、交通量の少ない道が存在する国だけである。そこにはアメリカやヨーロッパ、日本などが含まれるが、残念ながらバングラデシュは違う。国土は狭く、道路の状態は悪く、しかも危険なバスやトラックで溢れている。ハイウェーもまったく整備されていない。この国では、時速100キロ以上ですっ飛ばす機会は限りなくゼロに近い。

 要するにスタイルの問題なのだ。この国では実用第一主義のスクーターは売れない。カッコ悪いし、男らしくないからだ。ホンダやヤマハのマーケティング担当者もそれをよく知っている。だからインド圏で売り出されるのは、相変わらずマッチョで融通の利かない重いバイクばかりなのだ。

 キビリアさんとあれこれ相談した結果、インド製の125ccのバイクを借りることになった。無駄な機能や装飾的なエアロパーツなどが一切ないシンプルなバイクだった。すでに3年以上乗られている中古品だが、コンディションは悪くなかった。東南アジアのスクーターと違ってクラッチ操作が必要なのは面倒だったが、しばらく乗るうちにそれにも慣れることができた。


[僕が借りたのはTVS製の125cc。後部シートに荷物をくくりつけて旅した。]

 デポジットとして店に900ドル預け、無事に戻ってきたら750ドルを返してもらうという契約を交わした。3週間の使用料150ドルというのは他の国のレンタルバイクに比べればやや割高だが、こっちが無理を聞いてもらっているのだから仕方ないだろう。キビリアさんにとっても外国人にバイクを貸すなんてまったく前例のないことだったのだ。

 こうしてバングラデシュをバイクで一周する旅が始まったのである。
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by butterfly-life | 2012-08-03 11:23 | 南アジア旅行記