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インドのチャイが甘すぎる理由

「甘党の国」を支えるサトウキビ


 インドのチャイはとにかく甘い。ミルクに茶葉と砂糖をぶち込んで、鍋でぐつぐつと煮立てて作るミルクティーは、暑さでへばった体に糖分を染み渡らせるのにはうってつけの飲み物だが、「微糖」「甘さひかえ目」「シュガーレス」といった言葉があふれる日本で暮らす我々の舌には少々甘すぎるようだ。


街角でチャイを売る屋台。甘くて濃いミルクティーが安い値段で楽しめる。この国には自動販売機なんていらない。


タミルナドゥのチャイ屋では、ミルクと紅茶を混ぜる時、高く持ち上げて豪快に混ぜる。「チャイは泡が立つほど美味いんだ」と店主は言う。


 インドのスイーツも激甘なものが多い。基本は牛乳と砂糖を混ぜ合わせてから加熱して固めたもので、見かけのバリエーションはいくつかあるものの、「とんでもなく甘い」という味の特徴はインド中どこへ行ってもあまり変わらなかった。「お茶もお菓子もできるだけ甘い方がいい」というのがインド人の嗜好なのだ。



レトゥーという丸いお菓子は、伝統的な粗糖「グル」と牛乳を鍋で煮詰めて手で丸めて作る。もちろんこれも激甘だ。


 インドは世界最大の砂糖消費国であると同時に、ブラジルに次ぐ世界第二位の砂糖生産国でもある。そもそも砂糖はインド人が発明し、世界に広まったもの。サトウキビの搾り汁を煮詰めて糖蜜をつくる方法は、紀元前2000年ごろのインドで最初に発見されたと言われているし、輸送に便利な粉砂糖を発明し、砂糖文化を世界中に広めたのもインド人だった。歴史的に見ても、インド人が筋金入りの甘党なのは当然なのである。

 数千年以上もサトウキビを作り続けてきたインドにあっても、栽培方法は昔からあまり姿を変えていないようだ。手作業で畑に苗を植え、3メートルほどの背丈にまで成長したら、鎌を使って刈り取っていく。機械化が進んでいないサトウキビ栽培は、今も昔も多くの人手を必要とする労働集約型産業なのである。



サトウキビを収穫する人々。サトウキビの原産地はニューギニア島周辺で、そこから東南アジアを経てインドに伝わったという説が有力だ。


収穫したサトウキビをトラクターに積み込む。サトウキビは収穫後すぐに味が落ちてしまうので、できるだけ早く製糖工場へ運んで加工する必要がある。


 インドにも良質な白砂糖を生産する大規模な製糖工場があるのだが、昔ながらの製法で「グル」と呼ばれる粗糖を作る零細工場も数多く残されている。グルはサトウキビの絞り汁を沸騰させて作る含蜜糖で、大工場で製造される白砂糖のように遠心分離機で糖蜜を分離しないので、サトウキビが持つミネラル分と濃厚な甘みを残した素朴な味わいを楽しむことができる。

 南部タミルナドゥ州はサトウキビの生産が盛んな州のひとつで、伝統的な粗糖「グル」を作る工場も各地に点在していた。

 グルの製法はとてもシンプルなものだ。収穫したサトウキビを大きな歯車の間に通して、樹液を絞る。その絞り汁を直径3メートルほどもある巨大な鍋でぐつぐつと煮立てて水分を飛ばし、凝固を進めるために石灰を加える。そのまま30分ほど煮詰めた液を、鍋から四角い木の容器に移し替えるのだが、このとき大鍋にロープを括り付けて4人がかりで引っ張り上げるのが面白かった。



大きな歯車の間にサトウキビを通して、樹液を絞る。


サトウキビの絞り汁を巨大な鍋で煮て水分を飛ばし、凝固を進めるために石灰を加える。


煮詰まった糖蜜を鍋から四角い木の容器に移し替える。


糖蜜をクワのような形の道具でゆっくりとかき混ぜながら冷やす。


十分に粘りけが出てきたところで、四角い穴がたくさん空いた木型に流し込む。


5分ほどおいて完全に固まると、木型をひっくり返し、木槌でトントンと叩いてやる。


これがグルの完成品だ


 四角い容器に入れられた糖蜜を、クワのような形の道具でゆっくりとかき混ぜながら冷やし、十分に粘りけが出てきたところで、四角い穴がたくさん空いた木型に流し込む。5分ほどおいて完全に固まると、木型をひっくり返し、木槌でトントンと叩いてやる。これでグルの完成である。

 グル工場の中はとにかく暑い。朝から晩まで燃料となるサトウキビの絞りカスを燃やし続けているから、まるでサウナにいるような熱気に包まれているのだ。特にかまどのそばで火の番をしている男は、半裸で汗だくになりながら休むことなく働いていた。僕はあまりの暑さと湿気で気分が悪くなってしまったのだが、彼はいつまでも平然とした顔で、火のそばに座り続けていた。



汗だくになって火の番をする男


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by butterfly-life | 2015-08-28 13:30 | インド旅行記2015
ウガンダ人の心もつかむ鮮やかな色

ウガンダ人の心もつかむ鮮やかな色


 タミルナドゥ州にある染色工場で働く男たちは、実にマッチョでカッコ良かった。

 彼らの仕事は、化学染料で染めた糸の束を絞り上げること。最後の一滴まで絞るためには全身の力――特に上半身の力――がいるから、男たちは上腕から肩にかけての筋肉をものすごく発達させていた。まさに「男の仕事」と呼ぶにふさわしい現場だった。



綿糸を洗剤で洗い、固く絞ってから化学染料につけ込む。腕の力だけが頼りの「男の仕事場」だ。




 光も申し分なかった。明かり取りの小さな窓から差し込む光が、汗だくで働く男たちの体をつややかに光らせていた。

 工場の中は非常に蒸し暑く、化学染料のにおいも強い。この中で力仕事を続けるのは並大抵のことではない。しかし男たちは文句ひとつ言わず、黙々と目の前の仕事をこなしていた。











 ここは綿糸の染色と綿布織りを分業で行う「織物の村」だ。村で作られた綿布は、主にサリーやルンギーなどの普段着に加工されて店頭に並ぶのだが、インド国内で消費されるだけでなく、海外へも輸出しているのだという。主な輸出先はイランやイラクなどの中東諸国、それにエチオピアやウガンダなどのアフリカ諸国なのだそうだ。

 インドで作られた布は、アフリカ人の好みにもマッチしているようだ。そう言われてみれば、確かにアフリカの民族衣装とインドのサリーには共通点が多い。どちらも原色をふんだんに使った派手な色を好む。インドもアフリカも直射日光がとても強い土地なので、より強い色やパンチのあるデザインが求められているのだろう。



染め上がった綿糸を天日で乾かす人々。とてもカラフルだ。




インドでは、南に下るほど人々の肌が黒くなる傾向がある。タミル人はインドの中でももっとも色黒で、艶やかな肌の持ち主だ。


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by butterfly-life | 2015-08-24 10:42 | インド旅行記2015
綿花大国インド

綿花大国インド


 インドは世界最大の綿花生産量を誇る「綿花大国」だ(2位は中国、3位はアメリカ)。特に中西部のマハラシュトラ州やグジャラート州では、米や小麦に次ぐ主要作物として、綿花が広く栽培されている。

 もともとインド北西部は世界でも最も古くから綿花栽培が始まった場所のひとつで、インダス文明が興った約7000年前からインダス川流域で綿花が栽培されていたという。綿布織りの技術も昔から発達しており、イギリスで産業革命が起こって機械による大量生産の時代が始まるまでは、インドの綿布産業は世界をリードする存在だったのである。


綿花を手作業で収穫する若い女性。綿花栽培は機械化が進んでいない。


農家から集められた綿花をトラックに積み込む男たち。竹の棒を使って限界ギリギリまで積み込む。




綿花を頭に載せて運ぶ男。ふわふわの綿なので見た目ほどは重くない。


 マハラシュトラ州の片田舎にある綿花工場を訪れることができたのは偶然だった。道に迷った末にとんでもない田舎道を走ることになり、デコボコだらけの荒れ道を苦労しながら走りきったところに、目の前に白い綿花の山が現れたのだった。

 そこは100人以上もの労働者を抱える大規模な工場だったが、雰囲気は非常にフレンドリーで、オーナー自らお茶やお菓子をふるまってくれたり、工場内を案内してくれたりした。

 この工場では、農家から集められた白い綿花から種を取り除き、汚れを落としてから、プレス機で圧縮してブロック状にまとめている。

 何よりも圧巻なのが、積み上げられた綿花の量だった。高さ7メートル、幅50メートルほどの白い山は、少し離れたところから眺めるとスキー場のゲレンデのように見える。これが全部、綿花なのである。男たちはふわふわした綿花の上を慣れた足取りで歩きながら、綿花の積み卸しを行っていた。


綿花の山の上で働く男たち


トラクターや牛車に乗せられた綿花が次々と運び込まれてくる


綿花の山をさらに高くするために働く男たち






[動画]綿花の山に登る人々

 オーナーがおおらかに撮影を許してくれた理由は、ここには隠すべき企業秘密など何もないからだろう。綿花工場は素人でもすぐに仕組みが理解できるような、極めてシンプルな工場なのだ。

 集められた綿花は、まずベルトコンベアーを通じて工場建屋に入り、ローラーによって種と綿花とに分離される。種はパイプを通って左側の建物に送られ、ここで圧搾されて、食用油に加工される。種を除いた綿花は右の建物に送られ、汚れを取り除くローラーを通ってから、さらに奥で待ち構えている油圧プレスで何トンもの荷重をかけられて、ブロック状の製品になるのである。



綿花の汚れを取り除く機械






 繁忙期には、昼夜を問わず24時間体制で綿花ブロックを作り続けているのだそうだ。ひとつ160キロもある綿花ブロックの卸値は5万ルピー(10万円)。工場を一日稼働させると、約100個の綿花ブロックが作れるという。

 オーナーによれば、インドの綿花産業はあまり景気が良くないという。綿花は世界的に供給過剰の状態が続いていて、市場価格はずっと低迷したままなのだ。それでも、この綿花工場は順調に利益を上げている。化学プラントの設計技師でもあるオーナーの息子さんが、この工場を効率よく設計してくれたお陰なのだそうだ。



綿花をプレスしてブロック状にする現場には細かい塵が舞っているので、労働者は白いマスクで顔を覆っている。




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by butterfly-life | 2015-08-18 08:12 | インド旅行記2015
汗をかく人

うさんくさい写真?

「あなたが撮った労働者の写真からは、どこかうさんくさいものを感じる。途上国の労働を過剰に賛美しているくせに、あなたは実際には額に汗して働いていない。それは偽善ではないか」
 という内容のコメントをもらったことがある。

 一枚の写真から何を感じ取るかは見る側の自由だから、中には「うさんくさい」という感想を抱く人がいても仕方ないとは思うのだが、「額に汗して働いている人間だけが労働者を撮る資格がある」という考え方は、はっきり言ってナンセンスだと思う。写真家が被写体をつぶさに観察し、深く共感し、愛するのはとても大切なことだが、被写体と「同一化」する必要はないからだ。

 農民を美しく撮るために自らも農業に従事する必要はないし、旋盤工を力強く撮るために自らも旋盤工として働く必要はない。経験の有無が写真に影響を与えることは否定できないが、それが決定的な要因ではない。すぐれたスポーツカメラマンが自らもすぐれたアスリートである必要はないし、女性を美しく撮るグラビアカメラマンのほとんどは(セクシーでもなければ若くもない)男性だ。

 僕はあくまでも部外者として「はたらきもの」を撮っている。それは「外部の人間だからこそ、そこにある美に気付くことができる」と信じているからだ。インドの小作農の多くは、自らの仕事が特別に美しいものだとは感じていない。彼らは当たり前の日常を淡々と生きている。誰が褒めてくれるわけでもない。そんな彼らに「光」を当てられるのは、その日常を当たり前だとは感じていないアウトサイダーだけなのだ。


稲の収穫を行う男。刈り取った稲穂を頭に載せて運ぶ。


刈り取った稲穂を田んぼに積み上げていく男たち


アンドラプラデシュ州中部の精米所で、米俵が何百個も積み上げられていた。精米所では集められた米をボイラーで乾燥させ、精米機にかける。


精米所には従業員が150人ほどいて、ここで精米された米の一部はバングラデシュなどに輸出されているそうだ。インドは米輸出国なのだ。


 たくさん汗をかいたら、そのぶん作品に値打ちが出るわけでもない。たいして汗をかかなくても素晴らしい写真を撮る人がいる一方で、たくさん汗をかいてもつまらない写真しか撮れない人もいる。写真の価値は「そこに写っているもの」が全てだ。

 しかしそれでも「額に汗すること」は決して無駄にはならない。僕自身はそう考えている。

 2010年夏、僕は他の誰よりも(という言い方はちょっとオーバーだが、本当にものすごく)汗をかきながら旅をした。重量が100キロもあるリキシャという乗り物で日本を一周していたのだ。体力の限界に挑み続ける過酷な旅だったが、あの5ヶ月間を支えていたのは、バングラデシュで額に汗しながら重い荷物を運ぶ本物のリキシャ引きの姿だった。彼らがあれだけ大変な仕事を毎日こなしているのに、俺が簡単にこの旅を投げ出すわけにはいかないじゃないか。そうやって自らを鼓舞し続けた。あんなに無謀でバカバカしい試みをなんとかやり遂げられたのは、「自分もリキシャ引きの一員として汗をかいているのだ」という思いがあったからだった。



大きな釜で数百人分のご飯を炊く男。結婚式で出される特別な料理のようだ。


素焼きの水瓶を作るオリッサ州の男。木のヘラでポクポクと叩いて、形を作っていく。


 インドの旅でも、いつも必要以上に汗をかいている。「エアコン付きの四輪駆動車に乗ってガイドと共に現場に向かい、ささっと写真を撮ってまた車に戻る」というようなプロっぽい旅は一度もしたことがない。小型バイクにまたがって嫌がらせのような悪路をひた走り、暑さと埃とお尻の痛さと常に格闘しながら、やっとこさ見つけた労働の現場を撮影しているのだ。

 効率はものすごく悪い。失敗も多いし、余計な時間もかかる。もっとスマートに撮る方法はいくらでもあるだろう。でも、この「無駄に汗をかく」やり方が、僕には一番合っているのだと思う。



建設資材になる川底の砂を運ぶ男たち。マッチョな男たちがパンツ一丁で働いている。


橋の上から川に網を投げる男。3センチぐらいの小魚が捕れる。


 僕は彼らと同じように働くことはできない。だからこそ、せめて彼らと同じように汗をかき、彼らと同じ目線でものを見て、彼らの体温を間近に感じながら写真を撮りたいと思っている。

 働く人は美しい。
 懸命に仕事に打ち込む人々の所作の中に、美しい光が宿ることがある。
 蒸し暑く薄暗い部屋の中で、なにか神々しいものが見えることがある。

 そんな瞬間を求めて、僕は旅を続けている。



紡績工場で働く女性


オリッサ州の山岳地帯に住む少数部族の女たちが、畑を開墾するために土を運んでいる。
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by butterfly-life | 2015-08-11 15:35 | インド旅行記2015