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聖地バラナシは混沌に満ちたワンダーランドだ

※催行決定!
●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。


混沌に満ちたワンダーランド


 バラナシはそれほど広くなく、歩いて回るにはちょうどいいスケールの街だった。僕はこの街をゆっくりと歩きながら、心を動かされたものに対して素直にシャッターを切った。決して急ぐ必要はなかった。マイペースでゆったりと歩いていれば、必ず何か面白いものに出会えたからだ。

 バラナシは思わず足を止めたくなるような小さな驚きに満ちていた。壁に描かれた絵や小さな祠などの宗教的イコンにも心惹かれたし、ボロボロの古い自転車や、道ばたで昼寝をしている老人の足の裏でさえもとても魅力的だった。何気ない日常の中に隠された素晴らしい構図を自分の手で発見するのが、楽しくて仕方なかった。

















 最初にバラナシを訪れた2001年には、街歩きをのんびり楽しむ余裕なんてなかった。僕はこの街に圧倒され、飲み込まれそうになっていた。すさまじい数の巡礼者が沐浴を行う姿や、屋外の火葬場で当たり前のように遺体が焼かれる光景に、ただ驚かされるばかりだった。インド的な日常と、自分が慣れ親しんでいた日常とのギャップの大きさにたじろぎ、自分をかたちづくる価値観が根底から揺さぶられるのを感じていた。

 今回はそんなことはなかった。バラナシは相変わらず混沌に満ちたワンダーランドではあったけれど、その混沌に正面から向き合い、自分なりのやり方で咀嚼できるようになっていたのだ。







 僕の中で何が変わったのだろう?
 ひとことで言えば、余裕が生まれたのだと思う。この14年のあいだ、僕は様々な国を旅し、異なる価値観に触れてきた。その旅の経験が、何が起きても慌てない精神的な余裕を身につけさせたのだ。

 インド的なカオスに飲み込まれることなく、それをゆったりと受け止めつつ、自分が驚きを感じる場面に対して素直に反応する。そのようなしなやかな好奇心こそが、写真を撮るときにもっとも大切なことなのだ。








眺望は最高、料理は最低の宿

 バラナシで泊まった宿「シャンティ・ゲストハウス」は、迷路のように入りくんだ路地の奥にあった。入り口の隣には大量の生ゴミが捨ててあって、野良牛がそれをムシャムシャと漁っていた。いかにもバラナシらしい古くて陰気な建物だった。何十年も前からほとんど姿を変えずに営業しているのだろう。

 案内されたのは特に清潔でもない、殺風景な部屋だった。電灯は暗いし、天井のファンは「最強」と「オフ」の二段階しかない。それでもダブルルームが300ルピーとお手頃で、とても静かなのは良かった。泊まり客のほとんどは欧米人バックパッカーで、韓国人や日本人もちらほら来るという。


古くて殺風景な部屋が300ルピーだった

 屋上はレストランになっていて、そこからバラナシの旧市街が一望できた。眺めの良さに惹かれて、日がな一日ここに座ってぼんやりとチャイを飲んだり、ガンジャを吸ったりしてメロウに過ごしている旅人も多かった。宿代も安いし、話し相手にも事欠かない。沈没旅行者にはもってこいの安宿なのだ。


屋上のレストランからはバラナシの旧市街が一望できる

 しかしこのレストランには問題があった。眺望は抜群なのだが、出てくる料理がひどかったのだ。マズいし、高いし、遅いという三重苦。昼食にチキンフライドライスを頼んだら、たっぷり1時間も待たされた挙げ句、ご飯がべちゃべちゃのミックスベジタブル入りケチャップご飯が出てきて、それが90ルピーもしたのである。

 それでも1時間も待たされることにカリカリしているのは僕ぐらいのもので、他の旅人はギターを弾いたり、トランプをしたり、ビールを飲んだりしながらのんびりと待っていた。時間なんていくらでもあるじゃないか。インドではこれぐらい待たされるのなんて当たり前なんだよ。そんな構えなのだ。

 確かにバックパッカースタイルの旅をしていれば、1時間や2時間待たされることなんて日常茶飯事だ。公共バスや鉄道は遅れるのが当たり前だし、外国人が集うカフェというのはなぜか(人手が足りないからだと思うのだが)調理にひどく時間がかかるのだ。そうやってインドを何ヶ月か旅していれば、「これはインド時間なのだ」と諦めるようになる。



駅で列車の到着を待つ家族。何時間待たされても文句は言わない。


 しかし僕は相変わらず待たされることが我慢できない。それは長年バイクを使って自分勝手な旅を続けてきたからだと思う。バイクを使えば公共交通機関の遅延に煩わされることもないし、地元向けの安食堂に行けば料理はファストフード店よりも早く出てくるのだ。どうやら僕はマイペースな旅を続けたせいで、バックパッカー失格人間になってしまったようだ。



愛とセックスと善きカルマ

 夜明け直後のバラナシは言葉を失うほど美しく、いくら歩いても歩き足りないほどフォトジェニックなシーンに満ちている。しかし日が高く昇るにつれて、バラナシにかけられていた幻想的な魔法は徐々に効力を失っていく。そして耐えがたいほどの暑さになるお昼過ぎには人影もまばらになり、ガートで沐浴する人もほとんどいなくなってしまう。バラナシはあくまでも朝の街であり、昼時にうろうろしているのはエサを求めて歩く野良牛か、電柱をよじ登るサルぐらいなのである。



バラナシにいる猿は人に慣れている


細い路地を野良牛の巨体がふさぐ。これじゃ通れませんよ。


 僕も昼前には宿に引き上げ、しばらく昼寝をして体力を回復させてから、夕方になると再び街を歩くことにしていた。夕方から夜にかけて、バラナシは再び幻想の衣をまとい始めるのだ。



マニクルニカー・ガートで毎晩行われている祈祷の儀式。若い男たちが炎を振り回して祈る。




 日暮れ間近の旧市街をぶらついていたときに、流暢な日本語を話す土産物屋が話しかけてきたことがあった。
「こんにちは。私の名前はブラッド・ピットです。ね、似てるでしょ?」
 お約束のつかみなのだろう。言われてみれば確かに顔立ちは「12モンキーズ」に出ていた頃のブラッド・ピットに似ている。無精髭もなかなか似合っていた。
「うん、似てるね」
 僕が頷くと、彼はしてやったりという表情を浮かべて、さらにたたみかけるような早口で喋り続けた。
「俺は日本人の女が好きなんだ。日本人の女はサイコーね。オーストラリア人、ロシア人、イタリア人、みんなやったけど、日本人が一番よかった。やっぱり同じアジア人だからかな。ココロが一番近いのが日本人だった。日本人の女、紹介してくれないか?」

 観光地によくいるチャラい客引きだった。顔もハンサムだし話術も巧みなので、女性客を引っかけるのは得意なのだろう。暇さえあれば外国人旅行者に声を駆けまわって、うまく行けばセックスする。そういうジゴロみたいな生活を送っているようだった。

「日本人のカノジョがいたこともあるよ。でも長くは続かなかった。日本人は時間にすっごくうるさいでしょ。10分おきに電話かけてきて、『今どこにいるの? 早く来なさい』って言うから困るんだよ。インド人は1時間ぐらい遅れても気にしない。日本人は1分遅れただけで文句を言う。タイム・イズ・マネーでしょ。日本人の人生はまるで機械みたいだ。時計のように時間に正確で、きっちりしている。俺にはそれが疲れるんだ」





 ブラッド・ピット君が面白いのは、無類の女好きのくせに、結婚観は意外なほど保守的なことだった。これだけ奔放な性生活を送っているのだから、当然、恋愛結婚をするつもりなのかと思いきや、アレンジ婚がいいと言うのだ。

「お兄さんもアレンジ婚だったから、俺もそうしたい。お兄さんは結婚式の日まで奥さんの顔を知らなかったんだ。それでもオッケーだった。俺も結婚相手の顔はどうでもいいよ。むしろ美人じゃない方がいいね。だって美人はビッチばかりだから。日本語ではなんて言うんだっけ? ヤリマン?」
「よくそんな言葉知ってるね」
 彼のようにプラクティカルに日本語を覚えた人の特徴は、語彙が下ネタ方面に偏っていることだ。語学学校ではまず教えてくれない言葉を、実によく知っている。たぶん日本人旅行者が面白がって教えたのだろう。
「セックスするときは電気を消すんだから、顔なんて関係ないでしょ。胸とかアソコとかもみんな同じだよ。俺が奥さんに求めるのは、両親の面倒を見てくれること。それが一番大事だよ。もちろん外国人じゃダメだ。インド人で同じカーストの女じゃないとダメだね。処女? そんなの当たり前じゃないか。俺は27歳だけど、今の稼ぎで奥さんと子供を養うことは出来ないから、まだ結婚しない。あと5年ぐらいは独身だろうね。もし結婚したら絶対に浮気はしないよ。離婚もしない。一生、その人を愛し続ける。それが本当のラブってものだろう?」

 自分のこれまでの行状を棚に上げて、結婚相手に処女と貞節を求めているのがおかしかった。性に対してオープンな欧米人や日本人との遊びを楽しんではいるが、心の底では彼女たちを馬鹿にしているのだろう。どうせ一夜限りの関係なんだし、そこには愛情はないと彼は言い切る。「愛」とは一時的に燃え上がってすぐに燃え尽きてしまうものではなく、じっくりと長く続くものだというのだ。

「愛は雨と一緒だよ。激しく降る雨は、止むのも早いでしょ。穏やかに降る雨は、ずっと降り続いている」
 なかなかいいことを言う。名言としてメモっておきたいぐらいだ。しかしその言葉と実際の行動のあいだに明らかな矛盾がある。そこがまた面白かった。彼は「外国人女性を釣り上げるフィッシングを楽しむチャラ男」と、「将来を真面目に考える保守的なインド青年」という相反するキャラクターのあいだを行き来する器用さを持っているのだ。







「バラナシに建つ立派な建物は、マハラジャが建てた『死ぬのを待つための家』なんだ。死ぬための家を買うなんてインドだけでしょ。バラナシで火葬して、その灰をガンガーに流したら、ニルバーナ(涅槃)に行けるとみんな信じている。だからマハラジャはここに家を建てたんだ。自分がニルバーナに行くためにね。でもそんなのはデタラメだよ。生きている間たくさんの人を殺した悪いマハラジャが、ガンガーに流されたからってニルバーナに行けるはずがないじゃないか。俺はカルマの存在を信じている。生前善い行いをしたら、来世に善いカルマに生まれ変わるし、悪いことをしたら、悪いカルマに生まれ変わるんだ。だから善いことをしなきゃいけない」
「外国人の女とやりまくるのは、悪いカルマを積むことにはならないの?」
「それは違うさ」と彼は大きく首を振った。「セックスと愛は違う。セックスは楽しむためにやるものだ。ただやって、それでさよならさ。あとには何も残らない。愛は、もっと重くて、もっと大切なものなんだよ」

 わかるような、わからないような理屈だった。たぶん彼自身にも自分の抱えている矛盾の正体がまだよくわかっていないのだろう。彼は旺盛な性欲と好奇心を持ちながら、それを押さえつける保守的な価値観の中で生きようとしている。かなりアクロバティックな試みだと思うのだが、彼自身は別にそうでもなさそうだった。「結婚したらすべてが変わる」とシンプルに思い込んでいるのだ。

 バラナシはインドの中でもきわめて保守的な街である。旧市街の建物は厳しい規制の下で何百年も前と同じ姿を留めている。しかし同時にこの街は世界的な観光地であり、欧米人がもたらす新しい価値観にいち早く触れる場所でもある。そこに矛盾が生じるのは当然の成り行きであり、それを象徴しているのがブラッド・ピット君のような若者なのだろう。

「俺は夕暮れが一番好きなんだ。朝はあまりにもうるさくて、人がたくさんいるから好きじゃない。こうしてガートの階段に座って、暗いガンガーを眺めていると、とても穏やかな気持ちになるんだ。俺のお父さんもおじいさんも同じようにガンガーを眺めていたんだろう。バラナシはずっと変わらないよ。俺の子供も孫もきっと同じようにガンガーを眺めるだろう。そんな街はここだけなんだ」







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by butterfly-life | 2016-01-27 11:26 | インド旅行記2015
バラナシという劇場

●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。



バラナシという劇場



 バラナシは特別な街だ。インド人にとっても、インドを訪れる外国人にとっても。
 バラナシは二千もの寺院と数多くの沐浴場(ガート)が所狭しと並ぶヒンドゥー教最大の聖地であり、いくつもの火葬場を持つ「死者のための街」でもある。バラナシで沐浴すれば、現世で犯した罪は洗い清められ、ここで死んで遺灰をガンガーに流されれば、終わりなき輪廻の苦しみから解脱できる。ヒンドゥー教徒たちはそう信じているのだ。


聖地バラナシに昇る朝日を浴びながらヨガをする二人。聖なる河ガンガーから昇る朝日は、特別に神聖なものだと信じられている。


 今回の旅では、バラナシはパスするつもりだった。もうすでに二度訪れていたから、改めて見るべきものは少ないと思ったからだ。
 それなのにバラナシに泊まることになったのは、バラナシの西60キロのところにあるミルザプールという町でどうしても宿が見つからなかったからだ。ホテルはいくつもあるのだが、どこも外国人を泊めてくれなかったのだ。外国人が滅多に来ない田舎町では、時々起こる事態だった。外国人を泊めると煩雑な手続き(例のC-Formだ)が必要になるし、地元警察にも届けなければいけない。だからどのホテルも面倒くさがって「満室だからダメ」とか何とか適当に嘘をついて断ってしまうのだ。

 もちろんホテル側が意図的に嫌がらせしているわけではないのだが、立て続けに十軒も「満室だ」と断られて、1時間以上も町をさまよっていると、だんだん腹が立ってくるし、町全体を憎むようにもなってくる。意味もなく小突き回されているような気持ちになってしまうのだ。









 そんな苛立った気分も、バラナシの街を散歩したらすぐに吹き飛んでしまった。やっぱりここに来たのは正解だった、なんて思えたのは、バラナシの朝があまりにも素晴らしかったからだ。

 それは「美しい混沌」とでも言うべきものだった。朝日に向かってヨガを行う若者。ガンガーの水を頭から被る女性。怪しげな存在感を放つ白塗りのサドゥー。外国人旅行者をわんさか乗せた観光ボート。川辺で洗った洗濯物を乾かす少年。マハラジャの時代に建てられた立派な建物。遺体が次々に焼かれていく火葬場。

 様々な人々がバラナシという劇場に立って、それぞれの役柄を演じていた。それが喜劇か悲劇かはよくわからないのだけど。



朝日に向かってホラ貝を吹くサドゥー











スナップショットに向いた街

 バラナシでの撮影は、僕のいつものスタイルとはまったく違うものになった。普段はまずコミュニケーションを取るところから始める。言葉が通じなくてもいいから、アイコンタクトや身振りなどで「あなたを撮りたいんだ」という意思を伝える。そこで良い反応が返ってくればレンズを向けるし、そうでなければ撮らない。

 それがバラナシでは、相手に気付かれないうちに撮るスナップショットが基本になった。人を主役にして撮るのではなく、バラナシという舞台に役者を配置した1シーンを撮るようなイメージだ。人々だけでなく、背景も、光も、空気感も、全てが印象的なバラナシだからこそ成立する撮り方だった。















 外国人旅行者がありふれているのも、この街がスナップショットに向いている理由のひとつだ。バラナシではガイジンの存在は特別なものではないし、わざわざ注目したりしない。10メートル歩くたびに「ボート乗るか?」と声を掛けてくる面倒くさい船頭たちを除けば、この街の人々は外国人に無関心なのだ。子供たちがわーわー後をついてくることもなければ、おっさんたちから「お前はここへ何しに来た」と詰問されることもない。外国人が珍しい田舎町ばかり好んで旅してきた僕にとって、その反応はとても新鮮だった。

 しかし中にはカメラにすごく敏感な人もいて、それがヒンドゥー教の行者「サドゥー」だった。サドゥーは沐浴場の一角で哲学的な思索にふけっているような顔をしてじっと座っているのだが、外国人にカメラを向けられると、待ってましたとばかりに「カネをよこせよ」と言ってくるのだった。「モデルになってやる代わりに撮影料をくれ」というわけだ。彼らは自分が外国人からどう見られているのか、ちゃんとわかっているのである。


いかにもサドゥーっぽい格好をした男が、実はカネ目当てだったりもする


壁に描かれた神様ガネーシュによく似た格好のビジネス・サドゥー

 家族も捨て、住む家も捨て、終わりなき放浪の旅を続けているのが、サドゥー本来の姿だ。あらゆるものへの執着を断ち、瞑想と苦行と禁欲を実践しながら生きている。しかしバラナシに集まっているサドゥーたちの多くは、外国人から小銭をせびることで生計を立てている「ビジネス・サドゥー」だった。彼らはサドゥー本来の無頼の生き方とは正反対の道を行っている。「聖なる外見」とは裏腹の「俗なる内面」を持っているのだ。

 しかしそういう怪しげな連中さえも受け入れることによって、バラナシという劇場がさらに厚みを増しているのも事実だった。聖なるものの中に宿る俗性、あるいは俗なるものの中に宿る聖性。善悪と美醜。すべてのものを併せ持つこの舞台の上で、今日もまた役者たちが悲喜劇を演じている。


ガンガーは土足厳禁

 相手に気付かれないうちにスナップ的に撮るのが有効なバラナシであっても、何でもかんでも撮っていいわけではなく、一定の節度を求められる場面もあった。たとえば火葬場で燃えている遺体を撮るのは厳しく禁止されているし、寺院などで神様に対して不敬な行動を取ると、その場から追い出されることにもなりかねない。

 沐浴場で行われていた宗教儀式を撮影したときのことだ。川に向かって祈りを捧げる人々を正面から捉えようと、僕はサンダルを脱いで裸足でガンガーに入った。すると儀式を取り仕切っている男から、「何しているんだ!」という大声が飛んできた。



 その声は僕に対して発せられたものではなかった。すぐ近くにいた欧米人の男が、僕と同じように川に入っていたのだが、彼が履いていた靴を脱がなかったのが問題だったのだ。インド人にとってガンガーは聖なる川。しかもバラナシを流れる水は世界一清らかだと信じられている。その川に土足で入るとは何ごとだ、というわけだ。

 注意を受けた欧米人の男は慌てて川から上がり、申し訳なさそうにその場を離れていった。そのとばっちりを受ける格好で、僕も睨まれそうになったので、すぐに足を上げて「俺は裸足だよ」とアピールした。すると男は軽く手を上げて「あぁ、君はそのままでいいよ」と言ってくれたのだった。

「写真を撮るのは構わない。問題は靴なんだ」
 と彼は言った。そう、問題は靴なのだ。

 裸足は「浄」で、靴は「不浄」という感覚は、インド人に広く共有されている。それは靴の裏と足の裏のどちらが実際に清潔なのかという問題ではない。

 聖なる存在の前で裸足になり、清らかな体と清らかな心で神様に向き合う準備ができているか。その心構えを問われているのだ。







 実際にはガンガーの水は大腸菌だらけだし、牛の糞やら人の小便やらが大量に流れ込んだ汚い水だ。それでもこの水は清らかなものであり、土足で犯すべきものではないという前提を受け入れ、尊重しなければいけない。この街を訪れるすべての人に問われているのは、その姿勢なのである。





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by butterfly-life | 2016-01-23 10:27 | インド旅行記2015
物乞いなんてどこにでもいる
*「インド旅行記2015」のバックナンバーはこちらをご覧ください。

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ごちゃごちゃした旧市街


 ごちゃごちゃしているのが旧市街で、すっきりしているのが新市街。
 新しい街と古い街。二つの街を並べてみると、その違いは歴然としている。
 言うまでもなく、僕が好きなのは旧市街の方だ。何か特別な用事がない限り、新市街に足を向けることはない。

 僕にとってインドの旧市街はめくるめく空間だ。迷路のように入り組んだ路地裏。狭い店が肩を寄せ合うようにして連なる商店街。悠々と寝そべる野良牛。人とリキシャとオート三輪が殺到して大混乱に陥る交差点。すべてが刺激的で驚きに満ちている。







 旧市街と新市街を見分けるのは簡単だ。グーグルマップ上でもその違いははっきりと見て取れる。道路がまっすぐに走り、碁盤の目状に区画整理されているのは新市街で、その反対に道路がジグザグに走り、ところどころ行き止まりになっているのが旧市街なのだ。




旧市街と新市街の違いはグーグルマップでも確認できる。上がバレーリーの旧市街で、下がバレーリーの新市街である。


 インドの街が素晴らしいのは、旧市街の建物を取り壊さずにそのまま残しながら、外側に新市街を広げているところだ。貧しい庶民が混み合った旧市街に住み続ける一方で、お金持ちは広々とした郊外へ移り住む、という流れが出来上がっているのだ。これは文化財や景観を保護するためではなく、さまざまな規制や複雑な地権などが絡まり合って、政府主導の再開発が進まなかった結果だ。強引なやり方で古い街を壊し、近代化をスピーディーに推し進める中国とはまったく対照的なのである。



旧市街には百年以上も前に建てられた住宅も多く、訪れる人を「時間の旅」へといざなってくれる。






 インドの旧市街は小汚い場所だ。上下水道の整備も遅れているので、あちこちに小便のにおいが漂っている。道はあまりにも狭く、人も車も牛も数が多すぎる。しかしそれと同時に、人と人との距離がとても近いので、都市でありながら親密な雰囲気が漂っている。江戸時代の長屋横丁もきっとこんな空間だったのだろう。









 旧市街に住む人々は気軽に声を掛けてくる。チャイをご馳走してくれたり、お菓子を分けてくれたり、以前からの知り合いのようにフレンドリーに接してくれる。彼らが外国人に慣れているわけではない。英語が話せるわけでもない。その証拠に、僕に対して「あんたアメリカ人か?」と訊ねる人も多い。これは「ガイジン=アメリカ人」という素朴な思い込みがあるからだ。不思議なのはアメリカ人に次ぐ人気ナンバー2が「オーストラリア人」であることだった。超大国アメリカのネームバリューが圧倒的なのはわかるが、なぜオーストラリアのプレゼンスがこれほど高いのだろう。まぁオージーって暇なのか、どの国にもよくいるけどね。

「ジャパンから来たんだよ」と僕が答えると、
「おぉ、メイド・イン・ジャパンか!」と返されることもあった。
 まぁ間違いではないけれど、正面切って「メイド・イン・ジャパン」って言われると、まるで自分が電気製品にでもなったみたいで、ちょっと複雑だった。

 僕のサインを欲しがる若者もいた。そんなものもらってどうするんだろうと思いながらも、差し出されたノートにサインを書く。中には紙幣にサインをしてくれという少年もいた。そういえばインドでは計算やメモが書き込まれた紙幣を見かけることが多い。適当な紙がないときに、お札をメモ帳代わりに使う習慣があるようだ。








ギャンブルとスクラップの街

 マハラシュトラ州にあるラトゥールは、地方都市の中でもかなり規模の大きな街だった。南仏の小都市を思わせるオシャレな響きだが、実際のラトゥールは小さな商店がごちゃごちゃと建て込んだ、いかにもインドらしい街だった。交差点には野菜や果物を売る台車が所狭しと並び、ムスリム地区からは礼拝を呼びかけるアザーンの声が響いてくる。



ラトゥール郊外には建築現場から出たくず鉄を再生するスクラップ工場が建ち並んでいた。長い鉄を切断する男、ブリキでバケツを作る男、溶接する男。鉄に関する様々な仕事が行われていた。






 ラトゥールには他の街では滅多に見かけることのないギャンブルの店がいくつもあった。入り口にいかにも怪しげなカーテンがかかっているので、すぐにそれとわかる。中を覗くと、薄暗い部屋の中にピカピカと光る電子ルーレットのようなマシンが5台ほど置いてある。硬貨を入れ、アタリが出ると何倍にもなって出てくる仕組みのようだ。こうした私営のギャンブルは、インドでも違法行為のはずだ。しかし白昼堂々と営業しているところを見ると、当局からも大目に見られているようだ。見回りに来た警官には賄賂を払っているのかもしれない。



ルーレットのようなマシンが並ぶ店


ギャンブル店の入り口にはいかにも怪しげなカーテンがかかっている


 ルーレット屋の隣にはロト屋があった。ロトは小口のスピードくじだ。当選番号はインターネットに繋がったパソコンの画面に4桁の数字として発表される。この数字が自分が買ったくじ番号と一致すればアタリだ。くじは1口10ルピーで販売され、当たったら900ルピーが払い戻されるそうだ。はっきり言って安い。インド人の所得水準を考えてもずいぶんローリスク・ローリターンだ。パソコン画面に数字が現れるだけ、という仕掛けのショボさにも脱力してしまう。それでも地元のおっさんたちはくじを握りしめて大声を張り上げたり、大げさに喜び合ったりして、かなり熱くなっていた。人は不確実なものに惹かれる。「当たるも八卦当たらぬも八卦」というドキドキ感を味わいたいという欲求は、人類に共通したものなのだろう。



ロト屋では発表されたアタリ番号を掲示板に書いていく。


ギャンブルと酒は切り離せないものなのか。この町には酒屋とバーが多かった。インドのバーはどこも退廃の匂い漂う、掃きだめのような場所である。客はもちろん男だけ。オシャレに飲むという発想はない。



物乞いなんてどこにでもいる

 ラトゥールの旧市街には物乞いの姿が多かった。寺院の周辺やバスターミナルや市場など、人の集まるところには必ず何人かの物乞いが座って、通行人に右手を差し出していた。片手がない者、片足がない者、目が見えない者、皮膚がただれた者。身体に何らかの障害を持つ人が多かった。





「どうしてこんなに物乞いが多いんだろう?」
 市場で靴屋を営む男に訊ねてみた。流暢に英語を話す人だったから、詳しい事情が聞けるかもしれないと思ったのだ。
「さぁ、そんなことは知らないよ」
 靴屋は興味なさそうに首を振った。
「物乞いなんてどこにでもいるじゃないか。あいつらは働く気がないから働いていないだけだよ。インドだけじゃない。アメリカにもイギリスにもいるだろう。リッチな人間とプアーな人間がいるのは、この世界じゃ当たり前のことじゃないか」
「でも日本には物乞いはいないよ」
 僕がそう言うと、靴屋は絶句した。そんな国が存在するなんて到底信じられないというように。日本にもホームレスはいる。けれども彼らが道行く人にカネやモノを恵んでくれと手を差し出すことはない。空き缶を拾ったり、廃棄された食料を集めたりして食いつないでいる。それは世界的に見て、かなり特殊な状況だ。

「じゃあ、日本人は全員働いているのか?」と靴屋は僕に訊ねた。
「もちろん働けない人もいる。でも、そういう人は国からお金をもらって暮らしているんだ」
 その答えは靴屋をさらなる混乱に陥れてしまったようだ。
「働けない連中に国がお金を配るっていうのか? そんなことしたら、誰も働かなくなるんじゃないのか? いったいどうなっているんだ? 日本って国は」
 日本の生活保護制度にも問題はあるだろうけど、少なくともインドのように「働けない奴はすぐに物乞いへ転落」とはならない社会は誇るべきものだと思う。





「あんたたちはインドが貧しい国だと思っているんだろう?」と彼は言った。「でも本当はそうじゃない。知っているか? スイスの銀行に一番多く金を預けているのはインド人なんだ」
 彼が言いたいのは、おそらくこういうことだ。インドには物乞いも多いが、スイスの銀行口座に莫大な資産を預けている大金持ちもいる。だからインドが貧しい国だと決めつけないでくれ。

 それは事実なのだろう。しかし決して自慢できるものではない。本来であれば課税され、貧困層に分配されているはずの富裕層の資産が不法に外国に逃避していることで、インドの経済格差はさらに広がっているのだから。

 もちろんどんな国にも格差はあるし、ホームレスや物乞いもいる。インドで問題なのは、その格差があまりにも大きすぎること。そして格差ががっちりと固定されていることだ。優秀な人はものすごく優秀だし、お金持ちはびっくりするほどお金持ちだが、貧しい人が貧しさから抜け出すことは非常に難しい社会なのだ。

 インド社会は、個人が分不相応の夢を抱くことを抑圧してきた。「運命をそのまま受け入れろ」という強い圧力のもと、親の仕事を子がそのまま受け継いできた。カースト制度とは「格差の再生産」に他ならない。

 変化に乏しい前近代には、このような流動性に乏しい社会システムがうまく機能したのだろう。しかし時代は変わった。グローバル化と情報化が進み、素早い変化が求められるようになった現代社会では、格差の固定化は社会から活力を奪い、イノベーションを妨げる原因になっている。





 僕はインドが好きだ。美しさも醜さも、豊かさも貧しさもひっくるめて好きだ。
 でも街に物乞いがあふれている光景だけは、どうしても好きにはなれない。それが当たり前だと何の疑問も持たない人々の姿も、好きにはなれない。

 物乞いになるために生まれてきた人なんて、どこにもいない。
 人は働くために、誰かの役に立つために生まれてきたのだと僕は信じている。



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by butterfly-life | 2016-01-04 11:06 | インド旅行記2015