<   2014年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧
東ティモールの未来は原油が握っている
「旅行記2013」のバックナンバーはこちらをご覧ください。


外貨の稼ぎ手は誰?


 それにしても不思議なのは、国内に産業らしい産業がほとんどない東ティモールが、どのようにして外貨を得ているかだ。外からドルが流入してこない限り、中国やインドネシアから大量に物品を購入することなどできないはずだ。

 東ティモールの主要産業は今も昔も農業だが、これは自給自足的な暮らしを支えているだけで、外貨の稼ぎ手ではない。コーヒーがフェアトレードのかたちで輸出されているものの、量としては微々たるものだし、主食の米さえも外国から輸入しているような状態である。製造業はないも同然だし、サービス業も発展途上だ。


今でも東ティモールの主要産業は農業だ



 東ティモールの外貨の稼ぎ手は大きく分けてふたつある。ひとつは外国からの援助。もうひとつは油田・天然ガス田からの収入である。

 物価がここまで上がった原因の大きな部分を占めているのが、実は外国からの援助だ。特に国連関係者が落としていくお金が大きかった。東ティモールには外国人国連スタッフが2000人以上、治安維持にあたる国連警察官が1600人も駐留していた(2012年末に撤退)。それ以外にも多くの国から政府関係者、NGO、NPOが入って活動していた。

 もちろん2002年の独立前後の混乱期には、この国は切実に援助を必要としていた。それどころか国連の介入がなければ、大国インドネシアからの独立が自分たちだけの力で果たせるはずなどなかった。しかし治安が回復したあとも、人と資金の流れは簡単には止まらなかった。そうして投入される援助の量が、人口わずか100万人の国には到底釣り合わないものになってしまったのだ。

 豊かな国からやって来た数千人の人々が落とす潤沢なドルキャッシュは、それ自体が一種の産業となり、バウカウで出会ったジョーのような雇われ運転手や雇われ事務員を劇的に増やすことにつながった。こうした援助は短期的なもので、東ティモール国内の産業を育てるための長期的な投資ではなかった。それどころか援助資金によって国内の物価と人件費が高騰し、外国企業を誘致することが以前にも増して難しくなってしまった。東ティモールは「援助の罠」にとらわれていると言えるだろう。

 国際機関の多くが東ティモールに過大な援助を行ったのは、「国」という単位にとらわれすぎているからだ。たとえばバングラデシュには1億5000万の人口がいるから、東ティモールに対する援助の150倍の人的経済的支援を行わなければ釣り合わないはずだ。でも実際にはそうならない。バングラデシュで100人雇っている組織は、おそらく東ティモールでは20人ぐらいは雇うだろう。

 東ティモールのように人口の少ない国は、どうしても手厚い援助を受け取りがちになる。「国家」を単位としてその規模にかかわらず同列に扱おうとすると、助けるべき「国民」を不平等に扱うことになってしまうのだ。

 東ティモールのように経済規模が小さな国は、繊細で「壊れやすい」。だから丁寧に扱わなければいけない。丁寧というのはむやみに手厚い援助とは違う。その国のニーズを見極め、必要最低限の介入を行い、やり過ぎたと思ったらすぐに手を引かなければいけないのだ。

「いまこの国を支配しているのは、物乞いのメンタリティーだよ」
 と言ったのはスアイで食堂を営むフランクさんだった。彼は長年バリ島のリゾートホテルで働いていたので英語が堪能で、自分の国を外から眺める視点も持っていた。

「待っていればどこかからお金が降ってくる。外国や政府が助けてくれる。そう思っている人が多すぎるんだ。外国からの援助によってもたらされたネガティブな影響だよ。我々はそろそろ自分たちの足で立たなければいけないんだ」



この国の未来は

 それでは外国の援助機関が引き上げていった後、この国の未来はどうなるのだろう。

 ある開発援助の専門家は「東ティモール経済の将来は原油の埋蔵量に左右されるだろう」と予測する。いまこの国の国家財政は石油に頼り切っている。なにしろ国家予算の90%を原油と天然ガスを売って得た基金によってまかなっているほどなのだ。昨今の原油価格の高騰を受けて収入は増加しているが、この好調がいつまで続くのかはわからない。

 仮に原油の埋蔵量が豊富だったとしても、それだけでこの国が必要する雇用を生み出すことはできない。今でも油田の採掘を行っているのは外国企業であり、東ティモール政府はそこからの「あがり」から税金を徴収しているに過ぎないからだ。油田から得た資金をどのような形で国民に分配していくのかが、今後の課題になるだろう。

 他の産業の育成はどうだろう。
 さっきも書いたように、観光業は厳しい。宿代、食費、交通費がいずれもバリ島の二倍もするのだ。交通の便も悪く、余計な手間もかかるのに、なぜわざわざ東ティモールに行かねばならないのか。その疑問に答えられる人はいないはずだ。

 もちろん「みんなが行きそうもないところに行こう」とする物好き(つまり僕のようなタイプの人間)は一定数いる。しかしそれはマイノリティーだ。ほとんどの観光客は、美しく、快適で、しかも値段が高すぎず、文化的にもユニークな場所を選ぶ。残念ながら、そのいずれを取っても、東ティモールはバリ島に劣っているのだ。

 最近、東ティモールでは「カジノを作ろう」というアイデアが議論されているらしい。ごく最近まで信号ひとつなかったこの国にカジノを作るだなんて悪い冗談にしか聞こえないのだが、当事者は真剣なのだという。カジノを作ればバリ島との差別化が計れるし、世界の富裕層がやってきてお金を落としてくれる。その考え方自体は僕の好むものではないけれど、まぁ一応の筋は通っている。

 しかし現実をよく見て欲しい。バックパッカーでさえ寄りつかないような国が一足飛びに「世界の富裕層」にターゲットを絞ろうなんてのは、いささか虫がよすぎるのではないだろうか。それとも農民が熱狂する闘鶏場にガイジンを呼ぶつもりなんだろうか。それならそれで面白いけど。


闘鶏用の鶏を大事そうに抱える男


闘鶏はエキサイティングなギャンブルだが、一般ウケは期待できないだろう

 製造業を育てるのもかなり難しい。外国企業を誘致しようにもインフラは整備されておらず、人件費も高騰しているし、交易条件も悪いからだ。これでは他のアジア各国(インドネシアやマレーシアやベトナムなど)との競争に勝てる見込みはまずないだろう。

 僕がもっとも現実的だと思うのは、外国への「出稼ぎ労働」を外貨の稼ぎ手の柱にしていくことだ。国内で仕事が見つからない以上、人々が海外に出て行くのは自然な成り行きであるし、幸いなことにポルトガルという強い味方がいるから、他の国よりも条件がいいのである。東ティモールは人口100万あまりの小国だから、わずか数万人がヨーロッパに出稼ぎに行っただけでも、国の経済には大きなインパクトになる。

 僕は出稼ぎ労働を必ずしも否定的に捉えてはいない。もちろん国内に強い産業を育てて、自立的な発展を促すのがベターな道だが、様々な条件(地理的・政治的・人口規模)でそれができない国もあるのだ。それでも人々は生きていかなければいけないし、働かなければいけない。

 「人口ボーナス期」に国内産業を育てることができず、経済成長の波に乗れなかった国が、労働力を外国に送り出して外貨を稼ぎ出すというのは、比較的穏当な問題解決法だと思う。実際、ネパールやフィリピンやインド南部のケララ州などは、出稼ぎによって貧しさから抜け出そうとしている。

 出稼ぎ労働を主軸に置いた社会は、村落の伝統的な暮らしを維持しながら、経済的にもそれなりに豊かになることができる。農業の担い手(主に年寄りや女性)が田んぼでお米を作り、海で魚を捕って暮らしながらも、出稼ぎに行っている家族から送られてくるお金で家を建てたり、バイクや電化製品などを買うことができるのだ。

 農村は子供を産み育てたり、老後を過ごしたりする場所になるだろう。
 そこは「いつか出ていく家」であり、そしてまた「いつか帰ってくる故郷」でもある。













 この続きは「CD-ROM2013」でお楽しみください。
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード26話を加えた電子書籍です。
 高画質写真ファイルも934枚収録。
 ミャンマー、バングラデシュ、東ティモールの人々の飾らない笑顔を堪能してください。(詳細はこちら)
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-30 08:48 | 旅行記2013
東ティモールはもう「アジア最貧国」ではない
「旅行記2013」のバックナンバーはこちらをご覧ください。


ホテル代が高すぎる


 次から次に財布からドル紙幣が消えていく。
 それが5年ぶりに東ティモールを訪れた僕の正直な印象だった。

 とにかく物価が高い。しかもその上がり方がすごく速い。もちろん日本やオーストラリアなどの先進国に比べればまだまだ安いレベルだ。しかし東ティモールはアジアでももっとも若く、経済規模も小さく、まともなインフラさえ整っていない国なのだ。にもかかわらず、物価だけは東南アジア諸国でもトップクラスになってしまったのである。

 特に旅行者の財布を直撃するのがホテル代の高さだ。首都ディリではごく普通のホテルでもシングルルームが60ドル以上もするのだ。ちょっといいホテルだと軽く100ドルを超える。異様なまでに強気な値段設定なのだ。

 もちろん僕は60ドルもする部屋には泊まらない。長旅を続けるのに、そんな贅沢はできない。なのでディリにある(たぶん)唯一のバックパッカー向け安宿「バックパッカーズ」に向かうことになる。ここも以前に比べれば値上がりしているものの、シングルルームには25ドルで、ドミトリーには12ドルで泊まれる。だから欧米人旅行者(ほとんどがオーストラリア人だ)でいつも混み合っていた。


「バックパッカーズ」のシングルルームは25ドル

 宿代の高さは首都ディリだけにとどまらなかった。田舎町の宿も軒並み高かったのだ。決してホテルと呼べるような代物ではなく、民宿に近い宿であっても、最低15ドル以上は出さないと泊まれないのだ。

 たとえばサメという何の変哲もない田舎町の宿は25ドルもした。建てられたのはわりに最近らしく、それなりに清潔なのはいいのだが、窓がないので部屋は暗く、シャワーの水もちょろちょろとしか出ない。それが25ドルで、エアコン付きだと50ドルもするのだった。


サメの宿も1泊25ドル。田舎の安宿にしては高い。

 外国人も滅多に訪れないような町で、いったい誰が利用しているのか不思議に思って訊ねてみると、「客のほとんどは地方視察にやってきた役人かビジネスマンなのだ」という答えが返ってきた。なるほど、自腹を切って泊まっている人は少ないのだろう。

 食費も高かった。ディリで地元の人が通うごく普通の食堂で、ご飯に豚肉の煮込みとナスの炒め物を取ると4ドルになる。味もそれほどうまくはない。コストパフォーマンスでは「すき家」の牛丼にはるかに及ばない。

 宿代や食費だけではない。そもそもこの国に入るためだけに、かなりのお金が必要になるのだ。
 もっとも一般的なルートであるバリ島経由で東ティモールに入国するためには、バリ島とディリの往復航空券240ドル、インドネシアの入国ビザ25ドルを2回分と空港利用税15ドルが2回分が必要になる。これに東ティモールの到着ビザ代30ドルと空港利用税10ドルも加算すると、合計360ドルもかかってしまう。

 これだけのお金を余分に支払ってでも東ティモールに行かなければならない理由は、正直言ってほとんど見当たらない。息をのむほどの美しいビーチには人がまったくいない。それだけはバリ島と違うところだ。でもわざわざそれだけのために300ドル以上ものお金と手間暇をかけてこの国にやってくる人は、まず間違いなく例外中の例外である。

 実際、バリ島から東ティモールへ飛ぶムルパティ航空機には、旅行者とおぼしき人はほとんど乗っていなかった。ほとんどが地元民かインドネシア人だった。欧米人もバックパッカーらしき人もいない。いまだに東ティモールは旅行者にとって縁遠い国であり続けているのだった。


インドネシアのムルパティ(メルパチ)航空が飛ばしているデンパサール・ディリ間の定期便。150人乗りの中型機の座席は9割がた埋まっていた。

 空港で出会った日本人旅行者は「東南アジア制覇」を目的として東ティモールに入国したそうだ。その彼の率直な感想は「物価が高いだけで何もない国」というものだった。いや「何もないくせに物価だけは高い国」と言ったんだったけ。とにかく「そこに独立国があるから、パスポートのスタンプを増やしに行ってみようか」という酔狂な目的の為だけに3日間ディリで過ごした彼は、最後に吐き捨てるように言った。
「こんな国、二度と来ることはありませんよ」

 いや、それでも東ティモールを訪れる価値はあるんだよ。
 僕にはそう言い切ることができなかった。「何もない国」を楽しむためにはそのための素養(偏った情熱と言ってもいいかもしれない)が必要になるし、それは誰もが持つものではないからだ。この国の魅力を十分に味わうにはそれなりの資格がいるということだ。






 バイクを借りて気ままに旅をする僕にとって、もっとも痛かったのはレンタルバイクの値段だった。125ccのホンダのスクーターが1日22.5ドルもするのだ。ベトナムやカンボジアなら同じものを1日4ドルで借りられるというのに。そもそもディリにはレンタルバイク屋はほとんどなく、競争相手がいないので、向こうの言い値を受け入れざるを得ないのである。

 旅行者がいない国でレンタルバイクの値段が高いのは仕方ないにしても、ガソリンが高いのには納得できなかった。仮にも産油国なのに1リットル1.5ドルもするのだ。ガソリンに高い税金をかけている純輸入国の日本と同じレベルなのである。

 もちろん、東ティモールは産油国であっても原油を精製するコンビナートはないから、外国で加工された製品を輸入しなければいけない。だからある程度高くなるのはわかるのだが、1.5ドルというのはいくらなんでも高すぎると思う。

 商店で売られている日用品の値段も、隣国インドネシアのおよそ1.5倍から2倍というところだった。たとえば1.5リットルのミネラルウォーターはインドネシアでは20円ほどだったが、東ティモールでは50円(50セント)だった。お菓子も蚊取り線香も石けんも歯ブラシもタオルもサングラスも、たいていの商品はインドネシアや中国からの輸入品だが、東ティモールに運ばれてくると値段が倍に跳ね上がってしまうのだ。


市場で売られている日用雑貨はすべて輸入品だ

 輸入品だけでなく、地産地消の野菜でさえも値段が高かった。トマト一盛り(500グラム程度)が50セント、小松菜一束が50セント、小ぶりのキャベツ一個が50セント、ニンニク一盛りが50セントといった具合である。


小松菜っぽい菜っ葉はひと束50セント(50円)


地方の市場で売られている野菜。種類はそれほど多くはなかった。

 そもそも値段の刻み方がおおざっぱ過ぎるのである。一応5セント貨まで流通しているけど、あまり使われることはなく、通常の商品は50セント、25セント(クォーター)単位で売られることが多い。野菜も基本的に50セント単位で売り買いされている。しかし50円といえば東南アジアの基準では結構な金額である。少なくとも丸め込める端数などではないはずだ。



もう「アジア最貧国」ではない

 全国的にこれだけモノの値段が上昇しているということは、東ティモールの人々が旺盛な消費意欲を持ち、しかも購買できるだけのキャッシュを持っていることを意味している。ひとことでいえば、東ティモールは豊かになったのだ。「アジア最貧国」なんて言葉はもうこの国には当てはまらない。

 子供たちの身なりもずいぶんきれいになった。以前は穴だらけの服を平気で着ていた子供も多かったのだが、いまではインドネシア製品や中国製品が大量に入ってくるようになったので、ボロを着ている子供は少なくなった。


ボロを着ている子供は少なくなった

 子供たちの栄養状態も良くなり、死亡する乳児の数も大幅に減少した。以前は妊婦の栄養が足りずに、がりがりで生まれてくる赤ちゃんが多かったのだが、今ではまるまると太って生まれてくるという。国際援助のおかげで医療体制も整い、生まれてくる子供が病気にかかることも少なくなったようだ。



 経済的なゆとりができたことで、新しい家を建てる人も増えていた。これは独立後の混乱がやっと収束し、「もう家を建てても大丈夫だ」という安心感が広がったのが大きいという。これまではせっかく家を建てても、騒乱が起きて焼き討ちや略奪に遭うことたびたびあったのだが、治安が回復し、将来が見通せるようになって、ようやく地に足の付いた生活が送れるようになったのだ。


新しい家はコンクリートブロックとセメントと鉄筋とトタン屋根があれば作ることができる。材料費は一軒あたり2500ドルほどだそうだ。


国の隅々にまで電気が行き渡るようになり、田舎でも衛星テレビのパラボラアンテナを持つ家が増えた。パラボラアンテナを立てるのには150ドルのお金がいる。決して安くはないが、多くの家が設置している。



 この続きは「CD-ROM2013」でお楽しみください。
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード26話を加えた電子書籍です。
 高画質写真ファイルも934枚収録。
 ミャンマー、バングラデシュ、東ティモールの人々の飾らない笑顔を堪能してください。(詳細はこちら)
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-23 10:01 | 旅行記2013
バイクの鍵がなくても、エンジンをかける方法
「旅行記2013」のバックナンバーはこちらをご覧ください。


バイクの鍵が見つからない!


 僕は旅先でものをなくしたり盗られたりしたことがほとんどないのだが、スアイ・ロロの村では珍しくやらかしてしまった。ポケットに入れておいたはずのバイクの鍵が、いつの間にかなくなっていたのだ。

 思い当たる節がないわけではなかった。この村の住人たちはとても気さくでいい人たちなのだが、あちこちで寝転がっている犬たちはやたら喧嘩腰で、見なれないよそ者(どういうわけか奴らはすぐにガイジンを見抜いてしまうのだ)に向かって遠慮なく吠えかかってくるのである。


こうしているとかわいいのだが、吠え始めるとしつこいのがスアイ・ロロの犬だった。


スアイ・ロロには豚や鶏の家畜もたくさん飼われていた。



 しつこい犬への対抗策として僕が選んだのが、石を投げつけることだった。命中しなくてもいい。調子に乗って吠えまくっている犬を少しでもビビらせることができれば、それ以上しつこく吠えてこないだろうと思ったのだ。やられている一方ではいけない。こちらにもやり返す意思があるのだと見せつけなければ、奴らは増長するばかりなのだ。

 適当な大きさの小石を拾ってズボンのポケットに忍ばせ、しつこい犬に向かって投げつける。それを何度も繰り返すうちに、同じポケットに入れていた鍵がポロッと落ちてしまったのだろう。あのいまいましい犬たちさえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。そう思うと無性に腹が立った。

 とにかく一刻も早く鍵を探し出す必要があった。スペアキーは持っていないから、鍵がなければどこにも行けなくなってしまう。

 問題は、この広い村のどこに鍵を落としたのかがさっぱりわからないことだった。なにしろ丸一日かけて村の隅から隅まで歩いて写真を撮っていたわけで、その道のりをすべて辿るとなると、捜索範囲は膨大になってしまう。残された時間も少なかった。日没が間近に迫っていたのだ。


この広い村で小さな鍵を見つけるのは予想以上に難しかった。



 とりあえず今歩いてきた道を戻りながら鍵を探していると、村人たちが「どうしたんだ?」と声を掛けてくれた。
「バイクの鍵をなくしちゃったんですよ。どこにあるかわからなくて」
 片言のインドネシア語に身振りを混ぜて話すと、なんとか事情を理解してくれたようで、何人かの村人も一緒に探してくれることになった。ありがたい助っ人だった。さらに暇そうな子供たちも「俺たちも混ぜてよー」というノリで鍵探しに加わってくれたおかげで、捜索隊は20人以上の規模にまで膨らんだのだった。


暇そうな子供たちも捜索に加わってくれた

 それでも鍵は見つからなかった。村が夕闇に包まれるまで1時間以上あちこち探し回ったのだが、何の成果も得られないまま捜索を打ち切らざるを得なかった。もちろん落胆は大きかった。このまま鍵が見つからなければ、いったいどうやって首都ディリに戻ればいいのだろう。いや、そもそも今泊まっている宿に戻ることすら難しくなってしまうんじゃないか。

 暗澹たる気持ちでバイクが置いてある場所に戻ると、一人の若者が英語で話しかけてきた。
「バイクの鍵がなくても、エンジンをかけることができるんです。試してみますか?」
「鍵がなくてもエンジンがかかるの?」
「そうです。あなたはハンドルロックをしていなかったようだから、エンジンさえかかればバイクを走らせることができる。あとは町の修理屋に行って、新しい鍵とロックに交換してもらえばいいんですよ」


バイクの周りに村人が集まってきた

 流暢に英語を話すメルキー君の説明は、簡潔にして要を得ていた。実はバイクのエンジンというのは、カウルを開けてコードをつなぎ替えるだけで簡単にかかってしまうものらしい。つまりその気になれば誰にだって盗めるのである。だからハンドルロックやチェーンロックなどの二次的な防犯手段を施さないといけないのだ。

「ぜひお願いします」
 僕が頼むと、メルキー君はすぐにドライバーを使ってフロントカウルを開け始めた。中の配線を引っぱり出し、ソケットを根元から引っこ抜いて、別のソケットにつなぎ替える。それだけであっさりとエンジンが動き出した。10分もかからない早技だった。


メルキー君はあっさりとエンジンを動かしてくれた


最終的にはバイク修理屋でロックごと交換してもらった

「ありがとう。本当に助かりました」
 僕はお礼の気持ちを込めて財布からお金を出そうとした。しかしメルキー君は頑としてそれを受け取らなかった。
「困ったときに助け合うのが、この村のしきたりなんです」と彼はきっぱりと言った。「今日はあなたが困っていたから、僕が助けました。もし次にここに来るとき、誰かが困っていたら、そのときはあなたが助けてください。スアイ・ロロに住む人はいつもそうしているんです」

 そんなカッコいいセリフをごく自然に言える彼が素敵だった。そう、彼らはいつも助け合ってきた。洪水が起きて食べ物がなくなったときも、隣人同士が助け合うことで、なんとか生き延びてきたのだ。



どこからか現れる親切な男

 東ティモールの旅は、はじめから終わりまでトラブルに見舞われ続けた。しかしそのたびに親切な男がどこからともなく現れて、僕を助けてくれた。バイクで転んだときに助けてくれたジョーも、パンクを修理してくれたアルフォンスも、鍵のトラブルを解決してくれたメルキー君もそうだった。もし彼らがいなければ、僕はずっと深刻な状況に置かれていたはずだ。

 人は誰かの助けなしでは生きていくことができない。トラブルをひとつくぐり抜けるたびに、僕はそれを身をもって感じることになった。たとえ一人で旅していても、誰かの親切や助けがなかったら、前に進むことなどできないのだ。

 トラベルにトラブルはつきものだ。異国の地で自由に旅しようとすれば、予期せぬトラブルが起きるのは避けられない。

 でも心配することはない。本当に困ったときには、きっと誰かが助けてくれる。
 どんな場所にいても、あなたは決して一人ではない。






 この続きは「CD-ROM2013」でお楽しみください。
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード26話を加えた電子書籍です。
 高画質写真ファイルも934枚収録。
 ミャンマー、バングラデシュ、東ティモールの人々の飾らない笑顔を堪能してください。(詳細はこちら)
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-15 10:24 | 旅行記2013
東ティモール人が絶対にワニを殺さない理由
今回から「東ティモール旅行記」がスタートします。
「旅行記2013」のバックナンバーはこちらをご覧ください。


多様性に満ちた国・東ティモール


 東ティモールは面積が岩手県とほぼ同じという小国だが、驚くほど多様性に満ちた国でもある。美しい珊瑚礁の海にぐるりと囲まれている一方で、内陸部は標高2963mのラメラウ山をはじめとする山々に覆われているのだ。人口は100万人あまりと少ない(ちなみに岩手県は132万人)のだが、言語は部族ごとに異なっていて、現在でも14から36もの言語が使われているという。「隣村に行ったら話している言葉が違う」なんてことが十分にあり得るのだ。

 家屋のかたちも地方によって様々だった。たとえば東部ロスパロス周辺には、非常に背の高い高床式の家屋が建てられていた。これはキリスト教が布教される以前から伝わる先祖崇拝の儀式を行うためのもの。たとえば誰かが殺されたときに、この家の中で鶏をさばき、内臓の位置をもとに犯人を割り出したり、相手を呪い殺したりしていたのだそうだ。


東部ロスパロス周辺で見られる高床式の家屋

 南部のイリオマールには大木を利用したツリーハウスが建てられていた。自然と一体化したエコ志向の家である。もちろんこれは休日の趣味や、リタイヤ後の道楽で作られたものではない。あくまでも実用を目的として、家族と住むために建てられたものだ。


十分な広さがあるツリーハウス。見晴らしが良さそうな家だ。

 南西部に位置するスアイ・ロロという村では、巨大な屋根を持つ家が建てられていた。森から切り出してきた木材を組み上げ、椰子の葉で屋根を拭くという伝統的な様式だ。専門の大工がいるわけではなく、村の男たちが力を合わせて建てる。日本の田舎にも見られる「結(ゆい)」のやり方である。


スアイ・ロロには大きな屋根を持つ伝統家屋が並んでいる。


村の男たちが協力して新しい家を建てる



元気な女たちが住む村


 スアイ・ロロは昔ながらの生活がそのまま残っている村だった。高床式の家屋に大家族が住み、床下には豚や鶏などの家畜が一緒に暮らしている。家と家との距離が近いので、村には一体感があった。写真を撮ったときの反応も素晴らしかった。撮った写真をモニターで見せてあげると、たちまち笑顔が広がるのだ。



 スアイ・ロロで特に元気なのは女たちだった。伝統の織物タイスを織る若い女、頭の上に薪を載せて運んでいるおばさん、共同井戸で水を汲む少女たち。それぞれの年代の女たちが、自分のやるべき役割をしっかりと果たしていた。


伝統の織物タイスを織る女

炊事に使う薪を運ぶ女

 中でも印象的だったのが、緑内障でほとんど目が見えない老婆が、ほうきで家の周りを丁寧に掃き清める姿だった。何かの宗教儀式のように一心に掃き続けている。そんな何気ない日常が美しかった。


ほうきで掃除する老婆



 この村に限ったことではないのだが、男の子たちの髪型はたいていモヒカン刈りだった。モヒカンは天然パーマで髪質が非常に硬い東ティモール人に向いた髪型なのだ。特別なカット技術もヘアスプレーも必要なく、ただ両サイドを思いっきり刈り上げて真ん中だけ残せばできあがり。その手軽さもウケているのだろう。


ティーンエイジャーの半分はモヒカンだ

 この国ではモヒカンのことを「パンカル」と呼んでいた。おそらく「パンク」から転じたのだろう。ちなみに日本で「モヒカンヘア」という呼び名が定着したのも、1970年代にパンクロックが流行った頃だという。東ティモールは意外にも「パンク魂」を内に秘めた国なのかもしれない。


農村にはヘアサロンはないので、友達同士で散髪し合うのが一般的だ。

 穏やかで牧歌的な雰囲気が漂うスアイ・ロロだが、雨季になると毎年のように大規模な洪水に襲われる災害の村でもあった。特に2013年3月に起きた大洪水は、80代のおばあさんでさえ「記憶にない」というぐらいの規模だったという。激しい雨が三日間降り続き、川があふれて地上1.5mの高さまで水があがってきた。多くの家は水浸しになり、大切な食料や家畜の大部分が失われてしまった。

 未曾有の災害に見舞われても、政府はほとんど何もしてくれなかった。食料援助はわずか1ヶ月行われただけで、あとは自分たちで食べ物を探すしかなかったのだ。そんなとき頼りになったのは、村人同士の助け合いの精神だった。食料が余っている人は、喜んで他の村人にトウモロコシやイモなどを譲ったという。困ったときはお互い様。それが自然災害を生き抜くための知恵だったのだ。


椰子の葉で籠を編む男。穀物を貯蔵するために欠かせない道具だ。



ワニに殺されても、ワニは殺さない


 スアイ・ロロの人々が恐れているのは洪水だけではない。ワニも身近にある危険のひとつだった。村の近くには人を襲うワニが潜んでいて、毎年のように人が食われているのだ。先月も頭と足だけを残して、あとはすべてワニに食べられてしまった人がいた。なんともワイルドな世界である。


スアイ・ロロにある「ワニに注意」の看板

 それでも人々は絶対にワニを殺さない。東ティモールではワニは神聖な存在なのだ。
「東ティモールはワニから生まれた。そういう伝説があるんです」
 と教えてくれたのは、漁師をしながらNPOで英語を勉強している若者だった。
「ワニには特別な力があります。他人のものを盗んだり悪事を働いた人間はワニに食べられてしまうと信じられているんです」

 どうやらこの国のワニには閻魔大王のような役割が与えられているようだ。悪事をすべて見通せる地獄の門番。もちろん閻魔大王と違って、ワニは現実に存在し、人を食い殺すこともある無慈悲な生き物である。そのような凶暴なものがこの世界のどこかに隠れているという恐怖はとてもリアルで、それを悪事をいさめるために利用したのは、実に賢いやり方だと言えるだろう。

「ワニのことを悪く言ってはいけません。ワニはちゃんとそれを聞いていますから」
「でも、ワニの脳味噌ってものすごく小さいんだよ。人間の言葉が理解できるなんて信じられ・・」
「シー!」
 彼は真顔で僕の言葉を遮った。そして唇に指を当てて、静かに首を振った。そんなことを言っていると、あなたもワニに食べられちゃうよ、とでも言うように。彼らにとってワニの恐怖は絵空事などではないのだ。

 人は自然の支配者などではない。洪水に襲われたり、ワニに食べられたりしながら、この村の人々は荒ぶる自然と共に生きてきたのだった。

 思い通りには行かない自然を象徴するもの。それがワニなのである。


スアイ・ロロの漁師は両脇に浮きの付いた小型のボートで漁に出る。




 この続きは「CD-ROM2013」でお楽しみください。
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード26話を加えた電子書籍です。
 高画質写真ファイルも934枚収録。
 ミャンマー、バングラデシュ、東ティモールの人々の飾らない笑顔を堪能してください。(詳細はこちら)
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-11 09:17 | 旅行記2013
たびそらCD-ROM2013のお知らせ

 「CD-ROM2013」の販売を開始しました。

 ブログで連載中の旅行記(ミャンマー、東ティモール、バングラデシュ)に加えて未公開エピソードを26話お読みいただけます。
 さらに高画質写真ファイルを934枚も収録。
 ボリュームたっぷりの「旅行記+デジタル写真集」です。(価格:1600円)

 →詳しい内容はこちら
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-09 07:56 | 旅行記2013
ミャンマーにおける日本ブランドと韓流ブーム
■「ミャンマー旅行記2013」のバックナンバーはこちら


韓流ブームはここにも


 ミャンマーを旅しているあいだに、「あなたは日本人か?」と訊ねられたことはほとんどなかった。7割は「コリア?」で、2割が「チャイニーズ?」、残りの1割が「ジャパニーズ?」だった。何の前置きもなく、「アニョハセヨ」とか「カムサムニダー」と声を掛けられることもあった。「あなたは韓国人俳優の○○に似ていますね」と言われて返事に困ることもあった。

 10年前はこうではなかった。東アジア系の顔立ちならば、まず日本人である可能性を疑うというコンセンサスがあった。それがわずか10年で逆転したのは、サムスンやLGといった韓国企業が躍進したこともあるが、やはり一番大きいのは韓流ブームの影響だろう。

 ミャンマーでも韓国ドラマは大変な人気で、国営テレビでも毎日放送している。「冬ソナ」と「ヨン様」はミャンマーでも絶大な人気を誇ったらしい。残念ながら日本のドラマはまったく流れていない。昔は(ずいぶん昔だけど)「おしん」が大流行したこともあったし、サニー・チバ(千葉真一)も古い映画ファンのあいだでは伝説的な存在になっているが、今では韓流に押されっぱなしである。

「韓国の役者は表情や動きで感情を表現するんです。だから私たちにもすぐにわかる。ミャンマーの役者はただセリフを喋るだけだから退屈です」
 とマンダレーに住む大学生は言った。彼もそうなのだが、ミャンマーの若者のあいだでは韓流スターの髪型やファッションを真似ることが流行している。髪の毛を茶色に染めたり、前髪を長く伸ばしたりするスタイルは、韓国から持ち込まれたもの。美容院のガラス窓にも当然のように韓流スターのポスターが貼られている。

 ミャンマーの若者たちにとって韓国とは「イケてる国」であり「憧れの国」なのである。だから韓国人に間違えられても悪く受け取る必要はないし、褒められていると考えるべきなのだ・・・・・・と理解してはいても、実際に「コリアンか?」と言われるとビミョーな気持ちになってしまう。「いやいやオレはジャパニーズだよ」と訂正したくなるのだ。

 ソニーのプレイステーションは子供たちに大人気だし、ポケモンやドラえもんなどの日本製キャラクターの人気も高い。しかしこれらはすべて「顔の見えない文化」である。そこが韓流ドラマとの大きな違いだ。多くのミャンマー人が日本製品に触れ、日本という国に親しみを感じているにもかかわらず、日本のプレゼンスが低下しているのは、どうもこのあたりに原因がありそうだ。


食堂のおじさんが昔懐かしい「ボンバーマン」に熱中していた。ファミコンも「顔の見えない日本文化」のひとつだ。この怪しげなゲーム機は「SONY」のロゴが入っているのだが、もちろんメイド・イン・チャイナのバッタもんである。


 ほとんどのミャンマー人は中国人と韓国人と日本人の違いがよくわからないのだが、日常的に外国人と接している土産物屋の男は、この三者を一目見ただけで区別できると言った。

「中国人はファッションが違うからすぐにわかります。まぁダサいですよね。韓国人と日本人は服装も顔立ちもすごく似てるけど、歩き方が違うんですよ。韓国人はまっすぐ前を見て歩くけど、日本人はキョロキョロしながら歩くんです。ちょうどあの人みたいにね」

 彼が視線を向けた先には、眼鏡をかけたほっそりとした女の子がいた。彼女は市場に置かれた商品をひとつひとつ物珍しそうに眺めながら、ゆっくりとした足取りで歩いていた。あとになってわかったことだが、彼女は確かに日本人だった。バッグから「地球の歩き方」を取り出すところが見えたのだ。

 国民性というのは意外なところに出てくるものなのかもしれない。話し方や声の大きさはわかりやすい判断材料だが、歩き方や視線の送り方などにも無意識にすり込まれた「○○人らしさ」が出てしまうのだろう。もちろん僕だって「キョロキョロ型」の歩き方をしているはずだ。



日本ブランドの威光

 韓国勢や中国勢の猛追を受けているとはいえ、日本製品のブランド力はまだまだ高い位置にある。トヨタやホンダやソニーといった一流メーカーはミャンマーでも広く知られているし、パナソニックや東芝、ニコンやキヤノンの看板も街でよく見かける。ハイテク立国日本の地位は、当分のあいだ揺らぐことはなさそうだ。

 日本ブランドの威光はコスメティック業界にも及んでいた。大きな街には資生堂のショップがあるし、化粧品の名前に(本当に日本製なのかは怪しいが)日本を連想させるような言葉をつけるのも流行っていた。


モウラミャインの街で見かけた資生堂の販売店


「モリ」という日本語を連想させる名前で売り出されたファンデーション。看板の女性も日本的だ。

 ミャンマー女性のあいだには「日本人は色白で美人」というイメージが定着しているらしく、「日本人が愛用している化粧品を使えば、私の肌も白くなる」という期待を抱かせるようだ。


こちらは「オキ」という名前の洗濯洗剤。JAPANESE TECHNOLOGYと書かれているが、日本製ではない。


地味な存在ながら東南アジアにすっかり定着しているのが「味の素」


OSAKAと名付けられた傘の広告。大阪って雨の街だったっけ?


こちらは「フジヤマ」という名前の自動車部品ショップ


ミャンマー人の男の子が着ていた不思議なTシャツ。ファッション誌の記事と思われる日本語がびっしり。なるほど、ボトムス選びが着こなしのポイントなんですね。


 ミャンマーを旅しているとボディーに日本語が書かれたバスを目にすることがあるのだが、これも日本ブランドの威光を借りた戦略だと思われる。「オレは中古車の中でも特に品質が高い日本車に乗っているんだぜ!」というアピールのために、わざと日本語のロゴを消さずに残しているのだ。









 こうした「日本語バス」の中には、ちょっと怪しげなものも混じっていた。日本で書かれた文字ではなく、日本語を知らないミャンマー人が見よう見まねで書いたのではないかと思われるような奇妙な字体に出会うことがあったのだ。



 これなんかよく見ると細部がフリーハンドで書かれているし、かなり下手である。そもそも「自動車用室内芳香剤」って何のアピールなのか意味がわからない。



 「夏休みの旅行社」という名前の旅行会社が日本にあっても不思議ではないが、なんとなくヘンだと感じるのはフォントが少しズレているからだろう。



 こんな風に一部の文字が反転しちゃっているものもあるし、



 完全に裏返っているものもある。



 こちらは上下左右ともに反転している。



 何をいつ噴射するんだろう?



 たぶん「とちの木」と書きたかったのだろう。それが「とちのホ」になっちゃった。惜しい・・・・・・けど残念!



 何を書きたかったのか原形すらとどめていないものもあった。
 「走行中おの未多」って・・・・・・一体なんだろう?



 「CD-ROM2013」が早くも完成しました!
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード26話を加えた電子書籍です。
 高画質写真ファイルも934枚収録。
 ミャンマー、バングラデシュ、東ティモールの人々の飾らない笑顔を堪能してください。(詳細はこちら)
[PR]
by butterfly-life | 2014-04-03 12:37 | 旅行記2013