<   2014年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧
織物の村のメイド・イン・ジャパン

織物の村のメイド・イン・ジャパン


 織物の村には「カシャン、カシャン」という小気味よい音が響いていた。いかにも「ものづくりの村」らしい活気ある雰囲気だった。西陣の町もかつてはこのような賑わいに包まれていたのだろうか。そんなことを考えながら、村の中をゆっくりと歩いた。

 工場の中に一歩足を踏み入れると、「賑やかな音」は「凄まじい騒音」に変わった。高架橋の下で特急列車が通り過ぎるのを待っているときのようなものすごい騒音が、途切れることなく続いているのだ。人と話をするときには耳元に口をつけて大声で話さないと伝わらないないぐらいうるさかった。







 農村の織物工場で働く女工たちと聞いて、かつての「女工哀史」のような過酷な労働環境をイメージするかもしれないが、ここで働く女性たちはわりとのんびり働いていた。確かに騒音は凄まじいのだが、仕事自体はさほど忙しそうではない。織機の自動化もかなり進んでいるようで、糸やパンチカードを交換する以外の暇な時間は、それぞれが自由に使っていた。職場の雰囲気は「ゆるい」と言ってもよかった。



 ある女の子は、空き時間に花飾りを作っていた。摘んできた生花に針で糸を通して作る花飾りは、ミャンマーの女性たちの頭を飾るアクセサリーだ。生花だから、半日もすればしおれてしまう。しかしだからこそ移ろいやすく可憐な美しさがあって、僕はこの花飾りを身に着けている人を見るのが好きだった。


花飾りを身につけた女性

 工場の中で本を読む人も多かった。この凄まじい騒音の中でも平気で本を読めるということに驚いてしまうのだが、なかなかどうして人間の「慣れる力」というのは侮りがたいものなのである。


工場の中で花飾りを作る女工


暇な時間に本を読む

 女工たちが読んでいたのは、近所の貸本屋で借りてきた漫画や小説だった。ミャンマーには安い料金で本を貸してくれる貸本屋がどの町にも必ずひとつはあって、けっこう繁盛しているのである。1冊の本を1日借りるのに100チャットから200チャット(10円から20円)払うというから、娯楽の中でも安い方だと思う。貸本屋の主に聞いてみると、一番人気なのは若い女性に好まれる恋愛小説で、ファッション雑誌やヒーローものの漫画なども売れ筋だということだった。


貸本は安く楽しめる娯楽としてミャンマーに定着している

 東南アジア諸国の中でも、ミャンマー人はもっともよく本を読む国民ではないかと思う。識字率が92%と高く、そのわりに他の娯楽(例えばカラオケや衛星テレビなど)がまだ一般には普及していないからだろう。

 日本や欧米では、
1.まず活字メディアが庶民に浸透し、
2.それからラジオという音声メディアが広まり、
3.続いて映画やテレビなどの映像メディアが普及し、
4.最後にインターネットというパーソナルな情報メディアに至る
 という歴史を辿ってきたわけだが、アジアの貧しい国々の多くは、0から一足飛びに3または4へと移行することになるから、どうしても活字文化がかすんでしまうのだ。

 ミャンマーでも最近町中でレンタルDVD屋を見かけることが多くなり、それに伴って貸本業が衰退しつつあるようだが、なんとかもうひと踏ん張りしてもらいたい。活字文化の中で育ってきた僕は、そんな風にも思うのだった。


派手なポスターが目印のレンタルDVD屋は近年急速に増えている


 織物工場に話を戻そう。
 実はこの工場で使われている織機はすべてメイド・イン・ジャパン、日本製だったのである。どの機械にも「HIRANO
SEISAKUSHO」という文字が入っていたのだ。
 ヒラノ製作所?
 まったく耳にしたことのないメーカーだが、気になったので後で調べてみた。



 Wikipediaには、
「平野製作所は1920年に愛知県名古屋市中川区に織物機械のメーカーとして誕生した。1930年代に入るとオート三輪の製造にも着手している。戦後、1953年にスクーターの製造も始め、1960年には日本初の折り畳みスクーター、ヒラノバルモビル50を発売した。1961年には繊維不足により繊維業不況が起こったため資金繰りが悪化し会社は倒産した」
 とあった。つまりこの工場で使われている織機は、少なくとも50年以上前に製造されたものだったのだ。どおりでクラシカルな機械だったわけだ。

 半世紀も前に製造中止になったにも関わらず、未だに現役で使われ続けているヒラノの織機の品質にも驚かされるが、それをしっかりメンテナンスしている地元の職人たちの技術もすごいと思う。


ヒラノの織機を修理する職人たち


特に摩耗の激しい歯車はスペアがたくさん作られていて、適宜交換されている

 50年ものあいだ毎日酷使されてきた機械だから、おそらくフレームとエンブレム以外の部品のほとんどが、すでに日本で作られたものではなくなっているはずだ。確かに外側はメイド・イン・ジャパンのままだが、その中身は現地の職人たちの手で少しずつメイド・イン・ミャンマーの部品と交換されていったのである。まるで人間の細胞が毎日入れ替わるように。

 この機械の中には設計者の魂が宿っている。それは会社が潰れても、設計者自身が亡くなった後も、職人たちの手で大切に守られている。


大きな工場では、糸の染色から、糸車への巻き付け、織り、出来上がった布を縫ってロンジーに仕上げて折りたたむまでを自社で一貫して行うところもあった。


染色する前の糸を洗う男。無口で無愛想だがその仕事ぶりは実にカッコいい。


糸を鮮やかな色に染めてしぼる。力がいる作業だ。






完成したロンジー(巻きスカート)を折りたたむ職人。ちなみにロンジーは一枚2300チャット(230円)で売っているそうだ。
[PR]
by butterfly-life | 2014-02-28 14:15 | 旅行記2013
ミャンマーの職人たち

ものづくりの光景


 職人の働く姿を見ると反射的にカメラを向けてしまうのは、僕の習性みたいなものだ。これは僕が工学部出身で機械メーカーのエンジニアだったことと無関係ではない。僕の中にもまだ「ものづくりの血」がいくらかは残っているのだと思う。

 何十年ものあいだその仕事一本で生きてきた職人たちは、ただ働いているだけで十分にかっこいい。ものづくりの現場に入り込み、職人の熟練した仕事ぶり眺めているだけで、時間はあっという間に過ぎていくのだった。


新聞紙を貼り合わせて作るハリボテの牛。寺院の境内で売られる縁起物だ。


木を削って数珠を作る職人



大理石の仏像


 仏教に篤い国ミャンマーならではの職人技が堪能できる場所といえば、マンダレーにある大理石工房がその筆頭にあげられるだろう。ここで作られている彫像の大半が仏像である。黄金のパゴダを造営し、その中に大理石のご本尊を納めるというのが、仏教徒にとって最高の「徳の積み方」なのだ。

 職人たちは電動カッターとドリルを使って仏像を彫り進めていた。昔ながらのノミと金づちを使っている人はすでに少数派になっていた。いずれにしても過酷な現場である。細かい石の粉が飛び散る中、頭からつま先まで真っ白になって働き続けなければいけないのだ。









 職人は下絵も描かずにいきなり大理石にドリルをあてていた。経験と勘に頼った方法だけに、仕上がりの上手い下手は職人の腕次第ということになる。

 完成した仏像の顔はやはりひとつひとつ微妙に異なっていた。そして大きな仏像になればなるほど、顔の造形がうまくなるという傾向が見られた。表情が上品でまろやかなのだ。大きな(それだけ高価な)像を任されるのは、経験を積んだベテランだけなのだろう。まだ10代の若者は小さな仏像から始めるのだが、その顔の造形はどこか稚拙さを感じさせるものだった。




最後の仕上げに砥石でつるつるに磨き上げる

 穏やかで慈愛に満ちた仏像が並ぶ中、ひときわ異彩を放っていたのが、苦行中の仏陀を再現した像だった。断食を続けたためにひどく痩せこけ、肋骨が浮き上がるほど腹がへこみ、腕には血管が何本も浮き出ている。そこにはすべてを悟り仏陀となる前の過激な修行僧の姿があった。以前、これと同じような苦行像をパキスタンのラホールの博物館で見たことがあるのだが、おそらくそれをお手本にして彫られたものなのだろう。


ひときわ異彩を放っていた苦行像

 この苦行像が職人が持てる技巧のすべてを注ぎ込んで作られたものであることは疑いようがなかった。「2年がかりで彫られたものなんだよ」と店の主が言う。値段を訊ねると3万5000ドルだという。うーん、さすがに高い。

 普通ならここで「あんたも買わないか?」と来てもよさそうなものだが、店主からそういうセールストークは一切出てこなかった。商売っ気がないというか、必要以上にしつこく迫ったりしないのがミャンマー人なのである。インド人とは違う。まぁただ単に「こいつには3万5000ドルも出して仏像を買う気などない」と見切られていただけなのかもしれないが。


 大理石工房の南には、ブロンズ製の仏像を作る工房があった。ブロンズだと大理石よりも大きな仏像を比較的安価で作れるようだ。

 まず粘土で鋳型を作り、その隙間に溶かしたブロンズを注ぎ込んで冷やし固める。シンプルな鋳造である。固まった像は電動グラインダーを使って表面を研磨し、光沢を出していく。大きなパゴダのご本尊として奉られている仏像の多くは、こうしたブロンズ像の表面に金箔を貼って、さらにピカピカに仕上げたものなのだそうだ。


ブロンズ像の型を粘土で作る職人


ドロドロに溶けた金属を鋳型に流し込む


固まったブロンズ像を磨く


金ピカの日傘


 マンダレーの南部にある工房で作られていたきらびやかな日傘「シュエティー」も、仏教に関わる道具だった。これは仏教徒の子供が出家する儀式(得度式)で、馬にまたがった子供にさしかけるための日傘なのだそうだ。


得度式に参加する子供にさしかけられるのが、シュエティーと呼ばれる黄金の傘

 シュエティーは金箔が貼られた表側だけでなく、色とりどりの糸で飾った裏側も美しい傘だ。金ピカ好みのミャンマー人の趣味にも合っている。これはブッダが王子であった頃の贅沢な暮らしをなぞるための道具なのだそうだが、たった1日のためだけにこれほど贅沢な傘を作ってしまうというのも、ミャンマー人の仏教に対する思いの表れではないかと思う。


シュエティーは何人もの職人の分業で作られていた。彼は傘の柄の部分を作る職人。








[PR]
by butterfly-life | 2014-02-25 10:18 | 旅行記2013
ミャンマーの教育事情

お坊さんが先生になる


 不備の多いミャンマーの学校教育を補っているのが、僧院の存在である。ミャンマーの僧院は、僧侶が仏教に則った生活を送るだけでなく、家が貧しくて十分に教育を受けられない子供たちが無料で高等教育を受けられる「まなびや」として役割も担っているのだ。





 僧院のお坊さんが公立学校の教師を兼ねている例も少なくなかった。ターズィ近郊にあるラインデッ村の小学校も、僧院と学校が一体化していて、7人いる教師は全員が僧侶でもあった。

 サフラン色の僧衣を着たお坊さんが黒板の前で算数や英語を教えている姿は、実にミャンマーらしいユニークなものだった。



 残念なことに、この学校には英語を話せる人が一人もいなかったので、お坊さん先生の詳しい事情を聞くことはできなかった。

 英語がまったく通じないのは、何もこの学校に限ったことではなかった。小学校の先生のほとんどは挨拶程度の英語ですら理解できなかったのだ。不思議なのは、それでも彼らがちゃんと英語の授業を行っているということだった。黒板に書かれた例文は正しく意味の通じるものだし、スペルミスもない。にもかかわらず、それを声に出して読み上げた途端、何を言っているのか全然理解できなくなってしまうのだ。

 発音だけでなく、聞き取りもひどいレベルだった。日本人にも「英語の読み書きはできるけど、会話になると苦手」という人は多いけれど、ミャンマー人の英語はそんなものではない。なにしろ「What's your name?」と訊ねても、「はぁ?」という顔をされてしまうのだ。



 もちろん旅行者が接する人々――ガイド、ホテルの従業員、タクシーの運転手、土産物屋など――の中には英語が話せる人が多い。それはまぁどの国でも同じである。しかしミャンマーでは、それ以外の一般の人々に英語が通じる可能性はかなり低い。限りなくゼロに近いと言ってもいいかもしれない。

 その昔、ミャンマーが英国植民地だった頃は英語教育も盛んで、教師の発音もネイティブに近いものだったそうだ。しかし今では独特のミャンマー訛りが教育現場に浸透し、その結果公立学校で学ぶ英語は「一応は教わるけど、ほとんど役に立たないもの」になり下がってしまったのである。







ムスリムの村にある小学校


 ジピンパウクという村にある小学校は、別の困難に直面していた。

 この村は住民全員がムスリムなので、子供たちは小学校に行く前に「マドラシャー」と呼ばれるイスラム学校に行かなければならないのだ。マドラシャーでコーランの暗唱を1時間ほど繰り返した後、子供たちは公立の小学校に向かう。そして授業が終わるとマドラシャーに戻って、再びコーランを学ぶのだ。


子供たちはマドラシャーでコーランを学ぶ



 それだけを聞くと「ずいぶん勉強熱心な村だな」と感心してしまうのだが、現実はそう甘くはないようだ。
「小学校で使うべきエネルギーがマドラシャーで使い果たされてしまって、大半の生徒は授業についてこられないんです」
 この学校で教鞭を執って6年になるチョーソーウーさんは言う。
「ここはミャンマーでももっともレベルが低い学校のひとつなんですよ。村はとても貧しく、村人は子供たちの教育に熱心ではありません。コーランの暗記だけしていればそれで十分、と考えている人が多いんです」





 カルチャーギャップも問題をややこしくしている。生徒は全員ムスリムだが、先生は全員が外から来た仏教徒なのだ。バックボーンとなる文化が違っているせいで、お互いにコミュニケーションがうまく図れない。先生も生徒のことが理解できていないし、生徒も先生のことがよくわからないのだ。そんな状態では、教科書以上のことを教えることは難しい。

 ミャンマーは国民の大多数が仏教徒だが、インドやバングラデシュから移住してきたムスリムやヒンドゥー教徒も少なくない。山岳地帯には固有の文化を持つ少数民族も数多く住んでいる。「文化摩擦」が教育現場に問題をもたらす例は、この村に限ったことではないはずだ。




この学校のようにビルマ系の子供とインド系のムスリムが一緒に学ぶところも多い。ここでは民族の違いは大きな問題にはなっていない。


[PR]
by butterfly-life | 2014-02-21 14:06 | 旅行記2013
ミャンマーの学校は笑顔の宝石箱だった

学校は笑顔の宝石箱

 ミャンマーの小学校は、笑顔がたくさん詰まった宝石箱のような場所だった。

 カメラを向けたときの子供たちの反応はとても素直で、好奇心に満ちた笑顔をこちらに向けてくれるし、窓から差し込む光が暗い室内にほどよいコントラストを与えてくれるので、自然光を生かした写真が撮りやすかった。
 もちろん子供たちが顔に塗っている日焼け止めの「タナカ」もフォトジェニックだった。



























 しかし、ミャンマーの小学校が置かれている状況は決して良いものではなかった。特に田舎の小学校では、校舎の老朽化と教員不足が深刻だった。5学年を3人の教師で教えているところもあった。もちろん2学年を同時に教えることはできないから、半分の生徒は自習ということになる。当然のことながら先生の目は行き届かないから、勝手に教室を抜け出す子供もいれば、教室の床にごろんと寝転がってしまう子供もいる。


授業中、鼻血を出して倒れてしまった男の子

 授業のレベルも高いとは言えなかった。特に低学年の子供たちはひたすら何かのフレーズを大声で暗唱させられるか、ビルマ語の「あいうえお」を書き取りしているかのどちらかだった。子供の創造性や自主性を重んじるような授業は皆無で、言われたことをただ繰り返すことに終始していた。


【動画】ミャンマーの小学校の授業風景


「教師の給料はとても安いんです」
 とある女性教師はこぼした。月給は4万チャット(4000円)程度で、これではいくら物価の安いミャンマーでも家族を養うことはできない。だから90%以上の教師は女性だった。収入を夫に頼りながら、妻が(半分はボランティア精神で)教師を続けるというパターンが一般的なようだ。安月給でモチベーションが上がらないせいなのか、遅刻や無断欠勤を繰り返す教師も多いという。


小学校の先生の9割が女性だった



 少ない収入を補おうと、学校の中で「副業」を行う教師もいた。ある女性教師は休み時間を利用して子供たちにアイスキャンディーを売っていた。エアコンも扇風機もない学校の中は相当な暑さになるし、子供たちの数も多いから、アイスキャンディーは飛ぶように売れていく。大きなクーラーボックスがたちまち空になってしまった。

 アイスはひとつ100チャット(10円)と安いものだが、とにかく数が出るだけに、毎日続ければ教師としての給料を上回るぐらいの収益を上げられるのではないかと思う。


暑い学校ではアイスが飛ぶように売れる

 教師が学校の中でお菓子を売り歩いて収入を得ているなんて、日本では絶対にあり得ない光景だが、ミャンマーではとりたてて変だとは思われてないらしい。「そもそも教師の給料が安すぎるのが問題であり、自分はそれを解決するためにうまい方法を思いついたわけだから、何らやましいところはない」と考えているのかもしれない。

 副業としてアイスを売るなんていうのはまだマシな方で、もっとひどい教師になると「賄賂」を収入源にしている人もいるという。これは教師から直接聞いたわけではないから(もちろん聞いても答えてくれるわけがない)、真実かどうかはっきりとしないのだが、賄賂の供出を拒んだ親の子供を進級させないというひどい教師もいるらしい。

 ミャンマーでは公務員や警察官が賄賂を取るのは当たり前だという話はよく耳にしたが、まさか小学校の先生までも汚職に手を染めているとは思わなかった。そんなことがまかり通るのも、教師の給料があまりにも安いせいで、モチベーションが保てないからなのだろう。

 ミャンマーは発展途上国の中でも教育レベルが高く、識字率92%は東南アジアの中でもトップレベルなのだが、こんな状況がいつまでも続くようであれば、国の未来に暗い影を落とすことにもなりかねないだろう。






[PR]
by butterfly-life | 2014-02-18 12:08 | 旅行記2013
旅の神様が護ってくれる (ミャンマー旅行記3)

ガソリンスタンドがない理由


 僕が借りたバイクはメーター類がすべて故障していた。スピードメーターと距離計が壊れているのは許容できるとしても、燃料メーターが死んでいるのには参った。いったいいつ給油したらいいのかわからないからだ。しかもこのバイクは燃料タンクが3リットルしかないので、うっかり給油を忘れるとすぐにガス欠を起こす危険があった。

「ガソリンをいつ入れるかって? それは感覚だよ」
 ミスター・トーは涼しい顔で言う。
「感覚って何だよ」
「ここからザガインまで往復すると1時間ちょっとかかる。それで1リットル入れるって感じだな」

 彼曰く、中国製バイクが備えているメーターはただの「お飾り」で、新車を買ってもすぐに壊れてしまうのだそうだ。直してもまたすぐ壊れるから誰も直さない。だからマンダレーを走るバイクのメーターは、ほとんどすべて動いていない。土地勘のある人、毎日同じルートを走る人ならそれでも構わないのだろうが、僕のような旅行者に「感覚でガソリンを入れろ」というのは無茶な話である。

 もっともマンダレー市内を走っている限り、ガス欠の心配をする必要はなかった。ガソリンをペットボトルに詰めて売る「ガソリン屋台」が町のいたるところにあったからだ。


ペットボトル入りのガソリンが並ぶ屋台


ガソリン屋台ではおばちゃんが手作業で給油してくれる。1リットル1000チャット(100円)ほど。

 ガソリン屋台はいくらでもあるというのに、本物のガソリンスタンドがひとつもないのには理由があった。「火災が起きると危ないから」とマンダレーの市街地にはガソリンスタンドを作ることが禁止されているのである。

 実際、乾季のマンダレーでは火事が頻繁に起きている。酷暑の4月には、消防車がサイレンを鳴らしながら走り回るのが街の風物詩になっているという。高温と乾燥した空気によって、火の手が上がるとあっという間に燃え広がってしまうのだ。最近も市場で火事が発生し、建物の大部分が灰になってしまったそうだ。


ミャンマーの消防車はカッコいい。昔のアメコミに出てきそうなクラシカルな車体だ。

 しかし「火事の原因になるからガソリンスタンドを作らせない」というのは、これまたずいぶん極端な話である。他の国でそんな話は聞いたことがない。安全基準を満たしたスタンドを作らせればいいだけではないか。規制の真意はどこか別のところにあるのでは、と疑いたくなってしまう。



旅の神様が護ってくれる


 予想通りではあったが、僕が借りた中国製バイクは毎日のように故障した。パンクはもちろんのこと、ミラーがもげたり、ヘッドライトがつかなくなったり、ガソリンが漏れ出したりした。もともと品質が粗悪なのに加えて十分にメンテナンスがされていないのだから、これはまぁ当然の結果である。

 1日2、30キロの距離をトロトロと走る分にはそれほど問題にはならなかったのかもしれないが、僕のように毎日2、300キロもの距離を走り続けるというヘビーユースな日々にはとても耐えられなかったようだ。


ベアリングもあっさり壊れてしまった。目立たない部品は徹底してコストカットされているのが中国製バイクである。

 それでもさほど深刻な事態には至らなかったのは、故障が起きたときには必ずと言っていいほどすぐに修理屋が見つかったからだ。

 困っていたら、誰かが助けてくれる。トラブルが多い土地には、それをフォローする体勢も整っている。僕は経験的にそれを知っているから、どんなときも楽天的に「まぁ、なんとかなるでしょ」と構えていられたのである。


バイク修理屋はどんな田舎にも必ずある

 実際、国道を走っているときに突然チェーンが切れてしまったことがあったのだが、そのときもバイクを押して50mも歩かないうちに修理屋が現れたのだった。これはもう「運がいい」というレベルではない。「僕は旅の神様に護られているんだ」と言いたくなるようなタイミングの良さだった。

 パコックの町に向かっていたときには、ほとんど集落がないような田舎道で後輪がパンクしてしまった。周りには木々と草原しかない。「これはまずいことになったなぁ」と思いながら緩やかな坂道を下っていくと、そこに古タイヤを看板代わりに並べたパンク修理屋がひょっこりと現れたのである。まるで僕を待ち構えていたかのように。

 こんなに都合良く修理屋が現れるなんて、いくらなんでも話ができすぎている。これには何か裏があるんじゃないだろうか。そんな疑いの気持ちを抱きながら、僕は修理屋の前にバイクを止めた。ひょっとしたら修理屋の主人が道路に小さな釘だか針だかをこっそり撒いておいたんじゃないか。僕は「自作自演」を疑っていた。



「パンクかい?」
 修理屋の若い兄ちゃんは後輪を引きずっている様子をちらっと見ただけで、余計なことはなにも言わずにさっさと修理を始めた。クールな職人気質なのだろう。慣れた手つきでレンチを回して後輪を外し、ホイールからタイヤをはずしてチューブを引っぱり出した。

 それから水を張ったたらいの中にチューブを浸して、空気が漏れている場所を探した。気泡がプクプクと出てきたのは、以前パンク修理したときに貼られたパッチの継ぎ目だった。パッチの接着力が徐々に弱まっていたのだろう。パンクは釘など異物を拾って起きたものではなかったのである。

 疑ってごめんよ。僕は心の中で彼に謝った。
 彼はまっとうな商売をしているまっとうな修理屋だったのだ。おそらくパンク修理の需要が多い場所を選んで、ここに店を開いたのだろう。確かにここは道が悪いわりにバイクがよく通るところなのである。

 支払った手間賃は500チャット(50円)だった。手際もいいし、値段も良心的だ。
 いやほんと、疑って悪かったよ、兄ちゃん。


自転車修理屋も多い

 マグウェの町ではヘッドライトとクラクションを直してもらった。どちらも緊急を要する故障だった。クラクションは遅い車を追い抜くときに必要だし、ヘッドライトがつかないと夜道を走ることが出来ないからだ。市街地を除けば、ミャンマーの道には街灯などは存在しないのである。

 しかしこの修理には意外なほど時間がかかった。単なる接触不良ではなく、配線ケーブルの被覆がボロボロに劣化していて、ケーブルをそっくり交換しなければいけなかったからだ。こうした目に付かないところには徹底的に手を抜く(よく言えばコストカットしている)のが、メイド・イン・チャイナの真骨頂である。

「中国バイクはプアーだよ。本当によく壊れるだろう?」
 と同情してくれたのは、マグウェでバイクの部品屋を経営するミンルウィンさんだった。
「私は2004年製のホンダのバイクに乗っているけど、修理なんてしたことがない。だからみんなにも説明しているんだ。中国バイクは安いけどよく壊れる。修理代を考えたら、最初から質の高いものを買った方がいいじゃないかって」

 ミンルウィンさんは部品屋の他に貴金属店も経営するお金持ちで、大の日本びいきだった。1年前にはホンダの四輪車フィットを購入した。ミャンマーで自家用車を持っているのはかなりのお金持ちである。中古車でも関税が65%もかかってしまうので、日本よりも高価だからだ。彼が買ったフィットも3年落ちにもかかわらず1650万チャット(165万円)もした。

「メイド・イン・ジャパンは確かに高いけど、品質には満足しているよ。車やバイクだけじゃない。うちで使っている電気炊飯器はタイ製なんだけど、日本メーカーのライセンスで作られたものだから、4年使っても一度も故障したことがない。中国製の炊飯器だとこうはいかない。1年も経たないうちに壊れるだろうね」



ホンダが強い町


 ミャンマーにおいて中国製バイクのシェアが圧倒的なのはすでに書いたが、ミャンマー第三の街である南部のモウラミャインだけは例外だった。この街を走るバイクはなんと99%がホンダ製だったのである。すれ違うバイクを一台ずつ確認したのだが(←なんて暇なことをやっているのは僕ぐらいだろう)、ものの見事にホンダだらけであった。中国製バイクはまったく見かけなかったし、ヤマハやスズキもお呼びではなかった。とにかくモウラミャインでバイクを見れば、それはホンダなのである。


モウラミャインではホンダが圧倒的シェアを誇っていた

 モウラミャインはタイ国境にほど近いこともあって、タイとの貿易が昔から盛んだったために、タイ工場で作られたホンダのバイクが大量に輸入されているのだ、と宿の従業員が教えてくれた。他の街では15万円以上するホンダのバイクが、ここでは10万円ちょっと買えるという。中国製バイクとの価格差は2倍程度に抑えられているので、それだったら信頼性の高いホンダを買おうということになっているようだ。

 日本製バイクも中国製に一方的にやられているだけではなかったのである。条件さえ整えば、日本製を買ってくれる顧客はちゃんといる。そのことをモウラミャインは証明していた。


モウラミャインの街にはホンダの代理店がたくさんあった

 モウラミャインの人々は僕が中国製バイクに乗っているのを見ると、
「なんでホンダにしないんだ?」
 と呆れた顔で聞いてくる。そして自分のホンダがいかに優秀か力説してくれた。まるで出来の良い息子を自慢するかのように。
「ホンダだったらエンジンオイルの交換以外ほとんどメンテナンスが要らないんだよ」
「うちのホンダは1990年製だけど、まだ元気に走っている」
「ホンダは中古品でも高い値段が付く。だからホンダを買うのさ」

 しかし、こうした意見はミャンマー全体から見ればまだ少数派なのである。今でも大多数の人は「たとえ故障が多くても修理屋があれば問題ない。だから安い中国製バイクがいい」と考えているのである。



 実際のところ、修理屋はあちこちにあるし、費用だってとても安い。そして何よりミャンマーには「時は金なり」という感覚を持つ人が少ないのだ。のんびりとした時間が流れるこの国には、「修理によって失われる時間がもったいない」などと考える人はいないのである。

 そんなわけで、メイド・イン・ジャパンのバイクが再びミャンマーを席巻するのはかなり厳しいのではないかと思う。


空いっぱいに広がるうろこ雲の下、中国製バイクにたくさんの鶏をくくりつけたおばちゃんが田舎道を疾走していた。
[PR]
by butterfly-life | 2014-02-12 12:01 | 旅行記2013
「安かろう悪かろう」の中国製バイク (ミャンマー旅行記2)

「安かろう悪かろう」の中国製バイク

 マンダレーには貸しバイク屋がいくつかあるので、外国人旅行者でも気軽にバイクを借りることができた。値段は1日あたり8000チャット(800円)ほどで、これはベトナムやカンボジアなどと比較すると割高だが、べらぼうに高いというほどではなかった。

 問題は借りられるバイクがどれも安い中国製だということだった。しかも状態が良くない。整備不良とまでは言わないが、何年も乗り続けてすっかりくたびれたバイクが目立った。


マンダレーで借りられるバイクはどれも中国製だ

 僕は決して日本製品至上主義者ではないし、メイド・イン・チャイナを目の敵にしているわけでもない。トラブルなく走ってくれさえすれば、中国製だろうが北朝鮮製だろうが気にしない実用主義者である(実際、インドを旅するときはいつもインド製バイクに乗っている。インド製に品質にはおおむね満足しているからだ)。

 けれど中国製バイクには悪いイメージしかなかった。見た目は悪くないのだが、いざ走り出すとしょっちゅうトラブルに見舞われるのだ。長くハードな旅の相棒としてふさわしい相手ではないのは間違いないのだが、ミャンマーでは他に選択の余地がなかったのである。


とめてあるバイクのほとんどは中国製だ

 僕がミスター・トーという男から借りたのは、「KENBO」という中国メーカーのバイクだった。
 健忘? 権謀? ケン坊?
 なんとなく日本語を連想させるような微妙なブランド名をつけているのは、「あわよくば日本製だと勘違いしてもらいたい」という願いの表れなのだろう。もっともこの「KENBO」は数ある中国バイクメーカーの中でも名の通ったブランドであるらしく、ミャンマー全土で積極的に広告展開を行っていた。


ミャンマーで販売攻勢をかけているKENBOの代理店

 しかし中国人というのはすぐに先行者の真似をしたがるようで、KENBO人気が盛り上がっているとみるや、たちまち「ANBO」だとか「SUNBO」といった類似のブランド名を冠したバイクを作ってしまうのである。このような節操のなさというか、したたかに「三匹目のドジョウ」を狙う図太さは中国メーカーならではのものだろう。

 彼らは自社製品に対する誇りやオリジナリティーなんかよりも、いま売れているブランドに「間違えられる」可能性の方を優先するのだ。それにしても「ケンボー、アンボー、スンボー」なんて、なにかの冗談みたいだ。「ヤンボー、マーボー、天気予報」じゃないんだからさ。

「日本製バイクが素晴らしいっていうのは知っているよ」
 と僕にバイクを貸してくれたミスター・トーは言った。
「でもメイド・イン・チャイナに比べると高すぎるんだ。ホンダのバイクなら150万チャット(15万円)もする。中国製ならたった45万チャットだからね」

 なるほどね。価格差が三倍もあっては勝負にならない。いくら品質に明らかな違いがあっても、この圧倒的な価格差を乗り越えるのは相当に難しいだろう。

 10年ほど前まで、ミャンマーを走るバイクのほとんどはホンダ製のスーパーカブだった。しかし中国との国境貿易が活発化し、関税が引き下げられたおかげで安い中国製バイクがどんどん入ってくるようになると、日本製バイクのシェアは急激に低下した。そして、あれよあれよという間に、中国製バイクがミャンマー市場の9割を占めるまでになったのである。

 「日本製バイクが独占していた市場を安い中国製品が奪う」という状況は、かつてベトナムでも起きたことがある。ベトナムの場合は、中国製バイクの「安かろう悪かろう」な品質が知れ渡るにつれて、再び日本製バイクのシェアが回復したのだが、今のところミャンマーで同じような逆転劇が起こる気配はない。経済成長著しいベトナムと違って、まだまだバイクが高嶺の花であるミャンマーでは、「品質よりも価格」という考えが支配的なのである。


LUOJIAというメーカーも人気だった

 中国の影響力の強さを感じるのはバイクだけではなかった。たとえばマンダレーの街にあるホテルやレストランや貴金属店の多くは中国系資本で経営されていたし、中国人旅行者も急増していた。僕が泊まっていたホテルも客の半分は中国人だったので、フロント係も流ちょうに中国語を話す人が多かった。


マンダレーの街には中国系資本の貴金属店が目立つ

 ミャンマーの軍事政権に対する経済制裁が強まった10年ほど前から、ミャンマーと中国は経済面でも政治面でも結びつきを強めていた。欧米中心の国際社会から孤立していたミャンマー政府に、中国政府が救いの手をさしのべた格好だった。

 しかし両国の蜜月関係は、ミャンマー政府に「このままでは中国に牛耳られてしまう」という恐れを抱かせたようだ。中国商人はシビアだし、中国政府は影響力拡大のためには手段を選ばないタフな交渉相手だ。彼らはミャンマーに眠る天然資源を取りに来る代わりに、安い中国製品を大量に運び込んでくる。このままだと完全に中国の支配下に置かれてしまうかもしれない。そんな危機感の高まりが、ミャンマー政府が国際社会に向けて再び扉を開くきっかけにもなったようだ。


「カネがすべてだ」とミスター・トーは言った

 ミスター・トーは30半ばの痩せた男で、いつも暇そうに木陰に座っていた。「コオン」という噛み煙草をくちゃくちゃと噛んでいるせいで前歯が赤黒く染まっているので、笑顔がちょっと怖い。
「コオンは歯にもいいし、胃液の分泌をよくしてくれる」
 と彼は主張するのだが、それが事実かどうかはかなり疑わしい。

 本業は貸し自転車屋だが、僕が「今日の売り上げはどうだった?」と訊ねると、肩をすくめて「誰も来なかったよ」と答えるのが常だった。あまり商売っ気のない男なのである。僕が借りていたバイクもミスター・トーのものではなく、彼の友達が持っているバイクだった。彼は紹介料としてわずかなコミッションを得ているに過ぎなかった。

 ミスター・トーが貸し自転車屋を始めたのは、今から12年前のこと。あるカナダ人旅行者と知り合ったのがきっかけだった。そのとき彼はサイカー(三輪自転車タクシー)の運転手をしていて、たまたまお客として乗せたカナダ人が彼のことを気に入り、自転車をプレゼントしてくれたのだ。こうして彼はマンダレー初の貸し自転車専門業者になったのである。


サイカーの運転手

 スタートは順調だった。外国人旅行者は自転車で自由に町を走りたがっていたし、ライバルもいなかったからだ。しかし成功はそう長くは続かなかった。「この商売は儲かる」と気づいた男が次々と貸し自転車業に参入してきた結果、供給過剰になってしまったのだ。

「そこに追い打ちをかけたのが2007年のデモ騒動さ。あれで外国人が誰も来なくなって、収入がなくなってしまった。しばらくは知り合いに借金をして何とかしのいでいたんだが、ついに借金が返せなくなって、自転車5台を取られてしまった。あのときは本当に参ったよ」
「それで、どうなったの?」
「まぁそのあと何とか他の仕事で稼いだ金で借金を返せたんで、自転車は取り戻せたんだ」
「良かったね」
「まったくだよ。あのときは目の前が真っ暗になったからな。今はまた観光客が増えたから、商売はまずまず順調さ。でも、そろそろこの商売は辞めようと思っているんだ」
「どうして? せっかく観光客が増えたのに」
「はっきり言って利益が少なすぎるんだよ。貸し自転車の相場は1台あたり1ドルだ。毎日お客が来てくれるとも限らない。これでは4人の子供を育てるのは難しい。学費だって払わなくちゃいけないし、毎月の家賃も上がっているしね」
「何の商売をするつもりなの?」
「中国で仕入れてきた電気製品をこっちで売る。そういう商売を考えているんだ。懐中電灯とか電池とか蛍光灯とかね。あっちはそういったものが安いから、かなり儲かるはずだ。問題はアイデアはあってもお金がないってことだ。お金がないと中国へ入ることができないし、買い付けもできない。とにかく必要なのは金、お金だよ。お金さえあれば、何だってできるんだ」


サイカーはミャンマー庶民の足だ



 「カネが全てだ」と言い切るミスター・トーだが、彼は決して「カネの亡者」などではなかった。むしろお金に関して真っ正直な人間だった。例えば、バイクのスターターの調子が悪くて修理屋で直してもらったときも、彼は「修理費用はバイクの持ち主に出させるから、あんたが金を払う必要はない」と言ったのだ。彼にその気があれば、僕を騙すのは簡単だった。僕に修理費用を払わせて、それをバイクの持ち主に黙って自分のポケットに入れればよかったのだ。しかし彼はそうしなかった。

 逆に言えば、ミスター・トーのように正直な人間が貧しさから抜け出せないということがこの国の問題なのだと思う。ちょっとした知恵の働くすばしっこい人間や、もともと権力や財力のある人間だけが得をして、コツコツと働く庶民は報われない。それがミャンマーという国のアンフェアな現実なのである。


[PR]
by butterfly-life | 2014-02-06 11:39 | 旅行記2013