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砂漠のラクダは泡を吹く
■ インド旅行記2012(36) 砂漠のラクダは泡を吹く バックナンバーはこちら ■

 砂漠は静かだった。

 聞こえてくるのは、砂塵を巻き上げながら吹き渡るヒューヒューという風の音だけだ。砂漠を貫く州道は分不相応なほどきれいに整備されてはいるのだが、通る車はほとんどない。茫漠とした空白がどこまでも続いている。風の音は仲間を求めて呼び合う孤独な魂の声のように聞こえた。


[タール砂漠をバイクで走る]

 パキスタンとの国境にほど近いタール砂漠は、さらさらの砂地と風紋が織りなす絵葉書的な砂漠とはかなり趣が違う。むき出しの砂地だけではなく、マリモのような丸っこい灌木が生えている場所も多いのだ。ここは完全なる不毛の大地ではなく、植物も動物も細々と存在する土地だ。だから放牧生活を送る人々もなんとか暮らしていけるのである。



 ラクダと羊を飼っている小さな集落に立ち寄った。一家の父親が、井戸から汲み上げた水で羊の毛をゴシゴシと洗っていた。その横でアシナとヴァナという二人の女の子がラクダに「お座り」をさせていた。さすがはラクダの民の子供。自分たちの体の何倍もあるラクダを意のままに操れることができるのだ。


[ラクダの民の子供アシナとヴァナ]


[ラクダを「お座り」させる二人]

 アシナとヴァナはレンガを円柱形に積み上げた家に住んでいた。藁葺きの屋根はとんがり帽子のかたち。「三匹の子ぶた」の絵本に出てきそうな感じのかわいらしい家だ。

 一家の暮らしはとてもシンプルだった。男たちがラクダや羊を灌木が生い茂る所に連れて行くあいだ、女たちは水を汲んだり、薪を運んだり、炊事をしたりしている。家の中にも入れてもらったが、見事なぐらい何もなかった。家財道具と呼べるのは、炊事に使うかまどや鍋などの調理器具だけだった。



 このあたりは冬場の最低気温がマイナス4度にもなり、暑季の最高気温は50度にも達するという。一年を通して寒暖の差が激しく、雨はほとんど降らないから、農耕には向いていない。人々は砂漠の灌木でラクダや羊を育てて、それを市場で売ることによって何とか生計を立てているという。

 厳しい土地だ。
 しかしそれでも生きている。
 人々はその土地にあったやり方を見つけて、しぶとく、たくましく生き抜いているのだった。


[トゲだらけの灌木の葉を器用に食べるラクダ]

 体内にたっぷりと水を蓄えることができるうえに、自分の体温を上下させられるラクダは、「砂漠の船」と呼ばれるほど乾燥と暑さに適応した動物である。ラクダはロバよりはるかに多くの荷物を運べるし、牛車が行けない砂地にも入ることができる。自分でエサを見つけることだってできるし、2週間から5週間も水を飲まずにいられるという。こうして人に飼い慣らされたラクダは、帆船よりも有利な輸送手段として、アラビア世界とインドとを結ぶ交易に多大な貢献をしたのだった。







 かつて砂漠を行くキャラバン隊が担っていた役割は、すでに大型トラックに取って代わられてはいるが、それでもタール砂漠周辺の町では、今でもラクダを有能な使役動物として使っている。

 ラジャスタン州北部のレンガ工場でも、ラクダが活躍していた。日干しレンガを炉まで運んだり、完成したレンガを運び出したりする役目を、ラクダ車が担っているのだ。他の地域では牛車やトラクターを使うところだが、ラクダの方が多くのレンガを運べるし、水をやる回数も少ないので、より効率的なのだという。









 ラクダの素顔は意外にユーモラスだった。比較的無表情に見える牛や羊などに比べると、喜怒哀楽がはっきりと顔に表れるのだ。眠っているのを起こされると、あからさまに不機嫌な顔をして大あくびをする。腹が減ると巨大な舌をベローンとたらして空腹を訴えるし、食事が終わって満足すると、歯をむき出しにしてシーハーシーハーと笑ったりするのだ。

 飼い主がラクダの顔にタバコの煙を吹きかけてみせたことがあった。ラクダはタバコの煙に弱いらしく、そのにおいを嗅いだ途端、「グブッグブッ」というため息を漏らして口から白い泡を吹きながら、その場にヘナヘナと座り込んでしまったのだった。



 ラクダは「絵になる」動物でもあった。
 頭のてっぺんが地上3m近くに達する巨体もインパクト大だが、自由自在に曲げることができる長い首も他の家畜にはない重要なアクセントになっていた。ラクダは体を前に向けたまま首だけを真後ろに向けることもできるし、そのまま首をぐいっと下にさげて、自分のお乳を飲むことだってできるのだ。

 長い首をグイッと伸ばし、つぶらな瞳で遠くを見つめながらゆったりと歩くラクダは、砂漠の風景にあまりにもよく馴染んでいた。


[ラクダの首はこんな風に自由自在に曲がる]


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by butterfly-life | 2013-02-26 10:10 | インド色を探して
インド人は見た目が9割?
■ インド旅行記2012(35) インド人は見た目が9割? バックナンバーはこちら ■

 インド人は見た目と中身がかなりの確率で一致する。ぱっと見がインテリっぽい人はやはりインテリだし、金持ちそうに見える人は実際に金持ちなのだ。農民は農民らしい服装だし、スラム街に住んでいる人はやはり粗末な格好をしている。インドには「金持ちだけどカジュアルな服を好む人」や「見た目だけはパリッとしているのに実は貧乏な人」はまずいないのである。

 この「インド人は見た目が9割」的なわかりやすさは、旅人にはありがたいことだった。何かトラブルが起きたりして、英語が話せる人を探さなければいけないようなときにも、メガネをかけたインテリっぽい若者や、恰幅のよいスーツ姿のビジネスマンといった「いかにも英語が話せそうな人」に声を掛ければよかったのである。



 別の言い方をすれば、インドという国は日本以上に外見が重要だということ。まず外見ありき。自分の立場にふさわしい格好をしていなければ、他人に軽んじられてしまう社会なのだ。だからインド人のファッションは、自分が属している階級を外に向けて発信することを最大の目的にしている。





 インド人が見た目を重視しているのは、町の商店街の多くが服飾店やジュエリーショップや靴屋などで占められていることからもよくわかる。家電販売店や携帯電話ショップも増えてきてはいるが、いまだに圧倒的に数が多いのはファッション関係の店なのである。





 もちろん日本社会にも「ふさわしい格好をするべきだ」という無言の圧力はあるけれど、インドに比べるとそのプレッシャーははるかに弱い。そぐわない格好をしていても、それだけで社会からつまはじきにされるようなことはない。日本における外見の差は、経済的な格差よりも「趣味」や「世代」による差の方がはるかに大きい。そしてそのことは、日本社会の「平等化」と「大衆化」がどれほど進んでいるかを端的に示している。




 インドでの宿探しも、ポイントはやはり見た目だった。第一印象を頼りに即決するのが基本。インドでは「宿も見た目が9割」なのである。

 まず注目すべきは宿のロケーションだ。これはできるだけ静かな場所がいい。交通量の多い通りに面していると、車のエンジン音やクラクションノイズによって安眠を妨げられることになるからだ。しかし安宿というのはたいてい人が集まる繁華街に建てられているから、この条件を満たすのはなかなか難しい。


[町の中心は騒々しいので避けた方がいいのだが…]

 しかし表通りに面したうるさそうな宿でも、諦めずにアタックしてみる価値はある。「ウナギの寝床」式に奥行きのある建物なら、奥の静かな部屋を確保できるかもしれないからだ。


[安宿のトイレの基本は和式(インド式)だが、この宿はなぜか洋式とインド式がどちらも揃えてあった。まさか二人同時にするってわけじゃないだろうが。]

 次に注目するのはレセプションだ。これが立派すぎるところはなるべく避けたい。カウンターが大理石だったり、天井からシャンデリアがぶら下がっているようなところは中級以上の宿なので、僕にとっては予算外なのだ。値段を聞く前に(確実に1000ルピー以上を提示される)退散した方が無難だろう。

 僕が狙い目にしていたのは、比較的新しいビジネスホテルだった。無駄なところにお金はかけていないが、部屋は新しく、必要最低限のファシリティーを整えているところ。急速に経済発展を遂げて、中所得者層が増えているインドでは、こうした新しくて快適なホテルがそれこそ雨後の竹の子のように増殖しているのだ。


[これはかなりいい感じの宿だ。ベッドも清潔で、掃除も行き届いている。]


[こちらもいくぶん暗い部屋だが悪くはない]


[新しいビジネスホテルの外観]

 ビジネスホテルで重視する必要がないのは、受付係の人柄である。たとえレセプションが無愛想でも気にしてはいけない。シビアに部屋の良し悪しだけを判断材料にしたい。インドの場合、従業員の愛想と部屋の質とのあいだには何の相関関係もないからだ。従業員がとてもにこやかで好感が持てるのに、部屋はろくに掃除もされていないし、備品は壊れまくっているということが実によくあるのだ。

 これはおそらくカースト制に関係したことなのだろう。分業意識の高いインドでは、受付係はあくまでも受け付け業務しか行わないし、掃除やベッドメイクをする人はそれだけしかやらない。だから宿のある面はとても優れているのに、それ以外はまったくダメということが起こりうるのだ。


「インドの宿に静けさを求めるのは、インドの列車に時刻表を守らせるのと同じぐらい難しい」
 ということわざがある・・・というのは嘘です。僕が今考えました。

 しかしまぁ実際のところ、インドの安宿で静けさを得るのは本当に難しい。実に様々な騒音が、あの手この手で静寂を打ち破ろうとするからだ。駅に近い宿なら列車の警笛が聞こえてくるし、映画館のそばにある宿なら映画のBGMや効果音が鳴り響いてくる。天井からぶら下がっているファンが半分壊れていて、ギィーギィーという不快な音を出し続けたこともあった。


[インドの安宿の多くは賑やかな場所にある]

 中にはまったく予想できない騒音もあった。たとえば古い手動開閉式のエレベーターの扉が開けっ放しになったときに鳴り響く「ビィー」という不快な警告音は、ボディーブローのようにじわじわと効いてくるタイプの苦痛だった。窓のひさしに巣を作っていたハトが「ホーホー」と鳴きはじめたせいで、夜明け前に起こされたこともあった。リアル鳩時計。誰もモーニングコールなんて頼んでいないのに・・・。

 マハラシュトラ州ブサワルに泊まったときには、夜9時になって突然はじまった政治集会によって、想像を絶する騒音を3時間にわたって浴びることになった。とにかく音がデカイ。デカすぎるのだ。巨大なスピーカーをフルボリュームにして、よくわからない演説や宗教音楽なんかを延々と流し続けるのだった。

 iPodを耳栓代わりにしてみても効果はなかった。スピーカーの重低音がホテルの壁を揺さぶり、ベッドを揺さぶり、そして体をも揺さぶるのだ。防ぎようのない音の波。あまりのうるささに集会の主催者に対して軽い殺意さえ覚えたほどである。まったくもう、インド人の「音不感症」にはただただ呆れるしかない。

 ラジャスタン州アブロードでは、夜中の1時を回ってから、廊下に大きな声が響きはじめた。どうやら隣の部屋の男たちが大声で議論しだしたらしい。大人数で泊まりにきたインド人は、部屋に熱気がこもらないために扉を開けっ放しにしているのだが、そのせいで話し声が筒抜けになっているのである。

 しばらく我慢した。真夜中なんだし、そのうちまた静かになるだろう。
 しかし、いつまで経っても議論は終わらなかった。それどころか、ますますヒートアップしていくのだった。ついに我慢の限界に達した僕は、立ち上がって部屋を出た。
「お前ら、うるせぇよ!」
 隣の部屋に入るなり、僕は大声で怒鳴った。5人のおっさんが輪になって座っていたのだが、全員が一斉に振り返って僕を凝視した。

「・・・・」
 誰も何も言わなかった。完全な沈黙。素性の知らない外国人がいきなり部屋に入ってきたのだから、彼らだってびっくりしたのだろう。
「あんたら、いま何時と思ってるんだよ?」
 僕はいくぶんトーンを落として言った。通じないかもしれないけど、一応英語で。

 すると一人の男が自分の腕時計を見て、こう答えたのだった。
「いま、1時30分だけど・・・」
 僕は全身の力が抜けていくのを感じた。おいおい、なにマジで答えてるんだよ。こんな時間にわざわざ隣の部屋に時刻を聞きに来るバカがどこにいるんだよ。もう勘弁してくれよぉ。

「そう、1時30分だ。寝る時間だ」と僕は力なく言った。「俺はあんたらの声がうるさくて眠れないんだ。いいかい、頼むから静かにしてくれ」
 結局、男たちは僕の言い分を理解してくれた。すまなかったな、と謝ってもくれた。まぁ話が通じてよかった。

 しかし部屋に戻ってからも、なかなか眠りにつくことができなかった。眠りを妨げるものはもう何もなかったのだが、怒りをぶちまけたせいで気持ちが高ぶって、目が覚めてしまったのだった。

 結局、夜が白々と明けてくるまで、眠気は訪れなかった。


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by butterfly-life | 2013-02-19 10:01 | インド色を探して
牛糞で焼かれたバティの味
■ インド旅行記2012(34) 牛糞で焼かれたバティの味 バックナンバーはこちら ■

 ラジャスタン州に入ってから、食べ物に苦労するようになった。南インドではごく当たり前にあった「安くてうまい」食堂がなかなか見つからず、反対に「高くてまずい」の店が幅をきかせるようになったのだ。どうやらインドでは、北に行けば行くほど食堂の質が落ちる傾向にあるようだ。


[動画]安食堂で昼食を食べる男たち

 ビーンマルという田舎町の食堂には「ダールバティ」というメニューしかなかった。オヤジが魂を込めた一品を出すこだわりの店・・・なのかと思いきや、これがまぁひどかった。小麦の全粒粉をピンポン球大に丸めて焼き固めたバディを、ジューサーを使って細かく砕き、それにダール(豆スープ)をかけて食べるというのが「ダールバティ」の正体だった。

 一度焼きしめたものを、なぜ再び細かく砕くのか意味がわからなかったし、水気がなくパサパサのバディには味がほとんどなかった。まるでおがくずを口の中に詰めているような感覚で、一口食べたら「もうけっこう」と言いたくなってしまった。郷土料理を貶めるつもりはないのだが、この店で食べた「ダールバティ」の味は、残念ながら家畜のエサに近いと言った方がいいと思う。


[これがダールバティ]

 パサパサのバティは飲み込むのにもひと苦労だったので、食はいっこうに進まなかった。それを見た主人はバディのうえからギー(精製バター)をかけてくれた。これによっていくらか食べやすくはなったが、味が大きく変わることはなかった。もともとまずいものは、何をどうしたってまずいのだ。

 しかも(これは後でわかったことだが)このバティを焼くための燃料として使われていたのが、牛糞だったのである。当然のことながら、バティの表面には牛糞の灰が付着するはずで、それが食べる人の口の中に入り込むのは避けられない。インド人にとって牛糞は汚いものではないし、まして乾いた牛糞なんて糞ですらないと思っているから平気なのだろうが、やはり日本人にとって牛糞は牛糞以外の何ものでもなく、それを積極的に口に入れたいとは思わなかった。


[バティは牛糞の燃料で焼かれていた]

 腹は減っていたのだが、皿の半分を食べるのが精一杯だったので、あとは残すことにして、主人に会計を頼んだ。90ルピーだった。
「ナインティ? ナインティーンじゃなくて?」
 何かの間違いじゃないかと思って聞き返してみると、主人は間違いなく90ルピーだと言う。

 信じられなかった。90ルピー(135円)というのは、小ぎれいなレストランで出される「パニール・ティッカ・マサラ(カッテージチーズのカレー風煮込み)」と同等の値段である。どう考えても高すぎる。場末の食堂のおがくずみたいな料理に付ける値段ではない。

 やられた。こいつは外国人からぼったくろうとしているんだ。冗談じゃない。こんなまずいものに90ルピーなんて払えるものか!

 僕と店主が代金を巡ってもめているあいだに、「まぁまぁお二人とも」と割って入ってくれたのは、英語が少し話せるビジネスマンだった。彼は店主から事情を聞き、90ルピーの内訳をすべて紙に書き出してくれた。

<バティ3個=30ルピー ギー3杯=30ルピー バターミルク=20ルピー せんべい=10ルピー 合計90ルピー>

 なるほど。この食堂は一皿がセット料金になっているターリーやミールスなどの定食とは違う料金システムを採っているわけか。サイドメニューやドリンクを追加すると、それが料金に加算される仕組みなのである。ぼったくり料金ではないかというのは、僕の誤解だったようだ。

 しかしそれでも90ルピーには納得できなかった。なるほどその値段は正しいのかもしれない。しかしギーとバターミルクとせんべいは、いずれも僕が頼んだわけでなく、店主が勝手に置いていったものなのだ。ギーなんか「店のサービスでござい」という顔をして、立て続けに3杯もかけやがったのだ。ちょっとやり方が汚いんじゃないの。


[これぐらいうまそうなターリーなら90ルピー出す価値はあるけれど…]

「あなたの気持ちはわかりますよ」
 通訳をしてくれたビジネスマンはいきり立つ僕をなだめるように言った。彼も地元の人間ではなかった。南インドのカルナータカ州から商用でやってきたのだという。
「私の故郷の町では、40ルピーも出せばうまい定食がお腹いっぱい食べられる。南インドでは当たり前のことです。でも、ラジャスタン州はそうではありません。腹を立ててはいけない。我々はそれを受け入れるしかないんです」


[市場で見かける野菜は新鮮そのものだったが、北インドの食堂の質は悪かった。]





 この「ダールバティ事件」以来、僕の食欲は目に見えて減退していった。何を食べてもおいしいと感じられなくなり、しまいにはマサラの匂いを嗅いだだけで反射的に胃がぎゅっと収縮するようになって、食堂に入ることすらためらうようになってしまったのだ。

 もともと食に対するこだわりが少なく、どんな土地のどんな料理でもおいしく食べられる僕にとって、これはあまり経験したことのない事態だった。旅の疲れが溜まっていたこともあるのだろう。北インドの脂っこい料理のせいで、胃がもたれていたのかもしれなかった。でも食欲不振に陥った最大の原因は、あのバティの悲劇的な味と、90ルピーを巡る店主との苦い思い出にあった。


[インドの安食堂は暗くて湿っぽいところが多い]

 結局、そのあと数日間は雑貨屋でパンとチーズとトマトを買ってきて、即席のサンドイッチを作って食べてみたり、露天商からミカンやブドウやバナナなどを買ったりして栄養補給をすることになった。

 ラジャスタン州の食堂はいまいちだったが、クッキーなど小麦を使ったお菓子の味はなかなかよかったので、それを100グラム単位で買い込んで、ホテルの部屋でボリボリと食べたりもした。特に窯から出てきたばかりの焼きたてのパイは、サクサクとした食感とバターの香りがうまくマッチして、とても美味しかった。何でもマサラ味にしてしまうインドでは珍しく、素材の持ち味を生かしていた。


[窯でパイを焼く職人]

 そうするうちに、なんとか食欲も回復していったのだが、あの「ダールバティ」だけは二度と食べる気にならなかった。


 食べるものに苦労した北インドとは違って、南インドでは食べる時間さえ間違わなければ、うまい食事にありつくことができた。南インドの安食堂はどこもそこそこのレベルを維持しているので、食事時を逃して冷めた料理が出てくることでもない限り、がっかりさせられることはなかったのである。


[南インドの定食「ミールス」はバナナの葉の上にご飯とおかずを盛りつけてくれる]

 南インドで特に気に入っていたのがドーサだった。これは発酵させた米粉の生地をクレープ状に焼いたもので、焼きたてのカリカリをアチチと言いながらハフハフとほおばるのが最高にうまい。ドーサの生地には少し酸味があり、それがまたココナッツ入りのソースによく合うのだ。


[パリパリとした食感が特徴のドーサ]

 カルナータカ州フブリの町の食堂で食べたドーサは、ちょっと不思議なかたちをしていた。とんがり帽子みたいな円錐形のドーサが、丸い皿の上に載せられていたのだ。これはドーサの命である「パリパリ感」を持続させるための工夫だった。普通のドーサは折りたたまれた状態でお皿に載っているので、時間が経つにつれて生地の下の方が水蒸気でしんなりとしてしまう。しかし円錐形に丸めて立てると、皿に接する部分が少なくて済むので、最後までパリパリ感が続くというわけだ。素晴らしいアイデアである。


[とんがり帽子型のドーサは20ルピー]

 そうかと思えば、せっかくのパリパリ感を台無しにしてしまうひどい食堂もあった。運ばれてきたときはごく普通のパリパリドーサだったのに、いきなり現れた給仕のおっさんがドーサの上にサンバル(野菜スープ)をぶっかけてしまったのである。日本で言えば、揚げたての天ぷらに味噌汁をぶっかけるようなもの。

 おい、俺のドーサに何するんだよ!
 慌てて手をかざして制しようとしたのが、時すでに遅かった。
 テーブルの上にはスープを吸ってふにゃふにゃになった見るも無惨なドーサが、へたっと横たわっていたのだった。合掌。

 似たような出来事は他でも起こることがあった。ドーサと同じようにサクサク感が命であるワダ(豆粉のドーナツ)を食べているときにも、無言でサンバルをかけようとする給仕がいるのである。まったく油断も隙もあったもんじゃない。

 どうやらインド人にとってクリスピー感はさほど重要ではないらしい。サクサクにしろふにゃふにゃにしろ、胃袋に収まってしまえば同じじゃねーかと考えているのかもしれない。


[タミルナドゥ州では拳ぐらいの大きさがあるドーナツを食べた。これは歯ごたえ十分で、食べ応えがあった。うまいのだが、食べ終わる頃にはアゴが疲れてしまった。]


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by butterfly-life | 2013-02-12 09:55 | インド色を探して
ラバリ族はスタイリッシュな牧民
■ インド旅行記2012(33) スタイリッシュな牧民 バックナンバーはこちら ■

 「インド色」を求めて旅を続ける僕にとって、ラジャスタン州に住む少数部族の村々は、砂漠のオアシスのような場所だった。
 特に印象に残っているのは、南部の山岳地帯に住むガラシア族の人々だ。女たちが普段から身につけている前掛け付きの民族衣装は、とりわけ派手で目を引くものだったのだ。


[ガラシア族の民族衣装は派手な前掛け付き]

 しかもガラシア族の女たちはとても堂々としていた。外の人間と接触する機会の少ない少数部族の人々はシャイなことが多くて、カメラを向けられても顔を背けてしまうものなのだが、ガラシア族の女性は終始にこやかで、自然体のままカメラに向き合ってくれた。これほど写真を撮りやすい人たちも珍しい。その代わり(という言い方もなんだけど)、ガラシア族の男性は気弱でシャイだった。女が強くなると、男は弱くなるものらしい。そうやって共同体としてバランスを取っているのかもしれない。










[陽気な女たちとは対照的に、ガラシア族の男はシャイだった。]

 片言の英語を話すアリス君に誘われて、彼のお宅にお邪魔することができた。アリス君には兄弟が6人と姉妹が4人もいて、総勢15人の大家族とともに暮らしていた。インドでもきょうだいが10人を超える家族はかなり珍しくなっているが、ガラシア族の村ではまだ当たり前だという。

 家財道具は例によってとても少なかったが、一家の寝室にはなぜ大きなポンプがでんと据え付けられていた。ここは雨が少ない地域なので、農業と生活に必要な水は深い井戸の底から汲み上げている。ポンプは家族の命を支えるために欠かせない道具であり、盗まれたり壊されたりしないよう、家族同然に扱われているのである。



 村には電気は来ていないが、屋根に取り付けた太陽光パネルを使って携帯電話と懐中電灯を充電していた。電気が通らない辺境地域でも、ちゃんと携帯が使えるというのは驚きだった。電波塔をひとつ建てさえすれば広いエリアをカバーできる携帯電話網は、少ない投資で整えることができるインフラなのだ。

 アリス君は畑でソープという作物を作っていた。ソープの実は緑色の小さな粒で、これを乾燥させるとレストランなどで食後に出される清涼剤のフェンネルになる。他には小麦やタマネギ、トマトやトウガラシなども作っているそうだ。


[清涼剤のフェンネルになるソープという作物]

 素敵な笑顔とともに印象的だったのは、ガラシア族の人々のにおいだった。水が貴重だということもあるのか、色鮮やかな衣装はあまり頻繁には洗濯しないものらしく、そこに染みこんだ体臭と家畜のにおいが混ざり合って、独特のにおいを放っていたのだった。

 それはネパールやベトナムの山岳地帯で嗅いだのと同じ、紛れもない「山の民」のにおいだった。


 放牧の民であるラバリ族は、男も女もどちらも派手な格好をしていた。男たちは真っ赤なターバンを頭に巻きつけ、白い服を着て、家畜を追うための長い杖を持っていた。女たちは美しい刺繍が施されたサリーを着て、白い腕輪をいくつも身につけていた。彼らもまた一目でそれとわかるユニークなスタイルを持つ部族だった。


[赤いターバンに白い服がラバリ族の民族衣装だ]



 僕が訪れたのはグジャラート州とラジャスタン州の州境にあるマカワルという村だった。ここには牧民であるラバリ族の他に、戦士の血を引くラジプート族などが隣り合って暮らしているという。

 この村に住むラバリ族は、主に山羊と羊を飼育して生計を立てている。チャーチと呼ばれる山羊のミルクは大切なタンパク源であり、貴重な現金収入源でもある。一度沸騰させたものをそのまま飲むことも多いが、茶葉と砂糖を入れてチャイにすればさらにおいしくなる。


[山羊のミルクでチャイを作るラバリ族の奥さん]


[チャラムというパイプを使って一服する男]

 また、毛織物の原料になる山羊の毛は、4ヶ月に一度大きなハサミを使ってジョキジョキと刈って、市場に売りに行く。売値は1キロあたり100ルピー(150円)。以前はこの山羊の毛を自分たちで織って、毛布などを作っていたそうだ。村を案内してくれたラマラム君の父親が織った毛布は、20年経った今でも大切に使われているという。

 ラバリの男たちはヘビースモーカーで、食事やチャイの時間が終わると、必ずチャラムというパイプを使って一服する。村の成人男性はほぼ全員タバコを吸うようだ。北インドは全般的に喫煙率が高くて、町の人から「タバコをどうぞ」と勧められたり、逆に「タバコ持ってない?」と聞かれたりする機会も増えた。どうやらインドの喫煙率は「北高南低」の傾向があるようだ。

 ラマラム君の友人である26歳のサミララン君は、翌日に迫った結婚式の準備に追われていた。新郎はポーティアと呼ばれる赤いターバンを頭に巻き、金のペンダントを首にかけて結婚式に臨む。ペンダントには純金が20グラムも使われているので、5万ルピー(7万5000円)もしたそうだ。ピアスもやはり金製で、一組5万ルピーだったという。村人の収入からすればとても高価なものだ。


[結婚式を翌日に控えたサミララン君。ポーティアと呼ばれるターバンを頭に巻けるのは、結婚した男性だけだ。]

 ラバリ族は、結婚後に夫が妻の実家へ引っ越す「婿入り婚」の伝統があり、新郎は持てる財産のすべてを金銀などの装飾品に替えてしまうという。今でこそ定住生活を送っているが、もともと草地を求めて移動し続ける遊牧民だったラバリ族には、「財産は常に身に付けておくべし」という考え方が根強く残っているのだ。

 いずれにしても白服に赤いターバン姿のラバリ族の男は、とてもスタイリッシュで決まっていた。ただ草原でタバコを吹かせているだけなのにカッコ良く見えてしまうのも、彼らが伝統的なスタイルを自信と誇りを持って着こなしているからに違いなかった。






[昼食はラマラム君のお母さんが作ってくれた。かまどで焼いたチャパティーにギーをかけて、野菜のカレーに浸して食べる。食堂で出されるチャパティーより厚みがあり、もっちりとしていて味もよかった。]


[ラバリ族の女性はとても派手なサリーと、白い腕輪をたくさん身に付けているのが特徴的だ。しかし未亡人になると質素なサリーしか着ることが許されない。]


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by butterfly-life | 2013-02-05 09:32 | インド色を探して