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首都ネピドーからタウングーを経て、ターズィへ

首都ネピドーへ


 バゴーからタウングーという町を通って、首都ネピドーへ向かった。
 タウングーを過ぎたあたりから、空気の質ががらりと変わった。湿気をたっぷりと含んだ熱帯の風が、からっと乾いた爽やかな風へと入れ替わったのだ。光は透明になり、空は青みを増した。すばらしい光の下で、多くの農作業を写真に収めることができた。


青空の下でトウガラシを収穫する

トンボを使って畑をならす男



ブリキ製のじょうろを使ってタマネギ畑に水をやる人々


刈り取った稲穂を肩に担いで運ぶ



 首都ネピドーに近づくにつれて、軍人と警官の姿が目立つようになった。他の町とは明らかに様子が違う。ピリピリした緊張感があたりに漂っていた。

 ネピドーはもともと何もない森林地帯に唐突に造られた都市である。遷都にあたっては占いを使ったとか、中国の故事に倣ったといった噂があり、建前としては計画都市だが、実際には合理的な計画に基づいて造られたわけではないともいわれている。そもそも首都機能をわざわざヤンゴンから移す必要があったとは思えない。時の為政者の気まぐれで実行されただけなのではないか。

 ネピドーは道幅が無駄に広い(場所によっては16車線もある!)のが特徴で、そのわりに人影がまばらにしかないので、非常にアンバランスな印象だった。

 僕は首都機能だけの街なんかには全然興味がないので、ネピドーはさっさとパスするつもりだったのだが、警察の検問に引っかかってしまった。テロへの警戒なのか、密輸の防止なのかわからないが、国道を通る車両を片っ端からチェックしていたのだ。

 幸いなことに、警官の態度は高圧的なものではなく、とてもにこやかで紳士的だった。僕が外国人だとわかると、片言の英語で「パスポートを見せてください」と言った。パスポートを手渡すと、警官は僕を検問所の中に招き入れて、お茶を一杯ごちそうしてくれた。

「ここを通る外国人はパスポート番号をチェックすることになっているんです。あなたはミャンマーで働いているんですか?」
「いいえ、旅行者です」
「そうですか。これからどこへ?」
「マンダレーに向かいます」
「気をつけてくださいね。ミャンマーの道路は危険で一杯だ。あなたの国とは違いますから」

 そんなごく普通の会話を交わした後、パスポートが戻ってきた。どうやらチェックは無事に終わったようだ。
 僕がバイクにまたがると、警官は軽く手を上げて挨拶してくれた。
 気をつけてね。ありがとう。

 ほんの2、3年前まではこんな風にすんなりと検問所を抜けることは不可能だった。ミャンマー政府は外国人が立ち入り可能な地域を細かく設定していて、バイクで自由に移動するようなイレギュラーな旅行者を警戒していたからだ。特に中央政府からの分離独立を目指す少数民族が住む山岳地帯にはできるだけ外国人を入れたくないというのが、彼らの本音だった。外国人ジャーナリストがゲリラと接触して、政府に不利な情報を流されては困るからだ。

 今回の拍子抜けするほどあっさりとした検問の様子は、ミャンマーという国の変化を証明するものだった。外国人をなるべく排除し、国民の行動に目を光らせ、規制を強化して国家体制を維持するのではなく、国を開いて外国からの投資を呼び込んだ方がいい結果を生む。そのような認識のもと、政策の方針転換が行われたのだ。

 「外国人に優しく接しなさい」というお達しが政府から出されているのかはわからないが、空港の入国係官の態度も驚くほど丁寧だった。僕のパスポートを見るなり「おはよございます!」と日本語で挨拶してくれたのだ。英語、フランス語、タイ語や中国語などの挨拶もひと通り覚えているようだった。

 こんな心遣いができるイミグレーションは世界でも珍しい。どの国でも入国係官というのはぶすっとふてくされて座っていて、パスポートもぽいと投げてよこすのが普通なのだ。玄関が変われば、その国の印象も変わる。他の国のイミグレーションにもぜひ見習って欲しいものだ。



日本刀はいかが?

 ネピドーから90キロほど北上したところにあるヤメテインの近郊に、刃物を並べた露天があった。他の地域では見たことがない刀専門の露天商が20以上も軒を連ねていたのである。並べられていたのは農作業で使うクワやナタだけでなかった。なぜか日本刀も売られていたのだ。

 僕が物珍しそうに刀を眺めていると、商店主の男が話しかけてきた。
「これはジャパン・ケンシの刀だ」
 確かに少し後ろに反り返ったフォルムは日本刀のものである。どうやら「第二次世界大戦当時に日本軍が使っていた古い刀を売っている」という触れ込みらしい。



 しかし男の言葉をそのまま信じるわけにはいかなかった。60年以上前の刀にしては新しすぎるし、作りも粗雑だったからだ。「なんでも鑑定団」の鑑定士なら即座に「いい仕事してませんねー」と言うだろう。おそらく日本刀をまねて地元の鍛冶屋がこしらえたものか、中国から輸入されたコピー品ではないか。

 この日本刀の言い値は3万チャット(3000円)。ミャンマーの物価を考えればかなり高いが、果たして買う人などいるのだろうか。というか一体誰が日本刀なんて買うのだろうか。僕には見当もつかなかった。



美しいバラにはトゲがある

 ターズィ周辺の村にも働き者の女たちがたくさんいた。
 舗装用の砂利を作る採石場は、ひどい騒音とすさまじい埃をまき散らす過酷な職場だったが、ここでも若い女たちが進んで力仕事を引き受けていた。


採石場は過酷な労働現場だ





 採石場で働く女たちの中に、素晴らしい笑顔の持ち主がいた。まだ二十歳前だろうか。白い歯を思いっきり見せて笑ってくれた。

 僕は彼女と言葉を交わしたわけではない。そもそもこの轟音の中では言葉なんてまったく聞こえないのだ。僕はまたまたそばを通りかかって、カメラを向けただけだった。それなのに彼女は混じりっけなしの100%の笑顔を向けてくれたのである。

 不思議な気持ちだった。シャッターを切ったあとも、彼女の中の何かに触れたという感触が僕の手の中にしっかりと残っていた。


 稲刈りをする女たちを撮ろうと田んぼに近づいたときには、ひどく痛い思いをした。

 バイクを道ばたに止めて田んぼに降りようと歩き始めた途端、左足の裏に激痛が走ったのだ。
 痛っ。
 どうやらトゲを踏んづけてしまったらしい。

 乾燥地帯の灌木のトゲは想像以上に危険である。植物とは思えないほど硬く、ゴム製のサンダルなんか簡単に貫通してしまうのだ。バイクのタイヤを貫通してパンクさせることすらある。

 鋭く尖ったトゲは、かかとの真ん中あたりにぐさりと突き刺さっていた。子供の頃に画鋲を踏んだ経験をお持ちの方は、どの程度の痛みかわかるだろう。

 涙が滲んでくるほどの痛みだったが、いつまでも痛がっているわけにはいかなかった。なにしろすぐ目の前には、僕がずっと求め続けていた稲刈りの現場が待っているのだから。

 僕は足を引きずるようにして田んぼに降り、女の子たちにカメラを向けた。僕の身に起きたアクシデントのことなどまったく知らない彼女たちは、期待通りの笑顔を向けてくれた。





 「美しいバラにはトゲがある」って話はどうやら本当のようだ。
 鋭く尖ったトゲの痛みを恐れていては、本当に美しいものは手に入らないのだ・・・・・・たぶん。



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by butterfly-life | 2014-03-31 14:22 | 旅行記2013
バゴーの黄金パゴダを巡る

ヤンゴンを抜けてバゴーへ向かう


 ミャンマーをバイクで一周するにあたってもっとも心配していたのが、ヤンゴンをいかにして通過するかという問題だった。

 アジアの都市には珍しく、ヤンゴン市内はバイクが全く走っていない。バイクの通行が法律で禁止されているからだ。しかしパテインから東に進んでバゴーへ抜けるためには、どうしてもヤンゴン市内を通らなければいけない。ヤンゴン川を渡る橋は1ヶ所しかないからだ。

 もし警察官に止められて「引き返せ」と言われたら為す術がない。
 はてさて、どうなることやら。
 緊張と不安を抱えながら、僕は橋を渡った。


ヤンゴン市街から巨大な仏塔シュエダゴン・パゴダを望む


バイクの通行が禁止されているヤンゴンでは、バスが主な交通手段だ

 ヤンゴン市内はひどく渋滞していた。もちろん自動車やトラックばかりである。しかしごくたまにバイクとすれ違うこともあった。どうやら「バイク禁止」はそれほど徹底されているわけではないようだ。

「法律では禁止されているけど、バイクに乗っている人もいるよ」
 と教えてくれたのは、僕が道をたずねたタクシーの運転手だった。
「まぁたまに警察につかまることもあるようだが、ここはミャンマーだからな。わかるだろ? 賄賂を渡したらお咎めなしってことさ」

 幸いなことに、ヤンゴン市内を出るまでのあいだ、僕が警官に止められることは一度もなかった。交通整理をしていた警官とも目が合ったし、パトカーが後ろから追い抜いていったこともあるが、特に何も言われなかった。「案ずるより産むが易し」の言葉通り、僕の心配は杞憂に終わったのだった。



黄金のパゴダを巡る

 バゴーには有名な観光地がいくつもあった。
 この町のシンボルであるシュエモードー・パゴダは114mもの高さがある巨大な仏塔で、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダよりも高い。「ミャンマー三大パゴダ」のひとつだそうで、その迫力は群を抜いている。天を突く黄金の仏塔と、空を覆う様々な形の雲は、実に絵になった。


シュエモードー・パゴダは114mもの高さがある巨大な仏塔

 マハーゼディー・パゴダは土台部分が白くて美しい仏塔だ。ここは仏塔を取り囲む参道までバイクが入れるのだが、僕がバイクを参道の脇に止めて歩き出した途端、物売りのおばちゃんから「ここは裸足よ!」と注意された。ご、ごめんなさい。忘れてました。僕は慌ててサンダルを脱いだ。

 でもどうしてバイクで走るのはOKなのに、サンダルで歩くのはダメなのだろうか。その理屈がどうもよくわからない。こういう理不尽さは、あちこち牛の糞だらけなのに土足厳禁の原則だけは忠実に守っているインドの寺院とも共通していた。「神聖な境内を土足で汚してはならない」というのがそもそもの理由なのだろうが、それだったらバイクや車も通行禁止にするべきだと思うのだが。


マハーゼディー・パゴダは土台部分が白くて美しい仏塔

 もっとも多くの観光客を集めていたシュエターリャウン寝仏は、全長55mもある巨大な涅槃仏だ。涅槃の境地に達し、肘をついて横たわっているお釈迦様の顔は、例によってとてもくっきりして、どこか漫画チックである。親しみを持ちやすいお顔とも言えるが、どこかしらユーモラスだ。ここはタイ人観光客がとても多くて、あちこちからタイ語が聞こえてきた。巨大な涅槃仏というのはタイ人の琴線に触れるもののようだ。


シュエターリャウン寝仏は全長55mもある巨大な涅槃仏

 このシュエターリャウン寝仏は、アンコールワット遺跡と同じように王朝が滅んで都が放棄されたあと密林に覆われていて、最近までその存在が忘れられていたという。それだけ自然が持つ力が強大だということなのだろう。それにしても55mもの巨体が、誰にも知られずに何百年も身を隠していたというのは、日本人にはなかなか信じられない話だ。

 寝仏殿の入り口には、片言の日本語を話せる物売りの青年がいた。彼が手にしていたのは、ミャンマー各地の観光名所を一堂に集めた20枚綴りの絵はがきだった。印刷の質もなかなか良さそうだ。
「おにいさん、これ絵はがき。20枚で500円。やすいね」
 こうしたお約束の台詞を聞くのは久しぶりだった。以前はアジア各地で頻繁にこうした物売りに会っていたはずなのだが、僕がバイクで旅をするようになって、観光地に行かなくなったので、出会う機会がなくなってしまったのだ。

 なんだかとても懐かしい気持ちになった。何より彼が僕のことを日本人だと認識してくれたのが嬉しかった。今やすっかりミャンマー人に同化していて、どこに行ってもビルマ語で声を掛けられる日々だったからだ。

 現地に溶け込めていいじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。現地語も話せないのに見た目だけ同化しても、困ることの方が多いのだ。しかしこればっかりはもう諦めるしかない。バイクで旅をしている以上、(いくら日焼け止めを塗っても)真っ黒く日焼けするのは避けられないし、日焼けしてしまえばミャンマー人と日本人の見た目の差など微々たるものでしかないのだ。



B級グルメの宝庫・バゴーで食べたチキンライス。香ばしいチキンがご飯にどっさり盛られ、その上から甘辛いタレがかけられている。スープ付きで1000チャット(100円)と安く、ボリュームも満点だった。


バゴーのカフェでは南インドの地域料理であるドーサを食べることができた。発酵させた豆粉を生地に使った本格的なドーサは焼きたてが最高にうまかった。しかも1枚200チャット(20円)ととても安かった。


ドーサを焼いていたインド系のおばさん。おそらく南インドから移住してきた一族の末裔なのだろう。



経済成長の代わりに得たもの

 バゴーの町にはたくさんのパゴダがあった。あっちにパゴダ、こっちにもパゴダ。僧院の数も多く、もっとも大きな僧院には1000人以上の僧侶が住んでいるという。



 壮麗なパゴダや金箔に覆われた仏像、大きな僧院とそこで暮らす僧侶たち。ミャンマー人が仏教を支えるために注ぎ込んでいる富は莫大なものだ。これだけの資金と資源を道や橋などの公共インフラや民間の経済活動に回していれば、この国はもっと豊かになり、人々の生活レベルも格段に向上していただろう。

 しかしミャンマー人はそういう道を選ばなかった。「選びたくても選べなかった」というのが本当のところなのだろう。国際社会からの経済制裁が長く続いたことによって国内経済が停滞し、これといった産業が育たなかったために、仏教以外に有効なお金の使い道が見いだせなかったのだ。

 結果的に、ミャンマーは経済的な発展から取り残されてしまった。隣国タイとは目がくらむほどの差をつけられている。今後その差は埋まっていくだろうが、出遅れを取り戻すのは容易ではないだろう。

 しかしミャンマーの人々が経済成長の代わりに得てきたものも、決して少なくはないのだと思う。
 たとえばそれは僧院の中に流れる穏やかな空気であり、何かに向かって祈る真摯な姿勢である。





 ミャンマーの人々は日常的に祈り、瞑想することで、自らの心を豊かに耕してきた。
 物はないけど心は豊かなんだ。そう胸を張って生きてきた。

 稼いだお金の額でその人の価値が決まるわけではない。
 古いものをうち捨て、新しいものを取り入れることだけが「進歩」ではない。

 そうした心持ちこそがミャンマー人らしさなのだと僕は思う。






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by butterfly-life | 2014-03-27 09:07 | 旅行記2013
ミャンマー人が穏やかな理由

ミャンマー人が穏やかな理由


 ミャンマーの国道は舗装もしっかりされているし、交通量も少なくて走りやすい。しかしいつも整備された国道ばかり走っていたのではつまらないので、たまにはわざと田舎道を選ぶことがある。パコックからエーヤワディー川の北側を通ってマグウェの町に向かっていたときも、ちょうどそんな気分だった。あえて悪い道を進むことで何か面白いものに出会えるかもしれないという予感が、僕の頭をノックしたのである。

 しかし、この日の予感はまったくの空振りに終わった。ほとんど人が住んでいない乾燥した草原と丘陵地帯が続くばかりの、とんでもなく退屈な道を走り続けることになってしまったのである。


集落のない丘陵地帯

 ミャンマーの田舎は人口密度が低く、集落が少ない。灌漑農業が盛んな中部の穀倉地帯を除けば、人も家畜もあまり見かけない茫漠とした土地が続くところが多いのだ。

 こうした光景はインドやバングラデシュといった南アジアの国々ではあまり見られない。南アジアでは田舎にもギチギチに人がいて、余裕がないのだ。耕作できる限界まで土地を利用している。しかし人口密度が低い(インドの5分の1しかない)ミャンマーには、手つかずの土地が残されている。町も空き地だらけでスカスカな印象なのだ。

 ミャンマー人が穏やかなのは、土地に余裕があるせいなのかもしれない。退屈な道を走りながら、僕はそんなことを考えていた。お隣のバングラデシュのように常に人と人とがぶつかり合ったり、競い合ったりする必要がなく、のんびりと穏やかに暮らしていける。そうした環境が人の性格にも影響を及ぼしているのではないだろうか。


ミャンマー人が穏やかなのは、土地に余裕があるからなのかもしれない







 道の悪さにも苦労した。もともと交通量の少ない道だから状態が良いわけがないのだが、ここまで大変だとは思わなかった。穴ぼこだらけの道が続くのにもうんざりしたが、それ以上に困ったのは、橋のない川を自力で渡らなければいけなかったことだ。

 ミャンマーの田舎道には、川と交差する場所にあえて橋を架けずに、バイクや車にそのまま川底を走らせる「渡河ポイント」がいくつもある。まだ雨季が終わって間もない11月には結構な量の水が流れている川もあって、渡っている途中にエンジンが止まりはしないかとヒヤヒヤした。


渡河ポイントには思わぬ危険が潜んでいる

 橋を架ける予算がないということなのだろうが、「下手に橋なんて架けても洪水で流されてしまったら元も子もなくなってしまう。だったら最初から橋なんか架けない方がいいじゃないか」というやや捨て鉢気味な発想も見え隠れしていた。

 実際、大きな橋が流されてしまった場所も通りかかった。地図の上ではちゃんと橋が架かっているはずなのに、その橋が消えているのである。コンクリートの橋脚だけがいくつか残されていたが、あとはすべて洪水で流されてしまったようだ。

 おいおい、引き返せっていうのか?
 一瞬、途方に暮れた。川は十分に水位があって、自力で渡ることなど不可能だし、ここが通れないとなると、100キロ以上戻らなければいけない。勘弁してくれよ・・・・・・。

 しかし念のために橋のたもとまで行ってみると、ちゃんと渡し船がいて、バイクごと対岸に渡してくれた。
 やれやれ、助かった。

 わずか1分ほどの船旅の運賃は1000チャット(100円)。ちょっと高い気もしたが、文句を言えるような立場にはなかった。渡してくれただけで十分ありがたかった。


壊れた橋の代わりに渡し船がバイクを渡してくれた

 集落もまばらにしかない道だから、ガス欠も心配だった。前にも書いたようにバイクの燃料計は壊れているから、いつどこでガソリンが切れるかわからないという不安を常に抱えていたのだ。

 もうやばいんじゃないか、止まっちゃうんじゃないか、というところでようやく国道に合流できたときには心底ほっとした。国道に出ればもうこっちのもの。交通量も多いので、ガソリンスタンドを見つけるのに苦労はいらない。

 ガソリンスタンドの従業員は20歳そこそこの若い女の子が多く、バイクから荷物を下ろすのを手伝ってくれたり(荷物を下ろさないと給油口が開かない)、冷えたミネラルウォーターを一本サービスしてくれたりと、とても感じが良かった。ガソリンの価格はほぼ横並びなので、サービス競争が激しくなっているようだ。


ガソリンスタンドの女の子

 不思議なのは、次々と新しいガソリンスタンドがオープンする中で、いまだにペットボトル入りガソリンを売る屋台が堂々と営業を続けていることである。


ペットボトルにガソリンを入れて売る屋台もまだあちこちにある

 値段はスタンドの方が安い。スタンドで給油すると1リットル950チャット(95円)ほどだが、屋台だと1リットル(よりもいくぶん少なめ)で1000チャットなのだ。品質の面でもスタンドの方が信頼できるし、ペットボトル売りだと「満タンにしてくれ」といった融通も利かない。屋台が勝っている要素なんてひとつもないのだ。


ミャンマーにも新しいガソリンスタンドが次々に作られていた

 スタンドがまばらにしかない田舎で、日々のちょっとした給油需要に応えている店なら、まだわかるのである。しかしガソリンスタンドのすぐ隣で平然と営業しているガソリン屋台はいったいどういうつもりなのだろう?

 わからない。僕には全然わからない。ただの惰性か、あるいは僕の知らない奥の手を使って客を呼び込んでいるのか。まったくもって謎である。



牛車の歩み

 ミャンマーのガソリン価格は1リットル100円とアジアの中では平均的な水準だ。しかし小学校教師の月給がたった4000円というこの国では、決して気軽に給油できるわけではない。

 今でも農民の多くが牛車を使っているのは、燃料費がかからないからだ。牛はその辺の草を食べさせていれば働いてくれるし、「副産物」として出てくる糞も畑にまく肥料として使える。まさにエネルギーの地産地消。わざわざサウジアラビアから運んできた石油を燃やす必要はないのである。






牛車を作る男。木製の車輪は大きくて重いが、丈夫で長持ちする。

 牛車はミャンマーの乾いた土地に適した乗り物だ。バイクや自転車だとタイヤが空回りしてしまうような柔らかい砂地の道でも、牛のしっかりとした歩みなら進んでいけるのだ。

 牛の歩みは遅い。ものすごく遅い。
 「効率」と「スピード」を求め続ける資本主義社会が許容できるようなペースではない。
 しかし、穏やかな時間が流れるこの国の人々は、牛歩の遅さを悠然と受け入れている。

 のんびり行こうや。多少時間がかかったって、最後にはちゃんと目的地に着くんだからさ。
 畑仕事を終えて家路につく農夫の背中は、そんなことを語っていた。




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by butterfly-life | 2014-03-24 14:40 | 旅行記2013
世界一の仏像を「見仏」する (ミャンマー旅行記18)

ネズミってどんな味?


 モンユワの市場には「焼き鳥」ならぬ「焼きネズミ」が売られていた。最初は何の肉なのかわからなかった。四本足の小動物なのはわかるが、これは一体何だろう?

「これって何の肉?」
 売り子のおばちゃんに聞いてみると、
「チュエだよ」と言う。
「チュエって何?」
「チュー、チュー」
 とおばちゃんは鳴いた。やっぱりね。これはネズミの肉だったんだ。


ずらっと並べられた焼きネズミ。見た目はあまりうまそうではないが・・・

 おばちゃんによれば、このネズミは飼育されているものではなく、地面の下の巣穴に手を突っ込んで捕まえてきたものだそうだ。野ねずみである。それをばっくりと開いて、タレを塗ってから炭火で焼く。

「ネズミは一番安い肉だから、よく食べるんですよ」
 市場に買い物に来ていた女性教師が教えてくれた。
 小さなネズミは1匹100チャット(10円)、大きなネズミは3匹で1000チャット(100円)だという。

 せっかくなので、食べてみることにした。僕は決してゲテモノ食いではないのだが、地元の人が好んで食べているものなら、特に抵抗なく食べることができる。

 おばちゃんは熱心に大ネズミを勧めたが、僕が買ったのは小ネズミの方だった。どんな味かもわからない肉をがっつり食べるわけにもいかない。まずは小さなもので味見をしようと思ったのだ。

 焼きネズミは頭がそのまま付いているからかなりグロテスクな見た目だった。しかし僕の期待(?)に反して、味は普通だった。肉質は鶏肉に似ていて、思ったほど臭みもない。



 ただし食べるところがあまりにも少ないのが難点だった。ほとんどが骨なのだ。

「だから大きい方を買えって勧めたじゃないか」
 おばちゃんが言った。大きなネズミの方がお腹にしっかり肉が付いていて食べ応えがあるようだ。
 わかりました。次買うときは大ネズミにしますよ。

 ネズミと違って、ウサギの肉はちゃんと食べ応えがあって美味しかった。これもローカルの食堂でごく普通に出てきたものである。こちらもやはり食用に飼育されたものではなく、その辺の草原で捕まえた野生のウサギだという。ウサギ肉は鶏肉や豚肉よりも高級で、もも肉一本が700チャット(70円)もした。味はやっぱり鶏肉に似ていた。

こちらはウサギ肉。フライド・チキンならぬフライド・ラビット。



世界一の仏像を「見仏」する


 モンユワから30キロほど離れたところに「世界一背の高い仏像」があると聞いたので、行ってみることにした。ボディ・タタウン村にあるこの仏像(レーチョン・サチャー・ムニ)は高さが115.8mもあり、台座を入れると129.2mにもなる。



 確かにデカい。ものすごく高い。あまりにも背が高すぎて、足下から見上げると仏様の顔がよく見えないほどだ。

 しかし「世界一」を名乗る大仏だというのに、訪れる人はまばらだった。それもそのはず、この大仏は2012年に外観が完成したばかりなので、ミャンマー人にもまだあまり知られていなかったのだ。

 アクセスも不便だ。マンダレーからだとバスで3時間以上かかるし、周りに何もないど田舎に建てられているので、よほど熱心な信者か大仏マニア(?)でもなければ、わざわざやってこようとは思わないのである。


世界一高い仏像の前には、巨大な涅槃仏(シュエターリャウン)が横たわっている。こちらは全長111m。



 この大仏が偉いのは、入場料を取らないところだ。「馬鹿デカいものを作れば、観光客がわんさかやってくるし、お金がどんどん稼げる」というどこかのタワーのようなセコい考えは一切ない。太っ腹なのだ。

 これだけのものを作るために一体どこだけのお金が必要だったのかはわからないが、建設費はすべて信者からの寄付でまかなわれている。これはミャンマー人にとってごく当たり前のことである。町でよく見かける黄金のパゴダも、商売で成功した人たちからの寄進で建立されているのだ。


周りになにもない田舎に作られているから、見仏する人は少ない。

 それにしても、いったい誰がなぜ「世界一の大仏を作ろう」なんてことを思いついたのだろうか。むやみに巨大な建物やモニュメントを見上げるたびに感じてしまう疑問である。エジプトのピラミッドにしても、カンボジアのアンコールワットにしても、インドのタージマハールにしても、その建設のためにかかった膨大な時間と労力とお金に見合うだけの何かを立案者は得ることができたのだろうか?

 強烈な信仰心というのは、ある種の狂気をはらんでいる。この大仏にも「世界を広く見渡して、平和と安定を守る」という意味が込められているというのだが、そんなものはおそらく後付けの理由でしかない。

 とにかくでっかいものを作りたいんだ。
 その思いは理屈ではなく、心の底からわき上がってくる熱情から生み出されたものであるはずだ。


世界一の大仏から6キロほど離れた場所にあるタウンボッデー寺院。1300年頃に建てられたという古いお寺だ。金色の尖った塔が林立した針山のような姿がユニークだった。


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by butterfly-life | 2014-03-18 14:33 | 旅行記2013
ミャンマーで犬に噛まれる

犬に噛まれる


 ミャンマーをバイクで旅するのはそれほど危険ではなかった。道路のコンディションはお世辞にも良好とは言えないのだが、他のアジアの国々に比べると交通量が圧倒的に少ないのだ。

 ベトナムやタイのように「一人につき一台バイクを持っている」というような状況にはほど遠いし、自動車を持っているのはお金持ちだけである。農村での主な移動手段はいまだに牛車であり、その牛車はアスファルトの路面ではなくて側道を通っている。だから交通事故に遭う可能性はかなり低かったのである。


【動画】ミャンマーの田舎道をバイクで走る


二人乗りの自転車がのんびりと行き交う


馬車や牛車も多い


 ところが思わぬところに危険が潜んでいた。バイクを降りて農村を歩き回っていたときに、犬に噛みつかれてしまったのだ。ほとんどのミャンマーの犬は日陰でぐーぐー昼寝をしているだけなので特に危険はないのだが、この犬は何を思ったかいきなり僕めがけて突進してきて、そのまま太ももの裏にがぶりと噛みついたのである。

 そのときまで僕には「犬には噛まれない」という変な自信があった。アジアには飼い犬か野良犬かよくわからない犬がたくさんいて、僕のように完全なよそ者には盛んに吠えかかってくるのだが、それは不審者に怯えているだけであって、こちらが余裕のある態度で臨んでいれば噛まれることはない、と確信していたのだ。

 しかし、その自信は一瞬にして崩れ去った。僕はとっさに足を振り上げて犬の攻撃をかわそうとしたのだが、犬の二本の前歯が太ももにざっくりと突き刺さった。


警戒心の強い犬はよく吠える

 幸いにして傷は深くなかったし、痛みもなかったのだが、気がかりなことがあった。狂犬病である。「狂犬病は発症すると100%死ぬというとても恐ろしい病気だ」と何かの本で読んだことがあった。もちろん日本のように予防接種が義務づけられている国なら噛まれても問題はないのだが、ミャンマーの田舎の犬が予防接種を受けているとは思えなかった。

 犬の飼い主である農家のおばさんも、一応傷の手当てはしてくれた。ターメリックらしき黄色の粉を油で溶いたものを傷口に塗ってくれたのである。たぶん消毒薬のつもりだろう。おばさんは身振りで「これをつけときゃ大丈夫だよ」みたいなことを言うのだが、その民間薬にどれほどの効果があるのかは全く未知数だったのである。

たいていの犬はぐうたら昼寝しているだけなのだが・・・

 あとでこの出来事をミャンマー人の僧侶に話すと、彼は真面目な顔をしてこう言った。
「あなた、犬の肉を食べたことがあるでしょう?」
「ええ、確かにベトナムやラオスで食べたことがあります」
「きっとそのせいですよ。犬の肉を食べた人は、犬に憎まれるようになるんです。我々僧侶が守るべき戒律の中にも、『十種類の動物の肉は食べてはいけない』というのがあるんです。鶏や豚や牛はかまわない。けれど、人間の肉、犬の肉、蛇、ライオン、虎、象、レオパードは食べてはいけないのです」

 因果応報という観点で見れば、納得できる話ではあった。しかしそれならばなぜ鶏につつかれたり、牛の角で突かれたりすることがないのか、という疑問が残る。それに犬はともかくとして、「禁食リスト」に挙げられた他の動物は、食べようと思ってもなかなか食べられるものではない。虎? ライオン? レオパード? そんなの動物園にでも行かないと見られないじゃないか。



「確かに犬の肉は食べましたよ。でもそれから1年以上何もなかったんです。たくさんの犬とすれ違ったけど、噛んできたのはあの犬だけだったんですよ」
「いやいや、犬肉を食べたのがいけなかったんですよ」

 そう確信を持って言われてしまうと、もはや返す言葉がなかった。それじゃあ、もうすでに犬肉を食べてしまった人間は、これからどうすればいいのだろう。常に犬に噛まれる危険と隣り合わせってことなのだろうか。それも困った話である。犬というのはどこの国にもいる。犬を避けながら旅することなんてできないのだ。


 よそ者に対する警戒感の強い犬とは違って、ミャンマーの猫は実にのんびりしている。カメラを向けても逃げるそぶりも見せずにじっとしているから、写真にも撮りやすかった。たぶん厳しい生存競争を生き抜かなければいけない「野良」ではなくて、人から食べ物をもらっている半飼い猫なのだろう。



 猫のいる風景って、なぜかほっとする。
 そこに猫がいるだけで、平和なミャンマーがよりいっそう平和に感じられるのである。






薬局の店先で白目をむいて眠る猫。ミャンマーの猫って警戒心がないというか、どこでも寝ています。ま、人間だって同じだけど。


僧衣を仕立てる店にいた猫。ミャンマーの猫はよく街に馴染んでいる。ふと気付けばそこに猫がいるって感じだ。




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by butterfly-life | 2014-03-14 12:28 | 旅行記2013
カツラ工場の秘密

素焼きの水瓶


 ミャンマーの街角でよく見かける素焼きの水瓶を作っていたのも、女たちだった。

 この素焼きの水瓶は「電気を使わずに少しでも冷たい水が飲みたい」という昔からの知恵が生かされたものである。瓶の表面にしみ出してくる水が気化熱を奪うことで、中の水が冷たくなるという性質を利用しているのだ。


街角で見かける公共の水瓶。気化熱を利用して冷たい水を飲むことができる。

 もっとも最近では「衛生的ではない」という理由から、水瓶の水ではなくペットボトル入りの飲用水を買う人も増えている。確かに免疫のない旅行者が飲んだら一発でお腹を壊しそうな水ではあった。

 水瓶の作り方はシンプルだ。まず材料となる粘土をこねて薄く伸ばしてから、木のへらでポクポクと叩きながら形を整えていく。ろくろは使わない。そうして瓶の形ができあがると、模様が彫り込んである板をぐっと押しつけて、表面に模様をつけていく。縄文式土器を思わせるようなシンプルなデザインだ。


ろくろを使わずに、へらで形を整えていく






板を押しつけて瓶の表面に模様をつけていく

 こうして出来上がった水瓶は、天日で十分に乾かされた後、薪で焼かれるのである。
 女たちはこの水瓶を一日に25個から30個ほど作るという。水瓶の値段は大きさにもよるが、ひとつ500チャット(50円)から1000チャット(100円)ほどだそうだ。


庭に並べて天日で乾燥させる



カツラ工場の秘密


 手先が器用で忍耐強い。そんなミャンマー女性の特長をうまく生かしていたのがカツラ工場だった。

 ターズィ近郊をバイクで走っていたときにたまたま見つけたカツラ工場では、若い女性が40人ほど集められ、狭い建物の中でせっせと女性用カツラを作っていた。

 手元を見やすくするためなのか、表通りに面した壁は取り払われていて、工場の中はとても明るかった。

 それでもピンセットを使って一本ずつ毛髪を土台に植え込む作業は、見ているこっちの肩が凝りそうなほど繊細な仕事だった。編み物や針仕事といった反復を伴う仕事は女性に向いていると言われることが多いが、その意味でこのカツラ作りは典型的な女性向き作業だと言えるだろう。


カツラ作りは根気のいる仕事だ

「このカツラは中国に輸出しています」と品質管理を担当するインド系の女の子が教えてくれた。「ミャンマーは中国に比べると人件費が安いですからね。中国国内で作るよりもはるかに安上がりなんです」

 僕が不思議に思ったのは、ここで作られているカツラのほとんどが茶髪もしくは金髪だったことだ。中国人にも茶髪化の波が押し寄せているということなのだろう。しかしカツラを買う人の多くは中高年であるはずなのに、なぜこれほどまでに派手な茶髪・金髪が好まれているのだろうか。



 女性たちのあいだで茶髪化が進行しているのはミャンマーでも同じである。10年前はほとんどの人が黒髪だったのだが、今では若い女性を中心に茶髪率が急上昇しているのだ。

 タイやカンボジアでも、しばらく前に同様のことが起こった。おしゃれに敏感な若者が、こぞって茶髪に走ったのだ。それに対してインドやバングラデシュなどでは、若者の茶髪化はいまだにほとんど進んでいない。髪型にしても服装にしても南アジアは総じて保守的なのである。



 だから、ここで作られている茶髪カツラの原料となる髪の毛が実はインド人のものだというのは、皮肉としか言いようのない事実だった。インドの農村で集められた髪の毛がミャンマーに送られ、中国人の好みによって茶髪に染められてから、ミャンマー女性の手でカツラへと加工され、最終的に中国人の(たぶん)お金持ちの女性の頭の上に載っかるのである。


インドから輸入された髪の毛からゴミを取り除く女性たち。小さなビニール袋ひとつで300チャットの手間賃。一日に3袋できるというから、900チャット(90円)の収入である。


 世界は複雑で驚きに満ちている。
 インド、ミャンマー、中国という民族も文化も言葉も違う国々が、実は「女性の髪の毛」という一本の糸で結ばれているのだから。

 女性用カツラを通して見えてきたのは「グローバル化する世界の縮図」だった。
 世界は確実に小さくなっているようだ。
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by butterfly-life | 2014-03-11 13:14 | 旅行記2013
ミャンマー女性は働き者

働き者の女たち


 ミャンマー女性は働き者だ。
 田植えや稲刈りといった農作業の大半は女性が担っているし、硬くなった土にクワを突き立てて畑を耕す女性の姿もよく見かけた。


田植えは女たちの仕事だ


田植えの合間に昼食をとる女たち。丸い弁当箱にご飯がぎっしり詰まっている。


クワを手に畑を耕す女たち


畑にタマネギの苗を植える女たち


ミャンマー料理に欠かせないニンニクを川の水で踏み洗いする女たち




砂利を入れたカゴを頭に乗せ、細い橋を渡って船に積み込む。力仕事の現場にも女性の姿が目立っていた。


 マンダレー郊外にあるレンガ工場でも、主に働いていたのは女性たちだった。
 ここはエーヤワディー川の水かさが減る乾季にだけ出現する「期間限定」の工場だった。雨季のあいだに堆積した粘土を掘り起こし、それを使ってレンガを作るわけだ。自然の力をうまく利用した工場なのである。


川底にたまった粘土を掘り起こして、レンガの材料にする

 クワを使って土を掘り起こし、それを機械に入れて練ったものを木枠の型に入れて形を作る。出来上がった日干しレンガは日向に並べられ、乾燥が済むと薪と石炭を燃料にして窯で焼き固められるという仕組みだ。

 どの行程もかなり体力を使う力仕事なのだが、たくましいミャンマー女性は難なくこなしていた。


粘土を型枠に入れてレンガの形の整形する


レンガを天日干しするために運ぶ


【動画】ミャンマーの働き者



女は働き、男は遊ぶ

 市場にも元気なミャンマー女性の姿が溢れていた。おばちゃんが豪快に肉をぶった切り、威勢よく声を張り上げて野菜を売り買いする。魚をさばくのも、タバコやコオンを売るのも、女たちの仕事だ。そこが隣国のインドやバングラデシュとはまったく違う点だった。


ミャンマーの市場はおばちゃんの世界だ


市場でタバコの葉を売るおばさん


噛みタバコ・コオンに使うキンマの葉を売る女性

 インドでもバングラデシュでも市場の主役は男だった。というより、女性の姿をほとんど見かけなかった。売るのも買うのも男ばかり。それがミャンマーに入った途端、完全に逆転してしまうのだ。

 カメラを向けたときの反応も正反対だった。「おっさんの国」であるバングラデシュでは、男たちが非常にフレンドリーかつ強引で、「俺を撮れよ!」とうるさく声を掛けてくるのだが、「おばちゃんの国」であるミャンマーでは、男よりも女の方が陽気で、カメラに対しても鷹揚なのである。

 農作業も手仕事も力仕事も商売も、なんだってこなす女たちの隣で、ミャンマーの男たちはのんびりとタバコを吹かせたり、カフェでお茶を飲みながらトランプや将棋に興じたりしていた。仕事そっちのけでセパタクローやビリヤードに熱中している人も多かった。もちろん男がまったく働かないわけではないのだが、働いている時間よりは遊んでいる時間の方が長いように見えた。


カフェで将棋を指す男たち


セパタクローの試合でアクロバティックなアタックを決める。ミャンマーの男は遊びにはとても熱心だ。


【動画】男たちが集うカフェの様子

「男ってのはいざってときに働けばいい。日常の細々とした仕事は女に任せとけばいいんだ」
 という価値観は、ミャンマーだけでなくタイやベトナムなどの東南アジア諸国で広く共有されているものなのである。

 カフェでお茶を飲みながらのんびりと世間話をしている男たちに、
「あんたたち、仕事はいつやるの?」
 と聞いたとしたら、きっとこんな答えが返ってくるはずだ。
「今・・・・・・じゃないでしょ!」

 予備校教師的な人生訓など、この国の男たちには通用しないのである。
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by butterfly-life | 2014-03-07 12:43 | 旅行記2013
ミャンマーの翡翠市場と製糖工場

中国語が飛び交う翡翠市場



 賑やかさという点で言えば、マンダレー南部にある公営の翡翠(ひすい)市場もなかなかのものだった。

 ミャンマーは世界有数の翡翠の産出国で、マンダレーには北部カチン州などの鉱山から翡翠の原石が集まってくるのだ。原石の取引だけでなく、製品への加工も市場の中で行っている。グライダーで石を切断し、研磨機で磨く。いまだに昔ながらの足踏み式の研磨機で石を磨いている人もいた。


宝石を見る目つきは真剣そのものだ


翡翠を研磨する職人たち

 市場には中国語の看板が目立った。翡翠は中国人がもっとも好む宝石で、中国の経済発展に伴ってその需要は年々拡大を続けているという。ミャンマーで採れる翡翠は特に質が良いので、中国人商人が大量に買い付けにやってくるのだ。商人は札束と電卓を手に価格交渉を行う。市場で聞かれるのはビルマ語よりも中国語の方が多いぐらいだった。

 僕が市場の中を物珍しそうにうろついていると、しょっちゅう「あんたも宝石を買わないか?」と声を掛けられたが、もちろん断った。どの国でもそうだが、素人の観光客が宝石を買っても絶対に得なんてしない。粗悪品を掴まされるのがオチなのだ。


昔ながらの足踏み式の研磨機で石を磨いている人もいた。



ドラム缶の国


 マンダレー西部にドラム缶が規則正しく積み上げられた一角があった。まるで現代アートを思わせるようなカラフルさ。別に狙ったわけではないのだろうが、その巧みな色の組み合わせに思わずカメラを向けた。



 この色とりどりのドラム缶は製糖工場で使われているものだった。サトウキビを絞った原液をドロドロになるまで煮詰め、それをドラム缶に入れて固めるのである。荒く固まったものを遠心分離器にかけてさらに水分を絞り、固形の粗糖にするのだ。









 粗糖が入ったドラム缶はひとつ90キロもある。それを二人がかりで肩に担いで運ぶのは、実に男らしい力仕事だった。工場で働く男たちはみんな引き締まった筋肉質の体だった。



 できあがった粗糖は精製されていないから、不純物が多く混じっていた黄色っぽい色をしている。お菓子の原料として使われたり、インスタントコーヒーミックスに入れられたりするそうだ。





 製糖工場の近くには、粗糖をさらに煮詰めて「カバスー」と呼ばれるキャラメルを作っている工場があった。一袋200チャット(20円)ととても安い庶民の駄菓子である。職人がカバスーをぎゅっと引っ張って糸のように伸ばすところがユニークだった。


「カバスー」と呼ばれるキャラメルを作る職人


製糖工場の近くにはドラム缶を作る工場もある


使い古したドラム缶の色を塗り直す男


バカでかいドラム缶を作っている男たち。何に使うのかは不明。


たくさんのドラム缶がトラクターで運ばれていく
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by butterfly-life | 2014-03-04 12:43 | 旅行記2013