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バタフライ・ライフ再び
■ インド旅行記2012(6) バタフライ・ライフ再び  バックナンバーはこちら ■

 今回も70ccの小さな原付バイクを相棒にして、インドを一周する長い旅に出た。
 旅の出発地はオリッサ州のプリーという町で、そこからとりあえず西へ向かった。

 予定は立てないし、泊まる宿も決めない。どの道を通るのかさえ気分次第。蝶が花から花へひらひらと飛び移るような「バタフライ・ライフ」を102日間にわたって続けることになったのである。

インド一周のルートマップ

 時速40キロでゆっくりと進んでいると、それまで自分の中に眠っていた旅の感覚が、ひとつひとつ呼び覚まされてくるのがはっきりとわかる。湿り気を含んだ風が頬を打つ感触。じりじりと肌を焦がす日差しの強さ。背後から追い抜きをかけるトラックが鳴らしていくクラクションの音。対向車がはね飛ばした小石がすねを直撃するときの痛み。

 日本にいるときにはまったく使われていなかった感覚が鮮やかに立ち上がり、いま自分がインドにいることを知らせてくれる。

 そう、ここはインドなのだ。
 これがインドの風なのだ。


[今回の旅の相棒も70ccの小さなバイクだ]

 途中、いくつかの集落に立ち寄りながら、のんびりとバイクを走らせる。オリッサ州の人々はとてもフレンドリーだ。カメラを向けると優しく微笑んでくれる人もいるし、すれ違いざまに「ハロー」と声を掛けてくる人もいる。



 休憩しようと立ち寄った食堂で、ワダという丸い揚げ物とサモサを二つずつ食べる。どちらも揚げたてのアツアツなのでうまい。サービスでつけてもらった生のタマネギを囓ると、ツンという刺激が鼻を通り抜けていく。


[ワダは豆粉で作ったドーナツ]

「テイスト?」
 ひげ面の店主が顔をおもいっきり近づけて訊ねてくる。味はどうだい?
「グッド」
 相手の勢いに気圧されながら答えると、主人はとても嬉しそうにニカっと笑う。人と人との距離がこんなにも近い。やっぱりここはインドなんだって思う。


 オリッサ州はインドでももっとも道の悪い州のひとつなので、バイク旅は決して快適ではなかった。特に山岳地帯はひどくて、本来はきちんと整備されているはずの州道が、未舗装のガタガタ道になっていることも多かった。自ら好きこのんで田舎道を走っている僕に文句を言う権利なんてないのかもしれないが、もう少しまともな道を通してくれたら旅がもっと楽になるのになぁと思わなくもなかった。


[こんな石ころだらけの道が続くところもある]


[インド各地で進む道路工事の様子]

 ボリグマという町の近くでは、道路が川によって寸断されていたので、バイクで川を突っ切る羽目になった。橋はどこにもなく、水の流れだってそれなりに速かったから、無事に渡りきる自信はなかったのだが、ちょうど通りかかった二人組の若者に「こんなの簡単に渡れるよ」とそそのかされて、一緒に行くことになったのだ。


[川を渡るバイク。簡単に渡れそうに見えたのだが・・・]

 しかし、これは相当にタフなチャレンジだった。少なくとも「簡単」ではなかった。実際に走ってみると、意外に底が深くて、70ccの非力なエンジンでは思うように進めなかったのだ。スロットルを全開にしたまま、両足で川底を蹴りながら、必死の思いで前進した。きっと第三者の目には、足をばたつかせながら25mプールを泳ぎ切ったカナヅチの子供みたいに見えただろう。

「これのどこが簡単なんだよ!」
 汗だくになりながら対岸にたどり着いた僕が二人に文句を言うと、彼らは涼しい顔で、
「でも渡れたじゃないか」
 と言った。そりゃまぁそうなんだけどさぁ・・・。
「これ、雨季になったらどうするんだい?」
「もちろんここは渡れないよ。他の道を行くことになる。あんた、雨季にも来るつもりかい?」
「まさか」と僕は大きく首を振った。「こんな経験は一度で十分だよ」

 地図上には確かに存在するはずの橋が、きれいさっぱり消えている場所もあった。どうやら最近起きた洪水で橋が流されてしまったらしく、コンクリート製の橋脚だけが無残な姿をさらしている。復旧工事はまだ始まったばかりなので、橋が再び通れるようになるまでには、あと1年はかかるという。


[このように橋が壊れていては、先へは進めない。]


[小さな渡し船で対岸に渡る]

 幸いなことに、川が最も狭くなっている場所を往復する渡し船があったので、それを利用して川を渡ることができた。小さな木製のボートなので自動車は載せられないが、バイクなら運んでもらえたのだ。運賃はバイクも含めて20ルピー。こういう自然災害もちゃっかり商売に変えてしまうたくましさは、さすがである。


 オリッサ州は宿事情も良くなかった。州都ブバネシュワールや観光地プリーはともかく、田舎町に入ってしまうと、宿の選択肢が極端に狭まってしまうのだ。人口が少ないところだと、町に宿が1、2軒しかないところも珍しくない。言うまでもなく、そういう町の宿は著しくレベルが低いのである。

 コルダという町で泊まった宿もひどかった。インド全土にあまたある安宿の中でも、トップクラスのひどさだと言っていいだろう。部屋は独房のように狭く、ベッドはがちがちに硬く、用意されたシーツは元の色がわからないほど変色していた。部屋の壁はなぜかペパーミントグリーンに塗られていて、その不自然なほどどぎつい色が部屋のわびしさを余計に強めていた。ここはまた蚊の巣窟でもあるらしく、部屋に入るなり5、6箇所も立て続けに刺されてしまった。


[とにかく狭い部屋]

 チェックアウトが午前7時という異様に早い時間に設定されているのも謎だった。インドの安宿の多くは24時間制(たとえば午後6時にチェックインしたら、次の日の午後6時までいられる)だし、そうでない場合でもチェックアウト時間は通常10時か11時なのだ。客の利便性なんて全く無視しているのである。


[「チェックアウト7時」と書かれた注意書きがドアに貼られていた。]

 もっとも腹立たしかったのは、共同のバスルームの汚さだった。滅多に掃除などしないのだろう。とにかく汚いのである。便器の中に他人の大便がぷかぷか浮いているのはまだ(なんとか)許せるにしても、便器の枠の外に堂々たるブツがとぐろを巻いて置いてあるのには、開いた口がふさがらなかった。
「な、なにしてんねん!」
 思わず関西弁で叫んでしまった。
 目測を誤ったのだろうか?
 もしそうだったとしても、どうしてそのまま放置しておくのか。まったく理解できなかった。


[動画]腹立たしいほどひどい宿

 しかし、こんなひどい宿だったにもかかわらず、その夜は意外なほどぐっすりと眠れた。ベッドが狭すぎるのも、ファンの風量が強すぎるのも気にならなかった。眠気が不快さに勝ったのだろう。あるいは不愉快なことには目をつぶり、目の前の現実を進んで受け入れようという心の準備ができたのかもしれない。

 良くも悪くも、これがインドという国なのだ。
 道の悪さも、宿のひどさも、人と人の近さも。すべてを受け入れなければ旅は進まない。
 なぜなら、ここはインドなのだから。


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by butterfly-life | 2012-11-29 12:29 | インド色を探して
美しいものなんて、ここにはないよ
■ インド旅行記2012(5) 美しいものなんて、ここにはないよ  バックナンバーはこちら ■

 アンドラプラデシュ州グントゥールの旧市街もまた、様々な色に満ちあふれていた。この町を彩っていたのは、赤や黄色の花々だった。生鮮食料品を売る市場の一角に花専門の売り場があって、そこに季節の花々が山と盛られていたのである。



 マリーゴールドは1キロ30ルピー(45円)で売られていた。花をキログラム単位で売っていることにも驚かされるが、ごく普通のおばさんがそれを5キロも買っていったりするのだ。両手で抱えないと運べないぐらいの大変な量である。こんなにたくさんの花をいったい何に使うんだろうと思って訊ねてみると、ヒンドゥー教の儀式(プジャ)でばらまくんだよ、という答えが返ってきた。





 この町では花飾りづくりも盛んだった。ジャスミンやマリーゴールドやバラなどを糸で繋いで、一本の太い花飾りにするのだ。これは結婚披露宴や祝い事などで使われるもので、もっとも高価なバラの花飾りだと一本300ルピー(450円)もするという。



 花飾りの工房で働いていたのは6人の職人たちだった。親方も含めて全員がムスリムだという。彼らは工房の二階にある狭い部屋で、むせかえるような花の匂いに囲まれて仕事をしていた。

 それは日々同じ作業を繰り返している職人ならではの洗練された手さばきだった。右手で花をつかみ、左手で糸をくるくると回して、それを結びつけていく。からだが一連の動きを覚えているのだろう。手元を見る必要もなく、次から次へとリズミカルに花と花が繋がっていく。見ているだけで楽しくなるような熟練の技だった。

 ちなみにこの工房では、花飾り以外に花火も作っているという。宗教儀式が多い時期には花飾りを作り、お祭りの時期になると花火を作るのだそうだ。まったく別の仕事のような気もするけど、どちらもハレの日に欠かせない道具という点では共通しているのだろう。


[花飾りの職人の中でも特に手つきが見事だった24歳のアフマディ君。この仕事を始めてもう8年になるという。]










[動画]花飾りを作る職人

「あんた、こんなところで何しているんだね?」
 花飾り工房を出て、町を歩きはじめた僕に突然声を掛けてきたのは、度の強いメガネをかけた中年の男だった。彼の話す英語はインド訛りが強いうえにとても早口だったから、最初は何を言っているのかわからなかった。何度か聞き直してみて、ようやく彼が「下町の路地裏で外国人がいったい何をしているのか」と不思議に思っているのだとわかった。

「写真を撮っていたんですよ、ここで」
 僕は首にぶら下げたカメラを高く持ち上げた。
「とても美しいシーンがあった。だから写真を撮っていたんです。ただそれだけですよ」
「美しいものなんて、ここには何もないよ」
 男はぶっきらぼうに言い放った。何かに腹を立てているようでもあった。
「外国人のあんたが喜ぶようなものはここにはない。まったくない。ただの汚い町だ。貧しい人々が働いているだけだ。もし美しいシーンが撮りたいんだったら、町外れのフォートに行きなさい。古い城だ。あそこは素晴らしい。こんなところを歩いていても仕方ない。さぁ行くんだ」

 彼が旅人への親切心からアドバイスしてくれているのか、僕に対して何らかの敵意を抱いているのかはよくわからなかった。外国人が道に迷っているのかと心配しているのかもしれない。あるいは彼自身がこの町のことを嫌っているのかもしれない。いずれにしても、その助言は余計なお世話でしかなかった。インドにはときどきこういうタイプの人がいる。相手の気持ちを一切無視して、自分の主張だけを一方的にまくし立ててくる困った人が。

 しかし「この町には美しいものなんて何もない」とはっきりと言われて、僕はちょっと嬉しくなったのだった。
 地元の人ですら見向きもしないようなありふれた日常の中にこそ、本当に美しいものが潜んでいる。僕はそう信じている。そしてそれを発見するために、この何でもない町を歩いているのだ。

 おじさんの発した何気ないひとことが、僕がインドを旅する理由を教えてくれたのだった。



 オリッサ州の山奥で目にしたのは、信じられないほど美しい夕陽だった。僕は小高い丘の上にバイクを止めて、眼下に広がる湖を眺めていた。太陽が西の地平線に近づくにつれて、滑らかな湖面は赤く染まっていった。赤いインクを水に流したような、目の覚めるような赤だった。



 やがて太陽が山の向こうに沈んでしまうと、赤のグラデーションは深みを増していった。オレンジに近い赤から、くすんだ茜色へ。そしてもっと暗い色合いの赤へと変化していく。そのあいだ僕は夢中でシャッターを切り続けた。時間にしてわずか10分ほど。とても短いが濃密な、自然からの贈りものだった。

 ところが地元の人は誰一人として、この夕陽に関心を示さなかった。わざわざ足を止めて西の空を振り返る人は皆無だった。おそらく彼らにとって、この程度の夕焼けはそれほど珍しいものではないのだろう。今の時期には毎日のように現れる光景なのかもしれない。



 美しいものが、その間近にいる人たちに認知されないというのは、よくあることである。たとえば浮世絵は江戸時代の日本人にとってはありふれた庶民の娯楽で、高尚な芸術とはほど遠いものだと考えられていたが、それが陶器を梱包する際の包み紙として西欧に渡ったことで、外部の人間の目に触れ、改めてその斬新さと芸術性が評価されたのである。

 内部の人間には気づけない美しさがある。インサイダーだからこそ見落としてしまうものがある。
 オリッサ州の空を彩る夕陽も、花飾り職人の鮮やかな手つきも、セメント工場の純白の世界も、そこで暮らしている人にとっては何ら新鮮なものではない。それは凡庸な日常を構成するパーツのひとつでしかないのだ。



 だからこそ、僕はアウトサイダーとしてインドを旅して、写真を撮っている。
 当たり前のように見過ごされているものの中に、何か特別な光が宿るときがある。
 その瞬間を捉えたくて、僕はインドを走り回っている。


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by butterfly-life | 2012-11-26 11:14 | インド色を探して
インド最大級のトマト市場に潜入
■ インド旅行記2012(4) うんざりするほどのトマト  バックナンバーはこちら ■

 インド最大級のトマト市場もまた、赤一色の世界だった。
 アンドラプラデシュ州マダナパーリには、このあたりで収穫されたトマトが集められ、箱詰めされてから、次々とトラックで出荷されていく。1日に700トンから1000トンものトマトが取引されているというからすさまじい。もちろんそこらじゅうトマトだらけで、足の踏み場もないほどだった。









 トマトは朝早くに農家から運ばれてくる。それを仲買人が競り落とし、トラックに積み込んで、町へと運ぶ。主にチェンナイやハイダラバードといった南インドの中核都市へと出荷されるようだ。デカン高原中部に位置するこの地域では、トマトは一年を通して栽培できるので、市場も年中活気があるという。

 手作業でトマトを選別するのは女たちの仕事だ。潰れていたり腐ったりしているものを除外するのだが、ゴミ箱がないのでトマトを地面にポイポイと捨てていく。そんなわけで地面は腐ったトマトだらけである。ときどきトマトで足を滑らせて転ぶ人もいるぐらいだ。掃除人はいるのだが、クズトマトの量があまりにも多くて、回収が間に合わないのだ。

 トマトはひとつのケースにぎっしり詰めると30キロの重さになる。これが30ルピーから110ルピーで卸されるという。つまり1キロ当たり1ルピーから3ルピーほど。超がつくほど激安である。卸値だけでなく、小売価格もとても安かった。生鮮市場で売られていたトマトでもっとも安いものは1キロ5ルピー(8円)だった。


[市場の地面は大量のクズトマトで埋め尽くされていく。]













「今はトマトがたくさんとれる時期だから安いんだよ。夏になると1キロ25ルピーぐらいまで上がるよ」
 と売り子の男が言っていたので、これはインドでも特別に安い値段なのだろうが、それにしても1キロ5ルピーってのはあんまりだ。これじゃ、せっかく作った農家も浮かばれないのではないか。

「日本ではトマトはいくらなんだ?」と聞かれたので、
「1キロ200ルピーぐらいかなぁ」と答えると、
「嘘だろう?」と言われてしまった。
 確かに日本の食料品は高い。もちろんこれは日本の経済水準が高いからなのだが、ことトマトに関しては「インドが安すぎる」と言った方が正しいように思う。


[トマトが1キロ5ルピーってのはあまりにも安すぎる]

 市場におけるトマトの扱いの「雑さ」にも、この安さが深く関わっていた。クズトマトがポイポイと地面に投げ捨てられるのは仕方ないにしても、売り物として箱詰めされているトマトの上にも平気で空き箱を落としてみたり、足で踏んづけたりしているのだ。「大切な商品を傷つけないように扱う」という気持ちは皆無である。ちょっと遠くにいる人を呼ぶために、トマトをひょいと放り投げる人までいる。要するにすべてが雑なのである。まぁそこがインドらしいといえばインドらしいところなのだが。







「インド料理にはトマトが欠かせない」とハイダラバードから来たバイヤーの男が言った。「だから需要がたくさんある。もちろん健康にも良い。でもここだけの話、俺はあんまりトマトが好きじゃないんだ。どうしてかって? そりゃ毎日これだけのトマトに囲まれていたら、うんざりもするさ」

 確かにインド人は実によくトマトを食べている。国民的野菜と言ってもいいだろう。
 しかしインドにおけるトマトの歴史はさほど古くはない。南米原産のトマトがインドに入ってきたのは、19世紀になってからだと言われている。大航海時代にスペイン人が中米から持ち帰ったトマトは、まずヨーロッパで観賞用の植物として育てられ、その後イタリアでの品種改良を経て食用として普及すると、それがインドをはじめアジア諸国にも伝えられたのだ。

 トマトだけでなく、トウガラシもジャガイモも中南米が原産だ。今、インドの食卓の主役となっている食材の多くが、実は何百年も前から続くグローバル化の結果もたらされたものなのである。


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by butterfly-life | 2012-11-19 14:27 | インド色を探して
インド料理に欠かせないトウガラシ
■ インド旅行記2012(3) インド料理に欠かせない赤  バックナンバーはこちら ■

 インドを代表する「赤」といえばトウガラシをおいて他にはないだろう。

 インド料理の鮮烈な辛さは、このトウガラシが源なのである。当然のことながらトウガラシ畑はインド各地にあって、真っ赤に熟した実を収穫する光景をいたるところで目にすることができる。



 アンドラプラデシュ州カンマンでは、女たちがトウガラシの実を手で摘んでいた。摘み取ったトウガラシはそのまま出荷されることもあるが、だいたいは天日干ししてカラカラに乾いた状態にしてから市場に運ばれるという。









 地面に広げられた大量の赤は、見た目の鮮烈さもさることながら、別の意味で鼻にも刺激的だった。トウガラシから蒸発する水分の中に、辛み成分カプサイシンが混ざっているのだろう。そばに立っているだけで目や鼻の粘膜が刺激されて、涙と鼻水が止まらなくなってしまったのだ。

 もっとも、ここで働く人々はカプサイシン慣れ(?)しているらしく、まったく平気な様子だった。それどころか、(景気づけなのだろうか?)ときどき生のトウガラシをボリボリとかじりながら仕事を続けていたのだった。






[すさまじい量のトウガラシを積み上げている男たち。付近の畑から収穫したものを集めて、トラックに乗せて出荷するようだ。]



 乾燥したトウガラシは市場で1キロ60ルピーで売られていた。乾燥させてあるから、1キロといっても相当な量である。大きなビニール袋がいっぱいになるぐらいだ。それが60ルピー(90円)なんだから安い。

 ちなみにインド人の一日あたりのトウガラシ消費量は2.5gで、これは世界でもトップレベルなのだそうだ(他にはマレーシアやスリランカ、タイなども上位)。それに対して日本人は0.27gしか消費していない。インド人は日本人の実に10倍ものトウガラシを食べているわけだ。インド料理が辛い理由は、この数字を見ても明らかだろう。


[トウガラシを粉に挽く機械]


[トウガラシはそのまま料理に使うこともあるが、このようにパウダー状にして他のスパイスと混ぜて使うのが一般的だ。]



 ところで、「インド人は毎日カレーを食べてるんだってね」と言う人がいるけれど、実際にはインドに「カレー」という名前の料理は存在しない。インドの人々が、いわゆる「カレーっぽい味」のスパイシーな料理をほぼ毎食食べているのは事実だが、それぞれの料理にはちゃんと個別の名前があるのだ。「カレー」とはイギリス人が使い始めて世界中に広まった言葉で、タミル語で「食事」を意味する「カリ」という言葉が語源になったという説が有力である。

 いずれにしても、日本料理にしょうゆが欠かせないように、マサラ(スパイス)抜きのインド料理は考えられない。そして、数あるマサラの中でも特に刺激的なトウガラシは、インド人の味覚の原点ともいえる食材なのである。


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by butterfly-life | 2012-11-14 12:32 | インド色を探して
サリーの色を作り出す職人技
■ インド旅行記2012(2) サリーの色を作り出す職人技  バックナンバーはこちら ■

 インドを彩る色の中でもっとも人目を引くのは、やはり女性の衣装だろう。
 特に南インドの女性は派手な色合いのサリーを好んで着るようだ。まるで熱帯に住む鳥のように色鮮やかな服を、ハレの日だけでなく、普段着としても着ているのである。


[道路工事の現場で働く女たちのサリーもとても派手だった。]


[レンガ工場で働いている女たちも色とりどりのサリーを着ている。]




[ラジャスタン州に住むガラシア族の民族衣装はとても派手だ。]








 この派手なサリーの色を作り出している職人技を、間近で見ることができた。タミルナドゥ州にあるセーラムという町の近郊に、木綿の糸をさまざまな色に染める工場が並んでいたのだ。




[化学染料の発色はどぎついほど派手だ。インドは埃っぽいし、サリーは何度も洗ううちに色落ちしていくから、新品はできるだけ鮮やかな色が求められているようだ。]



 染色もやはり手作業だった。化学染料がたっぷり入った桶の中に束ねた糸を浸し、しばらくおいてから糸を引き上げて、雑巾しぼりの要領で固くしぼっていく。職人たちの指や爪は毎日の仕事によって不気味な色に染まっていたが、これもこの道のプロの証なのだろう。


[染め上げた糸を天日で乾かす男。これも見応えのある光景だ。]


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by butterfly-life | 2012-11-07 14:11 | インド色を探して
インドは色にあふれた国
 新シリーズ「インド色を探して」がスタートします。
 今年行ったインド一周の旅で出会ったエピソードを綴っていきます。どうぞお楽しみに!


■ インド旅行記2012(1) インド色を探して バックナンバーはこちら ■

 インドは色にあふれた国だ。
 微妙なグラデーションではなく、絵の具のチューブから直接ひねり出したようなビビッドな原色が、次から次へと目に飛び込んでくるのだ。



 地域によってテーマカラーが違うのも、インドの面白さだ。
 たとえばアンドラプラデシュ州は「黄色い州」だった。公共バスも黄色だし、町を走るオートリキシャもすべて黄色で統一されているのだ。






[アンドラプラデシュ州で高いシェアを誇る携帯キャリア「idea」のシンボルカラーも黄色だった。]


■ スカイブルーの町

 タミルナドゥ州西部には、どの家の壁も明るいスカイブルーに塗られた町があった。なぜこの町がこれほど派手な色で統一されているのかはよくわからなかったが、この鮮やかな青が南国の強い日差しによく映えているのは確かだった。歩いているだけで、浮き立った気持ちになってくる。色あせた壁を塗り直すペンキ屋の仕事ぶりも、どこか楽しげだった。








■ 純白の世界

 インド有数の石灰岩の産地として知られているラジャスタン州ピパールは「白い町」だった。ここには石灰岩を砕いて石灰(炭酸カルシウム)の粉を作る工場がいくつも並んでいたのである。


[石灰岩を砕いて炭酸カルシウムの粉にする]

 石灰工場の中は、純白の世界だった。建物の内部も、据えられた大がかりな機械も、もちろんそこで働く人々も、すべてが石灰の粉にまみれて真っ白になっていたのだ。労働者たちは顔に布を巻き付けてはいたが、専用の防塵マスクではないから、空気中を舞う粉の一部は気管にも入り込むはずだ。

 彼らにとってこの純白の世界は、過酷な労働の現場以外のなにものでもないだろう。とても「美しい」だなんて思えないはずだ。それをわかっていながらも、僕はこの白の美しさに強く惹かれていた。





 それは静謐なモノトーンの世界だった。色に満ちた外の世界とは正反対の、すべての色を消し去る、圧倒的なまでの白だった。

 この白もまた、僕にとってとても印象的な「インド色」のひとつだったのである。


[こちらも真っ白な世界。小麦粉の製粉工場である。どの町にも必ずひとつはあるが、ここは特に粉だらけだった。]


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by butterfly-life | 2012-11-01 11:20 | インド色を探して