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インドの牛を去勢する方法
■ インド旅行記2012(23) 去勢牛の怒り バックナンバーはこちら ■

 カルナータカ州中部のハヴェリ県では、一頭の牛が5人の男たちによって力ずくで地面に押さえつけられている場面に出くわした。



 最初は牛が出産しているのかと思った。男たちが牛の下腹部から何かを引っぱり出しているように見えたからだ。でも近づいてよく見てみると、出産とは正反対のことだとわかった。彼らは雄牛を去勢していたのである。

 男たちは牛の陰嚢を引っ張り出し、その根本に鉄の棒を押し当ててから、ハンマーのようなものでゴツゴツと叩いていた。こうやって睾丸と陰茎とを結んでいる精管を切断しているのだ。



 雄牛の去勢は、文字通り「勢いをとり去る」ために行われる。去勢していないオスは気性が荒く、人の命令に反抗することも多いので、使役用におとなしくさせるためには、去勢処置が不可欠なのだ。

 それにしても実に荒っぽいやり方である。牛は何かを訴えるように目をむき、ハァハァと荒い息を吐き出しながら、四本の足をバタバタと動かしている。もちろん麻酔などしていないから、さぞかし痛いことだろう。もし自分がこんな目に遭ったら、と想像しただけで下半身が縮み上がってしまった。



 去勢手術は5分ほどで完了した。事が終わった後には、ターメリックとヨーグルトを混ぜた消毒薬を傷口に塗る。こうすれば傷の治りが早いのだという。

「気が立って危ないから、牛から離れていろよ」
 そう言われたので、牛から少し離れたところでカメラを構えることにした。ようやく束縛から解放され、自力で立ち上がった去勢牛は、地面を何度か蹴り、ブルルっと体を震わせた。怒るのも当然である。ひどい痛みにくわえて、(もしそんなものがあれば、の話だが)男としてのプライドもずたずたに傷つけられたはずだから。



 しかし牛は暴れなかった。立ち上がってしばらくは放心したようにその場に立ちつくしていたが、やがて何ごともなかったかのようにトコトコと歩き出し、広場に生えている雑草を食べ始めたのだった。つい数分前までの悪夢のような出来事なんてさっぱり忘れてしまったかのように。

 切り替えが早いというか、単に鈍感なだけなのか。
 しかしこれぐらいタフでないと、去勢牛として生きていくことなんてできないのだろう。


 フブリという町の旧市街は、とても奇妙な壊れ方をしていた。表通りに沿って建ち並ぶ家の玄関口だけが、すべて同じように破壊されていたのだ。壊れているのは道路に面した壁だけで、部屋の中はそのまま残されているので、机や椅子やミシンなんかが外から丸見えの状態なのである。女の子が遊ぶドールハウスがずらっと横一列に並んでいるような、実に不思議な光景だった。


[道路に面した壁だけが破壊された家]

 仕立屋を営んでいるビジェイさんに事情を聞くことができた。彼によれば、この一連の破壊は道路の拡張工事のために政府が行ったことだという。古い道路の道幅が狭すぎて交通が滞っていたので、新しく広い道を作ることになったのだが、その計画ラインに引っかかった建物はすべて強制的に取り除かれることになってしまったのだ。

 2週間前にショベルカーがやってきて、ケーキの一部をフォークで掬うみたいに、ビジェイさんの家の壁を玄関から1メートルほどざっくりと削り取っていった。インドの家はほとんどがレンガ作りなので、こうした器用な壊し方ができるのだろう。




[壊れた家の中でアイロン屋を営む男もいた。]

「政府がやると決めたことに反対なんてできないよ。俺たちは黙って見ているだけだ。これから壊れた壁を新しく作り直して、また元の生活を始めることになる。ずいぶん狭い家になってしまったがね」

 政府からはこの再開発に伴う補償金が支給されたが、家の修理費をまかなえるような額ではないという。ビジェイさんの場合には、この破壊によって仕立屋の仕事も休まざるを得なくなったので、損害はさらに大きくなる。それでも「政府に文句を言ってもしょうがない」と半ば諦めているようだった。



 こうした荒っぽい手法の再開発は、フブリに限ったことではなく、インド各地で行われていた。インドも中国を追いかけるように高度経済成長期に入り、古い町並みを破壊して、より効率的な町づくりを進めようとしているのだ。スクラップ&ビルドの時代はまだ始まったばかりなのである。


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by butterfly-life | 2012-12-27 10:47 | インド色を探して
インド人が道で血を吐いている!
■ インド旅行記2012(22) 旅人の血が騒ぐ土地  バックナンバーはこちら ■

 旅人の血が妙に騒ぐ土地がある。
 あ、これは何か面白いことが起こりそうだな、という予感が頭をよぎる瞬間がある。



 ケララ州から山を越えてカルナータカ州南部に入ったときにも、何かが起こりそうな胸騒ぎを感じた。空気の乾き具合や埃っぽい匂いの中に、直感に訴えかける何かが含まれていたのだ。

 そう、こっちでいいんだ。このまままっすぐに進め。
 僕は皮膚感覚を通して伝わるメッセージに従ってバイクを進めた。

 道は悪かった。悲劇的と言ってもいいほどの悪路だった。舗装はボロボロにはがれ、砂埃がもうもうと舞い上がる田舎道。交通量は少ないのだが、あまりにも道が悪いので、時速30キロ出すのが精一杯だった。それでも気分は高揚していた。前のめりの気持ちで、ピンと背筋を伸ばして、あたりを見渡しながらバイクを走らせていた。

 道が悪ければ悪いほど、いい出会いが待っている。
 それはインドのみならずアジアのどの国にもあてはまる経験則だった。
 案の定、悪路の先に待っていたのは魅力的な光景だった。(もちろん「少なくとも僕にとっては」というカッコ付きだけど)

 まず最初に出会ったのが、ビンロウの実をむく女たちだった。ヤシ科の植物であるビンロウの実の皮をむき、中から白い種子を取り出して、それを赤い液体と一緒に煮込んでから、天日で乾かすのだ。


[ビンロウの実の皮をむく女たち]

 この乾燥ビンロウに各種のスパイスと石灰などを混ぜ、キンマの葉っぱで包んだものが、インドの伝統的嗜好品「パーン」である。

 パーンを口に入れてくちゃくちゃと噛んでいると、スパイスと唾液が混ざって化学反応が起き、真っ赤な汁が出てくる。パーン愛好者はこの赤い汁を飲み込まずにぴゅっと地面に吐き出すので、インドの道には赤い唾液のあとが点々と残っているのである。事情を知らない人が「インド人は道で血を吐いている!」と勘違いするのも無理はない。




[ビンロウの実を素早い手つきでむいていく]


[ビンロウの種子(ビンロウジ)はこんな色]


[ビンロウジを赤い液体と一緒に煮込む]



 パーンにはタバコと同じように中枢神経を刺激する作用と依存性があって、これを一日中くちゃくちゃと噛みながら、赤い唾をぴゅっぴゅっと吐き続けている人もいる。「パーンは消化を助けるから健康に良いんだ」と言う人もいるのだが、何十年もパーンを噛み続けた人の赤黒く染まった歯を見ていると、とてもそんな風には思えなかった。何ごともやり過ぎはよくないということだろう。

 この村の女たちはとても陽気で親しかった。僕がカメラをさげて歩いていると「アタシを撮ってよ」とか「この子撮ってちょうだいよ」などと声を掛けてくるのだ。そして僕が撮った写真をデジカメのモニターで見せてあげると、
「スーパー!」
 と言って、親指と人差し指を丸めて「OK」のサインを作るのである。何が「スーパー!」なのかよくわからないのだが、たぶん「いいね!」という意味なのだろう。

 チャイとビスケットをご馳走してくれた20歳のアンジュは、まだ9ヶ月の娘を抱えた若い母親だった。このあたりでは女性が10代で結婚するのは珍しいことではないらしい。早婚多産がこの村の習わしなのかと思って、
「子供は何人欲しいの?」と訊ねてみると、
「一人でいいの」という意外な答えが返ってきた。


[20歳のアンジュ]



 彼女は農家の長男のお嫁さんなのだが、どうしても跡取り息子が必要とされているわけではないらしい。娘一人でも全然かまわないという。若い世代には、そういう考え方が急速に広まっているようだ。「男子を産むために次から次に子供を作る」という伝統的な慣習は、すでに過去のものになりつつあるのかもしれない。都会に住む人だけでなく、このような田舎の村においても。


 カルナータカ州では数多くの「はたらきもの」たちの姿を写真に撮ることができた。

 ラニベンヌルという町の近くでは、女たちが黙々とトマトの受粉作業をしていた。ピンセットを使ってつぼみを開き、おしべとめしべをくっつけていた(あまりにも細かすぎて、何をしているのかはっきりとはわからなかったのだが)。







 綿花の収穫作業もあちこちで行われていた。人々はたすき掛けにした大きな布の中に、摘み取った綿花をぽいぽいと入れていた。







 トウモロコシの脱穀は豪快な男の仕事場だった。収穫したトウモロコシの穂を専用の機械に投げ込むと、たちどころに黄色い粒とその他の部分とにより分けられるのだ。

 脱穀されたトウモロコシはそのまま袋詰めされてトラックに積み込まれるのだが、一袋100キロもある重い袋をたった一人で背負って運ぶ男たちは、日々の労働で鍛え上げられた本物の筋肉の持ち主だった。


[脱穀したトウモロコシを袋に詰める]


[トウモロコシの皮が、まるで雪のように空を舞う]






[トウモロコシを満載したトラクターがウィリーしないように、ボンネットにしがみついて「重り」になる男たち。見事、坂を登り切ると「キャッホー!」という嬌声が上がった。]


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by butterfly-life | 2012-12-20 12:00 | インド色を探して
ソーラーパワーで走るリキシャを開発したインドの老人
■ インド旅行記2012(15) 太陽光で走るリキシャ バックナンバーはこちら ■

 その不思議な形をした三輪車は、チャッティスガル州ジャグダルプールにある市場の片隅に止まっていた。買い物用の三輪自転車の上にメタリックな青い屋根が取り付けてあるのだが、その屋根がどこからどう見てもソーラーパネルだったのである。



 太陽光で走るリキシャ?
 そんなものが存在するなんて聞いたこともなかったし、もちろん見たこともなかった。

 僕が腕組みをしてこの奇妙な三輪車を観察していると、杖をついた老人がゆっくりと近づいてきた。
「この車に興味があるのかい?」
 老人は流ちょうとは言えないまでも、なんとか理解できる英語を話してくれた。
「ええ、こんなものを見たのは初めてですから。これはあなたの車なんですか?」
「そうだよ」と老人は頷いた。「2年前に私が自分で設計して作らせたものだ。とてもユニークだろう?」
「この屋根はソーラーパネルなんですね?」
「そうだ。これは太陽光を使って走るリキシャだ。ソーラーカーのアイデア自体は、アメリカのテレビ番組からヒントを得たんだ。原理はとても簡単だ。私は電気技師だから、技術的にも実現可能だとわかっていた。問題はお金だった。ソーラーパネルはとても高価なんだ。1枚1万5000ルピーもする。それを3枚使っているから、パネルだけで4万5000ルピーもかかってしまった。バッテリーやモーターなんかを合わせると6万ルピー(9万円)もしたんだ」

「それは高いですね」と僕は言った。
 インドではバイクが4、5万ルピーで買えるから、それよりも高価な乗り物だということになる。
「そんなに高価なのに、なぜソーラーパワーを使おうと思ったんですか?」
「ガソリンを使いたくなかったからだよ。ガソリンエンジンは空気を汚すし、燃料費もかかるし、騒音もうるさい。空から降り注ぐ太陽光ならタダで使えるし、空気も汚さない。こんなに素晴らしいものはないじゃないか」



 74歳のサラン・ドゥベイさんがソーラーリキシャの製作に取り組み始めたのは、交通事故で片足を失ったことがきっかけだった。バイクの運転中にトラックと衝突し、右足の付け根から下を切断するという大怪我を負ってしまったのだ。一人で歩くのが難しくなったサランさんは、そんな自分でも簡単に運転できる乗り物はないかと探すうちに、このソーラーリキシャのアイデアを思いついたのだった。
「必要は発明の母だよ」とサランさんは言った。「もし事故に遭って片足を失わなければ、こんなことは考えもしなかっただろう」



 ソーラーリキシャの製作でもっとも優先されたのはコストだった。サランさんは電気部品を売る店を経営してはいるが、決してお金持ちではなかった。だからなるべく安く作る必要があったのだ。そのためにソーラーパネル以外の部品は他の機械の中古品で間に合わせることにした。バッテリーは自動車用の鉛電池だし、フレームやブレーキや車輪も古い自転車から流用した。


[モーターはホイールの中に収められている。]


[バッテリーを入れるケース]

「確かに美しくはないね」とサランさんは笑った。「はっきり言って醜い。それがこの車の欠点だってことは私にもわかっているよ。しかし一番大切なのは、この車がちゃんと走るってことさ」

 サランさんの言うとおり、ソーラーリキシャは決して洗練された乗り物ではない。中古品を寄せ集めただけで、デザイン性なんてものは一切考慮されていないからだ。「ソーラーカー」という言葉から連想される未来的でハイテクなイメージとは正反対の、チープかつ手作り感あふれる機械なのである。


[ハンドルも手作り感たっぷりだ]

 しかし実用性は十分にあるのだとサランさんは胸を張る。彼はこの車で毎日10キロほどの距離を走り続けているのだが、この2年間一度も大きなトラブルには見舞われていないという。

 最高時速は15キロと自転車並みだが、特に急ぐ用事があるわけではないので、不便には感じていないという。フル充電で走行できるのは25キロ。晴天の日は外に駐車している間に充電できるし、曇りや雨の日には家庭用プラグから充電することも可能だ。さしずめ「プラグイン・ハイブリッド・ソーラーリキシャ」といったところか。

 サランさんはもともと科学少年だった。実験器具を集めてきて電池を作ったり、メタンガスで動くエンジンを作ったりした。高校でもエンジニアリングを学び、卒業した後は電気部品を売る店を始めた。サランさん自身も修理技師として顧客を回ったおかげで、商売は順調に軌道に乗った。今は二人の息子が店の経営を引き継いでいる。


[チャイを飲みながら話をしてくれたサランさん]

「私は毎朝必ずヨガをするんだ。この習慣は片足がなくなってからも欠かしていない。この車も毎日のメンテナンスが欠かせないが、自分の体も同じだよ」
 その言葉通りサランさんは活力に満ちていて、片足を失った74歳の老人とはとても思えなかった。交通事故はショッキングな出来事だったが、いつまでもそれを悔やんでいても仕方がない。なんとかして自分の「足」を作り出さなければいけない。その思いがソーラーリキシャを誕生させたのだ。

 サランさんはいつものようにソーラーリキシャを運転して自宅に帰っていった。ソーラーリキシャはおそろしく静かに発進して、ゆっくりと加速していった。まったく無音のまま、まるで氷の上を滑るように町を走り抜けていく。



 ジャグダルプールのような小さな町でも、メインストリートの交通量はかなりのもので、バイクのエンジン音やトラックのクラクションノイズが昼夜を問わず町を満たしていた。この騒音の海の中を、しずしずと進んでいくソーラーリキシャの後ろ姿は、なんだかとても痛快でカッコ良かった。外見は無骨そのものだが、ひときわクールな存在感を放っていた。

「今から30年後には、こんな車が当たり前になっているかもしれないね」とサランさんは楽しそうに言った。「みんなが電気自動車や電動スクーターに乗るようになったら、インドの町は静けさを取り戻すだろう。それはとても素晴らしいことだと思う。私がそれをこの目で見ることはないだろうが、そんな未来を考えただけで楽しくなるんだよ」


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by butterfly-life | 2012-12-14 10:56 | インド色を探して
世界一安い自動車「タタ・ナノ」に乗る
■ インド旅行記2012(13) 世界一安い自動車「タタ・ナノ」に乗る バックナンバーはこちら ■

 何十頭もの牛の群れが、一直線に伸びたハイウェーをゆっくりと横断していく。猛スピードで走ってきた大型トラックも、この群れの前にはスピードを緩めるしかない。ドライバーはいまいましそうに何度もクラクションを鳴らすが、牛たちはまったく動じない。「我が物顔」ってのはこんな顔だ、とでも言わんばかりの表情で悠々と歩いていく。



 このような光景は、インドの田舎ではごくありふれたものである。インドの道路は自動車やバイクだけのものではないのだ。草原では牛が、山岳地帯では山羊が、砂漠ではラクダが、それぞれのんびりと道を行き交っている。それが当たり前なのだ。





 動物のペースに合わせて人が生活している。それがインドの伝統的な暮らしだった。物を運ぶ役割を担っていたのも、牛車やラクダ車や人が漕ぐサイクルリキシャだった。まさにスローライフである。
 マハトマ・ガンディーもこう言っている。
「よいものはカタツムリのように進むのです」



 そんなインドでも、近年な経済成長とともに、人やものの流れが急激にスピードアップしている。高速道路網の整備が進み、トラックやバスの台数も急増し、自家用車を持つ人も増えてきたのである。


 一昔前まで、インドを走る四輪車は大半は「アンバサダー」という車で占められていた。アンバサダーはコルカタに本社があるヒンドゥスタン・モーターズというメーカーが製造している自動車で、1954年から現在に至るまで、なんと半世紀以上もデザインを変えずに作り続けられているという超ロングセラーである。


[ずらりと並んだアンバサダー]

 4,5年ごとにモデルチェンジを繰り返す日本車のあり方からすれば驚くべき不変性だが、これはインドが長らく国内産業を保護するために外国製品の輸入を制限してきたことが原因だろう。競争相手がいないのだから、ひたすら同じものを作り続けていても消費者から文句を言われることがなかったのだ。インドには「生きた化石」が生き残れる環境が用意されていたのである。

「アンバサダーはメイド・イン・インディアだからね。俺たちの車なんだ」
 そう言って胸を反らしたのは、コヴィルパッティという町で出会ったタクシードライバーだった。彼が乗っているのは2001年製の白いアンバサダーだ。見た目はとても古めかしいのだが、まだ10歳の「若者」なのである。


[白いアンバサダーがご自慢の運転手]

 しかしこのアンバサダー、燃費はリッター15キロとさほど良くないし、新車の値段が50万ルピー(75万円)ほどと、エアコンもパワステもATもない車にしては決して安くないのである。これならマルチ・スズキの小型車の方がずっと優れているのではないか。なぜ、彼はこのアンバサダーにこだわるのだろう?

「俺はこの形が好きなんだ」と運転手は言う。「丸くて、重量感があって、上品だ。新しい車にはないデザインだよ。それにアンバサダーはとても強い車なんだ。壊れてもすぐに直せる」


[アンバサダーのお膝元であるコルカタでは、黄色く塗られたアンバサダー・タクシーが今でも街を席巻している。]


[あんまり性能は良くなくても、とにかく丈夫で長持ちするのがアンバサダーの良い所。塗装が剥がれてきたら塗り直せばいいのだ。]



 たとえ壊れてもすぐに直せるというのは、自転車やバイクにも通じる発想である。インドの道はとても悪いし、夏には40度を超える日が続くし、雨季にはすさまじい雨が降る。この過酷な環境の中、車が故障するのは避けられないのだろう。でも、歴史あるアンバサダーならどこにでも交換部品があって、すぐに修理してくれる。それがプロの運転手に支持されている理由なのだ。


 「生きた化石」アンバサダーに代わって、インドの新しい大衆車となるべく名乗りを上げたのが、タタ自動車が発売した小型車「ナノ」である。タタ・ナノの特徴はなんといっても安さだ。2008年に発表されたとき、10万ルピー(当時の為替レートで28万円)で買える四輪車として世界に衝撃を与えたのは記憶に新しい。


[非常にコンパクトなナノ]

 インドの庶民にも手が届く自動車を作ろう、というコンセプトの元に開発されたナノだったが、発表直後から様々な困難に見舞われて、順調なスタートは切れなかった。世界的な鉄鋼材の高騰によって製造コストが大幅に高くなったり、工場用地の買収を巡って地元農民との衝突が起き、新工場の建設が大幅に遅れたりした。

 しかし発売から4年近く経った2012年初頭、タタ・ナノは当初のつまずきから立ち直って、順調な売れ行きを示していた。町であの超小型ボディーを見かけることも多くなり、ナノを扱うディーラーも増えつつあった。

 アンドラプラデシュ州カンマンにある販売店では、ナノに試乗することができた(といっても運転席に座っただけだったが)。ハンドルを握ってみた感想は「安っぽいけど、そんなに悪くはないな」というものだった。内装は確かにプラスチッキーでペラペラなんだけど、想像していたよりはずっとまともな作りだったのである。これなら間違いなく売れるだろうと思った。


[タタ・ナノに試乗してみた]

 僕が試乗したのは第2世代モデルの「ナノCX」で、価格は22万ルピー(33万円)だった。さすがに10万ルピーの実現は無理だったようだが、それでも驚異的な安さである。「初代ナノに比べると内装が一新され、エアコンも付いているからお買い得ですよ」とはセールスマンのラジュ氏の弁。
 
 カタログのスペックでは、燃費はリッター25キロで、2気筒624ccのエンジンは出力38馬力、最高時速は105キロとのこと。ボディーカラーも10色用意しているという。

「月に5,6台のペースで売れています」
 ラジュ氏は仏頂面で言った。たとえセールスマンでも見知らぬ客に対してはなかなか笑顔を見せないところが、なんともインドらしい。機嫌が悪いわけではない。聞かれたことには丁寧に答えてくれる。しかしとにかく無表情なのだ。インドでは「接客サービスは笑顔から」という日本の常識は通用しないのである。

「故障はしませんか?」
 と僕が訊ねると、ラジュ氏はわずかに顔をしかめて言った。
「ノープロブレムですよ。お客さんも満足しています。インドの道路は悪いですが、ナノのサスペンションは柔らかいので、乗り心地もいいですよ」

 今のところインドの四輪車市場でシェアトップを独走しているのは、スズキの現地法人である「マルチ・スズキ」だが、その立場も確固たるものではない。なにしろ新車が33万円で買えてしまうのである。強力なライバル出現で、今後も競争がもっと激しくなることだろう。

 車なんて走りゃいい、と考えている僕のような人間には、インドの現状が少し羨ましくもあった。


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by butterfly-life | 2012-12-10 11:42 | インド色を探して
インド美人に出会うには
■ インド旅行記2012(7) 占いババが出した答え  バックナンバーはこちら ■

 オリッサ州とチャッティスガル州との州境では、昔ながらの暮らしを送る少数部族(アディヴァシ)の村をいくつも訪ねながら旅を続けた。牛糞のにおいがやわらかく漂う集落には、独特のヘアスタイルで髪をまとめたり、顔に入れ墨を施したりしている人々が静かに暮らしていた。

 村の井戸で水くみをしていた若い女性が、特に印象に残っている。彼女は頭の上に金属製の水瓶を載せ、少しはにかんだ表情でこちらを見つめてくれた。そのつややかな褐色の肌と鮮やかなスカイブルーのサリーとの組み合わせが絶妙だった。その場を支配する光のニュアンスも完璧だった。



 こんな美しい人にいつどこで出会えるかは全くわからない。だから旅は面白い。素敵な偶然に巡り会うためには、とにかく歩き続けるしかないのだ。

 バスタール近郊を走っているときに出会ったのは、色とりどりの布が風に舞う光景だった。お祭りでも開かれているのかと思って近づいてみたのだが、実は女たちが洗濯したサリーを風にさらして乾かしているところだったのである。







 僕は急いでバイクを降りて、女たちと笑顔をかわしながらシャッターを切った。少数部族の女性はシャイな人が多いのだが、このときはたくさんの女が一堂に会していたからなのか、僕がカメラを向けても誰も顔を背けたりしなかった。

 それは彼女たちにとって、ごくありふれた日常のひとコマに違いなかった。しかし部外者の僕にとっては、かけがえのない美しい光景に感じられた。


 オリッサ州ジャイプール近郊にある小さな村で「占いババ」に出会った。「ババ」とは「父」を意味する言葉で、尊敬すべき男性を呼ぶときに使う敬称である。その占いババは付近の村からも相談者が訪れ、いつも的確な答えを出してくれることで知られた地元の有名人なのだそうだ。

 ババに寄せられる相談は多岐にわたる。精神的なものだけではなく、病気や犯罪に関することや、家庭の問題にも答えてくれるという。恋愛や人間関係の悩みに特化した日本の占い師よりは、はるかに守備範囲が広いようだ。

 僕が訪れたときにも、一人の男が「自転車泥棒の犯人を教えてください」という相談を持ちかけていた。
「それはババじゃなく、警察に相談するべきことではないか?」
 と思ってしまったのだが、それは僕が信頼できる警察組織を持つ日本という国から来た人間だからなのだろう。ここでは警察よりも神様や占い師の方がはるかに頼りになるのだ。


[ババは米粒を数えて占う]

 ババは小刻みに頷きながら事情を聞くと、お盆の上に盛ったお米を相談者に握らせた。そして、そのお米の数を指でかぞえはじめた。それが神様の導き出した答えになるのだという。
「あと一週間待ちなさい。そうすれば犯人が見つかるだろう」
 ババは低くしわがれた声で言った。まず穏当な答えである。小さな村のことだから、一週間も待てば自転車泥棒が見つかる可能性は高い。泥棒が見つからなくても、自転車だけ見つかるということも十分にありうる。

 男は納得した様子で、両手を顔の前で合わせ、10ルピー札をお布施として渡した。しかし一週間待っても犯人が見つからなかったときにはどうするのだろうか?


[大切な自転車を盗むのはいけませんね]

 やがて僕の順番が回ってきたので、この旅が無事に終えられるかどうかをババに占ってもらうことにした。
 ババは僕にも米粒を握らせ、その数をかぞえた。
「あなたは事故には遭わない」とババは重々しく言った。「無事に旅を終えるだろう。神様はそう言っておられる」
 そしてババはココナッツをひとつ割り、中の水を手のひらに受け取って飲むように指示した。ココナッツジュースはいつものようにほんのりと甘かった。
「これであなたの旅の無事は約束された。インドの神々が守ってくださるだろう」
 それは外国人に対するリップサービスなのかもしれないが、悪い予言をされるよりはずっとマシだった。もちろん、この予言の当否がはっきりするのは、まだ何ヶ月も先のことである。


 旅行者があまり立ち入らないような辺鄙な場所を移動していることが多いからか、旅の途中で外国人旅行者とすれ違うことは滅多になかった。だからコラプットという取りたてて何もない町で、欧米人の二人組を見かけたときには、思わずこちらから声を掛けてしまった。

 そのスペイン人夫婦は、自転車に乗って南インドを旅していた。ハイダラバードから東に向けて2週間以上も自転車を漕ぎ続けてきたという。インドを自転車で旅する外国人は珍しいので、地元の新聞記者やテレビニュースの取材も受けたそうだ。


[スペイン人のチャリダー、クリスティーナとロバート]

「なぜ自転車で旅しているの?」
 僕がそう訊ねると、二人は顔を見合わせて「いつもそれを聞かれるんだよ」と笑った。
「自転車が好きだからって答えるしかないわね」と奥さんのクリスティーナは言った。「そんなに大げさな旅じゃないのよ。二人揃って一ヶ月の休暇がもらえたから、インドを自転車で旅行してみようと思っただけ」

 彼らはこの旅を心から楽しんでいるようだった。田舎に住むインド人はとても親切だし、外国人を騙そうとする人もいない。親切な人のお宅に泊めてもらったこともあった。
「でも、このバンピーな道はほんとに大変だったね」と夫のロバートは顔をしかめた。「お尻の皮はむけるし、歯を食いしばりすぎてアゴが痛くなったほどだよ」
 ロバートはパットの入ったお尻をポンポンと叩いてから、大げさに痛がってみせた。一日8時間も自転車を漕ぎ続けていれば、尻の皮だって悲鳴を上げるに違いない。バイクに乗っている僕ですら、尻の痛みにはいつも悩まされているのだから。



「ところで、なぜ君はバイクで旅をしているんだい?」
 今度はロバートが僕に質問する番だった。
「特にバイクが好きってわけじゃないんだ。でも僕の旅の目的には、こいつが一番合っていると思う」
「旅の目的っていうのは?」
「・・・ディスカバリー、かな」
 それはとっさに出た言葉で、あまり深い意味はなかった。でもいったん口に出してしまうと、意外なほど説得力を持つ言葉として僕の耳に届いた。



 ディスカバリー。
 そう、僕は新しいインドを発見するために旅をしている。インドという国に驚かされることを求めて、バイクを走らせているのだ。

 インドを発見する旅はまた、自分自身を「ディスカバー」する旅でもあった。自分を覆っているカバーをひっぺがして、目から鱗をぼろぼろと落として、自分を縛っている偏見や常識から自由になる。そのために僕は見ず知らずの土地を旅しているのだ。



 インドを旅するのはもう5度目だから、見るものすべてに目を見開いて驚くということはない。次の展開が予想できるような場面も増えた。

 それでもまだ、インドは僕にとって新鮮な国だった。旧市街を包むスパイスの香りや、道路を埋め尽くす牛の群や、クラクションの音量を競い合う車の列や、女たちが着こなしている服装の鮮やかさには、本当に何度でも驚いてしまう。



 インドには新しい発見の余地がたくさん残されている。誰かに開けられるのを待っている宝箱があちこちに隠されている。僕はいつもそう感じている。

 僕はまだインドに慣れてはいない。まだ旅に飽きてはいない。
 もしかしたらそのことが、この旅における最大の「発見」だったのかもしれない。


[一本の木だけを残して周りの土を全部掘ったあと。つまり「リアル山崩し」である。目的はよくわからないのだが、木を倒さないように掘るのはかなり難しいと思う]


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by butterfly-life | 2012-12-05 14:20 | インド色を探して