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旅行記2015がついに完結! 結末はCD-ROMで
 半年にわたって連載を続けてきた旅行記2015は最終回を迎えました。
 この続きはぜひCD-ROM版を購入してお読みください。
 未公開エピソードが23話も入っている読み応えのある電子書籍です。

 今回はこのCD-ROMの「読みどころ」をご紹介します。



トウガラシ市場で涙が止まらない理由

 トウガラシはインド料理に欠かすことのできないスパイスであり、インド人一人あたりのトウガラシ消費量は日本人の約10倍にもなるという。「カレーは辛い」という当たり前の事実は、豊富なトウガラシによって支えられているのだ。



 一面に広がる鮮烈な赤と、そこで働く男たちの姿はとてもフォトジェニックだったが、撮影するのは大変だった。トウガラシをかき混ぜると、辛み成分のカプサイシンが大量に揮発するので、そばにいるだけで目や鼻の粘膜が刺激されて、涙と鼻水が止まらなくなってしまったのだ。

 市場で働く男たちは普段からカプサイシンに慣れている「トウガラシのプロ」のはず。だから平気で仕事をしているのかと思いきや・・・全然そんなことはなかったのでした。実にインドらしいエピソードです。



インドでは老け顔の方がトク?

 ラジャスタン州南部のシロヒ県にある村で、中学校を訪ねることができた。
 英語教師のジテンドラさんと地理を教えるケムラジさんの二人は、どちらも流暢に英語を話し、知識も豊富だった。特に地理のケムラジさんは、日本が4つの島
から成り立っている国で、それぞれホンシュウ・ホッカイドウ・キュウシュウ・シコクと呼ばれていることや、安倍首相とインドの首相モディは仲が良く、お互
いのツイッターをフォローしていることなど、日本についても詳しく知っていた。



「私の年齢を当ててみて」
 と言ったのはジテンドラさんだった。かなりの難問だった。第一印象は僕と同い年か少し年上に見
えた。ジテンドラさんの頭はかなり薄くなっていたし、肌の色つやや落ち着いた話しぶりから推測しても、僕より年下だとは思えない。

 それでも僕は「37歳・・・ぐらいかな?」と答えた。先ほどとは逆に、インド人は老けて見える場合が多いので、自分の感覚よりも3,4歳下ぐらいがちょうどいいだろうと考えたのだ。

 しかし正解は僕の予想の斜め上を行くものだった・・・。



1万人が参加する巨大結婚式

 インドでは今もなお「超ド派手婚」が主流である。招待客が1000人を超える披露宴だって当たり前なのだ。結婚式に対する意気込みが日本人とは全然違うのである。



 スレンドラナガールという町の近郊で開かれていたのは、1万人もの人々が参加する巨大な結婚式だった。
「今日は45組のカップルが一緒に結婚式を挙げるんです」
 と教えてくれたのは、流暢に英語を話すジャグディシュ君。ITを学ぶ23歳の大学生だ。
「45組が一緒に?」
「そうです。私たちはみんな同じカースト『コリ』に属しています。グジャラート州には70ほどのカーストがありますが、コリはもっとも大きな集団なんです」

 インドには結婚式を挙げるための資金を工面できないカップルもたくさんいるのだが、そんな人のために無料で結婚式を開いてあげましょうというのが、この
イベントの主旨だった。会場費やご飯代などはすべて無料。花嫁衣装まで用意してくれるという。まさに「身ひとつ」で結婚できるのである。





* 高画質写真を1000枚以上も収録

 CD-ROM2015に収められているのは旅行記だけではありません。
 WEB未公開の写真を数多く含む高画質の写真も必見です。
 その数なんと1000枚以上「デジタル写真集」としても楽しんでいただけます。写真の画質は、サンプル(1)(2)(3)でお確かめください。



* ご購入は「たびそら通販部」で

価格は1600円。通信販売でのみご購入いただけます。
この作品集を買っていただくことが、今後も旅と撮影を続けていくための何よりの励みになります。ぜひご購入ください。
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* 旅心をくすぐるCD-ROMシリーズ

写真家・三井昌志のCD-ROM作品集は全部で9タイトル
この機会にぜひ併せてお求めください。

旅行記2013

インド色を探して

南アジア編

東南アジア編

インド一周旅行記

2005

2004

ユーラシア一周2001
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by butterfly-life | 2016-02-29 12:39 | インド旅行記2015
人生は一度きり。だから世界は美しい
 昨年から連載してきた「旅行記2015」は今回で最終回です。
 メルマガで未公開のエピソード23話は、現在発売中のCD-ROM2015に収録されています。高画質写真ファイルも1000枚以上入ったボリュームたっぷりの電子書籍です。


無神論者のジェイミーさん


 僕が40歳だと言うと、たいていのインド人は驚く。もう中年にさしかかろうという40歳の男が一人でふらふらと旅をしているなんて理解できない。まったく日本人は何を考えているのか、とまで言われることもある。す、すみません。日本の40歳がみんな僕みたいじゃありませんよ。ちゃんとしている人はちゃんとしているんですから、と一応謝るようにはしているのだが。





 しかしアンドラプラデシュ州西部の町カルヌールで知り合ったジェイミーさんは違った。
「40歳なんてまだまだ若いじゃないか」と言ってくれたのだ。「私は今46歳なんだが、フォトグラファーになるために勉強中なんだ。これからが私の本当の人生だって思っているよ」

 ジェイミーさんはもともと小さな建設会社を経営していたのだが、40代半ばになってカメラマンになろうと決心して、20代の若者に弟子入りし、写真の撮り方を基礎から学んでいる。彼が働いているフォトスタジオは穴倉のように薄暗い部屋で、そこにニコンの一眼レフが2台、ストロボが2台、パソコンが1台置かれていた。スタジオで証明写真を撮影するのと、結婚式や行事などで記念写真を撮るのが主な仕事だ。
「インドでは芸術写真はまだ認知されていない。動物や風景を撮る人はいるけどね。それで食えている人はほとんどいないんじゃないかな。でも、私が目指しているのは人を感動させる写真なんだ。心を豊かにするアートなんだよ」



結婚式の様子を撮るために動員された二人のスチールカメラマンと二人のビデオカメラマン。インドではこれが普通なのだ。


 ジェイミーさんはイギリスのホテルで5年間働いていた経験があるので、とても流暢な英語を話す。その頃に付き合っていたイタリア人のガールフレンドがファッションモデルをしていたのが、カメラマンを目指すきっかけになったという。
「彼女は思いっきり人生を楽しんでいた。仕事も食事も恋愛もね。いつも言っていたよ。『人生は一度きり。だから世界は美しい』って。私もそう思うんだ。一度しかない人生なんだから、この美しい世界をできるだけ楽しまなくちゃ。本当にやりたいことをやらないまま人生を終えるのは嫌なんだよ」

「人生は一度きり。だから世界は美しい」
 それはとてもシンプルな言葉で、捉えようによってはありきたりなフレーズでもあった。しかしインド人のジェイミーさんの口から発せられると、また違った意味を持つようにも感じられた。輪廻転生を信じているヒンドゥー教徒は「人生は一度きり」とは考えないはずだからだ。彼らは来世への生まれ変わりを信じている。だからこそヒンドゥー教徒はお墓を作らないし、火葬した灰をガンガーに「還す」のだ。





「あなたは輪廻を信じていないんですか?」と僕は訊ねてみた。
「もちろん信じていないよ」とジェイミーさんはあっさりと頷いた。「人は死んだらそれっきりさ。生まれ変わることはない。私は神様だって信じていない。もちろん子供の頃は親に連れられて寺院にも通ったし、ヒンドゥーの儀式にも参加したよ。カルマも輪廻も信じていたし、何の疑問も持たなかった。私が変わったのはイギリスに出稼ぎに行ってからだ。いろいろな人に出会い、違う考え方に触れて、世界の見方が一変したんだ。イタリア人の恋人も神を信じていなかった。とても自由な人だった。自分の考えというものをしっかりと持っている人だった」

 インドで無神論者に出会うことはほとんどない。ヒンドゥー、イスラム、キリスト教、ジャイナ、仏教。どの宗教を信じるかが、どの共同体に所属するのかを決めているこの国にあって「どこにも属さない」という選択肢は基本的にないのだ。ジェイミーさんはレアケースだった。





「インド人にはまだ宗教が必要だと思う。ヨーロッパ人のように宗教なしで生きていくのはとても難しいことだからね。特に貧しい人には何かすがるものが必要なんだ。でも宗教はその人の手と足を縛るものでもある。宗教に頼ると、自由にものを考えることができなくなる。それはヒンドゥーでもイスラムでもキリスト教でも同じさ」
「でも、この国で『神様はいない』なんて言ったら、問題になりませんか?」
「意外にそうでもないさ。私は家族にも友達にも『お寺にも行かないし、儀式にも一切参加しない』と公言している。私には私のやり方があると、はっきり主張している。誰も文句は言わないよ。もちろん神様から文句を言われたこともないしね」

 強い人だった。私には私の生き方がある、という個人主義を強固に貫けるジェイミーさんだからこそ、無神論者でも生きていけるのだろう。



人生は一度きり。だから世界は美しい

 ジェイミーさんと別れてから、カルヌールの旧市街を一人で歩いた。カルヌールは埃っぽくて猥雑で、クラクションのうるさい町だった。決して美しい場所ではない。典型的なインドの田舎町だった。

 夕方の柔らかな日差しが町に降り注いでいた。楽しげに語り合う人もいれば、苦しげに座り込む人もいた。野良犬が横たわり、カラスがゴミを漁っている。









 町を行き交う人々を眺めながら、僕はジェイミーさんの言葉を思い出していた。
 人生は一度きり。だから世界は美しい。

 そうなのだ。もし我々に永遠の命が与えられていたとしたら、この世界はまったく違うものに見えるはずだ。
 人はいつか必ず死ぬ。有限の肉体を持つちっぽけな存在だ。しかしだからこそ、我々はこの世界をかけがえのないものだと感じることができるのだ。そしてこのかけがえのない世界を、なんとかして写真に残したいと願うのだ。









 親密で、笑顔にあふれ、光に満ちた世界。
 僕は旅することで、この世界の美しさの秘密を知った。

 なにか温かいものがこみ上げてくる感覚があった。
 いいんだ。僕は今この世界のために涙を流している。
 美しく切ない、この世界のために。








 この続きは「CD-ROM2015」でお楽しみください。
 ブログに連載中の旅行記に未公開エピソード23話を加えた電子書籍です。
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by butterfly-life | 2016-02-22 11:16 | インド旅行記2015
旅人が歩くのは、いつも初めての道

 3月24日~3月27日に行われる「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」催行が決定しました。現時点での参加者は3名(男性2名、女性1名)だけなので、プライベートレッスンに近い撮影ツアーになりそうです。初心者にはカメラの扱い方を1から教えますし、中・上級者にはより質の高い作品作りのアドバイスを贈ります。

 実質3日間という短期間ではありますが、インドの面白さと意外性をみなさんと一緒に体験できる、そんな親密なツアーにしたいと思っています。今回のバイク旅の実情など、誰にも話していない旅の「裏側」もたっぷりお話しします。

 現地発着ツアーなので、旅程は自由に組むことができます。撮影ツアーの前後にインドの別の都市を訪れることも可能。航空券の手配も含め、旅行代理店のスタッフがきめ細かく対応してくれます。また、日本人スタッフが添乗員として同行しますので、何かトラブルがあったときも安心です。

 「インドには興味があるけど、一人で旅するのは怖い」という方、「インドには何度も行っているけど、より深く知りたい」という方、ぜひお申し込みください



謎の白い塔


 マディヤプラデシュ州のど真ん中、「インドのヘソ」とも言えるような平野を走っていたときに、不思議な光景を目にした。チベット寺院を思わせるような白い塔がいくつも建ち並んでいて、そのてっぺんから白い煙がもくもくと上がっていたのだ。これまで一度も目にしたことのない奇妙な建物だった。あれはいったい何なのだろう。押さえがたい好奇心に引っぱられるようにして、僕は国道を右に折れ、塔のそばに近づいた。





 白い塔には階段がついていて、数十人もの労働者が忙しそうに上り下りしていた。人々は頭に大きなタライを載せて、何かを塔の中に運び込んでいた。
「これは石灰を作る窯なんですよ」
 と教えてくれたのは、とても流暢に英語を話す工場長だった。カメラを提げた怪しいガイジンが来たとつまみ出されやしないかと心配していたのだが、大学で化学を勉強したインテリの工場長は特に警戒する様子も見せず、親切にこの窯の仕組みを説明してくれた。
「このあたりでは質の良い石灰石がとれるんです。この炉の中で石灰石と石炭を混ぜて1000度の高温で焼くと、化学反応によって生石灰ができるんです。燃焼は三日三晩続きます。そのあいだ労働者たちは交代で石炭を入れ続けます。熱を一定に保たなければ、質の良い生石灰はできませんから」


重い石を頭に載せた男女が、しっかりとした足取りで階段を登っていく







 工場長によれば、できあがった生石灰(酸化カルシウム)はセメントの原料や製鋼、土壌改良など様々な用途に使われているそうだ。
「それにしてもこの窯はユニークですね。なぜこんな形になったんですか?」
「さぁ、それは私にもわかりません。私が生まれるずっと前から、こういう形なんです。いろいろ試してみて、これが一番良かったんでしょうね」

 とてもユニークで宗教建造物のようにも見える石灰窯だが、ここで働く人々にとっては過酷な労働の現場だった。何しろ窯の中は1000度にも達する高温だし、降り注ぐ直射日光も強烈なのだ。煙突から吐き出される煙も、容赦なく鼻や喉を刺激する。それでも人々は淡々と働いていた。文句ひとつ言わず、ときには笑顔も見せながら。実にタフな人々だった。過酷でありながら美しく、力強さに満ちた光景だった。








 石灰窯のそばを通りかかったとき、僕は何の情報も持っていなかった。このような窯の存在すら知らなかったし、どんな目的で作られたのかもわからなかった。それが良かったのだと思う。何も知らなかったからこそ、未知なるものへの好奇心が刺激され、「何としてでもこのシーンを撮りたい」という強い気持ちが湧いてきたのだ。

 白い煙を上げる窯に登り、働く人々に肉薄してシャッターを切りながら、僕はまるで密林の中に埋もれている王国を発見した探検家のような喜びを味わっていた。ここにたどり着けるのは、きっと僕しかいない。僕が撮らなきゃ誰が撮るんだ。そんな前のめりの気持ちで被写体に向かっていた。









 まっさらな気持ちで目の前の光景に向き合い、そのとき感じた驚きを素直に表現できれば、必ずいい写真になる――石灰窯の存在はそのことを改めて教えてくれた。「たくさん知っている人」よりも「何も知らない人」の方が強いこともあるのだ。

 しかし旅の経験を積むにしたがって、まっさらな気持ちで物事を見るのが難しくなっていく。ついつい「インドなんてこんなもんだ」とわかった気になってしまうのだ。自分の感覚ではなく、常識と先入観ばかり使うようになり、新鮮な驚きや発見が得られなくなっていく。その先に待っているのは「退屈」の二文字だ。









 長旅に疲れ、好奇心が摩耗し、退屈を感じるようになったら、僕はあえてカメラをバッグにしまって街を歩くことにしている。撮ることだけに集中した気持ちを解きほぐし、五感をフルに使いながらゆっくりと街を歩いてみるのだ。

 どこかからリキシャが鳴らすベルの音が聞こえる。スパイスの香りが鼻をくすぐる。湿り気を帯びた風が路地裏を吹き抜けていく。世界は自分とは関係なく動いている。しかしその世界に僕もまた含まれている。

 旅に慣れてしまった自分をいったん忘れ、先入観にとらわれた心をリセットして、子供のような目で改めてこの世界を眺めてみると、この世界がかけがえのないものとして再び目の前に立ち上がってくる。美しい光や素晴らしい表情が、いくらでも転がっていることに気付かされるのだ。









 心の奥底から「撮りたい」という気持ちが湧いてくるのは、そんな瞬間だ。僕はバッグからカメラを取り出し、その「光」に向けてシャッターを切る。もう退屈を感じている暇なんてない。

 旅人が歩くのは、いつも初めての道だ。
 たとえ何度同じ道を歩こうとも、そこで出会うものや感じることはまるで違うのだから。





 この続きは「CD-ROM2015」でお楽しみください。
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by butterfly-life | 2016-02-16 11:14 | インド旅行記2015
木工の街で働く子供たち
※催行決定!
●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。


大きめの国家


 インドでもっとも人口が多い州がウッタルプラデシュ州である。その数、なんと2億人。日本と韓国と台湾の人口を足したのと同じ規模の人が、ひとつの州に住んでいるわけだ。もはや「大きめの国家」というスケール感である。当然のことながら町の規模も非常に大きく、人口密度も高いので、商店街や市場は活気に満ちあふれていた。現代インドのエネルギーと混沌を感じるのに最適な地域だった。





 そんなウッタルプラデシュ州の旧市街には、ものづくりにいそしむ職人たちの姿があった。金属加工や木工細工やお菓子作りなどなど。「はたらきもの」が大好きな僕にとって天国のような場所だったのである。



鍋を作る職人。鍋の底となる部分を石炭で熱し、ハンマーで叩いて形を作る。




 暗くて狭い路地裏を歩いていると、街の人々は気軽に声を掛けてくる。ただでチャイをご馳走してくれたり、作りたてのスイーツを分けてくれたり、焼いたばかりのケバブを持たせてくれたりした。旧市街の親密圏に異邦人が侵入すると、そこにケミストリーが起きる。だから街歩きは楽しいのだ。

 僕が日本人だと知ると「ラブ・イン・トーキョー!」と言う人がいた。「Love in Tokyo」というは1966年に制作されたインド映画で、当時としては(今もだろうけど)異例の日本ロケを行って大ヒットしたという。日本という国の情報がまだ乏しかった頃、インドの人々に強い印象を残した作品だったようだ。それにしても半世紀近く前の映画を、今も話題にしているのはすごいと思う。








木工の街・サハランプール

 ウッタルプラデシュ州西部にあるサハランプールは、木工が盛んな街だった。旧市街には木工職人の小さな工房が何十軒も並んでいたのだ。この街では精緻な彫刻を施した家具をはじめとして、お皿やボウルなどの食器や、イスラムの聖典コーランを置くための台、子供のためのオモチャなど、様々なものを作っていた。
「サハランプールは世界的に有名なウッドクラフトの街なんだ」
 と街の人は胸を張る。世界的に有名かはわからないが、インドではかなり名の知れた存在のようだ。



精緻な彫刻を施した椅子だが、値段はさほど高くはない。二人がけで8000ルピー(1万6000円)だそうだ。


木のお皿を作る木工職人

若い職人が木くずにまみれながら作っているのは、イスラム教の聖典コーランを置くための台。ムスリムにとって大切な道具だ。


ティッシュボックスを作る職人


大型の電動ノコギリを使って木を切る製材所の男。椅子や机などの家具作りの材料になる。


裸電球がひとつだけ灯る薄暗い工場で、木片を削る職人。幼い頃から身につけた技術をさらに磨いて、自らの工房を構えるのが夢だ。


 木工職人のほぼ全員がムスリムなのも、この街の特徴だった。ヒンドゥー教徒の住人ももちろんいるのだが、別の地区に住んでいるのだ。インドの街はだいたいどこもそうなのだが、ヒンドゥー教徒とムスリムは混ざり合うことなく、地区ごとに分かれて暮らしている。「ここからはムスリム」「ここからはヒンドゥー」という暗黙の境界線があるのだ。これは規則で定めたものではなく、時間が経つと自然と分かれてしまうらしい。「隣人は同じ宗教の人の方がいい」という心情が素直に表れた結果なのだろう。

 職人たちのほとんどがムスリムなのは、彼らが貧しいからだ。もともとカーストが低く、経済的にも恵まれていない人々がヒンドゥー教からムスリムに改宗したという経緯があって、彼らの多くが職人を目指したのである。農業をするには土地がいるし、商売を始めるのには資本がいる。そのどちらも持たない貧しい人々が生きていくためには、手に職を付ける必要があったのだ。













 木工職人たちはその多くが20代から30代だったが、中には10代の若者やまだ小学生ぐらいの子供たちも混じっていた。小学校を卒業するかしないかぐらいの年で、家業の手伝いを始めたようだ。

 ウッタルプラデシュ州には働く子供が多かった。ホテルや食堂には必ず子供のボーイがいて、どちらかと言えばぶっきらぼうに働いていた。おそらく食い扶持を減らすために奉公に出されたのだろう。雇い主からは小遣い程度の給料しか与えていないが、それでも寝床と食事には不自由しないという暮らしを送っている。彼らは「仕方なく働かされている」という意識なので、その勤務態度は褒められたものではなかった。



スイーツ屋で店番をする少年


電気修理屋でモーターを直していた少年。手つきは大人顔負けだ。


 木工の街で働く子供たちには、ホテルのボーイたちとは違って、目の輝きがあった。彼らには「少しでも早く木工の技術を身につけ、職人として独り立ちしたい」という意気込みがあった。木くずにまみれながら働く姿からは、ものを作ることの喜びが伝わってきた。







 インドの児童労働は以前から問題視されている。最近は国際機関の監視の目が厳しくなったこともあって、あからさまな奴隷労働は少なくなっているが、本来なら学校へ行くべき年齢の子供たちが安い労働力としてこき使われているという現実は、早急に正されなければいけない。

 しかし職人の街で働く子供たちは、児童労働の問題とは切り離して考えるべきだと思う。昔ながらの徒弟制度のもと、若いうちに仕事のを覚えて一人前の職人を目指すという生き方は、「子供はみんな学校に行くものだ」という先進国で当たり前とされる価値観に反しているからといって、頭ごなしに否定されるべきものではないからだ。彼らは彼らなりのやり方で、今を懸命に生きている。「働かされる」のではなく「働いている」。ここを自分の居場所だと信じて、努力しているのだ。









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by butterfly-life | 2016-02-09 10:41 | インド旅行記2015
インドの相撲・クシュティー
※催行決定!
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しつこすぎる子供への対処法


 旧市街を歩いているときに僕を悩ませるのが、しつこすぎる子供たちの存在である。「ねぇ写真撮って!」と元気いっぱいに近づいてくる子供たちを撮るのはとても楽しいのだが、「撮ってくれ」という圧力があまりにも強すぎると、収拾がつかなくなってしまうのだ。撮影の邪魔をする子供もいる。僕がカメラを構えると、すかさず構図に入り込んで、せっかくのシャッターチャンスをフイにしてしまうのだ。「どうしても写りたい」という気持ちはわからないでもないが、性懲りもなく同じ事を繰り返されると、「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなった。









 マハラシュトラ州にあるマレガオンという街でも、下校途中の子供たちにもみくちゃにされて大変な騒ぎになった。最初は5人ほどのグループだったのに、それがあっという間に増えて、20人以上が僕の後についてくるようになったのだ。「あっちに行けよ!」と怒鳴っても、まったく効果なし。仕方なく彼らを無視して歩き始めたのだが、一度テンションが上がった子供たちは、さらに仲間を呼び、数を増やしながら追いかけてくるのだった。まるでゾンビ映画みたいに。

 そんなときに頼りになるのが、チャイ屋で雑談している暇そうなおじいさんだった。「こいつらほんとにしつこくて困っているんですよ」という表情で隣に座ると、必ず大声を出して追い払ってくれるのだ。年長者の言うことは絶対で、よその子であっても容赦なく叱り飛ばすのがインド人の常識だから、これはサルのようにしつこい子供たちにも効果てきめんだった。





 怒鳴られても言うことを聞かない子には鉄拳制裁が待っている。おじいさんが道ばたに転がっている木の棒で子供を殴るのである。殴る力も半端ではない。棒が折れるほどの力を込めて思いっきり殴るのだ。家畜以下の扱いである。ちょっとやり過ぎじゃないかとも思うのだが、インドではこれぐらいは当たり前のようだった。実にワイルドな世界なのである。



織物の街の老職人

 マレガオンはインド有数の織物の街として知られている。20万台もの織機を擁し、ほとんどの住民が何らかのかたちで繊維産業に関わっている。また人口の過半数をムスリムが占めているという珍しい街でもある。貧しいムスリムが仕事を求めてこの街に集まり、低賃金の労働者として織物工場で働いているのだ。



工場労働者の賃金は1日200から300ルピーとかなり安い。12時間勤務の2交代制という激務。騒音はうるさいし、工場内も暗い。それでも労働力が途切れることなく集まるのは、他にこれといった産業がなく、住人の多くが貧しいからだ。






 織物工場の労働者の多くは10代から30代までの若い世代だが、中には高齢者ばかりが働く工場もあった。そこでサリーを織る古い機械を操作していたのは76歳の男だった。
「古い機械のことは私が一番よく知っている」と老人は言った。「なにしろ君が生まれる前から、この仕事を続けているんだからね」





 しかし古い機械を使い続けるのは、それほど簡単ではないようだった。工場街を歩いているときに知り合ったサジッドさんは、古い織機を維持できなくなり、泣く泣く工場を畳んだという。
「私が親から譲り受けた織機は102年前にイギリスで作られたものだった。それを8台置いて、ルンギーの生地を作っていたんだ。しかし機械も人間と同じように100年も生きるとよく故障するようになる。そのたびにメンテナンス費用がかかってね。労働者の賃金と機械の修理費を支払うと、後にはわずかなお金しか残らなかった。これじゃとてもやっていけないんで、商売を替えることにしたんだ」

 最新式の織機を導入すれば、故障も少なくて済むし、生産効率も上がる。しかし新しい織機は1台12万500ルピー(25万円)もする。8台揃えるとなると100万ルピー必要だ。しかしそんな大金はどこにもなかった。効率よく儲けるためには、まず資本がいるのだ。





 工場を畳んだサジッドさんは、政府から配給される食糧と灯油を地域住民に配る仕事を始めた。マハラシュトラ州政府は貧しい住民のためにほぼ無料で食料を配っている。一人あたり3キロの米と小麦、そして500mlの灯油が毎月もらえるのだ。それだけで生活できるわけではないが、それでも貧困層にとっては貴重な収入源だという。

 貧しい住民が多いマレガオンの旧市街には、古道具を売る屋台が何十軒も集まる一角があった。携帯電話やテレビのリモコンなどの電気部品はもちろん、「いったい何に使うんだろう?」と首をかしげたくなるようなガラクタまで売っていた。プレイステーションのコントローラー、ドラえもんのキーホルダー、使用済みの化粧道具(アイライナー)、アナログのレコードやフィルムカメラ、小汚い古銭などである。おそらく廃品回収で集めてきた品物をまとめて売っているのだろう。どれも薄汚れていて、ちゃんと動くのかどうか怪しいようなモノばかりなのだが、新品に比べると値段が安いので、それなりに需要はあるようだ。












マレガオンの町工場で出会った溶接工は、左手の指が6本あった。親指の付け根からもう一本指が生えていたのだ。彼のような「多指症」の患者は、日本では幼い頃に余分な1本を切断して5本にするのだが、インドではそのまま残している人が多いようだ。手術代を払う余裕がないからなのだろう。「指が6本あったって、別に不便はないよ」と彼は笑う。「まぁ手袋はうまく着けられないけどね」



インドの相撲・クシュティー

 インド伝統のレスリング「クシュティー」の道場を見学できたのは、全くの偶然だった。マレガオンの下町をぶらぶらと歩いているときに、屈強な体をした二人組の若者が「ここで何しているんだい?」と声を掛けてくれたのだ。
「ただ歩き回っているだけだよ」
 いつものように僕が答えると、彼らは「だったら俺たちの道場に来ないか?」と誘ってくれた。

 彼らが毎日通っている道場は「アカラ」と呼ばれていて、大きなモスクに隣接していた。道場にはさまざまなトレーニング道具と、1辺5メートルほどの正方形の砂場があった。砂は少し赤っぽく、倒れても怪我を負わないように柔らかく耕されていた。この砂場で行うのがインド伝統の格闘技「クシュティー」だった。







 クシュティーは西洋のレスリングに似たスタイルで、相手を投げるか背中を地面につければ勝ちとなる。選手が身に着けるのはふんどし一枚のみなので、見た目は日本の相撲にも近かった。クシュティーの歴史は古く、紀元前5世紀ごろのアーリア人の南下にともなってペルシャの格闘技がインドにもたらされたのがその起源だという。


[動画]インド伝統の格闘技クシュティー


 この道場には10歳から30歳までの20人の若者が所属しているのだが、最強なのは25歳のタイールだった。タイールは現役の警察官で、クシュティーの州大会でチャンピオンにも輝いたことがあるという。その体つきは屈強なレスラーそのものだった。胸板がぶ厚く、腕っ節も太い。毎日のトレーニングと牛乳のお陰なのだとタイールは言う。朝に2リットル、夜にも1リットルの牛乳を飲み続けているのだ。




ミールと呼ばれる棍棒で上半身を鍛える


 練習は夜の6時から8時まで。それぞれ学校や仕事が終わってから道場に集まり、筋力トレーニングと練習試合を行う。筋トレに使われるのは「ミール」と呼ばれる棍棒だった。10キロほどの重さがあるミールを片手で振り回しながら、握力と腕力を鍛えるのだ。

 練習試合はタイールの独壇場だった。他の選手よりも体格がひとまわり大きいこともあるが、体のバランスがよく、相手に後ろを取られても決して倒れないのだ。練習相手はすぐに全身砂まみれになってしまうのに、タイールの体は最後まできれいなままだった。

 タイールの悩みはライバルとなるような強い選手がいないこと。最近の若者はふんどし一枚になるのが恥ずかしいらしく、年々入門者が減っているという。廃部の危機に瀕した大学の相撲部と同じような状況なのかもしれない。

 今のところインド出身の力士はいないようだが、近い将来日本の大相撲を目指すインド人が出てきても不思議はないと思う。強い筋力と体幹を備え、なによりもハングリー精神があるからだ。
 四股名は「太島春(タージマハル)」とか「厳地州(ガンジス)」なんてどうだろう?







●3月24日~3月27日に「写真家・三井昌志と撮るインド・バラナシ撮影ツアー」を行います。インドで最もディープな街を歩きながら、写真の撮り方を学べます。沐浴場や旧市街を歩き回ったり、近郊の農村を訪ねたり、ローカル市場を見学したりと、内容は盛りだくさん。人数限定なので、申し込みはお早めに。
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by butterfly-life | 2016-02-02 11:13 | インド旅行記2015