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インド旅行記がついに完結! 結末はCD-ROMで

 半年にわたって連載を続けてきた旅行記「インド色を探して」は最終回を迎えました。

 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 メルマガでは未公開のエピソードが27話も入っている大変お得な電子書籍です。


◆ ブログで未公開旅行記の読みどころ

 今回のインド旅のハイライトのひとつは、オリッサ州の山奥に住む少数部族の村々を訪ねたことでした。
 様々な偶然に導かれるようにして、予期しなかった場所にたどり着く。そんな旅の醍醐味を味わいました。

 コヤ族は我々日本人とはまったく違う時間の流れの中で生きています。自分の年齢を知らず、「年」や「月」や「時刻」を数える習慣すら持っていないのです。
 同じ円を描きながらいつまでも繰り返される時間。「向上」も「進歩」も「拡大」もない、静かな時間の中で生きている人々の価値観は、僕らとはまったく違うものでした。

 少数部族の孤児たちを集めている寄宿舎を訪ねることもできました。言葉も文化も違う275人の子供たちをたった一人でまとめている若い先生へのインタビューを通じて、変わりゆくマイノリティーの村の現実を知ることになりました。





 パンジャブ州ではシク教徒のシンボルであるターバンの習慣が、徐々に廃れていく様子を目の当たりにしました。
 「ターバンを巻いていないのは異教徒だ」と断言する老人と、「あんなものを巻いていたら女の子にモテない」と言う若者との間には、単なるジェネレーションギャップを超えた大きな溝が横たわっています。





 近代化の圧力と伝統の維持のあいだで大きく揺れている。それはシク教徒のコミュニティーだけに限らず、インドという国全体を覆う問題でもあるのです。


 旅行記の最後には、12年に及ぶ旅の経験から得た「行き方」について書きました。

 トラブルが次々と起こる中で、どうやってポジティブな気持ちを保ち、前進することができるのか。
 旅によって変わったこと、変わらなかったことは何か。
 個性とは何か。自分らしい写真とは何か。

 僕は一人旅という孤独な環境に身を置くことで、こうした疑問に答えを出してきたのです。





 自由に旅ができるというのは、それだけでとても幸運なことです。実際、インド人の大半は自分の外にある世界を知ることなく一生を終えていきます。
 このような幸運を使わない手はない、と僕は思います。

 だからこそ、僕はこれからも好奇心のおもむくままに旅を続けることでしょう。
 この「粒だった」世界のあらましを記録し、讃え、伝えていくつもりです。






◆ 高画質写真ファイル

 CD-ROM「インド色を探して」に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1163枚。「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。(画質は、サンプル(1)(2)(3)でお確かめください。)

 このデジタル写真集には、知られざる「カラフルなインド」がたくさん詰まっています。写真が持つイメージの力を存分にお楽しみください。


 ◆ ご注文方法
 CD-ROMの価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
 この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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by butterfly-life | 2013-04-24 10:27 | インド色を探して
変わりゆくインド、変わらないインド
■ インド旅行記2012(48) 変わりゆくインド、変わらないインド バックナンバーはこちら ■

 数年前まで、バイクに乗るインド女性はほとんどいなかった。バイクとはあくまでも男の乗り物であり、女性は夫(または父親)の運転するバイクの後部座席におとなしく座っているしかなかったのだ。「女がバイクに乗るなんてはしたない」という保守的な価値観も強かったのだろうし、そもそも女性には自分のバイクを買えるだけの経済的な余裕なんてなかったのだ。

 そうした状況が変わってきたのは、インドが急速に経済成長を遂げているからだ。女性ライダーが特に目立っていたのは南部のケララ州だった。教育レベルが高く、出生率が低く、経済的に自立した女性が多いケララでは、女も男と同じようにスクーターに乗って通勤・通学するのが当たり前になっていた。


[乗りやすいスクーターは若い女性たちの新しい「足」になっている]

 バイクや自動車を運転する人が増えたことで、ガソリンスタンドも飛躍的に数を増やしている。5年前はガソリンをペットボトルに詰めて売る屋台があちこちで見られたのだが、今では相当な田舎に行かないと見られなくなっている。農村地帯にも次々と立派な屋根付きのガソリンスタンドが作られ、みんなそこで給油するようになっているのだ。


[田舎にも新しいガソリンスタンドが続々とオープンしていた]


[田舎に行けばこうしたペットボトル入りのガソリンを売っているところもある。質が悪いという評判もあるので、なるべくなら利用しないほうがいい。]

 ATMもこの数年で一気に普及したもののひとつだ。もはや「ATMが置かれていない町はない」と断言してもいいぐらいだ。「無人」のATMも増えた。これまでは盗難防止のためにATMのそばには必ず警備員がついていたのだが、もう必要ないと判断されたのか、防犯カメラだけのATMが多くなっていた。


[とんでもない田舎町にもちゃんとATMが設置してあるのには驚いた。]

 酒屋もよく見かけるようになった。特にケララ州やカルナータカ州、パンジャブ州などには「WINE SHOP」という看板を掲げた酒屋が目立つ場所に何軒も並んでいた。

 インド人はもともと禁欲的だった。肉食はダメだし、婚前交渉もタブーで、アルコールも御法度。もちろんそれぞれに抜け道はあるのだが、基本的には欲望を抑えることで社会の安定を保っていた。莫大な人口を養うためには、どうしてもそれが必要だったのだろう。


[町で酒屋を見かけることも増えた。]


[ウィスキーを炭酸飲料で割って飲むのが一般的。]

 しかしグローバル化する資本主義経済の一員になったことで、インド人も消費の快楽に目覚め、欲望を解放することに罪悪感を持たなくなった。「必要悪」とみなされ、鉄格子に覆われていた酒屋が、オープンでカジュアルなものになり、「悪人の吹きだまり」みたくやたらと暗かったバーも、明るい雰囲気に変わっていた。


 インドは変わりつつある。
 グローバル化の波をもろにかぶり、保守的な社会が大きく揺さぶられているように見える。

 しかし何年経ってもまったく変わらないものもある。
 たとえば素焼きの壺づくりはインド各地で見られるものだが、その製法は何十年も前からまったく変わっていない。木の棒で粘土を叩いて形を作り、筆で絵付けをしてから窯で焼く。











 職人の手で丹精込めて作られた日常使いの安い壺は、いつか粉々になって土に還っていく。それがまた誰か別の人の手で、別の壺に作り替えられていく。こうしたことを何百年にもわたって延々と繰り返してきたのだろう。


 タミルナドゥ州にあるマッチ工場も、昔ながらのやり方を変えていなかった。僕は5年前にも同じ工場を訪れたのだが、まるでここだけ時間の流れが止まっているかのように、まったく同じ作業を行っていた。


[牛の図柄のかわいらしいマッチは、今もなお手作りで製造されている。]





「でもね、あと何年この工場が続けられるかわからないよ」とオーナーは言った。「使い捨てライターが普及したせいで、マッチの需要は減っているからね。でも、できる限りやるさ。ここはマッチの村だからね。マッチ作りがなくなったら、村人は何をしていいのかわからないよ」



 インド女性の美しいサリー姿も長いあいだ変わらないもののひとつだ。他の国でこれだけ洋装化が進んでいるのに、インド女性は頑なまでに自分たちのスタイルを守り続けている。それが美意識というものなのだろう。

 インド人は焦らない。血眼になって流行を追いかけたりはしない。何年も何十年も同じ仕事を続けて、日々を生きている人が何億人もいる。人々の暮らしは大河ガンガーのようにあくまでもゆったりと流れている。

 本当に大切なものは、変わらない部分にこそ隠されている。
 100日に及んだインド一周の旅を終えて、僕はそう感じた。

 簡単に変わってしまうのは表層的な部分であって、長い時間をかけてゆっくりとしか変化しないものの中にこそ、その地域特有の文化の本質が潜んでいるのだと思う。

 僕らはどうしても「変化するもの」に目を奪われがちだ。止まっているものにではなく、動いているものに目が向くのは、人の自然な習性だから。「ニュース」という言葉に端的に表れているように、メディアの興味の対象も「何か新しいこと」「変わったこと」に向けられる。何も変わらないことにはニュースバリューはない。

 しかし変化を追いかけるばかりでは、ものごとの本質は見えてこない。真実はいつも「変わりゆくもの」と「変わらないもの」の狭間に隠されている。







 100日を超えるインド一周の旅を終えても、インドという国が深く理解できたという実感はなかった。むしろ以前よりわからないことが増えたような気がする。

 やはりインドは奥が深い。
 旅をすればするほど謎と疑問が増え、もっと深く知りたくなる。
 それがこの国の魅力なのだと思う。


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by butterfly-life | 2013-04-19 11:47 | インド色を探して
聖地を流れるプアーな水
■ インド旅行記2012(45) 聖地を流れるプアーな水 バックナンバーはこちら ■

 インド北部を蛇行しながら東へと流れる大河ガンガーには、体を清めるための沐浴場と遺体を焼くための火葬場が隣り合った聖地――「小さなバラナシ」とでも呼ぶべき所――がいくつも点在していた。それは生と死を司る場所であり、人々の祈りと火葬の煙とが混じり合う場所だった。



 ビハール州にあるシマリアもそんな古い聖地のひとつだった。シマリアの沐浴場へ続く道には、巡礼者向けの食堂や土産物屋などが軒を連ねていた。片言の英語を話すランジットさんは、そこで祈祷用の花を売っていた。この商売をはじめて20年になるという。一日の稼ぎは100ルピーから200ルピー程度と決して多くはないが、それでもなんとか4人の子供を育ててきた。上の娘がカレッジに通っているのが自慢だ。

「俺の家族が暮らしていけるのはガンガーのおかげだよ」とランジットさんは言った。「ガンガーはすべてインド人にとって母なる川だ。ガンガーには女神が住んでいる。だからガンガーの水はとってもプアーなんだ」
「プアー?」
「ああ、そうだ。プアーなんだ。だから飲んでも大丈夫。体にもいいんだ」
「・・・ピュアーな水なんですね」
 僕はそう言い直してみたが、彼はまったく意に介さなかった。
「そうだ。この水はプアーなんだ。ここに来た人はみんなボトルに水を汲んで、家に持って帰る。とてもプアーだからな。あんたもぜひそうしなさい」


[シマリアの沐浴場で儀式を行う女たち]

 ランジットさんは「飲んでも大丈夫」なんて言ったけれど、沐浴場周辺を流れる水はひどく汚れていた。巡礼者はただ川の水に体を浸すだけでなく、石鹸で体を洗ったり、歯磨きや洗濯もするし、儀式に使う花や線香やビニール袋なんかも全部川に流してしまうからだ。隣の火葬場から遺体の燃え残りが流れてくることもある。あちこちにゴミが散乱した臭い川。それが聖地におけるガンガーのリアルな姿だった。

 なんだ、やっぱりピュアーじゃなくてプアーなんじゃないか。

 もちろん巡礼者たちは「ガンガーの水が汚い」などとは1ミリも考えていない様子だった。何の躊躇もなく川の中にざぶんと全身を浸し、川の水で口をゆすいだあと、川の水をポリタンクに汲んで大事そうに持ち帰るのだ。思い込みの力は偉大だ。「聖なる水だ」と信じていれば、ゴミだらけの「プアーな水」だってありがたい「ピュアーな水」に変わってしまうのである。


[巡礼に来た人々は川の水に全身を浸す]


 バラヒアという町で知り合ったシンさんの家で飲ませてもらったのは、正真正銘まじりっけなしのピュアな水だった。
「これは地下137mから汲み上げた井戸水だから、農薬にも化学物質にも汚染されていない」とシンさんは胸を張った。「普通の井戸の倍以上の深さまで掘り進めたんだ。もちろん余計にお金はかかったけど、その価値はあるよ」
「わざわざ井戸を掘らなくても、ガンガーの水はピュアーだって聞きましたけど」
 僕が言うと、シンさんは大きく口を開けて笑った。
「ガンガーの水がピュアーだって? エンジニアの私に言わせれば、それはナンセンスだ」



 シンさんは既に定年退職しているが、1年前までは化学メーカーで技術者として働いていたという。水質に関してはプロなのである。その彼が汚いと言うのだから、やっぱりガンガーの水は汚いのだろう。
「私は絶対にガンガーの水をそのまま飲んだりはしない。そんなことをしたら、すぐに病気になってしまうよ」

 シンさんは比較的裕福な地主の家に生まれ、理系の大学を卒業した。しかし地元にはいい就職口がなかったので、遠くグジャラート州にある財閥系の化学メーカーに勤めることにした。
「ビハール州には優秀な人材がたくさんいる。しかし医者もエンジニアも結局はみんなビハールを出て、他の州か外国へ行ってしまう。ここには仕事がないからだよ。今も昔もビハールは貧しいままだ。私の娘も土木技術者としてデリーで働いているし、息子はプネーのIT企業で働いている」

 ビハール州には高い教育を受けた人を雇用できるような産業がほとんどないから、頭脳流失が起こる。頭脳流出が続く限り、産業は育たない。インドでももっとも貧しい州であるビハールはこのような悪循環に陥っていた。それを食い止めるためには、シンさんや彼の子供たちのように能力のある人が地元に残って、地元のために働かなければいけない。しかしシンさんにはそれができなかった。

 もちろんそんな彼を責めることは僕にはできない。彼には自分の人生を選ぶ権利があるのだから。
 しかしビハール州では「仕事を求めて他の土地に移る」という選択肢さえ持てない人が大多数を占めているのもまた事実だった。否応なく地元にとどまり、低賃金で働かざるを得ない。そうした人々が貧困のスパイラルから抜け出すのはきわめて難しいことなのである。




[ビハール州には大規模なレンガ工場が多い。牛の力で動かすローラーで泥をこね、それを型に入れてから天日で乾かしたレンガを、石炭で焼き固める。]


[日干しレンガを頭に12個も載せて歩く男たち。日給は歩合制なので、みんなとても早足だった。]




[人々は埃だらけで働いていた。]


[牛糞とわらを混ぜて燃料を作る女。これもまたビハール州でよく見かける光景だ。]


 ビハール州は道路もプアーだった。幹線道路から少しでも離れると、未舗装のデコボコ道になってしまう。そこをバイクで10分も走ると、たちまち全身が埃だらけになってしまうのだった。


[ビハールの道を走ると全身埃まみれになる。]

 交通量の多い国道であっても、荒れ放題のまま放置されているところも少なくなかった。穴ぼこだらけになった国道では、その穴を避けようと蛇行運転する大型トラックによって交通の流れが悪くなった結果、大渋滞が発生していた。


【動画】ビハール州の町で見られる大渋滞。バイクや自転車や人が狭い道に殺到し、身動きが取れなくなっている。

「ディス・イズ・ビハール」
 いつ終わるともしれない渋滞にうんざりしている僕に、バイクを運転していた若者が声を掛けた。まったくその通りだ。これがビハールなのだ。逆に言えば、ビハール以外の州では状況はここまでひどくはないのである。要するに州政府が無能なのだ。道路整備や都市計画といったインフラへの投資をケチっているために、州全体の経済がどれほど悪影響を受けているのかわかっていないのだろう。




[ビハール州で見かけた橋の建設現場。何十人もの男たちがコンクリートと砂利の入ったタライをかついで竹の階段を登っていく。人海戦術。これでは時間がかかるはずである。現場監督の男によれば、橋の完成は1年後の予定だそうだ。]


 CD-ROM版「インド色を探して」がついに完成しました!
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by butterfly-life | 2013-04-15 15:18 | インド色を探して
なぜインドの火葬場では遺体を竹竿で叩くのか
■ インド旅行記2012(44) ガンジス川の火葬場を撮る バックナンバーはこちら ■

 遺体を火葬にしてその灰をガンジス川に流すのは、聖地バラナシだけで行われている特別なことではない。実はガンガーの河岸にはいくつもの火葬場が点在していて、日常的に火葬を行っているのである。

 バラナシを出発した僕は、蛇行するガンガーに沿ってビハール州を東へと進んでいたのだが、行く先々で火葬場から立ちのぼる白い煙を目にすることになった。

 ビハール州ナーランダー県では、火葬の一部始終を撮影することができた。バラナシの火葬場では写真撮影は厳禁なのだが、ここでは撮影禁止どころか、遺族から「ぜひ撮ってくれ。アドレスを書くからあとで写真を送ってくれ」と頼まれたのである。これには僕の方が驚いてしまった。


[薪で覆われた遺体とともに記念撮影をする遺族たち]

 亡くなったのがデヴィさんという80歳の老婆だということも、火葬場の雰囲気をおおらかなものにしていたのかもしれない。天寿を全うした人がガンガーに還るのは、悲しむべきことではない。人々のあいだにはそんな意識が共有されているようだった。

 火葬場を取り仕切る男によれば、ここがもっとも混み合うのは冬だという。病人や老人には寒さが一番堪えるからだ。その次が夏。夏と冬の間に挟まれた今の季節は、一年でもっとも死者の数が少ないという。
「今はオフシーズンだね」と火葬場の男は笑った。「冬は本当に忙しいんだ。今日ぐらい暇なのがちょうどいいね」


[黄色い布で包まれた遺体は竹でできた担架に載せられている]


[遺体を川岸まで運ぶ]

 オフシーズンとはいえ、火葬場には次から次へと遺体が運び込まれていた。遺体は親族の男たちが担いでくる場合もあるし、バスの屋根やトラクターの荷台に乗って運ばれてくる場合もあった。老いた人もいれば、働き盛りとおぼしき男もいた。我が子の遺体を両手で抱えながら歩く父親の姿もあった。白い布に包まれたその遺体の手足は小枝のように細かった。伝染病にでも罹ったのだろうか。父親の表情は硬く険しかった。


[亡くなった我が子を抱えて歩く父親]


[まだ働き盛りとおぼしき男も火葬されていた]


 デヴィさんの火葬の準備は手際よく進められていた。薪を交互に組み、川の水で洗った遺体をその上に載せてから、火がつきやすいように枯れ葉やワラをかぶせていく。薪のあいだから見えるデヴィさんの顔は、眠っているかのように安らかだった。息をしていないということが信じられないほど生々しかった。





 準備がすべて整うと、デヴィさんの息子が薪を覆う枯れ葉にマッチで火をつけた。風が強い日だったので、薪はものの数秒で勢いよく炎を上げ、たちまち大きな火柱へと成長した。最初に髪の毛がチリチリと音を立てて燃え上がり、やがて顔に水ぶくれがいくつもでき、腕の皮膚が黒く焦げていった。動物の肉が焦げるときのにおいがあたりに漂いはじめた。



 親戚一同はその様子を少し離れた場所から無言で見守っていた。特別な祈りを捧げる人はいない。涙に暮れている人もいない。すべてが終わったあとの安堵感のようなものを漂わせながら、燃えさかる遺体をじっと見つめていた。

 しばらくして火の勢いが落ちてくると、長い竹竿を手にした火葬職人がやってきて、遺体を叩きはじめた。遺体が燃え残るのを防ぐために、こうやって肉をバラバラにほぐす必要があるという。そうしないと遺体の表面が黒く焦げるだけで、肉の中にまで火が通らないのだ。


[火葬職人はしたたる汗を拭いながら、淡々と自分の仕事をこなしていった。]



 火葬職人が繰り出す打撃はまったく遠慮のないものだった。大きくしなった竹竿が、遺体の腕や頭に打ち下ろされていく。特に燃えにくい頭部には、もっとも激しい打撃が加えられた。「バシッ!」「クシャ!」という乾いた音があたりに響き渡り、はっとするほど赤く生々しい肉の色があらわになった。

 こうしてかつて老婆であった肉体は、内臓をえぐられ、肉汁を飛び散らしながら、徐々に原形を失い、黒く崩れていった。 



 僕は親族とともにその一部始終を見つめていた。
 なぜ俺はここにいるんだろうと思いながら、それでもシャッターを切り続けた。

 目の前で繰り広げられているのは、見方によってはグロテスクで異様な光景だったが、それをありのまま受け入れてしまうと、不思議なほど静かな気持ちになった。

 死者を灰に帰するための炎は、生と死の狭間でゆらゆらと揺らめきながら、強烈な熱を放射し続けていた。
 死者のにおいが漂っていた。それは僕の服や髪の毛にも染みこんでいた。このにおいは洗ってもしばらくはとれないだろう。そんな気がした。



 火葬が終わったのは、薪に点火してから一時間が過ぎた頃だった。用意した薪はすべて燃え尽きてしまったのだが、火葬職人の奮闘にもかかわらず、かなりの大きさの肉の塊が燃えずに残されていた。

 親族の男たちは燃え残った遺体を改めて布で包むと、ガンガーへと投げ入れた。それは大きな放物線を描いて着水し、さざ波とともに川の中に消えた。


[火葬に使った薪にガンガーの水をかけて火を消す]

 燃やされる薪の量は、火葬場に支払うお金によって決まるのだそうだ。デヴィさんの一族は貧しい農民なので、火葬場に支払ったのはわずか251ルピーだった。それでは遺体を完全に燃やせるだけの薪は用意できないので、一部が燃え残ってしまったのだ。
「お金持ちだと5000ルピー以上払うこともあるんだ」
 と火葬場を取り仕切る男は言う。お金持ちの火葬では質の良い薪を大量に使うことができるので、遺体が燃え残るようなことはないのだそうだ。「地獄の沙汰も金次第」という言葉があるが、インドでは「解脱への道も金次第」なのかもしれない。

「でも燃やしてもらえるだけマシなんだよ。火葬にできない人だっているんだからな」
 火葬場のしきたりでは、子供や妊婦、事故に遭った人や、蛇に噛まれて死んだ人などは、火葬にせずにそのままガンガーに流されるという。そのような遺体は黄色い布に包まれたまま船に乗せられ、川の中程まで出たところでドボンと川に投げ込まれるのだ。重しとなる石を足にくくりつけてはいるものの、やがてそれが切れると、遺体は水面に浮き上がってくる。大河ガンガーはそのような腐敗した亡骸をいくつも飲み込みながら、悠然と流れているのである。


[火葬されない遺体はこのような船に乗せられる]


 僕が目にした火葬場の日常は、確かに残酷なものではあったが、決して暗く湿っぽいものではなかった。むしろ拍子抜けするほど明るく、あっけらかんとしていた。火葬の一部始終はすべてオープンにされていて、見ようと思えば誰もが見ることができた。隠す意識など元からないようだった。インドの人々にとって「死」は特別なものではなく、すぐそばにある日常風景なのだ。

 言うまでもなく、それは僕らが知っている日本の火葬とは大きく違うものだった。日本人は死を「穢れ」として日常から遠ざけ、死そのものをなるべく直視せずに済むようにしてきた。今では大半の人が病院で息を引き取り、専門家の手によってクリーンで清潔な火葬場に送られて、短い時間で白く乾いた骨となる。確かに清潔でシステマチックなやり方だが、それによって何か大切なものが失われているような気もするのである。


[火葬が終わると、その場に立ち会った人々はガンガーの水にざぶんと頭まで浸かる。この沐浴には、聖なるガンガーの水で穢れを落とすという意味がある。]


[沐浴を終えた男たちは白い服を風にさらして乾かし、家路に就く。]



「人生の最後にはガンガーに還る。それがインド人なんだ」
 火葬場を取り仕切る男は穏やかな水面を眺めながら言った。それは比喩でも何でもなく、今ここにある現実そのものだということが、僕にもよくわかった。

 人はいつか必ず死ぬ。死んだ人間は火葬場に運ばれてきて、薪とともに燃やされ、ガンガーの中に消えていく。茶色く濁った大河の一部となり、やがてあとかたもなく分解される。そして再びどこかで新たな生命として生まれ変わるのだ。

 輪廻転生。それを信じているヒンドゥー教徒は、だから墓を作らない。
 動物も人もひとつの大きな輪の中にいて、それをゆったりとかき回しているのが、悠久の大河ガンガーなのである。



 このような世界観に立ってものごとを眺めたとき、人生ははかなく有限であることを思い知らされることになる。自分が生きている意味など無きに等しく、毎日少しずつ死に向かって進んでいるだけの存在なのではないかという気持ちにもなってくる。

 しかし同時にそこには深い安らぎもある。
 人はいつか必ず死を迎えるが、それは大いなる流れの中に戻っていくだけのことであって、恐れる必要などない。ただその流れに身を任せていればいいんだ。そんな風にも思えるのだ。

 インドの人々は日常的に火葬の場面に立ち会うことによって、自らの死を想い、死を受け入れる準備をしているのかもしれない。親戚縁者が炎に包まれ、黒く焦げながら崩れていく様を見守るということは、死者への弔いであると同時に、いつかこれと同じことが自分の身にも起きるのだと自覚することにも繋がるはずだ。





 我々は今を生きながら、少しずつ死へと近づいている。
 火葬場の炎は、それを言葉ではなく、皮膚感覚を伴った方法で伝えている。

 人はみんな生きていて、やがて死んでいく。
 そんな当たり前のことを確かめるために、僕は旅をして、写真を撮っている。


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by butterfly-life | 2013-04-09 15:53 | インド色を探して