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南アジア旅行記がついに完結! 結末はCD-ROMで
 4ヶ月にわたってメルマガで連載を続けてきた「南アジア旅行記」は最終回を迎えました。
 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 メルマガでは未公開のエピソードが32話も入っている大変お得な電子書籍です。

◆ ブログで未公開旅行記の読みどころ

 ネパール旅行記では、写真集「アジアの瞳」の表紙になった少女サリタのその後が描かれています。最初の出会いから11年。6歳だった少女は17歳の大人の女性へと成長を遂げていました。

 そして、僕はサリタから驚くべき事実を告げられたのでした。



 ネパールはもう何度も旅をしている国ですが、それでもまた訪れたくなるのは、子供たちの笑顔に出会えるからです。
 これほど素朴で、好奇心に満ちた笑顔を向けてくれる国は他にはありません。

 ネパールはまた、圧倒的な「リアル」に満ちていました。重い薪を担いで急な山道を歩く人々。家の中を走り回る鶏。一心に草を食べる山羊。のんびり糞をする水牛。鼻を垂らした子供。かまどで煮炊きをするおばあさん。そんなリアルな世界に入り込んで、生活を共にしながら写真を撮る。それは僕にとってかけがえのない経験になったのです。








 バングラデシュ旅行記では、農村の子供たちにiPodを盗まれ、それを取り返すべく大捜索を行ったときの顛末をレポートしています。
 旅先でものを盗まれることは滅多になかったのですが、このときは少し油断していてやられてしまいました。でも、この事件を通して、バングラデシュの村でどのようにして秩序が保たれているのか、子供がどのようにして大人になっていくのかがわかったのです。

 ガンジス川の河口に位置するハティア島では、自然に翻弄されながらもたくましく生きる人々の姿を追いました。ノーベル平和賞を受賞したユヌス氏が提唱する「マイクロ・クレジット」の光と影についても知ることができました。

 この旅行記を通じて、日本ではあまり報道されることのないバングラデシュという国のリアルで愉快な姿を感じてもらえるのではないかと思います。








◆ 高画質写真ファイル

 CD-ROM「南アジア編」に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1303枚。「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。(画質は、サンプル(1) (2) (3)でお確かめください)

 このデジタル写真集には、南アジアの温かい風がとじ込められています。旅人が何を求めているのか、どんなときに心を動かされ、どんな光の中でシャッターを切っているのか。それが写真から伝わってくるのではないかと思います。
 写真が持つイメージの力を存分にお楽しみください。


 ◆ ご注文方法
 CD-ROMの価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
 この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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by butterfly-life | 2012-10-29 10:51 | 南アジア旅行記
スリランカ人が親日家な理由
■ スリランカ旅行記(4) スリランカ人が親日家な理由 バックナンバーはこちら ■

 コロンボをぶらぶらと歩いていると、不意に日本語で話しかけられることがよくあった。この街には若い頃に日本で働いていた人がたくさん住んでいて、僕の顔を見ると「あなた日本人?」と気軽に声をかけてくるのである。



 ディズニーランドのそばのホテルで5年働いていた人もいたし、蒲田の弁当屋で4年働いていた人もいた。渋谷の深夜営業のレストランで6年働いていた人もいたし、大阪の農場で花の栽培をしていた人もいた。

 3ヶ月間有効の学生ビザで日本に入り、そのあと5年ほど不法就労を続けてお金を貯め、スリランカに帰ってから何か商売を始める、というのが出稼ぎスリランカ人の理想的なライフプランである。スリランカ人の平均月収は1万5000円ぐらいだから、何年か日本で働いてお金を貯めることができれば、帰国後にはまずまず豊かな暮らしが約束されているってわけだ。



 しかし現実にはそう上手く行かないこともある。日本にいるあいだに遊びすぎてお金を使い果たしてしまうダメな男もいるし(それはそれで楽しそうだが)、ろくに働かないうちに体を壊して帰国を余儀なくされる人もいる。

 厚木で働いていたアジズさんは、日本から送金したお金を全て身内に使われてしまったという気の毒な人だった。自動販売機の工場で7年間コツコツ働いて貯めたはずのお金が、銀行口座からきれいさっぱり消えていたのだ。
「もらった給料は、オレのお姉さんの口座に送っていた。でもスリランカに帰ってきたら、そのお金なくなっていた。お姉さんが全部使っちゃった。家を買い、土地を買い、バイクを買って、なくなった。返してくれってオレは言ったよ。でも返してくれない。どうして? わからないよ」

 ひどい話である。必死に働いて貯めたお金をいくら身内とはいえ勝手に使い込まれてしまったのだ。普通に考えればものすごく腹の立つ出来事だと思うのだが、アジズさんは「わからないよ」と首を振るばかりなのである。いい人なのだ。そしてその人の良さにつけ込まれたのだろう。



 アジズさんがスリランカに帰国したのは10年以上も前なのだが、彼の日本語は実に流ちょうだった。まるで昨日まで日本にいたかのようにスムーズでよどみがないのだ。こっちに日本人の友達でもいるのだろうか?
「いやー、日本人と話したのは5年ぶりだよ。こんなところ、日本人なんて通らないから」
「5年ぶり? そのあいだ一度も日本人と話をしていないんですか?」
 これには驚いてしまった。帰国して5年も経つと、たいていの人は日本語を忘れていくものだからだ。「ニホンジン?」と声を掛けたまではよかったが、その後がさっぱり続かずに、結局英語での会話に切り替えてしまう人も多い。日本人観光客やビジネスマンと日常的に接している人を除けば、スリランカ国内で日本語を使う機会はほとんどないから、日本語力も錆びついてしまうのが普通なのだ。

「ほんとに一度も話したことないよ。でも、頭の中で日本語を話してたね。毎日。だから忘れないね」
 なんと、彼は頭の中での会話、つまりイメージトレーニングを続けることで、日本語の力を保っていたというのだ。それもこれも「もう一度日本で働きたい」という強い思いがあるからなのだろう。

「20年前、日本のビザ取るのは簡単だった。でも今はとても難しい。手続きがたくさんいるね」
 アジズさんは暗い顔をする。ビザ発給条件が日本語の会話力だけを問うのであれば、彼は文句なくパスできるだろうが、残念ながら一度不法滞在が露見した人が再び就労ビザを取るのはかなり難しいようだ。だから彼はいまコロンボのバスターミナル近くの路上でライターなどの小物を売っている。はっきり言ってしょぼい商売である。一日の売り上げもたいしたことはない。でも生きていくためには、こんな仕事でもやり続けるしかない。


[コロンボの街で見かけた鳥居。これはどこからどう見ても神社の鳥居である。日本人が建てたんだろうか? それとも日本びいきの親日家が建てたんだろうか?]


[日本人観光客用に立てられた看板。ま、言っていることはわかるんですけど、「緑休暇の運送先」ってすごい直訳ですね。]

 日本に行ったことのないスリランカ人にとっても、ジャパンの印象はおおむね良いようだった。スリランカ人は日本政府が多大な援助を行っていること、特別大使である明石康氏が何度もスリランカを訪れて和平交渉の橋渡し役をしていることなどを、新聞やテレビを通じてよく知っていた。また「日本人は真面目で勤勉」というパブリックイメージも定着しているようだ。もちろん(僕も含めて)そうではない人もたくさんいるわけだが。

「スリランカ人は本当に働かないんです」
 と力を込めて言うのは、コロンボで宝石商を営むアファームさんだ。彼もまた日本で暮らした経験があるので、日本語がぺらぺらだった。
「スリランカ人は誰も見ていないとすぐにサボるんです。仕事をしないで、お喋りばかりしている。昼休みは45分と決まっているのに、実際は1時間半も休んで、やっと働き始める。だからこの国はなかなか発展しない。何十年もずっと同じ状態。そこが日本との違い。日本はいつも変わり続けている。階段を上っている」
 アファームさんはそう言って深い溜息をついた。経営者としては従業員に日本人の勤勉さを見習ってほしいのだろう。

 日本製品を通じて日本のことが好きになった人もいた。リズワンさんはマツダのワンボックスカーを買ったことで、すっかり日本のことが気に入ったという。
「ジャパンカー ベリー ナイス!」
 彼はそう何度も繰り返した。故障が少ないし、燃費も良いし、運転もしやすい。インド製なんて足元にも及ばない。しかし実際には、スリランカ国内を走る車の大半はインド製である。特にバスやトラックの分野ではインド製のくたびれた中古車が独占していて、とんでもなく汚れた排気ガスをもくもくとはき出しながら町中を走っていた。それがコロンボの大気汚染の原因ともなっていたのだ。


[トラックの中古ボディーを専門に扱う店。ここでも日本車が圧倒的な人気だ。]

「ジャパンカー ベリー ナイス! バット エクスペンシブ!」
 とリズワンさんは悲しそうに言う。彼が手に入れたマツダの車は10年は乗られた中古車なのだが、なんとこれが290万円もしたというのである。スリランカでは中古車に対して300%の輸入関税がかけられている。つまり日本での価格の4倍になるということだ。例えば日本で50万円の中古車を買ってスリランカ国内に持ち込むと、150万円の関税を支払うことになるのである。
 庶民が自動車を手に入れるのは夢のまた夢、というのがスリランカの現状のようだ。


[バイクショップで売られていた中国製の50ccのバイク。ブランド名の「UMAZAKI」は明らかに日本語を意識している。シンボルマークが「馬」なのもおかしい。さすがはメイド・イン・チャイナだ。ちなみにお値段は4万5千ルピーで、これはインド製スクーターの半額である。]


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by butterfly-life | 2012-10-24 10:11 | 南アジア旅行記
人との距離が近い街
■ スリランカ旅行記(3) 人との距離が近い街 バックナンバーはこちら ■

 コロンボで知り合った人は、どういうわけかやたらと顔を近づけて話をしてくるのだった。ツバが顔にかかるぐらいまでグイッと接近して話さないと気が済まないのだ。バングラデシュのダッカも人と人との距離が近い街だが、コロンボはそれ以上だった。



「ハロー、フレンド!」
 男はいきなりそう言って握手を求めた。まだ言葉も交わしていないのに、いきなり友達である。フレンドリーなのは結構だが、順序ってものがあるだろう。そんな風に思っている僕を置き去りにして、男はすごい勢いで話しはじめた。
「あんたジャパンから来たのかい? 俺はキャンディーで生まれたんだけどね、仕事でコロンボに住んでいるんだ。この街は好きかい? 俺は嫌いだよ。騒々しいし、空気は汚いし、人も多すぎるからね。キャンディーはいいところさ。あんたも行くべきだよ。なんなら案内しようか?」

 男は聞いてもいないことをべらべらとまくし立てながら、僕の耳元にじわじわと近づいてきた。最終的には10センチぐらいの距離にまで接近してきたのだった。体臭まではっきりわかる近さだ。そんなに近づかなくても、ちゃんと聞こえてるってば。
「俺は30歳だけど、まだ結婚していないんだ。日本人の女はとてもビューティフルだと聞いている。俺は日本人と結婚したい。どうしたらいいだろう? 俺みたいな男は日本人の女にもてるだろうか? 日本人の女はどういうタイプが好きなんだい? プレゼントには何を用意したらいい?」
「知らないよ、そんなこと」
 突き放したように僕が言うと、男はあっさりと「じゃあね」と立ち去っていった。フレンドリーなわりに淡泊。それがコロンボの流儀なのだろうか?


[コロンボの卸売市場で働く男たち]


[魚市場で働く男たちもにこやかだった。]

 コロンボはスリランカ最大の都市であり、実質的な首都である。(正式な首都は「スリジャヤワルダナプラコッテ」という舌を噛みそうな名前の街なのだが、ここは立法府および司法府が置かれているにすぎない)

 僕はアジアの首都というものがどうしても好きになれないので、旅をするときにはなるべく早く首都から脱出することにしている。どの街もうんざりするほど広く、全体像がなかなか掴めないうえに、住人もどこかよそよそしく、忙しそうに歩き回っているからだ。首都はどれも似たような顔をしている。東京もデリーもバンコクもジャカルタも。

 しかしコロンボは違っていた。歩いていても親しみが感じられる街なのである。それは人口64万(都市圏全体では220万)という比較的コンパクトな規模のせいでもあるのだろう。中心地には高層ビルが立ち並ぶ一角があるものの、そこから少し離れた住宅街には猥雑で温かみのある庶民の暮らしぶりがどっしりと根を下ろしているのである。


[コロンボの卸売市場で働く男たち]

 ひとたび子供たちにカメラを向けると、たちまち「ボクも撮ってよ!」と大騒ぎになってしまうのも、首都らしからぬ反応だった。カメラに満面の笑みを向けてくれるのはいいのだが、いつまでも離れることなくずっと後ろをついてくるのには参った。まさに「金魚の糞」状態である。

 そんな子供たちをようやく振り払うことができたのは、一人のおじさんが「あっちへ行け!」と手荒く追い払ってくれたからだった。こういう良識ある大人がきちんと注意してくれるのは本当にありがたい。
「すまないね。スリランカのボーイはちょっとクレイジーなんだよ」
 おじさんは申し訳なさそうに言った。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
 僕がお礼を言うと、おじさんは意外な言葉を口にしたのだった。
「わたしの写真を一枚撮ってくれないかな?」
 これにはずっこけそうになった。
 まったくもう、ただ単に自分も撮ってほしかっただけなのだ。




 コロンボの街には「SPORTING TIMES」と書かれた看板を出している店がいくつもあった。「スポーツの時代」とでも訳したらいいのだろうか? 何かスポーツに関係する施設らしいのだが、その正体がよくわからなかった。店に出入りしているのは40代から60代のややくたびれた感じのおじさんばかりで、「さぁ今からスポーツをするぞ」という雰囲気には見えないのである。スリランカにはボディービルジムも多いのだが、それとも様子が違っている。

 「SPORTING TIMES」とはいったい何なのか。気になったので店に入ってみることにした。
 店の中は昼間でも薄暗く、タバコの煙がもうもうと立ちこめていた。場末の安酒場っぽいぶっきらぼうな雰囲気である。店内には30人ほどの男たちがいて、部屋の隅に置かれた二台のテレビを食い入るように見つめていた。画面に映し出されているのは競馬レースの実況中継だ。男たちは競馬新聞をテーブルに広げ、鉛筆で印を付けていた。なるほど。どうやらここは場外馬券売り場らしい。

 「SPORTING TIMES」が日本の馬券売り場と違うのは、賭けの対象がスリランカ国内の競馬に限らないという点だ。イギリスやオーストラリアや南アフリカなどで行われてる競馬やドッグレースが、幅広く賭けの対象になっているのである。営業を取り仕切っているのはイギリスのブックメーカーで、スリランカにいながら世界各地のギャンブルをリアルタイムで楽しむことができるというシステムらしい。



 アフタブさんというおじさんが賭け方を教えてくれた。ルールは簡単である。このとき行われていたのはオーストラリアの競馬だったが、次のレース結果を店に用意されたオーストラリアの競馬新聞をもとにして予想するのである。何番の馬にいくら賭けるかが決まれば、それを投票用紙に書いて、掛け金と一緒にカウンターに持っていく。締め切りは各レースが始まる直前。この辺はかなりアバウトである。そしてレースが終わると、現地発表のオッズにしたがって払い戻しが行われる。わかりやすい仕組みだ。



「いやー、昨日は3000ルピーも負けちゃったんだよ」
 アフタブさんはあっけらかんと言う。スリランカ人の平均所得を考えると、3000ルピー(3000円)というのはかなり大きな金額だ。ここにはある程度自由になるお金と暇を持ち合わせた人々が集まっているのだろう。予想のために英字新聞を読みこなす必要もあるわけで、このギャンブルは庶民が気楽に楽しめる娯楽ではなさそうだった。もっとも本当のお金持ちは、コロンボに数軒ある国営カジノ(VIPと外国人しか入れない)に行くらしいのだが。

 競馬が終わると、画面はドッグレースに切り替わった。するとアフタブさんが、
「次のレースの予想をしてくれないか?」と言ってきた。
「そんなの無理ですよ。何も情報がないんだから」
「それでいいんだよ。君の頭に浮かんだ数字を言ってくれればいい。私にもたいした情報があるわけじゃないんだから」
 なるほど。どうせ適当に賭けているんだったら、外国人のビギナーズラックにあやかるのもいいだろうと考えたわけだ。それなら気楽である。
「じゃ、3番」と僕は言った。「負けても責任は持ちませんからね」
「ああ、わかっているさ」

 アフタブさんはすぐにカウンターに行って、3番に150ルピーを賭けた。どうやら事前の人気は高くない「穴犬」らしい。しかしアフタブさん以外にも何人かの男が3番に賭けた。なんか面白そうだと思って乗ってきたのだ。

 しかしレースは惨憺たる結果だった。僕が予想した3番の犬は出だしからつまずいて、一度も先頭集団に加わることなく、後ろから三番目でレースを終えた。結果は1番の独走だった。あーあ。

 アフタブさんをはじめ3番にかけた男たちは、小さくため息をついた。もちろん僕に対して文句を言う人はいなかったが、それでも居心地はなんとなく悪かった。やはりギャンブルというのは自己責任でやるべきなのだ。他人のビギナーズラックなんかに頼っちゃいけない。

「負ける日もあれば、勝つ日もある。でも結局はみんな負ける。儲けるのはブックメーカーだけだ」
 とアフタブさんはクールに言う。おっしゃる通り。至言である。ギャンブルで勝つのは胴元だ。
「それがわかっているのに、どうしてここにいるんですか?」
「いい質問だね」と彼はにやっと笑う。
「夢だよ。もしかしたら大金が手に入るかもしれないっていう夢。それがあるからギャンブルはやめられないんだ」
 ギャンブル好きの人間というのは、世界中どこでも似たようなことを言うようだった。


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by butterfly-life | 2012-10-19 11:00 | 南アジア旅行記
漁師が英語を話せる国
■ スリランカ旅行記(2) 漁師が英語を話せる国 バックナンバーはこちら ■

 スリランカは島国なので、日本と同じように漁業が盛んだ。海沿いを旅していると、小規模な漁村が数キロおきに点々と続いていることに気付く。浜辺では男たちが網を引く姿がそこかしこで見られる。





 スリランカ北東部にあるニラヴェリは、典型的な半農半漁の村だった。男たちが漁に出ているあいだ、女たちが畑仕事をする。モーターボートで沖合に出ていた漁師たちが、本日の獲物である2匹の伊勢エビと5匹のヒラメを見せてくれた。大漁だったらしく、漁師たちも顔をほころばせている。伊勢エビは1キロ5000ルピー(5000円)、ヒラメは1キロ300ルピーで仲買業者に売れるのだそうだ。さすがは伊勢エビ。超が付くほどの高級品である。


[ニラヴェリ村でタマネギを植える女たち。腰をかがめて小さなタマネギの球根を土に埋め込んでいく。2ヶ月後には収穫できるそうだ。]



 スリランカ西部の町チラウに住む漁師たちは面白い方法で漁を行っていた。畳一枚分ぐらいの小さな板状のボートに座り、半分に割った竹をオール代わりにして、沖へと漕ぎ出すのだ。エビや小魚が網にかかるらしい。夜明け前に海に出て、朝の8時頃には浜辺に戻ってくる。こんなに小さくて不安定な乗り物でよく転覆しないものだ。


[小さなボートで漁に出る男]



 チラウの魚市場は活気に満ちた場所だった。50キロぐらいある大きなマグロがごろごろしていた。大型魚はコロンボなどに運ばれるようだが、小さな魚は地元の人が買って、その場でさばいてもらっていた。市場には魚の解体を専門にしている男たちが並んでいて、慣れた手つきでざくざくと頭や骨を切り落としていく。


[魚市場で魚をさばく男たち]



「マグロはだいたいコロンボの高級ホテルやレストランに卸されるんだ。輸出はあまりしていないんじゃないかな。日本人がとりわけマグロが好きなのは知っているけどね」
 魚市場で親しげに話しかけてきたアントニオさんが教えてくれた。もともと古都キャンディーで観光ガイドの仕事をしていたのだが、内戦激化のあおりを受けて観光業が落ち込んだので、魚の仲買人に転身したのだそうだ。ずいぶん思い切った転職である。なかなかダンディーな風貌で、ちょいワルな雰囲気も持っている。若い頃は相当モテたんじゃないだろうか。

「結婚は三回したんだ」とアントニオさんは自慢げに言った。「一人目はスペイン人だった。スペインに10年間住んでいたときに知り合ったんだ。いい女だった。やさしくて情に厚くて、お尻が大きかった。二人目はブラジル人だった。こいつは情熱的だったね。毎晩セックスしなきゃ気が済まないんだ。三人目のスリランカ人が一番美人なんだ。今はこの妻と一緒に暮らしている。俺はブラジル人の妻のことも好きなんだけど、他に妻がいることを知った途端に出て行ってしまったんだ。女っていうのはどうしてあんなにすぐに怒るんだろうね。不思議だよな。みんな仲良くすればいいじゃないか。そう思わないか?」

 不思議なのはあんただよ、と思わずツッコミを入れたくなったが、彼は飄々とした表情で「みんな仲良く」と繰り返すのだった。スリランカで重婚が認められているのかは知らないが、アントニオさんは法律のことなど全然気にしないでマイペースで暮らしているようだった。困った男だが、どことなく憎めない人でもあった。


[スリランカ西部プッタラムには大規模な塩田があった。ベトナムと同じようにトンボのような道具を使って地面をならしている。]



 田舎を旅しているときは、基本的に身振り手振りでコミュニケーションを取ることになる。これはアジアのどの国でも変わらない。比較的英語が通用する南アジア諸国やフィリピンでも、英語を話せる人は都市部に集中しているので、農村や漁村で流ちょうに英語を話す人に出会うことはほとんどないのである。

 しかしスリランカでは事情が違っていた。その辺にいる漁師のおっちゃんや食堂のおやじさんまでもが、(片言ながらも)ちゃんと理解できる英語を話してくれたのである。これはスリランカの教育レベルの高さを裏付けているのだろう。実際、スリランカの識字率は92%を超えていて、南アジアでもっとも高い水準なのである。







 カルムナイという漁村で船の手入れをしていたおじさんとも、英語で世間話をすることができた。
「今はシーズンじゃないから、魚はあまり捕れないんだよ。3月になれば魚が集まってくるんだ。一日の漁で2万ルピーも儲かるときもある。それを漁に出た3人と船のオーナーとで4等分するんだよ」
「魚が捕れない時期はどうしているんですか?」
「そりゃ困るねぇ。他の仕事をするか、どこかから金を借りてこなくちゃいけない。いつもギリギリの生活なんだ。3年前津波に襲われたときは、この村でも何百もの家が壊れたんだ。俺たちの船も壊れちまったから、直すのが大変だったんだ」
 おじさんは敬虔なムスリムらしく、「津波のときにもモスクだけは壊れなかったんだ」と胸を張った。スリランカ人の7割が仏教徒だが、漁村にはムスリムとキリスト教徒の割合が高いのである。
「あんたは日本人かい?」
「そうです」
「日本はいい国だよ。俺の仲間の船もヤンマーのエンジンを積んでいるんだ。ヤンマーは日本製だろう? 日本人はほんとにいいものを作るな。全然故障しないんだ。インド製とは違うよ。日本の技術は本当に素晴らしいよ」

 1月の海は波が高いので、小さな漁船が出航するのはかなり大変そうだった。大きな波を受けて、船が45度ぐらいまで傾くこともある。船の横腹についている浮きによって、何とか転覆せずにバランスを保っているようだった。


[波を受けて大きく揺れる漁船]



 英語を話すおじさんは「あんたもこれに乗って海に出てみるかい?」と誘ってくれたのだが、あの激しい揺れようを見る限り、僕にはとても無理だと思ったので、丁重にお断りした。あれじゃまるで安全バーなしでジェットコースターに乗るようなもの。プロの漁師はともかく、素人の僕が無事に戻ってこられるとは思えなかった。

 スリランカの漁村ではずいぶんたくさんのシャッターを切った。青い海と晴れ渡った空、打ち寄せる波と背の高い椰子の木。漁村にはこういった「絵になる」アイテムが揃っていたからだ。しかしそれ以上に嬉しかったのは、人の絆を感じさせるシーンに数多く出会えたことだった。





 漁師たちは常に誰かと協力しながら漁を行う。漁船は一人では操れないし、浜に戻ってくるときにもたくさんの仲間の手を借りなければいけない。誰かを助けたり、誰かに助けられたり。そういった密な関係があってはじめて漁というものが成り立っているのだ。

 もう船に乗ることができない老人も、網を引く仕事なら手伝えるし、海で遭遇した数々の経験を次の世代に語り継ぐこともできる。ここには必要とされていない人などいない。誰もが小さな生きがいを感じながら日々を生きている。
 そんな漁村の暮らしぶりに、僕は心を動かされ、人々にレンズを向けたのだった。






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by butterfly-life | 2012-10-15 13:53 | 南アジア旅行記
「午後の紅茶」の故郷へ (スリランカ旅行記1)
■ スリランカ旅行記(1) 「午後の紅茶」の故郷へ バックナンバーはこちら ■

 スリランカは赤道にほど近い常夏の島国だ。最大都市コロンボの最高気温は、一年を通じて30度から33度程度で一定している。要するにどの季節でも暑いのだが、インドの内陸部のように40度を超える猛暑に襲われることはない。

 しかし標高が高い山岳地域に入ると、空気の質はがらりと変化する。ねっとりとまとわりつくような南国の風が、ひんやりと軽やかな高原の風に変わるのだ。特に標高1900メートルにあるヌワラ・エリヤという避暑地は、「リトル・イングランド」と呼ばれているだけあって、日中でもジャンパーが必要なほど涼しかった。朝晩の冷え込みも相当なもので、宿では毛布を二枚重ねてもまだ足りないぐらい寒かった。



 そんな冷涼な山岳地域で栽培されているのが、あの有名なセイロンティーである。ここには英国植民地時代から続く大規模な茶農園がいくつもあって、丘という丘、斜面という斜面がすべてお茶の木で覆い尽くされているのだ。


[お茶の木が植わった斜面がどこまでも続いている。きちんと管理された統一感のある眺めは、お茶の栽培を始めた英国人の律儀さとも重なって見える。]







 紅茶は昔も今もスリランカの主要な商品作物だ。生産高はインドに次いで世界第二位で、世界100ヶ国以上に輸出されているという。特にウバ州で作られているウバ茶は高級品として知られていて、あの『午後の紅茶』のミルクティーにも使われている。

 お茶の葉の摘み取りは女たちの仕事だ。素早い手つきで茶葉を摘み、背中に背負った袋の中にひょいひょいと放り込んでいく。マハウバ茶農園のマネージャーであるナゼレスさんによれば、茶摘みは7時半に始まって4時半に終わるという。一日にとれる茶葉の量は季節によって差があり、1月は一人あたり10キロほどだが、3月から5月にかけての最盛期には一人あたり40キロもの茶葉を収穫するという。


[収穫した茶葉を計量する]

 労働者の日給は300ルピー(300円)。摘んだ量に応じたボーナスが支払われることもあるが、それでも生活は楽ではない。世界的なインフレと原油価格の高騰のあおりを受けて、ここスリランカでもモノの値段が急激に上がっているからだ。


[茶葉を摘んでいるのは女ばかりだった。]









 茶農園で働く労働者の多くはタミル人だ。英国植民地時代にスリランカで本格的な紅茶の生産が始まったときに、インド南部のタミル州から海を渡って移住してきた労働者の末裔である。そしてスリランカで国を二分する内戦が始まったのも、このタミル人移民の問題がきっかけだった。

 しかし茶農園で働くタミル人たちは、内戦やテロとは無縁の穏やかな日常を送っていた。スリランカ北部を旅したときには数キロごとに軍による検問所が設けられていたのだが、中部山岳地域にはそういったものは一切なかった。ここには低賃金ながらも毎日きちんとした仕事があり、日々の暮らしは安定している。だから政府に強い不満を持つ人は少ないようだ。


[昼間働いている女性たちのために、農園内には託児所が設けられていた。子供たちは繭の中の蚕のように、ハンモックの中で静かに寝息を立てていた。]


 農園の敷地内には、茶葉を紅茶に加工する工場もあった。100年以上の歴史を持つ古い工場もいまだに現役で活躍している。そんな歴史ある工場のひとつを見学することができた。レヴァロンの紅茶工場は1880年に操業を始めたスリランカでももっとも古い紅茶工場のひとつである。高い煙突とレンガ作りの外観は古めかしく、中の設備もクラシックそのものだった。


[茶農園には紅茶工場と人々が住む集落と学校がひと揃いになっている。]

 紅茶の製造工程は次のようなものだ。まず収穫した茶葉が工場に運ばれてくると、それを網の上に均等に広げて、扇風機で風を送って水分を飛ばし、茶葉をしおれさせる。乾季には自然の風を、雨季には熱風を12時間ほど送ることで、茶葉の重さを収穫時の半分程度にまで減らす。それから250キロの荷重をかけて茶葉をもむ揉捻(じゅうねん)という作業を行う。そうすると茶葉は自然に発酵しはじめ、あの紅茶独特の香りを放つようになる。最後にカラカラになるまで茶葉を乾燥させれば完成である。


[摘んだばかりの茶葉に風を送って水分を飛ばす。]


[マネージャーのロドリゴさんが親切に案内してくれた。]

 紅茶工場はさほど広くはなかった。いくつかの大がかりな機械はあるものの、一目見るだけで何を行っているのかわかるようなシンプルな機械ばかりだった。部外者に見せてはいけない「企業秘密」とは縁がなさそうに見えた。75人もの従業員が働いているというから、オートメーション化もあまり進んでいないのだろう。

「この工場では10種類ほどの茶葉を作っています」
 工場の管理者であるロドリゴさんが教えてくれた。
「だいたい1キロあたり300から400ルピーで業者に卸します。一番の輸出先はロシアです。その次がアラブの国々。イランやイラクにも輸出しています。うちの紅茶が日本人に飲まれているかどうかは、残念ながら知りません」





 セイロンティーの輸出先にロシアの名前が挙がったのはちょっと意外だった。確かにロシア人は紅茶をよく飲んでいる。それも紅茶にジャムを混ぜて飲むという、ちょっと変わった習慣を持っている。もちろん中東の人々も紅茶が大好きである。家の中でも外でも四六時中チャイを飲んでいる。

「ムスリムはお酒を飲まないから、代わりに紅茶を飲むんだそうですよ」
 とロドリゴさんは言う。それは確かにその通りなのだろうが、飲酒が禁じられている中東諸国と、無類の酒好きで知られるロシアとが、共に紅茶を大量に消費しているというのは、なかなか興味深い事実だなぁと思った。

 ある茶農園を訪ねたときに目にしたのが、村を挙げての運動会だった。子供たちが徒競走やパン食い競争をする姿は、日本の運動会とそっくりだったので、なんだか懐かしくなってしまった。


[パン食い競争って、手を使っちゃいけないんだよね…]

 この運動会のフィナーレを飾った綱引きがすごかった。力自慢の男たちが左右に分かれて綱を引き合うのだが、その盛り上がり方が尋常じゃなかったのだ。意地と意地、プライドとプライドが激突するダービーマッチのような荒々しい雰囲気で、綱を引く男たちは血管が切れそうなほど全身に力を込めているし、取り囲んだ人々もあらん限りの大声を張り上げて応援していたのだ。





 実はこの運動会はお互いにライバル意識の強い「農園労働者」と「工場労働者」がチームを組む対抗戦形式で行われている。茶葉を摘み取る人も、茶葉を加工する人も、普段は同じ村で仲良く暮らしているのだが、この日だけは「あいつらには負けたくない」という対抗意識をむき出しにするのだという。

 体格的には工場労働者の方が勝っているように見えた。1本目は予想通り工場労働者チームの勝利だったが、2本目は農園労働者が意地を見せ、結局は一勝一敗の引き分けという結果に終わった。




[勝利に沸く農園チーム。これで1勝1敗の引き分けに持ち込んだ。]

 ときにはエキサイトしすぎて殴り合いの喧嘩に発展することもあるというから(そういうところもサッカーのダービーマッチとそっくりである)、引き分けに終わったのはお互いにとって良かったのだろう。

 試合が終わると、男たちはお互いの健闘をたたえ合ってがっちりと握手を交わした。
 そしてそのあとはもちろん、美味しいセイロンティーで乾杯したのだった。


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by butterfly-life | 2012-10-09 12:40 | 南アジア旅行記
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by butterfly-life | 2012-10-04 15:23 | 南アジア旅行記
竹やりが必需品? 小数部族の村の驚くべきトイレ事情
■ バングラデシュ旅行記(29) トイレは竹やりと共に バックナンバーはこちら ■

「トイレに行きたくなったら、これを持っていきなさい」
 そう言って村長が手渡してくれたのは、先を尖らせた太い竹だった。太平洋戦争末期に「本土決戦」を覚悟した女性が持たされたような竹やりが、なぜ用を足すときに必要なのだろう。ひょっとしたら、これで尻を拭けということなのだろうか。日本でも、紙で拭くようになる前は竹のヘラでこそぎ落としていたっていうからな。

 村長に目的をたずねてみると、意外な答えが返ってきた。
 竹やりは豚を突くためのものだというのだ。この村の豚は人間のウンチが大好物で、用を足そうとズボンを下ろしてしゃがみ込んだだけで、「お、ご馳走が出てくるぞ」とばかりにその人の周りに集まってくるというのだ。中にはまだモノを出さないうちから尻をなめ回すヤツもいるらしい。要するにこの竹やりは背後から迫ってくる豚を突き、ヤツらがひるんだ隙に用を足すためのものなのである。

 しかし「竹やりで豚を追っ払いつつ用を足す」なんて器用なことが僕にできるんだろうか?
 不安な気持ちを抱きながら、僕は村はずれにひとつだけある高床式のトイレに向かった。実はこのトイレはNGOの指導のもとで数ヶ月前に新しく作られたもの。それまでは屋外で、それこそ竹やりで豚を追い払いながら慌ただしく用を足さなければいけなかったのだが、今は一応壁で仕切られた個室で落ち着いて用が足せるようになっていた。

 それでも豚はやってきた。僕がトイレに入るやいなや、その気配を察知した豚の親子が猛然と駆け寄ってきたのだ。高床式のトイレは部屋の真ん中に四角い穴が空いていて、そこから排泄物が地面に落下するというきわめてシンプルな作りになっているのだが、その豚の親子は「もう待ちきれない!」といった感じで、ブヒブヒと鼻を鳴らしながら穴の下から僕の尻を見上げているのである。す、すごい。噂通りとんでもなく貪欲な豚である。


[トイレの下で「大好物」を待ち受ける豚の親子]

 僕は通常、お通じのよい方である。便秘になることはほとんどない。それは僕が誇れる数少ない特性のひとつなのだが、この時ばかりはさすがにひねり出すのにかなりの時間を要した。誰かに排便を見られるというのは、しかも下から「見上げられる」というのは初めての経験だったからだ。しかも豚の目は真っ赤に血走っていて、「おい、早くしろよ」といきり立っているのだ。前足を思いっきり伸ばして、鼻先を尻にくっつけんばかりの勢いなのである。

 僕は村長に渡された竹やりで豚の鼻面を突いた。ここで一発ぶちかましておかないと、図に乗った豚に尻を舐められそうだったからだ。しかし豚はめげなかった。すぐにまた鼻面をぐいっと近づけてくる。

 くそ。僕は再びやりを手にして、今度は思いっきり突いた。その一撃でさすがの豚も意気消沈したのか、しばらくはおとなしくしていた。ざまぁみろ。こうしてようやく落ち着いて用を足すことができたのである。

 豚は僕が落としたモノをまたたく間に平らげてしまった。よほどお腹が空いていたのだろう。すさまじい食欲だった。豚はなんでも食う動物だと言われている。残飯であっても人糞であってもお構いなし。そんな雑食性の動物であるがゆえに、ある地域では非常に便利な家畜として重宝され、ある地域では汚い生き物として忌み嫌われている。そんな話を知識として知ってはいたが、実際にこうして「ウンチを食べる豚」を目にすると、なるほどあの話は本当だったんだなぁと妙に感心してしまった。


[体を寄せ合う豚の赤ちゃんはかわいい]

 豚が処理するトイレ。それは究極のエコトイレでもあった。人糞を食べた豚が肥え太り、その肉を人が食べるわけだから、無駄なものが一切出ないわけだ。

 人間も豚も同じように食べ、同じようにウンチをひねり出し、生きて、そして死んでいく。その意味では平等なのだ。人間だけが循環する自然の輪から外れた特別な存在だと考えるのは、単なる思い上がりにすぎないのではないか。豚のトイレはそんなことを教えてくれたのだった。



 夕方になると、村人たちが伝統の踊りを披露してくれた。男たちが「プロン」という竹とひょうたんで作った楽器を吹き、民族衣装で着飾った女たちが一列になって踊る。プロンの作り自体はかなりちゃちなのだが、30人もの男たちによって一斉に奏でられる音は、幾重にも重なり合って、パイプオルガンのような深みを持って村中に響き渡っていた。



 この踊りが意味するところは長老にもわからないという。元々は何らかの意味があったのだろうが、ある時点で忘れ去られてしまったのだろう。ムルー語には独自の文字もあるのだが、それは代々村長をつとめる一家にだけ伝えられてきたので、天災が起これば失われてしまう危険がある。実際、3年前には焼き畑の火が原因で起こった大火事によって、ほとんどの家が焼失してしまったのだそうだ。


[動画]ムルー族の伝統舞踊

 夜には、村の男たちと一緒に酒を飲んだ。電気のない村は、夜になると真の闇に包まれるから、楽しみといえば酒を飲むことぐらいなのだろう。山岳民族の多くがそうであるように、ムルー族も酒好きである。人口の8割をムスリムが占めるバングラデシュでは、外国人以外の一般人が酒を買うのはとても難しいのだが、少数民族が自家製の酒を売り買いすることは例外的に黙認されている。

 僕らがバンドルボンの町で手に入れた米焼酎は500mlで400タカ(480円)と、この国の物価水準からすればかなり高額なものだった。しかもまずい。アルコール臭さばかりが鼻につく酒で、何かで割らないととても飲めないような代物だった。

 それでも村人たちはこの粗悪な焼酎をストレートでぐいぐい飲み、ほろ酔い気分になって歌をうたいはじめた。抑揚のない単調なメロディーで、しかも部屋の真ん中に置かれたランプの炎の前で歌うものだから、なんだか怖かった。ゆらゆらと揺らめく炎に照らされた男の顔は、必要以上に陰影が強調され、怪談を語る稲川淳二のような迫力を感じさせた。

 しかしこの歌は、意外にもラブソングだった。
「僕は君と結婚したいのだけど、今はお金がない。愛しい君よ、もう少し待ってください」
 だいたいそんな意味だという。そう、「姉さん女房婚」を受け入れるために、男たちは持参金を貯めなければいけないのだ。その苦労を歌に込めていたのである。



 ムルー族の男たちはとてもシャイで警戒心が強い。外国人と積極的に関わろうとはしないし、我々の様子を少し離れたところからそっとうかがっている人が多い。女たちが豪放で開けっぴろげな分、男たちは「しおらしい」のだ。うまくバランスが取れているものだと思う。そんな男たちの警戒心も酒が入るとあっさりと緩んでしまうのが面白かった。


[タバコを吸う村の男]

 つかの間の宴が終わると、あたりはしんと静まりかえった。ときどき家畜が鳴く声が聞こえるだけだった。
 村人は日が昇ると目を覚まし、日が暮れると眠る。何十万年ものあいだ人類が繰り返していたであろうシンプルな暮らしがここにはあった。

 外は満天の星空だった。天頂にオリオン座がぴたりと貼り付き、空をふたつに分けるように流れる天の川がはっきりと見えた。目が慣れてくると、砂粒のように細かい星までが浮かび上がってくる。さっきまでそこにあったはずの星座が見えなくなるほど、あまりにもたくさんの星が空を埋め尽くしていた。

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by butterfly-life | 2012-10-01 11:25 | 南アジア旅行記