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ワクワクする40代でいこう

働く女たち


 オリッサ州を抜けてチャッティスガル州に入ると、働く女性の姿が目立つようになった。ガソリンスタンドや携帯電話ショップに若い女性店員がいるのが当たり前になり、女性警官の姿も珍しくなくなった。オリッサ州ではあまり見なかったバイクに乗る女性も一気に増えた。









 インド女性の社会進出の度合いは、地域によって大きな差がある。オリッサ州は比較的保守的だが、お隣のチャッティスガル州の女性たちは意欲的に外に出ているようだ。

 カルチャ村で小学校の先生をしているモニカは、「女の子には教育などいらない」という旧弊な考え方が、最近になってようやく変わってきたと実感している。彼女が勤める学校でも、長らく男子生徒の方が女子よりも数が多い(つまり女の子の何割かは小学校に通っていない)状態が続いていたのだが、今年から男女比がほぼ同じになったという。「男女平等」の実現にはまだほど遠いが、インド社会も少しずつ変わりつつあるのだ。


カルチャ村の小学校の先生たち。右から2番目がモニカ先生。

 学校給食は女子の就学率を高める切り札のひとつだ。昼休みに無料で給食を出すようにしてから、それを目当てに登校してくる子供(特に女の子)が増えたという。最初は食べ物につられて通いだした子供でも、毎日学校へ通ううちに勉強が楽しくなってくる。学ぶ意欲が芽生えてくる。しかも給食によって貧しい家の子供たちの栄養状態も改善されるというから、まさに一石二鳥である。

 ちなみに給食の献立はご飯と豆スープとカレー味のゆで卵。もちろん豪華なものではないが、ちゃんと栄養にも配慮したメニューだった。


給食は校庭で輪になって食べる

 モニカは頭の回転がとても速い、好奇心旺盛な女性だった。流暢に英語を話し、日本の経済や文化について僕にいろいろと質問してきた。きっと優秀な先生なのだろう。

「でも教師をずっと続けるつもりはないんです」とモニカは言った。「給料が安すぎるから。月給1万5000ルピー(3万円)じゃ暮らしていくのは難しいわ。今は他の仕事を探しているところ。チャッティスガル州にはプライベートカンパニーは少なくて、大きな工場や会社はだいたいどこも国営なんです。鉱山とか製鉄所とか、そういうところね。もし国営企業に勤められれば、月給は4万から6万ルピーになります。でもそれには厳しい試験を通らなければいけないの。私は3年前から試験を受けているんですが、まだ合格できないんです」

 国営企業に採用されるには、厳しい試験に合格する必要がある。それは逆に言えば、試験にさえ通れば、女性でも男性と同じ条件で働くことができるということだ。優秀な女性たちがこぞって公務員や国営企業を目指す理由は、そこにあるようだ。


小学校で出会った少女


カルチャ村で出会った男たち。収穫した米の量をカゴに入れてはかっている。半分は地主の分、残りの半分は自分たちの取り分になるそうだ。小作農の苦労を感じさせる光景でもあった。



夢はボリウッド俳優

 オリッサ州とチャッティスガル州の州境にあるスクマという町で、サジッドという若者に出会った。僕がガソリンスタンドを探して右往左往していたときに、彼が親切に道案内してくれたのだ。

 サジッド君の職業はファッションモデルだ。少なくとも彼はそう自己紹介した。若者向けのカジュアルファッション(リーヴァイスやナイキ)の広告モデルをしているという。言われてみれば、確かに整った顔立ちをしている。目は大きく、鼻筋も通っている。でもモデルにしてはちょっと背が低い。170センチにも届かないぐらいだ。それにこんなガソリンスタンドすらないような田舎町にモデルの仕事なんてあるのだろうか?


モデルをしているサジッド君

「もちろん、ここにはモデルの仕事なんてないさ。普段はハイダラバードに住んでいるんだ。インドでも有数の大都会だから、モデルの仕事も結構ある。ギャラは1日あたり2万8000ルピー。悪くないね。でも仕事があるのは月に3回ぐらいなんだけど」
 インドのモデル事情はよく知らないが、月に3日働くだけで8万4000ルピー(16万8000円)ももらえるんだったらたいしたものである。それだけでも十分に食べていける収入だ。

 もっともサジッド君自身はお金のことをあまり心配しなくてもいい立場にいる。実家がお金持ちなのだ。父親は鶏を30万羽(!)も持つ大きな養鶏場や魚の養殖場などを経営する地元の名士で、サジッド君もいくつかのビジネスに携わっているという。彼が普段乗っているマヒンドラ社の四輪駆動車は100万ルピー(200万円)もする。もちろんトヨタのランドクルーザーには遠く及ばないが、それでもオンボロのトラックばかりが行き交う田舎町では、明らかに人目を引くイカした車だった。


4WDのハンドルを握るサジッド君

「僕の夢は俳優になることなんだ」とサジッド君は真面目な顔で言った。「ファッションモデルだけで終わるつもりはないよ。歌って踊れる俳優としてボリウッド映画に出るのが夢なんだ。実は映画にはもう何度も出演しているんだ。端役だったけどね」

 インド中の若者の憧れの的である「ボリウッド俳優」になる。もちろんそれが簡単に叶う夢でないことは、彼にも十分わかっているのだろう。外国人相手に大口を叩いているだけなのかもしれない。それでも、とてつもなく壮大な夢を何のてらいもなく語ることができる素直さが、僕には羨ましかった。自分の身の丈に合わないほどの大きな夢を見るのは、たぶん若者だけに許された特権なのだ。



陸の孤島を走る

 サジッド君と別れてからコンタの町に向かったのだが、その道のりは悲惨だった。スクマとコンタを結ぶ国道221号線がとんでもない悪路だったからだ。まともに舗装されている部分はほとんどなく、大半が月面を思わせるガタガタ道。しかも乾いた砂が路肩を覆っているので、荷物を満載したトラックが通るたびに埃がもうもうと舞い上がる。間違いなくインドでも最悪の道のひとつだった。


国道221号線はインド屈指の悪路だ

 ノロノロと進む大型トラックを追い抜くためには路肩を走らなければいけないのだが、ごつごつした石ころでバランスを崩しやすく、常に転倒の危険と隣り合わせだった。とはいえ安全第一でずっとトラックの後ろにくっついていたら、いつまで経っても目的地には着けないし、大量の埃を浴びせられることになる。だから危険を冒してでも追い抜くわけだが、それに成功したと喜ぶのもつかの間、すぐにまた次のトラックが前方に現れるのだった。



 僕はフルフェイスのヘルメットを被っていたから、埃の被害は最小限に抑えられたのだが、インド人ライダーの大半はここでもノーヘルだった。その代わりにスカーフを顔にぐるぐる巻いて、その上からサングラスをかけるという「月光仮面スタイル」で埃を防ごうとしていたのだ。そんな面倒なことをするんだったら、さっさとヘルメットを被りゃいいじゃないか思うのだが、インド人はどうしてもヘルメットを被りたくないらしい。ヘルメットは彼らの美意識に反するものなのだろうか?

 仮にも国道と名付けられた道路がこんなにもひどい状態で放置されているのは、共産系ゲリラ組織「ナクサライト」のせいだった。オリッサ州とチャッティスガル州にまたがる森林地帯にはこのナクサライトが潜んでいて、政府軍とたびたび衝突しているのだ。州政府がインフラ整備を進めようとすると、それを阻もうとするナクサライトから攻撃(爆弾テロや要人の誘拐)を受けるので、この地は半ば陸の孤島と化しているのだった。

 そんなこんなで全身埃まみれになりながら、ようやくたどり着いた町バドラチャラムでは、一泊180ルピー(360円)のハードコアな安宿に泊まった。部屋はほどほどに汚かった。テーブルも埃だらけなので、新聞紙で埃をぬぐってものを置けるようにするところから始めた。インドでは「安宿の掃除は泊まり客がする」のがお約束なのだ。

 もちろんホットシャワーは出なかったが、ボーイが電熱器を持ってきてくれたので、お湯を使うことができた。バケツに水を汲み、そこにシンプルな電熱コイルを入れ、電気を通してから40分ぐらい待つと、熱々のお湯ができあがる。イヤというほど浴び続けた土埃を、お湯できれいさっぱり洗い落とすのは、なにものにも代えがたい幸せだった。


シンプルな仕組みでお湯を作る電熱器



ワクワクする40代でいこう

 お湯を浴びて着替えを済ませてから、硬いベッドに横たわって、今日撮った写真を改めて見直してみた。何枚かいい写真はあるが、大半は今ひとつの出来だ。打率はせいぜい1割程度。いつもと同じ水準だ。悪くはない。でもまだ向上の余地はある。






 一日中悪路を走り続けて体はヘトヘトに疲れているはずなのに、なぜか気分は高揚していた。40歳になっても、こんな風にあてもなく旅できるのが、とても幸せなことだと感じていたからだ。

 旅を始めた20代の頃は「こんな旅は若い時にしかできない」と思っていた。バックパッカーなんて自由なスタイルの旅ができるのは若い間だけだから、今のうちに精一杯楽しんでやろうと思っていたのだ。

 でも40歳を迎えた今は、全然そんな風に考えていない。自由な旅はいくつになってもできるし、それを求める強い気持ちさえあれば、よりハードでよりディープな旅だってできるはずなのだ。

 インド屈指の悪路を走り続けて埃だらけになり、1泊360円の安宿の硬いベッドの上に寝転がって朝を迎える。そんな一日であっても「俺は幸せなんだ」と感じられるのは、美しい光と素晴らしい笑顔に出会えたからだ。

 旅に定年はない。

 もちろん「永遠に若いままでいたい」なんて思っているわけではない。誰がなんと言おうと、時間は不可逆的に流れている。いずれ僕にも体力的な限界が訪れるだろう。そうなったらただ黙ってそれを受け入れるしかない。でも今はまだ、そのときではないはずだ。





「ボリウッド俳優になるのが夢だ」とサジッド君は言った。
 彼の夢が叶えられる確率は低いだろう。でも馬鹿みたいに壮大な夢を見る権利は誰にだってあるし、それは若者だけに許されたものでもない。そう、夢を見るのは若者だけの特権ではないのだ。

 40歳になっても、大きな夢を見てもいいんだと思う。
 40歳になっても、毎日迷っていてもいいんだと思う。

 ワクワクする40代でいこう。
 大きな夢を見る40代でいこう。





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by butterfly-life | 2015-10-30 11:50 | インド旅行記2015
迷い続ける40歳

40歳の誕生日の朝に


 40歳の誕生日はオリッサ州の山の中で迎えた。
 「不惑」なんて言い方はもうしないのかもしれないけど、僕が若い頃に想像していた40歳とはずいぶん違う場所に立っているのは確かだ。「惑わない」どころか、「迷い続ける」40歳。なにしろ「今日、これからどこに行くのか」さえ決まっていないほどの迷いっぷりなのだ。

 いつも宿をチェックアウトしたあと、最初に浴びる日の光の強さで行き先を決める。爽やかに晴れ渡った空なら、農村を撮るのに適している。曇り空なら街の方がいい。雨が降っていたら、無理せずに宿で休むことにする。いずれにしても、どこに行きたいのか、何を撮りたいのか、自分の心に訊ねることから一日が始まる。








 20代の頃は「写真」よりも「旅」の方が好きだった。「ここではないどこかへ向かっている」というだけで胸が高鳴った。写真は旅のオマケでしかなかった。写真なんか撮らなくても、異国の町をあてもなく歩いているだけで、十分に楽しかった。

 それがいつの間にか、写真のウェイトがどんどん大きくなっていった。写真を撮るために旅をするようになった。「撮る」という目的を持ったことで、よりディープな場所にまで足を踏み入れるようになったのだ。

 今の僕にとって、カメラは異国の地で出会った人と意思を通わせるための、そして初対面の人から笑顔を引き出すための大切な道具になった。

 笑顔に出会えたから、それを写真に撮るのではない。
 カメラを持っているからこそ、そこに笑顔が生まれるのだ。
 インドを旅していると、そんな風に感じることが多い。






 誕生日の朝は、いつもにも増してクリアな光が空から降り注ぐ、絶好の写真日和だった。南インドは一年を通して気温が高いで、澄み切った青空が広がる日は少ないのだが、この日は気温がぐっと下がり、空気の透明度が増していた。

 山間を流れる川のそばを通りかかったときに、川底の砂をトラックに運び込んでいる女たちを見かけた。色鮮やかな衣服を身につけた女性たちが、水を含んだ重い砂がたくさん入ったタライを頭に載せて、急な斜面を登っていた。

 カメラを向けられた女たちは少し恥ずかしそうな表情を見せたが、雰囲気は悪くなかった。なにより光が素晴らしかった。澄み切った青空から届く強い順光に加えて、川面に反射した光によって、特別なライティング効果が生まれていた。









 川砂を運ぶ女たちを撮った後、グンタプット村に立ち寄った。オリッサ州南部の山岳地帯に点在する少数部族の村のひとつで、280家族がほぼ自給自足に近い生活を送っている。

 村には昔ながらのろくろを回して、素焼きの水瓶やお皿などを作る一家がいた。昔のSF映画に出てくるドーナツ型の宇宙ステーションにも似たろくろは、コマのように尖った中心軸でバランスを取って回転する。手でくるくると回して惰性をつけ、粘土の塊から水瓶の姿を立ち上げていく。実に見応えのある職人技だった。




 この村を歩いていたときに、酒臭いおじさんからお金をもらった。

「俺の写真を撮ってくれよ」
 と言われたので、撮って見せてあげたら、おじさんはその出来映えにとても喜んだらしく、20ルピー札を僕に渡してきたのだ。
「こんなもの受け取れないですよ」
 と一度は断ったのだが、おじさんは「どうしても受け取ってくれ」と言って譲らなかった。酔っ払っていい気持ちになっていたこともあるのだろうが、自分をカッコ良く撮ってくれたことがよほど嬉しかったようだ。


20ルピー札をくれた気前のいいおじさん

 こんなかたちでお金を受け取るのは初めてのことだったので、すごく驚いた。しかもそのおじさんはお金に余裕があるとは思えない、どちらかと言えば粗末な身なりをしていたのだ。だからこそ、その20ルピーには実際の何倍もの価値があるように感じられた。

 もちろん、彼のような奇特な人がいたからといって、「インド人はみんな気前がいい」と結論づけることはできない。実際、同じ村の中にも「お金をくれ」とか「ペンをくれ」などとしつこく言ってくる人もいたからだ。

 お金に対して貪欲で抜け目のないインド人もいれば、そうでないインド人もいる。
 当たり前のことだけど、いろんな人がいることで、この社会は成り立っているのだ。






ガイジンを見たら逃げろ!

 オリッサ州の辺境地域にある村では、外国人が突然現れたことに驚いた子供たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出すこともあった。訪れる外国人もほとんどいない閉鎖的な地域なので、ガイジンの存在に慣れていないのだろう。


子供がみんな逃げるわけではないが、少数部族の村でこんな笑顔を撮るのは難しかった


 僕がガイジンであることを顔つきや肌の色から判断しているのならまだわかるのだが、フルフェイスのヘルメットを被ってジャケットを着ているにもかかわらず、一目散に逃げ出す子供がいるのには驚いた。たぶん僕の服装や装備品から違和感を感じたのだろう。同一部族だけで構成されている同質性の高い村では、異質なものに対するセンサーがとりわけ鋭くなるのかもしれない。

 見慣れない外国人が現れたときに子供たちが取る行動は、「とりあえず逃げる」か「少し離れたところで様子をうかがう」か「好奇心を持って近づく」のいずれかだ。平地の農村に住む子供たちは様子をうかがうことが多く、町の子供は近づいてくることが多い。しかし外部との接触が少ない辺境地域の子供たちだと、かなりの確率で「逃げる」ことを選択するのだ。

 少数部族の子供たちが持つ「ガイジンを見たらとりあえず逃げる」という行動パターンが、もともとの遺伝的な特性なのか、生まれた後に学んだ文化的な振る舞いなのかはよくわからない。しかし3歳ぐらいの子が僕の顔を見るなり、まるで肉食獣の出現に驚いたサバンナの草食動物のように全速力で走り去るのを見ると、これはやはり本能的な行動ではないかと思えてくるのだった。

 おそらく、外部との接触に消極的なグループだけが何千年にもわたって独自の部族社会を維持することができたということなのだろう。逆に言えば、身内とは違う「異人」に対して好奇心を持って近づき、簡単に仲良くなってしまうような人々は、必然的に多数派と同化し、自らの民族的アイデンティティーを失っていく運命にあったのだと考えられる。


家の前に不思議な模様を描いていた少女。少数部族の村で宗教儀式が行われるようだ。


森で集めてきた薪を頭に載せて村まで運ぶ女たち。少数部族の村では、今でも薪が主な燃料として使われている。
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by butterfly-life | 2015-10-21 14:50 | インド旅行記2015
インドの街道をゆく

インドの街道をゆく

 バイクでインドを一周する旅も三度目になる。今回はオリッサ州からスタートしてまず南に下り、広大なインドを時計回りにぐるっと一周した。121日間で走った距離は16000キロ。使ったガソリンは291リットルだった。

 バイク目線で眺めるインドとはどのようなものか。それがよくわかる動画を用意したので、まずはこちらをご覧ください。



[動画]インドの街道をゆく


 「なんだ、インドの道路って案外きれいだし、走りやすそうじゃないか」と思った方もいるだろう。インド名物の「酷道」はすっかり過去のものになったんだなぁ。そんな印象を受けるかもしれない。

 しかし、話はそう簡単ではない。これには撮る側(つまり僕のこと)の事情が絡んでいるからだ。実は動画がまともに撮影できたのは、インドでも比較的平坦でスムーズに走れる道に限られていたのだ。交通量が多すぎる危険な道や、路面状態の悪いガタガタ道では、そもそも動画撮影なんてできなかったのである。



このようなひどい道で動画撮影はできなかった


 動画の撮影はiPhoneを左手に持って行った。右手でハンドルを握り、アクセルとブレーキ操作を行いながら、左手一本でカメラを構えて撮ったわけだ。ご想像の通り、これは相当に危なっかしい方法だし、とても人にお勧めできるものではない。僕だって身の安全を第一に考えれば、こんなトリッキーなことはやりたくなかった。だからスマホをバイクに固定するための特別な金具を用意しておいたのである。ところが実際に使ってみると、この金具はまったく役に立たなかったのだ。スマホはしっかりと固定できたものの、バイクの振動を吸収する構造ではなかったために路面の微細な振動をすべて拾ってしまって、録画された動画は正視に耐えないブレブレの映像になってしまったのだ。



今回の旅の相棒。TVS-XL。小型バイクに荷物をくくりつけて、行き先を決めない旅に出た。


 実際のところ、インドの田舎道はまだまだひどいところが多い。大都市間を結ぶハイウェーはこの5年ほどで劇的に整備が進んだのだが、ローカル道に一歩入れば、未舗装のガタガタ道が待ち構えている。もともと僕の旅はハイウェーをかっ飛ばすのではく、田舎道をゆっくり進むスタイルだから、インドで急速に進むインフラ整備の恩恵はあまり受けられなかったのである。

 ビハール州はとりわけ道が悪かった。ビハールはインドでももっとも貧しい州のひとつで、インフラ整備も遅れている。 
 ここで紹介するのは、ビハール州東部とジャールカンド州北部を結ぶ国道80号線の光景である。一応国が責任を持って整備するはずの国道なのに、舗装はまったくされておらず、まるで火星のような荒れ果てた道が延々と続く。ごつごつした石ころと細かい砂、深く掘れた穴ぼこからなる酷道80号は、いくら頑張っても時速20キロ程度のスピードしか出せない。交通量も多く、大型トラックが走るたびに前が見えないほどの大量の砂埃が巻き上げられ、30分も走れば体は真っ白になってしまう。まさに「酷道」と呼ぶにふさわしいひどい道だった。



[動画]国道80号線の光景


「なぜこんなに道がひどいんだ?」
 バイクが故障したときに立ち寄った村で、若者に訊ねてみた。
「政府が悪いんですよ」とアヌラグ君は眉間にしわを寄せて言った。「国道を整備するための予算は中央政府から出ているはず。でも何年待っても工事が行われる様子はありません。お金は地元の役人のポケットに入っているんでしょう」
 汚職はインドの経済発展を遅らせている大きな要因のひとつだと言われている。必要なところに必要なお金が届かない。予算が適切に使われていない。だから貧しい地域が貧しいままなのだ。それはビハール州の現状を見てもよくわかる。

 興味深いのは、役人の汚職を嫌っているはずのアヌラグ君が「将来は公務員になりたい」と言ったことだった。
「だってこの村には仕事なんて何もありませんからね。生きていくためには、公務員になるのが一番なんです。企業のように首を切られることもないし、安定していますから」
 一部の役人が受けている「役得」を非難する一方で、もし自分がその立場に立ったら甘い汁を吸うのに躊躇しない。それが多くのインド人の本音だとしたら、この国から汚職が一掃される日が来ることは永遠にないだろう。



新しい道路の建設も急ピッチで進んでいる




インドの道にはいろんなものが行き交う。これはアイスクリームを売る屋台を運ぶ男たち


薪を担いで曲がりくねった道を歩く女たち


プラスチックバケツを自転車で運ぶ行商人。まっすぐな街道の先に次の目的地が待っている。
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by butterfly-life | 2015-10-12 21:27 | インド旅行記2015
変わりゆくインドの農村風景

失われゆく仕事を撮る

 日本や中国などと比べると、インドという国は変化のスピードが遅い。農村出身の若者が職を求めてどっと都会に押し寄せ、それまでの社会構造を一気に変えてしまうような劇的な変化は、インドではまだ起きていないし、おそらくこれからも起きないだろう。

 変化するにしてもゆっくり時間をかけて行うというのが、インド人の好むやり方だ。「血縁」や「カースト」や「宗教」といった人々をコミュニティーに縛りつける重しはそう簡単にはなくならないし、かつてほど強固なものではないにしても、親の職業を子が受け継ぐという伝統は今もなお多くのインド人の生き方の指針となっているからだ。


川の水で水牛を洗う男。水牛は暑さに弱く、朝と夕方に水に浸かって体を冷やさないといけない。


収穫した稲を牛に踏ませて脱穀する。昔ながらの方法だ。


トウモロコシの脱穀を行う女


 しかしたとえゆっくりであっても、インドの農村が姿を変えつつあるのは間違いない。テクノロジーの進歩や経済発展に伴って、かつては必要とされていた仕事が要らなくなったり、仕事のやり方ががらりと変わったりすることは、インドでも決して珍しくはないのだ。

 僕が「はたらきもの」を撮るときに考えているのは、「この仕事が10年後も残っているのか?」ということだ。

 もしそれが数年経たないうちに姿を消してしまうような「失われゆく仕事」であるなら、僕がいま写真に記録して、後世に伝えなければいけない。それが一人の写真家として僕が果たすべき責務なのだと思っている。


[動画]失われつつあるインドの伝統的な農業の風景



疲れを知らないマシンは

 タミルナドゥ州のバンタミリという町の近くには、牛を使って田んぼを耕す老人がいた。二頭の牛にスキを引かせて、田植え前の代掻きを行っていたのだ。


あぜ道には等間隔に椰子の木が植えられ、田んぼの水面が日の光を受けてきらきらと輝く。絵になる光景だ。


 老人はときどき牛たちを休ませながら、時間をかけて田んぼを耕していた。時間なんていくらでもあるんだと言わんばかりに。
 実際、彼をせかす人は誰もいなかった。自分のペースでのんびりとやればいいのだ。何十年も前からずっとそうしてきたように。







 しかし隣の田んぼは様子が違った。牛の代わりに大型トラクターが入り、圧倒的な速さで代掻きを行っていたのだ。大きな爪のついた車輪が高速で回転しながら、土を深く掘り起こしていく。疲れを知らないマシンは、牛とは比べものにならないほどスピーディーに仕事を終えていく。



トラクターの周囲には白いサギの群れが飛び交っていた。田んぼの中に潜んでいるミミズや昆虫を捕まえるチャンスをうかがっているようだ。


 牛を使った代掻きは、この地域でも滅多に見かけない存在、「失われゆく仕事」になってしまった。ざっと見たところ、9割近くの田んぼはトラクターを入れていた。稲の収穫や脱穀作業にしても、大型コンバインであっという間に終えるやり方が主流になっている。

 農業の機械化と省力化は、今後も続くだろう。そして人手がかからなくなった農業から、製造業やサービス業へ雇用の重心が移っていく。その流れを止めることは誰にもできないし、また止めるべきでもないのだと思う。

 その結果、何世代、何十世代にも渡って受け継がれてきた仕事が、ひとつまたひとつとその役目を終えることになるだろう。素焼きの水瓶を手作りする姿や、米の脱穀作業を風と共に行う光景も、やがては過去のものになっていくはずだ。それは寂しいことだと思う。たとえそれがどうしようもない時代の流れだとしても。



脱穀したもみ殻を風にさらしてゴミを飛ばす。何百年も前から変わらない収穫期の風物詩だ。








ここではトラクターで扇風機を回して風を送っている。伝統のやり方に少しアレンジを加えているのだ。


 「はたらきもの」は誇るべき伝統文化として取り上げられることも少ないし、聖地や観光地のようにフォトジェニックというわけでもないから、彼らに注目する人はほとんどいない。なにしろ当の本人たちでさえ「なんで俺たちを撮るんだ?」と不思議そうな顔をするぐらいだから。

 だからこそ、僕は「はたらきもの」を撮っている。
 失われゆく仕事を今ここで記録できるのは自分しかいない、と信じているからだ。
 永遠に失われてしまってからでは、もう遅いのだから。



粘土をこねて素焼きの水瓶を作るラジャスタンの男。何十年も同じ仕事を続けてきた人だけが持つ、分厚い手だった。




牛の力ではなく、人力で代掻きを行う田んぼもあった。これもやがて消えゆく仕事のひとつだろう。
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by butterfly-life | 2015-10-02 14:24 | インド旅行記2015